2010年12月31日

文明と扶養

人類が、文明化に伴い高い教養と共に少数の子供を望むのは客観して人口支持力の為といえそう。それは所得を上げつつ失う扶養数を節約したがる。多すぎる子孫数についての有名な諺は、内的増加傾向としての低度の教養に伴う再生産率の早さ、乃ち早稲さの代名詞に繋がっている。
 この傾きは文明化が、人口分の生産性を所得水準に比例した教養度へ定めたがってきた事、要は文化形質に伴う豊かで多彩な人生経験を大多数の子孫へ願うのを宿命じみて説き明かすか。長寿の適所では所得遅滞に伴う晩婚化が専ら忙しく進み、その場の誘因から幼型な血筋に洗練が伴う。文化に極度の高い複合型があてられれば、生態機能の完成は特有の適性へこの血族に含めて社会権能を形質へのりづける。ゆえ教育のめあては実に天才さとしてみられる代表な社会権能を抽き出す圃場作りにあり得る。一般に秀才の群れに於いてしか凡庸と隔絶した天才性は伸び切りえない筈。平均教養の底上げは、多様さに勝る特徴をはっきり目立たせるにも必要。
 かくして文明が少子高齢をいくら進めても困る者はおらず、労働力は機械化と外注で賄われるのでその徳は堆積する許り。且真に文明とは労働の義務からの脱却で、進むなりに我々が担うべき客体の理由は少なくなる。

2010年12月30日

範畴三元論の限界

カントの三元論は実は基本な範畴論であり、自体は理念内の定義なのでかえたり違えたり自由にできる。その意味で実際のカント三元論は言葉の仮想で、実在でない。柄谷氏がたとえばこの三元論を下敷きに社会構造を分析したのも自体は、仮想の枠組みを転用した訳で現実に三元論の仕業が創造主から与えられていた、のでもない。人為による仮設物な限り、三元論は物自体になりえていないし神そのものへの信ですらない。
 更に現実の社会な能力はこの三元さに厳密にあてはまるのではない。要するにカントも自覚していたらしく、この範畴三元論は基礎づけの意味としての批判を行ったのみでそれに於いて結論になる訳でも学術の結論になるでもない。人は随筆の類別で厳しく知識と理念を分ける訳にもいかず、かといって私情にわたる理知的随想を文芸の値より外から教科書とするにも気が引ける。範疇三元論は大まかな学術傾向の分類に使える已。自体は功績だが、基礎認識に留まっている。そして詳細に亘っては未だしられない無数の分野と認識の方法論がありうる。

2010年12月29日

趣味説とイギリス功利主義

社会な功利さ、巧みさは人倫と矛盾する利己さに返せない。こう捉える原理主義者は、功利説が自体の福利を徳の基礎に置いたと分らずにいる。よってこの人が多く自己犠牲に伴う利他行動の正当さを力説するのをみるが、我々は使用者の思想が使われる者の幸福と何等齟齬しない許りかその強化力線に繋がるのも悟る。
 日文でいう功利が、利の文字面と功の意味合いからかれらの勘違いをうけさせやすいのは一理。ゆえ日語化したutilitarianismを趣味の用語にまとめるのはイギリス功利主義との区別にも使える。ここでいう趣は、使用する者としての心得により語感が近い故。
 趣味説の本質は適材適所を意図した幸福主義にある。習性な場所官能は彼らに千差万別の合目的さ、審美観を植えておりそれらは縁起している。イギリス功利主義の中に動物功利主義の側面や清教徒説との漸近が暗黙づけられた結果、植民化帝国理説が燃やされたのは彼らの口に場所学の覚えがなかった事による。場所学は風土論から起源した地域哲学だが、単なる地政学、地理の政治史とはことなる帰結をもち、比較文化を前置きにした倫理分析へ進む。そこでは生態知の一切が用いられう。故に生き物とみた全ての動態は人類その他、及び微生物含む無機環境への洞察迄もが類推のめあてとなり我々が、知覚基盤をもことにするゆえ一律な理説への狂信を戒め、文明活動を含む適度な共生の仕組みをめざさせる知恵ともなりえるもの。

倭奴観察記

倭国内遍在多妻制度乃誘因之最近世迄。倭奴無畧放埒淫蕩乃観念、不忌避而姦淫文物乎。且現代倭界不潔無衛生式風習蔓延倭乃関西的舞妓芸者。

 何故倭奴適応之低劣姦淫常態而理解可能乎。彼等当然之侮蔑賤業実際倭奴国内有職業病質於京都特筆的。
 倭奴之歴史上而関西圏及西海九州、西日本以来中部常住且連帯飛散。東国乃東街道以東以北国比較少数之倭。天皇家之倭乃王。畢竟彼往来土地変風習此低落堕弱化也。

2010年12月28日

姦淫都政の徹底撲滅

狂ったDNAの石原慎太郎管轄にある都警は永遠に、周辺国へ迷惑な犯罪行動をまきちらす姦淫映像会社とその部下を取り締まらない。

よって、周辺国の総意により『石原都撲滅組』を結成し、その猥褻物頒布罪人ども一切を監獄へ入れ、現都知事は誤った地位から抹消せねばならない。法規範を逸脱させつつ金を搾取するしか機能のない都など害毒しかない。

2010年12月27日

世界内で築き上げられたどの体制も束の間
現し世に生きるどの命も虚像
嵐! 嵐のあとに走り去る人影と海
どうでもいい程いそいでる倭に能無し
走らされた路面をかく再び走り去る

ルバイヤート+1

糞女が殖えまくる
そいつは倭奴といい
勝手に暴力団でこの島を
独裁した腐った血統
 それから何千年たったんだっけ

全くどうでもいい
この世にうみおとされ
やがては糞ジジイの金儲けの出汁に
使われて死んでく丈なら
 天皇様は本当に偉いんでしょうねえ

何億もの侍
かれらは亡霊
倭奴が殺しまくった
卑怯者の文明の墓に眠る
 僕はかれらの声に耳を澄ませる

終った世界
それから無限に続いてく今
なぜ君はここにいるんだ?
既に日本は終わってるのに
 倭奴が独裁した姦淫物語陳列罪の害悪国

南蛮倭奴

税を貪る南蛮倭奴が
浅ましい淫行勧誘罪の銭儲けでこの世を汚染してく
私は無意味な世界に絶望し
猶も金ぴかで威張る皇后をじっと見る
最低俗物の東京関西日本国
下賎すぎる首長が金儲け戦略と号令
それで何が変わった
目の前には公然猥褻犯罪都民があふれかえる
殺されても湧いた猥褻物頒布罪の関西倭奴
その血や文化が穢れな証拠にまたも
売春犯罪で舞妓芸妓を育ててる
倭の卑しい血統書では穢れた芸者しか育たない
原爆で消されて正解だった極悪民族
子供にみせる姦淫小説原作映画
その目の前で変態漫画を破りつつ
想像力規制だと邪悪な関西系都知事がいう

2010年12月26日

英雄

なぜこんな汚い
世界にうみおとされる
苦しみと過ちにみちた
俗物社会でひとり
きみは昼夜を措かず泣いていた
その涙は馬鹿にされ
ろくでもない東京関西奴が金と
性欲でまみれた浮世絵を描く
奴ら衆愚になんの理屈もなく
奴ら衆愚には生きている意味もないが
単純にいえば終わってる
生きろと偽善のテレビが言う
実際の学校は虐め地獄
どころか社会は虐殺ワールド
要は終わったってこと
極悪阿婆擦れを処分しまくる英雄を待て

ルバイヤート+1

いんちきロックンローラー
の金儲けの為の出来レース
をみせつけられてる
糞女が発情しまくるこの下痢文明で
 自殺者の群れが「助けてくれ」と叫ぶ

糞女がどうでもいい
程度の低い編集ゲームに
騙されて言う「天才だね!」
ならてめーは分かる奴なんだな
 オッサンの腐臭にみちた姦淫倭奴界を

馬鹿なカンサイ奴がどんどんこっちきた
結果この東京は風俗店だらけで
終わってしまったんだったよね
にもかかわらず阿呆鳥が鳴く
 「漫画は卑しい稼業だから」

老人がいんちき上等で金を儲けまくってる。
僕には一銭も入らない。
姦淫映画で世界展開する神戸倭奴!
なにを敬えというんだろう?
 「君が代」を歌わないぶん殴られた僕は

ミリオンセラー

まちがい続ける東京人
このよにはびこる嘘と邪
彼らがすべての発信源だが
他方ではすべての悪さを隠し続け
なにもかも地方の所為にしていた
邪悪きわまる神戸出の都知事
あらゆる姦淫と虚偽をまきちらし
大威張りで現世を生きてきた
少年の僕が骨々とはたらくその上から
ゲイシャをよびよせ猥談を蒔いていた
キチガイだらけの現代文化
噂が噂をよび大ミリオンセラー
の中身はみるも無惨な淫蕩巻物でも
天皇家は大喜びで恵まれた恵まれたと言う
地獄の底で貧乏人の血税をむさぼりつつ

2010年12月25日

愚策と末路

法人税を軽くすれば雇用が戻るという単純すぎる論理は、国際的に労働賃金格差がある条件下では誤り。よって現首相の法人税軽減策は、彼の出身地への利益誘導以外の何物でもない。

内部留保はそれ自体で増大する傾きをもつので、経営者は雇用を絞る事で逆に内部留保へ、付加価値を転化させたがる。これは慈善事業以外の全ての業種で、そうすることが株主の意向に適う限りそうなる。

 法人税を軽減し、企業利潤を内部留保へ転化させ、農民を騙し、身内の利益へ国費を誘導した罪は誰より重い。現首相はこの責任を子孫末代まで背負うべきであり、解雇されていく無数の国民から目の敵にされあらゆる国内の場所で批判されねばならない。

2010年12月23日

川柳

さむきことなおこの上に積もれかし
馬のあし夫々ちがえる競う牧場に
幸せな勘違いもまた風流れ
美男子をこのむ女も頭悪
西海で子供の築く芸者の絵
血の海はああおそろしき薩摩馬鹿

不毛の倭奴国

極悪掲示板を放置してきた被疑者ひろゆきが
「命懸ける時なんてない」
ところがその生きる価値ない倭は
祖先が決死で尊攘して守った国をしらない

馬鹿すぎる姦淫漫画で
いなかのはてまで情報汚染
すれきった汚い京都土民は「表現規制や」とほざき
この純朴な子供らをけがしつくす公算

いつもの天皇ゲイシャ
あばずれしかそだたない不毛の京都に
必ずその一家が根付く
朝鮮人の血を含む独裁税搾取稼業

邪悪な都知事が
猥談を散々ばらまいたとおもったら
一転して「同性愛は遺伝子のせいだ」
憐れまれるべき悪業のぬしはどこの誰か

ほらねどこまでも瓜二つ
そっくりそのまま関西人
また姦淫の奨励で侮蔑されているよ
「童貞やないで」とほざき買春自慢の汚い倭奴

こいつら全員殺されろ
中京都か西京都かどこでも一緒
穢多天皇がひろめまくる偶像崇拝
ほらねまた猥褻踊りですか

2010年12月22日

銀世界

この星にふりしきりたる銀世界
切りたんぽ遠く旅して煮え至る
しずかなる夜をひたせり火の用心

2010年12月20日

好きなもの

昔のドラクエ。マザー2。野口雨情の童謡。イギリスの知識人。日立。本。科学書。徳川慶喜。すぎやまこういちの作曲。中国の風情。イングランドの田舎。北茨城。調布市。実家。秋。眼鏡をかけて利口そうな子供。地元。金のかかっていない田舎の駅。砂浜の綺麗な海辺。眺めのいい場所。聴き分けのいい猫。休み。聖者。SONYの出来のいいときの製品。磐城高校の美術室。落ち葉。うすら寒い日。生ぬるい風の吹く日。台風の時の家の中。かわらぬいなか町。和歌山の人。奈良。ゆとりある超高層ビル。清潔。多摩川。多摩川沿い。慘劇を遠くから見ること。迷惑な事をしてきた人が死ぬ。修道女。悪人の自殺。悪人の子孫の凄まじい悲惨。孤独と自由。透き通ったプール。小学生くらいのピアノ少女。誰もいない都心。人口密度の低い街。寒さ。仙台の眺め。暴力不良の自滅。よきブラックジョーク。質のいいもの。物理学の一切。数理的な天文学。抜け道。イギリス風の庭園。煉瓦積みの庭の壁。ばらの庭。真夜中の月。海鳴り。「くらげなす漂える」という表現。冷たい俳句。ブルーハワイのかき氷。子供のころ見たもの。子供のころの町。厳密な基礎数学。水戸。竹林。畳ござ。ビビアン・スー。高級ホテルの部屋。警句。波。つるはし。涼しさ。青み。水色。潮風。葉ずれの音。潰れない食堂。常磐線。筑波山。筑波山の下のはてしない田ん圃。母性のある女教師。通った後の学校。誰もいない秘密の場所。とても頭のいい犬。アメリカの寂れて人通りのない郊外。真新しい旅館の畳。FF7の機械づくめの地面側の街が見える地点。ゲームキューブの本体。ゼルダの伝説時のオカリナのハイラル平原。名前のわからない小鳥の鳴き声。白いばらの花。工場跡に一面の菜の花。すすき。鈴蘭。白い扉。銀色。金色の車。人のいない日本。鈴木という苗字。眺めのいい高地。

2010年12月19日

影法師

ある関西の人は何でも自分発の悪さを朝鮮の人のせいにすればいいと信じている。
ある京都の人は何でも男ときけばなりふり構わず発情する。
ある南方の人は何事も情緒で捉える。
ある日本の人は感情で動き知性がない。
ある東京の人は地方に無関心なので場が読めない。
理性の欠けた女は生き残らない。
女優の心理は醜い。
おくての徳は深慮。
気の強すぎる女は家の滅亡へ致命傷を与える。
汚れた島では汚れしか育たぬ。
愚劣なる親から秀才が生まれる事はまずない。
滅亡すべき民族は悪徳を示す。
奴隷根性は生まれつき。
道徳に従う者のみが真実に佳い地位を得る。
喧嘩早い者は自分の影法師と争う。

2010年12月17日

冒涜

死んだ方がはるかに世がよくなる
腐れ京ゲイシャを囲いつつみにくい
東洋人の風貌をした倭が言う
「なしておなごを傷つけるのや」
腐った大奥の税金ドラマをみせつけられている
馬鹿すぎる薩長同盟が
幕府を掻き消してとことん威張った末に
自然とアジアをぶち壊しながら強姦で支払い
なぜこんな社会なのかやっとわかってきた
お前のけがれた血が支配してるからね
天皇は利用されたとはいえ
公家直下の岩倉具視が
今の日本をつくりたがったのだから
まあよしとするか
西園寺公麿も自害したから
ちゃらちゃらしながら
姦淫小説をまく神戸奴
その歪んだオッサンを
首ごと懸けたあの門は
あれえ? よくみたら都知事先生じゃん
金かね金
付加価値フカカチ
ああわかってる。お前が
掠める為だもんな
ユニクロ長州出身の首相
倫理のかけらもない
東大卒の茂木健一郎が
あきらかに刑法違犯の姦淫小説の
映画へ18歳未満の清い少年少女を誘う
貴様に税をやった先祖を冒涜しながら

アマツチ

趨膺惟比率
鏤梓辨明律 
点自暗奈恕
伽權現理念
ナニガアレドツラナリユク
アキラカナルノリノコトノハ
ユルスベカラザルトモシビニ
アラワレタルコトワリノオモイ
駲體衒釛体
眄蘋泛澪犁
淋然那直前
實説闇黶機
メノクラムオオカワノハタラキモノ
ナガメムウシカワノヒキシミズミズシ
スグマエニサミシキトコロアルヲ
トキキカモシダサルキザシノミアリ
季葷畋慱随
従乃變遷紅
蓮艢體制岑
嚴譱莽草滅
サワラビノモエイズルカモ
ウツリユクアアクレナイノ
ハスノフネウツリニケリナ
イカメシキヒツジクサヲハミキ
天地矛盾弛
嗽途石擲弱
瀛浪冥頻彬
品質惟从然
アマツチミナホコタテニスギズ
アノクチユスグコドモノイシケリ
サキユキノミエヌトキノカワリニ
ヒトノナリヲオモエバサダマリケル

カワリユクモノ

If it was everything
You did knowing about
You'll be to take a mistake
And this world is not sure
アタカモソレデナニモカモ
ワカッタツモリデイルノナラ
アンタハカンチガイシテオル
ヨハツネニカワリユクモノ
Those all phenomenon
May shoot spellings
Should you come in
End doubt your English
Or something wrong
Wonderful vivid mimicry
Hits will be vanished
So you could be a foreigner

2010年12月16日

場所比例の趣味論

世界が同時に比例しつく限り、絶対の進歩は同時にしかみえない。適所毎の生態内での定着さは変異の程を特有の知覚原理にしか戻さないから。
 倫理にみた場所比例は、それらの共同範囲を特徴と生態分業に返す。経済関係は必ずしも倫理を媒介せずとも興るが、地政史の域にみた場所比例は必ずこの交易を伴う。というのも、異なる風習のもちこみはその場で要する倫理習性により厳めしい別の特徴を用いらせるので。決定的な倫理別離は、よって地政の圏域と帰一。郷国の差がその侭、べきの問いへもその最善さを異にさせていく。こうして進歩した生態と、必ずしも政治領の理念が一致しない許りか、単に倫理の度や達も場所学領の雰囲気にしか係わらないと結論してしまえる。哲学は何れの政治方針へも最善さの分別を示す筈だが、止揚された倫理論にとっては選れた理性を開陳して終る。
 結局、倫理への学は事実上 後自然学の出自の侭に留まり、完成後の倫理がなりたちえないのとにて本来の倫理は社会生物の自律と彼らの生態行動への定格に返る。ゆえ倫理学の科学化や実証論化は、のびた推量の余地をなくさせ、後自然の合理化が生き残りと矛盾していく為にでも不可能。いわば実証への留保な論証可塑さこそが、身の丈を知りその不動の規律を与える重要な習性。理性とは、こうして相対知による自己過信を反省させ、自らの立場が協調性の基礎と矛盾しない名分に基づく様に言いえる為の合目的な実践能力であり、もし理性なしに他の搾取型集団と対峙しても常に自らの立場は不利へ或いは権利剥奪へ追い込まれるかも。選れた理性の持ち主だけが地政史の主導の因みとなり、その倫理気風の代表か象徴となるのは以上で分かる。つまり彼らはその属した集団の名義を代弁する為にしか理性を結局用いえない。もしそうせねば、彼らは必ず自己矛盾するし、自然知識以外のどの比例へも何の特徴も言い及びえないだろう。なぜ国柄が全くことなる複数の理念をうみだすかは以上の為で、それらの弁証は倫理へは以前より折り畳まれた複合さ、乃ち高度の利権教養を必要とさせ、結果各地の文明は地政の為にのみ参照や編入がなされゆく。
 自然生態史一般とにて人倫でも大きな集団の前での小集団か弱体集団のくりいれが頻りに行われる。特に、学問の程度はこの理性編入にとっては決定打。この為に、人類文化史の一般原則とは、ヘーゲルが大まかにえがいた如く世界精神の展開ではあるが、現実の民族精神はそれらを地政史実に否応なく導かれつつより偉大な規律の元に団結する方向で、又卑小なる集団からの脱出と頽廃集団の破滅の連鎖から起きる。最終な民族精神は、宇宙の想像無限さからは決して導きえない筈の当為。故に歴史上の民族は道徳を地政哲学の熟達に応じて配分し、又彼らの将来地位もこの洞察に順次くばり仰せる。既に敗退し消失した民族も、その地政か場所が建築的不毛なことをしりえない理性の為に跡形を程度こそあれ残しつつ、或いは何ものこせずより偉大な精神の元に寄り集まった物。こうしてみると、民族神の創作が政を開始する原動力となった過去の逸話はとても示唆に富んでいる。民族精神は、この初動した創作神話の哲学を今日まで物語や聖書の形で残している場合もあるが、それらの言い伝えは各知識人が何を悟りえ、何を信じるべき仰せとしたかを智恵の殿堂な民族語彙の全域に、又その内部での理念伝達へ厳密な場所比例を及ぼし続けている。愛、道、慈悲、忠義これらの単純な言葉はみな先哲の生涯の功徳の結晶であり、我々は之らを民族語彙に受け継げる地位を幸運に思うが、実にそれらの発見者と同じく全ての感謝さるべき伝達者は地霊となって、現世にはいない。業がどの時代まで連なるかは想像もできない程おそろしい仮定だが、現実に、我々の全ての悪徳も、全ての善意もみな祖先が創作した神話の結果なのだ。それらの神話は会話に流通し、或いは人づてに文字を介し、記号と音符にしたためられ遠い我々の子孫が日常語彙の種とする。場所比例の偏りは、こうして民族神学の本質な偏りであり、彼らが参照している全ての文化形質をそれらの創作に加わったいまでは霊となった人為と共に宿し続ける。なぜ悪が死の、よって民族絶滅の原理かはこうして理解できよう。「悪さを為すな、善さを為せ」という最も基本な道徳の命題は、殆どの幼児にでも知覚されているとはいえ、現実の有様は老人の中にすら大幅な偏りを伴って判断力、或いは単に判りの優劣を与える。よく判る人つまり良識人と判らずやの間の溝は、彼らの総合した育ちに最もよく顕れる。
 法律の案を一つたりとも練った憶えがなく、かわりに犯罪間際の悪徳を歪んだ習癖としている人格は、常に優れた人格者の品性を謗り、事あるごとにかみつき、その当然の社会な名誉感情を損ねようと躍起になってあらゆる中傷の嵐と冤罪そのものな嫌疑を大勢へひろめまくるが、この民族語に伴う文化習性こそ駆使しているのをさとらない。こうしてあしき民族の絶滅は起き、協調性のよき側面を相互利益の為に駆使できた血統は最高の栄典を授かる。そしてこの言葉こそ、神がはじめに与えたあの栄えある光なのだ。私達は哲学を通してこの本来の言葉を学ぶべきなのであり、それには各民族の智恵の殿堂から偽預言者や過った解釈者がつけくわえた多くの錯誤をとりのぞき、論証界の中で最も価値の高いイデア、つまり揺るぎない理想をその時点でえられる全知識から抽出する他ない。この作業は我々が哲学とよばしめてきた全営みを覆っており、つまりは哲学とは、プラトンの定義に返ればこの善の理想を、アリストテレスのいいかたを借りれば形相としての理想を数えきれない悪徳や無駄な情報の束からえりぬき、その強い意義を回復させる事。之は現にある知識の開発や研究と発見とは異質ではあるが、学問の殿、しんがりとしての本来の形而上学の役割はその体系の不動さか定常観を醸す事であり、つまるところ偉大な精神の及ぼす学識の結論をつける事、総まとめとしての現体系の根本理念を提言しつける事。
 どの科学も、そればかりか技芸も、何の為に用いられるべきか自身を説明できない。之は論証界が各体系の客観装置として機能せざるをえないからで、上述の様、最終結論な倫理の智恵こそは場所比例で各々大層趣違えており、その為にであれ理性が究極の洞察をやまぬ実践の積み重ねである地政史の大義に刻み付けるのを疑いえない。この生き残れた集団の成員は祖先が世の宿命に何をみたかをしっており、故に正義とは何かを地位の民族精神に記憶していく。之らの偏りは、最終的覇種樹立に至る全試行錯誤にとっては権力闘争らしく示され行くが、いかなる亜種も、又どの俗書俗説も、邪教や邪宗も、全文明の目撃者となった子孫の倫理結論をは否めず、それ故に理想とは基本善意の積み重ね、乃ち常識量からの判断に返る。至善を悟る者は場所比例の適性の為にそう導かれたに他ならず、良識が程度問題に還されるなら、全ての社会行動と同じく常識量の高下はいかなる神話へも厳密な因果応報を与え直す。神話は精神に比例し、この精神は理論をよりどころとして共同体が作る建築の趣味に千差万別の違いを与える。
 精神という概念が現代とらえなおさる可は、それが単に神の意いへの理解度と定義されなおせば、一体、我々がしりえる自然認識の厳密な量感は、その創造への詳しさであり、つまりは他の何ら自然認識を軽微にしか有しない生態に比べればより神の立場と制作力に近づくという訳。だから神話は現に語られつくのであり、建築家、或いは社会集団の棟梁な行政長が為すどの作業、忠告、命令も、みなは神の模倣なのだ。なるほどそれらは全宇宙の造り構えに比べ余りに卑小だが、場所比例に伴って、それはやはり神の為の再創造への試みなのだ。我々の中には行政の皇帝が名目のものであり、かれ自身は殆どなにもしらず、飼われた不自由の仕手であると判る者もいる。そして彼らは次の様洞察もしている。皇帝は神聖なお告げの代理実行人で、そのお告げ、いわゆる天命は本当のところ全くの偶有であると。これが神聖皇帝の権威の源であり、自らは何事もせず、ただとりまく世間の代理に徹する習慣、要は付和雷同と優柔不断の性格が彼を道化一家としてその場まで遠く誘なったのだし、現実に、この性格の決め手の為にごく危険極まりない目にも数多く直面してきた。だが、ここで代理される本心とはいつも民族精神とやらだし、その定義は既に彼が擁する民衆の中の知恵者によりなされ、横流しか忠告されてきたのだった。天命思想の本懐はそれが民族の意志を吸い上げる功利の故に吹き込まれ、こうやって皇帝へ交代の根拠を与えてきたのだ。
 覇種の形成は一定の祐徳な精神を伴う民族の完成であり、それがどの程度の行政権の固定を担うにせよ、善意の度ですら実に常識量によっているという単純な真理は、我々が趣味のよしあしにみいだす本物の根拠であり、なぜ私がそれこそ道徳哲学の主義にふさわしいと考えるかいえば、洞察は形相への定着を伴ってこそ理想の地味を保証するから。
 もし貴方がみるどの亜種も、単に思想については理想いな云々を述べるかもしれず、しかもどれがまやかしかも見分けづらい。だが仮にこれが偶然でなく既に彼らの宿命なら、可能態と現実態の行き来、乃ち再創造の合間にも趣が不変であるだろう。もしこのくりかえしの検証に絶えず、鍍金と繕いの剥がれが露わならば彼らは借り物の思想で借り物の制作を行う偽の実践者で、その形相は悪である。要するに、場所比例がその生育としての種に与える趣には形相の一律さとして地霊の偏りがあり、と同時にそれらの業は神らしさなる理想性にも雲泥の違いと進化後の姿を宿している。我々の特定な知覚基盤に基づくしかない洞察ではどの生態に究極の神性があると確約もしえないが、少なからず趣味の程がこの地球風の定格らしいのも又周期的生態の常な筈。

2010年12月15日

社会生物学

全社会場には場所比例がある。之は主に文化形質への加えで、異なる文化やそれに至る風土の地場で違う。場所比例は適応の偏り、といえる。
 場所毎にもっている適応への誘因は大幅にちがい、それらは地政史の移りを除いてかわらない。場所比例は適応に伴う放散度で多様化の因果律。それらは進化、とよべる以前の形質との遊離に至って、以前とは異なる決定的な場所らしさを作る。進化場一般はこの適所となる事で形質を以前と違う何らかの場所比例の決定さへまとめる。多様化が進化の保証でないのは以上から論証される。

箴言

純潔は幸福な為の十分条件。

2010年12月14日

そして全てが悪くなる
どっかの終わってる
ゲーセンに叩きつけられた缶
「ようこそ日本へ!」
羽田でもお迎えにあがる赤い缶だ

思い出

どうでもいい小さな思い出
椎名町駅前にはマックがある
そこで僕はむかし
二回入って二階から
椎名町駅前をみた
それだけ

2010年12月13日

理性の法解釈適性

植民優先の帝国主義が枢軸国側の抵抗の為に矛盾を露呈され終りを告げた過程はみな、背理の露悪に至ったもの。故に実質は、当時の枢軸側が掲げた理念は破られたとはいえ、帝国主義内での民族差別を弱めた功績はあった。もしヘーゲルな世界精神が背理の露悪にとっては理念の後進さでしか示されなかったなら、自由思想は帝国主義の機動力他に出ぬ。自由思想か寛容思想がみいだしたのは、結局は反宗教原理主義の教義たる勝手主義か我儘主義の展開。それらは、国際な富の偏りへどんな留保もおきたがらず、単に社会内闘争を弱肉強食で合理化させる。世界精神からみた背理の露悪は、之らの故に権利の平等として、人格のならびを設けたがった。が、権利が理性中心の営みなかぎり脳性麻痺含む各種の条件者、又他の生き物は使用者下の仲間に加え得ないとされがちだった。野生味にみた実用主義は、よって功利主義の低落でしかない。理性の背理はこうして導け、我々が理性によるのみのいきものならずとしらす。理性が与えるのは人格のならびではなく、単に場所毎の適応放散やそれに伴う進化比例の区別でしかない。そして時の中で唯一の完成後の趣味はみつからない。
 法秩序の区分こそ、真に理性人の適所でありその法則体系への適応手順。理性はこうして法案の原理。且つ、多くの場面でどの法を択ぶかは市民の文明によっており、解釈学がなぜ有用さに還されるかいえば、根拠としての善意が宗教的合意にのみ矮小化されない弁明の余地、異論の隙間を少数派の上にでも開いておく為。

あしたまにあーな

濱田マリでした。あしたまにあーな

2010年12月12日

生物学

生き物の展開傾向は、形質の比べた内的増加率な変異の順に次の様。

早死早生<早稲<早熟<晩稲<幼熟<高齢長寿

早稲わせは、全生態段階が早まる。
早熟おませは、全生態段階より性成熟が早まる。
晩稲おくては、全生態段階より性成熟が遅まる。
幼熟おぼこは、全生態段階が遅まる。

 わせとおませは変異の型が違う。又おくてとおぼこへもそうなので、対比語とみれば
わせ←→おぼこ
おませ←→おくて
となる。わせの性成熟は全ての展開した型より早く、生態段階の終わりがくるのも早い。が、おませはおくてとほぼ同じ生態段階をへるが、性成熟だけが早い。おくてはおませよりも性成熟がくるのは遅いが、生態段階の期間には殆どかわりがない。これらに比べおぼこは全ての過程が遅まり、生態段階が終わるのも最も遅い。
 なお、進化というrevolutionの訳語は進歩と勘違いされ易いのでこの展開傾向の面からは用いづらい。どの変異も環境変異下での適応の結果で、必ずしも将来の生態地位を言わないから。退化とよばれる特定の生態機能の縮小も、別の種を開きひろめる面ではやはり変異の一有様でしかない。

2010年12月11日

鉄道網の再均衡づけ

(首都圏と京阪神、及び大まかな福岡県内を除く)地方のJRが独占競争状態にあり、その健全な交通費の節減に障壁となっている現状をかんがみ、「地方JRの再国有化」によって、その独占度を奉仕赤字の概念で低め、民間の私鉄が進出できる土壌にかえるをえる。

奉仕赤字とは、会社が公共の奉仕者という立場に返る事で採算を度外視して経営利潤を国庫へ返還させ、或いは法外支出を抑える事。つまり独占禁止を間接的な国の省機関からの関与で実質的に行う。

 具体的に、地方のJRの利用者の負担を殆どゼロにし、経営陣からの営業利潤の国庫への返納率を定めて事実上は公共料金制度と同等にする。これによって他の私鉄の経営よりも、地方線会社での利益率を下げ、その場へ公平な競争が入り込める様に導く。
例えば単線しか通らない寒村の路線はほぼ無料とし、この利潤は政府の助言で都心部の高い料金設定から補填させる。と同時に、地方の路線は「奉仕赤字」となりそのJRの無駄骨の分だけ他の私鉄が参入し、本来の黒字経営をはたせる場面にかわる。なぜなら利便性の追求よりも維持で精一杯になるから。
いわば横綱へ重しをつけた侭で幕内力士らと決戦させつづける。そして経営規模が私鉄とほぼ平衡した時点でこの重し、つまり国有化負担からふたたび解放する。

2010年12月10日

花と海

ちいさな
誰からもみすてられた花が
このよは
きえていく舞台だと
しらせる
海は
世界をとかしこんでいう
だれもが
わたしからうまれ
わたしへとかえっていく

わざとらしいわざ

ちょっとした工夫だ
もしだれの興味もない
些細な分類のミスマッチをみつけ
それをヨーロッパの些細な学会へ送れば
ちょっとした東洋人の羨望を集める
あたまのなかみは空っぽでも
だれにもみつからない
へやの埃の中でダニの奇形を探るみたいに
しぬほどかねを余して
どこへでも留学できる恵まれすぎた
境遇にぴったりの業
僕は静かによのなかを見る
偽善と露悪がいりくむ所
小さな嘘と大きな真が
化学反応しわざとらしいわざになる
だが貴方は見るだろう
だれも業をこえない
それから必ず自らの行いが
世界を駆け巡って結果になる
名誉の為に智恵を愛する
習慣をなおざりにした者は
名誉の為の競争にどこまでも苦しむ

極悪小説屋の業

極悪犯罪者の関西人が
「金くれって言いたいよね
金くれれば何してもいいよ」と言った
その村上春樹覚醒剤中毒者は腐るだけ金を
猥褻小説で稼ぎ名誉毀損罪を積み重ねた極悪人だ
もし見破られないと信じているなら
その男は致命的な過ちを犯した
業がきえさることはない

関西と東京

カンサイジャップが「東京の文化が関西より勝っている証拠は?」といいつつきたないゲイシャ街に通いまくる。笑われる為ならどんなに向いているかわからない奇形。ところが「カンサイの文化が勝っているときづけや」といいつつ、かねをもうけてゲイシャをそだてまくる。東京都はお笑いなの? 東京都って、お笑いなの?

2010年12月9日

趣味主義の福祉的基礎

趣味主義にとって最大多数の幸せとはその快楽の量感にもどる、つまりいかなる不道徳の乱痴気な行いさえ低級低俗の世帯にとっては量的快苦の原理の為に肯定されえるのでは、といった危惧がある。が徒労なのは、この場合の幸福は単に生理的機能の過剰昂進にすぎないか、又は反福祉的習性のそれな場合が殆どで、実際には当社会の最低限度規範の程度問題に返る。例えば動物虐めの如き動物功利主義のうけいれがどれ丈かは、当社会がおかれた各種の生態条件によっている。もし慈悲が極度の汎神論に及べば害虫駆除すら法的かつ信的規制の為に客観的不快であり、その制止が共有できる社会場の則として設けられう。同じく、殆ど他の人格的個性との名誉感情すら尊重されない日本の関西圏の様に特殊な適所もある。そこでは人格への日常的誹謗がおいしいという民俗語でうべなわれる。
 之らの理解から、趣味主義が批判哲学、或いは倫理定義に期待しているのは最低限度規範のたえざる場所学的ひきあげな事がときあかせる。そして幸福とは実際には理性の自足、乃ち理想高さの程に返るので、趣味主義の立場は一切の有用さ、道具主義をもこの目的へ使える程度でのみ評定していく。生理的機能が過剰昂進の為にかえって損なわれるのと同様、一般の量的快苦はみな中庸を限度として各場所条件の為に節制の規範に留まるのである。結局、他者はどこでもこの規範の轍に於いて智恵への参加をする。

地域精神の偏り

世界秩序の中で場が示す役割は常に偶有さによる。故に場所哲学的側面もそこに返る。もし世界建築の中に固有の原理が見つかるなら、皆この偶有の形によっている。世界精神の必然さは場所学からは直に導けない。乃ち合理性的な場所精神が特有の倫理体系を築く世界の文化秩序の間に相互作用があり、他はない。それらの社会進化論は正に偶然的。
 結局必然な世界精神の体系はありえない。もしそれがあれば、唯一絶対原理の樹立に至り、この極相の秩序は一切の文明間交易から離脱しているが故、ごく長い目では奇形に留まる。場所精神からの倫理傾向が趣味観として各地に魂か地霊なる地政史の本質に残されはするが、哲学そのものにはこの分解もできず、単に場所学の地域偏りに留まり、その編纂は地政学内に納まる筈。要は世界精神哲学とはまず疑惑の体系であり、神学とみてすら完全たりえない。

こんな社会はなくなるでしょう、
と、貴方はいう。こんなに卑しい
歪んだ、老人が
若者を醜悪な稼業で死ぬほど働かせ
居直りつづける社会は。

テレビ局では日々
朝鮮人が見た目で選ばれ
馬鹿で腐った心理をもつ倭女を
下品で、汚い猥褻踊りで誘惑してる。
それに嫌悪しない方がおかしいのです。

そしてそんな社会で繁栄している
どのまちがったなりわいも
よのつねをわるくした因果をもって
あの世へ最後の審判を受けに行く
私達は、祈り続ければよい

2010年12月8日

倭のみにくい犯罪稼業

あんなに劣った
卑しい半朝鮮人の中に邪悪な子をうみおとし
なんの責任もとれない中年女は
発情しながらめしの話をしていた
その中年女は
僕がやめておけというのもきかず
卑しい発情発狂の一心で
貧乏で教養のない土民と同棲した
それから社会は
朝鮮人の猥褻おどりや
京都人の猥談かせぎそして
東京のみにくい犯罪稼業で占められた
あのおろかしい中年女は一体
どうやって世界をよくするつもりだか

終わってるのは前提で
この狭い島国で経済成長戦略とか
ほざいてるあの阿呆は誰
次々派遣社員を切り捨て
新卒待遇をよくしながら
金にまみれていい顔してる税収の虫
ほらご覧よ御天皇殿にそっくりだ
僕らの稼ぎをくらっていきているからだろうか
弱く尊いものを虐めまくり
強く卑しいものに馴れ親しむ
愚かきわまる倭人のすることはいつでもそっくり
そしていつもの猥談売りか
君もいつかはきづくだろう
この極悪倭の島国では生まれてくるべきじゃなかった

2010年12月7日

文明変異

風土誘因が異なる地域習性をいざなうと共に、完成された精神はありえない。もし場所の間に共通法則が見つかるとしても、それらは主観の間の智恵でありつく。だから地域哲学間の交易だけが独創的科学の、知識生産の本来の値。決して絶対の智恵がある訳ではない。故に経済の意味にさえ、地域間では異なる意義が担わせられていく。趣味は地域毎で全く違うし、それらの相違いが本来の社会文明の発展の素。文明らしさは地政差から生じ、解釈学に於いても異なる結論や結果に言い及ぶ。
 これらの間に排他や絶滅の規則が働くのは比較優位の為であり、競い合う複数の社会規則が他の習性を絶やす中で文明らしさへ本質の変え方を与えるので。

寄生虫

「大体寄生虫の分際で生意気なんだよ」と、匿名の愚民が書き散らす。所が、狭いワンルームマンションの食い詰める僕から奪った税収で、腐るほど金を余した東京五輪の宣伝費に汚れ恥知らず芸人少女へ大金を貢いだ上、貧乏人を見下しながら彼は失敗した。その記憶は既になくなっている証に、「大体寄生虫の分際で生意気なんだよ」と僕の払った税金で喰いながら、その大金を子孫へ横流しつつ発言。生意気?
 もしその老人に来世があるなら、あの戦場で首を斬り落とされる役柄。そして「大体寄生虫の分際で生意気なんだよ」とどこかの野蛮な兵隊に言われながら、自分が何をしてきたかを土に還って悟るだろう。税金をくだらない戦争に使うな、姦淫と偶像稼業を許すな。

2010年12月6日

東京人記

嘗て東京の土方に喧嘩売られた事あり。この土方、吾の注意する親分を庇う余りに吾と衝突す。東京の人種これ正不正に覚らず、単に上下関係のみを認識しおる、東京にごく悪き稼業多き理由之也。
 要は江戸っ子人種之一般に周辺の関東地域より知能低く善悪を知らず、単に群れて大勢のまねをす。醜悪なる習癖多くその修正を行い得ぬ江戸風の訳乃ち低俗なる場所の誘因、人数多く雑駁なる雑居生活体験からの淘汰故に善悪の別、知能の聡きより群れる習慣の強度を品種差とす。

 この土方と異なる二十代の若人、前職大工男娼客引き等を行うとの噂ありきやはりいかにも東京らしい俗物吾間近に観察する機会ありし。かくの無関係なる人物も前土方となんら同然の習癖ありき故に嘗ても江戸の全域に普く群集心理ありしかと吾勘繰るなり。

関西東京と朝鮮

朝鮮人を差別しまくる関西人
ところが僕の目には瓜二つ
どちらも汚い人身売買業を星中へばらまき
周りに迷惑をかけても決して謝らない我利亡者

2010年12月5日

忠誠

ベルリンに戯る剣士ごっこの子はてなき青空を眺め何見る
下卑て軽薄なる神戸のひと遠く東海道をき道化役者として生涯を閉ず
江戸のひと時をこえても今なお俗にて因果を修むその天秤へ重りを積む
朝鮮と瓜二つなる山口の文化を用いる倭人あやうし
ちゑに欠く下愚の血筋もつながりてかくよみにくき名前の子放す
落ち葉ちり風に匂うは秋のはら夕陽に照るは菜の華の原
農道を石けり歩き小学生もしヤマダ電機さえなければと見ゆ
関西のそのこどもさえどことなく汚し遠く関をへだて公家ども遊惰歓楽に耽りたればこそと
みにくきはまつりへ夢中になりしける薩摩隼人の単純なる気象
フランスの子どもの清さ濁りけるおとなのあしき文化のおろかさ
わがきらう龍馬を崇む俗びとの頭になきは忠誠一徹の事

2010年12月4日

比較民俗哲学の徳

民族差はそのならわしの違いを交易させる為に有用。もし進化論を地政民族学に代入すると、たみならわしとは乃ち民族交易による近交弱勢の回避及び適者生存での強壮文化の確保の経過のみ。之自体は民族学仮説に留まるが、旧約聖書以来の民の俗差の擁護の本性は、それらの相互参照によってより劣悪な社会を避けさせ、より優良な社会をえり好ませる様な文明の功利さに返る。つまり、もし文化進展論が真なら地政民族学は社会進化論の補集合。そして全ての面で民族学は有益な影響をもつ。
 もし何らかの面で劣悪な文化があり、他方にそれよりまさる優良な文化が栄えている時、比較文化論がその主観に啓発するのは交易に伴うえり好みの傾向だろう。民の俗知識に通じた民族学者が頭達に含まれる時、その複数の比較検討からの忠告がない際より選れた民族状態に至るのは誤りなく、この意味で善なる友として尊ぶべきは自らの民俗を自身の少々の損失を省みず批判してくれる比較民俗哲学の考慮者だろう。
 仮にこの智恵がえられない侭で民族間交易を図っても、多くは悪疫や損害を伴い、場合によっては遠く民族淘汰される結果に終る。よって無際限な開国勝手論には矛盾、並びに文化系統の混沌しか起こらない。そして雑種一般はそれ自体の稔性とは別に特定の完成された才能には劣るので、分業の効率からみても選好の乱雑さは文化内の表現形質の出現率で劣った総体を示すに留まる筈。

2010年12月3日

裏切り者が象徴の国

無業を虐めて阿婆擦れを養う愚かな倭人の国ジャパン
下劣東京の通俗テレビ局がわざと素脚をみせる構図でニュース
朝鮮人を差別しながら尻ふりダンスで稼がせる下品東京
扶養家族を冷遇しトヨタに擦り寄る山口出の商人根性首相
支持率1%でも辞めない悪徳薩長に媚びる裏切り者が象徴の国

産業別累進税制論

交換価値は常に、世界貨幣の一元化にともなって汎用さの為に基礎生産物の価値づけを圧迫しつづける。つまり第三次産業は、それ自体を放置すると他の生産物を不当な値づけで買い占めたがる。これは古く生産性の中になぜ商人、乃ち流通と取引業者が含まれなかったかを説き明かす。

 この法則から、貧富の差を極端化させない最も合理的な施策は「産業累進課税」などの制度による『高次産業負担原則』を、その場の行政へ導き入れること。なおこの原則は政党や不文律をこえて維持させる一定の平衡を保つ為の公法化、例えば建設国債の発行可能額と調整をともなうのりづけ(産業別課税率維持法)も考えられる。

現状でいう法人税への現内閣の介入にあたって、最も考慮され十二分に批判されるべきは、製造業や農林水産業を含むより低次元な段階にある法人税は可能なかぎりその既存の負担を軽減させること。
そして最も生産性から遠く社会の富のたくわえを減退させる浪費的生業としての第三次的風俗産業従事への売上高以上の今後発展不能となるだけの税負担、並びに金融業へのそれ、次に小売り業へのそれという風に経済行動に占める貨幣取引のみの割合、生産物浪費傾向の強い生業、公共福祉への害が多い産業分類へは高い税率を用いれば(無論総税収において同時に適切な再分配が計られれば)、貧富の差がめもあてられないほど極端化することはない。
 しかし、産業の集積が進んだ一部特区のみで公共の福祉と矛盾しない一部の税負担率をとりのぞき、高次な産業の効率を達させる政策には有用さがある。(例えば金融特区での仲介機関、上場銀行などへ株式取引に伴う累進税負担を解除し、その場に限っては極端な流通へ合理化を図る等。)
又、地方交付税も考慮に入れれば関西連合など始めから既に貨幣取引総量の多い地区へは交付税よりも法人税率が高くなる税制の維持が必要。国家単位にみた寒村の貧困を救うには全体の奉仕者たる政府が、ある種の視野の狭い経団連などの邪悪な利益誘導団体からの甘言にだまくらかされてはいけない。

2010年12月2日

ソネット

倭人が大挙して
平和な社会を乱し
淫らな文化をもちこんで
人々の気を狂わせた
しかしこの世では
彼らを裁く法が未制定
その為に倭は
あらゆる悪徳をし放題
敬謙な信者は
その光景にこころを痛め
神様へ倭の土地が
粛清されます事をお祈りする
もし彼らだけの街があっても
そこは底無しに汚いだけだから

ちいさな子どもを犠牲にしても
なんとも感じない倭:やまと
彼らの風習はきたないとも
なんとも言い様がない
匿名掲示板で謗りや
なりすましは日常茶飯事
警察へ通報しましたと嘘をつき
足のひっぱりあいを反省もしない
じめじめとした飲み屋で
他人のわるくちを深夜まで言い合い
その後は汚い女のいる店で
汚い言葉で汚くひっつきあう
もし真っ先に滅びるべきなら
あの禍々しい倭:やまとだけ

2010年12月1日

日本文化

きたない関西出身者が発情しまくり
辺り中を朝鮮色に染めあげた
そのどぎつい色彩のうちで
僕は発狂したこどもの顔色を見る
気が狂った少年
学校内で授業中に殺人
先生は姦淫のはなしで
人気をとっていたから
けさのニュース
また東京のきたないCM
「LGのCMうぜーぞ」という
奴らはメイド服の少女群に躍らせる
僕は気が狂いそうな
この日本文化に生まれて
校内で殺害されまくる
教師の姿を何度も何度もみる
「悪夢だね」と平気でいいながら
関西出身都知事がおなじ悪徳小説屋の
けがれた少女と都庁で会う。老人は
それで京都が最も偉いつもりだった
僕は冷たい月が
ギラギラとこの島の土をてらし
殺害され尽くした死体を
真っ赤な色の固まりで
それから夢が醒め
便利になった世界で
君はすぐれた一人の
聖にうまれかわる

浮雲

都知事の職責にある石原太郎が匿名掲示板で安直なナショナリズムをまきちらし、「強姦国民の汚れた血を引く屑は自殺した方がいいんじゃない?」と印す。一体、神の目が欺けるものだろうか?
 彼の末孫まで現実に殺し尽くされ、しかも最大限に悲惨で酷い仕方で虐殺されれば、そのあしき思想の因果応報はだれの眼にも明らかになるだろう。

 愚劣すぎる老人ナショナリストは、匿名掲示板で気に入らない赤の他人の日本人を次々朝鮮人扱いし、しかも憐れむべきことに卑しい嫌疑をかけた当人こそ一層朝鮮人的な関西系のふるまいだった。ねじまがった感情に激し、後先をなんら考えられなくなり、発狂してはいるがそもそも目的が誤っている。死ぬべき矮小化した奇形種。
 ところが、その老人は自分自身がなにをしたのか全くわからない魂の風体で、自業を正当化しきっていた。

 あの邪悪で傲慢なあしき老人は神を謗り、救世主を磔にし、民族差別をしながら浮雲として土に還る。僕はその墓へ唾を吐く多くの新たな青年が、日本の為に卑しい民族差別論者を反故にしてくれるのを願って、掲示板の上で彼へ最大限の孝の意を示してその場を去った。無論、甚だしい侮蔑の感を抱いて。

人類生態学

感情、情けにかまける習性は人類が有性さを不安定で撹乱を受けやすい適所で生きる限り普通。故、感情がみられるのは、又それへのとぎを受けるのは温帯以上温かい地帯でだろう。温帯はこの種の習性を、彼らの中で行われる誇示と性選択の余地へ返す。理知は常に安定的適所とその周期性から生じる。この習性そのものが地球的でない証はなく、将来は人類型の習性か地球人型のそれと定義されるかも。もし有性さに類似できる他の生態があれば、その感情も我々と類比できる何らかの特徴をもつ筈。感情を何らかの形式にまとめる傾向あり。之は感覚形質への特定のとぎ、とその場に由来した文化習性の優劣判定へ特徴づけられる。性淘汰こそ、感情のよしあしへの価値観乃ち審美観に決定力として働く。

2010年11月30日

地政民族学

世界の建築の中、場所らしさが占める割合は過半をこえる。全て人倫と文化はこの産物で、主には地域哲学がその趣味の規範ともなっている。世界舞台論の前では本質の場所さは出自の特徴か少なくとも変異でしかない。文化は役柄への誘因で、主に場所文脈はこの政の特徴をよくて違わせる組織。
 場所らしさが決定的合目的さを未来永劫に造るといった核心的証拠はない。それさえ信念のたちに返り、普くいいきれない。真の地政は文化制度への批判に返る。この場合でいう批判は後駆りの立場から既存の社会段階をいかに絶滅させるか、といった善悪の原理。故に場所学への倫理的分析論は、地政民族学として史記の分野をしめ、その内にある民族らの世界目的論を解明させえる。又この科学は民族性が嘗て厳密に地域ごと隔てられていた時代にどう共有できる祖先から変異してきたか、文化変異の種類を分ける。民族語学も広域でこの分野に入り、我々がしっているどの地球内言語も又この中で研究され得る。

小山

みにくきは次々たてる亜米利加のみせ
ブルドーザーわが遊びたる小山を崩せる
はこべ占む畦道を壊す公共事業
老人に徳なきくには不幸なる
雌おろかしき場所にセットのチャラ男かな
汚染源情報社会のツタヤかな
いなかなきはてなき侵略コンビニは
淫本を書店に売れる倭人倭人
漫画読みかかせる教師が大人哉
サブカルを山ほどつめこむ黒船き

民族浄化政策

「風俗ミル」を国策で作り、捉えた全倭奴をこの中に入れて肉骨粉にし鯨の餌にするを得。領海内の海洋に施設を設け、現状の全島内でこの生業を行っている倭奴及びそれをなりたたせる姦淫一族を捕らえ、全て民族の清浄化の為に駆除せねばならない。
回復した鯨の群れはオーストラリアへ無償寄附せよ。

 なお風営法のひきあげで全マンガやアニメも(これらの販売と閲覧を行う亜種含む)、又どの猥褻映像に関連する人物も当然この域に含む。それらのモデルは全て粉塵にすべし。

2010年11月29日

烏らと鴎のやどり

秋の空描きだしたる山のみね
月のぼるそらに輝く星の白さよ
夕暮れぞらを山へと帰る烏らと
海のねを遠く聴き入る冬のよる
人どもの集まりいたる田のはたよ
こどもの目きよく清みいるねずみの絵
すすき揺れる秋の終りの川のへり
寄る辺なくうちよせる波と鴎のやどり

構想力の役割

「自然科学の命題から直に善悪は導けない」。この命題はアリストテレスの形而上学という銘々の時代から既にしられていた。哲学は、科学の上部にある議論の場で、多くの提議は自然への知識を利用して行われるが、理性の命題という以外に特段のルールが設けられた訳でもない。
 が哲学自体は科学知識の量感へ大幅による。直に導けなくとも間接的に導ける多くの倫理命題はありう。要は、知識の量感と倫理命題を結ぶのは構想力。この構想力は情緒を含む想像力の具体的感覚への言及びとはことなり、単に現象の叙述とその分析に留まり、結果として我々の見るべきの問いを生み出す。

語学

する do
しうる able to do
しえる can do
するをう have to do
せねば(ならない) must do

極悪関西土人の姿

できる者の足をひっぱりながら
姦淫暮らしで金儲けしつつ
ふえまくるしかできない倭人
了いには匿名掲示板で朝鮮差別

弱い者虐めなら誰より得意
倭虫はテンノーの後ろにいて
世界各地に姦淫の印をまきちらしつつ
金持ちにひっついて繁殖する

「あんたが悪いんでしょ」
「こっちは悪くないやん」
「てめえが悪いんだぎゃー」
そして人身売買で銭儲けする極悪倭人

自分自身を鏡に映し
整形した朝鮮人とぴったりだと想う倭
次々浮気しながら天皇家一族は
周囲の民族を野蛮人よばわりしてきた

こいつら全員殺されろ
現実の都知事が匿名掲示板で
「お前は誰にも望まれてないんだよ」と書く
ワンルームの貧乏人から税を搾り取ってきた極悪人

物陰から
旨い飯のはなし
淫らな性のはなしがきこえる
倭奴がいる

南蛮虫と共生する倭奴
何もかもそっくりの朝鮮人を差別しながら
尻ふりダンスで発情してる
一体こんな汚い天皇一族に人種差別で国民扱いされるとは

匿名掲示板で僕を朝鮮人とまちがえ
「強姦国民の汚い血を引く屑は
自殺した方がいいんじゃない?」と言った倭奴都知事
その極悪倭人が犯罪で山ほど銭を儲けていた

こんな卑しい国民の中で
なおも極悪倭王は関西圏の穢れた風習をまきちらす
ゲイシャを舞わせ生娘を売春させ放置
朝鮮人を輸入し性奴隷で働かせニコニコ搾取する極悪天皇家

僕が正論を言うと
「ネットにはびこる正論原理主義は危険だ」と嘯く
そして姦淫小説で売名しネットで名誉毀損なりすまし匿名工作
関西人は朝鮮人よりずっと劣る

「たまらなくこの婦人を抱きたいねん。
本人も交尾が嫌いでなさそうやし」と
匿名で掲示板にかきちらす吐き気のする関西人やくざ小説屋
そして僕を朝鮮人扱いしえみしと呼んだ

こいつら倭人を全滅させ
清浄な世界を回復させる為なら
僕は何一つ妥協しない
例え命を失っても

「いい加減あづまの野人は近畿が上方だと気づけ」
と姦淫小説で身代を稼いできたげすな関西土人が言う
僕はその朝鮮人紛いの馬鹿が殺されればいいと思う
素朴に自然と調和してくらしてきたわが祖先の為に

天皇は自然を破壊し舞妓芸妓極悪人をばらまき
侍を排除し朝鮮人や九州バカと発情しつつ
僕らの遊んでた清流をぶちこわした
僕は友達とそこで休みの日におそばをたべてた

2010年11月28日

民俗学仮説

地域の主な特徴的料理や食材、特に必須栄養価を大幅にこえた成分へ特化しているものは、その地域での民俗が欠陥としてきた何らかの文化形質の為に逆淘汰される。
 この民俗料理逆淘汰仮説は、文化形質とよべる社会活動そのものが、その場であればある程よい何らかの気質をいざなう習性をみにつけるに役立つ料理を、多くの文明でおもには女性が司ってきた記憶の故に我々の環境を囲う条件から多くの風変わりな珍味が必然にうみだされてき、今後もうみだしていくものと推察させる筈。

公務員の忠義

国民の糧をはむ公務員の分際で、自らもえらんだ首脳の判断を裏切った神戸土民はおおやけに切腹の名誉を仰せつかうのが順当。
又、一連の騒ぎに乗じてこれに協賛する裏切り者の本性を示した石原慎太郎都知事へも同様に、公然の切腹を命ずるのがよい。彼は既に老いたので、自らこの判断を実践する判断力はない。

 もしこれらを厳正に実行できず、機密防衛情報守秘の義務すら守れぬ無能な虚閣をなりたたせておくのなら、この地を占めせる家康公の御名分に法り当世一代の大いなる混乱を誘なった罪業で、主将自身を地の藻屑と滅ぼせねばならない。

2010年11月26日

石原都下

石原慎太郎が都下で
大量の整形した美女を育てる
新大久保で増殖しまくる
石原都下の朝鮮人政策だ

石原慎太郎が子孫に手を出すなという
だが目の前では姦淫映像を撮らせまくる
「妖艶な女性に会いたいと思ってる」と言う
ひとでなし悪徳権力者は首都で何をしてるわけ

絶望感で自殺しまくる日本人
天皇は彼らの霊柩車から税収を絞り
人身売買店でゲイシャを大勢はべらせる
あの野蛮人らと「国民に恵まれた」と感じたとさ

テレビで腐敗しきった話題
汚いメスが性欲だらけの品性下劣さで
大量の南蛮衆愚を誘惑しまくる
僕は吐き気を催しながら関西系東京お笑いニュースを消す

少女があらわな淫蕩の服で
偶像ごっこを教わる
天皇が支配したこの国は
石原都下で卑しい関西土民のまねごと

戦場

あの城をみろ
呪われた嘘で塗り固められた
小さな落書き
きのうから降り続く冷たい
雨がこのよに
のこっている数えきれない
魂の恨み言を語ってくる
僕は見る小さな小さな入り口から
その大きな遺構に入り込み
大空にあいた光の粒が
亡くなった無数の戦士の
呻き声をキラキラと
透明な空気に磨きたてるのを
さあ大声をだすんだ
ここでは誰の胸にもしまわれない
どんな叫びだって消えうせてしまう
無数の野蛮なヤマトが攻めたてて
亡ぼした墓場は残した
こうして目の前に広がっている
寂漠とした荒城の跡
だれもいない眞の日本を

競争

皮を剥いだ独裁者一族の死体をうっとりと眺める。
あれほど僕らへ迷惑をかけてきた一族。それが、
いまではこういう因果応報の末路で示された。
僕は感動で打ち震える。もしこの日がくると
わかっていれば、もう少し、輩の悪業を
放っておいてもよかったのだけれど。
今となってはカラスのたかる臭い
数十人の梟首と、みにくい躱
そして奴らの生み出した
最低の関西圏風な
共食いの業しか
みあたらない
天皇がきて
僕が望んだ通りの世界になった。
既に跡形もない、その一族は
自殺行為をしにきたのだ

2010年11月24日

自然

道端で会う全ての神戸土民を刀で切り殺しまくる。関西弁でなにか叫んでいるが、関西弁なのでわからない。ヤクザは殺されて然るべきなので、誰もそれを不思議にも思わなかった。
 殺された死体は道端で腐乱する。そして長州奴にそれを喰わせる。自業自得。昔、大義を破った非人には蛆虫となるのが必然。そこら中で嘔吐する土民。そしてその顔を切り殺す。
 薩摩隼人が吠えている。そして天皇一家へ出陣させ、同じ種と同士討ちさせる。朝鮮人が入り込み、九州中が生化学兵器の毒素で埋められる。息もつけない。めのまえで、奴らがつくってきた映像と同じく強姦されまくる倭人。裏切り者は裏切り者の末路がある。僕は鳥の目でそこを眺める。
 多くの死体はまちがった進路を示し、過去に行った悪事を償っている。これでいい。野蛮人には地獄が似合う。
 僕は一羽の神の鳥となり、宇宙の隅で起きた悲劇にも一毫たがわず厳密な因果がはたらくのを見る。だれもいなくなった日本列島は斯くもいつくしい。天皇一族がおこなってきたすべてのあしき業はその風土から消え去り、自然だけが、かわらない風と土だけがのこる。僕は青い大空を舞う孤独な大鷲となり、その小さな島の行く末を見つめている。

つまらない小さな星

倭人が名を隠しながら
赤の他人のわるくちを書き散らしまくる
「名前を出すな。名前は邪魔だ」
そして国内外で蛮行するのだろう
倭人が名を隠しながら
朝鮮人を差別しまくる
「朝鮮は卑しい。俺達が正しい」
そしてヨン様に発情するのだろう
呆れる国だ
日本国そういう名前で
何を守っているかと思えば
人身売買店に囲まれた穢れた神道家
なるほどWASPが
全てに勝る訳でもない実際
白人は捕鯨しまくり植民侵略しまくった
だがその集団に入るのも同罪だ
つまらない小さな星
僕は遠い宇宙を眺める
どこかになにもかも殆ど似た人がいて
みにくい同類と別れたがってる広い世界で

2010年11月23日

今生物語

「客観的にみて、お前が迷惑なのだが」
と、倭人が神に言う。しかも陰から。僕はその光景を、何度も何度も関西で見る。関西人の中には神がいないらしい。
もしなにかのきっかけがあって
雪崩れになって関が切れたら
彼らは跡形もなくなる程
ぐちゃぐちゃに潰れて目玉がとびだし
「客観的にみて、お前が迷惑なのだが」
と、神から教わることになる。
悪業は蓄えられていた。
その関西圏からでてきた倭人は
寄り集まって赤の他人に迷惑をかけながら
名前を隠して物陰から繰り返しくりかえし
立派な人達を謗っていたのだ。僕が
みている目の前で、あたかも
神をも畏れぬ素振りで。
彼らも人間であったかの如き風体で。
しかし、もう蛆虫のたかる肉塊しかない。

関西物語

「京都土民は全員虐殺されればええ。」
僕は通り掛かりそのはなしを小耳に挟む。
「どうせ厭味しか言えん最悪の生態なんやし」
或いは正論かもしれない。
 むかし、正論原理主義と言いつつ、猥褻小説を蒔いた神戸出身の作家がいた。そのことは遠い極東の島ぐにでの物語で知っていた。当の土民が、まず上のはなしのきっかけだった。
「差別ばかりやし、どこでも迷惑ばかりかけてん」
と少年は言う。風が吹く。
「上方はわるさばかりするんやな。俺の場所を見下す」
そうかもしれない。というか、京都在住者は世界を見下す。相手は老いてはいるが、まぎれない白髪の紳士。なにも答えない。空気が憤りの声で震える。
「だから俺は決めた。必ず全員を攻め滅ぼすんや」
 大阪城でそう言う神戸からきた作家。或いは、それこそ正論原理主義だったのかもわからない。歴史にifはない、といわれているが、もしそのとき、僕が仲介けをしていれば世界は平和になったのかもしれず、関西圏もいずれ救われたろう。
 ところが、僕は大阪出身者に何度も何度も、なんの偏見もなく本当に迷惑をかけられていた。「くんなや」と言うその男は、僕のいる関東で大阪弁で、そう大声で意味も意義もなく怒鳴りとばしていたのだ。そして、めのまえで手あたり次第メスにひっつきまわっていた。
 僕に何度も喧嘩を売ってきたろくでもない神戸の人も知っていた。しかも、複数人。けど僕は元々ほとんど誰にも喧嘩を売られた経験がない。僕は穏やかな人間だからだし、もし喧嘩を売る人間がいても見苦しい事になるか、又は愚かすぎて喧嘩を売った過去を本気の冷や汗で後悔する丈なのだ。本当のはなし、僕はたった一人のその近場からきてる例外を除き、一方的に喧嘩を売ってきた神戸出身者ばかり知っていた。驚くほど柄がわるい地域らしい。だから「京都の奴らを殺すんや」と言っているその神戸出身で滋賀在住の狂人へ、少しも同情しなかった。このひとの意見にも一理ある、とすら感じた。関西はそういう嫌な嫌な雰囲気が満ちみちている。
 大阪城からは多くの、のっぺらぼうな高層ビルがみえた。東京のよりどれもずっと小型だが、苦労して建てられたのであろうそれら。けど、もう中身はない。
 それは静かな夜におちてくる巨大な星屑と共に、あの言葉の暴力の犠牲になって消えてしまった。そして、僕がみた多くの関西の人達の思い出は、あの戦火となって燃えつきてしまった。おろかしい人々の殺害される叫び声、裏切りの連鎖、まちがった作戦、自業自得。どれも耳を癒す美しい響きだ。

老若

薩長の盟友ならば法もなき
京都弁かくせし言葉が厭味なり
束になりわるくちばかりの一丸ぞ
固まった頭で戦略かんがえて
就職できぬ若者を罵る資本家
新卒を新卒をという首相あり

誰もいなくなる日

国立辺りの川沿いを歩く
はてしない空が同じ今を続ける
誰も自らをこえて世界をみない
淀んだ小さな流れも
大きな文明の前では一瞬
世におられる間
正義をしらない
小人らのまつりごと
そんな卑しい現象の前で
咲き誇るすすきは
浜木綿を織りこみ
誰もいなくなる日を待ち続ける

関西、東京人達の素描

キョートジャップが
「りこうぶってるのみえみえ」と言う
そしてゲイシャ街に通い
みにくいキョート人生を過ごすのだろう
エド衆愚が
「何さまなんだおまえ」と言う
その同じ人物が汚れた人身売買罪に通い
あのきたない東京都をうめつくすのだろう
「おもいっきり自分に酔ってるでしょ」
「とりあえず金くれって言いたいよね」
「金くれれば何してもいいよ別に」と東海道を通う関西衆愚が言う
そして清く正しい者を虐げトヨタに仕えるのだ
「文才なさすぎ」「なまいきなんだよてめーは」と
それら南蛮虫と暮らす南蛮人が言う
僕の目の前で汚い悪口をまきちらすその生き物は
永遠にあしき関西系の極悪地獄天皇とひっつきあうのだろう

2010年11月22日

天体物理学

軽い物質の外界にはとりまく質量が均衡条件から極小の為に、引力が働かない。
軽物質外界⇔引力なし

2010年11月21日

からすうり

ゆきのふるそらをみあげる狛犬よ
ふねの交う朝焼けに染まる松林
からすうりとるこどもさわぐ夕暮れに

因果

南京で他人を殺させまくった
極悪独裁者の一家が犯罪映像を撮らせまくる
「左翼を攻撃しろ! 左翼に! 国が滅ぶぞ!」と
がなる暴力団をうろつかせつつ独裁するつもり

自殺すればよかった
この邪悪な関西人の悪政では誰もがそう信じてる
悪徳の東京都知事が極悪犯罪をマンガに撮らせて
「若者が間違えなくなった」と気違いを現実に言っている

粛清されまくる極悪西日本人の姿がめにうかぶ
東京の汚い土民がその大量淘汰をし
僕には素晴らしい光景だと感じられる
極悪天皇家倭族が自業自得の自滅

腐敗した売春罪人舞妓ジャップが死刑にされまくる
エドのやくざがそれをしまくる
極悪独裁人種天皇一家が極悪姦淫風習をばらまいた因果で
僕は地獄模様を見ることができた

南蛮西戎倭奴の全人生

日本
何かの達の悪い冗談でしょ
インチキヤクザの龍馬を崇める
チャラい極悪東京プラス関西の下品土民が治める
ちゃっちいHENTAIマンガ稼業の下等ヤクザ国家
どうした?
チャラエタ早稲男のうざい淫行勧誘罪
それがお前ら南蛮倭奴の全人生なんだろ
今更どうした
ほら足元みろ
お前が蒔いた種だ
南蛮虫の巣に住んでる
お前がつくりだしたスラムワールド因果応報極悪東京
朝鮮系天皇と仲良くしてるんだよなゲス犯罪ヤクザ野郎

中国万歳と左翼が言う
単純なジョーク
中国万歳これより
おかしい冗句はない
関西人都知事と極悪東京土人が悪徳中国と仲良くしながら
至善至美の最高徳茨城を魅力がないと貶め
「東京オリンピックだ!」とほざいてる
そのめのまえで僕は倒れてる
極悪東京の犠牲である障碍者東京ホームレスに同情していた
よごれた悪徳商人関西系土民は
島国の首都を侵略犯罪しにきて薩長土肥京外道ヤクザで強盗
猥褻小説頒布罪の悪徳商売犯罪で銭もうけし
調子にのって驕り散らしわれらの税を独占浪費で贅沢三昧した
やっぱりよそ者関西土人は関西が差別する朝鮮系の極悪人だ

2010年11月20日

理論と神の設定

人類は自らの立場に準じた世界にしか住まない。神の世界はもしそれを程の問いに還せば、程として精神度にありえる。精神をより事実に即せば理論的、となる。だから、人類が世界で望める神格漸近の程も理論のよさに返る。趣味主義は理想の高さしか淘がない。
 生産労働が理想と矛盾するという視点は、実は程度問題。物質を介さない生活はありえないので、神格と技術も程度に於いて漸近でき、又その種類の理想は技術を媒介として程度を示す丈だろう。そして実証認識としてみれば、技術論か工学も芸術と同じく加工理論に収まる。この範畴は理論を齟齬させたり阻むのではなく、形相や形の上で自然現象の人為的変形がどの型に当たるかを説明できる。アリストテレスの可能態と現実態の議論から今でも、形が理から離れてある訳ではないのが理論の分野にある。要は実証認知は形に限り、形而上知は理のみを問う。これらは単に(福沢が物ありて然る後に倫あり、と『文明論之概略』で述べた如く)先後の認識でも、どちらかをなおざりにして十分な理論とよべるものにはならない。結局、理論とはそれをつくった神話の創作。いわば神学とは理論体系の理解で示された独自の精神さのこと。故になぜ実証認知内では究極神が実在化されないか、されえないかも明らか。つまり全知が理論化されるべき世界哲学の完成が、同時にこの唯一絶対神の仮設を完成させる。知的設計は、人類自身の理想的数理型のあてはめ。十進法等という単純で偶有な組成を全知の設計者が採用する可能性は限りなく低い。だから知的設計神学は、世界建築学のいいかえであり、それ自体は自然工学の分野か芸術批評でしかない。

極悪皇太子

野蛮な下賎下等下衆風俗浸り極悪東京土人が
天皇が命令しろ陛下に服役しろ
という馬鹿には下限がない
先ずてめーらが地獄に堕ちろ

君が代を歌え
あの極悪すぎる関西系都知事が
学校教員に小さな子をぶん殴らせてから
「強制でない方が望ましいですね」と極悪皇太子

何なんだろうこの
黄色猿の変態天皇帝国
まんだらけだかアニメイトだか
メイド喫茶だか極悪姦淫源氏物語汚れ京都人種だか

穢れ
東西キョートジャップ
ちかよるな
大阪人と仲良くやれよ

何一つ
貴べる世界もなく
僕は孤独に
世間を冷たくみている

なにがたのしくて
大学生して遊んでるんだろう
俗悪新卒が驕って銭儲け自慢し汚く南蛮虫繁殖
他には機械の世界がある

禍々しい天皇

努力しても努力しても関西人が
僕の足をひっぱってくる奴らは
所有あらゆる悪意をみにくい奇形化した
風習で覆い被せてくるそして
僕の進歩した足跡を奴らの
みにくい汚れごっこでごまかす
一体これでまともな勉強を
しようとする子供が育てるものか
俗悪東京江戸ジャップどもがさらに俗悪大阪人と組み
所有あらゆる悪意を世界中にまきちらしてる
その時代にあって薩長外道バカが
支配権をふるいながら僕の
目の前で犯罪銭もうけをさせまくる
地獄か日本か道は一つ

僕が欲しいのは
だれもいない広い世界
いくらかの動物と多くの植物
そして川が流れる小さな町
そこにはどんな倭人もおらず
あの禍々しい天皇もいない
それどころか日本という国でもなく
競うため競いあう小さな集団しかない
ところがこの世は正反対
禍々しい無数の極悪世襲独裁人種が
ところかまわず姦淫自慢をしながら
世界中で銭儲け戦略と叫び回る地獄の有様
薩長同盟といいながら極悪外道侵略犯罪してきた
いまだに過ちをくりかえす愚かしい倭奴共が

2010年11月19日

故郷の香

艸原を吹き抜ける風の冷たさよ
おゝさかのひと見分けえぬおもむきよ
うそをつく京都の人は腹黒き
すでになき旅館の跡の駐車場
山の姿たゞ冬の日に澄み渡る
清原よすゝきの穂の照る夕焼けと
田の園に建つきたなさは量販店
井なかにきやよまぬけなるマクドナルド
くるま嫌いにはトヨタ車もなしの顆て
ユニクロを着て笑われる小日本
神社にあがろうとすれば吠える飼い犬
江戸びとに何一つ学びえず
青空に吹くかぜの香は故郷の香
まよなかに点くあかりありいなか町
ヤンキーの捨てる空き缶捨て返す
この広い宇宙にけがれなき吾れ一人
南蛮の愚か以外に特技なし
関西のきたない以外の因果なし
東京者その見苦しさ笑うべし
真冬日に願う人類絶滅の日
倭人とは金輪際付き合わぬべし
間違えるしかできぬなり老いた駑馬
吾より若き愚民は救われない
悪評を着せて足を引っ張りし関西出身者
関西圏ふれゝばふれる程いのちけがれり
えどにゆく者は堕落しかしない
西海に近づきて薩長土肥の悪事に染まる
わが厭う倭の悪業が全滅すべき島
単純なナショナリストが政やっている
急ぐなよどうせこの世は枯れ野原
天翔ける云を推し運ぶ薫る秋風
卉の香は生まれ遊べる土に伝えり

2010年11月18日

極悪ニッポン国

「若者が間違えなくなった。
これじゃ駄目だ若者は試行錯誤するものだ」
と言う醜悪関西系悪徳老人が足元で姦淫犯罪映像を撮る醜態
極悪江戸東京土民から卑しい犯罪税をむさぼる

子供を暴力団学校に通わせ
「天皇を崇拝しろ!」と極悪悪徳老人が言う
「天皇を崇拝しろ陛下よ永遠なれ!」
そしてまた極悪侵略犯罪で驕り世襲独裁贅沢するのだろう

最高だ最高だ
内部機密を漏らせば無罪放免
極悪簒奪暗殺者龍馬もなぜか公営放送で英雄扱い
いやはや裏切り者極悪山口世襲独裁者の天下ときたもんだ

汚れきった
品性下劣エゴイスト関西人のかきちらす猥褻小説
品性下劣エゴイスト江戸東京極悪土民のまきちらす猥褻漫画
下賎なサブカル土人と生きてて嬉しいか

なにも
面白くない
僕はこの世で
最悪のみにくい俗悪土民ばかりに囲まれていた

下賎な俗悪衆愚土民の国
極悪ニッポン国で僕は
朝鮮人劇場に発情しまくる
醜い倭奴が蟻の様に銭を貪るのを見ていた

何も楽しくない
僕は小さな島の静かな風呂で一人きり
小学校教師が下品な話で受けを狙う極悪衆愚倭奴の日常
を絶望して涙している

極悪南蛮倭国

暴力団を大勢侍らせて
倭土民の天皇畜生がくる
極悪姦淫悪業を行い
税収独占で最悪犯罪稼業を広める為

すさまじい馬鹿
暴力と虐待しかできない極悪薩長土人
「経済成長戦略!」と言い権力濫用
国中に卑しい売国ゴミ捨て中国服店をばらまいた

まじで絶望しかしえない
日本国の書店には姦淫小説と
児童ポルノ漫画の山
「これが京都の粋どすえ」と卑しい西戎奴が言う

救えない倭奴の中枢で凄まじい愚か者が
「おいどんが幕府を倒すじゃけん。開国ぜよ」
それからなにが起こったか?
姦淫映像の奴隷と暮らす最低最悪の南蛮奴がきた

発狂して死んでいく青少年
「どや。大阪名物、在日虐めや!」
それからなにが起こったか
テレビで倭土民どもが公然猥褻罪の朝鮮人に発情しまくった

僕は一人でこの国を歩いている
どこにも救いはなく
荒廃したコンクリート詰めの南蛮虫地獄を
死なない方がおかしい極悪鮨詰め国家を

2010年11月17日

関西圏の監視案

関西圏へ西討軍を派遣し、その内部で蠕く無数の倭奴を処理せねばならない。之は資本によって、というより「中央統制」によって可能。
つまり『国立関西圏徴税機関』を中央政府から出した西討団に絶えず監視させ、いつものごとく脱税の抜け駆けをした関西人は牢獄で過ごさせ致命傷となる以上の大量の罰金を奪う関西監視特別法を設ける。この徴税料は他のどの地域よりも高く累進化するを得る。

さもなくば今後とも全国各地へ奴らの醜悪な風俗習慣をまきちらすので、どの都道府県が関西圏に属するかはっきりしたこの機会に必ず実行せねばならない。

2010年11月16日

倫理程度

低次な倫理生態は、よく高い次元の倫理のそれより数量でも快楽の量感で多い。例えば食事中を比べみよ。この違いが幸福度と勘違いされ易いが、現実には幸福とはそれ自体を目的とする快楽の事、つまり理想の事なので多くの倫理生態がその侭で幸福度に最適とはいえない。
 有用さに比べて理想は自体の快さ以外の効果をもたない。健康を保つ為のどの生業も、理想にとっての手段でしかない。なぜ理想から已幸福度が導けるかは、人類の地位に等しい筈。人類はその倫理体制次第で社会的幸福を趣違える。そして最高幸福は、常に理想の高さから生じる。
 理想自体に終りはない。もし推論がこの世界現象への経過なら、洞察で神意を辿りきるのも当然。又程度で実際に精神のよさ、魂の清さは導ける。神が唯一である限り、多神の論は清さの程にしか言い及ばない。よって人類の地位に偏りがあり、それが倫理体制の完成観から説明できるのも至当。

絶望しかない世界

金を搾るしか能がない
醜悪すぎる俗悪姦淫ジャップ
何を注意しても湧いて出る
了いには「銭儲け戦略!」と叫ぶ俗物山口人首相

何はなくとも
彼等は生きてる
この何一つ
清さのない世界で

美しい美しいとテレビが言う
僕の目には俗物類の醜行しか見えない
なにもかも金儲けの為
営まれる極悪南蛮チャラごっこなんだろ

公然猥褻罪の極悪偶像
チャラ東京ジャニーズ
他には
敗戦で何を得た

天皇が腐るほど金を貪る
僕には一銭もこない
日本中で犯罪を営ませる
極悪倭人種を尊敬しろと?

殺人鬼ときたら
そんなに単純にこの世へ
復讐したつもりになれる
おつむの出来映えときたら

あれだけ
無意味に
僕らを撲り蹴りまくった中学教師
もしお前が正しいなら絶望しかない世界だった

生まれてきた甲斐も価値もない
この世に
何も
残されるべき意義もないので

猥褻物陳列罪の法人公知

mixiとlivedoorという二社は、青少年も閲覧する携帯サイトに猥褻漫画の広告をのせて身代を稼いでいる犯罪法人である。しかも、利用者からの苦情をことごとく無視して犯行を続けた。
 よって、現経営者を含む社内でこの犯罪に加担した被疑者を即時逮捕し、完全な反省をする迄かれらには監獄で過ごさせるべき。

2010年11月15日

なぜこんな人達の中でくらさなきゃならないの?
倭人は底抜けに馬鹿で、卑しい生き物
暴力か暴言か、発情しかしない
それとも、人類はどこでもこうなの?
僕は本当に、本当に絶望しかしない
こんな人達に囲まれて息をするのも苦痛だ
何も立派な事はできず、いつも足をひっぱってくる
最低の倭人の王を崇める卑しい蝮の世界では
何一つ
この世に
望むところもない
どうか滅びる様に
あらゆる
悪意が
あの学校と社会を埋め尽くす
そして僕は親から引きずり出された

2010年11月14日

落ち葉ふむ音

秋風よ四畳半の間を吹き抜ける
やまあいの水墨画に落ちる夕焼け空
ひた走る田の園にかぐる肥料あり
神無月みそらに浸りひたしきる
田ん圃をつぶす公道に座りドクターペッパー
ヤンキーよ西海岸ならジャップ哉
落ち葉ふむ音はおなじき子猫かね
うらわびし廃校にのこるテニスコート
朝鮮のひと日本にいても朝鮮の声
大空に近づきたきし犬共よ
子供の冒険心おそるべき坂道
田乃園迩佐久花野名毛又宇宙

随筆

足をひっぱりつつ協力を拒む生き物の群れ。自称和人。そのtrickに勘づいたら、どう扱えばいいかも分るだろう。和人には劣悪な理性と淫蕩の風習しかない。そしてそれを全世界へまきちらすしか本能もない。

 もし人類の一部がそれに無知だとしても、必ず神は見据えている。そいつら奇形には何事も悟れず、浮世で所有悪徳を尽くす已。なぜ和人を尊べる? 金の話しかできない黄ばんだ生き物など、何を有り難がれるものか? 単純にきたない。汚すぎる。

天皇は腐る丈かねをかき集め、所有悪業をつくすだろう。いつもの様に。一体それのなにを敬えと? 暴力団の長にすぎない偶像を、なぜ拝んでる俗物共なんだ?

野蛮なる天皇

野蛮なる天皇がこっちきた
途端にこうなった
最悪すぎる御前はどこまで
朝鮮人の末裔なんだよ

足の踏み場もなくビルだらけ
そこには倭人と南蛮虫が
腐りきるほどうようよ住んでいる
感謝しろ感謝しろと叫んでいる極悪搾取倭人

本当に下らないテレビ番組
いつも朝鮮人が整形姿で
下賎な恋愛ごっこしながら
舞妓芸妓芸者で汚い同類倭人の売春宣伝してる

本当に絶望する
数えきれない老人が
うら若い女を堕落させながら犯罪して銭を与え
金権濫用で正義の妨害ばかりしている極悪東京

自殺しない方が発狂だ
あの人身売買界極悪東京や極悪大阪で今も朝鮮人
いや当の倭人は税金を搾る為に
姦淫の罪を生業にしているのだから

裁判員制度の穏健な倭風方針

裁判員制度は美人投票的頽落を防ぐどんな工夫もないので、一切は過ちを深める結果になる筈。法の素人に健全な判断ができよう筈はなく、同時にこの参画が裁判の場で倭人風の善悪を問わずその場の情緒にとりあえず解消しようとする阿付迎合あるいは和と結ぶと必ず過つ。

 より健全な裁判への関心の深め方は、先ず裁判の内容を一般に公開すべく専用のチャンネルを政府や各地方省庁が設けここから公共放送で内容を知らしめること。次に同時に、倫理哲学や心理学、法学、宗教学、犯罪知識、統計学の専門家を直接裁判の場に主たる参議として招き、これとはことなる一般人とおぼわしき無作為抽出の人物へは少数の、とりあえず実質の権限はないまったく別の席を設けること。
(もし市民である裁判員自身からみずからの意見の正当性の方が法の専門家らより高度である、故に裁判員へも事実上の権限を与えるべきという衆議が発生すれば、このときはじめて市民権としての裁判員の義務をおおやけに認めればいい。それまでは衆愚判決の確率の方がはるかに高くなるのは止むをえない。)
この双方の工夫で、裁判の公的性格が侵されぬ侭一般化がなしえる筈。特に倭人では尚更、素人の感情を判定の場にもちこむとすべては最悪になる。国民性を十分に考慮して、そこでの裁判員は過った判決の増発にしか貢献しないだろう。
民主政が全ての国民で同様の結末に至るのではないのがこの失策からも理解できる様になる筈。

2010年11月13日

税率の地域分権策

農工情の産業種別、への税率や特に関税比率の選択は、地方自治制度の域内でいう各地方省庁の代表(具体的には域内最大の政令指定都市の代表)へ任せて、国内一律で果たさない方がたくみ。

 域内が第一次産業で占められた地では人々は製品や奉仕への高い関税措置を望むし、殆どが第三次産業の地では関税撤廃でその効率のみを求めたがる。この両者に妥協はない。よって『地域別税率』として別々の制度を設け、後に国家の単位で地方交付税の累進化により生じた所得不均衡を是正すればいい。

批評的宗教論

みな原理主義(原典合致型信教)の対極に置ける批評的宗教こそ求められるべき。そこでは信仰間の対立も、批評的解決に返る。この対立は信から導ける道徳箇条を原理的に、文字面から解釈しようとする場合に固有の問い。もし批評的にときふせられれば、どの箇条も比較的にしか語るべきではないだろうし、矛盾を起こしもしない。批評的宗教態度は、何れ単独の信仰をのりこえて唯一の宗教とよべる普遍の教えに辿り着く。それらの道徳箇条は、重ね合わせから別の倫理へとまとめあげられるから。

倭奴の征伐

性犯罪店に通い、腐るほどもうけた金をつかって国内風紀を乱しながら経済成長とほざく群れたゴキブリ倭人は、老廃人どころか正当な犯罪人格なので、みつけ次第、一切を殺処分すべきは疑いを挟めない。これらの人畜が肥やす倭虫類の所為で、まっとうに慎ましく働く多くの中産集団以上の生態が貧困で保証されなくなっている現況は、群れた老廃人が国を奴らの汚泥物でうめつくしてきたという悪業の因果であり、国を亡ぼす原因。これらの倭廃人に寄生している人身売買倭奴ごと処分しきれれば、国の経済的潜在需要は大いに回復してくる。

 老廃人は大量にかき集めた金を、関西や東京、ほかの大都市圏などでこういう卑しい倭奴と醜行犯罪するために溜め込んでいるのであり、現実にこれらの犯罪者集団が経済的糞づまりとなっている為、この社会はいかに優秀な製品を生産しても殆ど社会還元されない状態にある。要は、国民の一部の、或いは大部分の倭俗かぶれの犯罪人格は、国民から奪った金銭を賎しい汚い奴隷まがいの人種へ現に貢いでおり、これらの金銭はどこまでも分散配分される傾向があるので、社会で犯罪しか行わない江戸東京や大阪京都の極悪低俗人のごとき極悪人ばかりが大量に跋扈してくるのだ。倭奴はこの生活体験しかできないのでどれほど天皇やその暴力団員である右翼に期待しても無益。

 これらのあしき倭奴類は一切を征伐すべき必然がある。さもなくば糞づまりの倭国そのものが亡命するしかないだろうから。

悪の国日本

田園に次々立つ
まっくらやみのコンクリートの城
「陛下に敬礼! 閣下に敬礼!」
今こうしてる間にも働かせられてる悪の国日本

2010年11月12日

人類生態学

愛玩化の結果、人間は自己の文化素をより他者との適合さの高い形式へまとめがち。例えば無人島で可愛いという言葉を発する若い女はいない。つまり、可愛いという表現は彼女らが扶養力あるという誇示の為に使われて、本能行動から抽出されている。この種の文化素は自然状態には既に適合しなくなっているので、文明適応が生み出した別の本能、或いは単に文化習性と呼べる。もしこの種の女を無人島に連れて放置しても、暫くはその無駄な習慣を惰性にする。この思考実験からも、文化形質が本能そのものを特定の社会場で変形させつつ淘汰しているのをみてとれる。この種の女は、扶養力の誇示が適合し易い適所で自らを大袈裟な情緒表現へ向けてといでいる。

2010年11月11日

極悪京都倭奴の観察

極悪倭奴は知能が余りに低く全て理論を屁理屈といい貶る。その証拠に、金儲けしかできず、世界各地で淫蕩悪習をまきちらす。奴らには倫理がない。宗教すらしらない。そして発情と繁殖と変態しか能がない。醜悪中の醜悪の生命体、慰安婦京都倭奴。

法粛正による倭奴征伐案

風営法に抵触する全倭奴を終身刑以上の対象に処さねばならず、之を破った団体は国家の名に於いて一切を死刑に処するべき。

又この対象を一切の新たなメディア、具体的には映像媒体の記録、画像、ゲームや漫画、アニメへと順次推進し一切の不浄なる天皇倭奴を抹消すべき。さもなくば現状と同じく、世界各地に淫蕩なる東洋の倭臭をまきちらすであろう。

アングロサクソンものがたり

むかし、このよにはアングロサクソンという人らがいた。そ人らはなにかといえばこずるい性格をしてた。あるとき、よわっちい外人を奴隷にすりゃ働かなくていいと気づいた。で、腐るほど黒人を連れてきて、虐待し、散々使い殺し、帝の国をひろげた。けどあるひ、向こうのはしっこにある変な島から変な黄色い猿がでてきた。そいつらは笑える丈ちっこく、馬鹿で、かねを貪る習性があったし、今でも貪ってる。が、そいつらはどんどんくる。しばらくすると黄色い猿は内乱をおこして皇帝が極悪人の味方をし、行為のさるまねをしだした。にた奴隷をつれてきて、殺し倒しながら使いまくった。
 けど、彼らはその黄色い猿がきもちわるくてきらいなので、わざと戦争に誘って退治してしまうことにした。罠。まんまとかかった猿はひらあやまり。彼らは奴隷を、馬鹿な同類がやめさせたおかげで、てばなさなきゃならなくなっちゃった。馬鹿なやつのせいで。黄色い猿も、どう仕様もない蛮族なのにこっちにすりよってくる。消えればいい。
 アングロサクソンのなかまの一族なゲルマンは、ユダヤ人を奴隷にしてつぎは他のアングロサクソンを奴隷にしようとしたが、失敗した。それでアングロサクソンはこずるい性格なので、今度はさっきの猿とこの後進蛮族をわるものに仕立てることにした。悪く言って蔑めばいい。だれも真理にはきづかない。本当はアングロサクソンがほかの民族を見下しつつ奴隷にしたいだけだが、いまではごっちゃだ。

2010年11月10日

植民主義批判

趣味誘因自体はその場で知能行動の程を高める已で他には誘因自体の因果なし。場所柄は知能行動のたちに映る。文化淘汰の作用そのものが場所柄内での倫理規制に偏りや違いを設く。地球文明は之らの内からの差を決して無化しない筈。地球文明がそれらの土着した地政からことなる理由を作る限り必ず文化作用の変異が保たれ、伝統として違った知能行動を育む。倫理に唯一の正義をみつけるのは難しい。倫理は正義論を異なる文明間で話し合い、自らの立場におきかえて望ましい社会秩序を構想させる已だろう。
 植民の形で競争できない程戦闘に向かない地位の人倫を壊し尽くした倫理は、正義論へは自己正当化の業しか貢献しなかった。いわば植民倫理とはおしつけで、省みではない。この為に、植民倫理の限界はそれが自己の破滅も予言している所、被捕食体制へは一切の正当化ができない所にある。つまり植民主義者は弱肉強食の為により強大な植民体制から奴隷化される必然さがある。之は道徳的に人倫の文明度の違いから生じ、故に世界をより平和に導く。

2010年11月9日

末孫

こうべ屋がまともな知識人を馬鹿にし
腐るほど姦淫小説をまきちらす都市
なぜそんな関西圏に敬意を示せよう
「セイロン原理主義」は王子の代わりに
キョート倭人の典型例を山ほど売り込む
何も貴ぶ所はない
もし之らの関西原理が
地球を覆うなら、人は
あの卑しい天皇の末孫になるだろう
何も素晴らしい事もない
この地上で独り
大空が晴れてくのを見る
地球のあちこちにいる
お祭り野郎がみこしの高みから
僕を見下していようが
何も問題はない。
自分は人として生まれ死ぬ
風がなぎる合間に
公園の外にある
はてしない海をみろ
もしきみが
土の藻屑ときえてもその
はてしない音は命をはぐくみ
潮騒に替える
大宇宙が巡り
この星をけしてしまっても
残っている潮騒の音に

2010年11月8日

人種

このよで
小さな島に生まれ
下らない人々に囲まれ
嫌気しかささずに僕は
本当に損した気分だ
殆ど意味なく見える
島中旅してみても
三流のジャップが
どうでもいいお遊びばかりだよ
あの馬鹿げた首都で
チャラチャラ繁殖ごっこしてる
腐った人種が倭人というんなら
僕は彼らと全く違う
そして二度彼らと付き合うべきじゃない

極悪犯罪源氏物語

極悪雑魚江戸東京ジャップがうようよ群れて
「空気読め空気読めKYKYイケメンイケメン田舎い」
と俗悪極まりない下劣東京言葉をほざき
群れをうって極悪犯罪映像を撮り売りまくる犯罪奴

どれだけ劣った南蛮人種なんだろう
整理されるほど清潔になる
南蛮虫と一家棲みでかの極悪関西人都知事が
妖艶な女性と会いたいと思ってると下賎発言

腐った人種南蛮虫東京関西土人
どれほど退治してもまた人身売買店で殖える
こんな害虫の中枢に人身売買王がいる
そいつは倭王といいいつも極悪犯罪源氏物語を自慢している

千葉は手下埼玉はパシリ
で横浜は下僕こいつら
最低最悪最醜の極悪東京土人の南蛮手下は
極悪原発搾取テレビで全国をねりあるき悪疫を広めてくる

2010年11月7日

農業開発公社構想

日本の農業の欠陥は、非効率。
いいかえれば後進的集約労働を基本とした体制にこりかたまっている事、さらにくわしくいえば投入労働力の多さに比べた生産性が低すぎて他産業の効率となんら勝負になっていない事にある。

だから私は経済学の知識をもとに論じつづけているが、戸別所得補償はいうまでもなく、自民党時代から保護関税あつかいでその旧態依然とした生産体制を温存してきたのは過ちだった。

 具体的には『国営農業開発公社』のごとき、科学技術と加工後製品の市場化までを一貫してうけもたせる精鋭組織をつくりだすべき。
たとえば以前でいう官製はがきの様な完全度のきわめて高い商財を市場へ浸透させる所までを国が主体となってやってしまい(何しろ国際化されておらず所得不安定な立場に置かれた大規模農家は開発へ大きくは投資しにくい状況にある)、その後この組織からの開発成果を民間農業者へ無償提供しながら、組織そのものも一定規模か期間で民営状態へと解散する。
 さらに具体的には、首都圏で国営の高度な研究所の集積もありながら殆ど周囲の農家が残っている筑波研究学園都市圏のどこかへこの開発公社を先例をきって立地させると合理的。そうすれば首都に最も近い農営地帯としての筑波圏が一つの超精鋭化された全国や全星の模範となり、日本に主導権のある科学技術および先端的な宣伝流通体制によってきわめて高い製造小売り効率をもつ開発方式を、そこから各地の後進な農村地域へと最大限安価あるいは無償で伝播し得る筈。

 但し、国外へ安易に技術流出させると特に共産党中国が利権ごと盗むとだれも事前に予言できる。
だからこれらの完成度の高い食糧技能は、それ自体いわば国際特許に値する「御用達料」の様なスタイルで対外国への提供や販売にあたっては、土地改良にあたっての同方式使用料、技術利用料、類似の食品工業体制から模倣料、等としてできるかぎり徴税すべき。
要するに日本国民以外はこの開発成果を有償でしか使えない様にきちっと縁辺の権利を国連協議や日米合意による強い武力から率先おさえておかねばならない。さもなくばまた中国共産党から農業大国の地位を盗みで奪われるきっかけになるだけだろう。
 また特別許可をもたずにこの方式を海外から盗用されない様、国内の各農家事業者からは守秘の合意(特殊な製造技法や機械の厳正な国内管理義務)を一定の特殊法からとりつけるを得る。
そして場合によっては法治が徹底している米国の農業州やそこの事業者ともこの技術の政府間、又は研究所間の有償・有限責任での作業提供を行うといい。

極悪南蛮土人

倭人は他人のまねしかできない
おそるべく凡庸
そして必ず他人の足をひっぱる
口癖「あいつはダメや」
あとは学歴差別で一生をすごす
倭人は淫蕩が大好物
あちこちにあるコンビニで
ツタヤで腐るほど猥褻物を犯罪で売る
小中学生も入るところで
一般雑誌にまぎれさせて間接売春罪
本当に救えない極悪関西東京土人
「おいどんが日本一でごわす」
「国民に恵まれた幸せを噛み締めています」
はいはいまたまた極悪暴力淫蕩プラス独占税の犯罪無駄遣い
極悪天皇がまた今日も豪勢な晩餐で極悪の先祖祝ったでしょ
驚くべき無恥
海外へ出れば観光地へ落書きか買春罪
「どうだ!」と下賎極まる犯罪奨励関西人都知事がほざく
どこまで醜いのだろうこの極悪薩長土肥京の倭臭は
品性下劣な漫画家先生が勲章を胸に通りを闊歩してるよ

環太平洋自由化構築の骨

地球規模で考え、又信用できる域での国際取引の自由化は免れえない上に、「先手」が勝つのは少々の戦略知能があればわかる。なぜなら現状では国際調整機能が国連徴税として働いていないので、先んじて利権を占めてしまえば余程でなければひっくり返せない。
この意味では現状の世界産業とは『財閥国営段階』なのに違いない。だから日本国そのものを含め、あらゆる範囲で財閥化を目指すのが知性ある生命体の責務ですらある。もし国連徴税が機能しだしても、その議決内では財閥の発言力はきわめて高く見積もられるのが間違いない。

 菅総理は、目標は正しいが発言の仕方が勅旨すぎて大勢の反発を買いやすい所がある。この決定を改良するには、秘書の立場にある別の巧言令色な人物へ国民への猿まわし役を担ってもらう方が得をする。
 農政の自由化方針は未来をみればやむをえない上、必ず国力と農家の自主努力を喚起する良策だが、以前の税制問題と同じく管氏が戦略隊長の如く自ら大言壮語してしまうから無益な大波紋になる。
よってその種の道化を世辞顧問としてマスコミ向けに設けるべき。彼彼女が国民への口当たりのよい文句と態度で、あたかも大阪芸人の如く振る舞えば多くの大衆は溜飲を下げる。そして自由化の方針が日本を正しい方向へ導くのをやがては理解する。

なお絶対に朝鮮と中国はこの役割に参加させてはならず、自由諸国側の台湾だけは例外視せねばならない。韓国についても日本と公平取引への協同声明を発表するまでは必ず排除すべき。

商品開発

ボタン電池で十分から十五分程度のみ駆動する使い捨てタイプのごく簡易な髭剃り機。ビジネスホテルやコンビニへ置いて、人々が手ぞりの代わりに、普段つかっている品のすきまに用いれる様に。
市場価は五百円以内、百五十円以上で数タイプ、具体的には通常二枚刃タイプと高規格の三枚刃、廉価な一枚刃を用意。

またビジネスホテルではこれ専用のリサイクル箱をセット販売契約し、電池と刃以外の主要部品はレアメタルとして再生する。

2010年11月6日

随想

この莫大な宇宙で
その又底知れぬ広い世界
一体こんな笑える境遇で自分は
小さな小さな言葉を文字にして書きつける
誰が読むかもしれず
丸で古本に紛れた個人詩集の文句みたく

けど、自分は確かに知ってる
自分にしか見えない世界がある
そしてそれは誰にもくりかえせない

本屋にも、図書館にも
街中に溢れ返る情報
文字は何かを知らせる
数えきれない人間の中で
決定的に大事な一言を

果てしない世界の中で
ぽつんと存在する魂は
文字を通して次世代と繋がる

あの際限ない首都に
溢れ返る人々の一戸一戸に
似た思想をつめこまれて似た程度の能力の
無数の働き蟻と一匹の王が住んでる。で、
僕らは彼らをどこまでも哀れむ

勇者

群れて足をひっぱるしか能なしの倭人
いつも酷く淫蕩な習慣をもちこんでくる
そいつらの親玉は腐るほど金を奪い
「国民に恵まれた幸せをかみしめています」
そいで腐るほど人身売買店をまきちらす
醜さではこの下ない極悪倭奴独裁者天皇
僕はこんな島国で暮らすのが悔しい
倭人は首長を淫乱犯罪小説で選んでいる生き物
これは本当の話なのだ
なぜ絶望しない
勇者がこいつら極悪南蛮奴を処分する為
あれほど残酷な制度を常識にしたのも
全くこの島では当然だったのだ
そうでもしなけりゃ今みたいになっていた
僕は幕府が好きだそして
幕府は心底正義だったのだ
あの腐りきった関西南蛮倭奴連中をみればわかる
必ず天罰が下るのに

水素自動車

水素自動車煽りの特集。大事故によって破産する。

ひかりのつぶがおちてたひ

うぽうぽうぽぽ ねこにげた
ねぎがね ねぎがね はえてたの
うしろのヘイにねぎはえた
にょきってはえてた ホントだよ
ぱらぱらぱらって ひるまにね
ひかりのつぶがおちてたひ

2010年11月5日

空気

卑しい人間は
寄り集まるほど得意がる
数の論理で
世界がよくなるみたいな顔で
あらゆる悪徳をみせつけられ
僕はずっとリセットボタンを連打してるのに
空気読めと
また監獄から発狂した声がする
サラリーマン地獄トーキョで蠢く
数えきれない奴隷の声だ
なにを読んでるかは分かりすぎる
奴隷のみにくい遺伝子を

天皇家中華思想

東京ジャイアニズムをさらに促進すべく
京都人は救えない
ここがどこなのかも悟らずに
先祖が眠る土の上で

工学

ノイズキャンセリングの技を逆用して、ヘッドフォンやイヤホンのそとがわ(他者のいる外部)へ微小な曲のうちけし波をだすことで「音洩れなし」の迷惑防止装置につなげえる。この発明をsilency systemとなづけおく。

mukasi

ano ootsuchino soko kara
haeta jihibiki wa subete o
arau taihuu no oto
mosi konoyo kara
kieta hini anata ga omou
chiisaki simautakamome naku hamabe ni
haeru hamayuu no
omoi o omou kodomo no manako
samurai no haka saku hana wa
higanbana sokosirenu mukasi
hikitsure hitasura

うぬぼれ

離婚経験と発情しやすさは厳密に比例する。目測ですら。そして発情しやすさは遺伝している。晩婚の為に発情しやすい早熟の遺伝を優遇しようとする考えが、特に南国出身者からかたられる傾向が確かにある。客観すれば、知能の低さ、厳密には脳容積の小ささと早熟・おませや早稲・わせの傾向は比例している。いかに俳優役者に南方人が多く、医師学者に少ないことか。知能の高さは早熟を奨励する地域から淘がれづらいらしい。
 私はあるとき、偶々テレビをつけた。そこでは某南方人の活劇を映していたのだが、全員気が狂っている風にしかみえなかったものだ。しかし、熱情の中でくらしている人間はかぎりなく我々とはことなるとはいえ、やはりにた先祖をもつ生き物なのだった。そういう生き物の一匹を私は早稲田の路上で一度だけみかけた憶えもある。その生き物は、丸でカラスの様に異様に頭が小さかった。時々、というかいつも芸能人と自称している品行のすぐれない連中が小顔へ憧れると言っていることがあるが、かれらならありえる。そして底無しの愚劣さを拡大再生産するかわり、この南方の島に生息しだした南蛮虫どもと際限ない繁殖劇場を発情ダンスでつづけるつもりなのだろうか。いつも歌って踊って馬鹿さわぎしかしない人々として。
 あのカラスみたいな女は、自分がおどろいてちらりとみていると、やはり芸能人じゃないが勘違いしておのれにみとれているとでも思ったか、足早に連れていた同族の女と通りを横切っていった。うぬぼれという単語は南方の為。だが自分が人生の中ではじめて見た知能容積の少なさ加減だったので、よくにた肌色の生き物ではありながら違和感のために、およそ二秒のできごとだったがとても印象にのこっている。

世の中は静かに動く
だれも業から逃れ得ずに

テレビで
綺麗に着飾って
都会はいいところだよ
と井中者を騙しまくる
井中者は本気で騙され
地方をこけに、都心のまねばかりする

私はあの救えない井中者が
さらに堕落しても決して救わないだろう

呪文

神戸君が女絡みで殺人しまくる
またか
京都さんがげす絡みで芸者しまくる
また近畿
大阪野郎がテレビで下品しまくる
また関西人なのか
滋賀がこいつらのパシリとして意地汚く振る舞う
で、それみせつけられてなんと言えと?
西日本のけがらわしさ以外になにを見ろと?

なぜあんたらの王様がこっちきた途端
こんなに世界が汚猥でまみれたか
もう十二分にわかったよ

どうか倭人が滅びますことを。
そして以前とかわらぬ、
清浄な自然がこのよにもどります様。
あの人畜だらけになった、
東の京ごと倭王が灰になります事を。

2010年11月4日

学内監視の手

公立学校教師の不祥事は、それが公務員ゆえ事勿れになり易い環境なのに児童以外から隔離された状態が職場であるから起こる。児童を適当に騙しておけば決して非難されえない状態では、事勿れの結果が生徒らへの悪意に堕ちても能力不足というより、単に職場環境が閉鎖的な公務員には普く起こる内情でしかない。よって、公立学校の教員は皆国民直属の雇いびとなのだから、各教室や廊下へ死角がなくなる程度授業監視カメラをとりつけ、全体をみわたせる様にしておき、PTAや個人の要望による公開の権利を確保しておいた上で絶えず校内のできごとについて、国民が正否を公に批評できる状態をつくりあげるを得る。
 もし閉鎖的環境にしおけば、公務員であるかぎり必ず不正な怠けや奉仕者にふさわしくない児童への程度ある悪意を発揮するのが公的教員というものだ。これは私の経験上も、又聞きにも例外が殆どない。もしこの処理が過酷にすぎるというなら自由に場を制度化できる私立へ任せればいい。そこでは業績評価が正当に働くのですぐ解雇できる故に、公立で起こる事勿れ問題は起きづらいから。

loneliness

if youre the one
of this earthland
i ll be to forget all
backyards for sunset
because its only a
troublething. of something
many rough livings
wil be down
that minite
here, all probability
discourses from
death, and
ll be finish! i ll
be able to stay lonely

i like loneliness
so all people
is not same humanity
there are some monkies
thet starve role of
origins. if
neodarwinists forget
theyre good things of
japan is lonely land,
isle from continetal
asian pacifics. but
you did to come in
and i m a not
the loneliness

極悪倭人

老人が朝鮮人に洗脳されまくって
国の足をひっぱる
韓流韓流と発情し
自分らは娘に売春犯罪させる
どれ程劣った民族なのだろう
西戎倭奴は
そして犯罪ではした金を儲けまくって
チキキと目を釣り上げつつ
腐る程の犯罪税でまた買春犯罪本当に
心底救えない最低最悪の罪業生物下劣ジャップ
今度はあっちの朝鮮人を崇拝しだした
ボアボアと言い少女時代少女時代
そして極悪品性下劣関西人のごとく整形を何とも思わず
また極悪独裁者天皇一族が淫蕩を尽くすつもりなのだろう
僕はこんな醜すぎる極悪西戎倭人の
一員にされることが耐え切れない
キムチジャップは朝鮮人になればいいのだ
そうすれば世界中でマンガアニメゲームを誇り
低俗すぎる恥ずべき文化水準を
品性下劣江戸東京の極悪伝統ゴミ町人と一緒に
永遠ループしてられようぞ
ところが極悪江戸東京衆愚マスゴミは
世界のHentaiです京都系淫乱犯罪小説チキキ
と眼の端を釣り上げながら姦淫書をばらまき犯罪
汚い満員電車で痴漢犯罪しつつ
犯罪姦淫映像を撮り犯罪売買春を愚民大学教授が煽り
なんの罪悪感もない侭大量に自殺しまくる罪人振り
僕は極悪倭人は絶滅すべきだと信じている

実証主義の理解

実証主義が確実さの絶対基礎、とはいいきれない。認識の誤り易さはどの実験にも、仮証法的主観がその仮説のたてかたに関わるから。
 が実証認識、つまり実験で繰り返し検証し直せる事実はその法則さの源としては凡そ全てにまさって確かさに近い。実証主義は法則知にとっての実証主義。実証主義への過信は、みな法則知への過信と等しいので決して科学教と異なる意識ではない。この宗教は限定知能のもとで宇宙の莫大な事象が一目瞭然とできると信じこんで疑わないが、現実にその特定知覚基盤は地球の適応条件に依存する法則さしか捉え得ない。
 実証主義が神の念いへの道、とは信念をこえない。故進化論が創造説をこえた思想と定義できる論拠はどこにもない。信念の合理さで物理法則性があるかないかは一つの文化展開の選択肢でしかなく、思想内でも同じ。

2010年11月2日

悔しさ

ひたすらに
つづくこの世を
過ごしける
幾つもの人は
徒に
すぎる眺めを
更々に
洗う手作り
伸びやかに
晴れしみ空の
奥行きは
浮かぶ白雲
調べしと
侍る
おらうら
てめーらなにしてんの?
は? きこえねーよ
は、大阪ごっこかよ
っざけ、ふっざけ
は? イミねーし、イミねーし
つーかまじうざい
は? イミねーだろ、フツーに
チョーシこきやがって
なに大阪ごっこって。ん
あ、お笑い? 他、関西ごっこ?
っざっけ、ふっざけ……つーかまじきれる
ところでさー、どーでもいーけど
きのう原チャリぶつけちゃってさー
退治しても退治しても
わいてでるゲイシャジャップ
うようよあたりを取り囲み
淫欲ですべてをダメにする
そんなジャップは底抜けに馬鹿で
口をひらけばおっぱいバレーとか言う
しかも、小四とかそんなのでだ。
言うまでもないが、都会でも地方でも。
なんでかっていうとあの卑しい江戸TOKYOの
愚劣すぎて恥ずかしいぼろ儲けテレビ会社が
けがらわしい情報でくにじゅうを汚染。
で、くさるほど関西芸人を量産してるから!
僕はこんな国に生きるのが本当に悔しい
馬鹿が朝鮮のドラマばっかみてるんだもの

生物学

文化形質は伝承される。後天的に獲得もできるが精確には遺伝しない。そして遺伝の上でその文化内に於いてえり好みされるのが、文化形質上で優位な結果を示せる様な学習できる遺伝形質である。但し、希に突然変異として殆ど先天的にこの特定の選好用文化形質を生まれもつ個体が出現すると決定的有利さを示し、種そのものの形質が当個体を中心に進化の場な特定地点から漸次いれかわる。だから、進化とは本質では環境誘因に依存しており、その場で行われゆく種内競争の結果として特定の能力への変化が誘発後、性選択されて生じるもの。
 進化の為には文化形質として特定化される何らかの社会からの誘因が必須であり、多細胞生物以上では進化は完全に環境のみに依存している。多細胞生物は増殖への変化をこの種の環境変異に併せて行ってきたのだろう。ゆえ生き物の多様さはみな環境からの誘因の、つまり性選択を含む適所の多様さから生じている。

2010年11月1日

形而上学にとっての知的設計

論証界がある、という事が一貫した脱構築主義者の疑問。実証主義からみて論証界は落ちこぼれの作り上げた砂上の楼閣らしく説明され易いが、全て法は論証界への説明。だからその人物は法が、他ならず社会秩序の轍が幻だとみたてている。だが現に法は要求され、又世界内での社会秩序は建設されたがる。論証界は社会秩序の素として機能している。だから論証界がない、とはいえない。
 アリストテレスが形而上学となづけた自然学の後にくる学殖とは、それを定理づけるに冗長度しかいらない類のいい加減な極意を秘めていたが故ひま人と聖者の慰み物として最善だった。でも形而上学がなお法をうみだす理念の原型質な限り誰もそれを嘲笑えない。べきの問いがない社会は想定もできない。もしできることがみな実現される社会なら無秩序以外に形容できないから。そしてどの人種もそこへ適応したがらない。想像の世界でさえ地獄絵巻としかこの無法状態は定義されない。一般に、形而上学の欠如を不条理と呼ぶ。人間が最上級の学問を形而上学に求める根拠は、全科学の最終結論をなお次世代に乗り越え得る論証のみの体系で示すから。
 形而上学の更新可能性は無限。そして論証界が形而上学野の為に残されているのは、この上書きの自由さに基づいている。実証界は緻密でこまかくなるが論証界は正確に全体像をつかむ。各科学が何の為に用いられるべきか、を説明するのが論証界では構想論の基本。
 分析を理由とした実証科学自身はなぜそれを行うか説明できない。科学は知識や詳細を知るが、要はどう世界が成り立ったかを因果律から導けるが、抑なぜかという理由は分からない。論証界にしかべきの問いがないから。神の啓示が降りてこなければ、我々が議論からそれをみいだすしかない。形而上学が神学のつまり宗教解釈論の婢、とよばれていた理由もここにある。だが脱構築主義からみればどの解釈も一切の論証界と似て否定神話の理論でしかなさそう。それはいわゆる道徳神学を否定媒介として禅問答に返るが、他方では冗長度に基づいて世界精神の現代版をときあかす役割も担う。神の念いをあれこれおもいあぐねるのは最大のひま人の勤めだから。もしそれ全てがいやがおうにも主観の投影でも。彼らに理解できない程の冗長度は永遠の学理でしか達成しにくいことから、哲学が神らしさの学問と称される勘違いの源も必ずしも忙事の間違いではない。分野をこえてなにもかも知り尽くす可塑性に最もちかづき易いのが哲学の生活なのだから。
 いくら知的設計論が創造説のダーウィニスト風焼き直しだとしても、神らしさを現世で理解する、という意味では倫理的知的設計論は進化知識の人間解釈として必ずあらわれざるをえないのだから実証できない、として非難するに能わない。
 知的設計の想定対象が擬人化される傾向と原理主義の結びつきこそが本当に倫理論的でないのが問題の核心。故後生からみれば、知的設計非難は浅ましい進化知識人らの倫理論への僭越としかみえまい。つまりは宗教でみれば知的設計学はありえずそれは解釈であり、科学からは事実の他には無目的さしかみえない。ただ哲学の眼だけに倫理的知的設計の可能性が解釈論野にひらけている。そしてそのみちは、道徳の智恵にとっては神のまねでもなければ単に趣味の合理性なのである。不合理な趣味のもとでは、長期予想としての知的設計は実践されない、ということでしかないし、合理な趣味の下では実証界でも論証界でも知的設計というものの合理さは担保され得る。
 結局道徳訓話とみれば一連の知的設計論争は応用としての計画性ある知徳の啓発にしか役立たない筈。神の実証という考えも、知能のよさに伴う比べた把握としては科学で十分可能であり、信仰としては論証のなかで理想の当為として保たれるしかない。宇宙内外であれ。

白川字学の解釈

白川字学は事実上、文字解釈学の一つだった。故この解釈学の系統を通して已利用すべきで、実証界では扱えない。それは科学ではない。より詳しく定義すると、学は僭称か言い過ぎなので文字解釈論とよぶべき。
 白川字学は考えや理説の体系的提示で、あわよくば原理主義の典拠にされかねない危うい立場にある。この一見整然とした体系はつまり特定宗教の固まった解釈へ悪用され易い。よって白川字学を必須の課程や、語源論か説という扱いでの参照をこえた国定のイデオロギーとするのは決して賢明でもない。
 最もてばやく理に叶った方針は語源論への体系

2010年10月31日

徳のひかり

既に雨は止み
ゆっくりと曇り空が戻る
だれもみな
あのひを忘れなかった
きのうから降り続く
微かな雨足の所為で
私の気分は
少しずつ沈んでく
月が巡る内に
うみのねがきこえる
いやなひとたちは
その為にきえてしまう
ただあかつきの明かさが
私のめのまえをはれやかにする
うるさい西の人
僕はかれらの行う
さまざまないろいろをみてたが
あまり感心しなかった
尊敬すべきひとは
慌てたりしないものだ
そのひとの仰せになる
一言を温めるがいい
しずかな夜にきこえる
あのしおさいの様
だれもがねしずまった後で
かしこき窓からふりそそぐ
月あかりの如く
貴君をてらす徳のひかりを

さむらいのみち

くらきひにばらのはなあきさめのにわにひとりそらむく
エドオタクなにをみるただいたずらにむなしきおまえと
われにとり朝鮮の者とかわりなき山口のひとまつりさわげる
関東のあちこちにゆく魂のみすこゝろざしそこにのこれる
関西のひとのたましいわがものとあまりにちがいへだてるときおもう
こものをこのむこびとのおゝきこのよにてやまとびとのおごりさめてかまけり
とうときはさむらいのみちたどりたるまことのこゝろをつげるちすじぞ
まつしまよひゞくいわおにしおさいのきくすぎばやしなつになくせみ

街角

ずっと前だけど、夕食したことのある街へ、別の用事で見物に行った。要は散歩みたいなもの。けどそのときはもう夜だった。
 僕はぐるぐる街をあるきまわった。東京の街はどこもそうだが、殆どかわりないコンクリートとアスファルトの迷路を。ある二枚目のタレントがそこに住んでるらしかった。けど、本当につまらない街だ。
 今にして思い出してみると、あのときはとても貴重だった。二度見た限りおぼえているのは、もうすぐなくなるだろう街角の特徴だけ。
 つまらない都心型の、どこにでもあるマンション。その足元に設けられたつまらない通り道。僕がとてもよくおぼえていたのはそこだった。
 二度ともやはり冬ちかくの頃だった。何が不思議かといえば、僕が見たその街角は、二回行ってなにもかわりなかったこと。もう50年後には跡形もなくなるだろう東京のとある新興駅前の一角。数年ですっかり変わってしまう都市の。

倫理感と正義

たまにある様人類の個人毎ではその感覚が偏っているが、少なくとも身近な域では、正義の天秤が全ての脳内には血潮の座として置かれている。そして倫理感と一般によばれるその働きは、各個人の正当意識の平衡がはたされる迄必ず使命に駆られて突き進む習性をもつ。
 正義感の強い人は、単に周りより倫理感の及ぶ範囲が時制からも空間からも広く長い。王者が長い歴史をもつ際には、その人物は正義感についての平衡役を果たせた場合が多い。道徳が王者の資格、という天命思想の源はここにあり、それは又正史に伴う帝政の正当化でもある。是政の為に彼らが用いるのは長期間に渡る正義の天秤の平衡の意志で、之は温故知新から得られる。
 全て政治行動は、行政への抑制も含めこの為。道徳に劣る王が在位している間は、平和が訪れる事がない。それは人倫が安心を得られず、腑に落ちない念いをして転覆や不正を感じるから。まったき政体がない様、世俗の政権は程でしか正義を実践できないとして、歴史自体が正義感の平衡機能に基づくのは明らかで、ヘーゲルのいう世界精神の本質は実にこの倫理感の業が変転しつづけるのみ。だから絶対正義は因果応報を彼らの因縁ではたすが、偶然も含めれば国家内での立場しか変わらないし、倫理はそれしか説かない。正義感は是政の徳という他には意味をもたない。かつ正義感をうみだしているのは、特定の倫理であり、多くは地域毎に異なる場所の倫な事がいえる。
 普遍人倫は神の心にしかみえない。限定された理念を問うしかない限知限能の品種には、個別人倫の正統さを主張できる丈で、一般に独立の地位を保つ役割を果たす。人倫互いの衝突は秩序度の優劣に伴う繰り入れか影響を伴うが、その他どんな目的もない自己展開の理。よって、究極神意への到達という遠大すぎる幻想は一つの当為にすぎず、現実の人類らは人倫淘汰の境から自らの文化形質を選り抜けるのみ。
 浅い正義は低い道徳からきて、この教養不足はみな人倫とぎの対象となるを得る。地域人倫が場所学をこえて意義をもつとき凡そその種の高い道徳が正義の平衡へ導く為に転用される。政が国際化するのはこの場合で、実際のどの歴史運動も巨視で人倫淘汰に伴う世界適者の選抜過程。煎じ詰めれば現実態へ定着された地霊の連続したとぎすましの業がこの世のいけとしいきるものの相。しかもどの姿も究極の形相ではありえず、ただ神のみそうだろう。我々には神という呼称すら仮借なので、場所学は結局、地域神学を哲学化したもの。地域の神らしさは場所のもつ生態の地歴政経による。

2010年10月30日

堤防事業貫徹の義理

政治の源に治水があることからも、スーパー堤防の事業計画自体が頓挫しつづけるのは望ましくない。千年の大計の前では当面の赤字財政などなんの問題でもなく、天災に比べれば一度で失われる人命の重さを守るに、他の命にかかわりない事業を犠牲にしてでも重厚な、あわよくば豪勢な堤防建設を実施していくのは国家建立の義務と思う。
 目先の損得勘定が行政府の命題では、当然ない。長州藩士の風を押し倒してでも事業は継続すべきである。
とはいえ、当然だが計画実践の途中でより高規格の堤防が発明されればこちらを採用し直すのも合理。旧約の大洪水の例をひくまでもなく何より行政人が、水害を決して軽視してはいけない。

排出量取引枠の改組

星の圏内二酸化炭素量が地球温暖化の原因な実証的証拠がない限り、京都議定書自体は守らない方が得をする。恐らく主要因は熱量そのものの排出、特に建設作業に伴うそれなので、二酸化炭素の排出量取引を国際的圧力の方便にされている、要はゆすりのタネにされているのは明らか。
 本質からいえば「途上国寄附の名目」にしか議定書は使えない。一連の余波で中国人がごねる様なら東南アジアやインドとのみへ排出量取引枠を制限せねばならず、場合によっては台湾も無視するを得。

あまごゝろ

すでになきまちのかおりの栞かな
ときのうつるうちにかわれる団扇かな
かわりなきよるの岸辺にお月様
すぎさりしときをせしめる夕陽かな
みやことてかみのまなこにひとゝきぞ
あいづのおくのお墓をめぐる正しきこゝろよ
やまぐちのはかりあさけりきみの服
ひとのすむしまのせまけりこゝろざし
落ち葉踏む音の響く空蝉のそら
あづまにていやしむきみはいまどこぞ
きのはなきあすのいり口ひらくたき火
人はみなあまごゝろのもと過ごせる子
母校の人のかわらぬ気風冬の街

アーチスト

大女優あたりが
公家の真似してうれしゅうございます
とか言う。ん?
東国なめてんのか? 糞阿魔
なんだ? しゅうって、しく、だろうが?
標準語すら喋れない糞加減で
国税ぱくってのうのうとしてる
南蛮虫の末孫を
なんでまねてるの? お前
糞加減が関西風だよね
先ずは、京都行け
そんでお前らのたまり場な
あのゲイシャ街で一生サルやってろ
わこーたらそちの言葉遣い直したもれ
はいはい
大建築家先生
はいはい
また出来レース
はいはい、また学歴差別
大画家先生
はいはい、官能小説屋
大作家先輩
なにひとつとして
まなぶことはない
てめーらうまれついてのクソ馬鹿さを
褒められて有頂天になってんじゃねーよ
まずはてめーらのクソさを万人へわからせる為
あの園遊会で天皇に土下座くらわせとくから
もっとじゃんじゃんやってくれよ
退屈で退屈で仕方ないし
なんだよこれ? 一年かけてこれって
「あぁ君には言ってない」
ならCD売ってんじゃねーよカスが
先ずはかねもうけて
チャラりたいんでしょ、自称アーチストきどりの
着メロミュージシャンのみなはん!
こいつらの雑魚っぷり
何度きいても吐き気しかしない
どっか風説流布罪ネットニュース社が
お小水みてーなへなちょこ歌を
あたかも音楽みたく聴いたり、
京都市民が西洋の古典を褒めちぎってみたり

2010年10月28日

生物学

獲得形質と遺伝のそれとは連環して働く時、文化形質を作る。文化形質は遺伝子に属するのでなく、文化素にのみ属する。そして獲得形質は文化素の幾らかを学習し、世代間で受け渡す。文化形質は世代で浮動しており、遺伝形質と獲得形質の両方から影響されて変わる。但し、一定の獲得形質がその遺伝の傾向のもとでくりかえし世代間に伝えられていくと性選択の中では必須の学習行動、つまり生存の為の文化形質として定着される。
 人類が言葉をこの種の文化形質にしているのはその一例。言葉を介さない人類は、その遺伝形質に関わらず同類とはみなされない。その種の文化素は定着された。

姦淫と場所倫理

稔性やもっと端的には繁殖率の高さは、人類の段では「再生産率」と言えるが、異系配偶の実のききめはそれ已。副産物でこの値は経済活動となって示される。

 総生産より総所得の方がより経済活動の純粋さと消費生態を示すなら、再生産率自身の象徴は現段階で総所得のみに絞られる。かつて不生産階級とされた商人層が之。故もし再生産率のみが、裕に早稲の傾向だけがこの人類生態内での目安とすると、ある地域の場所倫理になぜ異系配偶の推し進めへの違った程度があるかは明らか。
 つまり商習慣の社会適応度が高い程その場の早稲への誘因は高まる。この法則は過剰稔性の目安の一つだろう売春の有無でより明白に示される様に思う。この活動のある地帯は、必ず異系配偶への極度の誘因がある。多くの宗教や道徳理説で売春、つまり婚姻関係にない異性との姦淫の禁忌が説かれるのは、その倫理感覚をうみだした集団が過剰稔性を不適応としていたから。

 私はなぜ倭人、及びアジア人の中の幾らかが売春への罪意識をもたないかを長年疑問に思っていた。特に、この傾向は日本とよばれる島国で関西地方と東京都という一帯で甚だしい。それらに共通しているのは人口過密の地域な事、及び天皇の末裔な公家の土着率が他の地域より高い事らしかった。なお他の倭人地方都市でも全く売春行動がない、といった例は殆ど見受けられない程かれらは最低でも文化素面で、売春への定着性がある。更にこれは関西以南で甚だしく、地域民俗の厳格さに伴う幾らかの例外はあるが北へ行くに従って幾分減少するが、少なくなる日照時間とそれに伴う湿気の多さに逆比例する様どこでも山陰地方の民俗では凄まじい習慣の継続強度を示す。
 一般に、財産家の地位に比例してその多妻指向が現れるのは哺乳類的でもあり、彼らの属した集団での倫理感が他の標準的人口密度や生態行動の地域とずれる事へは特段の疑問符もつかないだろうが、私に分からなかったのはなぜ彼らが金銭などを介した明らかに姦淫の習慣を煽る売春の行いすら否定しないのかだった。
 神道とよばれる彼らの祖先崇拝の信教では、姦淫ばかりか売春への禁忌事項すらない。だからあなた方であれ日本の一部の地帯へ観察のため侵入してみれば、そこで生息している人種が罪意識を全くもたない侭、かなりの期間に渡って売春行動へ自己適応や家畜化しているのがみてとれる。京都という関西地方の中核都市では舞妓や芸妓あるいは芸者とよばれるこの種の特殊適応した品種がなお増産されている。かつて江戸とよばれ、現状では東京と名をかえた都心部の一部地域ではこれと似た光景で、売春店の看板が辺り中に掲げられた侭で人々は何事もないかの如く暮らしている。なお中間地帯の名古屋も同様。東京で多い男娼はホストとよばれ、それらの活劇を青少年以下も観る時間帯に全国区でテレビ放映する民族は、私は倭人しかしらない。同様に税を収益源とした公益のための国営放送が、前述の芸者要は売春婦を主人公にしたテレビドラマを平気で毎朝流していたところを私は見たことがある。因みにどちらの事例も東京に存在するテレビ局が番組製作し放映。
 社会で暮らす倭人らに発狂している風はなく、真実、彼らの中には売春への罪意識が殆どないのだ。
 彼らに理性がないのではなく、彼らの属する社会環境への適応の為に、他の人類の属した地域とは全く違った種類の理性が彼らの中では正当化されているのだ。彼らに何の宗教心もない訳ではないらしいことが、その地域へも神道式の社が存在しているので分かる。但しほかの宗教が及んでいるとはとても考えづらいが。

「姦淫は悪である」という命題が、文明化された国民に理解されないことはないだろう。それは理性をもつ生物ならば、どの形にせよ窃盗が両性の尊厳を侵す限りでそうなのだ。従って純潔が道徳と説かれる理由も、文明化された市民が婚姻前の異性を不当に占拠しない為に設けられる自己規範にある。
 仮に不倫が上述の歪んだ地域でどういうわけか正当化されているにせよ、その地帯のかれらにとってすら家畜化された人格を婚姻の為の対象としない範囲でに限ってなのは違いなく、いうなれば彼らは人口過密による抑圧からの異常性行動と擬似多妻制の両立を倒錯した習性、要するに売春の自己目的化で果たしている醜悪の習慣に染まった人なのである。事実上、異性の人格を否定し奴隷化しており、それを通して自らの人格も全く尊敬できない悪辣な程度に貶しめているのだが。彼ら近代化したと言い張る倭人の法律にはたしかに売春を裁く風の文面はあるが、神道の影響下にある検察官の劣った理性のため長らく空文化している。その為に彼らの倭社会一般も、世界から非難されて然るべき性風紀面でのはっきりとした悪徳を偶然でなく、繰り返し示すのだ。

 彼らの悪さは彼ら自身の中では永遠に自覚できない。それは場所倫理学上も論証できよう。場所らしさがそこでの適応行動への第一誘因なら、京都や東京都の様な異常に過密化した都市への定着にはそれらの悪業を「種の利益の為に」続けるしかないか、最低でもそうすべきなのだから。媒体を通した間接的観察で悪習をどうとろうと、必ず彼ら倭人には理性の反面教育という効果だけが確かめ得る。都心化された醜悪な倭人は現実に地獄沙汰を誇示するべきなのである。さもなければ死を。
 結局、人類が大部分で純潔を実現する為には人口の分散と、富の固い定常的偏りが起きない国家体制が必要だろう。そしてこのどちらにも反している限り倭人にみられる如き倒錯、それに伴う過剰稔性の害な丈の奨励は止まない。且つ、この商業への過度の集約はその場の形質を早稲化する傾向の為に世代を通してそうでない民族でより理性の発達、つまり大脳新皮質の上乗せを抑えこむ。結果としてこの特定民族は社会間や文明間の競争の為に消滅か編入されて大勢を失う。その中途では悪評に伴う醜行での刑罰と現世を含む監獄の常連客の身だろう。

ゴモラ

関西出身者はなぜあれ程品性下劣なのか。例外がある、と言う者へ、自分の人生経験内では例外がなかったのだ、と反論しよう。確かに例外なし。では、関西出身者とは何かと定義すれば、関西風の文化素を引き連れている者、と丈定義できる。遺伝でも環境でもある。
 すさまじい淫蕩。これはいつも恒常不変に関西風だ。勿論、関東圏にも江戸っ子(現東京人)という例外がある。しかし、江戸っ子すら超える淫蕩。すさまじい迄の。天皇がその原因なのだろうとは思うが。事実上、天皇のいる場所で丈そのすさまじい淫蕩の生物がはえてくるのだ。自分は江戸っ子の書いた武士の映画をみたことがあったが、本当に笑ってしまった。その軽薄な下っ端侍は毒味役で、妻の不貞に憤って決闘する。なんという愚劣さ。なんという下っ端加減。共感可能性ゼロ。今日の江戸の流行語にイケメンイケメンというのがある。イケてるメンズの略らしいが、本当に江戸すぎるチャラ語としか言い様がない。ジャニーズ野郎がいる訳だ。ちなみに噂では、江戸じゃ不貞が自慢項目らしい。まさに伝統的低俗としかいえない超暗黒世界だ。東京と名乗ってからは首都っぽくて調子に乗っている様だが、実態何も変わりはない。
 しかし、自分には人生観へ決定打となるほど衝撃だったのだが、関西在住者はまじでそれ以下なのである。とある典型的関西出身者が書いた小咄がある。淫蕩を尽くす下人が浮気に浮気を重ねる。それだけの大売り出しで有頂天になっている生命体。勿論、猿と評するには言葉だけは使う。がその他は猿にも遥か劣っている。自称近畿のゴモラなど征服されて当然だったのだし、今もそうだ。間違いない。必ず裏切る。これも関西出身者の一大特徴だ。しかも卑劣さにかけてはあの最低な長州山口にも負けない。どんな手でもみばえの為には決して択ばない。さらに、必ず金か女に靡く。その優先順位も確定していて、「まず金、つぎに女」だ。これは奴らの腐りきった本能として、金で女を買うからなのはいうまでもない。どれだけ穢れなのかわからない。しかし、またこれもいうまでもないことだが公卿の伝統で驕りにかけて右に出るモノはないので、決して自らの非を認めない。だからそこで訴訟された罪人は悉く懺悔しない。したら最期、徹底して虐げられると分かっているから。抵抗しない被告人を進んで斬首する屠畜以下の公家道徳みたいな関西の人間は、武士道に悖るどころか一切の正義を司る資格がない様だ。自分はある四国、愛媛の出身者にもこの性格をみいだして、西海地方も関西文化の影響下にあるのをたしかに見た。絶対に己に非があろうと、いかなる場面でも懺悔しない。神が彼らの中にはないのだし、更には輪廻も理解しない。業の連鎖を生きるのに金しか中心軸がないのである。
 酷い言いざまだな、と思うだろう。が酷いのはその関西の者どもの生態なのだ。例えば滋賀、奈良、岡山あたりは周縁だからまだましだろうと言うやつがいる。それも一理かも寧ろ逆で微妙に勘違いしてる分さらに酷い部分がないとはいいきれないかもだが、問題なのはかれらが自称近畿中心主義の余波でおのれどもの悪習の一切を全然反省もできないどころか、いまだに関西風の中世の悪徳を心底信じきっていることだ。端的にいえば救えない。底無しだ。害悪とは関西である。江戸より酷いのだから、それは地獄の底の底と類比できよう。

平成物語

赤坂の皇居前を低空飛行してくラジコンの鳥
その濁った水に映す荘子の魚は
プリンスホテルの瞬く窓を夜景に鮒の息をする
あの僅かな窪みの向こうに
都心に棲みつく特殊な生命体がいる
そいつらは遠くヤマトのクニからやってきて
なんでも金をごっそり国庫から盗むのが習性
ぬすっと野郎は底抜けに厳重な警備をする
棍棒もった黒ずくめの護衛が
ぎらぎらした監視カメラの隣りで睨みをきかせてる
僕は一羽のカラスとなり
そいつらの目の前をとおりすがる
大昔からヤマトでは
このぬすっとをなぜ崇めざるをえなかったのか
その家は凄まじい迄の悪なので
権力の為なら手段を選ばないからだ
あの堀の奥で日々国税から奪った私財を
無益有害に費やすヤマトの末裔一族は
この底抜けに複雑な首都のビル群に囲まれ
やはり自分が王だとでも信じ込んでるらしい

2010年10月27日

国歌

それらの裏切り者どもは
政権を暴力で奪いながら
テロリズムを隠蔽すべく維新と言った。
ところがすぐに侵略者となりはてて
自分からアメ公に喧嘩をふっかける
馬鹿は黙ってりゃよかったんだ
原爆ぶちおとされ泣きっ面
「もう逆らいません」と宣言
あれえ? お前らあのとき
将軍殿をおっぱらいながら
てめーらがこの国ひっぱるって言わなかった?
糞野郎ほど自信過剰
今度はほんの百年前のことを忘れて
腐るだけ金もうけ
もうわかったよ。馬鹿なのは。
明治以来、なにをまなんだ?
さあ、ここで陛下へ敬礼するんだ
この国の長を御守りする忠義の為に

2010年10月26日

朝鮮人の公然猥褻罪

朝鮮人の女性歌手グループが人目を憚る格好で公然と踊るのを放置しておけば、単に風俗壊乱になるばかりか、演芸一般の倫理の限度を石原慎太郎級にひきさげる末路へいたらないともいいきれぬ。

 これらの渡来組を一つのきっかけに、演芸に於けるいわゆる風俗営業の許可をとっていない公然猥褻罪を適用し、その社会の底流となる正義感を維持する健全な風紀を健勝しなおすことが必要。
乱れた風紀は危機に及んでの規律のとれない敗北へとつながるかもだし、特に防衛を司る集団へは致命傷ともなりかねない。渡来人は理性に別の程度があるらしいので営業をその文化の水準で放任すれば、いずれは国内の全ての風俗がみな朝鮮化するであろう。

史政論

天才とか抜群の個性つまり順応しない才能を尊ぶ社会的寛容さの重さ、をさしていたミルの覚め方は現代にも再び教訓の価値を与え得る。彼らの独創性だけが、集団思考や全体主義化した同類項の中へも真理を提案できる。
 ヘーゲルなど天才より秀才を尊ぼうとする思考は、みなこの独創性こそ全ての文明の展開の鍵であるのを見落としている。もし天才にまったく他の追随をゆるさぬ独創性がなければ、必ずその成果が決定的進展のきっかけになることもない。要は文化素へ与え直す突然変異の結果が、その属した集団の他集団に比べた合理性を高める場合には天才がえりぬかれるのこそ文明の本来の意義。発明や発見、芸術とか技術とよばれていい殆どの才覚は、実にかれらかけがえない個性の為にのみ社会へひろまったもの。そして単に巧みな模倣を習慣とした秀才にはどれだけの努力や学習課程でも、その種の才と同等の進展を歴史脈へ与えることは出来ない。秀才の意義は、これらの圧倒の成果をまなび、できるかぎりならって自らの集団内の新たな習性へ、以前の格上げや固定される迄その文化産物の真似をつづけられること。そして両者の立場は大きくことなる。学校という体制が模倣の体系をつくる組織へみずからを最適化しているかぎり、永遠にその中から十二分な独創性は開花してこれないだろう。それは既存宗教組織から開祖が出現しえないのと同じ構図。但し、前述の如くこれらの学校には天才の成果を、同時代の凡庸な人々へもあらまし類比できる程度にくりかえし学習させる、という別の理由がある。
 模倣と独創の違いに理解が及ばなければ、社会がなぜ学歴についてのあらたな階級を設けたがるかもわからない。それは凡庸の支配率を上げ、いわゆる独創性の芽を摘み取り順応した人々の文化素を遺伝子の傾向もろとも正当化する為でしかなく、自体は単に誤った習慣なのだ。ミルが厳しく、かつ明晰に注意づけておいた如く、この傾向は階級秩序が最大数の支配率を占めるとき不寛容の社会として権力か場合によれば暴威を振るい易い。その場ではどの不条理も、つまりは悪意悪徳も多数派を占めているという根拠のない安心感のためにあたかも公然と正当化されてしまう群衆心理が働く。この症状を改めて衆愚の非道とよべる。この衆愚の非道への抗いは唯一、天才とよべるほど周りの形質とは一切が隔絶した非順応者や、少なくともその振りが習い性となっている疑い役にできる。そして疑い役は決して好かれたり、ましてや尊重されたりする役柄では全くなく、一連の史実や事件からみれば疎外や非難の的でありやすい。にも関わらずつねにこの種の疑義への最大級の尊重がなければ、衆愚の非道はいかなる多数決の原理のもとでもおよそ防ぎきれないだろう。このために民主政の本質的利点は多数派以外の公的意見を見逃さずに、俎上にのせる過程を維持できるというところにある。決して多数決の原理こそが正義を導きだすとかいう根拠のない俗理説からのそれではない上、往々にしてこの原理は投票率に支配されて均された意見を採用せざるをえない内実から、独創性を欠く。つまり最善ではなく次善以下の、しかも凡庸に納得されてしまうほど取るに足らない決定へ納まる場合が殆ど。天才が個性である様、集団規模はつねに最善の決定を民主政のもとでは少数派へまとめる傾向がある。そして我々が国家の組織へ言論や行動の自由をその寛容の土壌へ求めるべきは全てこの最善さ、乃ち古語でいう至善に止まる地位を保つ為。次善以下の悪徳の程度による群衆行動の決定はかれらへ集団の業として、国家の格式低い義務を果たさせる為のもので、いわゆる究極目的でもない。だから最高の独創性だけがその組織の行いへみてもやはり最善さの模範を示すであろうし、我々が大義の勇とよばしめてきたものも同じ。この種の勇気は福沢でいう一命を抛つべき一大事でしか証明されもしないが、実際の事態へみればあまねく、組織的最善さとしての政治集団の格式とは道徳の程度へ厳密に比例してしまう。
 人々が英雄さの定義を求めるのに、かれらの道徳がいかに究極目的の理念と一致しているかを問うのは当然で、多くは後世が歴史の真相をふりかえれば必ずその善意の判断はあきらかになってしまう。そしてこういう歴史法則を、天道の是非として問う体系は史学の的。且つ真の歴史法則は事実上、過去の最善の規範を理解することによって導けるのでそれは温故知新という歴史哲学の核心に叶う。べきの問いからいえば、正史はこの真の歴史法則を導くための世界劇場を用いた方法論なべき。政治学の内、支配者の智恵が正しい史学にあるのは以上でわかる。

絵巻

足をひっぱるしか能のない倭人
またテンノー崇めてら
救えない俗物共が
淫蕩を尽くす以外なにもない猿の島
昔ここには異人がきて
野蛮な猿どもを幾分殺した
そのせいか多くの黄色い猿は
おそれをなして黒船を観る
空に暗雲がたちこめ
あの大江戸の底に溜まってる
澱んだ退廃の悪業を
一掃しようと企んだ
けしとんだ後で
後悔しても遅いのに
すべてこの世は当たり前
不条理をおしつけてきた教師共でも
やっぱり馬鹿すぎて苦しむもの
あの関西の者みな
僕のめのまえで
淫蕩のこばなしを売りまくり
揚げ句に僕の足をひっぱった
なにがしたかった愚物か
もし過去を眺める機会があれば
きみらの前世をみせてやるよ
狭い世界にとじこもって
不倫の連鎖しかやってこなかった
心底ゆがんだ奇形のチビ猿どもが
ニヤつく絵巻をご覧にいれよう

「幸せを噛み締めています」

一歩でも進もうとすると
すさまじい数の老廃人どもと
発情虫の馬鹿すぎる十代どもが
糞と言うほど足をひっぱってくる
最低最悪の重すぎる負担
その老廃人は
迷惑どころか害でしかない
醜悪な浮気話を安売りしまくり
尊敬しろ尊敬しろと強要してくる
途轍もない関西の南蛮虫なお前を?
どうみても終っている
くだらなさでは類をみない
歌ですらない馬鹿芸人の醜悪を
コンパクトディスクにして買う
そんな風習でよく十代やってるよ、こいつら
東京といえばなんでもまねる
東北や西海の痴呆な黄猿
わらえない売春倭奴の腐る程の量産を前に
なにを教育してるつもりの国家なんだ?
天皇は相変わらず「幸せを噛み締めています」

高尾随想

僕は高尾山というのの中腹まで登ったことがある。今なんとなく思い出すのは、あの空気だ。自分は東京に全然馴染めない、というか馴染まないからあの空気が苦手だ。それは江戸時代から、あの一帯にある空気なんだろう。集団の多さからくる空気。いつも大量の成員で満たされた空間に馴れてる彼らは山道でもひとごとを中心にして登り降りする。調度広重の浮世絵の様に。
 崖で危ないから待てば少年がわざとおちる振りをする。帰り道でゆっくりしているとわざと追い立ててくる老人。中腹でお握りをたべてるとみとれる子供。登山しえない私服で着た若い女二人、大音量の愚痴。そこへは大量の流入者があったから、いまではごっちゃだけど、一帯の雰囲気は残っている。自分はそれが苦手だし、馴れえない。馴れるべきですらない。
 あの空気は、果てしなく広がるあの東京の町の至るところにある。そして「空気を読め」といいながらあの愚か過ぎる江戸っ子どもは堕落の連鎖を日々くりかえしている。
 日本の人は間近で東京の現実をみたことが殆どなく、テレビの着飾った情報で洗脳されているので、何もしらない。残念なのか、知らぬが仏なのか、恐るべき災厄なのか、そのどれもなのか。だが現実に、自分は体感してきた。その下らない世界を。

不正

関東を馬鹿にして
公家は離反しまくる
それにのっかるかぎり
あなた方に正義はないよ
僕はその最悪の鈍物を
一刀両断にするつもりだ
あの時お前らは
そんな大義名分のない
陸でもない
肩書きだけの賎しい
最低最悪の奇形どもに
忠誠を誓ったんだよな

2010年10月25日

旋律

必死で働き続ける倭人
かれらに意識はあるのか
もしおおぞらが落っこちても
あの新幹線一杯につまった
似た顔の黄色い
二足歩行の喋る猿は
ちょっとした信仰とひきかえに
あふれる札束で
星中を現に旅行中
僕が散歩ちゅう耳にした
どこかから流れくる
あの旋律を聴くんだ
かれらがもし滅びゆくとしても
ピアノは鳴りつづけるから
今おもいだすのは
海辺の町のコンビニだ
別に意味ある遠出じゃないけど
そこへ寄った
ちょっとした興味があって
JRはどうでもよさそうに
きみをそこから運んでく
秋口の街はいい香りがする
電車を降りて
凸凹した駅前の通りをぬける
しばらく行くと海がみえる
もしきみがおもいだすなら
そのなんてことない一瞬
さざ波の音

満員電車のすきま

陸でもないM字の看板が
田園の真ん中にぶち立つ
政治屋が「税収を儲けなきゃ」と言う
次々侵略される文化
そのアメリカ企業は
腐るほど金を余しながら
家畜以下の最悪な食事を
はやりのウイルスみたく持ってくる
関西人悪徳小説屋のお下劣小咄みたいに
最低最悪の戦後文明
僕らはその中に産み落とされ
気が狂ったみたいな高校生女が
電車の中でミニスカート姿で大勢で
「きもーい!」と叫ぶ下劣社会を聞かされた

発狂して自殺する倭人
天皇が金を搾りまくり
国中に極悪源氏物語の極悪不倫話を撒く
吐き気ばかりのする汚れた極悪倭東京
無業者をニートと呼び蔑視する弱肉強食地獄
賎しい働き蜂の唸る中
満員電車のすきまで僕は唯一の希望の
水戸ホーリーホックのワンセグを観る
宇宙のどこかで
そんな光景があろうとなかろうと
ハリウッド紛いのヤンキー野郎が
宮崎アニメで同類を洗脳していく手筈
ホリエモンが又テレビで金の話をしてる
どう考えても終ってる時代で

2010年10月24日

うたびとの意いきえつる白鷺の鳴く夕月にはゆすゝき野
ぽつん/\と残る刈りとらぬ稲穂のさわぐあきの小声だ
すゝきの穂あちこちでながめれば各々ことなる土の声する
肌を刺す海風の涼しさはてしなく地を占める月日の傾き
ねこのなくみちのかしこに凩の訪れをまつ枯れ葉かさつく

2010年10月23日

東洋の倫理形式

語りえないことへは沈黙を得る、の命題は、知性と理性つまり純粋理性と実践理性へカントが批判書で注解しておいた見解のいいかえな丈。この場合で語りえないこと、とは実践理性のつまり理性側の道徳命題になる。この道徳命題は自然科学側からは導けないのがカントにあっては自明だった。所が、ウィトゲンシュタインは道徳命題がこれを論理機構の働きのみには還元できないと考え、その為の表示をしながら遂には道徳とは論理作用ではないと結論した。
 乃ちウィトゲンシュタインの定めた命題は、道徳が自然科学とは異なるが故に確かさが低いので語るべきではない、という判断を凝縮かはぶいて言い添えたもの。逆にカントはこの判断を単なる形式にひきあげ、つまり通り一遍の型にはめ、汝の意思の確律が常に普遍的立法の原理として作用する様行為せよ、と定めた。
 要は道徳が、少なくとも西洋社会で内容の域で語られる傾向にないのは、これらの代表的命題からは言える。つまりべきの問いは西洋でとわれづらいか、敢えてとわれなくていいとされている。その訳は、既に豊富な内容を供えた聖書があるから。
 脱構築がこれらの形式主義的倫理観を除こうとしたのは、東洋の眼には内容を語る禁忌をとりもどす為に有効らしい。西洋ではその内容が保守され、又は進化論などの別の体系と衝突しているが、抑形式主義的倫理観をもたなかったか、異なる体系に属した周縁圏ではこれらの論争そのものが一般な冗長さへの誘い込みにしかみえない。禅などに既に示されているが、そこでは形式と内容にはっきりした区別はない。故聖書の文脈は、また他のどの文章とも並列化されえてきた。もし東洋で原理主義を述べても、不思議な顔をされる場合が殆どだろう。裏に東洋では明らかな形式が、その内容の不在に併せて定義されていない。禅問答という言葉それが既に無の方法を指している。凡そアジアの風土に近づくと、そこでは自然の超倫理さが語られる。無は人為を排する。どの形式も他を圧倒する命題として定義されない。同じく、アジアの殆どの人倫は原理的機軸を要さない。神の理念さえ必ずしもかれらにあって共有しない侭、共生の体系が築かれ且つ維持される。
 和辻が季節風型、と呼んだこの倫理傾向は、適応行動としてその場へ受け身の姿勢を求めさせる。そしてオリエンタリズムの中に女性らしさとして画かれる姿勢は、実はこの自然環境の包容的特質から自ずと導かれている。東洋の道徳命題は無に帰する。各種の了見は、沈黙とは異なる文脈で、必ずこの無の姿へと元に還されていく。ダーウィンが述べるずっと以前から、東洋では自然淘汰の法則が「無為にして為さざるなし」という老子の逆説で実践的には悟られていた。弱肉強食が人間社会の法則でないことは、「驕れる者久しからず」の物語の一節によって諸行無常の理念の元で普く膾炙されてきた。
 この形式主義倫理観と、無の理想の対比は道徳命題がいかに属した自然環境の適所らしさによって違う趣をとるかをまざまざと示す点で格好の題材であり、西洋社会が法治による形式の順化をめざしたのに比べ東洋では一定の命題の外へその実践面での解決を投げやっている違いがあり、もし現進化論者の冷徹な観察眼にかかれば、自然淘汰則の道徳的順位制度への自己適用へどんな留保も設けていない面で東洋の倫理規範へも一定以上の理性をみいだすだろう。特定の聖書をもたない民族は、内容での規範も有さない代わりにその堕落や残酷な悲惨へ何の救済も期待しない。彼らには自業自得の覚えがあり、この理念には遠い昔に到達された自由界での社会淘汰の全概念が詰まっている。ある面で西洋の倫理人が彼らの聖書に完全に背く故に野蛮とみなしがちな諸習慣はその適所では悪徳の実例を逐一あらたに生成し豊富な負の内容を示しているが故に功利的。なぜ東洋人が公共心に欠けているかの如くみえるかいえば、実はこの自業自得の心得が彼らに絶えざるすみわけの要求を教えているから。

2010年10月22日

無の根

自業自得の元では人格主義が成り立たない、といった気づきはカントの命題が目的としての対人格すらつねに手段を経由しているのを注解している、というくわしさの見逃しのみ。又無の前では普遍的立法の原理がなくなりえる、とはこの立法主こそ無、と説ける。つまりべきの問いが全理性の定義に返るのはそこがまやかしの表象や形相の各様からは離れているから。色即是空はこの言い方。
 神の定義が無にとっては空想にみえるのも、信の域を有限にしない為にはよき方便。東洋が多神教ばかりか無神教すら迫害せずに放っておくとしたら、そこに自然界の合目的さへよりそうため、人為の定めを極力避けようとした痕跡だけみつかる。信の伝達能率がもし冗長度に大幅依存しているなら、必ずしも一神教にとってのみならず人倫が共同体をすみわけながら共生させるのにも、法的利害調整をこえてはそれらのどの異端も業の侭に無知の程度に応じた宗教をさせおくのが賢いのは自明。和辻が空として絶対否定運動の原理とみたてたのは、禅をこえれば東洋に広くみられるこの無の理念だった。空は無の禅問答での媒介物。無自体は何も生み出さないので宇宙の原理や起源ですらない。なぜ東洋にあってこの種の超越概念が倫理規範の元になったかいえば、おそらく季節風型の風土で長く適応的であるには単に受容的かつ受け身であるばかりでなく絶えず変化しつづける自然の様相の前で特定の信念を唱導しない方がより冗長度への批判的基礎を保ちつけたからだろう。我々が村にあって、既にこの種の好みをもっていたのは物言わぬものへの崇拝、例えば天、道、それらの抽象理念ばかりか岩、山、海など言葉以前の人為の超越への憧れから分かる。そして実際にこれらへの狂信にすら見える物質崇拝の一種は、村では次々いうこともいれかわりたちかわるどこの馬の骨かしれぬ下手な知恵者の嘘へ付き従うより安全な上、自分自身の内省の投影しかみえない心の鑑の役目をはたすがゆえより騙されづらくなり、適応的だった筈。
 これは偶像崇拝が悪徳として働いた不毛の土地での因習とは全くことなる豊饒界での過去として、十分な考古学からの裏付けのいる推論。にもかかわらず現に神道がやまと民族の唱導のために伊勢本宮を通した天皇への中央政権主義へ武力征服で利用されるまでは、その自然崇拝の各様式は地域毎に独特な上ごく多様さのある物いわぬ鑑を拾っていたのだ。

2010年10月21日

キラキラ

ぷかぷか浮かぶ
ひろい海のね
お星様キラキラ
金銀砂子
うちつける波の
砂浜の上
キラキラ光る
よぞらの星よ
お月様を眺めてる
小さなヤドカリは
うちよせる波に
ひたされて眠った
お月様キラキラ
金銀砂子
砂浜のぬくみ
静かに夜はねむってる
真砂の白さ
よるのふかくに
洗われて光った
金銀砂子
お空の上で
神様はみおろした
生き物の寝息
お星様キラキラ

テニス

何もいらない何も
僕らは小さな小さな
隙間にいて何も
求めなかった
その生き物は
あらゆる暴力をもちこんで
居直る
自称神様
自分らはその生き物が
何をしているかを
じっと見ていた
その生き物は
群れになって弱いものを虐げる
他なにもしなかった
簡明にいきぬいて
このよにきた
だから過去なんて
もうおわったみたいなもの
硬式テニス部
くりかえしうちつづける球
いったりきたり
丸でめぐる命のごとく
大空が明け放たれ
幾羽もの鴎が
遠い世界へと
帰って行く
小さな隙間で
なきつづける命

独り言

世界が始まり終わる
そのくりかえしん中で
なんの意味も価値もなく
生まれ消えてゆくいのち
誰の命令なんだか
世界は計画どおり
ゆっくりだかすばやく
動きつづけてる
その森の奥では
きみらの先祖が必死のゲーム
親分にひっつき回って
おこぼれをあずかろうと
僕が国会みてたら
その先祖がこっち見た
くだらないつまらないこの世
やめようかなと思うよ
どうせどこへ行っても働き蜂が
いつもの寄り合いで金をかき集め
このつまんない極東のマンションを
建てまくるって公算
飽きたら辞めりゃいいのに
一体いつまでかかるつもり
山形の奥へ建つ
大昔の石造建築
もし猿どもの来世が
あのどうでもない勘違いと
おなじ目当てだとしたら
僕は大阪でぶつぶつ独り言をする

2010年10月20日

環境学

持続可能というsustainableの訳語は煩雑なので、単に長持ちする、或いは「もつ」といいかえる方が賢い。例えば、もつ社会はもたない社会と対比語とできる。

今日的市場の景気回復政策

雇用がもどらず、大多数の求業者が労働意欲をもっているにもかかわらず留保ある大企業法人の経営陣が安全策をとってしまうのは今日的市場の失敗。で、これを実践段階で解消するにはきわめて高い「法人留保税」を用いて、それを貯めておけばおくほど企業が損失を被る体制にみちびけばいい。
(当然この新たに豊富な税収分は各種の公共投資に転用されるを得る。)

 もし海外の銀行へと内部留保を転嫁しても、その総額が国内法人としてみとめられるかぎりは主要取引先が国内銀行のときと同額を税収として納めさせる。

 さらに注意深い大企業横暴の統治を行うなら、派遣や偽装請負その他の仮雇用の限度期間を政府が定めてしまうべき。そしてこの期間をこえて採用者か仮雇用者を正規雇用しないときには、退職金に代わる「解雇手当」をその仮雇用期間分以上の給与額で支払わせる。
かつ、これらの解雇手当制度は、累進化させると合理。要はあっぷあっぷで自転車操業している中小企業へは優遇し、やむをえない仮雇用者の解雇へは限度額を倒産しない一定額に留める様にしておく。
 これらを守らない大企業の経営陣へは通報や立ち入り検査で発覚され次第、高い罰金罪で処する。事実上、彼ら法人経営上のぬしが自ら富みつつ際限なく失業をふやす元凶なのである。

2010年10月18日

経済学

用語で、再分配は公共投資用、調整は救貧用に用いられると訳ある。この両用語はよく混同されている。

製品開発

扇風機の上側の網に、被いをかけておく。こうすれば冬場の収納に際しても殆ど埃の心配がない。

凱歌

大阪土民ども
わんさか騒いで
どういうこと
疲れる
だれもが
こいつらと縁を切りたがってる
所が極悪の品性下劣な東京土民だけが
金ほしさにそいつらに近寄る
僕は大阪で
どうでもいい道端の雑魚が
東京風のものに食いかかるのをみた
お前みたいな共食い雑魚はどうでもいいんだ
問題は
こいつらを食い物にしてる
あのテンノーケって奴ら
あいつがこいつらの親分なのだから

猥褻物の合法取引範囲

社会で暗にか明にか金銭取引されている猥褻物は、全て金銭取引についてはその拡大再生産の素なので否まれるべき。よって、猥褻物へは利潤追求の目的で金銭ずく頒布した者のみ罰され、それが寧ろ無料取引されている現状は拡大再生産を抑制するので無視されねばならない。

 同時に、これらの品物へ「窃盗の罪が成り立たない」のも明白。猥褻物を公然と陳列や利潤追求のため継続頒布している者へは、それらの品物が掠め取られるだけ損失が膨らむ分は、この行為こそが義賊的といわれる。一般的に検察や司法はこれらを私的利用の域にあるものとみなし、無視せねばならない。

2010年10月17日

地球生態学

各生態は、遺伝や獲得された習性ゆえ自らの形質に叶う適所へひきよせられ、また留まり易い。地球を仮閉鎖系とみたてれば、その中でもかつてこの適所充実化の法則が働いてきた。
 浮動を除く一定以上の定着さが、競争状態より多彩にみられる訳はこの適所充実化に叶う為。

学問の順序

世界文明の中で現存在が求める理由は、完全な普さを達する事はできない。それらのどれも知覚基盤とその上にたつ理性の偏り次第で、唯一絶対の精神とよべる計画主は全世界の外にしかありえない。
 どの宇宙文明学も神を実証する事はできまい。唯一の趣味が不可な如く、宇宙文明への適応はこの趣味観を適所に基づいて原因づける他の目当てがない。つまり自然学習でえられるどの認知も、知としては趣味観の素材の一つとなりその理性型生物の知覚の基盤となって活かされる丈。自然学習の体系が究極の理由や、我々の生存の目的を与え直せない事は旧約聖書が既に解説していた。その通りで、仮に形而上学が理性の強化とで得るどの認識も、自己の論証体系の中で社会適応の為の規則を自然体系と離れた系として再定義できる丈。乃ち信仰の学識は、或いは信の問いは自然知識から直にひきだせないのみならずその修繕にしか役立たない。
 宗教を科学より信じるに足りないものとみなす人々は、上述の信の問いがどの自然界にもないこと、いわば理性自体の論理でしか語りえないのをしらない。信仰自体はその適所で広がるかぎり、科学上の精確な認識への近さに関わらず合理さを伴う。原理主義哲学、或いは故事論は倫理研究へ有効。そして科学の全てはこの研究にとっては詳しい解明へのてだての一つでしかない。神学か神話論、聖書の研究がいかに当面の非科学命題にあふれていても、神の論証が信の領域への問いかけに返る限り必ず、人々は神学をその道徳目標の設定へは援用せざるをえない。
 適所や民族毎に偏りや変異を伴う道徳さは、その神らしさとされる性質がかなり違う事、その為に人間さが異なる精神度へ向けて目標づけられる事による。科学の中へ神学の認識を持ち込むのは賢明ではない。之は神がいないから、いるといいきれないからではなく、単に形而上学が形而下学や数理で定義される実証的な社会科学も含む自然科学の後駆しりがりだから。科学は道徳哲学や神学にとっては利用できるが、逆は偽。少なくとも自然の中の理性的存在、現存在が思索する立場を客観視すればこれは常識的である。斯くの仕組みはカントが分類を考えておいたとはいえ、向きを正確に定義したという点で新たな発見で、学問の順序と呼べる。そして今までの人類の学者達が混乱をきたしてきたのは、主にこの命題をしらなかったから。

2010年10月15日

自動車の音

言葉にならない悲しみが
あなたを襲う
この小さな青い星は
なぜそらをさすらうのか
それすらきづけない侭で
いまにもみなが終わりゆく
萩の花が風に吹かれてざわめく
かぞえきれない自動車の音

2010年10月13日

信仰歌

必死で女を守ったどっかのげす
笑える
女などこの島には腐るだけいるじゃないか
今更なにをもてたがってるカンサイ土人なんだ

倭奴など死ねば死ぬほどうつくしい
お前らはあいつら倭奴の禍々しさを見ないのか
そいつらには理性のリの字もない
金ほしさに何でもしてる現実を見ろ

もし倭奴を殺し尽くした英雄なら
どれだけ神の褒章に値するか
そいつら姦淫民族は聖書を捨てて、現に
あの姦淫物語を読みあさっているじゃないか

穢土

あんな暴力教師や
底抜けに馬鹿な先生とやらが
なんの因果で学校に巣くっていたのやら
潰れろ
大卒を誇る
お遊びほうけのチャラ江戸ちゃん
さっさと就職して
たんと餌をたべるんだよ
大きくそだったら
ねこそぎ税のもとにしてやるから
おとなしく学歴階段の
奴隷に納まってくれ
発狂したお仲間が
地獄への道でおいでおいでしてるぜ
ありえない国だ
足をひっぱりまくってくる老人ども
少しでも進歩しようとすると
必ず総出でうちのめし威張りまくる
こいつら気が違ってる
猥褻小説を平気で売りまくり
あちこちで姦淫映像を販売しまくる
こんな老人連中を尊敬できる訳がない
事実上殺せれば殺せるほど望ましい
ところが会社へ
はいりこんで居直るあの裏切り同期ども
学歴を楯に卑しい老人へ媚びを売り
かねを儲けておなじ醜態に染まってる
ならお前らに来世が待つとして
まちがいなく大穢土の底
そして南蛮虫に生まれ変わるのだ

2010年10月12日

にゃんこ

ねこにゃんこ ぽこ
ぽぽこぽこ ぽこぽん これ 
ね たぬきのタイコ ねこじゃないよ
ぽぽこぽこ うぽこ ねこにゃー
うねこ にゃーにゃーないて
あと いわきのゲキジョウで ね ねこないたよ
むかしのだけど
うん うん らしいよーらしーらし
でー
うぽこ ぽんぽこ ぽんぽこ
たぬきが ね うたってるってゆーかね 
ねてる ねてるタイコ うつ あまだれのおと
だよ
らしいよ よかったね
ねこにゃんこなんていないよ きらいだもん

勇気

地表から全ての藻屑となった
私達が消え果てても
誰ひとりとして困るまい
もしあのどう仕様もない
かつて我々の属していた
共同体が、同じあやまちを続け
矛盾したその心を
文明の上にばらまくとして
なぜ宇宙の広がりを知らない
どうしてここにいる
お前は小さな子供としてきづき
あの際のない空を眺めていた
もしそれが当然の道理なら
世界を変えて行くことだけが命題
すべきことをせよ
その通りにしたばかりに
大和魂の犠牲になった先祖の墓の前で
くだらない醜態をくりひろげる土民
もし来世がきたら
この現実はあらわにされるに相違ない
命より大事なものがある。
あの生き残り組の何人が
はたしてそれを悟っているか
汗水流して働いていようと
大義を果たした職分はこの手の中に
あると誇れる人間が
一体この狭い島国に何人おられよう
さあ今すぐに勇気を試すのだ

2010年10月10日

極東保安の策

極東警察隊を組織し、中国や朝鮮を含む暴徒がその東洋での自由主義原則を乱すふるまいに出たときには在日米軍の挙動を待たずとも、首相及びその直属の警視庁長官の自主的意志にもとづいて保安以内の警察活動を行える様な体制を早急に整えねばならない。

また、この組織はおよそ現状の自衛隊体制とは異なる警察庁の直轄で営まれる方がいい。理由は、自衛隊は9条や米軍との協働に縛られがちで僅少なこぜりあいの際に警察をこえた名分で出動すると必ず、中国と朝鮮によるいわれのない感情的非難を受けて迅速な行動に不利だから。

2010年10月9日

新卒待遇禁止法案

新卒一括採用の風習で「現失業組」へ永遠に就職可能性が絶たれるばかりではなく、学生の就職活動が延長されその滞留すら起こるので、現状の新卒待遇を全ての国内企業で禁止する法案を通すべき。

全て学歴差別による就業可能性がある層は恵まれた層でしかなく、政府が後押しする意味は皆無。格差をさらに広げたい長州人首相の判断には疑問がある。

 兎角これで企業は別の楽な人事差別方針をみつけだそうとするだろうが、全く理由なき非社会的差別を続けさせるよりは今現状より大多数の幸福へ益する。

倭の穢れ

倭人女は馬鹿すぎて
階段でスカートを押さえながら上がる
こいつら全員全力浣腸団の犠牲にされて
ひーほー言いながら山奥へ逃げ帰るがいい

倭人が大馬鹿な証拠に
高校生女の電車で吠える声キモーイキモイ
先ずお前らの猿加減を実証するべく
動物園の檻の中で叫んでもらうつもりだ

南蛮虫関西人が次々猥談を犯罪販売し
東京の極悪犯罪人種が山ほどそれを買い漁る
倭天皇がご満悦でかの様子を眺め
極悪関西人都知事が金を手にする腐敗の御構図なりき

お前ら終わってるヤマト極悪人種の
徹底した粛清を誓うよ
どこまでも薄汚い性質を広める
何もいいところのない穢れどものな

田舎日

世界内小生慄然
不可能故實
先帝髏合法
權化橋梁霑隴
全域洲整然
万物流転然
站然由季節周期
倉残存田舎町秋日
鴉鳴夕暮谺田園汢
無茫漠然涯湍超高層
烏郛游中風前墓相
若森羅万象僅瞬間
做顧例年従前麼什邇
泰空磐城後白云物語

2010年10月8日

平和主義の原則

間文明知識から戦争を防ぐに、地域間の富の極端な偏りがこの因果なので、事前に公平貿易の名でその為替率を常に偏りを緩和する側に傾けておくを得る。
 国連徴税やそれを暗に類した国際恐怖政治での強制的武力征服は、この公平貿易の原則が外交上で破られる時ごく生じがち故。但し実践的には計略内でしか用いられえない理論だが。

fifth calculator

i used to be old
& theyre too, be older than
because we re the
sculpture of world, here
i used to be bad
& therere too, worse than
that were the
loneliness remained at few minutes
lottery fifth calculator
does it for minute
our special engineering is
end. and youll be sad
some times
these all phenomenon ll
be vanish, plus
same metaphisical absents

間文明学

文明間経済はその場所柄な知覚基盤の適応した快さの文化素を生態間で交易すること。故、需給の規則も文明間で必ず異なって趣く。ある知覚をとぎすまし易い地帯で場所学誘因の為、特定の文化素が需要されると、その供給に最も適した土地からの輸入がありえる。
 もし文明性格に意味があるなら、主にこの偏りを適切な処置で交易へ結ぶ為。市場の偏りが極端なとき、それらの間に調整措置として征服での平衡化の要求が起こる。

空き地

もし大宇宙から
全ての魔法で
あなたの夢が消え
だれも真理をみなくなったら
夜遅く
星屑のふるわずかなまに
あの金木犀が
語る季節をおもいだせ
ゆずられた
小さな席に入り込む
冬の電車のすみ
きみは文庫本の上に
この小さな14行の綴りが
秋のおしまいになると知る
てつかずの
さりげない
校庭の一面に
雪がふったのだった
それでも
人口のすくない日々に
自分はこころから
おちつきをおぼえていた
市長というのがでてきたら
いつのまにか店ばかりふえて
次々つぶれながら
町はすぐにいれかわっていった
きづけば空き地もほとんどなく
僕は窒息しそうだ

2010年10月7日

とんぼ

ぴょんぴょんとぶばった
ばった ばった あと とんぼ
とんぼー!
くるくるぱ
くるくるぱ とんぼの ね めだま
くるくるぱー! てね とまるの
ぱっぱ っぱ はっぱ!
ねた
ぴょんぴょん とぶ とんぼと
ね ばったの めだま
ちくりんちくりん くるくるぱ
ねてるの
のはらの むこうに おちる ゆうひ

関西売文屋についての観察

ジュンク堂という新宿の本屋で
僕は一度だけ村上春樹みたいのを見た
そいつは洋書の日本コーナーからでてきた
大方奴自身の本の売れ行きでも見た帰りだろう
僕は勘が鋭い傾向があるので
あれが当人だとすぐわかった
それから、柄谷行人みたいのも
大体二度、その本屋で見た
柄谷行人はもそっとしてるから特徴的だ
村上春樹というのは、俗っぽい空気がしまくる
だから「やっぱりな」というのが一目で分かる
ああいうおじさんしか書かないだろう通俗小説を書く
追記。のちにこの人物は覚醒剤中毒になって、2ちゃんねるで散々嫉妬から僕へなりすまし犯罪をして死んだ。しかし僕はそうなった奴が想像できるし、何も疑問をいだかない。一目見たことのある者はみなそうだろう。雰囲気がきわめて低俗で、人ができていないのがすぐわかるのだ。

で、僕としては柄谷行人のが人間が上だと思った
柄谷行人はまるで子供みたいに背中を丸めて
同じ本屋で本を真剣に読んでたのを僕は通りすがり見た
僕はこういう馬鹿真面目な人間もいるのだと可笑しくなった
追記。柄谷行人は僕へ一方的につまらんと名誉毀損してきたので決して人格が出来ていたわけではなかった様だ。僕は彼から一銭ももらったことがないのに、平然としてさも買ったものかの様に侮辱するのはお門違いだ。ただ、あの風貌であの読み方からすれば、笑ってしまえるほどの勉強家だったのは確からしい。

朝がおちる

ジャン拳ラーメンぽん
ぺっぺらぺのうぺぺ
まるきり! まるきり
そして落ち葉はもやされた!
旅行く
からすの群れ
おそろしや
そして朝がおちる
たにしゅんのどうでもいい詩
壁面にかきつけられている
笑ってしまう
本気でうたってるんだから
よべば飛び出たラーメンマン!
およよの嘘っぱち野郎
まじでなくなった遊び場
あとにはトヨタお世継ぎ自動車の一人勝ちか?

スパゲッティ

あの大都会の夜景
そこで住まう多くの人ら
六本木とか品川とか晴海とか御殿場
そこにゃ理想郷があるっぽく見える
所が
僕はみてしまった!
そこにすんでるのは
京都あたりからこっちきた
品性下劣さなら比類ない猿
そこでなにをするかとおもいきや
またもやみにくい浮世の宴
野蛮さならその下ない倭人ども
あの夜景となって燃え上がる
なんていう下らなさ
なにを勘違いしたか大都会のまねっこ
遠くからみてるだけじゃ分からない
あの石詰め都市の現物を見たら
君らがまねてるのが
どんな堕落か悟れる
僕はある時神戸辺で五右衛門だかに入って
一人でスパゲッティくったことある
あの時となりにいたつがいが
いかに関西風だったかも
君らはしらない
それは君らにはしれないのだ
意味不明なぐにゃい建物で
僕はそいつらの平和ぶりにうんざりだ

聖歌

エドの俗物を次々薙ぎ殺す
そいつらは発情しかできないのだし、
実際、村春でも読んでチャラってやがる
エドの首が撥ねてどぶに落ちまくる

アッハッハ! あれだけ注意したのに
まだ分からなかったの? 都知事ちゃん
世界中に頽廃をまきちらす極悪穢奴ども
神の部隊が遣ってきたのだ

エドの死体は積み重ねられる
そいつらの雑魚っぷりと
奴らのくりかえし増産した姦淫穢多どもが
同じくこの地表の断りに滅ぼされた

いい眺めだ! コイツら
糞以下の生命体に火を燈せ!
そして地表の数ある善なる聖軍の為
勝利の狼煙を上げるのだ

2010年10月6日

旅ゆくの身

飛び交う燕の嘆き
そらに舞う宇宙の法則
もしなくなるなら
旅ゆくの身
へんてこ仮面のゲイノウ人
笑っちゃう
そいつらいっつもうるさいばっかで
少しも勉強しないから

それだけの日本

おちゃっぴい
というかおクゲちゃん
京大ちかくの三流芸大で
漫画よみつつえばってる

またか
極悪東京野郎といえばこれ
どこでも品性下劣な発情町人模様をくりひろげる
二度と見ないよぜんまい侍なぞ

またヤマトか
こいつまじで
底抜けに阿呆だな
あちらこちらで愛想ふりまく極悪偽善一族

エミシを攘って
ハヤトを微塵にした
それから先は
え極悪侵略日本ってそれだけだった

無慈悲のうえに

その丘のうえからは
いくつもの家並みが見える
似た屋根をして
互いにひしめき合うこの世
もし人っていきものが
こういうおしこめられ方に向いてて
どこへ逃げようとやっぱり
この眺めをつくるとしたら
ジャスコのかわりにできた地方スーパー
その屋上でもやっぱり似た現代が見える
昔はこうじゃなかった
いつのまにか人は似すぎてしまった
こいつらを洗脳した
テレビ画面の奴らのせいで
古ぼけた老人を後ろから斬った首相
孝行なんかしったこっちゃない
勝てば官軍の卑しい伝統をひきつれて
連日連夜浮世の行進
僕とかどうでもいいと思ってる
もし全てが変わるなら
この世襲独裁者の国が潰れてから
それまでは
無慈悲のうえに花咲く経済
家無しを横目にユニクロで荒稼ぎ
中国産がそんなに尊いもんなら
一生安物でも食ってろ
このまがまがしい現世に咲いた
つかの間のあだ花にとまる蝶よ

2010年10月5日

死刑不正論

死刑が残酷さの故に、非人間性の故に赦される可でないのは、それが改悛と悔悟の機会を永遠に奪うから以上に、人間性を悪意として扱おうとする非キリスト的思想の為。もし彼らが迷惑になる犯罪に手を出すとしても習慣やそれに伴う無知の所為であり、正しい導きさえ与えなおされればその更正が図れる、と考える者は彼らの反省と懺悔の念にも関わらずこの世から償いの道を閉ざす点で、死刑正当化論者らの実質的な自殺教唆そのものを野蛮と無慈悲の悪習とみなす。

死刑執行の権利を正当化している者は、量刑扱いした命を現世で勘定にかけるばかりか、目には目をのハムラビ法典式古代の裁決規範へたちかえる中で、文明化の程にも関わらず彼等が人格主義から何もまなばなかった様、乃ち共同体の秩序を非現世的領域へさえひきのばす暴威の面で業を悪意の連鎖へとひきさげる面持ちにある。
 我々が倫理規範を人格主義の段階へさえ立ち至る覚悟があれば、悪人がその改められた自発的意思の為に償いを続けることこそ、文化と社会風紀の両面にとって望ましい解決策だときづく。
自殺含む殺害を認める宗教がこれらのキリスト教的人格へいかに対していても、共同体が償いの習性に伴う赦しを以て客観した第三者への最大の畏敬に値するなら、その社会では暴力に訴えることでではなく、理性へ訴える風習の為に多くの日常行状の改善がみられるだろう。
そして話し合いを通して利害関係を解消する習性の生き残り率の高められ方に応じ、いざこざが戦争へ発露されるのではなく、議論という公正にして哲学的な領域へと還元されゆく世になるだろう。

2010年10月4日

風営禁止法案

風営禁止法をつくり、全てのこの種の客への接待費を稼ぎとする店舗を民族の商習慣及び商風紀を乱すものとして潰滅させる必要がある。これらの蔓延、それどころか存在すらに何一つすぐれた理由はない。

これらの店舗を経営した人物は全て懲役刑以上で社会奉仕させ、前科があれば終身刑に処するべき。又従業員へは懲役か罰金刑で身代を奪いきるべき。

枝野さん

枝野さん、どうしたんだろう? 南京忘れたのかな、中国人をあしき隣人だなんて。

2010年10月3日

月あかりの夜に

梢が揺れ動く鳥鳥鳥の鳴き声
いつかの調べだったかそれは
遠くこだまして
ポッケに入り込んだ
雨足は強まり夜を越えるだろう
そらなかで走っている風風風のうた
いつのまにか落ちてしまった紅い葉が
アスファルトをくれないに染め上げたあとで
走り去っていくこの自転車は
空気を吸い込んでまた吐き出す
そらの中で
まもなく雨はやみ
宇宙からふりそそぐ光の粒がみえるはず
だれもにのべられていた
見えるはずのない幾つもの瞬き
私達をみおろした星屑の踊り
自分さえなくなる月あかりの夜に

生物学

つがいで動く動物は内的増加率の高い傾向にある。この組みの一方をとりのぞくと、かなり早く新しいつがいになる。ヒトにあっても同じ。
 その大きな原因は、遺伝傾向が過去にあって不安定な場所で適応していたことがある筈。こういう居場所でえり好みの効果より乱婚的量産(ヒトにあっては離婚率の高さ)の方が総じて生き残りに長けたのだろう。よって、このつがい型の行動傾向は、同時に子孫への生後の世話の打ち捨てと比例している筈。生態環境の安定及び教育の必要がつがい型の行動を抑えさせる。
 つがい型の動物は、よくつがい相手を監視する。この為に費やされる労力は彼らの理由に入っている。同じ仕事量がもし教育投資へ使われれば、或いは単独行動でより有利な獲得物へ用いられれば、世代間淘汰や分業の故に前より安定した生態に入れるとしてもそう。
 いわゆる身体の美醜を気にするのは、番い型の行動生態では著しい。地域別にかなりこの偏り(身体意識の程の明らかさ)がみられる時、必ず場所の不安定化要因との比例がある。もし性選択内でこの傾向が強まるなら、明らかに早熟の効果が適応的故。様々な誇示やそれに伴う競争の為に、体の美化へじかに投資される栄養は省かれる傾向が強い程その場でみられる早熟への期待は弱まる。しかし高い誇示の能力は、逆説的だが不安定な適所で性別間の能力差により少数の雄性形質を定常にえり抜く為の慣習なのだから、実際には身体能力への誇示誘因にしか番い型の行動傾向がもつ本来の適応はない筈。雄間争いが決闘や肉体への傷つけ合いによる頑丈さの成長過程での因果に限られる様な場合、性選択での早熟への期待値は最大化するらしい。
 究極で、なぜ番いをこの舞台が好むかいえば、何らかの工夫とか場所での文化慣習の為にじかな身体の摩耗がとりのぞかれていない段階とか変異の際に、専ら番いを組み、その早熟な繁殖量を確保するのが自滅を防ぐ唯一の方式だから。

おかしなこと

もしあなたが十分に
昔のことを思い出せるなら
その日にあった多くのことの内
最もおかしなことを取り上げてご覧
そこにはいくつもの
数えきれない歯車がありどれも
これもきっちりはまりこんで動かせない
そういう風に今はできている
哲学者のかんがえた
有名な文句であっても
それはこのおかしなことの一つ
もしあなたが真夜中に思い出してみれば

2010年10月1日

俳句

海風のはてに佇む烏の子

車なき朝がいとおし現し代

日のくれて又のぼる暁の涼しさ

老人の起き出す朝はうざうざし

曇り空めぐまれる日は空かなし

漁船の煙りたちのぼり消える波と雲

人嫌いなべてこのよのおおけなし

人類がいなくなればいいと願う世の中

都市にたかる者ども皆なぎ殺す地響き

まなびやへ通う子供の暗さあり

姦淫一族の取り締まり

姦淫サブカルチャーの税収で卑しい息子をやしなう石原慎太郎へ厳罰を与えるべき。

又これに伴って、警察庁の長官とその組織を新首長が刷新させないかぎり同じ醜態をひがし京都のあしき天皇家族はくりかえすことが誤りないので、「地方警察連盟」による法的実力行使で星中へ(児童ポルノ、漫画アニメゲーム、源氏物語他)姦淫風習をまきちらす中枢である皇居を制圧しその関西やくざの手下である警察庁の成員を順次、刑法違反教唆の罪で逮捕すべき。
 この裁判へは地方裁判所を中心とし、最終上告で無罪判決を不当に最高裁から下されても、地方警察による永続告発で実質上その罪を償わせる。

勿論、これらの姦淫副文化で身代を稼いでいる全ての倭奴は監獄へ入れ更正させ又は可能な全財産を没収し、公益へ役立てるさせるべき。穢多級の犯罪経済(つまり退廃した法規範逸脱での不正取引)など何一つ人類の尊厳に値せず、現在及び将来、害毒の積み重ねしかなにもない。

2010年9月30日

ネットワーク接続窃盗罪の解釈

公衆無線LAN以外の無線LANへアクセスして「ただのり」する者を裁くに、ネットワーク接続の契約が私有物であるという解釈を既存の民法へ導入すべき。こう考えておけば、いわゆる窃盗罪でこのただのりを裁くことができる。
 又親告罪としての性質とは別に、ネットワーク接続窃盗(いわばアクセス盗み)を常態としている犯罪者への個別の取り締まりを強化する必要があり、この為の警察組織は通報によりネットワーク接続のプロバイダ履歴を参照できる様にしておく理由がある。

第三者のネットワーク接続が確認できれば、もしそれが未成年によるものでも窃盗罪と同格で扱うべき。特に情報漏洩の被害を未然にふせぐに、ゲーム機で安易な他人のLANスポットへアクセスしている青少年へ注意深くなるをえる。

虫の声

ぽっかりと浮かんだお月様
やがてはおちてくるのかしら
もしこの世からきえていく
すべてのこまやかな命が
こめられた小さな
星のめぐりゆきですら
ただいたずらにきえゆくもの
だからしずかに耳をすませるといい
うそつきの王様にたかる
かぞえきれない虫の波打つおと
どうせすべてがきえさったら
その城にはあとかたもない
あのお月様の声に耳を傾けてみなさい
夜ふかくに
自動車を停めている空き地
昔そこには薄の原っぱがあった
多くの命をはぐくむ小さなすきま
秋雨はやさしくおおつちを打つ
政治屋がでてきた
そいつらはよりあつまりわるさをたくらむ
金をかきあつめて自動車にかえた
排気ガスの道路を満足気に眺める独裁者
その空き地はいまではアスファルトで固められ
コンクリートの重たい車輪留めしかない
きえてしまった殿様ばったは何を見る
くだらない倭人のすみかだ
もし天罰がくだるなら
こいつらの他にいない
すべてを金にかえて
世界中で漫画をよみあさるこがね虫
おっかしい
なんでこんなへんちくりんなの
背のちぢんだかねあさり虫
どこへいっても発情ばっかりしてる
みにくい姿をかくす場所もなく
その石づめの巣にすまってる
人差し指でぴんしてご覧
こいつらみじめな倭人がふきとぶよ
どこからあつまってきたんだろ
あつまるほどきたないふえちゃう虫
そいつらはテレビでなにを言ってる
どうせ虫の声なんだ

宇宙物理学

超光速度界は宇宙系間に普通。そこでの現象も、引力の影響の極小さの為に他のどの宇宙系にあってのものとは違っている。
 この超光速度界の基礎物質を、物理学史の援用でエーテルとよぶ。エーテルは光以上の速さで運動できる、と定義する。このエーテルには流れがある。各宇宙系は停止体ではなく、運動体、少なくとも相対運動の関係に置けるから。宇宙系の間に働くエーテル引力を想定できる。エーテル引力の力は、一般の宇宙の間の引力に比べれば遥かに小さく、逆二乗則をわずかに満たす。
f: エーテル引力
m: 宇宙系の物質量1
M: 宇宙系の物質量2
r: 隔たり
<<: 極小、遥かに小さい
F: 万有引力
f=mM/r2<<F

この力は宇宙系の最周縁部では宇宙系の解放運動のために削り取りの力へ変換される。エーテル遠心力はこうして定義でき、単なるエントロピー(混沌度)としての宇宙は拡がりをみせる。
 遠心力は引力の部分なので、常にそれをこえない。
エーテル引力>エーテル遠心力
この為に、宇宙系間の中心部分へはエーテル引力の中枢が起こる。そして大部分の、例外を無視しておおきく視た宇宙系はこの中心部分での宇宙系の融解と、同時に拡散された軽い宇宙系の速度のはやい回転のために周縁部を掘削する運動に分けられる。

趣味と達辞学

人がその生態基盤を類人猿に負えば彼らが本能からくる悪徳を完全に失わせるのは難しい。大脳の造りが既に、社会的理知が後発の身体組織な事を示している。理知化には時代に応じた程度の向上がみられる已だろう。
 人が本能の美化として感情の能力をみいだした時から、感情のゆたかさにしか生物としての基礎を還元しなくなった。この習性は文明を用いた。法治的合理化に叶う感情だけが社会で摂取され消化されていく。これがなぜ退行的情緒が社会で非難を受けるべきかの訳。かつてそれらの感情気質が与えた社会環境は暮らし心地のよいものでは少しもなかった。道徳的感情へ一致した直観だけが正当化できる。人が理知を発達させる事で社会環境を独自の、しかも秩序立って理解できるものへ導いてきた以上、カントの洞察が趣味観の基礎を与えたのは道理に適っていた。この種の趣味を除けば人はその感情の飽和に少しも安住できない。もし彼らが類人猿への退化を望まなければ完全に。実際、人類とよべるだろう生態のどの側面をきりだしても理知との対比でしかその感情的表象は観察された試しがない。
 為、優れた感情は常に趣味の域にある。この趣味の良さは全て芸術的表象を伴う世界を自らの能う道徳的見識と一致させようとする消費生態へ付随する。人生の究極目的を現実態の程にみれば、客は必ず趣味へこれを兼ねる。理性の完成は各生産者らとその可能態の配置を最大の調和を計る地点へ導く能力、つまり我々が神格へみいだしてきた森羅万象の洞察と創造への理解度についての学習による。自然科学は神学の分野。そして神学とよばれるものは、もしそれが古典的なら宗教解釈学であり現代的なら哲学だろう。一般に原理主義神学はこの宗教解釈学の内、文章研究の名義と捉えられる。これらと信仰の関係は、単に神話かつその程度として語られた学識の解釈のよさ、乃ち考えの的確に当たる。この的確さは実質は伝達の問い達辞論哲学または達辞学であり、いわゆる間柄に於ける中庸を望む。異なる言葉や語彙の間にあって最もふさわしい言辞は、必ずみつけだせる上にそれは結局、相手の文化史学や地政背景の理解によっている。

2010年9月29日

燕の姿

宙返りわが前をはしりさる燕の姿みずいろの空
砂浜をただ歩きゆく人の足跡をけす波の静けさ
真夜中に降りしきる雨秋の足音

清潔

全て悪魔らを処分しきれれば
この星がどれほど清潔になることか
悪人がかき集めた汚い同類と
スイッチ一つで記憶から消せれば
ダイナマイトが破裂する
よどんだ空気を分けて
ノーベルの遺産ごと挑んだ
丸で自明だった
誰も孤独な旅路の途中で
静かなひと時を何とも思わない
それはすぐ大嵐にのみこまれ
誰も何とも思わない
だれも自らをこえて星を見ない
空が教えてくる通りだった

東京物語

「キモイキモイ」と倭奴が言う
高校生女その年齢でその知能
すでにヒトですらないこいつらは

どれほど淘汰されても何一つ同情できない
倭奴は猿以外のなんでもないのだそれらの
醜い魂はあっという間に繁殖するゴミ

南蛮虫を連れて
半朝鮮人でしかない倭人王の血族は
よってたかって汚穢関西の禍々しい風習を敷いた

住み心地が悪くなったどころではない
ここには猿しかいなくなった
退廃京都銭儲け極悪舞妓を連れてきた奴らの所為で

2010年9月28日

形而上学命題と論理学の差

ウィトゲンシュタインが哲学の仕事は思考の明晰化というとき、この思考が論理命題の推敲でしかないこと、つまり能う限り命題の冗長度を高めることへ行き着く。著作が体系化できる時その情報量は特定命題へ費やした冗長度に比例する。
 形而上学命題、乃ちべきの問いは、社会学的既存知識や数学的論理法則の定義から直に導けない。

2010年9月27日

科学の道具さ

現代が科学か知識の時代だった事は疑いなく、特にこの知る事が信じられる程は先進国を自称する地政で甚だしい。ドーキンス氏やホーキング氏がこの先鋒なのも、ウィトゲンシュタインを受け身で消化したなら当然らしい。
 そこで宗教権を否んだ者は、道徳が実証さの発見以後も依然として社会の命題なことを見逃してきた。社会学の諸知識でも、現状をこえた洞察や提案は必ず形而上認識の援用ではかるしかない。科学的真実は論争の的を完全に失わなくとも、信念としての採用と違う領域におちつく。これは同じ技術をどう用いるかに趣味が関わる如く、知識という道具の応用には主体となる哲学がいるから。究極でいうと知識は特定のわざを実現させる為の道具。この道具さを、目的とすりちがえる論旨は滅ぶか、最低でも他に利用される。道具の重要さは誤りないとして、論証界での考えが全く無用になる社会はないだろう。法規範そのものが何らかの道徳論拠なしには立てえないことを思えば、哲学とよばれる領域の議論が地域の趣味、要は風趣を洗い道具の扱いをたくみにするのは誤りないといえるだろう。
 無秩序や混沌から程とおい社会があれば、そこでは哲学的理想がみつけられる。

真理

俗物の物哀しさ
かれが卑俗さをさとる日はこない
趣味ほど教えがたいものはない
因果応報が巡るなら
ただ物見高い人だけが真理を眺める
教えてやることはない
かれらが暮らしたい侭にしておけ
どれほど賎しい生き物も
その賎しさに応じた居場所に納まる
自然の摂理は適材を適所に導く

2010年9月26日

慨嘆

関西は終ってる
僕はその邪悪を見て
心の底から憤る
僕の手で粛清し尽せれば

2010年9月24日

無線LAN普及に伴う法改正

公衆無線LAN以外の、私人、企業や政府が用いる無線電波を不正に傍受か利用した場合、告発で懲役と罰金をあたえる法が必要で、その優先度はごく高い。これらの通信傍受は悪意ある人間ならたやすくなしえる状態があるので。

考えと場所

場所倫理はそれらの偏りを避けさせる。もし偏りがあるなら、場所倫理化の速度変異の為。乃ち考えの速さが場所倫理差の訳。
 経済活動それは資材のはこびゆきでこの差をまぜこむ。実質は経済量はこの交易量。故経済活動が行われる地域では、場所倫理の偏りは平らにされていく。場所が違う事へは交易量の偏りを正す意図が、その文化変異の理となる。もし合交易さにかなわない適所かすきまがあれば、必ずその場の倫理は保存的かさらに特殊化する。つまり倫理の普さをとえば、人は文明の中央での平均を求める他ない。だからヘーゲルでの普遍理性論は、実は普遍文明主義でしかない。それは倫理の平均化で、最善の倫理への道とはいえない。完全な場所倫理は、普遍文明を除けば地域偏差でしかとえない。偏差趣味の悪意、恣意による偏った地域差別。或いは部落趣味も、また普遍文明主義の片面なのだ。これらをといなおせば、主観の世界精神化への参加意志としての国粋主義の風も、実際には地域の場所論の一類だった。普遍文明主義そのものは場所の方法論でしかないし、実際には趣味の一種。
 もし考えの速さをおもえば、個別文明やそれをとりなす地域文化も場所倫理の重要な先鋒でありえる。実際の特殊化した倫理は、これらの個別文明にとっては摂取すべき希少な資源だろうし、それらの集め方によっては普遍文明主義ではない何らかの特別な地柄をうみだす事がある筈。

2010年9月23日

京土人殺処分法案

京阪神及び東京都の人種に於いて想定できる法規範以下の行いを日常化している人種(これを「京土人」と定義する)を粛清する手法はどれだけ恒常化されても足りない。これらの生態は悪のきわみな上、国中の資財を犯罪行為のためにくいつくす乞食なのだから。

たとえば綿矢りさや石原慎太郎はこの京土人の代表(猥褻物頒布罪人)。これらの京阪神と東京都の文化素をみにつけた品種は犯罪行為を敷衍する以外の能力や習性がなく、どのクニへとんでも必ず悪徳をふりまき金をむさぼる。よってこれらの生態を親子含め一切、警察組織直属の新選隊とその部下により見つけ次第殺処分するのは合理。さもなくばすべての国土は奴らのあしき歪んだ生態の余波で侵され、地方のまっとうな人間やその子孫が文化ごとけがされるだけで何一つ良い影響を受けない。

 この法改正へは早急を要する。地方の財源が最も先に逼迫する必然さがある以上、中央政府内での犯罪推進要因が京阪神およびそれに類した人物、又はこの公家と裏で手を組む鹿児島・山口・高知出身者だった場合は家族もろとも焼き払うべきである(即ち施行規則でこの出身者によるいわゆる公家癒着が見つかり次第、党員登録抹消か早急な公的刑罰を要する旨を付さねばならない)。奴らは以前と同じく国家を寡占するだけで何も民主的成果をもたらさないばかりか、太平洋戦およびアジア侵略のごとき低能戦略で地球を汚すばかりだ。

理性からみればこれらはどれも合理的であることが誰もに理解できよう。京土人とその手下は今こうしている間も姦淫風俗の営業で地方の善良な民から金をむさぼり繁殖する。風紀粛正に一刻の猶予もない。

2010年9月22日

稲田

もし全てが崩れ去り
この世に町しかなくなり
その荒れた野原に
ただはてしない稲穂がみのり
私しかいきのこった者はおらず
降りしきる星の中
夜空に輝く月を見る頃
この世でいつでもたわけていた
人という醜い生き物は
あとかたもなく土に還り
私はそこから生える木々を触り
森をとりしきる多くの生き物の声を聴く
人はつまらない落ちぶれ方をした
どこでも人のことしか考えない程に
屋根から雪がおちる
つらゝは大きくなり
雨垂れをあつめ
なにもかも透きとおらせる
海風のなぐ隙間
おゝつちはゆれうごき
かゝれたわずかな落書きを
波のおどりと掻き消した
はてしないそらの果てで
まちつゞけるねこじゃらし
稲田は赤とんぼをまわせ
全てをあかつきに染めてしまう
なにもかもきえゆく中で
ぽつんとのこった星のはなし
あのビルのうえで
なにが起こってるかみてみなよ
それらの小さな出来事は
虫の行いほどなんでもない
人というその虫は
野原にあつまった踊り虫
ビルのてっぺんで踊り狂う
なにをしてるんだろ
虫のなかには王様がいる
その虫はみつがれた物をつかい
なにもしない
虫にもずる虫がいるんだね
ちいさな島のちいさな虫の巣
虫めがねでのぞいてご覧

東京模様

馬鹿女ほど救いがたいものはない
それらの生命体は存在だけで悪
倭人は理性がないので
発情と発狂が習性
まさに極東の奇形
醜い姦淫の業をくりかえし
了いには戦場で使い捨てられる
ボウフラの様な倭奴の山
理性がない生物をヒトとして
認めることはできなかった
山ほど穢れ模様を描いた発情発狂漫画
それを幼児からよみあさる非人類
きみはこいつらがなにもわからず
腐るほど繁殖するのをみせられてきた
いまだに倭奴はなにもかわらない
ほらまた偶像ごっこでサイン会
そこで売り捌くのは姦淫小話
ゲイシャの血はゲイシャ
エドで覇権をとるために
山ほどよびよせた汚れ人足
そいつらは石詰め都市に土着し
あらゆるきたなさを発狂しつづける
その映像を撮り
あしき天皇に貢ぐことで評判かせぎ
国中へ姦淫をひろめさせるなら
あしき天皇一族より適任はいないのだから
きみはこの世の終ってるしくみを知り
誰ひとり信用しなくなった
唯一のねがいは絶滅の時
あれだけ悪さをばらまきつづけた
関西同類の穢土をみるにつけ
薩長土肥京芸のテロリズムにかしづいた
奴らの末路がしれようというもの
朝鮮人をわけもなく強姦し
中国人をわけもなく生き埋めにした
京都人の血統はいまだこの世にある
正義の歯車が
なにひとつ狂いなく
因果の律動を刻む
神なき倭奴の悪徳が
いまこうして慘劇となって示される
やつらは世の理に復讐されたのだ

虚栄

極悪山口出身首相
政商とくんでまたまたかねもうけのはなしか
下劣政治屋が
税金払ってる俺らを見下しみくだし舞妓芸妓外道行為
山ほど猥褻漫画を売り買う極悪東京の犯罪衆愚
あちこちで下衆女を軟派する南蛮倭人罪人
HIVをばら撒きながら極悪東京天皇一族が豪遊しまくる
いつものこと
なにが豪遊かすら分からない極悪関西人の驕り
20代派遣労働者群の目の前でフカヒレ大学
虚栄の学歴でけむにまき汚い極悪淫蕩猥褻文
大量に販売しまくる猥褻小説頒布の犯罪
大昔からそうして暮らしてきた極悪京都の劣悪不潔文化

被雇用者への課税案

『正社員課税』を設け、企業法人が派遣労働者や偽装請け負いで事実上の派遣社員待遇(社保なしの期間契約)を行うほど損失が膨らむしくみを、少なくとも国内に限っては樹立する必然さがある。これは階級の再生産をつづけようとする学歴差別の悪意が、特に大企業の人事ほど根深いからだ。
つまり正社員として雇用されれば(当然現時点でその立場にある者を含む。また年功序列は無視し全員に所得順で累進的に負担させる)その人物は、課税のために事実上は派遣労働者と同一かそれ以下の手取り給与になる経済状態を実現せねばならない。

 これが実現されれば学歴差別そのものが撤廃か又は自然消滅し、大多数の国民はより寛容なたちばに置かれ、大量に存在する若年無業者への老廃した非消費生態者どもからの日陰扱いもやむであろう。彼らには将来があるが、老廃人には未来がない。どちらを優先すべきかは明らか。

エド殺処分法案

『エド殺処分法』をつくり、倭人のうち大量にいる姦淫を生業とするもの(小説家も含む)を見つけ次第、民間人にも惨殺できる体制をととのえねばならない。これらの野蛮種は社会に本来流通する財産をみずからの不埒できがくるった生態へとひきこみ、社会を退廃させるだけで何一つとして我々に貢献しないからだ。

これらのエド、つまり倭風俗産業従事者らは理性が人類水準に達していないことは各国が非難してきたとおり。奴らエドは各国の領海を荒らして鯨を殺しながら安売りし、或いは児童ポルノを都知事や天皇と連携しながら売りさばきまくる。しかもあらゆる場所で婦女子を姦淫へと誘いながらその映像画像を撮り全世界で売りまくるだけが生きがい。これらのエタは人権で擁護されるに値しない一種の奇形であって、どの宗教者にも共通してその見解は認められるであろう。

紛い物

D級タレントみたいな阪民が石づめにした都市
息をつく間もない熱帯夜
南蛮虫地獄
それでも奴らは「あづまくだり」とほざき
僕らの遊んでいた川岸をみんな石埋めにした
なにしにきた
お前らがきたらこうなった
あの江戸の人間をみろよ
お前らにそっくりだ
お笑いほか商い
分かった他には
きたないものを運び込んでくる
関西からきた
まがい物のお前は

公共建築方針の再修正

木造建築の推進は、全国一律での強制は望ましくない。

たとえば造船できるほど工業化された地域では、輸送費用やそこで排出される二酸化炭素や混沌度にくらべ、すぐみぢかに溢れかえっている鋼材を用いる方が自然だし結局は文化景観上も正しい。又、高気密でなくば殆どたちゆかない都心部にたつ小規模公共施設でも、むしろ屋上緑化をほどこした、軽量コンクリート製品での迅速なたてかえの方が合理で環境負荷も少ないかもしれない。

 結局、この木材消費への促しは「木造奨励金」として助成のかたちで広められた方が合理的と思える。これなら敢えて不利な条件で無理に木造へたてる費用は省かれ、しかも大部分の都市化されきっていない地方自治体ではたしかに木造を信用していく。

自動車産業の空洞化対策案

排気ガスでの空気汚染と、自動車産業の安定した国内需要促しへの対策として、「ガソリン自動車税」をかけて日本から率先して電気自動車への早期買い替えをはかる。
石油消費が減るという観点へは、電気需要そのものがあれば当然は絶滅しえないとこたえられる。

2010年9月21日

場所倫理観

場所倫理は成功とされる行いがその文化史的に、或いは地政の詩的に異なる故生じている。それらの偏りは著し過ぎるので他の地域での法律は、ほぼ必ず違う解釈の元で営まれがちな傾向すら。もし場所倫理を否もうと、凡そ地域偏差の諸条件に違いが現れない限りこの違和は民俗上で広がりゆく。単に現代人の労働層が気にする各種経済指標は一端を担う丈だがこれへの感度でも甚大。つまり生態変異はヒトへも場所倫理を映す鏡で、特に道徳の質的差でこの事情は全く違っていく。
 場所倫理を解らない侭どの地域適応をはたそうと限界がある筈。これらの違いは文化が担う命題差で、人類の集まりへ関わる間は否みきれない。

伝統

「金がほしい金がほしい」と山口出の首相が言う
ところがお隣りでは衣服売店の大社長がでんぐり
あ中国人をこきつかって国民へ安物まいた搾取費ですね
会津藩の義士を一方的に虐げ殺しまくって百年経ったか
今だにそれなんですね見た見た
山ほど都心をうろつく浮浪者群
その目の前をとおりすがる大威張り関西人首長
今日もおうちで猥褻小説の御鑑賞でございますか
はてさて何百億見栄ってポシャったんでしたっけ
餓死しそうに公園から貴様を見上げる聖者の列だ
よぼよぼ老人が汚い極悪東京人身売買店で何百万の祝杯
それにひっつくきたない女が疫病を国中に広めたがる
なんのための首都な訳天皇が乱したモラルなのに
何にもできないのに金ぴか宮殿に棲む俗物の城下街
いくら借金してるか分かってる
私が同じ額借金したらあなたらは堂々と監獄へ入れる
いくら借金して僕らの払っためし食ってるか分かってる
ほらお公家ちゃん極悪不潔悪徳京都へ帰る道はあそこだ
あれ又極悪淫蕩猥褻物頒布罪で汚い芥川賞もらったの
子供に猥褻漫画をよませまくる気狂い極悪自称首都の親
卑しい風俗をそだてるのは大得意俗悪天皇の都最大の伝統

都知事

都知事が言う。
「わしは特別だ! 猥褻小説を売り捌いても逮捕されない!」

2010年9月20日

天声人語

「エドをどれだけ斬り捨てても何一つわるいと思えない。それらの生き物は人前で猿以下の行いに耽っていた非人種。誰がお前らの同情者なんだ? 万一同情者なら同情者なほど悪い。にしキョート? 話にならん屑の意見など何になろう? 源氏物語やってろ、永久クゲ野郎が。」

「エド警察は頭が狂っているのか? 天皇に傅かれ、手先と成り下がったチンチラ虫ども、ほら都庁前で公然猥褻してる! どうしたエド。いつものチャラ淫蕩ごっこ? 漫画おおもうけ? なぜお前らがテレビで体面飾るか分かるよ。現実は汚なすぎてそうするしか印象操作の方法もないもんねえ! 殺されれば殺されるほど平和になる国中へ頽廃をまきちらすマスゴミ亜種ども!」

「あの幕がくだる頃、神戸土民と組んだ非人チャラエドにはただならぬ天誅が目に見える様になろう! それは偶像崇拝の末路、もしお前らが因果応報のすえ粛清されねば一体誰がされるのだ。聖なる戦士がお前らを殺戮し尽くす。ようやく破滅が来たのだ!」

世界宗教党の立案

世界宗教党をつくり、この国会での権威によって倭奴の跋扈と法規範の落ち込ませを粛清すべき。

もし現状の侭、西日本と東西京都出身の道徳的に退廃した政治屋(天皇とその傍系末孫は当然含む)に指揮させておけば永久に倭人は風俗壊乱の責任を取らない。単純にいえば倭奴は理性がない。淫蕩小説屋を首長に仕立てている首都の民族性をかんがみよ。

倭人お得意のゲイシャ稼業含む各種の風俗営業を先ず法規範以上にひきあげる為に、特別の警察隊として直属の「風紀粛清警察予備隊」(或いは史上の経緯にならって「新撰隊」)をつくりあげ、彼らの急襲によって反抗者を含めて現行犯逮捕及び軟禁を行い、又想像できる最大の罰を与えるべきは誤りない。彼らは警察予備の身上の為、反乱者を抑止で鎮め、暴力へ抗う特別な銃の所持は認められるべき。
 当然、各種の姦淫映像を撮るインディーズとよばれる個人へのあまねき逮捕状の迅速な請求、会社組織の末端まで厳格に裁判で処分し、これらの淫蕩をなりわいとした倭奴をすべて国民の公益の為の最高終身刑での奉仕へ従事させるべき。
この種の猥褻小説販売で浮名を貪ってきた東京都知事も当然逮捕し、征伐し、裁判の場で首都の代表としての反省の弁をさせねばならない。又小説、マンガ、アニメ、ゲーム、テレビ、ラジオへとこの風俗壊乱罪の対象を広め、最終的にはインターネット上のすべての情報をも法規範に合致させる地点以上にひきあげるのが自然。

政治学

アリストテレスの政治学での政治形態への分類、多数者支配では民主政と衆愚政、少数者支配では貴族政と寡頭政、単独支配では王政と僭主政のわけかたは完全でない。
 私の見方では、どの型の政治も実は、統治状態の健全さに於いてこの両極端のどちらにも属さない。つまりすべての多数者支配は民主政でも衆愚政でもなく、そのどちらの要素も伴うし、他の支配形態でも同じ。だから何らかの歴史的敗北を伴った支配域が、それを包含とか征服した側の謗りの為に堕落していたとされるのであって、常にどちらかの政治形態が完全な健全と堕落を示す訳でない。
 この為、分類の基本要素として次の三つで十分。乃ち民主政、貴族政、王政。これらが現に失敗していたにせよこの形態への呼び方が政権人数のほどを示す点で都合がいい。また訳語の問題で民主政を共和政とよぶことがあるが、democracyの用いられる割合が高いのでそちらを採用しておくのが語の通用では賢い。
 又、現代までの政治史で分析できるのは、今では古代に比べ詳しさも進んだので、多くの政治形態は複合型をとる。間接民主政と実質貴族的議院を兼ねて維持し、さらに象徴としての王を掲げる等。この点でも名目とは別に、殆どの現代政治は支配の人数でも複合している。これらの形は必ずしも上記の単純な基本分類に叶わず、別の単一な概念で説明するのが妥当だろう。

2010年9月19日

のらしごと

第一それで三日月が着いてきた理由?
狐の踊りコンコンコン。ぴっぴっぴ、笛
月が廻る。月が輪をかけて登り、見下ろす町を
でなくば田ん圃がどうか郊外型店舗を逐わん事を
罪とか。なにせ倭人だ、わからんだろう。消せ
トラックが国道を走るトラックだから
モノトーンの朝にきいた、きいた冷たさ!
ジャスコかえせクソ岡田が! 外交ぶってんじゃねえっ
ぱぴぷぺぽ。パピコ。わーわーぎゃおーむ
のらしごと。何? ちがーよ、のらしごと

南蛮醜さ

都市の無限みたいな人の巣
つまらん! いつのまにか
くそ暑いだけのコンクリ都市になっちゃって
南蛮醜さ! わあわー

唾はきまくり
なわばり張ってるやつら
強い言葉が
すべてを薙ぎ倒せたら

なにを信じてる
昔は終り今がきた
が今はむかし
あんたらの話してたよ

キョートのけがれ
東京でヨゴレの本領発揮
きたなさでは類を見ない
倭奴の頽廃またかよ

また出た
下賎なる仙台クン
自分が何言ってるか分かってる?
馬鹿な東京の猿真似

極悪倭人キラー
使徒は手当たり次第ビルをあさり串刺しにしてく
棄てる為の血みどろの料理。この惨劇
あれだけの頽廃をくりかえした極悪倭どもの業は報いられた

極悪倭王の死体は
野晒しに何日も何日も、残酷にも
カラスについばまれる侭になっていた
やっと平和が還ってきたのだ!

星屑

星屑がふりしきる
なにもかもきえる
なにもかも
もしそらがきえても
誰もこのそらを思い出さない
星屑は星屑を知る他
なにも分からない
同じ運命が消えて行く
結果となった地上の規則は
田園の惑いをこえて滑る
もしなにもかも
消えていく前で
唯一つ変わらないのは
このそらか

2010年9月18日

満員電車の蟻

頑張れ頑張れ蟻さん
トコトコと歩くあるく
人の一杯いる電車にのって
チクチクあるく歩けあるけ
蟻ありの兵隊さん頑張れ
このみにくい生き物
くだらない倭人をくいつくす蟻の勝利
なんてすばらしい
自然の摂理

醜悪スラム東京横浜

天皇が園遊会で公然猥褻女に感謝する
発狂してない倭人などいない
こいつらは戦場で奴隷に乱暴し
神を信じない野蛮の民族
芸能人にまざりこんで
あらゆる乱倫と下品を尽くす極悪政治屋
あちこちでやくざを囲い
暴力を振るう
アメリカには弱気
原爆ぶちおとされたトラウマなんでしょう
星中で道化を演じる黄色い猿
漫画とアニメとゲームで子供騙し
そこから生まれる子供はミニスカートで
学校で発情しまくる意味不明な自称経済大国

この極東で
お前らはなにをみつけた
馬鹿すぎる同類の狂い加減と
ジャポニズムぶった東洋風の奇習
侍は絶滅し
ミニスカ高校生女だけがのこった
そいつらは発情しながら汚れの舞妓になる
そいつらは星中で淫猥を尽くす奇形種
ここではだれもが絶望し
だれもがだれもを侮蔑する
そんな国に君臨したまわる
気が狂っている世継ぎの病人あり
自称天皇の気違いは
東京で汚い搾取を発明し自慢顔

なにしに生まれてくるんだ
次から次へ自殺してく無宗教の蛮族
満員電車に自分からのりこみ
虐め虐められるため悪環境の学校へつめこむ
隙間なくたてられる倭人の巣
よくこれで住んでるよ
道路を山ほど走るトヨタ製の排気ガスで
真っ黒けになりつつ走ってくジョガー
子供がぎらつく繁華街の看板前を学校へ通う
醜悪スラム東京横浜でなにをまなんでる
めんどくさいと子供を殺す阿婆擦れと下衆のペア
生き物ですらない
ゲイシャが顔中まっしろにぬりたくり
「おいでやす」と言う

比較文明学

社会文明は場所文化の頃合い。この頃合いが何らかの風変わりさを担うなら文明型が決まる。場所適応に個性がある時、それは文化型をつくり且つこの集まりは地域偏差としての文明系になる。文明系はある片寄りで違いを持ち、部分形としての文化から異なる秩序を択ぶ。

常陸の風

既になき物はだれにもみまわれずいたずらに吹きすさぶ風、風よ
祈り、重なり、月浮かぶ空、空! 誰に知れる空だろう
やがて消える人ども。蛍の光はそれをさとる丈! 涼しさ。
調布の交番の向こうに見えた空なし! あーあ
もししあわせがあるなら何気ないものだけだろう、何気なさ!
終わったバンド聴く価値なし。弾けて混ざれ
竹林の凉かぜ! 耳を走らせてく! 常陸の風だ。
風、風、海風、秋になりゆく間に。聴け、聴け風を、時代を駆け抜けてくこの風

2010年9月17日

もし宇宙が
ひらけていれば
その底さえ
だれにしられてもない
僅かに傾いた
星の合図を
てのひらにのせ
きらきらと流す
笹舟はもうない
刈り取った獣は
笹など風流にも
なにも聞こえなかった
旅の終りに
人が見た
卑しい魔物
消えゆく泣き言
罪をしれ
誰も
逃れられぬ
死ぬだけの世の罪を

天皇陛下万歳

なぜこんな奴らの中で暮らすべきなの
山ほどかねを稼ぎどんどん天皇に擦り寄る
天皇はいつもの手管で浮気を重ねる
死ねば死ぬだけ遥かに美しい倭人界
自殺者の列
自ら望んで死んでいくのだ
この邪悪きわまる極東の発狂病人界で
なにを信じていられるものだろう
借金しながら護衛をつけた天皇陛下万歳

2010年9月16日

サイルイダン

余り豊かな
そういう所
やがて時は
鋭くなるよ
ちゃんとした
あともない
ありえない
そらごと
だれも
つかれ
つかれては
ねる
やっときづいた
このちいさな
芝居は単に
おもいえがいたから
つかれはてた
星はキラキラ
ひかりはてて
おっこちたみたい
全然ない
もちない
だからない
そんな山
しょぼくれた
サイルイダン泣かせな
なみだもよおしだま泣かせ
たまやは

あきぐち

どこに待つ
その言葉も
ひとり散りゆく
あきぐちのもの
降りてゆく
月のそとに
なにごとも
きこえない
虫の声
リンリン
チチチチ
ぎゃははは
消えろ
もし消える意味が
ないならやるから
消えてろ
時たま
吹き抜ける風
吹き抜ける風
それと

崇拝

あたかも
かみがまもる
どのむしも
くさに
なぜかしらない
しりもすまいし
つづきものの
つまらない学校
わいわい
さわぐやつらときたら
おとなしくはなしあう
たのしみはないんだわ
外人崇拝で英語を話し得意がる
こんなものがなぜ生きてる
いやになる

2010年9月15日

とまれ

ごく昔
みな現は
しまわれたので
今は夢みたい
そんな日に
なびく
なびく旗に
日の丸なんて本気
あおる
くせにどうせ
だれも
どうでもいゝ
なつをかし
あきがきた
うえものは
わざとはをおとした
とまれ
みちにかいてる
おちがきにたくし
とまれば

2010年9月14日

製品開発

熱交換器なしで室内へ電気的冷却のみを行う新型のクーラー。

冷蔵庫のしくみにファンをあてる。形は床置きと天井設置のできる、2.5rの丸みを帯びた薄い直方体で換気扇や学校の教室にある校内放送のスピーカー似。

2010年9月13日

公然

その大きな建物の屋上階
カンサイ出の卑しい男
都市を見下しながら
汚れたゲイシャの小説でほくそ笑んだ

エドが糞なのは誰もが知ってる
所がマスゴミは虚偽を流す事で
幾らでもカネを貪る連中ゆえ
誰も真実を見なかった

その雑然としたコンクリート詰めの中央
地下深くに一人だけ逃げ場を設けている男
勿論こいつもカンサイ
そいつは税金を暴力で奪う事で身を立ててきたゲス

キョートがごみなのは誰もが知ってる
何しろ子供を騙して罪すら感じない
全世界から掣肘されたら途端に開き直り
「知りまへんで」とほざき汚れゲイシャと遊ぶ醜悪倭奴

芸者

芸能人より悪いものはいない
そいつらとくれば
来る日も来る日も着飾り
贅沢にとち狂い
大衆を見下し
金をむさぼり
終いには一般人と言って人種差別しだす
奇形どもが
何もできないのに芸能
娯楽屋だろうが
君はそいつらの演じる
狂った劇場でどれだけの
資源が費やされたか知るなら発狂するだろう
だから言ったんだ
芸者は消された

革命歌

遊女を殺せ! 遊女を殺せ! 遊女を殺せ!
底知れぬ退廃をまきちらす害虫どもを粛清するのだ、
エドから湧き出てくる蛆虫ども!
金を与えれば幾らでも殖える慰安婦ども!
芸者を殺せ! 芸者を殺せ! 芸者を殺せ!
底知れぬ退廃をまきちらすケガレどもを抹消するのだ、
キョートから湧き出た気狂いども!
整形だらけでウヨウヨ殖えるカンサイども!
この世の原理をまもるべく
今旅立てる聖戦への道
あしきテンノウにひっつく何億ものマンガどもを
ひとりのこらず整理し尽すのだ
この世に退廃をまきちらす
底知れぬ腐敗した土よりいでし
魔物どもを神の名に於いて
この地上より清めつくすのだ

2010年9月12日

さくこぶし

だれがみたかをきくなぎさ
どうせならつまるあきにはやむあしは
なぐものゝあしあとはなきあきるの
きまりなきそれだけのさきさくこぶし
たまにはとひまをあそべぬものいやしき
うみのこえたゞひろくひゞきそらをうつす
わがまえにたつはかのかずそこしれず
ときをくるまちがうものはむなしくちれる

現代詩

学歴を身につけたゲイシャ
あらゆる卑しさをふりまき
神戸出身の爺にこびる醜さ
 何しにきてる? 死ねカンサイ野蛮人

まず猿山のボスをぶちころせ?
誰と戦ってるか分かってんのか?
ほら、テンノーは山程かねを吸いとる
 お前が貧乏なわけだ

星が回る
何も起きない
人が死んでいく
 僕は笑う

舐めた野郎
客商売わかってんのか?
 そいつは倒産した会社から
客を見下していた

 麻生さんまだか?
ほら漫画エドが西洋の
馬鹿な白人だまして金取ってる
ほめなきゃ!

どうでもいい女狂いのカンサイ小話
それを読みあさる愚民
 しまいには沈む泥舟で
必死のケツ出しごっこ

おっさんが拝むシントーの社
そいつは山程かねをむさぼり
部下を大量に殺させた
 何を信じさせてる邪宗なの?

九輪草

どうして裏切った
よのなかは静かに
移り変わるもの
誰に今をのべられる
罪をなすりあい
暴れる力をうべなう
なぜ卑しいお前が
このよで生きていられると思う
きのうはなくなり
横滑りする
たやすくきた
位などあばら屋
どこでも
サイズの縮む
訳のない
命等つまらない
もし罪深い
人類が救われ
土に還れるものなら
夜を切れ
旅先の
小さな湧き水
隠れていた
九輪草

2010年9月11日

なんのための国

完全に気が狂ってる
そんな奴がいるとしたら
君はトーキョーで
そんな奴らばかりを見れる
そいつら何もない
生まれたらしぬまで働く
満員電車で息もつかずに
なんの疑問も抱かず
テンノーは明日も
こいつらをこきつかって
散々わるさを企むだけ
なんのための国

底の光

もし世界の真実がこの世の
内にばらまかれるとすれば誰も
それを正面視できない
それほど不正にみちたこの世の
どこに期待できるという
だれもこの世の底にある
光をみたことがないとすれば
それを正面視できない
だれもこの世の底で
光をみたことがないとすれば

心を塗り替えるわざ

若人を軽く扱うとしゆきは既になきなり魂の置き場
魂の宛てなき先はあらぬなり消えずに残る趣の行方
下を知る者は行く末下を向き上を知る者の面持ちを見ず
星空の隅に惷めく小さき者ただ魂だけ伝わり残れり
永らきに習う者ども理を悟り賜る行く末は人の心を塗り替えるわざ

2010年9月9日

理性の伝統

どの文明にあっても文化の真実は伝統否定。理性が必要なのは、おそらく過去の経験則の総合した学習によって決定的な否定を成し遂げる才能に注目するべきだからで、この天才によってしか文明が進歩する実演は執れない。

人体学

いびきを聞く不快さは、ある調査では黒板を引っ掻く驚愕の叫びに近い周波数と、蚊の唸る音の次に高い。ここから単純に考えて、鼾をする形質が完全に淘汰されずに残ってきた原因は、実はその不快さにあると仮定できる。つまりこの不快さは、夜間の縄張り防衛の役目をかつて担っていたからこその本能へ残存した感覚なのではないか。
 鼾をかく形質の持ち主はそうでない者の居場所に比べ強い縄張りに結びつき易いのは明らか。特に音の絶えた深夜にあって、この範囲への侵入は夜行さのない或いは暗順応の弱い視覚での生き残りに死活的だった。この鼾習性の浮動が起きていた時代はおそらく家父を中心とした幾らかの共同体での村社会だった。そこでは洞穴、掘っ建て小屋に近い住居での定住生活が普通だった。深夜に侵入者をみつけだすに、彼らは無音で過ごすのを潔しとはしなかったろう。狼、熊、或いはあぶ蝙蝠こうもりといった明らかに害をあたえてくる野獣に対して火を炊く事、見張りをつける事を除いて最も役立ったのは実に鼾の発する音の縄張りかもしれない。この時点で浮動的な形質として表れた、のどをつかった無意識の威嚇はそれがない家族に比べて一定数の生き残りを可能としていた。
 他方寝静まる住居への侵入や不意打ちをかけようとする同類内の分子へも、この防衛策は一定の効果をもったのではないか。我々がいびきへ感じるという不快感は殆ど理性的には理由がない。それはただの寝息である。しかし生存にとっては不可欠な何らかの事情に関わる事の為にこの習性か音へかなりの不快をおぼえる者は多くなった。つまり縄張り防衛という機能は、たまたまか意図してかその範囲への侵入者を撃退する又は怪しい者として追撃する効果につながった。要するに他人のいびきが聞こえる範囲へ入れば必ず別の家や共同体によって暴力で逐われる。この被撃退感覚の為、古代の人類社会ではもし無感覚や聴覚域の不足で鼾に不快をおぼえない個体がいれば進んで淘汰されてきた。鼾縄張り仮説はこうして説ける。実際、この形質は治癒の有無に関わらず各人種にかなり広くみられる人類としての想像できる性質の一種。筋肉とみた咽喉の垂体が寝ている間に脱力し易いかどうかは、およそ遺伝する傾向がある。そして村にどれだけこの形質が残っているか、現代でいえばどの地域にその分布が広いかは、共同体がさらされた夜間の不案内者らとの遭遇回数におそらく比例する。よってこの推察がいくらかの真実を含めば、既に古く都市化しており別の見張りによる防衛が可能だった土地で長く定着した人種にいびきをかく形質は少なく、獣しか現れづらい山奥ではそれにつぐ数をもち、交通量の激しいと同時に獣でも人でも夜間にとおりすがる確率の高い街道地帯でいびきの習性は最も残り易い環境条件があっただろう。そしてこの地域では今なお鼾は広く習性にみられ、その遺伝は多く残存しているだろう。
 それと同時に、以上の仮説が正しければこの鼾を聞く不快さは、もし家族の一員のそれに限っては著しい減退を伴う筈で、物音一つしない夜に比べて家族の誰かのかく鼾がきこえる夜はより安心感を伴うという独自調査が特に上述の伝統的な街道地帯では得られる筈だろう。