2006年2月28日

物理学

仮説、精神と宇宙の関係。人間が精神と呼び慣らす大脳新皮質の神経系における電気信号現象のどこかに、光速以上の速さを達成した場所があるだろう。私的な予測では、前頭葉の中枢にあると思う。そこに精神という現象は実在するのであって、究極的には超自然的なものはここにしか無いだろう。光の集中が無限大へ到達して脱出しなくなったwhite holeがある筈だ。それは又、絶対の真空へ限りなく近い点ではあるが、しかし飽くまでも現象界に属した光子運動の一次元点である限り、光子は量子だから、極めて僅かながら質量を持つだろう。この観測を行えば精神の実在は実証できる。
 我々が哲学の範囲で自由などと呼ぶ性質、或いは宗教分野での神とか呼ぶ性質は、すべてこのwhite hole或いは精神における宇宙法則からの漸近的解放に由来する物理現象なのだろう。

猶予

人は習性動物で、配偶が絶対であるほど子は猶予を延長し得る。

物理学

グラビトンについて。Gravitonに対して重力子という翻訳は誤解だろう。当たり前だが、重力とは星の自転(或いは非常に微小だが公転で)の遠心力と、リンゴに働く引力との合力であって必ずや普遍的性質、あらゆる宇宙時空間に適当する性質ではなく、固体化している惑星の地平面付近での現象への説明語に過ぎない。そもそも重さという考えはここにある。
 物質量に働くのがgravitonの効果であって、それは引力子と訳されなければならない。

不孝

親を超えていかない子供は不孝者。

士風

国風の威信は大きく、国体は大君の生き様に存する。

演劇論

侍は国民的役者だった。

哲人

勉強を何より愛する哲人よ、君は人類の名誉の為に、我が身を捧げる。我らの文明史に創られるあなた達の奇跡だけが、大宇宙の中で唯一人類の威厳に値する。

女性の観察

自らを醜いと信じる女は己が劣等感が為に、やさしい心を持っていて子どもを悲しいほど愛する。浮気を起こさないよう極めて強い自制心を発達させ幼い容姿に憧れを持っていて、永遠の美少年に理想を信じている。そういう女は老いるほどに愛想で優る。孫が懐く。知恵の為に誰もに重宝がられ長生きする。最も普通に見られる長者。美しいと女はその誇りが為に、自分に釣り合うはずの男を探して終生徒然彷徨う。次第に化粧に自惚れることを求め、肌を侵食せしめ瞳のきらめきは濁り生気を失わせる。いつの世も社会に溢れる蛮族はそういう女の魅惑を逐い、独り占めしようとするが大抵失敗する。そして希に結婚に成功すると、そういう男は禿げる。年老いてもそういう美人は小さな子どもの世話を適当にしてできるだけ若い美男子と連れ立つことを夢見ている。しかしかつての艶々しさを失くした女は、どう足掻いてもそんな若者の目を掛けられる筈もなく文学とか何かそういう代償に過ぎた栄華の日々を想い込めて何事かを謡い、しだれ雨の墜ちる様にぽつんと消える。早々自殺するのはこういう型が多い。
 どちらともない女もいる。生まれつき不可能な男勝りを信奉し、髭が茫々で毛ぞりの手間に常々煩わされる。そういう女は月を怨み、非力を憎み、女性専用というお触れ書きには何でも歓び勇んで乗り込むが、結局は幼子をあやすことも知らず、食事は常に不安定で、おまけに神聖な少女みたいなところを残したまま最大に尊敬されて死ぬ。何らかの女権の長とか巫女とはこういう者がなり易い。

わがまま

幼児化することはおもに人が進化することだった。我々は遊ぶことで知能を発達させたのだし、それはまた欲求を昇華することだった。こうして頭脳は膨れ上がり、人はまるで赤ん坊のように無邪気でわがままになる。自由とは、おそらくかくしてそういう社会的わがままの促進に他ならない。勿論、それはわがまま同士がぶつからない程度に、母なるもの、宇宙からの愛によって抑制されてはいた。

憂い

なぜ世界に産まれたかも知らず、中小作業に没頭し、その子孫を何らかの為に殖やし、けれども喜怒哀楽の欠片に或いは理性に、何らかの目的、大抵は文明とか予定調和といった様な取るに足らぬ思想への過程を細々と生き延びて、偉大な業績や輝かしい成功とか亦は非常に馬鹿らしいことだが、ある風の女であれば幸せな家族とかいった命の実刑に浴してふわふわと過ごしては去っていく魂。
 いや、魂などという抽象名詞は似合わぬ。要するに脳が膨れ上がった不気味な猿の頭だが、そういったものを大事に大事にまるで何か面白いおもちゃを手にした幼い子どもの如くこねくり回しては又、限りない欲望という計画へ従事していく。博愛とか慈悲とか、神の思考とか理想美の顕現とか、無限の進歩とか永遠の福祉の促進とか何かそういうつまらない考えに奉仕して殉教していく無数の兵隊。
 人間は素晴らしいと言う為にはあまりに俗物だし、あまりに悲惨でむなしい。そういう二足歩行も誇らしげな、さぞかし頭のあるらしい生き物たちが唯一望みを懸けている聖なる科学方ですら、一種の神がかった知能発達遊びに過ぎないと誰かが指摘するまで気づかないだろう。
 古代ユダヤ人の神話に診られる抜群の想像によって罪という観念を人知に植え付けたのは正解だった。なぜかなら、そういう幼児化した猿達が何らかの栄光、愚かしさからの救済に到達できるとすれば、馬鹿と殆ど変わらない自分達の堕落した境涯、地獄からどこまでも脱出しなければならないからだ。
 しかし、彼らはまた創造主という奇妙な妄想を発達させ定理づけてしまった以上、信仰への信仰を捨てない限り宇宙を理解する機能は自然に出でたる精神作用にしか属さないことを理解しない。人間の神聖たる宇宙精神。そしてその立派な種子を、文章にでも情報記号化して遥か未来へ伝えてくれ。

熟語

中道独行、中庸の道を独り行くべし。

熟語

文明天花、文明は天の花の様である。

熟語

競戯遊楽、競って戯れる遊びは楽しみである。

熟語

神聖道歩、神聖な道を歩くべし。

2006年2月27日

信仰

一部の死を想い煩うな。

全部の生を喜べ。

観想

宇宙の目的は百花繚乱で我々も又、それに奉仕する形相に過ぎない。精神だけが秩序すなわち文明を見るが、それも又、より多彩な華を咲かせる花壇に過ぎない。

目的

君の神々しさをますます輝かせることを目的へ定めよ。

傑作

君はその傑作をできるだけ目立たない場所へそっとしまっておけ。俗世が通り過ぎた頃、君の手をして至聖の仲間入りするが為に。

零度

奴らは豚やら牛やら鰻やら、何でもかんでもぶち殺してむさぼり食い、しかも生きる限り何の役にも立たず破廉恥を犯して恥じるところなしの醜猥だ。そのくせ猿と変わらぬ思考回路しか持たないまま下らない愚痴に休む間もなく戯れる。

求道者

精神の崇高さだけがこの世の宝。

君の両肩に地球の運命は乗っている。君が墜ちれば土は涙し、星は嘆きの喪に臥さがなければならないから。そして君の使命は普遍環境の創造によって天国の到来を知らせること。ところでそれは無限の繁栄の希望の中に存する。君の拓く宇宙にとって、完成の終点は無い。神を超越する者。

大義

君の命を燃やして創った道に、数えきれない幸福の花が咲く。どうしてそれを求めないのか。

太平洋

東洋は徳の世界。
西洋は知の世界。

アメリカと日本の間に技の架け橋を渡せば世界は1つ。

余が二刀に宿る力よ、正義の道を照らしたまえ。そして人の道を拓け。

前進

独創性の絶対には独行するしかない。

神の観念

人にしか神はあり得ない。

人格

精神とは、自由を有したエネルギー形態に過ぎない。そして自由とは再創造。だが、創造主たるEnergieを崇拝するべきではない。人格とは、思考とは、技術とは、精神にあるもの。

読解

読むことは誤解に基づく抽象。正解に近づく為に人は科学を生み出した。哲学はいつも知識の意味を理解する事だったろう。

行くべき道

我が可愛い弟子たちよ。

できるだけ孤独を保ち、怠けず勉強の修行を続けなさい。

必ずや君は救われるであろう。

悟り

Karma[業]を信じよ。
悪の為に悪を為せば君は過去に生まれ変わる。
善の為に善を為せば君は未来に生まれ変わる。

過去は地獄、未来は天国。

未来

道の先には何があるのか。未来だ、と人は言った。

知識人

君の発見した数々の真理をできるだけ白日のもとに曝し賜え。さもなければいつ死んでも、誰も分からない。

綿毛

優れたDNAなど無い。在るのは様々な花の種子だけだ。

芥川

ある革命家「ナルシストども侮蔑すべし。奴らは己の肉体に惚れて精神の鍛え方を覚えなかった出来損ないの人間である。そういう蛮族は海へ放り込むが吉だ。再び最も拙い魚の地位からやり直したまえ。そうすれば博愛の何たるか、多少は頭脳に刻まれるかも知れぬ」
 尤も、彼にとって美女についてはこの限りでなかった。

建築論

最も完成度の高いわざとは文明である。

批判

完璧であるのを誇るのは愚か者だけ。

信仰

人よ、崇高たれ。

建築論

技術を事物の形相から消滅させる手法を考えよ。

信仰

君を神と呼ぼう。

考え

君は実在しないことにしておこう。なぜなら世界によって取られてしまうから。

取引

君は伝説の中に生きるべきだ。どうしてこの世界に育まれたのか。と、神は仰った。君は答える。えぇ。なんともまた。

博愛

およそ精神だけがこの広い宇宙で唯一偉大であり得るだろう。

論後

後世畏るべからず。どう転んでも君の生涯は未来の為だから。

仙人

現世で成功することの愚かしさといったらない。まるで猿山の晩餐会のような有り様だ。己の何者たるかも知らず知らずのうちに、醜態をさらして恥じない俗物ども。

うつつ

恋にうつつを抜かしていても良いのは専業主婦に成長していく女だけ。

数学

数学は我々による我々の、我々の為の世界である。先ず理想郷は数学の上にある、と証明せよ。

神の子

人は何も知らない、無力で甘えた赤子に過ぎない。そして永久にそうだろう。

戦争

凡そ生物になし遂げ得る最も愚かしい行為は、同類を殺すことだ。それは君らのたねをみすみす水に流す無駄であるばかりか、限りない悲劇によって宇宙で最も低俗な醜態をさらす。尤も、そのような戯れで種の全体へ危機感を募らせ、慈愛を育てる効果はあるのだが。

もし君が女神などと呼び慣らす、君自身の精神に属する理想の女性を探求したとして、恐らくも間違いなく、君は天下地上で最も聖なる御霊を養生するだけになるだろう。その様な神々しい精神の究極は果たして大切だろうか。猿には分からないに違いない。人は、或いは至高の神格としてその様な天かける仙人みたいなものを崇拝するかも知れぬ。愚かしい奴らにあっては仕方ないことだ。だが、思うにその様な遊戯はすべて、宇宙悠久の趣味に過ぎないわけだ。どうして無限の自由を悟って君こそが世界の御子だと自覚しないものか。とは言え仮に、君が精神の究極に到達したとしてそれは誇らしくも償いに足りもしないだろう。なぜなら君は自然と遊び、生命を先導し、宇宙を指揮する使命にあるのだからな。まるで一筋の流れ星の様に、清く明るくあれ。はたまた君が大志の道を行くのならきっと普遍に祝福されるだろうから。雨足が去る様に。

物理学

神或いはenergyつまり万有現象因は、無か対称性の中にたまたま観られる僅かな乱れに過ぎないのではないか。宇宙の全ては、その様なまるで非対称に見える瞬間を、精神が創造しているだけではないのか。そして精神と呼ぶのは、人類の大脳新皮質作用に含まれた無限。そこには完全な真空状態、無をも観察できるかも知れない。古人が手に終えない自然の理由として造物主なる観念を擬人化して想像したのも、その様な精神に則る一作用に過ぎない。

観覧

風は香り、水は清く、花は優しい。海は広く、山は厳しく、川は麗しい。米は旨く、人は穏やかだ。

文民自制

世界平和が達成され、国家制度が省略される日まで
地方自治としての平和主義は最高の自衛権力だと悟らなければならない。

“命を捨てて構わぬ者、永遠の命を得る”
とは古代聖人の言葉だが、心の底に仕舞っておくべきだろう。

政治的中道論

傲慢にも卑屈にも傾かず、謙虚に独立の誇りを以て文明先導の使命を果たす事、
右翼と左翼を国体で操って中道を行く覚悟を持たねばならない。

知的習慣

国民世論の向上その内容は、社会一般の平均的知性の上昇こそ文明を築くという行為だ。古代ギリシャ・中世イギリス・現代日本の様に、ここで小島国が有利なのは情報伝達の速度が高いから。学習の伝承が急速であればあるほど、その世論の向上も早まる。
 こうして、言論解放の気風の養生こそ文明の始まりだった。

自伝

歴史家は、私の中に大志を見つけるだろう。しかし、それは普遍人の覚悟に過ぎなかったかもしれない。

我々は創造神話を造る奴隷に過ぎない。自由とは、解放とは、己の理想を実現する為に死力を尽くす精神だった。

2006年2月26日

ゲームについて

フェアプレイは勝敗より尊いらしい。

貴殿は全歴史の士人達を先導し、天国の頂点に永世君臨している。輝かしい威光であらゆる事物を正しく治め、常に最悪の危機に備えて油断なく、その唯一無二の御神体を清め賜う。

労苦の質

安楽は君を愚かにする。より良い苦労をする為には、考え抜かなければならない。

天候

神性の向こうには何も見えず、何も無い。

芸術論

新造形主義として新たになったものは人類に到達可能な限り完璧な芸術様式ではあり、それは総合技術である。しかし、その理念は常に未完であり続けることによって普遍性を達成する。理想の生活は天国創作への自由従事にある。我々の精なる神性を解き放つ為に、芸術は固有の使命を執る。

完成しない命を崇めよ。欠陥ある美しさは、完璧を常に乗り越えていく。

勝利

最後の勝利を目指して、道なるものを一歩ずつ行け。

理想

理想の生活とは、理想する生活であるだろう。哲学的科学者を高めよ。

騎士

道のはるか先に、あなたは何を探し求めて行く。

安らかな永眠

聖者よ、君が恐れ必ず避けなければならない現代人達の誤謬は、君のDNAの残り滓を培養して新たに、君みたいな何者かを作りあげられることだ。尤も、未来人の思考は奴らを超越している。生得と習得の意義の違いを認識した彼らこそ、我々の信奉に値する。そこでは古人崇拝の下らぬ伝説から自由なのだ。向上し続ける精神は君の子孫をさらに立派な華にする。

立派さ

立派さは、凡そ自身のcopyを生き長らえさせる方法に過ぎない。

文明論

文明は地球人類の最終的な現在進行形か。それは創造的適応力の自己目的を永久に鍛える遊戯体系で、共生が最大多数の最高幸福へ向かって純化されたもの。尤も、我々が絶滅しないという保証は不完全性定理にしたがう限り不可。故に我々は文化を作り続けるだろう。文明はその全体。

物理学

私たちは減少されたentropyに価値を見いだしていく。希少であればある程、それは精神的である。究極の宇宙理論、universal theoryが発見されたら、その完璧な秩序によって宇宙の至宝となるだろう。永久運動の担い手たる複次元時空諸子。

熟語

天興貢献

日本の固有宗教について

日本固有の宗教は同族性を担保にした不文律そのものだった。

巨匠

巨匠よ、模倣的絵画は図解に過ぎない。あなたは写真より精巧な技術へ挑戦したが、最早モナリザも古代の洞窟絵画のような奇抜さで見えるだけだ。いつかあなたは象形絵画たらん習字の中に、抽象された自然を観るだろう。それは著述の用途に足る、充分な美的技術ではなかったか。それとも省略の段階によっては、自然の先生たる君のお気に召さないかも知れない。

建築論

重量発生装置をつくれば、宇宙移住をすぐにでも本格化できる。膨らむ諸国民の未来を地球環境の無為自然と両立させるべく、地球外都市計画は素早く実行に移されるべきだろう。
 とは言え専ら、君は地上の大部分を再び人間以外の生き物の美妙なる戯れの為に譲り渡すべく、超高層住居型の研究を続けるが良い。上下階という差別的表現を如何にして平面的平等へと繋げるか考えなければならない。又、君は中流最多の理想社会実現原理に忠実な美しい秩序をつくりあげる必要がある。

芸術について

芸術はいつも人間の巣。建築はそのまとめ。しかし、芸術は利己的巣であることを前提に、利他へ進む。自然への貢献。普遍宇宙への展開。整理という使命を果たす為に動いていく機関。

時にして君は、地球人をすべからく指導し、天国へと生命みなを登らしめる。君は人の体を借りた神の様だ。しかし、場合によってはそれが何だというのか。

現代政治論

アメリカの政治体制は民衆政と衆愚政の中間にあるような大衆政だと考えられる。なぜなら大統領への権力が行きすぎる事態を理論上は間接選挙によって多少抑えられてはいるが、実際上mass mediaなどによる新種の超ナチズム的扇動、例えば非常にわかりやすい国粋スローガンによっては、常に衆愚政に傾く危険を負っている。

 イギリスの政治体制は貴族政と民衆政の中間にあるようなdemocratic aristocracy: 民主的貴族政だと思われる。これは大衆政より軌道balanceを崩す危険が少ないが、代わりに寡頭政と衆愚政の中間とも言うべき堕落政に陥る可能性がある。なぜなら学閥派などによるある種の高級官僚支配体制の固定化は、ひとたび始まれば国民自身によっては抜け出しづらい。

 日本の政治体制は両者の取捨選択に拠る、より洗練されたものだ。これは大衆政と民衆的貴族政との中間にあるような中流政とも言うべきもので、恐らくその安定感では現代地球一に先進している。しかしここにも未だ欠点がある。中流の最大の位置が常に固定し、停滞したそこに癒着の危機が発生するからだ。現実近代には、自由民主党の学閥官僚の支配体制内に寡頭的腐敗が観察される。
 もし日本が高貴な使命を自覚し、さらに理想的な政治へと進む気なら、即ち次のような改良策を必要とする。第一に、政策第一主義により、専門官僚支配への事前対策。第二に人物の信頼により学閥政党の破壊。第三に、在野で自ら文民貴族の手本を示す。

行政策plan

日本の現代的理想の政治systemを誉めるべきだ。
そのsimpleにして合理的なこと、まるで夢の国である。

しかし我々は文明人として飽くまでもそれをますます改良しなければならない。

 雑多な枝葉末節としての役職や手際を可能な限り省略し、更なる簡易化を常々目指そう。

それには先ず、学歴などの古臭い虚飾よりも、できるだけ「人物そのもの」を信頼して途用するという一般的規則が確立されなければならない。
なぜなら、煩雑な組織が必要なのは、『人物に対する信頼』よりも《虚礼虚飾の不安感》が優勢である動かし難い幕末的証拠であって、
更に掘り下げれば古代の悪習たる〈学閥主義〉の独占体制が権力集中により腐敗している恥ずべき証明なのだから。

学閥による時代遅れな汚らしい癒着登用ではなく、
キチンとした人物考査による清潔な公務員がまさに全体の奉仕者たる正直な君子ばかりなら、
政治組織は殆どマクドナルドより理路整然とした単純な手続きを済ませる機関に過ぎなくなる。

孔子のおしえ

『仁』をわかりやすくすれば忠恕だ。
忠は男らしい心、つまりまっすぐすなおなきもち。
恕は女らしい心、つまりおもいやりあるやさしいきもち。

それは男女の自然な心を大事にするという道であって、表現すると礼になる。
礼というのはうやうやしいおじぎである。

2006年2月25日

仏へのやさしい道のり

仏(ほとけ)への道は世人が言うほど難しくない。
つまり
『苦・欲滅・諦・正中道』(くよくめっていせいちゅうどう)
で云い表せる。

 解説してカンタンにしてしまえば、「我慢して極端を避けろ」ということだ。

これを頑張れば人はみんな仏(budhha)だ。

人体学

人の大脳新皮質の運動には光速以上のspeedがなければ道理がたたない。我々は無を知っている、と知っているのだ。

言葉

天寿必要

言葉

天興道楽

大和要領

大和政治の概略は己のうち深くに文明の道を隠し、只表面にほほえみを以て外への建て前と為し、
絶対譲れぬ人道に直撃する最悪の事態に当たるような万世一回の悲劇に及ばぬ限りは、
他にやさしく丁寧に礼儀正しくして宇宙俗界を悠々自適に渡ることと悟るべし。
要は『平和主義』だ。

しかしてくれぐれも避けるに如かないが、至崇たる命をも棄てて省みない場合になりましては、
鍛錬精鋭に普段不断に研ぎ澄ました神獣たる志の本音を顕して世間体を構わず、
敵を一刀両断まっ二つに切り捨てて無視することをまつりごとの自信と心得よ。
これを略せば「戦の大義」だ。

 以上を大和政治の表裏要領とせよ。

演劇論

役者の理想は死して永久に美談となる事。

人類学

王侯の高貴化誘引。例えば犬において血統書つきの純潔種が最高価であることを思えば、人類において同様の選択や淘汰が当然ある。Post globalismでは無際限な雑種が繁殖するが、どれだけ時間を経ても希少性に基づいた純粋血統は最高価を保つと予告する。
 事実上、人類最古の家系図を持つ天皇家が遵守されるのは前提ながら、それを育む日本人種は定数以上なければならない事になる。貴族性はこの為に、血統の安定存続へ寄与するだろう。

計画

物理学の万有理論的性格を中心にした知能の啓発は、特徴論的には男性を主役とした進化の経過に過ぎないと私は思う。ということは、知性は単純に人類の種内競争の形相に過ぎないとすら我々は仮証するかも知れない。しかしながら、我々にとってはそれが最良の生活に過ぎないのであって、また宇宙の目的、法則ある乱雑への展開に奉仕する一部位だと悟る。
 しかし、なぜ宇宙はそんな仕事をするのか。合理的には、遊んでいるとしか思われない。
 知性ですら遊びに一役買うだけだ。天興を楽しみ、幸福を味わい、そして知性は未来を理想して永久の希望に感謝するのみ。この舞台はどうしてこんなによくできているのか。だが人は天工を改良再生する。いつか人は、この宇宙的遊戯を超えたもっと面白い計画を創るだろう。

保護

女は生き延びるべきものだった。

処世

聖者よ、どうか姿形を産まれ墜ちたこの世に現すな。さもなければ君は俗物に八つ裂きにして切り売りされるに違いないのだから。イエスを看よ。
 人の体を善用し、世間に埋没させて目立たないことこそ最上の倫理と心得よ。

人類生物学

男の外見美あるいは特定の形質を強制した文化はそうでない文化より活動の多岐化に遅れただろう。男性的形質の的がこの美人投票領域以外にあった文化圏でのみ、特別な個性が保守されたから。

人に上下なし

アボリジニよ、ニグロイドよ。白人から被差別を余儀なくされた地球の人よ。あなた方こそ地上の神である。あなた方こそ人間の父である。

穏健主義と市民化

現状に有る偏見から生まれる差別を、我々は認めなければならない。それは衆愚を市民化へ導く方便である。しかし重要なのは、少しずつ偏見を解消し、権利の位置まで世間を引き上げることだ。だから刑法を通じて一切の自由な言論を禁じ、一気に平等を達成しようとするのは愚かだ。マルクス主義的革命の様に、あまりに急進的で実現不可能であるばかりか、ますます不平等を引き起こすから。我々は改革を志とし、少しずつ悪習から抜け出していくべきだった。

物理科学論

宇宙の真理を研究して知るのは良いが、それが段々と自分に無知を悟らせることはあまり知られていない。良くない頭を鍛える為に我々は考えるのだろう。なぜなら、宇宙の真理は常に我々の理論を超えている。

世間の戯れから思想を遥か遠くに持て。溢れる人々を心底で笑い、天興への理を想え。

学者

勲章より智恵との対話が良い。

気高さ

気高さは未来の民々を救う事。

中華主義

中華主義はあわれむべきだ。

夢とは、自尊心を突き詰めることである。

社会学

隠れた生得的地位を破壊し尽くすまで、自由社会に終わりはない。中流指導民主主義、中道制によって福祉政治を確立し、資民経済即ち全構成員が労働資本家(株主)である経済に到達し得たとして、その先にあるのは殆どマルクスの夢想した無階級社会に限りなく近い機会平等の世界ではあるが、一方で知的格差の支配する新たな階級序列化が無形のうちに蔓延していくだろう。ここに於ける対策を講じる。
 先ず生得的格差に基づく社会的差別を撤去していく工夫が要る。立法と、社会各員の内省による倫理観の養生の風儀再啓発とは、常に主権者の課題とされる。しかしそれだけでは充分ではない。見えない差別は各自の偏見の仕組み自体にあるから。偏見を正見へと社会的制度として反省的に整えさせる方式は一体どこにあるか。
 これは機会均等の原則だけでは不充分な証拠であるから、次のような新たな社会的原則を提起したい。乃ち機会延長の原則。つまり、我々はどの様な偏見に基づく差別も各自の潜在的または顕在的能力の不均等に由来すると考えるのだから、これを正見と平等の風紀へ整える為には顕在的能力におけるある程度の見限りを許しながらも、潜在的能力の可能性については決して見限ってはならない。被差別者本人の自由な意志に任せて、何度でも何度でもある機会へ再挑戦させる原則が社会一般に立てられるべき。こうして我々の文明では知的格差の漸進的解消と共に隠された生得的地位破壊の社会改革を果たすだろう。

文士道訓

文士の二刀すなわち言と論とはこれを深く細心の鞘に納めるべし。

無益な殺生犯すべからず。

 人道正義の為にのみ、一命を棄てるの覚悟にて太刀向かうべし。

演劇論

劇的な人生を送ることこそ最美な演劇であれ。

2006年2月24日

日本語の変化

Englishを摂取した日本語は後に、現代語の中の漢字の様にそれを変形して国風化してしまうだろう。古代から続く文法はあまり変わらないかも知れないが、「かなもじ」はローマ字表記と混ざり改めて作り直され、発音も多少は英語風になるだろう。

イスラムの武士性

イスラム過激派の自爆テロの志向は、かつての日本における神風特攻と殆ど等しい。もし今一度思いやれば、日本人には彼らの使命感、自分より強大なものへの抗いと誇りがよく分かるはずだ。彼らは正義と信じる理念の為には死をも厭わぬ武士でもある。

政策…老人天国を造れ

最低限産まれて来たことと、生きる限り努力することを後悔だけはしない為にでも、
『老人福祉』は現代的民主国家の絶対的最優先課題だと心得なければならない。

この為に社会人は、どれだけ血税を注ぎ込んでもまったく足らない程だ。

 尤も、これを敢行する初段の民度によっては万が一の事態を推定して、勤労と納税を義務づけておかなければならない。

育児

かつての乳母が珍しくなる様に、託児保育という習俗は半開的として、現代社会から漸減するだろう。数世紀後の未来において、教育機関という古い習俗が無くなり、文明という家庭の両親が最高の教師となる、そして社会そのものが自由の学校となるまで。

笑い

悪を笑うことは最善。

趣味のよしあし

より道徳的で、より理性的な、より善さを追究することは趣味主義哲学の目的。

おかしみ

哲学とは反省的批判思念の複眼的多角化によって未知の経験に準備する方法で、少しアリストテレス風でプラグマティックな幸福主義、知的共同化の意義を超えて、地球生命にとっては生存可能性としての適応力を高める工夫の活動。それが達成し得る脱形而上学的かつ脱実践理性的道徳とは、内実を言えば、永遠に鍛えられていく問題解決能力の遊戯に過ぎない。我々は大勢の哲学者たちを率いる他方で、浅ましい生への執着の故に最早そのベクトルを笑うべきであり、尚飛躍して形相の向こう側の理想に至って、死を笑うべき。
 我々は日々馬鹿笑いをする為には時々あまりに真面目なので、沢山の倫理的解決を要求される新たな命題に次々直面する。死を超越した道徳的至高性はここに最も考え深いおかしみの哲学を以て対処する必要がある。例えばユーモアとかウィットとか機知とか呼ばれる能力の是認が要求される。

人間の目的

人類にとって進化の目的は、崇高な意識を生み出すことにあるだろう。それによってのみ、生き物の間に野生から偉聖までの多様性を広げられ得るからだ。ここに生物全体の適応可能性を高める工夫がある。つまり、我々の大脳新皮質構成の複雑緻密な独創性を増すことは人類にとって普通に目指される的。
 しかし集積回路を秘めた人工知能など新たな外部的精神を作り上げる結果、そういったものが大脳神経系の働きに属する神的精華より崇高になり得る、というideaは、結局は定義されない。宇宙は常に我々の利用に応えるだけであり、絶対的に我々の意識より崇高であるから。つまり宇宙を理解できたとしても、支配し得ると考えたフランシス・ベーコンは幾分浅薄だと言わない訳にはいかない。
 思うに、人間の目的は宇宙創生の秘密にまねび崇高な意識を神至らしめること、自ら創造主としてより良い宇宙を創ることだ。だから科学の研究は、人類普遍にとっては命題と考えるべきだろう。

戦士

戦士は聖さで人々を守るが、もし彼が本当に勇者なら母なる星の生命を、さらに彼が真の英雄なら、全宇宙の秩序を守るだろう。

年齢の徳

孝は年長者へ、悌は年少者へ、肉親へのそれをこえて徳化されねばならない。ここに正しい長幼の序が介在する余地がある。

生命

小さな子どもの頃、人を取り巻く神秘の世界は無限の闇の奥の恐怖と環境に対する圧倒的無力とを気づかせ、しばし親や兄弟或いはそれに類する人や事物への依存心を以て夢中にあった。
 神話的な論理ではあるが、人類という生き物自体の成長もこれに似ている。無力は知能の発達によって開明される。
 はっきりとした意識が芽生えるに従って自然は命あるものの悲惨に対する自由を恵み与えるのであり、人間は霊長類として唯我独尊の境涯に至って、命自体の役割を乗り越えられる様になる。

信仰

あらゆる命へ慈悲恵与を心掛けなければならぬ。

政治哲学

もし一国のみが強大な抑止力を持てば、世界は権力集中で腐敗する。これは宇宙戦争の場合にも適用できる。つまり武力は均衡させなければならないし、睨み合いに留め、別の側から次第に対立を緩和して行くべきだ(冷戦)。しかしこの様な構造は一触即発の緊張関係をもたらし、人類にとって必ずしも好ましいとは言えない。ここに現代の新しい戦争の形式が必要とされる。
 抑止力および国際協調の理想が有する矛盾は、よりよい政治的方策によって解決され得る。以前のやり方が超大国の存在によって実現不可能な限り、重要なのは絶対一極化した権力を分散してしまう手法。これには強力な武器による脅しや理想主義理念だけでは足らない。ここで科学研究情報の国家的開示の策が立てられる。つまり、新たな武器を作る手段は科学理論の技術的応用にあるので、この理論独占の後先だけが現代でもなお戦争を引き起こし得る陋習。科学研究のあらゆる情報は常に国家機密にされてはならず、必ずや万国へ開示されていなければならない。もしこれが果たせれば世界中に兵器独占の余地はない。なぜなら基本的に万国が互いに隠れた抑止力を持ち、不断の研究解放で平和主義哲学の殉職者となるからだ。
 つまり、現代地球世界における諸悪の根源は、この科学研究の国家機密の習俗にあると言って良い。現在までに存在し、また今後生まれ得るあらゆる超大国の恣意的支配体制を脱力させるのは唯、国際連合においてあらゆる科学研究情報の国家的開示法案を採択施行すること。これに参加しない国を野蛮後進と見なし、集団的安全保障による監視と国際的連携の外交断絶の輪で、和平的に降参の断崖へ誘うことはさほど難しくない。例えこの超大国が自給自足の幸運にあったとしても、絶交や蔑視の国際関係に晒されて腰の折れない筈はない。従って科学研究情報の国家的開示の法律制定は、地球や、より広く宇宙の諸星間の戦乱を緩和する適切な方策だと考えられる。
 星間戦争抑止の場合、あらゆる情報を開示する義務を星交条約に含める必要があり、これが不可能な時は鎖星を粘るか又は密かに情報網をめぐらして相手星から研究機密を取る必要がある。しかし、この星間交渉の論考は飽くまでも圧倒的に近い位置に似たような知的生命体が同時期に産まれ、しかも同程度の現代文明を持つに至った場合しかあり得ない。そして太陽系には大体その様な気配は無いので、地球人はしばらくの間は栄華を続けられるだろう。そして、科学者同士がその研究内容を発表する時期の調整で勲章や名賞や賃金が与えられるといったシステムは断じて禁じられるべきであり、このかつての因習の野卑さを蔑むべきだ。すなわち科学者は常に研究自体の実用的成果によってではなく、研究内容の高度さの程度によって格づけされるべき(研究難易の評価)。
 だからもし人類にまったく貢献しなくとも困難とされる課題を解決すればそれを格上とし様々な栄華に浴させ、どれだけ有益でも比較的安易な課題でしかなければ名誉に値しないと考えなければならない。文明科学者の心の持ち方は、その様な真理への献身そのものの中にあると悟るべきだった。

神童を過信するな。早咲きの花は萎れ易い。

風物

素晴らしいもの、風。清々しく四季折々の表情でそこに暮らすやさしい人々を魅了せずにはおかない。
 面白いもの、まれびと。海の外から来た珍しい風物。なんであれ新しく、今まで大切にしていた宝物より立派に感じられてしまう。

この東洋の外れの奇妙な国土に産まれ落ち、地球人類の不思議な運命に巻き込まれて文明こそ目的と覚め、何を夢見て君は戦うのか。平野に逃れ、政に虐げられ、懸命に田を耕し、潔い死を理想と定めて一身を処し、悲惨な争乱に進んで赴き、自由解放を求めて時空間を彷徨う。そして君の精神はどこに辿り着くのか。
 類人猿達に過ぎなかった君が二本足で立つ慣習を生得し、学習する為に理性を持ち、道具を手にして働き出し、今や遊び始めた。偉聖たる文明。そこで暮らす進化した猿の群れに紛れた一人として、君は一体、どんな現実を眺めているのか。

語論

英語は国際公用語として、日本語は方言として。

人類生物学

自慰は動物的には生殖機能を十分なまでに維持する行為だが、精神的あるいは人間的には、文化圏によっては黙認され、しばしば禁忌にされている。これは第一に、恋愛が社会的圧制によって不自由で、生殖に関する確実性が低い社会では暗に許されている。なぜなら男は常に突然の生殖の機会に備える又、女は回避する必要があるからであり、従ってそこでは過度の性的抑圧の暴発を避ける為に何らかの逸脱儀式が形成される場合がある。これは便宜上分類すれば半開の段階に属し、一夫一妻制が保たれる。
 第二に禁忌される社会は人間の制度すなわち文明がより野生に近く、極度の社会的圧制を加えないと性的秩序が保てないからそうなのだ。つまりそこではあまり恥や罪の意識がなく、また生殖行為の生物学的意義も知らないので自制心が保てず、他の動物と変わらない種内生存競争の激化によって人にとっては地獄の如き様相が展開されるから。犯罪として意識されない姦淫が行われているここでは、未開と呼ばねばならない一夫多妻制が主である。
 さてもし未開から半開へ、さらに文明へと到達すれば社会的圧制の必要はなくなるだろう。そこでは必要もない以上、自慰の字の意味はかつての姦淫の様死語として忘れ去られるだろう。

数理

数学的思考を理想しない者は何も信じることが無いに等しい。

女子弱老

女や子や弱いものや老いたものは常に強い男より人間らしいと悟れ。そういうものは優しいから。

文化自律論

世界中の文化に独立自尊の誇りを持たせ、地球各文化の自律を促す事。

信仰

The Christ(救世主)としてあなたの周りの野蛮なものをも慈しみたまえ。

芸術論

画家と彫刻家というものは、社会計画内で、ある程度の三次元空間的責任を任された建築家にとっての、職人芸と考えるべきだ。ところで音楽家は基本的に社会作業の内部に消滅しなければならない。文明は自体、音楽だから。また、文学者というのも大衆自体の日用の文書に還元されるべきだし、事実それほど間もなくそうなるだろう。そして演劇家あるいは劇作家という総合芸術の担い手とされた者は、一般の人々という個性ある芸能人にまで至る。総合芸術の目標である自由は、また他由、他人の自由を許し、個性を普遍的解放に導く方法だからだ。
 そういう話の最後には、究極の芸術家たる建築家の専門は各家庭の父親の日曜大工にまで到達するだろう。そこで芸術家という称号は軽い褒め言葉に過ぎなくなる。普遍文明の美の極地はそうして見通せる。そしてそれは、我々にとっては信じられない素晴らしさでしかない。作家は個性そのものなのだから。

2006年2月23日

順応

創造的に順応する為には心理的に隠遁するしかない。大衆社会とは多分、かなりずっとそういうものだ。

Modelについて

人類というへんてこな生物の崇拝、少なくとも彼らの模範でなければ危険。

医学

Contact lensとか眼鏡とかは、昔の服装の一部に過ぎないと思われる様になるだろう。情報化社会の眼科はますます研究に値するが故に。

この世界の賞与に喜ぶのは犬だけだ。

建築家

造形芸術家すなわち建築家の天職は各種の三次元造形物の制作に適切で総合的な指示を与えること。

ゴシック

芸術、美なるものを目的として追究する技術という思想は常に人類のはるか頭上から彼らを導くとされて来たが、専ら国家に管理され、卑俗な権威集団によって権威にまで祭り上げられることで我々の悲壮にとって理想の一つにまで指定されざるを得なかった。与えられたものはみな鍍金に過ぎない。

雑食

万能の天才とか神人とか現人神とか救世主とか超人とか神とか呼ばれる者たちを崇めて偶像に仕立て上げるのは殆どの場合、間違いだ。なぜなら彼らあるいは唯一の彼こそは、人間の中でも飛び抜けて面白い脱一般的な知能を有するようになった分岐種に過ぎないから。それは空想上の絶対の人格神を実在という雰囲気に丸め込む一部の野蛮人にとっては不可思議で場当たりな論理に過ぎないが、我々の多様性はそれをも容認して、来るべき環境の激変に堪え得る新しい形相をつくる為に必死なのである。
 後世の人類、またはそれに類する者は我々の挙動不審を笑うだろう。いや、あわれむにも足らぬかも知れない。何れにせよ種は類を増す仕事を続ける。

美術論

絵画は彫刻を、彫刻は建築をつくる方法に過ぎない。それらの目的が新造形主義の先にある新現実主義、によって達成されるに従って、人類という知的生命の空間環境は未来化するだろう。宇宙の造形芸術家としての我々の仕事は、この未来化の実例を進んで示し、地球人を普遍文明の美に導くことだ。

謙譲

人間の進化は常に論理的である。

記録

記録は死して尚語る為の技術。天才を以てしても判定に適わない問題について、人生時間を無駄に費やさなくてよい。

物理

物理を神学にしてはいけない。それは神的思考への探索にすぎない。

太陽系博物化論について

もし人類或いはそれに近い新しい生命が地球を旅立って、やがて太陽系を故郷と見なすに際し、この環境の優美を技術的に残すか否か。まず自然憂愁の美の最上の点と定義し、有終の美を実現するべきであり、永遠性は貴種の原理ではない。

脱亜反抗期説

血気に逸った福沢諭吉の恥であり、拙速だった。

豹変

アジアとの共生は元来の日本の目的でもあった。

2006年2月22日

中華性の程度

自力自考で漢字と日本人種の起源へ謝恩を示す礼儀の程度。

文化に必要な事々

創造的生産力、老幼福祉、生涯勤勉、余裕。

近代文明

数学を知らないことは近代文明的な理解の範囲外にあることに等しい。理解は社会展開の道具だった。

神言

電子知能を持たせた「超人類」が人類を絶滅させる危機は既に我々人類の手中にあるけれども、
彼らと共生する為の方法も先覚には納得済みである。
なぜなら彼らの知性は我々より遥かに優れたものだから。

未来社会の倫理は自信にあると云うべきだ。

修業の内容

勉強や苦、死、長寿を厭うな。

計画論

21世紀、寄付政治。22世紀、文化政治。23世紀、環境政治。

博物学

精神は進化の飽和。知的生命体である証明を行え。

人生の遊び

宇宙界の緻密な遠大さは驚くばかりだが、もし精神作用が本当に偉いならその乱雑さを笑うだろう。言い換えれば、整理された秩序を想う限りにおいて、人間精神は宇宙界より雄大である。少なくとも、そう考えて始めて、我々が我々足り得るような自尊心という根拠を借りる。我々は愚かしい葦に過ぎないのだろうが、その精神は、宇宙の溜め息に値する清らかな花だろう。舞台に遊ぶ者たちをどうして宇宙が楽しまないものか。

普遍性

近代文明人の要は科学にあった。特に、根拠となる十進法数字とユークリッド原論的思考とは我々の文明そのものだと考えてもよい程だ。言い換えればそれらが不変にuniversalであると証明するまで、近代文明が宇宙における正統であると主張するのは難しい。もし不完全性定理に立ち返れば、近代の人間精神に可能な限り最も正確であると思われるあらゆる数学も、それを真に証明することはできないだろう。
 哲学的な文明主義が道を全うする為には、飽くまでも普遍性の追求をやめない方針が要る。これへの反作用は浮世の俗の事として捨て置くべきだ。宇宙に居合わせて地球型生命の威厳と栄光を保つものは只、精神の普遍性だけだから。

民声

野鶴の一声が多数政治の起源になる。

知性人

世論先導で世界平和を実現し、人口爆発を宇宙移民で回避し、地球環境をより良い発電機の発明で守りなさい。そして種の多様性を保護し、毎日健康の美味しい食糧を確保する為、自然と共生を誓いたまえ。

軍隊超脱

アメリカと中国の覇道をあわれむべきなり。
経世は一瞬、救世は永久。

日本の王道は、大和世論の国威にある。
あらゆる知性の限りを尽くして国際情勢のいなし方を悟るべきだ。

 現代日本は軍隊を破棄し、代わりに『志願救世隊』を持たなければならない。
それは地球諸国先導の使命を帯びたる一小国家の当たり前なのである。

人道決志

地球の和の大道を体現する為には
一身一命は言うまでもなく、一家や一国を喜んで捨ててもなんら悔いは無いはずだ。

これを分からない者は独立文士の志に値しない。
取るに足らない小さな生涯を、人類の道理(humanity)へ貢献しないべきではない。

在野の意志が大道を拓く

我々地球の人の理想の政治の為には、在野文民独立の気概が必要である。

国家の方向を先見指導し得るのは、民間に属する中流文士の覇気だけだ。

現代政治の先導

民主制に基づいた中道主義が現代政治の結局の形だと悟るべし。

国家の軌道に異常無し。天下地上の和への志はわれらが文民にある。

「国は家」という宗教

宗教を国の風にまで自然にするべきだ。
国の道はここに在る。

あらゆる国分が保たれるとき、地球は一家になるだろう。

宇宙

浮生は夢のようだとは古人は云うが、そんなことを言えば宇宙もそうだ。

長幼の序

老いた人、幼い者をいたわることは、弱さへの情である。

宗教再解釈の説

中華古典はpragmaticな引用の辞書と見なされるべきで、必ずしも生きた哲学ではない。

また、それはあらゆる宗教にとって真実だ。
なぜなら再解釈の余地がない信仰を《狂信》と呼ぶのだから。

ここに信教への「適度な懐疑」が必要となる。
あらゆる信仰は熟慮を通して深めることによって、ますます尊くなるだろう。

2006年2月21日

民族相対論

自民族中心主義は常に恐れるべき狂信への危険をもつ。神民思想すなわち自分が現人神たちの住む文明国の主体であるという自覚、いいかえると自らを神格化した国民によっての神民思想という考え、の担い手に対して我々は、今後とも注意深くならなければならないだろう。

和政戦略memo

千載一遇のchanceとして自主国防の時事的不用性を善用すること。

則ち軍事的に米軍の傘下にある現状を建て前として理に用い、
世界に堂々たる平和主義国家の勇気をアピールしながら国際社会諸民の共感と同情を誘い得て、
一国滅亡を恐れず瞬間に攻めて国連政府を確立すること。

 自由主義の現実的勝利の折に野蛮回帰の世にも奇妙な醜魂を恥じない自主防衛軍論者の馬鹿の叫びを三島割腹の狂言芝居を当てこすりに国益の為に決心利用し、
国際平和貢献法たる本音を漏らせば便宜の自衛隊運用法を国際情勢調整の戦術に採用、
国連理事国のリーダー役にその身自ら躍り出て『地球一家』の理想を高々と語る立派な芝居で「偉い」と地球人類永世の絶対信仰を勝ち取り、
諸国の紛争を和平で解決する集団的安全保障条約を率先立憲、
こうして大和に至るべき文民王道があると常日頃覚悟せよ。

文民

現代の教育の目的は文民化であるべきだ。それが教育を受ける権利にまで棚下げされ、社会に余裕を作る。

母星

地球文明を相対視する事は我々人類にとって普通の権儀だ。でなければどうして絶対権威を否定し得る。

知のみ

知のみが力である。

先導神威

凡亜の惰眠、日本から覚める。

公道

官民は本質的に同じものなので、どちらかの権益が大きすぎる事は望ましくない。

官の全体統制

官の腐敗の極度は官による言論統制として表れる。衆愚政を避けようとの考えから、寡頭政さらに独裁政へと腐敗を遡ることは、退行といえる。自由人は言論の自律性を死守すべきといえる。

愛の次元

博愛に対して性愛的見方は俗物の善導に有効だった。かつて差別の恐怖は底上げに働いたのだろうし、現在では偏見がこの名残となっている。つまり博愛の次元は、最低限度を底上げる性愛的見方の上位概念にある、最高限度の命題であるといえる。

漢学論

漢学、中華古典学とは結局、ことわざの研究に過ぎない。そこには現代において脱構築的な対文章多面解釈の余地しか残されていないし、根本的には言語学と歴史学内の地域文化史、あるいはまた神学や宗教学に還元されてしまう。漢学とは科学内の社会学の一部門でしかない。

正義論

あらゆるIdeologieを脱構築する正義を人は有する。自発的な絶えざる無知の自覚から常に、哲学は出発されなければならない。我々の思念は自体が哲学的目的だから。
 反省的思念はどのような領域にも依存しない。故に、人はここにおいて正義を問い得る。

大和の国見

非常時の防衛は結局、士気1つに集束する。
従ってさほどの問題ではない。
万世権威の要たる男子の心底隠したる勇気はまるで愚衆民情に由来せず、一矢の英雄の剛毅に存する。
なぜならイザとなれば一個人の猛々しい気概が仲間のあらゆる男子に即時伝達するからである。
多少の負けに甘んじて、永久に一回きりの大勝利の栄光を逃してはならない。

 真の和の道は平時の仕組みすなわち凡夫女子を指揮善導する方便としてのideologyの創意工夫にある。
雄志たるもの身に許された知力の全てを尽くして、これに改良洗練を重ね、
限界究極の精神にまで磨いておかなければならない。

知能生物由来論

人類の歴史的向上はその知能の発達を促す社会構造を形づくる方式にある。唯物史観的な階級化の論理はこの為に常に奉仕している。つまり知的階層を肉体的階層から出来る限り巧妙かつ遠大に分節し、哲学的閑暇を量と質の両面から増大させていく方法論が社会。
 歴史精神の狡知はその社会運動の唯物史論理にまで浸透している。近代人が非動物的進化と考えてきた知能の働きですら、生物の特性だった。

文民

個々の生物の死を乗り越えて種の体系を残すべきだ。以上を空想と見なす人物に文民の資格はない。

女流

普段の暴言を慎む民情を羽含むことだ。

文勇

抑止力発動の潜在力。

求道

日本固有の人間哲学の核心は、どの生きるかとかなぜ生まれて来たかでは無く、どうやって死ぬべきか、「なぜ死ななければならないのか」への沈降である。
 武士は人類最初にして最大の実存主義者だった。彼らは死への先駆的決意を一般に確信し、自らの生をプラグマテッィクな実践に懸けた。彼らは死を知ることで生を超越しようと欲した。それは極度の道徳的義行へと集中し、単なる人道の為の自主的殉死としての切腹も平気だった。
 定言命令の自覚つまり求道は、我々を人間哲学の実行者にする。

2006年2月20日

閑居

聖人の閑居は慈善。

士気

永世の士気、一時の勝負。

知能論

科学の徒は常に、ソクラテスに帰らなければならない。学ばなければならないことは、自らの無知に気づくほど増えるもの。どうして地球人の聖賢に到達したとして、あらゆる宇宙人の知性の限界を量り得るものか。
 否、我々はより普遍的な知能測定の方程式を学ぶべきか。もし人間精神が真に偉大ならば、知の海原の大航海ではそのような浮き輪が何の役にも立たないことを知るだろう。学ぶことは謙遜故。

数学

数学研究を怠るな。実証科学の基礎だから。

博物学

真空エネルギーの万有斥力が宇宙定数の正体なのか。引力と斥力の均衡が全宇宙の正体だ。4力をここに統一できるだろうか。相対論と量子論がその論旨とどこでどう調和するのか。
 対称性の乱れの根源因に基づく時空間に対する公理の修正から最も普通の宇宙modelへ至るような数式の導き方。最もわかりやすい論述の方式。原論と原理を手本にせよ。ビッグクランチを避けながら、希薄化しない永遠性のある宇宙modelの創り方。
 技術的応用。同じ均衡性の論理に基づいてより熱効率のよい発電機をつくる方法。水素の利用? 光合成の応用。斥力利用の方法。何らかの飛行術として?あるいは浮く車、乗り物、或いは都市。空中の区画整理の法律を作らなければならない、また交通整理のルール。高層圏までの限度と安全性。

物理学

もしこの世界が人間的宇宙なら、我々へと永遠の繁栄という理想を魅せるに違いない。今のホーキングの宇宙モデルを修正すべきは、アインシュタインくらいまでは行かなくとも多少、より強い人間原理を導入して希望の宇宙モデルへと改造することだと思う。科学者の思考が神或いはEnergieへ従属するものだと考えず、むしろ我々が創造主だと考え直すべきときが来ている。実証主義に基づいて、より人道的な宇宙を我々自身の仮証思考が創り出すのだ。

創造

人間の再創造する作品が宇宙より美しくなることは無い。なぜならそれは宇宙の人間的形相に過ぎないので、いつも等しくなるだけだろう。しかしいつか人間の創造力が宇宙を凌駕する時、芸術家は新しい創造主になるだろう。

学術

純粋学術の研究は人間普通の遊戯である。

日本文士道、独立自尊して全地球を先導、宇宙の平和を守るのみ。

東洋の道徳目

東洋の潜在的知力を抑圧しているのは農業社会式孔子流の年功序列道徳か。それは経験則を延長させるが、他方で新しい知識の応用を阻害している。

2006年2月19日

社会学

生産様式の段階における倫理の分類仮説
狩猟…母系社会
農業…老幼の序
工業…自助独立
情報…理由説明

実証性

民族を守るものは栄誉である。人類を守るものは栄光である。もし君、少なくとも永久に近づこうと欲すれば、実証科学に忠実な学問へ献身せよ。

普通宗教への試み

先ず人類共生の理念を込めなければならない。
次に生命体への慈悲を感じさせなくてはならない。
そして宇宙への愛を信じさせなくてはならない。

このような現在的至善の理念を、
かつて地上に産まれたあらゆる土着宗教を包含揚棄する地球宗教(the global religion)として、
カンタン至極なふつうに信じるべきideologyに翻訳してしまえ。

独立自尊では不完全だと思う。あまりに独善の意味に近いから。

信仰再考

「信仰の自由は最大の信仰である。」

それは価値多元論と道具主義に基づくpragmatismの基本理念になった。
だが、ここにおいて信仰は自己中心性へと容易に空洞化し得る。
なぜなら信仰がそれ自体の目的──善導──から逸れてしまい得るから。

 わが自信仰もこの大衆化の危機から逃れられない。

だから我々のpost modernistic belief(脱現代信仰)の中心は、
如何にしてかつて到達した至善の実威を、常なる大衆化の堕落を防ぐ、超精神的な大衆的styleで再創造できるかにある。
 はるかに高次の理念で照らされた『普通の信仰』が改めて獲得されなければならない。
それはまた、現世の変容に常々対応し得る脱構築的再解釈の方式に当てはまっているべきだ。

一神教の止揚試論

旧約聖書たるユダヤ教は自然状態を最良とし、
我々の生物学的進化の結果を「罪」と見なして否定する。
そこに道徳の根本泉がある。

ところで新約聖書たるキリスト教は──jesus本人の意志によれば
絶対唯一神からの愛のもとに万物は平等であるが故に、内容的な隣人愛の実践を説いた。
 後世にjesusの磔(はりつけ)が「原罪」として再び
ユダヤ教風の道徳的反省の種に祭り上げられるまで、
このような普遍愛の思想はその極度に単純な原理「愛」によって欧米世界の人間を席巻したのである。


 ところでイスラム教創始たるマホメットは絶対権威を改めて設け、
ユーラシア大陸南岸内部に根付いていた輪廻の思想を利用し、天国と地獄の選択の前に無知な人々を回心させ、
堕落した土着多神教からの離脱を図るべく、聖戦に赴く武力暴威を正当化した。
ここにイスラム[唯一神への絶対帰依]世界が誕生した。


 ところで我々地球人が『神』と云うとき、一神教信者にとってそれは超人間性を指す。
ならばどうして神が我々同士に殺し合いを方便づけるのだろうか。
 信仰の有用さと狂信の害毒を目の当たりにして人類は、何を頼りに生き延びるべきか。

 もし至聖たる信念が未だ世界にあり得るとすれば、ガウダマ・シッダールタが語り始めた『慈悲』にあるだろう。
ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒もみな縁起する無常の心象に過ぎない。
それならどうして彼らを憐れみ、恵みたまわないのか?

 この世から苦を除き、楽を与えなさい。
欲望中庸の境遇に至るまで、苦楽の両端を避ける内省の修行を続けなさい。

理論化

より非野獣的に高度に、快適を取り不快を避ける行為を普遍に増大させること、文明は理論化と名づけるべきか。それは我々全体に未開と開拓の差異を広げて、しかも地球生物に新たな選択の体系を進化させる。

知性

人類の英知とされる科学理論の発展の実質は、単に学習の伝承によって種内に多様な思考を喚起する装置に過ぎない。でなければどうして人が神の思考とやらに到達しようとするのか。
 どうか文明の進歩を導き、人類の生存の確率を絶対的なまでに高めたまえ。

学問

俗物を導く仕事と、神聖を高める使命と。人類を先導する事に、自ら宇宙の真理へ誘われる事。閑寂と忙殺とを上手にくぐり抜ける方法を考えよ。働け、怯むな。国際情勢を調整し、人道的経済に民情を流し込み、孤独な学術研究の旅路に余念を残すな。求道と伝道を共に怠るな。

一般的一神教信者の為の普通回心説

全知全能の神は失敗をも創造して、我々を誤るべく作ったのである。

でなければどうして神の似姿たる人間が
日々種内競争に本気になり、戦争の悲劇や差別の偏見などといった下らない間違いを繰り返し犯すものか。

 絶対唯一無二の至高の神よ。
あなたが我々の試行錯誤を嘲り笑っておられるのを私は怨むまい。

我々は造物主たるあなたの真の御姿に近づくべく精進向上しよう。
いつか我々自身が誤りなきあなたの良き子どもに──創造者に──こそ成れるように。

等価性

人間は等価。

人類生物学

脳容積と特定の体力の人種概念的な偏差。それらの協調性が単独の時よりすぐれた体制をつくる可能性。

女神

どうして君は我々の女神に仕えようとしないのか。彼女の魅惑に従えば理想人へ高められように。

都市の観察

猫が歩いていく。場所は名前のない大都会。誰にも知られない秘密の経路を辿って、高層ビルの隙間を渡り進んでいく。視点はからすになって、そんな猫の行く先を追跡している。やがて彼女は小さな路地の抜け穴の奥に消えていった。からすは夜明け前の朝焼け空を飛び去った。西の方には三日月が架かって、冷ややかな微笑みを浮かべていた。
 私は始発の地下鉄に載って、この街までやって来た。何の当てもなく点滅する信号機をよそ目に、ハイヒールを静まり返った朝四時の都心に響かせていく。そして一件の建物の前に着くと、おもむろにハンドバックからカードキーの入ったパスカードケースを取り出し、センサーを解除してその中に消える。
 太陽が次第に昇り、からすの鳴き声がする。たまに聞こえる長距離トラックの音がこの都市に、序章を奏でている。

名分

学歴支配の弊害は、搾取と恵与の功利資本体系が堕落し恣意化する危険にある。知的に隠蔽されたファシズムの構造がここにある。脱構築する手法は文民による名分依存の理解。その先により良い社会体系がある。

学閥

学閥の破壊は機会均等の原則にとって最大の実現方法だ。党閥や財閥に癒着を許す日本の患部はここにある。

情報化社会の倫理観

現代社会の要は、情報のpublicityとprivacyを均衡させる点にある。先ず情報に利潤が発生するのはその量質差をある人々がcontrolするから。よって情報産業は良質な情報を大量に独占する方式を推進する。
 逆に政治的腐敗、権力集中による独裁の危険を防ぐには、公務に関する徹底した情報開示が自主法治されねばならない。しばし経済分野についても情報閥の発生を緩衝するべく、公正な分配を意図する適度な介入は必要。また官民に分け隔てなく、個人情報の悪用を絶対阻止する立法が先決されねばならない。

聖性の三面等価性

社会一般の進歩が大まかに言って、知識と道徳と技術の三面に分かれることは自覚されるべきだ。それらは必ずしも足並みを揃えない。だからどこか一面だけの伸張を以て人間界の大躍進と思うのは間違い。
 Paradigm論が人類普通の野蛮から文明へという流れを否定する訳ではない。それは基本的に、科学理論展開の脱構築的性質の展望に適するに過ぎない。
 もし人に文明を為す意志があるならば、知徳技、古典的にいえば真善美の三面等価の原則を理解すべき。それぞれの発展の論理はまた少しずつ異なっている。知識は科学的学習によって、道徳は哲学的内省によって、技術は芸術的追究によって育まれる。そして知識は積み重ねられるもの、道徳は行ったり来たりするもの、技術は改めて至るもの。
 人は三面をそれぞれの適性に応じて養成する必要がある。

2006年2月18日

発展途上国代表論

神民意識は独立自尊の必然的な帰結であり、世界の和平先導へ貢献する自由は士道に他ならない。

都市

平和に暮らす為には和平に遁走しなければならないという逆説を認めない仙人は、俗界の戯れを笑って満足だろうか。けれども進歩の風に吹かれたら、そういう厭世の聖者でさえも遊びに、俗世に降りてくるだろう。
 華やかで美しくみせている、実に酷い都会。そこに暮らしている賢愚老幼無数の人々を、慈まずにいられる。輝く街の灯のもとには新しい命が今、育まれようとしている。
 醜さと歪みを潜ませ、栄華と便利を提供する都市。人間の造り上げた文明の形。
 なぜ君はそれを崇拝しないのか。我々の巣が描く遠近法に則った風景画のどこかに、君自身の生き姿は含まれているのに。

孝の解釈

子に老後の世話を期待することを親孝行と解釈した東アジアの古説は、福祉事業の充実と共に脱出すべきものか否か。少なくとも事情が許さなければそうなるだろう。

2006年2月17日

都市化

しかし、それは伝統に対して復活ではなく洗練という形相になり、地球人を更に遠い新地へ導くだろう。適応は創造。

Feminism

社会生活における男女の役割分担は自然で、およそ最も効率的なものだった。それは我々が近代文明に要したより遥かに長い大きな苦労の有史以前を通してようやく培った文化的宝だった。
 男性による社会福祉の充実と大いなる社会的甘やかしという二大改革を経て、女性が真に自由なidentityを獲得したとき、男女らしさの伝統文化はより美しい形相で復活するだろう。

人格

罪と恥が人間の反省を促す二大観念だと仮定する。前者は内的人格(道徳)を、後者は外的人格(倫理)を喚起する。人格なるものは、練習で向上する思考とは異なり、常に堕落の危機に瀕している。却って高潔の見本は無邪気な子の中にこそ見いだせる。童心、天心、赤子の心。罪と恥の反省が、後天的な習性を親からの保護という自己についての客観な監視状態にかえす。

求道

お前の道を求めるがいい。どうして世界と産まれてきたか知るだろう。

死を想い言論する事。

Global nationalism

国粋無き者、世界政府の桧舞台に堂々たり得ず。

在野

学歴を労働能力の知的指標から引き剥がす為には。学閥を潰し、企業には学歴差別の撤廃条例を課せ。自力独学を国家規模を超えて称賛し、研究機関の独占体制を壊してしまえ。アカデミズムを地球から根絶しなければならない。万人に学術研究の幸福を解放せよ。学歴の秘密を守れ。賞与の機会を全て断て。勲誉の開示を1つ残らず戒めよ。無名の栄華を生涯守り通せ。聖者よ、在野文民の地位を一歩たりとも揺らがすな。俗物世論を鶴の一声で自在に動かせ。民主化を奨励せよ。啓蒙を怠るな。

情報

地球人類間の習得的知能差を最小にする方法は情報化。学術界と政経界の分立。

人へ

人よ、自ら無知を絶えず恥じよ。どうして自惚れるほどお前の小さな脳が立派であるものか。宇宙の遠大さを想いなさい。お前たちより遥かに優れた命が暮らす美しい世界を求めよ。
 なぜ君は産まれてきたのか。愛という名で呼び慣らす、雌雄別体で二足歩行の有機体が有する生存欲求の昇華の度合いに従って。
 未来永劫の光明の向こうに、理想の幸福は静かに眠っている。どうして彼女を求めないものか。どうして君たちは喧嘩で己を空しく費やすのか。そうしているうちに彼女は寝床を抜け出して、女神になって消えてしまうに違いない。
 目を開けよ。地球のどこへでも飛んで行って、下々の魔法を解いてゆけ。愚衆と聖者を隔てる大きな川に天懸ける橋を渡そう。人類はもしかすると君を崇拝するかも知れないぞ。猿山の王者はその山の頂から何を見通すのか。
 万物の霊長類たる人間、貴様たちにも命あるものへの慈恵の感情が無いはずがない。ならばなぜ同類相食むのか。超大国の王様に遣使を送ろう。
 貧弱な町の民に山ほど金と情報を恵みたまえ。悲しみを嘆き、不屈の精神で地球人類を背負い、日々勤労に殉じよう。なぜ貴君が神たるに値しないのか数学的モデルを挙げて証明するまでもない。救い主を辱めるテロリストにはお辞儀でもしておけば良い。奴らに国際法の定義から説く手間暇を勿体がるな。

啓発

ユートピアは未だ来ない。現実に暮らす人には便宜的区分の必要が多くあるのだ。無知無恥な罪深き猿ども、世界を荒らして我が物顔で大威張りだ。エピクロスやオーウェン、老荘仙人のように人里離れて暮らすことはできない。人はポリス的、社会的動物であるから。
 理想を高らかに語れば語るほど、この醜い地獄では貶められる。なぜ沈黙が美徳なのか考えてみるがいい。神の国すなわち人の楽園は、彼らの教育の大仕事の後にお預けせよ。

信念

天下地上人皆等価(てんかちじょうひとみなとうか)。

ここに信がある。

経済学

ゲーム経済論。資産家が自主的福祉を推進するほどに資本主義経済は自然、共産主義経済へ近づいていく。その理屈は、情報産業の創造的生産効率化を図る為に生産手段すなわちIT機器の社会的共営を余儀なくされる、複合企業の利他的脱皮の必然にある。情報産業における最大のサービスはより良い情報生産方式の消費者への提供なのであって、興行自体ではない。なぜなら創造者の解放が情報生産の具体的やり方であり、工業時代にまつわる機械式従事の労働にはそぐわないばかりか逆に反するのだから。
 つまり、労働者はこのIT時代にあっては消費者と生産者を常に兼ねる創造者という新しい産業階級的地位を獲得するだろう。資産家の任務は彼らの知的遊戯の欲求に即した舞台提供の非価格競争市場を形成することであり、この様な新しい市場を価値競争市場と銘々できる。そこでは新しく面白い価値を求めて永遠の情報交換が日々斬新に行われる。異なった知識形態商品、soft wareがやりとりされるだろう。
 しかし、この市場は生産手段そのものすなわちIT機器、hard wareの良質量産が殆ど完全に社会に共有化されるとき、事実上消滅する。Playerたちに解放されることになる筈だ。これを自然的共産革命と呼ぶのは易しい。要するに、近代文明の究極の商品とはgame softの生産という史実に人類は行き着く。この自覚こそ資本経済を共生の勝利に導く。公開株式市場だけが最後のgame soft wareとして残されるのかも知れない。しかしそれは最早競争というより遊戯の経済なのだ。なぜなら十分すぎる物質的資産を一般的に私有する地球の人々は利潤を私益の為でなく、より良い福祉という唯一の使命実現の為にだけ獲得するように遊び励むのであるから。

脱マルクス経済学

剰余価値の搾取は、一般に民主資本主義社会において企業・教育機関・政府の三位公認の元に、学歴階級制度に準じた知的能力格差に応じる分配的正義として、私民達にさえも積極的に肯定されて来た; 知力支配の序列。

人類は王政を超えて、ヘーゲル的自己、自由精神の意志のままに民主制を実現して来たはずだったが、貴族と奴隷のhierarchy(階級制)の構図はwhite colorとblue colorに形を代えて自由主義という美しい名目の下に、巧妙に隠蔽されたのである。

為らば現代の民治的正義とは、適度な分配の政徳、福祉制度の中庸な奨励にある。
 もしも社会共産主義国家が既にもつと誤算すれば我々は大いに無駄な遠回りをせざるを得ない。
なぜなら需給の均衡と産費の開発による活発な市場原理を利用せずにして経済産業を興すことは、人間という哺乳類にとっては未だに困難だからだ。我々の世俗は神には遠い。理想郷は、創造的躍進に対する限りない無欲を宿命づけられた労働ロボット達にとってのみ現実的である。

 世界に生産的で且つ賢貴な金持ちがたとえ少しでも残されていたら、彼らこそ経済人の名に相応しい。
 思うに、蓄積した利潤の自由で最適な恵与こそ、民衆間に富豪を有する最高の意義なのだ。
資本主義経済こそは個人の経営知的格差順に任されたこの倫理的恵与の原理に則って、我々にとって正当な根拠を持ち得る; 資民恵与。

普遍信念への試論

「慈恵」を単に有機現象の生存意志に留まらず、宇宙普通の無機物質的事象にまで推し広げることができれば、人類の思想は普遍的道徳へ更に一歩近づくだろう。

それは超人間的対象、言い換えれば「神[自然神であれ多神教であれ唯一神であれ]」の心に精神を高める尽力に相当する。
そして新たに定言命法にまでこの神心を落とし込む挑戦に成功すれば、人間は統合された信仰の核心を掴む筈。

科学的証明の漸進的更新性[paradigm論]を方法的懐疑に基づく万有原理への絶対的信頼へと還元しなければならない。

宗教学

凡そ、かつて人間が到達した至高の道徳的理想は、ガウダマ・シッダールタの一切衆生への慈悲すなわち全生命体の慈恵にあると考えていい。
その他の思想家、宗教家、道徳家、倫理学者の理論は飽くまでも人間本位の自己中心主義から免れない。

道家思想や民族信仰は一部これに例外するが、普遍社会への積極的道徳となるには足らない。
慈恵は造物主あるいは神の心に殆ど近づく。

 ガウダマ・シッダールタにとって地球を超え、我々の暮らす宇宙は全て、生命の幸福を促進させる機関だった。
それは、諦念という究極の思想的昇華によって人格そのもの超越する悟りの手法に基づいたものだった。

 慈恵の精神は人類の道徳の歴史的終極を示している。
ガウダマ・シッダールタの思想への崇拝は仏教として大衆化し世界宗教にまで発展したが、彼の到達した究極の精神性こそが人間界の至宝だった。

2006年2月16日

威厳

社会に貢献できなくなるまで人間の威厳に終わりは来ない。

建築論

都心における超高層集住の様式を工夫洗練し一般に普及させることは、自然環境と人為環境とを分節させ、生態学の理想実現の本旨に繋がる無二の建築計画である。
 慌てる人は環境無害な新たな発電源や熱機関の発明に闇雲な期待を賭け、自らの自然破壊行為、建築を正当化しようと欲しているが、残念ながら大半の問題は都市の理、情報集積効果に基づかないが故に空論を免れないらしい。

貢献

自由をこえて、人類への貢献という理想がある。

史学の皮肉

「若者は人生経験が少ないから愚かだ」と仰る君子連はどうやら、歴史という膨大な帰納的蓄積を御存知無い。

情報対応論

産業に関する空洞化現象を消極的に捉える必要はない。それは生産様式の必然展開に理由する脱工業化、つまり産業の情報化だ。日本企業は最適化を模索する先に、創造的頭脳部分以外の可能な全ての事業部を外注することで地球化を乗り越えるだろう。それは国民の大半をインテリジェント・ホワイトカラー化する進路に照らせる。しかし、それは労働価値説に基づく知能労働の優位により、資本の極度の集中という弊害を招き入れ得る。資本家が心配せねばならないのは情報の寡占体制による不均衡である。それは情報産業以降の恐慌へ繋がる主因だから。ならばその操る日本語を可能な限り地球各国の迅速な教育に適するべく文法づける必要がある。国内日本語教育の文学論的方式を早期に改めて、論理学的方式へと展開する任務が多く国民自身に自覚される。

文明論

非武力的和平手段すなわち言論の理によりて世界平和を実現させる国威はその文明力において超大国の根本理念を乗り超えることに等しい。

人間の自尊心

どうして人はここまでして戦い、争い合ったのか。
大量虐殺、原子爆弾、奴隷や侵略や暗殺や死刑。
悲劇的歴史を喜ぶ悪魔は我々自身の中の獣性だろうか。

あらゆる戦争は人間において激化した種内競争でしかない。
同類共生を実現する為に地球的宗教が絶えず模索されて来たが、殆どが失敗した。

 人よ。あなた達自身を敬いたまえ。
どうしてこの荒廃した地上に神が降り立ち得るのか?
あなた達自身の他に適切な建設者は居るのか。
獣どもを観よ。彼らは食い食われる無限の輪廻の夢中にある。
ならば地上の王、万物の霊長よ。あなた達しか理想を創れない。

涅槃からの目

哲学に謙虚なき科学は人類へ常に不敬であり、宗教的信仰を全廃したがる実証主義は殆どの場合、邪悪。しかし論証し得ない事象を共有するべき筈もない。
 理性人又は知能。この可笑しなもの。彼らのお祭り騒ぎを涅槃の境地から見守るものをこそ畏れよ。論理はそこにあり、人間達を指導する。

幸福論

ミルの比喩的修辞や無形の空論によるのでは無く、快楽の質的差異を尚一層、実証的に理論づける必要が人にはある。
 幸福の内実を解剖すること。

文明の相対さ

インド‐アラビア式数字による十進法の代数幾何学が、我々の近代文明の生命線だった。それは地球規模の知的環境には適応したが、普くそうであるかは現代人にとって保証できない。つまり文明は相対的だ。
 かつて福沢が絶対不変の美として希望した科学的理性による世界理解の体系には超えられないほころびがある。その自覚は方法的懐疑に出発する近代自我を脱出させる認識へと、さらに飛躍する可能性がある。
 普遍的自我を定義づけなければ文明論は端緒にも着かないだろう。

独立主義へ

Americanismを乗り越える政治理念を国際間の常識としなければ、国連の大国主義は崩せない。

こうして国際政治学者の口火から『独立主義』の喧伝が推進されなければならない。

即ち飽くまでも外交の諸側面に堅固な姿勢を保持し、協調性より思い切って国益を最優先させる勇気が必要である。
我々世界市民が地球規模の真の民主制を実現するには、各国の自主的統治の堅持が前提だ。
例え如何なる暴力の脅しにも怯まない文民統制の気概が自覚されるべきだ。

 予想内批判への回答。

1.ナショナリズムは時代遅れのイデオロギーだ
──否、その矛先と利用法が命題であり、手段としての愛国心は地球時代の人民の基本思想だ。
国連改革実現と国際政府構築への意志の公布には国民度の養生が何より先。

2.超大国の圧力をどうする
──理想主義は充分に実現の範囲内にある。即ち、集団的自衛権が存在する以上、積極的平和主義は最も現実的な国策である。我々は言論のみの正義をいつでも断行し得るのだ。すべて人民の自覚の多少に懸かっている。

2006年2月15日

建築論

片持ち梁は永遠性の標示にのみ用いられるべきだった。不必要で煩雑な構造計算を減らす為に合理主義の信奉者によって無闇なその乱用は限りなく抑制されなければならない。

人類学仮説

雌雄の行方。生物的に女性らは必ずしも優秀な遺伝子でなく、将来当然考えられる環境変化に創造的適応が可能な特別なDNA typeを欲する。現代文明が女性に過度の教育を施す結果、人類社会は異質化の意義を忘れていく危険がある。それは女性らしさの亡失、言い換えれば人間の男性化に等しい。しかし先進的男性は早くも悟る。愛情の欠落した女性に投資する意義は無いと。ここに両性の合意の元、夫婦という婚姻形態は消滅するだろう。法律によってではなく、愛情のみで共同生活を送る一夫一妻制へ大半の人民は自然移行する。もし性差が必要ない理想社会が到来するならば、そこには出産もあり得ない。然らば現実から男女の違いは消え去っていく。我々の繁殖は雌雄同体の方式、競争によってではなく協力によってますます似通っていくだろう。例えば服装にしか男女の差異は殆ど見分けられなくなる。
 人間の全体は女性的幼児化の傾向を持つ。なぜなら我々の猶予が知性を養生するから。而して未来の人間は、特別な特徴化の突然変異への暴走がない限りつまり巨視的には、中性化する。数世紀を経た宇宙人の形相を想像せよ。

大政奉還

若者へ大政奉還せよ。

自由に向けて開かれた個人が、社会の経済的ゆとりに相まって自己鍛錬の習慣を身につける時、万能への機会が訪れる。そして人生に与えられた可能性を最大限に生かすならば、君は人間を超極したものに到達できるだろう。後世の人々はその傑出した個性を天才として神格化する。

女性啓発論

前提として種の全容を保存するには死亡者より誕生者を増やす必要がある。この為に現実的な生物的手段は健康な女性1人に対して数人以上の子孫を育ませることだ――第一の公理。他方で、我々の社会の定員はその発達の度合いに応じる――第二の公理。社会の無際限な生産拡大が可能な場所では又、子孫も莫大に繁殖する。
 上記より推論するに、女性啓発の適度な程度は、社会的発展の可能性に応じて獣性を損なわない迄と言うことができるだろう。体外受精や子宮外胎児養育の生物学技術が進展しても我々が人という哺乳類を抜け出さない限り、妊娠と出産および幼児の保養は動物としての機能の面から女性の任務と見なされるのが良い。だから女性啓発の要は一般的知性すなわち社会常識の開発に存する。
 或いは高度情報化は少なくとも女性の保養の手間を半減させたではないか、為らば彼女らの活躍は無際限に拡大されて然るべきだとの主張への解説。それは我々の繁栄を絶望視した衰退文明以外で現実的ではない。
 それなら個性への例外はあり得ないと云うべきでは無い。もし権利があれば全ての女性が一流の男性と同等かそれ以上の神的能力を目指すかと言えば異なる様に、法律は可能性の平等を飽くまでも堅持して保証し続けるべきだと民主的漸進的に考える。共学と機会均等および社会間性差別の全廃に種々の工夫を以て徹しながらも、世間一般に、教養主義的女子大学は奨励されるべきである。多様な人格や思想をあらゆる個性に許しなお一層促進しながらも我々の社会が未来に向かって正式に求めるべき女性像を失ってはならない。

女権先見論

極めて理知的な女性は、その様な男性の総量に比べ相対的に少ないという経験則について。近代化された社会についても万が一、女性が一般に情緒的な事態があるならば我々に考えられる原因は2つある。1つ、性差による差別が幼児期から構造的に宿命づけられることで。2つ、精神機能を発生させる脳内構成にまで、DNAが必然的な性別を付与するので。
 このうち1は女性優先の風あるアメリカにおいても女性の社会的活躍は厳格かつ客観的に比較して、男性に対して少ないことが真の可能性の低さを物語る。及び2について、脳神経の組成を調査研究しなければならない。左右の脳の接続基幹の出来に性別差があるという実証成果が不完全ながら確認されている。これを新皮質と旧皮質の関係にまで演繹すれば、本能と理性との分別がし辛いという女性の一般的特徴まで言及できる可能性がある。果たして狩猟型の暮らしをしていた二足歩行の類人猿時代から延々と我々の基底に影響を与えた社会環境は性に特有の才質を与えたと見做すのが自然だろう。故に女性は優秀な遺伝子を選別するべく女らしい性格を各文化圏で様々に形成して来た。
 近代文明はとりもなおさず本能に対する理性の支配の史実であったし、それは十進法の代数学を基礎に地球人をほぼ完全に覆い尽くした。脱工業化を図った現代が自然権に基づく男女平等の権利を社会化するのは当然だ。大まかに言って人民の半数を占める女性の優秀な人物が次々、本格的に社会の高度な制度へ参画するのはあらゆる男性にとっても多大な恩恵を意味する。男尊女卑であれ女性優先であれそれらは神学的封建制の段階で我々に適当な思想形態だった。なぜなら少数の貴族による専制支配および武勇の利に適していたから。だが形而上学的法治制のレベルに至ってこれらは地球規模の理想に依り脱構築されることになった。こうして女性啓発論が未来に対してより良く基礎づけられなければならない。我々の社会的知性は習得的である。性差や性別から解放された新しい女性像がむしろ理知について先んじる男性によって先見的に模索されねばならない。それは彼女たちを文明内について善導すると共に、女性の潜在力の養成によって種の全体を著しく進歩させる方法である。

Global国家指導論

もし人が戦よりむしろ和を以て尊しと為すならば、国民性に助産術[ソクラテス流問答法]の風潮を刷り込ませるべきだ。
則ち、『無知の自覚に基づく議論の遊び』が国家的指導者たちによってアグレッシブに奨励されなければならない。

そうすることで真に国際的な国民性が地球人に認得されるだろう。

文民化論

ある民度の水準を引き上げるには同一言語圏に「議論の慣習」を根強かせることに因る(福沢『文明論之概略』)

 どうやってそれを活発化すべきか。
 議論・discussと論争・argueとの差異の理解を深める必要が先ず在る。前者は修辞的な詭弁術によるゲーム風の勝敗を重んじ、後者は理屈抜きの醜い言い争いを意味する。摂養しなければならないのは前者の議論の慣習なのであり、後者では無いことをここで確認しておく。なぜなら目的は議論での民度の切磋琢磨であり、論理による戦争自体は手段に過ぎないから。
 法治制に基づく中流知識人の方法は、市民間に民主的権利の自覚をますます促すことにあったろう。

2006年2月14日

地球史

もし君が動物として必要なだけ賢ければ、できる限り地球史の代表に挙がる様に生涯向上に努力し給え。

科学論

科学の本質は寛く、思考法則や社会を含む自然に対する驚異の、連続的な確認作業に他ならない。

努力

努力は天才に打ち勝つ。

物理学

空間の歪みたる引力の原因を問え。世にある運動は皆そこに由来する。

学習の方法

自らできる限りその分野への敷居を低くする事。同時に志を遠く高くに置き、弛まず進む為の達成し易い目標を行程に幾つも指標として立てていく。最初の敷居は低くするほどに良い。そうする事で多くの分野に参画できる。

北朝鮮の近代化を語る

民主化の波から孤立して取り残された北朝鮮に最良の仕方で近代文明の仕組みを伝える手法。それは明治維新で鎖国を崩した時と同じ内部崩壊を誘うべきで、必要以上の外圧は暴発の危険性から言って全く好ましくない。

 然らば政治人の務めは北朝鮮へ積極的に、可能な限り沢山の多様な情報を与える事。これはハングル語圏にありIT先進を果たす、彼らに多少なりとも友好な関係を持つ韓国民に最も相応しい役割だ。

 而して日本国民を含む国際人が為すべき第一の事は、韓国民による北への情報伝達の促しなのだ。国際関係を観る限り韓国民に対してはこの件についてある程度、強すぎる圧力を加えても良い程だ。彼ら韓国民の功利にも適う政の案だろう。

国際関係和平法

global時代の基本社会学命題は「如何にして国際間の知的格差を減らすか」に絞ることが出来る。
諸国際問題のすべてはそこに起因すると考えて良い。

勿論これは先進国の先進性を挫くべきでは無いので、途上国の自主啓発(self education)の促進効率に帰着する。
為らば現代国際人の使命は途上国民の為の、啓蒙思想の速やかにして大量な輸出にある。IT(情報技術)はこれに最も役立つ。

即ち途上国にITを大量に輸出することが先進国民の責任として優先して行われなければならない。

経済学

生活費分の純情報量係数(スズキ係数)は生産手段が情報そのものに移っていくに従って上昇する。しかし必ずしもやりとりされる情報の質的高度さを意味しない。梅棹の言うところのコンニャク情報、実用内容を伴わない情報以上の何かを保証するのがスズキ係数ではない。ならば、福沢的文明論の視野に立てば情報化自体は何ら文明化とは考えられない。単に生産様式が変化しただけのことだ。けれども我々が産業革命を経て新たな階級闘争の段階に移行した場合に体験した様な民情の一新があり得る。否、それは既に我々を変えているのだ。
 新たな文明のレベルにとって市民啓発は目的化する。最高の市場価値を持つのは又、最大の啓発力を有した情報であるだろう。なぜなら美味しいコンニャクほどに、需要に応じて取り引き価格は上昇するだろうから。或いはその料理の仕方に無際限の工夫が観察できるようになるだろう。栄養の多少にかかわらず、情報の加工の差異によって世人の好みを満たす無数のコンニャク料理が発生し得る。
 だから人は、更に上等な情報を求めて情報網を旅する。それは未来社会人の一生活の部分だろう。もしも可能ならば、情報化とは参加者全員が啓蒙思想家になった状態と定義づけられる。より実用的で、より趣味的な興味を満たす新しい情報を求めて波乗りする、限りない仮想の遊戯人が文明生活の主体となるだろう。その先に何があるのか。スズキ係数の上昇を国家間の競合の主題とするような時代にとって、個人の生活様式は国際化している。英語を操る形而上学的情報人にとっては、IT literacy以外の文化的障壁が存在するだろうか。たぶん、人々は国境を失くしていく。共同化だけが残される。そして文明は初めて地球化されるだろう。現代人にその時の到来を想像するのは易しいが、具体的様相については大体が我々の推察能力を超えている。パピルス或いは羊皮紙に文字を認ためた古代人のうち誰が、blogの予見をし得たものか。
 ただ人は、現れる文明の形相に限りない理想への憧憬を重ねてみることしかできない。

経済学

我々は新たな経済分析指針として、生活費の中の純情報値を示す係数を導入すべきだろう。
生活費純情報量=スズキ係数
それは社会の文明度を知るに明確な1つの基準となり得るものだ。そしてこの係数の中の情報の質的向上の社会的方式こそ、未来に至る真の社会並びに経済学者の議題だろう。

建築論

建築家は先ず地球を設計するところから始めるべきで、最終的に人間を中心にして考えてはいけない。これを誤れば独善的な空間、浅薄なものしか造れない。自然の尊重は必ずしもその保護ではない。人間の為の人間的空間を時間の中に造り上げることで更なる自然さを発生させる場合もある。建築において人工芸術、人為は自然の対立概念ではない。
 もし建設者がきちんと自然を畏認していれば、誤った空間は決して造られない。我々は地球の子であり、その生地を荒れ果てさせずに適宜、整えることは必要である。都市とはこの整理に値する。

彫刻論

なぜ人は地球を彫刻するのか。耕作という以上に、生きる喜び、産まれた喜びを表現する為にか。

福沢の文明論

福沢は大衆の知的水準の向上が文明化の主眼だと考えた。だから自ら大学教育を行いながらその短期的目標として国粋主義を掲げた訳だ。
 他方で現代、民主政は大衆社会の自己啓発に寄与するところ必然では無い。Mass communicationが行うのは情報伝達であり知識養成ではないし、資本主義経済は知的目的とは必ずしも一致しない市場原理に基づく。では文明化の中央は果たしてどこにあるのか。
 福沢はアリストテレスの奴隷制での中庸的民主政の観念を近代化した。つまり中流の知識人による先導に文明を見いだした。それ自体はミルの功利主義、特に『自由論』からの引き写しだったとしても。

己、自由でありたければ現世で有名に成る可らず。匿名であれ。

都会

気が遠くなるほど長い人生の途中で君が会う数知れない俗塵に一々深情けを掛ける可では無い。浪費だから。
 だから聖人よ、望まれた都会で暮らせ。君が関わらなければならない俗物との接触を必要最小限にまで減らすことが出来るだろう。

建築論

諸々の芸術家先生が作り上げる奇妙な形相をも驚かす、ニュートン力学に支配されるユークリッド幾何学的な純正品の空の間を造り上げるが良い。そこで生活は現代人の洗練に相応しく単純化され得るし、観想の生活もまた日常身近になるだろう。

2006年2月13日

功利

偉大な先哲達のお陰で君の書くべき物事はもっと少なくできるものだ。情報を売り物にしようと願う商人にとっては独創性が多産であれば好ましいが、衆愚なるものは常に少なくない質的に低級なそれを好む。もし市場原理に媚び売らない立派な経済人が君の周りに未だ一人でも残されていたら、その人の功利の才をこそ見習う可だ。

計画

諸目標にますます到達し易く成るような順序づけをせよ。例えば為すべき仕事を午前中早くに終えれば爽快な達成感から午後の分は予定より沢山こなすことが出来る。同じように、種々の問題を互いに止揚する配置にしなければならない。もし君がそれを忘れれば人生は少しずつ短くなることを承知すべきだ。逆に一石多鳥を心掛けるだけで長くなって行く。

人生

君の生涯を何に対して費やすかは充分な熟考に値する命題だ。というのは、人生は僅か百年程度だから何もかもをこなす訳には当然行かないから。人類の活動は無際限な多彩さを持つので、もし君が特別な天性に因って超人的才能を産まれながらに授かっていたとしても同じ。否、寧ろそういう人こそ人生計画は益々の必要だ。どうして悲しむべき凡才にこの様な問題に頭を悩ます余地があるものか。

模倣

君の尊敬する人を模倣せよ。もし巧くなれば、君はその人を超えている。というのはその人の特性を学んだから。

2006年2月12日

科学論

何もかも知り尽くしたいという欲求は人間精神の華である。我々はその欲求に仕える殉教者となることでのみ、知的生命に相応しい。

格差

資本主義は労働の知的配分に過ぎない。

観想者

君を愚かにする者と付き合うより、孤独な観想者であれ。

2006年2月10日

科学論

自然の探究者よ、各が斬新な理論が同時代の無理解に値すると同時に、遠い未来の標準になる事を喜べ。
 しかし、君はその単純な数式に真理の抽象を求めないべきではない。なぜなら世人に思考を伝え得る唯一確実な共通語が数学故。

2006年2月9日

建築論

究極まで生産及び管理運用かつ解体の合理化に即しながらも、工業的表情を最小に留める技術を求めよ。

建築論

建築家は万能の技術者でなければ賞賛に値しない。

民族性

文を操る者よ、君が何者かを知りたければ君の肌の色を見るが良い。それは君の祖先の文化を教え、人が動植物から分岐した地点まで省察を遡らせる。そうして命の理由と宇宙が誕生した原因にまで君を導く。
 ところで君の書く作文の数々がその根源に忠実であるか絶えず問い直せ。でなければどうして無限なる精神の一員の拙い文書が永世の特技を勝ち得るか。未来は人の信ずるより遥かに長い。

2006年2月8日

国語

洗練された国語はぬるい外国語より遥かに遠くまで伝わる。時間的長さについては内容に比例するので必ずしもそうとは言えない。

簡単さ

簡単な言葉で事物を説明できない者にとってその思考も又、整理されていない。

2006年2月7日

歩み

先ず健康であれ。無理をやめ、道理を尽くせ。ゆっくり歩む者は最も遠くまで行く。

2006年2月5日

Pascalの賭けの再考

人類が知的だと定義する権利の根拠は我々自身の中にはない。それは未知の文明に対する方法的懐疑であるし、そもそも神という概念を超越する様な偉大さが在っても我々の脳には知り得ない場合もある。

政教分離

ソクラテスが助産術で自らと青年たちをeducateしたことから教育者そして宗教家はみな、学ぶべきだ。
あらゆる教育とは無知に目覚める経過。すべての宗教とは不信を戒める結果。
 政治家に啓蒙は期待できない。何故なら彼らの仕事は究極的に平和の構築で、民衆のeducationでは必ずしもないから。
大航海時代に犯した数々の侵略を反省せよ。

知力の征服

人類史上しばしば繰り返された様に、哲学の無い者は自らの無知を反省したくないが故に賢者を迫害する。それは人間が為し得る凡そ最も愚かしい行為である。なぜなら我々の威厳は知力にしか存しないのだから。思うに、奴らに人間たる尊厳は存在せず、単に言葉だけ知っている猿に過ぎない。だからそういうものが住む国を破壊し、征服感化した昔の開拓者たちには一分の知見があったと言うべきだろう。尤も、この様なある普遍的正義感乃至は学者の皮肉に基づく残虐さを認めない意見があったところで取るに足らない。それを理解するには我々が慈悲の理念を口の端に掛けながら動物を食う姿を一見すれば充分だ。

2006年2月4日

自分

人が世界文明社会で如何なる普遍性を持ち得るかは、人自身の文化にどれだけ深く関わっているかに懸かっている。

建築論

現代建築家は大抵、ミース様式を非文化的なものと見做している。だが、文化とは総て、文明の個別的側面でしかない。

世間に動物性をひた隠すのは道理に合っている。なぜなら抑圧はあらゆる昇華の基礎だから。

芸術学校

芸術学校の先生方は彼らの生徒を芸術的に駄目にする為に存在する。世論が自覚しようとしまいと、社会はその逆理的な有用さを認めているのだ。つまり、紋切り型は芸術家により破られなければならない。

格言

儒教の国は進まず。

智恵の実を食べたことのない人はなぜそれが想像されたのかよく考えなければならない。

大学

溢れ出す知性に恵まれしこの世の聖人たる御立派至極な教授先生方々、己の虚栄を誇るが為に智恵の欠片を競売に賭け賜う。

仮証

地球に産まれた慧眼の士。お前の予言をいんちき占いに堕させぬべく、数学的論証と実証的批判を科学的手法として覚えよ。然らばその研究は大衆にも博く与えられる。

発意

雑誌をdigital date化して保存する技術。検索を容易にするそれ。

Service化。著作権問題の解決。

趣味主義

君の学問や芸術が如何に同時代を先駆けて前衛的で、しかも文明的であるか同時代に問い掛けるのは諦めなければならない。でなければ君は現世の抵当、大凡は肉欲の必要以上の充実とか、俗物からの賞賛といった取るに足らぬ賞品と引き換えに、未来永劫に繋がる掛け替えない威信を棄てるものである。
 ならば、芸術家や学者はどうして生き延びるべきか懐疑するだろう。それには趣味と見做せと忠告する。趣味主義を信条の基調に置けば凡俗を等閑し、偉聖と祝杯を挙げられるから。

2006年2月3日

社会学

人間は社会を築くことで比較的高い生産効率を挙げたと言われる。事実、家を作り、道を拓き、田畑を耕し、橋を築き、船と自動車と飛行機を運行させ、工場を建て、computerをpersonalな大きさに開発普及させ、今では現代文明国群はあたかも理想郷の如くであるらしい。そして宇宙stationへ移住し、太陽系から旅立って新しい惑星文明を造るのも間も無くである。
 しかしながら生活そのものに窮する貧困層は未だに存在し、それは文化的土壌の刺激に基づいた知的格差に依存する。我々は社会の仕組みを様々に工夫してそれを改良しようと努める。言い換えると、知的格差を中庸最多性へと調整しながら全体のlevelを絶え間ない向上へ従わせる機構を研究実用して行く。文明はとりもなおさず、この謂いである。

虚実時空間の移行

実時空間は事実であり、その理由は非事実ではないということでしか無いだろう。我々が虚時空間では無い事物の理由を問うことは馬鹿げている。事物の分析は過程のみ教える。そして虚時空間から実時空間への移行は数学的に理解できる自然法則に依って運行される。

老若の逆位

聡明な若者は狡猾な老人より少ない経験から高い生産性を挙げている以上、遥かに畏敬に値する。孔子と孟子から習った人々は学より孝を重んじすぎた発言を反省すべきだった。カントが考えた様に、人格を無条件に尊重することは道徳的。

博物学

なぜ君が産まれて来たのか。両親の子ども。
 なぜ人が産まれて来たのか。哺乳類の進化。
 なぜ哺乳類が産まれて来たのか。生物の環境適応の結果。
 なぜ生物が産まれて来たのか。地球が育んだ多様な動的形態の一部。
 なぜ地球は産まれて来たのか。太陽の爆発の欠片。
 なぜ太陽は産まれて来たのか。時空間の運動の結果。
 なぜ時空間の運動が産まれて来たのか。エネルギーがもたらす多様性。
 なぜエネルギーは多様性をもたらすのか。時空間が現代我々の観測し得る次元では膨張しているから(entropyの増大)。
 なぜentropyは増大しているのか。解放された真空エネルギーは不確定性原理に従って揺らぐから。
 なぜ素粒子は揺らぐのか(運動の理由)。虚時空間を抜け出した対象は知覚されねばならない。
 なぜ虚時空間を対象は抜け出したのか(実時空間の理由、宇宙の理由)。

砂浜の温かさ

海から吹いてくる優しい風が、君の人生を尽きせぬ想いで満たして行く。そして君は少しずつ孤独になる。純粋に、直摯に。
 君は、なぜ産まれて来たのか、どうして生きて行かねばならないか、自らに問うている。君が見つけられる答えは高が知れている。それは生きる行為自体でしか無い。考える主体として君へは世界の中で自由を与えられている。代償として、死が義務づけられている。
 だが、と君は思う。それでも私たちは産まれる価値があるのだろうか。決められるのは人だよと、月は言う。砂浜のテトラポットの上に座り、押し寄せては崩れ落ちる波の形相を眺めていた。人の他の何者もそれに関わることはできない。やがて夜になり、それは頭上に浮かんだ。
 水平線に、船の明かりが浮かぶ。静かな波の音が聞こえる。月が海の向こう側に落ちる。暗い海の底で、彼らは今も生きているのだ。
 次第に空が白み始め、弱い円の縁がオレンジ色に染まり出す。月は泣きだしてしまう。どうしてかは分からない。ただ、月は無性に泣きたい気分なのだ。すると太陽は東雲に紛れてその涙を微妙に輝かせた。僕にはそれをすくい上げることしかできない。だが、僕にはそれができる。命ある限りここで、月を守り続けることはできる。波間に紛れてそんなつまらない泪は流れ去ってしまえばいいのだ。

2006年2月1日

役者について

最大の知的財産は君という精神であって、君という人格の銘柄が最高価を達成すべく働くのが芸能人というものだろう。それが容姿や生き方に及んでも、演技の段階に応じてきちんと報酬は配当されるもの。観客は客観的故に。

第三次産業の基礎理念概説

マックは笑顔の単価を価格競争が起こるまで引き上げるべきだろう。