2010年7月31日

物理学

物理反応は単位化された化学反応の特殊な系らしく、これとは別に生物反応も定義できる。化学反応一般はいわゆるエントロピー増大による熱反応の系で理解できる。およそ物理の系と生物の系は、この熱反応の特殊解か例外規則で、微視すれば熱反応を含む。物理反応は一般に力学系とよべ、対して生物反応の系は秩序化の系か消化系とよべる。生物反応が熱反応の逆反応らしくみえるのは、部分秩序によって熱反応をうちけす力が働くゆえ。巨視すれば生物反応は熱反応の部分集合。そして無機物で最も広くみられる力学系は、この両者を包み込む。化学反応は巨視すれば力学系になる。
力学系⊃熱反応⊃消化系
⇒力学系は熱反応の、熱反応は消化系の補集合
一般にこれらは相互とりひきで恒常体に属する。撹乱要素がまぜいれられると、これらの間での関係は変化するが総合した枠組みは動かない。

2010年7月30日

ソネット

大昔僕はだれもが
完全に綺麗な物を持たされた
人生経験の旅人みたいに
目の前で死んでいくんだと
その落下する
大きな崖のふちで考えていた
だがきづいてみれば
死んでいくのは
自分よりも不運な人達ばかり
宗教的真理と考えて
その墓場の奥にいるのは
自分がみていたいくらかの
死んだらいい様な古人ら
運勢を運ぶ落下傘

なにもみえず
なにもきこえない
この世には底しれぬ
人間どものうずくまるゴミ出し場
奴らに金儲けの次はない
ジャップときけば感じのいいものだと
おもいこんでる馬鹿すぎるガイジンが
ゴキブリ以下のキョート・ジャップをみれば
そいつらが長々しいこの島の醜悪な
生態を頽廃と堕落の連鎖で
自らの奇形化した体質ごと
ゆっくりと蒸留してきたのがわかる
吐き気しかしない
この朝鮮街みたいな天皇の都市では

一匹のこらずジャップを殺し尽くす
なにかそういうウイルスがこの島国の
みにくすぎる奇形の猿どもを見舞い
あの爆弾でけしとばされたのも束の間
二度と復活してこれない様
内臓の一片ものこさずバラバラにされ
完全に終った邪悪な王の廃墟と共に
奴らの記憶すらけされてしまえば
我々の知る人類という生命体は
以前とかわらない名誉と栄典を
かの不動の神から授かることだろう!
それとも飽くまでジャップの黄犬契約で
死に絶えるまで奴隷のくらしを続けるつもりか
もうだれにもお前らへの同情はないが

私はかぎりなく広がる
この星からの眺めを
かぎられた視野にある
一つの夜景だとしらないでいた
突然しらされた訃報は
幼いころから馴れ親しむ
大きな母なる太陽を消す合図
驚くも俄かに
太陽系の星屑どもを
のこらず叩き尽くす銀色の大雨
それは遠い星から
我々へ恵まれた贈り物
私が望んだ通りにこの世は
営まれきえてゆく舞台だから

それが嘘だとわかっていれば
涙を拭えた筈
もうすぎさってとりかえせない
できあがっていなかった頃の
どうにも説明し様のない
なにもかもこわれてしまいそうな
この星のすみで吸い込んだ秋風
私はそのおなじ風を
もう以前と同じくは覚えず
なにが大切な要素だったのか
それさえ有り体の知識に求めるのか
言葉は真をとおりぬけて
いつかの夕暮れにみた
町の明かりへとすべての訳をかえす

野蛮な倭奴への信念

倭老人が「売春はいいんだよ」といいながら東南アジアのきたない店で女を大勢はべらせ、片手では鬼畜天皇の政府が主導して鯨を星中で殺し生で喰らいまくる。

なんと野蛮な人種だろう! まさに反面教育!

ジャップに同情しろ、同情しろと倭奴が言う。倭人の言う事はどれも信用ならない、馬鹿すぎる。ジャップは遺伝が劣ったばかりか地球に害毒しか与えない老廃物だ。

ところがそれらの娼婦人種は山ほど金をむさぼり、生まれた途端終わっている、なにひとつ勉強はできない授業を荒らしまくる迷惑しかない劣悪な子孫を量産する。子供手当てとかいう倭虫のどん底で生まれた雌豚が貢いだ血税を補填し、男娼と娼婦を育てあげまくる。

倭人よ、どうか死に絶えてくれますことを! お前らの醜悪すぎる生活などこの世のだれも望まない! 二度と生まれてくるな、東洋の淫蕩の底で堕落した奇形種ども。 
すでに生まれてしまった分は世界中の人民により八つ裂きにされ生き埋めにされ全ての遺伝子を消滅させられることこそ誉れたれ。
あのかよわい鯨を殺しまくる鬼畜天皇の政府などこの星中の悪魔でしかない! 存在の放任自体が犯罪だ!

人類生物学

美人か美女が有名になる都市では、いわゆる婬売やそれを生業とした商業がはびこっている場合が多い。これらの相関は場所誘因が不安定で中継的形質の機会が長くつづいていたので、何らかの珍しく単独の適所内では発生しにくい形質を誘惑する形質が能力で優位となる因果にある筈。種の美醜は種内の定常観にしかありえず、これらの定評は既に中産化された都市部でなので、大多数をそれぞれ似た、競争の激しく行われないほぼ同質の雌集団で占めているといえる。宗教の為自然適所の侭では上述の傾向がある世界に、逆淘汰が掛かる場合にはこの美人らしさが心理か内面の魅惑へと納まりがち。これとは異なり雄性形質や雄々しさが強調される、美醜とは殆ど関係ない特徴が明白とよばれる都市域があるとき、ここは何らかの条件の為進歩した形質を淘ぎ易い誘因があったといえる。全て人類が進化した生態を得るのはこの適所からに限られる。競争誘因が特定の性特徴を強化する。よってこの種の英雄か雄飛の場所では最も競争の負の側面、敗退者の死滅と犠牲が生まれ安く、結果その場で表徴種というべき層へは強い淘汰圧の為に一般的美醜とは異なる、但し多くはいずれ他の種集団へも伝達され広まる形質や気質が定着する。
 おおよその雄間競争の因果は資源の占有率。この為英雄さは大多数の劣った雄の犠牲を元に以前とは異なる習性となって示される。より高い資源の占有率はそれらに値しない雄を攻撃的に支配して可能となるので、攻撃を被った雄は傷つき、多くは通常の経済行動へも支障となる何らかの心身に渡る障害を負う為さらに一般的美醜という競争から免れた他の地域でいう最大多数の健康さの目安からは逸れて行き易い。但し獲得形質にこの競争が限る事が殆どなので、犠牲となった劣った雄は遺伝子そのものについては、他の適所からそこへ入り込めば絶滅しかねない安穏たる通常の雄より強壮さで勝る傾向がある。結局この雄性形質と美醜の取引は生き残りの最低必要条件へのみその場での審美的強調を許す。故これら競争誘因の強い資源量に優る適所で都市化された品種はほぼ男女に限らず一様の特徴を帯びるに至る。又普通この都市部は外部からの侵入が容易であればあるほど強い競争状態が生じるので開放的。喧嘩やいざこざ、犯罪率はこの種の適所で最も多い。
 都心化は過密を意味し、普通この居場所は再生産率の過剰によって生じる。乃ち美人都市とよばれる適所が過剰に継続しつづけると、その人口比率が他の世界より高まりすぎる結果一定の奇形化した気質、いわゆる密度効果が用いる奇種誘因が支配的となる。この歪みが定常になると奇種自身が呼称を帯びる。そこでの美醜感覚、つまり健康さや健全さの標準は他一切の居場所とは大幅に異なる様になる。我々が王者を見るのはしばしこれらの奇種誘因の窮まった場所で、彼は他全ての同種と異質な形質へ自らの習性の変形で至り着く事を通し自らの異常さを偉大さと誤解させようとする。いわば王らしさとは擬態の定例化。そしてこれらの集積は雌雄をとわず異様な形質、奇形な種として我々の見る遺存した人口に記印された習性系をごく一部の適所へのこしていく。結局、多くの場合都心化の因果はこれらの奇形人口比の希さの為彼らの生存比率を保護によって維持させようとする遅滞した環境収容力だろう。幼型化の多くの結末は彼らを一部の遺存種を除いて除去してしまう。つまり人種の完成はその固定化してしまった異様さに等しく、人類も又そこから進化して行った品種に比べればこの都心のうえで居残り、人類であった祖先の習性を留めていくらかの狭小な都市で居残るかもしれない。

社交の意味

人類が社会内で実用化してきた全ての功利さは場所倫理での最適化と略ひとしい。意味は社交場による。全ての意味づけは社交界の達にしたがう。意味の集積が趣味なら、我々の知る全ての趣味は社交場の条件次第。意味倫理観は場所哲学の基礎。全ての意味はその背景な音と形による。意味倫理観は音形の法則を抽き出す所に降り立つ。それらの定常な順列は共有できる思想を胚胎していく。
 特定の智恵にはこの裏付けられた社交場らしさが介在している。それらの条件が実質の群れのたくみ。意味不明さはこの法則化された理念の共同とはなれる時ありえる。

2010年7月29日

社民思想の歪み

母子家庭加算や配偶者控除の廃止はみな社民主義による悪意であり、最も産業の中核を担い易い中産層の標準家庭への敵意かその破壊をのぞむ奇形さからの攻撃だろう。

異様な生態、つまり家庭教育を含めた父母の安定した生計単位から外れた片親とか婚姻外のだらしない生態とかで子供をはぐくむ多くの理由はなく、単に社会的失敗行動の結果らしく思えるし、実際に本音でいえばそうだ。
つまりこれらの自己選択で至った末路へ特殊な給付をする、といった考えは安全網の旨を越え出て過剰給付にしかならない。やはりそれは全体主義と社会主義の産物。

 これらの逆贔屓はみな即時撤回が有益。配偶者控除の廃止はもし政界が崩壊した家庭での犯罪や逸脱行動の擁護を標準化したがらないなら、いいかえると刑務所や裁判所の施設投資増を赤字財政でも身代を削ってはかりたいと思えなければ過ち。これらは財政逼迫因にしかならない。

2010年7月28日

店舗開発

日本料理版のファストフード(早めし)として素手でもたべやすい袋に包むおにぎりとカップのみそ汁か緑茶、付け合わせに数品のセットになった漬け物(爪楊枝付属)をえらべる口頭注文店。はじめから海外先進国で出発し流行に後進的な日本国内へは逆輸入のみ。
店員へは簡易な和服を着せ、店内へは赤ござを敷いた茶店風の椅子と日傘のみ。景色のいい立地のみをえらび借景にする。食券自販機も忙しい場合の為に用意。
他国でも必ず愛想よい倭人女性を雇い、地域の季節ごと着物をかえて客よせパンダ用に置く。挨拶だけは来た誰へでも先ず日本語でさせる。

雇用流動性対策法

新卒採用という倭企業の歪んだ不勉強温存人材の量産慣習をたちきるに、商法の条例に「一括採用の禁止」と「学歴記入の禁止」をもりこむべき。

特別税調検査官の認識次第、これらの悪徳をつづけて階級の不公平で能率を害する再生産を学界と癒着して維持したがる企業法人から罰金をとりたて、又は社会の自然成長を害して恥じぬ守銭奴経営陣を刷新できる。

 これらで人材流動さは業績悪化にもかかわらず蓄財した端金をしまいこむ古残業態へもしみこむはず。

実学教育について

高校卒業後の生徒に比べ大学生の生活は適当なお遊びで済むので、虚構の学歴制は入試努力の家計負担率による、という戦後つくられた空虚な階段出世は倭人生態の因果。倭人は異系雑種の必要が高い均質な集合体となりがちな閉鎖的色彩のつよい島国の民だが、彼らが上記の実用主義的な学習態度を社会でつ人々は彼らの労働生産性の低さにかかわらず、日本製品の比較安価さを人々は自らの幸福の為に利用できる。いわば彼らが自己奴隷化によってある労働条件へおちこんでいってくれればくれるほど、大多数の先進国民はその倭人らの不勉強かつ放蕩な悪習のために生じた労働量の単位あたり格安さと、安価に機械の如く働かせた人々の過剰な奉仕力からより多くの利潤を得ることができるだろう。
 黄犬差別はまったく地球中で有効だが、倭人が経済人であるかぎりそれは同時に有徳なのだ。自由より労働を望む人間は御し易く、自然的な増減のため人口の微調整も容易である。

人の名

淀みなく染み渡る
宙ぶらりんの月あかり
だれにとってさえも
ここは心配された
くるくると回るそれだけの
横になったまち
月が回転してく
あなたのめのまえ
だからそうだ
もうきのせいだとおもって
社会のことはすぎさった
大昔の出来事だと思え
冒頭に記された真実は
あなたがなにも知らない事
肯定できるまじめな話題
なにもよろこびの上であるなら
その目的や仕業ですら
丁度わすれさってきた
うつらうつらしたねこじゃらし他
なんの留保もないが
さりゆく大地の息吹をきけ
この星のあおさをみよ
私達の底にある命の律動
それさえも大昔の物語らしい
私達の今にはもう
信じられる現もなく
ただ起きぬけにとびだした
潮騒とそこで遊ぶ風の律動
なにもかも大昔の話
どうせ十分みかえしてみて
わかることもない暗号じみた
遺伝子の足どりは文明に乗り
あのそらの向こうで待つ
大きな珊瑚礁の奥で眠る
僕が飼ってたグッピーの親に
子は元気でやってますと
果たして世話から解き放たれ
わずかな雨樋で溺れそうに
泳ぎなおす彼らの配列は
なにか重要なしらせなのか
きみはなにもかも虚しいと悟り
彼らを捕まえた野蛮人を哀れむ
大都市の夜景
そこでくらす幾多もの陸でもない
生きている意味も価値もない
害しかない経済動物を厭う
極東でうずくまってきた
彼らの一員ふざけている
きみは気の所為じゃないその
黄色く矮小化した生物を見た
そいつらとおなじ島で永遠に
くらす意味は価値とない
つまりは間違えてしまったのだ
うすらさむい両親のひざ元で
きみは倭人が理由もなく
数限りない明りを燈すのを見る
怒る意味が分からない
奇妙な猿を多く見た
他者へ迷惑をかけまくるのを
たのしむ低級な生命体
それらの猿は二足歩行だが
他はなにも猿とかわりない
辛うじて言葉は喋るが片言
フォークをもち御飯をかきこむ
軽蔑しろだって単に
自分とは違う生命体だっただけ
それらの猿は幼い頃
暴力と発情をくりかえし
僕の目の前で繁殖していた
おなじ人の名を借りながら

赤字政治家の低俗な倭虫寄生批判

政治家自身が社会風紀を害する時代は同時に彼ら劣った人種(公家化した官僚趣意者)のあらゆる手だてでの駆逐を得る時代。我々の観察できる政治家、行政人を象徴とする東京奴はあらゆる不正と汚職を通して社会風俗を淫蕩へ貶めつづける邪悪種。

異教徒な天皇のまわりへたかり、ゲイシャを山ほど養いながら赤字税収で底なしの頽廃劇場に安穏としている国家害虫、特に石原慎太郎など売春奨励王の如き低落した腐敗品種はどれだけ攻撃されても足りない。
恐怖政治での政権破壊は彼らの増長をいざなうというなら、『合法的批判』を完成させること、奴ら賎しい国家寄生虫類のみにくい生態を完全に否定しきることが我々の民衆政の理由。

事実上、奴らは理性の劣った倭人という人種の堕落した慣習、乃ち風俗産業での異常税収をくいものにした地球のゴミ虫なのでどれだけ駆除されても我々へは益しかない。奴らは法を無視し、或いは法規範を奴らの風俗堕落へ費やす公家的頽廃の税収増への法しか通さないのであり、人類として最低限度の良識も持ち合わせていない。
星中へ愚劣な、頽廃した物語の漫画を安売りしまくり、人類として最低限の宗教心も持たず少女売春をくりかえし、偶像を崇拝し、色欲に溺れ、なんの生活の意義もない証拠に次々迷惑きわまる飛び込み自殺をしていく。そして娼婦と男娼だけが金を儲けまくり、島の外で姦淫を犯しまくる。ジャップにはなんの意味もないばかりか害毒だ。
これらの歪みきった亜宗の中枢である天皇の居場所がある東京政権にはどんな有徳さもみあたらない。当然奴らのさらに劣った風俗が固定化した京都政権はそれより悪かったのだから驚異だ。

倭人種に生存意義はない。できるだけはやく地表から死滅しきれればしきれるほど善い。

かもめの寝床

夜の底かなしみの内に眠る山奥の鶯の子らは時を隔てる
もちづきの列なる波の寄る内に寒くもなくばかもめの寝床
ひぐらしの去るよる日々のすぎる頃やむ雨足はとまる

噂、東京にて

また2ちゃんねるで村上春樹本人が一般人の名前かたって陰湿な嫌がらせしてる。

 ねーところでさーなんで宮崎県知事さっさとまえいってた兵役導入しないの、今こそ家畜再生産のチャンスじゃん。ジャップって人身売買品種でしょ?

 あれあの江戸っ子まだいる? ケガレ淫行勧誘罪人種、なにしにきたんだろ。完全に人類じゃないよね。

 つかモギケンまだ龍馬あおってるよ。お気楽でいーよなあトーダイ君は!

 ほーらまた閉じた輪の中で青少年に教室で暴力。いきてるだけ害の、鯨殺しの野蛮民? 知ってるしってる!

 だいたい天皇とかさーなにしに生きてんのかしんないけど終わってるわ。ただのパンチパーマ暴力団の偶像だし。黒塗り宣伝カーうざすぎるし、馬鹿なのはいい加減わかったって感じ? しーっ、きたよ。アニメの皇族だ。

記号論理学

和集合と補集合を兼ねる集合は、
∪∧⊃⇒≧
和集合かつ補集合すなわち以上

部分集合と共通部分(か共通集合)を兼ねる集合は、
∩∧⊂⇒≦
部分集合かつ共通部分すなわち以下

和集合と共通部分を兼ねる集合は、
∪∧⊂⇒>
和集合かつ共通部分すなわち超過

部分集合と補集合を兼ねる集合は、
∩∧⊃⇒<
部分集合かつ補集合すなわち未満

ソネット

殺してしまえればいい
そいつら倭の奴隷どもは
どうせなんの理由もない
みじめでみにくい猿
僕の目にはもう
どんな同情の眦:まなじりもない
彼らの埋葬は
とても清々しいものだった
人類は終わった!
これであの邪悪な少年期から
脱出できる筈
なにひとつよろこびのない
冷たいその少年の頃
きみが見た通りになった

人類は絶滅したのだ
きみを苦しめつづけたこの世の
邪悪で混沌たるしくみは
それをうみだす根源から誤っていた
天皇は東洋の隅の島で
役座を集めて威嚇ながら
権力闘争をつづけてきた
きみが見たのはそれだけだった
天皇が死んだあとで
きみが解放されたのは当然
なんの価値もない贅沢ばかりの
奇形の猿に金と幼年期を奪われ
きみがあれだけ苦しんだのは
すべて奴の搾取の策略だった

2010年7月27日

宇宙物理学

光海の外に物質があるなら、それは光か光子の擬似的重さ、花火効果による斥力が各不純物のため事実上の摩擦を伴う程度より軽い。これを軽物質界と呼ぶと、各宇宙系の我々が知る視覚できる世界の外は軽物質によるごく変転の激しい場所なのがわかる。逆に我々が各宇宙系の中央部を重さの分布からみちびけば、ここへ重物質界があるのは自然。ごく運動のない世界は情報流率とでもいえる時間分の反応も遅い。

2010年7月25日

海の横顔

タンバリンが鳴るのをきく
バズーカの音さえもすごすのを
あずけたとおりにかえるのをみて
きみらのいうことはいつか
きえてしまうよまいごとなのかさえも
よるせには抗えずけしてしまうのも
特別な役割だとしてさえだ
どうせ中くらいのひまに流されてゆく
疾うにわすれてしまった単語みたく
尽きせぬ流れてく人の波はどうせきえる
ただのおもあおみのない水のしまうま
冒頭にもどる打ち水のシャツがひらひらりと
舞い散るまえではどの咲く霧ですらもなお
充実した時間とおなじくらいかたちのない祈り
とばされたビニール袋
風に舞うのが見える
アスファルトの道を渉り
月の空を向こう
おっこちた
足らない時のまえで
ねがわくば自由なんて
すっかりわすれてしまえればそれが
まじめにながめてた海の横顔
どうせ今なんてだれにきこえても
やっぱ輝くばかりのルビーにおとる
小さなすなの城風の時計
ちらちらとふりだすそわか雨が乾くと
あのかたつむりの子が起き出すころ
つぐ木々の气にもしない
道路のジョウロが華々をつぐ
にもかかわりあいなくです
かれらときたら堂々めぐり
なのでプールは溺れ放題
なぐりかかる雨の折角なしわざ
气をつけるとはなんのことか
だれもかもかもとぐろまく
シャウエッセンに奇遇かとグゥのねは
モントリオール買い物袋にゃ
可動式かが看過されたくば
ないのに泣く泣くの川
どっちにしてもねそういう
タイプがものすごく向こう脛さ

裏切り者龍馬

駄菓子に龍馬伝と印刷して正真正銘裏切り者外道ヤクザを英雄仕立てに便乗商売する極悪ロッテ

民俗観察

東京人は無意識がなく、内面を口に出し、下品。
 関西人は馴れ馴れしく、東京モノを謗り、関西女は関東男を熱望する。
 京都人はおかしく、勘違いで、観光客向け。
 滋賀人は京都人まがい、東京に憧れまくり、京都を誇る。
 北陸人は関西劣等感を持ち、粘着質で、石川県の金沢が嫌い。
 三重人はどこか抜けている中途半端で、奈良を侮る。
 奈良人は好かれるお人よしで、思春期に荒れる。
 名古屋人は人事を嫌い、無理に上品を装うがせこい。
 大阪人はけちでうるさく、自慢する。
 山口人は後に引けず、無茶で狡猾。
 神奈川人は軽薄で平均を好み、浅い。
 岡山人は鋭く、神戸を好かず、目立ちたがらない。
 愛媛人はどこか抜けていて理解力が足りず視野が狭い。
 静岡人は間抜け、呑気で品性を欠く。
 青森人は頑固で場が読めない。青森女は賢婦。
 山形人は幼く弱く細かい。
 福岡人はゆるく、気がはやく女々しい。
 宮崎人は気が弱く負けず嫌いで大人しい。
 佐賀人は必ず従い、目先を見て先ず行う。
 長崎人は駄目で話好き、飽き易い。
 香川人は金遣い言葉遣い、趣味が荒い。
 広島人は打たれ強く凹まなく、しぶとい。
 千葉人は野心あり正義漢を気取り、サボる。
 宮城人は協調しない、誇示する、根が村社会の閉鎖的いなか者。
 神戸人は出たがりで口がうまく、落ち着かない。
 岩手人は古く堅く鈍い。
 和歌山人は素直、打算的、手荒。
 鹿児島人は馬鹿で短命、勇猛。
 沖縄人は気がいい、明るい、持続力がない。
 北海道人は隠し事ができず、人懐っこく、自分が見えない。
 新潟人は暗く、引っ込み思案で陰険。
 石川人は狡く抜目なく卑劣。
 福井人は淫蕩、弱虫、関西弁を恥じる。

倭奴学

倭奴が友情を肉体の層を通してしか理解しないのは、男児性愛(ボーイズラブ、BLと略される)とよばれる奴らの少女時代から好み読み漁る漫画に示されている。この種の特徴は、凡そキリスト教倫理が彼らの文化内で殆ど摂取され公に受容されてこなかった証であり歪み。
 汚れた精神の倭奴は精神性より肉体の情欲を優先させる。この為つねに友情を性愛の層でしか、いわば同性愛の同義か類比でしか捉えられない。

 過去の時代では、新渡戸稲造の『武士道』や『平家物語』に代表できるプラトン風の精神の交流がいわゆる支配階級だった武士らの理念内には存在したらしい。だが現代では階級からの自由を建前にしたアメリカ民主法化の為この階級が明らかでなく、多くの倭奴は最下層の民衆、以前は穢多非人と呼ばれ人権を与えられていなかった人民の倫理観へ低落している。
 
 上述の男児性愛はじめ、各種のヘンタイ(Hentai)漫画、小説、アニメ、ゲーム等は奴らの何より好む情報商品であり、その経済に占める位置付けは過大すぎて麻生内閣が奨励したがったほどだ。出版社ではその信頼が厚く、賎業集団である奴らヘンタイ作家を大量に囲う伝統の権威(芥川賞、Akutagawa prize)も存在する。そこで得られた公然猥褻物販売の権威は倭奴の世界で生涯有効で、倭奴は山ほど金を貢ぎつつ少年少女らの時代から書きなぐらせた淫蕩の物語を悪徳小説屋紫式部よろしく崇めまくる。
 これら一切が倭奴のソドム的な既往のあしき文化性質、又はそこでの被淘汰を示すのみだろう。

水仙

誰からも忘れ去られた小さな花壇に
植えられた球根が水仙を咲かせる
雨足が去ったころようやく気づく
誰もみなこうしていのちを授かると
勘違いした試験の答案
どうせ人間なので
それくらい許容されると思えば
当然この世ではのけ者扱い
つまらない同級生とか
ほか諸氏多生
別に探してもないが
つまらない世界観
難しい理屈は抜きに
生きようとした少女は
あっという間に都会でおちぶれ
生きる屍みたく説教を垂れた
僕は中学で丸刈りにされた
面白いというか趣深くも
それを強要した教師は仏教徒でなく
僕らへ竹刀や足蹴で暴力を振るった
儚く小さな隙間
に見えるだろうそこは
数えきれない人間どもが流れさる
橋の上のキリストの産まれた日の夜景
大体に於いて
なにも見るべきものもないこの世だが
唯一そこで楽しげなのは
歩き去る小学生らのおふざけくらい
王様はすべてを見下し乍ら
勝ち誇った様に万物は
税収の為にあると考えていた
警備する武器を山ほど蓄えつつも

2010年7月23日

鈴の音

とどまることのないうちよせる浪
しじまのうちにゆめはゆらぎつつ
あたいえないすずやかな
夕暮れを隠す
第一そとには月の音頭だけ
ところが
シャラシャラと鳴る鈴の音だけで
だれもかもむかしばなしすら
ちょっとした気のせいらしく
しまってしまうって
言われていた
高が時がたった

夜の淵

広い海の底で君は夜の淵を見る
多分多くの平仮名はそこで
企み通りの世迷言を語りつつ
許されない自由の中でみたび
抗えない自分の面影を翔ける他
なにもおこさない
不躾に来た社交場なんか呼んでないし
唯退屈な他どこへも燦々と降り注ぐ
大気に紛れたいつかの
ゆるやかなゆるやかな空模様が
真っ青になったランプの炎と
燃やし尽くす時間ごとつきせぬ
昼間の陽はそろそろとひっきりなしに
つま先でつまづく夜の底で待つのかさえも
ただよどみなくここは
光りにゆらいだ様つきせぬ侭
たべられてしまったので更には

2010年7月22日

基礎収入制度の批判

最も簡潔にいえば、悪評高い京都議員発祥の戸別所得保障と同じく基礎収入制度は単なる国家社会主義のいいかえ。

ある論者の説に、基礎収入制度は空気の様な活動(つまり多くは装飾でしかない生産)への保障が、国ぐるみの景観よさに必需だと。
たとえばすべての家なしへ只の年金を与えると考えてみれば、この考えがいかに浅薄か理解できよう。単純に、この国家は「働かざる者」の為に大部分の稼ぎつまり原資源へ付加価値化した労働による利益を使い果たしてしまい、最も先に破産する。

これらの社会主義制度の言い口をかえた再燃やすべりこみはすべて過ちで、害しかないことを理解すべき。これらの間接社会主義者とでもいうべき勢力は、あらゆる隙をみつけていいより、全体税負担増という毒を忍ばせる。

『最低限度の文化的生活』という憲法の理念をおもいかえしてみれば、それが努力の権利、つまり勤労と納税の義務をまず多くのひとが必需品としている汎用財についての十分な限界効用の充足から進む国民へあてていると分かるのだ。
これを鑑みて、農家にかぎらず戸別所得保障などは悪魔の誘惑でなければ単なる利益誘導である。それは工夫による同等以上の付加価値創造への意欲を削ぎ、扱いやすい旧態依然の怠惰な生態へ税収をそそぎこむなかで人類一般の諸産業の進歩からのおちこぼれを誤っていきのびさせてしまうがゆえ、将来世代からますます不利になる指数的負担増のうらみを買うばかり。
農耕の進展すら資本主義の原則が最良の競争誘因なのはいまだに真実で、輸入作物との全面衝突は結局その地域が「最低必須栄養価」分の自給率を被えていれば何も問題のない進路。そしてこれは政府によらずとも、単なる地産地消と人間の生息可能域の旨で放任的に実現できる。政府による社会主義計画は農業の振興にすら無益なばかりか害である。

製品開発

家庭内か部門内での利用を前提に、板状メディア(ディスプレイのみのデバイス)へUSB接続無線LANの凹み+カバーを設け、新型パソコンの分類でこれまでキーボードに圧倒されていた高齢者や条件者へもROM基本の安心パソコンと銘打ち売り出す。接続サービスといわゆる光ファイバーへの優先加入権を只同然でつける。

日本学

東京文化の内に入り込んだ関西圏の文化要素が、それ自体で我々のいう友情を理解しないのを多くの日本人は知らない。究極では公家の様に恋愛以外に生活要因のない特殊な袋小路が、その周辺人民へ与えた永続的影響の所為という気がする。逆に武家の伝統の強かった関東圏で、江戸から続く東京下町の影響下を除いては、これらの風俗が普くみられることは殆どまるでない。太宰治『走れメロス』に描写される様な友人を裏切る訳には行かないという感覚は、私の知るどの関西人より関東以北の地域一帯で普通。
 まるでこの事情と離れた地域、九州や北海道ではこのどちらの傾向も散発的にみられるらしい。そして文化気質の達は、それぞれ関東圏と関西圏に近づくに従って明らかに変容する。
 アリストテレス哲学が友情を永久視した理由に当時のギリシア社会で、自由市民自身による労働経済の必要が極端に薄く、生殖そのものを嗜好した人種には奴隷と同等の地位への落下が含まれていたという避妊不可能な時代要因があったかも。又、熱帯圏で上昇する放埒への向きは、再生産率による自然淘汰(それは原始状態とも称されるが)が最適になる環境誘因もあった。この知識から倭人らが奴らの性愛を自己植民作用らしく実践しているのは、特に関西圏の公家社会の文化が影響した地帯では幅広い。つまり公家の生殖隔離が彼らの異常な人口密度を与える第一の原因で理性的な婚姻契約なしに生殖行為に及びその人口構成から特定の低い理性しかない品種を選別していく。これが倭人、特に皇居辺に住み続けてきた京都の民や東京の民で異様に歪んだ性癖(いわゆるhentaiとして国際化された概念で捉え得る)を用いる因果。そして本居宣長の本能主義に原理化された神道の教説にも同じ退行・退化的理由を見出せる。
 天皇は東洋の奇種の代表を主張しながら上述の経過をくりかえすなかで、己の歪んだ風習をさらに歪んだ風変わりなものへと変態化するのに成功した種族。そして天皇の中には父系人種差別主義者として一切の友情感覚は存在せず、他の同性とは協調しない代わりその脳内にあるのは姦淫の欲求だけだろう(『源氏物語』)。これがなぜ関西文化圏の影響下では偶像崇拝と共に頽廃した風習が広まるかの原理。

切れる

子ども店長まじ切れる田舎に泊まろう系テレビうざいまじ切れる
渋谷騒然で日本代表応援群れたがる雑魚江戸っ子ってまじ切れる
下賎な神戸人まだ陰で足ひっぱってくるマジ切れる
あれカプシュールじゃないのプロデューサーでローカライズ切れる
京都人ほんねの逆言う習性マジで切れる
あれゲイシャマジ切れる
シャープ電子読書端末アメにおもねり切れる
あれ外道石原都知事おーい犯罪税収太郎どうした死んだか
あれ髭ないよどうしたジャニーズ女性ホルモン剤のんで
関西芸人東京進出でブランド化しつつ地元で合コン後醜態まじ切れる
大阪人のコンビニで標準語つかうだけで雑魚男どもの目の敵まじ大阪切れる
品性下劣大阪地域主義切れる
女子高生女子高校生の東京下衆用語日常化切れる
ジャップの弱いもの虐めまたか老人の子供虐め切れる
倭奴のローカル省庁捕鯨中止遅らせまくってアングロサクソンの思う壷切れる

2010年7月21日

メディア界の偏重

フジテレビと産業経済新聞が地方を一方的に虐めまくる。当然、責任はとれない。メディアの一大企業体だからなにを言おうが決して裁かれないと思ったらしい。

平等と國柄

差別かすみわけでの合理化が人間らしさと彼らが想定する能力と相反するとはじめに主張したのはおそらく信教による解放感を意図した個りだった。この個りは所有自然状態で想定できる社交に関わる瑣末な分別をも、超越の理念でのりこえようとした。慈悲や博愛として現代認知されている思想はこうして、不利者からの言い分を普遍化した結果らしい。所有社会主義は、この立場の延長。故信仰界をのぞいて我々が普遍性か慈愛を望むのは理想かもだが現実にそぐわない。負担は分業の条件ですらある。つまり神以外の特性は、必ず偏差を伴う訳。能力外の平等と権利の混乱は遺伝と獲得の形質差に返る。遺伝への差別を区別とよべば、この区別へは合理な社会さがある。もし学習等で補強した習性があれば、この偏差はつねに差別化を要する。いわば個体差が全て差分の訳。故我々がアメリカ独立宣言から引いた近代の平等観は、法で社会保障の領分に限られ、一般に機会の平等へしかあてえない。
 森羅万象が同じ姿をとりえないのは縁起体な宇宙を仏陀が理解した時点で既に物質界の常識かも。同じく社会主義は不可。機会の平等は能力区分での分業や将来性は高いが現時点で使い道のない形質をやみくもにたやさないため有益で有徳。
 その社会での淘汰速度は社会保障の猶予とよべる。この領域にすらかなわない生態は当社会でのともにもたれる適応からの脱落で、事実それは生き残りをおもいえがけば足手まといの率といえそう。どれほどの足手まといを養えるかは、事実上人口扶養力余剰、つまり彼らの糊口を潤す分量をこえた衣食住医の付加価値による。よってそれは数量でも方式でもあるだろうが経済能力の比べ低い集団は、剰余人口な寛大社会をつくりえない。我々の経験する差別は、精神状態をこえて、物質状態では経済勘定の剰余価値不足による。無限の経済状態は当消費段階の資源に限りあるうち疑えないので、社会の体面にあらわれる各種の寛容思想は彼ら構成員がより富裕な理由のみ。と同じく完全平等は理念内の神の特性にしかおよそみいだせない侭たりつづく。消費段階の進み方は物質面での平等が、単に比較文明内の問題と明かす。結局我々は田圃の抜き差しならない検討らしき隣の田んぼの青さ競争を通じて似た生産さでありながらより所得現象に優れた生計界をとげる丈。結論は、平等思想の究極は個体形質の選り好みを愛想に与える丈で、それは他者奉仕を通した構成員間の機転を試す結果だろう。人類間の差が最後に生み出すのは機知の高い生態とそこへの適応形質のみ。これは現状でいう人間らしさのうち偶有さへの形質全般の追従らしく、主に特殊化していない能力のうち直感にかかわる。社会内進化でまとう要素の浮動は最終では大多数の直感のよさ、即ち審美文明をとぐ。そこで暮らす集団の審美能力が総合した社会で起こる現象の中身。故形質間の協調や助け合いも単に彼らの直感がその余分を淘がずにおくか、なる同種間勘定による。そして想像できる最高の寛容も集団単位で社会がゆるせる特殊化と扶養力余剰のとりひき次第。審美文明度の低い社会でえられる平等状態も低い。時間流率な社会内進化の緩急は必要十分な平等状態を経済的にしか示せず、この単位を國とよぶのは適当。審美文明度は國柄と同値。高い平等状態は生産力に比べはるかに所得が高い社会に限り存在できる。この能力偏差は、直感の高さが成員間に広がれる条件か、つまり事実上過去の文化過程が場の自然誘因をいかに偶有的異系処理で稔性を高める方向へ導けたかによる。もし國の単位を狭めても広げたのと同じ複雑系な相似が見つかる。平等は絶滅による非効率のない理想設計が叶う偶有界に、仮の分業で存在している。理解は平等の部品か細部で、協調にとり基盤を示す。消費段階が理解度と並行するのはこの為で、どの國柄も個りをこえてみれば総合理解度を文明の浮動か定着した文化素への表現にあてえるだけ。

2010年7月20日

生物学

誇示一般が求愛か威嚇の形へ用いられるのは、転用か偶然の当て嵌めのみ。これらの生態行動は、習性の浮動で説き明かせる。どの形質の揺れも微妙に各個の行いの傾向を変えると同じく、習慣から導かれる一定の行動系列も殆ど遇有か機会によっている。だからその習性の複合さにたまたま雌からの強壮さの目安な見方が後発で当て嵌められてこそ、この習性は被保存要素となる。究極で誇示の効果は行為系列の予期されなさによる。これは偶然について、過去にどれほど異系配偶をへてきたかの証として雌からの審美眼の見立てが生じた由縁に思え、実際類のないのと同じく単なる突然変異でもない種の習性はこの輪、即ち異系配偶と新たな遺伝形質の間で揺れて行く。
 動物個体のうち集団行動を前提とする類でみられる幼児個体の遊び行動は、なぜ特定習性が延長され同種間の威嚇競争へ至ったか、その形式化の糸口をまじまじと示す。いわば入れ代わる余地のある勝負関係が、そこで相手を本質的に殺傷しないあわいで輪にかけた競戯行為を積み込むかの印。それは自ずと複雑になる集団での儀式や試合へ展開する。
 集団虐殺、つまり異種か同種での戦争が行われるとき勝負関係の強化への誘因が高まっていたといえる。だがどの競戯も普段の競い合いに伴う争いでこの同種の雄同士で一般に最も激しい特定習性への仕事量の傾注は、必ず個体間の絶滅に繋がり易い。一夫多妻の動物では群れによる個体防御と狩りによる雄間協力の前提がない所で必然にこの唯一絶対の個体への選好はつづく。群れで獲得できる資源がそれ以外の時より大きい条件では集団は戦争を儀式化し雄同士の絶滅争いを回避したがる。だが反面で集団統率の為にこの儀式は、個体の生態に直接意味のない形質をも維持させ易く、遺伝系列の取引にみれば利己からの儀式離脱の確率と平衡する。

2010年7月18日

倭州の破滅

普段は山ほどhentaiマンガアニメを生産しながら一向に取り締まる気がなくどんどん海外へも売りまくり、いざ清く正しい外国人に新聞で批評されると火の車のごとく総攻撃で国内リンチを行う江戸ジャップ。

堂々と都庁の下やら各地やらで姦淫映像を撮りまくる気が狂っている江戸ジャップ、そして買淫の対象にされながら罪業のため自責するどころか平気で赤ちゃんができましたとほざく不潔バケモノゲイシャ。

こういう人種になんの共感をしろというのだろう。

天皇は言う。「国民に恵まれた幸せをかみしめています」
は。
どれだけ劣った血なのだろう。源氏物語を大切そうに保存してきたが、中身はただの獣類の虫みたいな発情と交尾の描写だけ。まことに死んだらいい生命体、ジャップ。

君はこいつらが信仰を持つ日が来ると信じて、長く厳しい説得の旅を続けて行けるわけか? 無知を通り越して、こいつら矮小で黄ばんだ奇形人種は完全に終っているほど知能が低い。驚くなかれ、都知事が少女買春を自慢したりする世界なのだ。人の住める場所ではない。

もし破滅がふさわしいならこの姦淫王国だ。そこではどの悪業もまったく裁かれずに放置される。人類の尊厳を獣類以下へ貶める最低最悪の人種、hentai穢土ジャップ。あちこちへ飛散しては都知事公認で販売しまくる姦淫映像を撮るために島中の少女を買春し、純潔をけがしつくす。
不浄の生命体エドジャップへ聖なる粛清を!

人口減少の利益

人口減少で国家滅亡論は発情期と繁殖期にしか感心のない雌豚、もといsocialな女権論客らの陰謀のみ。なぜなら、少し想像すれば分かるが「所得」が以前よりはるかに高ければその社会集団がいかに少数でも生活状態は以前よりはるかに向上する。いわゆる扶養力が他の全ての生態より高い状態なら仮に国民が数人でもその国家は万国に冠たるもの。
同時にこの所得水準を得るには機械的自動化による以上、彼らの自由も増大するので、結果として早死早産で祖先がへてきたあらゆる苦悩から解放されゆく。餓死と乳児死亡率の高さが全ての人口の基盤だった時代の論理を、現代文明の段階で愚直に奉じるのは冗談でなければ気狂い。

で唯一の彼ら人口比分の経済力への退行論者、つまり労働者代表組の論旨にみるべきは、およそ多数決の原理が国連決議でも或いは採用されかねない特異な覇権政界への対策。移民で補う場合、当然その利害は複雑となり国家のまとまりは経済圏以上の概念でなくなりがち。

 要は『所得向上政策』が自由圏の中で考察されることこそ現代の人口政策の正道。いかに人数が減ろうと何十億の衆愚よりはるかに優れた洞察と運営手段をもつ社会ならば、防衛や福利の面ですら万人が理想とするにちがいないので。少数精鋭こそ全て選良の原則。
経済政策と見たときの人口の不自然な助長はまったく無用なばかりか害毒しか与えない。具体的には不良か不生産なうえ不潔な中間搾取者とその業種が殖え、劣悪な労務を安価でこなす代わりにそのすみやかな機械化を、なかみのないうえ危うい労働者運動や戦争による国債損益踏み倒しへの煽りで妨げるにすぎない。

あづまと

誰からも忘れさられた窓辺に咲く集真藍あづさい枯れし風の吹く日に
真夜中におそろしげな風鈴の音響きわたるしずかなまちの夜半
ねこのなく深い夜あたり鎮まりかえり打つ雨垂れの音のなげく夜更かし
突然の雨いそいでみれば雨樋のあふれがはげしくよあいにふりける
おそろしげな土すなまじりの山の水だれとはいわず木々の暴れぞ
闇に舞う月明かりゆくよの上にわがちとせすら海を漂う
気の長いあさのしらさごうちふしていそのさわ蟹よにも惑えり
旅縋らみた多摩川のいとおしきかおりのままにわれの若き日
多摩川にさらす手作り更々になんぞかの子のここだ楽しき
まよなかのとどろき谷をすぎゆけばすぐちかくには多摩川みわたす
幾とせのよを流れゆく多摩川よわが目の前を平きに習えり
雪のまに走り抜けたる川沿いのみちのあちこち桜ちりゐる
桜ヶ丘をみわたせば育つ子供の脇を家建つ
ひとけなきまちの調べはしずしずとゆく多摩川のおとの間に間に
夏ありてつぐ蝉の声ふきわたる台風うてなかぜ遅れひとたびなき止む
海のいろそぼはてしなく水のいろわがこころにも透き通る風よ
しぐれありばらの咲くうえに架かる輝くまがたまの如きくもの巣
よまいごと語る人とてわずかずつおちるひぐれに似て旅ばしるもの
涼しい夜風に吹きなればあおはるころのきびしさに立つぬるき風おもう
にいやどのみやこのたてものみなみればうなばらのもとうごめくいのちぞ
かむのとのまちあいにありてわれくらう西の海のそばかなしくしずかし
にたいえのどこに住まえるひとのこえ子らののこせるくるまうちふす
さくらにてすぎるどこへも生える艸すすきのいろもただ荒くるしき
つくば山底なきえどを見下してしあわせのごとく二山のこれる
よこはまのそらのえかきは臥しましてすぐ月日こそしるし留める
せみしずか高尾のやまへとつづくみちそとびとのよむ新たな聞きすて
月島のそらに架かれる月のこと忘れてしまう勝鬨橋あり
集まりてなにをなすかな人の波ただいたづらに築くあづまと

桜田門外の変の正統評価

江戸幕府がその老中の意見を朝廷より優先させた、又は朝廷を無視や軽視した挙動に出たことへの批評の自由を粛清で果たしたのは当然、将軍職という武力を前提とした体制内部では看過されえない悪意。
 ここから、桜田門外の変を関東武人の面目にかけて恐怖政治と呼ぶことはゆるされない。いわゆる安政の大獄にまつわる一連の臨時に就いた代理執行役の独断専行と暴威は武士がもともと朝廷から仰せ遣い伝統としてきた価値観、忠義を破るものを討ち倒すべしという意味を至高なる皇孫尊王の主義と共に元来の職責に於いて汚すものであった。
 よって、孝明天皇の御意思を実践に移した意義で桜田門外の変は正当政治に過ぎない。その対象が一般人ではなく外ならぬ征夷を仰せ遣ってきた徳川幕府の重臣だったことをおもいみよ。

2010年7月17日

風営法の抜本改善

単純に適正化法によるのではなく、具体的公権力で各種の倭人風の接客業種を潰していくのは当然今後の戦後処理の課題。倭人は民主政治が理解できなかったのか、結局以前と似た社交性を発揮してきた。文化の悪さは除去されねばならない。それでのみ彼らの中で育てあげられる血統の改良も存在しえる。

届け出の範囲で常額な罰金刑を科し、それらの営業で得る利益が公権力の公益の為の税収をこえない様にする必然性が近代国家には、たとえ地球の隅の日陰国土にですら存在する。さもなくば国連人権規約すら批准できず、この倫理的実践の為にかつての公家など芸者まがいの生態が絶滅しようと我々の末孫には感謝しかされえない。

また無届けでの営業については当然発見され次第、経営関係者全員の拘束と獄刑が要る。なお無店舗型のうち、公然と映像を撮影した実例の存在する同席及び編集販売者も公然猥褻のかどで同罪とすべき。

その時

要は昔の方がよかった
けどもうそれはしられてない
戦後を都市化に費やした老人は
「成長」といいながらはてしなく自然破壊した

こそこそと繁殖する虫
日本人は女々しく、理性のない生き物で
戦後の幻想にみせられ、漫画をよみまくり
「成長」といいながらこの世をよごし尽くした

僕は絶望感にうちひしがれ
海岸線の埋め立てを見渡す
完全に終ってしまったこの国は
綺麗なものをのこらず壊してしまった

真夏の路上でエアコンの室外機が回る
暑い中で迷惑を吐き散らすその口は
人類という邪悪な生き物の象徴
上がり続ける熱膨張のメーターが奴らの命綱

洗剤で泥々になった川
アッハッハ、成長、成長
どっかの総裁が言う「日本は1番の国!」
アッハッハ、成長成長、戦略戦略

金儲けを信じて疑わない民族
遊び場だった空き地はすべてそいつらに潰された
そいつらには神経がなく、自ら京都と名乗り
いつも発情しながら裸で踊りまくるのだ

法を無視する天皇
そいつは汚れの芸者に山ほど金を儲けさせ
極悪源氏物語の様に姦淫罪を煽りまくる
僕はその独裁者の狂い方を東京都というスラム街で見た

倭人が殺されないのが不思議だ
これほどまがまがしい悪さをしながら
神がすべてを業に記しておかぬ筈ない
もしその時がくれば南蛮人は死に尽くすだろう

有権力の高度知識化

初期の功利主義者の心配通り、現代の日本で寛容経済が進む結果、そこで労働者層と彼らの急速な人口増加がなによりも政策と政権の衆愚化に進むのが民主政という状況で想定される最悪の進展。おそるべきことに日本人はこの世論を、彼らの伝統な悪習としている性労働者らの経済状態で促進しかねない。

知的で、現代道徳に関心ある人々の意見はどれほど尊重されても過ぎない。理説(イデオロギー)の相違に関わらず彼らによる討議の自由こそ、しかも彼らの存在をいかなる政治状態でも保ちつづける公的意思の前置きが、一切の腐乱から民族の智恵を行政権と結び付けておく命綱。
上述のみちのりで多数決の原理(もとはインディアンかアメリカ先住民の風習に学んだ成員平等性の理解)に制度的悪用が生じるのは、民主政治が最大多数の幸福をめざそうとするかぎり絶対に避けられない末路。特に資本経済のもとでは、「信教の自由」の為に頭数でまさる層がつねにその社会単位の信念を代表しがちになる。

 結局、現段階で望めるこの逆転現象(つまり最大多数の意思が本来の意図よりさらに衆愚化した総意をむしろ安定的に選択するという多数派議決制度の悪循環)への対策は、初期の功利主義者が立てておいた議会や選挙での知的基盤をもつ人々への優遇用の枠組みに加えて、『公開した貴族院議会』が有用に思える。
但し、この議会が自ずともつだろう権威をのぞいてどれほど実際の議決の課程へ傾斜配分式の投票権を伴うか又は単なる名目の議会に留めるかは、単なる民主政の枠内で選出された議員らの実状に即して決めるのが妥当。でないと(つまり上位下達でこの貴族院の成員を構成したがると)元華族で即時寡占化されしかも古代史のごとく血縁と情実で固定化したがるだろう。

もし国会の規模でたとえれば、参議院内へ特別議会専用の席を設けこれを参議院とは別個の選挙でえりぬき彼らの知性だけに有権者(参議院議員によるか、又は特別選挙区での比例代表で)は期待し、その公開した議論課程を公共問題への民衆啓発用にする。
これで少なくとも要約できないほど議論の内容が複雑なまま公に展開されるので、多数派の衆愚がマスコミの歪曲した報道で靡かされるという事態は不可能になるだろう。

 この方途は参議院での比例代表(その本来の意図は貴族院の機能の装飾化なので)はじめ、各地の選挙区をとる政権のどの単位でも採用すべき案件におもう。この種の高度な議論の公開は興味の有無にかかわらず、政治批評以上の能力をもつ公益の徒や有志を以前より高い公議へ導く。

coin game

i feel so bad
all fairy tails are missed
there are all stings in tall
why you tear vital shore
did it like etcetra
some balls out and fly out
from mine new court
traveling for our etcetra
like today's morning staring
your hairs are breezed by the sea
this dynamic drama
were old shining on sun
above our round
don't you happen so the biggest mac
donald is breaking doubt
that your job
the hottest news
go your socket or
mimicry goes on our
beautifully today's sunrise
what leaves metaphysics
mathematics o all sciences
philosophies are god
powerful less windows
listen listen this is
your prospects watch here
and you'll be marvel at
first music in mp3
theory that's thing aren't
right role plays only
theology that's thing isn't
good your poison distinguishes
yes i love god
yes i love me too
hi aren't you loving him
o of course i dislike coin game

理解

社会建設の理由とどうすれば社会が改良できるかの差は重い。社会建設自体は自己目的化できるが、社会改良の旨は必ずしもそうでない。つまり人類は社会を建設作業自体で結晶させる。もし改良向きの言説を啓蒙、社会建設そのものの目的を文明とよぶと、之らのめざすのは同じ理念でない。
 いわば啓蒙は大多数が文明を得るための方便で、我々が分析哲学の流路から得るすべても同じ。もし文明の理念を探れば、哲学の理由に返る。我々が世界を理性で捉えようとするとき、つまり通用語の使い方を守ってよのなかを捉えるには常にある哲学の慣用が要る。結局この世で理性が認識できる世界の目的や理論は分析哲学の詳細からは得られない。それは啓蒙の領分で、寧ろ言葉の用法への知恵を通した信教のため。
 趣味哲学は功利主義の審美化。とすれば、文明の理解へはこの方法か仕方で、最大多数の最高幸福を理由ある生活のもとへまとめられる。使用者の理念が雇用か利用される彼らの趣味の向上に叶うとき、芸術行為かたくみ自体が理想的となる。
 理由は哲学でしかえられない。世界宗教系の全ての信教は古人の哲学や智恵を守る役に立つが、その現代化には常に注解が要る。原理主義と哲学は、この解釈論の合理づけの才覚で矛盾しえない。そこでも最高の趣味者のみが最適。

無神経な蠱(コ)惑(ワク)界

きみは人類の滅亡を願っていた
迷惑しかかけてこないそれらの虫の
ところが、その虫は次々に繁殖する
恋愛とほざきながら次々発情で迷惑をかけて

倭奴は散々きみへ迷惑をかけた
暴力を振るい、暴言を吐き、徹底して冷遇した
倭奴は金儲けしつつ「そんなもんや」と言い
その醜すぎる子孫を共食いさせつつ崇めたがる

単純に無神経な人間しか生き延びないとする
もしそうなら、この世は野蛮人の天下だ
きみはそういう南蛮虫類が散々姦淫罪で金を奪いつつ
真似る様に下賎な漫画の如く発情し殖えるのを見た

俗物の皇帝はそういう南蛮虫類を利用して
税金をさらなる暴力で奪い生計を立てていた
このワク界で救いがあるとして
絶滅すべき生命体を定義できるだけ

綺麗に地表から倭奴という南蛮虫を一掃できれば
どれだけこの世界は清潔になるか分からない程だ
引っ付くばかりか車で走り回り自然破壊ばかりする
それらの惨めな二本足の虫は、生きる意味がない

僕はこどものころから冷静に
この醜悪な混沌を見渡してきた
そこで行われる劇場には殆ど
関心もない侭

全く意味なく殖える害虫、南蛮倭奴
あれだけ幼い頃から暴力と発情をくりかえし
あれだけ長い間、優等生の足を引っ張ってきた
お前らに残る仕業は共食いの末路だけ

2010年7月16日

日本独自の台所事情

ほか先進国では消費税率が日本より高く、法人税率が日本より低い。ゆえ日本でもほか先進国の税率とすりあわせるべき、という考え方はおろか。

つぎの二つの疑問をおもいかえすべし。
1.なぜ消費税率で優遇状態にある日本へほか先進国の生計を営む個人が積極的に移住してこないか
2.なぜ法人税率で厳しい条件を課されている大企業法人格が他国へと逃れ出ないか

1.の疑問は、言語と文化及び立地の壁が厚すぎる為かも。つまり限界消費性向が十分みたされない(欲しいとおもう物は山ほどある)のに、日本国内で消費が進まないか詰まってしまうのには別の原因がある。おそらく最も想定しやすいのは「貯蓄指向の極端なつよさ、国民の将来不安性」にありそう。
だからこの風土にのまれると、たとえ消費に寛大なほかの民族からの移入者といえども、貯蓄へ財産を無益なまでに回して現世での商品の購買を抑えようとするかも。

2.の疑問は、日本人か日本民族が独自すぎる文化を母系としているため、容易にほかの地域へ定着しづらい条件がありそう。これがゆえ有利不利の経営事情にかかわらず不合理な選択な国内留保を普通としがち。

 私はこの二つをおもいみて、日本では財政改良の要点がほか先進国とはちがうと考える。つまり『消費税率の最低化』と、『国内発祥からある期間をへた法人格へ税率の極端な上乗せ』が要る。
これらの施策では、常識でおもいこせるのはたとえば中国人の大量移入か旅客で国内の消費がほとんど賄われるかもという事態と、老舗の台所事情の切迫で多くの国際化した企業は国内から撤退するか本社を海外移転するという未来。
がこれらの特殊な事情とひきかえに、大多数の国民は経済面で潤い、同時に新興な冒険企業や留保資本の足りない若手起業家にも生き延びるための余剰が産まれるだろう。そしてこの功利の方角は、集客用の芸能としての伝統産業保護の政策を各地の自治体が自主先導するたてまえがあれば、ごく格式高い老舗すら潰れる侭にしておかないだろう。

2010年7月15日

信仰箇条

キリストの予言を信じる者は来世あり。
現世の喜びは全て束の間。
真の喜びは来世にあり。
この世の幸福は悪魔の誘惑。
たまたま生まれたにすぎない自分の命は神の手段。
経済で幸福になれない。
経済は現世の物質欲しか満たせない。
偶像崇拝は最悪。
神のみもとに真理あり。
神は何物も差別し賜らぬ。
神のみもとに万物は平等。
神の名は知られたことなし。
神の慮りは人に知りえない。
人の命は人のもの。
宗教者同士のいがみ合いは罪のはじまり。
神の許しは全ての信仰に及ぶ。
王様に中身なし。
王は神の僕:しもべ。
王の幸福は神の足下。
王の俗物さを謗る者は偶像を立てた神慮を想え。
全ての信仰は仮のもの。
現世の国家は仮囲い。
神の国は心にあり。
信じる者だけ救われる。
誰も神の念いの内。
宇宙という神の箱庭から誰も逃れえず。
現世の富は全て失われる。
来世の為の功徳だけが蓄えられる。
富に惑う者かならず不幸のどん底へ至る。
富は慈善の為。

経済学

詳細型修正資本経済論とは、簡略にいえば財投種別を公の議決でより現場や地域にとって有徳と功利な用い方へ導こうとする修整論。さらに簡明にすると、いままで用途を指定されてこなかった再分配か修整用の所得投機を知的融資によって細かく分けようとする考え。単に所得の偏りが是正されつつ資産が流動化されるだけで十分でなく、この単位視や業者との癒着が票田買い等の予期せぬ民主政治との融和をうむのは決して修正派やその資本展開の目標にかなう進路でなかった。一般にいえば、次世代以降にとってその政府規模に蓄えのきく社会基盤が、おもに初期の修正論の主張で主義となっていった。と同時に、過剰な社会基盤の整備といった不調和が、特に中央集権風の政権ではあきらかになってきた。
 つまり財政投融資は社会基盤のみならず表層活動へさえ対象を広げるなら、必ずしも民主政治の議決と一致する用途にかなう様にされるとは限らない。特に腐敗した行政が利己な目あてにこの財政を悪用したがると、資本主義の経済状態は悪化の一途をたどる。私はこれを票田投機の固定財化や赤字財政による金権支配と批判できると見る。特に、容易に多数決を悪意から活用し易い狭い選挙区で、情報や報道での公益事業への批評性能が確保されない社交場では急速にこの悪業が進む。
 ケインズの流暢さを借りれば、ピラミッド建設業者や穴掘り業者が簡単に行政の成員をいいくるめに入る。彼らの支持は、実質は寡占政治の増長。しかもおそるべきことに彼らは計算量の少ない単純労働での荒い稼ぎを高度な学問の意欲より好む様な基礎の仕事場で生計を立ててきた層なので、行政恐喝に類した衆愚に漸近しがち。これが現代の悪循環な赤字財政の因果。
 結局財投議決主義こそ、この修正が入った資本経済社会で自然な朽ち果てへの唯一の補強案。なにが真にその共同体にとって有益か、特にこの問題は知識人や長期の洞察や統計からのひきだしのできる研究家を啓発の主役に仕立てるので、いわゆる社会民主か民主社会主義からの誘惑で福祉国家へ向かわせるよりも選良性に叶う。なぜなら行政人が私的か公的かをとわず彼らからの忠告や報告を実践すれば、議論を指導する権威のみならずその主導権を握り易い。よって現在の民主政治界で最も有用な習慣は、その議決の全ての曲面を公開とできるだけ透明さと直通さの高い報道にのせること。

2010年7月14日

現代経済学

経済学上で「公共投資の限界効用」仮説が信べ;のべられたのはそれが国家経営を単位視した修正派の工夫だったといえる。この工夫以前は古典派による個人経営の集団視が普通で、巨視単位で世界貨幣の流通を分析する習いはなかったから。

今日の先進国らの進展をみれば、修正派の施策で限界効用が発揮できる、という論点へは疑問符が呈される。いわば耐久性の高い建設が『恒久財投』の縮減化された税投機の単位として殆ど常識化される事態すら散見される(特に官僚主導で工業趣味近代化が進んだ日本で)。
つまり修正派の考えてきた限界効用は、この種の国家社会では予想より遥かに早く訪れ、政府からの支出で景気回復や有業化が行えなくなる。
 現代経済学の大きな命題は、この限界効用の早熟さ、乃ち政府支出と癒着した財政投機の機会費用からの摩耗での資産循環の不能傾向をどう外すかにありそう。
いいかえれば古典派がめざしていた純潔資本の境遇、「需給の平衡」への再起を資産と社会で流通しているすべての資源の間に広げること。要は上述で定義された恒久財投の内容か中身を、最も末端の業務への下請けに至るまで分析し尽くす仕事量が入り用。

この考え方は、貧しい地方を含めた財投の無制約な推進へ一定の注意を向けるので、特に談合で生計の途をはかってきたいくらかの事業主へは理解し難いが、現実に、虚数の投資という還流が不透明な国債発行を赤字財政のもとでつづけているかぎり、実質はこれらの政府癒着の業者は国家公務員と同じなのだ。
彼らの数量がふえればふえるほどのちの世代では赤字国債を返還するための税制上での負担が大きくなる。いわば票田買いという悪癖で資本経済で最重要な最も効率の良い投機を妨げた結果、彼らの本来養えるよりずっと増長した子孫はみなが未来の国際文明で路頭に迷い、或いは悲惨な境遇へおちぶれるのはあきらか。
 だから現代派というべき経済学者は、古典派と修正派の限界効用への定義差(事業者単位の微視と巨視)を見比べ、その巨視観へ偏った合理化を最大級の効率にとっては妨げとみなして社会批評を通じ、資産が国家と事業者のどちらかへ滞留しない様な啓蒙を行えねばならない。そしてこの際の技術課題が、現代経済学の主要命題。

万物の始まりから終わり迄を貫く、誰もそれを真実とはしないとして社会が見つめる自由は、同じ法則の下に探られた日常に違いない。私のない歩幅で、万物と森羅がうつりゆくのをさがす。どこへでもつながる道などはない、書かれた歩巾は到底いうまでも。よほど、長かった丈、全く過ぎ去る合間に。
「ですからね」と舌切り雀がいう。「物事はもとどおりになりもしません。カッカッカ」闇!
 少しずつ白けてく海風の舞う町。走りつづける物流のトラックはきえる旭の犠牲。余程でしょうが。

2010年7月13日

現象知と哲学

特定の文面や絵面と言葉の対応は、つまり脱構築の論拠は、音声や発音(特定の周波数が定型化して模倣か複製されたもの)とのそれにかけて均しい。象徴対応さは、確定できるそれを偶有化したがる。一切の芸術という試みはこの象徴対応の権限や関係を自らの感覚の特殊さに準じてくみかえたもの。芸術業は象徴対応さ、つまり意味の突然変異を文化上へ抽出した感覚界。これらの試みの目あては文明でなされる諸々の意味世界を何らかの自らの影響下に導くか誘うこと。単なる誇示自身を理由としたそれは複雑化を、意味対応の関係そのものをずらしつける中でなりたたせる。いわば自己芸術界か純粋芸術は各種の予期されなかった意いを社会と文化場へたきつける。散種とか公演の意図はこの己らしさと世間の際限ない新たな対応の象徴さがし。
 実用主義のもとでは純粋芸術界の発見は難しいか、先ず機能にしか見つからない。それらはどれも連環した手段相互と絡まって特有の主体にとって役立つから実用性指標ではかれる以上、用途差や意義差で別の価値づけのしたで使われる。いわば目的に合う体系は、そこでは機能拡張の支配下に置かれてしまう。実用主義内で営まれる道具思想は病弊。結局それらの適応自体は、思想を考えだした者らの意図にかかわらず使用者にとって都合のいい自己形成を心情とする中で家畜化されたかした自由に戻る。ミルの功利主義とカントの人格主義の間にある断絶は、それらが目的を利己心の完成に見るか、それとも利他を兼ねた社会集団に見るかで趣を異にした結果。上述の自己芸術界は、自体が目的という社交さを人生という演劇におしひろげる。つまり究極の趣味、各種の機能や用途をふされた道具らが社会な手段と相俟ってつくる達観は、単に世界の鑑賞か理想というアリストテレスの時代からあった眺めの幸福に反る。思想そのものは手段で、純粋芸術へみればその解説か分析方法に留まる。
 現象学か論そのものはこの芸術分析かわざのしらべに使われ、分析哲学でえられた批評程度は大多数の趣味の向上か傾向づけへ益する物。

悪徳関西系の習性

金を儲けて威張りまくる、年寄りが居直って若者へ迷惑をかける、女が淫蕩を恣にする、青少年は純潔を嫌う、教師は暴力で恐怖政治を行う、神が存在しない、公然の姦淫罪を罰しない、異常に高い人口密度を好む、集団での労働効率が極端に悪い、多妻制度を引きずる、大人が学問しない、子供は親にせがんで買った携帯電話を悪用する、商売しながら他社と足を引っ張りあう、進歩しない、年下へは異様に威張る、女へは最大級に優遇する、芸術の理解がない、自慰を好む、売買春への罪悪感や羞恥心がない、偶像崇拝する、子供の前でも平気で堕落した会話をする、天皇へ贅沢させる、見つからなければどんな悪さでもする、アジア人を蔑視する、ヨーロッパ人を尊敬する、公然猥褻を奨める、金欲しさに子供を偶像仕立てに使い捨てする、都市計画ができない、広場という概念をもてない、公共心が欠落している、内と外を差別して扱う、鮨詰めの満員電車から田舎者を馬鹿にする、大阪を馬鹿にする、関西人を嫌う、関西人同士はいがみ合う、学歴を差別用に使う、幼児じみている、歴史を知らない、英語を自慢気に喋る、警官が姦淫罪を犯す、イタリア人の如く好色、倭人女は極端に馬鹿、女を人格者として扱わない、漫画を描きまくる、ジョークに怒り狂う、軍人の知能が低い、朝鮮人を差別する、母国語に過ぎない日本語を誇る、金以外の人生の目的がない、群れまくる、謝りまくる、カメラをどこにでも持ち込む、眼鏡をかけまくる、魚を生で食べまくる、異常に細いズボンを履く、サラリーマンが買春しまくる、自殺が多い、アニメをみまくる、大人が週刊漫画を読む、品性下劣な俗悪小説を読みあさる、大学生は発情ごっこしかしない、高校生は売春まがいしかできない、小学生はいじめしかしない、中学生は携帯電話で同級生を隠れて虐殺したがる、社会人は勉強しない、いつまでも同じ首長をたてたがる、失敗しても学習しない、戦争に負けてトラウマになり一切の防御もしえない、原子爆弾をいつまでも盾にとる、南京大虐殺を言わない、ヤクザというギャングをはてしなくのさばらせておく、人通りの多い場所へも平気で売春罪営業店の看板や店舗を出す、他人の子供を子供として扱えない、慈悲心がない、宗教がない、宗教者が慈善をしない、ふえまくる、売買春で婚姻外性交渉を行う、姦淫映像を撮影販売する異様な人身売買会社が大量にある、姦淫罪小説屋を若い内に使い捨てにする、姦淫罪小説屋を崇める、姦淫罪物語を傑作と呼び古典にしたてたがる、感情で動く、思考力がない、理性が欠けている、知性はない、こびとの様に小さい、色は黄ばんでいる、自殺隊で戦争する、議論ができない、個性がない、個性を潰したがる、誰かが目立つと総攻撃で潰す、足を引っ張るしか能がない、偶像崇拝や多神教や汎神論をまじめに信じる、テレビゲームで子供とその親から搾取しまくる。

社会生態学

自然への適応がその場で要された、淘がれた形質なら各地で異なるそれらの姿は、自体で合目的。それらの間に適応放散でのいれかえが起きる訳もこの状況の改めのみ。もし文明場での違いが明らかならそこでの文化素に差があるから。文化間競争はここに生じ、社会淘汰の内にあるおもな要素は文化淘汰に沿う。
社会淘汰∋文化淘汰
⇒社会淘汰は文化淘汰の要素

 自然への対処の仕方に、利用の詳細差があるのは彼らの文化がひきついだ手だてへ異なる系統があるからのみ。文化淘汰自体は社会淘汰要因が一定の輪か巡り、つまり定まった適所での誇示と選好の常さへ保たれて起こる。
形質が単に複雑化を目的とするとはいえない。合目的さと複雑さの間には文化要因が介在していて、それは社会が自然条件から大部分ひきついでいる。

公務員成敗案

『政府効率化戦略』で公務員らの大幅な人件費節減とその省内での無駄遣いを根絶し尽くすべき。

閣僚内にも税収を喰らう身でありつつろくでもない女らと映画やら食事やら議員宿舎の連れ込み旅館化やら見るに堪えない頽廃が兆している以上、情報公開制度の善用で「公務員の経費」を国民へ全面的に開示せねばならない。昼食代からコピー機の利用まで含む。
一体、中小企業の社長の苦しみとひきかえにどれだけの赤字税収をろくでもない女らに貢いでいるというのだろう? こんな閣僚はひとでない。顔の見える社員の首切りを忍べず抑圧から嘔吐した社長の墓の数だけ現役閣僚は苦労を背負うべき。

 省内で財務省から分配された経費がどの用途にどれだけ注ぎ込まれ、その中途では誰がいくら浪費したのかを徹底して問い詰め報道し尽くすべき。閣僚の所得に対して彼らのろくでもない女との外出頻度がどれだけかを堂々開示し、一体我々への人件費の分配を節した大企業の重役に比べどれだけ立派な人格がそこで居直っているのかを我々は子孫らの後学の為に調べねばならない。

特に自衛隊の防衛費に対する「新鋭な防具型兵器」の工学投資が日本国土の自律には不可欠なので、ろくでもない女と遊びまくる閣僚など何人首にしても公費の正しい使い道から言ってなにも問題がない。
工場で派遣業務に就く高校卒業後の努力家からうわはねを搾取してきた、ろくでもない女に貢ぐために使う税収でまるで頭があがらぬ閣僚など存在自体が国の恥辱。コンパクトな政府の前には実のない世襲議員よりさらに生きているだけ邪魔である。

2010年7月12日

法則

どこへ旅してみてもきっと
あなたはこの空よりほか何も
新しいものを見れない
小さな星屑のうえで
はるかな星空の向こうへ飛びこえる
いくつもの宇宙船はただ
夢空言を語る今の篝火なので
いきのこる命を彩るいくつもの花束
大地の底でねむりこけた疋蛙の子は
それがうそだと思うほどわずかな
春雨の音で目をさますところがそれは
小学生が庭へ注いだ如雨露の目覚まし
あなたが目覚めるこの地表のどこでも
まちうける藻屑になった海縒りの風
丸で現代がそうみたく
大体の物語は尽くされている
そいつらのいう偽善だとか儲け話
どうでもいい発情猿の同級生とか
そいつらの親ごと消し去るあの爆弾こそ
君の求める悲劇の源
要はこいつらの終りを
見届ける権利だけ託された使命
絶望しかない崖っぷちの真下
君は正しく死んで行くいくらもの
あの悪漢どもの人生を見渡していた
君は業の流れを見通しながら
なおもそいつらとは違うその頭で
大宇宙の片鱗に立つ理由を考えていた
あなたの夢なんてどうせ
みのがしちゃった裏番組くらいつまらないもの
誰に縋るにしたってここは
資本主義経済とかいう変な土地
どうせきづいてないんだろう
騙され利用されるばかりでなんの
見返りもないその奉仕などに
だれの感謝も慈悲もない
人は隠しつづけてきたどうでもいい
昔話を大切にしまいこんでのち
いざ開けてみたらもう中味はない
この世だって同じ様なもの
あなたはもうすぐ気づくだろう
どうせどの人も中身などない張りぼてだって
固まりきったちいさな星
どこへにげようと着いてくる今が
過去へと過ぎ去る雨足をおしつけてくる
もしなにもかも水に流せるなら
自分が立っていたこの地面をみなさい
あのおおうなばらの前になげだし
必死に築き上げてきた大都市のありかすら
底知れぬ闇の巌と化せばいい
溢れ出す清流の源こそは
ふりしきる梅雨の足取りと併せた
町合いの傘を叩く音
なにもかもめぐりゆきまたかえる
特段の理由がないこの詩さえも
大地の底で待つ比類なき法則のもと

すずめの子

すずめの子はね うたう そらへ
すずめの泪のなかみはね 巣のなかの
いろんなわらのなかであそんでるから
すずめの泪だけに うたうの
ちゅんちゅんちゅちゅん
ちりちりと なつの暑い日に
つゆの降る雨にまぎれては
すずめの子らは うたう そらへ
わかっているのか おやすずめは
ちゅんちゅんちゅちゅん
のきしたの すこしのすきま
おやすずめは そこをいえにした
しずかにしずかに みてご覧
はこんでいるのは 御馳走だ
ちゅんちゅんちゅちゅん

2010年7月11日

卑しい国家

あすまでは流し込むなり税の広告
卑しい猥褻漫画売り放置国
麻生マンガ党完全に終りの国
福山演じるどん詰まり極悪テロリスト船団
国税で天皇はエグザイル見てたの

霞ヶ浦

山萩のおちる庭間に降る雨よ
寒さすら涼しさのうちに降る紫陽花
台所に舞うすずやけしかみきり虫
美化されたいなかのうそはゲジゲジぞ
いる間ねむりをさます救世主
遠くからみれば綺麗な東京都
孤独さを抱え嘶く雷
多摩センター駅から走る稲雲
新宿ツタヤ狭く暑く人多し
平日にテニスするなり調布びと
チャラ都民お前らまじで江戸に居ろ
純朴な子供はおらず東京都
人多くくっつきまくる東京人
すきまなく詰まった街区救いなし
鎌倉市の雨の海岸にサーファー
房総の崖を飛ぶ鴎なにをみる
こんなとこでよくジブリやってるな
つくばエクスプレス乗客にまじってくる化粧
六本木ヒルズどこからみても外人向け
駒大生マックスコーヒー高架下
早稲田とは発情のために行くとこか
国立の多摩川沿いを通う中学生
江戸川土手で下町っ子の野球見る
新宿の世界堂を去る足重し
品川の渡良瀬橋を通ること
伊達に今日マチ目つけてない二子玉川駅
葛飾辺電車で携帯からシフトを入れる女
原宿は莫迦の戯る舞台なり
仙台の高台で見た海岸線
ソニーのCMお台場で撮ってんじゃねーよ
都庁から眺めて小さな皇居という
大磯の寂れたパンダの乗り物よ
川崎駅でチャラってた友人宅訪ね
金沢の飲み屋の息子は居場所なし
地下深くみなとみらいの鴎鳴く
池袋椎名町間の弁当屋で当たった代表タオル
練馬から眺めるマンションへ架かるタオルケット
あの海浜公園は誰にもしられず潮騒へ寄る
宇都宮おりつ外人違和感の
埼玉の駅のホームで買う紅茶
佐倉中から印旛の音は聞こえない
土浦の駅前の裸像虚空なり
筑波嶺の高く肥ゆる夏の霞ヶ浦

2010年7月9日

趣味観の到達可能域

完成した趣味は、そうよべば資本の枠内で現された個りと群れとをとわず自由に返る。場所学は地政学識の先端領域。且そこで認知できるどの実証認識も現象論の内。そして哲学は、普遍道徳の立場を除けば全てがここへ返る。しかも普遍道徳は異形而上学体系の比較検討でしか少しも平衡されないので、結局漸次にしかえられえない。場所学知の本質は知覚基盤のずれ。この隙間は形而上学の不可逆特性を経験則を込めて導かれる理性界か知識説明の母公理系へ入れる。もし民族系の違いが功利さにとって好ましいか特徴な協調へのきっかけなら、彼らの場所認識が運命選択から淘汰で違ったから。
 唯一の趣味は、幸福観の差と同じでない。主観原理の違和が場所学識を各知覚へ収めるのは必然で、おもに彼らの持ち得る総教養度に因果を返す。風土は趣味差を結局そこでの理性に戻す。つまり哲学の違いは、彼らの知覚基盤毎場所適応の理由をも違える。文明の究極も、彼らが違う適所を望む限り違う結果を求む。統一文明そのものは幻惑。趣味主義は形而上学の追求しか指定しない。相互参照の有無すら、望む理由に返る。だから教養も、場の功利差で大幅に達を違える。
 文化適応が自己延長や相互干渉による協調界を含む環境改変の維持なら、理性が現に達するのは全て望ましい形質丈。つまり誰も哲学の動機づけを通してしか、しかもその漸近な進展でしか普遍道徳への道を辿れなければこそ、理性は異なる意見交換の共有言語を用いる手段でありつく。合理化や言い分の系統は、違う知覚基盤間の認識差つまり勘違いを修正や啓蒙へ導くにも有益。この領分なくして一切の客観理解なし。他者にとって望ましい趣味観は、結局全てに於いて哲学のよさに返り、それは異なる知覚基盤の元にある違った形而上学相互を十二分に参照しつける習いに基づく。究極の形而上学は全知の上にしかない限りおよそ永遠に当為たりつけるだろうが、究極の文化適応はその哲学の働きそのものにあるだろう。考えるという能力は、自体で他者理解の重要な淘汰域。理性淘汰界は、より理解のある懐の深い知覚をとぐに最善。

社会生態学

変化し易い自然はそこでの適応を感覚で過敏に導く。季節風土は特にこの面へ特徴をもつ。恒常型淘汰はそこでの器用さを通して、過大な変化を一定に抑える行動を貴び、えり好む。対して一定の、より高い定常さのある自然では一切の感覚は沈黙へ向かう。単調さへの適応は定常型淘汰として、その場で最も諸能力の特徴が押さえ込まれた完成度を競う。前述の過敏さはあまり貴ばれず、不動の生態、繰り返しへの適応、我慢強く為付こい形質が生き残る。
 一般の社会淘汰でこれらへの逆淘汰がみられるとすれば、それは文明化の作用。つまり本来の自然淘汰と逆の形質を敢えて希少視する中で通常不足しがちな幾らかの個性を社会内へよびこむ力。

学問の定義

哲学はその体系へのあまねき参加を前提にした理念界の自己展開。実践理性の問い、つまり可きについてを考えるにはその意味への理解と自律を要する。弁証法は体系へ従うのではなく、常にそれをのりこえる言説でなりたつから、先ず理解する必要は哲学課程が既存の各思想の既習をも科すると教える。結局自らが博識を形而下の学識のみならず元にして、真に考える事を尊ぶ場合だけその体系の新たな構築者は、同時代で十分といわれる程には学んだ為に道徳がある、と認められる様になる。学問という用語は、この経過の為に用いられると好ましい。哲学は形而上学への呼称となりつつあるので、科学知識との連綿な統一は寧ろ問いを学ぶという漫然とした詞でより示し易い。

現代文

宇宙の外から聞こえる今の声
誰の今ですか? あなたどなた?
You shall be to go ahead from c.p.u.
A-a-a- are you earth robot
サモナクバソノトーリ
急転辱縱鸞鸞眞擡艱什麼デデデ
白馬のうらからso so little a bit
Financial dot pointed impacts here
ななな菜の波奈が守備でゅ罵
らっらららくてん、クラリラ根っ
牛丼胡瓜で胡蝶の欄間が2\3にブンのさん
ドーリデドーリデ。A ka laten ted mihu shark
Mamo naku mamonaku登戸 カラカラの
ワタシまてましたわ、私待てまシタワ
意味不明のギャハー 償いに他力本願がおー
くっちゃべってろローリンヒルpopulariち ム
ムムムシャぶるい、部品製造逆、型崩れzoom

2010年7月8日

ソネット

猥褻物頒布罪と公然猥褻罪で未成年を人身売買させ
あちこちの汚い風呂場で税収を占めるクズ
石原慎太郎というそいつは都知事と言って
みりゃわかるがいつも威張りちらす
なるほどこいつは終ってる
けど、無法のこいつを養う東京愚民はそれ以下
どちらも俗物の程では同じで
来世には南蛮虫ライフを散々たのしむはず
こいつらは知能というものをもたず
寄り集まってひっつきまわるだけのゴミ虫
最悪なことに、この島じゃこいつら倭虫は大繁殖
あちらこちらでひっつきまわって、次々殖える
いいかい、よく見てな。害虫なんて
この殺虫剤で一息だ

殺されるべき者は殺され
死んで行くべき者は死んで行く
だれも宿命をこえて生き延びない
迷惑しかない害悪老人も
気が狂った人身売買女も
どちらも間違いなくあっという間に死ぬ
暴力しかできない猿ヤンキーも
どうしようもない秋葉オタクも
君の目の前で跡形もなく消える
東西京都の文章ゲイシャ
土田舎から出てきたノーベル売文野郎
救えない連中へは最も先に
あのだれにも避けられない強いいかずちが
その存在感さえ空中で焼き焦がすだけだ

天罰は必ず下る
そいつらは東京都という場所で
国中の女性を淫行へ勧誘しながら
それを撮影した罪業の証をのこす
人間以下の滓だからこそ
あの誰からも同情されない事件が
奴らの命を跡形なく消してしまっても
我らは少しの悲しみもない
その頂上ですべての淫祀を
司っているあの偶像は
世界中で最も悲惨な末路を
ただ自らの血筋の邪悪さのゆえに
ひとりでに選んでゆく。それは
自然とよばれる業だ

世代

貴様らが愚劣きわまるこの社会を牛耳る限り
すぐ下の世代は腐りきって放蕩におちぶれる
貴様らさえいなければ
俺はいますぐこの世で活動できるのだ

2010年7月7日

暴力の正当化

女子大の中で尊敬される道をさがした
とある禿教授。あちこち旅してみて
どうも日本女性は服従的だと気づく
結果、数学そっちのけで学内では
暴力的にふるまうことにした
調子にのってしまった結果
その自説を上梓してみたところ
定年まぎわの枯れた給料夫に馬鹿売れ。
当然、若者虐めと社内暴力を正当化してくれるから。
無能な教授でも売文長者になれば出版社が黙らない。
どんどん家庭内暴力の奨励をはじめる
少年はその醜態を見るにつけ
日本人は愚劣で救えない民族だ
と、ますます理解する様になった
少年は次々周りが自殺する虐め地獄の中で
ああいう人間は子孫もろとも腸を裂かれるべき
と確信していたが、それを
口にした途端、教授の愚説を信じきった
気違いの体育教師に竹刀で肌を血みどろにされた
そいつらは君から税の給料を食み
そうして同じ愚かすぎる子孫を
君の社会で奴隷労働に就いた結果
あの子供手当てで、無償で育てまくるつもりだった。

資本経済の合理な範囲

無制限開放型の資本経済は、心理損得からいって先進国側にとり功利でない。なぜなら資本経済はそれ自体の働きで「搾取する」仕事量を半面で伴うので、既に周囲との経済平衡への道筋を与えられ近代化に成功した国々(現状では中進国とよばれる)との競争状態と同列に扱うとうらみを買う可能性がある。
実際に物価内開きや将来への備えのため個々人が消費できる財貨に限りがあるのに、後進国か途上国の立場を重んじれば彼らは比べて総生産の高いと示されている国々へ嫉妬を覚えたり偏見で遇しがち。

この矛盾は、一般化して「経済大国劣等感」とよべる。実際にこの大国でのくらしが幸せかどうかと関わりなく、命懸けの競戯とみた途上国との経済政略のあわいにはこの種のおどけが免れていない。つまり、経済大国という体面は、無制限型の資本主義侵略では必ずしも趣味で立派と考えにくい。
宗教感情をおもえば我々は金持ちより奉仕者を望むべきだし、返礼の省力化という元々の共通貨幣での取引の目あてがそうだったのと違和した思い込みは、彼らの間に無益な不和を倦みやすい。結局、経済大国劣等感の因果は無制限な商いにあるので、『限定型資本経済』をとる限りこの矛盾はもとから生じてこない。

 そしてこの限定は、法の重なりに叶う時のみ真。つまり一般論な住み分けに等しい。但し、仮設な条約その他での抽象的隣接もありえるが、例外。立法の自由は、他一切より経済的自律に不可欠な由縁。でないと必ず弱肉強食化し、社会不安分子が高騰してくる。

教育と幸福

教育に大幅な差のある両性が自然に円滑な婚姻を結ぶのはごく難しい。この事象は、例外あれ教育が価値観を置き換える照査。つまり婚姻を、両性の共通課題としての子育てへの注釈からより複合した営みにするのが教育背景と思われ、それは伝統あれ常に適者生存の規則を、人類社会の教育環境の違いで示す。
 内的増加率の高い生態、之はより高い早期死亡率から肉体労働者層と類比できるが、彼らの属した教育世界がもし彼らの価値観で要する婚姻の為の準備に、比べて少ない学習課題しか科さないとしたらそれが量産の適応だからだ。もし彼らの生態が一般にそう思われる通り軽視に値するなら、彼らが低い教育の程でも容易に婚姻生活へ入り込むからで、しかもたちの優れない彼らの中には婚姻制度の枠組みさえ要しない者がある。つまり彼らが疎まれるのは主に非内的増加率の適所に於いてで、彼ら自身が望ましいのは似た種類の生態が多く生計している故遠慮しなくて済む世界。こう考えれば幸福という価値観へ向けて社会を改善したくば、すみわけ自体が行政面で有用。低い教育段階へ適合した生態は彼ら自身として満足なのだから、彼らが行う犯罪、家庭内外での暴力、中絶その他各種の不埒、子孫への最低限以下の投資などは彼らの信じる幸福なのである。
 民社思想が過つのは、誰もが非内的増加率風の生態様式を望むかどうかを悟らない所、いわば価値観のおしつけにある。是政者のそれは通常、全生態の中でも彼ら自身の地位へのぼりつめる為要した手段ゆえ、特殊化を免れない。我々の教育生態についてすら自由主義の考え、いいかえれば公的寛容とそれに伴う自己責任が、彼ら同士のすみわけと併せて最も幸福への各適合に叶う、と理解すべき。最低限度の文化的生活という安全網は、公的に許容できる見苦しさを身近に感じないで済む面でのみ有益である。
 もし彼らが遠い島国で勝手に堕落していても、我々へ迷惑がおぼえられない限り何も問題が起きない。同様に、違う地域で各々が想像の限り隔離か接触確率を低められていれば相互の幸福は乱され難い。乃ち層秩序、又は生態に応じた集団秩序を行政計画内に収めるのは、質的功利を鑑みるには必然。それらの上下関係論というより、すみわけの為に。

2010年7月6日

この世に良いニュースがないのは誰の所為
心の悪さをしらないジャーナリストの所為
貶める相手をさがす極道市民の所為
文明の罪を反省しない所為
幸福追求の裏面の所為
北海道のもとからあった民族が
深く留め置くその念いは
この世の底でうずくまる
あなたの目の前の呻き声
だろうねと青年は言う
それは人類が急ぎすぎてる所為だ
だれも気づかない小さな雲の
向こう側でキーウィが言う
きみらどうして飛ぼう飛ぼうとしてる訳
僕は天皇と名乗る一家が
目の前で民から奪い取った大金からつくった
豪勢な晩餐で自分の先祖を祭るのを見た
かれらは「幸せを噛みしめています」と言った
不幸にも工場の機械の下敷きになった
あの少年がどんな希望を見ていたかも悟らず
あたかも自分らの国であるかのごとき顔で

信仰箇条

人類如きを神仕立てにし、何一つ創造できない無力な操り人形にすぎないその心身を守護神とよびならす愚か窮まる倭人種よ。
自らすら守れぬ偶像の崇拝は己らへ神からの怒りで応報されるに違いない。禍々しい偶像崇拝民族の結末は全て裏切られ。

星の中

偽善者の倭人ども
そいつらは日々死刑を執行している
ところが裁判員どもは
「これは許されないこと」と言う
お前らの命がね
一銭でもない
それらに記されたなかみは
誰かの人生時間という贈り物
僕は日本中をさまよった
答えを探して
ところがそれは初めから
生まれた星の中にあった
最も重たい鎖
これを外せれば
晴れて自由の身
只の国民という錆びた鎖
説教くさくなった
お爺さん詩人の大盤振る舞い
デジタルは詩にはならないといいつつ
銀行残高はふえつづけていた
あのまちのすみにある
ぼろ家に住むひとはいない
一万円で借りれる空き家
けど一銭もない少年と猫
ほら聴けよ
どっかのくにのまねっこ
何万もする音楽プレイヤー
この耳にそんな金はない
どっかで見た
ロッカーきどりのポップスおっさん
家族を養う金は俺らが貢いだ
けど今度は「幸せでいいじゃん」とほざく
まじで絶望する
八方塞がりの時代の中央付近
決して諦めたわけでもないが
そいつらは人類を辞任しない
宮崎という所で死にまくる家畜
ニュースを通じてだれも同情しない
しばらく前にテレビでみせられた
あの売名料の出所なのをしってるから
小さな玉手箱
みたいなあなたは聴く
この広い宇宙のどこででも
咲くヒメジオン
彼は遠い昔
空想力の強い子供で
どこででも一人で何時間も
空飛ぶ夢をみれた
行き止まりへの
みちをゆく
旅人は自由の名のもと
資本主義の住人から見ぬふりされた
そのラッパーどもは
凄いを半端ないと言う
遠回しにおのれらの
愚かさを示すため

対称性についての分析

美醜は主観内にしかなく、それは趣味による。審美性は場所進化の方向付けのみ。客観美醜は存在しない。合目的性の指標そのものが各主観同士で違う。身体の対称さもその一側面のみで、内臓その他を鑑みれば完全対称からのずれ方が本質な生態変化らしい。対称さと美を同一視したがる主観は、発生の節約で片側のみの設計を反転すれば過半が仕上がるという自然の功利を真実と取り違えている。対称さが合目的さではない。ごく強い流れや現に引力の中にあるひらめかれいその他の対称さから逸れた機能に適合した生物や生態は、単に内的増加率な適所から離れて系統進化してきた為、設計の実施労力の節減を至上命題とはしなかった。非対称さの高い生態的美醜も、合目的さが場所適合なればこそありえる。

2010年7月5日

近代化と西洋思想

工業化の進取のはかりを地球各国の使用権と取り違えた因果は、カンウ゛ィンの召命倫理がロックやヒュームから連なるイギリスの物質主義思想で蒸留され対外植民すら合理性で処して行こうとした故。ドイツかゲルマンでカントな人格主義が樹立されていればこそ、植民侵略を召命感のもとにいざなう意いは彼らになかった。之らの実例は、各社会での少数者思想の意義とは別に使用者思想としての功利主義が、アリストテレスな幸福主義の系譜を直に引き継ぐ人格主義とは違う結論をひきだしたと教える。つまり手段以上に目的として各主観を扱わせようとする思想か意志は、使用者らによる人格の道具視を内面の良心から規制した。それが巨視すればドイツとイギリスの運命の違いになった。歴史家の目にはこの両者の進退は、イギリス王座からの自律をめざしたアメリカでのプラグマティズムとよばれる使用者思想からの脱却の試みも含め、かなりの必然を伴って見える。物の一種としての生態機械を前提とした社会進化の把握は、カント哲学でいう心や信やそもそもの人格さえ快苦刺激への一定の反応の恒常さにしか認めない。生態機械論か物質主義の立場からは脳死の問題も法的自由意思が失われたと認められる時点で解消するだろう。同様に、形而上学な理念をもとに立法能力を含む会合さの規模で認めるべき人格を文明度に応え遇するのは、もてなしか歓待の権利へその労働者思想を留め置く。
 結局、西洋で近代化の際に起きた歴史事象はみな思想の対立で試合。理解するという哲学の働きからすれば、国連司法権へしかそれらの報償断罪は求められる段にない。もっぱら公法なくばおおやけな刑も認めえないから。

東京には何もない
なぜ真実を長崎の歌手なんかにまかせておく
一刻でもはやく伝えなくては
ほらまた罪のないいなか者が犠牲になるのだ
カワイクナイむすめっこは
カワイクナイものをカワイーと叫ぶ
カワイクナイものを可愛がらせ
自分自身のカワイクナサをしらせようと
猫は人よりかしこい
それは誰にも頼らず
自分自身の餌をとってくるので
猫はこの為に人の主である
人間よりみにくい生き物はあるまい
盛んに美化した自分らを焚きつけた
香水入りの映像と画像をふりまくが
そのなかみは鏡に映った猿なのだから

2010年7月4日

風俗産業の撲滅策

石原慎太郎都知事は知能障害で、どれだけ待望しようと永遠に各種の風俗産業を取り締まる気がない。面前と好色を公言しその奨励すら仄めかしてきた人格なので救済の為の方法はなく、末孫もろとも地獄の業火で焼き尽くすしかない。
迷惑を被る近隣諸県の間で「風俗産業撲滅連盟」を組み、都警察の成員を含めて漸次逮捕し取り締まる必然さがある。犯罪を放置するのも間接教唆に等しい。よってこの会合では犯行看過罪も定義し、専ら近隣諸県の条例による犯罪都民(当然、堕落した警察庁とその直下の警察組織含む)の取り締まりを行うべき。

木菟(みみずく)

そもそも僕らは
閉じ込められた
まがきの内で彩られ
丁寧に包んだ
時間と共にうずくま
意味のない音符
誰にとっての
桂木なのか
既にない世の中だって
かえってこない
青い春
どうしてもそれが
コンニチの自由
だからって話

古傷をみて旅立ちの朝
きみはなにもがとどまらず
夜の底へと流されてゆく
あすからの道のりをみて
多分全ては気の所為なので
これからも自由や今に
わずらうこともなさそうと
決してすぐれた訳でもない
構想を軽く練っていた
けど君はもう底知れぬ闇が
近づくその地図上の
限界を見てどうしても
完成された世界なるもの
なんてどうでもいいとする

下らない関西人が
きみを小馬鹿にお笑いネタだよ
クックックだからね
だから何度もいいますが
江戸っ子崩れは死ねばいい
チャラりすぎて逮捕しかされない雑魚は
江戸川ばたでボウフラしてりゃいいよ
使い物にならないんで
どうせ底抜けのごまかし
京都でお土産買っちゃみんなこれでしょ
周りを見下しみくだし
ゲイシャが狂う蠱惑界コワクカイ
ホウホウホーホウ真夜中に
木菟みみずくが鳴く

場所の理論

場所学の夫々は地域適応と経済圏でしか道徳さを認めない観点に近づく。が普遍道徳論の系譜は、比べでこの仮設物を営ませたがる。全知の理念が之を裏付ける。けれども知覚基盤を鑑みれば、全知の形式か母基盤は明らかでない。数理知による全比例の理解なのか、もしそうならどうして神が世界計画に偶然域を設けたか。また有限数をこえた認識が進法を用いない知覚にありえるなら、この予知も知能の対比たるのを諦める。普遍道徳のでき方は、実用で全知への望みな主観原則との合致点に返る。宇宙の己をとりまく現象が場所毎にそう想定させる全知の姿は、ごく違うべき。つまり神は民族神か種族の神を、少なくとも現世ではこえない。もし世代が合併か絶滅すればこの神らしさも趣ちがえる。結局、場所学識の主要な理由はこの種族神学か神話を生み出し、大多数の成員を同じ利害で結ぶことにありそう。信仰や道義、利他さの一切が社会淘汰の共有化された規則なのを観よ。地政ほか現象論の射程はそこで認知され得る全ての理性を意図して場所らしさへ返る。
 環境適応の真の姿として神話の違いは現れる。理論が、自然認識へすら詳述の才を異ならせたり相互参照を興味深い学習課程とさせるのはみな場所に差があり、それらはこの宇宙系では違和しつけるのが通常か殆ど故。会話が理論に支配されるのは当然。だからそこで最高の理念も漸次異なりつく。

倭人の合法な処分方針

歪んだ宗教しかもたないので、東西の京都(彼らの新旧の首都)で倭人が常習化している金銭とひきかえにした婚姻外性交渉への適応は、それ自体で地表の人類が形造った一つの生態構図に思う。
外部の異民族はこれらの倒錯した行いのどれも少しも共感しづらいし、正に東洋の僻地にある孤島にふさわしくどれも異様だが、それらの倭人の習性は、競争条件が弱く、強力な外来種による撹乱のない場所で保存か持続されてきた奇形に見える合理性なのだろう。
それらの性の売買界の秩序の頂点には天皇がいる。この天皇は、他に逆らう者のない虚空の絶対者として国民の為すあらゆる悪意を見逃しながら君臨し、おそらく彼が好む売春婦をつぎつぎ購買する。アジアらしいこの光景の片鱗は、源氏物語という古代の王朝物語へ克明に記されている。

これらの島の外部の人間理性には頽廃にしか見えない構図は、伝統的に倭人がその島の内部で営んできた都市世界なのである。買春の王者としての天皇家は、その乱れた特性の故に数千年の間、倭人の世界で保存されてきた。
これらの適応は、「買売春民族」としての倭人の伝統を照らし出すのに十分に見える。つまり倭人は、その異常な島の気候へ適応する為に強度な習性の変形を要し、きわめて早い内的増加率を達するのにその公的乱交の容認を本能としてきた。これがなぜ倭人内には我々でいう宗教の感覚がないのかへの説明。

 当然この種の民族へ共感できる人類はごく少ないか、生態的観察と実験の為にしかその有用さを認めないだろう。
ある時代を経て、これらの奇形な民族は国際連合からの通達で血統ごと浄化するべきで、おもに国連裁判の場で島国内では許容されてきたろう数々の堕落しきった悪徳の飛散を裁き、それらのあしき繁殖をふせぎとめるに刑務所内で終身刑以上で処するのが良い。
太平洋戦争で事実上、民主統治の手段として免謝された天皇とその血族も同じ宿命で処するのが良い。さもなくば倭人は地表で最も歪んだその買売春の習性を星中へまきちらすであろう。

機械

宇宙にわずかな隙間があって
人はひとり残らず納まるもの
ところが私はそれを見つける
彼女はわけもなく、手前で佇む
「あなたはなにをしているの?」と私は聞く
当然彼女はロボットだ。だから答えはない
「ワタシハシンデイクモノデハアリマセン」
私の目の前では
つぎつぎ人々が飛び込む暗い穴
底は見えず
ただあたりを漂う冷気だけが
私の肌を刺す
要は、私はロボットのひとりで
完全にまちがえてしまったプログラム通り
だれもが死んでいく世界の観察者
彼らには昔、理由があった
証に、ここには大量の書物
なにが書いてある?
へびの様な文字で記されている
なかみを読み取るすべはない
彼らには昔、理由があった
私はただ一人、宇宙の深淵が広がる
崖のふちで佇む者
人類が築いた文明の上で計画どおり
自由自在に踊り続ける子供
私は小さな宇宙の隙間で
長い髪をふりかざしながら踊り続ける乙女
だれにも覚られない小さな隙間
死に向かうベルトコンベアのすぐ隣で

2010年7月3日

倭人集落での財政策

西日本から東京都に至る一帯で最もひろくみられる各種の堕落した接待産業は、その飛散をふせぐにはそれらの地域外での法規制は前提として、なおそれら自身の自己繁殖(それらの地域の首長らの堕落しきった心象含む)を最大限せきとどめる方法がいる。

「性病検査税」を代金100%以上に差し置くこと、これはいわゆるHIVの自然な効果による乱れた人間をすばやく淘汰し社会の清らかさに益する。その自然死亡率を遥かに高める効果も期待できる。
また彼らの用いる婚姻外での不埒の対策へは、各種の宿泊施設へ同姓以外の者か国民番号による予約外での宿泊ではもより自治体へ確認の上、罰金刑以上で処する方針(つまり「婚姻外宿泊制限」)が考えられる。偽る可能性があるので国民番号の照査は重要。
但し、例外で同性との宿泊がありえる。この場合は繁殖可能性がのけられているので無視し、前者での淘汰が可能なので反故にしてよい。その種の生態へは自然淘汰が最も益する。
 これらはどちらも近畿倭人界での財政へ相応貢献するであろう。

教育改善案

高校の学費無償化をもし次期政権でも維持したくば、それに伴って実質的国営の教育体制の意味で教員選択の義務も国民自身に課される。なぜなら正真正銘の国家公務員なので、その給与所得はほぼ全額が「現に成人後」の全国民の租税へほぼ平等にかかっている。
いわば教員は高等学校へ通わせる親か地域が養ってきたのだが、今後は全国民が他の地域にある千差万別の質量に差のある教員をほぼ強制で養わされる。福祉型教育とはそういうことで、実際、北欧にみられる如くその自由のなげうちに伴う自己責任の転嫁は「教員の選別」に以前より遥かな注意深い義務を負わせている。

要するに、事実上の国家公務員な以上その教員らは全体の奉仕者でなくてはならず、無償で心血をおおやけな教育業務の為に注げねばならない。
 更に教員免許の鞍替えは当然要請される。教育水準を上げようと試みれば国民の議決で最低限度の教員免許の中身を望ましい姿へひきあげられる。
よって、修士号以上の学位並びに地域の選択に応じ中学校以上の教員へは博士号の学位を義務づけ、高等学校については免許をもたない教員雇用(現状維持を含む)への自治体の人事関係者への禁固か科料による罰則を設け、現在それを有しない教育機関はある猶予期間後の解雇を前提に同等の義務を負わせられる。
但し、私学へはその努力義務との選択を、下賜金の受け取りの拒否に併せて提示していい。(格安さの面で公教育からの落伍者の為の再教育用の受け入れ先になる可能性が残るので。)

 要は全国民が汎用税で直に養う教員なので以前のざまで教育委員会その他の外部機関へその荒く達の優れない選別を任せるのは不合理。政党及び政策に準じて教員免許の必要条件を強制で底上げするを得る。

見解

人は故郷に染まる。
孤独以上の快楽なし。
人気は害。
姦しい所に災いあり。
英雄は孤高。
位は身を過つ。
生き残れた貴族なし。
真似は遠回り。
綺麗な場所に理由あり。
芸術性は例外なく伝わる。
理解されない学問なし。
子は場に染まる。
都会に純心なし。
名誉に内容なし。
見栄は本質を失わす。
商業化は時を食う。
趣味にまさる予測なし。
名門の訳あり。
世代をこえて志あり。
何者も自らをこえず。
嘘を言う者かならず人後に落ちる。
全ての生前の行いは死後裁ききられる。
人は跡形も残らず、精神だけ連なる。

文明間の道理

社会系内で自らの運動が用いる全影響は文明場か他の主観との関連でのみ合理化される。故単なる実証規則集をこえた全理念は文明場の他者理解で、その共有すべき建築規律。政経界は演劇界の詳細で、運び行きをとりあげた姿。彼らも文明の建設に携わる役割。無人島でさえ二個体以上の影響は同じ社会構想に還る。
 合文明界は他者連環を最大多数の最高幸福へまとめたがる。つまり文化の訳はこの類の主観の間の知覚基盤への適応にある。和辻が間柄とよんだ作用も同じ。
 現実に社会集団には埒や界隈があり、この圏域ごとに知覚基盤差が生じる限り最大多数という理念は、快苦の量的規範さえ違う程に応えて間違える。最も不合理なその衝突を戦争と呼び、想像の限り最も小規模のそれを議論か話し合い、意見交換という。
 もし文明に目的があれば、それは趣味の満足にある。そしてこの程も、主観の間に営まれる高い理想に還る。つまり間柄が属する知覚基盤差とそれらの求める恒常体での適応したふるまいが、文明毎の最良さの目安。単に個性の分で趣味に叶う環境を探れば、彼らの遺伝した形質が適合した場所を選び抜く運動のみが見つかる。生命の維持を考えれば移住と変異は連環な上望ましい。すぐれた文化段階では、自由意思の尊重される意図も同じ。これらは格差概念を打ち砕くに十分。その格とよばれる社会化された趣味の差すら単に受け継がれた業。格差は因果応報を目に見える様にした眩惑に過ぎず、調整の教義は属した社会でのそれを先ず永遠にこえない。つまり格差とやらは連綿した個性とその集まりへの誤った偏見のみ。しかも個性のない文明場とは変異が許されないので、移住も自然界からのいざないもない。つまり原則で特殊な機械系にしか無格差社会はなく、この場合は個性も許されない。個性あれば格差ある。この偏差こそ文明間の協調から改良された社会環境としてのすぐれた淘汰を引き出す訳。
 趣味に相違があればこそ、格差は存在しえないことになる。それらの間柄にねたみややっかみがあるとすれば、彼らが特定の場所学を狂信しているから。一律幸福観の矛盾も同じ。この種の指標は全て錯誤。交易でとりかえられる社会構成の部品は、もし法や心理の様なものでも特定の経済勘定内でこそ和平的。それは契約された酬いの為。
 文明の達の為にそれらの間柄で条約を結ばせるのは、結局利害の勘が望ましい趣味に叶う時のみ。故法治域間の条約は目的に合う利害のみ択ばせる。場所の理由は全てこの種の社会内でふるまえる共有した規律へも還る。これらを考えれば、統一文明よりは合理文明化の道こそ真に場所の達を洗練させる法則と分かる。理想は場所毎に大幅に違い、所謂理性界か形而上学界への求心さにさえも意向の差が免れずそこでの到達できる将来像含む限度に違いがある。だから趣味の追求は、文明を場所毎に進ませる一つの働きのみ。理は趣味観から生じる。文明の理由も同じ。この文目は想像できる幸福を個性の適応度へ還す。

2010年7月2日

人生の訳

自由の目的は固有の進歩を守る事。全く進歩なき生態では、何れ自由化は進まない。
 もし趣味の合理化にわけあれば、この自由化を場所適応の姿に写し込む為。経済での自由が全ての趣味目的なのではない。もと経済は誇示の方針でしかなく、団的巧緻にしか理由を集めない。合自由さは場所適応を現象論内の固有さへ集む。故趣味の程か達は場所で実る自由次第。抑々自由は、許されるという概念、寛容か放任されるという文明場からの適宜さに返る。この点で趣味は自由の集積。
 人生の訳は趣味。そして自由の達も同じ結論へ返る。

2010年7月1日

理性の一貫さ

最も先に実用さと功利さを見分けたがった者は、アリストテレスがそうした有用さと快楽の区別をも領域へ含めて、デューイの考える社会哲学で分離しだしていた市民の世界観と理性人界でのそれをもう一度ふりだしへ返そうとした。が実用さは、実際には功利さの部分集合。快苦の本質は生態の健康への場所な善悪のみ故、合実用さは功利さへの貢献として已ある。
 同じく使用者が任じる可役割は、功利さを場所柄と最大に合致させる工夫。が全知なき間これらは彼らの科学により、道徳と覚わしき対象すらその場で営まれ得る全科学からの択び已。みな功利集合の択びは、善悪の根拠を理解度に求めること、つまりその場で科学から求まる最大の常識観を択ぶこと。故功利さの質的側面は、場所で可能な常識が量的制裁の共有認識界たる政の領分に対して、それらの立法の為に最善の実例を先んじて示す事にある。理解度が進んでいる個性らにとってしか進歩を場所柄と同じくする巧さはとれない。大多数の劣った理解度にあっては既存の場所柄を保守か旧守するのが精一杯だろう。
 合幸福さはこれらを鑑みれば趣味が場所適合を果たす度合いに返る。乃ち理解度の促進な観想か理想を究極目的に仕立てたアリストテレスの姿勢は、代表さとみれば正しい。全個性は彼らの理解度に応じてしか主観を発揮しない。故理解度の実現は数理という道具的知性を含む自然と社会知識からの総合的学識な哲学の度合いに返る。
 各々の幸福は功利さが審美化され習性となった境遇にしかない。だから宇宙が自己の適所で違う形態をとるのは自然。それらの非対称則は、趣味の違いな品的功利に返る。品種差は趣味観の結果。

国旗

そいつらとくれば暇つぶしに
仲間とつるんでサッカー観戦
それだけなら許すが迷惑すぎることに
お年寄りしかいない住宅街で真夜中に大騒ぎ
ワールドカップとかいう
俊輔だけを蝕んだのではない
悪魔の大舞台が
この地上の悪意を吸い込みつづける
そこではどんな悪徳も
まるで自明のことみたいに
ナショナル・フラッグの上へおしつけられる
決まったルールの上で
行われればどんな野蛮ですら
ゆるされると思った戦争の手段

公共放送

貧乏人から強制力で金を搾り取り
朝っぱらから下品の特集を茶の間へ流す
大奥のドラマに億単位で経費投じたり
役員は闇のなかで暗躍
明治簒奪のドラマで懲りない大浪費
玄関ドア真夜中に叩いてた会社