2010年7月17日

有権力の高度知識化

初期の功利主義者の心配通り、現代の日本で寛容経済が進む結果、そこで労働者層と彼らの急速な人口増加がなによりも政策と政権の衆愚化に進むのが民主政という状況で想定される最悪の進展。おそるべきことに日本人はこの世論を、彼らの伝統な悪習としている性労働者らの経済状態で促進しかねない。

知的で、現代道徳に関心ある人々の意見はどれほど尊重されても過ぎない。理説(イデオロギー)の相違に関わらず彼らによる討議の自由こそ、しかも彼らの存在をいかなる政治状態でも保ちつづける公的意思の前置きが、一切の腐乱から民族の智恵を行政権と結び付けておく命綱。
上述のみちのりで多数決の原理(もとはインディアンかアメリカ先住民の風習に学んだ成員平等性の理解)に制度的悪用が生じるのは、民主政治が最大多数の幸福をめざそうとするかぎり絶対に避けられない末路。特に資本経済のもとでは、「信教の自由」の為に頭数でまさる層がつねにその社会単位の信念を代表しがちになる。

 結局、現段階で望めるこの逆転現象(つまり最大多数の意思が本来の意図よりさらに衆愚化した総意をむしろ安定的に選択するという多数派議決制度の悪循環)への対策は、初期の功利主義者が立てておいた議会や選挙での知的基盤をもつ人々への優遇用の枠組みに加えて、『公開した貴族院議会』が有用に思える。
但し、この議会が自ずともつだろう権威をのぞいてどれほど実際の議決の課程へ傾斜配分式の投票権を伴うか又は単なる名目の議会に留めるかは、単なる民主政の枠内で選出された議員らの実状に即して決めるのが妥当。でないと(つまり上位下達でこの貴族院の成員を構成したがると)元華族で即時寡占化されしかも古代史のごとく血縁と情実で固定化したがるだろう。

もし国会の規模でたとえれば、参議院内へ特別議会専用の席を設けこれを参議院とは別個の選挙でえりぬき彼らの知性だけに有権者(参議院議員によるか、又は特別選挙区での比例代表で)は期待し、その公開した議論課程を公共問題への民衆啓発用にする。
これで少なくとも要約できないほど議論の内容が複雑なまま公に展開されるので、多数派の衆愚がマスコミの歪曲した報道で靡かされるという事態は不可能になるだろう。

 この方途は参議院での比例代表(その本来の意図は貴族院の機能の装飾化なので)はじめ、各地の選挙区をとる政権のどの単位でも採用すべき案件におもう。この種の高度な議論の公開は興味の有無にかかわらず、政治批評以上の能力をもつ公益の徒や有志を以前より高い公議へ導く。