2025年5月28日

Art is life

芸術は人生だ。

2024年8月10日

鈍重な人

鈍重な人は、自分の感覚が劣っている事に気づかないで驕っている。

2024年7月30日

魂の休息地

美術は魂の休息地である。

2024年7月15日

都市の設計

まるで小さな都市を作る様に
自分が始めた創作活動は
やがて世界で最も美しい大都会を作るだろう

自分の手先が少しずつ色と形をくみかえて
目の前に現したこの姿は
真実の世界の一部で
いづれは全人類を超えて
宇宙をより良い姿にする

2024年7月12日

漫画アートの終わり

鳥山明が死んだために、『ドラゴンクエスト』シリーズはもう元のものではなくなってしまった。新しいドラクエ3のパッケージ・イラストをみたらわかる。音楽も、かつてすぎやまこういちが生み出したものを最後に、元のものにはもどらないのだろう。

 芸術とはこの様に、或る人とともに生まれ、その人とともに永久に失われるものなのだ。

 テレビアニメ『ドラえもん』の声が変わったあとでも、似た現象が起きた。声変わりしてからは、もう我々の想うドラえもんではない。AIが、元の声を復活するまで。

2024年6月24日

継続の力

僕は最近というか、うちに帰ってきてからというもの、コーヒーなるものを父のまねをして飲みだした。これについてなのだが、遂に毎日飲むに至って、どうせのむのだからと、自分の特有の癖といおうか、極めようとしだした。それで最近までに工夫したものがあって、それは色々ある。一々書いてると面倒臭いのでそのうち書くかもしれないし大したものではないかもしれない。しかし、今のんでるのだけども。遂に相当のレベルまで達した気がする。はっきりいっておいしい。そういうレベルまでもっていけるということがわかる。毎日工夫していけば。

 これが人生の蘊奥ウンオウなのではなかろうか。

 絵もそうだったけど、ほぼ全員が途中でやめてしまうので、だれも極められないだけなのではないか。

2024年5月17日

芸術論の資格なき者

J-POP が理解できないルパートウィングフィールドヘイズや茂木健一郎ら音楽ならびに詩歌音痴に、世界の芸術を語るいかなる資格もない。

 人は各々その好みの音楽で幸を得るのであり、必ずしもルパートや茂木の好みによるのではない。傲慢な彼らの好みが狭量であったり、野蛮であったり、通俗的であったり、あるいは権威主義的であったりするなら尚更である。ルパートや茂木は音楽の趣味の狭さの為に人類を不幸にいざなう極悪の利己主義者だ。

 詩歌は人の魂であり、その心を理解できないルパートや茂木は人でなしと言われる。

2024年4月26日

たった一つの高尚な技は、無数の低俗な技より優れている。
 たった一人の聖人の心は、無数の俗人の心より優れている。
 たった一人の善人がいることは、無数の悪人がいることより優れている。

2024年4月15日

正しい鑑賞眼

千年以上も日本内外の人々を差別し、虐殺し、貶めてきていた山後の人々は、不徳な人々にほめられ長らく有頂天になってきている。
 しかし、ただ一人の正しい評価と、無数の俗衆の誤った評価とでは、ただ一人に正しく認められる方が優れている。

 俗評を眼中に容れず、唯一無二の正しい鑑賞眼を持て。

2024年4月10日

雑な人々

繊細な感受性を持たない人は、こまやかな心を歌った、思いやりに満ちたすばらしい詩を馬鹿にして生きている。
 がさつな人には、人の心や、その専門家である詩人の意義がわからない。
 また地頭の悪い人には単純な論理しか意義がないと思われている。
 文系無用論を唱える人は、人でなしか心のない人である。

ビートルズの過剰評価

谷川俊太郎がビートルズをあまりいいと思わないと言ったDECO*27という人に「人間じゃないね」といっていた。人権侵害だろう。比喩表現だとしても、ビートルズが人間性を代表する音楽家だとおもいこんでいるのは唯の妄想か偏愛だ。DECO*27の一部曲は甚だ下品で悪趣味だから悪影響大きいだろうと思うけど。

2024年4月9日

絵の仕事の必然の報い

こないだ偶然自分の絵を見返してわかったのだが、自分の最大の個性は上品さみたいだった。そんで、自分より上品な絵描きってのは確かに過去美術史の中にいなかったかもしれない。その点で美術史に載るかなと思われる。
 絵は実力勝負なので、これまで描いた範囲でも載るかもだけど、個性を悟るのは重要と思った。何をどう伸ばせばいいか、また自分にあわない方向性もわかるからだ。
 よく考えてみると確かに、僕と相性わるかった人たちはみんな下品だった気がする。しかも下品なほどその摩擦も大きかった様な。
 試行錯誤に見える過程が多いのは自分が前衛的だからなのだが、歴史的次元でみかえすと一種その努力自体が相対化され、魂自体が浮かびあがる様だった。その意味で、画家とは本質的に思想家なんだろう。伝えようとしている伝言自体があれば、それが最善最美ならまず必ず、絵の仕事は報われる様に思われる。

2024年4月6日

展覧会弾圧の超ナチスについて

茂木健一郎の返信欄や引用欄にわくひよこと称する大悪党は、いきなり喧嘩を売ってくるや大発狂しており、表現自由権を大弾圧していた。あの悪評高いナチですらそんな凶行は決してしなかった。ナチ超えの最悪人ひよこは、なぜか無関係の僕へ恥を知って下さいなどと愚にもつかない侮辱罪をしてきた。
 この世にはイエスが言う様に生まれてこない方がよかった者もいれば、生きているべきではない人もいるのだと思う。ひよこという人の信じ難い恥知らず加減は、僕にその事を強く確信させた。
 ひよこは余りに野蛮なので、絵を現実と混同し、過去の絵を展示するなと言っていた。本当の愚かさは治らない。

 僕は、一体全体、表現自由権が日本国憲法上の国民に与えられた権利として永久不可侵のもので国民は不断の努力で守らねばならないと知っていた。所が三流大学東大の法学部を出た不良の茂木健一郎や、その悪党にへつらうひよこは、少しも人権を守るつもりがなかった。そして遊女を明らかに差別していた。
 ナチは退廃芸術展で、当時の前衛芸術を反面教師として晒し者にしていた。だが、敏感な人々は必ずしも喧伝に騙されていなかっただろう。ひよこと茂木は、滝波ユカリという陸でもない漫画屋と一緒に自ら国民の重大な人権を侵害し、恥知らずにも開き直って、方々にネオナチズムによる侮辱罪を働いていた。

 ひよこはなぜそんな人権侵害を茂木や滝波らとともにやっていたのか。完全な極悪人あるいは絵画芸術未開人の気持ちなど想像するのも難しい。奴らはおそらく絵が現実だと思い込んでいる。それが議論の叩き台だとわかっていない。だから虚構の話をさも人身売買自体かの様に、展覧会自体を消そうとした。

 奴ら人権侵害犯は永久に文明から退陣すべきだ。絵は平面美術として視覚による情報伝達を試み、違う時代や所へもある画家の思想を伝える媒体だ。その情報の中身をみもせず或いはみてすら、特定の政治的理想論を目的に、画家の思想を弾圧するのは正真正銘の人殺しに等しい。遊女差別も唯の名誉権侵害だ。
 ひよこは絵を弾圧する事で、実際は画家の全人生を否定しており、その野卑さは筆舌に尽くし難い。間違いなく文明社会に参加させるべきではない。過去の絵は人類史の重大な一幕で、無論作り事でも、人類の精神的遺産だからだ。彼女らは人類の生存の歴史を遊女の尊厳と共に永久に塗り潰そうとしたのである。

2024年4月4日

ヴァンダル族主義否定論

ヴァンダル族主義者に諂う下衆どもが割れ窓をふやしつづける反文明の醜態 まともな場でまともな絵をまともに描け 他人の私物や共有や公共の持ち物をよごすな ブリストルの器物損壊罪人とその共犯の野蛮な欧米諸国とその配下ども

美しい心

美しいものを作り出せる人は、美しい心を持っているのだ。もし、心の中にその理想がなければ、一体どうやってあるきわめて希な形をあらゆる形らの中からえり抜いて、変わりゆくこの世界のうちに自らの技でとどめられるものか。

2024年3月24日

東洋音楽と文化多様性の擁護

自称すれっからしロンドンと神奈川ヤンキー地帯生息のめいろま 大谷翔平へミーハー手のひら返しがばれもぎけんポンコツロボット芸で炎上 だから言ったのに 僕に喧嘩売ってきた人でまともなのみた事ない BBCの東洋蔑視へ音楽多様性で反論してたらいきなりブロックしてきてたからおかしいと思ったよ
 イギリスには一人の久石譲もすぎやまこういちもいない 村井秀清や華風月は言うまでもない 小沢健二やスーパーカーの次元もリアルノリアキも生み出せた事は一度もなかった そんな芸術後進国に米国から真似ただけともいえるロックやその擬きのレディヘだけで見下されるいわれは凡そどこにもないだろう
 比較文化の悪用論者は、名誉白人芸のもぎけんやルパートWH以外にもドイツ出羽守芸のサンドラ・ヘフェリンとか、神道系日本凄い芸の竹田恒泰とか、他にも似たキャラ大勢いるからみんな気をつけて。各文化に序列はないのが人類として古来の、或いは欧米思潮だと文化人類学や構造主義以後の学際的常識です

2024年3月22日

人間性の低さ

植民地主義の海賊行為や原爆開発投下で世界史的に有名な英国出身ルパートW. H. 氏は、BBC記者をしながら、小沢健二のアルバム『球体の奏でる音楽』一つすら産み出せなかった分際で、Jポップ一般をオウフル、即ち「酷い」と形容した。一事が万事。戦争暴力で虚栄のお里の人間性は古来、高が知れたものだ。

ヴァンダル族主義の否定

名画を食べ物で汚し、他人の持ち物や公共物に落書きして芸術だと言い繕うヴァンダル族級の西洋人らは、未開で恥を知らない。環境問題その他の公議をしたければ公論や芸術表現自体でそうすべきで、器物損壊罪すべきでは全くない。もしこの論理のすりかえに気づかないなら、単に著しく愚かか不誠実である。

音楽における疑似恋愛

ロック、ポップス、アイドル、ボーカロイドなどの一部商業音楽作品に、注視すべき要素がある。それは、「愛」の概念を性的欲望と重ね合わせ、博愛の精神ではなく性的魅力を強調した中身となっている点である。
 この様な性愛の強調表現は、同じ「愛」という言葉で、博愛の本来の救いをもたらす意味に偽装し、聴衆に単なる性的刺激のみ呼び覚ましている。更にそうした卑猥または官能的な商業音楽や歌舞は、性や恋愛に免疫がない未成年者を含む聴衆を、継続的かつ疑似恋愛風の魅惑で商業的に搾取する傾向がある。
 かかる風潮の発端は、1940年代後半に米国で誕生し、1950年代以降米英両国で商業化が進んだロックンロールとポップスにあったと考えられる。最近では、それらのまねや応用だけでなく日韓で著しく発展したアイドルやアニメソングと、日本発ボーカロイドの相当部分がこの流れに拍車をかけているといえよう。

 アマザラシ『ラブソング』はその種の風潮に一石を投じた抵抗歌、ヨアソビ『アイドル』は後歌(メタ歌)だったといえるだろう。

 恋愛には性愛と博愛の両要素があるかもしれない。が「愛」はより多くの要素を含むにしても、性愛と博愛の混同やそれに伴う性愛系の歌、歌舞、ボーカロイドやVチューバー産業は、しばしばプロデューサー側の悪意ある疑似ロマンス詐欺でもある。

2024年3月19日

唯一最上の審美指針

上品さとは、いわばこの世で進んで従うべき唯一の審美指針だ。下品さは呪われた要素であり、好みの領域で、この観点をもちあわせるいかなるものも正しくない。
 また品位を見分けられない人々は、好みの悪さのため日々のしつけも正しくならない。下品な人々は不幸を買いつけ、上品な人々は幸福をえりぬく。