ロック、ポップス、アイドル、ボーカロイドなどの一部商業音楽作品に、注視すべき要素がある。それは、「愛」の概念を性的欲望と重ね合わせ、博愛の精神ではなく性的魅力を強調した中身となっている点である。
この様な性愛の強調表現は、同じ「愛」という言葉で、博愛の本来の救いをもたらす意味に偽装し、聴衆に単なる性的刺激のみ呼び覚ましている。更にそうした卑猥または官能的な商業音楽や歌舞は、性や恋愛に免疫がない未成年者を含む聴衆を、継続的かつ疑似恋愛風の魅惑で商業的に搾取する傾向がある。
かかる風潮の発端は、1940年代後半に米国で誕生し、1950年代以降米英両国で商業化が進んだロックンロールとポップスにあったと考えられる。最近では、それらのまねや応用だけでなく日韓で著しく発展したアイドルやアニメソングと、日本発ボーカロイドの相当部分がこの流れに拍車をかけているといえよう。
アマザラシ『ラブソング』はその種の風潮に一石を投じた抵抗歌、ヨアソビ『アイドル』は後歌(メタ歌)だったといえるだろう。
恋愛には性愛と博愛の両要素があるかもしれない。が「愛」はより多くの要素を含むにしても、性愛と博愛の混同やそれに伴う性愛系の歌、歌舞、ボーカロイドやVチューバー産業は、しばしばプロデューサー側の悪意ある疑似ロマンス詐欺でもある。