2016年10月31日

再起雇用へ

新卒採用禁止法によって、全員を中途採用可能にしなければならない。

自然

自然界は宇宙、都市も人の自然。

体系学

宗教の母集合が知識(科学)、知識の母集合が情報。
宗教⊂知識⊂情報

2016年10月29日

地域の徳

道徳は身を助く。
 他地域から魅力的だと思われる事は、何らかの悪徳の証である。他地域から何もないと思われる事は、明らかに有徳な証である。

清徳

清徳は悪魔を嫌わせる芳香である。

2016年10月27日

日々

美しい夢を見て
僕らは日々を過ごしていく
君の夢が叶うといいね
夜は果てしなく星を回すけど
僕らは日々を過ごしていく

極悪東京関西報道

極悪の東京マスコミ嘘をつき悪意で良所を貶めけり
極悪の関西マスコミ冤罪で罪なき人を貶め驕れり
極悪の東京マスコミ偏見で極悪人の安倍に媚びけり

極悪西国人集団

極悪人安倍晋三が国を売り民を虐げ悪業重ねる
極悪の自民独裁政党が戦争誘導悪魔の天皇
極悪の日本政府が金欲しさ民をいたぶり戦争誘発
極悪の中国人の天皇が侵略驕って民を搾取す
極悪の薩長土肥と西国人侵略驕って地獄に堕ちけり

2016年10月26日

北斗七星の瞬き

北斗七星が瞬いてた

多数政治の悪

民主主義とはいじめの定義である。多数派は悪事を行う。

趣味

悪趣味な西国下衆を自慢する
最悪の西郷美化するNHK
極悪の東京嘘をつきにけり
最善の茨城のみを神嘉す

2016年10月24日

秋の虫

秋の虫夜通し続くコンサート
大宇宙星屑われを見守れり
沈黙の合間にチェロが時を告ぐ
秋の夜まちはしずまり月しずか
秋月に雲のかかりて時静か
冬支度空気は澄みて猫はしる
秋のむしぴたとなきやみ音もせず冬へと変わる町はしずまる
図書館の窓から川を見渡せばコスモスのつつみ母子が駆けゆく
赤とんぼ七曲り川を飛んで舞い陽に照らされてきらと輝く
求めてもえられぬうちが華の華
金になる仕事は楽ぞ自由人
野蛮なる動物に生まれ嘆息す
野蛮なる人類死せと神祈る

善悪

善とは利他なり、悪とは有害なり。

2016年10月23日

良所

良所を悪所といいなす人たちは地獄に行き着く。
 茨城県は良所であり、日本人は地獄に行く。

2016年10月21日

科学と哲学の違い

科学も社会学も、道徳については何も教えない。知識は既存現象を分析するにすぎない。しかし道徳は人が作りあげる規則で、科学からは永遠にえられない。科学知識、scienceは哲学にとっての道具でしかない。人が学ぶのは所詮道徳の為。
 科学だけで十分だと考える人はいかに生きるべきかを知らず、そのため幸福にもなりえない。いかに生きるべきか、つまり義務は徹頭徹尾、その人個人の哲学に求まる。そして哲学の程度、あるいは種類に応じてのみ、その人が幸福になりうるのだ。

あおがえる

あおがえる井戸水お風呂に夕涼み

博愛の慰め

博愛は諦めに似ているか、少なくとも諦めとの類比である。慈悲、慈善、慈愛等のアガペー類は、どれも諦念の部分集合である。闇雲な自己肯定は諦念の中にみられる幼稚な自己愛にすぎず、現実の人は許されたりもしていないし他の全てのものと等価値でもない。つまり博愛は幻想だ。極論によって人を慰めようとした人々が聖人、仏、僧侶、神の子、預言者等としてありがたがられた時代があったにせよ、そして実際に絶望をいだいた人々の信仰として全てが等しいという汎神論的極論に有効性があるにせよ、価値という体系から逃れられたわけではない。
 価値をうみだしているものは希少性、有用性、そして快楽性をもたらす性愛であり、これらエロス類に取り憑かれた人が諦めの中にある人々を蹂躙していく。勿論それは野蛮なので、眉を顰められながら。
 博愛的、慈善的な人々が聖人君子として仰がれ、仁徳ある高い人格とみなされるのは、まことに不思議な事だ。彼らは諦念という虚無主義によって現世代及び前世代、次世代の価値等級とそこからくる社会闘争から逃避しているにすぎないのだから。博愛は慰め、というのが正しい表現だ。アガペーは現実の全てではない。だが人は慰めなしに生きてはいけないし、いかなるエロス、美、完全性に近しいとその時点でみなされるだろう特徴の持ち主でもますます悲劇的な宿命にまきこまれるものでもある。つまり性愛における競争は悲劇をもたらし、博愛における慰めはそれを喜劇に仕立て直す視座をもってくる。性愛が自然界における悲劇の原理である事は、モンドリアンがとうに看破していた。他方、イエスやブッダといったアガペーを説く人々はこの原理を批判し、最も劣った人、最も恵まれない人の為に慰めの理論を作り上げた。ニーチェは聖人格への反動に過ぎず、悲劇の原理自体をのりこえられなかった。
 資本主義秩序の社会ダーウィニズム的側面、優勝劣敗の合理化はますます原理としての悲劇をもたらすだけである。性愛や優越は多数派からのねたみ、うらみ、そねみ、ルサンチマンの原因となり、結局その価値ある人をこそ犠牲にする目的に完結する。人間的な優秀さは、実践的には中庸の程度として求まる。博愛という考えは、自然界に対する天上界、或いは宇宙界における、喜劇の原理の提出だった。そして博愛的である事は、必ずしも人格の目的ではない。性愛と博愛の中庸が仁愛なら、仁愛的である事が中庸の程度といえるから、平常の人は仁愛的である事が最も望ましい。なぜなら性愛のみも博愛のみも、自然界の悲劇、天上界の喜劇の性質として、それぞれ或る極論だからだ。

2016年10月20日

理想

人は理想を抱くべきであり、その理想に向けてのみ進歩していく。高い理想をいだけ。

2016年10月19日

極東史

極東の概略史
1.30000年以上前から、日本列島に最初に暮らしていたのは純日本人であるアイヌ・沖縄・縄文人(Y染色体ハプログループD)であり、70000年前頃に他集団から分化している。
2.約8000年前頃に、朝鮮半島にもこの縄文人系統の民族が暮らしていた。
3.約7000年前頃に、鬼界カルデラの火山噴火で、西日本側の縄文人はほぼ絶滅した。
4.約2800年前頃から、中国の江南地方あたりから、天皇の先祖を含むであろう弥生人(Y染色体ハプログループO1b2)達がほぼ無人だった西日本に、朝鮮半島を経由しながら移民してきた。
5.約1300年前頃までに、朝鮮半島に弥生人達は定住しており、内紛によって新羅のみが残り、その他の百済・任那・高麗の弥生人達は西日本側に亡命してきて、一部が関西地方の奈良で天皇と共にヤマト王朝と名乗った。
6.約150年前頃までに、弥生人の末裔としての天皇は、縄文人の末裔と考えられる徳川がそれまでに統一していた日本の全領土を奪い、アイヌの暮らす北海道や沖縄の領土までを手にした。
7.約70年前頃、天皇ら弥生人の末裔は朝鮮半島に再び侵入し、中国の江南地方あたりを含めかつて暮らしていた界隈に領土を拡張したが、アメリカによって阻止され、再び日本列島のみに領土が限定された。

天皇と日本人について
 天皇や弥生人は、遺伝的共通性のあるY染色体O1b2の広まり方からみて、中国江南地方界隈に北アジアから降りてきたある集団が、狭い海峡だった朝鮮半島を主に経由して西日本に入ってきたものであって、仮に直接船で中国江南地方から西日本に入ってきたとしても、その集団は朝鮮半島に現在いる集団との遺伝的距離はほぼ近接している。この際の水稲の技術の伝播については、彼らに付属しているものだといえる。いいかえれば、中国江南界隈から朝鮮半島に留まった人々と、そこを経由するかまたは直接西日本に入ってきた北アジア人の集団が2800年前までにあったということだろう。この人たちの末裔から、天皇が奈良で王朝を作ることになった。それが1300年前頃のヤマト王朝と呼ばれているもの。この王朝はご存知のように、全国各地の縄文人、九州の弥生人などを未開人もしくは異民族とみなし、先住民族の権利を弾圧し、その歴史文化を証拠湮滅しながら徴税を義務づけていった。そして今の天皇家に至る。
 アイヌや、沖縄人、縄文人といった最低でも30000年以上の歴史がある純日本人に比べ、天皇は実質1300年の歴史しかない、新参者の転入生である。そういう意味で皇族も旧華族も新参者の弥生人文化。所詮2800年前頃に中国から朝鮮半島経由で入ってきた侵略者だから、底が浅い。
 神道とは、中国江南から朝鮮経由で2800年前までに移民してきた弥生人である天皇が日本古来の土着信仰である自然崇拝を大陸風の多神教で覆い隠した洗脳。時期的には1300年前(700年代)頃から始まった奈良地方発の新興宗教。目的は純日本人に天皇の先祖と天皇を崇拝させる事。天皇は中国江南から朝鮮経由で入ってきた北アジア人として、南アジア人の暮らす純日本人空間に入ってきて、日本人を奴隷化する際、その純日本人たちが信仰していた自然を偶像化した。このやり方は、中国や大陸側で普通だった多神教の手段をとったもので、それが~ミコトだのといった人間の姿をとった人格神の概念だった。そして天皇は奈良から洗脳部隊を派遣して、日本各地の民間信仰を偶像化で天皇の祖先だと誤認させる宗教改造をはじめた。その拠点が神社。大体1300年前からはじまったこの新興宗教は、今日、神道といわれている。
 2800年前~1300年前(前784~716年)頃に帰化した天皇の男系遺伝子、天皇家は神武天皇の即位年である前660年から始まったと神道側はしている。なお天皇とは、中国神話における三皇の一であり、中国神話の物真似、模倣そのものであって、全く独創ではないどころか、中国思想そのものに過ぎず日本のものではない。その名義は中国から侵略してきた非日本人としての天皇家を物語る。

日が昇り沈む
我らの人生にそれ以上も以下もない
我らは十分である
日が望む全ては既にたなごころにあり
海の調べと共に過ぎゆく

絵画論

絵画とは無限の自己肯定である。

2016年10月18日

生物学、ミーム学

進化する生物は単にふえるよりも、進化する目的へ、ヒトにあっては行動の規則としての道徳へ向け、より高貴で幸福な命となる生き方を要求している。ミーム(文化素、模倣素)ふくめ文化が遺伝子の道具であるなら、進化の方角を調整する為にあるものがミームである。

2016年10月16日

野蛮国

弥生人、つまり中国・朝鮮系渡来人の系譜をもつ西日本の多くの人々は利己で有害な行動を自己中心的にとることが世界常識だと思い込んでいるが、それは西日本、薩長土肥はじめ西国が邪悪で信用ならず、排除相当な野蛮地域集団である事を自己証明するにすぎない。勝てば官軍、winner takes allとは野蛮の理法にすぎない。西国、西日本とは野蛮国である。野蛮の勝利は人類にとって不幸か、さもなくば最悪の過ちかどちらかだ。明治以後の日本は勿論、どれもこれも最低の間違いだったのだ。天皇と名乗っている中国系帰化人はとんでもない極悪の利己主義者で、日本人を含む東亜人、或いは人類を彼らにできうる限り奴隷化しかしなかった。徳川も薩長も、その様な極悪人の家系をわざわざもちあげたが故に、政治的な誤りを強化し、方向性を見間違えたに過ぎない。

2016年10月15日

科学、工学、哲学

科学は既存現象の分析に過ぎず、技術あるいは工学のみが実用的である。哲学は人生一切に関わる規則の創造であり、最も実践的な定義や世界解釈の提案である。

弱者

いつか弱者が勝つこともある

2016年10月14日

利己と家庭

妊娠出産子育てしたりしたがったりする女性、或いは発情したり性行為をしたがったり子育てしている男は、彼らの為でなく自分の為にそうするのでない限り醜悪である。これらは恋人や家庭という存在が、他者にとって基本的に有害で、利己的な事を示している。いわば他者が自分に役立つのでない限り、他者に利益になる事をする者は他者から体よく利用されるが、それは利他的にふるまう自分にとってもそうなのだ。こうして何らかの共同幻想、善意という妄念、或いは品の良い習慣づけ、宗教並びに道徳的な動機に支えられているのでない限り、他者やその子は基本的に有害なのである。金銭、報酬や代価といった自己利益の為に利他行動をする人は、真の善意に支えられたふるまいでないからには、単なる利己の変形にすぎない。こうして資本家、経営者や商人の搾取が単なる利己、つまり悪意である事が証明される。利己心に基づく資本主義社会の中でも、大衆の低俗さに媚びた大衆資本主義は衆愚政のいいかえであり、寡頭政、そしてただ一人の極悪人の為に貢ぐ世襲独裁君主政(つまり資質によらず血統による世継ぎを行う天皇制、各種世襲王政)に継ぐ最悪の形態であり、多数派の誤りが絶対的になるに従って退廃が極まる。その社会にあって人々はみな利己的で、相互に有害である。
 優れて善良な資質をもつ人々は、衆愚からも寡頭者からも世襲君主(天皇家)からも離れているだろうから、そもそもが資本主義者ではありえない。善意をもつ人々のみ、よりよくなっていく明るい社会に生き残る価値があるのだ。

ゆっくりと今をこえていく
絶対のない正解
目的のない命を操る糸

秋の庭

一つだけ覚えておいてほしい
君ははじめから美しく
君がもしどうなってもやはり
私が求める唯一の人だろう
君は貞淑で善良な性質だ
私は君より貴い人をしらない
世界は私を洗い流し
のこるものは祈りだけとして
一つだけ思い出してほしい
君はいつまでも美しく
君がもし全てを忘れていても
私の愛する唯一の人だろう
秋が近づいて庭に咲く花の香は
あますことなく私を襲う

街を歩く

夜なんて平気
街をあるいていく
月がついてくる
どこへ
まるで幽霊
僕らは海からあがり
山からおりた
川を下る
みじかいあいだに
輝く蛍
日がのぼりしずむ
どこへ
朝でも平気で
街をあるいていく

おもい

あこがれたもの
どこにもいない
ありうるものもなく
さがしていたひと
どこにもいない
あのとき
きみはとわに
このてをのがれた
さがしていたひとは
このまちにいない
ふりそそぐほしぞらにまぎれ
くだけちるかいがらにまぎれ
どこにもない
このおもいをのぞいては

対話

理由もなく
沈黙のひととき
コーヒーを淹れて
君は正義派ぶる
死んでしまった男
救われない地上で
母親の慟哭がウェブに響く
誰もを殺戮し尽くし
君は功利派ぶる
ありうる夢と希望を壊され
死をえらんだ若者よ
救われない社会で
死をえらんだ男よ
俺は必ずかたきを討つだろう

人生

私は世界で一番美しい人生を送っているに違いない

2016年10月13日

性愛について

性は命を活気づける。有性生物は性によって、生きる事へ動機を得る。但し性、性愛は利己的な欲求である。人は利己的な性、性愛、エロスのみでは善良な資質たりえない。性愛の昇華された友情、博愛が人格を高める。

2016年10月12日

蜘蛛

夕暮れの空に浮く蜘蛛

侵食

やりの様な雨
もう手遅れ
ゆっくり或いはすばやく
われらは侵食されていく
望むとおりの未来はこず
ばらばらの夢のかけらが散らばる
日立海岸の車寄せ
地平線は無限の暗示だ
遅かれ早かれ消えていく地上で
われらは侵食されていく
望むとおりの未来をつくり
ばらばらの夢をひとまとまりにする
理想でさえも
既に手遅れ

ゲーム論

遊びを作る事が究極の遊びである。

2016年10月10日

清貧の幸

人は死と向き合う限りにおいて、人生の希少さや有限さに悟る。死への先駆的決意性の前でのみ、人は有意義さを探求し直す。死を想え。生は死の前でのみ、意味を持つ。
 清貧の幸と、下賎な成金の快楽とを比べると、前者の方が尊い。清貧の幸は下賎な富に勝る。後者は不道徳の故に将来の破滅を意味し、前者は救済を意味するからだ。

2016年10月6日

宗教論

無宗教も新宗教のカテゴリー。無宗教者は、無宗教を信じているにすぎない。
 批判的総合宗教はあらゆる宗教の道徳を宗派に偏らず採用する。

家計

清貧は人を鍛え、成金は堕落させる。

人生論

我々は美しく生きる事ができれば十分であり、それ以上の人生を求めるべきではない。

2016年10月5日

愚行

この世の汚点をみるな
汚い人々をみるな
けがれた人々は反省しない
大衆は愚行を恥じない

業と輪廻

前世→前世代、現世→現世代、来世→来世代といいかえれば、業や輪廻は科学的となる。

2016年10月3日

正義は勝つ

正義は不正より公益的なので、応援してくれる人から協力をうけやすい。故に正義は最後に勝つ。

日本国

日給7583万の極悪偽善者天皇家
人知れずしんだだるまと母親の家
あしき弥生遺伝子
よき縄文遺伝子
天皇は永遠に呪われ
だるまと母親は永遠に救われている

対話術について

対立の強さ、討論>対話>雑談。
 もし真理が見つかったら論争は永遠にやむ。

善良な人は生きている事が既に人類への公益であり、性悪のそれは公害である。

幸福論

不道徳なひとは他者からの好意という面で、絶対に幸福にはなりえない。従って他者からの好意という面では常に満ち足りず、代価のある限定的奉仕しかされえず、幸福の土台をつくることができない。利他性は幸福の基礎である。
 物質的充足は限りなく、肉体の満足度は一定程度からあまり向上しない。生活の満足度について物質的充足、代価としての金銭的な補償は最低限度基準をつくるにすぎない。いわば満ち足りた物質の中でも幸福でない事がある。
 幸福は道徳に由来し、道徳からもたらされる。幸福は利他性であり、他者からの好意、愛、或いは敬意の集積である。ひとからうらまれ、憎まれている人々は、幸福になる条件を失っている。彼らの不道徳性こそが彼らの不幸の原因だ。尤も、幸福を得るには心術や考え方を代えるだけでは十分でない。他者に与えた影響下において、人は良心の満足を得る。最高幸福は全て、良心の満足の度合いとしてはかられるだろう。しかもこの満足は生前にはかられるものだから、道徳性を極めた程度としてのみ自覚できる。このため道徳性と最高の幸福さは同値である。人生の目的とされるだろう人間の幸福、しあわせは、所詮かれらの道徳性の追求過程であり、そして普遍的にか個別的にか現された彼らの状態が、客観的には人格と見なされるのだ。つまり人の目的の形は人格、性格、人徳という人の表現的傾向であり、いわゆる最も良識的な個性であろう。

繁殖主義者

繁殖主義者は、本能を理性あるいは道徳より優先させている点で、人類史の必然的進歩を退行している。