2007年6月29日

雌性

女の知能をその健康美と同様に重視して配偶を選択するが良い。後々、子孫の出来栄えがそれに応じて千差をもたらすのだから。

建築論

都市における漸進的外部化と庭の創造と。

2007年6月28日

科学論

我々は形而下学たる科学認識を一途に狂信することはできない。理性が産み出した思考形態の一種としてのみ科学は学ばれて構わない。

脱国語論

文化間の浸蝕作用は防ぐものではない。世界史が存在するのは民族化学反応の為。すべて一語族の命運は文化律の変遷に依拠している。民族連合、においてすら。且つそれは土着的ならざるを得ない。言語は風土の慣習。全ての言語は方言だ。世界標準語が確定される日は来ないし、もし来たとすれば集団的獲得形質差異としてのうからが消滅した日に違いない。
 我々の普遍的正義への漸近が国家史にあることは疑うべくもない。しかし国家は解体される為にさえ存在して来た、民族より国家を重視するのは道徳の為であり正義の為ではない。
 国土と民族の一対一対応観が文明の不均衡に展開するとき集積の利益に由る。語族を国体から解放しなければならない。国益間調整すなわち国際分業の世襲を防ぐには民族を単一言語つまり国語から解放しなければならない。

理性の言語学

思想の為には言葉がなければならないが、又正義の為にも思想をえる。よって、人間の最善も言葉に依頼する。もし言葉に翻訳が必要な時代に暮らす他なければ人間の善、裁判としてのは理性主義以外によっては二度と養生されなかったしこれからもそう。理性主義判断の為には特別の訓練が必要であり、それは決して実践的民間で為し能う種類の習慣ではない。何故なら民間では常に功利主義から自由ではありえないからだ。全ての理性は不確定なものだとして、我々は理性主義に因ってしかその合理化を図りえない。善の前に感情を持ち出す者が居れば閻魔の裁きが人間性なる悪徳を考慮すると考える愚か者已だろう。
 ところで異民族の間に複数の共通語が通用する場面にあっては人間の道徳は相互交通の不可思議を以て中和されるかもしれない、尤も雄弁や知性や場面にも依存しているが、仮に。その際に正義とは言語に依存しないこと、謂わば文化というものを単に方便の手立てづけてしまうことにあるだろう。我々は国際人間において母語を失くす筈。そしてその多声観を通じてしか正義の言葉を語り得まい。もしある語の優位が政経覇権から来る不条理の自然だと感じればこう考えると良い。我々は外国語を習う機会を通じて国際均衡に至る人道を辿る。尚更、多言語の操り手は正義に近づく。それは充分ではないが必要ともなる。なぜなら単一言語の枠内では人道は一本しか見えないからだ。

正義論

道徳とは主として血縁からの距離に従って徐々に減退しながら生存利潤を増進させる様な忠言の方便度に基づく。我々は倫理と道徳ないしはethicsとmoralという用語の間に、まだ私徳と公徳に値する批判体系内確定性を与えられずにいる以上、通例に倣って文脈に頼む。
 世界宗教の創始者は何れもみな普遍的正義を主張しながら道徳の基盤を築こうとした。そして彼らの文化律はどれも道徳論者から自由ではない。いいかえれば彼らは否応なく実用的だった。
 もし現代人間が世界宗教を総合しようと欲すればその教義のうち、文化律を駆除しなければならない。かつて聖者は亜縁な民族にとって必ずしも最適な倫理体系を樹立なし得た訳では無論なかった。それは古代正義に固有の限界でもあった。我々は道徳神学を超えて普遍宗教を哲学しなければならない時世にある。その為に必然なのは、文化の多声観を見据えた道徳の脱構築。
 我々が倫理観を語るには言葉を知らなければならず、行動とは思想の表現に過ぎないから普遍言語の創作は不可能である限り、又人間の周縁は無い以上全ての言語には必然がある。語られるべき善とは道徳より正義か。乃ち、独我的道徳論を意味する実用主義の破格によってしか理性の最善は観想されない。

脱自由中心さ

自由主義として我々がかつて道具的信仰の役割を与えていた社会構築対象概念とは、労働力を搾り取る為アダム・スミスにより考案された配分返報制に過ぎなかった。我々は最早それを狂信しうる程に無学ではない。散種された思想の粒は土壌に依って繚乱する。もし国情が怠惰なら自由主義是政は不可能。
 自由の桃源郷は有り得ない。それは国際可能態に過ぎないから。更に、技術革新は国情の基礎を移項させる。産業形相に最適化した国家のみが繁栄の順番をえる。我々は上下慈善すなわち、国連調整と民間寄付、並びに文化多元主義的企業進出によって国際福祉を実行していく事ができるにも関わらず、尚且つ、それらの中庸善行が又、国家文明なる共時象徴の興隆に因る世界史の最高段階の目的に適う様に工夫しなければならない。そして国際福祉と国家文明とは普遍的正義に基づく均衡の絶えざる再構築によってのみ達成しえる。

理性と本能の違い

地上の生命体は利己心をもつ。その悪徳の限りなさを悟るなら、形而上神格以外を信念してはならない。動物の特性とは悉く醜態と呼ばれる。慈善その極度の殉死ですら生存本能のdynamisとしてしか定義されないだろう。
 何れ君の行動制約を文明流への適応に結びつける徳なるものとは本能の破格を旨とした文化的工夫だろう。為らば生命体なるものに究極の慈悲はないし、それに類いしたagapeを感けさせる諸々は飽く迄知能の成熟に従って醸成される醍醐の欠片というに過ぎない。

才能

才能とは諦めないことだ。

2007年6月27日

短期的外交戦略

従軍慰安婦決議案、アメリカ下院外交委員会により採択。
 これは明白な外政干渉の法案であり、日本の問題を米国内問題と取り違えた錯誤だと言うべし。
 内情を言えば対アジア外交において日本へ融和策を取らせる為、かつ属国牽制の為と言うべきなり(アメリカ大陸先住民族への謝罪法案は未決にて)。
 この際、米日親善の良策は「無視」にあり、と新聞伝う。我おもわくば日本はアジアとアメリカに挟まれた第三者と言うべきのみ。我々の民情はすなわち日本のものにして大陸にあらず。なれば不当極まりない外政干渉に対する方便的智謀も又、日本のものと云うべし。
 日本人の執るべきアメリカ独善世論への対策。日本を無きものと見なして外交すべし。原理基軸を持つな、国際関係の和に没我献身せよ。

孝行

子供を自分の老後の世話の道具にする者はどうか。

2007年6月26日

アカデミー

大学とは秀才以下を育む装置であって、天才には害があって益はない。

2007年6月23日

進歩

我々が万能人と見なす様な活躍も、未来人にとってはそうではなくなるだろう。ダ・ヴィンチの研究が凡そ現代の中学生程度の学識であったことを思えば。

2007年6月22日

探求

金が余れば怠惰になり、地位を得れば閑暇を失う。

美術論

美術とは同時代の主要建材への最適化された装飾様式でしかありえない。時代様式は美術の目的である。

2007年6月21日

国際善行論

上下両方からの慈善活動は国富の偏りを正す現実的方策。

 上から、国連経済の部門による調整。
 下から、草分け的な寄付volunteer活動。ODAもここに入る。

 自由主義思想一方に固執すれば配分が偏り、自然の平衡を取り戻そうとする暴威は避けられない。我々は調整の正義に共感するところを持たなくては公平たり得ない。

スケープゴート

悪魔の城から抜け出した
暫くして振り返るとそんな期間はまるで嘘の様
じりじりと照りつける太陽の為に
再びカフカが帰る
小さな家出
巻き戻すクリック
リプレイへリバック
風景のどこかで
なびく吹き流しの旗
旅先の店に在るくずきりの透明な
因みに非ず波打ち際の風かも
リトライのリレー
夜のとばりが降りる頃秘密は明ける
馴染み深い世界はもうすぐそこかも
添乗員と飛行
組み換えられた時代の隙き間で
走れ
繰り返し押し寄せる浪の
今では遠い夜空の星よ
グルベルモッローラを聴け
天国流行したいから
はっくしよんよん

2007年6月20日

黙想

黙想してみた
何でだろう
欲深さを消していけば必ず
光が射す
お庭に移ろう一輪の月見草
波打ち際をさすらう花火みたいに
しなびた趣き方をしてる
エアコンの室外機しかわずかに音はない
しんとした夜半過ぎの
蒸し暑い初夏の間隔
お坊さんがするするとやって来ると
座布団にすわってお経を読みはじめる
とてもわくわくする感覚
この瞬間に何かしら美しい法典が語られるのか
線香のかおり
それは場を変える
おまじないのために
うす煙りが辺りを包み
座禅を組んだ人々は目を瞑る
仄かに揺れた
魔法の様な
立法の前列
それすら流れの中へ

お祭りスパイ

♪[この世の派閥わ数知れず
とかく世怙ありゃ佳かれども
間違えばかしはいかんともせず
ちんたらすれば自爆やも]
霊感――ナイフ
「一緒にいるだけでしあわせだもん」
だろうね
「だろうね、って何よ。ふざけるな」
ガシャガシャ――シャッター商店街
ナミナミと注いだ盃を傾けると――あーっとこぼしたあ
妙な人だ
つぶやいたつぶやいた
つぶやいたつぶやいたつぶやいた
マルボロつぶやいた
ぷーっと
おじき草本棚に咲いた玉鬘
寧々と七夕に出掛ける子供会一団
霊感――sparkring!
レミレロレミレドレミレラ
「いい加減にして!」
やれやれ……ヒステリックなグラマーなんて勘弁さ
「どういうつもり?」
痩せすぎても困る、ってことさ。女は
「ちょっと、いい加減にして! 気に触るわ」
伽藍ガラン
パーンパーンパパーンパーンパパパパパンパーンチャラララララ
♪[ファンファーレ]
ガチャポン

地球の輪切り

チーズケーキを食べた
小さな穴が空いていて
そこには住んでいる家族がいた
家族の会話
「なんていう事だ」
「不可思議きわまりない事だ」
「世の中はよほど狂ってしまった」
「これもみんな異常気象のせいだ異常気象庁のせいだ」
フォークを刺して
二つに割ると
文明のしるしが出た
腐った食べ物なのに
ワインに合うらしい
納豆が御飯に合うくらい合う不思議な食べ物だ
チーズというのは
マルチーズというのは
ひとたび時代が代わると
いきなり常識が変換するらしい
まじめに働く一群が
ぺこぺこお辞儀する姿を映画で観て笑うヤンキー
恋人の対話
「あーっはは」
「なんてミラクルなんてあめーらぶる」
「らぶらぶ」
「メルトダウンだ」
なんていう事はないゆうべ
時の調べ少しずつ
街に暮れる行灯
南から吹く渚の夕凪が
犬の尻尾を揺らしてふさふさ
ニュータウンの夕辺
過ぎてしまうとわからないで築く
わずかな幸せの姿が悲しい
束の間の楽しさが窓辺から漏れ出している
笑い声
ねこがにゃんと鳴いた
ひっそりとした世界観のどこかで
命の手綱が渡されて行くのか
大都会
真夏の様に揺らぐ景色
競走する人間の動き
水が撥ねる

2007年6月19日

学習

老いて後と若かりしとき、学習能率に大差はないが勉強の習慣のあるなしは大きい。受動的生産労働に慣れた老後にとって、幼い頃慣れた積極的学習行動は殆ど忘却されてしまう。この弊害を揚棄して生涯学習を推進するには始められる時点から自主勉強の習慣を持つよう努める他ない。独学を基本にし、学校を方法とせよ。

並木道を行くことは

そんなに暇じゃなかった
簡単に言うならわたしは先を急いでた
いちょうの落ち葉を踏み変なにおい
空は青くて黄いろの葉っぱを浮かべてた
今もおもいだすの
そんなことでも
あなたはゆっくりと息をついた
上下する肩の向こうで風に揺れる青白いカーテン
もう随分遠くまでやってきた
だからここでよかったのかわからない
わたしはここで幸せだろうか
お月さま
あの日からずっと
落ちないままで架かる
ひんやりとした三日月
窓辺に立ってわたしは
昔の事を考えていた
もう取り返せないくらいはるかな旅路の果てに
置いてきた大切な宝物があった
名前も忘れてしまった
ただそれはとてもとても大切な
犬を連れて来る一人の男性
もしかするとそれがあなただったのですか
今でも過ごしている散歩のときにけど
あの頃の時間をおもいだすこともあります

2007年6月18日

伴侶

利益の為に配偶を求めるな。いずれそれは利益の為に別れる。配偶が得られないのなら寧ろ独りで歩め。愛憎のない生活は安定している。

波風のリクリエーション

暫くは留まる とんとん
しかし動き出す まるまる
まるでいきもの かなかなか
鶴の恩返し
暇なひまわりの様
リラクゼーション
旅先の店 これでも
貴女を見た 綺麗な人
綺麗な人 それでも
君は波風だ
どちらにせよ
流れてとどまらぬ
山 奥に林 紅葉
奥には森 雉
青空にも緑 紅葉 黄色
白い衣を着た 羽衣らしく
うつくしいもの 綺麗な鳥
鶴の嫁入り
しんしんと雪の降る
懐かしい景色のさなか
見かけた姿
もう許しておくれ 今でも
この世の歌を 憶えています
聞かせなくてもよい お願いだから
君は波風だ 徒然に
工事中の古都 しばらくは
降りしきるさみだれ
そこに立っていたのが誰でもなければ
波風でさえ きっと
たたなかったのに きっと
交差点で過ぎる きっと
わずかな瞬間に僕は きっと
違う誰かの為に きっと
イマジネーションを働かせていた 昔の事よ
侍の話 しばらくは
聞き惚れていた 見とれたのね
波の語る ことはわかる
波風のリクリエーション 何度となく
繰り返し 語られる言葉

2007年6月17日

民族と戦争

普遍的な調整は自然の平衡によって計られる。それは世界史における諸国家の盛衰となる。政体循環とは民族間の呼吸。階級闘争と技術革新とは体制を順次覆しながら世界各地を段々巡り、文明を花咲かせる。しかし、それですら見えざる手にのみ依存はしない。
 戦争は人為に昇華された調整的正義の極端と言っていい、それが極端故に悪とされる。最大の悲惨こそが同類を戒める仕方となるのは卑しい、よって慈善の必要がある。国連政府による国際間の経済調整は現代の急務。

はさみ

チョキチョキはさみ
人間を
世界を
切る切る
お好みの形に
切る
だれのために
知らない
とかくこの世は切りづらい
世知に長ければ生きづらい
切り義理
あぁあなた今日はすてきな破れ服ですね
それが流行りなんでしょう知ってます
みんな知ってますって
チョキチョキはさみ
お前のたましいを
切る切る
充ちるまでのゲーム
生きるためのゲーム
切り絵の世界を切る
小さな子どもかも
それとも大の大人かも
わからない
チョキチョキ
罪を恥を
切り取るためのはさみ
それでいのちさえ切り取れたら

再生

過去より流れ来るものよ
やがて未来に去るもの
お前の名前は命だ
それからいずこへ游ぶのだ
風と水と生態系の巡り
頽廃しては再生する
わたしは老いたものを愛する
すでに務めを果たした脱け殻を
わたしは若いものをこのまない
欲深いエヴァの子孫を

2007年6月16日

信仰

たとえどの国を亡ぼしてさえ、神よ、その富を貧しい人々に配れ。

信仰

悪は常に善に敗れる。

意味

貧しい人々と共に苦しみ、貧しい人々のために働く。心であれ、物であれ。

経世済民

もしお前に少しも能があるなら一生分の損得でなく、責めて千年先人類の為になる経済をしろ。我執の為に働く者は没落し、救貧の為に働く者は満足を得る。搾取とは慈善の道具であり、勧善懲悪の方便でしかない。傲れる富裕は儚い。

父母

無量慈愛と叱咤激励が、母性と父性に由来する訳。子の生き残りと社会貢献の間に平衡がある。AgapeとErosという愛の方向性の違いに相似。

競技論

我々は動物から遠ざかるに従って高級な能力を手にする。身体技能の洗練は極度において殆ど芸術美と一致する。それは本能の昇華によって我々の精神をも躾する。求道はやがて彼らにしか見えない未開の境地を拓く。凡我一如や万理一空と呼ばれた境地もこれと同一だろう。宮本武蔵曰く、空には善のみあって悪はない。これは本能の昇華が、芸術的快、つまり趣味と一致する為の感覚だろう。

2007年6月15日

現代文学論

理想主義は浮世の為ではなく、未来人類の為だ。それは将来からの感謝、後世の崇拝を褒美として賜る一方で、現し世からは凡そ何の報酬もない。享楽的実存は絶望によって倫理的に展開するのは既決。現代衆愚はみながいずれ、理想主義者の言説へ藁をもすがるだろう。だがもし一民族またはそこに繋がる人類の血筋が適応種をも育むなら、そして育まない訳はないが、我々は努めて理想しないべきではないし、その結果としての先見哲学をも史実に記録して置かねばならない。民主主義は衆愚政治によって再設定される。我々に可能なのはその被害を最小に留める予防策と、後の筋書きを画いておく手際。我々はリチャード・ローティら新自由主義の限界が煽動政治家の台頭による国家の弱体化で調整なき無宗教として実証されるのをじっくりと、歴史的に観察する機会に恵まれてはいる。
 彼らを救う方便は世界宗教の回復にしかないだろう。文学を淘汰し、聖書を配るがいい。それすら自然に進行する。すなわち書物の終わりは心理不安によって原理主義に行き着く。では我々の課題はと云えば遠い未来の、人格相互目的たる文明社会、神の国への漸進主義に先駆けた世界宗教同士討ちの予防線を引く事。特に、キリストとイスラムの自由と服従の対立を仏教の諸行無常の諭しで調停すること。現代文学の目的は世界宗教間の和平にある。

理想家

どの様に我々は産まれて来たか、は理論。なぜ我々は存在するか、は実践。どうやって我々は暮らして行くか、は技術。
 仮説としての定常宇宙は始終なく、原則として形態を変容させ続ける。我々は太陽系地球の欠片として自律形態のある末節な丈。その目的は文明による生存闘争の遊戯的自浄にある。我々は思索してから知らなければならない。人類の英知は宇宙における我々の地位を守る便宜として唯一有効に働くから。つまり、知能こそが人類の先端なのだろう。
 俗物の生活は我々にとり召し使いと考えて違わない。理想家は又、謙譲の寄付を以て世俗に貴族義務を負う。しかしこの様な共生の工夫なしには分業能率を果たしえない。均質は原則、天分は例外。

2007年6月14日

女性

最上の女は慈悲に赴く。

水道

海――かぎりなく
青空に行き交うカモメの群れ
私。砂浜の肌いろ、クリームのいろ、少しずつ波で浸される
ひき返す
手に入る
夢幻の列
混ざる、はなれて、宙に舞う、鳥。とりトリtori
夜よ
かがやかしい星屑を紛らわせてねんごろに瞬く
つぶやき
恋人
テトラポットの孤独
あぁ雲が、流れた
私も同じ雲になれ
わずかにずれた朝
湿っぽい時間帯よ
また押しては還る、海に
通勤客の背中
都会の奥から溢れだす海を見た
だれが望むのかしれぬ
それは辺りを浸し、ビルの大半は水没した
水道管の破裂にすぎない、とわかってしばらくは
戻っていく海を眺めていた

芸術論

工学を目的式に応用することが芸術を造る。芸術とは技術の結晶であり、文明の象徴。我々は芸術を通じてのみ同時代の崇高に触れうる。

2007年6月13日

風邪

風邪の引き始めには外的刺激をなるだけ減らし、治り始めには徐々に増やす。

2007年6月10日

雨音

雨音と走る車と雷鳴と

2007年6月8日

方便

女を懲らしめる最善の方便、相手を一切無視すること。男の不条理をやりこめる方法、従順にふるまう様に一見みせかけながらわかりやすいあてつけをすること。

ぶら下がり質問への回答4類型

安部首相の回答群より
1. 指示強調
2. 繰り返し
3. 逆質問
4. 低姿勢

人間のどの側面であれいずれ滅びる。自然も文明もまた然り。もののあわれは何も指導しない。代わりに、世界への潔く情けある態度を改めさせる。慈悲ある性格を養え。仁義中道の生活態度は唯、求道の志のうちにのみ宿る。

文明と都鄙

全ての文明環境は不完全であり、あらゆる子供は未熟な環境で育つ。それでも古代よりは少しくらいマシだ、と諦める他ない。そして彼らは自らが働いてより良い文明環境を築きあげ、子孫の代ではより居心地よく育ちえる様に工夫を凝らす。だから反抗期の若者が自らの育った不条理な世界に不満を懐いたにせよ、それに気づいて解消してくれる人物は未来の己れの他にいない。いわゆる不良が成長前の段階に留まる青年ならば、彼らが大人になる過程で感じた矛盾こそ、成熟した人格の基になるものか。
 自然に溢れたいなか町の方が屡々、過剰な都会の軽薄な盛り場よりも子供にとっては好ましい遊び場に満ちみちている。よって文明とは必ずしも都会化ではない。むしろ人間の意識についてのみ、civilizationの定義はある。例えば大都市のスラムより小ぢんまりとしたニュータウンにおける方が人が良い様に。

2007年6月7日

男性

男には楽することより苦労したことによる満足の方が大きいらしかった。

孤独

世の中から疎外されつづける魂よ。お前には安住の地はないのか。諸行無常の波に飲まれて、輝かしい未来を夢想する意識。それですら流れ去るこの世の定めなのに。子孫の興を眺めては微笑ましく思う。それすらかなしみの姿でしかないのに。

2007年6月6日

反省

人間に限りがない以上、聖への成長も同様。適応行動の自己修正、即ち反省だけが過去から自らを改める。

場所

都会は性愛の場所で、いなかは博愛の場所。

2007年6月4日

死と霊魂

死は生者にとっての死。なぜなら死ねばこの世に居ないから。霊魂の不滅は生者の数珠つなぎの中に存在する。

2007年6月2日

解脱

慈悲の念は生存競争の頂点においてしか煮えぬもの。
喜捨寄付とは縁起の福祉法である。それは自然へ調整に働く。

なれば功利主義者の侵略愚行はやがて文明の智恵により因業と還り淘汰される、人間においてすら。
プロテスタントpragmatismは自体、我執を免れない以上《悪行》でしかない。

もし君が強者白人の行いに盲目にも従えば地獄への自業自得の旅路に就くのだ。
ダーウィン曰く『強い者が生き残るのではなく、環境に適応した者が生き残る』なれば、
地球共栄の和平に懸ける努力は古代ギリシア最善の聖奢に勝る。

奴隷を使役するには輪廻の業なき人工機械を利用せざるべからず。
同類を道具にするとは何事か。左すれば己れも来世にて必ずや奴隷にされる事、生き霊憑きの必定たり。

フェビアン社会主義の賢明たるやそれが弱肉強食の過剰を戒める手段において善行に近し。
慈悲は目的なり、成功はこの福利方便なり。

2007年6月1日

現代観

近代人自認類の粗野なること甚だし。例、食事に際して感謝を前後に述べず平気な徒の如何に多きか、電車のプラットホームと特急の致死速度差に驚愕せざること、空中消防の手段に便ならず道路を引き延ばし排気ガスの最中に雑居せること、年頃の女子の悪戯に肌をみせて醜恥なきこと、住宅において清浄の理を忘れ厠を風呂に押し込めること、他多いずれも感覚の麻痺と言うべし。

 我々は近代人類をして如何にも野蛮の徒と見下さざるを得ず。もし君、志せばこれ等を専ら反面教師に奉り、上進を期せよ。

 いわゆる近代が歴史の終局にあらず、世界人類の福祉に方角と手間と沢山なるは自然なり。

信仰

生前陰徳の積み重ねでしか来世の弁償は弔われない。

いずれ陽徳は程々に中庸せねばならぬ。端を避けてこその折衷だから。

ただ陰徳の深さのみが業を癒す。
反省すること頻りな者は輪廻解脱に近づく。
もし因縁を悟れば心の安らぎを得る。

我慢

君もし精神鍛錬を志せば敢えて苦行せざるべからず。蓋し、過剰のそれは奢恣同様無意識にして健康を蝕む事なれば、修行には道理あらざるべからず。即ちこれ求道者の限界突破の反復勉強にあり。ある格闘家曰く、腕立て伏せの勉強に辛くなりて後、日々残り何回延長しうるかが勝負なり、と。誠に至言なり。もし自分自身限界を認識しつつそれを超越しようと努力すること、つまり自己覚醒を道理と云う。無理とは己れの実分を知らぬ無謀の徒を言うなり。例、初心者がフルマラソンに挑戦して中途で倒れるが如し。もし日頃の練習を欠かさず、ハーフマラソンを初段の目標に自分の体力を伸長させる時には無理の余地なきに似る。
 又、人もし好き嫌いを失くしたければ如何にせん。われ云わんそれ贅沢症なりしやと。毎日の食事に前菜の習慣あれば何人も残す事あたわず。なれば溢れた奢侈を故意に節制し、自らへ与える栄養素を嫌いにも関わらず食べねばならぬものに限れば治る訳なり。元来、食わず嫌いとは他の代替品目でも構わぬと無意識が指導するが故の合理化反射に他なるまい。もしそうする必然ありて、無意識を欺かばこの環境への甘えは著しく革るもの。例えばいかに勉強嫌いな子どもといえどもそれ以外に暇つぶしのあそび方なくなればやらざるを得ず。もし渇いてジュースが欲しくても水しかなければこの上なく旨く有り難がる。空腹は美食の基本の如き此なり。
 以上を熟慮すれば君よ、人間の高度を造る最たるものこそは我慢なりしやと覚え書きするが宜しき。もし欲求に早まれば悉く低落す。義公の曰ゐしと云う堪忍とは抑圧遅延による昇華の謂いに違いあらずや。