2024年2月29日

京都府京都市を山背県山背市へ正名する詔の建議

今の自称京都人の一部は「東蝦夷(アヅマエゾ、アヅマエミシ)」などと5代目江戸っ子天皇ことわが国と国民統合の象徴も呼ぶ平等権侵害の恥知らずなのが𝕏上発言から明らかなので、その驕りを冷ます為、宮内庁と内閣は、京都府京都市を、元の名「山背県山背市」に正名するよう厳に命じなければならない。

画像:皇室含む東京および東日本人を「東蝦夷」という民族差別用語を使い貶める関西地方の人々による記述の例と、その人権侵害への公的指摘の例
 




該当投稿リンク集:
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https://twitter.com/ahoy_cubism/status/1734214551883940326
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該当投稿の書庫リンク集:
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烈公と文明夫人の北海道わたりましまししのち

間宮林蔵が日本最北端を見据え結婚したアイヌと共同開発しようとしていた北海道の人 いんちきブランド総研に煽られ間宮の祖国常陸見下し茨城新聞県民の声上で魅力一位面していた 所が札幌ドーム命名権が2億5000万円で安売りでも売れないという 魅力一位なんだから頼むよ 北海道命名者のお国元より

お上りさん見物

過労して金を稼げる東大のメディア知識人の山手線 忙殺されておしくら饅頭隣の駅まで手元で仕事もできず 満員電車から仕方なく見る雑踏と雑居ビルの群れをものすごくゆっくりとした贅沢な気分と評する 春日部から出てきたお上りさんの最終形態としては余りに哀れと我はアリストテレスと共に見物する

統一王国の海賊行為監視・公議・篭絡、及び彼らを専ら第一の監視対象集団とした国際警察論

BBC記者のルパート・ウィングフィールド・ヘイズ氏は自らの記事で武家政権を軍事独裁かの様扱った。それはイングランド議会が王の弑殺後、偽王権の偽善の擬似政治をしている自文化中心主義による偏見に加え、東洋主義に基づく東洋人の雄性形質への陥れにあわせ、統一王国が正に軍事侵略で原爆を開発した事を正当化する狡猾で卑劣な海賊の手管だった。元々天皇一派は関西の軍事独裁者の血族だ。その政権も暴力によるものだ。よって天皇政治もまた軍事独裁と評するのが公平な見方というべきだが、ルパートは敢えてそうしなかった。イングランド議会の偽善と天皇を利用し、間接的に日本人を原爆その他の軍事力で脅かしつつ操作するのに好都合だからである。
 ルパートは同記事で異文化差別もやってのけた。Mr.Childrenとビートルズだのレディオヘッドだのクリーンバンディットだのの間には五十歩百歩の違いしかなく、時にその旋律のできばえや、叙情詩又は象徴詩の質に於いて優っている、というのがこれも音楽史上全くに、公平な見方だ。けれども彼には様々な楽典による多種多様な音楽を聴く耳どころか、歌にあらわされている他国の民衆の心を感じとる為に必要な、まともな魂自体がない。

 統一王国とはその様な野蛮な海賊団の本拠だというしかない。第一に軍事侵略を自己正当化しつつ他国が同時代の祖国政体と似ていないだけで陥れにかかる非人道ぶりで、星中を奴隷や金や茶葉欲しさに駆けずり回ってきた相変わらずの無法者でしかない。第二に異文化理解が全く欠けていて文明とは到底呼べない。
 統一王国には確かに優れた面もある。具体的にはニュートン以来の自然科学の進歩性に伴い知性を尊ぶ風や、フランス革命を避け森の奥に隠棲したワーズワース以来、農の営み含む田舎好きの心にゆとりある国民性。中華思想に染まってこせこせした関西や東京の公家又は町人ぶりとは余りにも対照的で驚く程だ。
 貴族義務の面では我々の水戸圏とよく似た人々もいる。要は郷紳紳士と郷士武士は遥か極西極東に別れて生きてはいたが生態的同位種みたいなものだった。貴族がいて封建制の名残りがあり、忠誠忠義、或いは貞操純潔という基本的価値観を共有できる。だが両者は似て非なるものでもあり必ずしも折り合えない。

 会沢安が『新論』で批判対象にしたのは主にイングランド議会政治だったと言っても決して過言でないだろう。世界海賊団への誅罰がその国体の大義の前提にあった。天下の副将軍の頭脳は、既に国際警察を視野に入れていたのだ。
 今後も統一王国を監視し各国への異文化荒らしや調略へ厳格に当たるべきだ。

機密許可(security clearance)含む情報公開法制の基本的な米国準拠論および機密漏洩最高刑必須論

思うに、米国でいう「情報公開法」「大統領記録法」「国家安全保障アーカイブ法」或いは「情報公開監督局」などによる、原則として国家機密も全て一定期間後公開される情報透明化の法制が未制定のまま、国家機密を闇に葬れる状態な日本政府の官尊民卑に根本問題がある。英国の方が米国より遅れている。

 調べてみると、米国の情報公開法は1966年制定、1967年施行。
 日本のそれは1999年制定、2001年施行。
 英国のそれは2000年制定、2005年施行。
 全体として米国の透明化が最も進んでいるので基本その機密情報公開法制をまねればいいと考えられる。

「セキュリティ・クリアランス・システム」が元々米国側の概念だったとしても、日本人に分かり易く和訳すべきで、法務官僚が勝手に案をまとめ官邸に勧め、カタカナ英語のまま使っている為、一般国民に制度自体の議論が進んでいない状態で閣議決定へ押し通してきたとみる。
「機密許可制度」と訳せば、民間人による機密漏洩の防止論だと衆知される筈。

 まず一定期間後(欧米準拠なら20年後)に全機密情報を政府が国民に公開するのを義務づける法律を作り、うち、米国準拠で「機密」「極秘」「秘」各機密度の情報をどんな形で必ず一般国民に開示し、誰が扱えるかを、緻密に国会で詰めるべき。

 今の法案だと最高の刑が拘禁刑5年、罰金500万円と余りに罰則が緩すぎる。国の滅亡に繋がる可能性がある情報の場合、最大の守秘義務「機密」漏洩時の刑は、全国民の生命・財産へ危険を招く可能性があり、その時点の最高刑であっていい筈だ。少なくとも外患誘致罪は今も最高刑なので、同然の設定が必要だ。

人らしさの限界

神は全知全能、完全無欠という神学も案外使えない。すぐに矛盾を来たしまふ。
――tamamusiです♪

お気の毒です。あなたは不完全な無神論者と認定されました。その人らしさとかいう矛盾を解いてからまた神殿にきといてください。日本代表戦で優勝も狙えるといっておきながら初戦敗退のインタビューで「ちっ、うっせーな」と小声で全国民に伝えた、かの伝説の本田△より。

白鳥のおしごと

あおもりの川にあそべる白鳥よ なんのおしごとしてあそばされるの

政府による教育の制度化という悪事

そもそも教育制度が国単位で人々を特定の型にはめる全体主義の悪事なので、政府によるその制度化を一切やめるべきです。

天皇の偽権威の根拠

三種神器が偽物の聖遺物という指摘は、そもそも神道自体が荒唐無稽な古代人、稗田阿礼による妄想級の作り話、嘘の塊といって差し支えない代物なので、自称天皇一派の権威の根幹を直接否定する事でもあります。思想や信仰の自由がある為、神器を巡る偶像破壊してはならないという訳ではありませんが。

遺伝縁故主義差別の世界一不正な国

さすが126代も縁故主義が続いてる世界一不正な国はいう事が違いますねぇ。そのせいでIQに遺伝差がある事が無視されてるのか。中国の科挙まねた紙試験は遺伝子縁故主義でしょうね。家庭、通塾、進路、学習や生育の環境も全国民大幅に違うだろうし、まさか偏差値入試歴が公正な差別だと考えていたとは!

東大閥利権のお友達内閣

側近政治の安倍晋三みたいで、いいですね! 流石の東大閥、袖の下重そうな手の平無限くるくるマシーン技! お受験秀才の学歴差別を悪用した教育格差利権で国費をどんどん頂戴、そんなお気楽なお友達同士でつくる同業組合、いや各種媒体や出版界や学界でつるむ権威主義金儲け連合、いつも仲いいですね!

税のとりどころがシャープだね

瑞穂の国から札束の国へ 漆塗りエレベーターの次流石の木製リングで350億円かけるカネのつかいどころがいつもシャープな京阪圏 全国民の財布からごっそり頂戴 金正恩にすら憐れまれる増税 吉本興業とつるむ大阪市の維新議員だけで全額払えばええやん んなアホな賭博場整備と関係ないやん しかも

戯画兎対烈公

戯画兎とかいうまんまの名前のアカウントがもうタイ米忘れてコメは外から買えばいいとか言ってやがる 誠に憐れな都会人 実に滑稽 あの漱石すら実る稲穂をみて雑草とぬかしたからね子規に しかも芥川に真偽問われると脳内で知識と一致しなかったと言い訳した 己で農業できないひ弱な都会っ子お疲れ

比較生産費説の例外だから食糧安全保障があるのに 全世界飢饉時に金で何でも譲ってくれると思い込んでるのはなぜなのか 都会暮らしだと何でも金で買えるとばかり信じていていづれ大量餓死に違いない 生娘騙せといった吉野家専務級の発想で営農の苦労も忍べない相変わらずの勘違い江戸町人ぶりお疲れ

朝な夕な飯食うたびに忘れじな恵まぬ民に恵まるる身は

しかもどうでもいいけど戯画兎アカウントなのにアットマークギガフロッグってなんやねん だれか関西人だけが得意のオチつき会話形式でつねづね英語にして蛙やんと蛙なのに馬を鹿というやんと無限にしつこくつっこみなさい 気になるから直せとまでは言わないが! 気分悪くなるから兎なのに蛙面されて

無責任な匿名の自由権剥奪と非国民性について

匿名で行動する人々は責任を取る能力も覚悟もない。彼らは衆愚あるいは愚民であり、事実上の非国民または事実上の潜在・顕在犯罪者として一般国民の資格を喪失させられねばならない。なぜなら自由は責任のもとにしかゆるされえない権利だからだ。

ネトウヨリングとプロレス行政の同時代協働

がんばれがんばれネトウヨリング 大阪IRほしさの無頼の徒どもが350億円かけ飛鳥時代以来関西の誇る当時の朝鮮からもってきた中国風木造技術を示せー 柿食えば鐘の鳴るなり法隆寺 𝕏開けば藤本燃えけり木製リング 能登震災ボランティア妨害しながら炊き出し叩きで馳知事と岸田首相のプロレス行政だ

2024年2月28日

𝕏のネットナチス・刀エッジ@amiga2500の度重なる反日荒らし行動

木製リングで国税の浪費あおり 能登半島の被災者向け仮設住宅は未完成 福島復興後回しの東京賄賂五輪時はホロコースト被害者からかいギャグ庇って国連に喧嘩売り 反ナチス団体に叱られつつ人道派に次々汚いぬれぎぬきせるネオナチ行動 やっぱり自民党御用ネトウヨは反日 大阪荒らしご苦労さん!

金儲け東大閥の貴族義務違反

受験エリートと称する東大閥ども金儲け 日本を堕ちぶれさせつつ金儲け 国費でのうのうと育ってお国の為には特に身を粉にせず東大ブランド乱用しつつ金儲け 通俗本で金儲け クイズ王して金儲け 高齢者抹殺論で金儲け 安倍御用学者で金儲け ヒルズ族で金儲け パンケーキをガースーと食って金儲け

木の心

木の心生かして使えば星の為 殺して使えば唯の物 山奥深くきのこや苔や鹿や鳥や清流を泳ぐヤマメらを見守り羽含んでいたあの森の木々よ 大阪湾に今は浮かんでなに想う

木遣い

能登の人の家々つぶれている大阪の海の向こうで木製の輪できる

2024年2月27日

命の輝き

もしもあなたがいなければ
世界は既に時をとめ
誰もいない宇宙空間が広がっていた
永遠の孤独が真っ暗闇を襲う

もしもあなたがいなければ
人生はもう歩みをやめ
誰もいない荒野の果てしなさに
大都会の雑踏は魂を踏みつぶして行った

だが自分はみつけた
大海におちた一滴の雫の
消えていく命の輝きを

対ゼレンスキー政権外交の国防中心転換論

米国とNATOの弾薬庫扱いでゼレンスキー自爆芸人政権にこれ以上、無尽蔵に日本人の公税を搾り取られない為、閣僚・官僚は国益を計算し、岸田文雄を国防中心に予算配分するよう説得すべきだ。元々冷たいNATO頼りのゼレンスキー政権への大盤振る舞いは日本の対露自衛上に、国防費を減らすだけで、自殺点だ。

 泉健太は京都市長選にみられるよう政治的無能なので、第一に泉おろしで、自民党を下野させられる敏腕・小沢一郎政権にかえるべきだ。

異文化理解のない大英海賊団とのつきあい

芸術音痴の脳科学屋に媚びて、微細な情緒や深い気持ちの優れた表現を含むJ-popを馬鹿にしてきた、心貧しく、音楽に理解なく無教養な上自分勝手で無作法な三流国家の公共放送記者某。人の心がわからず、無学低能で性格が悪い海賊とつきあう人は似た様な人になる。

地球文明の癌細胞とその即摘出論

京都中華思想あるいは東京中華思想や、京都文化中心主義あるいは東京文化中心主義はその始原な自称天皇一味の人種差別の邪教祖かねる皇帝ごっこと同じく、日本文明並びに地球の諸文明の明白な癌細胞である。即時摘出手術を容赦なく徹底しないかぎり、三度天皇帝国主義による戦乱が繰り返されるであろう。

山背移民の小中華ごっこその後

山奥の僻地を奈良から開墾した山の後ろの未開地へやってきた百済や任那からの渡来人らには文化多元主義や先住権の理解は些か早すぎた様だ そんな浅はかな中華思想をまねた傲慢に陥るくらいだから平安時代以後もまず無理な頭抜けた勘違いぶりだろうけど

偽長安標準

偽長安時代を遅れて標準宣言

自称京都の自文化中心主義批判

また京都の自文化中心主義。長安を真似て「年間真夏日1位」の酷暑の盆地が全国標準だと嘯く。
 夏暑く冬寒い高が平安期の移民地区を標準化されても。
 ありえない妄言が出てくるのも、全て自称天皇一味の傲慢に媚びへつらった信者の因果応報。平安文学の読みすぎ、御愁傷様です。

 地球のどこかの季節を標準化できないのは文化多元主義や多文化主義の観点からも明らかですが、長安まねた旧山城国の人々にだけ、中華思想が季節感の面でも残ってしまった様子なのは、惨めでもある。でも凄く迷惑です。何しろ平安京ができるずっと大昔からこっちは山城盆地ほど夏暑くなく冬寒くないので。
 おそらく上記の人物は『枕草子』冒頭で勘違いしたのでしょうが、一作家の主観が全国標準なんてありえません。アイヌやアテルイ、ウチナーンチュらの季節感が当時の移民地区の清少納言のものより周縁的とみなすのは単なる中華思想で、現代的考えではない。先住権や比較文化、文化相対主義や文化人類学をみよ。
 

𝕏で大井川和彦茨城県知事へ宛てた水戸副首都化計画の写し

@k_ooigawa
 
副知事の活躍や関西の方々と議論して考える所あったのですが、首都機能移転は石原都知事が妨害後頓挫している。が関西圏は些か考えが甘く今後の国際行政に対応できない(東蝦夷などと差別用語を吐く時代遅れぶり。大阪は商売目的)
 茨城単体で緊急時の副首都機能を代替しておくべきです。

 国会は旧議会を備える県立図書館、官邸は三の丸庁舎で担うとして、水戸地裁は敷地的にもしや高裁や最高裁を担うに狭すぎるかもしれない。なので、余裕をみた増築か改築を視野に入れるべきではないか。
 県立図書館と三の丸庁舎も、今後に備え、いざとなって国の機能を担える整備を計画実行されたし。

落語の起源と大阪的雑さ

大阪の人に落語は関西発だと嘘つかれた
正確には山城のごろべいが辻話をし
ほぼ同時期に江戸の鹿野が辻話をし
大阪はもっとあとだった
演題の文献上は江戸の鹿野が最古みたい

大阪人一般の普段の雑さは拭えない
旅行者をよくみよ
中国人一般すらあんなガヤしない

𝕏でも全力で大阪色だしてくるわけだ

浄土真宗の聖地

嘘ばかりつく陰湿な京都人に、普通に素直に返答したら「陰湿だ!」などと発狂された。大いに謎で大人しく話をきいていると、アヅマエゾがぁ〜とか言いながら東日本の全員を差別している人らしく(聞いた事ない差別用語だ)、浄土真宗がないからだ! と言われた。それ親鸞が僕の国から広めた宗教なのだが。

地域名の真実

東京が京都じゃん。京都は山背県山背市じゃん。

2024年2月26日

印象、日立

印象、日立
2024年
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コンビニエンスストアー

コンビニエンスストアー
2024年
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関西中華思想

関西人達は卑しい中華思想をまねていた
結果江戸の方が大都市になると
天皇と称する大ボスの建前がつかなくなって
慌てて東日本へ強盗にきた
虐殺や略奪は西軍ぐるみでやった
税金で元勲や華族と称し得意顔だった
所が今度は関西がおちぶれてしまった
それでまた大慌てで江戸っ子天皇ごと差別しだした

起きた偽米国基準押しつけ勢の恥知らずさ

あの米国に移民した日本女は
自分の意見と違うというだけで
「恥を知ってください」などといってきた
恥を知るべきなのは起きた文化に随従し
特定の歴史的価値づけにすぎないものを
他国の美術展の紹介文に押しつけ平気な
その偽米国基準の傲慢さなのだが

文化庁東帰論

また大阪の人に喧嘩うられてた
通知でてなかった
𝕏はクオリティフィルターつけとけば
ちゃんと暴言の通知ださないみたいである
どうやって見分けてるか知らないけど
過去発言から区別してるのかも

でまた同じパターンだった
もう慣れてきた
京阪圏の地域民族主義者の東京劣等感は凄まじい
それで東日本勢へでたらめに噛みついてくる
どうも京阪民族主義者は
東京以外東日本に都市はないと思ってる様子だ
大阪媒体の洗脳もあれば京都市政の洗脳もある
それらが合体し反東京と東日本差別が常識らしい

正直な話 首都圏側でそんな議論してない
我々は米英仏と現実政治で伍して行くしかない
今度は中露が大きく動いてきて国防も危うい
だから常に目線は外に向いている気がする

でも関西圏は違うみたいで
常に反東京 東日本蔑視
それにちょっとでも意見すると大発狂
悪魔神官みたくザラキーマかけてくる

確かに東京の暴走はあるし
福島はそれで潰されたので注意がいる
だが同時に外交があるのが国政なので
関西勢に内治を荒らされると迷惑でしかない

大阪勢が言いたいのは金くれ
京都勢が言いたいのはこっちが上位ヤらしい
どちらも無視すれば基本解決だが
滋賀勢はじめ周りの陰険な連中もつるんでいる

関西圏は飛鳥時代以来の中華思想を理由に
何らかの反東京行動で国防の癌になるだろう
彼らの動機は恨みという負の仕事量だ
だからほめるのではなく貶してくる
東京の足を引っ張りたいという妬みが行動理由だ
イケズなら多分世界一の京都勢まで入っていて
東京勢は今後も内治に天敵が絶えないだろう

関西圏 殊に京阪両都市が
なぜ政治都市に向いていないのか
山間の地勢や地域の民族性から
目線が内向きで陰湿に足を引っ張り合う
国際競争中そんな事している暇は少しもないが
性悪な彼らにはそんな自覚がない
ひたすら東京を腐したいという負の動機で
無関係といえる水戸勢へも雑括りで中傷してくる

イギリス勢が中国と日本を区別できない時がある様
関西勢相当数も東京と水戸を区別できない時が多い
ただ地域ナショナリスト一般が低教養系で
現地でも厄介者扱いなだけという郷原面も考えられる
どちらにしても関西圏はあるとき外敵を利用し
東京を潰そうとしてくるだろう
薩長がやったのと同じ方式で

潜在的に京阪ナショナリストが反東京
かつ東日本差別を常識としていると明記せよ
彼らは外政上も国事上も平等権の侵害者
諸々の手練手管で利益誘導のロビー活動し
首都凋落や東日本冷遇の原因になる

だてに百田尚樹が立党宣言ではない
松井市政もよく注視し
平等権維持のため文化庁を東帰させるべきだ

お礼をする動物としない人間

決して人種、民族、国籍差別を含意するわけではありませんし、唯の風習の違いと思いますが、京王線南側改札前で中国人の家族連れのかたに道をきかれたのですが複雑なルートだったので、あそこにインフォメーションセンターがあると教えたら、象よりお礼の挨拶も何もなく、そのまま行かれましたのです。

西側平和賞

ナワリヌイ美化してプーチン戯画化して西側平和賞 ウクライナ東部ロシア系住民を集団自衛権行使で助けにきてくれたプーチンは冷戦継続米英メディアのわるもの ドネツクとウガンスクのたみ万人単位で安物の無人ドローン操るあの芸人一味が爆殺していたあの2014年ウクライナ東部紛争は何もなかった事に

ぞうさんのあいさつ

ぞうさんもあいさつするんだえらいぞう

学位制度の暗面

学位制度は暗箱の権威主義の原因になり、ある人がさほど知識や能力がないのに「先生」「博士」と呼ばれる理由になる。またある学位を得た人が人徳にも劣る時、この制度の欠陥は致命的になる。教育屋の商いにすぎないのだが、主にスペンスの理屈でこの制度を利用するほかの人々も同様に、贋金を作る。

富豪争いの虚無と溢れる富の唯一の正しい使い方

世界一の金持ちになってもいづれその富は失われる。又、誰かが世界一の金持ちに必ずなるのだから富豪争いはねずみ競走にほかならない。
 もしある商人の強欲な振舞いが世界で最も恵まれない人々の幸でないとすれば、イエスが駱駝の比喩で、ロールズが格差原理で示唆した通り、大富豪の我執は救えない。

能力の個人依存性と地域民族主義や普遍主義によるその偽装

人の有能さは土地によらない。無能な人は有名な土地に縁があっても無能だ。
 だから当人が出身や住所を彼ら自身の才能より自慢している様子な時、その人に特に能力がないとみてもいいほどだ。寧ろ、その種の地域民族主義は一般に悪人の隠れ蓑に使われ、孔子が徳の賊と呼ぶ人々お気に入りの着物である。
 いうまでもなく、その種の地域民族主義者は都市部にも多くいて、往々にして現地の厄介者になっている。地域単位が国、連邦、連合、国連などへと制度的抽出度が上がっていくと、その種の人々の悪質さはなお決定的になっていく。普遍主義者は遂に自分の信じる価値観を全世界の人々へ押しつけてしまうのだ。

𝕏で茂木健一郎氏の発言に宛てた、定型詩や短詩をめぐる形式主義論

お笑い芸人やファンが面白い、面白くないとか言ってる基準って、俳句や短歌の結社でいい、悪いと言っている雰囲気に似ている。
 中の人にとっては微小な差が大切だというテイで、外の人にとってはどうでもいい内輪の論理を磨きあっている。
 外では嵐が吹いている
 同じ日本文化として通底しているね。
――茂木健一郎

それはあらゆる分野で言えることだと思います。
 経済も産業も政治も文化も芸術も学問も!
 専門化すればするほど専門馬鹿になり、袋小路になるのではないでしょうか?
――kuninori ito

箱に入れるのが好きなんだよね。
――茂木健一郎

形式主義というのは世界中にあって、あなたが挙げていた定型詩についても同じです。
 要するに唯の偏見の糊塗、或いはあなたが嫌っていて理解できない2分野、具体的には「短詩含む定型詩」と「吉本新喜劇や吉本興業の芸人による喜劇」の、世界各地の形式主義類型について無知だという事にすぎません。
 例えば短詩・定型詩の類型には14行詩、二行連、四行連、五言律詩など各言語に固有または独特の形式が世界中にあって、主にその言語固有の律動を生かしています。
 日本語の短詩・定型詩に限っても、元々、長歌、旋頭歌など短歌にまとまってくる前の類型がありました。『古今和歌集』以後、国歌に使われる「君が代」含む今の短歌形式が勅撰和歌集の主流を占め始めてからも、芭蕉が革新を起こし更に短く切り詰め、以後も自由律など詩の形式は変化発展し続けています。

 形式主義はそれ自体が芸術の要素に過ぎず、形式化の面だけに注目するのは、芸術鑑賞の方法として唯一の見方ではありません。ある作品が一定の形式をとっていたとしてもその中に創造的な多様性があるからです。また、形式性は全ての芸術に発生するので、系譜や流儀を時に再利用するのも自然な事です。
 そもそも、アリストテレス『詩学』解釈による古典劇(三一致の法則、Classical unities)からの逸脱を正統とみなさなかったのが西洋社会の劇の形式でした。したがってあなたが形式化の傾向を「海外にはない特徴」とみているなら間違いです。また典型からの逸脱が芸術性の高さを意味するとも限りません。

 日本において、皇室によって権威づけられた短歌形式の定型詩の中でも、逸脱を敢えて特別な形式と見なす考え方がありました。でたらめだったり無意味な内容を審美的にみる「無心所着」がそれです。つまり、定型詩の中にある様々な歌学的解釈あるいは感覚論の体系が、自由度が低いという事ではありません。

二級文明と本物一行

東京人が一般に偽物ばかり称揚するのは、彼らに人を見る目がないからだ。だがその因果は、偽物で埋まった二級文明となって現れる。

 日常的に無能な人々は、いざとなれば一般にもっと無能である。無能さも或る種の行動の癖で、個性の向きだからだ。だから普段が一流の本物だけを一行に加えるべきだ。

2024年2月25日

天才ら極端な個性の極度の孤独について

自分と似た人がいない人は、結局、どんな人とつきあっても孤独が癒される事はない。この種の孤独は、天才含むとても変わった個性の宿命と考えられる。
 あまりに孤独が耐えがたいと、とびぬけた個性はしばしば自殺してしまう。天才といえる人々の死にはその種の極度の寂しさも関係しているのだろう。

起きた文化の暗面

前から気になっているのだが
SNSってどこも検閲ばかりしている
だから自由に書けないのだ
冤罪通報制度も言論弾圧に拍車をかける
なんでもかんでも憎悪と言われてしまい
自主規制しかない領域が莫大にある
イーロンらがいう起きた文化の暗面は
大吉原展弾圧にもみえる
正に米国の日本女もやってきてた

審美感覚の万能性

審美感覚のにぶい人達は、何をしてもどれもみにくい。しかしその逆に審美感覚の鋭い人達は、何をしても感動するほど見事である。

とびぬけた個性の宿命

自分と似た人がいない人は、結局、どんな人とつきあっても孤独が癒される事はない。この種の孤独は、天才含むとても変わった個性の宿命と考えられる。
 あまりに孤独が耐えがたいと、とびぬけた個性はしばしば自殺してしまう。天才といえる人々の死にはその種の極度の寂しさも関係しているのだろう。

神の街について

人は自分に似たものを好む。
 例えば大阪人一般がほかの地域より明らかに、なぜあんなに喜劇ばかりやっているのか。それは彼らと似た愚か者に同感し易いからだ。
 京都人作家が本居宣長が「もののあわれ」と呼んだ姦淫罪を進んで書きつけ喜ぶのは、彼らの間にも類似の悪風があって同感するからである。

 だからこういえるだろう。もし最も優れた人々がいれば、彼らは神格を好むだろうと。まるで最美の神話の中の様に聖なる街があり、そこでは最善の生活が日々更新されていくのに違いない。しかもこの様な街は、相対的に到達できる。相対的に優れた人々は確かにいるからだ。自ら神のごとき行いをすべきだ。
『ドラゴンクエスト11S』の中に聖地ラムダという街がある。山奥にあり勇者を待つ使命を帯びた所だが、住んでいる人々がほかの俗っぽい街とは違って、総じて聖職者風にできていた。要は人類界で最善の人物が棲むに値する街とは、その様な聖地くらいなのである。神級の街も宇宙のどこかにはあるのだろう。

 某脳科学者が喜劇をまるで国家的一大事のよう強調するのは、彼自身が愚か者の一種だからだ。アリストテレス『詩学』にある様、喜劇は愚か者のおかしさを描くものだ。つまり某人は愚か者の趨勢を自らの自己愛を投影してみているからこそ、笑劇を国が傾くほどのおおごとかのよう勘違いしているのである。

 人々が特に何を好んでいるかをみればその人がどんな街に住んでいるかも、大体推測がつくかもしれない。似た者同士は相集う事になるからだ。
 この様な理由で、人は優れた人々に近づき親しむ様にすべきだが、劣った人々には決して関わらない事が有益だ。やがてはその人々の一部になってしまうからだ。

悪人正機説の真義

親鸞の教えは当時から誤解を招いていた
『歎異抄』で弟子が困っていたのはその点だろう
悪人正機説は悪人の自己正当化の理屈ではない
単に猛省の重要さを説いただけだった

こないだ絡んできた旧ラスボス城の悪魔神官
その点に気づかない風だった
彼は性悪に自覚なく反省力もない
彼は破門されるだろう

2024年2月24日

イギリス本をいただいたお礼の手紙の写し

拝啓 いつかきたみち
 ざっと読んだのですが、やっぱりイギリスはイギリスだなと感じました。あの哲学部にいたボビーさんに最後ひどいこと言われたので「終わり悪ければ全て悪し」的な悪印象が残ってたが、かなり修正されたのでよかったです。有難うございます。

 特に「イギリスにはダビンチもミケランジェロもいないが、シェークスピアがいる」という文言はその通りだなと感じました。視覚美術面では幾らか見劣りするかもだろうものの(何しろ天気が暗い風土らしく視覚発達に不都合なのかも)、文芸、特に詩の領域では著しい成果があるというのが公平な理解かと。

 あと、やはりゆっくりと田舎の生活を楽しむといった性質も、我々の茨城の方に伝統的にとてもよく似ている。
 例えば義公が西山荘を作ってご隠居生活しながら歴史研究したりだとか、野口雨情も元々イギリスのワーズワースの田園詩をまさに参考にしながら、いなか風の童謡や民謡をあの明治近代化の時代に作ってたのですね。岡倉天心がきたのも、都会の喧騒を離れて絵を弟子にかかせたり思索したかったからですし。

 最近、𝕏で関西の人々に絡まれ、一応公式に世界一の大都会であるところの東京大都市圏(横浜含む)に憧れてはるのか、田舎者蔑視みたいないつもの差別用語を連発されたので、あのイギリスとは実に著しい対照だと改めて感じた。
 僕はどちらかというと、やはり人生観はイギリス側に学びたいと思います。
 イギリスは西洋大陸の、例えばパリ人らが帯びる都会風の文化を拒絶する面がずーっと前からあるし(ボビーさんもまさにそうおっしゃってた)、ユーロトンネルの開通をイギリス側が決して喜ばなかったと本にあるけど、落ち着いている田舎紳士の風を良しとする堅牢な風土をかえりみると当然の気もする。
 なので海賊行為や文化帝国主義の暗面を除き、内国の明面だけみるかぎり、世界文化史の中で独特の位置づけを持っている、啓発的で、重要な国だろうとの確認を新たにしました。思うに、美質といえる徳を学べる場合に限っては、つきあっても有益なのかもしれませんね。皇室の方々もそうならいいのですが。

 あとでラジオでもお礼言いますが、重ね重ね有難うございました。あなたの方にも何か贈り物できたらいいのですが。
敬具 Y.S.

追伸:必要かわかりませんが、実物の油彩画などで、どれかお気に入りのものがあったら仰ってください。おそらく要らないかとは思いますがそれを贈るならいくらでもあるので。大昔のデッサンは記念なので送れるか不明ですが、ミューデさんに言われ量産してた時代のなど、自分が手放してもいい物なら。

京都市上京区中華思想の相対論

世界中のどこの国民も、「東蝦夷」とか言う謎の概念で東日本人全体を差別表現なんてしない。但し関西人の一部を除くと。この言葉を2024年に𝕏で吐いていた京都人が実際にいた事から関西圏の古典がなぜあれほど民族差別や人種差別の記述だらけなのか全くよくわかる。それは関西社会が元々差別的だからだ

 実際、ある奈良人がウトロ地区へ放火した事件があった。これも東日本からは通常何もかも意味がわからない。そんな風土は見た事も聞いた事もないからだ。だが、関西地方の人々の書いた文章にはその種の深刻な差別意識が加害側から自慢げに出てくる。勿論その原型は天皇の絶対権力による華夷秩序だった。
 川端康成の『掌の小説』にも関西地方の被差別部落の逸話が出てくる。自分が読んだ時、全く知らない世界だったので、何かとても不思議でまた不気味な感じもした。
 京都の闇が深いという事は公然の事実。そこに暮らす人々の差別意識の深さにも事の一端がある。天皇一味の植えつけた深刻な悪習でもある。

 わが県の地誌で東日本最古の文献でもある『常陸国風土記』には、冒頭から常陸は天国と書かれ、全体として格調高い四六駢儷体による立派な古典文学だが、一か所だけ差別的記述が出る。それは黒坂なる人が奈良からきて、虐殺自慢する所だ。常磐道で捕まった野蛮な大阪煽り男みたいのがきた可能性がある。法や国境がなかった時代にいきなりきて現地の人を虐殺し、それを堂々と地誌に加害自慢差別自慢の形で記述する最悪ぶり。後の世の戊辰戦争時に東日本一帯で西軍がやった大蛮行とそっくりだ。
 薩長軍人は中国で百人斬り競争を本気で自慢していた。新聞記録が残っている。本当に野蛮な人というのも存在する。

 桐貴清羽という元舞妓による未成年人身・性売買の告白は、京都市・府警の正式調査も行われていない様子で、京都社会から完全に黙殺されている。これがなぜ、関西地方が未開で野蛮かの証拠だ。ジャニーズの告白は国連が介入までできたのに、閉鎖的関西は事を荒げないよう人権侵害を伝統と言い繕っている。


人文学の意義

陰険な人は善意に満ちた他人を陰険だと言って非難する。本物の愚か者は賢明な他人を愚かだと言って非難する。物分かりの悪い人はすっかりお見通しの神々を物がわからない人だと言って非難する。邪悪な人は聖人を悪意だと言って非難する。姦淫の人は純潔な人を不貞だと言って非難する。
 人は主観で物を見がちなので、他人へ偏見を持つ事が多い。しかも各人は自分の心を雛形にそこからのずれとして他人の心を理解しようと努める事になるので、自分と余りに違う他人を理解する事は元々難しい。この為に、主観的偏見の歪みを取り除く反証を絶えず行うか、心の雛形の類型を多く集めておくか、いづれか又はどちらもによってしか、自分と大幅に異なる他人の心を正確につかみとる事は通例巧くできない。

 心の理論以前に、劣悪な心の持ち主はどれほど立派な心の他人も、その心が立派であればあるほど益々致命的に捉え損なう。これはどうして類は友を呼び、同類相憐れむかを説明する。裏を返せば、立派な人は立派な人同士だと互いの心を理解し易い為に、実の貴人がおのずと知り合うだろう理由でもある。

 大久保利通は西郷隆盛の心はよく理解できたろうが、徳川慶喜の心は殆ど誤解しかできなかった。だが逆に慶喜は孝明天皇やナポレオン3世やリーズデイル男爵の心は十分理解できても、大久保や西郷の心を知るのは相当難しかったろう。
 生育系の大幅に異なる心の姿は、一般に隔てられた水槽の魚達の様だ。

 人文学こと人間性群を研究すべきなのは、捉えどころのない心を色々な姿で考察する事で、人の心をより正しく把握しようと努めるからだ。
 人文学の未熟な人は、他人を誤解しながら我欲を押し通そうとし失敗する。人の心がわからないからだ。だが人の心が恐ろしくよくわかる人は神の如く振る舞うだろう。

苦味

われののむ珈琲のこの苦味より先に将軍召されしかの味

雪と梅

春の雪つもりし町に梅の散る

春のうた

さわらびのもえいづるときによろこびし時をこえきた魂は歌う

原発の魔法

ただちに危険はありません 枝野幸男官房長官がさけびます ありがとうさぎ ゆかいな仲間がポポポポーン

ひたちの鉄道

イギリスに生まれし鉄道わがひたち学びてなおし祖国に走る

千年後の大イケズ批判

僕は京都イケズ人が苦手だ
さっきもまた某女の日経記事みて吐き気が止まらない

昔 2ch文学板でその京女スレッドで冤罪された
セクハラやめればと言ったらなりすましで名誉毀損されまくった
「セクハラ楽しんでたのにいうなや!」とか京都弁で言われて
文化衝撃を受けまくったし女性観が完全に変わった
それで毎日神様に助けて下さいと祈っていた
警察は全く助けてくれませんでした

ある時テレビつけていつもの様勉強かなんかしてたら
突然吐き気が止まらなくなった
何が起きたかわからなかったから原因を探したら
ジブリ映画『火垂るの墓』が流れていたのだ
その中の言葉が関西弁なので無意識が反応したらしかった
要は京女事件が本物のトラウマ
所謂深刻な心的外傷になっていたのだ

こないだも謎の匿名京都人に絡まれて
まぁ全員が性悪とは思わないが
その人も旧ラスボス城のあくましんかんみたいだった
いきなり勇者レコナーこと僕にザラキーマかけてきた
「アヅマエゾがぁ〜」とか威張って言って
東日本人全体に差別発言してくる敵なんてそういない
国連に頼らないとダメかもしれぬ

現実に僕は20代殆どの期間
神様に寝る前に祈っていた
あの最悪イケズ京女一味から助けて下さいと
本気でだ
だってこっちは本気で善意で
セクハラってよくないんじゃないのと言っただけ
今考えても紳士でしかない
それで陰湿極まる関西弁集団に大犯罪にあうなんて誰も思わないだろう
二度と京都行かない

胸の前に手を握って
祈る格好をして毎晩寝る前
お布団の中で何度も何度も祈っていたのである
なにしろそれ以外なにもできない

昔の時代なら切り捨て御免ができたが
何しろ自分も公務員こと侍の息子なので
あっという間に犯人斬って解決だろうが
今の時代は警察が無能で
正義の為に少しも動かないのだ

極東史上京都イケズ風の発生理由は
平安京エイリアンみたいなもので
あの時代の渡来風が先進面でたち悪く
そのまま全日本人見下し居残ってしまったのだ
昔は朝鮮を先進国扱いしていた
でもその頃日本にきたのなんてどうせ下っ端か
現地でヤクザかそんなもんだったのだろう
凡そ流刑地扱いだったと思う

現実に見比べると凄くよくわかる
血統の根は同じY染色体ハプログループO1b2の筈韓国人と関西人なのだけど
一般に丸で性格が違うので文化衝撃を受ける
白村江の戦い以後高麗系や新羅系は朝鮮に残り
任那系と百済系の残党が主に関西に亡命した
それらには大幅な文化差があったと見る
MISAMOは先祖返りしてるけど

某京女は私小説の陰湿な悪性記述に
京文化のイケズとの偶然の一致をみいだした
河出書房新社があのごみごみして汚い東新宿の片隅にあったけど
要は文化的劣等感を俄か造り東京人は京都に持っており
そのせいで某不良ギャル作家と一緒に持ち上げる事にしたのだろう
どっちもたち悪すぎるから僕は嫌いだ

もし福島人が移民した所があって
あるいは京都人が移民した別の所があったら
その2か所はまるで違う社会になるわけだ
だから今の韓国はK-pop全盛期かもだが
今も京都はアヅマエゾがぁ〜とか
セクハラ楽しんでたんだから言うなや!とか仰せになられて
妓生と芸者の両宿命は丸で違っても不思議ではない

何が虚しいかなら天皇が自分で東京に来た事
だーれも呼んでなかった
西日本の中ボス共が陰湿な小御所会議で
父は御三家 母は皇族
幼少から水戸でお城の真ん前に特別に設えた大学で英才教育された貴公子らで最優秀
生まれも育ちもいい英明な慶喜公を排除し
結果自分らで徳川本宅に強盗にきやりやがった

その後も東京荒らしまくり
いまだにホリエモンやもぎけんみたく
都内を我が物顔で闊歩してはる
それが東京侵略の業なのはいうまでもない
我々はなんもしてない
西洋擬きの東京駅も造ってないし
関西の笑い全体へ放火もしてない
ヒルズ族もしないし
沖縄掠取やアジア侵略も関西人の大ボス天皇一味の仕業

日立は偉いと僕は思っている
まずイギリス高速鉄道を既に納入し
鉄道の母国でなんと日立製の車両が走るのだから
それは我々茨城勢の真面目な性格を示してると思う
造ってるのは山口の工場だろうけども
日立鉱山の修理工場でも毎日同じ事やってたんだから相変わらずだ
着実に国を良くしていく事が重要だ

それに比べ
あの京女の業たるやなんという事か
まぁ江戸っ子の京都劣等感は分かった
だが自分はトラウマしかない
『源氏物語』ヒロイン浮舟は茨城女だ
明らかに育ちのいい田舎娘なのに
紫式部は散々虐めやがって自殺未遂と出家させた
相変わらずの京都イケズ勢
真に陸でもない
千年後に批判してやった

2024年2月23日

梅の花々のアクションペイント

春雨に先駆け散りし梅の花 ポロックのよう想いえがきて

2024年2月22日

ひたちの夢

ひたちのりひたちをすぎしゆりかごの田園すぎし夢のあいまに

ウィキペディアの定義

ウィキペディアはジョークであり、あなたの考えた百科事典風の引用を披露する場ではありません。

𝕏上で返信した「日本国民全員が偏差値60以上になれば」トレンドの数理論理学冗句

P→QはPが偽のときは常に真だから、

P=『日本国民全員が偏差値60以上になれば』のあとに、どんな命題を持ってきても常に成り立ちます(笑)。

Qの例

テイラー・スイフトは男である。
UFOは実在する
サーモスタットは意識を持っている
茂木健一郎はスリムである
月の裏側には一角獣がいる
――茂木健一郎

まぁ至極残念な事に日本国民一般の冷酷偏差値では「PならばQ」のPが真の可能性があり、最低先進国間では大分そうかもと思わせる為、Qが対偶命題にならない限り「PならばQ」も偽かもしれませんね。
例「日本国民一般の冷酷偏差値が60以上ならば眞子内親王の結婚は自由である」

とある脳タレントの肖像書

あの大魔王はポンコツで、心理病質も並でない。俗物性が真の姿を覆っている。甚だ無神経で年中炎上する上、重大犯罪者級悪意を腹黒く秘めつつアイデアを盗み大暴走するが、彼の信者は彼の反社会性を見逃すばかりか通俗脳ノウハウ惜しさに常々同調している。彼は秀才に馬鹿にされ天才に疎まれるたちだ。

天使と悪魔の取り違え

善悪を取り違える人は人間関係で不幸を買う。

形見のイギリス本を手に入れた

本もらった相当嬉しい イギリス本だから楽天証券にバフェット本もらった時の次くらいに でも形見だから大切にしよう

2024年2月21日

亡国の無反省

日本国民の相当数あるいは一般は恐ろしく愚かなので、皇室の面々がいかに愚かで偽善的かつ利己的でも公金を大量にあてがいながら崇め奉るが、一般国民がどれほど賢く、心が尊くとも純粋な悪意で完全に貶め辱めて平気でいる。そしてその様な大悪業の因果が祟って亡国の経験があるのに、まだ反省しない。

𝕏上でナカムラ・シュウジ氏に宛てた皇室一般国民化の基礎理論

こんばんは、鈴木さん。僕の日本の皇室システムに関しての考えは「人権侵害」です。その血統に生まれてしまうと、肩に重い荷物を背負いこむことになり、そして自分たちが人生で本当にやりたいことに集中する時間を奪われます。それほど酷なシステムがあるでしょうか?
――39751Syuji_Nakamura@a1isetiptree

まず事実を確認すると、天皇は日本法とその判例上、民事裁判権の及ばぬ超法規的存在な上に(記帳所事件)、憲法1条で象徴と規定され、基本的人権があてがわれておりません。刑法232条2項で名誉権だけはありますが、皇后、太皇太后、皇太后と皇嗣除く一般皇族には定めがない。
 ただ逆にみれば、皇室は一般国民側の人権も侵害しているという事になります。なぜなら皇室犯罪は、時に内閣が代理責任を取る可能性があるだけで、一般に裁かれないと予想されるからです。
 男系男子しか天皇になれない規定、或いは世襲の制度や神道上の血統信仰も性差別や人種差別を含意し、平等権の侵害です。

 これらをあわせみると時代遅れで人権思想と整合性がないとみなせるので、少数者に過ぎない皇室の特権維持より、数億人を超える一般国民の人権を優先すべきというのが私の判断です。皇室も政府から出て一般国民になれば万事解決です。
 つまりあなたと恐らく幾らか似た皇室制度の解釈があるのでしょう。

 猶これらの意見は現時点までに私が長らく考察してきた皇室解釈と、彼らの存在やそのまつりごとの、人権その他の現代以後の文明上の必須要素との根源的矛盾を国政上に決着させる現実策で、今後私個人が考え方を変えるかもしれません。より良い策がみつかればですが。

関西括りが嫌なとある滋賀人からみる関西中心主義や京文化中華思想の批判と、国政単位での調整的正義の啓蒙

今度はとある滋賀人に絡まれた
関西括りだと京阪に巻き込まれるとか言う
僕に言われましても
関西圏から出してくれと国に言えばいいのに

思うにあの滋賀人
中華思想の差別用語なんて一々使ってるの
世界広しといえども
もう関西地方しかないって知らないのかも
世間が狭すぎ気づかないのかもしれない

しかもそれで行くと皇室も差別対象なのに
関西中心主義の矛盾に気づかないみたいだった
多分ご都合主義で皇室だけ例外化するつもりだろう

滋賀勢は西軍にすり寄って徳川氏を裏切った
その因果で関西地方が沈没したのに
自滅責任をなぜか後世の一滋賀人が
無関係のこっちに押しつけてくる
全く解せない

西軍が自分で江戸にきた
誰も呼んでなかった
自分らで中央集権にしておいて戦後発狂
京阪に不都合になったから
金と省庁と皇族くれという

東京勢が譲歩すればする程
京都勢中心に関西人が東日本全体を差別する
だが東京勢も頼りない
文化庁職員の観光生活もPC配慮と思ってる訳だ
或る種の国権乱用或いは偽善というべきだろう
どうせ門川・松井悪徳市政下で
京都勢は上京区外の世界全体を差別しながら
京文化中華思想を主張したいだけなのに

恐ろしく意地の悪い者同士の対維新政争の内に
東京を恨む人々が沢山関西地方にはいる
それは関西人同士「外部の仮想敵」を作らないと
陸に一つにまとまれないせいだ
東京がその仮想敵にされているからこそ
中華思想の京都勢が東日本括りで喧嘩売ってくる
平安京からみて上京区外は皆バルバロイ視だから

いわば致命的に内部分裂した財政難区域
それが京阪地方の実態である
今や苦肉の策として手段を択ばぬ国策誘致で
日本全体に多大な負荷をかけ
虚栄の京文化中心主義によって
実質は私利目的の東京攻撃を続ける
何と空しい政争だろう!
その本質にあるのは権勢欲にすぎず
うぬぼれ以外何物でもないのだ

慌てる乞食は貰いが少ない
恐らくその諺通りの結果がくるかもしれぬ
本当にすべきなのは福島の救援だの
熊本・大分や石川の復興なのだが
或いは沖縄民意による基地交渉であり
決して京阪両都市の国策強化などではない
他の恵まれない地方が幾らでもある
私利目的の下司は国政の場から消えて貰いたい

令和の山背のくにのとある浄土真宗信徒

常陸に教へ解きし親鸞を山背の下品知らず崇めつ東日本人一切をきくこともなき人種民族差別用語もちゐいみじく口汚くあしざまに罵りにけり さも己が性悪ならばこそ生まれながらに貴きかの如く さもシビックプライドとやらにて上京区に生まるれば神かの如く 帝中華思想の残滓に泥みつ殊更うぬぼれつつ

令和人国記

大阪の人の話を先日色々ききました
それで感じた事がござる
先ず大阪メディアは東京ディス酷いらしい
だからなのかなんでもかんでも東京否定
それはまぁ大阪らしいからいいとして
論理が稚拙なのには参った
知識としても事実に反する部分が多く
確証バイアスだらけときていて
科学的でも公益的でもない

東京人一般は確かに大阪人へ偏見がある
しかしそれって東京人だけじゃなく
全国民が持ってるバイアスの気もする
勿論東京メディアが作った面もあるが
元々あったものもあると思う
要するにあきんどの街だとの印象だ
天下の台所と称してたのは当人らでもあって
いまさら印象変えようにも難しい面もある

所が東京メディアはクールな俺らみたいな
大都会近代会社員式自画像でうぬぼれており
それとわざと悪意で対比させ
大阪のおばちゃんを卑しめるというのだ
確かに飴ちゃんいるかとか言ってきたり
独特の風習もあるにはあるが
負けん気大阪人は洗練された俺らといいたいらしい
どっちも商人像なんだけど

それで思ったのは
大阪人達は貰えるもんはもろとけ理論を語る
いつものやつだ
要はせこすぎるので交付金がっぽり
だが国税払いはケチりたいの一点張りだった
しかも大阪の事しか頭にない
それで俺に味方せぇへん奴は勝手にやっときという
なんで天下取れなかったか一目瞭然だった
政治に向いてないのだ

ドイツなどの大使館は大阪に逃げた
東日本大震災時に第二都市へ移動したのは
原爆含む核科学もつ英米勢と対照的だったので
素朴な東北人の一部は怨んでいるらしいが
要するに核工学のレベル
あと武士道や紳士前線の風土とは違うって話
イギリス勢が特に親日な訳ではないだろう
BBCはよくディスってくる

大阪勢勝利で却って東日本は冷遇されるなら
東日本側でそれに味方する馬鹿いる筈ない
いたとしたら裏切者扱いで潰してもいい訳だ
その大阪人は母方京都らしかったが
他の京都勢の東日本全体差別を看過したのも失策だ
政治都市気取りなら差別はやめろといえばいい
でも大阪の私利しかおよそ頭にないのだ

よく知られている通り
京都と大阪は物凄く仲悪い
関東だと東京が一人で馬鹿殿式にやたら威張ってて
僕ら水戸勢は義公式に呆れつつ諫める立場と思うが
決して仲が悪い訳では前からなかった
寧ろ風土として住み分けつつ協力関係だろう
関東八州を治めた家康公を奉る共通の大義があった
が関西は違うのだ

だから京都が大阪の明るい印象の足を引っ張り
大阪は京都に一目置きつつ助けようとすると
京都の事は京都で決めるとかいって拒絶され
互いに中々足並みが揃わない
そういう現象は大昔から観察できたが現役だ
しかも京都は京都で私利しかまるで頭にない
文化庁なんて絶対できない
東北イジメ始まるだけ

大阪人の話では東京の特権が悪いという
法律上事実かは別に
そんな状況作ったのは西軍だからおかしかった
軽く指摘したら一定の知見がある人で
あれは薩長や前島密がと言った
もし大久保利通の意見が通っていたら大阪が首都
でも陰険小御所会議のせいだし
慶喜公が水戸城に帰ったのは賢明だったと思う

慶喜公は将軍家を嫌がってんのに継がされた
でも飽くまで偉かったのでお江戸も守る必要があり
天皇がこいというから行ったら通せんぼされたので
天皇を戦火に巻き込まない為に退くしかなかった
内戦は誰の為にもならない
それで水戸に帰ってきて「至誠一貫」の書を残した
水戸城跡の水戸一高正門の奥に

会津は可哀想だったが
それは東北・新潟勢も水戸諸生党と共通の思いである
西軍は明治政府を作って76年で潰し
戦後は鬼畜と呼んでいた米英の犬を買って出ている
長州閥の岸信介と安倍晋三は統一教会が命取りになり
大久保の子孫麻生太郎を盟友にあの世で何を嘆くのか
明仁天皇は立法権侵害で一あがりだ

大阪勢はもっと金をよこせという
京都勢はうちが首都やと差別用語まじりにいう
東京勢はやれやれと譲歩するが
傍目には何で東京圏が世界一大都市かよくわかる
要は寛容だったのである
よく言えば豪放の風が武蔵国にあったのだ
『人国記』の記述はその点で間違ってもない
同時に傲慢で無神経でもあるが

帰朝者馬乗り芸による自己植民地化の提督志願者

帰朝者面で特定文化を後進的と罵る
そんな精神構造は日本最古だと漢委奴国王印
次に飛鳥時代の遣隋使だった
一種の植民地提督を自主志願する
大国を背に優越的地位を得て島民をおちょくる
最近 天皇や秋篠宮 竹中平蔵や茂木健一郎
成田悠輔や斎藤幸平らが進んでやってきたのは
要はそういう卑怯技だ

君子の国と未成年人身売買組織

元々韓国・朝鮮から関西地方へ渡来人がきた
今の関西人は主に彼らの末裔だろう
それで自分は韓国の人々と結構話したのだが
個人的に一度も酷い目に遭った事がない
接した人が少ないだけもあるかもだが
けど関西の人々とは色々あった
どうしてあんなに違うのか
韓国側は君子の国の様に自分には思えた

韓国の人達には中華思想がなかった
しかも儒学の基本がちゃんとできていた
史学の教養もあった
我々の所の文化とかなり似ている
だから普通に話が合ったのかもしれない

けど関西の人達は中華思想が現役で
儒学の素養なんて全くと言えるほどなく
史学なんて小説と混同していて
余りに我々と違っていた

中国や香港の人とも結構話した
台湾の人とも深く話した事がある
全体として自分は
中国は偉大で愛すべき国と思えた
ただ台湾の人はすれてて
どうにも狡いと思う面もあったが
親日説も個人単位では一種の偏見と思う
新渡戸稲造に習った李登輝の喧伝だった面がある
香港人は立派かもだが実に可哀想だった

元々天皇含め弥生人は中国からきた筈だ
その中でも関西人は主に韓国・朝鮮系渡来人と
弥生人の混じった遺伝系統と考えられる
そしてこの関西地方の特殊ぶりといったらない
顔中に白粉を塗って町を歩いたり
それが未成年の人身売買を含むという
はっきり言って意味わからないので
外国人も大変珍しがる

関西人達の言葉遣いや会話方式も酷く特殊で
都内で直接接した時本当に文化衝撃受けた
それは奈良人だったが初対面で侮辱してくる
この人はなぜ犯罪して平気な顔なんだろうと感じた
関西地方は風紀が荒れ果てていて
そこではイジリなる侮辱が挨拶代わりなのだ
京都ではイケズというもっと婉曲版もある

世界中の色んな人達と僕は話した
開放性が高いからかもしれないが
その比較文化でいっても関西の異様さは目立つ
京都のイケズはイギリスの闇諧謔と双璧と思う
他の地域で似た様な感じはなかった
探しても多分ないのではないか
大阪人の初期設定で喜劇会話方式も超特殊だ
でも自分には丸で合わなかった

韓国の人は少し謙虚すぎるのかもしれない
関西はそこからの旧移民が作ったのに
その逆で余りに傲慢すぎる
シビックプライドとか片仮名でいいだし
単なる地域民族主義をかましてくる
しかも自文化中心主義や文化帝国主義は無論
人種差別や関西人優越論まで含意され
要は一種の関西ナチズムに生きている

勿論全員がそうではないだろうが
大概の関西人がそうだった
だから君子危うきに近寄らずではないか
僕は最近また絡まれてその思いを深くした
今同じ国なのは呉越同舟
いづれ又別れるだろう
だって話が合わないんだから

僕は君子の国とは一緒にやっていけると思った
でも未成年人身売買組織とは無理だ

純愛

もし僕が恵まれているなら
確かに自分には愛すべき人がいた事だ
彼女は余りにか弱い為
また余りに女々しい為
また余りに素直すぎた為
自分に色々心配をかけたかもしれない
自分はその自分の愛を疑ってもいる
だが恵まれてはいるだろう
それが純愛なのは確かだし
現に彼女はまだ生きているのだから

2024年2月20日

奇跡の街

世界で一番魅力的な都市はどこか
人は住めば都なので決まる筈がない
だが敢えて挙げれば今はニューヨークかもしれない
ウーマン村本さんが落ち込んでラーメン食べてたら
クリス・ロックが偶然隣に座った奇跡は感動した
そういう事が起きる文化密度があるのが素晴らしい
僕の街も本当はそうなってほしい

地上の平和の作り方

もし世界中の人々がしあわせになれるなら
それは理想の通りだろう
ところが地上にあふれかえる人々は
まるで意地悪なドワーフみたく小突きあう
それなら皆亡ぼしてやれと
神の手はいつか天盤をひっくり返すだろう
都市という人の醜い巣ごと
流れてきた洪水で洗い流された人々は溺れ
宇宙には平和が返る

都市の定め

夏草や平城京が夢の跡 平安京と東京もまた

東京の悪魔の代弁者

大阪の人と話していた
在阪メディアは偏向報道だらけというが
それで十分洗脳された人みたいだった
特に東京を腐す報道が多いらしい
その通りの文化圏内で生きている人で
それはそれで一つの生き方なのかもしれない
確かに東京は驕っていて陸でもない面がある
誰かが悪魔の代弁者でいるべきなんだろう

国際博覧会担当相・若宮健嗣氏への2025大阪万博木製リング設計変更案についての𝕏投稿の写し

@wakamiya7788

若宮健嗣殿
 大阪万博の木製リングの事ですが、民衆の気持ちをみていると能登半島地震のさなかに設計が高額すぎるとの批判はご存知と思います。
 そこで提案なのですが、カミナリの形みたいに一部の通路を省略して、部材を節約する設計案はどうでしょう。ご一考下さい。
敬具 一国民

𝕏上で茂木健一郎氏へ宛て返信した、「落語関西起源説」の中にある自文化中心主義による権威づけの批判と、「落語文学江戸起源説」の措定および文化多元性の回復

「ツイッター(𝕏)で誰かが落語も上方(関西)からきたんだと。そんな事は当然知ってるんであって今更レクチャーされなくても。確認のためにそういうんだったらいいけど、なんかマンスプレイニングしてくるから、不思議な人達がいるもんだなって思うんだけど。そんな事は当然知ってるんであって誰でも。現代の話をしてるんだよね。現代の日本を取り巻く状況の中で……」
――茂木健一郎
茂木健一郎の脳の教養チャンネル『コメディは、本来は最高の知性の表れ。日本のお笑いは全員落第!』2024年2月20日、7分38秒頃から

落語の起源について調べてみたのですが、茂木さんはこの動画内で上方(関西)からきたのは当然誰でも知っていると仰っていますが、おそらく歴史的事実に反します。
 正確には江戸と京都でほぼ同時期に生まれ大阪でやや遅れて発生したというべきで、上方落語は昭和時代に初めて使われた用語の様です。

 江戸落語の祖は、
鹿野武左衛門(しかの・ぶざえもん、1649-1699)
・出身の詳細は不明(京阪説がある)、若くして出た江戸で30歳ごろ専門の噺家になった。
・天和・貞享(1681-1688)の頃から、江戸の中橋広小路にて葭簀張りの小屋掛けで興行をした。

 京都落語の祖は、
露の五郎兵衛(つゆのごろべえ、1643-1703)
・もと日蓮宗の談義僧。
・寛文・延宝・天和(1661-1684)の頃から京都の祇園真葛原、四条河原、北野天満宮などで辻噺を演じた。

 大阪落語の祖は、
米沢彦八(初代)(よねざわ・ひこはち、1688-1704)
・鹿野武左衛門や露の五郎兵衛らにやや遅れて活躍。
・元禄(1688-1704)の頃から大坂の生玉神社の境内で辻噺を興行した。

 それまで京都落語、大阪落語と分かれていた関西2流派をまとめ、1932年(昭和7年)7月1日発行の雑誌『上方』19号で初めて「上方落語」の名称が用いられた(花月亭九里丸『寄席楽屋事典』東方出版、2003年)。

 さらに緻密にみると、石橋生庵の日記『家乗』延宝9(1681)年1月10日に記された鹿野武左衛門の「福居徳庵門札」など13演題が、落語の題名として最古の記録だという事なので、寛文・延宝年間に辻噺を始めていたとされる露の五郎兵衛が人物として最古、文学上の落語劇作家として最古なのが鹿野武左衛門でいいかと。

 したがって茂木さんがいう「落語関西起源説」への無批判追従は、単なる自文化中心主義者または文化ナショナリストらがよくいう「何でも韓国起源説」やその批判の関西版みたいなものへの自殺点にすぎず、現代以後の議論をする時にも、権威づけの起源にするとしたら特に大阪にその権威は元来ない事になる。
 落語題目の文献記録として江戸側が日本喜劇史上、今のところ最古と考えられるので、「落語の起源が関西側にある」というのは間違った事実認識ともいえる。もしそう主張したければ鹿野が直接、ほぼ同時期に関西で行われていた五郎兵衛側の辻噺を直接まねた証拠を挙げなければならないでしょう。

 勿論これらは今後の日本内の喜劇の展開にとって枢要な議題ではないかもしれないが、「何でも関西起源説」の根底にあるのが「何でも韓国起源説」に似た、地域ナショナリズム或いは自文化中心主義であるという事は見逃せない。その種の偽の権威づけが実力勝負に陰を落とすのは確かでしょうし、陸でもない。

 それと。
 或る種の明治人帰朝者風の英米出羽守式「ハイカラ仕草」で、茂木さんはここで日本側の全喜劇を土着的で洗練されていない要素で満ちているとして全否定している様子だが、元々、人の心は多様で、全てがその種の英米側の喜劇に包摂されないでしょう。勿論喜劇的情緒でも同じかと思われます。よってあなたは一種のハイカラ帰朝者地位話をしていると解釈する事もでき、それによる啓蒙面で日本側で現に生きてきている人の心を酷く侮辱している面もある。余りに心の理論が未発達。特に文化多元性の熟知に関し信じられないほど雑なのですね。自文化植民地主義というべきその粗暴ぶりには呆れ果てる。
 思うには、茂木さんがこの種の明白なスノビズムを主張する様になったのは、イギリス風俗喜劇からの影響が大きい。その影響下にある勿体ぶった教養貴族的要素を、他の全喜劇に当然履行すべき所与の要件として直接あてはめてしまっている。単純に分類の誤りというか、そのミームを受けない流儀もあるのに。 

「東京のテレビ、視聴者に吉本の笑いが受け入れられた経緯には、ストリート系、関西の文化に対する寛容が「政治的に正しい」という意識もあったように思う。一方で、現場の東京の演芸関係者からは、本音の部分では反発の声も聞く。笑いの文化は東西で違う。吉本一辺倒は見直される時期に来ている。」
――茂木健一郎
𝕏の投稿、2024年2月18日午前11:33

上述の様、きのうは関西括りで現地の喜劇文化を攻撃し、今日は日本括りでそうする。しかし文化多元性の観点からみれば、どの地域独特の喜劇であれ、理知的要素を必ず含まなくてもいい。つまりあなたはあなたの信じる特定の形式主義を全喜劇に押しつけているといえる。それはあなたの多文化理解度が低いせいです。

 確かに英語圏から風俗喜劇系だのあなたの挙げたダグラス・アダムス通俗SF系だの、棒立ち芸系だの、何か持ち込んで国内に新潮流を作り、時にそれが理知的要素導入や江戸落語の復権でも、公益に適えば有益じゃないでしょうか。
 でも他の喜劇を弾圧はよくない。色んな喜劇があればこそ人々の心が慰められるのでは。

 また、純粋に哲学的に申し上げれば、主知主義は諸思想の一部を占める一理想論にすぎず、あなたがここで言う様に、諸感覚の戯れごとを単なる「最高の知性」とやらにのみ還元できないのは、芸術論としていうまでもないです。それは思想史上は初歩的な部類の過ちなので指摘するのも億劫ですが敢えていうと。

京都人と東北人

東北のひと卑しめる京都人されども我の大切な人は青森にいる

没落した疑似貴族仕草と貴族義務の履行

きのう𝕏で話しかけてきた京都人
色々訳の分からない差別的偏見を持っていた
でもよく5chとかで似た事言ってる場合があり
典型的な関西風の発想だと思ったので
わざと調子をあわせつつ話を引き出してみた

先ずノーベル賞受賞者は関西人が多い説
これは正確には人口比で現れるだけだ
だが彼は地域民族主義の理由づけにし
民族的優越性の証拠みたく語っていた
コピペになって5chで踊る文句なわけだが
一種の稚拙な関西ナチズムといったところ
内在的に関西人種優越論を含むのでたちが悪い
全く無視すべきだ

次に学歴差別を語る
進学率で関西地方が東北地方に優越するという
なぜ態々東北を持ち出すのか観察したのだが
どうも僕を東北人だと思い込んでいる風だった
余りに地理の知識がない上
京都人特有の驕りもあって見分けつかないらしい
あの調子で文化庁などできた試しではないから
近いうち失敗する筈だ

更に収入差別の様な事を語り
しかも学歴差別と一対一で関連づけていた
似た事をいう奈良人と親しくなった時があった
どうも関西地方の一部にはあの種の昭和風が残り
まだ高度成長期的金の卵感覚でいるみたいだった
総じて色んな点で時代遅れ
個人の生き方の自由度が低く
会社員年功序列社会なのだろう

また京都弁が世界標準語だと思い込んでいた
それは山城地方の外に出た事がないせいだ
元々IQが低いのか
多言語話者になるつもりもなさそうで
標準語教育の意義も理解していなかった
憐れな中高生といえばそうだが
首都圏の大学でも皆が関西弁と考えていた
悪い意味でどいなかの京都限定の話だそれは

全体として彼の思考の特徴は
諸々の知識から自分に都合のいい所を引っ張って
空しい自己愛を補完するというもので
よく自己像の不安な子供の頃にやりがちかもしれない
旧門川市政があの種の「京都プライド」を教え込み
完全に差をつけられた東京に
一種の自負を持てと指導していたが
その失敗作だった

キリスト教7つの大罪の一つ プライド
驕れる者は久しからずと『平家物語』冒頭にある
彼がもし広い世界を知ったら
きのう僕に言った無礼な言動を幾らか反省できるか
それでもなお自分に都合がいい確証偏見あつめで
益々虚栄心を高めようとするかは分からない
だが彼の心根まではきっと治らないだろう

僕が少々探りを入れる為
(というのも相手は匿名で出自がわからなかった)
京都弁は一種のブランドになると言ってあげたら
やはりそれに乗っかって喜びを隠せなそうにしていた
当然皮肉なのだが気づかない風だった
唯の下郎まで古都の貴族面してきて
実態が伴っていないからドン・キホーテ仕草になる

幾らかは憐れさもあり
一体どうしたものやらと感じ
和歌を書いて送ってやった

やましろのいづこに暮らせる人の声 文字ではきこえぬみやびやかなあと

彼はアクセントが伝わるだろうというのだ
京都弁の発音だと標準語の文でもわかるだろうと
(わかる訳ない)
要は関西の田舎で疑似没落貴族ごっこだ

根本的な彼の問題は利己主義の性格にある
自己のIQを劣等感に感じる風で
学歴や収入で性悪を偽装したそうだった
でも後天的装飾にも限界がある
どんな身の上でも素直でまじめに生きる人は尊い
人は言動で尊くも卑しくもなる
己の優越を根拠に驕るべきではない
寧ろ強者こそ自ら利他の負担をおうべきだ

一切の差別なき県

さっき京都の人っぽい人に絡まれた
相変わらずの京都勢だった
もう𝕏ブロックしたからいいと思うけど
本当に性格がきつい
いつもの京都プライドとやらで
物凄く無礼なことを連発してきた
ネットだと本性だすからどうしようもない
でももういいと思う
何度同じ経験した事か
吉本興業叩きで関西煽るもぎけんが全て悪い

もともと天皇一派自体に問題があった
そうでなければ善人だらけになっていた筈だ
現実は旧魔王城級の怪物だらけになっている
天皇の家の周りに住んでいた人達が
とんでもない性悪だらけになるとは何か
しかも引っ越してもまだそのままとは

その人がいうには
東日本は東京以外行く価値ないみたくいう
ただ低知能なだけだろう
大阪以外西には何もないとか
NY以外アメリカでないと言う様なもの
低知能な人々が集まって虚栄心が肥大化し
遂には現実認識自体を歪める様になった
しかもそれが千年以上続いているので
誰も救えないという話だ

神道信仰は人種差別教義を兼ね
周囲の人々を洗脳すると中華思想に感染させ
華夷秩序意識を植えつける
こうして教祖の住みかから遠いと野蛮とみる
古代中国級の狭隘な自惚れという話
今の中国人でもそんな事いう人みない
認識自体歪んでいるので一朝一夕に直せない
完全に終わってしまったのだ京都は

思うに都市文化自体に
或る種の下種を孕む原因があるのではないか
格差が大きいほど底辺の質も下がる
京都勢の底辺の無力さは
地域ナショナリズムによってしか補完されない
だからネットだと常に驕りを傷つけられ
色んな地域外の人に喧嘩を売って回る事になる
格差社会内での抑圧の外部移譲なのだろう

天皇の虚構を続けている東京も
巨大な抑圧装置を京都から押しつけられた
それゆえに元からあった身分制の抑圧移譲を
更に変形させながら全国区へやる
23区内でも諸々の格差で攻撃しあっている
実に醜い
全ての根源にあるのは天皇の絶対権力
抑圧の原因がある限り第二京都になるだけだ
完全な反面教師

自由な国とは内部に抑圧のない国だ
わが県はその様な場にしなければならない
具体的には権力機構を絶対化させない事だろう
米国の人々が現にそうしている様
全構成員を地位可変にしておき
誰もその中で特権を付与されない必要がある
地域ナショナリズム主要発生因は
身分制風抑圧装置が内部にある事だ

なぜ京都人の相当数があれほど陰険なのか
それは内部で抑圧装置に絡められ
少しも心の晴れる見込みがないせいだ
いわゆる洛中から差別され抜け出せない
だから外部を見下しつつへ京都勢だと主張
体育会系の後輩イジメ式に自惚れを補う
腐っても京都と言いたい訳だ
唯の虚勢が地域の没落に直結している

本来そんな抑圧移譲をしている暇があれば
少しでも自己向上に時を費やすべきだろう
外部者には迷惑でしかなく
内部者にとっても有害でしかない八つ当たり
それを繰り返す形で京都は落ちぶれてきている
大戦後のイギリスの趨勢も暗示している
根本原因が域内での差別にある限り
我々には変えようがない

だから差別の風は全てなくす必要がある
誰でも等しく尊重され
誰でも等しく自己実現できる県でなければならない
京都人一般は東京にしか目がついていないが
我々はどちらの欠点もよくみて
それどころか世界中の国々をあまねく参考に
考えうる限り世界で最良の自治体を作るのだ
誰もが幸せになれる県を

前進

僕は年老いてしぬ
それ自体なかなかいい事だ
こんな地獄の世界は一抜けしたかったが
とりあえず戦う事を選んでもう随分たつ
ろくでもない人間どもがみな亡ぶまで
飽くまで正義の道を辿り続けよう
最善の道を歩んでいる以上
ほかなにもできない
常に最高の戦いをし
前線へ

2024年2月19日

欧米準拠の恋愛理想論超ナチス達

欧米準拠すれば天皇一派の連続強制性交等致死傷罪は無視、どころか賞美。その様に皇族特権乱用を美化している『源氏物語』登場人物らはみな不幸になり、性被害の絶望の余り自殺未遂後出家した者すらいるのに、日本人女らは東洋主義の色眼鏡でみてくる欧米人一般と天皇一派に媚び諂って途端に大礼賛。
『鬼滅の刃』『光る君へ』『源氏物語』での人身売買や性加害正当化は瀧波ユカリら女性主義者や茂木健一郎ら技小僧が完全無視。恋愛理想論者は欧米基準だかららしい。その醜い権威主義の二重基準で、今度は浮世絵展の超ナチ式大弾圧に走る始末。表現の自由を守る気が寸分もない未開ぶり。流石東京都。

モギった大魔王と大吉原展弾圧のウィルス解読による勇者の反撃

もぎけんは一般に勉強にならない。とても疲れる。彼の𝕏やYouTubeでの発信の中には、脳に関する知見が希に含まれているが、それしかよくないのだ。脳についてはさすがにかなり詳しいが、サイコパスは神経科学では扱わないとか大分いんちき臭い事もいう。他の神経科学の知見もみないと知識や認知が歪む。

 僕は10年くらい𝕏でもぎけんと戦ってきた。それは彼が言う事が一々おかしいからだ。もうみんな分かっているのではないか。僕が散々指摘してやるまでは大勢、頭の足りない人達がたかっていて、彼の単純に間違った意見を崇め奉っていた。例えば坂本龍馬が「船中八策」を書いたとかだ。科学的に偽である。
 今現在も彼は大吉原展の弾圧で、色々厄介な論争を引き起こそうとしていて、それは色々我々絵描き側に影響を与えうる。しかしコロナ禍での賄賂五輪強行を代表格としてもぎけんの過去やらかした色々な反社会行動の中でも、この案件は一定程度、日本美術史に影響を与える可能性があり、自分は慎慮している。

 一連の事件が終わるまでは未来がどうとでも変わりうるので、著名側の放火犯・瀧波ユカリ氏ともぎけん両氏による「大吉原展弾圧事件」の完結をみたら、自分が観察してきた一部始終は、そのなかみを詳しく分析しながら開示したいと思う。
 彼らは言論弾圧の首謀者として歴史に残る事になるかもしれない。

 似た様な芸風で、昔、イケハヤなる放火ブロガーがいた。彼も所謂サイコパス性が高く東京煽ってその炎上の熱を広告収益に替える形でネットでは、少し有名になった人だった。
 彼も金儲け技を煽り記事に混ぜる火薬作法だった。自分がそれは悪趣味と指摘したら彼は自己矛盾した皮肉みたいな返事してきた。
 もぎけんの芸風は事実上、イケハヤと同じ火薬作法だ。彼らを天然サイコパスと考える事もでき、反社会的な言説を自然にしてしまうので、なぜ自分らが炎上するのか凡そ無自覚らしい。人々が彼らの公害に傷つけられ怒る、その炎を換金する形で無限に金儲けてくる。ヒルズ族系やひろゆき一味とも似ている。

 ウェブが影響者と呼ぶ放火発信者らは、古代アテナイでいうソフィストこと知恵者と似ている。相対主義の視点をもちこんで常識を壊すので一見、思考の自由度が上がる様に見えるが、元々は的外れな邪見がサイコパシーに由来しているのでどんどん影響される愚民の間で倫理崩壊が進む。その姿が今の東京だ。
 いわば厄介者達に大金を注いでしまう注目経済がその衆愚政治の原因なのだから、社交媒体を作る側にも大きな責任がある。大衆媒体もSNSの風下になっているので、国単位で彼らの悪影響が益々大きくなる。だからその中でも大ボスなもぎけんと僕は集中的に戦ってきた。でもそろそろこの章も完結編と思う。

 まだ勝利宣言には早すぎるとはいえ一定の見通しが立った。だから巧く行けば来年には完全に状勢が変転している筈だ。形勢逆転の一手は、彼の大吉原展に関わる俗物根性風の言説中にあった。自分は飽くまで絵画専攻として研究の蓄積があるので彼の組んだ疑似人道主義ウィルスの計画まで全て透けて見える。

「モギる」がTwitter時代のバズニュース動作「ツダる」に続く𝕏発・流行語になる日が近いと言っていた人がいたとか。意味は「知ったかぶりで世間の怒りを買う」。
 モギった言説らの中でも大吉原展のそれは、知ったか大魔王の彼が自滅する主因になると私は予見する。
 まだ油断はならないが為せば成る。

ましな愚かさと衆愚の結集

愚者の間で賢者は評価されえない。愚者には賢さがそうと分からないからだ。また愚者の間では彼らに手が届く程の少しだけましな愚かさが、賢さと誤認されている。だから或る集団が衆愚である、といった状態はたやすく生じているし、現に、𝕏をみていると少なくとも日本語圏一般がそんな場になっている。

負の旧三都比べ

確かに東京人は冷たい。実際に新宿駅で転んだ女性がいたのに大勢通り過ぎていたし、雑踏でげろ吐いて倒れてる大学生らしき男を助けて救急車呼んだ人も自分しかいなかった。
 しかし問題は大阪人のお節介さや京都人の意地悪さにもある。梅田のコンビニでドヤされたし、京都駅で通りすがり陰口いわれた。

頭の籠

知能の落差は或る種の籠の様なものだ。
 ある人に見えているものが他の人には見えない。それは籠の中の鳥には青い空が見えないのと同じだ。
 ある籠は宇宙全体より大きい。だが、その籠は神のもので、人々はおのおのの籠の中にいる。

師弟の虚構

全然尊敬すべきではない人を「先生」と呼ぶ人々。彼らは特定の知識を人格の尊厳と混同している。そして教育制度自体が作り事だと示す形で、礼儀の心を損なっている。
 漱石も似た事を書いていた。「先生」と呼ぶ時、その種の揶揄の形を幾らか含意している事があると。東大の博士号を辞退した彼らしい。

𝕏上で2024年2月13日に返信した大吉原展弾圧勢の風刺劇

確かにあなたのおっしゃる通りですね! 『鬼滅の刃』は漫画版原作で善逸が炭治郎に遊郭を知らない男は劣ってるみたいにいって遊び人ぶりを自慢しますし、一度も人身売買や性売買を「男目線」で否定する文脈で主人公らが郭の中での出来事を経験しない。よく考えられてるなと思いますよ、書き手は女ですし。それに、あなたの論考が著しく正しい点は他にもあります。実に精確無比だし、解釈もまともで正論かつ科学的だなと思ったのは、江戸幕府が1617年、江戸町人の庄司甚右衛門が既に京都や大阪にあった遊郭の営業許可を何度も断ったのにしつこく願いあげるので渋々出したのは、恐らく女を虐める為だけでした。

 また、1661から1673年の寛文年間に、政府が禁止と言ってるのに江戸市中にまた溢れてしまった私娼を、禁令を出しやむなく吉原送りにする様にしなければならなかったのは、恐らく当時としても、処刑するより冷酷な対応だったでしょうね。禁じている事をやりたがるのだから江戸女の性道徳が一律に高かった。恐らく、人権思想が西洋から明治期に流入する前の事でしたし、斬り捨て御免もなかったですから、今の東京都民よりずっと江戸町人らの地位は高かったと思います。だからこそ私娼へ処刑より温厚な対応をしたのは酷いとの意見もありますが、『コーラン』では婚外交渉は死刑ですし、その場で斬るべきだった。

 なお欧米諸国では1863年のリンカーン「奴隷解放宣言」前にはあたり中に現実の奴隷がたくさんいましたが、ちょうど日本ではイギリス艦が鹿児島に砲撃したころでした。英国奴隷貿易の植民地にならなかったのは、飽くまで吉原の外の一例ですが、亀遊の様に或る種の美学を持った遊女もいたせいでしょうか?
 因みに年季奉公が建前だけだというのは我々にわか文化人類学の知識程度でも重々、常識ですのでね。ほかの国の奴隷は解放される事はまず終生ありえませんでしたでしょうが、江戸幕府は正に明治政府からの負の偏見づけ喧伝どおり、私娼あがりを許してやって刑罰がわり奉公後は無罪放免してしまっていた! ですので、子供の時点で親が売り飛ばすという最悪の風習が当時の日本人9割近く占めていた農民や町人の貧しさとか、日頃の飢饉から全国殆どで当然行われていた間引きよりましだとの親心だので、吉原や島原など遊郭の女衒にうりとばされたのは歴史的悲劇ですね。ただやったのは全国の困窮した親ですが。

 明治政府こと幕末の西軍は暴虐で徳川家をおいたてて、本宅へ強盗にきて、西洋の猿まね政権を作ったが相変わらず、吉原遊郭の営業を続けさせていました。大体、山口県から出てきて初代総理づらの伊藤博文は、遊郭狂いで実に有名でしたのでして、当然やめさせる筈もないわけです。だから花魁の油画もある。
 総じてあなたの意見の通りだと思います。だからして。
 全て正しいんじゃないでしょうか。
 もし大学の美学や文化人類学や、史学の試験だったら、まず100点満点でしょう。どこにも欠けた所のない答案を出すくらいですから、あなたはきっと恐るべきご立派なご先生がたの下で、ご学問にはげまれました。

 丁稚奉公という形で今のパナソニック社の前身、いわゆる松下電器を興された松下幸之助さまは、幼少期に親元から離され随分さみしい思いをしたそうですね。町人や遊女に限らず、農民の間でもそうでした。当時はこれといって決定的な避妊方法がなく多産でしたし、そのため自然貧しいので奉公人がいました。

 日本文化人類学会の第57回研究大会で龍谷大学の杜崢さまのご発表になられたことごとによりますれば、少なくとも江戸時代前期において「色道」なる概念が存在し、今の時代のセクシャリティとは随分おもむきが異なっておりますね。妻や妾、奉公人とは別に遊女には芸事があてがわれ、雅を追求していたと。
 ご覧になったことはございますか? 勝山の考案したとされる外八文字を? 京の雅とはまた別の情趣がございます。嘗て江戸市中で禁じられた湯女として春を売り、結果、罪人として送られた吉原で小粋な彼女の一人作り上げたかもしれないそのよろめきは、或る種のコケティッシュネスの表現かもしれません。伝統と呼ぶにはおこがましい。初めの漫画家の方が仰るとおり、ご出身の北海道の釧路はアイヌのかたがたの頃はどうなっていたのか私めは甚だ寡聞で、お恥ずかしい限りまだ存じ上げませんが、日本最大の遊郭の一端で、花魁道中を見物できたのも公認たればこそ。彼女らは職業娼婦でしたが期間もある御奉公。
 そうですね。西洋の娼婦ともまるで違います。何しろあちらの高級娼婦たちは自ら志願するなり、やはり貧しさの為に売られた。中には大変申し上げにくい事ですが生涯性奴隷も。けれども、江戸、明治、大正、昭和と続いていた吉原遊郭の様子はどうだったでしょう。今となっては遥かな霞の奥、浮世絵の中に。わたくしどもはもう浮世絵をみる事もかないません。今はポリティカルコレクトネス、ですか、そんな時代。そう、フェミニストのかたがたが。しかもラディカルな。女性の権利を声高に語る今となっては、決して見る事はできないので。そう。遊郭の中の様子は、です、永久に歴史の闇に沈んで。見る権利も。

 大変残念に思われている事は、あなたのご発信の節々に痛々しいほど感じてございました。わたくしとしても如何ともしがたいのです。唯の通りすがりでございます、名もなき庶民で。何の意味もない返信をさせていただいたのは私には遊女の中に忘れがたい人が約2名ほどいるのですね。2代目高尾太夫と小紫。
 あああの高尾太夫は立派だった。操を誓う鳥取のお侍に情を移しているがばかりに、伊達家のご当主の方に今にして5億円も身請け代をだされてもまだ身を許さぬ。逆さづりで斬られてしまった。見物人の一人が描いた浮世絵が。それは作り事でしょう。余りにむざん。
 小紫の方はといえば……、花魁ともあろうものが権八になど気を許して。あの権八のものはやくざ者で130人も人斬りをし血気に任せて、また大金のかかる遊女の頂点の小紫と会おうとばかりに通い詰める。所詮強盗でとったカネ、悪銭身に付かず。結局、役人に捉えられ斬刑となりましたものの、その小紫が……ああ!可哀想に……涙が。身請け人がきているのに権八の墓前で自害などを。なんとむなしいことでしょう。花魁の身の上は。そのまま年季をおえれば既に若くない。だからその場で自害を。
 ですから、あなたのおっしゃる事はよくよくわかります。あんな制度ろくなものじゃない。花のお江戸など誰も彼もが人でなしです。心がない。

 6代目高尾こと榊原太夫だった女は、小大名にもらい受けられました。それもまた一つの道。けれども国元へついていっても誰もの年齢が儚かった時代、すぐに世を去ってしまった夫のもとも去ってどこへいったのやら。
 花魁たちの絵。そんなものみるべきじゃありません。彼女たちは娼婦。西洋の婢同然。

 そうですね。浮世絵師たちはだまっておけなかった。ある妖艶な美を称えている彼女らは、囚われの身。年季奉公を終えるまで若い肉体は金持ち達の玩具。江戸の町人道と称する凌辱の日々が、決して楽しかったとも思われません。中には性技だの恋の技だのを娼婦なりに身に着けもしたでしょうが、所詮籠の鳥。さながら、いまでいうならば。佳子内親王殿下のあのお言葉、あぁこれは口が滑りすぎた。
 籠の中の鳥といったお人は諸国にございます。そうですね、西洋でいえば姫。囚われの身にある彼女らのお心がけを騎士が救いに入る戯劇がよくありますでしょう。ロミオとジュリエット、そうですね。権八と小紫も又。華道 茶道 歌の道 書道に恋文のしたためかたまで、よくもまぁあれほど懸命に教養教育をほどこそうとしたでしょう、高が娼婦とはいえお大名のかたがたのお相手をするにはそれなりの格式といったものが。けれどもその時代も、武家の儒学かぶれであっという間におわり。途中では無作法な格子女だらけに。
 京とは違います。お公家さんがまずいらっしゃらない。それは稼ぎ方が違います。ですから、途中から恐らくもっと下品になってしまいましたよね。そのところだけみるかぎりは苦界と罵られてもなんの疑問もない。ただし快楽はついて回ったでしょうが、それも京の雅とは程遠い変体。しかも強制ときている。苦界と書かず公界と書く。こじゃれた趣向と思ってくれたのは教養人のみ。通人は絶えてとうに久しく、性奴隷を美化するなと大いにお叱りをうけあの大学も最高学府と称する格の手前大いに狼狽し、謝罪文などを。弁解とも弁明とも思われないべらんめぇに過ぎませんが、まぁ精々、空界と呼ぶのがふさわしい。花魁道中を残すのは今は全国でも遊里の跡が残る一部のみ。𝕏世論の厳格さが益々強まる今となっては夢の跡。どこも永久に消え去っていく魔法のようなものでしょう。我々単なる市井の無学な下民といたしましても、まぁ少々の無念は感じるもののやむをえない趨勢です。国連のお咎めを受ける前に区界撤退か。
 さぁ桜鍋でもご賞味あれ。ご存知でしょう。吉原遊郭発祥の凝りにこったあの郷土料理を。それくらいしかないのです。あとはつまらぬ私娼どもが、ただそこらでうらぶれたくらしを。誰にとっても見るべき影はありません。今は昔。桜の花びらと散っていってしまったあの遊女の面影がほら鍋の中にちらりと。

ビンタもせずに

日本では異端児ウーマン村本ニューヨークの街角のラーメン屋で偶然隣に座ったクリスロックに気をよくし ビンタもせずに 嫌いなパクチー入りのとあわせラーメン2杯分のかねを払って去る 素敵な街ニューヨーク 特別な街ニューヨーク

大魔王

某脳科学者の極悪非道ぶりは信じ難いレベルだ。だから僕は彼を大魔王と呼んでいるが、本気でそうなのだ。彼は汚職で塗れた東京五輪をコロナ禍のなか凶行したがり、反対派を口汚く罵りながら冤罪BANを連発していた。周りにいたのは明らかにネオナチだった。ホロコースト犠牲者揶揄ギャグを正当化していた。

鈍感の呪い

感覚の鈍さとは愚かさの様に一種の呪いである。その長所ともいえる点があるなら、鈍感さのあまり人をどれほど傷つけても平気な事くらいかもしれない。勿論それが長所たりうるのは彼自身が陸でなしだと周りに公然と示す露悪ぶりの為だ。もし十分に鋭敏なら、彼は自らの利己性を狡猾に隠してしまうだろう。

迷い人

才能がない人と関わっていると時を無駄にする。才能がない人は、いわば一人で迷路を守っている様なものだ。すぐに脱け出てしまえばいいのだがその方法がわからない。

勇者の資格

僕にはどこにも逃げ場がない
この世界のどこにも
どこへ行っても敵しか現れなかった
人類は天敵だった

それというのも自分の魂が余りに善
余りに澄んでいて
他の誰とも違うからだった

だがその勇者の資格ともいえる魂が
同時に完全な孤独の原因でもあり
僕にはどこにも休息所がない
戦いの現場しか

江戸大衆喜劇の美学と対比した、ダウンタウンの雛壇芸の反知性主義について

江戸時代の江戸側の大衆喜劇は、全然詳しくはない自分も知ってるかぎりテレビドラマになった講談『水戸黄門漫遊記』の正統的な勧善懲悪劇だの、落語『芝浜』みたいな拾った銭でのんでしまうダメな夫を密かに貯金して支えた妻の深い気づかいと、それに気づいた夫の更生を描く人情噺みたいなのもあった筈。
 当時の大都市で並び立っていた大阪や京に比べ、武家の都市という面に配慮した、江戸町人独特の興味深い大衆喜劇が進化していた。言葉遊びの妙や、親しみ易い滑稽味を伴って時に知的に洗練された洒脱なユーモアをちりばめ、人らしさを深く穿つ面もあったのも事実。粋やいなせと呼ぶ独自の美意識もあった。

 それに比べるとダウンタウンがもってきて東京で作り上げた雛壇芸は、出演者らの個性を見分けつつやくざの親分子分関係みたく微妙な空気を読み合って、心理戦で巧く浜田大親分に殴って貰うと成功なる「マルチプレイヤー・ボケツッコミ」形式に終始していた。それは表層的な話題で機知のみ問うものだった。
 しかも松本・浜田両名はこの雛壇形式をあらゆるところで応用しながら歌番組やワイドショーに進出、空気を読める賑やかし子分を量産して、東京のテレビ芸能界を席巻してしまった。
 同時に子分が性接待の手配師を兼ねていたとばれたと今となっては、雛壇芸は反知性主義の開き直りだったとも考えられる。

思想史の教育可能さと思索の教育不可能かもしれなさの別

「哲学は、それが歴史的認識(引用者注、≒思想史)でない限り決して学習できるものではない。哲学では理性に関する事柄について精々、知恵を友愛する様に深く考える(philosophieren)事が学べるだけである。」
――カント
『純粋理性批判』865
 フランスでは「哲学」を科目として教育している様ですが、カントが言う様、文献や講演などの客観的知識の体系である「思想史」以外の、自らの思想を生み出すべく自力で考える「思索」部分では、教育者自身には指導不可能とみる向きもあります。
墳せずんば啓せず、悱せずんば発せず。
――孔子
『論語』述而第七、八

現代語訳の例:
先師がいわれた。――
「私は、教えを乞う者が、先ず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。」
(下村湖人『現代訳論語』)

関西ノリの喜劇会話形式は関西地方外の人の相当部分になぜ困るか

日常でも関西人から、初対面で侮辱されたので何という無礼者(昔なら仮初にも切り捨て御免級)だろうと思ったら、「イジリ」とかいう関西ノリだったらしい。その人は奈良から東京へ出てきてた人だったが自分はそれで酷く印象を害して後、「ノリツッコミ」「オチ」など関西では会話形式が違うと知った。

 また大阪へ旅行中に逗留したら、電車の中で小学生くらいの子供2人が漫才をやっていて本当にびっくりした。大いに文化衝撃を受けた。日常会話が漫才風とは。
 幾ら大阪や東京のテレビを吉本興業が牛耳ってるからといって、関西地方の外で喜劇形式で話しかけられると凄く困る。我々はお笑い芸人ではない。

2024年2月18日

打落水狗

英国通 脳科学屋の出羽守芸 苦笑い教でまっちゃん叩き

女迷路の基本脱出法

英雄色を好むとは一理ある
なぜなら性欲はテストステロンによる
なので男性ホルモン値が高いと
自然に性欲が強い行動をとりがちになる

自分はこの問題をかなり考察してきた
結局いえる事は
女色が破滅をもたらす傾向にある以上
英雄性は根本的に矛盾しているという事だ
また重要なのは自己統御だ

自己統御自体
テストステロン値が高いほど難しくなる
よって潜在的英雄度が高いほど
ある意味では自己統御しがたくなる
だが破滅を避けるにはそうするしかない

この主題を巧く切り抜ける事は是非必要だ
自分も試行錯誤してきたが
最も単純な方法はミスをすぐ修正し
しかも端から悪女を極力避ける事だ

人の身なので
しかも高男性ホルモンも正の面をもつので
英雄は必ずといえるほど女でミスは犯す
しかし過ちや罠 危険に気づいたら
即座に軌道修正すれば大概難を逃れ得る

元々英雄と言えるほどなら
叡智も備えていなければならない
それなら何が過ちか判断もつく筈だ
ミスの修正は早いほどよい
その際の未練も潔く一切捨てるべきだ

悪女と善女の区別は一定の慣れを要する
だが普段の言動を長らく観察し
その女が誰かへ敵意を発揮していれば
それはやがて自分にもくるとみていい
自分にだけ都合よい人格などありえない

貞徳の欠けた女は悪女である
見た目や媚態を無視せよ

愚かな女もまた悪女の一種だ
その女は愚行で同行に禍をなす

悪女と考えうる者に同情するな
悪女も女とはいえ飽くまで悪人である
悪女への深情けが無罪の己の命取りになる
悪女は必ずといえるほど罠にかけてくる
それは根性が悪いせいでもあれば
愚かさの余り誤解を重ねるせいでもある
だが幾ら時間をかけても治らない
悪性は生まれつきの面が甚だ大きいからだ

だから悪女を悉く避ける事が身を守るのだ
もとより敵とみて近づくな

善性を帯びた女しか付き合うに値しない
幾ら美や媚態の面で悪女が偽装していても
それは毒蛾の羽の怪しい模様や
蜂の鮮やかな警告色の様なものだ

若いと特にこの問題を経験で学びがちだが
賢明な者は早く女迷路を抜ける必要がある

それぞれの業と人生

あばずれらは自分の因果の責任をとる
貞女はそれとは違う人生を辿る
遊び人らは自分の因果の責任をとる
硬派はそれとは違う人生を辿る

日本画という美術用語または概念の最初期文献記録

第一 油絵ハ日本画ニ比スレハ実物ニ疑似スル事猶写真ノ如シ 然レモ是レ余カ説ニ於テ曽テ善美ノ基本トナス所ニアラス……
――アーネスト・フェノロサ
(1882年の発言)
美術真説』フェノロサ・述 大森惟中・記、竜池会、明治15(1882)年11月


かくの如く日本画は心の外に心なく、意をもって成立し、もしこの精神を欠けば日本画の系統は絶滅すべきのみ。
――岡倉天心
(1890-1892年の発言)
彼が、明治23(1890)年から明治25(1892)年の3年間にわたって講義した東京美術学校での「美術史」と「美学及美術史」講義の筆記録である岡倉天心『日本美術史』足利時代(平凡社ライブラリー 377、2001年、168頁。底本は平凡社『岡倉天心全集』4巻「日本美術史」)

2024年2月17日

無節操な国政破滅論者たちとその断罪

三浦瑠麗の信者一味は一体いつになれば安倍晋三の御用学者を崇め
わが国をこれ程ボロボロにしてきた責任を取るのか?

茂木健一郎や東浩紀や津田大介らは皆兵論者三浦とつるみ
散々安倍独裁をアシストしていた自殺点を今更どうするつもりか?

舌の根も乾かぬうち高齢者抹殺論者成田悠輔をもちあげ
AI工学者専制を主張する落合陽一とつるみ
今度は新マルクス主義者の斎藤幸平を極左や愚民と大プッシュ
節操のない東浩紀や茂木健一郎界隈の外道は
わが国政を破滅にいざなってきた責任をいつとるのか?

極悪西軍と天皇一味の歴史的断罪

極悪の薩長土肥ら西軍と天皇がつるみ内外侵略 人を傷つけ欧米猿真似 何と卑しく浅ましい心底陸でもない蛮族共だったろう! 僕がSANAAで握手した韓国のカリフォルニア工科大留学生ションさんは僕が「戦前の事は済まなかったと思っている」といったら「皆があなたみたいだったらいいんだけど」と答えた

不正の塊 欧米信者

地獄みたいな欧米社会
そこで偉がる偽物たち
更にその偽物たちをまねる日本の偽物たち
欧米列強のやった事と言えば原爆投下 植民地奴隷制
あとは不倫の子を崇め他国で虐殺と人種差別
茂木健一郎や天皇一味が必死になって崇めるわけだ
魂の汚濁ぶりならそっくりなのだから
不正の塊 欧米信者あさまし

茂木健一郎の手のひら返しにみる肖像画家や写真家らの職能否定

茂木健一郎はアーティスト写真を散々叩いていた
所が自分が気取った感じのを写真家に撮ってもらうと
途端に様々な所で自分用に使いだした
要するに羨ましかっただけなのだろう
何と幼稚な人だろうと思うのはまだ早く
肖像画家や写真家らの職能を侮辱していた事へ謝罪もない

肖像画を描くのは簡単な仕事とは思えない
自分もいくつか描いたが
要するにある人物の本質を抽き出さなければならない
写真家はそれをあとからきて真似ているともいえる
唯のスナップ写真がいいんだと言っていたのは当人だ
それならプロの肖像写真を使うのは矛盾している
彼には日々本当に呆れてしまう

イギリス基準と幻想欧米基準への手のひら返し西軍系自主二重準拠と西洋主義の偏見

2013年の春画展はいいんだという
2024年の大吉原展は絶対ダメだという
なぜなら原爆投下後イギリスに準拠
(かつて鬼畜と呼んでいたはず日帝主催の佐賀人らが!)
日本側は偽の幻想欧米基準にも準拠せねばならず
それは捏造された性表現厳格主義なのに違いないから
西洋への偏見は現実とあべこべなのに

芸人政権太鼓持ち戦犯

山本太郎級のゼレンスキー芸人政権を
欧米の喧伝にのまれて大称賛し
金まで供出してきた悪魔どもは
一体いつになったら戦争賛美をやめるのだ?

とある脳科学者と某BBC記者による英国文化侵略の共謀罪

BBC記者ルパート・ウィングフィールド・ヘイズの悪意の同調者はザハ事務所に訴えられつつ新国立競技場を無理やりダサくし大称賛 他国の独自進化した大衆歌を人々の心ごと酷いキモいなどと口汚く罵りながら ドネツクとウガンスク民をも芸人政権と無人ドローン爆殺 お次はプーチン民主政権へ内政干渉

日本の個別性を顧慮しない欧米準拠の暗面

今の日本法では女性が純粋な悪意や気分の変調でリベンジポルノし放題なので、寧ろいい子の男性から被害にあいます。女性主義者や性被害者と称する側に必ず善意があるとの考えが欧米流の偏見で、必ずしも日本女の現実に即していない。性からの撤退が続く中での欧米準拠は出生率の息の根を止めるでしょう。

ケンブリッジ靴屋

子「裸の王様の周りで裸の王様をほめる大人が何か言ってらー」

母「こらっ。いけません。あの人達はね、イギリス出羽守というの。天皇という大量殺戮犯と一緒に世界海賊団をまねるのが仕事なの。佐賀から出てきた世間知らずで、人間性がわからないのよ。だから言っちゃいけません」

子「だって裸だよ」

自称コメディ実質いじめ

欧米諸国のビンタ喜劇の蛮風にへつらって自称コメディ 英国出羽守対とにかく明るい安村 なにもかもが下らない なにもかも醜い なにも笑えずなにも面白くない なぜなら人を傷つける事は犯罪で それに気づかぬサイコパスどもの芸など少しも尊重すべきではないから 人でなし下郎芸など一切要らぬ

天皇含むあしき江戸っ子どもの次の標的

田舎差別の伝統レイシスト天皇の中華思想 田畑で農家に作って貰った食べ物をむさぼりくらいながら驕り高ぶって田舎者虐めしかできないいつもの衆愚な江戸町人ども 福島を潰し現地民が反対なのに汚染水を処理水と称し垂れ流した果てに 次の標的は第二商都大阪くんだりから送りこまれた松本人志一派か

絵の文化やその十分な理解のない人々の末路

今の女性主義者らは平気で卑しい偏見から男性差別を押しつけてくる
彼彼女らは権利乱用を正義と混同しているが
根本的には異なる性別や性差多様性への理解力に欠けた人でなしだ
彼彼女らに諂う欧米諸国は純粋な悪意に操られている
しかも東洋主義で人種差別まで重ねてくるから一層たちが悪い

『アヴィニヨンの娘達』と勘違いし
『ゲルニカ』の様な昇華もないとほざく
自称フロント・ロー
実質モギケン信者のつどい

スキャンダル狙いの姑息な盗作系娼婦裸体群像を
浮世絵師らが描いた憐れな遊女画より高く見積もる

惨めな自称文化人の末路があれなら
誰も東大やケンブリッジ大学など崇めまい

恥知らずが恥を知れと罵ってくる
なんと野蛮な国だろう米国は
訴訟しない限り謝りもしない
いや訴訟しても謝罪などしないのだろう
自分達で原爆を落とし表現の自由を定め
それをきちんと守っている我々を罵る
野卑な欧米諸国では女が恣意で表現弾圧
『鬼滅の刃』や『源氏物語』は大賛美し
浮世絵は消せだという

遊女の名誉権

やっと気づいた
なぜあれほど女権論者が吉原遊女を隠すのか
それは彼彼女らが娼婦の人権を認めていないからだ
悪意で巧妙に隠されていて表向き気づけない
本当に彼彼女らがやっているのは売春の職権侵害だ

表向きは可哀想だから被害者と明示しろと騒ぐ
実質は本意で売春する人々の尊厳も奪っている

売春は今は違法なので女権論者の説が常識顔をし
過去の遊女らの尊厳までまとめて侵害してくる

自分はとても優しい性格をしている
だから大吉原展弾圧に何か違和感を感じ
無意識にずっと遊女側を庇うしかなかった
それは彼女らの中には当時は合法だった職責を
接待術できちんと果たした人もいたからだ

昔 ニューヨークのインド系の女性と話した
彼女はこう言った
「娼婦はそのしごとを選んでやってるのよ」
だからニューヨークでは合法だと言いたげだった
実際はネバダ州以外では違法の様だが

イスラム圏では死刑に値するしごとがある
それは性の商品化に寛容な世界だ
東京圏も殊更そこに入るのだろう

性の商品化やその売り買いとは別に
単に不本意の性売買を強要されたり
或いは本当の性奴隷もいたりするだろう
だから本意の性売買権を認めるべきなのではないか
不本意の人と混在させているせいで議論が紛糾し
大人が売春する権利も侵害してくると事が厄介になる
それが人権ではないといえるだろうか?

性の解放という文脈では
単に北欧流の自由性交というだけでなく
単にフランス流の自由恋愛というだけでなく
江戸東京流の自由性売買もありえたのではないか
婚外にあった性の様相を抑圧・隠蔽し
性の解放を弾圧するのは女権論者の間に
清教徒やイスラム教徒らだけでなく
性嫌悪の人も紛れているせいだ

AbemaTVでさくらまななるAV女優が言っていた
「私は本意でAV女優になって天職だと思っている」
大まかにそんな意見だったが嘘ではないだろう
彼女は売春を職業選択権の行使だと信じている
本来は違法だが風営法が新業態に追いついていない
その間隙を縫い本意の娼婦の本音を言った人だったのではないか

浪漫小説系の少女漫画にかぶれた恋愛理想論者にとっては
『源氏物語』での連続強姦罪はどういう訳か責められていない
しかし本意の性売買の中にあった性愛の模様と比べ
皇族男から強制性交等致死傷罪された浮舟が自殺未遂や出家は性被害にすぎない
低読解力もあるだろうが二重基準の原因は西洋追従だ

米国移住後のセラピスト女がこう言った
「欧米では吉原遊郭の性奴隷を美化した展示はありえない」
所蔵元の大英博物館やワーズワスアテネウムは性奴隷酷使の現場とのみ
その絵に付与されるべき政治的正しさを確定し過去の異文化を語っていたのだろうか?
単に極東の娼館図として紹介したのではないか

欧米出羽守で帰朝者の選良面する脳博士は
女性主義評論で展覧会弾圧を煽った漫画家瀧波ユカリや
その他無学な偏見の持ち主らの𝕏投稿群をみて
現実には米英の持ち物を含む国際文化交流を
単なる性奴隷美化の間抜けな内国限定悪乗り仕草と勘違いしたのだろう
各国学芸員の知識量が彼ら以下とは思えない

現実の吉原遊女らは子供の頃に売られ
そこで年季奉公の形で働かされていた人々が多い様だ
『千と千尋の神隠し』で宮崎駿が描いた通りだ
湯女の世界風だが現実は抜け出せなかったろう
だが幻想喜劇風に児童向けに描かれていたら叩かない
何とおまぬけな人々だろう
宮﨑当人が性風俗を描いたと言ったのに

勝山は湯女をしていた
その理由は不明みたい
しかし私娼は違法業態なので吉原で営業許可された
処刑されなかっただけましという世界だった
現実に今でもイスラム法上なら死刑の筈だ
しかも欧米奴隷制と違い年季奉公で一定期間後に出れる
所がその当時として寛大といえる処置を叩く
一体何がしたいのか

禿制度と勝山式に吉原送致の私娼禁止令以外に
今だっている様に本意の娼婦もいたのではないか
なぜ女性に性欲がないと言うのか
どうみてもテストステロンが出ていて女にもある
割合は不明だが性奴隷だけではないだろう
自分から望んで売春したさに
吉原遊郭の妓楼に就職した成人女もきっといた筈だ

生まれつきなのか育ちなのか
淫乱な成人女が自分で各地の妓楼へ就業し
表向き禁じられている売春をしていた筈だ
その中でも唯一政府が公認していたのが吉原遊郭
だから格式を備えた公界というのは真実だろう
私娼禁止目的なので性売買合法化の時代だ
禿制度は一種の花魁選良教育社会の成立を意味した

そこで幼児から高い教養教育を施され
諸芸を備え見目麗しく性奉仕含む接待術に優れた花魁は
いわば高級娼婦中でも最高価な抱けるアイドルだったろう
思うにジャニーズの内情をみると今の韓国勢も
実質は似通っているのではあるまいか
舞妓や妓生の世界も本質は同じ娼婦育成組織で
今も昔も変わらない

欧米とは異なる娼妓文化が極東の一部にある
それは向こうにアイドル文化がない事でも明らかだ
性接待術の商品化とその洗練の意味では全くの別世界で
キリスト教やイスラム教が早くに浸透しなかったが故の
性売買の自由が局所的に解放された享楽の園でもある
恋愛理想論では本意の遊女の心は分からない

悲しむべきは人権思想が遅れてやってきたので
禿制度が長らく維持されていたらしい事だ
それは児童の人身売買を要素として含んでいる為
いくら貴族風の教養教育のしくみを備え
娼婦の中でも最もあてなる存在になりえたとしても
売った親達の育児外注責任はぬぐい得ないという事だ
間引きよりましでも

だがこうともいえるだろう
禿制度があったがゆえ吉原遊郭には
特別な遊女がいたのだと
児童から性接待術のため育てられたので
何かしらその洗練の度合いは最上だったのだろう
歴代の高尾太夫らは恐らくそんな地位にあって
世界のどこでも実現しえない艶美を称えていた筈だ
極東の果ての奇跡だったのだ

今の女性主義者らは一般に 子供の頃から
性接待術の芸能人になる道など非道だと考える
当時の親達や女衒が政府と子供の権利侵害していたのだと
その時代の公認性売買文化を文化となど呼べないと
欧米基準に準拠し 古式独特の職業観を見下す
太夫は公的芸能人の称号だったが
それも見なかった事にする

2024年の紅白歌合戦に
Twiceの日本人3人で作ったMISAMOが出た筈だ
彼女らがいわば現代の太夫みたいなもの
性接待術は多分していないだろうが
少なくとも歌舞の技によく練達している
では性観念が今とは違う過去で
吉原遊郭の高尾太夫らは彼女らと大幅に違ったろうか
似た様な印象があったのではないか

奴隷の性技サーカス団にすぎないと
まるで現実のジャニーズがそうだった様に
高尾太夫らを呼びすてた時
彼女らが現実に生きていたらどう言ったろう?
例え禿だちだったとして
彼女らは自分の職業に誇りを持っていたのではないか
その職能も到底一般女権論者には
生涯及びえないものだったのではないか

性接待術に専業化された生涯があった
それが悲惨だというが
自分がみるに人類全般も似た様なものだ
繁殖の為に交尾するなり
性欲の故に交尾するなり知らないが
要は哺乳類の変種として理性を持ちながら
それを台無しに汚い淫行に耽り
それで殖えているくせ職業娼婦は貶す
惨めな二重基準の差別主義者共

寧ろ禿制度の元で懸命に生きようとし
花魁や格子として女の或る種の媚態を芸術に昇華し
接待中に拒否もできた性行為まで時に含めていようとも
合法的職業だった吉原遊女らの名誉権を守るべきではないか
中には拒否しない散茶以下もいたろうが
彼女らの名誉の為にも唯の性奴隷だと罵るのは如何なものか

遊女差別の表現自由弾圧女・瀧波ユカリ達と茂木健一郎一味

恥知らずの無法な表現弾圧者達
吉原遊郭を描いた浮世絵展示は全力弾圧
しかし源氏物語絵巻や大河ドラマは素通り
性加害を皇族男目線で美化した話なのだが

論理的整合性が全くない証拠に
鬼滅の刃ならいいのだという
善逸が吉原遊郭を楽園みたく言い大自慢
子供向け漫画アニメなのも遥かに悪質

なぜそんなに愚かなのか
理由は瀧波ユカリを少しも疑えず
扇動で情緒的衆愚に堕ちたからだ
茂木健一郎に同調する信者も同じ
明らかに彼らは無法者
表現の自由は憲法上の権利
過去の絵を当時の価値観で紹介も同じ

今の政治的正しさで絵を弾圧もおかしい
粋の美学がある
当時は吉原遊女も公的職業だった

そもそも人らしさから遊女を排除すべきでない
遊女だって立派な人だろう
だから文化人類学は彼女らの存在を社会的地位として認め
妻でも妾でも奉公人でもない芸事の世界を担うと考える
今の娼婦と全く同じものだと見るのもおかしい
今のトップAV女優が和歌を詠み琴の演奏をして知事の接待などするまい

東洋主義の恥知らず

恥知らずの米国移住女
吉原遊女はみな性奴隷だという
私娼を禁じてもやめなかったので
吉原のみで営業許可されていた
唯の悪女のいきつく果てでもあった
欧米面の浅慮で遊郭の正確な理解を妨げ
却って欧米奴隷制をなかった事にする
年季奉公が本当の奴隷制だろうか
欧米は正義とほざく東洋主義の嘘加減

絶滅戦争

最後まで戦え
敵は必ず死ぬ
その時を早め
一刻でも早く奴ら悪人どもを陥れろ
ザコ敵は群れて匿名で動く
敵の動きを完璧に読み封殺しろ
悪人と共存などできない
妥協せず弱点を攻撃し続けろ
奴らに油断あれば隙を突け
人類は天敵だ
一匹も善人がいないのがその証拠
全人類が絶滅する時まで戦い抜け

米国のネオナチによる東京藝大の絵画展弾圧

絵を展示する権利はないのだという
欧米では遊女の美化はありえないのだという
MOMAに『アヴィニヨンの娘達』を展示しながら
美術史を知らず恥を知れと侮辱してくる恥知らず

展示会妨害のネオナチ二頭

極悪の茂木健一郎と瀧波ユカリ
ザコとつるんで表現の自由弾圧
大吉原展の解説が悪いと展示弾圧目的でほざき
適当な卑しい難癖をつけ憲法違反の言い訳だ

なぜ日本人一般は天皇の奴隷状態なのか

人種差別教義を広めながら税を搾取し、侵略や暴虐、異文化差別と弾圧をくりかえしつつ驕り高ぶって、長らく国内外の人々へ大量虐殺を犯してきた天皇一派を崇めているのは、冷静な反省的知性が足りないせいだ。
 超法規的な絶対権力の前で平伏するその洗脳済みの様相は、呪術や宗教あるいはそれらをしばし兼ねる世襲での王権を主張する者が現れた王朝、またはその作り事を維持する時代中、奴隷状態の民衆に続いていた無思慮な心理状態の現代版にすぎない。

現金一律給付論

茂木健一郎の脳の教養チャンネル『「#公金チューチュー」と呼ばれる事象についての、もやもやを解きほぐそうと試みる』に関して同氏の𝕏アカウントへ宛てた私からの返信のまとめ。

 公金搾取は右翼の戯言の面を除くと――公益性が恣意的なとき非難を受け易いのならまだいいですが、日本では必ずしもそうでなく、𝕏で恨み妬みを都内メディアが拡散ネタで嫌がらせもある――原理的には社会主義批判でしょう。要は。フリードマン説が最も自由派的で、全部公金は切ればいい。全て市場に任せて。
 福祉の標的を議会が決めても計画経済の偏向からは逃れえない。よって需給の一致をめざす自由派の論理、経済合理主義からはまず必ず非難を受ける。
 あなたがここでいうのは妥協的な民主社会主義にすぎず、北欧流ですな。北欧流もいいとは思いますが、日本人一般のケチな国民性だと実現不能にみえます。

 例えば茂木さんのいう「最近の軽薄な若手論客」のうち、成田悠輔や落合陽一は著書等によればAIを使って世論調査しつつ、少なからず専制的に民主社会主義を推進する事を正当化します。
 また斎藤幸平はコモンと呼ぶ非営利組織で公共政策を図りたがり、市場原理を部分否定します。
 僕はどちらにも反対。
 フリードマンがいうよう市場原理に任せた方が合理的に需給一致する。その場合、福祉の需要があるのにその供給が行われないのが金欠の為なら、政府がお金を配ればいいんです。基礎所得を一律で。最小文化的生活権が憲法で定められてるのだし、老人偏重の世代間資産格差も是正できるうえ景気浮揚にもなる。
 自分はその為の財源論も書いてとっくにブログやユーチューブなどで講演もしてきたのですが、日本人全般は東大京大、オックスブリッジだの、アイビーリーグだの。学歴誇示しないと信じないんですよ。だからもう諦めてます。あなたみたく教えてあげるとすぐ自分の意見みたくパクるほど科学者倫理もないし。
 日本人全般は学歴信者で知識理解者ではない。なので、成田のいう高齢者大量抹殺論の信者は非常に多いけども、僕がいう「一律現金給付論」は無視なり黙殺なりされている。
 両者の中間的キャラとしては池戸万作さんがいます。彼は成田のライバルで、公金支出がGDPを数字上あげるというケインズ系論者。

 日本人全般の民度がそんなもんなので、しかも選挙に依存する民衆政体だと僕の意見が国政級に採用される可能性はまずない。辛うじて僕の県、茨城単位ならいけるかもしれない。でもそれで十分かと思うし、日本単位なら成田をボスに老人虐待ネオナチ国家しか作れないでしょうよ。県単位で抵抗はしますが!
 米国だってそうなってませんか? なぜイーロンがカリフォルニアからテキサスに移動したか、主に州単位で税制が違うからと考えられます。あなたが属する東京都の民度だと、成田流が勝利。老人蔑視・若者万歳の商業文化は最低石原慎太郎都知事の時から不動です。
 でも僕の県はご老公が偉いので。別文化。

 公金搾取をチューチューとか下品なストロー使って吸い上げてる戯画化みたいな。「パヨク」と似た語感で、小学校に謎にいた低次元な同級生みたいな言い方を好む事からも考えて見て下さいよ。どうせいってるのはちょっとオツムの出来の良すぎる右翼なんですね。だから赤い貴族扱いで弱者きりすて目的です。そんなの真剣に考察しても、要はネット右翼層が資本主義に騙されてるに過ぎないです。自民党ネットサポーターズクラブも間接的に、経団連の企業献金を使った洗脳部隊みたいなものです。小泉父や安倍・麻生流の格差社会の追随には都合がいい用語として発明されたんです。公金チューチュー。ごく最近だし。
 したがって。公金搾取叩きをしてる人達は自爆芸をされてらっしゃる。格差社会って最低日本では結果として経済成長率を下げます。内需7割なので。
 公金で私腹を肥やす自民党政治家や皇室は無罪なのに、庶民の中の弱者を叩く形で、右翼は抑圧移譲で溜飲を下げてんです。実におまぬけ。憐れ。愛国自滅。

 ま、日本の民度だと勘違いしそうだから重ねて注意喚起のため書いておくが、順序としては

1. 最低文化生活費に満ちる基礎所得現金を全国民一律で配る
2. 公金を全て切る
でなければならず、2を先にやると失敗しますけどね。暴動とか起きかねないし。民度低いから理解できないと思いますけどどちらにせよ。
 例えば。行政が持つ公園とか文化遺産と言える施設はどうするのと。NPOやNGOへの支出、あと第三セクターへの公金も全て民営化で、全部きるとして。それと公教育への支出とか片親や障害者などの弱者特別援助はどうするのと。
3. 最低限度必要な公金支出は各自治体財源に任せる
でいいかと。自己責任で。

 一応、地方交付税で東京から東京のぞく全都道府県へ税は調整(再配分)しているので、それは切らない国政の形では、3の公金支出を各自治体が市場の効率無視でやっている現状は続くと思われます。各自治体の人々がそれで納得なら別にそれでいいのではないか。無駄に豪奢な箱物ある赤字自治体多いけど。

参考:
 拙論、現金一律給付の合理的根拠論
月額7万円から10万円のBI財源論』鈴木雄介ブログ、2020年9月28日
 関連YouTube講義
『自由経済闡明論』前編、鈴木雄介第二講義、2023年2月22日
後編、同チャンネル同講義、同日

私の現時点での対以巴紛争・宇露戦争の日本単位での合理戦略論

以下、壺齋散人氏のブログ『続壺齋閑話』「跋扈する植民地主義の妖怪 落日贅言」(2024年2月13日)へ宛てた𝕏上の私からの返信のまとめ。

 自分は全然事情を知らない時、あるパレスチナの人に
「(うろ覚えで)イスラエル(あたり)の人ですか?」
と何気なくきいたら、その人は
「私達はここをイスラエルとは絶対に言わない」
と独特の強い語感で、怒った様に言った。

 ただハマスを快く思わないパレスチナ人も、融和派も恐らくは両国にいるでしょうね。
 ネタニヤフ政権の強硬姿勢の理由は自分はよくわからないが、『聖書』や『コーラン』をよく読んできた限り、ユダヤ教のキリスト教をへての発展改良版といえるイスラム教義と、ユダヤ教の選民思想は根本的対立がある。
 ご存知の通り、ユダヤ教はどんな困難を経ても律法を守る自分達が神に嘉されているとみるが、イスラム教はアッラーに嘉された信徒を攻撃する者に聖戦で報いる事が大正義とみる。血にこだわらないイスラム教の方が広がりが大きいのに、今のネタニヤフ政権の対応はムスリムの反感を買っている様にみえる。
 自分は壺齋さんの随筆はネットにある限り恐らく殆ど読ませていただいたのですが(特に本居宣長と上田秋成の論争の箇所とかとても参考になり感謝致しております)、この件に限っては、あなたはイスラエル絶対悪、そのあと押しする欧米日も悪との説で語られる。だが、単に政治的には逆の意見もありますね。

 自分は国際政治学の高橋和夫教授の講義をきいて、それなりに感じる所あったのですが、彼は確かに虐げられる人の立場にも立つのですがそれだけでなく、全ての関係者らの政治的動きや思いを単に感情だけでなく、複雑な人らしさの織りあいみたく語ります。
 恐らく学的には冷静な理解も必要かと思います。

 勿論あなたの仰るネタニヤフ政権の植民地主義の延長での建国理想論は、世界史全体の流れ的には――学問上は一面的な恣意的見解ともいわれる可能性があるが――大雑把には、力の政治の現場なのかもでしょうが、イスラエル側の内政とか、パレスチナ政府とハマス派の対立とかもっと事情は多分あるでしょうね。

 善悪というよりは宗教上の信仰の対立が根幹にあるので、力の政治の強弱だけに注目すると、民族虐殺にみえる。でも、ネタニヤフが本当にそんな風に思っているかは自分はわからない。要するに建国思想の実現を現実政治で解釈するタイプの人なのかもしれない。

 我々が善意だとしても、親ハマス側に入って反以側を非難する方へ全面的に傾く事が、むしろパレスチナ国家を長期的に聖戦集団から牛耳らせる結果を招き、内政の混乱を益々深める可能性も考慮する必要もあるのかもしれない。内政干渉もできないとはいえ、唯の人道支援は無差別で弱者にやるべきと思います。

追記
思うにこういう構図では?
1. ガザを選挙で勝ち実行支配した聖戦派ハマスを欧米やイスラエルはテロ組織と見る
2. パレスチナ政府を仕切る世俗派ファタハはハマスと対立してきたが、近年、エジプトの仲介でハマスと和解後の統一政府をめざしていた
3. ネタニヤフは巴政府統一を強制防止したいかも

(𝕏で途中で話しかけてきた「4人と4匹」氏へ)調べた所、サウジアラビアとイランがエジプトと共に今年初めからBRICsに加入した為、ハマスとファタハの和解を支持した事はそうかもしれない。
 他方ロシアのプーチンはネタニヤフにハマス除去協力を語っていた
 ロシアは親巴統一とは限らないのでは。あなた(「4人と4匹」氏)の説の根拠は?

 でロシアは?
 あなた(「4人と4匹」氏)はロシアが中東分断を狙ったと仰るが、私はその根拠をお尋ね申し上げております。あなたの推測ですか?

 つまりロシアが中東分断を狙う説はあなた(「4人と4匹」氏)の推測と。
 たとえばベルリンにいる米ジェームズ・マーティン不拡散研究センターのハンナ・ノッテはロシア大統領府が以巴紛争へ直接関与の証拠はないとBBCにいう
 プーチンの意図は科学的には不明だがマッチポンプ臭いですね。

 おそらくシリアやイランと深い同盟関係があるロシアは、同時にイスラエルとも協力姿勢をとる事で中東情勢で大きく平和制作者の演芸を魅せつつ、米国や西洋諸国が悪者である様にもみせたい。
 ユダヤ人と欧米の関係は密接なので、もし上記の通りならプーチンの戦略は今のところ成功していると考えます

 冒頭に戻ると、壺齋さんの随筆は、そういう国際政治ゲームに巻き込まれる市民の悲惨を顧みて人類の愚かさに失望する、といった論調で、老齢期の絶望に近いものを感じさせます。
 まぁ僕も人類の性質が邪悪だと感じた経験が多くその点はかなり同意できますが、基本解決策が国際政治ゲームなのも又事実。

 主要演者の一人としてシリア内戦時もプーチンは親中東側に立った。この場合はマッチポンプでBRICs側に暗にいても表向きイスラエルとも敵対しない二重の顔戦略で、欧米諸国の悪を安価に国際宣伝でき中東攻略に成功中とみえる。
 なのに親米偏重の日本はこの場合、中東勢を大まかに失望させてしまっている。
 英語圏依存度が高く西側媒体の強い影響下にいる日本だと、日米同盟への過信もあり反露世論に国内がほぼ完全席巻されてしまった。知識層も、自分が見てた限りパワー𝕏メン茂木健一郎氏ら英米出羽守が旗振り、自民御用学者の三浦瑠麗らも大体は反露側に立って安心なる米軍傘下戦術で宗主国依存度を深めた。
 素朴な意味では「どうせ日本は米国の犬だろう。戦争で負けてから所詮漫画国家」と軽蔑の文脈に置かれて、ほかの欧米諸国よりは相当ザコ扱いで、石油売るだけの相手と中東勢に思われているかもしれない。
 ネタニヤフは停戦交渉をやめた様子なのでまだ日本不利で弱者犠牲が続く。

 岸田政権を早めにひっくり返し、反以は実質反米を意味するので多分合理的ではないとしても最低反露へ行き過ぎを修正し、日本は平和主義の観点から、戦争自体に反対なので親米のスネオでは決してない、という真の心を中東勢にアピールする事が、長期的にわが国と以巴露との関係を友好化する道とみます。
 ただ自分は京都市長選で自公勝利を使って立民の泉代表を追いつめ、党首交代から小沢一郎政権を作ろうと動いてきたのですが、「敏腕」政権が樹立できないとすると、立民側の実力不足から却って日本内政が不安定化する恐れもある。
 ひとまず反露世論の行き過ぎを改善しておくのが今適切な現実策の様です。

 イーロンがいう文脈で、ロシア敗北はほぼない。物量や人的資源に大差があり、米国側が合理主義に回帰するのも元々必然性があるので、ウクライナはロシア削りに利用され米国に捨てられる。
 日本は寄付分を分捕られ負け組扱いされる。全体としてプーチンが有能な証拠だけ残る。

 以巴紛争は物量から以側勝利で中東の治安にとって不都合になったハマスが殲滅され終結の可能性が高いが、戦闘がかなり長期に渡りそうでもある。よって日本がとるべき道はプーチンの長期戦略の有能さを認め、以とも巴とも平和外交しつつ、露とも自民政権交代で再友好を進める事でしょう。米国も損しない。

日本列島の人種差別邪教祖天皇一派、犯罪匿名衆愚や悪徳老人・悪徳日本女らとの戦いでの一幕

二日間食欲ないから陸に食べないでいたら、貧血みたくなってさっき気が遠くなって死にかけた。
 家でもアルツハイマーやボケ老人介護、ネットでも偽物ばかり世に出す茂木健一郎人文学素人倫理無能ポンコツ原理主義老人介護や池田信夫ら原発公害老人退治ではどこにも救いがない。しかもネットは陰険匿名犯罪者群との戦いばかりだし。

 更には女という女の頭がおかしく姦淫自慢や汚い繁殖をし、威張り散らしながら男性差別年齢差別を連発。人種差別邪教祖の国は完璧な地獄を作りたいのに違いない。
 全員滅亡させるしかこいつらから解放され得る術はないのではないか? 美徳というものを持たない衆愚どもの破滅は正義の実現を意味する。

カネ目当ての𝕏全球主義あるいはイーロンのバベルの塔

𝕏で最近みる肯定返信系インプレッション乞食は、イーロン・マスクの画策によってカネが異文化を繋げている実例にみえる。
 特に中東の人が日本勢のパワー𝕏メンの返信にいる。排除できない様に日本語で肯定返信を書いている人は巧妙だし、口だけの部分を除いても、寧ろ全球米国化侵略の一端なのではないか。

2024年2月16日

郷土の風

昔、僕んちの近所にはうなぎ屋があった。
 そして夕暮れになると鰻焼いてたれ塗ってるからだろうあのいい匂いがしていた。

 別の機会に自国の史学していて知ったが、うな丼を発明したのは僕の県の人だった。蒲焼はそれ以前からあったみたいだけど
 鰻には可哀想だが、あの香りは一つの情趣だったのだろう

 そして今不思議な事に、その鰻屋は既にないのだけど、自分の心が記憶してるせいなのか、僕の町に固有のいい香りと混在しているのか、その香がする様な気がするのだ。
 自分はその意味でこの町が生み出した人間であり、そこから心身ができあがっており、抜き差しがたく郷土の風と一体化している様に思う。

うぬぼれ衆愚との不幸な交流

愚かな人に説教される。正しい知識を教えても納得できない様子で、勘違いして中傷してくる。あるいは余計なお世話で他人の時間を奪う。出来のわるい人の殖える集団では、居心地がわるい。それで不幸が続く。
 この様に、己の繁殖を正当化する愚かな人々の醜さは、彼らがうぬぼれていることに由来がある。

正しい道の絶対性について

日本人一般の物分かりが悪いのは、民衆に物を考えさせないまま納税奴隷化する天皇政治の影響が大きい。『礼記』や『論語』から流用し、和の意味をなごやかな礼儀作法から単なる全体主義の押しつけにおきかえてしまった『十七条の憲法』の頃からこの姿勢は一貫している。
そして超少数派の知識階級を除くと、前からそこでの平均的理解力は相当低かったのだろう。江戸・京阪沿いの東海道民がええじゃないかを踊る。慶喜公の天皇への禅譲が全面戦争で日本植民地化を防ぐ決死策だったのに、そうと知れたのは島崎藤村『夜明け前』に美化して書かれる、清談する読書人側だった。
 茂木健一郎は「ええじゃないかは日本史でも最もほほえましい凄くよい光景だった」などと動画か何かで言っていた。東京通俗メディアを騒がすえせ文化人の色々な戯言中でも、最も下らない発言の第一分類に入るなと自分は感じた。西軍ら明治政府側はその様に、侵略国家を作る事に痛痒を感じなかったのだ。

 僕はSANAAにいたションさんと米国人風に名乗っていた(多分韓国語だと鄭なのかもしれない)、カリフォルニア工科大学の韓国系留学生に、
「戦前の事は済まなかったと思ってます」(徳川氏を説得か無視し、当時確実に薩長・天皇討伐を完了するしか正しい道はどこにもなかった)
「いつか韓国に行きたいと思ってるんですよ」(新大久保で少しみたが興味深い文化的類似性がある)
と、括弧の中の思いを心の中で含意しながら切り出したら
「みんながあなたみたいならいいんだけど」
と返され、握手を要求されて握手した。それは見習い建築学徒間の短い交流だったが、一つの友情の証だった様に思う。

 それは見習い建築学徒間の短い時の内での両国の魂の交流だったが、一つの友情の証だった様に思う。
 僕は茨城県立図書館で読んだ本で、昔、義公が朝鮮通信使と儒学上の意見交換や、贈り物をしあって君子外交をしていたのを知っていた。金玉均暗殺後の、福沢諭吉『脱亜論』のその後の趨勢も知っていた。
 ええじゃないか式衆愚は、近隣国との平和外交を妨害したがる。長期戦略など何もないのに。同じ方針で、彼らは記録に残る限り主に奈良時代の関西地方から、我々の東国一切を差別してきていた。だからこういえるだろう。狭量な物を考えない衆愚が自民族中心主義目的に作ったのが天皇政治と神道だったのだ

 本当に民度が低いのは、紛れなくその天皇信仰による人種差別的自己愛を主張する衆愚集団で、彼らに差別されている側ではない。皇室はじめ、神道集団は国にとりつき偽善と露悪を使い分ける、邪心に満ちた暴徒である。彼らを完全に国事一切から永久除去しない限り、近隣国らとの友情など永久に図れない。
 衆愚の説得など土台不可能だ。だから衆愚勢力は何かの形で国政上で利用するしかない。彼らは悪意や誤解で満ちているので注意して扱う必要があり生き残っても陸な事をしないが、一種の邪知をもつ悪徳レミングスみたいなものだ。
 しかし誘導さえ巧くやれば馬鹿と鋏は使い様、で歩に使えるかもしれない。

 僕は思いだす。ある別の並行宇宙で、侍の様な和服姿の僕が何かの仕事で、ションさんと韓国のどこかでたまたま会い、彼が両班の様な韓服でやはりSANAAでそうしたのと同じ様に、何事か、双方の国事の議論をし、日韓で立場は違えど、同じ仁恕の徳による未来を相互尊敬のもと分かち合っていた筈の時代を。

弱肉強食裏金政治

天皇の立法権侵害は牛丼屋の紅生姜よごれた箸で食うより軽い罪 弱肉強食裏金政治で自滅 上から下まで衆愚な令和時代あさまし

女性主義と根本女性主義者の批判的考察

女性主義とは大抵利己主義のいいかえだ。もし性別が逆に生まれついたら男性主義を主張した同じ口で、自分に都合がいい性別を持ち上げているに過ぎない。要は権利を乱用しているのだ。
 根本女性主義者はおよそ男女同権を目的とせず、性別による違いをもなかったことにしたがる。それは彼らが傲慢だからだ。

ジパング攻略

ジパングという悪徳衆愚と人種差別邪教祖が埋め尽くす地獄に産まれた事は、確かに不幸だったのだろう。それはさもサバイバルゲームを強制されている様なものだし、一種の拷問でもある。しかもどう足掻いても脱出法が見つからない。その天敵らは自分にぬけだすためのゴールドをまずよこさないのである。

 一匹も同類がみつからない。それもジパングの地獄さに拍車をかけている。
 端的にいえば愚者と悪人しかまずいないらしいのだ。長期反証でそうなので、光側の存在の出現率が著しく低いに違いない。
 早いうちにゲームオーバーを選んだ人々は或いは利口だったのかもしれない。だが自分は攻略法を探す。

公害正当化の救いのなさ

公害を隠す下衆の国では誰も救われない。電気代惜しさに原発難民を国内で虐待し、その非人道をなかった事にする下郎の集まる東京大都市圏は悪魔のすみかといっていい。彼らに救いはない。

天皇一味完全討伐論

日本人一般の物分かりが悪いのは、民衆に物を考えさせないまま納税奴隷化する天皇政治の影響が大きい。『礼記』や『論語』から流用し、和の意味をなごやかな礼儀作法から単なる全体主義の押しつけにおきかえてしまった『十七条の憲法』の頃からこの姿勢は一貫している。
そして超少数派の知識階級を除くと、前からそこでの平均的理解力は相当低かったのだろう。江戸・京阪沿いの東海道民がええじゃないかを踊る。慶喜公の天皇への禅譲が全面戦争で日本植民地化を防ぐ決死策だったのに、そうと知れたのは島崎藤村『夜明け前』に美化して書かれる、清談する読書人側だった。
 茂木健一郎は「ええじゃないかは日本史でも最もほほえましい凄くよい光景だった」などと動画か何かで言っていた。東京通俗メディアを騒がすえせ文化人の色々な戯言中でも、最も下らない発言の第一分類に入るなと自分は感じた。西軍ら明治政府側はその様に、侵略国家を作る事に痛痒を感じなかったのだ。

 僕はSANAAにいたショーンさんと米国人風に名乗っていた(多分韓国語だと鄭なのかもしれない)、カリフォルニア工科大学の韓国系留学生に、
「戦前の事は済まなかったと思っている」(徳川氏を説得か無視し、当時確実に薩長・天皇討伐を完了するしか正しい道はどこにもなかった)
「いつか韓国に行きたいと思っている」(新大久保で少しみたが興味深い文化的類似性がある)
と切り出したら、
「みながあなたみたいならいいんだけど」
と返され、握手を要求されて握手した。
「いつか韓国に行きたいと思っている」(新大久保で少しみたが興味深い文化的類似性がある)
と、括弧の中の思いを心の中で含意しながら切り出したら
「みながあなたみたいならいいんだけど」
と返され、握手を要求されて握手した。
 それは見習い建築学徒間の短い時の内での両国の魂の交流だったが、一つの友情の証だった様に思う。
 僕は茨城県立図書館で読んだ本で、昔、義公が朝鮮通信使と儒学上の意見交換や、贈り物をしあって君子外交をしていたのを知っていた。金玉均暗殺後の、福沢諭吉『脱亜論』のその後の趨勢も知っていた。

 ええじゃないか式衆愚は、近隣国との平和外交を妨害したがる。長期戦略など何もないのに。同じ方針で、彼らは記録に残る限り主に奈良時代の関西地方から、我々の東国一切を差別してきていた。だからこういえるだろう。狭量な物を考えない衆愚が自民族中心主義目的に作ったのが天皇政治と神道だったのだ。

 本当に民度が低いのは、紛れなくその天皇信仰による人種差別的自己愛を主張する衆愚集団で、彼らに差別されている側ではない。皇室はじめ、神道集団は国にとりつき偽善と露悪を使い分ける、邪心に満ちた暴徒である。彼らを完全に国事一切から永久除去しない限り、近隣国らとの友情など永久に図れない。
 衆愚の説得など土台不可能だ。だから衆愚勢力は何かの形で国政上で利用するしかない。彼らは悪意や誤解で満ちているので注意して扱う必要があり生き残っても陸な事をしないが、一種の邪知をもつ悪徳レミングスみたいなものだ。
 しかし誘導さえ巧くやれば馬鹿と鋏は使い様、で歩に使えるかもしれない。

2024年2月15日

言語帝国主義と言語多元主義の違い

方言という概念自体が差別なんだから、どこの都道府県だろうがどこの国だろうが、現地の言葉がそこでの標準語です。言語帝国主義は悪質だ。

 もしあなたが天皇による華夷秩序意識の洗脳下で、南関東や京都地方(京都府)で生まれ育ったり、そこの衆愚にへつらって自文化中心主義をしらずしらず身に着けた人なら、アメリカで「日本語風の表現」を訛りだといって大勢のまえで嘲笑されたらどう感じるか想像してみて下さい。それは異文化差別です。

 やるべきことは異文化のなかにある特別な人間性の深い理解、文化多様性のゆたかさの尊重であり、いじりとか貶しとか否定とかによる、個々人のかけがえない個性の弾圧や辱めでは全く、ありえません。

NiziUの何が優れているか

昔、デビュー前のNiziUを茂木健一郎が突如、大礼賛しだした。僕はとてもびっくりした。だって、デビュー前に何が分かっているのかわからないが、言っている意味がわからないのである。とにかく褒めちぎる。
 さっきやっと意味がわかった。
 茂木はNiziUをほめているのではないのである。
 
 彼はNiziUがBLACKPINKとかBTSみたいに米国でうける事を期待していたのだ。しかもそれがフライングするほど過度だった。
 こんなの普通気づけない。彼の俗物さがとんでもないレベルだから我々一般人には想像もつかなかっただけだった。それを欧米出羽守の大衆迎合と呼ぶのかは別に、そういう事だった。

 欧米市場のうち米国市場は、確かに音楽市場では日本市場より大きいとの資料が多い。だから日本市場が2位くらいの大きさなので1位に準拠したいとかいう商業主義。これに加え、明治以来の欧米崇拝が加わる。特に茂木は自主英国文化植民地主義者とも考えられる要素があり、万事、英国勢に準拠したがる。
 彼はこうも言った。「アイドルをいいと思った事は一度もない」とか。自分でNiziUをあれだけデビュー前にもちあげておいてなのだけども。デビュー前に。アイドルを。
 こういう現象を「もぎけん現象」とか「もぎけん化」とかいえると思う。家とか施設で高齢者の介護をやってるとほぼ毎日似た経験する。

 善解釈してあげるとこういう事だ。あとで悪解釈版もいうけど。
 茂木は日本の世界的地位が低下する事を憂いている。それは国力の低下に等しく、文化面で芸術家らに国際的名声を得てほしい。なのでNiziUがあのTwiceプロデューサーのパク・ジニョンから日本勢で送り出されるから、世界でうけてほしいと。
 ここでいう「世界」に日本は省かれている。まぁ金融でもそういう分類あるけどね。日本のぞく先進国株インデックスとか。文化面だとあんまり聞かない。「日本のぞく先進国中心に受けてほしい」といえば、茂木が言いたい事にとってより正確になる気がする。なんでかというと名誉白人ゲームなんだと思う。
 
 こんなに翻訳しなきゃ理解できないんだよ。もぎけんのいう事は。だから毎日本当に苦労していて本当に大変だ。志村けんに仕えたお侍さんのうちの一人みたいな。仕えないけど僕は。決して。
 御輿は軽くてパーがいいと言った人が誰か定かではないけど、小沢一郎殿かな。天皇政治の事だろうね。本当は。
 
 で悪解釈版も考えると、要するに日本の文化的主体性を自分で投げ捨てている。茂木は当人にこれといった美学がないので、しいて言えば僕が𝕏返信で
「あなたの英国風喜劇が日本でうけないのは日本人の味にあわないからだから、あんぱんみたいにすれば?」
といったら、和みの道がぁとかいってぱくられた。じゃあロシアのプーチンさんともイスラエルのネタニヤフさんとも和めるのだろうか。相当難しい課題ではないか。それができるとすれば日本が芸者的動きをしてお大臣さまぁとかいって、国際秩序の無定見な太鼓持ち行動してる場合くらいではないか。そしてそんなのいい事だろうか。ひろゆき誉める和み道。
 それが悪解釈なのは悪解釈だ。だって『クオリア原理主義宣言』や『和み道』が、彼の一種の美学を語った文といえなくもないだろうから。ただ必ずしも同意できないだけで。
 つまるところ、NiziUは蚊帳の外であり、まさに歌舞伎としての本質は評価対象ではないのである。単に国威発揚の駒扱いみたいだ。

 僕はその後、本当にNiziUはいいのかな? と思って長らく観察していた。だって茂木がやたらめったら褒めちぎっていたのだから、普通、僕みたくリアルアーティスト側からしたら、芸術性が高いのかな? と思ってみるだろう。そりゃーアイドルも歌や踊りの芸術家といえるだろう。最初僕は懐疑的だった。
 確かにTwiceは最強レベルに凄いだろう。アイドル界でも。ただそれは国際的混合グループだったからというだけではなくて、何というのか独特の性的魅力を帯びた或る種の理想的な女神感を示しているのが。少女時代やTTSの時もそんな雰囲気がしていたが、より加速している様な気がするし、Aespaも更にだ。思うに上場企業の所属アーティストらだけに、給料も沢山もらえるだろうし、事務所の手も入ってるんだろう美容に加え、レッスンみたいなのもずっとやってんだろうし。カネかければいい音楽家、映像作家とか演出家らも雇える。だから商業歌舞上で最強化していく。
 その流れに乗ってるわけだ。NiziUも。
 NiziUの楽曲は基本的にこういう意味でどんどんポップになって行く様な感じがあり、こないだ韓国側でデビューとか言っていた気がするがなんか好評だった気がする。
 つまりアイドル育成とその興行業で、やはりパク・ジニョンは有能だったのだ。僕は整形文化の浸透を心配していたがそれとはまた別に。
 茂木が言っていた事は、目的がただの国際的名声で俗悪だとはいえ、NiziUを彼の名誉白人系俗物根性に基づいてとりあえずデビュー前にほめてしまっていたのは、目的の卑しさとはあべこべに、結果は、そう大きく間違ってもいなかった。但し、正確には、目的が変なので、彼女らの芸術性を評価できていない。

 芸術性は商業性そのものとは必ずしも一致していない。売れたものがどれも芸術性が高いわけではない。

 ポップカルチャーの中でKPOPの位置づけは最初はJPOPのまねとして生まれた。しかし途中で別の歌舞中心の方法をとり、今ではかなり異なる世界になっている。
 その中でNiziUは両取りの位置にいる。
 KPOPは日本や米国に売り込みをかけてくるという特徴をもつ。おもに国内市場が小さいからだ。NiziUは英語でも歌っているが、米国側ではまださほど売れていない様に思う。しかし日韓は取った。同じプロデューサーによるTwiceは日米韓を全部取っていると考えていいので、多分同じ事ができるのだろうと思う。

 目的が卑しいというのが決定的な問題だから茂木自身の批評的資質は低評価せざるをえない。むなしい功名心は人の卑しさではあっても、立派さとは遠い。実際に重要なのは、芸事によって人間に或る感動を与え、心に良い影響を与える表現能力だ。その点ではNiziUは若さの価値をよく表現できているのだろう。

2024年2月14日

私が𝕏上で2名の人々へ返信した『源氏物語』浮舟や常陸国の紫式部による扱いの正統解釈論まとめ

私は同物語を読んであなたの意見のうち
(親王の血を引くのに零落した)
という要素を全く感じませんでした。実際に括弧を使われてる様、それはあなたの偏見では?
 親王任国のうち常陸国は大国の第一部で、『常陸国風土記』にも常世の国とある。浮舟は儒学的教養の下よく育てられた人と読めます。

 あの物語の全女らは京都の皇族界の性風紀の乱れに染められ全員辛酸を味わう。みな皇族男性による強姦罪で堕落させられ、貞操を失ってしまう。夫の浮気を許すしかなくなり京女らしさに落ちる。
 その最後に、浮舟だけが「良識的人物」として登場した時、彼女だけが本来の貴族に教育された人物なのです。

 あなたの読みは私の読みとはまるで違います。理由は不確かですが、京文化中心主義、京都中華思想の様な物をあなたが持って読んだのかもしれないのに比べ、私はその様な思想を「中国風」で愚かしいと感じ、全く信じていない事があるかと。実際、作者は浮舟を全体で唯一、最も同情を呼ぶ善女として書いた。

 京都皇族界の堕落に対して、東国のうち最も豊かな国の一つで育ったうぶで、儒教的な貞操観念をもつ「よい育ちの姫」が、姦淫罪を日常とする自堕落な皇族男性の間で最も人気になってしまう。
 いわば天皇専制に驕る、信じ難い性加害男らの間に、いきなり生まれ育ちのいいうぶな娘が放り込まれた悪趣味。
 そして案の定、浮舟も例によって匂宮に強姦される。 
 不貞や夫の浮気が当たり前、寧ろ皇族男性に強姦される事を出世の機縁で喜びと思えと、天皇専制になびく女権侵害の卑しい公卿公家の親達からいわれる、性の乱れきった狂った大都会にすぐになじめるわけもない彼女は、自殺にすら失敗し、出家する。
 出家さきにもしつこいストーカーをしてくる、匂宮の軟派のライバルで、元の姦淫狂いの主人公の息子でもあるろくでもない浮気性の薫からの手紙を、浮舟は顧みず物語は終わる。
 あなたはもしかしたら男心というものがわからないのかもだが、薫も匂宮も唯の人間の屑ですよ。浮舟は物語全体で唯一まとも。

 なぜその浮舟が
東国育ちの田舎者という烙印を押された
など、見下し文脈にあるなんて読み取れたのですか? 殆ど全く理解できない。紫式部は、浮舟を全体で最美のヒロインとして書き、いわば儒教道徳が元々ない京都皇室の悲惨な女権侵害社会をインサイダーとして暴露、常陸育ちの姫を賛美したのです。

 私は飽くまで偶然ですが、その常陸の人なので、大昔に『源氏物語』を読んであなたと全く違う感想をもちました。今だってこんな事あるよねって。
 我々は大昔からとても豊かでした。実際に風土記の通りの土地柄なのです。海山陸の食に満ち溢れていてどの家も不足がない。そこの姫はさぞ立派に育ちます。

 所が京都政界は乱れに乱れていた。飽くまで物語の中ですが、性風紀の乱れの形でえがかれているのは、皇族特権の乱用模様です。だからこそ平安京の受領政権(今風にいえば裏金政権でしょうか)は、平将門、藤原純友、平清盛らの乱などでひっくり返される事になる。その内部暴露、いわば虚構での抗議です。

 あなたは都会の方が当たり前に豊かだと思っているでしょう。決してそんな事はありません。生活難の目安、京都のエンゲル係数と常陸(茨城)のそれを試しに比べて見て下さい。勿論、皇族は楽でしょうが、浮舟も上級貴族です。
 要するに作者は上等な娘を書きたかったのです。

 また、例えば江戸時代中期『源氏物語玉の小櫛』で、本居宣長は作品解釈として、作者は不道徳さを無視したのだと考えました。いわば主情主義で悲哀の情感を語りたかったのだと。
 私は余りそう思えません。わざわざ浮舟が悲しみを最大化する役割なのは、儒学的性道徳を持たない皇族界の批判だからです。

 有名な物語論の「」帖で、作者は光源氏の口から、「虚実ないまぜの中に語らざるを得ない真相があるのだ」云々といわせている。要は性道徳がない皇族男性から女性が強姦され性被害者になる一方の、天皇政治批判を込めている事をメタ虚構論で作者が暗示していると私は考えます。
 傍証もあります。「乙女」帖で、作者は再び光源氏の口から学問論を語らせ、「大和心は儒学・仏教など教養の下でのみ生かされる」云々といわせている。つまり、物語全体で唯一、儒仏両方の性道徳を立派に帯び、最後に登場してくる浮舟の貴族的理想性への伏線になっているのです。
 以上から、作者の紫式部は、浮舟をあなたが言う
(親王の血を引くのに零落した)東国育ちの田舎者という烙印を押された

存在として貶める文脈には丸で置いておらず、寧ろ、教養がなく統治者失格で、女遊びばかりしている屑みたいな皇族男性らには勿体なさすぎる、育ちのいい娘として出してくるのです。

 あなたが理解できるかとは別に、本当に、私が色々な国々の人とお話してきた限り、「都会の方が人の育ちがよい」と考えている人は、日本以外で一度も見た事がありません。私の会話した人類の殆ど全員が「都会は犯罪率が高く危ないよ」という感じで、紫式部の書いた通りの都会・田舎観こそ世界的常識です。

 あなたがたは常陸宮殿下についてどう考えるのですか? 
 私はその常陸国ののちの地域にくらしていますが、あなたがたの様に感じた事は殆どありません。寧ろ、東京にくらしたり京都など旅行しても、我々の地域より遥かに犯罪率が高かったり、社会風紀が乱れたりしていて、こちらより暮らしづらかった。
 奈良時代に編纂された『常陸国風土記』の冒頭にはこうあります。

 常陸の国(すなわち茨城県)のあたりは広く、はるかな大地である。その土や小山はうるわしく、原野は肥え渡っている。人々が開墾をはじめれば海の幸にも山の幸にも利益があり、人々はそれを自ら得ているのだから常陸国の家々の食事はとてもゆたかで、満ち足りている。もし田畑を耕したり、蚕の糸を紡ぐ者がいたら立ちどころに富を取ることができ、すぐさま豊かになる。結果として彼らは自然に貧窮を免れるのだ。それどころか常陸国の人たちが塩気のある御数やら、魚やらの味わいを求めにかえってくれば、土地の左手は山でしかも右側は海、どこにいても食材が手に入ろうという世界である。彼らが桑の木を植え麻の種をまこうとしたら常陸国土の後ろは野原、前は草原であり、この国には水産業のみならず農林業にさえ、どこにでも適した土地があるといえよう。いわゆる水陸の府蔵といい、物産の資源があぶらのように滴っているのだ。昔の人がいった常世の国、すなわち天国とはここのことなのだろうかと疑うほどだ。但し、一ついえるのは水田に上々のものは少なくむしろ並程度のものが多いので、ある年に長雨が続くと、苗が育たないことがある。それが難点だと人々から不満の声が聞こえる。よく陽射しの照る年に逢えれば、ただただ穀物の実りは豊かで、いかに喜ばしい事か。

訓読の一例:それ常陸の国は堺これ広大にして地もまたはるかなり。土壌うるおい原野肥えわたる。墾發するところなり。山海の利、人々自得す。家々饒に足る。もし身を耕耘に労い力を紡蚕につくす者あらば、即ち豊かに富取るべくして立ち、自ら然りして貧窮を免れるに応ず。況や鹽魚の味を求め復すに左は山、右は海。桑を植え麻を種するに後は野、前は原。いわゆる水陸の府蔵、物産の膏腴。古人曰く常世の国、けだし疑わんこの地と。ただ以てあらゆる水田上すくなく中おおし。年霖雨に遇わば即ち苗子登らずの難を聞かん。歳亢陽に逢わばただ穀實豊稔の歓びを見んか。

原文:
夫常陸國者。堺是廣大、地亦緬邈、土壤沃墳、原野肥裄、墾發之處、山海之利、人人自得、家家足饒。設有。身勞耕耘、力竭紡蠺。者。立卽可取富豐、自然應免貧窮。況復。求鹽魚味、左山右海、植桑種麻、後野前原。所謂。水陸之府藏、物産之膏腴。古人曰。常世之國、葢疑此地。但以。所有水田、上小中多、年遇霖雨。卽聞。苗子不登之難、歳逢亢陽唯見、穀實豐稔之歡。歟。
――『常陸国風土記』常陸国司解、申古老相伝旧聞事
同物語の中で、私が読む限り、最も育ちがよく立派な教養を帯びた貴族として書かれているのが浮舟な事は絶対に間違いないと私は確信しますが、あなたがたの読みとは丸で違うとも感じます。
 なぜあなたがたが常陸をそんなに蔑むのか今の常陸に住む私には全然理解できない。作者の意見とも違うようです。

 都会(当時の京都)で暮らす皇族男らが次々一方的といえる強姦罪を繰り返してしまうので、物語を読み進めていくと、寧ろ光源氏に最初の手ほどきをした藤壺中宮除く(但し自分が読んだ限り心理の詳細は不明)全登場人物の女らが深く苦しみ、傷つけられ、全員が望まぬ一夫多妻の浮気で不幸になってしまう。
 だがそんな地獄じみた、性風紀の完全に乱れきったソドムじみた都会にひっこした、田舎育ちですれていない上、上級貴族の娘としてきちんと儒学・仏教式の教育を受けた浮舟は、全体で唯一人貞操観念をもたされている。
 なぜあなた方2人はそれ(浮舟側)が野蛮さだといっているのですか? 記述は全く逆ですよね?

 あなたがた2名が適当な嘘をついて、完全に悪意ある偏見で私の地元を「現実で」酷く腐している、その無礼な地域差別の非難はぬきに、単に物語をきちんと自ら読んできた人として、全くの嘘だ、とこうして完璧に把握しています。
 一体あなた方の読みは、原文や訳文のどの記述をさして解釈したのですか?

 ご存知かとは思いますが、常陸国は親王任国として平安時代から代々皇族が治めてきた土地柄ですが、延喜式では「大国」に分類される東国の筆頭で、風土記にあるよう昔から土地生産力が高いためのち御三家が置かれたりもしました。水戸黄門が有名ですね。
 常陸宮殿下の名称はその伝統を継いでいます。
 あなたがた2名は、一体、なにゆえにその殿下を貶める様な文脈に置きたがるのですか? 野蛮な土地だから? それでわざわざ皇族がと考えたのですか? 物語の中でも? 私はそんな読みをした人は人生で初めて見ました。一体どこの先生に習われたのですか? ぜひ後学のために教えて頂きたい所存です。

 私は私の祖母の遺品『源氏物語絵巻』もそうですが、自ら望んではいないのですが何かとこの物語に縁がある。何しろ、当の浮舟の地元ですし、私の父も祖父もその国の公務員です。知事ではありませんが、介という私の実名の名も、常陸「介」からとっている貴族みたいです。無論「守」は親王なので最上位の。私が日記も何度となく読んだ限りで、紫式部は常陸国をとてもよく書いているな、凄くひたすらほめているという印象でした。それは同時代人の清少納言が『枕草子』で、常陸と直接の関係はないですが、「常陸介といつ寝る」の歌をうたう乞食の女をそれなりにこっぴどく書いたのと対照的だと感じております。

 偶然ですが、私が習った先生はもうお年なのですが、調度わが家の前にお宅がありまして、『源氏物語』の研究をされていらっしゃる。地元の図書館などでよくその講義をされておられます。私は直接伺った事はございませんが。
 浮舟の人物解釈について、宜しければあなたがたの御講義を伺いたく存じます。

或る画家へ𝕏で送った絵画の感覚言語論

大昔、20代前半くらいの頃。僕の高校からの友の小野君という彫刻から陶芸に行った人が、あなたと似た事をいいました。私はその時
「いや、言語化できない領域は人にとって存在しないとみてもいいので、言語化を諦めるべきではない」
などといいました。例えば「全世界」といった言葉に全てが含まれます。

 今では、「絵画言語が別にある」と、あなたの意見と少し似ていますが感じています。最近の私の意見としては、視覚美術、特に絵の言語とは、視覚細胞を通じた、それ自体の感覚言語なのだという事です。
 ただ私の意見はあなたの意見と物凄く違う所もあるとも感じます。それは普通の言語自体の問題です。

 いわゆる普通言語は全世界に、或る種の意味づけをするため使われがちです。例えばMガブリエルの説がそれです。
 所が私は彼の意見にも反対です。特に意味ない言語、感覚言語といったものがあると、我々画家は知っている(「わーって感じ」「なんかいいね」とか)。よって全言語は意味論に回収されない。

 しかも、あなたの意見との決定的違いは、あなたが言う所の文脈主義や、感覚の理論化について私はあなたほど消極的だったり見切ったり全然していません。確かに言語化が難しい所はありますが、あなたがいう脳内で別部分を使っている面もあるからといって、感覚言語を普通言語化する事が無益とは限らない。

 確かに我々――私も画家で油画・洋画系から教育を受けた側です――が明治以後依拠しがちな欧米美術の方が、その種の感覚領域の普通言語化に熟達していました。よって、例えば同時代人でいえば村上隆さんみたく、自分の技の理論化や説明能力に長けた人の方が、欧米側で容易に理解され易い点がありましたね。

 よってあなたが言う事は一種の、欧米の既往の美術思潮への反定立だと感じます。いわばロゴス(論理)中心主義に対するある種の根源的批判として。
 繰り返しますが、部分的にはあなたの意見に近い点もありますが、私はあなたの意見にも反対です。感覚を理論化できる部分は理解や伝達に便利だからです。
 また、私は詩など言語芸術にも以前から深く関心をもっているのですが、普通言語の発展自体に甚だ努力している分野がある事にも注意すべきだと思います。普通言語で可能な表現領域が拡張・委細化する事は、事実上、我々の認知や伝達能力のかなりの部分を以前より優れた状態に持っていく筈だからです。

 実際、あなたがここで言う事は『今日の芸術』で岡本太郎が言っている感覚至上主義又は主観至上主義を、別の言い方にしたにすぎないともいえます。車輪の再発明をわざわざせずとも、主としてあなたが欧米文脈主義の普通言語還元要素を否定的に扱う要素が、岡本の美学に若干付け加えられただけなのです。

無茶な低教養暴虐による浮世絵文脈の壊乱について

いかにも学がありそうな人が、『鬼滅の刃』の遊郭編は人身売買の悲惨さが書かれてたからOKとか、藝大の「大吉原展」はそれに比べて外道とか滅茶苦茶な事いっていた。
 その種の論調は某というこれまた質よさげな政府の認める(笑)北海道あたりからでてきたらしい漫画家の人もとっていた。凄く呆れた。
 みんなはそうは思ってないだろうけど僕はもぎけん一派はこの世の害悪だとかなり思っている。それというのも彼らはスノッブ集団にすぎないのであるが、やることなすこと反社会的でデタラメなのに荒稼ぎしている。カネとるのだ。そのサロン。
 まぁ東浩紀のとかもっと酷いのかも。知らない。みてないから。
 ただでさえ高学歴芸人みたいなカテゴリーで自分をうりこんできた業界ハブ一味の空穴ともいえる御人なので、その後のろくでもない三浦瑠麗皆兵論女史や高齢者大量虐殺論成田悠輔の信者で共犯者一同とか、あとにた様な事以前にいってた落合陽一と古市憲寿とか。メンタリストDaiGoとかの。触媒になってる。Tehuとかゆたぼんとか際物といえなくもないバズ芸人にすり寄る事も度々あらしゃる。なぜかというなら、要するにめだちたがって俺かしこいっていいたいのだとおもうのだ。そういうポジショニングに命かけておられる。だからスノッブ芸人なのだけど。
 本当に反面教師だなと思っている。虚栄の天下は。

 大体、鬼滅とか全然男目線だろうし。作者が女だと隠していたのも無論、善逸とかいう自堕落な事で有名なヤムチャより遥かにたち悪い死んだらいい糞キャラが、遊郭は夢みたいな所だみたくいう。吉原遊女は美の頂きだ、しらないの?みたくいかにも江戸っ子論調で田舎育ちの主人公を玄人童貞ディス風に煽る。そんで某脳とか当時から大礼賛していたのだけど、人気と流行にのってなにがすごいのかぼくわかるもん!式に。大の大人どころかお年寄り世代に近いというとすぐキレまくりも典型的だが、はっきりいって老齢ちかいおひとが。情けない。
 それで人気に陰りがみえたらサポートやめたとか下らないとかいった。

 それが見て下さい、あの吉原展への大大大大発狂大弾圧を。なんでかわかりますか? 俗物だからなんですね。漫画しかわからんので浮世絵のおびてる厄介な文脈がわからない。あのですね、私真剣な絵描きだからもっと色々感じるところあって、なんというのか世界観に変更がありましたから。これのせいで。
 思いっきりポジションの先端にいるわけです。僕。最前衛なので。自負していうと。だから歴史的な絵画論ってのは過去の事なので参考にはするが、前線の方には参考資料集という扱い。でも今回は酷く変更があったのね。一種の大事件ではある。あいトリの表現の不自由展より決定的に、前線に影響与えうる。𝕏で説明できるだけしてみるか。あとでユーチューブで詳しくいうしかないけどさ。余りに事が酷いから。プロ中のプロとして一言いっとかんとあきまへんかもな。
 まずさ漫画だからいいって事はないよ。性奴隷地獄の美化が。それと子供に人身売買と性売買しつけてるわけだから鬼滅は。違法行為教えてる。
 なのにスルーどころか全力でほめちぎってるの、そのアート素人なのは間違いないどころか或る種のモブのね、文化人類学の初段にも立ててないのにバズって威張り散らしてた人。いかにも一億総白痴と昔の評論家がいった通りの光景ですよ。何万回もいいねされてるんだから、それが。ワイドショー衆愚レベル。

 ワイドショーが酷いんじゃなくて実際には国民側の民度が低いんだよね。特にあの様子だと東京圏が、東日本だと最低なのは間違いないわな。自分らで鬼滅とかいうごみを売り出して、吉原文化を作り上げたのも自分らのくせにこっちに喧嘩うってくるの。自分らで展示炎上させておいて。100%迷惑でしかない。
 これは西日本の方が民度が高い事を意味しないけどね。大阪維新のばか高い木造リングの荒くれ加減とかみてると東京と変わりないかもう少しひどいとも思うし、京都市の陰険ぶりといったら相変わらずの伝統なので市長選とかみてられなかったもん、酷くて。敵陣を陥れるのね。汚い言い方で。ネガキャンの町。

 やっぱ絵については説明するのやめた。僕は本質的状況が把握できてはいるが。素人の低教養の人らと各国学芸員中の高教養の人らが一種の文脈バトルをやってるわけだから、それらの結末まできちんとみてからにした方が全ての点でよさそうだ。我々専門と言える側からしたら浅まし気な場外乱闘にすぎないが。

春めく

はるのにわ吹きし空気のあざやかな色

僕の英文学習

茂木健一郎がいった事の内、確かに会話英語だと人口比から米語中心の現状かもだが、気軽に言えて通じればいいみたいな世界で、しかも米語標準が存在するのはあるのだが、それすら言わずに、国際通用語として適当英語でもジャンク文法でいいじゃんという雑さは、僕はあまり感心しない。日本語でも同じだ。
 一々いうのはおこがましいとはいえ僕が色々英文読んできて、というのも、僕は正直な話、英国の人々一般は本当に京都市の自称洛中人みたく深刻に驕っててすれてて、ひねくれてて、性格ひどく悪いと自分としては感じたからあまり好きじゃない事が殆どだけども、立派な英文だな、と感じるものもあったのだ。余りに凄いからまねできないがシェークスピアのソネットがそれだった。言い回しの妙がちょっと無理だなと感じさせる。やはり母語で完璧にレア表現使いこなしたレベルを非母語学習者が単純においぬくのは多大な困難を要する。やろうとはしたんだけど、やったから何って話でもあり、藤原正彦の言う通りだ。
 こうともいえるかもしれない。原理的に無理があると。異言語話者らはいつもこの問題と向き合っている。僕は確かに言語も言語学習も相当好きなので、いつもというか毎日欠かさずやってはいるが、日本語でデフォルト脳が作られてしまったので、途中で別のOSいれてもいつも厄介な構成になり整理に苦労する。なので母語で全力でやった状態を非母語でやってみても、飽くまで別OSを入れて無理やり動かしてるみたいになって巧く機能したとしても中途半端な動きになってしまい、もたもたした所が残ってしまうわけである。あれですね、今でいうとマックにウィンドウズいれて動かす感じで。無理は無理なので動くだけ。つまりこの問題からいうと、あの流暢なシェークスピア英語という次元に到達する事は殆ど無理なのである。それは日本語話者の間ですら、漱石級の語彙や修辞や言葉遊びが難しいのと似ている。しかも異言語学習者の負荷が加わり難易度はそれにまさっているのだから無理に近いだろう。うん。実感でそれです。

 所が、単純な語彙や言葉遣いなんだけど他人に伝わり易い表現というのもあって、そちらは異言語学習者でも十分できるといえなくもない。特にこの問題は一定の複雑さがあるから今から書く。
 まず米語標準や女王英語がそれでは必ずしもない。だがどちらもその単純英語の要素を含んでいる。
 単純英語ならできる、しかも、巧い事できるまでなら或る程度まで行けるのだ。努力で行けてる人や初歩的語彙だけでいいや、という諦めで特に女性がおばかにみえてもまぁ女性だからネみたいな自他甘やかしのジェンダー差別逆利用で行けてる場面はよくみかける。外国語圏に女がとけこめ易い理由の一つだ。
 自分はネット上ならかなりうまくやりとりできる。というのもネットだと文通できるからだ。自分は学校英語と文学からやってきて文語英語である。口語は殆ど分からない。僕の頃は聞き取り試験もなく話す必要もまず全然といえるほどなかった。なので丸で漢文の読解みたく英語の読み書きに努力してきたのだ。日本語圏としては嘗ては漢文、今は英文にかなり通じる社会だと考えていいだろう。でも口語の方はさっぱりといえるほど苦手だ。この特徴は、或いは今後も続くか残る様な気がする。文科省は最近少し方針をかえたけど、コミュニケーション用じゃなくて研究用の文法教育から始める特徴は学究的性格を示す。
 それで、じゃあしょうがないからもう英文で熟達しようと思ったら、シェークスピアの壁が厳然としてあった。恐らく、前世代だと最初にその高みに圧倒されたのが漱石だったのだ。それで彼は英語で書く作家にはならなかった。このところは実に面白い。建築家志望だった彼が本当に造家学科に行っていたら? ゴシック建築を学んだかは知らないが、恐らく疑似西洋建築との暗闘が建築家漱石の中で始まった筈だ。西軍勢の辰野金吾や片山東熊は思いっきり猿真似した。しかし漱石は不条理に息子を折檻するほど西洋追従を嫌っていた。自分にシェークスピア英語は無理だとの絶望は彼の中でも和文固有の特徴に悟らせた。
 僕も同じ経験をした。自分は『ハムレット』の翻訳を趣味ではじめたのだが、途中までになっている。前半部分だけ残ってるからそのうちだすかもしれないけど、代わりにゲームで2回もとりあげた。要するに英文和訳への熟達は翻訳家の仕事だ。飽くまで創作者の僕としては時間が膨大に無駄になると感じた。村上春樹はずっと翻訳も同時にやっている。趣味みたいなものだといっていたけど、そのせいで、彼の文体は翻訳調化していって、読みやすいわりに一種のぎこちない癖の強さに陥った。一旦脳内で米語風表現で考えてからそれを日本語に落として書く技は、彼が最初の『風の歌を聴け』からやってる奇癖なのだ。同時にジェイ・ルービンによる翻訳時には立石に水で、英語から各国語に訳されて得々としているが、春樹的やり口を大まかにこんまり的カジュアル日本凄い論でまねたのが、英国出羽守として有名なケンブリッジ・スノッブの茂木健一郎だった。なんか日本の受験英語教師にディスられ腹立ったのだろうきっと。
 日本人が書いた英語の系譜は、新渡戸稲造と岡倉天心の先例があって当然我々は参照しているが、彼らの英語の難しさは相当で、普通に学部英語レベルよりずっと上だといえる。しかし僕は茂木の英語論はおかしいとも思うし英文が綺麗とも思わない。英文は、通じればいいという事ではないと自分は思っている。チャールズ国王のかつて皇太子時代に書いた『英国の展望』だけど、自分はこれの文体が最もまともな随筆の書き方だと感じた。その種の正統文体みたいなのは、確かに今の天皇の皇太子時代に書いた『テムズとともに』でも感じた。どちらも文法を学校文法そのものみたいに崩さずに使う、という特徴がある。
 僕が最も優れているな、と感じる文体の内でも、芸術的な応用要素を或る程度減退させたとしても、まずは学校文法をきちんとやった方が我々の英語としてはまともな表現になって、今後の為だと感じるのはこの為だ。国王も天皇もそうだからという権威主義が理由ではない。教科書の文が書ける事は教育的だ。
 僕は野望があって、シェークスピアのソネットを超えるものを書きたいのだ。春樹の場合は、大長編の総合小説がそれだと言っていた。いまだにできていない。自分は英語たるべきものを日本語でまず書きならし、応用段階としてはかなり上まできているが、英語表現に逆翻訳すべきとの長期作戦をとっている。

 まぁそれは野望と書いたが、大志ではない。大志としては別にある。言わないが。今いった手順は、同時代でいうとカズオ・イシグロとは別のルートで英文社会の芸術面を攻略するという潜行型の最前衛の戦闘なので、恐らく僕以外でやってる人はいないと思う。
 一度試した。そしたらすでに成功していた。
 ある米国の中学生女子が僕に色々詩をみせてくれた。とてもといえるほどよかったのでいづれ有名になるかもしれない。親や先生に励まされているという。それで僕は自分もソネット作るよ、といった。そしたらみせてというので、英語で書いて送った。その女子はなんか僕に或る種の好意を感じたみたいだった。
 ちょっと童話みたいな感じでその女子を月の神みたいな兄みたいな心から励ますやつだった。ノルウェーのイノさんの隣にきてあんたこの人のなんなのよ的なことを言っていたが、その女子は自分に少しの特別感を持ったのだろうと思う。そこにある心の動きをみていると、いづれ自分にはできると踏んでいる。英語の学習はもうずっとやってきているし、文語なら基本的にわかるので、イギリスの知人にヒトラーの『わが闘争』だかを紹介された時の事だった。僕は和文で既読だったので英文だと手間だと遠回しにいったら、未読と思ったのか、お前は何年英語学んできたんだと言われた。彼は日本語余りできないのだが。

 前からブロガーのオベール・ガメという人がいる。ずーっと前にみつけて直接ブログ読んだのだけど正直僕は好きじゃなかった。なんか恋人だか妻だかなんかへの直接的な発情表現みたいなのをべたべた書きつけており、それが日本語圏だと全く感じが悪い。我々は奥ゆかしいから私信でしかそんなの言わない。英連邦の一部にいるのだろうけどあの種の表現を本国で好むかというとそれも違う。イギリスの知人が読んだらなんか皮肉の塊をいうんだろう。若干痛々しさをほめながら。それなんだけど、ガメは自分が世界の常識だみたいな顔をして、日本を外から腐す様な変形を遂げていった。評論家になってしまったのだ。何が深刻な問題かというと、コメント欄なのだろう。そこに西洋崇拝系の日本女がわんさかたかる。この人達が彼をつけあがらせてしまった。明治のボタンの掛け違いはそれをお洒落だと言い繕う。結果、目も当てられない比較文化悪用が産まれる。外国語を学ぶだけならいいがお国柄をその国語で否定は酷い。
 ところがまた日本の知性界には独特の風習があり、知的謙虚さの行き過ぎもあって自国否定が好きなのだ。それをやらないと右翼だと思われるから、本気の話、疎まれる。東浩紀や茂木が正統知識人の地位を事実上追われてきているのは主にこの為だ。しかもその空気に取りいり易い位置をガメは図らずも執る。
 この間、他の類型もみた。色々厄介な話になるが、第二の怒鳴門鬼に就くのだろう禿げた外人がいる。東大で教えてたらしい。ロバート・キャンベルというその人は、恐らくわざとではなく不倫帰化女を大和撫子と称揚する恥をかきすてつつ反論者らへ種族主義扱いで片腹痛いといっていた。傍らで心が痛かった。敢えて書くと野暮だが、片腹とか誤用で「かたわら」、即ちそばにいると共感力から可哀想で心が苦しく感じる、という古語からの語彙だ。『徒然草』で俺知ってる貸してみな式に出しゃばりをみた吉田兼好が感じた感じと似ている。僕も正にそう感じたが返信と引用全部読んだのに、誰も突っ込めてなかった。知らんぷりしておいてもいいんだけどそれはそれで心が痛々し過ぎた。よく関西芸人がいたた、とか言っている。それの知識人版に耐えがたくなり、一言和歌をかきつけておいたのだけど、ロバートが理解できたとは思えない。しかも遠回しじゃなくて直接本当の語彙を使ったのだけど。彼の文学力は鬼に劣る。移民国家からきて日本の秩序をガチャメチャにする。やればいいだろう。東京あたりなんてそれをサイバーパンクだと思いあがるしかないほど都市計画からして大混乱しており、自分らでつくっといて自分らで大規模なカネかけて日本橋を慶喜公の揮毫ごと移動するおつもりときている。水戸勢としては心苦しい。
 僕はおもいだす。水戸一高の正門をくぐって嘗てのお城の正面に鎮座している至誠一貫のあの実にこの上なく立派な書を。慶喜公は烈公の書前だと知ると襟を正し、正座を始めた。公伝の逸事に出てくる。後年にも確かな畏父の躾に誉れ高き不世出の英才が作られた事を思い返すと、東京勢の書の扱いが軽すぎる。
 文は書と共に洋の東西を問わず、基礎的な学芸だと考えられてきた。扱い方は詩の単位だったり文法・修辞・論理の単位だったりするが、片や六芸、片やトリビウムとして教育の基礎だと考えられた。
 けれど茂木はそれを疎かにし、売れる本を書いたり単に流行の話題で講演できればいいと考えているのだ。
 めいろまとかとかサンドラ・ヘフェリンとか、或る種の欧米出羽守系の比較文化乱用論者は最近𝕏を中心にはやっている。大抵見苦しいばかりか無礼千万なのだが、それというのも彼らは違いを準拠すべき標準があるみたくいうのだ。差は差でいいだけなのに多文化共生の中道をとれない。無学で狭量だからだ。
 大吉原展への放火は瀧波ユカリという漫画家がはじめたみたいにみえた。漫画自体は有名でないのでフェミニスト評論に生き残りの活路をみいだしてる人みたいだが、漫画かけばいいのにいきなり嫌味みたいな口調で、まぁみたいみたいを連打しているみたいだが、みたくもない。北海道から江戸文化再考の弾圧。同調している漫画ファンの学力の低さ。少しも関心できない。何しろ粋の美学や色道の文化人類学は無視し、過去に今の時代の倫理観を直接あてはめて断罪とか。それなのに複数基準で同時に平安朝の天皇強姦文化を賞美、『光る君へ』の事だが、さらに遊郭遊女賞美の善逸が出る『鬼滅の刃』を賞美していた。
 深刻な低教養がもたらした諸々の禍が結晶して膿になったのだろう。それが大衆消費文化を通俗性に最適化してばらまいてきた東京勢の業だ。最大数の共感を呼べばそれが立派になるわけではない。しかも浮世絵も漫画もその種の江戸東京の大衆美術だったのだ。一代目茂木が何をしたいのかさっぱりわからない。

 とにかくこの論考でいいたいのは、英文の事だ。僕は英文はかなり好きなんだけど、やっと骨がつかめてきた。随分時間がかかったが、一言でいうと、母語みたく実感を伴って使える所まで進む必要がある。初学段階だと頭で記号操るみたいな感じがするだろうけど慣れてくると母語みたいな語感を感じられる。
 遂には僕はやりおおせるだろう。その語感を使う事が自在にできれば、我々が日本語でやりえている事を別の言語でもできるはずだ。天衣無縫に空を飛ぶあの鳶か何かの様に。
 そして日本語圏の英語学習の為にいえるのは、文法を軽視していいという事は丸でないと思う。外国語学習には基礎が有益だと思う。

普段の行いが全てなのにそれが悪すぎる集団

或る島国の人々は下らない物ほめるか
陰険に悪口いうか
匿名で犯罪しいじめを続けるか
下らない事をしながら愛国心を主張するか
愚かな余りおごりたかぶって嘘ばかりつくか
人種差別の邪教をあがめ偶像崇拝するか
カネに執着し清貧な人を罵るか
女権乱用で弱者をしいたげるか
普段の行いが悪すぎる

芸術の標準

深刻な外連が芸術の標準を戦勝国に置く
それなら暴力を美術といっていればいい

2024年2月13日

宛てのない手紙

あなたがうつくしいということは
まるで宇宙で最高の真理
だからあなたの為あらゆる心をこめ
無限に積み重なる恋文を書きました
けれどそのどれも届かない
あなたは既に誰かの物
では私の心は宙づり
いつか届く日を待ちぼうける故ある手紙は
一体誰に宛てていたのか
燃やせばいいのか困り果てています

真の美術

偽物ばかり賞玩されているから
僕は毎日悪寒がするほど辛い
特に𝕏は地獄だ
下らない漫画に五万といいね
でも見事な絵はどこにもない
僕が一人でそんな絵を描いてみても
過酷労働に見合う報酬は何もない
誰も何の反応もない
誰も見ていないのだろう
真の美術は絶えて久しい
僕の心だけにみえているのだ

天皇の法的地位の一法解釈

天皇の法的地位は憲法1条で象徴とある。よって国家元首ではありません。
 国家元首の定義にもよるでしょうが旧日帝憲法4条では天皇が元首と明記された一方で、現憲法4条では国政の権能を持たないと明記されている為、元首権を持たないと考えられます。
日本国憲法1条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
4条1項
 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

大日帝国憲法4条
 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

春の夜の夢

ねこのこのながむ浮世絵ものがたる在りし日の夢過ぎし春の夜

山上烈士

山上烈士
2024年
PNG画像、資料写真
1996 × 1996 px
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あの夜

あの夜に
僕らは空の向こうにいた
あの夜に
僕らは地上をこえて
宇宙の果てに輝いているあの星々になり
やがては消えゆく現世のどこかで
僕らは流れ星になって消えてしまった
あの夜に
僕らの心は失われてしまい
今ではからっぽの魂が空き缶に落ちる雨音みたいに
僕らのむなしい2つの墓を語っている

福島原発事故後

科学的懐疑主義を決してお取りになられない原発右派の方々は
きっと あの素晴らしい安全神話に大幅加筆され
イグノーベル大賞の方をお取りになるおつもりね!
その愛国心に人らしさ完全無視の大英海賊団風ご姿勢
ご立派だわぁ
うむ是非とも私淑させていただきたいものだね
我々の祖国 脱原発ドイツも

性奴隷美化批判二重基準勢の暴挙

吾峠呼世晴の子供向け吉原遊郭美化描写にはだんまり
藝大が花魁画ポップ調展示企画で大発狂し全日本男蔑視
性・人種差別系勘違い欧米出羽守の恥知らず加減
飛んで火に入る美術素人の虫
人文学素人の政治的正しさごり押しで連続侮辱罪お疲れ

偽芸術

自慰像の販売業者が京都にて展示をすなりアート風漫画

大吉原展開催前の吉原遊郭美化批判に寄せて

性奴隷美化する風潮つくりだす会田誠の『犬』はいいのか

国籍差別との戦い

最上の美人の様に真の賢者も殆どいない。「賢を賢として色に易え」は『論語』で最も解釈が難しい箇所だと思うが、多分哲学者の出現率は古代中国では好色者のそれよりずっと少なかったのだろう。今も同じかもしれない。しかも日本でもそうだ。
 この件について本居宣長の浅はかさは信じられないほどだ。上田秋成は当時もまともだった。それはわが時代でも似た様な事なのかもしれない。いってみれば茂木健一郎が本居の様な立場でただの通俗出羽守論者なら、吾輩はその批判者で随分な正論を述べている。事が外国崇蔑を巡ってあべこべなだけである。

神に嘉される為に

先日、イーロンマスクが「知恵は金より重し」と投稿していた。目も眩む様な大金で彼の買った𝕏で自分がみたなかでは最も偽善的な言葉だった。イエスとイーロンほど対極的な2つの人格があったろうか! 米国の清教徒はとりあえず全ての金庫を破壊し、中身を貧民窟に配ってくればいい。神に嘉される国の為。

一般知能指数の誤り

愛すべき人が高IQとはかぎらない。

賢者と騒がせ者

自分の至らぬ所を気づかせてくれる賢者に近づけ。だが自分にとって日々下らぬ話題をもってくるお騒がせ者らの間には混迷しかない。

尊者の道しるべ

尊敬すべき人がいる、という感覚は、我々を自己向上に導く重要な道しるべだ。だから敬うに足る人をみいだせば、その人を追いかけ、ひたすら見習う様にすべきだろう。

無批判主義

物を考えない人々にとって批評・批判・論評・理解とは最も耐え難い認知不協和音である。

愚者の博打

SNSは巨大なエラー集、又は誤った記事ばかりの辞書。無知の見本市。玉のない石切り場。思い上がった恥知らず達の罵り合いの剣闘場。さもなくば諸犯罪のアジト。そして極悪人の最後の隠れ家。そんな所を大金で買った奇特な変人の自己満足は、資本主義が愚者の為のゲームであると教えている。丁半博打の末路は一つ。

不知的可謬主義

失敗する事は重要だ。我々は失敗を通して最もよく学ぶ。また、失敗は我々の驕りを冷ます。神ならぬ存在として自分を謙虚に保つには、失敗を繰り返してもめげず、課題へ挑戦し続けねばならない。
 我々の知能は不完全で、完成された機械ではない。常に可謬的だからこそ柔軟に行いを正せるのだ。

チャーリー・マンガー讃

チャーリー・マンガーはしんでしまったが、自分が同時代で見た中では傑出した哲人だった。彼の金融知識の精度や投資における著しい徳の高さはいうまでもないが、世界には実際に賢者が存在する重要な証拠になっている。
 そして彼の様な存在がいるからこそ我々は自分が賢者かの様に思い上がらずに済む。

欧米サロン作家の邪道

先日、某画家をみかけた。𝕏上で。そして何か上から目線で「日本の人達へ知ってほしいのは」とかいっていた。名誉白人ポジションから日本に帰朝者顔で何かを教えるみたいな言いぶりだった。
 東京藝大の油画専攻が生み出した魔物で、完全な偽物だなと感じた。黒田清輝以来の失敗作。
 村上某はあそこまであからさまな俗物だったろうか。違ったと思うのだ。飽くまで国粋主義という要素を、いわば岡倉天心側の姿勢で維持していた。唯そのあり方が卑劣なだけだ。
 だが某画家(Iとする)は違った。黒田の様に、西洋主義を笠に着て日本の芸術界を下に見るという実に醜い態度だった。
 我々が西洋に生まれようが東洋に生まれようが、やっている仕事に違いなどない。だから彼はいわゆる業界ゲームをやっているにすぎず、しかもそのあり方が完全に下卑きったものなのだ。自分が全人生の中でみた全ての人々の中で最大の俗物だった。
 茂木健一郎氏も似たイギリス出羽守だが、Iはより程度が酷い。日本美術という視野がないのである。茂木もいっていたが油画専攻に基礎的教養教育が施されていない事は明らかなので、コランに諂っていた黒田の姿勢をそのまま繰り返してスター面しているだけなのである。しかも作品自体は単純にごみ同然だ。
 我々の時代では既に国粋主義の様な必要はない。国家的課題が違っているし、状況も丸で違う。寧ろ文化多様性が重大な議題で、文化帝国主義は間抜けなBBC記者ルパート・ウィングフィールド・ヘイズのJ-pop無理解の証にしかなりえない。音楽教育を受けていないだけでなく魂が腐っているから植民地提督面だ。

 相手にしなければいいのだが、一言釘を刺してやった。彼はこう言っていた。絵は感覚論なので言語化できないと。そんなの感覚論こと美学という哲学の分野があるのだから、無学さの証明にしかならない。原理的には視覚美術は視覚の議論を扱っているが、平面や立体の考察を通して理論的把握の必要がある。

 いかにも愚かそうな、俗悪な素人みたいな人が「話しかけられて光栄です! 大ファンです、わぁ」とかいっていたので、自分は傍ら痛く、その偶像崇拝業界ゲームの気持ち悪さに耐えられなくなったのだ。あの種の偽物崇拝の風土が広がると遂にはジャニーズ化するだろう。世界美術が偽物のはびこる東京芸能界みたいなものになるべきではない。自分はいかにも物を知らなそうなふりをして、結構な長さの独り言みたいに返信したあとで、結論として岡本太郎の主観論の車輪の再発明だとガツンといってやった。恐らく当人の知能からいって理解できないと思うし、正に立派な技にとって醜く悪質極まりない大抵の取り巻き共も、何を言われたか気づかなかったろう。恐らく当人の知能からいって理解できないと思うし、正に立派な技にとって醜く悪質極まりない大抵の取り巻き共も、何を言われたか気づかなかったろう。それで変な人がいるものだ、みたいに無視していた様子だった。
 同時代のありさまがそうだったのだ、という事については歴史に記録する価値があると考えこの文を残す。嘗ての時代でも繰り返されてきた光景だが、サロン作家というものがいて、彼らは偽物にほかならないが、明らかに同時代ではアートスノッブから称揚されているのだ。偽装の技能だけで生きている連中の末路は、単に大した作品を残せず、労せず手に入れた中途半端な名声を種に、散々一流アーティストのふりをしてしぬだけだ。だが彼らには何もない。あるのは下らない衆愚を相手に一種の心理主義詐術をする事だけである。
 近づくまい、決して。邪道の果てには地獄がある。

多文化の宝石箱

BBCのルパート・ウィングフィールド・ヘイズという記者は、茂木健一郎というただの技の門前小僧にだけ目配せするかの様に、アートのマンホール蓋は好きですよ! とか言っていた。ルパートが死ぬほど性格悪いのは無論、異文化差別心で一杯の純粋な悪意の塊で、僕は野蛮な彼に本当に心底軽蔑感を感じた。茂木も同調し媚びていた。イギリス出羽守する事が何かしら偉人級の選良主義みたいに。全ての観点から見返してもやはり彼は彼で唯の胡乱な世間知らず、且つ下卑きった勘違い名誉白人に違いないが、どちらの人物もこの世のものとは思えないほど最悪の人格で、僕はめまいがする様だった。文化のない人々!
 イギリスという国は単に信用ならないだけではない。芸術文化という立派なものとその奥にある人の心がないに等しいのだ。だからこそ、国営放送が他国の大衆歌を馬鹿にした。それは他国の普通の人々の心を罵る事だ。僕が知る限りそれほど邪悪な振る舞いは嘗てないほどだった。世界海賊団の異文化蔑視。

 幸運だったのは僕がイギリスを祖国としなかった事だ。もし僕が彼らの一員だったら、どうやってあんな粗野で魂の腐り果てた民衆を統治しようか完全に困り果ててしまうに違いない。
 どんな音楽教育を施そうと、惨めな心根の海賊の末裔たちに、世界は色々な文化がありその中で尊くかけがえのない人らしさが、さも宝石箱の中の千差万別の輝きを放つ魂の万華鏡の様に輝いているなど理解させる事はまず、できない。
 茂木はもとのできがわるいから、わざわざ悪い国へ行き悪いことを見習ってきて、不良化したと気づかず、どうでもいい様な神経の常識をまるで世紀の天才になったかの如く鼻にかけている、ダメ人間だ。ダメ人間のモデルを示す目的でなら成功者だが、自国の大衆歌すらわからないのは人の心に暗いせいだ。

 メルケルという頭の堅い首相が多文化主義は完全に失敗したと言ったが失敗しているのは当人の頭で、数学者には多文化主義概念は複雑すぎ、理解できなかっただけである。現実に、ドイツ国内も文化は一律でなく各家庭だって個人だって違う。移民政策の比喩のつもりだろうが稚拙な物言いで雑な人柄だった。

 余程の盆暗は、その様に、無学な単なる世襲議員・安倍晋三級の連中に混じって自分達が主要国だと抜かす間抜けな時代があったのだと信じたくない。BBCのどうしようもない自文化中心主義は、連邦と勝手に呼ぶ異国人奴隷制を敷く植民地を幾つも暴力で無理に作った、野卑で冷酷な蛮族の実態を今も報せる。

洋崇和蔑

米国や欧州に移動した日本人のあの態度
ただの出羽守にすぎないが
問題は大抵の馬乗りが見当違いな事だ
知ったか面で無教養をさらしながら
日本の立派さを下らない欧米式で腐す見苦しさ

人類生存の謎

人類は信じ難い無知の集まりなので
納税奴隷制の天皇政治は肯定し
皇族男の連続強姦小説『源氏物語』を賛美し
日々行われる舞妓の子供人身売買罪を無視しながら
京都は魅力が1位だという
唯の絵の展示会は
遊郭が描いてあるだけで弾圧し驕り高ぶる
人類がなぜ生きているのか
自分には少しも分からない

ドイツとイギリスの報道比較文化にみる国柄と政治志向の違い

ドイツZDFの原発揶揄動画は、根底にあるのは推進派の工学過信による人間性の愚かさの風刺だが、イギリスBBC記者ルパート・ウィングフィールド・ヘイズによるJ-pop中傷は、単なる異文化差別である。悪質で粗野、無礼、無教養なのはイギリス側だ。ドイツ側は寧ろ推進派が人間性に反する事を啓蒙している。

屑の皇室崇拝系外道衆と天皇強姦文化の最悪共謀

人間の屑である皇族男らの連続強姦話『源氏物語』
日本女を中心に文学者は心底根性が腐っているので
自分が妃になれると思いさえすれば
浅ましい利己心から天皇強姦文化を大讃美している
さらに馬鹿げているのは読みも読めもせず
知ったかぶって賞美している外道だ
浮舟を下女扱いは本当にびっくりした

2024年2月12日

戦勝国野蛮説

戦勝国とは野蛮だという意味だ
だから戦勝国に媚び諂う女は馬鹿だ
暴力を振るわれているのに喜ぶとは
DV被害を要求する悲話にすぎないのだが

欧米アートの偽物

欧米でうけていると偉い顔をしている芸術家
馬鹿なんだなと思う
だからそれで何かが上になったつもりなのだ
実態は何もなく名誉白人ごっこしているだけ
明治時代から何の進歩もしていない
しかも当時も漱石や天心らまともな人もいた
偽物はいつもいるという事だ
少しも騙されず冷酷に切り捨てるべきだ

浮世絵師と遊女の美学

恋愛理想論をお信じにならしゃる日本女連のうち女権過激派がいう。吉原遊郭は性奴隷の使役場に過ぎず苦界解釈しか絶対にありえない燔祭級の地獄絵図といえと。
 女性主義の行き過ぎを少々緩和したとしても確かにその面はあったろうが、問題はなめ猫式に花魁を頂点とする奴隷社会が成立した事だろう。

 遊女の人間模様が幾らか通俗的でもありつつ一定より同情混じりの興味を惹くので、人類一般は主にその人らしさだけに注視しているのである。浮世絵中の遊郭の様子を確認する大半の人間は恐らくだが、特に性交やその模擬行為の中身とか、女衒らの良心のいかれた人でなしぶりとかに共感しているのではない。奴隷社会にも一定の秩序があり、勝山の場合のよう違法な湯女から政府に捕まって公認の吉原遊郭へ送られ、そこで禿だちではないのに「伝説の花魁」まで出世したとも言える人も実際にいた様子から、多分、花魁の世間的地位をめぐる報酬や評判も、江戸娼婦界では少なからず知れ渡っていた筈だ。街娼に比べ、吉原の花魁の方が明らかに地位が高かったのが公的事実なのだろう。
 さながら今でいえばAV女優のうち最高の地位を占めている人みたいなもので、ビデオという媒体が出てきてから主に都内で裏社会を形成しているが、江戸、明治、大正、昭和、平成、ときて令和期も、お江戸東京は特に変化がなかったのだ。基本的人権の面で少しは進歩したが、やっている事は何も変わりがない。性奴隷ではなくなったかもしれないし、こないだの法整備で事実上公認してしまった形になっていると思うが、報酬きくと驚くべきものだから、AV女優の中の頂点の人が昔でいう花魁の地位といっていいのではないか。だとすると、逆に類推し、江戸期も禿だちではない志願形で花魁めざす人がいたのではないか。

 大吉原展弾圧が複雑なのは幾つかの問題集を同時に孕むせいだ。
・美術展弾圧はナチ超え前代未聞
・吉原遊女は性奴隷と志願者が混在説
・遊里文化要素があり江戸東京史の不可欠の一部
・本意の娼婦の権利擁護
・性売買の有罪・無罪是非論
・子供人身売買の非難
・今の吉原地区の法的地位と文化尊卑論
等。

 根本女性主義者らがいつものよう大発狂し、大口撃をしかけてきているのは確かだし自分もやられたが、唯の市井の大人しい画家まで大弾圧だから、何もみてないのである。絵は。彼彼女らは技に興味がある訳では毛頭ない。単に女権至上で男性差別を上野千鶴子がやってた様に見えた様にやりたいだけである。だから美術関係者が絵メタ認知論でまともに反論しても何の効果もない。大大大発狂されブロック、純粋悪意から数万人群れられ、イイネ引用嫌がらせや無数の暴言を吐かれ、女権至上暴徒に集団冤罪BAN目的で通報攻撃されまくって終わり。𝕏ではいつもの光景だから慣れっこになっているが。酷い伝統だ。
 先にも何度も書いたが、『源氏物語』は皇族男の連続強姦話で被害者女が自殺未遂後出家し終わるというとんでもない悪魔的皇族特権乱用話、しかも女権は完全無視されている地獄絵図自体で読むたび深刻に気分を害するが、根本女性主義者らは長文読解力がないのか、全く無視して大河ドラマを大賞美している。

 つまり根本女性主義者が依拠する理想論は恋愛至上主義で、その中には自分の本能由来の害他的利己心の塊を人権乱用で正当化する完璧な悪意がある。自分はそれを知っているし、元々妻の知能への理解から婦人参政権を主張してたミルら男主導の女権論のはじめ、相当の女らは嫌がっていた事も思い出される。

 この場合も、一言でいえば、過激女権を盾にとって欧米出羽守演じつつ、米英帰り春画弾圧で低美術教養のお間抜け晒しつつ、性嫌悪や性被害トラウマ帯びた因縁ある大正義派を気取りつつ、絵画展を大弾圧する事に女権を見る人々は唯の権利乱用者なのである。過去の性奴隷弄び論調非難は自由権に優越しない。
 美術表現について展示側が或る文脈を作っている。それが性奴隷を介在させた過去の江戸東京セックスパーティ大乱交模様の、「!?」と感嘆符と疑問符を重ねての驚嘆系疑義だろうと、確かに自由権の一部だろう。
 同時にやめさせろと叫ぶ権利はあるものの、実際にやめる必要はない。論評の自由だからだ。
 吉原遊郭は江戸時代から昭和時代まで続いていた。だからその中での歴史は既に過去の事になっており、一般には法的時効ともいえる。ただ倫理的責めは負う。
 当時は合法だった事を鑑みても、性奴隷含む遊女らの姿を時に偶像崇拝の如く美化し時に憐れな心中模様を劇化しようが、それは画家の工だった。

 過激女権論者が大吉原展で攻撃対象にしている敵は、彼彼女らには明白にみえていない。だから全方位に乱射し恨みを買い、潜在的味方の市民まで巻き込んで革命軍を気取っている。事実上の無差別攻撃に自分も被弾したが、想定をこえてはいなかったのですぐ治療・反撃し前線に復帰できたが、自由権侵害だ。

 酷い女性蔑視だ! という。クーンズのポルノ芸や会田誠のアンチフェミ全開女体凌辱系抹殺画に比べれば2代目高尾太夫の操伊達の劇画は恐らく貞徳啓発上ましなのだが、美術史でなく直接参照にされているのが単なるワイドショー空間的な暇な主婦の井戸端会議なので、遊女の美学の考察すらすっ飛ばしている。
 小紫太夫は何と言ったろう? 後世の女性が権八みたいなダメ男に惚れるなんて馬鹿な花魁だという、それでもあんたは立派な女だと涙ながらに苦境を憂う、ただ単に男どもを恨むといいつつ連続殺人鬼の為に操を立てた極端な娼婦のありさまに今は昔としらんぷりする。遊女の美学の権化はそれでも、いたのだ。

 闇に押し込めて見なかった事にしたいという。なぜなら色道の専門職なんて年季奉公奴隷制の副産物で、女側には四十八手無用でそんなの江戸町人界の「悪しき幻想」だと茂木健一郎と一緒にいうのか? 明治政府の下で描かれた花魁の油画は、彼らに何を語りかけているのだろう。恥知らずの令和の欧米被れに。ある女が言った。恥を知れ! 間違いなくそれはお前だろうとすぐ思ったが、そう言ってもしょうがないというか即発狂するのも間違いなかったので、性の悪い米国被れ恋愛理想論者だとはわかりつつ、長々説教で応戦した。どうせ理解などできないだろうが。なぜ画家が遊女のかなしみを無視できなかったのかを。