2024年2月15日

NiziUの何が優れているか

昔、デビュー前のNiziUを茂木健一郎が突如、大礼賛しだした。僕はとてもびっくりした。だって、デビュー前に何が分かっているのかわからないが、言っている意味がわからないのである。とにかく褒めちぎる。
 さっきやっと意味がわかった。
 茂木はNiziUをほめているのではないのである。
 
 彼はNiziUがBLACKPINKとかBTSみたいに米国でうける事を期待していたのだ。しかもそれがフライングするほど過度だった。
 こんなの普通気づけない。彼の俗物さがとんでもないレベルだから我々一般人には想像もつかなかっただけだった。それを欧米出羽守の大衆迎合と呼ぶのかは別に、そういう事だった。

 欧米市場のうち米国市場は、確かに音楽市場では日本市場より大きいとの資料が多い。だから日本市場が2位くらいの大きさなので1位に準拠したいとかいう商業主義。これに加え、明治以来の欧米崇拝が加わる。特に茂木は自主英国文化植民地主義者とも考えられる要素があり、万事、英国勢に準拠したがる。
 彼はこうも言った。「アイドルをいいと思った事は一度もない」とか。自分でNiziUをあれだけデビュー前にもちあげておいてなのだけども。デビュー前に。アイドルを。
 こういう現象を「もぎけん現象」とか「もぎけん化」とかいえると思う。家とか施設で高齢者の介護をやってるとほぼ毎日似た経験する。

 善解釈してあげるとこういう事だ。あとで悪解釈版もいうけど。
 茂木は日本の世界的地位が低下する事を憂いている。それは国力の低下に等しく、文化面で芸術家らに国際的名声を得てほしい。なのでNiziUがあのTwiceプロデューサーのパク・ジニョンから日本勢で送り出されるから、世界でうけてほしいと。
 ここでいう「世界」に日本は省かれている。まぁ金融でもそういう分類あるけどね。日本のぞく先進国株インデックスとか。文化面だとあんまり聞かない。「日本のぞく先進国中心に受けてほしい」といえば、茂木が言いたい事にとってより正確になる気がする。なんでかというと名誉白人ゲームなんだと思う。
 
 こんなに翻訳しなきゃ理解できないんだよ。もぎけんのいう事は。だから毎日本当に苦労していて本当に大変だ。志村けんに仕えたお侍さんのうちの一人みたいな。仕えないけど僕は。決して。
 御輿は軽くてパーがいいと言った人が誰か定かではないけど、小沢一郎殿かな。天皇政治の事だろうね。本当は。
 
 で悪解釈版も考えると、要するに日本の文化的主体性を自分で投げ捨てている。茂木は当人にこれといった美学がないので、しいて言えば僕が𝕏返信で
「あなたの英国風喜劇が日本でうけないのは日本人の味にあわないからだから、あんぱんみたいにすれば?」
といったら、和みの道がぁとかいってぱくられた。じゃあロシアのプーチンさんともイスラエルのネタニヤフさんとも和めるのだろうか。相当難しい課題ではないか。それができるとすれば日本が芸者的動きをしてお大臣さまぁとかいって、国際秩序の無定見な太鼓持ち行動してる場合くらいではないか。そしてそんなのいい事だろうか。ひろゆき誉める和み道。
 それが悪解釈なのは悪解釈だ。だって『クオリア原理主義宣言』や『和み道』が、彼の一種の美学を語った文といえなくもないだろうから。ただ必ずしも同意できないだけで。
 つまるところ、NiziUは蚊帳の外であり、まさに歌舞伎としての本質は評価対象ではないのである。単に国威発揚の駒扱いみたいだ。

 僕はその後、本当にNiziUはいいのかな? と思って長らく観察していた。だって茂木がやたらめったら褒めちぎっていたのだから、普通、僕みたくリアルアーティスト側からしたら、芸術性が高いのかな? と思ってみるだろう。そりゃーアイドルも歌や踊りの芸術家といえるだろう。最初僕は懐疑的だった。
 確かにTwiceは最強レベルに凄いだろう。アイドル界でも。ただそれは国際的混合グループだったからというだけではなくて、何というのか独特の性的魅力を帯びた或る種の理想的な女神感を示しているのが。少女時代やTTSの時もそんな雰囲気がしていたが、より加速している様な気がするし、Aespaも更にだ。思うに上場企業の所属アーティストらだけに、給料も沢山もらえるだろうし、事務所の手も入ってるんだろう美容に加え、レッスンみたいなのもずっとやってんだろうし。カネかければいい音楽家、映像作家とか演出家らも雇える。だから商業歌舞上で最強化していく。
 その流れに乗ってるわけだ。NiziUも。
 NiziUの楽曲は基本的にこういう意味でどんどんポップになって行く様な感じがあり、こないだ韓国側でデビューとか言っていた気がするがなんか好評だった気がする。
 つまりアイドル育成とその興行業で、やはりパク・ジニョンは有能だったのだ。僕は整形文化の浸透を心配していたがそれとはまた別に。
 茂木が言っていた事は、目的がただの国際的名声で俗悪だとはいえ、NiziUを彼の名誉白人系俗物根性に基づいてとりあえずデビュー前にほめてしまっていたのは、目的の卑しさとはあべこべに、結果は、そう大きく間違ってもいなかった。但し、正確には、目的が変なので、彼女らの芸術性を評価できていない。

 芸術性は商業性そのものとは必ずしも一致していない。売れたものがどれも芸術性が高いわけではない。

 ポップカルチャーの中でKPOPの位置づけは最初はJPOPのまねとして生まれた。しかし途中で別の歌舞中心の方法をとり、今ではかなり異なる世界になっている。
 その中でNiziUは両取りの位置にいる。
 KPOPは日本や米国に売り込みをかけてくるという特徴をもつ。おもに国内市場が小さいからだ。NiziUは英語でも歌っているが、米国側ではまださほど売れていない様に思う。しかし日韓は取った。同じプロデューサーによるTwiceは日米韓を全部取っていると考えていいので、多分同じ事ができるのだろうと思う。

 目的が卑しいというのが決定的な問題だから茂木自身の批評的資質は低評価せざるをえない。むなしい功名心は人の卑しさではあっても、立派さとは遠い。実際に重要なのは、芸事によって人間に或る感動を与え、心に良い影響を与える表現能力だ。その点ではNiziUは若さの価値をよく表現できているのだろう。