2010年12月31日

文明と扶養

人類が、文明化に伴い高い教養と共に少数の子供を望むのは客観して人口支持力の為といえそう。それは所得を上げつつ失う扶養数を節約したがる。多すぎる子孫数についての有名な諺は、内的増加傾向としての低度の教養に伴う再生産率の早さ、乃ち早稲さの代名詞に繋がっている。
 この傾きは文明化が、人口分の生産性を所得水準に比例した教養度へ定めたがってきた事、要は文化形質に伴う豊かで多彩な人生経験を大多数の子孫へ願うのを宿命じみて説き明かすか。長寿の適所では所得遅滞に伴う晩婚化が専ら忙しく進み、その場の誘因から幼型な血筋に洗練が伴う。文化に極度の高い複合型があてられれば、生態機能の完成は特有の適性へこの血族に含めて社会権能を形質へのりづける。ゆえ教育のめあては実に天才さとしてみられる代表な社会権能を抽き出す圃場作りにあり得る。一般に秀才の群れに於いてしか凡庸と隔絶した天才性は伸び切りえない筈。平均教養の底上げは、多様さに勝る特徴をはっきり目立たせるにも必要。
 かくして文明が少子高齢をいくら進めても困る者はおらず、労働力は機械化と外注で賄われるのでその徳は堆積する許り。且真に文明とは労働の義務からの脱却で、進むなりに我々が担うべき客体の理由は少なくなる。

2010年12月30日

範畴三元論の限界

カントの三元論は実は基本な範畴論であり、自体は理念内の定義なのでかえたり違えたり自由にできる。その意味で実際のカント三元論は言葉の仮想で、実在でない。柄谷氏がたとえばこの三元論を下敷きに社会構造を分析したのも自体は、仮想の枠組みを転用した訳で現実に三元論の仕業が創造主から与えられていた、のでもない。人為による仮設物な限り、三元論は物自体になりえていないし神そのものへの信ですらない。
 更に現実の社会な能力はこの三元さに厳密にあてはまるのではない。要するにカントも自覚していたらしく、この範畴三元論は基礎づけの意味としての批判を行ったのみでそれに於いて結論になる訳でも学術の結論になるでもない。人は随筆の類別で厳しく知識と理念を分ける訳にもいかず、かといって私情にわたる理知的随想を文芸の値より外から教科書とするにも気が引ける。範疇三元論は大まかな学術傾向の分類に使える已。自体は功績だが、基礎認識に留まっている。そして詳細に亘っては未だしられない無数の分野と認識の方法論がありうる。

2010年12月29日

趣味説とイギリス功利主義

社会な功利さ、巧みさは人倫と矛盾する利己さに返せない。こう捉える原理主義者は、功利説が自体の福利を徳の基礎に置いたと分らずにいる。よってこの人が多く自己犠牲に伴う利他行動の正当さを力説するのをみるが、我々は使用者の思想が使われる者の幸福と何等齟齬しない許りかその強化力線に繋がるのも悟る。
 日文でいう功利が、利の文字面と功の意味合いからかれらの勘違いをうけさせやすいのは一理。ゆえ日語化したutilitarianismを趣味の用語にまとめるのはイギリス功利主義との区別にも使える。ここでいう趣は、使用する者としての心得により語感が近い故。
 趣味説の本質は適材適所を意図した幸福主義にある。習性な場所官能は彼らに千差万別の合目的さ、審美観を植えておりそれらは縁起している。イギリス功利主義の中に動物功利主義の側面や清教徒説との漸近が暗黙づけられた結果、植民化帝国理説が燃やされたのは彼らの口に場所学の覚えがなかった事による。場所学は風土論から起源した地域哲学だが、単なる地政学、地理の政治史とはことなる帰結をもち、比較文化を前置きにした倫理分析へ進む。そこでは生態知の一切が用いられう。故に生き物とみた全ての動態は人類その他、及び微生物含む無機環境への洞察迄もが類推のめあてとなり我々が、知覚基盤をもことにするゆえ一律な理説への狂信を戒め、文明活動を含む適度な共生の仕組みをめざさせる知恵ともなりえるもの。

倭奴観察記

倭国内遍在多妻制度乃誘因之最近世迄。倭奴無畧放埒淫蕩乃観念、不忌避而姦淫文物乎。且現代倭界不潔無衛生式風習蔓延倭乃関西的舞妓芸者。

 何故倭奴適応之低劣姦淫常態而理解可能乎。彼等当然之侮蔑賤業実際倭奴国内有職業病質於京都特筆的。
 倭奴之歴史上而関西圏及西海九州、西日本以来中部常住且連帯飛散。東国乃東街道以東以北国比較少数之倭。天皇家之倭乃王。畢竟彼往来土地変風習此低落堕弱化也。

2010年12月28日

姦淫都政の徹底撲滅

狂ったDNAの石原慎太郎管轄にある都警は永遠に、周辺国へ迷惑な犯罪行動をまきちらす姦淫映像会社とその部下を取り締まらない。

よって、周辺国の総意により『石原都撲滅組』を結成し、その猥褻物頒布罪人ども一切を監獄へ入れ、現都知事は誤った地位から抹消せねばならない。法規範を逸脱させつつ金を搾取するしか機能のない都など害毒しかない。

2010年12月27日

世界内で築き上げられたどの体制も束の間
現し世に生きるどの命も虚像
嵐! 嵐のあとに走り去る人影と海
どうでもいい程いそいでる倭に能無し
走らされた路面をかく再び走り去る

ルバイヤート+1

糞女が殖えまくる
そいつは倭奴といい
勝手に暴力団でこの島を
独裁した腐った血統
 それから何千年たったんだっけ

全くどうでもいい
この世にうみおとされ
やがては糞ジジイの金儲けの出汁に
使われて死んでく丈なら
 天皇様は本当に偉いんでしょうねえ

何億もの侍
かれらは亡霊
倭奴が殺しまくった
卑怯者の文明の墓に眠る
 僕はかれらの声に耳を澄ませる

終った世界
それから無限に続いてく今
なぜ君はここにいるんだ?
既に日本は終わってるのに
 倭奴が独裁した姦淫物語陳列罪の害悪国

南蛮倭奴

税を貪る南蛮倭奴が
浅ましい淫行勧誘罪の銭儲けでこの世を汚染してく
私は無意味な世界に絶望し
猶も金ぴかで威張る皇后をじっと見る
最低俗物の東京関西日本国
下賎すぎる首長が金儲け戦略と号令
それで何が変わった
目の前には公然猥褻犯罪都民があふれかえる
殺されても湧いた猥褻物頒布罪の関西倭奴
その血や文化が穢れな証拠にまたも
売春犯罪で舞妓芸妓を育ててる
倭の卑しい血統書では穢れた芸者しか育たない
原爆で消されて正解だった極悪民族
子供にみせる姦淫小説原作映画
その目の前で変態漫画を破りつつ
想像力規制だと邪悪な関西系都知事がいう

2010年12月26日

英雄

なぜこんな汚い
世界にうみおとされる
苦しみと過ちにみちた
俗物社会でひとり
きみは昼夜を措かず泣いていた
その涙は馬鹿にされ
ろくでもない東京関西奴が金と
性欲でまみれた浮世絵を描く
奴ら衆愚になんの理屈もなく
奴ら衆愚には生きている意味もないが
単純にいえば終わってる
生きろと偽善のテレビが言う
実際の学校は虐め地獄
どころか社会は虐殺ワールド
要は終わったってこと
極悪阿婆擦れを処分しまくる英雄を待て

ルバイヤート+1

いんちきロックンローラー
の金儲けの為の出来レース
をみせつけられてる
糞女が発情しまくるこの下痢文明で
 自殺者の群れが「助けてくれ」と叫ぶ

糞女がどうでもいい
程度の低い編集ゲームに
騙されて言う「天才だね!」
ならてめーは分かる奴なんだな
 オッサンの腐臭にみちた姦淫倭奴界を

馬鹿なカンサイ奴がどんどんこっちきた
結果この東京は風俗店だらけで
終わってしまったんだったよね
にもかかわらず阿呆鳥が鳴く
 「漫画は卑しい稼業だから」

老人がいんちき上等で金を儲けまくってる。
僕には一銭も入らない。
姦淫映画で世界展開する神戸倭奴!
なにを敬えというんだろう?
 「君が代」を歌わないぶん殴られた僕は

ミリオンセラー

まちがい続ける東京人
このよにはびこる嘘と邪
彼らがすべての発信源だが
他方ではすべての悪さを隠し続け
なにもかも地方の所為にしていた
邪悪きわまる神戸出の都知事
あらゆる姦淫と虚偽をまきちらし
大威張りで現世を生きてきた
少年の僕が骨々とはたらくその上から
ゲイシャをよびよせ猥談を蒔いていた
キチガイだらけの現代文化
噂が噂をよび大ミリオンセラー
の中身はみるも無惨な淫蕩巻物でも
天皇家は大喜びで恵まれた恵まれたと言う
地獄の底で貧乏人の血税をむさぼりつつ

2010年12月25日

愚策と末路

法人税を軽くすれば雇用が戻るという単純すぎる論理は、国際的に労働賃金格差がある条件下では誤り。よって現首相の法人税軽減策は、彼の出身地への利益誘導以外の何物でもない。

内部留保はそれ自体で増大する傾きをもつので、経営者は雇用を絞る事で逆に内部留保へ、付加価値を転化させたがる。これは慈善事業以外の全ての業種で、そうすることが株主の意向に適う限りそうなる。

 法人税を軽減し、企業利潤を内部留保へ転化させ、農民を騙し、身内の利益へ国費を誘導した罪は誰より重い。現首相はこの責任を子孫末代まで背負うべきであり、解雇されていく無数の国民から目の敵にされあらゆる国内の場所で批判されねばならない。

2010年12月23日

川柳

さむきことなおこの上に積もれかし
馬のあし夫々ちがえる競う牧場に
幸せな勘違いもまた風流れ
美男子をこのむ女も頭悪
西海で子供の築く芸者の絵
血の海はああおそろしき薩摩馬鹿

不毛の倭奴国

極悪掲示板を放置してきた被疑者ひろゆきが
「命懸ける時なんてない」
ところがその生きる価値ない倭は
祖先が決死で尊攘して守った国をしらない

馬鹿すぎる姦淫漫画で
いなかのはてまで情報汚染
すれきった汚い京都土民は「表現規制や」とほざき
この純朴な子供らをけがしつくす公算

いつもの天皇ゲイシャ
あばずれしかそだたない不毛の京都に
必ずその一家が根付く
朝鮮人の血を含む独裁税搾取稼業

邪悪な都知事が
猥談を散々ばらまいたとおもったら
一転して「同性愛は遺伝子のせいだ」
憐れまれるべき悪業のぬしはどこの誰か

ほらねどこまでも瓜二つ
そっくりそのまま関西人
また姦淫の奨励で侮蔑されているよ
「童貞やないで」とほざき買春自慢の汚い倭奴

こいつら全員殺されろ
中京都か西京都かどこでも一緒
穢多天皇がひろめまくる偶像崇拝
ほらねまた猥褻踊りですか

2010年12月22日

銀世界

この星にふりしきりたる銀世界
切りたんぽ遠く旅して煮え至る
しずかなる夜をひたせり火の用心

2010年12月20日

好きなもの

昔のドラクエ。マザー2。野口雨情の童謡。イギリスの知識人。日立。本。科学書。徳川慶喜。すぎやまこういちの作曲。中国の風情。イングランドの田舎。北茨城。調布市。実家。秋。眼鏡をかけて利口そうな子供。地元。金のかかっていない田舎の駅。砂浜の綺麗な海辺。眺めのいい場所。聴き分けのいい猫。休み。聖者。SONYの出来のいいときの製品。磐城高校の美術室。落ち葉。うすら寒い日。生ぬるい風の吹く日。台風の時の家の中。かわらぬいなか町。和歌山の人。奈良。ゆとりある超高層ビル。清潔。多摩川。多摩川沿い。慘劇を遠くから見ること。迷惑な事をしてきた人が死ぬ。修道女。悪人の自殺。悪人の子孫の凄まじい悲惨。孤独と自由。透き通ったプール。小学生くらいのピアノ少女。誰もいない都心。人口密度の低い街。寒さ。仙台の眺め。暴力不良の自滅。よきブラックジョーク。質のいいもの。物理学の一切。数理的な天文学。抜け道。イギリス風の庭園。煉瓦積みの庭の壁。ばらの庭。真夜中の月。海鳴り。「くらげなす漂える」という表現。冷たい俳句。ブルーハワイのかき氷。子供のころ見たもの。子供のころの町。厳密な基礎数学。水戸。竹林。畳ござ。ビビアン・スー。高級ホテルの部屋。警句。波。つるはし。涼しさ。青み。水色。潮風。葉ずれの音。潰れない食堂。常磐線。筑波山。筑波山の下のはてしない田ん圃。母性のある女教師。通った後の学校。誰もいない秘密の場所。とても頭のいい犬。アメリカの寂れて人通りのない郊外。真新しい旅館の畳。FF7の機械づくめの地面側の街が見える地点。ゲームキューブの本体。ゼルダの伝説時のオカリナのハイラル平原。名前のわからない小鳥の鳴き声。白いばらの花。工場跡に一面の菜の花。すすき。鈴蘭。白い扉。銀色。金色の車。人のいない日本。鈴木という苗字。眺めのいい高地。

2010年12月19日

影法師

ある関西の人は何でも自分発の悪さを朝鮮の人のせいにすればいいと信じている。
ある京都の人は何でも男ときけばなりふり構わず発情する。
ある南方の人は何事も情緒で捉える。
ある日本の人は感情で動き知性がない。
ある東京の人は地方に無関心なので場が読めない。
理性の欠けた女は生き残らない。
女優の心理は醜い。
おくての徳は深慮。
気の強すぎる女は家の滅亡へ致命傷を与える。
汚れた島では汚れしか育たぬ。
愚劣なる親から秀才が生まれる事はまずない。
滅亡すべき民族は悪徳を示す。
奴隷根性は生まれつき。
道徳に従う者のみが真実に佳い地位を得る。
喧嘩早い者は自分の影法師と争う。

2010年12月17日

冒涜

死んだ方がはるかに世がよくなる
腐れ京ゲイシャを囲いつつみにくい
東洋人の風貌をした倭が言う
「なしておなごを傷つけるのや」
腐った大奥の税金ドラマをみせつけられている
馬鹿すぎる薩長同盟が
幕府を掻き消してとことん威張った末に
自然とアジアをぶち壊しながら強姦で支払い
なぜこんな社会なのかやっとわかってきた
お前のけがれた血が支配してるからね
天皇は利用されたとはいえ
公家直下の岩倉具視が
今の日本をつくりたがったのだから
まあよしとするか
西園寺公麿も自害したから
ちゃらちゃらしながら
姦淫小説をまく神戸奴
その歪んだオッサンを
首ごと懸けたあの門は
あれえ? よくみたら都知事先生じゃん
金かね金
付加価値フカカチ
ああわかってる。お前が
掠める為だもんな
ユニクロ長州出身の首相
倫理のかけらもない
東大卒の茂木健一郎が
あきらかに刑法違犯の姦淫小説の
映画へ18歳未満の清い少年少女を誘う
貴様に税をやった先祖を冒涜しながら

アマツチ

趨膺惟比率
鏤梓辨明律 
点自暗奈恕
伽權現理念
ナニガアレドツラナリユク
アキラカナルノリノコトノハ
ユルスベカラザルトモシビニ
アラワレタルコトワリノオモイ
駲體衒釛体
眄蘋泛澪犁
淋然那直前
實説闇黶機
メノクラムオオカワノハタラキモノ
ナガメムウシカワノヒキシミズミズシ
スグマエニサミシキトコロアルヲ
トキキカモシダサルキザシノミアリ
季葷畋慱随
従乃變遷紅
蓮艢體制岑
嚴譱莽草滅
サワラビノモエイズルカモ
ウツリユクアアクレナイノ
ハスノフネウツリニケリナ
イカメシキヒツジクサヲハミキ
天地矛盾弛
嗽途石擲弱
瀛浪冥頻彬
品質惟从然
アマツチミナホコタテニスギズ
アノクチユスグコドモノイシケリ
サキユキノミエヌトキノカワリニ
ヒトノナリヲオモエバサダマリケル

カワリユクモノ

If it was everything
You did knowing about
You'll be to take a mistake
And this world is not sure
アタカモソレデナニモカモ
ワカッタツモリデイルノナラ
アンタハカンチガイシテオル
ヨハツネニカワリユクモノ
Those all phenomenon
May shoot spellings
Should you come in
End doubt your English
Or something wrong
Wonderful vivid mimicry
Hits will be vanished
So you could be a foreigner

2010年12月16日

場所比例の趣味論

世界が同時に比例しつく限り、絶対の進歩は同時にしかみえない。適所毎の生態内での定着さは変異の程を特有の知覚原理にしか戻さないから。
 倫理にみた場所比例は、それらの共同範囲を特徴と生態分業に返す。経済関係は必ずしも倫理を媒介せずとも興るが、地政史の域にみた場所比例は必ずこの交易を伴う。というのも、異なる風習のもちこみはその場で要する倫理習性により厳めしい別の特徴を用いらせるので。決定的な倫理別離は、よって地政の圏域と帰一。郷国の差がその侭、べきの問いへもその最善さを異にさせていく。こうして進歩した生態と、必ずしも政治領の理念が一致しない許りか、単に倫理の度や達も場所学領の雰囲気にしか係わらないと結論してしまえる。哲学は何れの政治方針へも最善さの分別を示す筈だが、止揚された倫理論にとっては選れた理性を開陳して終る。
 結局、倫理への学は事実上 後自然学の出自の侭に留まり、完成後の倫理がなりたちえないのとにて本来の倫理は社会生物の自律と彼らの生態行動への定格に返る。ゆえ倫理学の科学化や実証論化は、のびた推量の余地をなくさせ、後自然の合理化が生き残りと矛盾していく為にでも不可能。いわば実証への留保な論証可塑さこそが、身の丈を知りその不動の規律を与える重要な習性。理性とは、こうして相対知による自己過信を反省させ、自らの立場が協調性の基礎と矛盾しない名分に基づく様に言いえる為の合目的な実践能力であり、もし理性なしに他の搾取型集団と対峙しても常に自らの立場は不利へ或いは権利剥奪へ追い込まれるかも。選れた理性の持ち主だけが地政史の主導の因みとなり、その倫理気風の代表か象徴となるのは以上で分かる。つまり彼らはその属した集団の名義を代弁する為にしか理性を結局用いえない。もしそうせねば、彼らは必ず自己矛盾するし、自然知識以外のどの比例へも何の特徴も言い及びえないだろう。なぜ国柄が全くことなる複数の理念をうみだすかは以上の為で、それらの弁証は倫理へは以前より折り畳まれた複合さ、乃ち高度の利権教養を必要とさせ、結果各地の文明は地政の為にのみ参照や編入がなされゆく。
 自然生態史一般とにて人倫でも大きな集団の前での小集団か弱体集団のくりいれが頻りに行われる。特に、学問の程度はこの理性編入にとっては決定打。この為に、人類文化史の一般原則とは、ヘーゲルが大まかにえがいた如く世界精神の展開ではあるが、現実の民族精神はそれらを地政史実に否応なく導かれつつより偉大な規律の元に団結する方向で、又卑小なる集団からの脱出と頽廃集団の破滅の連鎖から起きる。最終な民族精神は、宇宙の想像無限さからは決して導きえない筈の当為。故に歴史上の民族は道徳を地政哲学の熟達に応じて配分し、又彼らの将来地位もこの洞察に順次くばり仰せる。既に敗退し消失した民族も、その地政か場所が建築的不毛なことをしりえない理性の為に跡形を程度こそあれ残しつつ、或いは何ものこせずより偉大な精神の元に寄り集まった物。こうしてみると、民族神の創作が政を開始する原動力となった過去の逸話はとても示唆に富んでいる。民族精神は、この初動した創作神話の哲学を今日まで物語や聖書の形で残している場合もあるが、それらの言い伝えは各知識人が何を悟りえ、何を信じるべき仰せとしたかを智恵の殿堂な民族語彙の全域に、又その内部での理念伝達へ厳密な場所比例を及ぼし続けている。愛、道、慈悲、忠義これらの単純な言葉はみな先哲の生涯の功徳の結晶であり、我々は之らを民族語彙に受け継げる地位を幸運に思うが、実にそれらの発見者と同じく全ての感謝さるべき伝達者は地霊となって、現世にはいない。業がどの時代まで連なるかは想像もできない程おそろしい仮定だが、現実に、我々の全ての悪徳も、全ての善意もみな祖先が創作した神話の結果なのだ。それらの神話は会話に流通し、或いは人づてに文字を介し、記号と音符にしたためられ遠い我々の子孫が日常語彙の種とする。場所比例の偏りは、こうして民族神学の本質な偏りであり、彼らが参照している全ての文化形質をそれらの創作に加わったいまでは霊となった人為と共に宿し続ける。なぜ悪が死の、よって民族絶滅の原理かはこうして理解できよう。「悪さを為すな、善さを為せ」という最も基本な道徳の命題は、殆どの幼児にでも知覚されているとはいえ、現実の有様は老人の中にすら大幅な偏りを伴って判断力、或いは単に判りの優劣を与える。よく判る人つまり良識人と判らずやの間の溝は、彼らの総合した育ちに最もよく顕れる。
 法律の案を一つたりとも練った憶えがなく、かわりに犯罪間際の悪徳を歪んだ習癖としている人格は、常に優れた人格者の品性を謗り、事あるごとにかみつき、その当然の社会な名誉感情を損ねようと躍起になってあらゆる中傷の嵐と冤罪そのものな嫌疑を大勢へひろめまくるが、この民族語に伴う文化習性こそ駆使しているのをさとらない。こうしてあしき民族の絶滅は起き、協調性のよき側面を相互利益の為に駆使できた血統は最高の栄典を授かる。そしてこの言葉こそ、神がはじめに与えたあの栄えある光なのだ。私達は哲学を通してこの本来の言葉を学ぶべきなのであり、それには各民族の智恵の殿堂から偽預言者や過った解釈者がつけくわえた多くの錯誤をとりのぞき、論証界の中で最も価値の高いイデア、つまり揺るぎない理想をその時点でえられる全知識から抽出する他ない。この作業は我々が哲学とよばしめてきた全営みを覆っており、つまりは哲学とは、プラトンの定義に返ればこの善の理想を、アリストテレスのいいかたを借りれば形相としての理想を数えきれない悪徳や無駄な情報の束からえりぬき、その強い意義を回復させる事。之は現にある知識の開発や研究と発見とは異質ではあるが、学問の殿、しんがりとしての本来の形而上学の役割はその体系の不動さか定常観を醸す事であり、つまるところ偉大な精神の及ぼす学識の結論をつける事、総まとめとしての現体系の根本理念を提言しつける事。
 どの科学も、そればかりか技芸も、何の為に用いられるべきか自身を説明できない。之は論証界が各体系の客観装置として機能せざるをえないからで、上述の様、最終結論な倫理の智恵こそは場所比例で各々大層趣違えており、その為にであれ理性が究極の洞察をやまぬ実践の積み重ねである地政史の大義に刻み付けるのを疑いえない。この生き残れた集団の成員は祖先が世の宿命に何をみたかをしっており、故に正義とは何かを地位の民族精神に記憶していく。之らの偏りは、最終的覇種樹立に至る全試行錯誤にとっては権力闘争らしく示され行くが、いかなる亜種も、又どの俗書俗説も、邪教や邪宗も、全文明の目撃者となった子孫の倫理結論をは否めず、それ故に理想とは基本善意の積み重ね、乃ち常識量からの判断に返る。至善を悟る者は場所比例の適性の為にそう導かれたに他ならず、良識が程度問題に還されるなら、全ての社会行動と同じく常識量の高下はいかなる神話へも厳密な因果応報を与え直す。神話は精神に比例し、この精神は理論をよりどころとして共同体が作る建築の趣味に千差万別の違いを与える。
 精神という概念が現代とらえなおさる可は、それが単に神の意いへの理解度と定義されなおせば、一体、我々がしりえる自然認識の厳密な量感は、その創造への詳しさであり、つまりは他の何ら自然認識を軽微にしか有しない生態に比べればより神の立場と制作力に近づくという訳。だから神話は現に語られつくのであり、建築家、或いは社会集団の棟梁な行政長が為すどの作業、忠告、命令も、みなは神の模倣なのだ。なるほどそれらは全宇宙の造り構えに比べ余りに卑小だが、場所比例に伴って、それはやはり神の為の再創造への試みなのだ。我々の中には行政の皇帝が名目のものであり、かれ自身は殆どなにもしらず、飼われた不自由の仕手であると判る者もいる。そして彼らは次の様洞察もしている。皇帝は神聖なお告げの代理実行人で、そのお告げ、いわゆる天命は本当のところ全くの偶有であると。これが神聖皇帝の権威の源であり、自らは何事もせず、ただとりまく世間の代理に徹する習慣、要は付和雷同と優柔不断の性格が彼を道化一家としてその場まで遠く誘なったのだし、現実に、この性格の決め手の為にごく危険極まりない目にも数多く直面してきた。だが、ここで代理される本心とはいつも民族精神とやらだし、その定義は既に彼が擁する民衆の中の知恵者によりなされ、横流しか忠告されてきたのだった。天命思想の本懐はそれが民族の意志を吸い上げる功利の故に吹き込まれ、こうやって皇帝へ交代の根拠を与えてきたのだ。
 覇種の形成は一定の祐徳な精神を伴う民族の完成であり、それがどの程度の行政権の固定を担うにせよ、善意の度ですら実に常識量によっているという単純な真理は、我々が趣味のよしあしにみいだす本物の根拠であり、なぜ私がそれこそ道徳哲学の主義にふさわしいと考えるかいえば、洞察は形相への定着を伴ってこそ理想の地味を保証するから。
 もし貴方がみるどの亜種も、単に思想については理想いな云々を述べるかもしれず、しかもどれがまやかしかも見分けづらい。だが仮にこれが偶然でなく既に彼らの宿命なら、可能態と現実態の行き来、乃ち再創造の合間にも趣が不変であるだろう。もしこのくりかえしの検証に絶えず、鍍金と繕いの剥がれが露わならば彼らは借り物の思想で借り物の制作を行う偽の実践者で、その形相は悪である。要するに、場所比例がその生育としての種に与える趣には形相の一律さとして地霊の偏りがあり、と同時にそれらの業は神らしさなる理想性にも雲泥の違いと進化後の姿を宿している。我々の特定な知覚基盤に基づくしかない洞察ではどの生態に究極の神性があると確約もしえないが、少なからず趣味の程がこの地球風の定格らしいのも又周期的生態の常な筈。

2010年12月15日

社会生物学

全社会場には場所比例がある。之は主に文化形質への加えで、異なる文化やそれに至る風土の地場で違う。場所比例は適応の偏り、といえる。
 場所毎にもっている適応への誘因は大幅にちがい、それらは地政史の移りを除いてかわらない。場所比例は適応に伴う放散度で多様化の因果律。それらは進化、とよべる以前の形質との遊離に至って、以前とは異なる決定的な場所らしさを作る。進化場一般はこの適所となる事で形質を以前と違う何らかの場所比例の決定さへまとめる。多様化が進化の保証でないのは以上から論証される。

箴言

純潔は幸福な為の十分条件。

2010年12月14日

そして全てが悪くなる
どっかの終わってる
ゲーセンに叩きつけられた缶
「ようこそ日本へ!」
羽田でもお迎えにあがる赤い缶だ

思い出

どうでもいい小さな思い出
椎名町駅前にはマックがある
そこで僕はむかし
二回入って二階から
椎名町駅前をみた
それだけ

2010年12月13日

理性の法解釈適性

植民優先の帝国主義が枢軸国側の抵抗の為に矛盾を露呈され終りを告げた過程はみな、背理の露悪に至ったもの。故に実質は、当時の枢軸側が掲げた理念は破られたとはいえ、帝国主義内での民族差別を弱めた功績はあった。もしヘーゲルな世界精神が背理の露悪にとっては理念の後進さでしか示されなかったなら、自由思想は帝国主義の機動力他に出ぬ。自由思想か寛容思想がみいだしたのは、結局は反宗教原理主義の教義たる勝手主義か我儘主義の展開。それらは、国際な富の偏りへどんな留保もおきたがらず、単に社会内闘争を弱肉強食で合理化させる。世界精神からみた背理の露悪は、之らの故に権利の平等として、人格のならびを設けたがった。が、権利が理性中心の営みなかぎり脳性麻痺含む各種の条件者、又他の生き物は使用者下の仲間に加え得ないとされがちだった。野生味にみた実用主義は、よって功利主義の低落でしかない。理性の背理はこうして導け、我々が理性によるのみのいきものならずとしらす。理性が与えるのは人格のならびではなく、単に場所毎の適応放散やそれに伴う進化比例の区別でしかない。そして時の中で唯一の完成後の趣味はみつからない。
 法秩序の区分こそ、真に理性人の適所でありその法則体系への適応手順。理性はこうして法案の原理。且つ、多くの場面でどの法を択ぶかは市民の文明によっており、解釈学がなぜ有用さに還されるかいえば、根拠としての善意が宗教的合意にのみ矮小化されない弁明の余地、異論の隙間を少数派の上にでも開いておく為。

あしたまにあーな

濱田マリでした。あしたまにあーな

2010年12月12日

生物学

生き物の展開傾向は、形質の比べた内的増加率な変異の順に次の様。

早死早生<早稲<早熟<晩稲<幼熟<高齢長寿

早稲わせは、全生態段階が早まる。
早熟おませは、全生態段階より性成熟が早まる。
晩稲おくては、全生態段階より性成熟が遅まる。
幼熟おぼこは、全生態段階が遅まる。

 わせとおませは変異の型が違う。又おくてとおぼこへもそうなので、対比語とみれば
わせ←→おぼこ
おませ←→おくて
となる。わせの性成熟は全ての展開した型より早く、生態段階の終わりがくるのも早い。が、おませはおくてとほぼ同じ生態段階をへるが、性成熟だけが早い。おくてはおませよりも性成熟がくるのは遅いが、生態段階の期間には殆どかわりがない。これらに比べおぼこは全ての過程が遅まり、生態段階が終わるのも最も遅い。
 なお、進化というrevolutionの訳語は進歩と勘違いされ易いのでこの展開傾向の面からは用いづらい。どの変異も環境変異下での適応の結果で、必ずしも将来の生態地位を言わないから。退化とよばれる特定の生態機能の縮小も、別の種を開きひろめる面ではやはり変異の一有様でしかない。

2010年12月11日

鉄道網の再均衡づけ

(首都圏と京阪神、及び大まかな福岡県内を除く)地方のJRが独占競争状態にあり、その健全な交通費の節減に障壁となっている現状をかんがみ、「地方JRの再国有化」によって、その独占度を奉仕赤字の概念で低め、民間の私鉄が進出できる土壌にかえるをえる。

奉仕赤字とは、会社が公共の奉仕者という立場に返る事で採算を度外視して経営利潤を国庫へ返還させ、或いは法外支出を抑える事。つまり独占禁止を間接的な国の省機関からの関与で実質的に行う。

 具体的に、地方のJRの利用者の負担を殆どゼロにし、経営陣からの営業利潤の国庫への返納率を定めて事実上は公共料金制度と同等にする。これによって他の私鉄の経営よりも、地方線会社での利益率を下げ、その場へ公平な競争が入り込める様に導く。
例えば単線しか通らない寒村の路線はほぼ無料とし、この利潤は政府の助言で都心部の高い料金設定から補填させる。と同時に、地方の路線は「奉仕赤字」となりそのJRの無駄骨の分だけ他の私鉄が参入し、本来の黒字経営をはたせる場面にかわる。なぜなら利便性の追求よりも維持で精一杯になるから。
いわば横綱へ重しをつけた侭で幕内力士らと決戦させつづける。そして経営規模が私鉄とほぼ平衡した時点でこの重し、つまり国有化負担からふたたび解放する。

2010年12月10日

花と海

ちいさな
誰からもみすてられた花が
このよは
きえていく舞台だと
しらせる
海は
世界をとかしこんでいう
だれもが
わたしからうまれ
わたしへとかえっていく

わざとらしいわざ

ちょっとした工夫だ
もしだれの興味もない
些細な分類のミスマッチをみつけ
それをヨーロッパの些細な学会へ送れば
ちょっとした東洋人の羨望を集める
あたまのなかみは空っぽでも
だれにもみつからない
へやの埃の中でダニの奇形を探るみたいに
しぬほどかねを余して
どこへでも留学できる恵まれすぎた
境遇にぴったりの業
僕は静かによのなかを見る
偽善と露悪がいりくむ所
小さな嘘と大きな真が
化学反応しわざとらしいわざになる
だが貴方は見るだろう
だれも業をこえない
それから必ず自らの行いが
世界を駆け巡って結果になる
名誉の為に智恵を愛する
習慣をなおざりにした者は
名誉の為の競争にどこまでも苦しむ

極悪小説屋の業

極悪犯罪者の関西人が
「金くれって言いたいよね
金くれれば何してもいいよ」と言った
その村上春樹覚醒剤中毒者は腐るだけ金を
猥褻小説で稼ぎ名誉毀損罪を積み重ねた極悪人だ
もし見破られないと信じているなら
その男は致命的な過ちを犯した
業がきえさることはない

関西と東京

カンサイジャップが「東京の文化が関西より勝っている証拠は?」といいつつきたないゲイシャ街に通いまくる。笑われる為ならどんなに向いているかわからない奇形。ところが「カンサイの文化が勝っているときづけや」といいつつ、かねをもうけてゲイシャをそだてまくる。東京都はお笑いなの? 東京都って、お笑いなの?

2010年12月9日

趣味主義の福祉的基礎

趣味主義にとって最大多数の幸せとはその快楽の量感にもどる、つまりいかなる不道徳の乱痴気な行いさえ低級低俗の世帯にとっては量的快苦の原理の為に肯定されえるのでは、といった危惧がある。が徒労なのは、この場合の幸福は単に生理的機能の過剰昂進にすぎないか、又は反福祉的習性のそれな場合が殆どで、実際には当社会の最低限度規範の程度問題に返る。例えば動物虐めの如き動物功利主義のうけいれがどれ丈かは、当社会がおかれた各種の生態条件によっている。もし慈悲が極度の汎神論に及べば害虫駆除すら法的かつ信的規制の為に客観的不快であり、その制止が共有できる社会場の則として設けられう。同じく、殆ど他の人格的個性との名誉感情すら尊重されない日本の関西圏の様に特殊な適所もある。そこでは人格への日常的誹謗がおいしいという民俗語でうべなわれる。
 之らの理解から、趣味主義が批判哲学、或いは倫理定義に期待しているのは最低限度規範のたえざる場所学的ひきあげな事がときあかせる。そして幸福とは実際には理性の自足、乃ち理想高さの程に返るので、趣味主義の立場は一切の有用さ、道具主義をもこの目的へ使える程度でのみ評定していく。生理的機能が過剰昂進の為にかえって損なわれるのと同様、一般の量的快苦はみな中庸を限度として各場所条件の為に節制の規範に留まるのである。結局、他者はどこでもこの規範の轍に於いて智恵への参加をする。

地域精神の偏り

世界秩序の中で場が示す役割は常に偶有さによる。故に場所哲学的側面もそこに返る。もし世界建築の中に固有の原理が見つかるなら、皆この偶有の形によっている。世界精神の必然さは場所学からは直に導けない。乃ち合理性的な場所精神が特有の倫理体系を築く世界の文化秩序の間に相互作用があり、他はない。それらの社会進化論は正に偶然的。
 結局必然な世界精神の体系はありえない。もしそれがあれば、唯一絶対原理の樹立に至り、この極相の秩序は一切の文明間交易から離脱しているが故、ごく長い目では奇形に留まる。場所精神からの倫理傾向が趣味観として各地に魂か地霊なる地政史の本質に残されはするが、哲学そのものにはこの分解もできず、単に場所学の地域偏りに留まり、その編纂は地政学内に納まる筈。要は世界精神哲学とはまず疑惑の体系であり、神学とみてすら完全たりえない。

こんな社会はなくなるでしょう、
と、貴方はいう。こんなに卑しい
歪んだ、老人が
若者を醜悪な稼業で死ぬほど働かせ
居直りつづける社会は。

テレビ局では日々
朝鮮人が見た目で選ばれ
馬鹿で腐った心理をもつ倭女を
下品で、汚い猥褻踊りで誘惑してる。
それに嫌悪しない方がおかしいのです。

そしてそんな社会で繁栄している
どのまちがったなりわいも
よのつねをわるくした因果をもって
あの世へ最後の審判を受けに行く
私達は、祈り続ければよい

2010年12月8日

倭のみにくい犯罪稼業

あんなに劣った
卑しい半朝鮮人の中に邪悪な子をうみおとし
なんの責任もとれない中年女は
発情しながらめしの話をしていた
その中年女は
僕がやめておけというのもきかず
卑しい発情発狂の一心で
貧乏で教養のない土民と同棲した
それから社会は
朝鮮人の猥褻おどりや
京都人の猥談かせぎそして
東京のみにくい犯罪稼業で占められた
あのおろかしい中年女は一体
どうやって世界をよくするつもりだか

終わってるのは前提で
この狭い島国で経済成長戦略とか
ほざいてるあの阿呆は誰
次々派遣社員を切り捨て
新卒待遇をよくしながら
金にまみれていい顔してる税収の虫
ほらご覧よ御天皇殿にそっくりだ
僕らの稼ぎをくらっていきているからだろうか
弱く尊いものを虐めまくり
強く卑しいものに馴れ親しむ
愚かきわまる倭人のすることはいつでもそっくり
そしていつもの猥談売りか
君もいつかはきづくだろう
この極悪倭の島国では生まれてくるべきじゃなかった

2010年12月7日

文明変異

風土誘因が異なる地域習性をいざなうと共に、完成された精神はありえない。もし場所の間に共通法則が見つかるとしても、それらは主観の間の智恵でありつく。だから地域哲学間の交易だけが独創的科学の、知識生産の本来の値。決して絶対の智恵がある訳ではない。故に経済の意味にさえ、地域間では異なる意義が担わせられていく。趣味は地域毎で全く違うし、それらの相違いが本来の社会文明の発展の素。文明らしさは地政差から生じ、解釈学に於いても異なる結論や結果に言い及ぶ。
 これらの間に排他や絶滅の規則が働くのは比較優位の為であり、競い合う複数の社会規則が他の習性を絶やす中で文明らしさへ本質の変え方を与えるので。

寄生虫

「大体寄生虫の分際で生意気なんだよ」と、匿名の愚民が書き散らす。所が、狭いワンルームマンションの食い詰める僕から奪った税収で、腐るほど金を余した東京五輪の宣伝費に汚れ恥知らず芸人少女へ大金を貢いだ上、貧乏人を見下しながら彼は失敗した。その記憶は既になくなっている証に、「大体寄生虫の分際で生意気なんだよ」と僕の払った税金で喰いながら、その大金を子孫へ横流しつつ発言。生意気?
 もしその老人に来世があるなら、あの戦場で首を斬り落とされる役柄。そして「大体寄生虫の分際で生意気なんだよ」とどこかの野蛮な兵隊に言われながら、自分が何をしてきたかを土に還って悟るだろう。税金をくだらない戦争に使うな、姦淫と偶像稼業を許すな。

2010年12月6日

東京人記

嘗て東京の土方に喧嘩売られた事あり。この土方、吾の注意する親分を庇う余りに吾と衝突す。東京の人種これ正不正に覚らず、単に上下関係のみを認識しおる、東京にごく悪き稼業多き理由之也。
 要は江戸っ子人種之一般に周辺の関東地域より知能低く善悪を知らず、単に群れて大勢のまねをす。醜悪なる習癖多くその修正を行い得ぬ江戸風の訳乃ち低俗なる場所の誘因、人数多く雑駁なる雑居生活体験からの淘汰故に善悪の別、知能の聡きより群れる習慣の強度を品種差とす。

 この土方と異なる二十代の若人、前職大工男娼客引き等を行うとの噂ありきやはりいかにも東京らしい俗物吾間近に観察する機会ありし。かくの無関係なる人物も前土方となんら同然の習癖ありき故に嘗ても江戸の全域に普く群集心理ありしかと吾勘繰るなり。

関西東京と朝鮮

朝鮮人を差別しまくる関西人
ところが僕の目には瓜二つ
どちらも汚い人身売買業を星中へばらまき
周りに迷惑をかけても決して謝らない我利亡者

2010年12月5日

忠誠

ベルリンに戯る剣士ごっこの子はてなき青空を眺め何見る
下卑て軽薄なる神戸のひと遠く東海道をき道化役者として生涯を閉ず
江戸のひと時をこえても今なお俗にて因果を修むその天秤へ重りを積む
朝鮮と瓜二つなる山口の文化を用いる倭人あやうし
ちゑに欠く下愚の血筋もつながりてかくよみにくき名前の子放す
落ち葉ちり風に匂うは秋のはら夕陽に照るは菜の華の原
農道を石けり歩き小学生もしヤマダ電機さえなければと見ゆ
関西のそのこどもさえどことなく汚し遠く関をへだて公家ども遊惰歓楽に耽りたればこそと
みにくきはまつりへ夢中になりしける薩摩隼人の単純なる気象
フランスの子どもの清さ濁りけるおとなのあしき文化のおろかさ
わがきらう龍馬を崇む俗びとの頭になきは忠誠一徹の事

2010年12月4日

比較民俗哲学の徳

民族差はそのならわしの違いを交易させる為に有用。もし進化論を地政民族学に代入すると、たみならわしとは乃ち民族交易による近交弱勢の回避及び適者生存での強壮文化の確保の経過のみ。之自体は民族学仮説に留まるが、旧約聖書以来の民の俗差の擁護の本性は、それらの相互参照によってより劣悪な社会を避けさせ、より優良な社会をえり好ませる様な文明の功利さに返る。つまり、もし文化進展論が真なら地政民族学は社会進化論の補集合。そして全ての面で民族学は有益な影響をもつ。
 もし何らかの面で劣悪な文化があり、他方にそれよりまさる優良な文化が栄えている時、比較文化論がその主観に啓発するのは交易に伴うえり好みの傾向だろう。民の俗知識に通じた民族学者が頭達に含まれる時、その複数の比較検討からの忠告がない際より選れた民族状態に至るのは誤りなく、この意味で善なる友として尊ぶべきは自らの民俗を自身の少々の損失を省みず批判してくれる比較民俗哲学の考慮者だろう。
 仮にこの智恵がえられない侭で民族間交易を図っても、多くは悪疫や損害を伴い、場合によっては遠く民族淘汰される結果に終る。よって無際限な開国勝手論には矛盾、並びに文化系統の混沌しか起こらない。そして雑種一般はそれ自体の稔性とは別に特定の完成された才能には劣るので、分業の効率からみても選好の乱雑さは文化内の表現形質の出現率で劣った総体を示すに留まる筈。

2010年12月3日

裏切り者が象徴の国

無業を虐めて阿婆擦れを養う愚かな倭人の国ジャパン
下劣東京の通俗テレビ局がわざと素脚をみせる構図でニュース
朝鮮人を差別しながら尻ふりダンスで稼がせる下品東京
扶養家族を冷遇しトヨタに擦り寄る山口出の商人根性首相
支持率1%でも辞めない悪徳薩長に媚びる裏切り者が象徴の国

産業別累進税制論

交換価値は常に、世界貨幣の一元化にともなって汎用さの為に基礎生産物の価値づけを圧迫しつづける。つまり第三次産業は、それ自体を放置すると他の生産物を不当な値づけで買い占めたがる。これは古く生産性の中になぜ商人、乃ち流通と取引業者が含まれなかったかを説き明かす。

 この法則から、貧富の差を極端化させない最も合理的な施策は「産業累進課税」などの制度による『高次産業負担原則』を、その場の行政へ導き入れること。なおこの原則は政党や不文律をこえて維持させる一定の平衡を保つ為の公法化、例えば建設国債の発行可能額と調整をともなうのりづけ(産業別課税率維持法)も考えられる。

現状でいう法人税への現内閣の介入にあたって、最も考慮され十二分に批判されるべきは、製造業や農林水産業を含むより低次元な段階にある法人税は可能なかぎりその既存の負担を軽減させること。
そして最も生産性から遠く社会の富のたくわえを減退させる浪費的生業としての第三次的風俗産業従事への売上高以上の今後発展不能となるだけの税負担、並びに金融業へのそれ、次に小売り業へのそれという風に経済行動に占める貨幣取引のみの割合、生産物浪費傾向の強い生業、公共福祉への害が多い産業分類へは高い税率を用いれば(無論総税収において同時に適切な再分配が計られれば)、貧富の差がめもあてられないほど極端化することはない。
 しかし、産業の集積が進んだ一部特区のみで公共の福祉と矛盾しない一部の税負担率をとりのぞき、高次な産業の効率を達させる政策には有用さがある。(例えば金融特区での仲介機関、上場銀行などへ株式取引に伴う累進税負担を解除し、その場に限っては極端な流通へ合理化を図る等。)
又、地方交付税も考慮に入れれば関西連合など始めから既に貨幣取引総量の多い地区へは交付税よりも法人税率が高くなる税制の維持が必要。国家単位にみた寒村の貧困を救うには全体の奉仕者たる政府が、ある種の視野の狭い経団連などの邪悪な利益誘導団体からの甘言にだまくらかされてはいけない。

2010年12月2日

ソネット

倭人が大挙して
平和な社会を乱し
淫らな文化をもちこんで
人々の気を狂わせた
しかしこの世では
彼らを裁く法が未制定
その為に倭は
あらゆる悪徳をし放題
敬謙な信者は
その光景にこころを痛め
神様へ倭の土地が
粛清されます事をお祈りする
もし彼らだけの街があっても
そこは底無しに汚いだけだから

ちいさな子どもを犠牲にしても
なんとも感じない倭:やまと
彼らの風習はきたないとも
なんとも言い様がない
匿名掲示板で謗りや
なりすましは日常茶飯事
警察へ通報しましたと嘘をつき
足のひっぱりあいを反省もしない
じめじめとした飲み屋で
他人のわるくちを深夜まで言い合い
その後は汚い女のいる店で
汚い言葉で汚くひっつきあう
もし真っ先に滅びるべきなら
あの禍々しい倭:やまとだけ

2010年12月1日

日本文化

きたない関西出身者が発情しまくり
辺り中を朝鮮色に染めあげた
そのどぎつい色彩のうちで
僕は発狂したこどもの顔色を見る
気が狂った少年
学校内で授業中に殺人
先生は姦淫のはなしで
人気をとっていたから
けさのニュース
また東京のきたないCM
「LGのCMうぜーぞ」という
奴らはメイド服の少女群に躍らせる
僕は気が狂いそうな
この日本文化に生まれて
校内で殺害されまくる
教師の姿を何度も何度もみる
「悪夢だね」と平気でいいながら
関西出身都知事がおなじ悪徳小説屋の
けがれた少女と都庁で会う。老人は
それで京都が最も偉いつもりだった
僕は冷たい月が
ギラギラとこの島の土をてらし
殺害され尽くした死体を
真っ赤な色の固まりで
それから夢が醒め
便利になった世界で
君はすぐれた一人の
聖にうまれかわる

浮雲

都知事の職責にある石原太郎が匿名掲示板で安直なナショナリズムをまきちらし、「強姦国民の汚れた血を引く屑は自殺した方がいいんじゃない?」と印す。一体、神の目が欺けるものだろうか?
 彼の末孫まで現実に殺し尽くされ、しかも最大限に悲惨で酷い仕方で虐殺されれば、そのあしき思想の因果応報はだれの眼にも明らかになるだろう。

 愚劣すぎる老人ナショナリストは、匿名掲示板で気に入らない赤の他人の日本人を次々朝鮮人扱いし、しかも憐れむべきことに卑しい嫌疑をかけた当人こそ一層朝鮮人的な関西系のふるまいだった。ねじまがった感情に激し、後先をなんら考えられなくなり、発狂してはいるがそもそも目的が誤っている。死ぬべき矮小化した奇形種。
 ところが、その老人は自分自身がなにをしたのか全くわからない魂の風体で、自業を正当化しきっていた。

 あの邪悪で傲慢なあしき老人は神を謗り、救世主を磔にし、民族差別をしながら浮雲として土に還る。僕はその墓へ唾を吐く多くの新たな青年が、日本の為に卑しい民族差別論者を反故にしてくれるのを願って、掲示板の上で彼へ最大限の孝の意を示してその場を去った。無論、甚だしい侮蔑の感を抱いて。

人類生態学

感情、情けにかまける習性は人類が有性さを不安定で撹乱を受けやすい適所で生きる限り普通。故、感情がみられるのは、又それへのとぎを受けるのは温帯以上温かい地帯でだろう。温帯はこの種の習性を、彼らの中で行われる誇示と性選択の余地へ返す。理知は常に安定的適所とその周期性から生じる。この習性そのものが地球的でない証はなく、将来は人類型の習性か地球人型のそれと定義されるかも。もし有性さに類似できる他の生態があれば、その感情も我々と類比できる何らかの特徴をもつ筈。感情を何らかの形式にまとめる傾向あり。之は感覚形質への特定のとぎ、とその場に由来した文化習性の優劣判定へ特徴づけられる。性淘汰こそ、感情のよしあしへの価値観乃ち審美観に決定力として働く。