2023年10月25日

月餅

みなと遊んだ荒野行動に落ちてた月餅ゲッペイ 現実の食卓に落ちてたから今食べた 不思議な中国の懐かしい味

2023年10月20日

秋の森のね

世界中にあなたしかいなければ
この世はかくも平和だった

しかしあなたがいない世界には
だれの音沙汰もない秋の森の奥の様に
すべてが枯れ果てたあとのねいろがする
だがそのおとすらうつくしい
まるで獣すら訪れる事のない泉のほとりに咲く
すでにしおれてしまったバラのかぐわいが
それでもなお辺りにたちこめているかの様に

もしあなたしか世界にいなければ
この孤独のあしおとの中に
冬の訪れを待ちぼうけはしなかったろう
行き場のない落ち葉の響きすらものがなしい

もしあなたのかけがえない言葉もそのぬくもりも
ただの気のせいであったら

海鳴り

秋の夜遠く海鳴りする布団

2023年10月18日

神意と神格の現代的定義

我々の世界は、ろくでもない人にはろくでもない末路を、立派な人には立派な末路を用意している。公平世界仮説は我々の道徳知能に属する平衡装置であり、その人為の業がしっかりとした正義の後天設計通りにならないかぎり、どんな絶対権力も遠からず打ち破る最高度の動機になる。この意味で、我々の道徳知能があり正義の設計を他者や後世に伝えうるかぎり、神意とは人のもつ道徳性の同義語だったのだと解釈できるだろう。知的設計者とは、それが後天設計に属するかぎり、道徳的な人そのもので、人為を心術に基づいて操り、人為的業に必然の法則的結果をもたらそうとする知能行動の担い手を指す。

 実際、道徳性がごく高度になればそれは神意とおよそ見分けがつかない。したがって神格とは、極めて高度に鍛えられた洞察力をもつ道徳的人格そのもののことと解するのが、言葉の意味からして最も妥当な見解といえる。人より高度に道徳的な地球外知的生命の影響がはっきりしない段階では、少なくともある主観から見てある閾値をこえたこの種の道徳的人格こそが我々の人類社会に於ける神格なのであり、しかもその位格もまた、道徳性の質の高さによっている。
 人がめざせる最高の人格的完成度とは、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』でそう勧めていた様に、人生のなるだけ多くの長さを理論的生活に費やした者に期待できる特徴で、それは同時に道徳哲学の質の追求に於いて、最高度の完成をみる。人が社会的動物であるかぎり各時代のある所にはより道徳面で優れた利他性を帯びる人がありうるが、そのうち、質的に最上の善を洞察できる者が、すなわちその集団での神なのだ。

 日本語で接頭語のおを重ね「おかみ」といいカミの部分に位置として「上」の文字をあてていうのは、この種の道徳性を帯びた存在がその集団の安全や幸福を設計するのに、上位の価値づけとみなすに十分なほど重要だという経験から導かれていた用法だったのだろう。その語彙の対象が通俗化し本来の道徳性を失って、ただの暴力装置となったとき、「神様」としての神聖さを失い、ただの政治屋のことに転用されたはずである。
 畏れ多いものとしての「オオカミ」(狼。『日本語源大辞典』によれば一説では「大神」より)や「カミナリ」(同語源書によれば古くは「神鳴る」)などにも、おそらく古代人が逆らい難い強大な力のもちぬしや物理現象へ人為をこえた道徳性と多少あれ混同し、人の生殺与奪権をもつ超常的威力にあてていたカミという語彙のなごりがみえる、とも考えられる。
 しかし、当時より知識の進歩した現代からみれば、先天設計を意味している領域に対し、道徳的平衡をとろうとする人為の担い手こそが神意をもちあわせると考えてよく、それは他者の心理や行いの人間性理解による道徳認知を甚だ鋭く、また深く帯びている、優れた倫理哲学者らのことに最もよくあてはまる。

愚かさのかがみ

この世には魅力といふものありといふ 人の愚かさうつすかがみの

神の恩寵から見放された日本国の衆愚政治と正義の哲学による国事革命について

この世には神の恩寵から見放された人々がいる。
 人類史上、大量虐殺の被害者らは、実際その様な目にあった。彼らには往々にしてどこにも逃げ道がなかったのである。
 そして神の恩寵が圧倒的に慈悲深く賢明な人から善意の救済策の比喩だとすれば、確かに、神の恩寵は有限であり、無限のものではない。その事は弱い動物らがより強い動物らからどう扱われているかを見れば十分である。同じく、人の社会にあっても、強さにおきかわった賢さの高下にあって、下にいる愚者らに上にいる賢者らがどうふるまっているかをみれば、その社会での恩寵の質と量とがわかるだろう。

 もし暗愚な人々であっても彼らが美徳さえ帯びていれば、同情によって賢明な人々は何らかの救済策を講じることもある。だがもし暗愚な人々に悪徳が明らかならば、その様な処置が却って社会に公害をもたらすと多少あれ察知し、賢明な人々は救いの手を弱める事になるだろう。却って、弱いばかりかかつ悪くもある人々には、反省を促す目的か、抜本的な淘汰目的の懲罰のために彼らが悲惨な状況にあっても賢者らが更に手厳しい措置を加える事すらあるだろう。

 フランシス・ベーコンは『随想録』("Essays")13章の冒頭あたりで次の様に言っている。

 行き過ぎた力への欲が天使らをおちぶれさせ、行き過ぎた知識欲が人をおちぶれさせた。しかし慈しみには行き過ぎというものがない。天使も人もその為に危うくなりはしない。
 The desire of power in excess caused the angels to fall; the desire of knowledge in excess caused man to fall; but in charity there is no excess, neither can angel or man come in danger by it.

 ベーコンがいいたかったことは理論的な空回りにすぎない。
 悪徳に満ちた人々は善に向かう根本動機がない。それは心理病質性(サイコパシー)の高い人々を間近にみてみたことがあればすぐわかることだ。彼らは元々神の恩寵の外に生きていて、当然ながら神意をおそれる様なかしこまった道徳的謙虚さも根源的にもちようがない。確かに、彼らは脳機能の障害を抱えているが、一般にその個性に開き直って生きているので、反社会的あるいは他害的ふるまいに快楽を覚えている闇四格(ダークテトラド)や、そもそもご都合主義的な利己心しかその人の本質にみいだせない闇三格(ダークトライアド)の様な人格の場合、彼らの社交的悪質さは決定的になる。
 現実路線では、救うべきでなく、救われるべきでない人々が確かに生き残っており、彼らとの戦いが、この世で善良な資質に生まれついた人々、つまり生まれか育ちか利他性が高く、共感知能や道徳知能の高い人々の大きな、おそらく人生最大の課題なのである。

 性善的な人々にとってこの地球のヒト社会は確かに地獄の様な場であり、それは世人一般の彼らに比べた邪悪さが、共感性や道徳性の低さからはっきりしているからである。その時、性善的な人々が邪悪な人間界から学びとれることは、いかに人類一般からの悪影響を避けるかであり、また彼ら生まれながらの相対悪役らを攻略して、中に混じっている根っから悪しき人々をいわば敵役としてどう政治的に倒して、善の勢力で世界を支配し直して行くかということなのだ。
 プラトンが末期的な衆愚政治状態にあった古代アテナイで最後の希望の綱としていた理想国の語りは、この種の正義を司る王の出現を待望する理論だった。彼の主著『国事(ポリテイア)』によれば、彼は全学問の最終段階として正義を司るべき政治哲学にひいでた君主の出現を準備し、その者によって絶対政治がおこなわれ、多数支配の堕落した民衆政治ことデモクラシーを革命し、賢明な王政へ抜け出す事を自国の国事に望んでいたのだろう。そして彼の洞察は現時点、西暦2023年の日本国でも全く同じく機能すべきで、確かに、正義の根本欠落した同調圧力で動く単なる群衆心理的な多数派である民衆の間からは衆愚政治の状況しか起きえないのであり、最高の道徳と、はっきりした絶対主義をめざす政治哲学をもっている王の出現に期待するしか、現状の自堕落すぎる最悪政治ぶりから国事を救う事は多分できないのであろう。

 カール・ポパーはこの種のプラトン思想を全体主義的であると批判したことがある。しかし多数支配や少数支配に妥協的な場合でも、やはり正義の理解度の人数分布、すなわち正義の多寡によって国の政体をつくりかえる必要があることは変わりがない。ある場面では単独支配が、別の場面では少数支配、あるいは多数支配が最適なのは、アリストテレスがさきにプラトン思想を批判していっていたとおりだからだ。

 結局、この意味ではある道徳的閾値を超えて堕落した民衆が彼ら自身の普段のおこないの悪さの為に自滅することを避ける方法はその悪癖に伴う慣性の致命さからありえず、寧ろ賢明な君主が出現するまでの自縄自縛の腐敗段階として、彼らの日常がはっきりと悪徳の証明をし、完全に自殺的国事によって誰の目にも国というものが持続不可能にまで終わり、全く別の政体にうつりかわるしかなくなるまで、彼ら退廃した日本国民全般の間にあって彼らと殊更或いは徹底的に接触を避けてかかわらないでいることが、唯一のおのが身を守る手段なのである。もし国内残留で身の安全を確保することが原理的に不可能なら、善良な人々からノアの箱舟に乗る様、海外に進んで脱出することが道徳を喪失して狂った日本人衆愚からの難を逃れる次善の策となるのも必定といえるだろう。

世代をこえた業の拘束

俗悪な人は高貴な物を疎む。大衆一般は立派な人を陥れ、下賎な人に親しむ。下衆に貴賎は取り違えられており、進んで道を誤って陸でもない人生を送っている。これらの実例から、生まれや育ちの悪い人間を救う事は、奇跡的偶然の例外を考慮しても、基本的にできない事である。人は業の生き物であり、先祖のおこないの延長でその生命を与えられ、遺伝と属する文化に縛られ、逃げ出せない。

最悪人道犯罪・公害ソドム東京完全征伐論――際限ない公害をまきちらす東京都という悪の巣とその必然で唯一の現実政治的末路について

底知れぬ悪業を果てなく積み重ねてきた東京都民全般にとって、破滅のみが最善で唯一の末路である。
 その末路以外のどの末路もふさわしくないのは、東電主要株主である都民が搾取し続けてきた東電・福島原発公害の被害を、主権を侵害され続けながらごく一部の東電のはした金からの一部補償者を除けば全くといえるほど人権面で救済されなかったばかりか、更なる公害をおしつけられつづけている福島県とその周囲の現状が全てを説明しきっている。ごく少数の例外を除き、東京都民一般には完全に悪意、すなわち事情をしりながら他者に害をなしても己の利己心で暴利をむさぼうろとするだけのはっきりした犯意があるのである。
 また東京都民全般は日本国内において悪意で公害を起こす為の悪しき存在で、激しく絶対的な強制力による外圧によらずんば外部不経済を少しも内部化するつもりがないばかりか、都内の重大人権侵害について寸分も自浄能力がないのは、国連に介入されても恬として恥じないジャニーズ問題が完全に実証している。同じ自堕落さは事実上の公共料金で局内にて子どもの権利侵害あるいは人身売買や性犯罪に該当する凄まじい人道犯罪をカネ惜しさと己どもの卑しい根性ゆえに黙認ばかりか後押しすらしていた東京のNHK本部はじめ、都内マスコミ全般だけでなく、喜んで特定最悪犯罪組織・ジャニーズ事務所に大金とおよそ絶対専制に近い強圧的・強権的ともいえる報道・芸能権力を与えていたそこに暮らす都民全般の底知れぬたちの悪さしかなんら示さない。

 紛れなく、東京都民全般は日本国のみならず、世界最大の恥である。これゆえ、東京都民全体が完全に解体され、解散され、そのすみびとらが完全に二度と復活しないまでに政治的に征伐されきる事が、人道上、まず第一に必要である。

 高齢者集団虐殺論者のネオナチ成田悠輔氏が、賠償金を踏み倒す無法者の悪漢ひろゆきらとともにひたすら跳梁跋扈しているのは、東京都民全般の到底自称先進国とは信じられない民度の低さを示しているのであり、その破滅的スラム状況のもたらす大公害の数々について、決して偶然に起きている現象ではないのだ。
 また、日本国民一般も同様に、東京都民の悪意でばらまく虚偽と欺きにみちた疑似情報にすぐ洗脳・悪影響されるほど、批判的思考の欠如した衆愚なのが公然たる事実である。これゆえ腐敗しきってきていた東京都の政治権力を完全に奪う事をしないままで放っておいて、これほど国際的惨状をもたらすに至ったのである。

 東京都内に現にたかっているのは総じて、文明界に少したりともはびこるべきでない反社会的暴徒らなのであり、その中枢に巣くう、政教分離侵害の悪しき人種差別邪教祖・天皇一味もろとも問答無用で完膚なきまでに亡ぼされるしか、狂った彼らの続けている人道犯罪に何の解決策もないのが今の現実政治なのである。

陰謀論一般の正体

賢いふりをする俗物主義の虚栄心の補完に、一部の人々にとって有効な逃げ場と考えられている邪教が、陰謀論一般である。

悪業を重ねてきた邪悪な人々への唯一のまともな対処

邪悪な人々にとって救いは必要ない。彼らは善悪をとりちがえ、世界に悪疫をまきちらす為だけの存在だからだ。邪悪な人々のためにどの助けも必要ない。神の恩寵も彼らには届かないし、届けてはいけない。道徳法則のゆえ、邪悪な人々に襲うのは、彼らの既往の悪業の結果だけでなければならないからだ。

都市の明かり

都市の明かり
2023年
PNG画像
3072 × 2048 px
ダウンロード

日本人多数派が和あるいは和みと呼ぶ文化的習性についての文化人類学的考察

日本人の多数派は、よいものをわるいといい、わるいものをよいという。優れたものを劣っているといい、劣っているものを優れているという。良い場所を悪いといい、悪い場所を良いかの様にうそぶいてばかりいる。
 それは彼らが判断力のない愚か者で、信用の置けない周りの人々のかたる根も葉もない噂に流されて生きる衆愚だと示している。
 また、彼らはこの「多数派に訴える論証」或いは衆愚的な同調圧力への致命的な弱さのために無謀な戦争に向かって行き大敗戦し、自国を悉く亡ぼしたこともあれば、日々救いようのないいじめをしたり匿名で隠したりして性根の悪さから積み重なる悪業を陰湿によろこんでいたり、反国民的な人種差別の邪教・神道の教祖一味をあがめたてまつり大量虐殺犯である証がはっきりしていても相変わらずたてまつってみたり、腐敗した反国民的な寡頭政党・自民党の一党独裁体制によって無限の墓穴を掘り続け、それらの果てには信じられない低経済成長と弱肉強食の格差社会の拡大を引き起こし、たがいの足の引っ張り合いで不幸を押しつけ合っているが、全て彼らの愚劣さと悪徳からきた自業自得でしかない。
 彼らは良し悪しを見分けえない孤独な群衆であり、信用ならない金権主義東京の悪意あるマスコミに全人生を操られる労働奴隷であって、世界で最も深刻な人権侵害の一つなのは誰の目にも明らかなジャニーズ問題を隠蔽しあっていてまったく自浄能力が機能しなかった点からいっても疑いようがなく性根の腐り果てた死すべき悪魔そのもので、全世界の良識を司る人々にとって明白な悪例なのである。趙高の権勢を試した『史記』の故事による「鹿を指して馬と為す」とは、日本語でmoha(サンスクリット語で無知の意)の仏教語に当て字され「馬鹿」といわれているが、日本人多数派の日常の為に作られたことわざだと思っても、一向さしつかえないだろう。事実、彼らの批判的思考力の根本的欠如は、日本人多数派のみながそう言っていると信じ込ませさえすればどんな汚い物事でも喜んであがめるだろうし、全世界で最も貴重な美であれみながけなしていると思い込ませさえすればなんの罪悪感もなく己も混じってけなして恥じもしないだろう。彼らのこの様な習性を日本語では通例「卑怯さ」というが、正に日本人の多数派が根っから帯びている情けなく、意地汚い性質そのものなのである。恐らくその起源は長らく続いた天皇専制下での奴隷状態やそれ以前からの村社会での文化的癖にあるのだろうが、出自ははっきりとしない。
 セロトニントランスポーターの型からくる一種の不安遺伝子の集団内での多さというのがその根本原因なのかもしれないが、和みの道とか和の国などと彼らが自分達の卑怯さを裏返して美化していうときもそっくりそのまま、その種の卑怯の悪癖を示している事に文化人類学者は注意がいるだろう。

 たとえば関東大震災の時の単なる風評による虐殺事件を、現東京都知事・小池百合子氏は慰霊の慣習をやめて威張り散らしているのだが、この習癖一切に代表的な卑怯さの表れがある。小池氏が恬として恥じないのは現状の自民党寡頭支配体制下ではその方が自集団たる東京都民一般に同調できるからで、ほかではないのだ。そこにはなんの罪悪感や、歴史的反省も含まれていない。つまり、卑怯さの癖である「和」「和み」の同調圧力は、彼ら日本人多数派の中では善悪その他の判断基準より往々にして上位のものとして働くのである。それが全体主義に陥った時、天皇自身が卑怯さの集合体である「空気」に流され自ら責任を取ろうともしないいわば天皇卑怯者専制が出現するのは日本史が示す通りであり、明仁が退位法樹立時に憲法の法治をこえて立法権を侵害してきても法的にも倫理的にも日本国の主権者たる日本国民の殆ど全員が平気でいる様に、いまだにその神道邪教裏支配体制の機能は国政の中から少しも除去されていないのだ。しかも、日本人多数派はこの邪教支配の機能を安全装置か何かと勘違いするほど愚劣なので、彼らに治安を任せておく限り、極東どころか世界に安全が保てないのは絶対に確かな事実であろう。なぜなら、卑怯さによっていつなんなりとも、うつろいやすい風評で180度転向し、善悪をとりちがえたり混同しながら、自国内の少数派ないし諸国民に彼らの多数派が同調圧力だけの理由で、いつもの様に狂った牙をむいてくるのかわかったものではないからだ。

2023年10月16日

陰謀論衆愚の構造的理解とその末路

根っから愚かな人々が、自分が特別な知性の持ち主であると偽装しつつ、自らの過ち易さと向き合わず妄念を補完する適当で不完全な整合性を確証偏見で集め続けるのに好都合な新興宗教領域が、陰謀論界である。この領域には正常な批判的思考が機能しないので愚者の楽園となり、自集団の自壊と、関わる者の破滅をもたらす。

癖の修正

業は遠からず結果になる。これゆえ、常に最善のふるまいだけをし、わずかなりともあしき行いに近づくな。
 もしわずかでも悪徳に近づいている事が分かれば、すぐにでもその行いから離れ、直ちによい行いに立ち返るしかない。

 人の生涯はこの種の癖の蓄積からできあがる。習性的徳とアリストテレスが呼んだものは日々の癖の塊であり、あしき人々が自ら不幸な結果をひきよせるのは、単なる偶然を除けばおおよそその種の悪癖が招いた必然でもある。

皇室の存在意義

皇室の存在意義は上方比較による差別の維持と促進による、神道教祖一味の自己満足と信者の洗脳である。

悪因悪果NHK

NHK悪業まみれで倒れゆく

2023年10月15日

仲間について

この世では、自分より劣った者を、自分より優れた者に引き上げることはできない。
 それゆえ、自分に劣った者を味方にすれば人は足をひっぱられ、優れた者を味方にすれば力がます。

2023年10月11日

水滴

シャワーヘッドから水がこぼれる一滴ずつ

2023年10月10日

交際の基本則

人はつきあう者に似る。よって自分より優れた人でなくばつきあうかいはない。
 もし相手にとっても自分が相手より優れた面のある者でなければ、かかわりあいは総じて相手の迷惑にすぎない。

 自分より優れた相手でなければ、その者との交際は自分に害をもたらす。このため交際相手を飽くまで慎重にえり抜き、決して自分に劣る相手とくんだり、つるんだりしてはいけない。
 慈悲深い意図で自分より劣った相手を救おうとする者は、およそ自分とその相手2人分の墓穴を掘るだろう。

2023年10月8日

隠逸

隠逸の楽しみは、ほか全ての楽しみよりその高尚さでおそらく最も優れている。一般的利他性あるいは社会性において、最も高潔だろうと思われる慈善行為の楽しみは、これに比べれば多少なりとも世俗味を帯びているのに比べ、隠逸の中には人がもたらすなんの煩いもないからだ。

2023年10月1日

不徳の業

道徳に逆らう者は自滅する。