2021年11月29日

すずめちゃんの水浴び

すずめちゃんが庭の井戸の熱帯魚用の砂をいれたたらいのところにきて水浴びしてた

嘘の上で

僕らが生まれてから間もない
だがその瞬間もすぐ消えて
あとには海だけが残るだろう
 
宇宙が生まれてから間もない
だがそのまたたきもすぐ消えて
あとには夢だけが残るだろう
 
すべてのものが嘘で
あると信じていたものがマシュマロで
舌の上でとけてしまっても
 
この夜はとわにつづき
あとには心地よい潮風と
星のまたたきだけが残るだろう
もしすべてのものが嘘でも

ゾンダーコマンド写真

ゾンダーコマンド写真
2021年
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2021年11月28日

弱肉強食極悪自公政府

子供もいない負け組から子供もいる勝ち組に税を貢がせる弱肉強食極悪自公政府

テヨン

テヨン
2021年
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2021年11月27日

夜の光

夜の光
2021年
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2021年11月24日

世界の消滅

この世界は消えればいいのだ
ただなにも残さずに

2021年11月23日

夕暮れの美

夕暮れの庭をみたら命が回復した チョコ食べながら紅茶のんだ カーテンにあたる光のあまりの美しさに 僕の町の夕暮れのとうとさに

2021年11月22日

水漏れ

コーヒーをこぼしたら家の中の雨どいが漏れた

2021年11月16日

灯油と月

さっきとうゆいれにいったらそらに月あった

行路

行路
2021年
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ラジオ

『鈴木雄介第一講義』

『鈴木雄介第二講義』

『鈴木雄介第三講義』

2021年11月15日

暗黒卿の門出

ダースベイダー日本を発つ

2021年11月14日

失われてしまった光

この星が壊れても
いつか続けられる宴が再開され
何度でも帰ってくるだろう
我々のそらに輝く天体の奥に
隠されている宝石の様に

君の存在はなくてはならないもので
それは星の命よりもっと長く続く
唯一無二の輝き
だが失われてしまった光

2021年11月13日

東京の正体

東京は金をむさぼり原発、差別その他の公害をまきちらす完全犯罪集団だ。

2021年11月12日

最も雄弁なもの

直感は殆どすべてを語る。

地獄の島

日本という地獄の島
住んでいる人達の性が悪すぎて関われない
誰とも関わり合いになれない
都会で悪業自慢する群れ
それにあこがれると言っている西日本の衆愚
だからそんな島国が自滅敗戦したのは必然で
人類全体にとってよいことだったのだ
 
もしこの地獄の島が支配権を確立していたら
周辺の国々に同じ体制をおしつけていたろう
それは不幸を増産するだけだったろう

国内で悪意ある差別をまきちらすだけの連中が
天皇と称する関西系の悪魔崇拝で
田舎差別をくりかえして威張り散らす
金を貪って弱者を集団虐待し続ける
少子化で滅び去るのが当然の悪い仲間だ

地獄の島をぬけだした人々は救われている
ぬけだす金も手段も勇気もなかった人は犠牲だ

異星の待機時間

僕にはこの世界に同類がいない
だからこの星は地球は異星だ
この異星に放り込まれて
常々ヒトから不快な目にあってきた
ヒトという生物は僕と気が合わない
 
いつか元の星に帰って
永遠に地球におさらばできたら
ヒトという禍々しい集団から逃れられる
かぐや姫は一足先に帰ってしまった
僕にはまだ都合がつかないのだろう

2021年11月11日

正しさの保証

多数派が正しい、というのは完全に幻想だ。常々多数派は間違える。そしてその間違い方も、独特の愚かさによって間違える。ある事柄についてその集団の意見の分布が最も凡庸な地点で間違える。多数決の原理は、このため、正しさの保証では全くない。

 最善の意見は、その集団の中で最も賢い者、最も善い者がもっているもので、それはまぎれなく少数派の意見だろう。正否に濃度の有る或る事柄について、最賢者も最善者も究極では相対値として一人に定まるだろうから、最善の意見は常々、最も少数派の意見ということになるだろう。すなわち、優れた少数意見の尊重だけが、真に正しさを保証しうる唯一の原理といえる。

邪教の地獄島

神道という関西と南関の邪教
それを崇めさせられる地獄の島

地獄に堕ちたがる人々

西日本や中部の人たちは進んで地獄に堕ちたがる
東京・横浜という現世の地獄に進んできたがる
そして彼らは地獄を自慢する
天国を罵る

2021年11月10日

別の人達について

ユーチューブのノリってのが僕には少しも共鳴できない。
 テレビのひどさは前からいうまでもないけど、チューブのひどさも恐ろしいもので、毎日みてはいるんだけど、吐き気がするほどひどいのがほとんどすべてである。
 何がひどいかといえばいろいろあるが、俗悪さが凄い。
 みてて吐き気がしてくると書いてるけど、本当にそうなのだ。
 目まいとか吐き気がするほど低俗な連中だらけ、というのが今のチューブで、第二テレビみたいになってきて、もう完全に文化としては終わってんだろう。 

 しかしこの種の俗悪な連中の跋扈って今に始まったことではない。

 大体が、江戸時代の江戸の町人文化あたりからすでにそうだったのだろう。そのころからすでに自分には共感できないものであふれかえっており、 今もその延長上にあるのだろう。大衆的・商業的な文化というのが、自分とは著しく相性が悪いらしいのである。なので東京・横浜とか大阪・京都とか、名古屋とか、町人文化が激しい箇所と自分の相性も著しく悪い。そのあたりの人たちと会話してて馬が合うと感じたことも一度もない。完全に違和感しか感じない。違う世界で生きてる俗悪な連中だなという風に感じる。

 しかしその種の相性の悪さが、単に文物にとどまるならまだましだ。ヒトという生物の生態自体にそういう感じを受ける。
 僕だけがそうなのか、だが、自分が間違ってなければ、僕と似た様に感じている人ってまちがいなくこの世界には相当数いると思う。日本とかいう列島が特殊なのは、その様な人々の声が表に出てこれないところだ。大衆商業主義が大好きな人達、ほぼ一体化してる人達を「町人階級」「町人」としよう。この階級の人々の声ばかりが全力で流されて、その階級に軽蔑感というか違和感を持っている側の声は全然表に出てこれない。なぜなら町人が多数派で、数の暴力で押しつぶしているからだ。そればかりかマスメディアとかミニメディアとかなんでも寡占して、少数派の意見を踏みつぶしているし、むしろ少数派を卑しめてさえいる。江戸時代までは「武士階級」とか「公家階級」みたいな歴たる貴族がいたし、「農民階級」も別に多数派としていたので、町人がそこまで増長していなかったのだろう。しかし近代以後の日本は商業国になっていったので、今の南関東圏とか完全に9割以上が商人、町人であるからして、彼らの生活様式があたりまえで全世界の中心で彼彼女らの価値観が至上のものかのごとく威張り散らしているわけである。そして、端から僕はこの種の町人根性、より正確に言えば東京風・関西風・名古屋風の町人根性が全然共感もできないし好きじゃなかったし、今も好きじゃないのである。完全に別の人たちだな、と感じている。

 僕は人生で嫌だったことが無数にあるけど、その中でも一番嫌だったことの一つが、町人の人たちに繰り返し差別的言動をはかれた事だ。僕は15歳の時に画家になろうと思ってその後もその様なルートで生きていた。すると、特にネットで町人と接触する場合があるんだけど、町人の人たちは労働至上主義みたいな価値観を持っており、しかもその労働というのが被雇用者至上主義みたいな価値観で完全にうずまっている。ひどく世界観が狭いのはいうまでもなく、とにかく被雇用者じゃないと人じゃないくらいの言動を普段からしていて、それ以外の人生は人生とは思っていないらしくて差別的言動を吐き捨てて攻撃しようとするのだ。
 それで僕はこちらは完全に善意で生きているのに、知り合いでもなんでもない赤の他人でしかない町人、殊に関西だの名古屋だの東京横浜だのの人間に差別的言動を初対面で年がら吐かれるので、途中から町人、具体的には労働者という階級の人たちが嫌いになってきて、そりゃ相手からも面と向かって差別的言動をしてくるくらいだから画家という職業に何らかの敵意をもっていたのだろうが、あるいはあまりに狭量でその様な職業を職業分類だとは思っておらずに攻撃してきていたかどちらかなんだろうが、いづれにしても、日本の労働階級と自分という画家の相性は最悪であった。だから僕は労働者に対して非常に強い敵意を感じる様になり、相手が敵意をもってきているのだからこちらとしても同類とは思えないし、途中で労働者にだけはなるまい、労働者になるくらいなら死んだほうがましだと感じ始めた。東京人のあるひとは自分に漫画家になれば? みたいなことをいい、これも自分にとっては「は?」って感じでありえない話なのである。鷲に向かってげじげじになれ、みたいな感じだ。純粋美術の絵かきと大衆商業美術である漫画家って一から十までまるで違う生態なんだからしょうがない。そうは言わなかったが、それだけ差別的な言動ばかり吐く様な連中なんだから道徳性が著しく低い、ろくでもない不良集団なのは誰の目にも明らかだった。
 今の時点では労働者の人たちを完全に別分類の人間、別の人間だと感じる事になった。軽蔑すべき人達とだれだって同類だと思われたくはないだろう。初対面とかであれだけ侮辱しまくってきていたってことは、被雇用者・労働者の皆さんにとって画家というものが、正確に言えばなるだけ関わり合いになりたくない、互いの相性が非常に悪い、理解しがたい職業の人達ということになるのだろう。画家を差別しまくっていた労働者の皆さん、それはそうでしょ。僕は単純に高1のとき最初の美術の授業でどうも周りよりデッサンができるようだったし自分的にも得意そうだったのでそのまま絵描きの道に入ろうとして生きていただけなのである。それだけの少年・青年をいじめまくるばかりか、単なる純粋な悪意で、集団虐殺だか集団虐待しようとはかる、正確には特に虐待を実際にする、虐殺もやってみようとしたがこちらが根性がありすぎて失敗しただけって、よほどの邪悪さがないとできない。労働者の皆さんにそういうよこしまな悪意があったのはまちがいない。それというのは、この労働者の人たちってのは自分達が奴隷的生活をしていることに対してもしかしたら不満だか驕りだかを持っていたのかもしれない。だがそのなにかを他人にも押しつけようとしてる? のか謎なんだが、とりあえず、自分と違う職業、被雇用者ではない人々への差別で、その自分の仕事への不満だか過剰な虚栄心をそらすという習慣を彼彼女らとくればほぼ一様にもっているらしいのである。そんなの画家の人にとって関係ないでしょ。僕にも関係がなかった。だって自分に興味があったのはより良い絵とはどんな絵なのか、ということだけだったのだ。それを実際に見るか、存在しなければ自分で描いてみてみたいだけなのだ。それは被雇用者になってどうとかと一切関係ないだろう。関係ないのに差別的なことを言われるんだから、そりゃー労働者にいい思いをもたなくなるだろう。

 こういう経緯で、僕は町人という人達、労働者階級なるものが、別に差別意識とかはもっておらず、中立的なんだけど、なるだけ関わり合いになりたくないという思いは強くもつ様になり(だって少しでも会話するとほぼ例外なく、職業的な労働者の人たちからはほぼ一様に差別的言動されるんですからね)、最終段階として、労働者、被雇用者という人達に余りに不躾な差別的言動を吐かれ続けたので、今ではある種の超越的な感じすらもっているのだ。途中では表向き態度として示すかとは別に、労働者に対して憎しみとか恨みみたいな感じだったわけだが、そういうのはこえてしまって、単に「別の人たち」なんだと感じる様になった。職業選択の自由がある国だ、日本って。そこで自分が好きな職業を選んだらいい。それだけの条件はある。そのなかで、わざわざ労働者、被雇用者を選んでる人達なんだから、その人らから画家になろうとした自分が差別的な文句を吐かれる道理なんてどこにもない。道理を曲げていたのは労働者の人たちなのは明らかである。
 何らかの理由で職業選択を間違ったら何とか自分に向いてる職業に鞍替えしたらいいし、それができなかったからといって実際に自分に向いてる職業に就いてる人に嫉妬だか合理化で攻撃だかするなんてもってのほかである。だって職業選択の自由があるのは自分に一番向いた職業に人々を任意につかせるためなのだから。

 なにしろ画家になろうとして実際絵をずーっとかいてた人に、というかどうみても年下であろう青少年に、侮辱的言動を吐いていた労働階級の人らって、一体なんであんな言動をしていたのだろうか? 僕以外の画家志望なり画家自身の皆さんにもおなじことしていただろう。しかも画家や画家志望なんて無数にいる。芸大美大があれだけわんさかあるのである。今振り返ってもあれだけ職業差別をしまくっていた労働者の彼彼女らの言動に何一つとして共感もできない。そこにはどんな人道的・倫理的正当性もないと思う。明らかに非人間的な仕業である。

 ちなみに、僕もアルバイトみたいなことは一応したことがあるので、具体的にいうと建築士試験の試験監督と建築設計の手伝いだけども、賃金労働みたいなことに全く理解がないわけではない。だからこそ、労働者を専門の職業にしている人々のあの画家への態度は、完全に差別的言動だろうという事は見え透いていたのである。端的に言えば一般労働者ってのが一般教養がないから、視野が異様に狭くて、自分の職業と遠い職業の人達へ驕りだか偏見だかからかなり侮蔑的な言動を平気で吐いていた、という事だと思う。そういう意味で労働階級ってのは非常に問題がある階級だ。ある意味で、手に職がない、又はなんの特技もない、もっというと能力がない人達が行きつく果て。ワーキングクラスに対する扱いが下流扱いであるところのイギリスのめいろまが、前アベマでその様なことをストレートにいったらロンブーの敦から政治的不正だみたいなことをいわれて逆上していたが、一般労働者がものすごく威張り散らしている国が日本だ、という事は確かだ。しかし世界的にみると決してそうではない。サラリーマン・OLがうまれながらに自明の上流階級だと思い込んでいるのはおよそ全世界で日本だけである。僕は子供のころからその逆に思っていた。サラリーマンにだけはなりたくないと。なんでかというと父親が公務員で、なんか面白くなさそうだったからである。当人的にも別になりたくて公務員になっていたのではない。親の親からしくまれてそうなっていたのである。

 労働者から余りに差別的言動をされた僕は自分が一番苦手というか嫌っていた商売の分野について、今から5年位前だろうか、或るきっかけで本腰を入れて学びだすことになった。具体的にいうと、ピグにいたいちごって男が、一緒に起業しようぜとかいってきて、どういうわけか起業競争みたいなのをすることになり、結果、自分で商売というものを1から勉強する事になった。その後、僕の全人生で唯一、勉強しすぎて過労死しかけるという経験をした。昔、水戸の予備校の数学教員が、勉強しすぎて死んだやつはいないと言った。あれは嘘である。僕が実例で、普通に1週間くらい寝ずに朝から晩まで勉強してたら、トイレに入ったら気が遠くなり真っ青になって失神しかけた。その後、まともに立てない様な感じで、頭の血が引くみたいになり、寝ていた。要するに死にかけたわけです、過労で。まぁ夢中になりすぎて寝てなかったせいかもしれないけど、勉強しすぎて死ぬという事は普通にある。少なくとも全人類で僕より勉強してて体力の限界がきて死んだ人が0だとは思えない。福沢諭吉って『福翁自伝』で『論語』の文脈で肘に枕し云々で勉強自慢してると思いますが、僕の方が絶対に福沢より勉強してきていることは確実にいえる。その最も極端な状態に至ったので、後世のためにいえるのは、勉強しすぎて死ぬことは普通にあると思う。発狂するとかじゃなくて、体の方が限界を迎えるって意味でです。
 で、この経験で自分は、それまで一番苦手としていた、正確にいうと新渡戸稲造『武士道』よんだ影響で19歳くらいから結構な軽蔑まじりに、ある種の儒学的な貴族道徳、賤貨思想で避けていた分野が商売なんだけど、それを本気で勉強しまくってみたところ、克服するを超えて、今では5年後だけどかなり得意というかすらすらわかるようになった。モギケンって脳の分野についてはかなり的を射ていることがある。ほかの分野についてはいつも赤点に近いことをいっているけど。苦手分野を克服すると得意分野に代わることがある、とドーパミンサイクルをもちだしていっていたけど、これは本当みたいである。僕は人生で何度かうまれかわるというか、大体似た様な事をしてきた。画家になろうとしてたがある理由で足止めくらったので建築分野を学びなおすためにほぼ0から理転というのをして自然科学を0から勉強し直した時も非常に大変だった。自分は高校の時は芸術系コースだったので、文系の科目はデフォで早慶A判定でるくらいまではやっていたが、数学とか適当にやっており、生物とか化学とかは一切やっておらず、独学で0からやるしかなかったのである。しかし大変だった分、なんというのか普通じゃないところまで行ったような気がする。20代のころとか宇宙論を一人でその時点の数学力で行ける限界まで勉強というか研究していたわけで、自分にはいつもそういう所がある様だ。そして今回もそうだった。いちごと起業競争とか言い出したために、勢い余って経済学・経営学の分野を大学・大学院の講義は全部ききおわっちゃったばかりか自分が手に入れられた経済学の書籍も全部わかっちゃう感じだから、自分で理論つくらないといけないところまでいったので。で、経済学、経営学、商業という活動自体に苦手意識というのはなくなった。おこなわれていることが根本的に理解できたので。

ティクトクの謎を解いた

こないだ気づいたんだけど、
「一体なんでこいつらずーっとディズニーランドでばっか撮影してんだろ?」
と、ティクトクで感じていた。
ほぼ例外なく高校女子が千葉ねずみ陸地で撮っている。
あれはなんなのか。
結論としては現実逃避だった。
なんかおしゃれぶってるのか楽しいつもりなのか最初なぞで、
最近まで偏差値低い高校(別に侮辱的な意味ではない)の修学旅行気分ってディズニーなんか? と思っていた。
修学なんだから歴史的建造物とかめぐるならわかるんだけど、ディズニーランドで何を学んでいるのか誰も指摘しない高校ってのがあるのが初めて分かったわけで
要するに、ある種の高校だと、修学旅行が単なる卒業旅行あつかいされているわけです。
しかしある時ふと分かった。
あれは現実の悲惨さから逃避してんである。
だから現実の高校生活じゃなくて、夢の国ばっか映すのである。

地球という地獄の世界

僕は恐ろしい愚か者達を無数にみた
そして彼彼女らは凄まじく威張り散らしていた
彼彼女らは全部なんらかの魔物の様で
全員生きていくより死滅すべき生物に見えた

学校で洗脳している平等権の枠組みは嘘だ
人間には善悪があり悪い生物が無数にいる
大抵の人間の本性は悪だといえるだろう
彼彼女らが利己的で愚かな生物だからだ

愚かな生物ほど繁殖率が高い
それは再生産率の高い生物と同じ法則だ
愚かだと死亡率も高く
それゆえ多産しないと死を補えないからだ
人間界でも大体は似た様なことがいえる
愚劣な人間達はすぐ繁殖し
次々嫌がらせの様な迷惑行為を全世界でやる
だから人間界はまぎれなく地獄である
 
愚か者達に囲まれて
いつどこでも彼彼女らに囲まれているから
逃げ場の様な場はこの世にはないのだ
そういう地獄にうみおとされて
死ぬまでヒトに苦しめられるだけの世界なのだ

地獄の島国から脱出できなかった人達

僕が生きている世界は一人も仲間がいない
違う生物で埋まっている
なぜそんな世界にうみおとされたのか
全方位に天敵の様な生命体しか見当たらない
 
これほど邪悪な島に置き去りにされ
逃げ出す方法とてなく
ひたすら虐げられ続ければ
だれだってこの世に嫌気がさす
だから大勢の人達が自殺していく
当たり前といえば当たり前だ
それが日本の普通なのだ

極悪人たちが西日本から次々東京にでてきて
驕り高ぶって威張り散らし
蛮行自慢ばかりをしている
天皇と自称して殺戮や強盗を生業にしている
洗脳された奴隷が毎日天皇を神とあがめる
もううんざりする様な関西人たちの日常だ

これほど禍々しい連中が仲間だという
同じ国民だという
裏切り、侵略、虐殺、浪費自慢
差別とイジメと嫌がらせと偏見と悪意
口からついて出るのは全て利己的なうそ
ありとあらゆる悪徳の巣
そんな関西から来た人達が同じ国民だという
同じ民族だから崇めろという

なるほどこの島ぐには
地獄を作ろうとすればうまくできている
典型的な地獄の一つだろう
日本地獄から逃げ出す人たちは利口だ
幼いころから英語を学んでいさえすれば
そして少しの金さえ貯めていれば
それほど邪悪な連中の間で絶望のあまり
自ら死を選ぶ必要などなかったろうに

同類のいない異星にて

自分は完全におかしな社会に置かれているのだろう。何しろどこにも同類というものが見つからないのだ。異星に放り込まれており、そこには自分とは違う生物「ヒト」があふれていて、その「ヒト」は極めて邪悪な性格の生物、具体的に言えば害獣にかなり近いので、うまれてから37年間いろいろ致命的で深刻な迷惑をかけられてきた、というのが実感なのである。

 もしかすれば自分と似た様な経験をどこかでしている人もいるのかもしれない。ヒトに害悪をなされた経験が。しかし、自分が彼らと違うのは、根本的に違う生物に囲まれている、という感じを受けている点である。

 まぁ自分も大げさに書いている部分がないわけではない。 しかし事実としてその様な面がある。なんというのか違う生物感、異生物感が凄いのである。ヒトへ。
 例えばIQが異常に高い・低いとか、今の医学・生物学・心理学などで定義される何らかの概念で自分の違和感が説明できれば楽だったわけだが、その様なものをアカデミックな分野でも今のところこれと言って見つけられていない。かなり似た分類はみつけた。ギフテッドというのと、ハイリーセンシティブパーソンというやつである。だがこのどちらも決定的に自分の違和感を説明するものではない。

 この数年、に感じるが、実際は五輪頃からだから半年くらいかもだが、人生全体でその種の違和感が決定的になった。具体的に言うとモギケンという人が発狂して五輪強行をあおっていて、それはコロナ禍の最中で、しかももともと賄賂五輪であるところからもくるっているのが確かだったので、そうと指摘したところ、ツイッター社がツイ民と組んで自分へ言論弾圧してきた。それで実際コロナ禍が拡大しまくって、人々が死んでいったが、モギケン一派はイギリス政府とかの偽装工作じみた科学の乱用をもちだして正当化していて、これだけでも恐怖の極みだったのだが、それにつづけていろいろひどい「ヒト」の悪行をみた。
 イギリス政府は大規模イベントとコロナ感染に厳密な因果関係をみいだせなかった、という資料をだした。しかし、それって大規模イベントがコロナ感染と因果関係がないことを意味していない。イギリス政府の発表自体がその様な注意書きつきでだされていた。自分もそれを読んだ。
 ところがモギケンら東京人五輪強行派一味は、日本人一般の科学的リテラシーの低さを悪用する様に、というか意図がどうあれ悪用してんだろうけど、五輪と感染拡大には関係がない、とか、論理的に別事象とか、科学的にあり得ない言動を科学的といってごりおししてすさまじい感染爆発をまねていたのである。

 日本軍が大失敗に向かっていくときその中枢部で好戦論を唱えていた人達をみたらすさまじい恐怖を感じたろうけども、自分が感じたのはそれとほぼ同じものだろうと思う。現代版の好戦主義者みたいなのがモギケンで、その一味で、一味ってのはまぁ彼の信者とかつるんでる仲間とかなんだけど、特に僕がみてて怖かったのは神奈川県の横浜市あたりに住んでるらしい主婦のツイッタラーで、あからさまにモギケンの一挙手一投足をことごとくといっていいほど妄信しているのである。麻原彰晃と信者。モギケンと信者。天皇と信者。構図的には何の違いもない。そしてその様な教祖・信者の一方的な教義崇拝の関係が、具体的に大量殺人を犯しているとき、しかもそれを止めようとしたらすさまじい一方的暴力で言論弾圧されたとき、どんな風に感じるか。私はそれをこの数か月ずっと感じ続けてきて恐怖が止まらないのである。

 これにつづけてまた別のことが起きた。
 ユーチューバーのじゅんちゃんとかいうやつ。こいつ、いきなりしりもしない水戸学だの水戸学派だのを非常に差別的・侮辱的な文脈に置いてきた。関西人にありがちな思い上がりみたいなのが背後にあって、まぁ具体的に言うと自文化中心主義の一種、近畿中華思想のもどきなんだろうが、欧米思想を上から目線でもってきて日本思想を侮辱にかかる、みたいな思考の癖をこのじゅんという人はもっているんだが、その一部として、水戸学を極めて片寄った見方で否定にかかろうとして、侮辱的言動をとっていた。なんか長野のなんちゃらという農学者が書いた地元アゲの駄本みたいなのをもってきて、「国体論」という代物があるわけですが、それを否定したいがために水戸学派を引っ張ってきて、でたらめに差別的文脈に置いていた。
 国体論って具体的に言うと会沢安が『新論』を中心に展開した理論で、幕藩体制の連邦・旧令制国を天皇のもとにまとめて植民地化から守らねばならないという説である。いまでいう都道府県には当時日本領じゃなかった北海道・沖縄も入ってるけど、それを除く令制国を反植民地主義の文脈に置く語彙なのが「国体」です。
 しかし、じゅんはそのことを理解していない。できていない。だから残念な人である。それはいいでしょう。悪い意味で子供なのである。しかし、知りもしない思想家へ非常に差別的・侮蔑的な言動をとっていて、あきれてしまった。具体的に言うとじゅんは烈公こと徳川斉昭公を標的にしてたんだけども、烈公って、別に会沢と同じ国体論者ではない。烈公ってもっと政治的な面、進取の面があった。会沢は『時務策』で富国強兵論を唱え慶喜公の開明的な面に影響を与えているけど、烈公の場合、もっと進取で自分の米国留学を江戸幕府に申し出ていたわけである。慶喜公は『昔夢会筆記』で「攘夷に幾通りもある」といっていたけど、要するに烈公も士気の鼓舞のためにタカ派をふるまっていたが実態的には富国強兵策を急ぎ行おうとしていた人物で、そこでいう「国体」も、会沢のいうものとは違う。烈公の場合は水戸の徳川家なわけで、普通に天皇の親族である。しかも和製正史をかきだした義公から代々そうなので、会沢のいうような反植民地主義の政治的手段としての「国体」ではない。完全に皇室崇拝というたぐいの、より純粋な国体論者である。だからもし幕府と戦っても決して皇室に弓を引くなという義公の言い伝えを慶喜公に直伝していたわけである。

 が。
 じゅんはそのような水戸学の文脈を一切しらない。しるつもりもなければ、仮に知ったとしても悪用することはおよそ間違いないだろう。
 そもそも、このじゅんという人は、冷笑主義的な愉快犯の炎上系チューバーなのである。自分は水戸学に一定より詳しかったので、それに気づいてしまった。
 じゅんは表向きその様な冷笑主義を、ある種の反政府主義、反自民主義、「愛国カルト」批判と称する反日主義として語っているので、単なる愉快犯なのだとは今のところ思われていない。僕も最初そう思っていなかったのである。安倍晋三が単なる馬鹿なのだ、とじゅんは語っていて、自分も薄々そうなのかな? と思っていただけに、余りに単純な結論を語れるという点で、じゅんという人は分析力があるのかな? と勘違いしてしまっていた。事実は違っていた。単に深い悪意がある人間なので、悪意に満ちた自民党員だの維新党員だのに意識が近い人物だった。知的程度も自民党員・維新党員らとよく似ていて、軽薄で邪悪な人間の心魂にほど近いものをもっているために理解しやすいだけ、ということらしい。逆に言うと、じゅんは清心な人間、誠実で高知能な人間などは理解しづらいのだと思われる。それにはっきり気づけたのが、じゅん一味が水戸学派を大幅に誤読していた点なのである。
 水戸学派って普通に誠実の極みで自己犠牲を顧みなかった人達である。そのために悲劇的な結末に至った。しかし明治維新の最初から最後まで指導的役割を果たしていたし、近代日本が独立国として続いているのも結局は水戸学派のおかげといっていいだろう。この点では反政府テロだの植民侵略だのをくりかえした薩長土肥京芸ら西軍とか、米軍の属国化をいまだにつづけている長州閥とかとはだいぶ違う。水戸学派がいっていたのは反植民地主義であり、「国体」の元にまとまっての欧米列強との対峙である。象徴天皇制の理論的基礎を、水戸学派が「国体論」として今も提供し続けているのが確かである。しかし、じゅんは余りに浅学なので、まったく質の違う国防理論であるところの水戸学と、単なる無政府・反天・侵略・寡頭政治主義であるところの吉田松陰の思想に端を発する長州閥寡頭政治とを混同している。

 勿論それ自体、僕は大いにあきれてしまった。ゆとり世代の平均学力水準の低さというのは今に始まった話ではなくて、自分は彼らと接してもっといろいろ驚くべき経験をした。一度も本読んだことない人、漫画アニメゲームの話題しかできない人しかいなかったようなものである。そのなかでじゅんはましな方なのかなぁと思ってみていたらこれだ。だからあきれて当然だと思う。しかし問題は、じゅん自体の根性と態度の悪さで、頭から水戸学という日本思想の体系を馬鹿にしていて、まぁ西日本人が一般的にもっているひねくれきった堕落した態度だが、欧米思想を崇拝していた。ほとんど無批判に。そして代わりに日本思想を馬鹿にしている。これにも二重三重にあきれかえってしまった。

 モギケン一味も中身といえばじゅんとさほど変わらない。モギケンって母方は佐賀人らしくて、そういう意味で西日本って、根本的に終わってんだなと思う。欧米崇拝・日本蔑視(正確に言えば東京以外の東日本蔑視)って、西日本人特有の中華思想、自文化中心主義からきている典型的差別で、当人たちがその間違いに気づくことのできない盲点みたいなものだ。
 自分はじゅん以外の奈良人と一定期間、かなり深く話をしていた時期があった。子の奈良人も本当にあきれるほど文化的質がくるっていた。とにかくアジア蔑視がひどくて、代わりにやたらめったら西洋崇拝していたのである。僕にはいつの時代だよと思われた。西日本って、どうも明治時代くらいで完全に精神的進歩がとまってしまっているらしい。だから西日本からわんさか東京まで遠出してきて、そこから日本蔑視、田舎差別をまきちらす。京都の場合はもっとひどくて、平安時代で精神的進歩がとまっている。天皇がくれば市民のプライドがみたされるとか、完全に平安京をつくったときと精神構造がかわらない。

 水戸学派は西日本が馬鹿の集まりだ、蛮族の集まりだという事について全く考慮していなかったのだ。それで蛮族を同じ国に編入してしまった。その被害は幕末にはじまって令和の今まで続いている。
 薩長土肥京芸の人たちって、いまだに植民地侵略主義が正義だと少なからず信じているのである。だから広島人が慶喜公へぬれぎぬきせて、その不正をみぬいていた会津人らを侵略虐殺した事について謝罪した場面とか一度もみたことないし、それが不正だとすら思っていないのだろうし、なのにもかかわらず、その様な卑劣な侵略暴力至上主義を原爆で制止されたら逆切れしてんである。その様な世界史的指摘にも、おそらく知性の低さから少しも耐えられない。原爆被害を受けた広島人大正義、という風に学校とかで洗脳され、天皇が侵略植民地主義の原因のくせに、広島へ同情的な意見をいったら広島人とくればコロっと騙される。孝明天皇はずっと慶喜公を信頼して公式政府(幕府)と一緒に国造りをしていた。会津松平家がもってる『孝明天皇宸翰』なんてそのいい証拠だ。明治天皇が15歳だったのをいいことに、岩倉具視らが政権簒奪を目的に慶喜公へぬれぎぬをきせた。母が吉子女王だわ、子供のころから尊王の哲学を叩き込まれているのに、天皇を討伐なんざ慶喜公がするわけないので、江戸城まで天皇家へ譲った。そしたら天皇家が侵略帝国主義による最悪の行動をはじめた。これも天皇家が全面的に悪い。
 天皇って自称で、もとは中国から来た人だ。当人たちがそういっている。天孫降臨とか。要するに弥生人の一種で弥生時代に列島へ入ってきたわけである。その人らが奈良に定着してそこから帝国主義政治をやりだした。だから古墳豪族の一種なわけだが、もともと天皇家って歴史修正主義者なのである。『魏志』倭人伝に日御子がいたと書いてある。ってことは、天皇家って偽の皇帝で、本来の皇帝って女帝なのである。時期的に。飛鳥期にもなってからでてきたのが天皇家で、自分で天皇と漢字を借りてなのりだしただけのことで、もともと日本にいた人達ですらないし、当然だが神とか実在しないものの末裔でもない。アフリカ人の遠い末裔である。もっと先祖を遡ったら類人猿の進化版である。さらにさかのぼったらシアノバクテリアだの炭素だからして、アマテラスとか嘘なのである。実在したと考えられる日御子の方がより古くからいたと考えられる豪族だし、そもそも古墳時代なんて各地にでかい古墳もあれば、もっと昔から縄文遺跡もあちこちにある。つまり天皇家って中国系移民なのである。そんな人達の神格とか存在しない。単なる暴力団長である。

 だから西日本の人たちが飛鳥期からずーっと主張し続けている中華思想って、すべて虚構であり虚栄にすぎない。
 じゅんにしたってモギケンにしたってそこは同じだ、自称天皇家にしたって同じだ。

 僕はですね、小室圭さんはとってもいい働きをしたと思っている。そんで眞子内親王も大分興味深い人物だと思っている。ヤフコメ民の一部とかにマコー・アントワネットといわれているけど、そもそも、マリー・アントワネット自体を、僕は割と好きなのである。正確にいうと小室眞子婚姻事件までの流れでマリーについて調べていったら、かなりの好人物である様に思われた。単なる世間知らずのオーストリアの王女って感じで、育ちが育ちだけにある面で高飛車だったのかもしれないけど、たまたま、時代の状況にまきこまれて処刑された。それと眞子内親王の置かれている状況って、さほど違いはないように思うのだ。
 竹田恒泰という人物もこの点では、対極的に似た様な感じというか、政府から叩き出されたからかなり無理のある男系論の論陣を張って皇籍復帰を狙っているように思われる、もしくはそれ関連の皇族商売をしているのは哀れだけれども、これも時代の必然があると思う。皇族が政府から叩き出されると自分で商売をはじめるしかない、ということなのだ。だから皇族利権を強烈に使って金を稼ぐのが最も手軽なので、その先例として、竹田氏がでてきている、ということなのだろう。そういう意味で、ハリー王子がマコー・アントワネットの先例というだけの話で、別に疑問はない。というか小室圭さんの全行動も、一般人からみたら疑問だらけなんだろうけど、冷徹なゆとりの行動としては何の疑問もないものだ。ゆとりって彼にかぎらずあんな感じだった。なににつけ自分の利己心が優越していた様な感じで、拝金主義があたりまえで、倫理とかはとっくに崩壊していた様な感じであった。眞子氏も内親王時代から大体似た様な価値観で生きていただけだろうし、僕的には別に疑問もない。単に世間の人々が疑義する様な特権利用のかずかずが、うまれつき当たり前と思ってて悪意がないだけだろう。そういう人種をみたことがない人は圧倒されてしまうだけのことで、茨城県・常陸国みたいに昔から割と皇族と関係していた様な感じの地誌だったら、天皇家の傍若無人ぶりなんて当たり前にあるというか、奈良時代から今まで何ら変わらないのではないか。だって世襲の絶対権力者なのだ、天皇家って。その人達がなにやっても完全に無罪、というのが原則で、竹田氏がいってるとおり。そんなの非人道じゃないか、人権侵害じゃないかといえば、いや、天皇家って最初から人道を無視してるから絶対権力者になったんですよ、としかいいようがないし、逆らった人たちを平気で殺戮しまくってきた一味です。人権とか出てくる前から関西で蛮行三昧してきた一味だし。「いまさらなにいってるの?」という感じで、むしろ竹田氏がここでもあわれというか、いちいち説明してあげてるのがかわいそう。もともと皇族のままだったらそんなのする必要もなくて見下して終わりだったでしょうね。いまではただの一国民だから、天皇家の無法行為を一々かばわないといけなくなっているわけだ。というか絶対権力者を権威めかしてごまかすという二重の覆いがかけられているのが象徴天皇制なり、幕府登場後の天皇家というものなので、そこの複雑な虚構、嘘をつきとおさないといけないわけだから、竹田氏っていくら元皇族ビジネスとはいえ本当にご苦労なことだなぁと思う。だって皇族なんてだーれもそんなことしてませんからね。疲れちゃうでしょ。一々いわなくても絶対権力がある側なんだから、皇族側はほっとけば勝手に政府が反乱者を退治してくれるわけだからね。不敬罪とかあったでしょ。

 じゅんとかモギケンって、この問題でもすげー微妙な態度というか、おのおのかなりへんてこな行動をとっていて、僕はそれもみててつらかった。だからもう見たくない。

 じゅんって人は単なる人権の論点から眞子をかばっていた。でもそれって、もともとじゅんみたいな奈良人があほな皇帝制度もどきをやりだしたのがすべての原因なんだから自業自得で人権侵害のしくみを政府づらでつづけてきた因果応報なのに、なにいってんだこいつ? と僕は思った。大和王朝がーとかいっていたせいで今みたいになっている。すべての悪因は奈良人なのである。最初からそんな傲慢な皇帝制だか王政だかをやりださなければよかったろうに。

 次にモギケンだけど、この人は自分の頭で考えるんじゃなくて、肩書とかで安直に信頼を置いて、具体的検証を怠る場面がよくある。それで竹田氏を思いっきり信用しており、男系派に入ってるんである。モギケンは。これもおかしな話で、佐賀人ってその程度の思慮で薩長土肥だーとかいっているんだから笑える。普通にさ、女帝も何人もいたし、女帝から女帝への相続もあったじゃん。だから天皇って女性でもなれるのである。血統主義じゃないのだ、もともと。それをルール違反して万世一系だーとかいいだしたのが岩倉具視で、『王政復古議』とかいう文章で、天皇家は男性じゃないと継げないとかいいだした。ありえない話だと周りの誰も指摘しなかったということは、岩倉ってよっぽど頭脳に恵まれなかったんだなと思う。狡猾さは別として、故実については無知に近かったわけでしょ。ある意味、不必要に大出世してしまい、国を間違えたんですね。岩倉のせいでいまだに混乱が続いている。孝明天皇って岩倉を遠ざける様なこともしていたし、あまり好きではなかったのかもしれないけど、それって、岩倉の性格が陰険という意味で悪いのに加えて(なにせ暗殺未遂で遠ざけられたんだから)、普通に故実に通じていないこともあったのかもしれない。竹田氏は頑張って勉強したのかもしんないけど、普通に女帝がいたし女帝同士でも継げたんだから男系じゃなきゃダメとか理屈が通っていない。結局男系にもどりましたといっているけど、もし男系にもどってなかったらそれは天皇じゃなかった、なんていえないしそんな法的・宗教的・政治的根拠もない。思うに神器を継げて女系で続いてたとしても、義公はその代を普通に天皇として記述していたと思うし、今も女系で続いてたとしても別に何の問題もなかったろう。男系論・女系論って、僕がしるかぎり、過去の全天皇史でがたがた言ってるのって竹田氏だけであって、じゃあなんでそんなこと気にしてるんですか? というと当人が皇籍復帰の可能性が残ってるからじゃないかなと思う。だって神器の方が重要だってのは皇室研究家からしたら常識でしょ。それも所詮は偶像崇拝で、神器が完全に喪失したときに何を正統性の根拠にするか、別の秩序になるんでしょうけどね。ただすでに男系だろうが女帝同士だろうが何度も交代してきて血統が天皇の正統性の根拠でないのは確かなのだから、普通にみて、竹田氏の説って間違ってるのである。
 ところがモギケンって自分の頭で考えるのを省略してるらしくて、あるいは思考力がないのかどっちかで、竹田氏の説をうのみにして、おもいっきり眞子内親王をぶったたいていた。眞子内親王をぶったたくというのは、小室圭さんとその母君をたたくことで間接的に眞子内親王を侮辱していた。それはやめた方がいいでしょ。だってね、昔の水戸藩だったらそんなのしたら怒られるよ。坂下門外の変だろうが桜田門外の変だろうが、あれってさ、当時の政治家が皇族を侮辱したから怒ったんだよ、水戸藩士って。安藤信正がいやじゃいやじゃーといっている和宮親子に家茂と結婚しろといったんでしょ。皇女に何をしくさるといって怒ったわけでしょ。あと孝明天皇が攘夷せいといってるのに、無視して条約勅許して、天皇ごときが政府に文句つけるとはおこがましいみたいな感じで、孝明天皇なんて廃帝しろ、みたいに井伊直弼って大老になったらいっていたわけじゃん。それをね、彦根市の人たちっていまだに理解してない。水戸藩士が攘夷論者だったと思い込んでいるのだ。違いますよ。水戸藩側って会沢安『時務策』みたいに外国事情を考慮して、富国強兵論だったんだよ。だから諸生党って、孝明天皇に忠実な即時攘夷論者の天狗党と対立関係になっていったのです。急進的な攘夷論じゃなかったの、多数派は。烈公もそうだよ。むしろ米国へ留学させてくれといっていた。だからね、桜田烈士・坂下烈士がおこったのって、当時の首相級の政治家が、天皇や皇女を侮辱したせいだよ。滋賀県彦根市の人たちって水戸市と姉妹都市だけどそこはちゃんと理解した方がいいと思いますよ。尊王論に触れてるから井伊大老は最終手段としてくびちょんぱされたんです。水戸藩士、要するに水戸徳川家臣団にとって大義は義公以来ずっと尊王なわけです。

 だからね、モギケンも竹田氏も大分おかしいことをしていた。
 はっきりいって眞子内親王をPTSDにさせた主犯って、竹田恒泰さんでしょ。そう思いますよ、全部みてた感じ。一番あおってましたよ。そんでそれにへつらって、というか同調して、一緒になって小室圭さんをいじめまくり、小室圭さんの母君をも名誉毀損しまくってたたいて、しかもその結果として愛する人を攻撃されて眞子内親王は傷つくだろうなーと僕は思っていた。竹田氏にそんなこといっても、彼はそこまで気が回らないのか、皇室のためには小室家をケガレ扱いする方が正義と信じ込んでいるらしいので、いや、それで眞子さんが自殺未遂とかする方がやばいんじゃないのか、というか内親王の私事に文句つけるっていくら元宮家とはいえ身分はき違えてるのではないかとは思ったが、直接は何も僕としてはいわなかった。モギケンの方には結構いってみた。だってモギケンってこの件で思考停止してんである。正確にいうと引用主義というのか、竹田説をそのまま正しいこととして暗箱にいれて再検討せず、竹田説のままで自分の説を上書きするみたいなことをしており、そのモギケンの説ってのは、男系論なのはいうまでもなく宮家復活論かつ小室圭悪玉論というやつだった。そんなの眞子内親王への侮辱だろうと私は思いました。実際そうだったと思う。だからいや、内親王に文句つけること自体がおかしいでしょ、とモギケンに何度もいってみたけど、いつものごとく全部無視して根本的にはモギケンは逆切れすらしていたと思う。ちなみにこの間、モギケンは佐賀新聞社長ともつるんで一緒になって小室家に悪口みたいなことを言っていたと思う。

 結果としては眞子内親王がPTSDになったわけだから、竹田氏もモギケンもろくでもなかったというしかないでしょ。いろんな意味で。

 別にね、皇室制度って関西の制度じゃん、もともと。東日本にとって関係ない制度といえば関係ないですよ。こっちにとって身近でかなり関係性があったのは将軍制度です。将軍制度が皇室制度の一部じゃん、という意見もあるが、必ずしもそうじゃないでしょうね。将軍は東国の豪族の長で、その人たちの政体が関西圏にも影響力を及ぼすために形の上で契約していたみたいな感じでしょ。天皇家との関係って。鎌倉幕府からそうだよ。江戸幕府の最後の時だけ例外って感じで。慶喜公が水戸徳川家出で、尊王派だったからね。
 だからね、今の政府をその東国伝統の枠組みに照らしたら、現実主義的に判断されるというか、政治的にダメなら天皇だけ生き残ってもダメですよ。天皇家が生き残ったから太平洋戦争は成功だったとかいってる東日本の人いますか。天皇家にしては生き残れてラッキーだったのかもしれないけど、あれってひどい政治だったとしかいいようがないじゃん。逆にね、天皇家がどうあれ、政治としてうまくいった場合は成功とみなされる。鎌倉幕府は失敗だった! とか言ってる人いますか? みたことないですよ。要するに天皇機関説じゃねーけど、皇室って政治制度なんだよね。関西の豪族の末裔じゃん、元来が。もっとさかのぼったら中国系移民じゃん。偉そうにしてた。その人達を封建意識で崇拝する人が関西圏には昔から多かったから、源頼朝ら歴代将軍は、天皇との関係を利用して政治をしてきたってことよ。まぁあれですね、関西人を帰順させる手段だよ。天皇の存在って、それはGHQのマッカーサーも同じじゃん。だから天皇家と政府の関係って、いつも政治的なものなんだよ。東日本的には外部からきた移民で、まだきてから150年くらいだし、歴代将軍と大してちがわないですよ。政治制度として。関西人の豪族の長が滅亡したところで、「で?」としか思えないしね。「関西人ってあとから入ってきた移民じゃん」で。アイヌの方が明らかに長いし、縄文人の方が遥かに長くて数万年以上の歴史があるわ、その縄文文明の延長上にできてんだもん、東日本のほとんどの都市って。東京とか横浜とかだけ新造の関西移民地区なだけで。

 だからモギケンとか竹田恒泰とか、いってることが間が抜けてるというか、天皇が絶対権力者だという意識で語ってるから、なんていうのか野蛮にしかみえない。どこかの民族ではそうなんでしょ。特定の絶対権力者の男系の血筋に神格が宿っているとか本気で信じているのでしょ。でもさ、遺伝学的にも現実政治的にも間違いじゃん。大量虐殺史だらけの天皇家に神格とかないよ。冷静に見ても最悪の血筋の一種だよ、豪族なんて大抵そうでしょ。戦争おこして威張り散らしてた蛮族の末裔って。それが封建制度のもとで蓄財して威張り散らしてただけだよ、中世って。

今では日本の京都市でしか主張されていない世界一恥ずかしい思想

国内で地域差別の激しいところ

僕はずっと「なんでこの人達、出身地で差別してるの?」と、関西とか中部・北陸とか、四国とか、南関東とか仙台とか札幌とか長崎あたりで生きていたり、そこいらからでてきたりした人らに思っていた。僕がそういう言動を直接きいたのは、今あげた地域の人達からだ。
 自分は記憶力が尋常ではないらしいので全員どんな状況で差別発言してきたか、相手のプロフィールまで憶えているわけで、そういう脳の持ち主だと、脳内に学習や経験則から特定の地図の様なものができあがる。それでいくと

S 極めて地域差別意識が著しい
(ほとんど口癖といってもいいほど初対面で差別的言動を吐いてくるグループ)

S1.京都市内
 特に上京区民は区外の京都市民すら「洛中」「洛外」意識で自明に差別しているようなのが、平安京つくってからの初期設定状態。

S2.京都市以外の京都府内
 京都市上京区民の華夷秩序に日々痛めつけられているが、その腹いせか、風習への同調のくせで、府外民へ悪意を向け意地悪な中華意識から差別する風習がある。

S3.奈良県
 平城京以来の「近畿」意識で華夷秩序を自明に発言。

S4.大阪府
 京都や奈良の「上方」「近畿」中華思想に同調する。

A 地域差別意識が非常に強い
(初期設定で地域差別意識が刷り込まれている様な言動が多い)

A1.神奈川県(特に横浜市周辺の都市部)
 東京23区を万事上位者だと信じていて、コバンザメ的な同調意識から、23区外をさもあたりまえのように地域差別する。激しい都会崇拝・田舎蔑視。

A2.宮城県仙台市
 東北では一番都会という典型的な優劣複合観念からきた、猛烈な都会崇拝・田舎蔑視。

A3.愛媛県
 よほど山奥で世間知らずな上に、非常にすねたところがあって、都会崇拝・田舎蔑視が著しい。ある愛媛出身者へのききとりでは、伊予松山藩が西軍・幕府軍の板挟みになった経緯など、自称「関西の流刑地」四国でも随一すねるだけの理由があるらしい。

B 地域差別意識がかなり強い
(地域差別的言動をとる者がかなりの割合で存在する)

B1.長野県
 愛媛県と類似。立地的に山奥でとても世間知らずらしく、知らない土地を自明に見下している上に、テレビなどのメディアバイアスで都会崇拝・田舎蔑視が激しい。

B2.千葉県
 衛星地域として利害を共にしているからか、東京中華思想に同調する。

B3.愛知県
 「中京都」を構想するなど愛知県内の田舎すら見下す都会崇拝の毛色がある。徳川宗春以来商業主義の気風で、商業地の都会度を地域の格づけだと信じている人が多い。そもそも一般の名古屋市民はじめ愛知県民なるものはテレビなどメディアでしか県外をほとんど知らないほど県内・県周辺ひきこもりが多い。

B4.石川県
 金沢市の「加賀百万石」をよほど誇っているらしく、田舎すべてをその事実如何にかかわらず貧乏視しながら差別するひとがいる。なお現実の石川県の1人あたり県民所得は16位と中から上くらいで、5位富山県、14位福井県などおなじ北陸地方でも決して最上位ではない。石川県民の一部がみくだす「田舎」県とおもわれる地域が複数、石川よりひとりあたり所得上位にある(2016年、内閣府・国民経済計算)。

C 地域差別意識が存在する
(都会自慢・田舎蔑視の地域差別的言動がひとによっては相当ある)

C1.東京都
 江戸城・皇居のある千代田区中華思想を、拝金主義傾向のある隣の港区中華思想で補完している。都民自身はテレビ番組やマスメディアの報道などで群れていないかぎり現実で面と向かって他人に言う意気地・蛮勇がない場合が多いものの、ネットの匿名言論などでは「(大阪から移民してきた)江戸っ子」や「(明治以後に方々から移民してきた)東京人」意識で、田舎や田舎出身者・田舎在住者全般を、東京ナショナリズムによって悪意や偏見で見下す者が非常に根強く、相当多数いる。但しその様な言動をとる者たちが土着の人とはかぎらない。「東京人」に成りすます為に、一部の新移民が、過度に東京ナショナリストを気取って地域差別に該当する悪業をしている場合が散見される。

C2.北海道札幌市
 都会崇拝・田舎蔑視を、更なる都会の東京へのあこがれでまねている。

D 地域差別意識がないわけではない
(幕末西軍意識が自明の偏見としてあり、侵略被害先を見下す様な文脈をもっている)

C1.長崎県
 グラバー邸がらみで坂本龍馬を美化するなど西軍の所業を肯定し、彼らの小御所会議クーデター以後の「朝敵」冤罪による侵略罪被害先である東北地方などを、よくしりもしないままで見下す言動をあたりまえのようとることがある。諸方への文化的無知に加え、ある種の利己的な西軍地域ナショナリズムが存在。

C2.富山県
 幕末のとき中立地帯だったので、その延長上で、幕末西軍の朝敵冤罪・侵略被害の悲惨な実態を知らず、被害者側を地域の文化ごと辱める言動を平気でとることがある。その根底には歴史学的無知にくわえた、著しく利己的・自己中心的な悪意がある。

大体この順序であったように思う。経験則が入っているので純粋に統計的ではないけれども、自分がそれぞれの地域で生まれ育ちくらしている人達の、郷土史や文化が成立してきた経緯から補正して、そこまで大きく外れていなそうな図になっているはず。

もっとも地域差別が激しい平安京の中華思想

 まずSの地域は言うまでもなく中華思想を飛鳥時代からまねた連中である。いわゆる関西地方の都市部であるが、自称近畿なことからもわかるよう自己中心的虚栄心がすさまじい。いまでは飽くまで中世都市の残骸だけれども、その時代をやばいくらい美化して捉えており、要するに時代が止まってしまっている。だから封建意識や、部落差別のような人権侵害の風土を残存させていることはまちがいなく、そのなかでも恐るべき割合で差別的言動が連発してくるのがご存知の京都市というわけなのである。
 これは日本語や非口語のニュアンスが分かる人であれば、そして京都市を訪れたり、はたまた当該地域の出身者とかかわったりした人達は少なからず経験済みの筈ってレベルで、要はデフォで華夷秩序まんまの言動をしてくる完全な心理的中世人である。平安京のまんま。時代がとまってしまっていることはまちがいない。
 京都市長・門川大作らがやたらと皇族政治利用をもくろんで、中央政府に皇族よこせー上皇おいでやすーとかいうのはまさに、あと文化庁よこせーこっちが首都なんやーみたいなのも完璧に中世都市の虚栄心をみたすためらしいのである。だからね、救いがないといえばまさに京都市の地域差別の風習であるようにおもう。なんというのか不可欠な要素みたいな風に794年平安建都からの「京文化」なるものに一体化されてしまっており、いまさら文化相対主義で「いや、あなたら中世に入ってきた朝鮮系の渡来人のかたで、長安まねた中国風都市ですよね?」とか文化多元論で「日本ってもっと前から都市がありましたし。それにくらべて京都市内には縄文遺跡もないんでしたっけか?」みたいなことをいってもついぞ通じない。通じていてもひたすら得意のイケズで全否定してくるだろうけど。

 ま、はっきりいって京都市内でも上京区から下京区をみくだすみたいな、崇仁地区はもと被差別部落でどうちゃらとかさ、よくきくけどどうみても中世意識のたちが悪い門地差別、地域差別を現役でつづけているわけです。もっといろいろその種の差別のたちの悪さが、むかしから京都市一帯にあることは、調べれば調べるほど無数にでてくるのでおそろしい。あの狭い盆地でだよ? 反対側の山が見えてるような場所で人間どもが差別しあっている。『枕草子』で清少納言が庶民差別を皇族と一緒になってやっていばっているのなんて典型例である(清少納言『枕草子』「僧都の君の御乳母のままと、御匣殿の御局に居たれば」第293段)。
 そういう潜在的な差別の風習をもったままで、今後の世界に展開していくというのは無理ですね。だから僕の予想だと、京都市って今後も衰退していくだろうし、むしろ全人類のためにはそうならないといけないとおもっている。差別の風習って文明界からなくなるべきだからだ。完全に。

 いや差別してませんがな、あんたさんが京都を差別してますがな、みたいな論理のすりかえを小御所会議での詭弁屋・岩倉具視みたいにいってきたとしても、「京都」「上洛」とか「上京」とか、もはや京でも特にないのにぬかしつづけている時点で、「近畿」圏と称している連中と同様に、救えないのだと思う。
 もう一度いうけど救えないのだと思う。だってある意味ね、奈良が先例なわけですよ。当の奈良も、都鄙差別みたいな意識が潜在的にあるらしいのを自分はナラ人研究で発見した。なおかつ、悪い意味で閉鎖的な自己中心性みたいなのもあるのを、とある奈良人とかなり深く話し込んでみいだした。まぁあれですね。奈良の人って歴史の遺産で食っている様な面があり、それっていうのは平城京とかね、飛鳥京がーとかあのあたりにできたものだからなんだろうとおもうわけですが、同時に自称近畿で自分達が全世界の中心だという虚栄心が、京都とか大阪とかにひっぱられて、奈良にすら歪んで存在する状態なのですね。
 自分は、なるほどなー、「山の所」、ヤマトとかいってナラ人(ナラは朝鮮語で国。当時の先進国からの外来語)や山背やましろ人(ナラからみて山の後ろの人、平安京ができるまえ京都を奈良から読んでこういっていた)が閉じた盆地で威張ってたのって、記紀や風土記でうそばかりつきながら全国民を虐殺してやった自慢してたのって、日本民族ニアリーイコール異民族イコール蛮族どもーがとかいう中華皇帝邪教ごっこで、大和王朝じゃーとかいっていたのはこういうわけねと発見。ま。端的にいって、あたまのわるい連中がね、朝鮮半島の任那だかどっかから亡命してきてあの盆地に入り込んで、そいつらは自己中で低知能・低共感集団かなんかの部分もあり、それはナラの「山の後ろ」(今の自称京都の盆地)もさ、時期は多少ずれてても、渡来人が作った町って意味で事情は似たり寄ったりですけども、まー本国から白村江の戦いでテロ戦乱おこして追放されたようなかなりたちのわるいやくざな連中が島流し状態で出入りのすくない盆地なんかにあつまっちゃったら、中華思想で飽和して随分いやしい言動があたりまえみたいになっていき。ついには自民族中心主義自意識でいきのこってしまうのもむべなるかなと感じた。これが歴史の真相でしょうよ。それが大和魂ってやつなんだよ。山所の魂ってつまりは渡来人のかたがたが、オレツエーしてただけなのだ。世間知らずのままで。ナラ人や京都人を緻密に観察してきて、どうも事実そうみたいだった。

 自民族中心主義が非常にわるい方にでたのがナラや京都の自称天皇依存の中華思想だったわけだ。そうやって中華帝国ぱちもんの関西帝国主義政体をつくろうとしていて、その自己中関西人による世界征服の邪悪な企てが、東日本側の民族自決独立運動の英雄・平将門、アテルイとモレらの抵抗にあいつつ、ついに決定的に破綻しだしたのが鎌倉幕府の源頼朝や江戸幕府の徳川家康に負けてからなのだ。幕府は真の実力政体で、朝廷はもうそのころ実権を失っていた。

 一番分かり易いのはね、『昔夢会筆記』で水戸や江戸でそだって京都にいって、当時まだ未成年な将軍家茂の後見職をしていた20代後半だったかの徳川慶喜が、京都からおそらく一度もでたことがない関白のタカツカサ・スケヒロって人に、欧米列強の凄まじい強さと外国事情をお話した。そしたらタカツカサ関白はうんうんとうなずきながらも「せやけどうちらには大和魂があるよって。攘夷戦争はきっかりしてくれはるんやろな。あの(尊王で有名な)烈公のおこさんなんやから、ひとつたのんまっせ」 みたいなことを慶喜公へいった。
 慶喜公は、タカツカサにそれで救い様がない物分かりの悪さだなと困り果てたと書いてるんだよね。
 江戸は一応世界一の大都会なわけです、当時。そのうえ子供の頃は水戸で那珂湊とか高萩のほうまで、烈公にいわれたとおり兄弟で、おうまさんで遠出してた、10歳くらいまではいなか育ちの子でもあるから、慶喜って当時としては異文化体験をしていた。基本的に当時って関所が国内にあって、今の都道府県の県境で各国がわかれていて、移動制限かけられていたから、異文化体験する人そのものが少数派だったといえるでしょう。飛脚とか、あるいは大名行列についていく転勤族のサムライとか特別な人以外。つまり慶喜は田舎も大都会も知っていて、当時として最高度の英才教育も受けていて、最上流のひとりとして最も見聞が広い方だった。当時の一流知識人のあつまりであるところの水戸学派の一端でもあるから外国情報も得ていた。だから、京都にいったら突然そんな中世みたいなこといわれて、水戸・江戸人として面食らったといっているわけである。しかも孝明天皇もあきらかに外人嫌悪で、外人を犬猫みたいにおもっていて、いわゆるエビスあつかいしており、人種差別主義を中華思想をうちにふくむ神道そのまんま引っ張っているのが真の叡慮で、そういう外国文化への差別意識、外人排斥意識で攘夷を一つどうかたのむ慶喜はん、みたくいわれつづけて、そうしたいのは山々でも現実には無理だと悟っているからにして板挟みで困っていたことも同じ『昔夢会筆記』で慶喜は語っている。
 慶喜はね、尊王の極みだったから、関白も天皇もわるくいってませんよ。単にそういう経験をした、困っちゃったと語っているだけ。
 慶喜公は開明的な面があり、日本代表の遣欧使節団として岩倉使節団がいくよりずっとまえに、公式政府側として、弟に西洋旅行させ、今後の日本のために外国からよく学んできなさいというお手紙をおくっていた。しかし当時の京都のトップってその逆で、「エビスどもがー。追い払っておくれやす」だったのだ。いかにもありそうというか絶対そのとおりだなとおもう。当時も今も似た様な感じじゃないか。観光客ふえたとはいえ根底にある意識って意味では。いまからたった150年前ですよ、たった。その時代の京都って、そんなものなのです。しかもトップが。てか天皇家と関白が。
 カズノミヤ・チカコ・ナイシンノウだって皇女のくせ江戸を散々見下して、いややーいややー、家茂なんてアヅマエビスの野蛮人と婚姻しとうない、いうてはった。リアル野蛮人なのは民族差別であたまがいっぱいな西戎暴力団長のむすめチカコのほうなのに。そんなもんなの。150年前の京都人の頂点の意識がね。要するにね、中世。時計が止まっちゃった。慶喜とかいろんな国々の公使を接受して大変だったのにだ。それがエビスはやっつけておくれやすーって当時の京都人はいつでもどこでもいばりちらしてるのね、政治的能力がなかったから有力者の支持がえられず実権がうしなわれていた公家の虚栄心で。794年から2021年の今まで。実は歴史あさいくせに。数万年以上の歴史があるこっちのが日本にずっと生きてるのに。京都中華思想ほどたちのわるい妄想ってないだろう。

 ついには眞子内親王を精神病においつめた奈良人男系至上主義も実にたちが悪いが、それ以前に、そういう一族をはぐくんだのがこの京都中華思想とかいうプライドの塊。

ヘレネス中心意識の盆地中華思想

 当人たちはやたらめったら自己中なのでいつまでも自分が上だみたいな意識をぬぐえないって意味では、そして同時に盆地の外の世界をしりもしないまま、世間知らずのなかで虚栄心に耽り続けるどこまでも情けない自己満の人達らしいって意味では、京都の将来を暗示しているのが、同じ盆地中華思想の先輩にあたる奈良さんなわけですよ。域外のひとたちをバルバロイあつかいしていたローマ帝国はゲルマン人(ドイツ人)傭兵の流入で崩壊したが、京都や奈良は盆地の外のひとたちを「エビス」あつかいして当の色んな外国人らの爆買い観光地になって自滅しつつある。概念は中華思想に借りているが、構図は同じ単なる自民族中心主義による差別でしかない。しかもその思想が帯びている自文化の高慢な魅力自慢によって、惹きつけた外国人の侵入先になっている。盆地中華思想のやばさがそこに共通項としてでている。盆地は安全なのかもしれない。外敵が攻め込みづらいとかで。しかし同時に閉鎖性がある。それが悪い方にでていくのが中華思想を盆地にもちこんだ場合ということを、ナラと京都の例は示している。と私は、ナラ人京都人みててはなはだ思う。同じ盆地の都市でも、山形とか甲府とか山梨とかで、同じような話きいたことがないからだ。中華思想が流入してないからそういう外国人の集中侵入先になっていないらしいのだ。

 そんでね、ナラの方はもうあきらめちゃったんだとおもう。みてて。むかしは関西圏で一番大都市だったでしょうよ。平城京のころ、飛鳥京のころはね。しかしそれがうちすてられてからはあきらめちゃったのでしょう。もう都会ぶるのは疲れるからいややわーみたいな。それで大仏商法の1人あたりGDP最下位県になったわけですよ(2016年、内閣府、国民経済計算)。これもまたすさまじい。1300年くらいかけてトップからドンベまで転がり落ちた。
 じゃあ京都はどうなのというと。またこれ17位。ひとりあたりGDP(上記と同じ年度の内閣府データ)。みるかげもないとはいいませんが、決して平安京で全国へ捏造錦旗ぶってV字だしていばりちらしていたころの面影とか一切ない。GDPではかるなよといわれるかもしれないが、飽くまで中くらいの都市だよね? というしかない。地方の中小都市ですよね? といわれても、しかし自称京都のプライドが決してゆるさないから、やたらめったら陰険な差別的言動をしまくることで、なんていうのか京都市が世界一といいたいがため想像もできないほどひどく陰険なやり口で、徹底的に彼ら京都人は自己正当化、合理化してくるわけです。年がら年中それしかやっていないといってもいいとおもう。花札メーカーが出すゲームをよく観察していると、どうぶつの森シリーズにせよ、日本の各田舎のことばを「なまり」あつかいで暗に馬鹿にしているのがわかるだろう。じゃあ京都弁はんが一番なまってはるんじゃねーか、でおますか? という文化相対主義、文化多元論は、自称京都市の自己中加減では永久に通用されへんのやどす。
 あいてをおとしめても自分があがるわけではないだろうに、必死で田舎差別をしまくることで、東京なんていなかもんのあつまりやわみたいな。ありえないいいわけしているわけです。それでいったら平安京がそうでしょうと。いましらべてみたら、京都市とほぼ同じ人口サイズって、関東だと「川崎市」がぴったり147万だそうです。えっ、ってしかいえないでしょ。川崎市が京都と名乗ってますかと? もう一度いうよ。川崎と同じ規模だよ?
 モノレールが駅に入ってくる、なんか音楽堂みたいなところまでのカーブのね、入口がね、ファイナルファンタジーの動かない背景画像みたいな。川崎市。そこの前で深夜に大人の男女がだきあっている(のを自分はみたことがある)、駅前はそういう意味でチャラい都市かもしんない川崎市。川崎国をつくろうとしていたあの。

 もう一度いうけど関東人って川崎市を都会だなーとはそこまで思っていないというか、隣にはよかれあしかれ自然破壊されつくしている23区もあれば、横浜市のみなとみらい地区だかもあるからして、まぁ神奈川との結節点とかいう意識でいるとおもうの。これを京都市民がよんだら相当変な悪意をもって別の方に概念をずらしはじめると思う。都会イコール精神性みたいに。しかもそこでいう精神性ってイケズ精神とかいう、単にずるいやり方で相手を貶める差別意識なのにな。そういう人達だからね、根が。おまえのほうがいなかやん、みたいなのの千倍くらい卑しい言い方を、いろいろ邪険なやり口で言い返してくるに違いない。くだらねー。そういう「都会自慢」自体を馬鹿にしてるのにね。

ただの田舎差別が京文化中心主義のイケズな実態

 田舎差別。これが京都人のやってくる言動の全実態なんですね。そして、その裏側にはなーんも裏づけがないことがほとんどすべてであった。
 僕は最初「……(やたら威張ってきてるけど。京都からでてきたこの人って。この京女。こいつ、そんな威張るだけ本当に偉いの?)」と、素直だから相手のいうこと、というか嫌味の言動を一見うけいれ納得したようにして、ま、僕は大人しいんで、しゅんとしたような感じをてらいつつ、相手側が一体なにゆえにそんなに威張り散らしているのか同時に裏まで探り続けてきまくった。今も探り続けている。ひたすら科学的にみてきて、厳密に。実際なんの実態もなかったんですよ。知ればしるほど。空威張りなの。
 京都人が田舎差別してくるときってみんな知っといた方がいいけど空威張りなんで。中身は空っぽで、単純に意地悪いってるだけなんですよ。まじで。「まさかぁ。ほんとは偉いんでしょ」「お公家さんだから高い教養が」とかおもったら負け。だって何もないんだもん、裏に。悪意ある虚勢しかありませんでした。教養なんて一切ないよ。そもそも立派に教養がある人は差別なんてしないでしょう。文化差別すら。教養がたくさんあれば色んな異なる文化の立場が理解できるだけに鷹揚な態度になるだろうに。
 だいたいね、相手の方がいろんな意味で都会人なのに「この田舎者がー」みたいな随分と頭の悪い差別のしかたをするんだ、京都界隈の一派って。それってなんなのかといえば、千年以上、天皇一味の皇族公卿公家ら上級国民に差別されて鬱屈した偏狭なナショナリズムが変形したものなの。京都中華思想って。

なぜ京女はイケズで有名か

 桜井誠がさ、朝鮮のわるくちいってるじゃん。でも僕は韓国の人とも、ま、ネットとかリアルで何回かお話しした事あるけど、1人もわるいひとだなとおもったひとはいなかったぞ。しかし、京都の人と話したかぎり、デフォで差別してくる女があまりにおおかったですね。しかも実に陰険な感じで。もう一度言うけどこれ重要だから。どういうわけだかね、京都の男性ってそこまで表向き差別的ではない場合がある。東男をこわがってるだけかもだけど。ただ陰険で性格わるいなとおもうひとが、外から来た学生とかでなくて京都市に昔からいるらしい地元人の場合、いる感じはありまくったが、それはデフォで性格悪い遺伝子なのかもしれないがそういう遺伝子があるかは不明だし風習で染まっちゃってんのかなこいつらとおもえなくもない様な面もないことはなかったようでもあったし遺伝原因か文化原因かははっきりしないものの、おうちに泊まりにくるほどかなり仲良くなったほどにフレンドリーなひともいた。当たり前ではあるが、ひとって個人単位でちがうわけです。変異幅として。風習とは別にね。しかし実は地元人としては同じ集団だから、郷の外では表向き本性だしてないだけかもしれないけども。一方京女のばあい、自分がみてきて一人の例外もなくデフォルトで差別的言動をしてて恥じていなかったんですよね。京都のうちだろうが外だろうが。
 あのさ、しかもあいての裏側にあるのはただの悪意だったのです。他人を辱めてやれ、嗜虐してやれ、という純然たる悪意なの。ひとりひとり確かめてみたんですよ。こいつらなんでこういうこというんだろうって。
 いますよね、女で性格悪い奴って。嫌味とかいって、小学校時代とかから同級生をいじめてるじゃないですか。そういう感じの極端なバージョンが京女のデフォであまりにおおかったんで、普通に想像もつかないほど性格悪い嫌味を、差別的言動こみで連発してきてるのね。京女って。当人達は当たり前だとおもってるみたいなんだけど、そんなのみたことないじゃないですか。まだ1人の例外もなく、しかも初対面とかで失礼きわまりない言い方で京都の女って陰険なイケズいってくるんですよ。ネットでもリアルでもそんなだったんだぜ? 僕が経験した感じで。まぁそれなりの距離で観察したのが数人だから統計的にかたよってるといわれるかもだが、まじだからこれ。そんな集団どこにもいないからさ、そりゃーびっくりするし目立ちますし。なんだこの性悪共って感じで興味をもつから、やっぱ気になって調べてみるじゃん。相手の裏側まで。色んな手を使ってインタビューとか背景事情とかを知悉していってみたら、裏には単なる世間知らずな利己心という悪意しかないのね。軽率な悪意しかないんですよ。

 要するにね、学校とかにいる性格悪い女の最悪バージョンってだけだったのよ。京女って美化されてるじゃん教科書で。あれ公家の上の方の娘とかが政治史だの平安文学の作家として出てくるだけの話で、崩壊した没落貴族きどりで実態は見栄はってるつもりで、実はチンピラ級の雑魚にすぎず、いちじるしく家庭崩壊しきった育ちの悪い娘って感じのキャラ属性が非常に多いのね、現代京女なるものの出現率として。たぶんあれ学校でもイジメしまくってますよ。京都府のイジメ発生率って、なんか京都の行政側が統計いじくって表向き隠すまで、ずっと最下位だったじゃないすか。だってほんとに京都出身の女って、およそ一人の例外もなく学校でもねーのに赤の他人へ初対面とかで即イジメしまくってたもん。まじだよ? 例外ないレベルでだよ。そんだけひねくれきった地域属性ってラスボスの城の前でやたらうざい魔法つかうやつとかJRPGだったらでてくるじゃん。先手でザラキーマつかってくるとかさ。それを性悪といい、京都方言では「イケズ」といっていた。意地悪の意味である。単にそれだけなんですね。
 あれだけ威張りまくってくるからには何か裏にすごいものがあるのかな? と一瞬思うじゃないですか。本当に京都って裏では、みえてないだけで立派な何かがあって、それで威張ってんのか? という可能性が0ではないから調べてみた。文学熱の僕だけかもしれないけど。だって僕は性格がいい方らしく、他人にわざわざコストかけてまで嫌味なんていいたくないからですよ。疲れるから。だから性善的な人ほど京女にデフォでだまされる。もう一度書く。重要だから。性善的な人は京女にデフォでだまされるから、近づかないべきだといっておく。非常に相性が悪いのはまちがいなく、水と油だ。そしたっけね京都勢のイケズって嫌味いったり嫌がらせしてきたりするのによっぽどコストかけまくってる様に見えるけど、実はそれが彼彼女らには本性どおりで楽だってだけらしくて。当人らがそういってました。裏にはなんにもなかったの。理由が。「イジメ大好きですよー」と、むかしから京都にすんでるそれなりの名のある家の或る京都男がいっていた。そしてまた別の京女になんでそういう陰口をいってるのかってきいてみたら大発狂しだして、そもそもその京女がデフォで性格が悪いだけで、共通の知人へ陰険に嫌がらせしてるつもりすらなかったらしいのだ。これも僕は大層驚いた。文化自体が全く違うのは間違いない

 関東ってさ、根底が武士の社会じゃん。将門以来。東京というか南関東の都市部の方はもう関西に染まってるから違うかもだけど一帯に通底するものはあるよ。陰口いってると気分悪いじゃないですか? しかしね、京都とか大阪とかの人達って、男もデフォで陰口いってくるんですよ。これは文化の違いなのはまちがいないとおもう。関東のじのひとたちって一般にというか自分の経験してきたかぎりほとんど一人の例外もなく、文化なんだとおもうけどさ、そういう陰口とか好まないのである。陰口いってる時点でうざがられ軽蔑されるか、正々堂々と当人にいえば? みたいなことをいわれることすらある。しかも女からすらだ。イーッヒッヒ、ねるねるねるねみたいな陰で笑って喜ぶみたいな感じは、まじで一切ないとおもう。何か悪だくみをするとしても、関東圏ってそういう一般公徳があるからして、陰謀がいかにも成就しづらいはずである。いわゆる武士道で。まぁ茨城県と東京都で土着してるひとメイン風習かもしれないけどさ。武家のおかしら徳川家がおわしますからね、250年以上も。気風が移ったんだとおもうけど。
 しかし京都って公家社会だったじゃないですか? だからなのか、なんでもかんでも陰で陰険にあれこれ謀略を働いて引きずりおろすみたいなやり口を好むらしいのだ。中根雪江の『丁卯日記』や渋沢栄一の『徳川慶喜公伝』で、小御所会議のとき土佐人の山内容堂が、京都人の岩倉具視や大原重徳の陰険な謀略におこって注意した言動をみよ! あれが武家と公家のあいだにある気風の違いなんだよね。岩倉も大原も陰湿に冤罪たくらんでそれを押し通そうとしてて「そういう卑怯な事やめろ」と山内はきれたわけだから。土佐ですらだよ? あれ薩土密約とかやってたのにだよ? だったら関東なんて余計切れてるよ、その場によんでたら。武士の道徳で動いてんだからさ。だからして京都政界で生き抜いてる奴とかって、東日本人一般は、本当に要注意の天敵とみていいと心からおもう。天敵だといっていいですよ。性格が正反対だから。ま、天皇とか公卿公家とかが東京にうつりすんできちゃってからは多少都内はまじってるかもだけどさ、そのほかは混じってないわけじゃないですか。その意味で、京都の地元政治家ってさ、ラスボス側近みたいな性格をしているはずじゃん。陰険な連中の間でやりぬいてんだもん。いろいろ陰湿なやり口で、デバフ技を連続してかけてくるみたいなキャラ属性のやつらだらけのはずである。卑怯を憎む東国の武家と相性わるいわけである。慶喜公もさ、母親は皇族だけども、それでぬれぎぬきせられちゃったわけじゃんね。余りに勤皇に至誠だから。けっきょく京都の陰険イケズ社会と相性悪かったわけでしょ?

 京女のあのイケズぶりの裏側って、純粋な悪意しかないの。だからいってんですよ。性悪って。性悪説ってあるじゃないですか。あれは性格が悪い人達にはまったくただしい見解なんですよ。だって本当にそうなんだもん。何らかの理由でそういう集団が一か所に特別にあつまっちゃっているらしいのだ。京都市のイケズの風習って、その外にないじゃないですか。みたこともきいたこともなかったし、今もみたことがない。とあるノルウェー人女性を、かなりの悪意をもって異質とみなして、集団でいじめてたイギリス人男女らに辛うじて似た様な陰険な面が感じられただけだ。虚栄心からくる村社会・島国根性みたいなのの悪い面が盆地で千年かけ結晶して、凝結してしまっているのが、京都市のイケズという風習らしいのだ。

一般論として性悪説が通用する都会、性善説が通用する田舎

 性悪説がまちがえるのはね、僕みたいにデフォで生まれ育ちが善良素朴な世界ではぐくまれているやつにあてがったときだよ。童謡うたってノンタン読んで育ってんだ、こっちは。ほわほわほわわーわたぼうし、とかいって。いってないけど。家の前の空き地で2歳とか3歳の時点から、たんぽぽのわたげ飛ばして生まれ育ってんだね、こっちは。そんな子に性悪説をあてがってみ。むかしからことごとく的はずれだから。他人に善意しかないの、僕はね。
 むかしからね、通りがかりの人が、おとなとか。2歳とか3歳とかの僕が綿毛ふいてるのみても、かわいい子どもだなーとおもってただけだよ。まぁ数万年前からここに人が住んでいた証拠とか発掘された勾玉とかからあるみたいだけど、ただの田舎町だからね。休みの日に川で泳いであそんだりしてんだから。こどもだけで。清流とかで。

 さかなでいうとね、ヤマメとかアユの稚魚みたいなもんだ。こちとら清流でうまれそだってんの。アユみたいに一回都会にはでてみたけども、うわー悪いところだなと思って帰ってきてんの清流に。
 それと大海原でサメとかね、意地の悪い奴らが大勢いるところで最初から産まれ育ってる奴が同じ性格のわけないだろ。悪い魚が一杯いるだろ。だれだ。ヒラメとかか? 攻撃的なの一杯いるだろ。すれてるんだよ。都会で。イワシみたいにさ、群れる奴とかも安全のために群れてんですよ。それが都会人じゃん、匿名でむれてさ。意地が悪くなってんの。すれて。

 京都の人って善良な道徳心とかないに等しいというか、ほとんどひとりたりとも例外なく或る種の風習で、ま、いってみれば過密都市としての歴史が長いほどそういう意地悪社交性みたいなのをさ、「他人を見たら泥棒と思え」的な都会ズレした連中のなかで身に着けていくしか生き残り方がなかったあかしになっているのだとおもう。イケズってそういう社会に適応するための心構えじゃん。全員悪人とみなすって。

 漱石って生きづらい人だったじゃん。あれ、京都に行ってたら終わってたよ余計。当人はアホだから京都がいいところと妄想してたみたいだけど。江戸っ子にありがちね。だってさ、リアル京都は全員悪人が前提のギスギスしきった社会なんだもん、江戸より。社交辞令ばっか。それがデフォじゃないと生きていけないほどスラム最適化してんだもん人心が。いってたら人生に絶望度が深まったって意味では京都にいかなくてよかったんじゃないですか? まだ。松山とかロンドンとか、およそ素朴でのどかな田園地帯とはいいがたいだろうところばっかいってるから自業自得だけどな。だからね、都会化するってのは決していいことではないんだよ。これはうそぬきで。

 なんかな、日本人は関西のね、ナラ人が中華思想をもってきてからというもの。都会化をイコール発展という馬鹿が多い。特に関西、中部、東京圏におおい。東海道沿いにそういう意識がみられる。天皇がもちこんでいる意識だからそのルートでばらまかれたようなもんで、あたりまえといえばそうだが、つまりは馬鹿なんだとおもうそいつら。
「都会化する」ということと「人として立派になる」ということは全く別のことだ。「都会ですれる」ということは「洗練される」ことと関係ない。なにせ都会ですれて人としてダメになってしまう事の方が多いのだからだ。しかし日本人一般は、といってもいいだろうが、ほとんどそういう理解が伴わない。ある意味本当に中華思想に洗脳されてしまった連中なのだ。もう一度書く重要だから。
「都会化する」「都会ですれる」と「人として立派になる」「洗練される」は全く別の事なのだ。都会ズレながらに人として立派に洗練される事ももしかしたらできるのかもしれないが、決して同じ集合ではない。いなかにいて高い教養をみにつけ立派な紳士になる事が、カウントリージェントルマン、日本語でいえば郷士なり田舎侍としてあたり前という話である。むしろ、都会で人として擦れ単にろくでもない人間になるか、ゆくえしれずになってしんでしまう方が圧倒的に多いように思われる。江戸墓場説、東京墓場説で。都会って人口流入が激しいが出生率がやたらひくいわけである。それは総じて、くいっぱぐれた人間が死にに行くのと一緒だ。その都会に出て少子化死亡ニンゲンホイホイ最終形態なれのはてが、ナラとか京都とかでいまだに続いている中華思想であり、天皇とかいう封建領主の親玉継続中のやつらなわけだ。全国民を奴隷化し、都心部で威張り果てているというのは、完全に都会ズレきった悪意のきわみというやつである。

外国に中華思想はあるか

 僕はピグで色んな外国人の人達と接する機会があった。あれは自分には本当に勉強になった。
 ましてや中華思想っていまや日本人の相当部分しか信じていないことがよくわかった。
 もう一度書く。中華思想って日本人の相当部分しか信じていない。もともと中国で生まれた考えだ。しかしこれをナラ人の馬鹿がもちこんでしまった。天皇とかいう馬鹿が。小野妹子とかいう随分可哀想なおかたが。ま、判断力がなかったんでしょう。比較できる思想の幅とかが当時なくて、いやおうなしになんだか本質もわからず直輸入して中華皇帝をぱくろうとした。なぜ彼らが真正の馬鹿といえるかなら、いまだに東京以外の全ての東日本人って、そんな中華思想なんざまねてないのである。仙台は多少おごってるかもしれない。都会づらで。しかし中華思想までは行ってないだろう。しかも日本の先住系である、東北て。だとしたら、ナラ人とか関西人とか京都人とかがこの点で特別にバカだったのだというしかないだろう。中華思想とかいうどこからどうみても差別のかたまりでしかない思想形態をまねるって。よほどあたまがわるいか、根性が悪いかどっちかじゃないと到底まねられない。

 それからというもの、奈良の某豪族が自称で天皇とかぬかしているんだからあたりまえに馬鹿だ。もともとさ、オオキミといっていたわけです。日本の大抵の豪族って。だから「大君」を称号にしようとしてた慶喜周辺の官僚ってあたまよかったんだろうね、よっぽど。西周とかブレーンだったわけでしょ。天皇より正統な称号なんですよ。オオキミにつながるんだから。豪族がたくさんいたんです、自称天皇の中国からの渡来まえに。
 遣隋使をみくだしてきやがった、どうみても心の狭いあたまのおかしな中華皇帝をまねだすって、体育会系が先輩にいびられたから自分は後輩をいびるみたいな、最悪の行動類型。そんだけ屑の極みだったのだ、初代の天皇って。始皇帝以来そんなだったんだよ、向こうは。威張り方がすごくて。ところがそんなやくざ親分をまねている。奈良の豪族って一体。

 薩長がさ、侵略植民地主義者のイギリス海賊団をまねたみたいなおろかなさるまねじゃないですか。こどもですらまねちゃいけませんといわれるよ。あいてのわるいところをまねた一族がね、えらそうに日本へろくでもない思想をもちこんだ。

 ところが。大体血統からして渡来人が起源の関西人と、文化も朝鮮からの輸入で同じだから似た様な状況に置かれていた筈の朝鮮の方では中華思想ってもってないみたいだった。小中華思想は過去あったかもだけど。血は関西とおなじはずなのにね。これは宗主国と朝貢国の関係がかなり長くつづいていたおかげで、もしくは国々が分裂していたおかげで。逆に、朝鮮の中の都市をやたらもちあげて田舎をみくだすみたいな意識が出てこなかったのかも? もしかしたらもっとたくさん南北朝鮮の人らと会話したらやっぱりそういう意識があるのかもしれません、が、自分がネットとリアルで2、3人と話したかぎりだけど、ひとりもしらない。韓国の人達と会話しても、だーーーーれも田舎差別的言動をした場面、都会崇拝的言動をした場面をみたことなかった。寧ろ馬鹿関西人と馬鹿南関人がいつものごとくやたらそういう自己中都会中華思想で満遍なく全国差別してるから、ある韓国人はからかってまねていた。韓国の少年が。だって向こうに天皇いないんだもん。天皇が元凶なのか、関西人や南関人が特別に下衆なのか、どっちもだろう。あの韓国少年かわいそう。素直で利口な子供のようだった。かつ日本の漫画アニメファンでデフォで親善目的にピグにきていたのに、横浜のセントとかいうFXやってた石工の純然たる外道に民族差別されまくって文化衝撃うけ、子どもが無理やり日本嫌いにさせられていた。

 そんで、敢えてだすけど、この都会崇拝・田舎差別とかいう日本の関西圏や東京圏などの一部にしかない最悪思想の点、イギリスとか真逆だからね。田園詩人の文脈があるからなんだか、田舎好き国民性が普通で。デフォで一般に王様すらそうだ。ウェールズ公爵チャールズの画集とか。とてもすばらしい。イギリスとかイタリアとかの田舎の水彩画で。そんで、近代建築の醜悪さを非難する立派な建築論のご本まで出されている。日本の今上はイギリスの思い出書いた本しかだしてないけど。皇族は自分の国民の税金で自国の大学いかないって自国民を馬鹿にしているのだろう。ワーズワースは、フランス革命の流血沙汰と大混乱を大陸旅行でみて、地元のいなかに帰ってきて、林のなかでしずかにああはなりたくねーと歌っていたわけである。そういう精神構造みたいなのを、奈良の山奥から山背の盆地にこもって散々全国差別してきた家柄はもっていない。全く。

 茨城もね、イギリスと似た様な田園主義というか田舎主義というかそういう文脈がある。常陸国って西山荘にせよ、好文亭にせよ、六角堂にせよ、よき田舎趣味の面がかなり大きいのはそういう文脈で。わざと江戸の軽薄な町人カルチャーにかぶれないようにした武士道貴族道徳の水戸学派。西洋化にまきこまれないよう近代日本画めざして東京から避難した五浦派。都会のカマトト社会とちがって、故郷のこどもに純朴な童心をはぐくもうとした野口雨情もそう。だからそれを京都人がね、リアルのつくば市と今やどっちが都会度高いかもしれないのにさ、田舎者やーとかいってるのは、すべての意味でお門違いだ。京都北部と比べてなくとも都会自慢自体がコロナ禍死亡自慢、不衛生自慢にすぎない。

 田舎=悪、醜、ダサい、何もかも負とかいう頭のおかしな価値観って、東京とか関西とか限定のものなのだ。僕が知る限り総じて田舎のがくらしやすいのは間違いないし、自然の美しさを知らないやつはそもそも人間というよりコンクリートジャングルのチンパンジーだ。すぐ近隣の大都会にかぶれたくない、ああいう風になりたくないから反都会主義というものがある。ということは文化がちがうのである。どうせ永遠にわからないだろうけど関西人ごときに。東京人ごときに。だってさ移民のあつまりで何万年もこの島の自然に羽含まれ生きてきた人々と感受性が違うんだよ。自然へのまなざしや理解や共感の深さが。関西圏って近畿中華思想、京都市上京区中華思想の渡来人集住人口都市だから。
 その開発にまきこまれて和歌山の人とか田舎趣味を是としているとまではいかないんじゃないの。茨城の人は昔から田舎趣味を是としてんですよ。佐竹寺にせよ。よき田舎をめざしてきた。常陸国って。しかも常陸国衙跡も考えると茨城のが京都より先に都会化してたしな、平安京ができる前から。いまでも京都府より人口もGDPもでかいけどな。ひとりあたり県民所得すら。

 じゃあ御所だか皇居だかを中心とみて、そこから遠いほどエビスやー、イナカッペがー、土人がーとか沖縄でぬかす大阪府警の機動隊員と、「これだからイナカはいやだ」とかナチの本場にあたるミュンヘンから東京にでてきて毒親ネタで不孝な事ばかりぬかす某みたくね、自己中な都会自慢いなか差別心満開でいったり、あるいは単に群れてつけあがっている、ザ都会ずれ、ラすれっからしチンピラ精神の発露たる、都心中華思想への反命題として、田舎主義を語るのは立派だろうと僕は思いますが、究極のところ、合命題として、どこに住んでようが差別してんじゃねーわ、としかいいようがないわけだ。いや、どこに居ようが人は人じゃねーかで終了。もちろん文化の差とかありますよ。しかしそれはそれで、人権侵害とは関係ないべきなの。

外人嫌悪の孝明帝が最後の京都時代の天皇

 いいすか。150年前の京都なんていまだに外人嫌悪のアホがトップだったんだよ? 和歌詠んどくしか能がないみたいなやつらが、あれだけ発展していっていた欧米諸国が世界中を植民地にしていくなかで、ろくな近代兵器ももっていない幕府に「なんとかしておくれやす」って御簾の奥からね、麿ぶってぬかして威張り続けていたわけですから。元寇の時と変わらねーな。だから京都政界がね、中央国政に影響力をもたなくなったのって幸運だったんだよ。

 公武合体したのは結果としてはよかったに違いない。だって関西政界がいつまでも邪魔してくるせいで内乱が続いていたんだ。戊辰戦も結局はそうじゃないですか? 関東の中央政府に関西の自己中きわまりない中華思想の馬鹿が反抗してくるせいで内乱になってしまうわけで、いつもいつも。天

 皇家とかいう関西のレイシズム・カルトのくだらねー宗教な上にS級戦犯のくせにいいのがれる最悪に自己中なボスがね、東京にでてきたのはその意味では、やっと東西合戦が終わるって意味では最終結論として、やむをえなかったのかもしれない。お城を主家にゆずることにした慶喜公が意図したことではないが。明治天皇を操っていた岩倉具視は完璧に意図して江戸幕府の官僚機構を奪おうとしてたわけじゃん、小御所会議での辞官納地の朝議決定とかいう意味不明な極悪性悪ぬれぎぬ強盗罪以来さ。いきなりお前の地位と全財産よこせってあたまおかしいからね。偉そうに辞官納地とかぬかしてるけど。しかもきのうまで命懸けで天皇家守ってた相手にだよ? 明治天皇が16歳だからって、子供をあやつあって明らかに不正に権力濫用したのはいまからみてもあきらかだしな。会津藩士、桑名藩士や旗本兵があれだけきれるわけですよ。

 慶喜公が「孝明天皇のおっしゃりたいことはわかりますが、まぁ病弱な家茂公がはたちでしんじゃったから長州征伐とかとりあえずやめて、お国の為に腹割ってみんなで話し合いして政治しましょ。同じ日本の大名でしょわたしら」っていったらいきなり岩倉具視だの大久保利通だのが「朝敵の罪人! 全財産よこせ」と武器で脅しながらいってきた。馬鹿すぎるだろ。あたまがおかしいというか当時も、単純に鹿児島人と京都人は性格が異常に悪い。自称朝廷の反政府テロ集団だけある。

 というかね、京都人だの鹿児島人だの、その当時の政治的代表者らの性格が著しく悪い。天皇家へなんもしてねーのに戦争しかけてきてたガチの罪人であるところの長州・毛利家を、徳川家は天皇家へ交渉して寛大にゆるしてやったんじゃねーか。それが第二次長州征伐をうちきった慶喜の台慮じゃん。それともさ、圧倒的に数が多い軍勢で最後まで戦い抜こうとして、奇兵隊がなんちゃらほざいてる長州藩士だの民兵だのを、四国艦隊と協力しながら壇ノ浦式に絶滅させてたらよかったってこと? 結論からいうとそうなりますよね。そしたら山口県とか西日本とか性悪連中が勘違いしなかったってことになるじゃないですか。圧倒的に力の大きな側が、吠えかけてくる犬をゆるしてあげたら逆にぬれぎぬきせてくるってよっぽど性格悪いよ。武士道のかけらもないって西日本の事じゃないの。勝てば官軍海賊ルールしかない。これが歴史の真相じゃないか。150年前にちゃんとそういう実例があるんだから。だからね、僕は歴史に学んでいるんで。僕に是非とも最高権力を与えるべきだね。だってそしたら西日本の人達がどんだけ悪性な行動してきても「はいはい、またですか」対応できるじゃないか。事実そうだったんだから。源義経が正しかったんだよ。壇ノ浦で消してしまえばよかったんだ。幕末のとき毛利氏だの高杉晋作だの伊藤博文だのを。そしたら近代日本が侵略国家にならずに済んだ。日本史のさ、最大の汚点って日帝だよ。ガチで。だから天皇家と西軍が一番悪かったんだね。天皇家って日本列島に対してはそれまでも侵略帝国主義者として蛮行してきたじゃないですか。しかし海外へ向けてその邪悪な矛先を向ける事は、白村江の戦いを除くとなかった。天皇家を国家元首とした日帝はそれを東亜中でやってしまった。
 日帝の主力となった薩長両藩を完全に潰し切る為にね、慶喜公は徹底的に山口県と鹿児島県一帯で殲滅作戦を図り続けて、草莽崛起ゲリラだの西郷隆盛や島津氏のもとにいる反政府ゲリラ組織を全滅させるまで戦い抜くのが、公的な正義だったんだよ。結論からいうと。戦費がどれだけ重なって結果として日本が植民地化されようとも、正義の前で道を譲ってしまうと、さらにひどい結果になる実例だったんだ、日帝政体って。だから慶喜公はね、女王の息子だけに余りにリアル政事から遠すぎたんだと思うの。あるいはまた、義公烈公の尊王主義に完全に囚われていたから天皇家とその一族郎党を手段を択ばない武力で完全に絶滅させるという、日本人の奴隷状態からの解放の歴史的使命も果たす事ができなかった。その配役ではなかったんですね。逆に主家の味方をしてしまった。そのせいで天皇家はやっと消えかけていた息を吹き返して、今みたいに邪悪な本性を示して、無法者状態で国を乗っ取り続ける結果になっちゃったわけです。

相手が自称天皇だろうが自称神様だろうが悪と和睦すべきではない

 薩長土肥みたいなね、京都の親王以下の連中や芸州藩主みたいな、あるいは天皇家みたいな根っから悪意しかもっていなかった極悪人たちと和睦をするなんてしちゃいけないんですよ。徹底殲滅するしかなかったの。これが本当の事なんです。正義を貫くには相手が降伏したからってゆるしてはいけなくて、実際そんな風に第一次長州征伐で山口人へ甘い対応をした家茂が第一に間違っていた。すぐまた無政府主義の草莽崛起ゲリラな悪性を発揮した高杉晋作が決起して山口藩庁まで不正の手続きでのっとっちゃったんだから、とにかく悪い連中というのは徹底的に殲滅するしかない。こういう意味でいうとね、米軍も大分甘いですよ。イギリスはヒトラーを自殺させるところまでいったじゃないですか。ヒロヒトをいきのびさせたことは絶対に後悔する結果になる。だって歴代の征夷大将軍がそれを示してるじゃん。天皇家ほど悪性者とかどこにもいませんから。闇君主で、いづれまた息を吹き返したら米軍を潰しにかかってくるに決まってる。
 だからいまの自衛隊も正規軍ではあるが、日帝軍でいう皇道派が典型例だけど天皇家に操られている様な面もあり、これまた、潜在的に危険因子を抱えていると言わざるを得ない。いわゆる朝命だか勅だか密勅だかそういうのを天皇家とかなんらかの天皇の権威を担ぐ、西郷隆盛とか岩倉具視みたいな政治勢力だかが発布して、自衛隊だかその一部を天皇の直轄軍、皇軍みたいに操ったら、それを使って日本だの他国だのをのっとるとかまた天皇一味はやりかねないわけです。マッカーサーは幾ら手間がかかろうが、あるいはヒロヒトが表向きおとなしかろうが、徹底殲滅を期して100年1000年ごときかかろうと、天皇一派とその信者を絶滅させるところまで攻め続けるべきだったんだよ。それが正義であり、またなすべき事だったのです。米軍が犯した重大ミスの決定打が、天皇を傀儡にすれば馬鹿信者を操れて楽じゃん、という歴代将軍と同じ目先の損得の道を歩んでしまったことである。徳川家は250年後にひっくり返された。だったらね、いま戦後76年だけど、米軍は今後もっとずっと長いあいだ天皇一味がどういう反米テロの陰謀練ってくるか監視し続けなければいけない多大な費用がかかってしまうことになったわけです。徳川宗家はその天皇一味の反政府テロ抑止代を永続的に払い続けることができなくなったせいで退陣する運びになった。だったら最初に払いきる方がよかったって事。家康から数代以内に皇族と公卿・公家グループをことごとく秀吉と同じく殲滅する作戦を展開していたらね、GHQがそのコストの大部分を払う必要ってなかったわけじゃん。公職追放までに至る凄いあの戦いをみなさい。ってことは、次の覇権勢力が、この天皇一味完全絶滅が正義だという筋を誤ったら、その後また馬鹿みたいな時間と費用をかけて、日本に関わる人達って、天皇家との政争を続けていかないといけない。

 蛤御門の変のリアル。これも『昔夢会筆記』で慶喜公が語ってたよ。なんか長州がわはね、あのとき鷹司家に潜んでてガチで発砲しまくって紫宸殿のね玉座の軒端に、鉄砲玉がカツカツとあたってたんだってさ。しかもそのとき孝明天皇は常御殿にいたんだけど、いつの間にか麻裃つけた大津川郷士ら数十人が常御殿の縁の下にまで御輿を密かに裏口からいれて侵入してきてて。要は反政府勢力が天皇を誘拐しようとしてる現行犯の現場なんですが、慶喜はそれをみつけて、天皇を急いで紫宸殿の方へ移動させると会津と桑名の兵をすぐ呼んで急いでおいはらったらしいぞ。当人がそういってるんだもん。福沢諭吉がね、「長州の気狂いども」って『福翁自伝』で書いてるけど、それを一番よく示してる逸話じゃん。混乱に乗じて天皇誘拐しようとしてたんだよ、反政府ゲリラが。普通にさ歴史の教科書にのってないじゃん。でも現場で警備にあたってた慶喜自身がそういってるんだよ。
 蛤御門の変ってね、天皇誘拐されかけられていたっていう。道理でおかしいとおもってたわけじゃん、みんな。なんであいつら攻め込んできてんだ? と。会津を討つとかいってるけど、実はそれは表向きの理由で、実は裏から手を回して天皇を誘拐するつもりだったんだね。七卿落ちの延長線で。長州藩士と大津川郷士が裏で組んでたかは知らんけど。くんでた可能性も十分あるよ。
 よくさ、長州は尊王とか言ってるじゃないですかウソついて。水戸人みたいに真心からの尊王じゃない。皇軍に逆らいまくる高杉晋作が典型例。長州人の尊王ってやっても表面だけで、蛤御門の変にせよ長州征伐での反抗にせよ、皇軍を潰してでも自分らの政治的野望を遂げようとするような代物だった証拠じゃないですか? 蛤御門の変で長州藩士が表では鷹司家から紫宸殿に銃撃して兵士を結集させる陽動作戦の様な動きをしながら、夜は大津川郷士が裏口から御輿いれて常御殿にいた孝明天皇を誘拐しようとしていた件。実際常御殿の縁側までは御輿と従者が入り込んでて誘拐直前だった、現場で警備隊長をしていて必死の覚悟だった慶喜自身の口から当時の緊迫した様子が語られているって。結局それで禁裏御守衛総督の慶喜公がね、うまく立ち回ってなかったら、大津川郷士が誘拐した孝明天皇を長州藩にもっていて、西京とか言い出してたよきっと(笑)。普段からいってんじゃん。

 吉田松陰が「天朝もいらぬ」って手紙に書いた。草莽崛起極左ゲリラを勧める文脈で。実際その趣旨で、彼の弟子の高杉晋作だの伊藤博文だのは行動していた。だから高杉は皇軍に逆らって第二次長州征伐でも進んで抗戦したし、伊藤は「皇太子は側近に笛を吹かれて踊るあわれな操り人形」と、『ベルツの日記』に書いてあるようベルツと熾仁親王の前で本心を発言した。そういう皇族政治利用主義の連中と裏で手を組んでるんだから薩摩藩も。同類だったんだよ。岩倉具視もね、そういう連中の一種なの。岩倉は中学生の明治天皇を自分の野望遂げるための駒にしてたの。だから小御所会議の席でも恫喝だらけだったの。岩倉だの薩長ら西軍って自分でつくらせた錦旗で、中学生の天皇を操り人形にして、慶喜公ら水戸人みたいな純粋な尊王主義の人達をだましたわけです。実際は叡慮じゃなくて、岩倉の政治的悪意を16歳明治天皇の名でつぎつぎだして、それによって戊辰戦争が起きてしまう。同じ構図じゃん、今も。京都市長の門川大作がやろうとしてることじゃんそれが。153年たってもなんの反省の色もないばかりか、明治維新は成功だったとかぬかして天皇政治利用の反政府テロを美化してんだからね、西日本の人達、一般に。竹田恒泰も似た様な感じの天皇観だろ。五輪のとき叡慮に従うのは絶対にダメとかいってたよ。自分に都合のいい時だけ憲法論づらで。結局それって天皇政治利用主義ってことだから西日本人一般と一緒だね。

 実にろくでもないというか、悪性者すぎるというか。公家伝来であいかわらず性悪すぎるだろ、今から153年前の京都人たちって。岩倉はじめ。ほかのさ、親王とか公卿とかも、純粋な尊王心で仕えてた人達へいきなり手のひら返して「朝敵」のぬれぎぬしたわけです。慶喜公とか容保公とかへ。つかね、散々当の京都人を守ってやってた人に、将軍に、いきなり罪人めがーってなんなんか。そんなだからね、孝明天皇は毒殺に違いないといわれたり。それは侍医の記述から天然痘の症状で死んだか怪しいから事実かもしれないが。あるいは明治天皇は長州の大室寅之助にすりかられたにちがいないとか、いまだに太田竜とかにいわれるんだよ。それは孝明天皇があれだけ幕府を頼って、朕のためにがんばってくれて心から嬉しい、もののふと力をあわせてがんばろうねって。容保に実際直筆で手紙を送っていたんだから。それをさいきなり手のひら返して「朝敵やーとかいってぬれぎぬきせて皆殺しにしちまえ、一般市民もまるごとエミシがー」とか。先祖返りしたんじゃん、子の代、明治天皇で。あたまがおかしくなった、あるいは自称天皇家のまがまがしい素の本性があらわれたとしか言いようがないのが事実だからして、疑われるだけの異様な方針転換があったわけじゃん。36歳孝明天皇崩御から16歳明治天皇への践祚で。京都なんていくら頼まれようが絶対に守っちゃいけないんですよ。却って逆恨みしてぬれぎぬきせてきた前例が153年前にちゃんとあるんだから。天皇家だの岩倉家だののね、底抜けの性悪加減がわかってなかったの、慶喜公は。153年前の京都人だの鹿児島人、山口人ってかかわっちゃいけない連中だったんだよ、結局。そうじゃん。なんていうのかねたみそねみ、うらみで腹の底まで凝り固まってたうえに、極悪非道で武士道もくそもなかったのよ。野蛮な別の国にかかわられちゃったから酷い目に遭ったんだよ。江戸時代の天皇家もおちぶれきった野蛮人だったんだよ、結局。そもそも江戸時代の間中、天皇家を養ってたのって実質的に徳川家だったじゃん。まじで。それなのに最後に実質的な主人にかみついてきたんだからろくでもない家柄といえば天皇家の方が一番ですよ。最悪の家。なんで助けてくれた人に朝敵とかいって殺害しようとしてんだか。極悪すぎる。自分に都合がよければだれでも朝敵にしたてあげてくる純粋なダークテトラド系屑の極悪犯罪者だよ、天皇家って。徳川家がその被害者だよ。

勝てば官軍やくざの中華思想は最悪の観念論

 中華思想ってのは自民族中心主義のなかでも一番たちの悪い人種差別だの文化差別だのを含んだ最悪の観念論のひとつだということは、いまでは割としられている、というより、そもそも東亜で中国に影響された地域にしかないものなので、外国人一般はしらないわけですが。日本はなにをまちがったか、その最悪思想を関西の馬鹿がもちこんで、天皇と称し、近畿だ錦の御旗だ朝命だ密勅だ詔勅だ叡慮だ大御心だ御内示だなどと称し、要はね、悪政をする時の代名詞にされちゃってるわけですよ。歴史的にみて。はっきりいわせていだくと。
 義公はね、あまりに真面目過ぎたんだよ。リアルの長州藩みてごらんなさい。楠木正成なんてびっくり仰天。奇兵隊だーとかいって山口藩庁のっとって皇軍とバトルしまくって勝った勝ったと大自慢。しかも裏では大津川郷士が天皇誘拐しようとしてたんだから。禁門の変で。リアルに。自分らが玉体をもってりゃどんな勅命も自由自在っておもったにちがいないわけです。はっきりいってさ、天皇の存在自体がくそだし、極悪非道じゃねーか? 実際そういう天皇政治利用をね、長州閥の連中がしようとした最終結末が伊藤博文が初代総理の日帝であり、はたまた、A級戦犯逃れの岸信介が米軍の属国にしたてあげた戦後日本国になってしまったわけですよ。

 もしね、穏当に英雄女傑その他がでてきて、極悪天皇一味、永久に成敗いたすといってあの幕末の混乱期に、天皇家一味を京都の町ごと完全にぶっ潰してしまい、欧米の植民地になろうが構うかといって。東西大内乱になろうが、ここで一つ、蹴りをつけねばならぬ、といって。天皇家を完全に攻め滅ぼしていたとしましょうよ。どっかの外国と手を組んででもね。天皇家は偽王家なんだといえばいいじゃん。フランス人とかイギリス人なんて自分らで王様を処刑した国ですから。たとえばさ、薩摩藩とか明らかにやりそうじゃん。薩摩藩が普通に対英敗戦後「俺と手を組んだら日本の半分をやろう」とイギリス議会から竜王みたいなこと持ちかけられてたらね、島津氏のことだから了解してたよ、きっと。そういう権謀術数主義の一味じゃないですか。
 当時のイギリスってそこまでワルじゃなかったんだね。意外と。存外。パークスってその後も、戊辰戦のとき横浜の英国大使館で長州藩士らへ、別にイギリスとして陰謀してたわけでもなさそうなのに「ナポレオンすら島流しなのに、なんで何もしてない大君殿下をお前は殺そうとしてるんだ!(この野蛮人)」とかいう趣旨の発言で、道徳的義憤の文脈で。ヨシノブは西洋に亡命してもいい、といっていたみたいだしな?(渡辺清『史談会速記録』「江城攻撃中止始末」第六十八輯。『大日本維新史料稿本』「復古攬要」
 要するにね、イギリスってワルだと思われてるじゃん。徹底した。事実そういう海賊国家の側面だらけなわけじゃん、奴隷貿易込みで侵略した各国各地で。でも同時に君主国としての道義的ルールみたいなのというか一般公徳はなくはないというか、実際パークスと慶喜公って何度も会見してお互い面識があって、『徳川慶喜公伝』に書いてあるけど、晩餐会かなんかの宴もたけなわのなか、パークスが日英親交のはじめを記念し慶喜公へ「四海之中皆兄弟」との字を毛筆で書いて示し、慶喜公は「天下泰平」と書き返したという逸話が載っている訳です(35章、逸事 英国公使の感動 452-453ページ)。
 そういう普通にいう国際的な外交をさ、慶喜公は日本代表でいわゆる王、公爵の地位から社交としておこなっていたが、それに馬鹿な薩長がね、ぬれぎぬきせて鳥羽伏見で喧嘩うってからに。そのあとで長州藩士の下っ端みたいなのが横浜の英国大使館で戦争協力してくれ、慶喜を殺すからみたいなことを突然いったわけじゃん。そりゃーパークスがいくら策略ねってようが、その場として「はぁ?(なにいってんだこの蛮族)」と思うとおもいませんか? 紳士の面があったということになるでしょうよ、いくら策士イギリス人だろうとハリー・パークスさんにも。だからね、こういえるんじゃないの。西日本の人達はその時点では、あまりに心が卑しいもんだからまともな国なんて作れなかったんだよ。ロッシュが江戸無血開城後にフランスかえってきて渋沢栄一にそういったとおりだよ(『昔夢会筆記』)。だから大日本帝国とかいう馬鹿みたいな国もその後76年で完全崩壊して、最後の年には、原爆おとされ大発狂したじゃないですか。西日本の伊藤博文みたいな、あるいは明治天皇みたいな岩倉具視みたいな、卑しい連中が。大勢でよってたかって暴力振るって前将軍への冤罪で作ったパチモンきわまる専制君主政体もどき、実態は薩長土肥の暴力振るうしか能がない馬鹿ヤクザの寡頭政治政体です。そんなの勝てば官軍ヤクザでしかないわけです。

義公・烈公・慶喜公は天皇一味よりあまりに偉すぎた

 義公が余りにまじめなもんだから、天皇家は立てておくもんだとかいったせいで、水戸藩の人達はその馬鹿天皇家に散々ぬれぎぬされて、大量死ばかりした。尊王左派の天狗党も朝命で結果ころされまくるわ、はたまた尊王右派の諸生党も朝命でころされまくるわ。
 尊王主義をもっていたばかりにほとんど全部が朝廷と幕府のどっちからもころされてんだ。しかもリーダーの烈公も慶喜公も馬鹿大老と馬鹿天皇に両方からぬれぎぬされてひどい目にあいまくってるんだから。
 見方によっては滅茶苦茶な結果じゃん。また別の見方なら、天狗党が最終勝利おさめたし、慶喜公も水戸家も公爵だから新時代に適応できたともいえなくはないが、尊王主義とかいう考え方をもっていたばかりに、幕府からも天皇からも皆殺しに近い感じでぬれぎぬ虐殺されまくるという最悪の悲劇を経験したのは確かじゃん。約150年前に。
 けっきょく天皇家って暗君が連打してでてくるようなインチキ関西の裏ボスだったわけよ。実態。長いのは代だけで、実態は純然たる外道だったのよ。

 そんな腐り果てた皇帝制度もどきをね、実際、水戸藩士のつづきで。今度は臣民全体を水戸藩士状態におとしいれたのが薩長藩閥であり明治寡頭政治であり、天皇家そのものじゃん。自国民を一回ほとんど絶滅させかけた暗君一味は、ウチは『史記』増補版で初登場の「天皇」なんやー、偉いんやー千代に八千代に、たみくさども朕の家をたて祭れ、とかって。いまだに馬鹿をつづけているのだ。中華皇帝制度にまぜた神道とかいうナラ人男系至上主義の大量殺戮邪教くみこんだ、トンデモすぎるぱちもん邪教政治を。
 神道カルトなんて誰も信じてないよ、世界の人達。だれでもエビス扱い、普通に日本人へすら人種差別。民族差別してクマソやエミシやアヅマエビスやとか。あたまも性も悪い関西人がうえから目線で抜かしながらことごとくみなごろしにしてくるような純然たるレイシズム・カルトやんけ。馬鹿ナラ人のつくった神道カルト。皇帝制度も本場の中国ではすでに消滅して久しい。これもわらえないことだ。

本場では中華思想は一般人レベルで消滅済み

 中国の人達と会話して、だれひとりとして中華思想っていいよねとかデフォで差別してきたやつとかいなかったのだ。香港人も北京人も。つかね、逆にいわれたんだから。中華思想って駄目な考えだったんだ、もう我々は反省してだれもそんなこといってないと。とある北京人に言われたぞ俺。それどころかとある香港人には、孔子すらダメなんだといわれた。孔子は小人がどうとか民主主義に反する様な差別してたと。
 あのさ、右翼は中国を馬鹿にしてるじゃん、それって本当にあたまおかしいよ。だって頭がいいから自国の文化を客観視して、改善に努めてるんだよ。中国って。確かに人口規模が日本の14倍だかそのくらいあるじゃん。だから全体を統御するのはただごとではなく、そう簡単に支配できないという意味で、絶対権力の極みみたいな皇帝とかさ、あれ、今の国家主席さんみたいなのがでてくるのは、或る種やむを得ないところでもあるんでしょう。

 莫大な人口を多数支配でやりくりできるかは歴史的前例がないから、アメリカはそれを挑戦中だけども飽くまで3億人くらいじゃん。それよりさらに4倍とか5倍とかの人口を民主主義でござるといって放置してたら、全部合議制でまとまってうまく動けるか不可知なわけじゃん。そういう意味で、今の中国共産党の政体ができているともいえるから、なんというのか、最低でもね、中華皇帝ごっこをやめたのは進歩ではあったんだろうよ。五族協和とかいって民族差別やめたわけです。自民族中心主義すらやめたわけです。漢民族中心主義みたいなのはもう基本的に北京人とかもってないの。話した感じそうでした。だから日本の関西圏とか東京圏とかの馬鹿とは意識のレベルがちがうのが確かなの。まじだぞ、これ。
 チベットがー、ウィグルがーってのはあるのかもしれないけど、それは中共の体制側が反抗的な地方勢力へなんらかの仕方で帰順させようとしてることかなんかなんだろう。一般中国人って中共の基本方針にしたがってるから共犯だといわれればそうなのかもしれないが。そういう態度って長州閥・安倍晋三が沖縄世論を無視したときの日本の右派にもあったし、アイヌを偽物の先住民とかいってる竹田恒泰も、大体おなじようなものでは。要は中国の右派は反抗的な地方勢力に神経をとがらせているのだろう。吉田松陰って一君万民論で天皇を傀儡にして長州閥寡頭政治をしようとしたんだから、松陰信者で長州閥至上主義の安倍がその態度のままなのも納得というべきだ。もちろん民族自決権、地方自治権を侵害するろくでもない連中という意味で、長州閥一味が道徳的に悪だと否定してるんだが。天皇家ももとから大和帝国主義だから同罪である。

もはや京都しか中華思想を素で信じている地域差別の巣窟はない

 上に書いた様に、SからCまで濃度でならべてみた順で。中華思想をまんま信じている馬鹿どもなんだといえるとおもう。だからこの点では世界中で一番卑しい差別主義を自文化至上最悪文化として体現してしまっているのが京都市で、世界文化自由都市宣言だの京文化へおいでやすだの文化首都だのといいつくろっており、それがね、どっか外国の遠い場所にあるなら「へえー可哀想(民度低そう)」でおわりますが、国内にあって同じ言語圏ともいえるもんだからたちがわるい。むしろさ、京都が中国にあった方がましだったよ、その意味で。だってそしたら「すごいねー京都すごいじゃん。さすがっす」とかいってもちあげてあげてたら無限に中華思想で腐り果てていくじゃん。リアル中国はもっとかしこいってだけで。たとえば北朝鮮のどっかの都市がそういう中華思想文化だと想定してみ。うわー可哀想とおもわない? ほっとけば勝手にアホな事いって、威張り果てて沈んでいくんだろうなという予想がつくからだ。時限爆弾というか。腐敗したリンゴというか。まわりをつぎつぎ腐らせていくがん細胞みたいなものを抱えさせていたら、自滅するだろう。それがなんていうのか周辺で強大な国とか、自分達に仮想敵国にせよ敵意を持っている様な連中だったら「ラッキー」といえるんじゃないの? 相手が自滅する事は目に見えてんだから。
 日本国とかいう単位が解体されて、関西圏は別の国になったら、京都中華思想って本質的に自民族中心主義にすぎず、客観視してまちがってるよって一々教えてやるまでもないだろうよ。勝手に威張らせておいた方がこっちとしては有利じゃんか。おめーらの馬鹿げた中華思想は夜郎自大なんだよ、と一々しらせてやらんでも、無限につけあがらせておいた方が得策ではないですか。清とかそうだったじゃん。それでイギリスにも日本にもやられていったわけじゃん。張り子のトラが。

 エルサレムってあるじゃないですか。あれは最低3つの宗教の聖地だから、なんていうのか神秘の場ともいえるだろうが、京都はそうじゃなくて、邪地になっている。たかみくらがー。御所がー。紫宸殿がー。これがね、邪教の中心部なんだよ。GHQは道を誤ったね。
 京都におとしておけば、そういう邪教そのものが完全消滅したといってもよかったのにね。一体なにを落とすべきだったかまでは言及しまへんけどな。チョコレートのね、板チョコ群だけどな。うんうん。ギブミーチョコ。うむうむ。むかし見たかもしれないな。ドラえもんで。ま。世界中に差別といえるような部分って偏在しているのかもしれないけど、京都にあるものが一番たち悪い類型の1つなのはまちがいないでしょう。そしてそれは、一言でいうと中華思想なのである。

2021年11月7日

都会崇拝教

人の心を傷つけまくる人々の群れ
それをなんとも感じていない
とかく東京をあがめたがる
なにかの媒体に洗脳されているらしい
 
西日本へ中国大陸から入ってきて
千年後、今度は東京に集まって
そこから悪意で偏見と差別をまきちらす
千年後もやることが変わっていない

自分が自明に上位だと関西から言う
近畿や、京都や、上方や
今度は東京へきて全国を見下し
知らない全世界を馬鹿にしだす
 
自分たちは生まれつき神の末裔で
お前たち先住の下民は奴隷なのだと
下賤なのは差別で生きる彼ら自身なのに
遂にそのことには気づかない

山口人と天皇家にとって理想の島国

野蛮人たちが尊ばれ
善人から貶められる
だから日本国は地獄である

だが西日本の人々は
南関東の人たちはそこが理想郷だという
根っから悪人にとっては最高の場所だ

匿名で陰険に悪業をつみかさね
ゴリラの様な形相で大発情してふえる
すべての犠牲をいなかに押しつけ驕り高ぶる
 
偏見と差別と悪意で
頭から尻尾まで一杯の自称普通の日本人
中国大陸から侵略強盗団にきて自称天皇

移民の集まりが古都やと称して
先住陣へ虐殺自慢をつづけてきたこの島国
道徳というものが一切みあたらない衆愚だ

薩長土肥京芸の重罪三昧を全力でもちあげ
善を悪と偽りひたすらののしりながら
悪人たちの大蛮行をほめちぎる日本国民
 
いじめで一杯の島に2発の原爆がおとされた
問答無用の暴力をなにより信じながら
今度は島の人々を米軍に売り渡す山口人

どれほど時がたっても何も変わるまい
悪人たちの本性は永遠に変わらない
全国民を洗脳する悪魔崇拝が関西発の神道だ

2021年11月5日

法の下の平等の侵害

年齢差別の極悪岸田内閣 さっそく年齢やマイナンバーカードの有無で税の調整を変える悪徳政策で社会的不公平を増大させる

2021年11月4日

出国税(国外転出時課税制度)は私有財産権・国籍離脱の自由を侵害する安倍晋三被疑者による違憲立法の一つ、即時廃止が必要

出国税(国外転出時課税制度)は

1.未実現の利益に課税するつもりでいる(個人の私有財産の自由を日本国政府が侵害)
2.売却時にすでに所属する国で税を支払っている(二重課税)

2つの点で明らかに不合理で、憲法22条に定める国籍離脱の自由、憲法29条に定める私有財産権を侵害している。

日本国憲法
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。 

したがって安倍晋三被疑者一味が自民党閥の最悪政治下で犯したこの違憲の関連立法は即廃止されなければならない。

(所法60の2、60の3、130、137の2、151の2、153の2、所令170、266の2、措法93、令元改正前所法151の6、153の5、所基通137の2―3、137の2―10、平27改正法附則7、8、令元改正法附則8、復興財確法13

 また安倍晋三被疑者は偽証罪、贈賄罪その他くりかえしおこなってきたあまたの犯罪行為について、即座に山口県検察その他の行政組織から強制捜査を受け、法に定める刑罰を受ける必要と義務がある。

新たな世界

卑しい人々は君を無限に傷つける
彼らはゴリラとあまりゲノムに違いがない
ひたすら発情して暴力をふるい、殖え続ける
ヒトと称し、実態はただの猿の進化版
だから君は彼らにあざむかれてはならない

卑しい人々は人権をひたすら悪用する
彼らは群れて悪事をくりかえす
匿名で物陰に隠れ
ありとあらゆる蛮行をくりかえす
そして無反省に君を傷つけ、虐げるだろう
 
二度と彼らの間に産まれないことこそ
無欲な安らぎだとガウタマ王子は言った
彼がいう通りなら人間界はただの地獄だ
実際、卑しい人々だけをみればその通り
だから君は哲学者になった

どれほど深く考えようと
卑しい人々の間から逃れられない
だからその理想とやらは虚空の妄念だ
すべてをのがれ続けたところで
いつかは悪魔に追いつかれ
また人間達の間に産み落とされるだろう

再生や解脱さえ否定できれば
どんな深い闇ものりこえ
無をものりこえ
もはや聖なるものしかみあたらない
新たな世界にたどり着くだろう

むかでちゃんの最期

たけきものもついにはほろびぬ 秋の日のむかでちゃんのむくろにおなじ

2021年11月2日

無能に気づくのが余りに遅すぎた人

やっと枝野が辞めた これで野党に浮上の道が生まれる 次の選挙で勝ち目あり

天国のありか

この地獄じみた世界で
それでも美しいものがあるとは
それ自体が奇跡だ
そしていくらでもある
見る目さえあればあふれかえっている
 
それなのに人々が醜い行いをするとは
一体なんのためなのか
かれらは世の中をよくみていない
いやはじめから
美をそうでないものとみわけられない

醜い行いをしている人々は
芸術家ではない
詩人の心をもっていない
絵に関心がない
どんな音楽をきいても
心が揺り動かされはしない
 
なるほどこの世にも天国がある
そしてそれは人の心のありようなのだ
あふえかえった美しさの前で
私はそのうちに生きている
永遠に終わらないうたげの様に
私は果てしない美に満たされている

深海の歌

われらは何事もなしえない
ここは沈んでしまったのだ
深海の底で
だれもが死に絶えたあとで
死以外の喜びもない場所で
すべては終わったのだ

われらは宇宙に咲いた花で
やがて散りゆくもの
夢という名のまぼろしのうちに
なにごとかを望んでそれもついえ
ついには手にしたなべてのものが
大宇宙にとけていく

われらは有害な同類のあいだで
果てなく苦しんでいた
だがそれらの者どもも死に絶え
ここにあるのは平穏だけだ
 
深海にたどり着いたものだけが
この光景に安らぎをみいだす
死以外の喜びもない場所で
生き延びている化石の様に歌う
誰にも聞こえない声で

最良の種

この宇宙は静かに流れていく
 
俗悪な人間たちはみなしんでいくだろう
外道な人々に永遠の命は訪れない

悪魔どもは自分が栄えていると信じている
だがその卑しい宴も焚き火のごとくついえる
 
尊い心の持ち主だけが生きる価値をもつ
生き残る価値がある

この濁流が通り過ぎたとき
下衆だけが生き延びているとすれば
そこは地獄だ
 
その人々の社会選択は正しく機能していない
倫理的無能な人は悪人達の子供をふやす
そうしてより悪い国ができあがっていく
すべての文明が良い国をつくるわけではない

あなたの社会が最悪ならば
ほかの社会より善良でなければ
今すぐその集団をぬけさだねばならない
 
一見静かにみえるこの宇宙では
常に善と悪が戦い
悪が勝利を収めてしまうことがある
そして悪人達が栄えれば栄えるほど
その国は不幸を増産させていくだろう

卑しい人々が人気を博し
ひたすら成功している社会はすぐに去るがいい
 
どれほど小さな種であれ
最良の種からのみより最良の種がとれる