2010年9月30日

ネットワーク接続窃盗罪の解釈

公衆無線LAN以外の無線LANへアクセスして「ただのり」する者を裁くに、ネットワーク接続の契約が私有物であるという解釈を既存の民法へ導入すべき。こう考えておけば、いわゆる窃盗罪でこのただのりを裁くことができる。
 又親告罪としての性質とは別に、ネットワーク接続窃盗(いわばアクセス盗み)を常態としている犯罪者への個別の取り締まりを強化する必要があり、この為の警察組織は通報によりネットワーク接続のプロバイダ履歴を参照できる様にしておく理由がある。

第三者のネットワーク接続が確認できれば、もしそれが未成年によるものでも窃盗罪と同格で扱うべき。特に情報漏洩の被害を未然にふせぐに、ゲーム機で安易な他人のLANスポットへアクセスしている青少年へ注意深くなるをえる。

虫の声

ぽっかりと浮かんだお月様
やがてはおちてくるのかしら
もしこの世からきえていく
すべてのこまやかな命が
こめられた小さな
星のめぐりゆきですら
ただいたずらにきえゆくもの
だからしずかに耳をすませるといい
うそつきの王様にたかる
かぞえきれない虫の波打つおと
どうせすべてがきえさったら
その城にはあとかたもない
あのお月様の声に耳を傾けてみなさい
夜ふかくに
自動車を停めている空き地
昔そこには薄の原っぱがあった
多くの命をはぐくむ小さなすきま
秋雨はやさしくおおつちを打つ
政治屋がでてきた
そいつらはよりあつまりわるさをたくらむ
金をかきあつめて自動車にかえた
排気ガスの道路を満足気に眺める独裁者
その空き地はいまではアスファルトで固められ
コンクリートの重たい車輪留めしかない
きえてしまった殿様ばったは何を見る
くだらない倭人のすみかだ
もし天罰がくだるなら
こいつらの他にいない
すべてを金にかえて
世界中で漫画をよみあさるこがね虫
おっかしい
なんでこんなへんちくりんなの
背のちぢんだかねあさり虫
どこへいっても発情ばっかりしてる
みにくい姿をかくす場所もなく
その石づめの巣にすまってる
人差し指でぴんしてご覧
こいつらみじめな倭人がふきとぶよ
どこからあつまってきたんだろ
あつまるほどきたないふえちゃう虫
そいつらはテレビでなにを言ってる
どうせ虫の声なんだ

宇宙物理学

超光速度界は宇宙系間に普通。そこでの現象も、引力の影響の極小さの為に他のどの宇宙系にあってのものとは違っている。
 この超光速度界の基礎物質を、物理学史の援用でエーテルとよぶ。エーテルは光以上の速さで運動できる、と定義する。このエーテルには流れがある。各宇宙系は停止体ではなく、運動体、少なくとも相対運動の関係に置けるから。宇宙系の間に働くエーテル引力を想定できる。エーテル引力の力は、一般の宇宙の間の引力に比べれば遥かに小さく、逆二乗則をわずかに満たす。
f: エーテル引力
m: 宇宙系の物質量1
M: 宇宙系の物質量2
r: 隔たり
<<: 極小、遥かに小さい
F: 万有引力
f=mM/r2<<F

この力は宇宙系の最周縁部では宇宙系の解放運動のために削り取りの力へ変換される。エーテル遠心力はこうして定義でき、単なるエントロピー(混沌度)としての宇宙は拡がりをみせる。
 遠心力は引力の部分なので、常にそれをこえない。
エーテル引力>エーテル遠心力
この為に、宇宙系間の中心部分へはエーテル引力の中枢が起こる。そして大部分の、例外を無視しておおきく視た宇宙系はこの中心部分での宇宙系の融解と、同時に拡散された軽い宇宙系の速度のはやい回転のために周縁部を掘削する運動に分けられる。

趣味と達辞学

人がその生態基盤を類人猿に負えば彼らが本能からくる悪徳を完全に失わせるのは難しい。大脳の造りが既に、社会的理知が後発の身体組織な事を示している。理知化には時代に応じた程度の向上がみられる已だろう。
 人が本能の美化として感情の能力をみいだした時から、感情のゆたかさにしか生物としての基礎を還元しなくなった。この習性は文明を用いた。法治的合理化に叶う感情だけが社会で摂取され消化されていく。これがなぜ退行的情緒が社会で非難を受けるべきかの訳。かつてそれらの感情気質が与えた社会環境は暮らし心地のよいものでは少しもなかった。道徳的感情へ一致した直観だけが正当化できる。人が理知を発達させる事で社会環境を独自の、しかも秩序立って理解できるものへ導いてきた以上、カントの洞察が趣味観の基礎を与えたのは道理に適っていた。この種の趣味を除けば人はその感情の飽和に少しも安住できない。もし彼らが類人猿への退化を望まなければ完全に。実際、人類とよべるだろう生態のどの側面をきりだしても理知との対比でしかその感情的表象は観察された試しがない。
 為、優れた感情は常に趣味の域にある。この趣味の良さは全て芸術的表象を伴う世界を自らの能う道徳的見識と一致させようとする消費生態へ付随する。人生の究極目的を現実態の程にみれば、客は必ず趣味へこれを兼ねる。理性の完成は各生産者らとその可能態の配置を最大の調和を計る地点へ導く能力、つまり我々が神格へみいだしてきた森羅万象の洞察と創造への理解度についての学習による。自然科学は神学の分野。そして神学とよばれるものは、もしそれが古典的なら宗教解釈学であり現代的なら哲学だろう。一般に原理主義神学はこの宗教解釈学の内、文章研究の名義と捉えられる。これらと信仰の関係は、単に神話かつその程度として語られた学識の解釈のよさ、乃ち考えの的確に当たる。この的確さは実質は伝達の問い達辞論哲学または達辞学であり、いわゆる間柄に於ける中庸を望む。異なる言葉や語彙の間にあって最もふさわしい言辞は、必ずみつけだせる上にそれは結局、相手の文化史学や地政背景の理解によっている。

2010年9月29日

燕の姿

宙返りわが前をはしりさる燕の姿みずいろの空
砂浜をただ歩きゆく人の足跡をけす波の静けさ
真夜中に降りしきる雨秋の足音

清潔

全て悪魔らを処分しきれれば
この星がどれほど清潔になることか
悪人がかき集めた汚い同類と
スイッチ一つで記憶から消せれば
ダイナマイトが破裂する
よどんだ空気を分けて
ノーベルの遺産ごと挑んだ
丸で自明だった
誰も孤独な旅路の途中で
静かなひと時を何とも思わない
それはすぐ大嵐にのみこまれ
誰も何とも思わない
だれも自らをこえて星を見ない
空が教えてくる通りだった

東京物語

「キモイキモイ」と倭奴が言う
高校生女その年齢でその知能
すでにヒトですらないこいつらは

どれほど淘汰されても何一つ同情できない
倭奴は猿以外のなんでもないのだそれらの
醜い魂はあっという間に繁殖するゴミ

南蛮虫を連れて
半朝鮮人でしかない倭人王の血族は
よってたかって汚穢関西の禍々しい風習を敷いた

住み心地が悪くなったどころではない
ここには猿しかいなくなった
退廃京都銭儲け極悪舞妓を連れてきた奴らの所為で

2010年9月28日

形而上学命題と論理学の差

ウィトゲンシュタインが哲学の仕事は思考の明晰化というとき、この思考が論理命題の推敲でしかないこと、つまり能う限り命題の冗長度を高めることへ行き着く。著作が体系化できる時その情報量は特定命題へ費やした冗長度に比例する。
 形而上学命題、乃ちべきの問いは、社会学的既存知識や数学的論理法則の定義から直に導けない。

2010年9月27日

科学の道具さ

現代が科学か知識の時代だった事は疑いなく、特にこの知る事が信じられる程は先進国を自称する地政で甚だしい。ドーキンス氏やホーキング氏がこの先鋒なのも、ウィトゲンシュタインを受け身で消化したなら当然らしい。
 そこで宗教権を否んだ者は、道徳が実証さの発見以後も依然として社会の命題なことを見逃してきた。社会学の諸知識でも、現状をこえた洞察や提案は必ず形而上認識の援用ではかるしかない。科学的真実は論争の的を完全に失わなくとも、信念としての採用と違う領域におちつく。これは同じ技術をどう用いるかに趣味が関わる如く、知識という道具の応用には主体となる哲学がいるから。究極でいうと知識は特定のわざを実現させる為の道具。この道具さを、目的とすりちがえる論旨は滅ぶか、最低でも他に利用される。道具の重要さは誤りないとして、論証界での考えが全く無用になる社会はないだろう。法規範そのものが何らかの道徳論拠なしには立てえないことを思えば、哲学とよばれる領域の議論が地域の趣味、要は風趣を洗い道具の扱いをたくみにするのは誤りないといえるだろう。
 無秩序や混沌から程とおい社会があれば、そこでは哲学的理想がみつけられる。

真理

俗物の物哀しさ
かれが卑俗さをさとる日はこない
趣味ほど教えがたいものはない
因果応報が巡るなら
ただ物見高い人だけが真理を眺める
教えてやることはない
かれらが暮らしたい侭にしておけ
どれほど賎しい生き物も
その賎しさに応じた居場所に納まる
自然の摂理は適材を適所に導く

2010年9月26日

慨嘆

関西は終ってる
僕はその邪悪を見て
心の底から憤る
僕の手で粛清し尽せれば

2010年9月24日

無線LAN普及に伴う法改正

公衆無線LAN以外の、私人、企業や政府が用いる無線電波を不正に傍受か利用した場合、告発で懲役と罰金をあたえる法が必要で、その優先度はごく高い。これらの通信傍受は悪意ある人間ならたやすくなしえる状態があるので。

考えと場所

場所倫理はそれらの偏りを避けさせる。もし偏りがあるなら、場所倫理化の速度変異の為。乃ち考えの速さが場所倫理差の訳。
 経済活動それは資材のはこびゆきでこの差をまぜこむ。実質は経済量はこの交易量。故経済活動が行われる地域では、場所倫理の偏りは平らにされていく。場所が違う事へは交易量の偏りを正す意図が、その文化変異の理となる。もし合交易さにかなわない適所かすきまがあれば、必ずその場の倫理は保存的かさらに特殊化する。つまり倫理の普さをとえば、人は文明の中央での平均を求める他ない。だからヘーゲルでの普遍理性論は、実は普遍文明主義でしかない。それは倫理の平均化で、最善の倫理への道とはいえない。完全な場所倫理は、普遍文明を除けば地域偏差でしかとえない。偏差趣味の悪意、恣意による偏った地域差別。或いは部落趣味も、また普遍文明主義の片面なのだ。これらをといなおせば、主観の世界精神化への参加意志としての国粋主義の風も、実際には地域の場所論の一類だった。普遍文明主義そのものは場所の方法論でしかないし、実際には趣味の一種。
 もし考えの速さをおもえば、個別文明やそれをとりなす地域文化も場所倫理の重要な先鋒でありえる。実際の特殊化した倫理は、これらの個別文明にとっては摂取すべき希少な資源だろうし、それらの集め方によっては普遍文明主義ではない何らかの特別な地柄をうみだす事がある筈。

2010年9月23日

京土人殺処分法案

京阪神及び東京都の人種に於いて想定できる法規範以下の行いを日常化している人種(これを「京土人」と定義する)を粛清する手法はどれだけ恒常化されても足りない。これらの生態は悪のきわみな上、国中の資財を犯罪行為のためにくいつくす乞食なのだから。

たとえば綿矢りさや石原慎太郎はこの京土人の代表(猥褻物頒布罪人)。これらの京阪神と東京都の文化素をみにつけた品種は犯罪行為を敷衍する以外の能力や習性がなく、どのクニへとんでも必ず悪徳をふりまき金をむさぼる。よってこれらの生態を親子含め一切、警察組織直属の新選隊とその部下により見つけ次第殺処分するのは合理。さもなくばすべての国土は奴らのあしき歪んだ生態の余波で侵され、地方のまっとうな人間やその子孫が文化ごとけがされるだけで何一つ良い影響を受けない。

 この法改正へは早急を要する。地方の財源が最も先に逼迫する必然さがある以上、中央政府内での犯罪推進要因が京阪神およびそれに類した人物、又はこの公家と裏で手を組む鹿児島・山口・高知出身者だった場合は家族もろとも焼き払うべきである(即ち施行規則でこの出身者によるいわゆる公家癒着が見つかり次第、党員登録抹消か早急な公的刑罰を要する旨を付さねばならない)。奴らは以前と同じく国家を寡占するだけで何も民主的成果をもたらさないばかりか、太平洋戦およびアジア侵略のごとき低能戦略で地球を汚すばかりだ。

理性からみればこれらはどれも合理的であることが誰もに理解できよう。京土人とその手下は今こうしている間も姦淫風俗の営業で地方の善良な民から金をむさぼり繁殖する。風紀粛正に一刻の猶予もない。

2010年9月22日

稲田

もし全てが崩れ去り
この世に町しかなくなり
その荒れた野原に
ただはてしない稲穂がみのり
私しかいきのこった者はおらず
降りしきる星の中
夜空に輝く月を見る頃
この世でいつでもたわけていた
人という醜い生き物は
あとかたもなく土に還り
私はそこから生える木々を触り
森をとりしきる多くの生き物の声を聴く
人はつまらない落ちぶれ方をした
どこでも人のことしか考えない程に
屋根から雪がおちる
つらゝは大きくなり
雨垂れをあつめ
なにもかも透きとおらせる
海風のなぐ隙間
おゝつちはゆれうごき
かゝれたわずかな落書きを
波のおどりと掻き消した
はてしないそらの果てで
まちつゞけるねこじゃらし
稲田は赤とんぼをまわせ
全てをあかつきに染めてしまう
なにもかもきえゆく中で
ぽつんとのこった星のはなし
あのビルのうえで
なにが起こってるかみてみなよ
それらの小さな出来事は
虫の行いほどなんでもない
人というその虫は
野原にあつまった踊り虫
ビルのてっぺんで踊り狂う
なにをしてるんだろ
虫のなかには王様がいる
その虫はみつがれた物をつかい
なにもしない
虫にもずる虫がいるんだね
ちいさな島のちいさな虫の巣
虫めがねでのぞいてご覧

東京模様

馬鹿女ほど救いがたいものはない
それらの生命体は存在だけで悪
倭人は理性がないので
発情と発狂が習性
まさに極東の奇形
醜い姦淫の業をくりかえし
了いには戦場で使い捨てられる
ボウフラの様な倭奴の山
理性がない生物をヒトとして
認めることはできなかった
山ほど穢れ模様を描いた発情発狂漫画
それを幼児からよみあさる非人類
きみはこいつらがなにもわからず
腐るほど繁殖するのをみせられてきた
いまだに倭奴はなにもかわらない
ほらまた偶像ごっこでサイン会
そこで売り捌くのは姦淫小話
ゲイシャの血はゲイシャ
エドで覇権をとるために
山ほどよびよせた汚れ人足
そいつらは石詰め都市に土着し
あらゆるきたなさを発狂しつづける
その映像を撮り
あしき天皇に貢ぐことで評判かせぎ
国中へ姦淫をひろめさせるなら
あしき天皇一族より適任はいないのだから
きみはこの世の終ってるしくみを知り
誰ひとり信用しなくなった
唯一のねがいは絶滅の時
あれだけ悪さをばらまきつづけた
関西同類の穢土をみるにつけ
薩長土肥京芸のテロリズムにかしづいた
奴らの末路がしれようというもの
朝鮮人をわけもなく強姦し
中国人をわけもなく生き埋めにした
京都人の血統はいまだこの世にある
正義の歯車が
なにひとつ狂いなく
因果の律動を刻む
神なき倭奴の悪徳が
いまこうして慘劇となって示される
やつらは世の理に復讐されたのだ

虚栄

極悪山口出身首相
政商とくんでまたまたかねもうけのはなしか
下劣政治屋が
税金払ってる俺らを見下しみくだし舞妓芸妓外道行為
山ほど猥褻漫画を売り買う極悪東京の犯罪衆愚
あちこちで下衆女を軟派する南蛮倭人罪人
HIVをばら撒きながら極悪東京天皇一族が豪遊しまくる
いつものこと
なにが豪遊かすら分からない極悪関西人の驕り
20代派遣労働者群の目の前でフカヒレ大学
虚栄の学歴でけむにまき汚い極悪淫蕩猥褻文
大量に販売しまくる猥褻小説頒布の犯罪
大昔からそうして暮らしてきた極悪京都の劣悪不潔文化

被雇用者への課税案

『正社員課税』を設け、企業法人が派遣労働者や偽装請け負いで事実上の派遣社員待遇(社保なしの期間契約)を行うほど損失が膨らむしくみを、少なくとも国内に限っては樹立する必然さがある。これは階級の再生産をつづけようとする学歴差別の悪意が、特に大企業の人事ほど根深いからだ。
つまり正社員として雇用されれば(当然現時点でその立場にある者を含む。また年功序列は無視し全員に所得順で累進的に負担させる)その人物は、課税のために事実上は派遣労働者と同一かそれ以下の手取り給与になる経済状態を実現せねばならない。

 これが実現されれば学歴差別そのものが撤廃か又は自然消滅し、大多数の国民はより寛容なたちばに置かれ、大量に存在する若年無業者への老廃した非消費生態者どもからの日陰扱いもやむであろう。彼らには将来があるが、老廃人には未来がない。どちらを優先すべきかは明らか。

エド殺処分法案

『エド殺処分法』をつくり、倭人のうち大量にいる姦淫を生業とするもの(小説家も含む)を見つけ次第、民間人にも惨殺できる体制をととのえねばならない。これらの野蛮種は社会に本来流通する財産をみずからの不埒できがくるった生態へとひきこみ、社会を退廃させるだけで何一つとして我々に貢献しないからだ。

これらのエド、つまり倭風俗産業従事者らは理性が人類水準に達していないことは各国が非難してきたとおり。奴らエドは各国の領海を荒らして鯨を殺しながら安売りし、或いは児童ポルノを都知事や天皇と連携しながら売りさばきまくる。しかもあらゆる場所で婦女子を姦淫へと誘いながらその映像画像を撮り全世界で売りまくるだけが生きがい。これらのエタは人権で擁護されるに値しない一種の奇形であって、どの宗教者にも共通してその見解は認められるであろう。

紛い物

D級タレントみたいな阪民が石づめにした都市
息をつく間もない熱帯夜
南蛮虫地獄
それでも奴らは「あづまくだり」とほざき
僕らの遊んでいた川岸をみんな石埋めにした
なにしにきた
お前らがきたらこうなった
あの江戸の人間をみろよ
お前らにそっくりだ
お笑いほか商い
分かった他には
きたないものを運び込んでくる
関西からきた
まがい物のお前は

公共建築方針の再修正

木造建築の推進は、全国一律での強制は望ましくない。

たとえば造船できるほど工業化された地域では、輸送費用やそこで排出される二酸化炭素や混沌度にくらべ、すぐみぢかに溢れかえっている鋼材を用いる方が自然だし結局は文化景観上も正しい。又、高気密でなくば殆どたちゆかない都心部にたつ小規模公共施設でも、むしろ屋上緑化をほどこした、軽量コンクリート製品での迅速なたてかえの方が合理で環境負荷も少ないかもしれない。

 結局、この木材消費への促しは「木造奨励金」として助成のかたちで広められた方が合理的と思える。これなら敢えて不利な条件で無理に木造へたてる費用は省かれ、しかも大部分の都市化されきっていない地方自治体ではたしかに木造を信用していく。

自動車産業の空洞化対策案

排気ガスでの空気汚染と、自動車産業の安定した国内需要促しへの対策として、「ガソリン自動車税」をかけて日本から率先して電気自動車への早期買い替えをはかる。
石油消費が減るという観点へは、電気需要そのものがあれば当然は絶滅しえないとこたえられる。

2010年9月21日

場所倫理観

場所倫理は成功とされる行いがその文化史的に、或いは地政の詩的に異なる故生じている。それらの偏りは著し過ぎるので他の地域での法律は、ほぼ必ず違う解釈の元で営まれがちな傾向すら。もし場所倫理を否もうと、凡そ地域偏差の諸条件に違いが現れない限りこの違和は民俗上で広がりゆく。単に現代人の労働層が気にする各種経済指標は一端を担う丈だがこれへの感度でも甚大。つまり生態変異はヒトへも場所倫理を映す鏡で、特に道徳の質的差でこの事情は全く違っていく。
 場所倫理を解らない侭どの地域適応をはたそうと限界がある筈。これらの違いは文化が担う命題差で、人類の集まりへ関わる間は否みきれない。

伝統

「金がほしい金がほしい」と山口出の首相が言う
ところがお隣りでは衣服売店の大社長がでんぐり
あ中国人をこきつかって国民へ安物まいた搾取費ですね
会津藩の義士を一方的に虐げ殺しまくって百年経ったか
今だにそれなんですね見た見た
山ほど都心をうろつく浮浪者群
その目の前をとおりすがる大威張り関西人首長
今日もおうちで猥褻小説の御鑑賞でございますか
はてさて何百億見栄ってポシャったんでしたっけ
餓死しそうに公園から貴様を見上げる聖者の列だ
よぼよぼ老人が汚い極悪東京人身売買店で何百万の祝杯
それにひっつくきたない女が疫病を国中に広めたがる
なんのための首都な訳天皇が乱したモラルなのに
何にもできないのに金ぴか宮殿に棲む俗物の城下街
いくら借金してるか分かってる
私が同じ額借金したらあなたらは堂々と監獄へ入れる
いくら借金して僕らの払っためし食ってるか分かってる
ほらお公家ちゃん極悪不潔悪徳京都へ帰る道はあそこだ
あれ又極悪淫蕩猥褻物頒布罪で汚い芥川賞もらったの
子供に猥褻漫画をよませまくる気狂い極悪自称首都の親
卑しい風俗をそだてるのは大得意俗悪天皇の都最大の伝統

都知事

都知事が言う。
「わしは特別だ! 猥褻小説を売り捌いても逮捕されない!」

2010年9月20日

天声人語

「エドをどれだけ斬り捨てても何一つわるいと思えない。それらの生き物は人前で猿以下の行いに耽っていた非人種。誰がお前らの同情者なんだ? 万一同情者なら同情者なほど悪い。にしキョート? 話にならん屑の意見など何になろう? 源氏物語やってろ、永久クゲ野郎が。」

「エド警察は頭が狂っているのか? 天皇に傅かれ、手先と成り下がったチンチラ虫ども、ほら都庁前で公然猥褻してる! どうしたエド。いつものチャラ淫蕩ごっこ? 漫画おおもうけ? なぜお前らがテレビで体面飾るか分かるよ。現実は汚なすぎてそうするしか印象操作の方法もないもんねえ! 殺されれば殺されるほど平和になる国中へ頽廃をまきちらすマスゴミ亜種ども!」

「あの幕がくだる頃、神戸土民と組んだ非人チャラエドにはただならぬ天誅が目に見える様になろう! それは偶像崇拝の末路、もしお前らが因果応報のすえ粛清されねば一体誰がされるのだ。聖なる戦士がお前らを殺戮し尽くす。ようやく破滅が来たのだ!」

世界宗教党の立案

世界宗教党をつくり、この国会での権威によって倭奴の跋扈と法規範の落ち込ませを粛清すべき。

もし現状の侭、西日本と東西京都出身の道徳的に退廃した政治屋(天皇とその傍系末孫は当然含む)に指揮させておけば永久に倭人は風俗壊乱の責任を取らない。単純にいえば倭奴は理性がない。淫蕩小説屋を首長に仕立てている首都の民族性をかんがみよ。

倭人お得意のゲイシャ稼業含む各種の風俗営業を先ず法規範以上にひきあげる為に、特別の警察隊として直属の「風紀粛清警察予備隊」(或いは史上の経緯にならって「新撰隊」)をつくりあげ、彼らの急襲によって反抗者を含めて現行犯逮捕及び軟禁を行い、又想像できる最大の罰を与えるべきは誤りない。彼らは警察予備の身上の為、反乱者を抑止で鎮め、暴力へ抗う特別な銃の所持は認められるべき。
 当然、各種の姦淫映像を撮るインディーズとよばれる個人へのあまねき逮捕状の迅速な請求、会社組織の末端まで厳格に裁判で処分し、これらの淫蕩をなりわいとした倭奴をすべて国民の公益の為の最高終身刑での奉仕へ従事させるべき。
この種の猥褻小説販売で浮名を貪ってきた東京都知事も当然逮捕し、征伐し、裁判の場で首都の代表としての反省の弁をさせねばならない。又小説、マンガ、アニメ、ゲーム、テレビ、ラジオへとこの風俗壊乱罪の対象を広め、最終的にはインターネット上のすべての情報をも法規範に合致させる地点以上にひきあげるのが自然。

政治学

アリストテレスの政治学での政治形態への分類、多数者支配では民主政と衆愚政、少数者支配では貴族政と寡頭政、単独支配では王政と僭主政のわけかたは完全でない。
 私の見方では、どの型の政治も実は、統治状態の健全さに於いてこの両極端のどちらにも属さない。つまりすべての多数者支配は民主政でも衆愚政でもなく、そのどちらの要素も伴うし、他の支配形態でも同じ。だから何らかの歴史的敗北を伴った支配域が、それを包含とか征服した側の謗りの為に堕落していたとされるのであって、常にどちらかの政治形態が完全な健全と堕落を示す訳でない。
 この為、分類の基本要素として次の三つで十分。乃ち民主政、貴族政、王政。これらが現に失敗していたにせよこの形態への呼び方が政権人数のほどを示す点で都合がいい。また訳語の問題で民主政を共和政とよぶことがあるが、democracyの用いられる割合が高いのでそちらを採用しておくのが語の通用では賢い。
 又、現代までの政治史で分析できるのは、今では古代に比べ詳しさも進んだので、多くの政治形態は複合型をとる。間接民主政と実質貴族的議院を兼ねて維持し、さらに象徴としての王を掲げる等。この点でも名目とは別に、殆どの現代政治は支配の人数でも複合している。これらの形は必ずしも上記の単純な基本分類に叶わず、別の単一な概念で説明するのが妥当だろう。

2010年9月19日

のらしごと

第一それで三日月が着いてきた理由?
狐の踊りコンコンコン。ぴっぴっぴ、笛
月が廻る。月が輪をかけて登り、見下ろす町を
でなくば田ん圃がどうか郊外型店舗を逐わん事を
罪とか。なにせ倭人だ、わからんだろう。消せ
トラックが国道を走るトラックだから
モノトーンの朝にきいた、きいた冷たさ!
ジャスコかえせクソ岡田が! 外交ぶってんじゃねえっ
ぱぴぷぺぽ。パピコ。わーわーぎゃおーむ
のらしごと。何? ちがーよ、のらしごと

南蛮醜さ

都市の無限みたいな人の巣
つまらん! いつのまにか
くそ暑いだけのコンクリ都市になっちゃって
南蛮醜さ! わあわー

唾はきまくり
なわばり張ってるやつら
強い言葉が
すべてを薙ぎ倒せたら

なにを信じてる
昔は終り今がきた
が今はむかし
あんたらの話してたよ

キョートのけがれ
東京でヨゴレの本領発揮
きたなさでは類を見ない
倭奴の頽廃またかよ

また出た
下賎なる仙台クン
自分が何言ってるか分かってる?
馬鹿な東京の猿真似

極悪倭人キラー
使徒は手当たり次第ビルをあさり串刺しにしてく
棄てる為の血みどろの料理。この惨劇
あれだけの頽廃をくりかえした極悪倭どもの業は報いられた

極悪倭王の死体は
野晒しに何日も何日も、残酷にも
カラスについばまれる侭になっていた
やっと平和が還ってきたのだ!

星屑

星屑がふりしきる
なにもかもきえる
なにもかも
もしそらがきえても
誰もこのそらを思い出さない
星屑は星屑を知る他
なにも分からない
同じ運命が消えて行く
結果となった地上の規則は
田園の惑いをこえて滑る
もしなにもかも
消えていく前で
唯一つ変わらないのは
このそらか

2010年9月18日

満員電車の蟻

頑張れ頑張れ蟻さん
トコトコと歩くあるく
人の一杯いる電車にのって
チクチクあるく歩けあるけ
蟻ありの兵隊さん頑張れ
このみにくい生き物
くだらない倭人をくいつくす蟻の勝利
なんてすばらしい
自然の摂理

醜悪スラム東京横浜

天皇が園遊会で公然猥褻女に感謝する
発狂してない倭人などいない
こいつらは戦場で奴隷に乱暴し
神を信じない野蛮の民族
芸能人にまざりこんで
あらゆる乱倫と下品を尽くす極悪政治屋
あちこちでやくざを囲い
暴力を振るう
アメリカには弱気
原爆ぶちおとされたトラウマなんでしょう
星中で道化を演じる黄色い猿
漫画とアニメとゲームで子供騙し
そこから生まれる子供はミニスカートで
学校で発情しまくる意味不明な自称経済大国

この極東で
お前らはなにをみつけた
馬鹿すぎる同類の狂い加減と
ジャポニズムぶった東洋風の奇習
侍は絶滅し
ミニスカ高校生女だけがのこった
そいつらは発情しながら汚れの舞妓になる
そいつらは星中で淫猥を尽くす奇形種
ここではだれもが絶望し
だれもがだれもを侮蔑する
そんな国に君臨したまわる
気が狂っている世継ぎの病人あり
自称天皇の気違いは
東京で汚い搾取を発明し自慢顔

なにしに生まれてくるんだ
次から次へ自殺してく無宗教の蛮族
満員電車に自分からのりこみ
虐め虐められるため悪環境の学校へつめこむ
隙間なくたてられる倭人の巣
よくこれで住んでるよ
道路を山ほど走るトヨタ製の排気ガスで
真っ黒けになりつつ走ってくジョガー
子供がぎらつく繁華街の看板前を学校へ通う
醜悪スラム東京横浜でなにをまなんでる
めんどくさいと子供を殺す阿婆擦れと下衆のペア
生き物ですらない
ゲイシャが顔中まっしろにぬりたくり
「おいでやす」と言う

比較文明学

社会文明は場所文化の頃合い。この頃合いが何らかの風変わりさを担うなら文明型が決まる。場所適応に個性がある時、それは文化型をつくり且つこの集まりは地域偏差としての文明系になる。文明系はある片寄りで違いを持ち、部分形としての文化から異なる秩序を択ぶ。

常陸の風

既になき物はだれにもみまわれずいたずらに吹きすさぶ風、風よ
祈り、重なり、月浮かぶ空、空! 誰に知れる空だろう
やがて消える人ども。蛍の光はそれをさとる丈! 涼しさ。
調布の交番の向こうに見えた空なし! あーあ
もししあわせがあるなら何気ないものだけだろう、何気なさ!
終わったバンド聴く価値なし。弾けて混ざれ
竹林の凉かぜ! 耳を走らせてく! 常陸の風だ。
風、風、海風、秋になりゆく間に。聴け、聴け風を、時代を駆け抜けてくこの風

2010年9月17日

もし宇宙が
ひらけていれば
その底さえ
だれにしられてもない
僅かに傾いた
星の合図を
てのひらにのせ
きらきらと流す
笹舟はもうない
刈り取った獣は
笹など風流にも
なにも聞こえなかった
旅の終りに
人が見た
卑しい魔物
消えゆく泣き言
罪をしれ
誰も
逃れられぬ
死ぬだけの世の罪を

天皇陛下万歳

なぜこんな奴らの中で暮らすべきなの
山ほどかねを稼ぎどんどん天皇に擦り寄る
天皇はいつもの手管で浮気を重ねる
死ねば死ぬだけ遥かに美しい倭人界
自殺者の列
自ら望んで死んでいくのだ
この邪悪きわまる極東の発狂病人界で
なにを信じていられるものだろう
借金しながら護衛をつけた天皇陛下万歳

2010年9月16日

サイルイダン

余り豊かな
そういう所
やがて時は
鋭くなるよ
ちゃんとした
あともない
ありえない
そらごと
だれも
つかれ
つかれては
ねる
やっときづいた
このちいさな
芝居は単に
おもいえがいたから
つかれはてた
星はキラキラ
ひかりはてて
おっこちたみたい
全然ない
もちない
だからない
そんな山
しょぼくれた
サイルイダン泣かせな
なみだもよおしだま泣かせ
たまやは

あきぐち

どこに待つ
その言葉も
ひとり散りゆく
あきぐちのもの
降りてゆく
月のそとに
なにごとも
きこえない
虫の声
リンリン
チチチチ
ぎゃははは
消えろ
もし消える意味が
ないならやるから
消えてろ
時たま
吹き抜ける風
吹き抜ける風
それと

崇拝

あたかも
かみがまもる
どのむしも
くさに
なぜかしらない
しりもすまいし
つづきものの
つまらない学校
わいわい
さわぐやつらときたら
おとなしくはなしあう
たのしみはないんだわ
外人崇拝で英語を話し得意がる
こんなものがなぜ生きてる
いやになる

2010年9月15日

とまれ

ごく昔
みな現は
しまわれたので
今は夢みたい
そんな日に
なびく
なびく旗に
日の丸なんて本気
あおる
くせにどうせ
だれも
どうでもいゝ
なつをかし
あきがきた
うえものは
わざとはをおとした
とまれ
みちにかいてる
おちがきにたくし
とまれば

2010年9月14日

製品開発

熱交換器なしで室内へ電気的冷却のみを行う新型のクーラー。

冷蔵庫のしくみにファンをあてる。形は床置きと天井設置のできる、2.5rの丸みを帯びた薄い直方体で換気扇や学校の教室にある校内放送のスピーカー似。

2010年9月13日

公然

その大きな建物の屋上階
カンサイ出の卑しい男
都市を見下しながら
汚れたゲイシャの小説でほくそ笑んだ

エドが糞なのは誰もが知ってる
所がマスゴミは虚偽を流す事で
幾らでもカネを貪る連中ゆえ
誰も真実を見なかった

その雑然としたコンクリート詰めの中央
地下深くに一人だけ逃げ場を設けている男
勿論こいつもカンサイ
そいつは税金を暴力で奪う事で身を立ててきたゲス

キョートがごみなのは誰もが知ってる
何しろ子供を騙して罪すら感じない
全世界から掣肘されたら途端に開き直り
「知りまへんで」とほざき汚れゲイシャと遊ぶ醜悪倭奴

芸者

芸能人より悪いものはいない
そいつらとくれば
来る日も来る日も着飾り
贅沢にとち狂い
大衆を見下し
金をむさぼり
終いには一般人と言って人種差別しだす
奇形どもが
何もできないのに芸能
娯楽屋だろうが
君はそいつらの演じる
狂った劇場でどれだけの
資源が費やされたか知るなら発狂するだろう
だから言ったんだ
芸者は消された

革命歌

遊女を殺せ! 遊女を殺せ! 遊女を殺せ!
底知れぬ退廃をまきちらす害虫どもを粛清するのだ、
エドから湧き出てくる蛆虫ども!
金を与えれば幾らでも殖える慰安婦ども!
芸者を殺せ! 芸者を殺せ! 芸者を殺せ!
底知れぬ退廃をまきちらすケガレどもを抹消するのだ、
キョートから湧き出た気狂いども!
整形だらけでウヨウヨ殖えるカンサイども!
この世の原理をまもるべく
今旅立てる聖戦への道
あしきテンノウにひっつく何億ものマンガどもを
ひとりのこらず整理し尽すのだ
この世に退廃をまきちらす
底知れぬ腐敗した土よりいでし
魔物どもを神の名に於いて
この地上より清めつくすのだ

2010年9月12日

さくこぶし

だれがみたかをきくなぎさ
どうせならつまるあきにはやむあしは
なぐものゝあしあとはなきあきるの
きまりなきそれだけのさきさくこぶし
たまにはとひまをあそべぬものいやしき
うみのこえたゞひろくひゞきそらをうつす
わがまえにたつはかのかずそこしれず
ときをくるまちがうものはむなしくちれる

現代詩

学歴を身につけたゲイシャ
あらゆる卑しさをふりまき
神戸出身の爺にこびる醜さ
 何しにきてる? 死ねカンサイ野蛮人

まず猿山のボスをぶちころせ?
誰と戦ってるか分かってんのか?
ほら、テンノーは山程かねを吸いとる
 お前が貧乏なわけだ

星が回る
何も起きない
人が死んでいく
 僕は笑う

舐めた野郎
客商売わかってんのか?
 そいつは倒産した会社から
客を見下していた

 麻生さんまだか?
ほら漫画エドが西洋の
馬鹿な白人だまして金取ってる
ほめなきゃ!

どうでもいい女狂いのカンサイ小話
それを読みあさる愚民
 しまいには沈む泥舟で
必死のケツ出しごっこ

おっさんが拝むシントーの社
そいつは山程かねをむさぼり
部下を大量に殺させた
 何を信じさせてる邪宗なの?

九輪草

どうして裏切った
よのなかは静かに
移り変わるもの
誰に今をのべられる
罪をなすりあい
暴れる力をうべなう
なぜ卑しいお前が
このよで生きていられると思う
きのうはなくなり
横滑りする
たやすくきた
位などあばら屋
どこでも
サイズの縮む
訳のない
命等つまらない
もし罪深い
人類が救われ
土に還れるものなら
夜を切れ
旅先の
小さな湧き水
隠れていた
九輪草

2010年9月11日

なんのための国

完全に気が狂ってる
そんな奴がいるとしたら
君はトーキョーで
そんな奴らばかりを見れる
そいつら何もない
生まれたらしぬまで働く
満員電車で息もつかずに
なんの疑問も抱かず
テンノーは明日も
こいつらをこきつかって
散々わるさを企むだけ
なんのための国

底の光

もし世界の真実がこの世の
内にばらまかれるとすれば誰も
それを正面視できない
それほど不正にみちたこの世の
どこに期待できるという
だれもこの世の底にある
光をみたことがないとすれば
それを正面視できない
だれもこの世の底で
光をみたことがないとすれば

心を塗り替えるわざ

若人を軽く扱うとしゆきは既になきなり魂の置き場
魂の宛てなき先はあらぬなり消えずに残る趣の行方
下を知る者は行く末下を向き上を知る者の面持ちを見ず
星空の隅に惷めく小さき者ただ魂だけ伝わり残れり
永らきに習う者ども理を悟り賜る行く末は人の心を塗り替えるわざ

2010年9月9日

理性の伝統

どの文明にあっても文化の真実は伝統否定。理性が必要なのは、おそらく過去の経験則の総合した学習によって決定的な否定を成し遂げる才能に注目するべきだからで、この天才によってしか文明が進歩する実演は執れない。

人体学

いびきを聞く不快さは、ある調査では黒板を引っ掻く驚愕の叫びに近い周波数と、蚊の唸る音の次に高い。ここから単純に考えて、鼾をする形質が完全に淘汰されずに残ってきた原因は、実はその不快さにあると仮定できる。つまりこの不快さは、夜間の縄張り防衛の役目をかつて担っていたからこその本能へ残存した感覚なのではないか。
 鼾をかく形質の持ち主はそうでない者の居場所に比べ強い縄張りに結びつき易いのは明らか。特に音の絶えた深夜にあって、この範囲への侵入は夜行さのない或いは暗順応の弱い視覚での生き残りに死活的だった。この鼾習性の浮動が起きていた時代はおそらく家父を中心とした幾らかの共同体での村社会だった。そこでは洞穴、掘っ建て小屋に近い住居での定住生活が普通だった。深夜に侵入者をみつけだすに、彼らは無音で過ごすのを潔しとはしなかったろう。狼、熊、或いはあぶ蝙蝠こうもりといった明らかに害をあたえてくる野獣に対して火を炊く事、見張りをつける事を除いて最も役立ったのは実に鼾の発する音の縄張りかもしれない。この時点で浮動的な形質として表れた、のどをつかった無意識の威嚇はそれがない家族に比べて一定数の生き残りを可能としていた。
 他方寝静まる住居への侵入や不意打ちをかけようとする同類内の分子へも、この防衛策は一定の効果をもったのではないか。我々がいびきへ感じるという不快感は殆ど理性的には理由がない。それはただの寝息である。しかし生存にとっては不可欠な何らかの事情に関わる事の為にこの習性か音へかなりの不快をおぼえる者は多くなった。つまり縄張り防衛という機能は、たまたまか意図してかその範囲への侵入者を撃退する又は怪しい者として追撃する効果につながった。要するに他人のいびきが聞こえる範囲へ入れば必ず別の家や共同体によって暴力で逐われる。この被撃退感覚の為、古代の人類社会ではもし無感覚や聴覚域の不足で鼾に不快をおぼえない個体がいれば進んで淘汰されてきた。鼾縄張り仮説はこうして説ける。実際、この形質は治癒の有無に関わらず各人種にかなり広くみられる人類としての想像できる性質の一種。筋肉とみた咽喉の垂体が寝ている間に脱力し易いかどうかは、およそ遺伝する傾向がある。そして村にどれだけこの形質が残っているか、現代でいえばどの地域にその分布が広いかは、共同体がさらされた夜間の不案内者らとの遭遇回数におそらく比例する。よってこの推察がいくらかの真実を含めば、既に古く都市化しており別の見張りによる防衛が可能だった土地で長く定着した人種にいびきをかく形質は少なく、獣しか現れづらい山奥ではそれにつぐ数をもち、交通量の激しいと同時に獣でも人でも夜間にとおりすがる確率の高い街道地帯でいびきの習性は最も残り易い環境条件があっただろう。そしてこの地域では今なお鼾は広く習性にみられ、その遺伝は多く残存しているだろう。
 それと同時に、以上の仮説が正しければこの鼾を聞く不快さは、もし家族の一員のそれに限っては著しい減退を伴う筈で、物音一つしない夜に比べて家族の誰かのかく鼾がきこえる夜はより安心感を伴うという独自調査が特に上述の伝統的な街道地帯では得られる筈だろう。

文化の分析

人類が人類社会で果たすどの生業もそこでの生存競争の部分形を事実上こえない。人類が彼らの土着した文明で営むどの生計も、彼らの生存条件への変化。
 文化間の競争は遊牧、狩猟、農耕の類型から更に工業、商業、政業の姿をひきだした。これらの中間帯にある生業や産業も同じく、文明は文化闘争とか文化間での試合でより高い効率の産業を生む。

2010年9月8日

厭世

またキョートゲイシャの偶像ごっこ
いい加減だれか処分しろよ
みにくすぎる下衆稼業
あちこちで淫猥を尽くす下人が騒ぐ島
宗教のない劣悪南蛮人種
奴らは道徳がしれない
奴らはけだものとかわらない
金を喰う化け物
かかわらない程よい
係わり合いになる丈
倭人は極悪姦淫を尽くす生き物
原子爆弾で殺されたのになおも
学校で虐めを教え込み
社会で己の堕落した
淫蕩情報を売りまくる極悪関西東京人種
欧米で大人気のチンドン屋
大地震で生き埋めになるその末路
会社で過労死するか
それとも自殺で迷惑をかけるか
天皇が借金を重ねに重ね大金を貪る前で
NHKが明日のない貧乏人を叩き殺す
ああして学校で暴れ回って発情していた
どう仕様もない不良どもがうようよと
都心で芸能人となり山ほど金を儲ける
学歴差別で脱落者を虐げ尽くした結果
ああして自棄になった通り魔に消される

道徳と幸福主義の一致

私は道徳的に正しい暮らしをしている者で困窮した者を一度も見たことがない。これを思い返せば、道徳が与える良さは、その侭自らの暮らしの良さ。道徳をこの判断の定義とは違って捉えている者は、上述の真理を否むかもしれない。例えば偶然に起きた事故や無差別な犯罪の犠牲者といった風に。しかしこれらの被害は暮らしの良さとは余り関係ない。
 心身のゆとりは、常に道徳と正比例している。多くの不道徳にして下劣なる心の持ち主が困窮や心配や不安や懊悩に陥り、少しも幸福を覚えないのは理の当然。又下劣な者が快楽を低劣な行いへ感ける事をどう捉えるかという疑問へは、それらの幸福は幸福ではなくただの刹那であると言える。
 アリストテレスとミルが共通して理解していたのは、精神の快としての観想とか、日常語でいえば思索や考え事は、常に幸福の定義として他の快楽より適切である、という理性的動物観。この事実を知らないか悟れない者だけが、仏教でいう煩悩に焦がれ一時得られたかにみえる刹那の代わりさらに多大なる苦しみに落ち込む。それは火の美しさに魅せられくりかえし焼かれる虫の息に似ている。その虫は火と、つまりカント用語でいう物自体と一定距離を以て鑑賞できない。この事からも、形而上学が実験科学よりも上位の学問だと古代人らが思ったのにも合理さはあった。
 実験によって物自体を分解して行こうとする接近の態度は、いわば下位の基礎づけでしかありえず、究極の学理へ至り着く道ではない。どの実験科学も特定の思想としての仮説を数理的に定義する為の方法。こうして集めたどの比例法則も、道徳哲学の前置きであり基礎課程。それらの自然界の関係はありうべき理想としての計画を導く仄めかしでしかありえない。

理性と言葉

理性界の絶対否定さは、和辻がのべていたとはいえ不可解とされてきた。つまり脱構築とか批判といわれる言論の動きは、空の問題に返る。それは我を無くす無我の運動であり、明白な我執を否み、絶対否定的に言論を展開させたがる。弁証法や助産術はこれのいいあらわし方だった。
 和辻が仏語を引いて空といいあらわしたこの理性の運動は、空理空文とか禅の生業の中にも十分な哲学を含むことを説明する。なぜかならこの論理作用は命題の否定を通して、この世界で縁起則を除いてどんな真理もないと教えてくれる。仏陀が悟った様、理性界でさえ絶対者はない。もし絶対者らしきものがあっても、それは縁起に於ける絶対さであり、しかも相対的か比較概念でしかない。
 我々はギリシアとユダヤの神がこの絶対概念として芽生え、彼らの信仰を形作ったのを見るが、なおも縁起則に於ける神概念としてしかその絶対さをしれない。絶対唯一神の信念は空の悟りに対比できるとして、哲学的に知れるのはこのどちらも概念界の調べだということ。そのどちらも概念をこえた何物かではない。たとえば絶対唯一さも、空という漢字もこの視覚平面の文字化でえられた認識の定型でしかなく、さらには触れられる実体などではない。
 ウィトゲンシュタインが科学の命題のみを語れ、という時この概念界が空で満たされている事をむなしく思ったのだろう。だが少し想像すれば分かるが、科学の命題を語ることすら概念界の利用なのだ。カント用語でいう物自体は、魔法の言葉とか錯誤とかに見えてきたそれだが、人知によって知り悟る事はできない。物の様態とか有様は分析できるが、この物という対象が一体なんであるのかは宇宙が何なのかと同じく概念界を通して触れる事しかできない。

 人類が抽象さとか形而上さを好むのは、彼らが即物的でない多くの会話を日々こなしているのでも十分わかる。それらのどの会話も形而上学以外のなにものでもない。もし物自体を交易するのが目的なら、他の鳴き声をもたない動物と同じく暮らせばいい。我々が天界に興味をもち夜空を見上げて空想に耽った子供を仲間の内に見つけた時、又その浪漫か神話かわからない畏れの感情を何らかの芸術表現に近い感覚論で象徴化するのに成功した才能をえり好んだ時、我々は形而上学のつまり哲学の趣味を身につけはじめた。我々の中で智恵ある者をそうでない者から特に好んで尊重したがる習性、いわゆる道徳信念がうまれたのはこの際だった。
 空の絶対否定運動は、およそ始めにはこれらの概念の遊びとして起こったらしい。この為に実証認識がガリレオ、ケプラー、ニュートンといった天界の分析者によって少しずつ形作られてからも暫らくは、かつて集団の長を説明不能さをなくす作り話の才能として保守された宗教的憑依の在り方が哲学の部分野として残された。近代科学といわれる実験を検証の主義とした膨大な認識の系が、この習性を完全に追い払うまで相当の時間がかかるだろう。そして哲学者はこの間に、多数の人類が即物的認識のみを語る日に至るまで以前の侭の空理空論の遊びに浮き沈む集団を説得するか、少なくとも文明の仕草をとる権威によって待ち受けるだろう。
 宗教家の敗北を前にしても、神話が現実だった時代のなごりはその科学用語への転用として度々起こる。星の命名、現象の呼び名、単なる記号の姿へすら宗教界で培われた認識が全く生かされないことはない。これを思えば哲学界が営むどの仕事も将来の即物用語にごく近い隔たりしかない故、最も貢献する程度が高い筈。飽くことなき話し合いが彼らの協同と冗長度に由来した相互理解を促していた時代の延長は、今日でも前青年期いわゆる青春時代とよばれる期間に彼らがよく非科学命題の議論をする場面で見受けられる。もしこの段階をへず発情期に直結していた動物界へ退行していった人種を見るにつけ、彼らが軽蔑と自分達の優越感を得るのは何も今にはじまった潮流ではない。この文明化の運動が現代までの人類文化をつくり、言葉とその概念を打ち固めてきた。アリストテレスが友情を信じていた場所ではこの興りが明らかに以前の生活体験を覆しはじめていた。
 我々が現代にも低次な生態に留まった奴隷精神に近い、内的増加風の人種を見るとき、哲学が果たしてきた役割はその空に於ける永遠の言葉遊びと共に理性の程度についての社会的淘汰と階級化であったのを悟る。未来の世代で哲学を省みる時期はより短くなる。代わりに、彼らは即物的知識をより高度な応用へ結ぶ営みに従事する。実証界はこの産業化を促し、科学技術職を恵む。もし同種間競争の結果、宗教の信念や哲学的議論の営みが定型化した概念という以上にかえりみられなくなった即物信念の集団が勝利を収めていったとして、理性という概念そのものと同じく情報伝達に於ける冗長さ或いは説明の分かり易さにつながる啓蒙の骨は、教師の本質にこの哲学者風の習性をのこしゆくであろう。この専門職らしさは、智恵を愛するという元の意味の侭に継続した学習を動機づける傾注や批判的注解、つまり空の体験にあった絶対否定の権威をその神学あるいは神話そのものの為に促し続ける。理解不能さの比喩として哲学者や教師の啓蒙が働き続けるのは、哲学史が至り着いた素朴な宗教への疑念の状態として真にふさわしい立場である。
 科学の過半が機械を相手にした孤独な作業という段階に入っても、一定の寓話とか冗談の範囲で哲学者はその教えるという機能の面で話題に上がる事をやめず、又この特殊さの為に特に多数の科学者の集団では定評の選好を受ける。実際この媒介を活用した学校や学校集合としての大学という組織は、哲学的傾向の者しか集めない。彼らが寄り集まるのは単独で学問を進めるのに不足があるからで、この欠損は絶対否定の信念。要は権威を自らの探究心の外に求めたがる傾向が彼らを集合させ、哲学界といえそうな似た思想か実証界といえども空理の持ち主を科学として詳細化したがる。
 所でこの科学信仰の集団は、認識がかなりの繰り返し易さで確かめられるということを誇りに思う性格があるので反復哲学をつくる。多くの非法則生態が科学集団を利用したがる以上、魔術の濫用に堕さない域で科学系列を維持させるには教養学部をその内部に置き、又はこれと同等の普遍哲学的人材を外部から常に招き容れ、空の段階かより現代風にいえば批評の空間を導入や設置するのがその未然な暴走防止に効き目あるだろう。この科学信念がどういう用途に結び付くかの客観視を促した面で、実用主義が大学内外で語られるのは科学技術界では一つの必然だった。実用主義は科学技術の実用主義だったといえるだろう。

普遍文明学の礎

社会文明は必ずしも学識文明ではない。つまり大衆や大勢、多数者とその交易をはかる時に社会化された文明が起こる。文明はcivilizationの訳語から出たが、自体が意味させる世界観には純粋な学識文化界への参加意図がある。つまり文明を知るにはふみあきらかにならねばならない。市民化の現象は文明のそれと相似ではない。故社会文明の適応は、常に学識文明の程度にしか定まらない。市民が得た社会さに学識文明度がみられる時その大勢に何らかの機能か働きがみられる。
 以上の解説で人類が嘗てつくった歴史上の大きな文化帯は学識文明の伝わりによっていたとわかる。基底が理由とされる構造思想のもとわりは正しく、彼らが何をよりどころに心理的自由を追い求めたかの所残。
 もし学識文明をもたない社会があっても、当然それは文明という水準を有さないのがこれで定義できた。ヘーゲルのいった世界精神論での自由は、常に文明のそれなのだ。心理的自由へ社会状態が与える各感覚様式への解放度を文明的自由度と再定義してみれば、知覚の自律は結局その主観がもちえる文化の中での働きよさによる。よさに程度があるかぎり、文明での自由もかの知覚能力のほどでしかありえない。完成された自由もないかわり、そこには精神の向上としての学識文明との相互琢磨がみられる。もしより単純に教養こそ学識文明の日常語だとすれば、ヘーゲルの説いた神は教養神の理解度が完全なものへ理想化された状態だと分かる。
 科学から神が知覚できないのはそれが自然界しか相手にしないからだし、神の概念に正しく則れば道徳哲学の最高段階に御座す社会文明の善悪への批判をこえた全徳の知能をそこへあてざるをえない。要するに教養神の概念は形而上学の完成形を手にしている者の、世界の全てが見通せる全知にふさわしい。これは個別の認識がどれだけ詳細を割って行っても、いわゆる数理知識という人間風の知覚基盤での限界制限に則してはありえない。哲学の経過さえ道徳神学によってその倫理観を通した説明に従事するのが精一杯の社会的偶然外の悟りは、必ず自然界の客体計画に基づく。宇宙外生態、少なくとも彼らの意図がなければ道徳の、つまり社会文明での適応の眺めは理想形へ近づくことはない。
 もし神の要素を語ろうとしても、全徳の理念をこえて何事もみいだせないので、この社会文明や文化的無教養におされて現世で過ちや趣味の低い生業に終始しているどの生態も、何世代をへてさえ神格には程遠い。カントが信という概念でしか神格への言及をしなかったのは、たとえ謙遜からだとしても賢慮以上のものがあったし、孔子が知り得ぬものの比喩として神を語らなかったのもやはり社会哲学の限界批判では適切だった。だから社会科学の担い手がこの認知限界をこえて予言者になれる日は、彼らが全徳に到達できない知覚基盤の特殊さ内では当然。
 社会哲学は事実上、社会神学への途上だった。宇宙計画学やその知識の断片でさえ全て社会学そのものがよってたつ幾多もの比較文明論の考究で次第に成し遂げられる様になっていく。どの卑小な生態さえも、道徳精神の前では秩序度の生成主体が組織だてようとする経過あるいは古代風にいって、つまらない可能態でしかない。偉大なる可能態は倫理の学びにとっては、その普遍認識への階梯であると同時に目標の姿だろう。消費密度にみなした自由度は、この種の学識文明を消化できる界隈にあてて我々やその典型を引いた子孫らの精神文化を一定以上に計画された弁証法的発展で導く。彼らのもつ自由度は常に社会文明の計画学内で為せる特徴ある働きでしかなく、それらはどれも多様さも種類も含め、普遍文明知の枠ある一端なので。

2010年9月7日

産業保守の手

日本の財政が用いるべきは「産業累進加算」。この考え方は市場の放任でないやり方で、所得格差が産業別にうまれゆくのを取引の場でとりのぞく。

具体的に、より安価になる高次の産業へ政府が取引の時点で介入し、その値段へ税を補填する(つまり価値を上乗せする)ことで加算して市場に出す。例えば中国製の安価な服は国内売値が1000円なら政府が500円の加算を施し1500円で取引させる。この分はいわゆる累進課税でとりこんだ歳入から捻出する。
同様に、様々なサービス業の市場価格を意図的につりあげゆくことで、国内から土着した低次な段階のいちばが絶滅するのを取引の公平さで防げる。

なぜ第三次以上の産業が安価にしあげられるかとえば、それが輸入に適しているからだ。もし原材料が国内にあれば貿易差額を利用し国内雇用を徹底して荒らした暴利の手はかくも増長しえなかった。なおこの政策実行に際しても既存税制は維持を要する。

現代経済学

経済段階が進むと、その異常外注で資本流出を図りたがる。この経験則をてみじかに種子効果とよぶ。植生が行う自家受精外での配偶を求める働きに似て、国外へ資本をもちだしたがるから。
 所で貿易国間の累進課税が常識化されていない国際社会では、次第に所得差はひろがりつづけ二度元通りになりがたい。つまり経済的種子効果はやがて母国に破滅をいざなうか、最低でも母国へ困窮をもちいる。これは所得の大小にかかわりなく、経済段階が進むとどの適所でも必ず起こる。
 ここから、例えば日本が行っている型の所得調整、具体で低い初期段階にある生業への税の補填での助成など産業の不自然な延命がおこなわれがち。他に関税や国際条約の意図した未批准でくらべて有利な貿易をはかろうとする中国型、自由貿易への思想的傾倒で一切の国境をなくしていこうとするアメリカ型、福祉政策を重視して若い世代へも等しい税率を課すヨーロッパ型などがある。
 これらを簡易な表にすると次の様。
所得調整型 国家経済体制 課税方式
日英型   社会資本体制  累進課税
中国型   共産体制     市場統制課税
米国型   自由資本体制  放任課税
西洋諸国型 福祉体制    囲い込み課税
中進国型  社会体制    保守課税
途上国型  原理体制    宗教課税
 たとえば韓国や東南アジア、東欧や南アメリカ、インドやオーストラリアなどこれらの中間の姿をとる経済もあるが、概ねこの傾向が貫ける。イギリスが特殊なのは、ヨーロッパに属しつつその全体と違う意向を持っていることで、半ば米国型の資本経済に近く、これは日本でもアジアで同じ。
 上の表をみてわかるのは、国際徴税がなしえるのは種子効果で流出した資本のうち自らの国家体制経済圏へ還元できる分にすぎない。たとえば西洋諸国へ出て行った日本の資本はまず回収される日はごく遠くなる。これはことなる経済体制の間での所得調整が正当化できないから。このたとえでいえば囲い込み課税を信じている集団内で累進課税を主張し、金持ちから一定額を分捕れと述べれば反発されるばかりか相手にされず、他の所得層と同様の課税で囲い込まれる。

2010年9月6日

聖者と凡下

既存の世界宗教で認められた道徳律やそれらの矛盾ない一致点さえ自らの生活体験から脱落させている人間は、一般的にいって道を踏み外しており、自業自得の末路を経るとしても驚くほど愚かしい。

 この発見を私は「大衆の発見」と呼んでいいと思う。大乗仏教が出立の用語だった大衆は、私の前では衆愚さの共通基盤に見える。そしてユダヤの先人が伝える様に選ばれた民を除いて、この大衆は救われえないだろう。
仏陀の考えを曲解した堕落した無明者どもへ禍あれ! 仏陀の考えは只、世の縁起から学ぶ者にこそ悟りの境地ありという単純で思慮深いものだった。歴史家の眼差しと言ってもいい。大衆が歴史から学ぶ事があるだろうか?

輪廻や破滅は大衆の前に常にさざめく。世の厭いわずらい苦しみは終りがない。破滅や粛清はこういう集合が必ず陥る末路であり、業の蓄積がある段階を経て結晶したものでしかない。
 懺悔や悔悟でとりかえせる功徳も必ず一定の集合に適う。因果応報はどの生態をもとりのがさず。

聖人達の集まりの前ではどんな大衆もその身を恥じる。信仰とその為の聖者らの研究を続けよ。必ずや精神的救済の高い程度を得るであろう。それは悟りと呼ばれる。そして因果からより高い悟りを得る者は聖者らの列に加わる。

物質思想と心理的自由度

ホッブズがいう自由の定義、要はいままでイギリス哲学の上に続く物質思想の自由は次の観点から過ちか曖昧。先ず自由は社会でしか定義されない。物理の自由はない。意志はそれが他人との関係かいわゆる間柄を通してしかみあたらない。もし無人島の個人がいても、そこで自由や意志を語る習性はなくなる。大体行いの手順を他者へ伝えるという介在関係でこそ意志という行い以前の説明語がでてきた。自由意志や自由と意志はこれらの脱構築に耐えない。物質思想の自由はかくも脆い基盤をよりどころとしてきた。
 神の脱構築を行いたがっている現代のイギリス科学趣味哲学の流れは、もし自由意志がなりたたねば社会を解体か、ばらばらにする。神なき自由は社会的理性の一切を捨てた奔放への意志に返る。つまりイギリス哲学の個人主義的傾向は、非社会さか社交なさを免れない。
 もしこれまで多くの文脈か立場で語られた伝統や独創さある数々の用語を全てうしなわそうとする試みに、この個人主義的脱構築派がいくらか成功しても、およそ他者伝達系という理性の余地がのこれば、我々は物理以外の出来事としての形而上学野を再びみなおさねばならない。全てこの系列を通してしか物事へ意味はとれない。定義集の名目をもつ辞書さえも、必ず一定の形而上学を引いてしかそれを伝えられぬのをみよ。自由意志は社会での間柄へのそれに真の意味をもつ。つまりそれは心理制御の系統。他者の意向に関わらず己の単位での意いを成し遂げる事を自由とよぶなら、物質的自由は寧ろたやすさとか妨げなさ、しやすさ、容易といった低次の作用列。我が儘は自由が他者の自由と強い反作用を伴う時の名示。逆に放任はこの他者との摩擦がほぼ皆無の状態をいう。
 積極的に自由を追う者は必ず他者の意志、つまり未然の行為列との間での適度な関係をそうする筈。我々が先駆け、中継ぎ、後追いなどといった自由の種別をみるなら、協調関係の系列としてのみ自由度をはかれる。最高の自由も最低のそれもない代わり、遅速だけがあるだろう。より速い自由は他の社会成員を出し抜くかその意志を先取りしている。同じく、孤立した個りだけの自由は全くはかれない。そして一般の自由主義的意向は、みなこれらの自由度という協調性に於ける立ち位置が、他者へどれだけの影響を与えるかに限り定義できよう。不自由とか拘束、縛られた、或いは命じられ牛耳られた意志は必ず影響力の弱い行いの系列へ自らの立場がおいこまれた結果。だから自由主義そのものは、もし経済思想をこえてすら、影響の強さを関わった主観の系統内で追い求める者への啓発でそれをこえない。

絶望以外

全く意味がない
そういう
都心の出来事
簡単にいえば
もしそれが
ありえないだけ
くだらない
この国とかの
文明だったら
単に
世界に依る
事は
価値もなければ
絶望以外なにもない

京大卒の半朝鮮人
ジャップが崇める虚像の穿ちで
この邪悪な東洋を乱そうとした
金儲け好きの福沢の弟子

もしここが
どの心にも
ただ時の
たまり場だとして
二千年すぎて
お前はなんになれたの
くだらないテンノウごっこ
ヒトの末路がそこにあれば
誰も東京以下の俗物さ

くべられた薪が
くつくつと煮え
ぽきぽき折れてしまう
丸で病におちこんだ
この島の極悪関西系の
犯罪業者どもが
ああしてくべられてく
葬斎場の
養鶏みたく処理されゆく
それだけの
ごっこがちきちき
回り込む
そういう袋小路
ならね

2010年9月5日

消費密度

地球文明に定義されたどの言葉や生業も自体の消費密度やそれにたぐいした速さをもつ。一般に所の趣味度はこの消費へ逆らう秩序の高さによる。言葉のみは象徴か姿形の見方とか定例な覚えに還るが、その密度己は人々がくらしの体験内で何を交易しているかを示す。
 趣味度の低い適所はこの密度に低い。

2010年9月4日

環境詩

昔 音頭があった はるか
とおい時だ やがて
雲がとおりぬけ すぐに
雨がきた
ぽつりぽつん ぽつぽつ
ドーッっとふりしきり すぐ
雨樋はあふれてしまう
涼しい風 子ぎつねの雨宿り
くる日も くる日も
海風はまちをふきぬける
山奥で眠る 蕨が顔をだす
時は待たずに 命を伸ばしゆく
月が音も立てず回る
ぱらぱらと雨がふる だれの
外には疎らな 雨垂れのおと

ドレミ

ドレミ
ミレド
ドレミレドレミ
ソラシドレシド
ドレミ
レミド
ドレミレドレミ
ソシラシドレミ
やがて やがて
やがて それが
やがて おちた
やがて まちは
くものたちこめる
そらに
ビンガラドッシャン
ドジヂッヂヂ
おどろいてのけぞる熊
うおーっ

地政民俗学

山陰ハ母系、山陽ハ父系ノ趣アリ。東北 山形秋田 両県ノ社会 母系セイツヨシ、北陸ニテモ同ジ。関西一帯 トクニ母系セイ ノ 蔓延、ゲイシャドモ ソコニシカオラズシテ 又マチノ娘ドモ 品性低クシテ少シモ男ラシサヲ尊敬セズ 金儲ケシカ目ニ入ラズ、感覚ヤ感情論ヲヘイキデ語リ少シモ撞着カンジズ 一見シテ阿呆ニ見ユベシ。関東ヨホド違エリ。東京、コノ一帯ヲ以テ関東デモヨホド軟弱、但シソレデモ 関西ニ比べレバマコト 人心コトナル アルク女、男コトバヲ好ミ行動モ 荒ク コマヤカナル心遣イスクナシ。栃木埼玉群馬ホカ山奥、都会ヘノ憧レツヨク、茨城千葉神奈川ホカ海浜ノ者コノ傾向スクナシ。コレ交通ノ便アリシニヨリテ実情シリツクス故 ミニクキ汚キ側面シリシ故 ソノ正反両面ヲ悟ル者アリキ。山奥ノモノ テレビ雑誌ソノタ媒体ニヨリ遠巻キニ眺ムル故ニ憧レノミツヨシ。
 関東ノ父系セイ 証拠ニミヨ 女ノ言葉ナキ、女ノ言葉イエバ 人コレヲ小バカニセリ 試ミニ公共交通デ語尾ニ「ヤワ」トイエ 人々コレヲ凝視セリ、カワリニ「ネーノ」トイエ 人ミナ無視セリ。関西ニテ事情逆ナリ、又「カミサンガ」トイエ、関西ノ者、コレヲ痛痒ニモカンセズ モシ関東ノドコカデコノハナシスル者ジロリト顔ミラレ軽蔑ノ心デハナシ傍聴サルノミ。コレラ武家ト公家ノイバショ コトナリシ所以ツヅクノヲ見ヨ。
 フジワラ三代ノ頃ヨリ コノオモムキ 東海道ヲトオリ オヨソ西ハ名古屋 東ハ岩手平泉マデ繋ガレリ。尤モコノ余波アリシトイエド、イマノウエニ キタハ仙台、西ハオヨソ静岡イタラヌマデニテ消エタツ 青森ノ者 腰オモク頑ナ 静岡ノモノ 呑気ニ放言セリ コノ東海道ノ断絶 キョウミブカシ、カツテ津ノトノサマ 幕府ノサイゴ オオイニ裏切リテミヂカニイタ公家ノ決定ニ無謀ニモシタガエリ コノ因果アリシ故 トクガワ 尾張ノ寝返リ組ニ同ジキ眺メモツ。カンサイノジカドウチャク マコト後生オソルベシ、スウヒャクネン ノノチ コウシテ 風紀ノ格差アクマデヒロガリテニドモトドオリニナラズ。
 ワレ アルヒ トウキョウノ公園デ セップクセル タイヘイヨウ戦ノ 皇道ノ士ノハカ ヒッソリトマツラレルヲミル チカクニタワムル エドノゲス コレヲカンセズト雖モ遠カラズソノ芝生フミシ。イシズエノオモミシルベシ。
 水戸ニ回天神社アリ。ソノ重ミマタ、シラヌウチ地域ノ人々ニ膾炙セリ。
 西海 一帯ニカンサイノエイキョウニソマル 神戸コレヲミヨ 山陰山陽ノ両面マコト カンサイヲシメス カッコウノ セマキ所 海側ニゴミゴミト沢山ノ店、山側ニハ公家ノ風アリシ昔ノ神社仏閣ホゾンサレリ、モシ出雲マデユケバ人コノナゴリサラニ イニシエ マデ遡ルヲ知ル。広島ノマチ アラタ復興サレシトイエド 関東ノ都市トツクリ違エリ コレ文化ノ余波トイウ。モシ回リ込ミ他デツタワリニ変化アルトキ注意セヨ。ソノ場所ニ必ズ理由アリ。ワレ会津喜多方ト石川金沢ノマチニコノ法則シル、モシ石川 福井 新潟トミテユケバ ナゼ 母系ノ原理 ソコニ至ルカヲミルデアロウ。ヨッテ 福島ト山形ノ奥地ニ似タ文化アリ、同ジク鳥取ト島根ノ類比コレ 山奥ヲ避ケ海沿イニナガレユク 一般ノ法則 多クヒトノ通ルミチ 必ズ街道トナリ ソノ場ハ足跡ノゴトク文化ノナゴリノコル。水戸ノ殿様皇室ヘ尊崇ノ念アリテ、皇居ニ足ヲ向ケテ寝ザリ。必然ニ治安風紀後世ノ展望スベシ。逆ニ山口ノ先人、毛利ノ陰湿ミナ幕府ニワザワザアシヲムケネムルトイウ。ウラミノ結果 カレラニムクイアリ、ワレ将軍ヲ罵ル長州藩士松蔭ノ私怨シル、モシ将軍ノ寛容ト皇統ヘ誠ナル志ミレバコレ明ラカニオソルベキ無知ニテ学問ノ不足 後生ミナ目ヲ瞠ッテミヨ コノ諜報ノコト イズレ九州カラ四国ノ下級 悪役ドモ集いテ盗ミ聞キシタ結果 ヤガテ近隣侵略ノ、手先トナリサガリタリ。ワレコノ諜報ノ輩ノ進退ツブサニミルニ 口先ウマク君子ヲアザムキ 公家ト手ヲ裏デ組ミ 皇祖ヲアザムキ ナンラハジヌバカリカ 発狂シ手鎖ノママ野垂レ死ニタリ。時代ニオケル私怨ノ至ル所シルベシ。アルイハ コノ悪意 ヤガテハ 隣国ヤ 周辺ブンカ ニイタリテ ナガナガシクワガ国ノ 汚名ヲコウムラス元凶トナリキコト ヨホドタシカナリ。
 志ヒクキ士、カナラズミヲアヤマル。イカニ流行ノ説ルフストイエド、イカニ民衆ガモテハヤソウトイエド、イカニ王侯ノクダセルホマレトイエド、モシ ヨノ底ニナガル因果応報ノ理シリタクバ 地政史ヲミヨ。歴史ノ調ベ手ニ ツツシミブカク人物ノ思想 当時ノモノノカンガエヲ イレルヨチアラバ ナゼ ヨニ 不運ト幸運ガアタカモ天地ノチガイ程アルカサトルベシ。乃チ天道ノ是非ナリ。
 九州、高知コノ輩ニ毒サレ ミチアヤマル。今ニツヅキシハ コノ トチデ行ワレル関西ノ余波ミヨ。道徳カンネンシラズイウコトキカヌ他人ノコドモ殴ルモノアリ、アルイハ 土着ノ 狂信ニ ハシリテ裏切ラレ互イニ ツミヲナスル モノ多クシテ、福岡ノ風紀コレ獣類ノ如ク我慢ヲ知ラズ幼年デ発情シ タダオドロクベシ。モト薩摩トイウトチ 狂信ノドジョウ ノコリテ 人ミナ西郷ヲ崇ム。コノアヤマチイズレ タミドモノ恐怖セイジノゴウリカノ末路ミルベシ。
 モシ サイカイ、岡山ニイタレバ関西ノ文物クルコトヤヤ遠ク一種ノ古風アリ ワレ岡山ノモノ 人前デテヲ繋グコトナキヲミル カワリニ 関西ノ影響デ花代トイウ言葉シリシ。
 比べてイワバ ワレ 山形ノモノ縄文ジンノ如ク 人前デ発情セルヲミシ 岩手ノモノ レディーファーストノ イミワカラズ ヤサシサヲ軽蔑セル。愛媛ノモノ 世間シラズシテ 土方ヲ蔑ミ 東大ヲ崇ム、カツ コレニ理由ナシ。島根ノ果テノモノヒトマエデ総花的トイイ平気デアル。コレラ偶然デナク ワレノ目ニ留マル フカシギナコト ツマリ メズラシキ 光景ノキロクナリ。他ノトチノコト シラヌ モノ多ク ソレゾレ自ラノヤリ方デイキテオッタコト。
 他ワレノ眺メセル コマゴマシキ 記録。
 福井ノモノ 発情シヤスク 品ヲミワケラレズ アチコチデゲイシャヲコノミ キヨワシ。コレ ワレガ関東ニテイチドモミタコトナキ 性格ニテオドロキヲ以テミシ。マタコレラノゲイシャドモ ガ タカルキタナキ所タトエバ石川ノ金沢ニナクシテ 福井ノモノ暮ラセズ。コレモ驚キナバカリカ ワレオオイニ軽蔑侮蔑セリ。イワユル負のブンカショウゲキ ナリ。オヨソ 臆病ニンノ マツロ ツネニ キタナイ女ニデモ ナグサメラレ シニゾコナイ ノ ケガレ イノチヲツナグ ノダロウカ。
 神戸ノモノ 下劣ナリ。コノ例外シラズ。京都トノスミワケノ結果カ。兵庫ノナカニ 文人オオキ、コレ本屋ノオオキサカラモシルベク、オソラク中世ノ女流文学ノ余波ニテ 文ハ文デモ ヤタラト女々シキ節回シ多シ。東南アジア ホカ 南アジア デ 神戸ノハクライモノ コノマル。コレニタ風趣アリシ ニヨルカ。マタ ミナトマチ ニテ外人ノ話ヤ朝鮮ノ風物チカク サマザマナ人種ノハナシアルベシ。故ニ風紀ワルク、オオサカジン神戸ヲ柄ワルイト言ウ。残虐事件オコル、アルイハ地形ト交通フクザツニテ 雑多ナ人々カクレガ多キ所以カ。
 京都ノモノ 精神状態オカシ。トクニ 女ヲミヨ。イウコトナスコト 表裏倒逆ノ異常サアリ、タトエバ発狂ニンノ 言動ヲモセバカクノ如クカ。人ト人ノ距離カナリチカク シカモ関係ワルキ。コレ キョウトウマレノモノヘ イママデドコデ 話シテキタカ キケ。何年モ何十年モ ダレトモ話サヌモノ 京都ニハゴマント オルベシ。公家ノ高慢ノホド 役所ユケ。必ズ人トイウ人ヲ非人ノ如クアツカイナニモハジヌ。一見スルト アチコチニ カップル多シ。コレ女ガ主導権アリキ故マズ ツカイハシリ ノ モノカ ソノツカイハシリノ手下ナリ。ワラウベカラズ、本物ノツレアイモノハ 芸者ヲシテイル故オラズ。京都ジンノ発狂ジョウタイ シリタクバ マズデパート デモナンデモ買イ物セヨ。ソコデ出自ヲナニゲニイエ。カナラズ発狂スベシ。観光客アイテニシテオイテ ソイツラヲ蔑ムモノ キガチガッテオル他ドウイエバヨイカ。ツギニ 女 ノ ゴトクナヨナヨ 気骨ナキバカリカ神経症ジミタ 男ヲオエ。必ズソコカシコデ 世間バナシ、コノ内容ヲ ウマク タチギキシテミヨ。アタマガ狂ッテオルノハ ソノ中身ガ井戸端会議デアルノヲシレバワカル。キョウト男ニ世間、キョウトニシカナク、キョウトノ噂シカキョウミアラズ、ソノ内容ドレモ女々シク、タダノ痴話ナリ。驚クベキ。オヨソ公家ノ生活体験シルベク、コノアリサマニテ 薩摩モ長州モ会津モ水戸モナニガナンダカワカラズ、ミナ公家ナイデノ ゴシップ他ナニモ世間アラズシテ ツネニ他人ヲサゲスム ヲ 得ル。オソルベキ僻地ノ発狂種ゾク。西太后ノマツロ又コノ連中トヒトシキノミ。キョウトダイガク トイウ所 コノ風俗アリ、故セマキ ダイガク中ノ 世間シカナクシテ発狂ノ加速アリ、ワレ京ダイノスミニ キタナキ床屋ミル。ソコデカミヲキルモノ アリシ。ナゼニ床屋アルカ。コレ世間ノ完結ノゾムモノ、研究ホカニキョウミナキ故 キタナキ床屋デカミヲキリ、疑問ナシ。ナゼニキョウトカラ 発狂シタ女ビョウニン 猥文ガ量産サレルカココニシルベシ。コノ女ビョウニン世間ナク、ダレモ話サズタダ幽閉ノ身ニテ遂ニ発病シ、抑圧シタ欲ヲナンデモカンデモ ダレニミセルデモナク ウソバナシヘマキチラス。コノテノ ゲイシャ病 ノ前座オソルベク京都ノ アチコチニヒソム。倭人コノ真実ノ事情サトラズ、ヨク修学旅行ニユカス。ミナマチガイデアルバカリカオソルベキ害毒ナリ。ビョウニンノ都ニマナブベキモノナク、発病前後ノ幽閉女ト女々シイ変人オトコバカリ。ナニヲマナブノダ。
 オナジク、アヅマキョウト ニ 男版ノ発狂症状アリ。トクニコノ種ノ漫画ヲミヨ。コヤツラ、キガ狂ッテオルバカリカ、ヤハリ何十年カ何年カ シラヌガ幽閉ノ徒ニ チガイナク、ナンデモカンデモ欲トイウ欲ヲ 夢遊病中ニエガキナグリ マキチラスノミ。オモウニ、テンノウガイルトキ ソノ都市ハ人口過密ニテカナラズコノ発狂ノ病ガフエル。ワジンノ血トイウヨリ オヨソ テンノウガ ウツレバ ソコデヒトガ生態異常ニ ナル。カクメイ デ 世襲王ノ処刑オコス コクミンハ コノ発狂ニ タエラレズ。ワジン ニテモ オソラク オナジ。カンサイノ土民ト江戸ノ土民ハカクアラズ。モシ 奈良ヲミレバ ナニユエニ 極度ノ発狂ビョウキミエヌカ。コレ ショウトクタイシ ガ ソノ発病ヲイクラカ防ギシ所以カ。ツマリ大仏ソノタ トテモヒロイ寺院バカリ タテ ヤマトカラ デテキタ 祖先崇拝ノ宗派ヲ 無能ニセル。トウジ ノ 政ノ実権トウソウ シルベシ。テンノウハ血統ヲヒキズルユエ コノ狂信ドモ ヲ コノム。ミヨ、テンノウ ノ イエ ニ コノ 狂信者ドモ ノ ツクリシ キミノワルイ アレコレ ゴク多シ。イワユル神器ノカズカズ。トクニ ソノ 日夜ノ イバショ オソルベキモノナリ。カナラズ カザリモノ ソノタ イワユル 好色ノキワミ、ミルヒトヲ ケガス。シュウキョウ者、モシ コノ バメン ニアタレバ マヨワズ ヒトヲ タチイラセズアトカタナク モヤセ。
 東北ノモノ 道徳カンネンヨワシ アルイハスコシモ 作法シラズシテ 古代野生ニチカシ。電車デネテイルト トオマキニカ ジカニカ ハナシカケテクル。カエルノニ ネテルノヲ シンパイシ ハナシカケル アルイハ トナリアエバ オバサン ハナシヲハジメ 北海道ノモノト大都会ノオカシサニツイテノ ワダイヲ カタリアウ。焦点ハズレテイル。オモウニ スコットランド ヘ タビシタ モノノ キブンハ コノシマノ 南北デモ オコル。偶然ニアラズシテ キタグニ ハ タイテイ人口スクナクシテ トオリ イッペンノ ケイザイ発展ヲセズ、人心ゴト ユックリトシテイルモノナリ。車内デウロウロ ナンドモナンドモイッタリキタリシテイル少年ハ バカナノデハナイ。ソレバカリカ タンジュン ナ オナジ行動ヲクリカエシテイル。ソレヲミテイル 乗客モ ナントモナイ。イシカワタクボク ハ セケンヲ知ラズ ジカニ 都心ニデテ 一見クルッタ ヨウナ クラシヲシテハヤジニシタ、トハ コノ観察カラモシルベシ。太宰モ 賢治ノ ハヤジニモ 同根アルナリ。要ハ 野生ノ植物ヲウエル ナニモ手ヲホドコサネバ コノネヅク 前ニシオレテ シヌ。コレ 土 ノ セイ デナク 植生ノ 成分 ナンゼンネンモ似タ古代ノ風雨ニサラサレ ホカノ土 デ ソダタズ。マレニネヅクモノ ドレモ奇形化シ シバラクアトデ ミレバモウ ホカノ植エモノニ オワレアトカタモナシ。
 滋賀トイウ所、琵琶湖ノアル中部ヨリノカンサイノ県。ワレ ココノ 観察セリ。アルオトコ女々、アキラカニ西キョウト ノ エイキョウアリ。ソノ男イワク 荒々シイモノイイ ハ 軽蔑スルト。コノ一件ニテモキョウト風ノ状態ヲサトルベシ。男ニテナヨナヨシ スコシモ胆力ナク 女ニタヨリ 荒々シイモノイイヲ 軽蔑スルモ カンサイベンヲ差別ス。ツマリ コノシガノ モノ キョウトノ 風物シカシラズ、世間マタモセマク アレコレ比ベル習慣ナク オノレノ奇矯ヲサトラズ。オオサカノエイキョウモアリ ワライバナシヲ コノンデスルガ、オオサカノワダイハ ガサツ下品ナノデ ツギツギタヨル女ニ イミキラワレ、ワカラズ。カクシテ キョウトノ 底シレズオチブレル風俗ノワナ シルベシ。
 ワレ一度江戸ッ子ヲ叱リツケシコトアリ。コノトキノ江戸ッ子ノ怯エ方トイエバ相当ノモノデアッタ。モシ関東ニテ生粋ノ江戸ッ子イガイニ同様ノコトスレバ必ズ反撃サル。ワレ静岡ノ小人デスラ問答無用デナヨナヨ男ヲハリトバスノヲミタ。トクニ関東女、コレ女トヨブニハオカシイダケキノ荒サノテイドハナハダシ。知能ノテイド如何ニ カカワリナシ。モシ関東ニテコノ江戸ッ子イガイヲ相手ニ手荒ナコトヲスルト大抵オサエコマル。江戸ッ子トハイエ、生粋ノ江戸ッ子ト流入者デオオキナチガイアリ。生粋ノ江戸ッ子ノミ根性欠ク。ゲイノウジンソノ他ノ東京ノ職業ニテ女優ナドメズラシキ タオヤメ ガモテハヤサレル因果シルベシ。
 トシンニ流入セル性格ノコトナルモノノウチ、コノ関東ノアリサマニ適応デキヌ女々シキモノ必ズホロブ。又偶然カ努力カ適応セルモノ生キ残リユク。コレウタガワシクバ、関東平野ノ植物構成ヲミヨ。ヒトノアリサマコレニヨク似ル。ワレ気弱ナオオサカジンガ東京ニアリテ大王アリノ群レニマギレルアブラムシノ如クサワイデイルノヲ ツメタナ目デナガメタコトアリ。アレハオオサカノ文法ヲ ソノママ モチコンデイタ ユエニ モノスゴク目ダチマクッテ イタウエ、トテモ滑稽ダッタ。モシコノ真理シリタクバ関東デオオサカジン ノ イキノコッタ所ヲイエ。ソレガアレバオオサカジンデハナクナッテイルカ、サモナクバ ヨホド ノ カネガアマッテイテ ヨク カンサイニニゲカエッタトキダケダロウ。オナジク、ワレキョウトノ舞妓ヤ公家ノゴトキモノガ関東ノアチコチ デ淘汰サレルノヲミタ。モシソレガミタクバ、サガシテモ ミツカリヅライ ゲイシャノイバショヲ ミヨ。コノバショニイナオル ノガ イツモノ キョウトノゲスダ。ワレ知ルニ、キョウトノ環境抵抗ニヨル生態異常ナノデ他ノトチデハ ソノ本性ドオリニアツカワレ モノスゴク イミキラワレ、ケガレトサレ又ハタイヘン ナ ヘンジンアツカイ サレヤガテイナクナル。

2010年9月2日

習性の偏り

地域適応は必ずしも先進的に示されるとは限らない。故このばで適い応えた形質は独自さにしか価値ない。
 場所適応が違う性格の生態を多数生じる由は、特に星内多様化の規律による。もし先進的でない地域の場でその形質が特異化され二度と以前の潮流に叶わなくなったとしても、やはり生態的多様さは望ましい複雑化をめざす。一度彼らが生態の内に地域特徴を帯びれば、次第にその種の特殊さはめだつ様になる。場所の誘ないは常にこの地域間合理をめざす。これらをみれば適応のよさは地域特性を強調する程で示され、それをこえない。地球型生物は環境の生き物。無機や有機にせよ周りは適応に偏りをつけるが、それ以外の理由をもたない。
 主観にみいだせる幸福は適応度に属した質的快により、もしこの原則から逸れた生態があれば同じ場所はその生態を余りふやさないだろう。文化の移りは生態適応の範囲問題。すぐれた地域とか文明があれば、主観が習性づけた適応の偏りによるだろう。他に訳もなく、主観への合い方は習性への淘ぎによる。

呪い

俗悪エドNHKがツイッターを搾取しまくる
貧乏人から搾り取った金で
ツイッター特集を組んで国民を貪る
いい加減にきづけよ
もう終ったんだ
だれもテレビなんか見ない
お前らが貪る金の為に死ね

綺麗

綺麗な夕陽は綺麗さの他
自らのどんな未来を探るだろう
その夕陽はあるべき山間に沈み
あるべき姿をとり続ける
とは限らない
万物のおしまいが
全ての行いをしまってしまい
今では何もみえない所で
そのいたいけな理想は
静かに山百合のゆめをみる
しにゆくものの中で唯一つ
かわりなき今を追いつづける
たった一つきりの明かりは
おそらく消え去れば二度と現れない
おちてゆく夕陽の中で

俗悪東京の下衆模様

極道の俗悪東京女
子供連れを通勤ラッシュからひっぺがし
「私は負け犬なんですよ? 迷惑だから降りて!」
発狂した発情気狂い猿
だれも同情しない
僕は腹の底から笑う
この終ったクニでは女は発狂病人ばかり
TSUTAYAの奥でキチガイ変態をばらまき
銭儲け
だれが幸せなんだ
関西からでてきた俗悪神奈川土民
極悪淫蕩小説で犯罪金儲けやっぱり
外道極まる極悪人紫式部をよみあさる
腐敗公家がお前らの先祖だもんな
ひとでなしさは分かる
アイヌ女みたいのが
ロッキンオンジャップ
赤シャツがいたステージで発狂
大勢の観客
なにこの終ってる野蛮集会
消えればいいのに
都心にすみつく汚れゲイシャ
あちこちで化粧が厚い握手会
倭奴のことだから山ほど金を貢ぐ
いつもの醜態けがれキョートごっこか
必死で汗かきオタク漫画家
ゲイジュツごっこで金儲け
僕にはただの俗悪東京の下衆模様に見えるが
その児童ポルノ紛いを首相が崇める
極悪天皇が「よく頑張りましたね」と文化勲章やってる

2010年9月1日

趣味と道具主義

有用さへの注意深さか道具主義は量的快の為の法則。何らかの手段としての快苦は、その道具を択ぶ為にも生まれる。
 人類が物事を手段にするときそれらの使い道は、快苦に原則づけられる基礎条件をつくる。幸福論にみた手段の連鎖、之が何を用いるかに決定的。つまり物事の上にある快苦か観想の快苦はそれらの手段法則次第。結局この観想の目あては道具主義が有用、快楽、幸福の順で展開した功利主義の部分集合でしかないと示す。有用さは幸福の為の道具としての有用。
 理性原理か観想幸福論は、趣味観の一種。鳥のわななきは鳥の主観さに応じてそうな如く、理性人の種内確立はこの幸福観を多少あれうけいれる。趣味主義は観想での幸福論をこの理性的類型とうけとる。質的幸福の程度は、場所の品らしさか品性を決める。例えば動植物がその上位生態に適応するに準じた品性をもつのは趣味主義の本質が場所柄による一例。