2006年11月30日

勉強

万世不出の大天才の名声を幾ら欲しい侭にしようとも、道に限りなき以上飽くまで心骨を削り勉強しないべきではない。健全とは勉強のしやすき体を鍛える工夫にさときを云う。

2006年11月29日

科学

科学は順番に消化していく事。一度に複数の分野に手をつけてはいけない。ひとつずつ片付けるのがもっとも効率よい。

音楽論

わが音楽は構成ではなく、指揮である。

国家

文化的多元性の維促は種的適応行為。なぜなら単一化した世界に対して多様系の可能はより適応的。
 この為に必要なのは国家の保健。連合の形成に伴っても尚、国家はよく象徴として保たれねばならなかったろう。国家は目的ではないが、少なくとも手段として文化の違いを制度としてつける作為に寄与している。

中道

世界史に対して彼らが為し遂げるのは常に、文明建設だった。破格により再批判する対象は計画。資本主義的功利による福祉の充実でしか計画を推進する事はできない。民社主義的修整は実用的でなければならない。中道主義はこのような、実態としての現代文明で啓蒙と福利とを追求するに適当な思想。

2006年11月28日

建築論

再生鋼材の用途やスクラップ&ビルドの伝統は、建築寿命の使い分けの問題だった。簡便性は仮設性。

勉強家

勉強家の若者よりこの地上において幸運な者はない。彼らが成長するに従って益々この仕合わせを感謝するに至る。その学識に則り、凡俗を指導する権威を段々獲得するから。

2006年11月27日

建築論

耐用年数と芸術性の関連。適当な寿命に相応しい様相、用途との隔時代適合。時代は目的ではなく、彼の置かれた利用法。素材・構法・社会的要請は彼の総合する為の道具。築かれるべきは審美理想的象徴。

2006年11月25日

街の音

X'mas街の音

2006年11月24日

行動順位

知能行動に比べて、試行錯誤学習は物事の前半に集中していればいるほどに合理。

勝敗

成功の渦中に浮かれるより失敗に甘んじている方がどれほど居心地よいか悟っている人物は稀である。実際の所、人生肥料の大部分は失敗の間に耕される。だからあなたは悩むべきだ。どれほど長く失敗し続けて行けるのか、を。事実、次々とおのが限界以上へ挑戦しなければ繰り返し敗退するということは絶対あり得ない。巧く負ける事は下手に勝つ事、更に訳なく勝ち続けるより遥かに名誉である。

2006年11月23日

初雪

たのしみな初雪を待つうれしさよ

正邪

あしきもの、人類の良識を踏みにじる悪態。彼らを導きうるのは唯、少数の聖人だけ。衆愚より憎い如何なる対象もない一方、憎悪とは愚者の為にある用語である。

芸術論

芸術家の有能さは、時代潮流に対して与えた批判の大小で測られるもの。
 特別、審美力に優れた傑物ならば、芸術の本質へ踏み入ることで後世の先々へ迄も文化威力をはたらかせる。

文芸

文芸にとり、多かれ少なかれの不幸の述はみな、幸福へ不可欠だった。

理想主義

私は文学なるもの、文芸において次の事を発見した。私は文芸が言葉のあそびであることを知っている、それがゆえに合目的性を満たすのである。そして理想主義によってのみ、文明の崇高は創作しうることなのである。
 私は最初、現実主義を追求していった。有り得る物語を文章の眩惑の中で可能なかぎり、巧みに表現しようと試みた。これはルネサンス芸術一般に言える事ではある。だが君は写生の根本的不可能性に気づく筈だ。そしてあらゆる文章を詩化するまで抽象しても尚、その究極の形式にはどうやら到達しなかった。理想主義は文芸の最終目的である。形而下的生活の仮想であるにせよ、形而上的修辞の耽美にしても、それらの用いる仕方が一点の理想へ導かれているときにのみ、文は崇高な芸術となる。
 私は理想主義という言葉へ文化の終極を観た。専ら、文芸の制作に社会的価値があるとするならば、その文明性による。言葉遣いを一定の時代拘束から外すことで現実とは相異なる世界観を現し世へ表出することこそが、文学の義務なのである。私は創作の中で構想力のかぎりの理想的環境が次々と実現するのを視た。実際のところ、それらは私の精神が創造した理想的にこそ経験しうる新しい世界だった。逆に、現実なるものは今や単なる創作用のたとえに過ぎなくなったのである。私は人生にではなく、文学世界へ生きることで完璧に審美観の究極が充たされるのを感じた。そして如何なる意味合いにおいてすら、身体的に体感すべき生活は第二義的なものとなった。凡そ哺乳類の身体で産まれた人間の、社会環境の絶対不条理さにおいて、この文士的な暮らし方が本来的であるのを覚えてさえいた。
 私の文学は理想主義の確立によって現実世界の上位に立つ次元を獲得した。そして後世の文明はわが理想を模範とし、結果としてよりうつくしく生活するであろう。

2006年11月22日

芸術家

趣味に命を賭して、何事か崇高を探る人。彼らの慈悲。

負債

愚かな人類め。奴らが私へ金を支払わないことでみずから責めを受けているとも知らずに。この負債は死後の名誉によってしか清算できないだろう。高い買い物だ。

2006年11月21日

論理

知能の発達による文明の啓発は永らく人類血統の最終目標だったし、これからも随分そうだろう。彼らの理想性は非人間的ですらなかったか。
 我々が宗教の形勢に沿って中世、追求してきた神格はこの知能に因果する理想性だ。いいかえれば人は文明を破格する様な孤立した求道、つまりは非動物的純化を通じてしか人類進化の筋途を辿りえない。文の問題が迫真するのは理想の破格性において。数字・記号に対して文字が果たす範囲は著しく人間的。話の次元は現実的に過ぎないから。
 文と話とは親類。両者は言葉を以て媒介される。もし話が文より卑しい或いは現実的でしかないならば、その日常伝達性に原因がある。文は反対に、永久性への適度の故に、より理想的とみなされて然り。

知識人分析

人間社会へ上中下の無限差異を生じて機構の効率を計る知能の意義を悟れば、その知徳技、つまり真善美に及ぶ精鋭養育が又、人類時代の究極目的となることも自然なる已。
 文化の粋はあらゆる社会体制の結果に他ならず。経済是一個の豊富化便利なる哉。乃ち、社会一般文明の有閑余裕の増幅は彼らのもたらす功徳である。その無意識内需は文化人種へ貢ぐ関節の奉仕。
 逆説、必然文化人種の個人利益へ淡白なる原因を諭せば、最上等知能実証として地位・金利・名誉を積極自棄する。
 なぜかなら彼らの人類支配を合理化する為。地位は政治、金利は経済、名誉は学術の特性であると。三等の区別は、もっとも単純化すればこの職能的威力に由来するのでないか。

説話

愚衆風紀の経済へ宗教育至極緊要なり。

これを除けばいかなる社会とても安心の余地を入れず。

研究心

物理学的な野心、万有理論への夢。君を科学研究へ誘なう理想。

2006年11月19日

作文論

言語的不確定性の問題を解消する為に温故新規の手法を開発するを得る。
 文化的文脈に忠実な語句を改修すると同時に、微分して止まぬ語彙の幽閑へ親切の地理を述べるがよい。
 歴史到達は上記の手際を巧みにすればするほど強まる。
 非情にも確立の程は則ち感識的でしかない。暦程において趣味の左右は作文にとり二義的。還元すれば、文体趣味如何は教養の格差に帰着する。

2006年11月16日

長袖を着ているひとや風邪のひと

2006年11月15日

自伝

理想に生きる事。

信仰

人類達へ赦しを与えよ。

命の声

望む迄もなく彼らは、地上の子供に過ぎない。目的を持たぬまま愛情を理由に育まれ続ける幾多の新生児。どんな不条理を体験したにせよ、人は彼らに含まれている。そして常に社会改良へ奉仕する運命を以て任じられている。いかなる便宜を執るにせよ君には、参加しなくてはならぬ集合がある。絶望する勿かれ。その組織は文明を内容して絶えず、自律というものを包み込んでいる。どうしてそれが救いではないものだろう。人間は限られており、一歩はみだすこともできない。もしそうすれば狂気の名の元に排除されるのだから。知能はある特定の適応形質を推究していくのである、地球の種。人間性なるもの。我々はなぜ人間でなければならないのかと聴く者があった。そう疑問をするのは宇宙に唯、彼らしかいないにも関わらず。思考形態、君の同一性、そして同類の為に何を施すというのだ。理想へ高められていく己の魂をおもえ。たとえむなしくも虚構であったにせよ、君の思想にしか希望を産み出す原動力はない。だから文字を学び、困難な命題を習い、高尚の真実を解き明かせ。

夕べ

涙雲がそよぐ窓辺で鶴が宙に舞って泳ぐのを視る
旅先の店で渡された音楽が静かな夕べに鳴り響くのを知る
月の輪がどんどん広がって暗闇を侵してしまう
水中に流れる鮎の尾びれがはしゃいだ瞬間大気の彼方で繋がった虹が解けた
次第に歩き出す沢山の旅人の誰かが観た夜空には星が瞬く
等倍に分割され続ける物体が示す瞬間は二度と帰らない
岩場で住まう蟹の親子が志願した先々は現代であった
スコールで満たされた草原を走る一線の神風

2006年11月14日

Memo

Homelessの救済しかた。

平家

祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり。裟羅双樹しゃらそうじゅの花の色、盛者必衰じょうじゃひっすいことわりをあらわす。おごれる者久しからず、只春の夜の夢の如し。たけき者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

人生の不可逆さ

一個の人生は取り返しの効かない水彩画の様なものだ。よく手順をかえりみずはやまれば余計な染みをも垂らしてしまう。
 尤も、型に嵌らぬ人間性はその余分の品にもよる。

道徳性の相対主義

人間が種内的な生き物である限り、つまり地球生態系に属する進化の筋書きである以上その最高の徳度もまた、種内環境への適応力に属する事柄な筈だ。
 仲間の為に殉死することや国家への献身といった構造主義的な行為がしばし礼賛されるのは、上記の理由にそのまま基づく。
 集団と個人を時代にとり最良に調和させる倫が道徳と呼ばれる共有概念ではないのか。
 自律精神の目的性を至上と視たカントに対して、私は道徳性の相対主義を持ち込まざるをえない。それが近代の倫理的世界を瓦解させる認識だとしても、更なる高みを目指す行人の歩みは止められるものではないだろう。

2006年11月13日

音楽論

音楽芸術は都市環境の最適な背景音となることでその使命を全うするだろう。

充実

人生を理想に捧げよ。

ゆっくりと光が舞ってきて、赤く染まった山の端を均一ならないにじみで充たす。夜の奥から聞こえる静かな声がやさしい人達の足跡を鈍らせてしまう。
 秋野原になびく幾重もの雲の一枚に乱れて懐かしい空が散りゆく刹那、君が代もまた杞憂の風犠に溶け、流れ去る。くるくると舞って大気のうちにその標識をあらわす落ち葉。更々になくも桜の情け。人々の喩えにも似て藤の原。咲く先々では果てり、誇り、忍ぶ。調度の向こうへくぐもる笑い声。綿毛を蒔いて花びらの夢中を知るたんぽぽの魔法に掛る。次第に明ける朝方のまで柳の渚を伐る未来。いずれさすらい、知らぬまでもなき由を聡る。そうして行く。

2006年11月12日

物理学

不可視性、センサーの仕組み。磁波と世界。

2006年11月11日

告白

私たちは神格を実在化してはならない。それは飽くまで超越論的仮象なのである。

理性

歴史との格闘に終わりはない。可能なかぎり現世を軽視せよ。それは有限であるから。
 栄誉の他にいかなる褒美もなし。若いうちに老いるべし。老いてなお若くある為には。
 徳は飽くまでも身を護る。長寿であるのは道徳性の傑出に等しい。なぜなら理性は我々種内にとっての理性であるから。

志を供にせざれば相友に図らず。だが、もし君が抜群の傑物だったら。

2006年11月10日

クリスマスの夜

麻美はその事を知らなかった。だからもし訊かれたとしても直ぐには応えられなかったろう。ひろは黙ったままだった。店内を照らす淡い暖色の間接光が二人の顔の造作を明確にしていた。グラスの中で氷が動く。からん、という効果音と同時に麻美は、できる限り率直にそう言ってみた。ふるえる声は少なからず上擦っていたが、あたりを包む空間はただ、虚ろさの深度を増しただけだった。一拍子をとり、目の前の真紅のワインに唇を触れてからひろはそれを聞くと、少し驚いた風だった。瞬間を置き、眉を微妙にうごかして返す。私は云う。待ってましたというばかりにひろは不快の表情を浮かべる。もう圧し黙るしかない。何一つことばには出さないけれども目にはみえない視覚線を通じてある感じが伝わる。私は遂に声を荒げた。口先のとがるのが分かる。彼から視れば、ごく醜い仕草だろう。彼は真っ赤になっている。隣のとなりの席に座っていたカップルがひそひそとこちらを指して笑いあった。ひろは懇願している。そしてもう一度、テーブルの下の足を浅いヒールで軽く、踏んでやる。苦笑いしながらひろは応えた。顔をのぞかせた仔猫がにゃあと鳴いた。

文芸論

知明の散種は文化的に経営されねばならない。知的所有権の主張は搾取の為にではなく、福祉の為に必要。究極の慈善は寄付よりもっと啓蒙であるのみ。あらゆる権威の市民化が文化の目的でなければならない。どの母語観念を用いて哲学を為すべきかは以上でよく説明される。乃ち、思想は文化間貿易において、初めて存在する。だから君は最も得意な語系で実用に為せ。哲学的思索により伝承速度差に従って語族を育む理由は共栄でしかない。だが恐らく又、文芸がこの文明格差を拡充するよう働くのがみられる。いいかえれば哲学に対して文芸は自律する。逆も然り。民情の慰撫養成は、敵へ塩を贈るような義功に対して保護的に役立つに過ぎない。
 語義案配は、まず哲学探求の同時代に常駐する世界言語への翻訳最適化文章にて為すべきで、つぎに文芸制作の文化の微妙差異細心へ向けた養いがいる。両方の文は知明散種の便利について互恵する。

2006年11月9日

美術論

自然美を強調する為には自然色彩をむやみに用いる必然はない訳である。寧ろ、対比と同化との微妙に関する適切な選択が、綺麗や崇高の情感を喚び醒ます。絵画・彫刻・建築としての空間造形の極意は、作為の環境適合にある。

公園の素描

星屑が墜ちる夕暮れどきに、子はてくてくかわべりを歩いた。いくつもの星の点が散れた。夜の背景にはネオンサインが元気にまたたく。 公園の遊具がくるくる回転している。まるで神がもてあそんでいるみたいに。事実そうですね。風の色がこの上ない薄青に染まって、感情を揺らす。大きなものがなだらかな軌道をすべってするっ、と暗黒へ沈んだ。魔法かなとかんがえた。しかし、気のせいだろう。ゆみは歩みを進める。犬の目線。どうして公平さを信奉しない。わたくしどもは飼い主へ忠義なわけなのに。街灯から視ると。あるけアルケー。川魚から看ると。やばいな。ゆみはぶいぶいいわせて走り出す。犬は呆れて笑った。ばうはうす。超人が飛び込んできて舞台を惑わす。やめれヤメレ。あほどもアホども。ぼくが救う地上だよ。太陽のレビュー。やめとけ。つまらん。散歩が導く趣味生活が楽ちんぷんかんぷんである。へいへいへいぶいぶい。夏休みの夕陽が秋の夕暮れに重なってくなくるなあ。どちらもおなじ幸せなオレンジなのであった。おかし。はゆしまばゆし味気なし、やばし。吐息白帰宅記、川の流れの様につらつら好し。

文体

鮮やかな半島に穏やかな太陽が照り返す頃、少年は海を眺める。山奥から響いてくる文化の音が耳元に春日の彩りを添える。運び続けられる空模様には幾重もにたなびく八千代雲。花びらが散り、少年の目の前を満たした。それから彼が大人になった。どこへ去る船か、飛鳥を連れて流れてく。もうかつてのように胸を震わせることもない砂浜の小さな湖に、子どもが遊んで舞う。君はそこに何の真を視たのだ、繰り返される命の営みのかなしみを。それとも失われていった夢の欠片を。海の向こうからまれびと来たりて、新しきもの、不吉なもの、なべてのものをもたらしてくれる。だが、そんな風景にもいつか終わりが来る。老人は月の沈む明け方の地平線へ自らの骨を投げた。波は弓なりの曲線を打ち寄せて時の渦を描いた。深々と降る細雪が墓碑に積もった。

引用

――流れの中で、我々は今どの波にいるかは大きな疑問です。アイゼンマンが言うには、まだ500年前に始まったルネッサンスの波の中にいる。そして一気に次の波へ越えてくれる天才を待っているんです。みんな電子メディアの新しい技術に期待しているけれども、本当にそれで変わるだろうか。私はそれに一番興味があります。――

福祉

君がなぜ生きているのかを問え。ただ福祉の為に。

2006年11月8日

環境倫理学

無駄の制度差を批判せぬかぎり、環境に対するいかなる寄付もない。ネオン街がidling stopより浪費でない証明を為せ。彼らは自然を搾取するが、同時にその為に恵与もする。試しにみよ森林伐採と菜園趣味を両手に持つ生物を。もし資本主義に疑念するなら、彼らの自然愛玩は偽善。制度化された環境破壊は我々の社会的必然から生じた以上、正義といわれる。
 寧ろ次のように考えよ。自然の回復は資本の福利からのみ制度化される、と。なぜなら我々生物自身が地球に適応しない行為はありえない。理性は昇華された本能に過ぎない。
 君が少しく理性的ならば、資本主義の論理を公共福祉の大義還流へ調整的に繋げねばならず、その為には文明化の他にどんな方途もない。配分をではなく、是政主義的調整を向け換えることに現代論議の核心はあるだろう。なぜなら資本の発展は経済的合理。たとえば夢中夜間に瞬くネオン宣伝術を自主抑制するより先に、広告環境税を徴収するがよい。交差点の待機を彼らへ停止させる努力より先ず、高速道路税から交通網を整形し治し人車分離し停止回数を失くすがいい。
 公衆世論間に、制度化された無駄の差分を調整する趣旨の議題を提案せよ。

認識論

人類の種が一つであるならばミトコンドリア・イヴ、人種とは風土適応解か。地球遊民において人類はしばし参照されるべき文脈にすぎない。文脈の破格は常に進化だろう。出身は民族的性行のしるしであり、そうしてある時代までの個性に彩りを添える自然からの工風だった。
 文語の領域で先ずこの全人的覚醒が謀られたのは文明の必勢だった。彼らを絶えず再生するものは古典。労働奴隷ならぬ自律文民の認識から市民化は始まる。

夕陽ヶ丘

月の輪が世界を囲む夕べに舞う風に乗る雲。落ち葉が飛んでいく景色のどこかに、彼らは歩いている。午後の陽気の名残りはまだアスファルトに蓄えられて、薄い上衣だけを重ねて歩く人にも心地よい。いなか町には物語るべき事件もない。或いはそれも真実かも知れない。彼らはなんの変迭もない行人にすぎない。大都会が絶え間なく供給する情報群。そこから随分と離れた所で、森からたちのぼる霞がかる空。彼らの会話はもうすぐ暮れる一日よりもずっと、儚い。だが、誰もそれを責めはしまい。芒野がふわふわ揺れる風景のすき間に消える影ぼうし。わんわんばうわう言う犬の鳴き声だけが向こうから聞こえてた。物語はない。小説でもないちょっとした生活。

文芸論

技法の高度な到達をのみ至上の段階へと積み重ねるべき。作品の長短はこの段階格に値する理念の文章的な組み合わせにすぎない。単一の段階であれ、多数のそれの複合であれ。

2006年11月7日

私徳

女子の貞操、男子の高潔といった社会人格として最低限度の倫理的基礎すらその身みずからに着けられなかった人物は、虚栄におごろうと反社会的である外ない。

母語の雑食性

日本語の雑食慣習は母語を高度化した。

礼儀

相手の倫理が己と異なる程、尚更丁寧な言葉遣いで接する可だったろう。

起源

自ら然りして発露し、地表をすべる人模様。神奈月かんなづきの流れるになびく無性ムショウの清花よ。形見を為して、柳にしだる。輝々として雪崩なだりゆく満開の桜桃歌にまだらの王子が写る。
 さりとて信ずるでもない。暫くすれば旭の礼頭温と共に枕の琴音がしげる。庭鳥テイチョウが吠う。山端やまのはに乱るくれない音符のうとよ。昇華されし品詞が舞う様言の葉の秋に酔う迄不忍しのばずや。
 滝川の流々と詣でるしがらみに揺れて雲雀ひばりがわなゝく白天に我。待つ宛とて知らず、目当てとてなき玉鬘。夢現ゆめうつつに惑い孵り照る空色の悠尋。唐笠を挿して這う人時雨ひとしぐれに紛れ、往時猶今わん。去ればかなしき哉。かなし。
 心地の侭にすら風に消ゆべき藍の岸。うをの群、自動車のともしび情仁なさけびとらのいとしき囁き。拡がり行く大気へ不知火しらぬいの矢を射ぬく花火へ。薄紫、血潮、青碧、白金、黄土、濃紺。はかなけり。やゝもすれば船になる。あそびに仕舞う雲になる。文に想えば色になる已徒然し。省みる亜細亜の旅人たびと

2006年11月6日

文芸論

品格とは文鋒の適度な抑制である。

芸術

凡そ芸術家に求められているのは風流の追求だけだろう。かの審美眼の極度に於て、活躍行為の影響は時代と場所とを超え、神格へ達する。

教授

哲学を教授することはできない。講義の場合によっては啓蒙し、思索を奨励できるだけだ。大学の自由は研究用の閑暇を社会的合理化により育む便宜を有する。

学問と芸術の差異

天才は学歴ではない。ある創造的構想を果たす技能は、科学的学習知性やその成果とは別の才能である他ない。彼らの天分は知性と徳性とを何らかの想像力上の奇跡によって媒介する様な才。よって、知性の為の学習、科学の勉強とか、或いは徳性の修養、思索の慣習とか、そういう活発は芸術家にとって副次的なものにすぎない。
 彼らが先ず第一に鍛錬するのは構想術の精通。美術分野に応じて微妙に重なり合いながらも異化しあう様な、技術上の趣味判断に多彩系がある訳だ。正解不正解ではなく、飽くまでも審美的感性の範畴に於いて。これは造型が一定の人間原理的な基盤に築かれる以上必ずしも世界史に孤立して点在するものではなく、参照という審美価値で過去の作風をまねぶことは彼らの屡々試みる修業だったし、これからも随分とそうだろう。いわゆる体系だった学問的なものは、作品の残存しその鑑賞に影響を与える時代に対する最低限度の教養として制作の端々で彼らの選択を自己批判する際に役に立つのみ。
 科学や哲学は芸術にとり必須ではない。それは基礎づけの知能程度に格差を設けるだけ。よって、芸術は学歴に依らない。
 又「私には天才がない」という論理は破綻している。美術芸術とは趣味判断の多様系の総称であって、天才とは個性の別称。だからそもそも芸術美術に教育は不可能で、いついかなる場合、誰にとっても唯、意見が出来うるだけだ。結局、構想洗練の相違による芸術の実現は、彼らの環境風情に対する愛玩の仕方を左右するだけ。つまり、芸術とは定型の文化的な美意識を意味内容する。それは様式。もし豚と人とに芸術家としてのちがいがあるなら、彼らの生活する様式だけなのだから。

2006年11月5日

芸術論

芸術の目的は環境優化にある。美とは価値観擁藍によって造型生産を合理へ淘汰する為に用いる概念已。高尚の趣味は最終目的ではなく常に、普遍的判断へ至るべく組まれた仮設。

若者

猶予が与えられる理由は、成熟までの高度の修養に期待があるからに他ならない。

外側の物語

扉が開くと世界があった。波の音が大地をそそぎ、未開の場から流れる血が生成する生命群を洗い祓う。
 僕は無限の地平を観た。光蔭が矢になり大気を貫くのを視た。神だけが現であった。誰もその計画に関与できない。有るのは実行されていく遊びだけだ。僕は唯、黙ってそれを見ていた。
 死が地表を覆う頃、彼らは何を想うのだろう。子孫もなく、光もなく、膨張し続けるだけの大宇を前にどんな夢をいだくのだろう。
 彼らは何の為に育まれたのかも、何の為に散り逝くのかも知れず、ちょうど果かない羽虫のように希望に向けて飛び発ち、直ぐに時代の隙間へ墜ちていく。
 それでも彼らは種をまもる為に愛を交易し、繁殖する。文明は拡充し、降伏する。総ての文章は織られると同時に破られる。
 僕は世界を隈なく探険した後、ゆっくりと扉を閉める。そうすればもう、何も始まりはしない。
 僕は外で暮らそう。そこには命はないにせよ。

2006年11月3日

軽い小説

一条の光が射す宵の都会にいる。月明かりだ。地上にはどこへともなく流れる自動車のヘッドライトが赤青黄、色とりどりの点々を抽出している。
 老若男女が入り乱れる風景のどこかに、君は紛れ込んでいる。ゆっくり推移していく時代はやがて、命を飲み込んでしまう。
 君は延々と列なる人波を眺めている。個性にはそれぞれの物語がある。そして語られざる想いを秘めて亡くなってしまうだろう。どんな予告もなく。

科学的転回

科学原理思想は不確定。それは地球文化構造惑溺の潮流に過ぎない。しかしその否定論拠がない限り、scienceは専ら地球人類建築の基礎であり続ける他ない。だが我々の最終目的が科学には無いことは明らかだ。科学は人類知能の探索遊戯であって、それ以上の定義にない。ならば、かような児戯の先に生成を導く思想形質が天才に由りいずれ産み出されることは想像に難くない。現代世界はこの為の準備舞台であると考えられる。なぜなら種内競戯を無期限に延長させる言い訳は単に、進化を誘発する為の環境創作で暇つぶしする待ち時間、という予備考案已だろう。文明は舞台制作に喩えられる。機械という俳優を立派にしつらえる為の。

2006年11月2日

知識層

福沢『痩我慢の説』に「富貴こそ、その名を虚しうする媒介なり」と。文士へも同然。

美術論

現在世界美術館長としてのAmericanの文脈から自己およびその作風が如何に審美市場価値に能うか、を狡智に援用言論定義しない限り、決して美術史上で主要な役回りを果たし得ない事情にも関わらず、美術は感性批判であり、学問でない。従って各土contextを抜きにどんな美醜の別もない。

現実

落ち葉を踏んで歩む足跡は軽い。綺麗な夕焼けが紅葉の層間を透けて射し込む。池を回遊活歩するうちに、後ろをいつのまにか着いてくる子猫がある。やからは岩間を這ってぴょこんぴょこん跳ぶのだが、仕舞に草むらへ墜ちそうになる。可哀想な奴に違いない。なんの因果で私に着いて来るのか。
 池の表面をぽちゃんぽちゃんと鳴らす環境音が一人と一匹の隙をく。途端に秋雨。世界はずぶ濡れに染められる。パーゴラの下に急いで避難する。猫もちゃっかり着いて来た。
「災難だね」
「全く」と、私は言う。
「これからどうするつもり?」と猫が聞く。
「別に」
「じゃあちょっと着いてきて」
 雨上がりの水上にはちいさな虹が架る。午後の講義終わりの私にはなんの予定もない。仕方ない。行こうか。
「いいところがあるんだ」
 獣路けものみちを抜けていくと、武道場の脇にあるちょっとした見晴らしの点に出た。
「ここ?」
「そう。ここ」と猫が頷く。
 人工芝のサッカーグラウンドが見渡せる。
通り雨にも構わずフィールドを駆け巡る22人のプレイヤー達。
「懐かしいな」
「なんで? 昔サッカーでもやってたの」と、私は聴いてみる。馬鹿らしい。なぜ猫がスポーツなぞを、と知りながら。
「うん。実はU-20の日本代表候補に上がったこともある」
だが、不意の事故による脊椎の損傷でメンバーから外されたのだ、と猫は云う。
「話せば長くなるけど」と、猫はちょっとため息をつく。
「ボクにも美しい青春はあった」
 沈黙。ホイッスルが鳴って、試合は決まった。勝った方の赤い服のチームは互いに抱き合って、一時の歓びを分かち合う。負け組はうなだれてる。灰色のユニフォームはぐっしょりぬれて重たそうだ。
 しかし、グレーの方の背の高くないキーパーが相手方の一人と握手をしたときに肩を叩き、なにか呟いた。
 すると猫が言った。
「ボクはあの選手の家で飼われてる」
へえ、と私は言う。そうなんだ。
「彼はとても優秀だ。だけど背が産まれつき低い。仕方ないね。きっとあれ以上、高いレベルには到達できないだろう」
 緑の地の上に赤と灰の混ざりあった点々が整列し、挨拶をして日が暮れた。
 私と猫はそのあと暫くあれやこれやの無駄話しをして時間を潰した。猫の好物は煮干しらしい。どうでもいいことだけれど。
 スタンドに灯りがともる。独りの選手がボールをリフティングしながら出てくる。
 居残り練習は続けられる。
「ああやっていつも変わらず努力しているのさ。もうみんなは帰っちゃったのにね」
「努力は報われるのよ」と、私は言う。
「果たしてそうかな。彼は丁度昔の僕みたいに日本代表になりたいんだよ。あの背では一生がんばっても無理さ。自分でも気づいてる」
「じゃあ、なんでああやって懸命にトレーニングしてると思う?」
「趣味さ」
シュミ、と私は不思議の表情をして、もうとっぷりと更けた闇にきらりと輝く猫の眼をみる。
「趣味。所詮、プロにはなれないんだもの」
そして社会のうすら寒い体制に組み込まれて慣れていく。定めだ、と猫は飽くまで冷静だ。
 サッカーボールが影を映さないよう四方から等角に投影される照明を受けてきらめく。
「夢中だ。教養小説の主人公の様だ」と、猫がけたけた笑った。
 それから猫は欠伸あくびをすると、さっさと夜の水戸へ消えてしまった。

必ずしも行動性に因る事なく、先覚を延べる恰好の筋を選び給え。貴方が近代人である限り息抜きは仕事の全てではないのだから。

2006年11月1日

回転

砂浜に寄せては返す波の音が、白くて細かい足下の素材に色んな模様を描いては変える。はしゃぐ女達は若い。肌を太陽からの放射に輝かせてUVカットしながら水しぶきを揚げて、きゃーきゃー嘆く。線の太くない水着は彼女らのはち切れるばかりに眩い体をきゅっと、締め付ける。ぴちぴちと水滴を撥ねるやわらかな肉からは、シャネルナンバーファイブにも似たマリリン臭がする、気がするが、気のせいだろう。ポップアートはない。空は薄い青。海岸線には殆ど人影がない。やかましい騒ぎ声の他には、自然の穏やかな営みをけがすどんな要素もなさそうだ。
 しかし、少しずつ何かが変化し出す。地球は回転し続けているからだ。
 女達の中の一人はいつの間にか、東京ディズニーランドに沢山居るみたいな、クマのぷーさん風味のキッチュなぬいぐるみを被っている。このくそ暑いのに! そうかと思えば沖の方から大きなサメがやってくる。映画ジョーズのテーマが背景で秘かに流される。
 不吉なムードに気がついた女のひとりが友人に危険を知らせる間もなく、巨大な姿態が海面に……と、じつは鮫の背鰭せびれみたく見えたのは只の張りぼてでした。表れたのは「もじゃもじゃした変なやつ」だった。なんだこれは。女達とぬいぐるみは、ぽんぽんもじゃもじゃを叩いて面白がっている。永久平和のために。赤く萌えた太陽はにこにこ笑って、みんなのお遊戯ダンスを眺めていた。溢れる涙は既に、遠い未来の物語へ溶けて、静かに渇いて消えてしまったのだ。
 夜になり、朝が来る。海岸線は様々にかたちを替えながら地球温暖化の影響を敏感に受け止める。
 空ゆくカモメの一羽が急降下してる。あれはジョナサンだ!
「エビのチリソース煮とライス・サラダ・スープのセットですね。かしこまりましたー」
店員は奥のほうに帰って、えびちりいっちょーとかなんとか叫ぶ。
「懐かしいね」
と、女が言う。
 そうだね。記憶に違いが左程はなければ、昔、僕らはあの白銀の浜辺で濱崎あゆみのメモリーズを元気よく歌ったものだ。
「あれから随分、時間が経つ。いまでは二人はよっぽど年老いてしまった」
「けれど、あの頃よりずっと幸せだわ」
「或いは」
すると、カーット、の声が掛って、演技は一時中断する。ダメだめーっ。そんな臭いセリフがリアルに聞こえるわけないだろ? もっと自然に。小説じゃないんだから、いい? チャンスはもう一度だけだよ。
 さあいくよ。リスタート
「あの日のきみはほんとにきれいダッタね……」
こらこらーっまたダメ。ほーら、なんにもわかっちゃいない……。だからお前みたいな三流役者は仕事とおまんまに今日だってありつけないんだよっ、ナメるなっ。バンッ。監督っそれ以上やめて。
 もうお願いだから彼をイジメないで……おねがい。なんだあ? お前、単なるグラビアアイドルの分際でカントク様に逆らう気かあ~いいご身分だな、おい。あ? なんだ、その表情は。ははーん、さてはおまえら出来てるなあ? おい。AD、こいつらダメだ。降板させろ! 直ぐこーばんだっ。カントク。ボクも反対です。素晴らしい演技だったじゃないですか……まるで俗物作家の鼻がひん曲がりそうにへたっぴな会話シーンみたいな光景でした! 是非ともこのまま続けて下さい。お願いします! うるうる。だーめだこりゃっカメラ。引き揚げーっ
 ぱおーん、とわななく象の一匹は自分がどこから流れて来たのか知らない。灯台が遥かに照らす行き先には、一体、何があるのだろう? 象は大きな瞳をしぱしぱ瞬かせて見る、象にもまぶたがあるならば、ずんずん町を、人々の愛しい生活を無関心に踏み潰して進め! 象。ゴジライク。その歩みを誤つどんなお邪魔虫もあり得ない。天をゆっくりとながれる雲は、龍の尻尾をちゃっかり突き出している。なんて奇跡!
 象はやがて辿り着く地上のはてへ。そこから轟轟とアトランティックオーシャンの大水おおみずが滴り落ち、遠く真っ白のここは想像上の世界だ。果てはなにを想うか象? それでも地球はまわる。