2006年11月10日

クリスマスの夜

麻美はその事を知らなかった。だからもし訊かれたとしても直ぐには応えられなかったろう。ひろは黙ったままだった。店内を照らす淡い暖色の間接光が二人の顔の造作を明確にしていた。グラスの中で氷が動く。からん、という効果音と同時に麻美は、できる限り率直にそう言ってみた。ふるえる声は少なからず上擦っていたが、あたりを包む空間はただ、虚ろさの深度を増しただけだった。一拍子をとり、目の前の真紅のワインに唇を触れてからひろはそれを聞くと、少し驚いた風だった。瞬間を置き、眉を微妙にうごかして返す。私は云う。待ってましたというばかりにひろは不快の表情を浮かべる。もう圧し黙るしかない。何一つことばには出さないけれども目にはみえない視覚線を通じてある感じが伝わる。私は遂に声を荒げた。口先のとがるのが分かる。彼から視れば、ごく醜い仕草だろう。彼は真っ赤になっている。隣のとなりの席に座っていたカップルがひそひそとこちらを指して笑いあった。ひろは懇願している。そしてもう一度、テーブルの下の足を浅いヒールで軽く、踏んでやる。苦笑いしながらひろは応えた。顔をのぞかせた仔猫がにゃあと鳴いた。