高齢者らの嚥下機能と嚙む力の低下にあわせて、切り餅は5円玉くらいのサイズで円形の商品を開発し、売った方がよい。これを「五円餅」にかけて「ご縁もち(御縁餅、御縁持ち)」と名づける。因みに誤嚥ともかぶっているが、誤嚥防止が目的である。
2024年12月27日
2024年12月19日
2024年11月12日
2024年8月12日
2024年4月25日
子供搾取からの救出の為の任天堂打倒論
特に貧しい家の子供が任天堂のせいで差別されるし、完全に人類をダメにした会社の第一分類に入る。ない方がいいのは間違いないと思う。
金が儲かるからといって、子供を下らない娯楽でダメにして良いとは全然思えない。実際ろくでもないゲームで洗脳された京都は日本ごと亡ぼしてるし自業自得と思う。
ちなみにファミコンから色々やってきて、なおもそう思うのだから、本当にろくでもない下らない、ない方がいい会社という事なんだろう。京アニもそう感じたけど、任天堂も大概の気がする。なぜそんなに子供を大抵ダメにするだけの下らない娯楽を褒めちぎる衆愚が威張るのかと言えば連中も下種だからだ。
僕が色々やった中で一番嫌いなのがスーパーマリオ3だ。今もあの海中の音楽とか思い出すとイライラするし。まぁ小学生の頃だったから普通にやってたけども。僕は宮本茂のゲームは子供騙しで下らないと大人になって悟った。アクションゲーム自体が、下らない反射神経の遊びにすぎない。チンパンジー向け。もしプラトンが生きていたら、講義で真っ先に任天堂追放を唱えたと思う。そしてそれは子供を退廃から救うという意味で、大正論の気がする。大人に挨拶もできず、ずっとスイッチを見つめて友達と外で遊んだりもしない今の子供は完全に終わってる様にしか見えない。任天堂が全て悪い。悪の会社だと言える。
特にろくでもなかったのはスーファミ時代で、カセットのソフト1つが1万以上2万円近くした。馬鹿げた価格だったし、マシリトもキレてたが完全にぼったくりで、子供を騙して親からふんだくっていた。ソニーのおかげだ、ソフトの価格破壊が起きたのは。FF 7もスクエアもいじめられたし任天堂はヤクザだ。
はっきりいって、任天堂を良心的企業と思い込んでる新入りは、完全にゲーム素人に違いないと確信できる。ずーっと前からヤクザと本当に思われていたし、それはゲーム供給側の独占的地位を使って、法外な価格設定でおもちゃ屋をいじめながら子供を騙してボロ儲けしてきたと皆表も裏も知っているからだ。僕は子供の頃、姉が買って貰ったファミコンから最近姪っ子がやってるスイッチまで殆どの任天堂コンシューマー機は乗り継いできて、特に小学生時代はファミ通やVジャンプすら凡そ全部読んでいたけども、一度も任天堂が良識派と思えた事はなかった。独占企業にすぎない。しかも態度が悪い。特に開発側へ。
ソニーが久夛良木健氏とゲーム機に参入してなかったら宮本茂一派はもっと威張り散らして、価格だって無闇に上がっていて、買って貰えない子供はもっといじめられていたに違いない。前から任天堂は本当に酷い会社だ。バーチャルボーイすらもってた僕からしてもだ。サードパーティしかソフトでは有能じゃない。ゼルダを神あつかいする人らは夢を見る島ゲームボーイ版のどろぼーネタで傷ついたり、64時のオカリナを本当にファミ通満点みながら嘘だろーと思ってやったらハイラル平原へ初めて出る瞬間には当時大納得したりしたのだろうか? 多分してない気がする。どうせスプラトゥーン世代が何にも知らんで過剰評価。
まぁとにかく、任天堂はヤクザだという事はおもちゃ屋界でもサードパーティ側でも基本常識だったという事を自分は長らく観察してきて、PSが革新起こした瞬間に野中君ちでリッジレーサー1やりつついあわせていたし、今もスティームがそうしてるのをみてるけど。褒める意味わからん。言ってみれば、任天堂のゲーム界ポジションはマイクロソフトみたいなもんだろう。独占禁止法に抵触しないのが意味わからんという状況でひたすら調子乗ってライバルをいびり、PS派をいじめ今に至る。最近はIP稼業に手を出し安倍晋三とつるんでマリオぶって五輪招致とか物凄く印象が悪い。もう僕は嫌いだ。
確かに家庭向けコンシューマー機を普及させはしたが、それは同時に日本人の子供を凡そ根こそぎダメにしたともいえる。任天堂さえなければ、日本国は今ほど没落してなかったかもしれない。ゲームばっかやって少しも気概がないゴミだらけになったなんて全て京都勢が悪いのだ。所詮は博徒の花札メーカー。京都新聞が任天堂をいびられると発狂してるのは、税収が傾くから、或いは外聞がいい会社だと思い込んでるに違いない。でも僕みたく自分でゲーム作る側ですら冷静にみて、前から独占的地位でろくでもないと考え、任天堂を倒すのを大義にしてきている。基本、ゲーム開発が正攻法でゲーム批判が奇道だろう。
僕は心の友のみきさんにいわれた。親にDS買ってもらえなかったから、友達にいじめられたのだと。だから自分は任天堂を倒す義務がある。それは正義のためなのでやむをえない。子供を家庭の貧富で差別させる様な商売はなるだけ早く廃れさせる必要がある。任天堂が子供をダメにしてきているのは間違いない。
自分は荒野行動や原神にはとても注目していたし荒野に限っては相当やりこんだ。どちらも中国勢が非任天堂系の環境で任天堂に勝った瞬間で、任天堂機経済圏に摂り込まれもしなかったので歓喜だった。やっと日本市場でもソニー以外の猛者が現れた。セガはサターンは良かったのにドリームキャストが残念だった。
任天堂信者は、良識派にとって完全に天敵とみていい。これがゲーム史を振り返っての偽らざる真実と思う。特に希望が大きいのは中国勢だ。実際やっての感想は独特の雑さもあるが、任天堂系よりずっと現代的で子供に害が少ない気がする。おそらく中共の教育的年齢制限があるせいだ。中国勢は今や頼もしい。
ソニーだけでは任天堂の牙城を完全に攻略しきるのは難しかった。信者を駆逐するには、やはり中国企業級の開発規模と才能の集積が必要だった様子がある。欧米市場の様子でも、Xbox が健闘しているので意外な伏兵で任天堂勢は不利な戦いをさせられている。海外市場を奪えば、少子化で最後の国内決戦だ。宮本茂の余命も長くはない。宮本頼りの面がある任天堂国内市場占有率や需要を、競合商品や奉仕で一つずつ着実に奪っていくのが重要に思う。少子化もこの際使える。グリー、DeNA、サイバーエージェントらの貢献もあった。だが決定打ではない。常に敵の動向を確実に掴み、子供を任天堂の搾取から救出せよ。
2024年1月17日
2023年3月6日
人間性あるいは生活様式からくる求めの違い
需給は或る集団の生活様式を示し、下卑た集団たる東京人達の間では主に下衆しか栄えられないしくみがある。ゆえ尊い人はすぐにでも都内を離れ、尊い求めがある集団に身を移さねばならない。
2023年3月4日
茨城投資界の対日復讐劇
2023年2月27日
ひろゆき惨敗
ひろゆきがまたも経済学の無力さらす MMT派を馬鹿と決めつければ無傷で勝てると思いきや 積極財政派が群れて出てきて大敗北
「インフレはコントロール出来る」とか言ってるMMT派の人は、アメリカがインフレを抑える方法を具体的には言えない。
ドル札をいくらを刷って、どうやって配ると、インフレが何%下がるのかな?
「難しいことはわからないけどお札刷ればいい」という答えが不十分だとわからない頭の弱い人達。
――ひろゆき
MMT派は(それを)否定していますが、リフレ派や主流派経済学の金融引き締めをやれば、インフレは止められます。あとは、金融引き締めの程度の問題です。
――池戸万作
「インフレを止められます」とか、無根拠に言う頭の弱い人の例↑
何の金利をどれだけ上げて、どういった金融引き締めをすると、アメリカのインフレが止められるのか、具体的に書けないんですよね。
――ひろゆきそんなことは、その時の経済状況によります。めちゃめちゃ金利を引き上げれば、インフレは止められます。しかし、景気は相当悪化してしまいます。そのハンドリングを取るのが中央銀行の役割です。
――池戸万作
>何の金利
政策金利ですけど。アメリカの市中銀行がFRBからお金を借りる時の金利です。アメリカの政策金利の推移に関しては、下記のページをご参照下さい。なお、今私が言っていることは主流派経済学の話であって、MMTとは異なります。
https://www.gaitame.com/markets/seisakukinri/newyork.html
――池戸万作
(ひろゆきは)インフレを止められるとか止められないとか無根拠にいう具体例のない、他人の頭の強弱を気にする人の例。しかも根拠主義なのにただの具体例を求めているという情けない自己矛盾ぶり。一体どの具体例で根拠主義上の論証するつもりだろうw 経済現象が個別例で確証できない事を知らない唯の無学な煽り。
――鈴木雄介
中央大の教授どころか同大院卒経済アナリストに「政府支出すればGDPは増えます なぜなら算出式の一部だからです」と一発で学術論破されるイェールの助教ガチでザル能力 口だけ知識人面の偽物
ケルトンらMMT派を仮のやり玉に結局はたまにしか日本へ帰ってこない自分の外貨預金高を相対的に高く保つ為わざわざ米ドルを標的にする用意周到かつ卑怯な無法者こと 数十億円超の賠償金すら日本国内へ払ってない無法者ひろゆき 池戸万作愛国将軍をからかってMMT派と誤認させる二重の卑怯ぶりで逃亡中
2023年2月24日
2023年2月23日
マルクスが『資本論』でいう資本家による労働者からの「搾取」は資本主義社会に現実的事実として存在するか?
2023年2月8日
貪りの悪徳による資本配分の社会的失敗
それなのに日本経済が巧く行くと信じている人々は、なんと滑稽だろう。
孔子は老人の貪りを君子三戒の一つに挙げたが、世代交代を忘れた国は亡んでいく。
2021年8月15日
ツイッター民一般の分析による、中から中の下程度の一般言語知能の持ち主らの興味を惹く効率的人工無能の考察
日本語ツイッター民(ツイ民)一般は、短文の短さを異様なまでに称揚しつつ、その範囲で、当人に理解できる言説をする相手を賢者とみなす異様な確証偏見を殆ど一様にもっている。そしてこの種の明らかに賢愚についての一般的事実と反する、愚かな上に彼らのなかでは信念となっていて甚だ堅固な思考回路は、なるほどその様な信念や感触を一度も持ったこともなければ同様の信仰を持つつもりもない、おそらく大多数の類型にあたる一般知能の人々にとっては、まことに意味不明である。
しかしこの事柄は次のことを示している。ツイ民なるものは反知性主義の一類型として、上述の様な、後真実をすきこのんで賢さ全体とかなりの悪意で公然とすり替えようとしている、ある種の反文明勢力なのである。
ツイ民なるものに言語障害者が混じっていた場合をそこから除くと、おそらくかれらは既存の日本に於ける年齢別学級制の公的義務教育などで、普通学級で落ちこぼれの部類であったろうことは、想像に難くない。すくなくとも、かれらの読解力の水準は到底、まともな成績で国語や英語といった一定長さの文章読解が必要な試験に合格する様な類のものではない。端的にいって、一般的に低言語知能の人々であるばかりか、特に読解力が、甚だしく日本国民の平均水準以下の人々であると考えていいだろう。
だがかれらが著しく愚かな、そして悪徳に満ちた言動をくりかえすのは、単に低言語知能だけに由来した傾向ではない。
むしろかれらはつねづね、ツイッターという低言語知能の者にとって卑怯な匿名での荒らし行為をおこなうのにふさわしい場を見つけたと感じつつ、はっきりした意図に基づいて、上記の様な長文嫌悪に伴う高い知能への蔑視という、自己欺瞞の言説をしているのである。
もっといえば、学校社会で下層扱いされ、同世代から迫害されてきたと感じている人々が群れを成し、特に高言語知能とみなされる言語流暢性が高い者をことさら標的に集団虐殺しようと、ツイッター米国本社の定めるツイッタールールを悪用し、集団通報などでぬれぎぬを着せる排他的な荒らし行動をとっている。その前座として大概に於いて、1つは「言葉が短くなければ賢くない」というラベル(短文主義)、もう1つは「自分にとって分かりづらければ知的ではない」というラベル(主観主義)をつぎつぎでたらめに貼り始める。無論、これらはどちらも底抜けに間違った命題である。これ以外にも、かれらは色々理屈の通らないラベルを駆使して相手を加虐による自己正当化かつ群衆との同調目的に貶めようとするが、ここではもっぱらこの2つについて分析をおこなう。
前者の短文主義について。どちらかならば高い言語知能を持った者ほど、長い言葉の連なりにも短期・長期記憶を働かせ全体の趣旨を文脈などを含めまとめて理解することができるし、また、自分自身が何事かを語るにあたっても、箴言や短詩の様な特殊な類型にあてはめている場合や目的を外れて無駄口にあたる詭弁を弄している様な例外的場合を除けば、一般に、長い言葉の連なりに深く哲学的あるいは複雑な文学的含意などを込めうるばかりか、低い言語知能の持ち主らには用意にできない芸当なのが事実であろう。実際、論旨の全体が無矛盾と仮定して基礎的な論理による長さだけを省みても、その長さが長ければ長いほど伝えうる情報量は多い事になるだろう。またところどころに矛盾があった場合でも、単なる乱雑な言語使用にすぎないのでなければ、言語の連なりによって複雑さをつくるという観点からみれば、特定の体系性をもつ長文執筆あるいは長話をする能力は、言語知能の高さを意味していると言ってまず間違いがないであろう。
いいかえれば、短文制作や、趣旨をまとめて結論から手早く話す能力とは、それ自体が単独で評価されるべき言語知能であり、言語に関わる全体の知能とさほど関係がない。
よって、短文主義は単なる形学であり、ツイ民一般が信じている信仰にほかならないし、それは甚だ限定的な意味に於いてしか正しくないため一般化して語りえない事でなければならない筈だ。たとえば短文制作の能力が甚だ高い人物であっても、長文で立派な物を書く能力が甚だ欠けているばかりか、中くらいの長さの文についても陸な能力がない様な人物が実在しえ、その様な人はツイ民一般にとってはすくなくとも荒らしの際にもちいる詭弁の建前上、理想的な知性を兼ね備えている事になるだろうが、端的にいって、コピーライターを含む短詩人または警句家として以外の場面では現状ほとんど役に立たない文芸能力というしかないだろう。すなわちツイ民一般がもっている短文主義が導く知能像とは、第一に誤った前提に立った知能全体のうちごく一部の能力への過剰評価または異様なきりすてによる知能の個性差別を含むひいきによっており、しかも、この主義が実際には単なる抽出・まとめの能力を超えて言語使用時の潜在的複雑さを拒絶している様な傾向をもっているので、かれらの信念のなかで反知性主義の正当化と不即不離に結びついているのである。
後者の主観主義について。こちらはいうまでもなく、ある面で短文主義より一層、極めて稚拙な観点であり、要するに子供のわがままといったたぐいの、しかも高尚さ一般へ反動的な反逆でしかない。いわばどんな下衆にもわかりやすく低俗であればあるだけかれらツイ民一般にとっては親しみやすいことになるのだし、仮にかれらの間に少しの品位の差があったとして、実態的には当時の主観に読解が困難で分からない事のうちに有限な知性しかもちあわせていない自分にとって未知なうえに甚だ高い知力を示す事柄が潜在的にありうるのは当然なのだから、要するにかれらは大衆向けサブカルチャー商品の消費者的な自堕落さに慣れきってしまい、弱知化されていない諸々の高文化的言説に汚い言葉を投げつけ、その高尚さを自分達の低知性と同程度まで堕落させようとしているにすぎないのだ。
また、実際に相手がかれらツイ民と同程度の低知性まで下りてこようものなら、逆により一層悪意を込めたそしりを卑しい言い草で全方位から重ねるといった具合で、つまり、相手にしかわからない事柄を語っているとの自己認識をいいわけするために、傲慢さから相手が自分より賢い前提を排除して適当にその場で相手が愚かなことにしたてあげ、相手の語る事柄の趣旨を理解しようという努力を放棄したまま相対的に無知でありうる自分の方が賢者なのだと思い込む、酸っぱいブドウの論理による阿Qよろしくの合理化に、まるでどこかで習ったの如く、ほとんど一様に耽っているだけのことなのである。これが意味しているのは、根の卑しい人達には共通の行動様式があり、それは下衆の行動原理の研究として法則だてて体系化できる筈だ、という事実である。
我々はツイ民一般が衆愚だと認識している。それというのも、かれらは上記の様な愚劣な言動をほとんど法則的にあらゆる場面でくりかえしているばかりではなく、さも型枠にはまった様なオウム返しの言動を飽きもせずくりかえしするものだからであり、それらの型枠には一定の分類があって、各言い分をツイ民型枠として一つずつ丁寧かつ科学的にかれらの愚かさとそれに伴う一般利用者づらをした荒らしという悪意・悪行をうみだしている理論背景から考察を加えていきさえすれば、最終的にはツイ民の一般行動法則は人工無脳化できる筈なのである。
既にその様な試みをした人々がいるかどうかにかかわらず、ツイッターなる有限オートマトン内で行われている一般的なツイートならびに返信・引用リツイート方式は、確かに人類としてもさほど立派な言語知能を持たない人々の巣として特定の型にはまった単純さに片寄りをみせているため、それらは飽くまで言語の置き方として有限であってかつ幾つかに分類しきれるものであるからには、我々は近い将来、機械学習をつかってそれらのツイ民なるものを再現しうる筈である。私が挙げた2つのかれら固有の信念の型枠は、それらツイ民人工無脳の最も基礎的な部分にあたる基本言説といえるだろう。そして、SNSとしてツイッターを使っている人々がいまだに相当数いる事の真実といえば、それらの型枠による返答方式だけで、ツイッター利用者の殆どが広告クリックをするだけの情報価値を認め得る、という点にある。つまり、ツイ民人工無脳に一定の多彩さを伴わせた機械的反復だけでも、その先に人がいる様な振りさえさせておけば、ツイ民なるものと同程度の言語知能の持ち主達は飽きもせず仲間を作って質的例外者を通報BANで迫害できていると勘違いして、十分に時間をそこで費やし広告その他の方式で金を落とすだろうということだ。そして事実、ツイッター社やその他のマイクロブログが存続するつもりならば、その様なしくみをつくりだし、余り言語知能の高いまたは極端に言語知能の低い変異を除く、正規分布でいう±2σ内の一般人類にとって不愉快となりうるほどの多様性の表示を省いて、かれらの主観にウケがよくかつもっと効率のいいクリック率を、型枠に応じた短文をツイート・返信・引用リツイートなど一定の変異幅のもとで無限につくりうる人工無脳の調整によって達成することになるだろう。
さらにはこの人工無脳は、一定より言語知能が低いためかぎられた型枠でしか言動しない荒らしらに最適化した版を開発できるため、もしやりとり道具の運用主体がそれをよい目的に使えば、荒らしの総量はへらす事になるだろう。
ただし、この人工無脳は、大量資料の蓄積次第で一般的な人々をほとんどすべて包含するだけの凡庸な興味深さに最適化した言語的能力を獲得しうるため、それ自体が人気影響者の様な役割を果たしだすだろう。このため企業や個人或いは政府その他が独自に開発するとしても、この人工無脳が完成度を最も高めた段階で、その人工無脳の属している言語共同体では、人間のほとんどの会話自体が、事務的なものを除き無意味化することだろう。こうして、この型枠の学習と拡張を応用した効率的人工無脳の開発は、最終的に、人々から毒にも薬にもならない毛繕い的な言語上のやりとりの機会、すなわち雑談の機会を相当に奪うことになるだろう。けれども、内向的な人々にとって雑談は一般に不愉快といわれることがある*1ため、この人工無脳の完成は、かれらにとって煩わしい上に不安を掻き立てる退屈な対人接触の機会が激減することで、今よりずっと好ましい愚痴激減社会、特に機械とのツイッターバトル風のやり取りを除いて、人権をもつ他人への悪意ある無駄口を叩かない社会の到来を意味することになるだろう。又その環境下では、これまでおもとして定型発達と違うというだけの理由で、異常者または一般社会にとって不適応者扱いで差別され自閉症帯域などの米国精神医学会による属性分類にあてはめられてきた異能たちを、より広範な分野で既存の才能を活かして活躍させる様々な文明環境を提供し、結果、その社会で生きる人類全体にとっては精神医学上または一般的偏見からくる差別がへるので、福祉状態が改善するだろう。
これらの貢献に加え、この人工無脳の最も優れた点は、大部分の人々が単なる暇潰しで甚だ悪意ある人々、ダークトライアドやテトラドら荒らしに紛れた極悪人らをまきこみつつ無駄に会話しあう機会を大幅に減らす事で、社会全体の生産性を向上させる。かれらが実際の人と会話するより合目的に興味をみたすこの人工無脳、但し背後に人がいると期待される一定の揺らぎがありつつ型枠的な短文の連打による会話で、理解しがたい過度の揺らぎが不愉快さに繋がる人間同士によるそれより、かれら自身にとっての実感としては満足する表層的かつ活発な形で会話できたのに深く満足することになるのは確かであり、しかもそれを行うたびに独り言をしているのと同じだけの人的資源しか浪費しなくなるので、最低でも対話相手一人分の時間が空くのである。
内向的な人々は深い会話を好むとされるが*2、そういった哲学性・文学性をもつ人々を除けば、このツイ民人工無脳の方が、雑談好みの外向的な人々一般を、人的資源を無駄にさせず効率よく満足させるのである。
これらの人口無脳は最初から一定より高い一般言語知能の持ち主や、一定より低い一般言語知能の持ち主らには退屈なものと感じられ、またはついていけず飽きられてしまうが、それらの人々は少数派なので、全体として、この人工無脳の魅力に夢中にならざるをえない、その言語集団で多数派を占める中から中の下程度の一般言語知能の持ち主達は、これらの例外的であるがゆえにかれらには理解しがたく、またそれゆえ彼ら一般言語能力について凡人・俗人らが心卑しく排他的であればあるほど狂人かなにかとみやし易い天才的な人々と、無益に接触する機会も随分とへらせることになるだろう。そしてそれは、特に差別的虐待を受けやすい低言語知能の人々や、凡人・俗人らの浅ましい偏見によってはなはだ不愉快な目にあったりあらぬぬれぎぬを着せられたりしががちな高言語知能の人々にとって、大いなる救いとなるだろう。
https://www.huffpost.com/entry/introvert-signs-am-i-introverted_n_5a2ae103e4b073789f6982f4
2021年5月31日
竹中平蔵と日本の一般大衆
日本の一般大衆は、竹中平蔵氏が新自由主義を米国からもってきて格差社会を作ろうとした時は賛意を表明していたのに、竹中氏が反省し基礎所得で格差を縮めようとしたら、逆に大衆側は「もう騙されない」と猛反対している。
日本の一般大衆というものが単に朝三暮四級に愚かなのでなければ、自分達は福祉給付のお世話にならずに済むほどつねづね十分な金持ちだと思い込んでいるらしい。すでに家計純貯蓄率で日本は随分低いレベルなのに。
2020年9月28日
政策的な中小企業潰しをロビー活動で勧めるアトキンソン説は財閥支援にすぎず、寡占市場の形成で健全な競争を損なう結果に終わるに過ぎない
利益率は商売全体の本の要素に過ぎず、それが高い生業が尊いとも限らない。寧ろ健全な市場では様々な利益率の各企業が並存し、多様な需要を支えている。或いはクラシックコンサートの楽団経営とか、詩作とか絵画など純粋芸術のよう全く利幅のない、しばしば赤字であってのみ成立する生業も存在する。もし利益率のみを企業の価値とみなすと、パチンコ産業の方が農業より遥かに儲かる事になり、公益性と明らかに反する結果が現われさえする。寧ろ経済学の見方によっては利益率の高い生業は「濡れ手に粟」の商売というにすぎず、或るからくり、特に何らかの独占的地位で競合が少ないだけとも考えられる。
完全競争市場では全企業は常に最大数の競合相手がいるため利幅が一定、またその極限では全生業の利益率が0になる筈であり、コモディティ(日用品)化が全生業について果たされると競争原理のよい結果が現われた事になる。いわゆる松下の水道哲学は、限界効用について別の言い方でいいあてていたのだ。即ちアトキンソン氏は巨視経済学の目的そのものを見誤っており、経済の最終目的は水道哲学でいう「全需給の完全一致」で、決して「利益率の向上」にはない、と知らないのである。利益率向上の圧力は或る企業が生き残る為に競合との関係下で置かれている競争条件にすぎず、経済全体の究極目的ではない。
或る経済圏を生態と考えると、その中で超大企業こと少数財閥のみが支配的地位を得ており、競合がいないに等しい状況はその経済圏が極相に至って、経済成長率がほぼ停止している状態だろう。そこでは新興企業に新需要が掘り起こされる事もなく、それもすぐ超大企業に吸収合併され管理価格が形成される。アトキンソン氏のめざしている国とは、その種の少数財閥支配の日帝下の体制、或いは現代韓国風の経済に他ならない。寧ろGHQが彼の母国である英国陣と共にわざわざその財閥解体を図ったのと、彼の現今の説は大いに矛盾している。もし米英が悪意で財閥解体を図ったなら今更再興させたがる意味は何か? 財閥が日帝の主な経済力を形成していたので、その地盤を破壊するのが米英による日帝解体の一貫だった。
だがアトキンソン氏はその英国からきて、再び大企業寡占市場こと新財閥を形成させようという。
この矛盾は、彼が日本市場の健全な競争性を弱め、中長期的に国力を減退させようとの説にすぎない。自民党スガ内閣をお雇い外人の立場から、明治政府以来の欧米劣等感に対し、暗に白人至上主義や西洋中心主義を前提に、明に拝金主義、新自由主義といった米英経済の思潮を元に唆せば、日本経済での競争環境を、財閥形成で悪化させる事ができる。その結果は国内経済の停滞、海外企業との競争的敗北だろう。表面上の労働生産性のみに着目し、市場での競争を国社主義的な干渉で阻害させるのは、成程、とんでもない過ちだ。その様な事を政府が繰り返せば、一体どこに需要があるのかなど誰にも把握できなくなるし、個人商店の殆どがなりたたず、寧ろほぼ全小売業がアマゾンだけになるだろう。経済学的無知だ。
「労働生産性が低い企業に、存在価値がない」という考え方は、基本的に間違っている。それは企業が存続する限り誰かが私有財産権を営業の自由の元で行使しているだけだからだし、利益率以外の目的、又はその意義がある会社であればこそ、生業がある。金儲けだけを目指すのがあらゆる経営ではないのだ。
例えば各地の住宅の施工はほぼ現地の工務店が担っているだろうが、もしアトキンソン説をそこにあてはめ全国の工務店を潰すとしよう。すると市場規模の大きな都内で量産型住宅を作っている大手の建売住宅会社しか生き残らない事になり、全国で似た様な家、ほぼ同じ型で安物の建売しか作られなくなる。或る特別な高級住宅とか、現地の事情に即した建物を作るに、都内最大手の建売住宅会社しか生き残っていない市場環境では、その実現すら永久に叶わない。特殊な設計はしばしば利益を度外視しなければ実現しえないからだし、そもそも南北東西或る環境で住宅事情は大幅に異なるので建売では不十分だからだ。
アトキンソン説では1人あたり労働生産性の高い企業が優れていると定義されるが(それが賃金が低い原因と彼はいう)、そもそも業種によって利益率は相当に違う。また労働者数も必ずしも労働生産性の順に並んでいない。
1人あたりの労働生産性の定義(付加価値額/従業者数)から、より少ない人数でより「濡れ手に粟」な競合の少ない市場寡占或いは独占的地位をもっているほど、アトキンソン説では優れた企業と定義されてしまうが、それでいくと分母にあたる労働者数の多い(人手の要る)産業は、劣等企業に格下げされる。即ち製造業の一代表者といえる日立(日本一連結従業員数の多い会社)や、トヨタ(日本一の時価総額を持つ会社)は、いづれも1人あたりの労働生産性あるいは利益率の面で、少人数で暴利を貪りうるネット証券、ソフトウェア、パチンコ、クレジットカード、携帯電話、銀行、消費者金融などに劣る事になる。
果たしてこの定義が正当で、まっとうなものといえようか? 直感的に常識の目で見る限りでもかなり違和感のある説だというべきだろう。先ず既に競合が多い故、人手がかかって大変な割に利幅が少ない産業があったとして、労働分配率の面で優秀な生業がある点を見逃している。
確かに一人あたりに馴らすと、情報通信業(利益率の高いネット証券・ソフトウェアビジネスなど)をはじめ原価、経費、かつ自動化などで人件費がかかり辛い生業が、少人数で高い給与を得ている事になる。
だがこれも一時的な事で、現実には競合が集まればそれら業種の利幅も徐々に減る事にもなるだろう。即ち、業種別で見る限り、競合が多いほどその生業では熾烈な競争が行われ、高い質の製品奉仕になるのと同時に、利益率は競合との値下げ合戦で一般に下がるだろう。それにも関わらず、特に教育・学習支援、社会福祉・介護など、労働分配率の高い(儲けを給与に回す労働者主義的な)業種がある。また労働分配率では製造業の方が情報通信業より高い様に、裏を返せば、より「濡れ手に粟」式の暴利を貪っていないと言う事ができる。アトキンソン説では一人あたりの給与総額が労働生産性と比例関係かの様に関連づけられているが、現実には労働分配率の計算式が示す様、人手がかかる生業があるだけだ。
まとめると、英国経済が凋落した主因は、アトキンソン説にも彼自身気づかずに内在されているといっても過言ではない。労働者全体の給与こと労働分配率あるいは業種別の利益率を考慮せず、単なる一人あたりの利益こと給与総額や、一人あたりの労働生産性だけで物をみているので、木を見て森をみていない。特に付加価値率(売上高付加価値額率)をみると、アトキンソン説の破綻が明らかになる。彼が真っ先にきりすてたがるだろう「従業員一人あたりの給与総額」「労働生産性」いづれも大変低い社会福祉・介護業は、人手がかかる一方で、実際には最も高い儲けをあげている、最優等の業種になるからだ。
なぜアトキンソン説が斯くほど大幅な――寧ろ初歩的といってもいい誤りを犯していながら、彼自身その経済学的錯誤になんら気づかないか。彼が経済分析に用いる各指標間の整合性や体系性を総合的に理解する知能を欠いているだけではなく、いわゆる経世済民の究極目的を「個人の私利」と見間違えているのだ。私がここで述べた事は、経済学者の殆どはいうまでもなく、単なる並の経営者の中でも、経営学の修士程度なら十分に理解されている事、或いは理解されうる事だろうし、その程度の知識水準にすら達していない人物が、わが国の政府にロビー活動の様な事を述べるのは完全に僭越極まる侮辱と言うべきである。国の経済政策、或いは財政はその全体の公益度を鑑み、最低でも経済・経営および財政学の体系的理解がその国で最高度の人物ら――但し、見解の正しさが重要で、学位や経歴によるものではない――によって最善の方途が議論されねばならず、一部の奉仕者たるに過ぎない人物は完全にその資格を欠いている。
給与は単に人手の要らない「濡れ手に粟」こと少数精鋭の業種に、人員を大量投入してあがるわけではない。寧ろそれは計算式からも、一人あたり給与を下げてしまう。
また企業規模でわが国の殆ど――企業数で99.7%、従業員数で69%、付加価値総額で約53%(中小企業庁『中小企業白書2019』)――を占めるのは中小企業だ。
アトキンソン説では、単にこの表面上の大企業の一人あたり労働生産性の高さにのみ注目し、財閥式に少数企業に市場を寡占させれば――恐らく経営ノウハウの伝授や、業務合理化などで――数字の上での労働生産性があがると判断しているのだろう。いうまでもないが、それは市場で自動的に行われる筈の事だ。買収と合併、起業・倒産などの再編によって、健全な市場競争の下で、会社は個々でより合理的なもの、いいかえれば市中の需要を満たし、適正以上の利益を継続的に上げられる経営主体が生き残る事になっている。わざわざ国の政府が何らかの圧力を加え、財閥を作らせたがる等まったく無意味で有害な干渉だ。最早この「当たり前」過ぎる事、即ち古典派理論について、まともな経済学者の誰もアトキンソン氏によるスガ首相とのロビー風説に、常識以前の批評を加えないのは、アトキンソン氏の不躾さや無学の程に呆れ返ってしまっているからだというのが私の見立てだ。それ以外の理由で、財閥に合理性など一切ない。
2020年9月23日
公害による汚染は金銭勘定で永久に保障されえない
池田信夫氏「反原発派は(1)確率という概念を知らない(または確率を1と暗黙に想定している)、あるいは(2)費用と便益の比較を知らない(または費用を無限大と暗黙に想定している)のどちらか(ほとんどの場合は両方)」確率を知っていようがしっていまいが自分の土地の近隣に、東京都民が公害施設を作って事故の確率が低いと言い繕っていながら、実際に公害の被害を受けた側、そして一円も保障されていない(そもそも環境汚染にまつわる被害は、自然に対しても心理・精神に対しても、金銭で保障できない)側からいえば、池田氏は公害の概念を知らない、もしくは利害対立の両方の立場からみる知能を欠いているというべきだ。
即ち1か2いづれかに反原発派が収まるわけがなく、
A.確率が低くとも取り返しのつかない致命的公害が起こりうる場合、その外部不経済は事前に内部化されねばならない(公害防止)
B.自然環境汚染・人及び生物への身体的・精神的傷害は金銭で保障されうるものではない(汚染による加害行為の時間的・空間的な無限定的責任)を知らない池田氏が、想定できる人間観を極めて狭隘な「損得勘定」で公害を誤って計算しているというしかない。さらには
C.公害被害者の立場から見る能力を欠いている経済学者が経済価値(特に金銭勘定)を他の価値倫理より優先させてしまっている場合、公害を金銭的な費用対便益でのみ見る誤りを犯す
2020年9月18日
原発推進派の経済学者は経済の本義を取り違えている正真正銘の無知
経済が経世済民にeconomy(家政)をあてた訳語として、人類全体の公益に叶う場合にのみ有効な言葉である以上、原発等の公害を経済的とみなしている経済学者は正真正銘の愚劣というべきだ。
2020年7月3日
資本主義の終わり
カネを他人からできるだけ多く奪うことが唯一の仕事という状態は、いわば同類全員を敵にする誘引しかない。ホッブズがいう万人の万人への闘争。全人類がそこでは天敵になる。当然、それは維持できる体制ではないし、どんな人も耐え切れない。もしそこで平気な顔をしているなら確実に極悪人だけである。
資本主義は、いわば悪魔思想で、労働者達は完全に洗脳されきった奴隷にほかならない。この経済思想の上に税収奪目的で居直っている皇室も同様に、ひとたるものの邪悪の極みにあるとしても、市場参加者すべても多かれ少なかれ同罪を免れない。彼らは完全に悪意で、他人を貪る目的で生きているのだ。
冷徹に資本主義をみれば、お為ごかしの合理的経済人、いわば利益追求ロボットを前提にした、人を飽くまで欲望充足しか目的がない卑しい者として扱う経済学を含め、道徳的に何も擁護できる点はないほどなのに、自ら痛めつけられつつなぜか好都合な物かの如く流布している無知の深さに驚かされる。
この悪魔思想は、大航海時代に高リスク投資のヘッジとして実験的にはじまり、産業革命後のイギリス国内状況をアダムスミスが『国富論』で理論的に正当化したものといえようが、やがて英米仏らその植民地侵略の勢いで同宗教に世界中を染めようとした狂信的海賊団が現われた。いわゆる旧連合国である。
日本国内でも同様の悪魔思想に染まった人々が現われ、具体的には坂本龍馬の様な死の商人、岩崎弥太郎の様な政商がそれにあたるが、民族全体を搾取対象にしだした。その結果、日帝は奴隷ほしさの侵略国家に転化し、破綻してからもなお頂点に君臨する上皇天皇の下、同類収奪に見苦しくも躍起である。
だが疑う余地なく、彼らは必ずや最も悲惨な末路に至るだろう。同類を貪ることしか目的がない権力者らは、いない方が全人類の為だといつまでも、奴隷達に隠し通せる筈もないからだ。
奴隷蜂起は先ず最大の資本家である皇族を国政から永久追放するに違いない。
のちに、社会的公平を創ろうとする。
この75年間は世界史、日本史全体でみれば、日本が戦後に醜い格差社会に至った失敗の歴史だった。だが失敗をそうと悟れば、民衆はいつまでも皇室や金持ち達から、すなわち上級国民から貪られ続けるのに耐えられなくなる。邪教祖による洗脳と差別でしかない生得的特権を完全に消滅させるしかなくなる。
資本主義が破綻し、代わりに金儲けが徹底的に卑しめられるであろう。そこから最も縁遠い仕事だけが、すなわち無償の仕事だけがひとのなすべき仕事だと定義されるだろう。その時代から見返せば、いかに現代日本人一般がまがまがしいことか! 彼らは天皇とその手先の政府に洗脳された拝金ロボットだ。
