2024年4月21日

竹田学校の教え

飛鳥時代に差別主義的関西地方人が中華皇帝をまねた天皇の国史、奈良時代にやはり関西地方人が全体主義洗脳目的についた神道神話という嘘で、関西地方史を全世界の中心かの如く語る人種差別的民族中心主義者竹田恒泰氏の国史教育とは、侵略戦争で大量に人を殺した明治政府に子供を育てさせる様なものだ。

2024年4月15日

史学教育の全体と詳細をめぐる一般教養と研究段階論

高校世界史・日本史までの暗記科目的知識は史学全体の基礎にすぎず、それらを知らずにいて、更にそれら個別の事件・人物やそれらの隙間にこぼれおちている史実の詳細について、過去の解釈の誤りや、新発見を通して研究を深めていく事は、それなりに難しい。
 例えば新撰組初代筆頭組長の芹沢鴨は水戸学で知られる常陸国出身で有栖川宮家へ仕官した通り尊王派だったが、武蔵国出身の近藤勇らが彼を暗殺後の新選組は明治天皇を擁した皇軍へ恭順しないなど、必ずしもそうではなかった。この史実詳細を19世紀の世界史や江戸時代、水戸学自体を知らず研究は難しい。

 茂木健一郎氏は基礎段階で躓いているので、基礎をやり直す事なく、詳細についても研究できると思い込んでいるが、細部をやる前に全体像を知っておくべきだ、とする現行の高校までの史学のやりかたは、必ずしも間違いとはいえない。途中で挫折しても一般教養としての概略は知っている状態になるからだ。
 例えば関良基氏は北畑淳也氏の動画で五か国条約を日本政府(江戸幕府)へ押しつけた欧米諸国が凡そ一律に公平貿易を目的にきていた、よって攘夷派は唯の赤色恐怖主義者と思い込んでいたが、これは大航海時代や植民地主義についてまず無知だからだ。世界史を知らずに、幕末の侍の危機意識を理解できない。

2024年3月28日

第一哲学あるいは倫理学優先論

自然科学を教えて倫理を教えないより、倫理を教えて自然科学を教えない方がよい。倫理は人の為になるが、自然科学は人の為にならない使い方もできるからだ。このため、倫理も自然科学も教える方が望ましいが、教育上どちらかなら倫理を優先させるべきである。

2024年3月26日

卒業生のまことに酷い悪質さにみる東大の大幅格下げ

国立東大は学習歴の品質保証として殆ど機能しない反社会的な炎上商人ばかりを世に送り出し公衆に大きな悪影響を与えてきているが、それは彼らの人格教育が失敗し、多くの内部教育・学位歴が断片的で表層的形式にすぎないばかりか、笊でもある動かぬ証だ。
 卒業生の無能や悪質ぶりは学校の格を下げる。

2024年3月24日

自然科学の自由教養内のあるべき位置づけ

めいろま氏は悠仁殿下が幼児の頃から虫が好きで小学生以降は更にその生育環境にまで興味を持たれてきているという基本事項すら知らないらしい 自然科学は上流社会において最も好ましい教養 そのご興味に応える為の進路を用意したということ
――あとり
>自然科学は上流社会において最も好ましい教養

 日本の上流社会の必須の教養になっていたのは主に武術と儒学や水戸学(現実政治の武家風)又は和歌(形式的存在の公家風)で、中国だと六芸、西洋だと自由学芸でした。天文学を除く自然科学は含まれていません。自然科学が特に発達したのは近代以後です。
「今後の」上流社会においてという限定条件なら、自然科学が最も好ましいと考える人がいる場合もあるでしょうが、自然科学では主に物質や生物を扱い、社会や人の心を扱うわけではないので、世の中や人間性について無知になる可能性があり、明らかに諸教養で最重要とまでは言えないと思われます。
 自由学芸に唯一、天文学が含まれていたのは、それが論理学や幾何学をあてはめて理解すべき自然界の法則的基礎だったからだと考えられます。したがって、もし天文学の代わりに、それを拡張して捉えた自然科学を置くべき、というなら、自由学芸の一部との限定的条件つきで、自由な上流で必須といえるかと。
 なお、六芸や自由学芸は、支配階級が生産労働に追われない自由人として統治に必要な基礎を意味し、社会や人間の学、或いは具体的になすべき事を定める法学、政治学、経済学や倫理学乃至それらを統合する哲学一般といった一般的学問の飽くまで序の口なので、充分な学とは言えない事にも注意が必要です。

師事の相手

愚劣な人物に師事しても成果はない。寧ろ、そうしなかった時より劣悪な結果に至る。優れた人物が同時代にいなければ、誰にもつくな。習うな、関わるな。己より劣った人物達による公的な教育歴、学位、賞歴、学歴はすべて無意味である。

2024年3月22日

公的教育歴と実の教養の甚大な落差について、或いは学位制度と符号理論の公害批判

公的教育歴で知徳や技、潜在知能が測れると思っている人は、学術の恐ろしい深さと知の大海の広さを全く知らない人だ。この点では、学位制度は百害あって一利もない。スペンスの符号理論は学位の空手形をとる労力の最小化を正当化してしまい、向学心や知性をそれより遥かに軽視させてしまう公害な理論だ。

2024年3月20日

教育の資源配分問題の一解答

大学進学率が東北より高い関西で、東北にはない部落差別がはびこっているのは、生まれつきの資質が違うせいだろう。この事は教育が生得資質を大きくは変えない重要な証拠かもしれない。
 顕著な落差として高い通塾率の大阪は全国学力試験平均学力が最低級だが、低通塾率の秋田は常々同学力が最高級だ。
 教育は過度に評価されがちだが、明らかに限界がある。東大やMIT、イェールなどを出ていながら、歳主義で集団虐殺を唱える心理病質だろう成田悠輔は人間性(人文学)や倫理観が致命的に劣る。逆に資質にまさる時、子夏が『論語』学而第一の七でいう様に、公的教育歴に関わらず優れた人格でありうる。
子夏曰「賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信。雖曰未學、吾必謂之學矣。」
――『論語』学而第一、七

子夏(しか)いわく「硬派に知恵を愛し求め、父母に仕えてよくその力をつくし、上司に仕えてよくその身をいたし、また朋友と交わっても言う事が信じられるなら、その人が世間的に学歴がなくとももう学んだ人なのだ、と私なら必ずいうだろう」
――同節の拙訳
 大阪に比べ秋田の少子高齢化は進んでおり、義務教育の現場で少人数教育が実現できているという要素を加味しても、恐らく生得的知能指数が両集団で違う可能性がかなりある。その為、資源として低知能集団へ多く教育資源を注いでしまい、全体として平均化という選択集中の逆の高等教育結果なのではないか。
 資本主義の範囲では自由競走の結果、生得資質にまさる人へ教育資源を配分できた側が競走優位に立つ筈だ。よって遠隔教育や無料の資料など、費用の最小な教育資源を普く提供しておく事が極めて重要と考えられる。
 私立校は顕示的消費の対象とみていいだろう。私立校への助成金はこの点で全く有害である。

 私が予てブログその他で主張してきた様スペンス符号理論は誤りで、現実には社会的総費用が顕示消費で増えてしまう。つまり進学率が高い事は決して経済を意味しない。逆に低進学率かつ低費用の教育資源が豊富で学習度が高い方が経済的である。同じく、資質の良い人への教育資源配分が経済的だと言えよう。
 教育は義務か普通の範囲では学力平均値の底上げを調整正義や福祉文脈で考慮されているが、有限の資源配分問題としての高等教育ではこの方式は寧ろ害がある。
 自由競走下では高い学習成果に達せる者が優れた成果を挙げる為、必要なのは教育資源の価格競走かつ学位制度と学閥の廃止又は無価値化だと言える。

2024年3月4日

学位制度の虚構

学位を品位と混同する人々は羊頭狗肉に同じ。

2024年2月29日

政府による教育の制度化という悪事

そもそも教育制度が国単位で人々を特定の型にはめる全体主義の悪事なので、政府によるその制度化を一切やめるべきです。

遺伝縁故主義差別の世界一不正な国

さすが126代も縁故主義が続いてる世界一不正な国はいう事が違いますねぇ。そのせいでIQに遺伝差がある事が無視されてるのか。中国の科挙まねた紙試験は遺伝子縁故主義でしょうね。家庭、通塾、進路、学習や生育の環境も全国民大幅に違うだろうし、まさか偏差値入試歴が公正な差別だと考えていたとは!

2024年2月26日

学位制度の暗面

学位制度は暗箱の権威主義の原因になり、ある人がさほど知識や能力がないのに「先生」「博士」と呼ばれる理由になる。またある学位を得た人が人徳にも劣る時、この制度の欠陥は致命的になる。教育屋の商いにすぎないのだが、主にスペンスの理屈でこの制度を利用するほかの人々も同様に、贋金を作る。

2024年2月19日

師弟の虚構

全然尊敬すべきではない人を「先生」と呼ぶ人々。彼らは特定の知識を人格の尊厳と混同している。そして教育制度自体が作り事だと示す形で、礼儀の心を損なっている。
 漱石も似た事を書いていた。「先生」と呼ぶ時、その種の揶揄の形を幾らか含意している事があると。東大の博士号を辞退した彼らしい。

思想史の教育可能さと思索の教育不可能かもしれなさの別

「哲学は、それが歴史的認識(引用者注、≒思想史)でない限り決して学習できるものではない。哲学では理性に関する事柄について精々、知恵を友愛する様に深く考える(philosophieren)事が学べるだけである。」
――カント
『純粋理性批判』865
 フランスでは「哲学」を科目として教育している様ですが、カントが言う様、文献や講演などの客観的知識の体系である「思想史」以外の、自らの思想を生み出すべく自力で考える「思索」部分では、教育者自身には指導不可能とみる向きもあります。
墳せずんば啓せず、悱せずんば発せず。
――孔子
『論語』述而第七、八

現代語訳の例:
先師がいわれた。――
「私は、教えを乞う者が、先ず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。」
(下村湖人『現代訳論語』)

2024年1月8日

特殊教育改革論

概要
・反社会性人格障害(Anti Social Personality Disorder、ASPD)は、他者の権利や感情を無視し、欺瞞や暴力を行う傾向がある。匿名のネット上では、特に加害行為を繰り返す可能性が高い。ASPDの診断と治療は、犯罪や公害の防止に重要である。集団生活が制度上はじまる初等教育段階で異常行動の生徒に、精神科の診断を義務づける必要がある。

・境界知能は、IQ70~84の範囲で、知的障害ではないが(*1 以下、アスタリスク(*のこと)後の数字箇所は該当数字の脚注内、後述資料を参照)、学習や社会生活に困難を抱えうる人々である。境界知能の人々は、必ずしも悪意で害をなすわけではないが、ASPDの人々にからかわれやすい。

・日本は、裕福で成績のいい側がイジメの標的になりやすい国である(*2)。学校教育は、成績や個性に応じた柔軟な対応が必要である。

・成績優秀者やギフテッドは、私学や私塾を使ったり、家庭教育や独学を主にしたりして、日本の集団教育から受ける害を避けるのが合理的である。

・特に、ASPDや境界知能の人々は、境界知能がASPDの標的になり易いので各々を確実に分けた上で、精神科つきの適切なASPD向け特殊学級、境界知能向け進度別クラスへの編入や、適切な学習支援を受けるべきである。

本文
 加虐的な快楽犯罪傾向のダークテトラド、ダークトライアド、サイコパスといった傾向の変異が、匿名で行動させると、特に無責任に振舞って公害をもたらすのであり、唯の読解力不足など、境界知能一般に、加害傾向がある訳では必ずしもない様に、一般に思われる。従って、社会または他人に悪意で与える害の点で、制度的隔離の義務が公的にあるとすれば、今の精神医学や心理学などで、上述の順で一般的な加害的傾向の可能性が知られている、「反社会性人格障害」と『精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-5)』上、診断されうる人々が、SNS上の不備を悪用し、何らかの犯罪や、加虐快楽目的の加害行為、或いは利己目的の他害行動を行う場合に、まずは限ると思われる。
 かつ、それらの反社会性人格障害をもつ人々へ、社会的包摂の論理を含め理解を深める形で、犯罪や、加害全般への対処、ネット上の荒らし対策、いじめ対策とか、或いは、彼らに誤って権力行使可能な社会的地位を与えてしまった際に起きうる公害への未然防止・事後対応策を徹底して講じる事が、将来にわたって、全文明国にとって重要かと思われる。
 思うに、人類全般にとって犯罪との戦いは嘗てから続いてきたのであり、反社会性人格障害の診断が可能になったという事は、ヒトの持つ加害性にまつわる、潜在的な脳の性質の一部が犯罪が実際起きる前に理解可能になったという事でもあり、その種の診断が下りうる人々をどう制度的に義務づけた治療や、公害のない形での社会的包摂に向けるかという事が、いまも荒れ続けている匿名ネットコミュニティでの集団虐殺事件はじめ、政府で制度化されるべき喫緊の課題かと思われる。ただ放置すればよくなるというものでは全然ないのが、良心の異常に欠如した反社会性人格障害者らの行う加害行為の実態であろう。つまり、公的に事前対策の義務がある。
 また、反社会性人格障害と、境界知能を兼ねている場合とそうでない場合がある為、境界知能を隔離論によって𝕏、YouTubeなどで炎上させている堀江貴文氏らは、両者の標的に誤認がある様に思われる。境界知能で読解力がないだけの人々は、悪意で害をなす事は必ずしもないかもしれないが、集合的に、反社会性人格障害を兼ねているか境界知能でなくとも単に帯びていさえすれば、共感性が薄くて罪悪感を感じづらく、有名人やら社会的弱者やら善人やらへ、いわゆるルサンチマン(うらみ)の向けかえから、相手を痛めつけて痛快さを感じられれば誰であれ、からかって遊ぶ目的で、ネタ荒らし行為を進んでし、或いはそれになんの済まなさも感じず、平気でくりかえし犯罪する場合がある、そして当人が厳罰されない限り全く謝罪もなければ責任感も全然ない有様が容易に生じうる。

 又、この舞田敏彦氏によるPISA調査を分析した図によると、日本は調査対象国で唯一、裕福で成績のいい側がイジメ標的になり易い変わった国で、義務教育上、いじめや暴力、校内犯罪、不条理な授業進度の低下など、学習環境悪化の阻止目的で優先的・合理的に隔離するなら、「裕福な家庭の、成績優秀者側」のほうが、日本では殊に有利かもしれない。
(現時点でも、都市部では私立学校がその種の自主的隔離として機能していると思われるが、大抵の地域でもある非都市部では、私学の不足のために、自主隔離が不十分である)
 制度上、成績優秀者や特殊な遺伝、発達障害的な人々へ、飛び級や典型的でない学習であっても、教育歴と認める例外の余地を設け、特別な英才教育、家庭教育、独学など、いわゆる集団義務教育以外での教育を前提にした方がいいのではないか。

 学校社会内で、理論上、最も有害になりうる反社会性人格障害と診断される人をどう隔離するかについては、義務教育が全員に与えられるべきという観点からは、まず国の制度上、他害的な異常行動をする生徒へ確実に、精神科による診断を義務づけ、正式診断が下った時には、通常の学級ではなく、精神科の指導がついている反社会性人格障害向け特殊学級で教える制度にした方が、虐めその他の校内快楽犯罪の被害が一般にまき散らされる可能性が著しく低くなるかと思われる。
 境界知能の人々については、学習進度上、年齢別クラスでは平均知能指数以上の人々についていけないので落ちこぼれとされ易いため、反社会人格障害者向け特殊学級とはまた別の、いわゆるゆっくりした進度の特殊学級か、年齢別クラス制度を全てなくす、または進度別学習のできる塾その他の代替機関で学習する、さもなければ家庭学習その他の選択で、いわゆる平均知能向け集団教育以外の場で学ぶ形にした方が、当人達にとっても学習し易く、似た学習進度で気が合ったり学習内容を教え合う様なよい友達もよりできやすいであろうし、想像しうるおよそ全ての面で合理的かと今の私には考えられる。

 落ちこぼれ扱いの生徒が、集団教育の場で足を引っ張る形になり、いじめの対象になり易いのは、上述の舞田氏によるPISAデータ上も、わが国に依らない筈なので、一般的な親がわが子の特殊な個性そのものを尊重するより「普通の子にしたい」といった不条理な偏見をもつ事が往々にしてありそうな、同調圧力地獄日本の場合はいうまでもなく、境界知能生徒を、極力、進度別学習に切り替えさせるべき事は、どこの国でも必要かと考える。


―――
脚注
*1 『DSM-5』(『精神障害の診断と統計マニュアル 第5版』)。但し境界知能は精神障害ではなく認知機能の低下と説明される(平田正吾・奥住秀之『知的障害概念についてのノート(2)~境界知能の現在~』、東京学芸大学教育実践研究紀要 第19集、pp. 99-102、2023年)

*2 舞田敏彦『できる子、裕福な子が標的になる、日本のいじめの特異な傾向』Newsweek、2020年1月29日

2023年11月22日

育ちと交際

育ちの良い人とそうでない人とは、結局、交じり合わない。
 この為に、子育てなり自己教育なりに於いては、必ず育ちをよくする事を最上の目的と考えねばならない。
 育ちの良い人と育ちの悪い人は、水と油の様に退け合い、しかも、互いにやりとりするのが難しい。

2023年8月3日

愚かな親子と立派な親子

愚かな人が親になれば、愚かな子を産み育てる。立派な人が親になれば、立派な子を産み育てる。
 これゆえ、まず身を修めて立派な人たれ。然るのち子をなせ。
 愚かな親も愚かな子もその生存は苦しく、世に災いをなす。しかし立派な親子はたとえ艱難辛苦を経ても、世に役立つ。

2023年3月4日

先生と呼ばれる驕り

学校の教師や、何かしら「先生」と呼ばれる地位に就くと、人はどんどんダメになる。おそらくそれは無条件に上位者として持ち上げられるとうぬぼれて謙虚さを失い、他人が自分より優れている時うまく対処できなくなるからだが、その種の職業に端から近づかず学び続ける方が遥かに安全な道のりである。

2023年2月15日

大学受験の科学主義的な単一指標による学力考査への疑義

伝統校括りはいいねと成田ナチ 受験偏差値括りはダメとモギケン

イェール・ナチ括りで燃えるツタ同盟

低偏差値同盟みくだしているから括ると失礼だという無意識の選良意識

アイビーリーグ括りはいいね MARCH括りにぶちぎれる東大理学屋 「低偏差値を見下すな」と科学主義で正解がある事にしたしょぼい単一学力観で間接的に見下している 言いたい事が分からなくもないが アイビーリーグの高齢者抹殺ナチ成田や予備校業界 はたまたMARCH関係者相当部分にも傍迷惑だろうに

 僕の高校の友達の飯塚君は明治大に行ったがまさか東大の人から、偏差値ネタで間接的に侮辱されるとは思ってなかったと思う。失礼なのは受験偏差値で括る予備校ってより、その様な入試制度を教授側からつくりだしている大学関係者と、彼らの科学主義的(特に典型正答で優秀とほめる様)な学力観だと思う。

 私がついでに一つ提案しておきます、役に立たないでしょうが。
 先ず「科学主義的教育」つまり所詮信憑性の高い仮説にすぎないものの同時代の学界通説の解がある、との前提を置き、ある生徒の答えがその該当仮説に近いか一致していると優秀と見なす考え方で教育している限り、正答率の偏差値は生じる。よって「科学主義的教育」を中心に置くのをやめない限り、定員が限られた大学に、受験時点で一定の学力考査が設けられかつそこに当該教育方式で生じる正答率の偏差値による淘汰圧を避けられない。放送大学化し定員をなくすなど別の方法もあるが、「科学主義的教育」の学力考査は入試の一要素にすれば?
 勿論、SAT(大学進学適性試験)を除けば既にそうしてるからアイビーリーグならOKだよと茂木健一郎さんは言いたいのは分かっているが、単なる伝統性を根拠に差別的括りが嫌だと思ってる人を除き、向こうにもその観点で入れてる人はいる訳でね。ビル・ゲイツ氏もSATなんて当然満点だったといってましたよ。

ビル少年は特に数学と科学の分野で才能を開花させ、1973年には大学進学適性試験(SAT)の数学で800点満点を取った。(中略)アイビーリーグのいくつかの大学から誘いがあり、ビルはハーバード大学を選んだ。
――ダニエル・スミス『HOW TO THINK LIKE Bill Gates ビル・ゲイツの思考哲学』

因みに彼は中退だから当然役に立たない例ですが。 

東大卒MARCHを見下し括るなと言って自分は六大学括り

学位販売業

学歴フィルターで初任給を変えていながらに偏差値で括るなという偽善の学位販売業