2010年10月31日

徳のひかり

既に雨は止み
ゆっくりと曇り空が戻る
だれもみな
あのひを忘れなかった
きのうから降り続く
微かな雨足の所為で
私の気分は
少しずつ沈んでく
月が巡る内に
うみのねがきこえる
いやなひとたちは
その為にきえてしまう
ただあかつきの明かさが
私のめのまえをはれやかにする
うるさい西の人
僕はかれらの行う
さまざまないろいろをみてたが
あまり感心しなかった
尊敬すべきひとは
慌てたりしないものだ
そのひとの仰せになる
一言を温めるがいい
しずかな夜にきこえる
あのしおさいの様
だれもがねしずまった後で
かしこき窓からふりそそぐ
月あかりの如く
貴君をてらす徳のひかりを

さむらいのみち

くらきひにばらのはなあきさめのにわにひとりそらむく
エドオタクなにをみるただいたずらにむなしきおまえと
われにとり朝鮮の者とかわりなき山口のひとまつりさわげる
関東のあちこちにゆく魂のみすこゝろざしそこにのこれる
関西のひとのたましいわがものとあまりにちがいへだてるときおもう
こものをこのむこびとのおゝきこのよにてやまとびとのおごりさめてかまけり
とうときはさむらいのみちたどりたるまことのこゝろをつげるちすじぞ
まつしまよひゞくいわおにしおさいのきくすぎばやしなつになくせみ

街角

ずっと前だけど、夕食したことのある街へ、別の用事で見物に行った。要は散歩みたいなもの。けどそのときはもう夜だった。
 僕はぐるぐる街をあるきまわった。東京の街はどこもそうだが、殆どかわりないコンクリートとアスファルトの迷路を。ある二枚目のタレントがそこに住んでるらしかった。けど、本当につまらない街だ。
 今にして思い出してみると、あのときはとても貴重だった。二度見た限りおぼえているのは、もうすぐなくなるだろう街角の特徴だけ。
 つまらない都心型の、どこにでもあるマンション。その足元に設けられたつまらない通り道。僕がとてもよくおぼえていたのはそこだった。
 二度ともやはり冬ちかくの頃だった。何が不思議かといえば、僕が見たその街角は、二回行ってなにもかわりなかったこと。もう50年後には跡形もなくなるだろう東京のとある新興駅前の一角。数年ですっかり変わってしまう都市の。

倫理感と正義

たまにある様人類の個人毎ではその感覚が偏っているが、少なくとも身近な域では、正義の天秤が全ての脳内には血潮の座として置かれている。そして倫理感と一般によばれるその働きは、各個人の正当意識の平衡がはたされる迄必ず使命に駆られて突き進む習性をもつ。
 正義感の強い人は、単に周りより倫理感の及ぶ範囲が時制からも空間からも広く長い。王者が長い歴史をもつ際には、その人物は正義感についての平衡役を果たせた場合が多い。道徳が王者の資格、という天命思想の源はここにあり、それは又正史に伴う帝政の正当化でもある。是政の為に彼らが用いるのは長期間に渡る正義の天秤の平衡の意志で、之は温故知新から得られる。
 全て政治行動は、行政への抑制も含めこの為。道徳に劣る王が在位している間は、平和が訪れる事がない。それは人倫が安心を得られず、腑に落ちない念いをして転覆や不正を感じるから。まったき政体がない様、世俗の政権は程でしか正義を実践できないとして、歴史自体が正義感の平衡機能に基づくのは明らかで、ヘーゲルのいう世界精神の本質は実にこの倫理感の業が変転しつづけるのみ。だから絶対正義は因果応報を彼らの因縁ではたすが、偶然も含めれば国家内での立場しか変わらないし、倫理はそれしか説かない。正義感は是政の徳という他には意味をもたない。かつ正義感をうみだしているのは、特定の倫理であり、多くは地域毎に異なる場所の倫な事がいえる。
 普遍人倫は神の心にしかみえない。限定された理念を問うしかない限知限能の品種には、個別人倫の正統さを主張できる丈で、一般に独立の地位を保つ役割を果たす。人倫互いの衝突は秩序度の優劣に伴う繰り入れか影響を伴うが、その他どんな目的もない自己展開の理。よって、究極神意への到達という遠大すぎる幻想は一つの当為にすぎず、現実の人類らは人倫淘汰の境から自らの文化形質を選り抜けるのみ。
 浅い正義は低い道徳からきて、この教養不足はみな人倫とぎの対象となるを得る。地域人倫が場所学をこえて意義をもつとき凡そその種の高い道徳が正義の平衡へ導く為に転用される。政が国際化するのはこの場合で、実際のどの歴史運動も巨視で人倫淘汰に伴う世界適者の選抜過程。煎じ詰めれば現実態へ定着された地霊の連続したとぎすましの業がこの世のいけとしいきるものの相。しかもどの姿も究極の形相ではありえず、ただ神のみそうだろう。我々には神という呼称すら仮借なので、場所学は結局、地域神学を哲学化したもの。地域の神らしさは場所のもつ生態の地歴政経による。

2010年10月30日

堤防事業貫徹の義理

政治の源に治水があることからも、スーパー堤防の事業計画自体が頓挫しつづけるのは望ましくない。千年の大計の前では当面の赤字財政などなんの問題でもなく、天災に比べれば一度で失われる人命の重さを守るに、他の命にかかわりない事業を犠牲にしてでも重厚な、あわよくば豪勢な堤防建設を実施していくのは国家建立の義務と思う。
 目先の損得勘定が行政府の命題では、当然ない。長州藩士の風を押し倒してでも事業は継続すべきである。
とはいえ、当然だが計画実践の途中でより高規格の堤防が発明されればこちらを採用し直すのも合理。旧約の大洪水の例をひくまでもなく何より行政人が、水害を決して軽視してはいけない。

排出量取引枠の改組

星の圏内二酸化炭素量が地球温暖化の原因な実証的証拠がない限り、京都議定書自体は守らない方が得をする。恐らく主要因は熱量そのものの排出、特に建設作業に伴うそれなので、二酸化炭素の排出量取引を国際的圧力の方便にされている、要はゆすりのタネにされているのは明らか。
 本質からいえば「途上国寄附の名目」にしか議定書は使えない。一連の余波で中国人がごねる様なら東南アジアやインドとのみへ排出量取引枠を制限せねばならず、場合によっては台湾も無視するを得。

あまごゝろ

すでになきまちのかおりの栞かな
ときのうつるうちにかわれる団扇かな
かわりなきよるの岸辺にお月様
すぎさりしときをせしめる夕陽かな
みやことてかみのまなこにひとゝきぞ
あいづのおくのお墓をめぐる正しきこゝろよ
やまぐちのはかりあさけりきみの服
ひとのすむしまのせまけりこゝろざし
落ち葉踏む音の響く空蝉のそら
あづまにていやしむきみはいまどこぞ
きのはなきあすのいり口ひらくたき火
人はみなあまごゝろのもと過ごせる子
母校の人のかわらぬ気風冬の街

アーチスト

大女優あたりが
公家の真似してうれしゅうございます
とか言う。ん?
東国なめてんのか? 糞阿魔
なんだ? しゅうって、しく、だろうが?
標準語すら喋れない糞加減で
国税ぱくってのうのうとしてる
南蛮虫の末孫を
なんでまねてるの? お前
糞加減が関西風だよね
先ずは、京都行け
そんでお前らのたまり場な
あのゲイシャ街で一生サルやってろ
わこーたらそちの言葉遣い直したもれ
はいはい
大建築家先生
はいはい
また出来レース
はいはい、また学歴差別
大画家先生
はいはい、官能小説屋
大作家先輩
なにひとつとして
まなぶことはない
てめーらうまれついてのクソ馬鹿さを
褒められて有頂天になってんじゃねーよ
まずはてめーらのクソさを万人へわからせる為
あの園遊会で天皇に土下座くらわせとくから
もっとじゃんじゃんやってくれよ
退屈で退屈で仕方ないし
なんだよこれ? 一年かけてこれって
「あぁ君には言ってない」
ならCD売ってんじゃねーよカスが
先ずはかねもうけて
チャラりたいんでしょ、自称アーチストきどりの
着メロミュージシャンのみなはん!
こいつらの雑魚っぷり
何度きいても吐き気しかしない
どっか風説流布罪ネットニュース社が
お小水みてーなへなちょこ歌を
あたかも音楽みたく聴いたり、
京都市民が西洋の古典を褒めちぎってみたり

2010年10月28日

生物学

獲得形質と遺伝のそれとは連環して働く時、文化形質を作る。文化形質は遺伝子に属するのでなく、文化素にのみ属する。そして獲得形質は文化素の幾らかを学習し、世代間で受け渡す。文化形質は世代で浮動しており、遺伝形質と獲得形質の両方から影響されて変わる。但し、一定の獲得形質がその遺伝の傾向のもとでくりかえし世代間に伝えられていくと性選択の中では必須の学習行動、つまり生存の為の文化形質として定着される。
 人類が言葉をこの種の文化形質にしているのはその一例。言葉を介さない人類は、その遺伝形質に関わらず同類とはみなされない。その種の文化素は定着された。

姦淫と場所倫理

稔性やもっと端的には繁殖率の高さは、人類の段では「再生産率」と言えるが、異系配偶の実のききめはそれ已。副産物でこの値は経済活動となって示される。

 総生産より総所得の方がより経済活動の純粋さと消費生態を示すなら、再生産率自身の象徴は現段階で総所得のみに絞られる。かつて不生産階級とされた商人層が之。故もし再生産率のみが、裕に早稲の傾向だけがこの人類生態内での目安とすると、ある地域の場所倫理になぜ異系配偶の推し進めへの違った程度があるかは明らか。
 つまり商習慣の社会適応度が高い程その場の早稲への誘因は高まる。この法則は過剰稔性の目安の一つだろう売春の有無でより明白に示される様に思う。この活動のある地帯は、必ず異系配偶への極度の誘因がある。多くの宗教や道徳理説で売春、つまり婚姻関係にない異性との姦淫の禁忌が説かれるのは、その倫理感覚をうみだした集団が過剰稔性を不適応としていたから。

 私はなぜ倭人、及びアジア人の中の幾らかが売春への罪意識をもたないかを長年疑問に思っていた。特に、この傾向は日本とよばれる島国で関西地方と東京都という一帯で甚だしい。それらに共通しているのは人口過密の地域な事、及び天皇の末裔な公家の土着率が他の地域より高い事らしかった。なお他の倭人地方都市でも全く売春行動がない、といった例は殆ど見受けられない程かれらは最低でも文化素面で、売春への定着性がある。更にこれは関西以南で甚だしく、地域民俗の厳格さに伴う幾らかの例外はあるが北へ行くに従って幾分減少するが、少なくなる日照時間とそれに伴う湿気の多さに逆比例する様どこでも山陰地方の民俗では凄まじい習慣の継続強度を示す。
 一般に、財産家の地位に比例してその多妻指向が現れるのは哺乳類的でもあり、彼らの属した集団での倫理感が他の標準的人口密度や生態行動の地域とずれる事へは特段の疑問符もつかないだろうが、私に分からなかったのはなぜ彼らが金銭などを介した明らかに姦淫の習慣を煽る売春の行いすら否定しないのかだった。
 神道とよばれる彼らの祖先崇拝の信教では、姦淫ばかりか売春への禁忌事項すらない。だからあなた方であれ日本の一部の地帯へ観察のため侵入してみれば、そこで生息している人種が罪意識を全くもたない侭、かなりの期間に渡って売春行動へ自己適応や家畜化しているのがみてとれる。京都という関西地方の中核都市では舞妓や芸妓あるいは芸者とよばれるこの種の特殊適応した品種がなお増産されている。かつて江戸とよばれ、現状では東京と名をかえた都心部の一部地域ではこれと似た光景で、売春店の看板が辺り中に掲げられた侭で人々は何事もないかの如く暮らしている。なお中間地帯の名古屋も同様。東京で多い男娼はホストとよばれ、それらの活劇を青少年以下も観る時間帯に全国区でテレビ放映する民族は、私は倭人しかしらない。同様に税を収益源とした公益のための国営放送が、前述の芸者要は売春婦を主人公にしたテレビドラマを平気で毎朝流していたところを私は見たことがある。因みにどちらの事例も東京に存在するテレビ局が番組製作し放映。
 社会で暮らす倭人らに発狂している風はなく、真実、彼らの中には売春への罪意識が殆どないのだ。
 彼らに理性がないのではなく、彼らの属する社会環境への適応の為に、他の人類の属した地域とは全く違った種類の理性が彼らの中では正当化されているのだ。彼らに何の宗教心もない訳ではないらしいことが、その地域へも神道式の社が存在しているので分かる。但しほかの宗教が及んでいるとはとても考えづらいが。

「姦淫は悪である」という命題が、文明化された国民に理解されないことはないだろう。それは理性をもつ生物ならば、どの形にせよ窃盗が両性の尊厳を侵す限りでそうなのだ。従って純潔が道徳と説かれる理由も、文明化された市民が婚姻前の異性を不当に占拠しない為に設けられる自己規範にある。
 仮に不倫が上述の歪んだ地域でどういうわけか正当化されているにせよ、その地帯のかれらにとってすら家畜化された人格を婚姻の為の対象としない範囲でに限ってなのは違いなく、いうなれば彼らは人口過密による抑圧からの異常性行動と擬似多妻制の両立を倒錯した習性、要するに売春の自己目的化で果たしている醜悪の習慣に染まった人なのである。事実上、異性の人格を否定し奴隷化しており、それを通して自らの人格も全く尊敬できない悪辣な程度に貶しめているのだが。彼ら近代化したと言い張る倭人の法律にはたしかに売春を裁く風の文面はあるが、神道の影響下にある検察官の劣った理性のため長らく空文化している。その為に彼らの倭社会一般も、世界から非難されて然るべき性風紀面でのはっきりとした悪徳を偶然でなく、繰り返し示すのだ。

 彼らの悪さは彼ら自身の中では永遠に自覚できない。それは場所倫理学上も論証できよう。場所らしさがそこでの適応行動への第一誘因なら、京都や東京都の様な異常に過密化した都市への定着にはそれらの悪業を「種の利益の為に」続けるしかないか、最低でもそうすべきなのだから。媒体を通した間接的観察で悪習をどうとろうと、必ず彼ら倭人には理性の反面教育という効果だけが確かめ得る。都心化された醜悪な倭人は現実に地獄沙汰を誇示するべきなのである。さもなければ死を。
 結局、人類が大部分で純潔を実現する為には人口の分散と、富の固い定常的偏りが起きない国家体制が必要だろう。そしてこのどちらにも反している限り倭人にみられる如き倒錯、それに伴う過剰稔性の害な丈の奨励は止まない。且つ、この商業への過度の集約はその場の形質を早稲化する傾向の為に世代を通してそうでない民族でより理性の発達、つまり大脳新皮質の上乗せを抑えこむ。結果としてこの特定民族は社会間や文明間の競争の為に消滅か編入されて大勢を失う。その中途では悪評に伴う醜行での刑罰と現世を含む監獄の常連客の身だろう。

ゴモラ

関西出身者はなぜあれ程品性下劣なのか。例外がある、と言う者へ、自分の人生経験内では例外がなかったのだ、と反論しよう。確かに例外なし。では、関西出身者とは何かと定義すれば、関西風の文化素を引き連れている者、と丈定義できる。遺伝でも環境でもある。
 すさまじい淫蕩。これはいつも恒常不変に関西風だ。勿論、関東圏にも江戸っ子(現東京人)という例外がある。しかし、江戸っ子すら超える淫蕩。すさまじい迄の。天皇がその原因なのだろうとは思うが。事実上、天皇のいる場所で丈そのすさまじい淫蕩の生物がはえてくるのだ。自分は江戸っ子の書いた武士の映画をみたことがあったが、本当に笑ってしまった。その軽薄な下っ端侍は毒味役で、妻の不貞に憤って決闘する。なんという愚劣さ。なんという下っ端加減。共感可能性ゼロ。今日の江戸の流行語にイケメンイケメンというのがある。イケてるメンズの略らしいが、本当に江戸すぎるチャラ語としか言い様がない。ジャニーズ野郎がいる訳だ。ちなみに噂では、江戸じゃ不貞が自慢項目らしい。まさに伝統的低俗としかいえない超暗黒世界だ。東京と名乗ってからは首都っぽくて調子に乗っている様だが、実態何も変わりはない。
 しかし、自分には人生観へ決定打となるほど衝撃だったのだが、関西在住者はまじでそれ以下なのである。とある典型的関西出身者が書いた小咄がある。淫蕩を尽くす下人が浮気に浮気を重ねる。それだけの大売り出しで有頂天になっている生命体。勿論、猿と評するには言葉だけは使う。がその他は猿にも遥か劣っている。自称近畿のゴモラなど征服されて当然だったのだし、今もそうだ。間違いない。必ず裏切る。これも関西出身者の一大特徴だ。しかも卑劣さにかけてはあの最低な長州山口にも負けない。どんな手でもみばえの為には決して択ばない。さらに、必ず金か女に靡く。その優先順位も確定していて、「まず金、つぎに女」だ。これは奴らの腐りきった本能として、金で女を買うからなのはいうまでもない。どれだけ穢れなのかわからない。しかし、またこれもいうまでもないことだが公卿の伝統で驕りにかけて右に出るモノはないので、決して自らの非を認めない。だからそこで訴訟された罪人は悉く懺悔しない。したら最期、徹底して虐げられると分かっているから。抵抗しない被告人を進んで斬首する屠畜以下の公家道徳みたいな関西の人間は、武士道に悖るどころか一切の正義を司る資格がない様だ。自分はある四国、愛媛の出身者にもこの性格をみいだして、西海地方も関西文化の影響下にあるのをたしかに見た。絶対に己に非があろうと、いかなる場面でも懺悔しない。神が彼らの中にはないのだし、更には輪廻も理解しない。業の連鎖を生きるのに金しか中心軸がないのである。
 酷い言いざまだな、と思うだろう。が酷いのはその関西の者どもの生態なのだ。例えば滋賀、奈良、岡山あたりは周縁だからまだましだろうと言うやつがいる。それも一理かも寧ろ逆で微妙に勘違いしてる分さらに酷い部分がないとはいいきれないかもだが、問題なのはかれらが自称近畿中心主義の余波でおのれどもの悪習の一切を全然反省もできないどころか、いまだに関西風の中世の悪徳を心底信じきっていることだ。端的にいえば救えない。底無しだ。害悪とは関西である。江戸より酷いのだから、それは地獄の底の底と類比できよう。

平成物語

赤坂の皇居前を低空飛行してくラジコンの鳥
その濁った水に映す荘子の魚は
プリンスホテルの瞬く窓を夜景に鮒の息をする
あの僅かな窪みの向こうに
都心に棲みつく特殊な生命体がいる
そいつらは遠くヤマトのクニからやってきて
なんでも金をごっそり国庫から盗むのが習性
ぬすっと野郎は底抜けに厳重な警備をする
棍棒もった黒ずくめの護衛が
ぎらぎらした監視カメラの隣りで睨みをきかせてる
僕は一羽のカラスとなり
そいつらの目の前をとおりすがる
大昔からヤマトでは
このぬすっとをなぜ崇めざるをえなかったのか
その家は凄まじい迄の悪なので
権力の為なら手段を選ばないからだ
あの堀の奥で日々国税から奪った私財を
無益有害に費やすヤマトの末裔一族は
この底抜けに複雑な首都のビル群に囲まれ
やはり自分が王だとでも信じ込んでるらしい

2010年10月27日

国歌

それらの裏切り者どもは
政権を暴力で奪いながら
テロリズムを隠蔽すべく維新と言った。
ところがすぐに侵略者となりはてて
自分からアメ公に喧嘩をふっかける
馬鹿は黙ってりゃよかったんだ
原爆ぶちおとされ泣きっ面
「もう逆らいません」と宣言
あれえ? お前らあのとき
将軍殿をおっぱらいながら
てめーらがこの国ひっぱるって言わなかった?
糞野郎ほど自信過剰
今度はほんの百年前のことを忘れて
腐るだけ金もうけ
もうわかったよ。馬鹿なのは。
明治以来、なにをまなんだ?
さあ、ここで陛下へ敬礼するんだ
この国の長を御守りする忠義の為に

2010年10月26日

朝鮮人の公然猥褻罪

朝鮮人の女性歌手グループが人目を憚る格好で公然と踊るのを放置しておけば、単に風俗壊乱になるばかりか、演芸一般の倫理の限度を石原慎太郎級にひきさげる末路へいたらないともいいきれぬ。

 これらの渡来組を一つのきっかけに、演芸に於けるいわゆる風俗営業の許可をとっていない公然猥褻罪を適用し、その社会の底流となる正義感を維持する健全な風紀を健勝しなおすことが必要。
乱れた風紀は危機に及んでの規律のとれない敗北へとつながるかもだし、特に防衛を司る集団へは致命傷ともなりかねない。渡来人は理性に別の程度があるらしいので営業をその文化の水準で放任すれば、いずれは国内の全ての風俗がみな朝鮮化するであろう。

史政論

天才とか抜群の個性つまり順応しない才能を尊ぶ社会的寛容さの重さ、をさしていたミルの覚め方は現代にも再び教訓の価値を与え得る。彼らの独創性だけが、集団思考や全体主義化した同類項の中へも真理を提案できる。
 ヘーゲルなど天才より秀才を尊ぼうとする思考は、みなこの独創性こそ全ての文明の展開の鍵であるのを見落としている。もし天才にまったく他の追随をゆるさぬ独創性がなければ、必ずその成果が決定的進展のきっかけになることもない。要は文化素へ与え直す突然変異の結果が、その属した集団の他集団に比べた合理性を高める場合には天才がえりぬかれるのこそ文明の本来の意義。発明や発見、芸術とか技術とよばれていい殆どの才覚は、実にかれらかけがえない個性の為にのみ社会へひろまったもの。そして単に巧みな模倣を習慣とした秀才にはどれだけの努力や学習課程でも、その種の才と同等の進展を歴史脈へ与えることは出来ない。秀才の意義は、これらの圧倒の成果をまなび、できるかぎりならって自らの集団内の新たな習性へ、以前の格上げや固定される迄その文化産物の真似をつづけられること。そして両者の立場は大きくことなる。学校という体制が模倣の体系をつくる組織へみずからを最適化しているかぎり、永遠にその中から十二分な独創性は開花してこれないだろう。それは既存宗教組織から開祖が出現しえないのと同じ構図。但し、前述の如くこれらの学校には天才の成果を、同時代の凡庸な人々へもあらまし類比できる程度にくりかえし学習させる、という別の理由がある。
 模倣と独創の違いに理解が及ばなければ、社会がなぜ学歴についてのあらたな階級を設けたがるかもわからない。それは凡庸の支配率を上げ、いわゆる独創性の芽を摘み取り順応した人々の文化素を遺伝子の傾向もろとも正当化する為でしかなく、自体は単に誤った習慣なのだ。ミルが厳しく、かつ明晰に注意づけておいた如く、この傾向は階級秩序が最大数の支配率を占めるとき不寛容の社会として権力か場合によれば暴威を振るい易い。その場ではどの不条理も、つまりは悪意悪徳も多数派を占めているという根拠のない安心感のためにあたかも公然と正当化されてしまう群衆心理が働く。この症状を改めて衆愚の非道とよべる。この衆愚の非道への抗いは唯一、天才とよべるほど周りの形質とは一切が隔絶した非順応者や、少なくともその振りが習い性となっている疑い役にできる。そして疑い役は決して好かれたり、ましてや尊重されたりする役柄では全くなく、一連の史実や事件からみれば疎外や非難の的でありやすい。にも関わらずつねにこの種の疑義への最大級の尊重がなければ、衆愚の非道はいかなる多数決の原理のもとでもおよそ防ぎきれないだろう。このために民主政の本質的利点は多数派以外の公的意見を見逃さずに、俎上にのせる過程を維持できるというところにある。決して多数決の原理こそが正義を導きだすとかいう根拠のない俗理説からのそれではない上、往々にしてこの原理は投票率に支配されて均された意見を採用せざるをえない内実から、独創性を欠く。つまり最善ではなく次善以下の、しかも凡庸に納得されてしまうほど取るに足らない決定へ納まる場合が殆ど。天才が個性である様、集団規模はつねに最善の決定を民主政のもとでは少数派へまとめる傾向がある。そして我々が国家の組織へ言論や行動の自由をその寛容の土壌へ求めるべきは全てこの最善さ、乃ち古語でいう至善に止まる地位を保つ為。次善以下の悪徳の程度による群衆行動の決定はかれらへ集団の業として、国家の格式低い義務を果たさせる為のもので、いわゆる究極目的でもない。だから最高の独創性だけがその組織の行いへみてもやはり最善さの模範を示すであろうし、我々が大義の勇とよばしめてきたものも同じ。この種の勇気は福沢でいう一命を抛つべき一大事でしか証明されもしないが、実際の事態へみればあまねく、組織的最善さとしての政治集団の格式とは道徳の程度へ厳密に比例してしまう。
 人々が英雄さの定義を求めるのに、かれらの道徳がいかに究極目的の理念と一致しているかを問うのは当然で、多くは後世が歴史の真相をふりかえれば必ずその善意の判断はあきらかになってしまう。そしてこういう歴史法則を、天道の是非として問う体系は史学の的。且つ真の歴史法則は事実上、過去の最善の規範を理解することによって導けるのでそれは温故知新という歴史哲学の核心に叶う。べきの問いからいえば、正史はこの真の歴史法則を導くための世界劇場を用いた方法論なべき。政治学の内、支配者の智恵が正しい史学にあるのは以上でわかる。

絵巻

足をひっぱるしか能のない倭人
またテンノー崇めてら
救えない俗物共が
淫蕩を尽くす以外なにもない猿の島
昔ここには異人がきて
野蛮な猿どもを幾分殺した
そのせいか多くの黄色い猿は
おそれをなして黒船を観る
空に暗雲がたちこめ
あの大江戸の底に溜まってる
澱んだ退廃の悪業を
一掃しようと企んだ
けしとんだ後で
後悔しても遅いのに
すべてこの世は当たり前
不条理をおしつけてきた教師共でも
やっぱり馬鹿すぎて苦しむもの
あの関西の者みな
僕のめのまえで
淫蕩のこばなしを売りまくり
揚げ句に僕の足をひっぱった
なにがしたかった愚物か
もし過去を眺める機会があれば
きみらの前世をみせてやるよ
狭い世界にとじこもって
不倫の連鎖しかやってこなかった
心底ゆがんだ奇形のチビ猿どもが
ニヤつく絵巻をご覧にいれよう

「幸せを噛み締めています」

一歩でも進もうとすると
すさまじい数の老廃人どもと
発情虫の馬鹿すぎる十代どもが
糞と言うほど足をひっぱってくる
最低最悪の重すぎる負担
その老廃人は
迷惑どころか害でしかない
醜悪な浮気話を安売りしまくり
尊敬しろ尊敬しろと強要してくる
途轍もない関西の南蛮虫なお前を?
どうみても終っている
くだらなさでは類をみない
歌ですらない馬鹿芸人の醜悪を
コンパクトディスクにして買う
そんな風習でよく十代やってるよ、こいつら
東京といえばなんでもまねる
東北や西海の痴呆な黄猿
わらえない売春倭奴の腐る程の量産を前に
なにを教育してるつもりの国家なんだ?
天皇は相変わらず「幸せを噛み締めています」

高尾随想

僕は高尾山というのの中腹まで登ったことがある。今なんとなく思い出すのは、あの空気だ。自分は東京に全然馴染めない、というか馴染まないからあの空気が苦手だ。それは江戸時代から、あの一帯にある空気なんだろう。集団の多さからくる空気。いつも大量の成員で満たされた空間に馴れてる彼らは山道でもひとごとを中心にして登り降りする。調度広重の浮世絵の様に。
 崖で危ないから待てば少年がわざとおちる振りをする。帰り道でゆっくりしているとわざと追い立ててくる老人。中腹でお握りをたべてるとみとれる子供。登山しえない私服で着た若い女二人、大音量の愚痴。そこへは大量の流入者があったから、いまではごっちゃだけど、一帯の雰囲気は残っている。自分はそれが苦手だし、馴れえない。馴れるべきですらない。
 あの空気は、果てしなく広がるあの東京の町の至るところにある。そして「空気を読め」といいながらあの愚か過ぎる江戸っ子どもは堕落の連鎖を日々くりかえしている。
 日本の人は間近で東京の現実をみたことが殆どなく、テレビの着飾った情報で洗脳されているので、何もしらない。残念なのか、知らぬが仏なのか、恐るべき災厄なのか、そのどれもなのか。だが現実に、自分は体感してきた。その下らない世界を。

不正

関東を馬鹿にして
公家は離反しまくる
それにのっかるかぎり
あなた方に正義はないよ
僕はその最悪の鈍物を
一刀両断にするつもりだ
あの時お前らは
そんな大義名分のない
陸でもない
肩書きだけの賎しい
最低最悪の奇形どもに
忠誠を誓ったんだよな

2010年10月25日

旋律

必死で働き続ける倭人
かれらに意識はあるのか
もしおおぞらが落っこちても
あの新幹線一杯につまった
似た顔の黄色い
二足歩行の喋る猿は
ちょっとした信仰とひきかえに
あふれる札束で
星中を現に旅行中
僕が散歩ちゅう耳にした
どこかから流れくる
あの旋律を聴くんだ
かれらがもし滅びゆくとしても
ピアノは鳴りつづけるから
今おもいだすのは
海辺の町のコンビニだ
別に意味ある遠出じゃないけど
そこへ寄った
ちょっとした興味があって
JRはどうでもよさそうに
きみをそこから運んでく
秋口の街はいい香りがする
電車を降りて
凸凹した駅前の通りをぬける
しばらく行くと海がみえる
もしきみがおもいだすなら
そのなんてことない一瞬
さざ波の音

満員電車のすきま

陸でもないM字の看板が
田園の真ん中にぶち立つ
政治屋が「税収を儲けなきゃ」と言う
次々侵略される文化
そのアメリカ企業は
腐るほど金を余しながら
家畜以下の最悪な食事を
はやりのウイルスみたく持ってくる
関西人悪徳小説屋のお下劣小咄みたいに
最低最悪の戦後文明
僕らはその中に産み落とされ
気が狂ったみたいな高校生女が
電車の中でミニスカート姿で大勢で
「きもーい!」と叫ぶ下劣社会を聞かされた

発狂して自殺する倭人
天皇が金を搾りまくり
国中に極悪源氏物語の極悪不倫話を撒く
吐き気ばかりのする汚れた極悪倭東京
無業者をニートと呼び蔑視する弱肉強食地獄
賎しい働き蜂の唸る中
満員電車のすきまで僕は唯一の希望の
水戸ホーリーホックのワンセグを観る
宇宙のどこかで
そんな光景があろうとなかろうと
ハリウッド紛いのヤンキー野郎が
宮崎アニメで同類を洗脳していく手筈
ホリエモンが又テレビで金の話をしてる
どう考えても終ってる時代で

2010年10月24日

うたびとの意いきえつる白鷺の鳴く夕月にはゆすゝき野
ぽつん/\と残る刈りとらぬ稲穂のさわぐあきの小声だ
すゝきの穂あちこちでながめれば各々ことなる土の声する
肌を刺す海風の涼しさはてしなく地を占める月日の傾き
ねこのなくみちのかしこに凩の訪れをまつ枯れ葉かさつく

2010年10月23日

東洋の倫理形式

語りえないことへは沈黙を得る、の命題は、知性と理性つまり純粋理性と実践理性へカントが批判書で注解しておいた見解のいいかえな丈。この場合で語りえないこと、とは実践理性のつまり理性側の道徳命題になる。この道徳命題は自然科学側からは導けないのがカントにあっては自明だった。所が、ウィトゲンシュタインは道徳命題がこれを論理機構の働きのみには還元できないと考え、その為の表示をしながら遂には道徳とは論理作用ではないと結論した。
 乃ちウィトゲンシュタインの定めた命題は、道徳が自然科学とは異なるが故に確かさが低いので語るべきではない、という判断を凝縮かはぶいて言い添えたもの。逆にカントはこの判断を単なる形式にひきあげ、つまり通り一遍の型にはめ、汝の意思の確律が常に普遍的立法の原理として作用する様行為せよ、と定めた。
 要は道徳が、少なくとも西洋社会で内容の域で語られる傾向にないのは、これらの代表的命題からは言える。つまりべきの問いは西洋でとわれづらいか、敢えてとわれなくていいとされている。その訳は、既に豊富な内容を供えた聖書があるから。
 脱構築がこれらの形式主義的倫理観を除こうとしたのは、東洋の眼には内容を語る禁忌をとりもどす為に有効らしい。西洋ではその内容が保守され、又は進化論などの別の体系と衝突しているが、抑形式主義的倫理観をもたなかったか、異なる体系に属した周縁圏ではこれらの論争そのものが一般な冗長さへの誘い込みにしかみえない。禅などに既に示されているが、そこでは形式と内容にはっきりした区別はない。故聖書の文脈は、また他のどの文章とも並列化されえてきた。もし東洋で原理主義を述べても、不思議な顔をされる場合が殆どだろう。裏に東洋では明らかな形式が、その内容の不在に併せて定義されていない。禅問答という言葉それが既に無の方法を指している。凡そアジアの風土に近づくと、そこでは自然の超倫理さが語られる。無は人為を排する。どの形式も他を圧倒する命題として定義されない。同じく、アジアの殆どの人倫は原理的機軸を要さない。神の理念さえ必ずしもかれらにあって共有しない侭、共生の体系が築かれ且つ維持される。
 和辻が季節風型、と呼んだこの倫理傾向は、適応行動としてその場へ受け身の姿勢を求めさせる。そしてオリエンタリズムの中に女性らしさとして画かれる姿勢は、実はこの自然環境の包容的特質から自ずと導かれている。東洋の道徳命題は無に帰する。各種の了見は、沈黙とは異なる文脈で、必ずこの無の姿へと元に還されていく。ダーウィンが述べるずっと以前から、東洋では自然淘汰の法則が「無為にして為さざるなし」という老子の逆説で実践的には悟られていた。弱肉強食が人間社会の法則でないことは、「驕れる者久しからず」の物語の一節によって諸行無常の理念の元で普く膾炙されてきた。
 この形式主義倫理観と、無の理想の対比は道徳命題がいかに属した自然環境の適所らしさによって違う趣をとるかをまざまざと示す点で格好の題材であり、西洋社会が法治による形式の順化をめざしたのに比べ東洋では一定の命題の外へその実践面での解決を投げやっている違いがあり、もし現進化論者の冷徹な観察眼にかかれば、自然淘汰則の道徳的順位制度への自己適用へどんな留保も設けていない面で東洋の倫理規範へも一定以上の理性をみいだすだろう。特定の聖書をもたない民族は、内容での規範も有さない代わりにその堕落や残酷な悲惨へ何の救済も期待しない。彼らには自業自得の覚えがあり、この理念には遠い昔に到達された自由界での社会淘汰の全概念が詰まっている。ある面で西洋の倫理人が彼らの聖書に完全に背く故に野蛮とみなしがちな諸習慣はその適所では悪徳の実例を逐一あらたに生成し豊富な負の内容を示しているが故に功利的。なぜ東洋人が公共心に欠けているかの如くみえるかいえば、実はこの自業自得の心得が彼らに絶えざるすみわけの要求を教えているから。

2010年10月22日

無の根

自業自得の元では人格主義が成り立たない、といった気づきはカントの命題が目的としての対人格すらつねに手段を経由しているのを注解している、というくわしさの見逃しのみ。又無の前では普遍的立法の原理がなくなりえる、とはこの立法主こそ無、と説ける。つまりべきの問いが全理性の定義に返るのはそこがまやかしの表象や形相の各様からは離れているから。色即是空はこの言い方。
 神の定義が無にとっては空想にみえるのも、信の域を有限にしない為にはよき方便。東洋が多神教ばかりか無神教すら迫害せずに放っておくとしたら、そこに自然界の合目的さへよりそうため、人為の定めを極力避けようとした痕跡だけみつかる。信の伝達能率がもし冗長度に大幅依存しているなら、必ずしも一神教にとってのみならず人倫が共同体をすみわけながら共生させるのにも、法的利害調整をこえてはそれらのどの異端も業の侭に無知の程度に応じた宗教をさせおくのが賢いのは自明。和辻が空として絶対否定運動の原理とみたてたのは、禅をこえれば東洋に広くみられるこの無の理念だった。空は無の禅問答での媒介物。無自体は何も生み出さないので宇宙の原理や起源ですらない。なぜ東洋にあってこの種の超越概念が倫理規範の元になったかいえば、おそらく季節風型の風土で長く適応的であるには単に受容的かつ受け身であるばかりでなく絶えず変化しつづける自然の様相の前で特定の信念を唱導しない方がより冗長度への批判的基礎を保ちつけたからだろう。我々が村にあって、既にこの種の好みをもっていたのは物言わぬものへの崇拝、例えば天、道、それらの抽象理念ばかりか岩、山、海など言葉以前の人為の超越への憧れから分かる。そして実際にこれらへの狂信にすら見える物質崇拝の一種は、村では次々いうこともいれかわりたちかわるどこの馬の骨かしれぬ下手な知恵者の嘘へ付き従うより安全な上、自分自身の内省の投影しかみえない心の鑑の役目をはたすがゆえより騙されづらくなり、適応的だった筈。
 これは偶像崇拝が悪徳として働いた不毛の土地での因習とは全くことなる豊饒界での過去として、十分な考古学からの裏付けのいる推論。にもかかわらず現に神道がやまと民族の唱導のために伊勢本宮を通した天皇への中央政権主義へ武力征服で利用されるまでは、その自然崇拝の各様式は地域毎に独特な上ごく多様さのある物いわぬ鑑を拾っていたのだ。

2010年10月21日

キラキラ

ぷかぷか浮かぶ
ひろい海のね
お星様キラキラ
金銀砂子
うちつける波の
砂浜の上
キラキラ光る
よぞらの星よ
お月様を眺めてる
小さなヤドカリは
うちよせる波に
ひたされて眠った
お月様キラキラ
金銀砂子
砂浜のぬくみ
静かに夜はねむってる
真砂の白さ
よるのふかくに
洗われて光った
金銀砂子
お空の上で
神様はみおろした
生き物の寝息
お星様キラキラ

テニス

何もいらない何も
僕らは小さな小さな
隙間にいて何も
求めなかった
その生き物は
あらゆる暴力をもちこんで
居直る
自称神様
自分らはその生き物が
何をしているかを
じっと見ていた
その生き物は
群れになって弱いものを虐げる
他なにもしなかった
簡明にいきぬいて
このよにきた
だから過去なんて
もうおわったみたいなもの
硬式テニス部
くりかえしうちつづける球
いったりきたり
丸でめぐる命のごとく
大空が明け放たれ
幾羽もの鴎が
遠い世界へと
帰って行く
小さな隙間で
なきつづける命

独り言

世界が始まり終わる
そのくりかえしん中で
なんの意味も価値もなく
生まれ消えてゆくいのち
誰の命令なんだか
世界は計画どおり
ゆっくりだかすばやく
動きつづけてる
その森の奥では
きみらの先祖が必死のゲーム
親分にひっつき回って
おこぼれをあずかろうと
僕が国会みてたら
その先祖がこっち見た
くだらないつまらないこの世
やめようかなと思うよ
どうせどこへ行っても働き蜂が
いつもの寄り合いで金をかき集め
このつまんない極東のマンションを
建てまくるって公算
飽きたら辞めりゃいいのに
一体いつまでかかるつもり
山形の奥へ建つ
大昔の石造建築
もし猿どもの来世が
あのどうでもない勘違いと
おなじ目当てだとしたら
僕は大阪でぶつぶつ独り言をする

2010年10月20日

環境学

持続可能というsustainableの訳語は煩雑なので、単に長持ちする、或いは「もつ」といいかえる方が賢い。例えば、もつ社会はもたない社会と対比語とできる。

今日的市場の景気回復政策

雇用がもどらず、大多数の求業者が労働意欲をもっているにもかかわらず留保ある大企業法人の経営陣が安全策をとってしまうのは今日的市場の失敗。で、これを実践段階で解消するにはきわめて高い「法人留保税」を用いて、それを貯めておけばおくほど企業が損失を被る体制にみちびけばいい。
(当然この新たに豊富な税収分は各種の公共投資に転用されるを得る。)

 もし海外の銀行へと内部留保を転嫁しても、その総額が国内法人としてみとめられるかぎりは主要取引先が国内銀行のときと同額を税収として納めさせる。

 さらに注意深い大企業横暴の統治を行うなら、派遣や偽装請負その他の仮雇用の限度期間を政府が定めてしまうべき。そしてこの期間をこえて採用者か仮雇用者を正規雇用しないときには、退職金に代わる「解雇手当」をその仮雇用期間分以上の給与額で支払わせる。
かつ、これらの解雇手当制度は、累進化させると合理。要はあっぷあっぷで自転車操業している中小企業へは優遇し、やむをえない仮雇用者の解雇へは限度額を倒産しない一定額に留める様にしておく。
 これらを守らない大企業の経営陣へは通報や立ち入り検査で発覚され次第、高い罰金罪で処する。事実上、彼ら法人経営上のぬしが自ら富みつつ際限なく失業をふやす元凶なのである。

2010年10月18日

経済学

用語で、再分配は公共投資用、調整は救貧用に用いられると訳ある。この両用語はよく混同されている。

製品開発

扇風機の上側の網に、被いをかけておく。こうすれば冬場の収納に際しても殆ど埃の心配がない。

凱歌

大阪土民ども
わんさか騒いで
どういうこと
疲れる
だれもが
こいつらと縁を切りたがってる
所が極悪の品性下劣な東京土民だけが
金ほしさにそいつらに近寄る
僕は大阪で
どうでもいい道端の雑魚が
東京風のものに食いかかるのをみた
お前みたいな共食い雑魚はどうでもいいんだ
問題は
こいつらを食い物にしてる
あのテンノーケって奴ら
あいつがこいつらの親分なのだから

猥褻物の合法取引範囲

社会で暗にか明にか金銭取引されている猥褻物は、全て金銭取引についてはその拡大再生産の素なので否まれるべき。よって、猥褻物へは利潤追求の目的で金銭ずく頒布した者のみ罰され、それが寧ろ無料取引されている現状は拡大再生産を抑制するので無視されねばならない。

 同時に、これらの品物へ「窃盗の罪が成り立たない」のも明白。猥褻物を公然と陳列や利潤追求のため継続頒布している者へは、それらの品物が掠め取られるだけ損失が膨らむ分は、この行為こそが義賊的といわれる。一般的に検察や司法はこれらを私的利用の域にあるものとみなし、無視せねばならない。

2010年10月17日

地球生態学

各生態は、遺伝や獲得された習性ゆえ自らの形質に叶う適所へひきよせられ、また留まり易い。地球を仮閉鎖系とみたてれば、その中でもかつてこの適所充実化の法則が働いてきた。
 浮動を除く一定以上の定着さが、競争状態より多彩にみられる訳はこの適所充実化に叶う為。

学問の順序

世界文明の中で現存在が求める理由は、完全な普さを達する事はできない。それらのどれも知覚基盤とその上にたつ理性の偏り次第で、唯一絶対の精神とよべる計画主は全世界の外にしかありえない。
 どの宇宙文明学も神を実証する事はできまい。唯一の趣味が不可な如く、宇宙文明への適応はこの趣味観を適所に基づいて原因づける他の目当てがない。つまり自然学習でえられるどの認知も、知としては趣味観の素材の一つとなりその理性型生物の知覚の基盤となって活かされる丈。自然学習の体系が究極の理由や、我々の生存の目的を与え直せない事は旧約聖書が既に解説していた。その通りで、仮に形而上学が理性の強化とで得るどの認識も、自己の論証体系の中で社会適応の為の規則を自然体系と離れた系として再定義できる丈。乃ち信仰の学識は、或いは信の問いは自然知識から直にひきだせないのみならずその修繕にしか役立たない。
 宗教を科学より信じるに足りないものとみなす人々は、上述の信の問いがどの自然界にもないこと、いわば理性自体の論理でしか語りえないのをしらない。信仰自体はその適所で広がるかぎり、科学上の精確な認識への近さに関わらず合理さを伴う。原理主義哲学、或いは故事論は倫理研究へ有効。そして科学の全てはこの研究にとっては詳しい解明へのてだての一つでしかない。神学か神話論、聖書の研究がいかに当面の非科学命題にあふれていても、神の論証が信の領域への問いかけに返る限り必ず、人々は神学をその道徳目標の設定へは援用せざるをえない。
 適所や民族毎に偏りや変異を伴う道徳さは、その神らしさとされる性質がかなり違う事、その為に人間さが異なる精神度へ向けて目標づけられる事による。科学の中へ神学の認識を持ち込むのは賢明ではない。之は神がいないから、いるといいきれないからではなく、単に形而上学が形而下学や数理で定義される実証的な社会科学も含む自然科学の後駆しりがりだから。科学は道徳哲学や神学にとっては利用できるが、逆は偽。少なくとも自然の中の理性的存在、現存在が思索する立場を客観視すればこれは常識的である。斯くの仕組みはカントが分類を考えておいたとはいえ、向きを正確に定義したという点で新たな発見で、学問の順序と呼べる。そして今までの人類の学者達が混乱をきたしてきたのは、主にこの命題をしらなかったから。

2010年10月15日

自動車の音

言葉にならない悲しみが
あなたを襲う
この小さな青い星は
なぜそらをさすらうのか
それすらきづけない侭で
いまにもみなが終わりゆく
萩の花が風に吹かれてざわめく
かぞえきれない自動車の音

2010年10月13日

信仰歌

必死で女を守ったどっかのげす
笑える
女などこの島には腐るだけいるじゃないか
今更なにをもてたがってるカンサイ土人なんだ

倭奴など死ねば死ぬほどうつくしい
お前らはあいつら倭奴の禍々しさを見ないのか
そいつらには理性のリの字もない
金ほしさに何でもしてる現実を見ろ

もし倭奴を殺し尽くした英雄なら
どれだけ神の褒章に値するか
そいつら姦淫民族は聖書を捨てて、現に
あの姦淫物語を読みあさっているじゃないか

穢土

あんな暴力教師や
底抜けに馬鹿な先生とやらが
なんの因果で学校に巣くっていたのやら
潰れろ
大卒を誇る
お遊びほうけのチャラ江戸ちゃん
さっさと就職して
たんと餌をたべるんだよ
大きくそだったら
ねこそぎ税のもとにしてやるから
おとなしく学歴階段の
奴隷に納まってくれ
発狂したお仲間が
地獄への道でおいでおいでしてるぜ
ありえない国だ
足をひっぱりまくってくる老人ども
少しでも進歩しようとすると
必ず総出でうちのめし威張りまくる
こいつら気が違ってる
猥褻小説を平気で売りまくり
あちこちで姦淫映像を販売しまくる
こんな老人連中を尊敬できる訳がない
事実上殺せれば殺せるほど望ましい
ところが会社へ
はいりこんで居直るあの裏切り同期ども
学歴を楯に卑しい老人へ媚びを売り
かねを儲けておなじ醜態に染まってる
ならお前らに来世が待つとして
まちがいなく大穢土の底
そして南蛮虫に生まれ変わるのだ

2010年10月12日

にゃんこ

ねこにゃんこ ぽこ
ぽぽこぽこ ぽこぽん これ 
ね たぬきのタイコ ねこじゃないよ
ぽぽこぽこ うぽこ ねこにゃー
うねこ にゃーにゃーないて
あと いわきのゲキジョウで ね ねこないたよ
むかしのだけど
うん うん らしいよーらしーらし
でー
うぽこ ぽんぽこ ぽんぽこ
たぬきが ね うたってるってゆーかね 
ねてる ねてるタイコ うつ あまだれのおと
だよ
らしいよ よかったね
ねこにゃんこなんていないよ きらいだもん

勇気

地表から全ての藻屑となった
私達が消え果てても
誰ひとりとして困るまい
もしあのどう仕様もない
かつて我々の属していた
共同体が、同じあやまちを続け
矛盾したその心を
文明の上にばらまくとして
なぜ宇宙の広がりを知らない
どうしてここにいる
お前は小さな子供としてきづき
あの際のない空を眺めていた
もしそれが当然の道理なら
世界を変えて行くことだけが命題
すべきことをせよ
その通りにしたばかりに
大和魂の犠牲になった先祖の墓の前で
くだらない醜態をくりひろげる土民
もし来世がきたら
この現実はあらわにされるに相違ない
命より大事なものがある。
あの生き残り組の何人が
はたしてそれを悟っているか
汗水流して働いていようと
大義を果たした職分はこの手の中に
あると誇れる人間が
一体この狭い島国に何人おられよう
さあ今すぐに勇気を試すのだ

2010年10月10日

極東保安の策

極東警察隊を組織し、中国や朝鮮を含む暴徒がその東洋での自由主義原則を乱すふるまいに出たときには在日米軍の挙動を待たずとも、首相及びその直属の警視庁長官の自主的意志にもとづいて保安以内の警察活動を行える様な体制を早急に整えねばならない。

また、この組織はおよそ現状の自衛隊体制とは異なる警察庁の直轄で営まれる方がいい。理由は、自衛隊は9条や米軍との協働に縛られがちで僅少なこぜりあいの際に警察をこえた名分で出動すると必ず、中国と朝鮮によるいわれのない感情的非難を受けて迅速な行動に不利だから。

2010年10月9日

新卒待遇禁止法案

新卒一括採用の風習で「現失業組」へ永遠に就職可能性が絶たれるばかりではなく、学生の就職活動が延長されその滞留すら起こるので、現状の新卒待遇を全ての国内企業で禁止する法案を通すべき。

全て学歴差別による就業可能性がある層は恵まれた層でしかなく、政府が後押しする意味は皆無。格差をさらに広げたい長州人首相の判断には疑問がある。

 兎角これで企業は別の楽な人事差別方針をみつけだそうとするだろうが、全く理由なき非社会的差別を続けさせるよりは今現状より大多数の幸福へ益する。

倭の穢れ

倭人女は馬鹿すぎて
階段でスカートを押さえながら上がる
こいつら全員全力浣腸団の犠牲にされて
ひーほー言いながら山奥へ逃げ帰るがいい

倭人が大馬鹿な証拠に
高校生女の電車で吠える声キモーイキモイ
先ずお前らの猿加減を実証するべく
動物園の檻の中で叫んでもらうつもりだ

南蛮虫関西人が次々猥談を犯罪販売し
東京の極悪犯罪人種が山ほどそれを買い漁る
倭天皇がご満悦でかの様子を眺め
極悪関西人都知事が金を手にする腐敗の御構図なりき

お前ら終わってるヤマト極悪人種の
徹底した粛清を誓うよ
どこまでも薄汚い性質を広める
何もいいところのない穢れどものな

田舎日

世界内小生慄然
不可能故實
先帝髏合法
權化橋梁霑隴
全域洲整然
万物流転然
站然由季節周期
倉残存田舎町秋日
鴉鳴夕暮谺田園汢
無茫漠然涯湍超高層
烏郛游中風前墓相
若森羅万象僅瞬間
做顧例年従前麼什邇
泰空磐城後白云物語

2010年10月8日

平和主義の原則

間文明知識から戦争を防ぐに、地域間の富の極端な偏りがこの因果なので、事前に公平貿易の名でその為替率を常に偏りを緩和する側に傾けておくを得る。
 国連徴税やそれを暗に類した国際恐怖政治での強制的武力征服は、この公平貿易の原則が外交上で破られる時ごく生じがち故。但し実践的には計略内でしか用いられえない理論だが。

fifth calculator

i used to be old
& theyre too, be older than
because we re the
sculpture of world, here
i used to be bad
& therere too, worse than
that were the
loneliness remained at few minutes
lottery fifth calculator
does it for minute
our special engineering is
end. and youll be sad
some times
these all phenomenon ll
be vanish, plus
same metaphisical absents

間文明学

文明間経済はその場所柄な知覚基盤の適応した快さの文化素を生態間で交易すること。故、需給の規則も文明間で必ず異なって趣く。ある知覚をとぎすまし易い地帯で場所学誘因の為、特定の文化素が需要されると、その供給に最も適した土地からの輸入がありえる。
 もし文明性格に意味があるなら、主にこの偏りを適切な処置で交易へ結ぶ為。市場の偏りが極端なとき、それらの間に調整措置として征服での平衡化の要求が起こる。

空き地

もし大宇宙から
全ての魔法で
あなたの夢が消え
だれも真理をみなくなったら
夜遅く
星屑のふるわずかなまに
あの金木犀が
語る季節をおもいだせ
ゆずられた
小さな席に入り込む
冬の電車のすみ
きみは文庫本の上に
この小さな14行の綴りが
秋のおしまいになると知る
てつかずの
さりげない
校庭の一面に
雪がふったのだった
それでも
人口のすくない日々に
自分はこころから
おちつきをおぼえていた
市長というのがでてきたら
いつのまにか店ばかりふえて
次々つぶれながら
町はすぐにいれかわっていった
きづけば空き地もほとんどなく
僕は窒息しそうだ

2010年10月7日

とんぼ

ぴょんぴょんとぶばった
ばった ばった あと とんぼ
とんぼー!
くるくるぱ
くるくるぱ とんぼの ね めだま
くるくるぱー! てね とまるの
ぱっぱ っぱ はっぱ!
ねた
ぴょんぴょん とぶ とんぼと
ね ばったの めだま
ちくりんちくりん くるくるぱ
ねてるの
のはらの むこうに おちる ゆうひ

関西売文屋についての観察

ジュンク堂という新宿の本屋で
僕は一度だけ村上春樹みたいのを見た
そいつは洋書の日本コーナーからでてきた
大方奴自身の本の売れ行きでも見た帰りだろう
僕は勘が鋭い傾向があるので
あれが当人だとすぐわかった
それから、柄谷行人みたいのも
大体二度、その本屋で見た
柄谷行人はもそっとしてるから特徴的だ
村上春樹というのは、俗っぽい空気がしまくる
だから「やっぱりな」というのが一目で分かる
ああいうおじさんしか書かないだろう通俗小説を書く
追記。のちにこの人物は覚醒剤中毒になって、2ちゃんねるで散々嫉妬から僕へなりすまし犯罪をして死んだ。しかし僕はそうなった奴が想像できるし、何も疑問をいだかない。一目見たことのある者はみなそうだろう。雰囲気がきわめて低俗で、人ができていないのがすぐわかるのだ。

で、僕としては柄谷行人のが人間が上だと思った
柄谷行人はまるで子供みたいに背中を丸めて
同じ本屋で本を真剣に読んでたのを僕は通りすがり見た
僕はこういう馬鹿真面目な人間もいるのだと可笑しくなった
追記。柄谷行人は僕へ一方的につまらんと名誉毀損してきたので決して人格が出来ていたわけではなかった様だ。僕は彼から一銭ももらったことがないのに、平然としてさも買ったものかの様に侮辱するのはお門違いだ。ただ、あの風貌であの読み方からすれば、笑ってしまえるほどの勉強家だったのは確からしい。

朝がおちる

ジャン拳ラーメンぽん
ぺっぺらぺのうぺぺ
まるきり! まるきり
そして落ち葉はもやされた!
旅行く
からすの群れ
おそろしや
そして朝がおちる
たにしゅんのどうでもいい詩
壁面にかきつけられている
笑ってしまう
本気でうたってるんだから
よべば飛び出たラーメンマン!
およよの嘘っぱち野郎
まじでなくなった遊び場
あとにはトヨタお世継ぎ自動車の一人勝ちか?

スパゲッティ

あの大都会の夜景
そこで住まう多くの人ら
六本木とか品川とか晴海とか御殿場
そこにゃ理想郷があるっぽく見える
所が
僕はみてしまった!
そこにすんでるのは
京都あたりからこっちきた
品性下劣さなら比類ない猿
そこでなにをするかとおもいきや
またもやみにくい浮世の宴
野蛮さならその下ない倭人ども
あの夜景となって燃え上がる
なんていう下らなさ
なにを勘違いしたか大都会のまねっこ
遠くからみてるだけじゃ分からない
あの石詰め都市の現物を見たら
君らがまねてるのが
どんな堕落か悟れる
僕はある時神戸辺で五右衛門だかに入って
一人でスパゲッティくったことある
あの時となりにいたつがいが
いかに関西風だったかも
君らはしらない
それは君らにはしれないのだ
意味不明なぐにゃい建物で
僕はそいつらの平和ぶりにうんざりだ

聖歌

エドの俗物を次々薙ぎ殺す
そいつらは発情しかできないのだし、
実際、村春でも読んでチャラってやがる
エドの首が撥ねてどぶに落ちまくる

アッハッハ! あれだけ注意したのに
まだ分からなかったの? 都知事ちゃん
世界中に頽廃をまきちらす極悪穢奴ども
神の部隊が遣ってきたのだ

エドの死体は積み重ねられる
そいつらの雑魚っぷりと
奴らのくりかえし増産した姦淫穢多どもが
同じくこの地表の断りに滅ぼされた

いい眺めだ! コイツら
糞以下の生命体に火を燈せ!
そして地表の数ある善なる聖軍の為
勝利の狼煙を上げるのだ

2010年10月6日

旅ゆくの身

飛び交う燕の嘆き
そらに舞う宇宙の法則
もしなくなるなら
旅ゆくの身
へんてこ仮面のゲイノウ人
笑っちゃう
そいつらいっつもうるさいばっかで
少しも勉強しないから

それだけの日本

おちゃっぴい
というかおクゲちゃん
京大ちかくの三流芸大で
漫画よみつつえばってる

またか
極悪東京野郎といえばこれ
どこでも品性下劣な発情町人模様をくりひろげる
二度と見ないよぜんまい侍なぞ

またヤマトか
こいつまじで
底抜けに阿呆だな
あちらこちらで愛想ふりまく極悪偽善一族

エミシを攘って
ハヤトを微塵にした
それから先は
え極悪侵略日本ってそれだけだった

無慈悲のうえに

その丘のうえからは
いくつもの家並みが見える
似た屋根をして
互いにひしめき合うこの世
もし人っていきものが
こういうおしこめられ方に向いてて
どこへ逃げようとやっぱり
この眺めをつくるとしたら
ジャスコのかわりにできた地方スーパー
その屋上でもやっぱり似た現代が見える
昔はこうじゃなかった
いつのまにか人は似すぎてしまった
こいつらを洗脳した
テレビ画面の奴らのせいで
古ぼけた老人を後ろから斬った首相
孝行なんかしったこっちゃない
勝てば官軍の卑しい伝統をひきつれて
連日連夜浮世の行進
僕とかどうでもいいと思ってる
もし全てが変わるなら
この世襲独裁者の国が潰れてから
それまでは
無慈悲のうえに花咲く経済
家無しを横目にユニクロで荒稼ぎ
中国産がそんなに尊いもんなら
一生安物でも食ってろ
このまがまがしい現世に咲いた
つかの間のあだ花にとまる蝶よ

2010年10月5日

死刑不正論

死刑が残酷さの故に、非人間性の故に赦される可でないのは、それが改悛と悔悟の機会を永遠に奪うから以上に、人間性を悪意として扱おうとする非キリスト的思想の為。もし彼らが迷惑になる犯罪に手を出すとしても習慣やそれに伴う無知の所為であり、正しい導きさえ与えなおされればその更正が図れる、と考える者は彼らの反省と懺悔の念にも関わらずこの世から償いの道を閉ざす点で、死刑正当化論者らの実質的な自殺教唆そのものを野蛮と無慈悲の悪習とみなす。

死刑執行の権利を正当化している者は、量刑扱いした命を現世で勘定にかけるばかりか、目には目をのハムラビ法典式古代の裁決規範へたちかえる中で、文明化の程にも関わらず彼等が人格主義から何もまなばなかった様、乃ち共同体の秩序を非現世的領域へさえひきのばす暴威の面で業を悪意の連鎖へとひきさげる面持ちにある。
 我々が倫理規範を人格主義の段階へさえ立ち至る覚悟があれば、悪人がその改められた自発的意思の為に償いを続けることこそ、文化と社会風紀の両面にとって望ましい解決策だときづく。
自殺含む殺害を認める宗教がこれらのキリスト教的人格へいかに対していても、共同体が償いの習性に伴う赦しを以て客観した第三者への最大の畏敬に値するなら、その社会では暴力に訴えることでではなく、理性へ訴える風習の為に多くの日常行状の改善がみられるだろう。
そして話し合いを通して利害関係を解消する習性の生き残り率の高められ方に応じ、いざこざが戦争へ発露されるのではなく、議論という公正にして哲学的な領域へと還元されゆく世になるだろう。

2010年10月4日

風営禁止法案

風営禁止法をつくり、全てのこの種の客への接待費を稼ぎとする店舗を民族の商習慣及び商風紀を乱すものとして潰滅させる必要がある。これらの蔓延、それどころか存在すらに何一つすぐれた理由はない。

これらの店舗を経営した人物は全て懲役刑以上で社会奉仕させ、前科があれば終身刑に処するべき。又従業員へは懲役か罰金刑で身代を奪いきるべき。

枝野さん

枝野さん、どうしたんだろう? 南京忘れたのかな、中国人をあしき隣人だなんて。

2010年10月3日

月あかりの夜に

梢が揺れ動く鳥鳥鳥の鳴き声
いつかの調べだったかそれは
遠くこだまして
ポッケに入り込んだ
雨足は強まり夜を越えるだろう
そらなかで走っている風風風のうた
いつのまにか落ちてしまった紅い葉が
アスファルトをくれないに染め上げたあとで
走り去っていくこの自転車は
空気を吸い込んでまた吐き出す
そらの中で
まもなく雨はやみ
宇宙からふりそそぐ光の粒がみえるはず
だれもにのべられていた
見えるはずのない幾つもの瞬き
私達をみおろした星屑の踊り
自分さえなくなる月あかりの夜に

生物学

つがいで動く動物は内的増加率の高い傾向にある。この組みの一方をとりのぞくと、かなり早く新しいつがいになる。ヒトにあっても同じ。
 その大きな原因は、遺伝傾向が過去にあって不安定な場所で適応していたことがある筈。こういう居場所でえり好みの効果より乱婚的量産(ヒトにあっては離婚率の高さ)の方が総じて生き残りに長けたのだろう。よって、このつがい型の行動傾向は、同時に子孫への生後の世話の打ち捨てと比例している筈。生態環境の安定及び教育の必要がつがい型の行動を抑えさせる。
 つがい型の動物は、よくつがい相手を監視する。この為に費やされる労力は彼らの理由に入っている。同じ仕事量がもし教育投資へ使われれば、或いは単独行動でより有利な獲得物へ用いられれば、世代間淘汰や分業の故に前より安定した生態に入れるとしてもそう。
 いわゆる身体の美醜を気にするのは、番い型の行動生態では著しい。地域別にかなりこの偏り(身体意識の程の明らかさ)がみられる時、必ず場所の不安定化要因との比例がある。もし性選択内でこの傾向が強まるなら、明らかに早熟の効果が適応的故。様々な誇示やそれに伴う競争の為に、体の美化へじかに投資される栄養は省かれる傾向が強い程その場でみられる早熟への期待は弱まる。しかし高い誇示の能力は、逆説的だが不安定な適所で性別間の能力差により少数の雄性形質を定常にえり抜く為の慣習なのだから、実際には身体能力への誇示誘因にしか番い型の行動傾向がもつ本来の適応はない筈。雄間争いが決闘や肉体への傷つけ合いによる頑丈さの成長過程での因果に限られる様な場合、性選択での早熟への期待値は最大化するらしい。
 究極で、なぜ番いをこの舞台が好むかいえば、何らかの工夫とか場所での文化慣習の為にじかな身体の摩耗がとりのぞかれていない段階とか変異の際に、専ら番いを組み、その早熟な繁殖量を確保するのが自滅を防ぐ唯一の方式だから。

おかしなこと

もしあなたが十分に
昔のことを思い出せるなら
その日にあった多くのことの内
最もおかしなことを取り上げてご覧
そこにはいくつもの
数えきれない歯車がありどれも
これもきっちりはまりこんで動かせない
そういう風に今はできている
哲学者のかんがえた
有名な文句であっても
それはこのおかしなことの一つ
もしあなたが真夜中に思い出してみれば

2010年10月1日

俳句

海風のはてに佇む烏の子

車なき朝がいとおし現し代

日のくれて又のぼる暁の涼しさ

老人の起き出す朝はうざうざし

曇り空めぐまれる日は空かなし

漁船の煙りたちのぼり消える波と雲

人嫌いなべてこのよのおおけなし

人類がいなくなればいいと願う世の中

都市にたかる者ども皆なぎ殺す地響き

まなびやへ通う子供の暗さあり

姦淫一族の取り締まり

姦淫サブカルチャーの税収で卑しい息子をやしなう石原慎太郎へ厳罰を与えるべき。

又これに伴って、警察庁の長官とその組織を新首長が刷新させないかぎり同じ醜態をひがし京都のあしき天皇家族はくりかえすことが誤りないので、「地方警察連盟」による法的実力行使で星中へ(児童ポルノ、漫画アニメゲーム、源氏物語他)姦淫風習をまきちらす中枢である皇居を制圧しその関西やくざの手下である警察庁の成員を順次、刑法違反教唆の罪で逮捕すべき。
 この裁判へは地方裁判所を中心とし、最終上告で無罪判決を不当に最高裁から下されても、地方警察による永続告発で実質上その罪を償わせる。

勿論、これらの姦淫副文化で身代を稼いでいる全ての倭奴は監獄へ入れ更正させ又は可能な全財産を没収し、公益へ役立てるさせるべき。穢多級の犯罪経済(つまり退廃した法規範逸脱での不正取引)など何一つ人類の尊厳に値せず、現在及び将来、害毒の積み重ねしかなにもない。