2010年10月26日

高尾随想

僕は高尾山というのの中腹まで登ったことがある。今なんとなく思い出すのは、あの空気だ。自分は東京に全然馴染めない、というか馴染まないからあの空気が苦手だ。それは江戸時代から、あの一帯にある空気なんだろう。集団の多さからくる空気。いつも大量の成員で満たされた空間に馴れてる彼らは山道でもひとごとを中心にして登り降りする。調度広重の浮世絵の様に。
 崖で危ないから待てば少年がわざとおちる振りをする。帰り道でゆっくりしているとわざと追い立ててくる老人。中腹でお握りをたべてるとみとれる子供。登山しえない私服で着た若い女二人、大音量の愚痴。そこへは大量の流入者があったから、いまではごっちゃだけど、一帯の雰囲気は残っている。自分はそれが苦手だし、馴れえない。馴れるべきですらない。
 あの空気は、果てしなく広がるあの東京の町の至るところにある。そして「空気を読め」といいながらあの愚か過ぎる江戸っ子どもは堕落の連鎖を日々くりかえしている。
 日本の人は間近で東京の現実をみたことが殆どなく、テレビの着飾った情報で洗脳されているので、何もしらない。残念なのか、知らぬが仏なのか、恐るべき災厄なのか、そのどれもなのか。だが現実に、自分は体感してきた。その下らない世界を。