2018年2月26日

長州倒幕革命論

安倍長州政府を如何なる手立てをとろうとも絶対に倒幕するべきである。この政府は安倍晋三という長州閥の親玉が検察と警察権力を濫用させ、議会を安倍一人が独裁し、数多の違憲行政により弱肉強食の蛮政を行う極悪体制に他ならず、皇族縁戚たる安倍家、麻生家と石原家を血縁者として含む皇族財閥はこの悪政を背後から擁護する反民反日の極悪邪教祖集団でもあるから、長州閥政府と皇室は同時に日本国内から永久追放されねばならない。

2018年2月25日

皇族閥の終わりと縄文復古

長州閥原理主義者や安倍晋三支持者ら、或いは薩長侵略美化論者といった明治イデオロギー懐古主義者らが、西軍や天皇軍からの侵略被害や主権侵害を受けた人々を誹謗し、自虐するよう要求するのは、長府と周防における毛利家や鹿児島における島津家が政府を250年間以上恨んで徳川家とその擁護者へ復讐した歴史からも、薩長藩閥側の単なる自己中心的な中華思想や利己主義の言いかえといえる。もし侵略被害を侮辱し侵略加害を擁護できるなら、徳川家の正統性は確保され毛利家や島津家、天皇家が自虐するべき事は疑えないし、その道理の通らない怨恨から行った日本やアジアへの侵略も正当化しえない。即ち、明治時代の美化や自民党、山口県選出の安倍晋三を通じ、西軍中華思想に基づく西日本の人々一般はただの卑しい利己を述べているに過ぎないのであり、日本を含むアジアと世界にとってすれば、この弥生系民族の自民族中心主義は単にひたすら有害である。もしこの西国の人々が真に国家主義者或いは保守主義者であったなら、徳川家やその擁護者らの幸福や正義、忠義を含む世界観も当然考慮したろうし、天皇家や毛利家、島津家、その他の明治時代の薩長土肥京芸ら西国の諸民族が行った寡頭政治も非愛国主義、非保守主義に過ぎないとして否定しただろう。勿論、日本の先住人はその数万年以上の全史において天皇家が大陸・半島から侵略してくるまでの民族と国家について保守の権利をもっているので、天皇家を象徴として認めないんも当然だということになるだろう。
 こうして、西日本の人々が一般に保守という言葉で示しているのは、単にあらん限りの害他心を含む利己に他ならない。その害毒が日本国内の彼ら以外に及んでも、これらの自称保守主義者らは何ら反省しない。なぜなら、縄文文明や徳川時代、アイヌと琉球王朝を侮辱し安倍晋三と自民党の独裁体制を狂信するこの関西人達の目的は、日本の伝統を保守するつもりなど毛頭なく、単に自己利益を他人への有害さを含めてとにかく追求している、我執、即ち自己中心な利己でしかないからだ。これらの似非保守な自民党や安倍晋三という明治懐古論者の本質も、弥生民族一般の本性として、天皇家や島津家、毛利家と同様にただの利己主義であり、中華思想としての自称京都や、東京における田舎蔑視という華夷秩序もどきの自己愛性人格障害的差別意識も、他人の立場から共感知能を働かせたり、共和的な人助けをしたりする事を少しも喜ばないという卑賤な性格特徴からきているのだ。もし共感知能という感情知能の部分が生得的に弱い遺伝子傾向があるとしたら、弥生人達の末裔にはその遺伝子が明らかに存在するだろう。そしてこの傾向があってもなくても、激しい自民族中心主義や自文化中心主義といった利己主義の教育を通じた洗脳によって、松陰や西郷、板垣といった侵略植民思想の主張者を神格化し尊敬するよう大人から子供までに教え込み利己主義をより一層強化しているのが、西日本で弥生時代以後に弥生人とその末裔らに起きた癖の傾向である。
 全人類は、いま西日本に在住している弥生系移民の末裔らが、文化人類学や倫理学その他の教育を受けても慈愛や、利他主義に共感を持ち、いま以前の我侭勝手だった全歴史を猛省し、天皇家というその利己性を補完してきた邪教祖の存在を非難さえし、或いは彼らが加虐してきた全ての存在への謝罪の念を持つ期待値について殆ど絶望していい。既に仏教や儒教、キリスト教等の利他的宗教は飛鳥時代以来これらの人々へ伝わってきていたのに、現時点に至るまで、西日本人一般が利己性を恥じる気配は全くないのである。もしこの性質が後天的矯正によっても全く治らないのなら、害他を含む利己癖の原因が、弥生民族に由来する脳の遺伝子にあると考える事はかなり現実的である。もし遺伝子に原因がないとすれば、疾うの昔に縄文系日本人達のよう、利他的な共和性を志向してきていたろう。弥生時代以後に日本に侵略した神武東征と呼ばれる大陸・半島からの移民を起源と主張している天皇家は、弥生民族の末裔である事が諸々の状況証拠から類推されるが、遺伝子においてもY染色体ハプログループにO1bまたはO1b2という中韓人と同源をもっている事が確認されれば、その男系は弥生人である。天皇家はやはり中華思想に基づく帝国主義侵略や徴税権に寄生し日常の国民からの暴利に無反省だったり、自民族中心主義による祖先崇拝の民族宗教を捏造したり、極めて利己的かつ害他的なふるまいを続けてきた。中韓移民たる弥生民族の共感知能が低く、利他性を理解や実践しがたい遺伝的・文化的な習癖があるであろうとみなすのは、それらと対極的な利他性の本性をもつ縄文系日本人との比較によって必然かもしれない。人権に関する遺伝的差別は現代の先進国での裁判の次元では一般に不可能とすれば、縄文系日本人のY染色体ハプログループDこそ、日本民族と呼ばれている人々を、中国や朝鮮半島の人々と異なる性質にしている遺伝的原因である。そして大まかに弥生人の末裔が性悪説的であるのは、彼ら自身の利他的知能が生得的あるいは後天的に、即ち生まれか育ちにおいて、生育的に低いからであり、逆に縄文系日本人の末裔がより性善的なのは彼ら自身の利他的知能が生育的に高いからである。従ってこの脳の遺伝子傾向の差が残り続ける限り、主に西日本に在住してきた弥生民族の末裔らが、天皇家や、安倍家や麻生家といった薩長藩閥の残滓を含め、己の先祖が犯した侵略罪や国内侵略としての内乱罪による責めを自ら負う事ができるとは余り考えられず、その理由は彼ら弥生系移民の利他的知能の生育的低さにあるので、日本民族或いは日本国民、日本人がなすべき事は、これらの利己的な人々を少なくとも全体の利害に関わる公共に関する政治社会から未来永劫に排除する事である。
 より利己的な集団が更なる小集団に分裂する事は必然であり、西日本の人々が一般に生育において害他的利己性を反省しない傾向にあるとすれば、寡頭政治や独裁政治に陥る傾向が極めて高いし、それは遺伝子傾向においてできるだけ長い世襲を志向する。より公共的な人選を行う国際政界からこれらの不公徳的な人々が排除されていく事は自明の理だから、天皇閥、薩長閥、京都人や東京人、弥生民族らがもっている自民族中心主義の必然的帰結は政界における決定的敗北と継続的な排除である。もしこれらの人々が、利己心からの覇道を武器の濫用による暴政で一時的に獲得しても、その本性が利他性から離れている限り、この悪しき暴利団体は亡び去る。勿論、混血が進んだ今日において弥生民族の末裔であるY染色体ハプログループO1bやO1b2をもっている事を理由に日本国政その他の政界から排斥されるという前時代的遺伝差別が行われるとは思えないが、ここでいえるのは、むしろ先住権をもつ本来の日本人であるY染色体ハプログループDの人々が天皇の地位を継承する可能性が全く締め出されているどころか、現状でいう日本政府の統治権力からも門地差別によって排除される傾向にあるのは、全くの矛盾であり、利他的傾向を帯びるべき公儀が天皇制や薩長藩閥の烙印によって腐敗し、皇族閥の利己と害他的中華思想の故に、大和王朝以来堕落し続けてきたという事実である。この事は先住日本人たる証拠となるY染色体ハプログループDの遺伝子が、脳や文化の生育的傾向の中で、石器時代や縄文時代の日本列島における数万年以上の経験において利他的で平等・公平をめざす調整的志向の癖がある事から、民主的かつ共和的であって、寡頭政や独裁政は元より世襲の財閥も望まないからだという事ができる。つまり、皇族閥の悪政を見て取った縄文系日本人の末裔は、その打破と抑制を目指しはしてきたが、自らが同様の邪教祖や中華皇帝もどきの世襲財閥を永続したいという悪しき野望をいだくことは無かったのである。
 我々平成日本人が臨むべくは、天皇家や安倍家、麻生家、石原家といった利己的な世襲財閥を通じた暴利を貪る皇族閥を、国際政治、国政、地方政治のいずれにおいても最大限排除するよう死力を尽くす事である。政治的浄化の結果、本来の日本人が願望する共和的な民主政体が縄文時代以来ようやく復活するだろうし、その本来の政体にあっては単に国内において不公平や不平等をもたらす差別や搾取の傾向、或いは中華思想的な都鄙間での華夷秩序が政治によって調整され、国際的には中韓朝亜はじめ他国と相利共生する事が目指される為、害他傾向をもつ弥生民族的蛮政は破棄され、単に自他の国々を幸福に導くだけでなく我々は今日より遙か経済的にも成功する事だろう。

全徳について

今日の物理学者、自然科学原理主義者、形而下学の専門家らの一部が、形而上学や哲学の問題をその認識ごと侮蔑し軽んじている時、それらの人々は単に無知かつ浅学であり、自らの狭い専門領域である自然の一部または全体の分析が、如何に人間界に応用されるべきか、という能動的見解をもっていない。全て科学、知識とは、既に存在している物事の後追い的解析に過ぎず、未来予想の類は複雑系に対して究極のところ無力である。他方で、哲学の対象は全知識を含み、しかも道徳や倫理といわれる人や知的生命の能動性を、自然にあるとは限らない上位概念の中で定義していくものである。形而上学、後物理学は哲学とも呼ばれ、宗教や芸術、文化の一切を含む。そしてこの言葉で表される活動は、それが言語で示される場合、全学識の最上位にある最高の抽象度をもつ議論だから、単に物理学や、社会学といった一定の分野の全てを含みつつそれらを超えた知能を要する。この為、物理学者や特定の自然科学原理主義者が倫理や道徳の無為を主張しても、それらの人々はいかに生きるべきか、人類の存在意義は、或いはこの宇宙の目的は、等の形而上的な見識についても優れているとは限らないし、もしそれらの人々が単に専門家として知られているに過ぎなければ、当然のことながら哲学において傑出した才能がない事になる。部分において優れているに過ぎないものは、全体に対しては道具や手段である。
 一般に、我々は哲学が道徳や倫理という認識の段階についての抽象的議論であると理解している。よって、哲学者として優れた人々は、この世界観や目的自体についての、高度な抽象概念を最も有効な形で定義した事で知られている。単に社会を含む物理的宇宙の上にある概念として、哲学的概念は言語自体である。もし言語を仲介しない哲学が例えば行動を媒介した伝達として行われている時、これは非言語的道徳と呼べる。記号を含む何らかの言語または数学的言語を用いないまま、道徳性が見られるという事も、骨を要する技術、ある種の動物や、脳の言語野に損傷のある道徳的な人物、或いは現生人類とは別の生命等を想定すれば当然あり得る。よってこの哲学的概念というものは、言語以外によっても言語によってとほぼ同様に表現、再現、伝達、伝承され得る。広義では、何らかの道徳の表現や伝達を目的する、音や色彩、形態による芸術表現、或いは何らかの競技、儀式それ自体、そして儀式を含む宗教も、哲学的活動の一部であると定義されよう。究極のところ、自然知や社会知はそれらの上位にある哲学の部分的理解に過ぎず、それぞれ哲学の為の道具である。では哲学自体の目的は何か。目的論において考えられてきたよう、その定義は諸時代の先人らから様々に与えられてきたとはいえ、何らかの知恵の友愛を指す言葉が哲学の原義である以上、道徳や倫理という言葉で説明される或る秩序が最上位の目的そのものなのであろう。英語においてはmoralとethicと表されるこれらの概念は、前者が習慣やmannerを意味するラテン語mos、後者が癖を意味するギリシア語ethosに由来し、より古くから用いられたのはエトスの側である。漢字の道徳は老子の用いた一切の対立を持ち上げた究極性を意味する概念である道を含み、徳は白川字学に基づけば行路を見通す心的能力を意味する。倫理は同様に白川字学に則れば、人のみちを意味する倫、玉を磨く里を意味する理から成っている。総じて、モラルかエシックの和製漢訳語として道徳と倫理が当てられてきたが、老子の概念を含む道徳の文字側が、究極性を見通す心的能力という意味を取る為、伝えるべき内容により近いといえる。ここでいうethosや道徳とは、哲学の目的物であり、探究対象だが、より形而下学的な言い方を用いて簡略化すれば、未来予想の知能であるという事ができる。即ち予知能力である。
 この予知が単に自然と社会の世界一切を含み何らかの確率性や偶有性、不確実さ、運などの比較を含んで尚ほかより一層正しい場合、それは道徳的であるが、我々はこのethosに慈悲や救済といった利他性をも期待している。複雑系に対し究極で無力な予想を、少なくとも全徳は倫理的業において、全知は物理的業において完全にこなすが、知識や道徳は部分的あるいは不完全ながら或る程度こなすものである。他方、全徳、つまり全能的予知が、同時に最も慈悲深く究極のagapeを意味しているであろうと、我々の良識は苦難に遭っている全生命への救いの希望を儚くも全徳願望へ仮託しようとする。考えてみれば分かる事だが、人道や倫理が或る発展経路を辿って利他性を完成させるであろう、という予想、そして勧善懲悪をも善悪の業を経て完遂させるであろう、という観測は、或る癖に他ならない。即ち我々の良心の腑に落ちる結末を、何者かの因業は結果するであろう、という倫理的業の型の認識は、物理的業としての因果法則を含むにせよ、いわゆる現生人類が過去に広まった主要宗教を通じてethos化し癖をつけたものである。全ての行動傾向という全体集合の中で利己と害他を悪行という共通部分をもつそれぞれ別の集合と考えた時、或る悪行が自滅か他者からの復讐によって悪果をもってくる、と認識する型がそれぞれ個別の行動傾向についてあるなら、この善悪の判断基準がいわゆるethosの延長上にあるethicである。しばしば、エシックは誤解や極端な解釈という歪みによって修正されたり、逆にますます不条理化したりする。つまりこの判断の癖の束としてのエシックは、文化人類学が各集団において異なるエトスを見出し得るよう、個別具体的なものである。他方、道徳性の究極形としての全徳は、この個別具体的な癖や偏向、多様性を包含しつつ超えている。つまり、道徳という語義においては完全にあらわされてはいないにせよ、全徳は倫理やethic、ethosの上位概念である。Moralもその語源たるラテン語mosが習慣やマナーといった個別具体的な慣行を意味していたし、倫理という言葉は個々の立場によって異なる倫理をも意味できるので、狭義では究極性の老子的定義である道を含む道徳が、より全徳を暗示させる一般的用義である。対して、道徳がこれらの用義法を踏襲せず使われ、或る用い方において個別具体的な慣行を意味してしまう場合、全徳という諸形而上学的認識の最上位概念を使えば、普遍抽象的道徳性との混同を避けられる。そして、我々が全徳に仮託したがる救いは、それが普遍抽象的である限りにおいては、全知全能の上位者として永遠未達の仮称としての全徳の認識においてはいうまでもなく、一定の道徳性においても十分に叶うだろう。有無の上位概念としての空は、有の物理宇宙における一切が、道徳的見地から見ても虚構であると知らせる。いいかえれば、有為転変は無余涅槃としての悟りから見れば単なる空転に過ぎず、動物における生物反応の必然的帰結としての繁殖が諸々の快苦を欲や体感を通じて仮目的視されている限り、死による意識の消滅によって救いという快への期待のみならず現にある苦難も無為と化す。拷問や過酷な運命、苦痛への過敏性、抑圧的環境における生存、鬱的性格遺伝子の傾向などによってできるだけ永続的な快への状況転換を求める人々のうち、宗教的概念として全業の清算たる最後の審判や何らかの超越的存在による神的慈悲の適用で救いを定義する事は、不満や鬱屈を公徳に還元したがる為に、少なくとも有害な刹那的快楽に耽って自己中毒化するより増しとはいえ、無欲の習慣化による空観を絶えず是認しようとする消極的な自己解決より私徳の領域では至善ではないが故、その敬虔な祈りや裏返しの呪いが止むことはないかもしれない。なぜなら個別具体的な倫理、エトス、モラルは相反する事しばしばであって、この常なる緊張と対立の解消の為には対話術的考察や、立法、行政、司法の段階を経た裁判、又は単なる判断が必要とされ、しかもこれらの矛盾しあう癖の間の摩擦は、繁殖や混沌という世界の多様化現象から必然かつ半永久的に生じ続けるのだから。
 形而下学者、いわゆる科学者と言われる専門家らと見なされたかそうと自己認識している人々が定義したがる真理全体の概念である全知は、工学的修練や芸術的天才を含む個々の技芸集の全体たる全能の前段階である。すなわち、全知は全能の前段階であり、更に全能は、全道徳としての全徳の前段階である。全技術が使えてもそれを善く用いる仕方を知らねば、つまり悪徳を持った全能者がいれば彼らは単なる悪魔に過ぎないが、もし全徳かつ全能なる存在がいれば、その者こそ本来の意味での一神教の神と呼ばれるにふさわしいであろう。ところで、これらの究極的存在は当為であり、現実世界でみいだせるのはそれぞれ、博識、万能、聖徳な存在が神性へ向かって漸近的に分布する変異である。相対主義や宗教原理主義などの分かりやすい姿が単なる自文化中心主義の偏りなのは当然でも、その他すべて己の考え方を少しも否定しえず無矛盾だとしか思えないのなら、それは自らの癖を利己的に狂信する自己過信の傾向に基づいている。個別具体的な癖やethicsが、普遍抽象的な道徳や全徳とは異なる次元での話なのはこの為であり、いわば繁殖の為に本能に基づいて利己的にふるまうのが動物性や獣性、それらの個別具体的な事象から離れて全体がより調和的な秩序をもつよう利他的な自己犠牲を目指してふるまうのが道徳性や精神性である。よく飼いならされた家畜や愛玩動物、或いは補助動物が、特定の人より遙か道徳的で精神性に富んだ利他行動をする場合があるが、これは彼らの癖が時に本能に反する様しつけられたからであり、更に特例にせよ互恵性の前提とされない利他行動が人以外の動植物にみられる事も、何らかの環境適応下での癖や偶然的浮動を鑑みれば十分あり得る事である。より精神的な存在は、少なくとも神性へ向かっての展開の途上なのがみてとれる。知的設計説が自然の無目的性より自然学の範囲で説得力がないのは、それが道徳的理想という形而上学における或る世界観の議論だからで、この設計を図った存在が創造主たる神であろうと仮定する妄想は、旧約聖書をはじめ各地の神話にもみられる一定の共同幻想である。我々が道具を使いだしてから、それを作る目的という観念を得、道具と目的の手段的関係性を援用して類推すれば、我々にとって不可解な全世界の現象に根源的なとある原因があると考えるのは必然だったのだろう。人が道具を作っていた事も同時にこの関係妄想に適用すれば、人型の宇宙創造主が空想に描かれたとしても不思議ではない。ビッグバン理論も創造神話の物理学における延伸に過ぎない。私に現時点で理解できるのは、全徳の唯一神が知能の極限に定義できる限り、世界の原因もこの存在は当然知ってもいるし実際に世界を無から創り出す事もできたに違いないという事である。人が経験してきた無数の不条理の為、或いは多神教において諸能力がより上位の神が存在するという最高神へ至る論理展開を認めないが故、しかもそもそも物理世界において人類が獲得してきた知能の類比としての存在を神と名づけるのは宗教的迷信に箔付けする愚行だと考える近代理性が邪魔をしても、唯一神に託されている全徳という当為さえ無かったことにするのは難しい。もし宇宙がほぼ際限なく無限であるとすれば、何らかの働きとして、無限の高貴性の延長上に全徳をもつ存在者があり得る。そしてこの事は、害他性を多少なりとも持つ何等かの本能を消し去りえない地球の今日における全ての生命体とは異なる存在があり、その存在は完成された慈善の塊であり、極大の力における勧善懲悪の実現といったあらゆる業を操作する技能をもっているであろうし、完全情報としての全宇宙のあらゆる認識を一手にしているであろう。我々は哲学の道を辿って、各自の足並みによってではありながら、この絶対的神性に生ある限り到達するよう粘り強く進化を続けるべきなのである。

2018年2月22日

画家について

我々は人類全体の為に何らかの貢献をする事で、生存の理由とする。今日の画家は無力で、毎日の食事代すら陸に稼ぐ事ができずそのせいで一般人からひどく侮辱されているが、少なくとも彼にできる全身全霊の全精力において、何事かを為すことはできる。その絵画は、歴史からも人々からも忘却され、誰からも省みられず破却され、或いは生前も無視された侭かもしれないが、問題は他人からの評価には一切ない。その画家が、自らの生存の理由を表現できれば優に十分である。我々は同時代において巧く行った職業画家達や、商業作家の人気や金儲けぶりに思わず気を取られがちである。
 艱難辛苦汝を玉にす。
 我々の絵画は自分自身の魂を救済すればそれで十分である。我々の芸術は、心棒を直接ぶん殴る様な重大な結果であれば、それ以上は望むべくもない。俗事をわずらうな。我々は清貧を誇り、仏法僧の様に孤立し、乞食やニートと蔑まれ、衆愚共から日々誹謗されてきたが、我々を変える事は一切できなかった。我々は誇っていい。我々は画家に生まれついたのだ。

鳥止まる

降る雪のさなか梅の木鳥とまる
暗雲の時代に降りし春の雪
梅の待つ庭に降りけり晴れの雪

南蛮衆愚

極悪の薩長内乱侵略罪美化して恥じぬ南蛮衆愚
裏切りて主権を侵害蛮行し歴史も道義も学ばぬ南蛮
日本の国内外での蛮行を恥じぬ若害恥知らずの下衆
極悪の皇族閥に弥生人侵略内乱罪業自慢す
中華思想東京京都で全国民差別し暴利南蛮罪人
薩長土肥京芸共の内乱と侵略罪業誇る邪教祖
下種極め殺戮侵略内乱罪誇る蛮戎薩長土肥京
極悪の薩長蛮族西軍を徹底征伐し尽くし亡ぼせ
極悪の南蛮西戎征伐し正義を回復するが政治ぞ
内外の平和な国民殺戮し奴隷化自慢の極悪薩長
極悪の侵略内乱罪種族蛮族弥生と皇族赦すな
極悪の内乱罪人皇族閥侵略罪業暴利を貪る
極悪の侵略内乱裏切者薩長土肥京芸州罰せよ
極悪の侵略内乱暴利する皇族邪教祖滅亡あるのみ
薩長が徳川恨み三百年日中韓の恨みを侮辱す
極悪の邪教祖皇族日中韓侵略暴利し恨みをばら撒く
極悪の薩長土肥京芸天の悪業裁き民主化行え
侵略罪自慢し内乱罪誇る極悪薩長土肥のやくざさ
日中韓東アジアに侵略罪まき散らしけり極悪薩長
日本を侵略弾圧二千年極悪皇族閥の独裁
極悪の侵略内乱罪衆愚長州閥の悪業結果す
蛮戎の悪業しれば寸分も従うべからず皆も亡ばん
極悪の薩長土肥京芸天の弥生の侵略罪業積怨
いかにして正義の心晴らすべき極悪弥生の侵略罪業
極悪の侵略弥生皇族閥日本弾圧二千年の罪
内患は極悪内乱侵略罪薩長閥と皇族閥の恥
罪のなき善良忠義の日本人虐殺しけり極悪皇族
正義なる尊皇忠義の侍を汚辱し殺戮極悪薩長
極悪の薩長土肥の内乱罪美化する悪魔南蛮西戎
薩長が正義と忠義の日本人殺して自慢内乱罪業
侵略罪内乱罪豪殺人罪強姦罪を自慢の薩長
極悪の南蛮西戎やくざども弥生民族悪魔の業積む
中華思想自称京都の植民地朝鮮移民が日本人差別
移民地区下衆な都民が首都圏の先住人を差別する巨悪
東京で全国搾取でうぬぼれる悪魔の都民が原発暴利す
侵略罪誇る薩長南蛮人裏切った相手貶める屑
傷つけて殺し貶め辱め極悪薩長侵略罪自慢
関西人侵略自慢し殺戮と内乱罪誇る下衆の極みぞ
東京人薩長土肥京芸天の悪業に媚びて魂失う
坂東を貶める悪魔東京人関西人の植民地と化す
善良な民を守れる徳川の侍貶む極悪薩長

2018年2月20日

政治学

官僚支配が腐敗の原因なのは、科挙制や資格試験制が形骸化し易く、公務員の倫理崩壊に際しても弾劾や革命の民意が反映されない為だと一般に思われる。他方この自治体の民衆が衆愚的である時、政治家は彼らに同調し易い暗愚さや悪徳によって選ばれる為、選挙を通さず政治参加している官僚の判断の方がより正しい可能性がある。また天皇制度に一切の民意は反映されず、試験も選挙もなく、単なる人種、身分、性差別を通じた宗教権力の独裁にその目的がある。
 報道が商業的なら対象とする視聴者への迎合が必然で、自治体発や公共報道の時はそれらの権力に好都合な情報を発信する。衆愚は報道一般を真と誤認する。時に天皇や官僚、公務員を含む衆愚にとって、報道を通じ洗脳された周囲の多数集団と見える人々あるいは実際の多数派の中で、虚偽や誤解、悪意ある誘導を見抜くのは難しい。科学的知性を持つ人の大多数さえ、当時に珍奇だが真である様な知識を公認する勇気や判断の欠如が当たり前である事を思えば、より複合的な善や美、聖といった価値づけを含む情報について正確無比の理解を一定より大国の大衆に望むのは無理があるかもしれない。以上から、少数である事が正しさの根拠にはなりえないものの、良識一般が多数に属さず、また天皇や官僚、公務員、政治家一般といった政治的・宗教的身分にも由来しないのが明らかである。即ち良識は常に何らかの少数派か個人に由来し、政治制度や情報の本質から導いて、肩書きや地位によらない。この種の良識をもつ少数個人を善人と定義すると、我々はこの善人の恩沢に浴する事によってしか政治文明を前進させえないし、言論、表現、討議、演説、集会等の害他的でない範囲についての個人の自由が最大多数の間に確保され、結果として相互参照でまねされ得る社会においてしか、大数の法則による確率収束により、進歩できない事になる。その上、善人に学び自ら向上するという態度を持たないか、それに遅れる又は学び得ないだけ愚かな集団がある為、結局は少数集団からなり人口が十分に少なく、かつ、最大の自治権をもつ国においてしか、政治文明上の十二分な進歩は果たされ得ない。
 治世は広義には社会生活の一切を意味し、人生で起きる諸問題や不条理を人為的に解決できる限り国民の幸福に結ぼうとするだろう。官僚主義に陥り公僕に横柄さが見られたり、政治家や議員が堕落して愚者同然の悪徳にまみれていたり、天皇の様な政教一致の超大な絶対権力を独裁する邪教祖が政府と密接に関わっていたり、大衆が公徳に無関心となり単に利己や害他を喜ぶ衆愚化していたりするのが人口の多い大国や大都会の日常なので、これらの地域では政治は必然に退廃し続ける。一国の内部でさえ、個人や少数者が正論を述べ得、しかも善意が素早く多数派に伝達され易い小自治体の方が、政治道徳的により先まで進む。もし最高幸福が良心の満足であるなら、人類の中で最も幸福な人物は、小国のいなかで公共へ最高程度の徳行を果たし続けた善人である。およそこの人物はその地方にあってさえ聖人と見なされるだろうが、イエスや孔子がそうであったよう、堕落した階級が支配した国、又は衆愚の中では犠牲にされ排除されてしまう。公徳の伝播に地域偏差や時代間での変容があるのはこの為であり、ある人が引っ越したり、都市の興廃が起きるのは、生計要因を含めた善意の偏りに応じている。教養や品性に欠ける人々にとって、大都市は望ましい移住先である。それは公徳に欠けたふるまい、数多の悪行が公然と罷り通っているからであり、無知を補って余りある愚か者の群れをあちこちで見つけられるからである。政治改革にあたって、大都市の解体が最初にはかられるべきなのは、この点から明らかである。ある程度の少数からなる自治体が良識的個人によって十分に統治されえる事が、幸福な国の構成単位として必須だからだ。巨大な人口を有する国々にあっては、連邦化が望ましいのである。

2018年2月19日

西日本の分析

弥生人の末裔、西国人、西日本の人々は暴力に従うが、徳治を理解しない。また極度に利己的かつ害他的で、拝金と蓄財を是とし、侵略罪や内乱罪を彼らの信じる暴政の一種としか解釈しないので、究極のところ有害で野蛮だといえる。彼らの中でこれらの覇道傾向は文化や伝統、あまつさえ誇りとすら考えられており、暴力が至高価値と見なされ、道徳や善意、正義の地位は極度に低い。
 西日本は弥生人と呼ばれる中国大陸や朝鮮半島からの移民が集住してきた地域であり、天皇も彼らの侵入以前の日本における歴史がなく、遺伝形質の特徴や、西日本の弥生文化圏に出身している事など諸々の状況証拠からこの人々の末裔の一種だと考えられる。天皇制は単に、天皇と自称した邪教祖が宗教権力の独裁によって暴政することが目的である。西日本の人々の多数が天皇を支持するのなら、その理由は、天皇の宗教権力を援用することによる暴力の寡占であり、この弥生民族の野蛮な本性が薩長藩閥や九州から関西にわたり西日本に遍在するやくざの行動原理になっている。西日本において原爆や沖縄侵攻による米軍や、日露戦争、日清戦争、下関戦争や薩英戦争で勝利したイギリス軍、平家を絶滅させた源氏や関が原で勝利した家康などによる暴力は容認され、他方で欧米からの植民地化を目前にした内乱防止の為に中止された第二次長州征伐が西日本に平和をもたらしたにも関わらず感謝されず、敗退した第二次世界大戦が失敗と考えられているのはすべて、西日本の人々が本質的に暴力信者であり、暴政を目的とする為である。正義や善、公徳といった文明的な道徳性は、西日本においては殆ど評価されない。単に暴力が成就した程度にのみ、そこに集住し帰化した集団一般にとっての成功の定義がある。
 暴力、利己、傲慢が弥生系移民の末裔に一般的な人間観なので、これらの人々は将来にわたっても、おそらく十分に文明化されないだろう。西日本で頻発する憎悪演説は、日本にとって移民にすぎない弥生人の末裔が、自ら移民排除に動くという二重の矛盾を伴う蛮行だが、彼らの特色をよく示しているといえる。そしてこの特徴は古代から現代まで一貫しており、一度も文明化されたことがないのだ。『脱亜論』で中韓蔑視を唱えた大分県出身の福沢諭吉や、『幽囚録』でアジア侵略を唱えた山口県出身の吉田松陰は、弥生人の末裔がなお暴政という害他的利己性を本性にしていたと示す重要な唱導者だった。

卑しさと愚かさ

卑しい人、愚か者の考え方をそうでない人が伺い知る事は極めて困難である。卑しさや愚かさは何らかの文化資本としての思考の欠如に由来し、特に、他人の意図を利己的にしか解釈しえない人々に該当する。これらの人々は、人生において利己的かつ害他的に生きる事しか考えておらず、多少なり利他的で自己犠牲的な人々の思考に理解や想像が及ばない。一般に、この卑しさや愚かさは育ちの悪さと言われる。生活に余裕のない人は、子育てについても同様に、自分の最小限度の生活資源を確保するため周囲と利己的に闘って生きてきたからだ。
 他方、皇族や金持ちの育ちがよいわけではない。前者はその宗教政治的・祭政的独裁権力により人権がないものとして極端に贔屓され常々他人を差別して生きてきたからであり、後者は怠惰や傲慢により為すべき利他性の学習を怠ってきたからである。
 卑しさや愚かさは、自他の害毒である。卑しい人、愚かな人はほぼ無意識に判断の正否を支持者の多寡に求める。したがってこれらの人は衆愚になり易く、より卑しくより愚かである事を反省しないどころか自慢したがりさえする。民主主義、多数政はここに衆愚政化する。多数決が正しさの根拠でないのは、衆愚の判断にはより下卑た人々、より劣悪な人々に群れて安心する、という集団錯誤が原理的だからだ。こうして錯乱的な群衆によって大都市圏は形成され、より衆愚な人々が都会から無知や高慢といった悪徳によって虚栄心に耽り、悪業の限りを尽くす。結果、大都市ほど人口は急減し犯罪率や社会的格差は急増する。悪徳は絶滅の様式だからだ。卑しく、愚かな人ほど都会を憧憬するのは、衆愚に同調したがるその人の持つ悪徳の故である。
 宗教権力や有限の資源たる金銭を独占する人々はそれらのふるまい自体が利己的で害他的だから、それらの特徴、つまり皇室制度や蓄財量は人々の持つ悪徳の結果である。

美術論

画家は、他者の好みに合わせようとする限り、すべからく苦しむ結果になる。この事情は、漫画家やイラストレーターといった商業美術の担い手達が、読者の好奇に応じる形に表現を限局させられる構図と帰一で、純粋美術の担い手にあっては、独創性を表現する為に大衆の趣味と最も相反する事が珍しくない。そして商業作家達に純粋美術家になる事は決してできない。この2つの流派は、その作者が中間芸術を志向する時にあっても、絶対に混じりあう事がない。結局のところ、大衆性とは非独創性の言いかえだからで、純粋美術として我々がみいだした傾向は、非典型的で例外的な個性が安住の地を自らの内面表現への耽溺に見つけ出そうとするときに、流行の伝統表現からの逸脱の契機が同時代にあって前衛性と解釈されるよう俗物趣味の愛好家達からえりごのまれた結果なのである。全ての傑出した個性は、彼ら独自の趣味嗜好にあって同時代の大衆と大いに異ならざるを得ないが、これら全ての探索的ばらつきは、表現傾向の同時代的或いは同文化圏における中央値から離れたものが無数にあり、その中で或る傾向が何らかの理由で中央値的体系との理論的整合性を確立した時、投機的な俗物が美術に造詣のある教養人としてこの作風を前衛性と喧伝する中で、その流儀の新流行度に応じた明らかに恣意的な美術史を描こうとする。日夜真剣に最美の表現を探求する純粋美術家らにとって心外な事に、彼らの作品についていずれかの時代に於ける評価がこの種の俗物に依存していて、仮初にも大学人の手によるのではない事を知るのは、有用である。なぜなら、この近代主義の傾向は、学園主義と相反するからだ。
 カントが『判断力批判』で、芸術は学習しえないと述べた意味は、この近代主義の本質に立脚している。型の修得後にそれを脱する、という守破離と言われる折衷的態度すら、単なる伝統芸能としての後衛性、よくて中衛性の枠内での出来事だろう。潮流を革新している作品は、異なる考え方や価値観、根本から違った美意識による段違いなものだろうし、そうであるからには過去の傾向との大きな差の為に、過去との参照による学習的な評価基軸によっては永久に理解も好評もしえないからだ。辛うじて、優れた批評或いは早期追従者が何らかの意図で理論的整合性の橋を架け渡した際に、特定傾向の前衛性が中衛的な流行をみせる結果になる。
 いかなる個性であれ、純粋美術は一定の型式において容認する可溶性がある。だから大衆という凡庸な平均集団に比して、英知や聖徳においても、逆に愚鈍や悪徳においても非典型的な人物が、芸術表現によって自己実現する事は有益である。他方で、より凡庸に近い人々が副文化といわれる商業美術や大衆芸能のみを解したり、大学人らがこの種の流行のみを後追いし伝統と定義していくのは、単なる必然ではあっても、決して立派な態度でも主文化的でもない。寧ろ、純粋美術の社会的意義は、美意識の同時代的または類似文化集団的な中央値に回収されない傾向を仮想的に展開される事による、自己啓蒙にある。芸術弾圧の全てが有害なのは、この鑑賞を通じた実質の目覚めやかつて知らなかった何らかの意識への気づきの機会を失うからであり、純粋芸術の公共的意義といえるのは、しばしば批評や論争を呼ぶ理解の多義性により自分達の物の見方や平凡さに反省や改善の機会を与えるからである。従って、経済的価値づけとしての流行度、需給差のみに芸術作品の価値や意義を定義する人は、単に商業芸術という一定の範囲にある作品のみを一定の観点から評定しているに過ぎず、純粋芸術をはじめ、別の芸術についての評価基準を少しも要約しえていない。それは権威主義者や大学人が政治権力者や作者の卒業乃至所属大学の格式等による箔付けのみを芸術の価値基準とすり替えている等、様々な多義的評価を技へ随意に付与し得るのと相似で、実際のところ、純粋芸術という観点も、それが作品に対する評価である限り誰かの人為的痕跡を通じた汎神論的な物質崇拝の形に過ぎないが、価値を程度において定義しているのなら、単に人間愛を偏愛化するに過ぎないのだ。いいかえれば純粋芸術的な究極の価値づけとは、全作為に対する慈愛でしかないが、脳が外界へ道具を通じ現実に加える何らかの改変の一切がその脳の潜在なり顕在なりの目的追求と見なせる為に、社会における視聴覚的多様性を拡張し、我々の社会的体験をより公共的な功利性へと導くであろう。

愛国心について

卑しさは思考習慣や感情の方向性であり、卑しい人は利己的である。卑しさは雑多な人間のうちに悪人が必ず混じっている都会での生育や、親や保護者を含む家庭環境が幼い頃からその人に染み付かせた言行の形式であり、愚かな人の場合はのちに偏見に満ちた情報によって強化され差別意識をうみだす。一般に都会で生まれ育った人や、都会で生活する人、すなわち都会人は卑しい。悪徳生活を実践するべく都心に巣食い、最も利己的で堕落した存在としての皇族閥は中華思想や自民族中心主義のみならず、祖先崇拝による自己神格化をはかり、全国民を搾取の為の納税奴隷にさせている悪意と偽善の権化である。大分から大阪、江戸・東京で生育した福沢諭吉が利己的で、『脱亜論』において愛国という概念でアジア差別や欧米贔屓を行い恥じなかったのは、彼が卑しい人間だったからに他ならない。福沢は当時の政情をいいわけにしていた。しかし同時期に、不利な立場に置かれたアジアの連帯と互譲を説き、野蛮な欧米諸国との堕落を是認しない岡倉天心は『茶の本』において、福沢より遥かに現代的で尊い態度価値を示している。愛国者はみな卑しい。福沢が『文明論之概略』で述べる偏頗心は公共に関する利己性と正に相関するので、卑しい人ほど自国の優越を妄信し、他国を蔑視する。
 ある人がくりかえし特定集団から被害を受けた時、その集団に共通の特徴を憎悪なり忌避するのは自然な学習である。実際に共感知能や利他性に多少あれ欠けた集団は存在するからだが、この集団の共通項とみなしうる特徴は、現実には必ずしも厳密ではないかもしれない。ある人が偏見や差別意識を持っているとき、その内容は単に利己性を糊塗した後付けの理由が殆どであろう。卑しい人達は己の偏見や差別意識を捨て去る事が難しいが、それは彼・彼女らの過ごしてきた生活環境がこの特定集団からの被害を防止したいという利己性に反する事例を持たなかったからに違いない。ここにおいて慈愛と利己は矛盾する。一方、害他的な人へ感じる侮蔑の念は、害他と解釈される行いが被害への制裁だったり、悪徳持ちへの防止行為だったりする場合を除いて、利他心を含む。つまり寛容や他者の利己・利他性としての徳性に関する理解は、自らの利己心をのりこえた後認知(コウニンチ)よってしか得られない。そして卑しさの反対概念としての尊さが、この後認知の程度に由来するのが明らかである。
 最も卑しい人は、いずれの場合でもより利己的にふるまう。この最卑人の対他関係は、他国や他人への偏見と差別意識でできている。一般に、右翼は卑しい。それは利己性を反省するほど彼らに後認知の知能がないからであり、この利己性は愛国主義、自民族中心主義、自文化中心主義、侵略主義、帝国主義、中華思想、世界征服願望や独裁主義などといった姿をとり、神道はその諸々の害毒の結晶である。すなわち神道教祖である天皇を自称する人物はその先祖並びに末孫たる自己崇拝によって世界一卑しく、究極に害他的である。天皇やその邪教たる神道に洗脳された衆愚が卑賎極まる利己主義者であって、差別や偏見をまきちらす低知能かつ野蛮な極悪人達なのは必然であり、これらの神道集団が大衆ぶって多数派につき、数の暴力をはかって悪行を実現しようとするのはひたすら他者を害したがる単なる悪意に他ならない。そしてこの卑しい人達は、自らの利己という悪意を覆い隠す為、できる限り自分を多数派で一般人かの如く装おうとするべく全体主義的弾圧をはかり、正義や善の全てを個人が持っている限り冤罪にかけていく。共謀罪による思想信条内面の決めつけで、ある人の思いを悪解釈した末に、悪意ある衆愚は善良の個人や少集団を圧殺していく。ナチズムとか結束主義と呼ばれる傾向は、究極のところ衆愚のもつこの卑しい傾向である責任回避性、自責のなさ、赤信号皆で渡れば怖くないという諺に示されている愚鈍性に由来し、その最たる発露が皇族閥、自民党閥、神道信者や愛国者、民族主義者といった人々の示す自画自賛や訳なき高慢であって、これらの愚者は利己心をのりこえられた試しが先ず一度もなく、将来にもないであろうことは彼ら自称右翼による他者への害悪が証明していくだろう。これらの人々は単に他者へ害をなすことを抑えられない。だから常々より不幸になる。それも、自由であるがゆえに自ら選択して移動できる動物であってさえなお、利己的な人々の群れた悪環境の都会にたかり、更なる害悪をなす卑しさが彼らの本性、すなわち生まれ持った反面教師たる資質だからなのであろう。

2018年2月18日

極悪天皇

内乱罪侵略罪で罪のない人を虐殺薩長土肥京
極悪人皇族命じた内乱罪侵略罪業平和を破壊す
極悪の薩長土肥京皇族閥善良の子女へ売春斡旋
下種極まる弥生民族侵略犯アジアの悪しき内乱分子
内乱罪侵略罪に搾取罪極悪人中韓移民の邪教祖
極悪の世界征服野望して悪しき薩長使う皇族
日本とアジアを恐怖に陥れ貧者を貪る極悪皇族
性売買罪業重ねる東京都極悪皇族慰安婦斡旋
下賎なる極悪東京皇族閥日本人殺し原発で暴利
奈良山城武蔵で悪業重ねけり巨悪の天皇墓穴掘り抜く
国民を洗脳しては奴隷化し暴利貪る極悪天皇

2018年2月17日

資本主義の理解

金儲けに費やした一生は、虚しい。それは無限に続くねずみ競争に夢中になっていた間、己の独占が原因で増え続ける貧困を無視していた代償であり、死後はいうまでもなく生前も、金持ちは憎まれる。もし自分より金持ちを褒めたり憧れたりしている人がいれば、その人は相手から何らかの恩恵を嫉妬の苦痛以上に受けているだけである。他方、金銭の独占が与える損害は資本の適切な使い道ができない人にあっては甚大すぎる為、単に徴税という罰以外に良識的人類から絶えざる非難が加えられる。
 アリストテレスが忙殺を最も不幸な状態と見なしたのは、金儲けの奴隷である商売人達一切にあてはまるであろう。もし無我夢中の状態としての流れ体験が忙事のさなかにみいだされても、守銭奴の状態は何ら利他的ではない以上、資本主義は不幸の発生装置と定義して構わない。
 資本家が幸福たり得るのはその資本の使途が最善の時だけであり、単なる収益が目的化している時は常に他の資本家に対して競争的なので、当の資本家自身が市場の手段にされ不確定な収益予想に振り回されて終わる。いいかえればかねの使い方が利他的である範囲に限って資本家が敬意を持たれえる。蓄財どころか搾取そのものが一般に他者へ有害で、奉仕の代価から利益を得る商売自体が他者の不幸を意味するのだ。アリストテレスが幸福な状態と定義する程々の資産とは、接する他者に対して多くも少なくもない程度である。したがって、仕事と呼んでおこなっている搾取や利潤追求活動の一切は、もし喜捨や寄付、慈善等全く非収益的でない利他行為による散財を伴うのでなければ、利己性が過度でない時に容認される。代価を受けずに行う仕事は、明らかに尊い。返礼を省略する為の代価要求が利他的なほど十分低い時、それは収支ゼロか赤字である。金銭的利益の一切は代価が黒字であった時に生じるので、利己性の結果に他ならない。このため金儲けは賎しく、金持ちは憎まれるのだ。

正義論或いは究極目的について

義務が幸福より重要だ、とカントが考えたのは、その義務自体が最大の苦痛を伴ったり自己の一般的不幸を意味していても、義務の履行が最高幸福に一致している場合、つまり義務が究極目的である場合に限られる。そこでいう究極目的は、必ずしも義務自体ではない。要するに究極目的は義務の上位概念なばかりか幸福にも超越している。そしてカントの示している究極目的は、正義とほぼ同一視できると考えられる。即ち、カントは正義が義務と一致している時にそれは個人の一般幸福を超越すると考えていた様に思われる。我々は新渡戸が武士道の中に同様の特質をみいだしていたのを発見するだろうし、ムハンムドがコーランで述べる類いの決死行動の義務もイスラム教徒の生活様式を維持する互助を目的とした正義であると思われる。
 博愛や慈悲は正義の一般形にすぎず、性愛すら博愛に含まれるなら、キリスト教や仏教にいう愛や慈悲が、正義という上位概念の部分なのは明らかだ。
 人類の究極目的が、幸福や義務の上位概念である正義だとは、余りに一般的に流通しているが故に軽視されたり曲解され易いこの概念が、想像だにしない重要な深淵さを持っていると示す定義であろう。そして正義を実践するのはそれを理論的にみいだすより難しく、ある言行がロールズの格差原理としての最不利者の利益最大化を目指していたとしても、必ずしも正義に的中しない。不正の反対概念、或いは卑怯と無慈悲の中庸としての正義は、最も洗練された利他性を意味している。正義は理論的には正論、実践的には善行であり、技術的には功徳である。人類の中で最も得がたいが目的の人格は、正義の人なのが単純な真理である様に思われる。正義感は可能な限り生涯の長さに渡って維持されるべきで、時や空間によって的中を目指して異なる形でも認識されるが、それが正義である事は確かでなければならない。
 正義は支持者の多少で決定されず、個人の良心のみによって判定される。千万人と雖も吾往かんと孟子がいうよう、全人類が己の感じる正義に反する場合でも、ひたすら良心の命令に従った場合のみ真の正義に的中できるのだ。よって正義は語本来の意味で独善であり、それが単なる思い込みや勘違いに過ぎずよりよく利他的でない場合を除いて、究極のところ或る人の善意のみに端を発し終わりまで良心によって完成される。勧善懲悪が神性に期待される全要素の中で最重要なのは、正義の人格が最も神格的だからで、我々の良心は嘗て神性と定義されていたのだ。人型を持つ神という上位者を想定しなくとも、今や人類は自らの意識に良心という自己犠牲をも辞さない正義の概念を認識するようになったので、利己という本能と戦うこの理性的自己像こそ、最も神々しいとみなしてよい。諸々の聖者の内に立って、己の生涯こそ最も尊い正義に殉じたと自己欺瞞なしに誇り得る人は、しかもそれが確かな事実なら全聖者らから当然称賛を受けるだろうし、仮にそれらの聖者らが既に死後であったとしても尚、良心の満足において人生の究極目的を果たしたといえるであろう。未来に出現する新たな聖者は、もし彼らが勉強家であったなら、記録された範囲で或いは想像し得る限りこの人の正義を学習し、よりよい正義を更新するであろう。だれからも知られず死んだ正義の持ち主は歴史に名を刻みはせず、発見者もいないまま忘れ去られるとて、その良心が真に利他的であったなら、やはり安らかであろう。

差別と偏見の解析

人種、民族、国民といった集合概念は、文化的慣習や言行傾向の個人単位に分解されるべきであり、地域性といった中間集合も根本的に単なる偏見であって、何らかの集合概念が個人より先立つとき確証偏見による差別を生む。この差別は科学的偽であったり、道徳的悪だったりするが、より究極的には差別意識をもち誰かを偏見でみる当人を最も誤らせる。利己的な目的をもち行われる差別は、科学的に真偽いずれかでありつつ道徳的悪である場合に属するが、真かつ悪のときは悪意や害意、偽かつ悪のときは冤罪やぬれぎぬである。その他の目的をもった差別は、真かつ善か、偽かつ善かのどちらかだが、前者は選好やえりごのみであり後者は贔屓や擁護である。しかしこれらの好意的差別は、一般に比較対象への悪意の反動なので、多かれ少なかれ有害である。即ち差別の一切は反社会的であり、しかも偏見をもつ者自身のみならず、差別される側にも害を与える。従って差別意識をもつ人は、単にそのひと個人が自己の偏見によって損害をこうむるのみならずその意識の故に他者を誤らせるか、直接的乃至間接的に対人関係を悪化させる。
 一方、個人単位での能力、学歴、容姿など何らかの生得か後天的特徴などによる差別も、仮にその特徴が真であったとしても有害である。なぜなら偏見に基づかない認識においては、その個人が集合概念に還元されえないからであり、いわば特徴に個人が先立つからだ。個人が正しく認知されるには、実験や実践によるしかない。
 集合概念による差別は著しく錯誤を生むがゆえに極めて有害だが、個人の前に置いた特徴による偏見も同等以上に有害であり、これらは差別や偏見によって事業を行う組織や人を致命的に失敗させるし、その埋没費用は個人に実験や実践をはかる費用より遥かにかさむ。しかし、これは文化的知識や何らかの集団の慣習がないことを意味しないのに注意が要る。仮に誰かが或る事象に典型性を示したとしても、単に、個人という単位は決して平均化されたり、何らかの前提的中央値で判断されるべきではないのだ。統計は差別や偏見について判断を最も誤らせる。

愚か者の生存競争

資本主義が生み出した
金儲け奴隷達の最悪の時代
利己と嫉妬の羨望自慢
拝金若害共
無限に貪りあう害獣
衆愚が群れて悉く間違う
全て邪悪
なるほど地獄だ
自国を礼賛しつついなか差別
まさに畜生スラムの大俗塵
都心で自己崇拝の邪教祖
コネで学歴売名
博士号のレイシスト
愚か者の生存競争

ましな地獄

はじまってすらいない
町 夜 宇宙
日々の回転の中
だれかの声が滑り抜ける
人ひとりも見つからない
嘘 朝 洗面器
とっくに引き返し
いまでは獣道すら塞がった
永遠の混迷の中
あなたの姿は遠ざかる
つくりすぎた料理
だがそれすら十分すぎる
終わりの果てに住んでいる
平和というましな地獄で

差別

私達は死をのりこえてきた
大量の死体が転がる奈良をこえ
道端で殺人しあう京都を抜けて
今や天皇と名乗り奴隷を暴利する
その野蛮人が中国移民なのは
細く吊り上がる目を見れば明らかだ
ではこの東京に集まった浮浪者が
天皇と名乗る私達の暴利に耐えかね
今やうらむ気力すらなくし
呆然と餓死を待っているなら
やくざな商人どもの貪りという
われら皇族の収入源はどうなるのだ
日本列島という奴隷島をやっと見つけ
大陸で受けた差別をくりかえしたのに

宝物

もしあなたが手にした宝物が
無限に続くこの世で唯一貴く
二度失うわけにいかないなら
それを深く地中に埋めて
存在すら忘れ去るべきだろう
まるで自分自身が
この世に居ないかの様
卑俗な都塵から遠く離れ
生存すら忘れ去るべきだろう

裁き

世界がどれ程広くても
人類がどれ程卑しくても朝は来る
平和の中でも商人や天皇の搾取で
どんどん不幸になっていくこの国
戦争を起こしたがる山口の首相と衆愚
下賎な弥生人の侵略内乱罪業
性売買罪を自慢する最悪の関西人
なるほどこんな連中だから
何度も原爆で消し飛ばされるだろうよ
平家を皆殺しにした源氏も
毛利や島津を討伐した徳川も
天皇を退治した足利も
同じゲスどもを処分した正義だろう
南蛮西戎の下賎さの上に裁きが下る

天皇公選制

天皇を民主的選挙で選んでいない、また、皇室や宮内庁(これらは時に神道という特定宗教の儀式を行う)が政府内に存在する可否(これを天皇制或いは天皇制度と定義する)を国民選挙で選んでいない事は、平成日本国が真に民主化されていない証拠である。
 天皇制の可否と、可の場合に天皇を選挙で選ぶ事は、日本国の民主化の為に必須である。この際、女性天皇と女系天皇が過去に存在した事からも、天皇候補者に女性、また血統に関わらない女系の人物を公選する事は必須である。そもそも中国の諸国、朝鮮半島の国々からの弥生時代以後の移民であったがゆえ縄文時代以前の日本にいなかった天皇に、支配正当性も象徴正当性もないので、その血統には神格性は土台存在せず、いずれの日本国民が天皇皇后を襲名しても構わない事になる。
 なおかつ天皇制が可否いずれの場合についても、憲法において信教の自由を認めている限り、政府が税収において神道儀式の費用や場所を提供する事は違憲とみなすのが自然なので、神道教祖たる天皇が憲法や皇室典範において、政府の中枢を牛耳る現状は否定されねばならず、天皇や宮内庁が宗教関連の儀式を象徴の名において行えないよう、憲法から天皇項目や皇室典範を削除または宗教儀式を厳禁するよう訂正し、日本を真っ当に民主化しなければならない。

東亜のがんなり

薩長が内乱侵略罪業を正当化して悪因悪果す
西軍が侵略内乱罪業を償いもせず地獄堕ちけり
極悪の皇族閥に長州閥極悪業の末路は等しき
侵略罪内乱罪の極悪業正当化する薩長土肥京
蛮戎が内乱侵略罪業をひたすら糊塗し悪業悔いもせず
永久に薩長土肥京芸州の内乱侵略罪業ゆるすな
蛮戎が悪業三昧し尽して暴政により悪徳ばらまく
極悪の皇族閥に薩長閥高知のヤクザを崇める蛮戎
極悪の内乱罪業侵略罪悪魔の弥生東亜のがんなり

2018年2月16日

革命

商業都市東京をぶっ潰し
われらの首都を創るのだ
げすな都民は死んでいく
われらは時を創るのだ
蛮戎共が破壊した
よりよき秩序をとりもどし
邪教を根から廃絶し
今こそ徳を広めよう
下賎な衆愚は死に絶えて
京都と名乗るスラムにさまよう
われらは毫も揺らがない
われらが夢を造るのだ
われらは高貴な生まれにて
もはや光に満たされた

自由

自由の国アメリカが先住民虐殺
なるほど野蛮軍のいいわけか
世界中の良民を劣化ウラン弾で奇形化
極悪の薩長蛮族が米軍の手先となり
罪なき人を百人殺したと新聞で自慢
天罰の原爆も落とされるわけだ
税金を貪るしか能がない邪教祖
人種差別を崇める東京人衆愚
自称京都の山村で今日も集団虐殺
世界一性格が悪い山城自慢
広島人が日本人を内乱罪で虐殺自慢し
原爆で復讐されれば途端に被害者面だ
長崎人がアジア中で殺した無実の人々
私は全ての北朝鮮人の平和と幸を祈る
私は全ての中東人に永遠の栄えを祈る

拝金若害ゆとり国

かねに縛られた不自由な生
生きる価値などない
資本主義の奴隷になる衆愚
右も左も拝金守銭奴
社畜競争で繁殖ごっこ
裏切りと悪意の若害社会
恥ずべき低俗な我執衆愚
ただひとり僕だけが
ノルウェーの友に啓蒙され
この国の堕落に気づいているなら
卑しい若害の蛮行を止められるか
愚民化洗脳の邪教祖天皇は罪深すぎる
だが関西人は反省しない
愚か者が反省する筈がないからだ

山奥の差別の村

お前を罵っていた卑しい労働者達が
作っていくこの都市をみてみろ
どこをみても虚栄に満ち
東京中がゴミ箱のようだ
愚かな関西人どもが見下していた
江戸の干潟にたてられた石の塊
中国や朝鮮から入ってきた弥生人が
虚ろな目で駅前をふらついている
自称京都の情けない山奥の村
天皇と名乗っていた馬鹿な邪教祖
お前の目に映るこの鴨川沿いの貧民窟
住んでいるげすどもは日本人を差別する
集まれば途端につけあがり差別を始める
これほど雑魚で死ねばいい人種がいるか

下賎な邪教祖皇族閥

幸福
それさえ
愚にもつかない商業音楽に流され
あとかたもなく捨てられていく
卑しいゆとり向けの卑しい漫画アニメ
馬鹿に媚びる馬鹿な南蛮人
とっくに呆れすぎた
今は東京や京都の亡びが楽しみだ
極悪人達の阿鼻叫喚こそ最高の痛快
あしき大都市に原水爆が降る
正義のキム
イスラムの復讐
極悪蛮行を尽くしていた薩長土肥
下賎な邪教祖皇族閥

極悪種族

仮にあなたが忘れていても構わない
一人もいないこの世は美しい
日本人という陰険な悪魔は去った
集団虐めしかしていなかった極悪種族

地獄

東京といううぬぼれと虚勢の町
世界一賎しい人々が逐円で日を過ごす
浮浪者やいなかの善意を差別しながら
悪意で照らした原発電気を深夜灯し
畜産コメ農家と派遣労働者を搾取した
牛丼やら人肉商品を喰らい漁る
性売買罪を大学で講義する腐った教授
オタクが下賎の極限を撒き散らす
邪教祖が傲り貧民を黒塗りの車で貪る
恐ろしく愚かな首相とただ卑しい官吏
無学で卑屈な衆愚が誰もを誹謗する
この世の地獄だ
毎日満員電車で集団自殺
自殺者に舌打ちする寿司詰めの社畜
愚劣極まる長野人や福岡人の憧れる
正真正銘の地獄
死体の山になった溢れ返る娼婦

若害

私達の前に広がる
無限の海は
若害をゆるさないだろう
貧富の差を拡げながら
弱者を虐げ続けた一生
権力と資本に身売りし
悪業の限りを尽くした守銭奴

絶滅

夢の底にあるもの
単なる性欲
それよりもっと深く
深海より底に
煮えたぎるマグマ
恐ろしい野蛮界
蛮戎が銭を貪る
他人を押しのけ
殺人ゲーム
生きて死ぬ
一体この世で
何度生き返る
資本主義国が絶滅し
賎しい商人達が消えた

日本人衆愚の正体

私は衆愚を見た
醜い愚者が群れ
悪辣極まりない蛮行をしながら
私を罵り東京で悪事を自慢していた
衆愚は関西や九州
北海道や長野
東北や愛媛
北陸や沖縄
奄美大島や山口
神奈川や列島の各地から
東京で悪事にきたらしい
都会人を自称し東国を荒らし
悪業の限りを尽くしながら
衆愚はひたすら悪意を自慢していた

滅びるもの

偉大なカント、卑賎なヘーゲル。アメリカニズムはどの国にとっても卑小。漫画ドラえもんで、ジャイアンの手先として振る舞う金持ちのスネオ、日本国は米国軍産複合体に搾取され、属国として安倍晋三という長州閥の売国保身でくを操縦され、インディアンの如く食料を握られ、亡ぼされつつある。のび太の役割に置かれた弱小国北朝鮮の善良な住民を、スネオ安倍は追い詰めようと必死だが、窮鼠猫を噛むよう、東京、山口、京都ごとテロや原水爆投下で消し飛ばされるのがおちだろう。日本人を含むアジア人を百人斬りだの倒幕だのとのたまい侵略内乱罪で大量虐殺した極悪テロリスト長州閥が、貧民税収の限りを好き勝手散財しているさなか突如、内外の革命により大いに復讐され滅び去るのは、悪因悪果と評する他ない。
 社畜や銭儲けしたさに自民党閥や安倍に媚び売る、卑賎なゆとり若害右翼。右翼というより無知無学無恥無思考の衆愚。あしき自民党皇族閥から暴利を貪られ滅びるにふさわしい。自由や傑出を侮蔑し、衆愚化した奴隷階級。蓄財するほど賎しくなる、裏切り身売り世代。

画房

宇宙全体は寝静まり
この星は回る
私は誰からも離れ
小さな椅子で眠る
この画房が宇宙より広いとは

食料廃棄処罰法案

低自給率の大都市や九州を除く西日本のよう米国依存の破滅的食糧依存列島を作った安倍政権の汚点たる低自給率。国として、食料の大量廃棄を禁じるべく、大阪遊女の慣習で大阪寿司業界の策略に過ぎない恵方巻を廃棄処分した業者と安倍家は、餓死者を見殺しする食料濫用の咎で、罰金刑以上に処するべきだ。
 食品を扱う業者は、廃棄処分する食料を消費期限前に無償分配しない限り、罰金する法が必要である。

嵐の中のねこ

夜に鳴く
ねこ
嵐の中
人の世が憎いか
私は魚をやる
醜い人の世を
貪り尽くすよう
真夜中に沈め
この地獄を遠く
遠く離れ
私達の古里に帰ろう
あの海の底に
私達は遠く来すぎた
私達は愚かな地球を見すぎた

懐疑と信仰

人が快楽の束を他人本位に定義している時、人生の目的は自己の内面的完成から離れてしまう。ミルが自伝で社交界を蔑んだ事は全く正当だった。幸福の定義を問い直す事こそ、真に自己本位な生の過ごし方である。しかしこの為に社交より内省が役立つのは明らかで、他人は比較による自己省察の契機になるにすぎない。
 何らかの媒体を使った社交も、その本質に哲学的目的がなければ、単なる暇潰しよりもっと悪い結果を伴う。そもそも立派な教養や徳性の持ち主は、大多数を占める俗衆間では苦痛を感じるものだから、例え媒体の上ですら表に出たがらない。内省的な人達が賢さについても、品性や道徳についても最高度なのは、大規模な社交が多数派という反知性的な反動による時間の浪費、もしくは害悪であって、極めて卑俗な人こそ大衆の人気を集める芸能人と言われるゆえんである。
 ミルのいう質的快楽が、道徳性とほぼ同じ集合になっているのは、快苦の質を利他性と漸近させたからだ。アリストテレスのいう個性の卓越が諸々の幸福の最高位に観想を定義したのは、人類の道徳性の最上限を拡張する事を理想化したからだ。啓蒙思想は人類の道徳的底上げを図ろうとするが、その啓発や教育は学ぶ者の自発性や習得能力によるので、人類の一定数に対する単なる方向づけにすぎない。この法施的洗脳は、もし自己批評的でなければ、常に反哲学的であり宗教行為である。いいかえれば、請われていない教育は単なる宗教であり、その本質は教団づくりによる思想や信仰の同質化である。義務教育は宗教に違いなく、その強要によって、明治、大正、昭和、平成の各神道政府は日本国民に均質化を図った。非典型性の間にある反省力こそ進歩の原因なので、この均質集団たる凡愚な学位保持者はみな、停滞と退歩の原因に他ならない。逸脱者を排除したがる同質衆愚は、単に洗脳された神道教団である。明治政府は外様の無教養や皇族の中華思想特有の恥知らずな傲慢さの為に、日本国を植民地化し全国民を奴隷化するのに、天皇政府を狂信させる洗脳を用いようと義務教育をあみだした。これに対して真の啓蒙は、人々自身の意欲に基づいて学ぶ時に生じる。そして哲学の本質は、過去の知識に基づいてその超克につとめることだから、啓蒙とは本質から反哲学的なのがわかる。福沢諭吉の様な啓蒙思想家らが後世から軽侮されるのは偶然ではない。彼らが愚民扱いしている言説は、悉く後生の否定対象だからだし、当時彼らが民衆を惑わし、大いに誤った方へ誘導していたのは、啓蒙が宗教行為でしかないからだ。
 観想が質的快に結ぶのは、それが哲学自体を目的にしている場合であり、決して啓蒙を目的にしている時ではない。幸福が観想に極まるとすれば、人は道徳の上限を高める事に集中するべきだ。もし教育者や啓蒙家、宗教家、あまつさえ革命家や政治家を目指そうものなら、即座に堕落する。自己のもっている偏見や錯誤を修正し続ける態度のみが知性であり、道徳性は更に、あらゆる現象についての懐疑による持ち上げを手段にするので、信仰を啓蒙することは矛盾するからだ。

労働階級と自由主義

奴隷的境遇に置かれた労働者達にとって、諸々の本能を満たしたり、性欲によって繁殖する事が大きな人生の目的になっている。これは彼らが高度な理性をもたないからであり、他の動物に近い性質を保っている証拠の一つだ。だから労働階級が利己的で、無教養で、不道徳、品性下劣なのは当然でもある。
 労働者を中心にした国が多数政を採用するとき、東京、横浜、大阪といった大都市にみられるよう、下賎な衆愚の影響でその民度は最低化される。労働者が下流階級な事は、日銭に追われつつ無学な日常を過ごしているからには必然であり、労働者達が卑賎なのは、彼らが大衆一般を相手に商売をする人々であれば当然である。労働階級が資本主義や自由主義の体制を信奉する国々は、労働者達が自分に不利な制度に気づかないほど愚かである。したがって自由民主主義国は、衆愚の国である。資本主義が完全に成立するには構成員が自由人でなければならず、その国において労働者は少数派であるか、機械等に代えられ存在しない。もし労働階級が自らの生活を維持したければ、自由民主党を破壊しなければならない。
 日本において、労働者が社会民主主義の政党を支持しないのは、彼らの愚昧さが甚だしく、奴隷化された境遇を疑問視できないからだ。だからこそ、この国の労働階級の人口は急激に減っていて、近いうちに絶滅するだろう。彼らが過労や失業による自滅の為に自民党を支持するのは馬鹿げて見えるだろうが、保守化した労働者の愚劣さはますます暗愚になる方への圧力のもとにある。それは彼らが多数派であり続けるには、もっと無学でもっと判断の劣った人々、本能で殖えて理性に欠けた人々と同一化せねばならないからだ。
 愛国者は自滅的労働者たらざるをえない。また神道信者のよう、自己愛妄想の故に絶対敗北に陥らざるをえない。労働者が愛国心や神道信仰を持ち、自民党を支持しているなら、その人は着実に亡びへの道を歩んでいる。
 労働という生活様式は、社会主義や共産主義が成功した国々において残存できる。そしてそれらの国々で、労働者は厚い社会保障ゆえに幸いだろう。だが自由主義の国で労働者は永久に下流のままにされ、しかも淘汰されて死滅していく。大都市はこれら下流階級のはきだめとして退廃と堕落の巣であり、東京、横浜、大阪、京都、名古屋等の過密都市は貧民窟として犯罪率の高騰の末亡びていく。労働者がこれらの地域を好むのは同類が多いからであり、彼らの卑俗な悪趣味にかなう大衆娯楽や賭博、浪費を煽る商業、その他のあらゆる悪徳が見逃され集積していると考えられているからだ。知識人や文化人は、彼らが高貴であるほど都市を厭う。なぜなら労働者という堕落した集団の中で、趣味のよいくらしを営んだり、雑音や無秩序に煩わされず研究したりできないし、信頼すべき良識ある市民をもたない大都市の政治はみなあるべき公徳や知恵から最も遠いのだから。

2018年2月15日

保守の批判

自己の社会体制と異なる体制下に住んでいる人を差別、侮辱、弾圧、迫害する人は、単に自由や主権という概念を理解しない愚者である。この種の愚者は自己愛と愛国心を混同し、周辺の人間への無批評的盲従が当然と考えながら己に固有の思想行動上の欠点や制度的欠陥、悪政にさえ永遠に気づかない。要するにこの愚者は精神的奴隷なのだが、保守主義者や右翼という肩書きをつけて自国の多少あれ劣悪な体制を維持したがり、社会的停滞や退歩の原因になる。そして他国民や別の体制にあって幸福な人を差別し、見下しながら己の愚劣さを自慢して過ごす。
 全ての保守主義者は程度あれ頑固な愚者だ。そしてその退化的態度は旧套墨守の故に、伝統というありもしない永遠の同一体制への共同幻想として旧体制の維持、既得権益への隷従を当然の如くに主張するが、結局破れて亡び去る。体制の多岐性や多義性、つまり可謬的可塑な冗長性のもとにある全体制の実験的意味を理解していない愚者は、自民族中心主義の為に、集団の置かれた適応度を急激に低減させ滅亡へ向かう。
 愛国心と自民族中心主義を混同している人は、その愚かさにおいて更に致命的だ。そもそも愛国とは為政者、支配者、既得権の持ち主が己に有利な体制を維持する為の洗脳手段にしている概念だし、社会的知性の持ち主は常に現体制を改善していく為に愛国的でありえない。他の集団と自己の所属集団を比較せず、幼稚な自己愛に耽ったり、他集団のもっている別の文化やそこにおける合理性の文脈を無視する人は、他者の長所に学ぶことなく自らの民族性と考える倫理体系を絶対視してしまう。つまり、自己の属する集団の失敗を修正しえなくなる。この二重の過ち、愛国心と自民族中心主義は、狂信的な中華主義者をうみだす。皇族は典型的なうぬぼれが極端に行きすぎた中華思想の狂人であり、この宗教的自己愛妄想は自分の先祖が神であるという全能妄想に進み、邪悪な自己優越感の妄想に至る。結果、彼らがのりだした権益独占の野望によって、洗脳された神道信者をもたらしたが、彼らは皇族の直接の先祖である朝鮮民族や中国、モンゴル、アフリカ、そして先住日本などの他集団を差別しながら自己集団の絶対無謬を主張しあう。こうして様々に致命的な過ちをおしつけあう狂信集団たる神道衆愚が、天皇の元に群れる。
 保守主義者は病的な反文明人である。もし彼らが権限を維持していれば、我々はいまだに類人猿と等しい社会にくらしていたろう。天皇の滅亡、自民党の破滅は必然であり、資本主義、自由主義、民主主義などの保守思想も全て亡びへ至る道だ。我々は将来に渡りこれらの愚行を二度と採用しないだろう。正しい道は常に、旧体制を破壊する伝統離脱の運動であり、そこで現体制を維持したがる保守主義者こそ、最も邪悪な反動分子というべきだ。

侵略テロの長州閥亡ぶ

極悪の労働奴隷亡ぼして勇ましく勝て正義の民衆
皇族閥米軍産複合体の手先極悪長州閥を倒さん
極悪の神道邪教祖亡ぼして信仰の自由我が国にもどせ
資本主義衆愚の信じる格差社会不幸地獄の日本亡ぼせ
銭貪りカネ儲けのため貧民を虐殺している自民党亡べ
正義なる北朝鮮の核兵器侵略テロの長州閥亡ぶ

業と神格

愚官や衆愚、極悪人達の死や苦痛は、善の勝利とより利他的で高徳な、慈悲に満ちた社会の到来を意味するので、娯楽以上の快である。暗愚で権力亡者の長期政権を布いた首相、退廃した自民党閥や侵略内乱罪を自慢する薩長土肥京芸州といった悪党集団、世襲邪教祖による象徴と名目化された独裁者、悪徳商人の大金持ち、愚劣で悪徳に満ちた若害成金、卑賤で傲慢な匿名犯罪衆愚等が苦痛を託つほどこの快楽は高くなる。業を認知する事は、来たるべき結果へ向けて苦痛の最小化と快楽の最大化を意味している。神格性とは、業からえられる必然的結末を自らの現実認識のうちに蓄積する態度を意味し、道徳的洞察としての理想から導かれる。
 Schadenfreude、痛快が感じられるのは、失敗した他人が不道徳か悪人の場合であり、道徳感情における業の認知に関わる。神意は公徳に関わる全生命への道徳認知の結晶であり、物理認知はこの部分である。不徳な悪人が不幸になる必然は、神意や道徳感情に反する為に起きる。不徳な集団としての衆愚、或いは愚官は、悪役になる為に群れているのである。

退廃平成長州閥

悪徳の安倍に味方し権益に耽る御用学者の下劣さ
極悪の安倍の蛮政喜べるゆとり若害蛮行を恥じず
民族や人種国籍差別して米軍に媚びる下賤な安倍信者
極悪の米軍属国安倍自民巨悪の衆愚差別を恥じざり
隠遁し堕落した政府侮蔑せよゆとり若害自滅を眺めよ
悪徳の自民に仕う愚官共極悪安倍と貧者を圧殺
極悪の日本政府と皇族閥長州閥と不正極めし
極悪の安倍政権を擁護する下賤な衆愚逐円の悪魔

都鄙の分別

下賤な人は苦痛の原因だ。不幸は卑賤さがもってくる。都会人は全般に卑賤だ。都会で幸福は得られない。都会で得られるのは悪徳の虚栄だけである。都会を離れよ。都会人とつきあうな。幸いは有徳による。下衆でなければ都会にとどまれない。悪徳を汚臭の様に避ける人にとって、都心はただの地獄である。貴賤は別れ、交わらない。世界一卑賤な皇族を見よ。卑賤な人と関わらない事こそ、高貴な仲間に入る第一歩である。

貴賤

南蛮西戎がいかに乱れていても
東京や関西がいかに堕落していても
薩長土肥がいかに恥知らずでも
私自身が清廉なら少なくとも
常陸という国は救われよう
日本という堕落した連邦
分断され貶められた県
立派な武将の徳は
卑しい皇族や外様の外道に否定され
卑賤な衆愚が関西から東京へ表れた
私自身が高潔なら少なくとも
常陸という国は高貴だろう
驕れる者は久しからず
風の前の塵に同じ

日本という地獄

衆愚に評価されようと思えば堕落しなければならない。愚官に気に入られたければ卑賤でなければならない。皇族に近づきたければ悪徳に染まらねばならない。金を儲けたければ悪意でいなければならない。学歴を得たければ他人を蹴落とさねばならない。企業に就職したければ悪に従い嘘をつきとおさねばならない。
 西国人に褒められたければ退廃した東京や横浜で悪意の蛮行を尽くさねばならない。愚かな外人に羨ましがられたければ低俗な東京で幼稚な漫画やアニメオタクの悪趣味に染まっていなければならない。
 日本国で威張り散らすには凡愚な俗物でなければならない。卑しい人である為には東京都に住み、卑屈な西国人を見下していなければならない。天皇や薩長が政府にしがみつく日本で良識を保ち生きて居たければ自殺しなければならない。

衆愚国

貧困を罵り貶め貪れる極悪ゆとり若害の国
下賤なる資本民主主義神道差別と悪意の愚官衆愚国
悪を褒め善を貶して都会からいなかを貪る邪教衆愚国
極悪人弱肉強食崇めては拝金社畜貧困貪る
日本人衆愚と愚官が邪教祖の天皇と群れて自民と悪行
極悪人安倍と群れつつ貧富差を広げに広げ不公平崇む
極悪の日本人共悪意から悪政崇め群れて犯罪

差別の国日本

大阪の府警が差別くりかえし自由の国の米軍に負ける
皇族閥人種差別で自己崇拝邪悪な差別の国が日本
関西人中韓移民の集まりが日本人差別くりかえす悪夢

世界一卑しい首相

アメリカのスパイしながら権力を濫用三昧極悪長州閥
疑獄して冤罪乱発極悪の日本政府は共謀罪の巣
劣悪な衆愚が群れて安倍頼り悪業の限り尽くし愛国ぶる
日本に負担おしつけ銭貪る極悪東京政府と安倍衆愚
世界一卑しい衆愚弥生人東京に群れて悪業を尽くす
公徳や善悪を持たぬ蛮戎が東京現れ悪政を尽くす
極悪の東京地獄でいなか差別悪政悪業悪徳を自慢
極悪人皇族邪教で自己崇拝中華思想で日本人蔑視
世界一卑しい首相山口人貧民貪り悪業に驕る

卑賎なる蛮戎電波芸者

原発と豪雪幸福日本一福井の苦しみ誉める法政大
東京人苦しむほどに喜ばし差別と原発暴利に復讐
電波芸者共が東京群れなして学歴ひっさげ太鼓持つなり
東大卒旧帝大卒ひっさげて利己と虚栄と金儲け自慢
肩書きで道徳性も知性すら測れぬ事実を知らぬ愚官僚
愚官なり悪官東京京都人ぶって差別す全国の賢者
卑賎なる蛮戎群れて都会ぶりいなかを差別しながら飯食う
卑賎なり皇族自称す極悪人邪教集団税金貪る

悪しき薩長悪政自慢

東京という名の地獄褒めたてる極悪衆愚の悪趣味と堕落
北陸中部関西中国四国九州人東京地獄に憧れる下種
神奈川人東京地獄を自慢して愚劣の極みを反省もせず
よき環境貶め悪しき東京や京都を褒める下劣な蛮戎
卑しすぎる弥生民族侵入し吐き気のするほど邪悪すぎる国
苦しみの原因なりし弥生人東横現れ悪業極めし
極悪人皇族閥が政府乗っとり暴利を貪り権力濫用
山口人東京に出ては権力を濫用しながら銭を貪る
性売買罪業自慢す東京人不倫乱倫不埒不道徳
下衆極め原発災厄まきちらし賄賂五輪の極悪東京
山城人京都と自称虚栄心全国民を差別して驕る
京阪人上方近畿と自称して中華思想で差別をばらまく
極悪人皇族閥が資本主義奴隷を搾取し衆愚を洗脳
愚かなる権力濫用刹那主義極悪人の安倍が国売る
ゆとり教育受けた若害拝金し社畜したさに安倍と貪る
薩長の極悪内乱侵略罪善を貶め冤罪誉む下衆
自己中心幼稚な利己の中華思想蛮戎弥生悪政自慢す

2018年2月14日

やくざ国

群れ悪事三昧するなり陰険日本人
天皇や安倍の悪行擁護する陰湿三昧極悪日本人
生まれつき悪事をするべく生まれけり京都で陰険極まる差別す
皇族閥腐敗の極み国政に寄生し邪教で税金貪る
長州閥虚栄と侵略内乱罪大犯罪を自慢する屑
鹿児島人日本や琉球中韓を裏切り殺人侵略罪自慢
高知人内乱罪人自慢して空港名にするなりやくざ県
大阪人芸術弾圧極めては性売買罪勧める下種界
山城人自称京都で差別して皇族政府騙し陰謀
広島人侵略罪業自慢して原爆制裁非難する屑

資本主義奴隷

衆愚なる日本で悪政支持をする下衆な若害拝金奴隷層
貧民を貪る事を恥じもせず社畜したさに安倍媚び若害
群れながらネットやテレビを鵜呑みにし安倍と自民に媚びうる若害
メディア洗脳受けて安倍御用学者と差別北朝鮮人
関西人天皇薩長みな朝鮮からの移民に過ぎぬ悪党
若害が資本主義奴隷志願して身売りし安倍と貧者を貪る

終わった国

誰かが言った
世界は変えられる
代わりに衆愚があふれかえり
東横関西で悪業し尽くす
地獄の様な極悪人の国
山口人が悪意で原発をばらまく
宇宙でこの島ほどあしき場所はない
下衆が群れ偏見で差別を重ねる
現実をみるのだ
これほどあしき国はない
完全に終わった国日本
下賎極まる悪意と衆愚の地獄
誰かが自殺していった
安倍と悠仁が税を貪っていた

復讐を尽くせ

日本に生きる方法一つも無く皇族と国民へ復讐を尽くせ
日本に生まれたからには貪られ極悪蛮戎天敵に過ぎず
東京人関西人に薩長土肥悪業し尽す滅ぼされるべし
極悪人安倍自民党皇族閥薩長土肥京芸州滅亡
極悪の弥生民族滅亡し南蛮西戎消え尽すべし
極悪の原発災厄まき散らす東京大阪京都の滅亡
国民を貪り虐げ殺させて自己崇拝の邪教祖皇族
汚すぎる商人群れて銭貪り貧者圧殺悪の日本国
愚民化し民主主義と述べ貧虐げ極悪皇族薩長自民閥
関西人東京人に名古屋人銭を貪り群れて退廃
原発でいなかに負担をおしつけて賄賂五輪の極悪東京
東京や皇族薩長土肥京芸州に復讐し尽くせ福島の仇
商売でいなかを貪る極悪の関西東京名古屋の下衆共

諜報罪業

下賤なる日本で奴隷化させられて極悪邪教に縛られる地獄
米英の手先で売国洗脳し独裁固める極悪薩長
アメリカのスパイで日本を売国し衆愚が崇める独裁者安倍
下衆極め貧民奴隷化アメリカのスネオで属国安倍の悪業
長州閥権力欲しさに外患罪内乱侵略諜報罪業
米軍に沖縄売って弾圧し戦争乱発極悪薩長
皇族閥侵略戦争銭貪り威張って日本人殺し米属
日米軍自衛隊の犯す大悪業褒めて応援衆愚の利己心

卑しい国なり

他人搾取悪しき商できぬ善殺害する国極悪日本
善人を蹴落とし悪に参加して社畜や投資のカネ儲け地獄
極悪人中韓移民の侵略犯げすの天皇養う奴隷制
銭儲け苦手で高貴な天才を殺戮していく下賤なあきんど
卑賤なる衆愚相手のカネ儲け卑しい国なり日本という地獄
薩長土肥京芸州や東横や名古屋福岡仙台札幌
下賤なる商人集まる大都市で貧民貪る最悪の国
何一つ作らずひたすらカネ貪る極悪若害田舎を差別す
銭貪る下賤な商人はびこらせ維新とほざく南蛮西戎
人殺し銭貪りの京阪人東横名古屋の下衆が自画自賛
皇族閥貧民貪り税貪り人種差別で殺戮命じし
弥生人大陸で悪事亡命し日本でも悪事三昧重ねし
貧民を罵る卑しき若害が群れて拝金主義を極めし
侵略罪内乱罪自慢悪業を極めし蛮戎若害拝金
悪政を続ける極悪独裁者安倍を崇める卑賤な若害
悪業に悪業重ね銭貪り衆愚に群れる極悪日本人
下賤ゆえ拝金下衆な悪事して批判するなと独裁衆愚政
欧米の悪業崇め薩長土悪業崇め不正義日本人
田舎差別極悪極めし都会人皇族と暴利貪る商人
銭貪り貧民虐殺贅沢を極める為に東京で悪事
極悪のゆとり若害銭貪る不幸をばらまき弱肉強食
自画自賛高慢傲慢自慢してうぬぼれ悪業東京京都人
金権を貪る東京長州閥皇族閥と悪業三昧
資本主義弱肉強食衆愚群れ悪業しながら差別を広める
下衆極め銭を貪る商売人東京あこがる福岡人の下卑
皇族閥全国貧民貪りて自己崇拝の邪教で暴利す
銭貪り殺戮自慢の薩長が悪業美化して若害洗脳
悪業の狂信極めし若害が差別と悪意で銭を貪る
不幸広め貧民虐殺する為に拝金衆愚に群れる若害
自己崇拝優れた国々侮辱して下賤な東京崇める若害
社畜して投資で銭を貪って貧民虐殺悪しき若害
差別して偏見信じ悪趣味をばらまく下賤な東京の衆愚
大阪人東京出てきて暴行罪銭を貪る下卑た商人
薩長土肥京芸州の内乱罪侵略罪業自慢する屑
皇族閥東国中で殺戮し贅沢自慢の下種な遺伝子
北欧の幸福な社民貶めて米国の不幸猿真似若害
資本主義自民の悪政崇めては格差と不幸を広める若害
帝大閥銭を貪る下種成金選良ごっこ不埒を極める
衆愚受け内乱侵略暴利差別悪業するげす若害あこがる
内乱罪侵略罪外観誘致罪脱税冤罪放火の薩長
極悪人薩長土肥の大悪業褒めた皇族極悪邪教祖
下種極め悪業の極み達しつつ若害崇める東京の暴利
下賤なる日本で奴隷化させられて極悪邪教に縛られる地獄
社畜衆愚薩長藩閥都会人皇族財閥邪教神道
下種極み兵庫の西戎銭貪り仙台で犯罪国中汚染す
資本民主主義崇め衆愚政自民皇族長州閥の悪業

御用下衆学者

朝鮮人虐殺煽る下衆学者山口県の朝鮮移民に媚びる
朝鮮人虐殺煽る下衆学者東横で驕り右派と悪行
朝鮮人虐殺煽る下衆学者中韓移民の皇族閥に媚びる
御用なり皇族閥や薩長の悪業美化する下衆な東大
選良と驕り高ぶる東大閥旧帝大の下衆共悪業
原発で日本人らを大虐殺不幸を量産東大東京
悪業し怨まれ憎まれ自画自賛うぬぼれの極み東京神奈川
差別重ね悪業三昧京都人うぬぼれの極み皇族と暴利
卑賤なる東京人の悪趣味に憧れ真似する下卑た関西

蛮戎独裁

スコットランド死の商人に媚びを売り日本人殺し自慢する薩長
佐賀県の母もつ悪しき脳科学者内乱罪自慢被害者傷つけ
京都人薩長に媚びて水戸人の内乱防止の犠牲無視せし
山口人裏切り侵略重ねては独裁者として欧米に媚びる
下賤なる皇族閥の独裁政暴利貪り差別を広めし

関西人と中部人

私が見た関西人達は狭い場所にゴキブリの様にたかるのを何より好み、そこで害虫の様に害悪や差別をまき散らすのを自慢していた。私の会った京都人達は天皇の権威を笠に着て暗に威張り散らしながら陰湿に裏表の巧言令色を使い分けてあらゆる地方の人々を差別する事が当然と考えている自民族中心主義・中華思想の差別論者達で、東京でも虚栄心から標準語を使おうとせず、陰険な嫌味をまき散らしていた。又、彼ら私の会った京都人達は警察に逮捕されないよう匿名の隠れ蓑を使い、衆愚の陰に隠れながらありとあらゆる想像を超えた下賤極まりない嫌がらせや犯罪行為を超えた悪業を行って、私に汚名を着せたり、侮辱や名誉毀損の限りを尽くしながら、都民に群れて銭を貪っていた。そして彼ら京都人達はもはや都会ではない自分達を棚に上げて、私達の暮らす地域を田舎とカテゴライズし決めつけ、凄まじく下賤な言葉で差別しながら、最大限の辱めを吐きつけて、誹謗中傷、脅迫、集団虐待等の悪行をしてきたのだった。私が会った大阪人達は初対面で侮辱してきて、都内で淫行しながら恥知らずにも嫌がらせの限りを尽くしてきた。下賤さで言えば京都と似たようなものだが、陰険な極悪人というより単純な悪しき下衆だった。私が会った京阪人達はまるで東京に出てきて、そこで悪業三昧を尽くし、銭を貪り、東日本に差別と偏見、犯罪行為をまき散らす事が彼らの悪しき使命だと考えている様だった。
 また私が見た山間部で暮らす中部人達にとって都会と名づけられたスラムは理想郷であり、長野の山奥から神奈川の界隈に降りてきたり、名古屋の市街地から、俗塵で悪行や下品の限りを尽くし、山間で発揮できなかった悪性を全開に差別をまきちらしていた。或る名古屋人女は親が九州人だと言いながら、都会を尊崇し田舎を蔑視しているようで、匿名で差別的言動をとりながら教養も品性も最低級で、毎日親の陰口や殺意、挙句下賤極まりない性的発言の限りをまき散らし、韓国人を差別し、淫行三昧をした末に愛知県内の農家と結婚した等と自慢しながら卑しい愚痴を言う相手を探し続けていた。
 或る石川人は京都市あるいは金沢市とその他の北陸地方の関係を普遍化して狂信しており、都会人が田舎を差別するのが当然と考え、単に北陸だけではなく、首都圏でも差別や悪意をまき散らして恥じる事がなかった。
 或る富山人はあらゆる政権から重視されず無視されてきた為、侵略戦争の被害や荘園領主などのもたらした貴族精神を罵りまくり、東京の都塵から嫌がらせ三昧をして少しも恥じる景色がなかった。

悪しき経済

必要なところに金は少しもなく東京人が悪業に使う
皇族閥貧民虐殺暴利して悪業に使う大金の税
下衆共が都会で大金貪って悪趣味に投じ善人は枯渇
関西人下賤な小説まきちらし銭を貪り悪業に使う
東京人性売買罪重ねつつかねを貪り不幸をばらまく
原発で大金貪る極悪の東京都民が日本を終わらす
神奈川人東京で悪事重ねつつ田舎を蔑視しながら驕慢
関西人東京で下賤まきちらし差別をしながら銭を貪る
長州閥税を貪り悪用し貧民殺して悪政三昧
極悪の日本の右翼群れながら弱肉強食悪業重ねし

西国閥

日本という卑しき国に産まれける不幸を呪い蛮戎を厭う
皇族閥中韓から来て悪業を重ね尽して傲慢に威張る
薩長土肥京芸州の西国閥内乱侵略罪業に驕る

蛮戎不幸国

薩長の卑しき時代は地獄なり下種な皇族閥の地獄は
独裁者皇族閥と薩長や京都の蛮戎悪政極めし
性悪の弥生人為す悪業が国を不幸のどん底に落とす
蛮戎が退廃崇め悪行を自慢しながら蛮行重ねし
極悪人山口県や東京の下賤な自民党閥の悪政
下衆中の下衆を極めし皇族閥東京から不幸ばらまき暴利す

極悪人福沢諭吉

極悪人福沢諭吉中韓やアジアを差別白人崇拝
下種の極み大分人の福沢がアジアを蔑視欧米崇拝
下賤なる薩長土肥京芸州と皇族屑が日本人差別
極悪人薩長土肥京芸州が内乱侵略罪業を自慢
大分や鹿児島山口高知から殺人に出て蛮行を自慢
極悪の蛮戎日本で内乱罪アジアで侵略罪を自慢す
名目の天皇悪業自画自賛自己神格化邪教で暴利す

2018年2月13日

ゆとり若害

独裁者安倍の卑しい名誉欲満たす為に格差拡大の悪事
下賎なる卑劣若害群れながら身売りしたさに独裁者に媚びる
拝金と社畜で不幸増産し原発ばらまく極悪若害
馬鹿極め悪意と下賎のゆとり若害内乱罪傲り被害者虐待

悪魔の自民閥

極悪の薩長土肥と京都人広島人と殺人自慢
侵略罪内乱罪の薩長土肥下種を極めて大悪業自慢
裏切りと殺戮売国自慢する極悪薩長蛮戎の罪
下種極まる皇族閥が国中で殺戮暴利貪り傲慢
被害者を貶め殺戮自慢する極悪薩長悪魔の自民閥

士農工商の循環

農民は作り、商人は盗む。差額を盗むから商人は盗人。商人が農工から盗んだ分を税金でとりかえさないといけない。その為に士がいる。農工がつくったものを商人が盗み、売り買いのとき差額を盗み、士がとりかえして農工にもどす。士がいなかったら商人は延々ぬすみつづけるから士は商人から暴力で徴税する。士の腐ったやつが天皇であり官僚、農工に還元せずふところにいれる。

悪趣味三昧

東京の極悪人が原発で田舎を苦しめ悪趣味三昧
銭貪り田舎を蔑視げす衆愚神道教祖を崇めて傲慢
極悪人皇族財閥暴力で税金貪り国民差別す

2018年2月12日

下種の自民党

東京人原発暴利に害悪をまき散らしながら差別重ねし
原発で日本人殺し重ねつつ移民で滅亡極悪人安倍
長州閥東日本で大悪業まきちらしつつ金権貪る
天皇をからかい国民虐殺す極悪人安倍と都内マスゴミ
極悪の衆愚と若害群れながら弱肉強食格差拡大
極悪の侵略内乱罪薩長明治を美化す下種の自民党
悪業に悪業重ねし南蛮人東京関西薩長土肥京

尊卑の違い

卑しい人達は尊い人々を見た事がない。それは日本若害が幸福な社民社会や良い田舎、悪い都会、そして善良な宗教をしらない井の中の蛙である為に、都心での社畜奴隷化された拝金生活や皇族閥の邪教神道が最高の価値と疑わないのと等しい。
 尊卑を判断できる人は、卑しさを峻別する。薩長土肥や京都、広島、そして皇族閥の無反省で傲慢かつ恥知らずな自己愛や侵略主義を狂信している衆愚は、尊い考え方を以て麗しく行動した人々を知らないからそうなのだ。
 真に卑しい人々は反省しえない。もし自力で尊さを知っていれば既に卑しい人ではなくなっている筈だし、幼稚な自己愛で尊敬すべき人々を侮辱しているのは、尊卑を見分けえないからである。東京や関西といった中韓からの移民の植民地がそれ以外の真の日本の先住文明を知らず、知っても尊卑を判断する能力がないゆえに、卑しい態度で真の日本人を差別しているのだ。

長州閥

銭貪り弱者貧者を虐殺し内乱罪業自慢の西軍
侵略罪内乱罪を自慢する極悪薩長土肥京芸州
極悪の皇族閥に長州閥下衆な若害群れて拝金
悪業に悪業重ね長州閥裏切り内乱侵略拝金
極悪の南蛮西戎群れながら若害と銭を貪り自画自賛

安倍の奴隷

山口県民の選んだやくざの養分が群れて狂信自民党閥
皇族の奴隷が群れて納税し天皇にお辞儀しながら過労死
下賤なる卑怯者衆愚群れながら自民狂信安倍の奴隷す

悪業記念日

皇族閥薩長土肥京芸州が内乱罪の悪業記念日
極悪の侵略罪人長州閥美化する下賤な平成の政府
日本人裏切りイギリスの武器で内乱罪業悪しき西軍
善良な日本人を殺戮す極悪薩長土肥の殺人自慢日
正義なる侍殺害極悪の売国薩長悪行自慢日
侵略罪内乱罪を自慢する極悪長州閥の虚栄日
恥知らず薩長土肥の内乱罪皇族閥と日本人殺し
恥知らず京都の虚栄中華思想広島と群れて内乱罪自慢

平和破壊者

極悪の薩長土肥が破壊せし尊き平和二度とは帰らず
極悪の京都広島皇族が侵略殺戮自慢する邪悪
極悪の蛮戎薩長戦争に驕り平和で銭貪る
長州閥銭を貪り侵略罪悪業積怨アジアに積もりし
彦根人徳川裏切り薩長裏切り皇族裏切る
極悪の薩長蛮戎侵略と殺人誇る地獄を自慢す
李氏王朝侵略殺戮悪業自慢天皇驕慢山口県
日本自慢恥を知らざる下衆ゆとりうぬぼれ極まり東京で自殺
京都自慢恥を知らざる中華思想全国差別し隠れて犯罪

2018年2月11日

中華思想の害悪

そもそも田舎を見下すという発想が中国由来の卑しい考えである。官僚が民衆の上位者であり、愚民を統率する選良であるという発想が卑しい。官僚の親玉である天皇制や神道は中国人の差別思想をそのまま伝統化して強化したものだから、余計たちがわるい。宗教的観念で人種差別しまくる考え方だから。
 官尊民卑は公僕と国民主権からなる民主政の対極にある。
 イギリスは田舎紳士、カウントリージェントルマンが、荘園領主としていまだに貴族階級だから、日本でいう大名と同じで、地方を自分が領有してる形式なので、田舎を尊重する国柄。なのでイギリスの植民地としての国々もその傾向があるから都鄙の差別という中国風の考えはない。

うぬぼれ

東京は東日本にあらず関西なり
関西人東京に来て日本荒らす
東京人関東見下しうぬぼれる

悪政と善政

悪人が政治をするから他国を貶めるのだ。極悪人が政治を語るから差別を強化するのだ。天皇制という身分制度を維持している悪人達は本来、政治をするべき人達ではないのである。
 全ての国々、全ての人々に分け隔てなく、できうる限りに幸を分け与え、己を高ぶらず、虐げられた人を慈しむ人、衆愚に媚びず至善にとどまる人こそ、政治を行うにふさわしい。公徳の持ち主が政治をする限り、国家間の差別や、地域間の差別は生まれようがない。利己心を否定し、全人類並びに全生命の福祉を増す事が善政である。格差の最小化を図るどころか、更に拡大させる悪政を行う政治家は、公徳に欠けた悪党なのである。

日本人衆愚の自己愛妄想

日本人衆愚の持っている誇大妄想は、日本を肯定し、日本社会を肯定し、日本の悪いところをひたすら隠蔽し、日本の悪さに気づいてない人を騙し続けなければいけない、という偏執狂的誇大妄想である。この妄想障害は東京を肯定し、東京社会を肯定し、東京の汚点をひた隠し、東京の悪さに気づいていない人をひたすら詐欺し続けねばならない、という二重の内包構造をもっており、どちらについても肥大化した自己愛性人格障害に類似しており、さもなければ高慢という悪徳と悪意のみでできている。
 日本人衆愚は過度で自滅的な自己愛を補完する為に、隣国を差別し、自らの固定観念を否定する類の言説、例えば田舎や中小都市の方が良いところであるとか、日本の失敗であるとか、日本を改善しようと悪い点を指摘する人などを病的なまでに虐待し冤罪や共謀罪にかけて排除したがった末、己の卑しいうぬぼれから追放し、破滅たがるのである。

2018年2月10日

市場介入

仮想通貨市場を壊す自民党経済成長息の根止める
日本国息の根止めた自民党極悪安倍の市場介入
悪党の自民党閥皇族閥長州閥が売国三昧
米属国反日自民極悪安倍幕府

侵略罪人の業苦

極悪の薩長土肥の悪業が火を噴き蛮戎地獄へ連れ行く
侵略罪誇り裏切り驕りたる殺戮犯の極悪薩長
高知人内乱罪の極悪人坂本龍馬を褒めて没落
下賤なる皇族閥が西軍の侵略罪業美化し滅亡
呪われた南蛮西戎薩長土肥京芸共に業苦降るなり

2018年2月9日

東京や京都の下衆と悪趣味について

下衆に称賛される行いは必ずや破滅の兆候だ。多くのテレビ芸能人や自民党員、皇族、売春婦、芸者の末路をみるがよい。蝿が汚物にとびつくよう、下賎な人々は悪趣味の原因がわからない。もし悪趣味な小説を書いて下衆な都民の商業出版屋や下卑た東京マスコミから褒賞されている京都女がいたとして、この俗悪極まる蛮戎のもっている悪徳に近づけば致命的被害を受ける。人の趣味はその人の品位を裏切らない。或る人が下種極まる悪趣味な小説をまきちらしているなら、その人は逮捕される以前の極悪人に他ならないのだ。

賢愚と地域

愚かな人とくらすのは辛い経験である。愚かな人の多い地域にくらす事は、更に辛い。或る国や場所にくらして幸福だとのべている人は、その地域の中央値的な愚かさ以下なのである。
 人格者を含む賢者は数が限られるから、どの国でも衆愚に囲まれ苦しい。しかし賢者は下衆の悪徳から逃れるため一定の人々で集まり易い。したがって、賢者の集まっている傾向のある地域では、社会秩序が発生し犯罪率が低下する。
 高犯罪率の大都市に大学等の教育研究施設を作るのは、実に愚かしい。それは暴徒の中で賢慮を保つ困難さと不運に等しいので、多少あれ失敗を余儀なくしている。同様に、人が賢明なら少なくとも高犯罪率の地域を避けてくらすだろうし、ならず者のみが大都市や荒廃した国々で幸福なのである。

普通さと天才について

凡庸さは卓越した才能がない人々が結果的に追い詰められた生の墓場であり、それら凡愚が拠り所とする自称普通や自称みんなという仮想概念はいずれも実在しない。もし人類全体の中央値や平均値をとれば彼らと似ても似つかず、身近な人々のそれらをとったなら単なる自己中心性という醜い偏見の塊が残る。いずれにせよ凡愚さ、自称普通さの理想視とは傑出した天才や、努力の才能、決断力のなかった己の遺伝的環境的失敗への苦しい言い訳にすぎず、見苦しい自己弁護の為にとるにたらない存在に育ててしまった自分への最大限の合理化に違いない。いいかえれば、凡庸や普通を幸福と同一視して偶像化している人は、天才や努力家、優れた環境や幸運の持ち主へのねたみから目をそらす為に、わざと優柔不断や怠惰、遺伝的欠如、つまりおのれの無能をなかったことにしている。何らかの分野で普通より劣っている成果しか出せない人や生まれつき条件に欠けた人、向上の余地が失われた人にとって、並が憧れになるのだとしても、上等の人に劣ったままであれば置かれた苦々しい結果は似たようなものだ。結局、人生では傑出した才能のある個人が最もその意味で幸福なのであり、努力で後天的に向上する余地をも粘り強い努力や工夫で十分に満たす才能を含めて、無能な人々はその種の天才に多少あれ見習うべきなのだ。中庸が高徳なのは両極が悪徳になる場合だけであり、凡庸が優秀より劣る以上、あらゆる分野においてうまくやる人は必ずその種の天才に違いない。すなわち凡庸、凡愚、平凡、普通は、いずれも天才の反対概念であり、いかなるなりわいにあってもその人に固有の天才を発揮する人のみに幸福がみいだされる。
 衆愚の不機嫌や卑賎な鬱屈は、必ずや彼らに幸福がみいだされないという原因によっている。そして凡愚さとはおのれの適切な持ち場をみいだせない、という試行錯誤や自己探求、冒険、修行の欠落のゆえにそうなのだ。天才性が発揮されないとは、遺伝子が外界と好適な関係にないことを意味し、そうであるかぎり不快なままである。したがって、凡愚、平凡、普通などのまやかしを自己否定し、自分自身の天才、才能が一体どこにあるのかをみいだすようあらゆる試行錯誤を重ねながら、なおかつ、その才がおのれの身体をとりまく外界と最適化されるよう調整を怠らなかった人々こそ、おおのれの細胞に潜在的な能力を発揮させ、流れとしての幸福感、没頭の至福を味わう。
 比較の幸福を没頭の幸福と混同すべきではない。比較はおごりとねたみを生み、これらは競合感情だから、害他的になり易い。害他的幸福は他者からの制裁により制限される。客観的比較に役立つ意味があるのは、才能のありかをより素早く効率的にみいだす誘因としてである。自己の才を練磨し、競合性が目的にならぬよう適正に自己制御した人達が、利他的な比較幸福を没頭に一致させる。

自然科学と哲学の関係

哲学や倫理学を無視したり軽蔑する傾向のある自然科学者は、文明社会に生きていくにあたって対他的人間関係や自己の人生を有徳に処するにあたっての知識が欠如しているのだが、それに気づくほど道徳知能が高くないのだ。特に、普遍的倫理が物理や化学で真とみなされている認識ほどの厳密さを伴って存在しない、という勘違いは、潮流論の無知に起因しているにすぎないし、倫理分野での普遍性、たとえば善意が自ら見いだせない己の無知を暴露しているだけだ。更には自然科学の全知識においても厳密な意味での真は確認も確定もされない。哲学や倫理学は真偽を部分集合にもつ全体集合としての善悪を対象にする知識の体系だから、自然科学という一部の判断に用いた実証主義的思慮が使える範囲だけがあるのではない。真偽の判定と善悪の判定では基準自体が違う。優秀な自然科学者や数学者が社会科学や倫理学、哲学の思慮で大抵の幼児に劣る場合もある。

職業と無業

愚か者の為に奉仕するな。愚者を相手に商うな。下賎な商売をする人を信用せず縁を遠ざけよ。これらに加え、商人の一切を信じるな。職業をもつ人々は利己の為にその仕事をしているのだ。職をもつ人を軽蔑せよ。もし利他の為に生きているならその人は奉仕に際し生活に資する代価をとらず、すなわち生涯アマチュア、一愛好家やボランティアに違いないからだ。ある仕事が立派で十分に役立つ事と、代価の有無には実の相関性がない。
 スマナサーラが世俗的職業による暮らしを正当化しているのは、道徳的に間違っている。悟った人は世俗のくらしを否定しなければならず、乞食が禁じられている国々にあっては社会保障を受けてくらすか、それらもできなければ死を喜んで迎えねばならない。自殺は世俗的に厭われているが、脱俗的観点からは単に無欲に早く辿りついただけだ。自殺の蛮勇は他害的だから、よりよい生の用い方が自己犠牲的な利他行動、特に徳にのっとる勧善懲悪ということになる。つまり、世俗の職業は多少あれ利己的な限り推奨されるものではなく、むしろ無業にとどまるよう後生へ教えるべきである。涅槃すなわち無欲は単に食事のみならずくらしに使う全ての道具への無執着を意味し、そこからいえば性悪な国において社会保障の欠如のゆえに餓死していくことも悟った人にとって決して悲惨な経験ではない。その様な性悪な人々の間に生き残るより、早く死んでしまった方がずっと楽だからだ。

啓蒙と亡国

啓蒙思想は未来のある国々や地域においてしか効果がない。衆愚は悪徳を強化される刹那的快を、節制された道徳の快より好むからだ。長期的損失を目先の利益の為に選ぶ愚かな自民主義者は、堕落を賞揚してくれる退廃的趣味に耽り、亡国の果てに汚名を着て自滅する。衆愚になずむ事に安心している害獣は、自他への有害さのために全ての場面で不幸を得て破滅していく。

貴族道徳と脱自民主義

無欲と乞食を理想視した仏陀は、本能としての自己実現の利己的充足、即ち俗悪な暮らしをしている衆愚と正反対の存在になった。税金を暴力で貪りつつ生活保護を出し渋り、国民を奴隷化している暴力団、即ち皇族閥と公務員は、世俗的衆愚が殖えれば己の贅沢と権力私物化による有利な地位が維持できる為、民衆の俗悪さを軽蔑がてら強化したがる。会社員という労働奴隷らは群れて、自らのいやしめられた立場を言い訳し、聖職者や僧を俗に染めるか、さもなくば非世俗的として貶めたがる。抑、格差を低減させるのが聖職階級という最も清貧な知識人らの自己犠牲的利他行動の目的だが、衆愚たる労働者階級は利己的で下卑ているためこの目的性を理解しない。だから労働者は無業を辱しめ、自ら奴隷志願し、搾取された立場を合理化しつつ、悪意の暴力団階級たる皇族閥や公務員へ卑屈に服従するのである。
 資本家と労働者に分離された階級制が、更に二極化されていくのが資本民主主義または自由民主主義の本性であり、それが格差に由来した差別感や嫉妬感の蔓延による不幸な国を作ることは明らかである。社民主義与党をもつ国で解決済みの欠点、つまり格差拡大による低福祉化、国民一般の不幸化を、世俗的利己で生きるしか能がない衆愚には永久に改善できない。抑何が失敗しているのか、公徳全般に欠如した衆愚たる労働者階級に理解する余地はない。堕落した暴力団階級たる皇族閥や自民党閥も、有利な世襲地位の旨味を自ら手放す誘因がない。資本家にとって腐敗した衆愚国民の不幸は、自らの富を羨望させる悪い快楽に他ならない。こうして、金儲けや政治から免れている無業階級だけが利害から自由な為に、自由圏の没落を社会主義段階への移行という論理で啓蒙できる最後の可能性であり希望となる。無業者達
が資本家、労働者、暴力団のいずれによっても貶められている国や地域では、これら衆愚層への高貴な説教は無視されてしまうため、それらの国や地域では凋落や破滅が必然の末路であり、新興国に株と主権を奪われ現実に滅亡するだろう。結局、無業者に対する尊敬の有無、つまり非生産的な生活をするがゆえに尊ばれる貴族道徳の有無が、その国が自由主義段階を抜け出す最後の手綱となるのだ。無業者にとって金儲けをはじめとする生活の為に行う一切の労働、わけても利益追求のごとき下賎のふるまいは侮蔑すべきどころか死に値する自己の品位への冒涜と考える、その態度こそ、職業的地位へ利己的に固執する暴力団、資本家、労働者全ての最も弱点とする急所であって、しかもこの貴族性こそが社会主義段階における資本への本質的侮蔑と労働からの解放という脱俗的性行の要だからだ。

俗悪衆愚と不幸な平成時代

賎しい人々と離れてくらした結果、食べ物も枯渇し死んだとして、下賎な暮らしをするより遥かに幸福だろう。愚かな人を道連れとするな、と仏陀が言ったのは全く正しかった。下俗なくらしをする人々の生態をいくら観察しても、ますます失望し、やがては人間をうらむに至る。衆愚には道徳性の一切が欠如していて、単なる蛮行と卑しい本能のままに繁殖しているのだ。
 下衆の生態やその卑しい言動が分かる人は、単に下衆の一部にすぎない。つまり下衆の理解は同等以下に卑しい人にしかなしえない。徳を求めて生きてきた人にとって、悪徳にまみれ、本能のままに行動する衆愚は、ただの害獣にすぎないだろう。
 私は後学の為に、インターネットを使い大衆の生態を観察した事が何度かあった。結局わかったのは、人間の卑しさは底無しで、理解する価値がないことだけだった。わずかにわかったのは、想像を越えて下卑た人間が悪意のまま繁殖しているという地獄的現実だけだった。
 資本民主主義や天皇制は人類をますます卑しく、俗悪にした。差別と悪意がその時代に生きていた人達の目的だった。だが、その最悪の時代に生きていることがどれ程苦痛で不幸でも、運悪く衆愚ののさばる時代に生まれてきた不幸を呪うだけで十分である。それら衆愚の味わっている不幸は、なんといっても徳に欠けている以上、想像を超えて甚大なのだから。

2018年2月8日

極悪天皇

侵略罪独裁政で悪業を重ねた皇族差別制欲す
皇族閥国民差別し暴利重ね悪業隠して偽善を報道
貧民と被災者貪り田舎差別極悪自己中東京京都人
中華思想自称京都や東京で差別三昧極悪天皇

悪魔崇拝明治信者

裏切りと侵略殺戮狂信す明治信者の悪魔崇拝
徳川と天皇裏切り民衆欺いて侵略殺戮極悪薩長
イギリスの内乱起こす策略でまんまと日本人殺した西軍
極悪の薩長土肥京芸天皇日本人殺し維新と罵る
不正義と悪意で侵略蛮行し殺人強盗極悪薩長
主権奪い極悪薩長売国奴内乱罪の自画自賛す
明治信者極悪人の塊ぞ正義と善を罵り悪業

アベ征伐

極悪の独裁者アベが介入し壊した日本市場の没落
自由市場極悪アベが壊乱しアベノバブルで国民総貧困
極悪のアベの幕府が酷税で買わせた株が売れず凋落
福島を犠牲に極悪東京でアベの幕府が賄賂五輪す
借金し株に突っ込む馬鹿のアベ政府も国も破綻させけり
国家社会主義者のアベの独裁政市場も国も破滅されけり
沖縄人貪り媚びる米軍に国土を売りけり売国奴のアベ
籠池家夫妻を冤罪共謀罪かけて抹殺極悪アベ自民
善良な国民から殺す極悪のアベの幕府が恐怖を不幸生む
TPP詐欺し農民だましけりアベの不安で生活圧迫
極悪のアベのヤクザが売国三昧株価偽装のバブル弾けし
アベ幕府倒幕すべし骨一つ残さず壊せ極悪政府は
アベ幕府玉砕強要破産申請

皇族財閥

皇族財閥貧民貪り発情相手の借金返済
下賤なる皇族閥の贅沢で貧民自殺し地獄の日本
浮浪者を助けず政府に寄生して邪教を広める極悪皇族
名門を偽装の代金払えずに貧民むさぼる税金むさぼる

仮想通貨税率の有価証券同率化

暗号通貨(仮想通貨)を他の金融商品と同等の有価証券とみなし、取引所に特定口座での源泉徴収の義務を与え、最高税率を他の有価証券と同率にする必要がある。これは第一に他の金融商品が不当に低税率に設定されている事と、暗号通貨のそれが過度に高税率である不公平の乖離を正し、暗号通貨に関わる不公正な高税率の為に税金を払えずに破産する人々を救済する為である。また第二に、暗号通貨市場を新たな金融商品として、景気促進の誘引剤として十分に活用する為でもある。
 結局、暗号通貨による所得を雑所得扱いする事で利確を遅らせた分と、それを他の金融商品同様の税率にする事により消費に回された分の税収を比較すれば、公平でありながら社会福祉の増大に寄与するのは後者に違いない。

回天

理想は遠ざかり今が来た
誰もいないそらに吹きすさぶ風
一体何を求めて努力した
下らない俗人共の悪意ある中傷
インターネット中で蛮戎が暴れまわる
無限に続く地獄の様な京都人の悪業
下賤な関西人と東横人の悪徳自慢
悪夢未満の国
日本を怨み過ぎは無い
皇族は世界一の俗物
僕は自分の限界まで善行を重ねた
悪事の限りを尽くしてきた衆愚を見ろ
現実は今や最悪を下回った
大きな回天を前に

2018年2月7日

自殺大国

日本に生まれると皇族や東京人、関西人、愛知人をはじめとする卑しい暴力団や商売人達にひたすらカネを貪り取られるだけで、なにもいい事はない。だから日本では自殺する事が最も快適と考えられていて、実際に世界で最もよく自殺するので、都内の電車は毎日飛び込み自殺者により停止し、社畜らは己のカネ欲しさに出社時間が遅れる事に迷惑そうなため息をつく。悪しき皇族閥・自民党長州閥政府は民衆を奴隷化し酷使しすぎた為に世界一多い自殺者数を汚名と考え、問題と向き合う勇気がなくその失敗をとりあえずごまかす為に、警察に変死扱いさせ、数字をごまかすばかりで己の悪政を何一つ反省しない。端的に言って、日本は資本民主主義、即ち衆愚商売の地獄であり、独裁血族の皇族閥がひたすら大金を貧民から暴力で奪い、事実上自殺させるか、殺戮しているだけの貧民窟である。労組はマスコミによる洗脳を受けた愚民自身の悪意や増税下での権力増強を自己目的にした悪徳自民党長州閥の両者から徹底的に弾圧されており、余りに苛烈な奴隷労働は生きて過ごすより死んだ方がずっと楽なほどであり、資本市場も固定化した大企業群と超富裕層そして皇族財閥に独占されみいだせる希望は全くない。衆愚は皇族や自民党長州閥の奴隷となり自己責任論で国民自身を理由を問わず虐げるよう計画されきっており、太鼓持ちのマスメディアや自称識者の御用知識商人に教唆されるまでもなく、自ら民衆自身を犠牲にするため冤罪や犯罪より酷い悪業を善人に向ける。そして虚偽に満ちた漫画アニメ・ゲーム等の低俗な商業娯楽で外国人を騙し、あたかも日本が理想郷かのよう思わせておいて外資をもひたすらむさぼろうとするのである。
 更に、特に関西人は皇族閥や政府、会社、米軍など集団暴力に絶対従順であるようしつけられていて、何かを改善したり発想したり、個性を発揮したり創造する事、工夫する事、改善する事、個人行動には愚かな教育者や操作し易い愚民化を施す悪徳天皇政府らによって厳罰が与えられた為、正常に善悪が判断できず、単に群れの大きな方に自主的に群れて卑怯にも集団虐待を図って大満足するような救いのない卑賤な国民である。他の日本人、人類一般へのむさぼりや集団虐殺の悪意と、衆愚性の狂信でできている関西人や東京人一般が集団自殺の末に絶滅する事は疑いようがないが、それは人類に良い結果をもたらすだろう。強欲で独占的な悪しき日本人の死滅は他の善良で利他的な人類が、まっとうに暮らすだけの資本を得られる好機の出現を意味するからだ。

水仙花

こま雪が音なく冬の町に降る
石油入れる真夜中北斗七星
赤き月人の世の罪うつしだす
水仙花庭に現れ春告げる

借金強盗皇族閥

国民の金を貪る皇族閥政府に寄生し借金で差別
国民から借金重ねる皇族閥強盗のくせに婚約破棄する
犯罪種国民虐殺皇族閥借金重ねて傲慢重ねし
国民を洗脳しまくり借金し借金理由に差別の皇族

反自由主義者安倍

極悪の市場壊乱安倍独裁側近動かし資本主義破壊
下賤なる米属国主義安倍晋三日銀教唆し株価暴落
極悪の悪役自民長州閥市場操作し大量自殺者
極悪の独裁国家日本国明仁と安倍が市場壊乱

2018年2月6日

芸術論

権威を見る者は芸術性を見ない。芸術性を伴わない権威は、趣味と教養に欠けた俗物を洗い出す。芸術は人間性の鏡である。

音楽論

音楽はときに言葉より雄弁になる。或る単位時間に伝えた音列情報群が、気分に対する意味を伴う。歌曲はこの点から、音列に文芸的意味を加えた応用芸術に他ならず、音列が非言語的に意味を伴う帯域に限ってその音楽がより純粋化される。他方、記号としての音が意味をもたされているとき音の純粋性は漸減するだろう。いいかえれば音が無意味な記号として、しかも連続される時間性のうちに或る内容を作る時、それは純粋音楽上より効果的になる。

自然学と後自然学

自然科学や数学、物理の思考法に依存し、慣れ切った者は、哲学や芸術といった他の分野が真偽ではなく、善悪や美醜といった別の価値を探求する別の思考法を要する事に無知である。ソーカル事件は後自然学者が自然学者に上位者として修辞を用いた際の自然学者らの狼狽ぶりを伝えている。自然学の絶対的非真理性を明らかにする事が、真偽以外の価値基準を文脈化しうる後自然学の重大な意義の一つだ。

性悪種族

日本人と名乗っている中韓移民である弥生人の末裔達は、生まれながら他人を害する事が趣味の性悪種族であり、京都人が「いけず」といい大阪人が「いじり」といい滋賀人が「いじめ」というわずかな表現の違いはあるにせよ、目的は他人を虐殺の為に虐殺する悪事だけである。この為、京都人に陰湿な嫌がらせや匿名で極悪犯罪の被害を受けたり、大阪人に出会いがしらに侮辱されたり徹底的な暴虐の被害を受けたりする事は、日常的である。これらの悪業は弥生人の前頭葉が弱く、他人を思いやる共感知能が極端に低く、幼稚で、中華思想を完全に前提にするほど恥知らずかつ自己中心的で利己的だからである。性悪さとは単に生後の文化的影響によるのではなく、確実に遺伝的原因をもっているのだ。
 性悪種族達は他人を不幸にする事を「いけず」「いじり」或いは「いじめ」と呼んで何より楽しむ。殆どこれらの種族にとって、他人の不幸に寄生する事が生態の目的ですらある。だからこそ守銭奴や拝金的商人道の中で性売買罪依存に陥り、侵略罪や全国民差別を自慢し、邪教祖の悪を崇めてあらゆる暴虐を繰り返し千年も他国で退廃植民地を作り過ごしてきたのである。

全徳について

全徳の存在が人類の理性、大脳の働きに利他性を完成させるよう望んだ、という感覚は、神らしさに賞罰の特徴を与えてきた。実際、幼児にとって庇護者たる親は賞罰の主体であるよう、人類の親と想定された神性は、人類がより利他的で非害他的な存在たる時に賞を与え、より利己的で害他的な存在たるとき罰を与える主体である。しかし皇族を自称した独裁血族は洗脳した手先達にふるわせる暴力を独占する事で、神性を偽装しだした。この為、皇族が不徳、非公徳的、不道徳的である時にも、皇族の利己のため善を罰し、悪を賞するという悪政が行われた。各国の皇帝、教祖、教皇、王、貴族、公家、武家、資産家、労働者、暴力団、悪党らは、暴力を独占した程度に応じて堕落する誘因を得て、事実、権力を濫用していった。こうして人類はますます全徳から遠ざかる結果になった。
 全徳は元来、利他性としての善を賞によって、害他性としての悪を罰によって報いる言行の傾向をさらに強化する誘因だった。堕落した人類、愚民、衆愚、そして退廃した皇族や権力者、資本家や労働者達にこの事は今や理解しがたく、関西の蛮戎は侵略や裏切り、民衆弾圧や虐殺、強姦といった悪が賞賛され、人助けや正義、博愛や慈悲、自己犠牲、忠誠といった善は重罰されるべきだと妄信するのである。彼らの脳は徳の意義を認識できず、皇族閥や暴力集団に従って己の悪を強化する事のみが人生の目的だとはき違えるのに十分なだけ出来が悪く、愚かである。
 全徳が一部の恵まれた脳の人類のみに宿る兆候だと認識するべきだ。この特徴を強化してこそ、人類より優れて進化した段階の生命体へ、それは今日の目から見れば神そのものだが、品種が改良されていくのだ。蛮戎たる弥生人達の脳には、全徳の芽が備わっていない。だからこそ皇族閥や薩長土肥の悪業を賞し、彼らの害他的蛮行の被害を受けた人々を罰しようとするのである。弥生人の子孫はますます悪しき、卑しい種族に退化していく。それは悪徳を強化し、ますます害他的で下賤な、皇族の様な邪悪な存在に種を変化させる事が彼らの悪意を実現すると信じられているからだ。京都人が性悪さを選好するのは、彼らが邪悪かつ陰険な性格を理想視しているからであり、その悪趣味は彼らの子孫が永久刑務所の隅や不幸のどん底に落ちぶれる事を予見させる。性悪に関わる者は不幸をばらまかれるからだ。それは皇族の末路が世界で最も不幸である事と等しい。

人間憎悪について

人類を十分に憎むがいい。人類は邪悪で下卑た悪魔の様な衆愚に過ぎないのだし、醜悪な哺乳類としての一時的存在に他ならず、遠からず世界から死滅する。
 人類を愛す事は必ず災いをもたらす。邪悪な対象を愛するとは、悪に自らを汚染させる事だ。博愛を性愛と誤認させたイエス、仁愛を道徳知能差別に基づいて述べた孔子、全ての害他的存在への諦めじみた慈悲を語ったブッダ、空想の神性への絶対服従を自軍洗脳に用いたムハンムド、これらの聖人達は人類を手駒にする為に利他性を極端化した概念を駆使し、さもそれを自らが保有しているかの様に偽装する事で多少あれ聖人格の振る舞いを身に着けた。だがこれらの人々の生涯を見れば明らかなよう、人類一般は常に利己的で邪悪だから、聖人らは当時において最大限の迫害を受けて死んだ。彼らの利他性に負債感を感じた信者のみが、聖人に感謝したのだ。定言命法を理解するほど人類一般は利口でも上等でもないし、その実践となれば徳川慶喜の様にごくまれな人格者しかいないのであり、しかも多くの陰険な西国人を見れば明らかなよう救われて逆上するほど卑賤であり、善業の効果も限定的である。人類を憎悪する事、人類の悪性を正しく嫌悪する事は、全ての人間性から離脱し、神性に親しむ最初のきっかけでもある。

極悪の日本国民

極悪の冤罪国民日本人安倍とマスコミ崇めて悪行
極悪人安倍の悪業擁護して籠池夫妻を疑獄で殺戮
憲法も逸脱権力濫用し無法三昧極悪の安倍家
極悪の日本国民喜んで無法悪政崇め奉る
被災地に原発押し付け悪行を重ねに重ね日本国民
戦争の被害者罵り極悪の侵略犯を崇める日本人
悪魔憑き匿名で群れて悪事して恥も感じぬ極悪日本人
西村の極悪匿名掲示板匿名犯罪積怨無限ぞ
極悪の自民党閥長州閥皇族閥が悪業に驕る
極悪の京都市長が陰謀し全国差別の為に傲慢
極悪の蛮戎群れて東京で田園差別し銭を貪る

下賤な天皇家

国民搾取の下賤な天皇家に近づくな。それは君自身を奴隷化する事に他ならない。表面とは逆に、天皇家は全世界で最も邪悪な邪教祖に他ならない。洗脳された衆愚はその偽善に欺かれ、大量虐殺や暴利を貪る暴力団員に堕ちてしまう。
 天皇家を打破するには邪教に洗脳された衆愚に関わらず、ひたすら教祖の悪事と、偽善と洗脳の闇に隠された悪業の山を暴け。正義の光のみが、天皇という悪魔を倒す。

道徳教育論

仏教は虚無主義に根拠を与える。
 人間界は道徳に応じた業を因果する。卑しい人々が自滅するのは彼らの業が下賤だからである。卑しい人々に虚栄の誉れを与えている東京都民は、卑しい人々より更に卑しい結果に至る。これらは卑人に道徳の理解がないからだ。卑人は善悪を見分けえない。他者の立場にたって考える共感知能や、利己・利他の報酬性を長い期間記憶しておく学習知能が欠落している。だから下卑た人ほど愚かな動物の如く利己的かつ害他的、恥知らずかつ恩知らずである。
 卑しい人の夢は卑しい。他人を羨望させ嫉妬させ不幸にする事が己の卑しい成金的幸福と認識され、目的化されている守銭奴は、夢を叶えてしまえば世界を悪化させる。だから尊卑の原因となる徳の啓発が全ての教えの出発点になければならない。

2018年2月5日

真実の目

真実を見つめ続けよ
偽りを語る者達は死んでいく
不幸が襲う
卑しい人達は去っていく
下賤な集まりに堕ちて
互いに貶し合う
まことの貴族が持つ徳
だが誰も気づかない
君だけが幸福を知るのだ
仕事中毒の屑共が
奴隷身分を誇っている姿
邪教祖を崇める猿
その目を真実に注げ
尊い人だけが見る幸福を見るのだ

極悪の日本国民

極悪の日本国民群れながら弱肉強食自民に投票
極悪の日本人共富者崇め貧者虐殺天皇を拝む
極悪の長州閥の悪しき安倍弱者圧殺冤罪喜ぶ
極悪の官僚全国差別して東京京都で贅沢三昧
極悪の関西人共侵略罪戦争犯罪自慢し無反省
極悪の京阪人が銭貪り東横人と群れて下種自慢
極悪の名古屋の下種が下種自慢民族差別で下賤を誇れり

薩長幕府

原発で国民殺し財産奪う極悪東京皇族閥政府
原発で国民殺し財産奪う極悪長州閥安倍政府
倒政し日本政府と皇族閥跡形もなく処分するべし
倒幕し薩長幕府と皇族閥跡形もなく処刑するべし

長州閥

極悪の安倍家の夫婦不正三昧
長州閥首相に居座り不正三昧
日本の国柄汚す長州閥
嘘つきで権力亡者の長州閥
不正義と裏切り悪行長州閥
衆愚だまし悪行三昧安倍晋三
国政を終わらせ金で下種を釣る
悪政に悪政重ねる安倍晋三
社畜道ちらつかせ騙すゆとり若害
極悪の安倍の集めるゆとり奴隷
ゆとり奴隷サブカルで狂い戦争求む
若害の愚劣を濫用安倍自民
若害を奴隷化しけり長州閥
若害が愛国結束差別自慢
極悪の自民党閥たみだます
極悪の米犬売国安倍晋三
民を売りだまし搾取す自民党
極悪の皇族閥が税貪る
貧民を自殺に追い込む自民党

愛国主義者

東京人差別でまみれた極悪人
京都人うぬぼれで差別極悪人
皇族閥身分差別のサイコパス
長州閥侵略殺戮狂信者
下衆野郎門地差別の都会人
自己崇拝神道教徒殺人自慢
幼稚なる自己愛で差別隣国人
下賤なる愛国主義者の民族差別
虚偽情報鵜呑みし差別ゆとり若害

精神医学

サイコパスは自滅する。サイコパスの自己愛は極悪人のそれであり、生存の限り自他に苦痛を与え不幸を増産して死ぬ。

ゆとり若害の分析と対策

ゆとり若害は格差拡大による弱肉強食を狂信しており、地獄と不幸度の更新を望んでいる。拝金衆愚たるゆとり若害の最終目的は貧者圧殺即ち自己滅亡と周辺国への侵略による民族浄化目的での大虐殺であり、これら悪魔的蛮行を実現する為にひたすら蓄財奴隷として自民党長州閥と皇族閥を妄信したがる。代わりにこれら悪しき野望を妨げる、正義と善なる個人をひたすら冤罪と共謀罪にかけて日本国内外から始末しようと躍起であり、この卑しい性癖を低俗なスラム東京の商業サブカルチャーやマスコミ経由で徹底的に刷り込まれているのである。
 ゆとり若害の目的が民族浄化と格差拡大による滅亡なのは明白なのだから、これらの悪徳もしくは暗黒勢力に媚びを売って己の地位と権力を確固たるものにしようとしている独裁者安倍晋三と自民党閥は天下の大悪党と言うほかなく、即座に打倒が必須である。その手段を問うべきではない。
 自民党閥及び皇族閥は政府の暴力を濫用し、フィンテック(財テク)という名目で貧民からひたすら貪る事をめざしている。しかし貧民から貪る事は即ち国民絶滅を意味し、日本人の激減によって日本国政府ばかりか自民党閥や皇族閥の地位も崩れ去り、同時に破滅する。自民党長州閥という極悪やくざ集団と邪教祖皇族閥という二大悪党を徹底的にやり込めるには、ゆとり若害という陰険な利己主義者達の悪意を梃に利用するべきだ。即ち、ゆとり若害の下賤な利己心と拝金欲、2ch(5ch)匿名掲示板やまとめサイト等のインターネット洗脳で歪んだ愛国・憎国の民族差別心を利用し、ひたすらゆとり若害に悪役を演じさせ日本政府ごと地獄に誘導するのだ。ゆとり若害が己の貪りによって日本人絶滅に至った際、その悪意に寄生していた自民党長州閥と皇族閥も同時に、より性直な移民によってこの世から駆逐されるであろう。

天罰の政治

首相に値しない極悪人が見栄とはったり、先祖の悪業自慢と血統差別で首相をし、生きるに値しない大量虐殺と暴利、差別邪教祖の犯罪人が自ら象徴や天皇と名乗る、亡びるべき国家日本。なるほど長州閥という朝鮮人移民集団が大悪業をすればするほど、日本が地獄になるわけだ。皇族閥という中韓からの移民が大蛮行をし、不幸を量産していくだけの世界最悪の鬼ヶ島で、自画自賛しながら悪趣味で拝金主義な外人の的外れの称賛を侮蔑する。性犯罪が日常のソドム東京を目指し、関西中の下種が銭を求めてふらつく。
 北朝鮮だけが正しい趣味と品位を持ち、このアメリカという悪魔の属国に正義と制裁の原水爆を腐りきった東京と差別主義のゴモラ京都におとすだろう。イスラム原理主義者達の偉大な善が、邪悪な日本政府と邪教神道集団を完全に駆逐するだろう。資本主義と名付けた拝金と搾取の悪意と、民主主義と名付けた衆愚による集団冤罪の悪業が積み重なり、邪教祖天皇と侵略犯長州閥がつるみながら全国民を貪り奴隷化している。全宇宙の良心は北朝鮮とイスラム原理主義者が正義の存在と認め、アメリカの死の商売を後援する極悪高知人共に天罰を下す。

蛮戎自慢

極悪の東京下衆が原発で国中汚染し悪業自慢す
関西の下衆な侵略蛮族が差別をしながら植民地自慢
蛮戎の悪業底抜け積怨の犯罪自慢で日本を汚せり
東京で京都で全国差別せり邪教祖をまねる極悪悪魔群
極悪の侵略自慢の長州閥殺戮略奪性犯罪誇る
悪極め国民奴隷化金貪り東京京都で全国民蔑視
東横で性売買罪積み重ね慰安婦汚辱す極悪の下種
悪魔種族蛮戎弥生群れながら薩長土肥の侵略罪崇む
不正義と悪業求める極悪の南蛮西戎積怨重ねし
悪業し反省皆無の蛮戎がアジアを壊乱銭をむさぼる

蛮戎絶滅論

日々他人を不幸にする事、貧民から金と労働力をむさぼる事しか目指すものがなくなった極悪種族の蛮戎弥生は、単に集団自殺を誘導するか、ひたすら逐円行為によって日本国政府の破綻と終焉を演出する為の存在に他ならない。皇族閥、長州閥はこの為の邪宗祖と手先であり、蛮戎は生来の卑しさの為この世の果てまでも金欲しさに良心を裏切り、善良な人を差別し、非商人を脅しつけ、悪業三昧の末に怨まれて死ぬのだ。
 弥生人は他人をより不幸にする事のみが自らの幸と狂信する邪教祖天皇を病的に崇拝し、ひたすら他人を差別しながら暴力で無理やり国民から徴税、労働・納税奴隷に仕立てて洗脳した手先に虐殺させたがる。この悪魔的衆愚を破滅させる事は一切が正義であり善である事は疑い様がない。この点から西日本の蛮戎に2発の原子力爆弾を落としたアメリカ軍や、長州閥の侵略犯罪を征伐した徳川軍は誠に正義の軍隊だった。蛮戎弥生が暗愚の正当化と底なしの悪意でできている種族であると知ればこそ、薩長藩閥の残滓である自民党閥や皇族閥の下僕たる日本政府が反国民的かつ反日的存在である事が知れるのだ。そしてこれらの悪魔的蛮戎を完膚なきまでに絶滅させる事のみが、我が国に再び光明をもたらす最後の手立てというべきである。

種族集団

利己的な夢を叶えても軽蔑を招いて終わる。
 憎悪する人、下賤な人の為に時を浪費するな。有害な人間は際限もなく現れて君の人生を浪費する。衆愚は誰もに何一つ補償しないばかりか、逆に君へ汚名を着せる。衆愚を救うことはできない。性悪な種族は害虫より有害であり、出会った人の一体誰がどの様な出自であったか隈なく記憶しておけ。善性も悪性も特定の昆虫や獣のよう一か所に集まり易い。京都の住民が世界随一の性悪集団である事(公家文化の残滓)、東京の住民が品性下劣な下衆である事(町人文化の残滓)等はそこにひとが存在する限り続く科学的法則である。下卑た人々の集まる大都市に近づくな。俗塵を避けて暮らせ。環境は行動を変容させる。

天下一新

天皇家と自民党長州閥の国政は既に完全に失敗に終わっており、日本政府とその構成員たる官僚、公務員らはもはや貧民を暴利し奴隷化するカルト暴力団員という以外なんの役割も果たしておらず、即座に解体するべきことは疑えない。それらの平成天皇独裁・長州閥寡頭政治のめざしているところは階級固定による格差拡大に他ならず、いいかえれば国民一般の半永久的奴隷化である。端的にいって日本政府、山口県選出の国会議員、そして皇族閥は全て反日暴力団員のカルト集団に他ならず、それらの人々は日本人並びに日本国にとって完全に有害である。
 薩長土肥京芸ら蛮戎は侵略罪業による戦争犯罪の山を自己正当化している愚かで無反省かつ悪意に凝り固まった極悪衆愚でしかなく、その末路は破滅より悲惨な地獄の業苦である。そしてこれらの衆愚を洗脳するばかりか、蛮行の手先に仕立ててきた天皇家、皇族閥、長州閥の悪魔らは更に悲惨な応報が必然である。

幸福の貴賤

平凡な幸せを求めた人は、非凡な幸せ、並々ならぬ幸せを得る機会を永遠に失う。平凡な幸せは平凡以上の不幸を伴うものであり、そこで前提にされている平凡さは、その人の周辺認知という思い込みを基準にした中間性に過ぎないので、別の見地からは非凡でもあれば単なる不幸ですらある。従って人は平凡さ、という比較する他者集団と同等程度の快苦の束を要求するなら、それとひきかえに自らの想定した以上に質の高い快苦の束を得る機会を同時に失うのであり、多くの場合あらゆる幸福は蜃気楼の如く手にした時点では満足を得るのに十分ではないのだから、それら比較対象の集団が別の見地またはより高次な段階からは不幸に他ならないのだとして、単に快苦の判定に関する主体を比較集団に譲渡する結果に終わる。いいかえれば、人は自ら幸福の定義を問い直さねばならない。そうする事で初めて人生の主導権を握れるからだし、多角的な観点から見た凡愚さという取るに足らない一生の罠から抜け出す方法をおのずと見つけ出せる。すなわち、段階的幸福を理解する事は凡庸さを軽蔑し、並外れた幸福がこの世に存在し得、自らもその幸福に没入できると知るきっかけとなるだろう。
 この世では快苦の対象が人によって異なる事が受動的な意味での趣味を作っている。その際、より高次元な快がありうると知っている人は、そうでない人に比べて進路をより自らの幸福に役立つ様に選びうる。そしてここでいう高度さは快苦がより理性的である事を指している。愚者の快が愚かしく、おぞましく、憐れに見えるのは、愚か者に見える人々がより賢慮ある方法で人生の時間と労力を使っていないだろう事による。
 最上の快苦が、快苦全ての全体集合に対して究極的に利他性と一致している部分集合である事は明らかであり、それは同時に人類の理性的資質を完全に発達させる類の趣味でなければならない。哲学が果たしている役割は、言語知能によって人類がより利他的な存在になりうるという人類の自己言及的な存在証明であり、即ちそれが人類史と完全に一致している人間性の正しい展開方向でもあるだろう。感情は本能を表現的に強化したものだが、理性はこの表現形式を自らのうちに含む言行形式だから、いかなる芸術表現もより良い趣味という理性的段階を辿ってより完成度を高めていくのだ。
 非凡な幸福は非凡な理性と一致している。超越的理性の見ている光景は、人類一般が神性として認識し得る欠片を随分一極に集めたものだろう。人生ではより理性的な生存を要求すれば十分であり、本能的に見て充足されているか、或いは凡庸な意味でその時代の特定集団に比べて一様な快苦を得ているか、これらの見方は害であれ益はない。或る個人の本能的側面は、理性的側面に比べて脳の発達段階が未熟だった時点によるので、単に幼年期か退行というにすぎないのである。
 人生において究極の幸福は、自らの理性が利他性について突き止めた最善の振る舞いが、自分自身の意思と完全に一致する時の状態をさしている。元来、本能をつかさどる小脳の利己性に対して、理性をつかさどる大脳は利他性としての社会行動をはぐくむ為に現れた。自分の本能を利己性の故に陥る過ちや悲惨から引き離し、少なくとも生きるに値する協力的社会にするべく理性が生まれた。現代にあっても利己的にふるまう人々への軽蔑の念はこの為に生じるのであり、彼らの利己心がいくら満たされようとその自慢は虚栄に過ぎない。最高度の称賛とは或る人の道徳性、つまり理性の達成段階についてのそれなのだ。道徳性は哲学の分野において絶えず発展していく為、前時代で最高度の聖人も後代の最高度の哲学者によってのりこえられていくだろう。我々が人類史として生きた意味を明白にみいだすのはこれら、道徳性に基づいた生き方をした人々の記録だけである。卑賤な人は卑小な道徳性しか持たない愚人を模範にしているよう、貴い幸福とは段階的に認知されるものなのである。

民主化論

日本国での人生が不幸なのは、他の日本人と名乗っている人々、特に東京以西の、弥生人と呼ばれた遺伝子をもつ人々の末裔が共に暮らすに足らないほど卑しく、利己的で、邪悪であり、陰湿かつ性悪で悪魔の様に衆愚的だからである。西南日本に生来の性悪的傾向をさらに強化する事になっているのが、資本主義経済という拝金的経済体制と、民主主義政治と銘打たれている多数決原理による衆愚政治の傾向である。即ち、かつて中韓移民だった日本国民とその教祖たる天皇が不幸の原因なのだ。これらの人々は他人をより不幸にする事が随一の快楽と考える、生まれついて性悪の衆愚であり、それらの人々が東京または関西地方に出没しては全国民をできる限り差別し、侮蔑し、侮辱し、暴利を貪る為に徹底的に集団虐待しようとする。だから日本国民である限り、これら邪悪な弥生人衆愚の悪行から常に不幸感を味あわされるのであり、天皇家を筆頭に彼ら西南衆愚はひたすら、日本人のみならず他の全ての国民に対して同然に、より不幸にするべくして行動する。
 天皇制とは幼稚な王様ゲーム、教祖ゲームに他ならず、これに応じる人々も同然未満の低知能である。そしてこの幼稚な邪教ごっこによって集団暴行、集団略奪、大量虐殺と常態的な民衆奴隷化を行うのが、天皇と自称する愚者の卑しい差別主義的本性なのである。
 民主化を試みる人がこれら陳腐で卑俗な衆愚性を示し恥じもしないのは、彼らが無知で自ら奴隷的境遇に甘んじるほど卑屈だからであるのみならず、他の日本人を不幸にする事を楽しむ性悪気質を先祖から遺伝しているからに他ならない。邪教祖に従って奴隷を虐待する方が、自らが奴隷的境遇に置かれるよりは幾分ましである、という悪の手先的卑賤さが、神道教団や自民党長州閥、薩長藩閥、官僚、公務員の心魂の全てなのである。これら腐敗しきった蛮戎政府を完全消滅させる事こそ、民主化の第一歩と呼ばれるゆえんである。

日本国民の二大悪行

日本国では衆愚の悪意と戦う事が唯一できる正義の抵抗であり、この戦いは、日本国民一般が善悪の認知より自集団の多寡または天皇政府の暴力を社会的公正の定義にしている狂信集団である限り、悪しき多数派が絶滅するか、邪教崇拝の行動原理を変えない限り終わりがない。
 衆愚政と天皇崇拝が日本国民の二大悪行であって、これらは民主主義と伝統という美辞麗句で裏に隠した悪意を隠蔽されているが、実際には単なる悪しき暴力の正当化に他ならない。勇者は日本国民という悪しき集団が群れ始めたら徹底的に解体せねばならず、天皇及びその弥生人・中韓人・モンゴル人の先祖を神格化する神道をカルトとして徹底的に地上から消滅させなければならない。

自殺大国の現実

極悪人達がますます悪事をする為の悪しき国日本は、生きるに値しない。この国で最善なのはできるだけ幼い間、できれば意識がない間に自殺する事である。一旦成人してしまえば事態は深刻であり、ひたすら悪意の日本人達から生涯、卑劣千万な蛮行をされて苦しむ以外ない。国外脱出する為の金、言語能力、勇気、知恵がない人は絶望的であり、極悪の日本人達から訳もなく集団虐殺されるだけである。皇族閥と自民党長州閥という邪教やくざ集団は地の果てまで日本人を奴隷化し、搾取暴利し、ひたすら暴虐する為に血眼になって日本生まれの人々を悪意のみで追跡する。外国人達は漫画、アニメ、ゲーム、ポルノといった低俗な商業娯楽で洗脳された衆愚を中心に日本を偶像化しており、悪意しかない日本人衆愚を逆に理想の国民かの様に崇め奉っている。この凄まじい矛盾は邪教集団にとって好都合であり、卑しい商人は金を貧民からむさぼる為に資本主義と民主主義を濫用、どこへ行こうと奴隷化した社畜を酷使するか、さもなければ差別的に尊厳の一切を傷つけ弾圧しながら金を奪うのである。
 この退廃の極みにある国の大都市、東京や関西では性売買罪や浮浪者を虐待する悪事が日常であり、マスメディアの一切は邪教集団皇族閥や自民党長州閥を崇拝させる独裁寡頭政治の手段になっている。国連が何度も注意してもこの人権に対する重大な危害を彼らの政府組織は反省しないどころか、彼らの悪意に洗脳されきった衆愚自身が政府の悪業へ全力で追従さえするのだ。子供は一様に逐円奴隷化され、金を貧民や外国人から貪る事、そして蓄財した金を性売買罪に使ったり、虐げられた人々を羨望させるべく己の卑賤さを自慢する事を何よりの名誉と思うよう洗脳されているので、機械の様に群れ、列になって永遠の社畜奴隷または金儲け機械化を志願する。彼ら日本人奴隷に自由は無い。有るのは他の日本人達から集団虐待される恐怖を避けようとする、臆病な卑屈さだけである。彼ら日本人奴隷は天皇または長州閥の悪意ある命令に従わない者、さもなければ個性を持った者、彼らの大多数の衆愚的性向と相反する者に冤罪をかけ、集団で虐殺するよう教わっている。そしてその悪しき教えを懐疑したり批判する者をも集団虐殺するよう、愛国結束主義に完全に毒されているが、その機械的邪悪さ事こそが彼らの誇りだと考えられている。だからこそ、良心を持った個人が日本国に生まれてしまった場合、確実に自殺の道をたどるのだ。そして脱出ができなければ確かに自殺こそが彼ら、良識的人格を、日本という地獄の邪教国で救う道なのである。

2018年2月4日

集団虐待国民

極悪の暴行国民日本人陰湿極まる集団虐待
群れながら悪業三昧して恥じず集団で悪事しまくる蛮戎
邪教祖に群れてスラムを作りつつ全国蔑視で悪業三昧

下種

東京人群れて悪事を自慢する
薩長土肥主権を侵害悪行自慢
皇族閥暴利を貪り侵略罪
関西人下種を自慢し性売買
名古屋人下品と汚さを極めけり
横浜人東京の悪事模倣する
北海道山形から出て田舎蔑視
東京人偏見差別の塊ぞ
神奈川人都内で悪行積み重ね
下衆共に囲まれ地獄ぞ日本は
卑俗さと悪徳極めし日本国
世界一卑しい薩長侵略自慢
世界一卑劣な皇族暴利する
世界一悪徳まみれの関西人
世界一極悪極まる京都人
世界一悪行喜ぶ東京人
世界一品性下劣な名古屋人
高知人国民殺戮自慢する
仙台人虚栄で都会を崇拝す
名誉毀損不倫自慢の恵比寿人

脱皇族論

皇族閥全数を死刑にし、民主化した国民国家を作る事こそ、我が国を今日の退廃から復興させる。薩長土肥ら西軍藩閥、東京の旧政府勢力、京都や奈良の懐古趣味、大阪や名古屋の野望も、民主化を妨げる独裁・寡頭政治勢力に過ぎず、完全に打破されねばならない。

迷信

関西の遊女の悪趣味広めける広島人とセブンイレブンの罪
食物を無駄にするなり中国の迷信ひろめし邪教祖の罪

御所原発での大災害という復讐

皇居原発と御所原発を作り、そこで大事故を起こすか、さもなければ原水爆を東京、京都、奈良の天皇の関連施設に即時にくりかえし落とす事のみが、極悪皇族閥の原発産業による国民への暴力を解消する手段である。
 また、東京や京都をひたすらスラムとして差別し、邪教祖皇族の暮らす場所を徹底的に陥れ、侵略暴虐し、殺戮をくりかえした末に暴利を貪り奴隷化する事が必須である。これらは全て極悪皇族閥が日本人に向けてやってきた悪業であり、邪教祖に反省力は皆無、同罪報復のみが正しい解決法だからだ。都会人や西日本の弥生系移民を見れば蛮戎と呼び慣らし、徹底的にマスメディアを駆使して差別や、性奴隷化、政府の力を用いた暴虐を加え、侵略によって主権を剥奪、完全に西南日本の各地を征服しなければならない。

都会のチンピラ行儀

東京人や関西人はその生来の卑しさの為に、凄まじい愚行や蛮行を、東京や関西より人口密度が低い地域の人々へ差別的に侮蔑しながら、大上段でおしつける。この下賤な態度は邪教祖たる皇族のチンピラ行儀の猿真似である。

2018年2月3日

弥生人

弥生人の末裔は心底卑しく、醜悪な大都市スラムに住み着き、食料や電気を田園地帯から強奪し、己の卑しさを自慢して恥じず、守銭奴であり、自画自賛しながら己の下賤な性犯罪歴や下品極まりない悪趣味、悪徳を高慢なまでに自己崇拝し、自己中心的で悪魔の様に他者に害をなし良民を貶め差別し、日々犯罪や自民族崇拝をして暮らす。彼らにとって自然は恐怖の対象に過ぎず、邪教祖の周りに卑しく媚び諂い、奴隷として性売買罪をするか、さもなければ他人を羨望させる目的であらゆる汚い銭儲けに躍起になって蓄財へ血眼になるのが日常である。関西人や一定割合の東京人、薩長土肥はこれら蛮族の末裔である。

弥生人の利己的精神病質

関西人や弥生人は他の東亜人よりIQやEQが低く、前頭葉も未発達で利己かつ自己中心的で幼稚、悪意で野卑に行動する種族集団である。記憶力も低く、相手の立場に立って考える共感能力が病的に低い為、悪業三昧をして被害者を責め立てるという恥知らずの気質がある。この為、IQやEQのみならず記憶力が高く、歴史をよく学び、過去の行動から未来の行動を類推する能のある他の東亜人にとって、関西人や弥生人、薩長土肥京芸ら蛮戎、皇族の下賤なふるまいの全ては不可解に映るが、それはこれらの種族集団の脳の遺伝が恐ろしく利己的で、他人を思いやる力を持たず、歴史をも自己中心的に解釈し決して古今の反省をしない上に、人を傷つける事の罪や恥を認知できない、精神病質的ものだからだ。

弥生人達の利己根性

関西人が訳もなく突如侵略し、虐殺しまくり、差別の上で暴利を貪ってきた日本人に対しては謝罪もなく、己が侵略への報復で原爆を落とされれば大発狂で被害者ぶる、卑しい弥生人達の利己根性。卑しい人々の末路を眺めて居よ。

神性

神性は程度である。
 哲学が最上の娯楽である。

東京関西下種

性売買罪業自慢する東京関西下種
東京関西名古屋人にて性犯罪を歓喜せり
下種の極み邪教祖皇族下賤を運びけり
蛮戎の悪業三昧避けるべし自滅の道は悪意でできる

美を知っている

僕の両手には美がいだかれている
僕の両目には美が見つけられている
しかしなぜこの島国の人々は
これほどまでに醜いのだろう
心も体もけがれている人達
卑しすぎて近づけない日本人達
僕の知っている生物はこうではない
僕の生まれてきた世界はここではない
僕は最美の国からきた
僕は清らかな人だから
僕の目に映る世界は
日本人の目に映る卑しい世界ではない
一人僕だけが
この島国で美を知っている

2018年2月2日

東京人

東京人悪事をする為差別自慢
東京人首都圏差別の関西人
東京人卑しいふるまいして恥じず
東京人田舎を差別の田舎者
東京人京都とつるみ悪事自慢
東京人皇族と群れて悪業す
東京人群れて悪業三昧す
東京人関西人と悪事する
東京人差別の権化京都崇む
東京人全国蔑視し驕りきる
東京人食べ物喰らい農地差別
東京人商人政治屋下衆極め
東京人マスゴミ使い差別三昧
東京人銭を貪る関西人
東京人虚栄と悪意の塊ぞ
東京人下品を自慢自画自賛

関西人

関西人中韓から来て驕りきる
自己中の下衆な関西人驕る
関西人どこでも銭を貪れり
関西人都会に群れて悪業三昧
関西人下賤極まる天皇家
関西人侵略自慢の人でなし
関西人東京出てきて下種自慢
関西人守銭奴自慢で悪事する
関西人利己と陰険悪極め
関西人犯罪行為をいじりという
関西人性悪の種に生まれけり
関西人スラムにたかり金むさぼる
関西人花札ゲームで子をむさぼる
関西人朝鮮差別の朝鮮人
関西人金権に土下座驕り散らす
下品さを自慢し冤罪関西人
悪事する為に生まれし関西人
侵略罪犯して群れる関西人
自画自賛下賤を誇る関西人
邪教祖の悪業ほめる関西人
薩長の蛮行ほめる関西人
極悪の性根に生まれし関西人
集団で虐待殺害関西人
金貪り賤業誇る関西人
貧民を貪り貶す関西人
きたなけり関西に集う下衆仲間
陰湿と差別を極めし関西人
下劣さを極め差別の関西人
中韓を追い出されけり関西人
日本に迷惑三昧関西人
東アジア中で蛮行関西人
日本に侵略自慢関西人
関西人過疎地で首都を気取る下種
関西人邪教を種に首都気取り

2018年2月1日

幸福への道のり

俗人や都会人に軽蔑され、貶され、無視される様な生き方が、幸福への最短距離である。

ひとでなし

関西人東京に来ても差別する
東京人田舎を差別し銭むさぼる
京都人日本を差別し自画自賛
天皇家侵略犯が暴利する
薩長土肥侵略自慢の殺人犯
貧困者貪り虐げ日本人
長州閥弱肉強食ひとでなし
中部人都会に憧れ悪事する
仙台人田舎を蔑視し都会ぶる
札幌人倫理をもたず都会ぶる
九州人野蛮を誇り恥知らず
岡山人長州閥の悪手伝う
四国人卑屈を極め自画自賛