2018年2月6日

人間憎悪について

人類を十分に憎むがいい。人類は邪悪で下卑た悪魔の様な衆愚に過ぎないのだし、醜悪な哺乳類としての一時的存在に他ならず、遠からず世界から死滅する。
 人類を愛す事は必ず災いをもたらす。邪悪な対象を愛するとは、悪に自らを汚染させる事だ。博愛を性愛と誤認させたイエス、仁愛を道徳知能差別に基づいて述べた孔子、全ての害他的存在への諦めじみた慈悲を語ったブッダ、空想の神性への絶対服従を自軍洗脳に用いたムハンムド、これらの聖人達は人類を手駒にする為に利他性を極端化した概念を駆使し、さもそれを自らが保有しているかの様に偽装する事で多少あれ聖人格の振る舞いを身に着けた。だがこれらの人々の生涯を見れば明らかなよう、人類一般は常に利己的で邪悪だから、聖人らは当時において最大限の迫害を受けて死んだ。彼らの利他性に負債感を感じた信者のみが、聖人に感謝したのだ。定言命法を理解するほど人類一般は利口でも上等でもないし、その実践となれば徳川慶喜の様にごくまれな人格者しかいないのであり、しかも多くの陰険な西国人を見れば明らかなよう救われて逆上するほど卑賤であり、善業の効果も限定的である。人類を憎悪する事、人類の悪性を正しく嫌悪する事は、全ての人間性から離脱し、神性に親しむ最初のきっかけでもある。