2025年7月26日
京都の闇
これらは墓穴に入った己の地獄の底を、益々深くする為である。どの因業も全て結果するものだからだ。
2025年1月19日
2024年12月6日
2024年11月18日
陰険な国民性の間で
劣った人々の間で、優れた人が好評されることは決してないだろう。
このため、日本では有為の人材が陰湿な衆愚からつぶされてしまい、立派な人格はそうと評価されることは永遠にありえない。なぜなら、日本人一般の性質が極めて相対的に陰険だからである。
日本では他国民より明らかに意地悪行動が多いのは、その集団性が皆の安寧や公徳より、単なる悪意からきた悪平等を最もさきに求めるほど、邪悪だからである。そこでは正義ではなくぬれぎぬ・冤罪が常識化されているため、善良な心の持ち主は一人たりとも生き残れない。つまり、日本は人類史にとって最たる悪例としてあるのだ。
逆に、日本人一般、こと時に中華思想に由来した自己中心的な傾向の激しくある関西地方や、あるいはその大きな影響下にある上に系統的共通性が高い西日本の連中が喜んで持ち上げる類の人々は明らかに劣悪な心情の持ち主で、世界の反面教師となる様な、根っからあしき人物が甚だ多い――例えば内乱、侵略、外患誘致罪人であるところの坂本龍馬や吉田松陰、西郷隆盛など。或いは姦淫小説家であるところの紫式部や、差別主義者であるところの自称天皇一味や清少納言などだ――。それは、彼らの心から共感する本質がイケズ、こと、性悪さだからにほかならない。
この種の悪性を自覚してよい心を持とうと努力するのではなく、「もののあわれ(もののあはれ)」と呼ぶ不良自慢の自民族中心主義で糊塗し、自己正当化した本居宣長、小林秀雄、茂木健一郎ら(いわゆる日本文学批評の三大悪人)は、彼ら自身の悪魔的性質と共鳴する邪悪の弁護に心を寄せた点で、同時代でその弁舌に影響を受けた人々ならびに後世に大きな公害をなした人々だった、といえるのである。
2024年11月16日
2024年11月11日
あしき日常習慣
2024年10月16日
2024年10月11日
世界一巨大な墓穴
下品な自称京都・東京文化大公害と自称天皇の中華思想独裁政治
2024年10月1日
鬼が島
関西人や東京人、九州人などが悪意や匿名でいきり立って、ただの善良な自国民を何の実態もない空虚なおごりから「田舎者」とののしり侮辱し、差別する為だけの鬼が島の邪悪な生態は、衆愚洗脳で国事を乗っ取る種族主義邪教・神道一味ごと、完膚なきまでに自壊自滅し、人類史の失敗作として永久に捨て去られければならない道徳法廷での約束があるだろう。さもなくば、彼らの作り上げている令和の世は、道義ある人間界に決して存在してはいけない最悪級の自堕落のはずだ。もともと傲慢の悪徳に他ならない自文化中心主義の一種、中華思想を関西地方から中途半端にまねた愚かな人々は、斯くの如く悉く、ちりぢりになって消えていく。
2024年9月29日
因果はめぐる
2024年7月30日
不良と優等生
不良に見習う自称天皇一味の末路は、確実に破滅だ。全て自業自得。
不良の国柄
性悪ということほど救いようのない特徴はおよそどこにもないだろう。知識や知恵を持っているほど彼らは益々、公害をもたらす。悪知恵は自他に災いをなす。では、その様な集団に未来がないのも当然というべきだ。
2024年7月24日
2024年7月22日
海賊の世界侵略
いまだに何も反省がない
平和な海岸をごみだらけにして荒らしていく
何度浅ましくも原爆を一般市民の上に落としても
何度星中の平和に暮らす人々を奴隷にしても
何度侍達に斬り捨てられてもひたすら逆上し
少しも人の心を持たない連中だ
勝手に他国にあがりこんでは
次々不躾にもユニオン・ジャックを立て
麻薬や武器を売りつけて戦争を起こし
「お前の国は俺のものだ」という
あたりの善良な人々を一方的に野蛮人と侮辱し
無駄な暴力をふるってただただ金をよこせという
「お前の国の自然も茶葉も会社も我が物だ」
「いいから我々外人にただで売り飛ばせ」と
海賊の国からきた頭の悪すぎる商人はいう
「奴隷制をやっていたのはお前の国だ」などと
海賊の国でやっていた罪を逆に着せてくると
いつもの手のひら返しで話にならない嘘を広め
東洋主義の風説で世界をだまし金を儲ける
関西の山奥のやくざにすぎない自称天皇は
イギリス海賊団の手先を買って出て
国民の税に寄生して贅沢三昧
英語を話し国民代表の国葬に出ず
海賊のまねごとをし威張り散らす
無能は無能 治らない
人種差別の邪教祖はろくな人間ではない
余りに誠実な水戸の徳川家は
昔からいるというだけで天皇家を信じすぎた
最初から腐りはてた関西やくざの実態は
イギリス海賊団の長と何の違いもなかったのだ
尊王攘夷の掛け声は遠く
イギリス海賊団は星中を傲慢に荒らしていく
爆音の汚い音楽と薬物中毒をまき散らす
町中の壁に落書きしながら
店から強盗をしながら
動物の死骸展示を美術だと言いつくろいながら
2024年6月10日
茂木健一郎がいない世界へ
暫く前まで僕は天衣無縫の人みたいに、すらすらと淀みなく詩が書ける人だった。だけれども、毎日書いていると特にツイッターにアップするのが面倒くさくてやっていなかった。しかし、この数週間から一か月くらいだろうか? 僕は詩がなかなか書けなくなってしまった。余りに傷つきすぎているからかな? とおもったが、それだけではないのかもしれない。
特に僕を傷つけたのは、J-POPを口汚く全否定している茂木健一郎という人と、似た言動をしたBBC記者ルパート・ウィングフィールド・ヘイズという2人の人物の発言だったが、それに次いで、「大吉原展」をめぐって、無関係の僕へいきなり最大限の侮辱発言をしてきたひよこと称するX民も自分を傷つけた原因だった。ツイッターでもXでもいいけどね。とにかくXは呼びづらい。しかしツイッターについている悪い印象を払拭するにあたっては仕方なかった名前がえだったのかもしれない。でもまぁとにかく、僕はひどく傷ついた。
想像しうるかぎり、僕ともぎけんの相性は最悪なんだろう。あの人物をツイッターでウォッチさえしなければ、ここまでひどい目にあわずに済んだと思えば、人間をよくみることは非常に、極めて重要におもう。僕が慎重であったこともよい結果になっているとはおもうが、もぎけんはあるとき、僕にダイレクト・メール(ことDM)というツイッターのしくみで、鎌倉での彼だかがやっている小林秀雄の勉強会みたいなのに呼んでくれたことがあったのだが僕は行かなかった。なんか直感的に行きたくなかったのもあるし、そもそも僕自身側に行くだけのカネもないし、そのころ金つかいたくなかった。当時僕はみきさん(と)の独立費用をなんとかお金貯めてつくっていたみたいなものだったから、当然といえば当然におもう。その予定はみき氏の大暴走でおわったみたいなものなので、結局、僕があまりもぎけんを信用できなかったんだとおもう。要するに、そのときももぎ氏に言ったのだけども、DMで。古市憲寿なんて庇う必要はまるでなかったのだが、自動的に古市氏の性的指向ぽいものをあおるみたいなことをいったもぎ氏に説教するみたいな形になってなぜか、DMでもぎ氏に謝られた。とうの昔のことなのだが。
で。もぎ氏はとにかく詩というものがわからない。そう当人が言っていた。動画で。実際にそうなのではないだろうか。詩心から最も遠い人らのなかの第一人者におもわれる。端的にいえば無神経で、精神が粗雑なんだとおもうのである。長らく観察してて、その点、色々破綻していたから間違いない事に思う。そもそも外向的な性格のひとにそういう傾向がある気がするがまさに、彼がそれであった。そういう意味で僕と性格があわないし、真逆とまではいえないかもしれないが、正反対といえる面が確かにはっきりあった。
しかし、赤の他人の性格なんて或る意味どうでもいいだろう。問題はそこにはない。
彼とルパートという人は、隠れて人種差別的言動をしてるみたいなもんだろう、とおもうのだ。J-POPというジャンルは、割と多様性が高い方なのは間違いない。実に色々な曲があり、色々な民衆の心がうたわれている。しかし、彼らは日本人の民衆の心を全否定に回るのである。
むかし紀貫之が『古今和歌集』の仮名序でうたは人の心だといった。
このことを彼らはまるで知らないのだ。本当の意味で。
あるジャンルの歌を全否定するとは、その奥にうたわれている人々の心を全否定することに間違いなく等しい。つまり、彼らは日本人一般を、特にその精神を間接的に差別的に見下して扱っている。これは間違いない。そこには自明に甚だ強い悪意がある。この点についてはこの上なく強調しておきたい。その上で、彼らには反省の見込みがまったくないのである。そして彼らをとりまく色々なものごとは、救いようがなく傲慢なイングランド文化帝国主義によって、特に軍事力とか国際政治力といった明らかな暴力によって正当化されており、あかたも彼らの粗暴さが正義かの様に国際的に語られてしまっている。ただの政治権力で文化的自由度が迫害されている。これが僕には決定的に最悪だなと感じられているのかもしれない。(似たような事は国内では自称京都勢とか東京勢とかが天皇一派と群れて、古代飛鳥時代頃から日常的にやっている気がするが、国内的な事に触れていると論考が長引くので次の機会にしよう。)
確かに大衆歌、特に商業的流行歌は、どこの国でも必ずしも質の保証の様なものではない。しかし僕がその後も観察していたところ、ルパートというひとはイギリスのその種の大衆歌を全力で持ち上げていた様子だった。うるせー感じのロックを。まぁロックもいいけどさ。古い感じでしたよ。プログレではない。はず。これで僕は本当に驚いてしまい、この人物の心の出来の悪さ、粗雑さに呆れかえってしまい、というのかな。音楽的感性の低さ? にかな。大変絶望感をおぼえた。だって僕の思春期にはやってたのはレディヘの『キッドA』とかなのだ。最初に『アムニージアック』をきいたときも怖かった。そんなのをまったく評価できないひと、いうならば音楽的世界が狭いひとが世界中を見下す様な記事を恥知らずにも堂々と書いて、あの狭い極西の島国からうようよでてきて、茂木と共犯的にわれわれのおざけんとかスピッツとかミスチルとかYUKIとか、バンプとかセカオワとかを大馬鹿にして、大威張りしているのだ。スーパーカーやアマザラシすら馬鹿にされているとおもうと、黙っておくべきではないようにおもうのだ。まじで。本気でだ。
ひよこというおばさんらしきツイッター民は、それに輪をかけて酷かった。このひとは展覧会弾圧が当然だという顔をしていて、欧米ではの守、もしくは米国ではの守を気取っているのだが、一体欧米諸国のどこで浮世絵の展示会を弾圧したことがあったのか? 当然そう疑問におもうのできいてみたら、というか絡まれたのだったとおもうのだが、それで、真っ当に美術史評論的な返答してみたら、ひよこがわは要を得ない答えだった。美術素人がなにもしらないで表現自由権を弾圧している。
この種の信じられない粗雑さを、米英、あるいは連合国勢、あるいは国連勢の粗野な暴力と自文化中心主義で補完しながら、彼女は僕へ押しつけようとしているのだ。わけがわからなかった。最悪だなと感じた。それなのに、その最悪の言論弾圧犯ひよこは、「恥を知ってください」とか、わけのわからないことにさらに輪をかけまくっていた。それは当人のことだろうよ。本当に最悪の経験ばかりする。ツイッター。おわればいいのに。イーロン時代も変わってなかった。そりゃそうだよね。やってるひとらが日本人で同じ層なんだからさ。近づかないに越したことはないね。
茂木は彼らのボスみたいなものだ。コンニチかれほど明白な人類全般への文化的敵性を示している人物もなかなか見当たらないのではないのか。だって、日本人が自分達の心を表現する機会を弾圧して。あまつさえ。昔の、その種の心のありようすら大弾圧しているのだ。現に。
なぜその様な蛮行がゆるされるものかは?
ドイツという国は、というかイギリスもだが、その種の人物の言論を大いに称賛している様子がある。これも僕に大変な失望を呼んだ。前から両国そんな節はあったが、改めて絶望的な気持ちになった。まぁ英独なり欧米なりに過度に期待することそのものがおかしいんだけど。もし二流三流国家の集まりなんだったらもともと仕方がない。もぎ氏は歴史否定論とかいう、ネオナチとしかいいようがない言動をして、しかもそれは百田尚樹氏や竹田恒泰氏らの神話史観もしくは小説史観を賞美しつつ、司馬遼太郎の書いた偽物の坂本龍馬を史実と混同して無反省な時点でもそうだったんだけども、僕にとてもがっかりさせた。その点でもぎ氏はまたも日本に大迷惑をかけてきている人物だ。史実は物語ではないし、嘘ではない。あたりまえのはなしだ。ほかにもありすぎるので、彼の問題点をまとめる人がいないとダメな気がする。人として普段から悪いことし過ぎという事は、長らく観察してると本当によくわかる。賄賂五輪強行とかね。コロナ禍で。ノー・マスクをあおったりとか。それだけじゃないんだ、あまりにありすぎて、個々に列挙してると疲れきってしまう。
もぎ氏がNHKに出だした頃なんて、そこまで異常な人物だなんて、はじめは気づかなかった。現在進行形で人類に害をなしている人物だということは、歴史否定に加えた絵画展弾圧など、特に最近の言動では一層自明におもわれる。むしろ彼の脳の異常からくるさまざまな反社会的な行動と、日本人全般は適宜闘う必要があるんだとおもう。詩の弾圧というのも、類例のないほどわるいおこないだ。ことに詩は日本もしくはひたちのくにの単位だと、文献記録にあるかぎり嬥歌や万葉和歌からきわめて伝統の長い芸術の一つに該当する。縄文土器や洞窟壁画までさかのぼれば、最古なのはほかにもあるだろうが、文字記録にないだけでたしかに歌はうたっていたろう。詩はひとのこころだ。人の心をふみにじる、ふみつぶすおこないというのは、ある意味ではナチがやったような人種差別の、よりわるい版だとおもう。ルパートもこの点ではどれほど非難してもしすぎはないようにおもう。また、ひよこもおなじだとおもう。ひとのこころは他人にたとえ少しでも統制されるべきものではないとおもう。虚構の世界である絵のなかに、何かを表現するということは、いわば人間性の解放だ。それをみて意見をいえばいいにすぎず、絵をかいたり、あらわしたり、展示したりする権利をも弾圧してくる、というところに、茂木やひよこ、あと当時つるんでいた瀧波ユカリらの、非常な悪質さがある。
ツイッターはその様に、毎日毎日百鬼夜行のありさまで、つぎからつぎに悪役がでてきて、本当に疲れきる。しばらくみてない。でも、それだけのものだとおもう。僕は、僕の心を守る必要がある。そのためには茂木がいない世界に逃げなければならない。