2020年3月31日

直す必要がない物

壊れていない物、よくできている物、巧く機能している物を直す人は、それをしばしば不可逆的に壊してしまう。

序曲

死は再生の序曲。

拝金主義者

拝金主義者は悲惨の為に生きている。

2020年3月29日

桜の開花

都会で雪降る中わがやの庭をみれば桜咲いており

絵と写真の差

絵は絵にできる事だけ表せる。だが明らかに写真よりよい絵がある。つまり絵はある情報を抽出してあり、ある人の主観にとって望ましい形の情報伝達になっている。

絵画論

絵は決して完成しない。それは建築なども同じだが。少なくとも造形芸術は、この意味でなにかの模型でしかない。そのなにかとは当為としての理念であり、理想であり、イデアであり、エイドスなのだろう。設計図としての絵、これが確かな事だ。ある理想を典型にまとめあげているだけ。そして設計自体が違うと意味をもつ。

2020年3月27日

COVID19天譴論

COVID19は少なくとも驕りきっていた金権老人への戒めとして機能する。問題は拝金若害の方である。

2020年3月26日

日頃の行いについて

普段から衆愚さが明らかで、その中で驕り高ぶっていた国内の大都市住民、特に東京圏や関西圏、中京圏の人達は死に向かっての片道切符をきっていたのだ。
 ここから得られる教訓はやはり「普段が全て」で、そこで疑わしい行動をしている地域自治体から進んで離れるしかない。皇室、日本国政府、自民党政権が暗愚で悪徳に満ちた行動をしているのにその内部にいて安全では決してないだろう。

2020年3月25日

馬耳東風について

私が東京という地獄を知っているとして、それを他人に伝えても、他人が信じなかったので彼らは地獄を天国ととりちがえたままでしぬ。それに同情の余地があるだろうか? 忠告を聴き入れない人々に救いなどありえないのではないか。

大衆は悪趣味の別名

大衆が貶めている物は大抵よいもので、大衆がたかっている物は大抵最悪のものだ。最善最美の物はどういうわけか大衆がひたすら差別し、貶めている。その意味で大衆とは悪趣味の別名だといえる。

賄賂五輪目的の捏造感染者数

五輪延期が決まったら急に東京都庁発表の感染者数ふえて全国最下位自称1位

悪徳は卑しい癖

卑しい人達には特有の悪徳や、妄想癖、偏見の類があり、それゆえ常に比較・絶対的に不幸であったり、なんらかの落ち度の中で生きている。高徳な側からのみそれが見える。

東京、長野、姫路、仙台から出てきた私のみた下賤な人々

私は長い間、卑しい人達の考え方について研究していたが、どれもこれも無駄だった。福沢諭吉が海千山千を勧めていたのは、自分には有害でしかなかったらしい。
 いまだになぜ下賤な都民とか、長野や姫路、仙台から出てきた卑しい人間の様な連中が口を合わせた様に茨城に何もないというのか、何ひとつ理解できないままだ。小さな頃からそこでありとあらゆる有に囲まれている以上、かれらの心魂が腐りきっており、なにか幻惑に騙されて生きているのだという事だけは朧気にわかるにせよ正体は全くわからない。とかく下賤の徒、下衆の考えとはその様に理解不能なものなのだ。

日本の都会人一般が驕慢なわけ

東京人一般、あるいはいなかから出てきた者が都会人ぶって驕慢なのは、京都人一般が現代では田舎者なのに相変わらず極度に驕慢なのからみても、都市環境によるのではない。中華思想の根底に有る差別観が文化形質から当人にすりこまれてしまい、その邪悪な模倣子に染まっているからそうなのだ。

令和日本の三大邪教

天皇を謗られて発狂する人々は、資本主義(といっても日本人全般は労働主義)つまり金儲けと、神道教祖をどちらも狂信しているのだろう。かれらの信仰はこのどちらかに依存しており、民主主義とかれらがよぶ多数決というものも混じっている。
 これらのどれもかれらの悪意しか説明していない。これらの宗教はいづれも善と直接の関係はなく、むしろかれら自身が性悪で、暗愚なので、邪悪なものでしかない。天皇や神道とは差別や殺人教にすぎないし、資本・労働主義は利己による弱肉強食、民主主義は多数派の横暴に他ならない。
 現代日本一般が邪悪なのはこれらの三大邪教(神道、資本・労働主義、民主主義)に心の髄まで洗脳されているからだ。そしてかれら自身はこの外から思考できるほど賢くない。

2020年3月24日

嫌われるべき相手

卑しい人達に嫌われているとは、救いに等しい。

2020年3月23日

東京の終わりの始まり

カナダ辞退で極悪東京賄賂五輪が終わってよかった

2020年3月22日

磯原駅

磯原駅
2020年
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蝶々

窓を開け蝶々飛びけり春になりける

東京・関西・中京圏に固有の蛮習を避けること

東京圏の人々は偏差値入試順に列を作って、サイコパスの類を高い地位に就け、大金をやっている。私はその有様をみてなんて卑しい人達なのだろうと呆れ返っていたのだが、結局、なぜかれらがそうしているかなら、単にかれらが暗愚だからなのである。悪意もあるがそれ以前に無能なので形式主義的なのだ。
 一体、邪悪な人間が指導した社会が善意の社会を作れるかといえばそれは不可能事なので、十年後、百年後、千年後の東京圏は破滅的な結果になっていることは考えるまでもない。
 我々にいえるのはかれらを反面教師にすべきことで、できるだけかれらのなにがどう誤っていたのか逐一調べておくことだ。

 先ず東京圏の人達一般は、知能の診断について大きく誤解している。かれらは全ての人達が同一条件下で同一目的・同一意欲で同一教育を受ける誤った前提に立ち、型に嵌った学歴のうちかれらの中で18歳近辺に受けることになっている大学入学段階の偏差値入試の序列が賢愚自体だと考える。
 この考えはおそらく科挙の風儀が変形されたもので、特に明治以後の150年で東京圏の人々が総じて大企業に依存しくらすアキンドになったのと関係している。また主な官公庁が形式的にこの風儀を強化した。
 裏を返せばかれらはその悪習がどれほど馬鹿なものなのか知る能力がないのだ。
 一言でいえば東京労働者の偏差値階級差別。その上に皇族と呼ばれる殺人暴利の教祖集団が乗っかっている。成程誰がどう見ても邪悪な秩序である。
 我々にいえるのはこの不合理なばかりか下卑た序列ができた経緯は関西・西南地方からやってきた人々の愚かさ、卑しさに由来していたということだ。
 生まれによって中身を問わず絶対的に人種差別する。これはそれ自体が世界で最も愚かな考えの一つなのは確かだが、関西地方の人々はもともと浅ましいこの種の差別を常識だと信じきるほど平均民度が低かったので、江戸を東京に改称した頃にその風儀をもちこんできた。第一に皇室がまがまがしいのである。
 第二に、明治期に侵略してきた九州・山口・高知などから来た人々の自己中心的な卑しさが、東京圏でその種の階級序列を強化した。いわゆる華族令。GHQがそれを解体後も基本序列は学閥として残った。差別を目的にしている東京圏文化は、やはり西南地方の低民度の人達の考えと混じってできあがっている。
 第三に、東海道を商人が行き来し、この序列を旧帝大間でさらに強化していった。例えば愛知・静岡県民など中部人の類が妄想として東京圏・京都圏にもつ異常な羨望や嫉妬を目の当たりにすると我々は文化衝撃を受ける。なぜなら現実の東京や京都はかれら中部の田舎者が考えるのと全く違うスラムだからだ。
 東大、京大を異様に信仰している或る奈良県民の言説を私が逐一聴き取ったかぎり、教育過剰な傾向の奈良の或る家庭(公務員の家)では、偏差値序列の差別に殉じて人生を経るのがほぼ宗教として子供におしつけられていた。いいかえれば、東海道の東京・京阪間にはその種の奇形な学閥教義が現に存在する。
 こうして、総じて歴史的経緯としては

1.皇族と称する殺人教祖の移入
2.薩長土肥ら西軍の蛮習の上書き
3.東海道商人の妄執的な学閥信仰

が、なぜ東京圏の人々がその種の差別を絶対視しているかの理由である。特に拝金教義がこれらを強化しているので、知能の精確な分析など全く省みられない。

 教育や生育条件は多様で、個人は意欲も目的も違う。しかも18歳の段階で等しく同じ試験を受けるとも限らない。さらにその試験の一度の成績が、複雑な賢愚自体を証左する筈もない。知能指数すら同年代に対する一部の脳の働きの相対値でしかないし、その種の典型的な科学の公教育は限定的意味しかない。
 一般知能因子、特殊知能因子のうち後者について定型教育で測りうるとも余り考えられないし、才能や性格、その他、芸術、工芸、技術、好学心、運動、商業、政治、宗教、外見、あるいは道徳性のみならず、単なる知識に於ける独創性などあらゆる個性の類はある国の典型的な科学教育に現れない能力である。
 ではなぜ東京圏の人々(及び、広くは東海道の商人衆)がそれほどまでに、幼少期のかれらの定型科学教育を絶対的身分差別の指標とまでに思いつめているのかだが、前述のよう悪意も十分に感じられるが、それよりなにより驚くほどかれら一般が無能だからだ。平均民度が低いので暗愚で不合理な秩序を作る。
 一体どの様な悪意がかれらにあるか、まず他人を差別したいのだ。それによって被害を受けるのはかれら自身でもあるが、自らなにを誤っているか理解するほど知恵もないので、殺人教祖やその足下にはべる金持ちのもとの奴隷的境遇に甘んじている。そして自尊心を補完するため華夷秩序でいなかを蔑視する。
 京都市も『京都ぎらい』などで一般にもよく知られる様になったが、平安時代の『枕草子』から何もその点変わらない。差別がイケズ文化の一部になっているので、京都市内で中華思想、あるいは東京譲りの学閥を主張している節すらある。
 大阪府民や、名古屋市民もかれら東京や京都の暗面をまねている。
 総じて中部民一般は東海道間の文化に属するので、この東京圏・関西圏の中間的な考えを持ち易いのだろう。それで、かれらはどちらの暗面にも程あれ影響を受けている。
 商売で金儲けし中韓系の渡来人による殺人教を強化する。その為に浅ましい差別を絶対的教義として繰り返す。疑う者は排除する。

1.奈良伝来の殺人教を信じるのは一切やめる
2.薩長流儀の階級・門地差別の類は蛮習として放棄する
3.東海道商人の学閥信仰は暗愚な証として無視する

 これらが少なくとも最低必要な東京圏の野蛮な風儀を退ける心構えといえるだろう。勿論、我々がそうしたところで東海道民一般は反省しないが。
 百年、千年、万年後の社会秩序を考えれば、東京圏、関西圏、中京圏は滅び去って跡形もない。それは彼らの社会秩序が上述のよう明らかな蛮習でできているのからも明らかだろう。アリストテレス曰く「はじめは全体の半ばなり」。最初の時点で野蛮な人々を見分けその悪習を避けられればあとはたやすい。

慈善は慰めにすぎない

私は恵まれない民衆に慈悲を向けるということを試していた。特に自殺志願者らが最も悲惨に見えたので、そうしていた。だがこれは凡そ全くの間違いだった。
 慈善の中で人は自殺志願者らの内情を知る事になるが、彼彼女らがそうなのはきちんと理由がある。彼彼女らは自らの悪徳の故に死を望んでいる。
 私がその種の慈悲慈善を試みていたのは、第一に聖書のパウロの文言に騙されていたせいだった。自分こそ知者だと思い上がってはいけない、却って身分の低い者の中に交われ云々。これも、実践すればすぐわかる話だが完全な間違いである。そうすればするほど邪悪な人間の渦中で苦しむだけで効果がない。
 特に私が気づいたのは、卑しい人、つまり道徳知能が低い人とそうでない人は生まれつき大幅に違うということだ。後天学習によって補われる部分は生得的差ほど決して大きくない。最も顕著なのがダークテトラドに分類されるだろう本物の極悪人の類で、彼彼女らはそもそも良心をもっていないのである。

 あるイギリス人が私へ次の様な事を言った。世界は生まれつき国あるいは民族、人種ごとに開きがある云々。私は彼よりずっと寛容度が高いのでその意見は差別的偏見にしか思わなかったが、別のあるノルウェー人も彼の意見に同意していた。西洋一般の通念あるいは民度としてその種の見解がある様に見えた。
 だが上記の原理、つまり人は生まれつき大幅に道徳知能に違いがあるという点を鑑みると、彼らの意見にも一理なくはないことになるだろう。なぜなら特に邪悪な性格の持ち主達が集まりがちな地域があるし(京都市でいうイケズ文化など)、総じて集団ごとに大まかな知能指数や学力差などもみられるからだ。
 ガウタマはパウロと全く別の見解を述べていた。曰く卑しい者や愚か者の言葉を見聞きするな、交わるな。孔子でいう小人と同じ発想で、愚者や賎者をはじめから遠ざけていた。ある香港人が孔子を批判し、人権や多数政治に矛盾するからだろうが、この発想を差別的だとみなしていた。それは唯の観念主義だ。
 現実は愚か者や卑しい人が害悪を為している世界なので、彼彼女らに近づかなければ自らが害を受けることはそれだけ少なくなる。進んで都会に近づかなければ犯罪被害に遭う機会が激減する様なものだ。人権の尊重、あるいは人格主義とこの現実感とは特に関係がない。愚者や悪人は現に存在するのだから。

 慈悲や慈善の実践についていえる真理は次の事である。
 これらは完全に良心の満足の為に行うものでしかない。つまり一種の贅沢で、但ししばしば義務的な贅沢である。清貧を虚栄より尊ぶ人間なら同時に多少あれ慈善にも足を踏み入れる事になるだろうが、この贅沢で愚者や賎者を根っから改善できない。
 愚者や賎者は総じて彼彼女らの生まれつきの性質でそうなので、例え望ましい啓蒙で向上するとしても全体の一部である。社畜志向のゆとり世代に独立心を啓蒙した所で総じてますます拝金主義を身につけてしまう様なもので、はじめからマルクスやウェッブ夫妻の理念を受けた中国や北欧に理解が及び得ない。
 つまり上記の或るイギリス人は、少なくともパウロよりずっと現実的な見解をもっていた事になる。イギリスが世界侵略をした一つの原型になる考え方、自文化中心主義ともいえようが、その一部はフランス経由の啓蒙主義に毒されていない点で、間違ってはいない。慈善行為は唯の慰めの程度にすぎないのだ。
 全く慰めというものがない社会に比べ、それがある、もしくは豊富な社会に比べると後者の方がまだましなのかもしれないが、それはどこまでいっても慰めに他ならない。宮崎駿が生きるに値するとこの世を定義し子供をそう洗脳してみたところで現実の人間性はそれより遥かに邪悪で、現実の東京は醜悪だ。
 嘗て宗教は愚かな人間の心を捉え、慰めを与えていた。神道信者は今も彼彼女らから暴利する殺人教祖へ納税・賽銭し万歳三唱している。資本主義信者にとって長者番付の上位者が神々なのと同じである。だからこういえるだろう。慰めに満足している人は愚かで、信念次第で時に邪悪でもあると。

2020年3月21日

啓発は他人に向けて行うべきではない

人には共通の行動様式がある。
 卑しい人にはそれ固有の行動・思考様式がある。そしてそれらに似ているほどその人は卑しい振る舞いをし易い、またはほぼ確実にする。
 同類相憐れむ、類は友を呼ぶのはこの様式によっている。だから卑しい人達の群れにいたり、その言行を学ぶとは様式の模倣である。
 望ましくない言行様式をもつ人々は、群れながらその様式が共通という認識をもっていない。望ましい様式が何かをしらないのでその共通集団に属しているからだ。
 我々が或る人を反面教師にするのは、その種の様式の劣悪さが明らかな時である。だが悪例当人は特有の盲点の為そのことに気づけない。

資本主義は人々を少しも善良にしないだろう。そこにあるのは需給を速やかに満たす行動系列が利益を寡占する構造だけで、どんな道徳性も経由しない。究極の人工知能の方が明らかに全人類よりうまくカネを儲けられる。
 だが道徳を無視するこの資本主義は、寧ろ卑しい人々を少しも救いはしないだろう。
 物質的充足は、どこまで行っても交換価値のやりとりに留まるが、そもそも道徳性を経由しなければこの交換に質の高い幸福は乗り得ない。だからむしろ商品経済や拝金主義のはびこっていない社会での方が、明らかに人々は質の高い幸福を得ている。資本主義者やその種の労働者の傲慢が幸福を堕落させる。
 我々が或る商人の虚栄なり、消費・浪費生活をみて羨望なり呆れを感じるのは、かれらがその種の傲慢以外なにも掲示していないからだ。顕示的消費の本質にあるのも、単なる高い質の幸福の否定である。
 賢者はその種の商人達ではありえないだろう。分け与える事で充足するのが本来の幸といえるからだ。
 卑しい人達の行動を観察すれば、逆の事がわかる。かれらは寡占や独占、浪費を地位や幸の目安と考えている。これは俗物根性というべきだが、結局、かれらの惨めさは交換様式の根底に道徳性を介在させていない点にあるのだ。

 むしろ、次の様なこともいえる。
 卑しい人達が直感的にそうと感じられるのは、かれらの道徳性の低さをなんらかの仕方で人が感じ取るからだ。逆にそこから、ある言行様式を帰納的に収集できるかもしれない。例えばダークテトラドなのだがそれを隠している労働者に典型的な言行といった部類のものだ。
 卑しい人達の卑しさの核心にあるものを抽出できれば、それは悪徳と呼べるだろう。そしてその反対側にある理想が、人々にとって模範的になるだろう。
 我々は卑しい人達を単にそれとして見て、かれらに共通の認知の枠組みを推し量るのは難しい。外形に表れた言行系列から推測し、型をとりだすべきだ。

 卑しい人達はなぜ卑しいのか?
 彼らは結局、ある言行様式の内部に型をもっていて、それが共通なのである。そしてその型は悪徳と呼べるものだが、それをもたない人にとっては理解し難い対象である。大体が、暗愚さのため無数の誤解や悪解釈を繰り返して生まれる結晶がそれだ。
 少なくとも私は程度あれ卑しい人達しかまずみたことがないので、およそ全人類の全員がその種の帰納法の対象である。尊い人についても同じ帰納ができるのかもしれないが、先ず希なので現世での人間観察では悪徳を抽出する結果になる。これは現世の人間をみることが馬鹿馬鹿しいという意味だが。
 下賤な人達に固有の考え方を知る必要があるのかだが、かれらとやりとりできない方が好都合な場合が殆ど全てなので(害を避ける為には進んで縁を切るべきだ)、結局、現世の人間観察には総じて悪徳抽出の効率を高める以外の目的がない。そして悪例がふえるほど、人間の行動原理を予想できる様になる。

 尤もそれができたところで、乃ち世知に長けたところで、人の悲惨でみるも穢れる結果がますます先に予想がつくだけの事だ。人文学の究極目的が道徳的啓蒙にあるとして、もしそれが程度問題でしかないとすれば、全人類を改良できるとの考え方は唯の全体主義の変奏、誇大妄想でしかない筈だ。
 だから人文学は次の様な用途であるべきなのだろう。先ず人類全般からの自分への害悪を防ぐこと。害獣からの自己防衛、これは判断力があれば誰でもそうする。次に部分的に啓蒙をはかること。これも聖者なら誰でもやった。最後に、人類の総勢に期待しないこと。これが一番難しい。
 人権思想は実効性はあったが、一種の誇大妄想を延長させたものだった。だから大抵の人類が理想からかけ離れた言行をする現場をみると、我々は人を卑しんでしまう。だがどちらかなら啓蒙家が過剰に期待していただけだ。殺人教祖を崇める衆愚の国にあって、寧ろ人々に期待をかける余地などないだろう。
 この世では下卑た人々と縁をきれればそれで十分なのであり、アガペーという過度の救世主願望による自己洗脳を解きさえすれば、少なくとも人類一般の根っからの愚かさ、邪悪さに失望も絶望もしない筈である。
 進んで広く交際を求めるな。この世で一番害がある行動だ。凡そ悪徳は他人が感染源だから。
 愚か者を賢くしようとしても全くの無駄である。並より賢い人すらそれ以上賢くするのは難しいのだから、最初から啓蒙されようがない愚か者の相手をするのも同程度に愚かな人だといって間違いない。つまり人は悪徳を避ければそれで十分であり、他人の愚劣さを改善する必要もなければ義務も意義もない。
 生育の途中で性善的になった人は、啓発の為につい時間をとられがちだが、これも愚かさの一種だと考えていい。なぜなら所詮、散種は自らの良心を満たす為なのだ。
 自分にとっての賢さをさらに高める様に時を費やすべきで、他人の賢さについては全くそうではない。

商売人

むしろカネをむさぼることしかしない
きみらが死ぬのを怖がって
コロナウィルスを敵視しているのとか
逆に僕からみたらきみらが天敵なんだが

生きる価値のない世界

この生きる価値のない世界で
果てまで旅してみても
溢れているのは俗悪な人類だけだから
動物未満の存在から遠く離れ
死を受け入れ土くれに還る
実際生存競争のどの場面でも
一度も安らげた試しがないのだから
死こそ唯一の救いだというのに
生き長らえようとむなしく努力し
誰もが惑いつつ消えていく

社会のざれごと

社会「お前なんて存在価値がない
ごみに等しい
だから一円もやらない
生活保護もやらん
餓死も変死扱い
さもなければ奴隷で
馬鹿や下衆にさいなまれ
絶望しながら最低時給で働け
女なら身売りで気が狂え
性病に苦しめ
これぞアベノミクス
弱肉強食日本教義
明治維新天皇弥栄いやさか
さあ最悪の未来を楽しめ」

短命

大丈夫すぐ消えるから
衆愚の国なんて長持ちしない

春樹の文学性

さっき春樹は文学性がない娯楽性しかないと断定してるツイートみて笑った

卑怯の極まった国柄

日本人一般はネットの匿名で
ひとのかげから悪口や陰口をいい
とかく陰険に犯罪を重ねる
でも彼らはそれを罪とも恥とも感じない
やめろと命じても絶対やめない
法律で警察が取り締まらないとやめない
それほど極端に邪悪な国柄である
彼らの一員は犯罪の為ならなんでもする
但し悪い衆愚の一部に隠れて

コロナの会話

A「みんなお前を虐めて
とにかくカネをむさぼってきたよな」
B「うん」
A「で、そいつらが死んだって?」
B「でも若者はまだだよ」

無人

時間より長く
今より短く
普通も異常も呑みこみ
あしたは閉じている
今は必要ない
あすも
その次の日も
誰もいない
嘘ばかりの世界は消えて
馬鹿たちはみな発狂し崩れた
消え去ってみても
なにも悔いはなく
あしたは閉じている
誰もいない町で

消えたもの

うそつきどもはみなしにました
だから必要ありません
うそつきどもはみなきえました
だれもここにはおりません
とうの昔に忘れられた
海岸線に残された朽ち木
それも浜ゆうと共に流され
みな絶えました
森羅万象といえども寿命があり
人類はあすも愚かです
あなたは疲れたといい
間もなく消えていく

死に泣け

ああすばらしいね
ワニ君にのまれて
桜の渦で電通案件とかほざいて
君ら極悪人の死も大変すばらしいね
普段から餓死させて
貧しい人達を見殺しに
自分だけ金儲けしてきたんだから
テンノウヘイカバンザイと
生まれで差別しながら
馬鹿みたいな国で弱い者いじめしてきて
挙句の果てに死に泣いてろ

2020年3月20日

呪われた東京五輪

僕がずっと呪われた東京五輪といい続けてたら麻生太郎までいいだしたか

とりあえず福島なおして東電つぶして再稼動やめてちゃんと貴様らの起こした世界最悪の大公害と金権むさぼりを反省してから五輪やれよ馬鹿東京

東京都知事小池百合子は俺がわざわざ都民の声から五輪前に東京の会社原電が再稼動しようとしてる最老朽の東海第二を廃炉決定してから五輪やれと説教してやったのに原発ゼロの公約詐欺で全然止めないんだからすぐ都知事辞めろ銭ゲバ公害女

かっこ悪いインチキスタジアム通称ザハの墓の前でサザンが嘘っぽく屋上で歌ってる動画みた内部も満員ぽくみえるよう椅子が色塗ってあってやばいなあらゆる偽物感

2020年3月19日

東京株の大暴落

卑しい東京商人が東日本中におしつけた原発再稼動の大公害で殺戮暴利しながらますますカネをむさぼる目的で賄賂五輪を誘致した末路が不正三昧の下水遊泳と感染症蔓延で大量殺人

他人

人は自分より卑しい人達の気持ちを根本から知る事はできない。ある観察などの知見によりかれらの一部の気持ちを少しなら推測できるだけだ。

 営利と仕事を一致させてしまった人達は、生涯をかけ恨まれて終わる。

まね

卑しい人達と同じ事をしたり、同じ考え方をとる限り、人はその人達と似てくる。卑しい人達を避けて生きよ。

日本独特の和や空気と呼ばれる集団原理でよくみられる極悪人やその人に扇動された犯罪衆愚への対処法

あるダークテトラドなのが明らかなネット民がいる。
 その人はあるSNSで悪業三昧してきて周りからするとこいつ早く死んだ方がいいくらいに思われていた(因みに僕は一応聖人なので散々悪意で害悪まきちらしてくるその人にすら慈悲を向け接していた)。
 
 そのサイトが漸く潰れて、周りは皆ほっとした。が、なんと、ダークテトラドはそのサイトを愛顧し昔のメンバー、彼女が犯罪三昧していた相手を集めようとしているのを先ほど私は目撃し次の様な事を悟った。

 嗜虐快楽を純粋に楽しんでいる邪悪な性格の人というのがこの世には現に存在し、そういう人にとっていじめを隠蔽して貰える場、例えば学校とかSNSなどは寄生先として極めて好適なのである。だから一般人はそういった閉鎖的な場、特に匿名衆愚の溢れている場には近づかないのが唯一の対策だ。

 自分はそういう人達を、ある正義感から退治する必要があると考えていた。それでかれら、犯罪集団の内情を徹底的に探っていた。結果わかったのは上述の様、生育の中で邪悪な性格になった人々が、日本独特の集団原理(和などと呼ばれる群集になる性質)を悪用し、特定の人間を虐待し遊んでいるだけだ。
 かれら極悪人や犯罪衆愚を退治するには、第一に被害者をその和(空気ともいう)で群れる日本人集団からとかく引き離すのが最も簡単な対策である。彼らは邪心で誰かを嗜虐し、集団虐待で遊んでいるだけなので死者・自殺者含め被害者は次々出るので、この被害者の引き離し作業を繰り返す。
 第二に、この極悪人や犯罪衆愚については如何なる道徳的説得(説教)も効果がない事は絶対に疑う余地がない。私はこれについては想像できるかぎり全方法を限界まで試したが、どれも一つも効果がなかった。極悪人は悪意で嗜虐したいだけだし、犯罪衆愚の方は暗愚だから馬の耳に念仏だからだ。
 その為できるのは、具体的強制力、公権力などの力によって無理やりかれら極悪人や犯罪衆愚を罰する事でしかない。これについてはかれら自身が反省する事はありえないものの、最も邪悪な性格の一つたるダークテトラドといえども自身が害を受ける事について無感覚ではありえないので、効果がみられる。
 では具体的力が使えない時(例えば行政が腐敗しているとか、行政自体がその種の悪意に支配された衆愚状態な場合など)はどうするかだが、これはその集団を離れるしかない。ノアがソドムを脱出した様に、別の正義度が高い集団に属し、その極悪人や犯罪衆愚が自己正当化している集団を罰するしかない。

2020年3月18日

インフルエンサーとは結局ただの小人、SNSとは総じて匿名ネットスラム説

今気づいたが、「視聴率を稼ぐほど金が儲かる」、つまり大衆迎合性なり炎上性が高ければ高いほど価値が高いというインフルエンサー位階制って、芸能界の広告塔なり客寄せパンダとしての役割と全く同じだから信用ならないわけだ。人を煽れば煽るほどカネ儲かるだけの人に人気が集まって成功扱いになる。

 大体、1年と3ヶ月くらいツイッターをやってみてわかったのは、これは他のSNSと基本が同じで、ツイッター社的には客寄せパンダを厚遇するしくみになっている。広告収益が商型であり目的だからである。だから通俗的なほど客が集まるし、ツイッター社にカネが転がり込む。ある種それだけの空間である。
 ロム専でみてるかぎり、これは全然わからないかもしれない。僕はそうだった。実際やってみるとなるほどとなる。
 ロム専でみてると、完全に客観視しているからフォロワー数が多いアカウントだからって別に信用してもないし、こいつバカだなぁとか、こいつこんな日常かよとかかなり穿ってみている。
 が、実際自分で公開ツイートしてみていると、初期設定だと通知というのが出て、あとアナリティクスというのでみてるひとらがどういう反応してるのかが大分わかる。それでいえるのは、僕の水準からみるとだが、「えっ。大衆、というか日本人ってこんなバカなの?」という反応が返ってくることが多い。
 それで最初の半年くらい、できるだけ出鱈目に色んな行動してみて反応みてたのだが、ツイッター民度の低さに本当に呆れてしまい、もう辞めようかなと思った。
 しかし同時にいえるのはツイッターの特徴としてはブログに比べるとインプレッション数(閲覧数)が異常に多い。広場で大声で話してる感じ。
 しかも過去ツイートもなぜか後からどこかで辿り着いてみて、反応している人がいる。
 僕としては文は何度も書き直すのでツイッター社の方針として推敲できない(一発決めを求められる)のが致命的に嫌なのだが、誰かがどこかで見ているという性質があるので、ある意味では決して馬鹿にできない。

 が、もうすぐ直接ツイッターに書く様になって1年半くらいになるが、総じてだが、通知に出る部分で僕が勉強になることがとても少ない。
 こっちから他人のツイートを読みにいく場合は、特に企業やニュースアカウントなら役立つんだが、超短文ブログのせいか個人で質の高い言説は少ない。
 しかも日本語圏だと、議論の習慣がない。匿名荒らし系の雑魚や、極悪系の「和」を狂信してる典型的な俗日本人が多く、返信したらアウトというのが基本である。99%以上の日本語ツイッター民は、議論の能力が全くない人達で、一方的にさえずり言いっぱなししかできない。返信に反応したら炎上する。
 ごく希に、なんか今朝もらったみたいな単純ミスの指摘みたいなのをくれる人がいるので、それは役立つのだけれども、問題なのは、日本語ツイッターは一種のネットスラムなので、匿名で悪意ある文脈で指摘し炎上させようみたいな衆愚的色彩が必ずついている事である。善意で訂正するみたいなのではない。

 結局、この数年(5~6年くらい)、ツイッター使って金儲けと売名しようって人達(インフルエンサー)が大勢わんさか湧いてきた理由は、上述みたいなしくみがあり、広告塔が目立ちだしたからなのだ。
 僕はそういう業界事情が1年ちょっとでまず完全にわかったのでもう近づかない様にしようと思う。
 なぜ自分がツイッターになんか書き始めたか。
 フラッシュ終了でピグが消えると予想ついたから(悪意の大衆なり匿名荒らしの連中を戦略的に潰す)主戦場を移そうと思ったのもあるが、そもそも、ロム専でなく深入りしたらどうなるか実験していたのもある。結果。ネットスラムの商業メディアである。
 悪所はなるだけ早く去るに越したことはない。
 というか、自分はSNSというのをこの1~2年くらい色々試したが、これもツイッターと基本構造が同じで、広告塔集めて金を会社が搾取するだけの事だ。SNSが第5権力だとかある意味買いかぶりすぎで、営利企業の都合で情報が歪められている。
 昔のネットはレンタルサーバーに自分がhtmlで書いたコードをアップしてテキスト読んでもらうものだったから、SNS化した今より遥かに規制がなかった(だろう。僕もその後半の一部しかみてないが)。
 2chがでてきて荒らしが集まりより悪質になったが、SNSではもっと悪意で炎上する様になった。
 そのSNS時代の終わり頃に今自分はいるのかなと思う。思い返すとレンタルサーバーhtmlテキストサイトの世界のが普通に面白かった様な気がする。なんでかならネットが大衆化したということは質が悪化したことにつながっている。ブログ出てきたころからアフィリエイト商業色が出てきたのも環境悪化した。
 この商人という人達、カネ儲けの為になんでもやっていた。アフィリエイターがブログを商店がわりに使う様になってからSEO対策とかやりだしてグーグル検索が使えなくなり、SNSも荒らしのみならず倫理0のガキンチョまで全部入ってきてしかもフェイスブック以外匿名で、2ch化したので救いがない。

 総じて、カネ儲けを目的に生きている人達は小人というやつで、つきあう価値がない。
 次に匿名モブが群れている場はネットスラムなので一刻も早く脱出するに越したことはない。
 ツイッター含めSNSについてはこれで全ていいきれている様に思う。

ウォーホルと地味さ

最近ツイッターみてて思うのは、僕は「有名人」、英語でいうcelebrityの世界って俗物界にしかみえないのもあるけど、あんまり好きじゃないのだなということである。特に東京圏のそれ。他人事なのもあるにしても近づきたくない。だからティクトカーが地上波出たいタグとか真面目に意味がわからない。
 自分が一流だなと思っている芸術家、例えば日本の彫刻界だったら船越桂とか、前も書いたけど秋田の宿泊施設いったらそこにぼろっと圧倒的に本物らしきのが置いてあるのだけれども特に誰も気にしておらず、僕だけがびびっていた。芸術界の真の有名さってそういうものというか、玄人的世界の気がする。
 新しい日立駅も専門家からしても、妹島さん個人の経歴を知ってる者からしても錦飾る作品でだいぶ圧倒的な意義があるにしても、一般人からすると誰が設計したかとか気にしてないかもしれない。美術ってもともとそういう存在感なのである。人間のくらしにとって背景であり、裏方だ。そこが好きなのだが。
 が。インフルエンサーもだけど、芸能人も、ネット芸人のたぐいも、そうではない。わがわがというか、とにかく目立ちたがりがユーチューバーとして前に出て、大金稼いですげーだろって世界である。これが自分には全く合わない。だからユーチューブもろくにやってないし、その点でやるつもりもない。

 万事につけ、僕は地味な物が好きだ。派手な物は基本的に好きではない。趣味として。それで建築物だったら水戸の弘道館が一番好きな建物だし(清らかさが素晴らしいと思っている)、一番嫌いなのは自分がみた範囲では東京駅である(西洋もどきなのも酷いが建物としてだだっ広くて機能していない)。
 これは人についてはもっといえる。僕は総じて地味な性格の人が好きなので、孔子の好みとよく似ているかもしれない。剛毅木訥仁に近し、巧言令色鮮し仁。テレビに出てるタレントでもそうである。ヒカキンも昔の、兄弟で地元の川に飛び込んでる動画の頃が一番善かったなあと思う。日本的趣味ではないか。
 ついでに書くと、ブルーノタウトは桂離宮を礼賛し、日光東照宮を腐したので有名だけれども、僕にいわせればその桂も常陸太田の西山荘より遥かに派手だから現物みたけども話にならなかった。タウトがいいたいことは京都内での比較に過ぎず、何でこんなの褒めてるの、これすら贅沢すぎという感じでした。
 県でいったら岩手、茨城(地元)、栃木、和歌山、奈良とかが好きな県である。なんでかといえば地味で、深く入っていくと涙が出るほどいいところが沢山あるからである。しかし世間はこれと逆で、北海道、東京、大阪、京都、沖縄とかとにかく目立つ観光地が大好きらしい。僕とは趣味が違うのである。

 全く同じ話なんだが、イチローがあれだけ有名になる前は、新庄(剛志)選手と度々比較されていた。新庄はど派手だしいい選手なんだろうしイチローはうまいけど地味に内野ゴロで稼ぐ選手じゃんみたいな昔でいう送りバント名手の川相に準ずる扱いを、スーファミのパワプロ文脈では一時されていた。
 が(が)、その頃から僕はイチローの方がいいよなと思っていたのである。まあパワプロなら川相のが好きだったけども。結果論、生き残りバイアスみたいにいわれるだろうが違うのである。くまけんよりせじまさんが好きというのもそれである。基本、最初から僕は地味な方が好きなのである。
 この文章でなにがいいたいかというと、世間は信用ならないねってのと、最近のネットの有名人もテレビ芸能界と変わらなくなってきて派手な方が視聴率稼げて広告収入で偉いんだという世界観でしかないけれども、僕はそうじゃないと思う。長い目でみると本物だけが残るのはどの世界でも同じだろう。

 美術でも全く同じだと思う。有名さって玄人の核のそれと、素人のは全然違う。僕の中ではジェレミー・マンは最先端だけれども世間はバンクシーがそうだと思っているだろうし、これもまあ僕が20代の頃はまだバンクシーは前衛的だったから状況が少し違ったんだろうけど、コマーシャル化してしまった。
 経営学でいうと、スノッブ効果というのがある。有名どころのブランドだと却って高級品としての需要が減るみたいなものだろうけど、美術品は典型的奢侈品だから確かにスノッブ市場としての要素はあるが、僕がここでいってるのは寧ろ通俗的有名さの方がスノッブ的俗物的、つまり有名無実と思うのである。

 少し話は複雑になるが、じゃあ有名なら全部ダメかというとそんな事はない。例えばTWICEという女性アイドルグループがいるがこれ、とても有名にもかかわらず僕は最先端ではないかと思っている。なぜなら文脈が他と違って、メンバーが日台韓人混じっているところが面白い。ネトウヨが差別できないのだ。
 これまで韓国系のアイドルグループは、ネトウヨの排撃対象になっていた。実際日本のグループと色々違うし(主に専門的技能が高い、或いは整形前提に美男美女度が高いって意味で)、反韓文脈だと攻撃される要素だらけだったのに、親日国のはず台湾人も関西人もまじっててネトウヨ的には困る対象である。
 ハイアート的に歌舞芸能をみて、トゥワイスが面白いのは、第二次大戦後の欧米列強の悪意によるアジア内の分断統治をのりこえる文脈を文化の次元でつくりこんでいるところで、まあ日本側でいえば岡倉天心のアジアは1なりに繋がってくる。そういう風に、有名で幾らか通俗的でも、高度な場合もあるのだ。
 問題は、じゃあ俗物趣味(周りが褒めてたら偉いみたいなミーハー根性も、えっこんなのも知らないの? という上流気取りもある)と派手さにどういう関係があるかだが、一般論として派手なものは俗物的になり易いのは確かに思う。純金のアクセサリーみたいな誰でもわかる価値だからだ。
 一方で、派手であっても必ずしも俗物的ではないもの(例えば渡米後のイチロー選手の野球)も、有名であっても必ずしも俗物的ではないものもある(東亜人混合した歌舞集団TWICEの文脈)。かつ俗物的でもよいものもある(例えばバンクシー『風船と少女』は『愛はゴミ箱の中に』より趣味はよいだろう)。
 すなわち、よいものをそうでないものと分けているのは、総じてその作品なりしごとのもっている本質的価値で、派手さとか大衆的な有名さ、あるいは俗物的なものには悪趣味化し易い要素があるとしても、実際にはそれが本物かどうかが問題なのである。真贋を見抜く力があれば表面や評価に惑わされない。

 なにが書きたいか、自分はネット有名人なりネット芸人ってのに非常に違和感をもっており、テレビ芸人に次いでかかわりたいになりたくない。なんとなく気持ち悪いのもあるが、目立てば偉い、カネになるという商業主義は芸術の或る本質を欠いている。まあウォーホルに言わせれば逆なんだろうが。
 敢えてウォーホルならどう考えたかを察すると、有名さでカネになる度合いが最高のアートだといっていたと思う。僕は一番好きなアーティストはウォーホルなんであるが、この点では僕とは正反対な性格だから憧れの様なのを感じていたのかなと思う。たとえなりたくとも恐らくなれない対象だからだろう。
 もし現代日本にウォーホルが生きていたら、ヒカキンとかケミオとか、ちょっと前なら稀勢の里とか、女だったら広瀬すずとか描いてたというか、赤坂住んで渋谷や六本木うろちょろ写真とって刷って売ったかもしれない。あとカップヌードルとかお茶漬け海苔とか、うまい棒を並べて絵にしてたかもしれない。
 画家が一代で死んでその様式はろくに受け継がれないのは、ある時代の記録としてかけがえがないもので、後からモドキがでてきてもあんまり意味がないんだなとこれでわかる。だから僕がこの時代を結晶させ、何か描いて残したら、それは象徴的になるだろう。ウォーホルをそのまままねても意味がないのだ。

2020年3月17日

黒いオランピアの背景

黒いオランピアの背景
2020年
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夢の跡

アベノミクスガチで終わってて草

永遠の意識

もうこの世に疲れたから
最初から出発しなければよかったと
誰もが死に絶えた宇宙で
旅の途中で嘆く
最後に生き残ったからなんだという
永遠の意識に一体化し
自分の存在をなくす
この星が消えてしまっても
自分にとってどうでもいいことだ
無為の中でもがき
誰かの恣意に貢献する
だがそれもむなしい

2020年3月16日

一網打尽

ネット右翼「香川県はゲーム規制してるから反日!」

カネをひたすらむさぼって極貧の若者をひきこもりと名づけ社会的に排除しいじめ抜いてきた金満でづっぱり老人達が新型コロナウィルスで一網打尽になっていった

誰が儲けているかでその社会の質がわかる

ろくでもない人間が金持ちになっている社会は、ろくでもない商売に大金をやった人間がいたのである。つまり低俗で乱れた社会では、外道が金持ちになって権力を乱用している。
 立派な人達が金持ちになっている社会と、卑俗でどうしようもないサイコパスが成金になっている社会がある。たとえば後者の代表例が東京で、それゆえ都内の商売人が一般に下卑ている。これは商風紀が悪いせいだ。
 商風紀のよい社会では、金持ちは貴族道徳を兼ねているだろう。

Jam

Jam
2020年
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TWICEトゥワイス

TWICEトゥワイス
2020年
資料写真、PNG画像
1024 × 768 px

2020年3月14日

東京は上から下まで全部もうダメ

下らない事で180分も並び切符転売相変わらずの東京人

常磐線全線開通の方がはるかに大きなニュースなのに完全無視する相変わらずの東京衆愚報道

善良な人達と共に歩み衆愚を遠ざかっているがいい東京はもうダメだ賄賂五輪の都知事もコロナ騒ぎのなか横文字駅へ無意味に群れる都民も

馬鹿は死んでも馬鹿のまま

カネほしさに都会自慢していた差別大好きの満員電車モブが死病にかかってもまだ虚栄心で田舎差別を繰り返してる死んでも馬鹿は変わらないんだ

時間を使うべき相手

普段から生きるに値しない社会は、いざとなってはもっとそうである。そういう社会を作っている人々になにかを期待したり、希望をみいだそうとしてはいけない。
 生きるに値する社会を作りうる人が自分一人しかいないとすれば、自らの理想の世界を芸術や思想などで再現し、できるだけその中に留まれ。

 卑しい人は死に絶えるその時までその卑しい行動を続けるだろう。彼らになぜ期待するのか? その時間を尊い人達に仕えるのに使うがいい。
 もし尊い人が見つからなければ自分が知っている範囲で自分が最も尊いのだから、周りに模範となる様、自分自身の高貴さに仕えていよ。卑しい人に奉仕するな。

俗受けユーチューバー

とるにたりない人間がユーチューバーとして芸能人気取りしているとうんざりする。そういう場に近づかないに越した事はない。俗物にとって最適な場は俗悪さの故に自滅していくものだ。

2020年3月13日

存在意義

もし君がいなければ
はじめからこの世は存在意義がなかった
だが君がいることで
かえって宇宙は狭くなった
はじめから残されたことのない足跡
いつでも失いうる自由の軌跡
だから自分にできる範囲で
必ず嘘をひっくり返し
既に君のごまかしてきたどの仮面も
すべて剥ぎ取り自由にする
もし君が残されていれば
はじめからこの世は存在意義がなかった
広すぎるあらゆる宇宙群の只中に
僕の解けないパズルをばらまいたから

新型コロナウィルス試験紙

普段から謎に驕り高ぶって上から目線で門地差別してくる虚栄心激しい地域がどんどん死病に感染しまくってるぞ

和歌山は暴れん坊知事仁坂殿が頑張って検査したから別だけど僕が好きな地域はまだ感染者でてないんだけどやったね威張ってて差別してくるから普段から嫌いなところが優先的にどんどん罹患中神の復讐かな

いつも向こうから差別ばっかしてくる頭も心もわるい地域って大体観光地か都会か拝金インフルエンサーのすみかだなこれ

僕は基本的にのどかないなかが好きだからやっぱ普通に安全だった都会とか観光地とか普段から治安も悪いし門地差別主義者みたいな悪質な下衆も多いし人ごみで普段から不潔で汚いしやっぱいざとなっても都塵の不衛生さが祟っててダメじゃん

拝金インフルエンサーが好んで住みついた地域はなぜかドイナカの癖に罹患率高いんだけどなんでなのインフルエンサーだけにウィルスも広めてるの

まるで神が復讐したみたいに普段から馬鹿みたいに上から目線で謎の門地差別してくるから僕が嫌いな地域からどんどんコロナウィルス広まってるよ

2020年3月12日

龍馬ごっこ

龍馬ぶるやつらって龍馬も無能どころか極悪非道のサイコパス死の商人だったけどほんといざとなると余計公然と死の商売にのりだしてきて人の弱みにつけこんでかねむさぼろうとして最悪なんだが

坂本龍馬って自分が金儲けたさに平気で罪のない人達を大量殺人してもいいとおもってそのとおりに行動し暗殺された重罪人なわけだからそんなのに憧れるとか普段から言ってる人達はほんとサイコパスの証明ですよ

厄払い

もう改元して殺成にしよう

もう殺成第二上皇でいいじゃんなるひとサンはどうせ違憲の退位法だし税金払ってる国民をお召し列車から写真撮るしむすめはいぬっころにニンゲンと名づけるし滅茶苦茶じゃんきみんち

2020年3月11日

新型コロナウィルス隔離兼治療施設

新型コロナウィルス隔離兼治療施設
2020年
公共施設

 滞在期間が最低2週間から長期にわたるので、わずかでも憩いの機会を作るため仮設住宅を並べた単位の中心部に、つねに窓から緑が見え、かつ、一定距離で飛沫感染に配慮したベンチのある中庭を設けた。なお植栽は夏場に繁茂し日陰を作る常緑樹が望ましく、特に治療区で外に出れない時の経過を感じる(季節感のある)落葉樹は望ましくないと考える。
 なお実際の設計には、感染症の専門医と事前に相談し、清潔度(滅菌度)に応じた区画整理などの知見を組み入れる必要があるだろう。

憎悪業

毎日いいことしか起きない
毎日が最高のことしかない
だって僕は自分の為に生きているから
君らは世間体の為に生きてきたね
毎日辛そう
カネほしさにやりたくもないことをして
自由人を差別していたよね
カネおしさにつまらないしごとをして
ニートだ無職だと虐めてきたよね
毎日ご苦労様
自由の憎悪業

くどさ

ニュージーランドからきたいちごアイス食べた外国のお菓子はくどい

悪意で生きる人達

差別と悪意で生きて
生まれてからまたその悪意で
性欲で繁殖し続ける
無法な天皇と極悪首相を崇め
毎日ネットで匿名で悪業を重ねる
日常は卑しい金儲け
それが君らでしょ
なにか違いますか
死ぬまで子供にもその悪事をおしつけ
必死で不幸と公害ばらまき国を亡ぼす
それが君らでしょ
なにか違いますか

汝の隣国を愛せ

隣国を貶めて恥じていない人達は、隣人を貶めて恥じないほど利己的で邪悪だと自ら吐露している。

商売人の都会

商売人に腐るほどたかり
カネ儲けしていたら崇める
なぜなら君らは商人だから
カネにしか関心がないんだね
僕は商売も商人も嫌いなので
君らの喜んでたかる人達が俗に見える
だが君らはなんとも思っておらず
カネを日々追いかけて生きて死ぬ
僕とは違う人間が
大勢たかっている都会で
浮浪者を見捨てて

馬鹿騒ぎ

作り物のウソ臭い歌
下らない漫画
バカみたいなアニメ
そんなのにたかって金儲けの東京
京アニ犯人が発狂
秋葉原にトラックでつっこむ非正規奴隷
普段から君らが作る最悪の国
心ある者は誰も悲しめない
最悪独裁者を支持
殺人教祖を崇め
侵略主義者を神格化
絶望だけの国
衆愚が楽しそうに馬鹿騒ぎの国

人が万物の霊長と信じているのは基本的に思い上がりの激しい一部の人だけ

ツイッタージャパンのアカウントへ)

ツイッターが「人を人間以下に扱う」のを禁止するとあるが、日本語の高校数学(論理学)的におかしいでしょ。以下って人間も入るでしょ。
 もし未満という表現を使っても、動物を人間より劣った存在とみなす「人間中心主義」の一種でしかない。(或る人、宗教では動物が人より尊い存在)
 しいていえば「人を人間以外に扱う」のを禁止するといっても、思想信条の自由で、自分がヒトとして生まれているにしても、ヒトではない存在(神だったり異世界の生物だったりスパゲッティモンスターだったり)と認識している人のアイデンティティを抑圧する事になるのでは?
 したがってヘイト禁止だけの目的なら、「人権を侵害する」といえばいいだけでは?
 なぜ表現だけでなく、思想信条・良心といった内面の規制にツイッター社が踏み込めると信じているかが謎でしかない。世界人権宣言や憲法に認められた人権が、その種の思想信条良心の自由なのでは。

隈研吾氏の明朝体炎上は一般人の目をごまかしきれなかった彼の擬似和風設計への率直な批評の一つの表れ

くまけんの『高輪ゲートウェイ駅』がまた炎上してた。明朝体がダサいと
(画像URL:https://twitter.com/tetsudo_com/status/1236871658796773376
 で渋谷駅も明朝体で、駅の視認性悪いってツイートがあったが渋谷駅もくまけん。明朝体が前から好きなんだろう。

 妹島設計の『日立駅』は多分自分の知るかぎり世界でも一番洗練された駅と思うがフォント確認したらゴシックだった。

(画像URL:https://images.app.goo.gl/p9BpUJrduC3TzkFc8
https://images.app.goo.gl/SLJHYspruucYZ4Mh9

 むかし、僕はある沖縄の建築家(まだ駆け出し)の人に、くまけんの設計嫌いといったら「嫉妬しちゃだめだよ」といわれた。でも僕としては全然そうじゃないのでこのひと誤解してるなぁと思った。
 僕はくまけんの建築あちこちでみて、これ『M2ビル』からかわってねー表面だけの切り貼りだと思ってるのだ。

 一定より深い建築ファンなら絶対わかる話として、僕は妹島さんの建築は超一流のもので、少なくともミースを超えていると思っている。だから21才だかの頃に僕は直線で妹島氏に弟子入りにいった。なぜそういえるかだが構造という根本原理から革新的だからだ。鋼板で作ってある『梅林の家』なんて典型例だろう。
 が。くまけんの実作色々見たんだが一個もいいのがなかった。彼の作品集もGAなどで大体網羅してみていたけどやはり同じで、そもそも処女作から、美術用語でいえば寄せ集め(アッサンブラージュ)的なもの、もっといえば流用(アプロプリエーション)的な色が強い作家である。
 まあ磯崎新とかもだが。
 建築学の用語でいうと脱構築主義(デコンストラクショニズム)みたいな流れがあって、例えばOMAのコールハースなんかが典型例だけど、くまけんは擬似和風建築やりだす前まで完全にそれだったわけだ。擬似とは、僕から見ると構造は平凡な木造・鉄骨・RC造で、表面に木を貼り付けてあるだけだからだ。
 要するに、まあこれは曖昧な用語だがポストモダン建築の派生作家というのが僕のみてきたくまけんで、東大閥の中では凄く売れっ子になりましたが、正直な話、建築雑誌がもちあげすぎている点はある。日本の建築界では丹下健三以来、東大閥の権威や箔がかなり有効だから下駄は大分履かされるのだ。

 んで。じゃあ一般大衆がダサいダサいと、くまけん設計の新国立競技場や高輪ゲートウェイ駅にいうのは、なぜなのか。これ正直な感想であって僕がその沖縄の建築家の方(女性)にいったのと同じ直感である。確かにくまけんの建物は決してかっこよくない。極めて表面的操作、いわば化粧に終始している。
 つまり大衆は忖度する必要も意味もないから、建築業界と違って、東大閥の大先生にした手に出てないのである。僕もその業界内では、上記の沖縄の建築家の方みたいな、なんというのか業界常識みたいなので正直な意見を公には封殺されかねなかった。忖度の極度が建築雑誌なので彼は完全に王様扱いである。
 僕は学科試験は受かったものの、製図試験を落とされまくった為(規定どおり書いてるのに他人からみて独特の図面なのか知らんが落とされる)、偶然、途中からほぼ直線で進んでた建築家の道は日本で今のところ閉ざされている。猛勉強し弟子入りいったから業界事情も大分知っているが部外者として語れる。
 一般大衆側がなんで無忖度で正直に、裸の王様みたいな状態の人気建築家に直球でダサいというか。まあ視覚芸術って一見して全てがわかるところもあるから、僕と同じ直感でもあるが、そもそもくまけんの建築哲学への疑義もそれとなしには感じ取ってると思う。
 もう少し詳しく考えよう。

 くまけんこと隈研吾氏は『負ける建築』という真面目な建築学生なら大抵しっている本を書いて、いわば理論的な面から有名になった人である。この点ではコールハースと似ている。隈氏が独特なのは最初、ゼネコン(一般の建設会社)に務めていた経歴だ。
 普通の建築家は最初からアトリエ系に行く。
 業界の内部事情としては、次の様になっている。
(以下では説明の為に、設計事務所を大雑把に3つに分ける。個人事務所(アトリエ系)、組織事務所(組織系)、 建設会社(ゼネコン系)。ここでは煩瑣になるので組織系について詳しくは触れない。
 なお梓設計は組織系であるが、作家個人が独立していない点ではゼネコン系に近い性質をあわせもっているといえる。以下ではゼネコン系と組織系がしばしば混同される傾向の文意が展開されるが、それは次の節で説明するが、建築家個人に責任がある体制との違いを強調する為で、組織系を貶めているとかでは決してないので他意はない。例えば茨城空港も梓設計だろうが、それなりによい建物に感じた。
 なお以下に出すゼネコン系の戸田建設も茨城県庁舎など立派な作品があり、個人じゃないから建物自体の質が低いとは特にいえないだろう)

 先ず建築家として偉いのはアトリエ系と呼ばれる、独立した設計事務所の人達、特に一番偉いのは国際的に活躍する有名建築家達である。理由としてはもともと建築士制度は欧米から輸入したのだが、向こうでは職業的美術家の一種で作家が独立している。
 建築家協会の様なもの(日本で代表的なのは日本建築学会)は、職業倫理を教え、建築家が金儲け目的に粗製乱造しないよう講習したり国家資格の付与者を一定の数に絞っている。その種の事情は欧米でも基本的に同じだ。
 対して一般大衆が考える建築士は、これと違って建設会社に雇われている会社員だ。
 一定規模より大きな建物の設計管理には日本の法律として、建築士資格が必要だ(厳密にはただのデザイナー・設計者として建築士を使って作品を残している人もいる。マーク・ニューソンみたいなの。また施主、つまりたてぬしとして特定の注文をしたため設計者より有名な人もいる。八条宮家みたいなの)。
 すなわち、欧米だとアーキテクト architectは建築家でも会社に雇われている建築士でもあるが、日本語だと建築家の方は一種の美称として独立した建築士についていわれる傾向にある。建設会社内で設計業務している人達を建築家とは、一応、日本語の慣用では余り使わないわけだ。
 で、この独立していない建設会社内の建築士達と、独立した建築家達(とその弟子達)とは、大きく分けて別の種類の人達である。
 理由としては建設会社内の人達は商売でやっているのだが、独立した建築家達は清貧でやっている傾向にある。僕がみたかぎり世界的建築家の妹島事務所ですらそうだった。
 実は僕が行った頃の妹島事務所の前には梓設計という、空港建築とかで有名な、いちおう建設会社系の設計事務所があった。
(今から下に書くことは僕の人生経験として書くので、梓設計を揶揄とかは一切していないし、当時の妹島事務所の現実で、他意がないのでもし業界人読んでも怒らないで頂きたい。)
 くまけんの就職した戸田建設みたいな代表格に比べると梓側の意識は違うかもしれないが、僕の時は倉庫内でコンビニ手弁当だった妹島氏を慕う学生見習いに比べ、梓は道を挟んで湾岸側に立派な事務所を建てていた。川辺の2階にはテラスまであってそこで、梓設計の会社員の人達が優雅に昼食しておられた。
 ほんで、僕は親友がみたいといったかで、天王洲アイルにあった当時の妹島事務所の前まで彼を案内したんだけど、その梓設計の隣の敷地はちょっとした駐車場みたいになってて運河のすぐ前まで出られた。
 僕と親友はそこまで行って手すりにもたれて話してたが、多分お昼の頃で、梓の人がテラスにいた。
 そこで梓の人達がどんな顔してたかというと、まあ静かな運河の前だから僕らが気炎を吐いてたら向こうにも聴こえている。で、テラスで腰掛けてランチ休憩だかの彼らは、ちょっと僕ら(福島・茨城から出てきた、典型的なバイト学生ですね)を見下したかの様な、哀れむ様な、おかしがる様な表情していた。
 その時、僕は無理に妹島さんに頼み込んで働かせてもらっていたので無償のただ働き(模型作り手伝って掃除させてもらってただけだが)というか、いわゆるインターン、オープンデスク学生の扱いである。
(労基法がどうとかじゃなく、建築学生界では一種の実習で事務所の見習いさせてもらう期間がある)
 だからその梓の方がなにもかも金持ちなのは明らかだが、こっちは世界的建築(当時はルーブル・ランスの模型を作ってた)の手伝いだぞと、気持ちだけやせ我慢の説してたわけである。
 多分梓には僕と大して年齢違わない人もいたんじゃないだろうか? 当然高いお給料貰えていたと思う。
 しかし妹島事務所の台所事情は大分厳しかった様にみえ、しかも世界中から色んな国々の学生が見習いにくるので正規で雇われるには競争率も激しく、相当というか限界まで頑張っている人達だらけであった。
 当時妹島さんは慶応で教えてて学生だらけなので学芸会のノリに近く、泊まり込んでた人もいた。
 そういう我々を見かねてか、ある日、妹島さんは沢山のおにぎりを差し入れしてくれた。しかも夏の暑い頃だったのもあるのか、わざわざ僕らが模型作っていた倉庫の天井にエアコンつけてくれた(模型だらけの中に西沢立衛さんの事務所スペースというか模型上に組まれたロフトみたいな狭い空間があった)。
 そこに集まっていた学生の人達は、21美の経緯で金沢から来た人も、慶応院の学生も、イタリアだのフランスだのアメリカだのからきてる人、或いはインドぽい人とかもいた。まあそれはわき道だから省くが、要は彼らにかねがあるとは到底おもえなかった。単にSANAAの建築が好きで手伝いにきていたのだ。
 そんでだ。
 僕の高校の同級生には、多分その建設会社系(general constru(a)ctorまたはcontru(a)ctorの略で、ゼネコン系という)に就職した友達もいたが、普通に給料貰って結婚して、みたいな意志でそういうところにいくのだ。僕はそういう世俗は完全無視なので直球でアトリエ系しか眼中になかった。

 大分迂回したが本筋にもどる。
 くまけんはそのゼネコン系で有名所な戸田建設にいた。そういう会社の特徴としては圧倒的独創性とか基本的にはNGなのである。お堅い物を型通りに作る。
 前も書いたけど(『立派な芸術は立派な真意で作られる』)、くまけんは独立後もこの癖が全然抜けない。基本設計は型通りにつくり、その上に一見独創っぽくおしゃれっぽく擬似和風っぽく、今風にみえるようなにか、特に和っぽくみえる木を貼り付けることが多い。
 だがアトリエ系の種類によっては、ガチでやばい(肯定的な意味で凄いって意味です)人達というのがいて、僕の知るかぎり現役で世界で一番やばいのはせじまさんなわけだけども、構造(いわば骨組み)からして根本的に違うのを提出してくる場合がある。基本設計どころか構造の概念に革新を加えている。
 PCでたとえると、普通の人がなにかサイト作ってといったらジャバスクリプトをウィンドウズでいじくって提出で終わりかもしれんが、ガチだとプログラミング言語から作りなおして対応OS違うじゃんってのがくるだろう。マックのお手伝いしてたと思ったらOS自作だったみたいなビルゲイツみたいなの。
 建築だと、それが構造を一から考え直してるもので、完全に独創的としかいえないから、既存のゼネコンだと確実にはじかれる設計である。前例がないし、手間が大変だし、そもそもちゃんと建つか実例ないから会社の信用の為に保守的になってやらない。しかしアトリエ系で勇気があるところは甘んじてやる。
 暫く前だと安藤忠雄事務所もかなりそれだった。彼は東大講義録『建築を語る』などの著書で繰り返し述べるよう、丹下健三の代々木競技場の必死の現場をみたりして難度の高い建築作業に夢見、或る意味でザハ的な作るの大変そうなの好む傾向がある。職人魂を全力で活かすには簡単な建物ではダメなわけだ。
 幸田露伴の『五重塔』を忠雄が重要書籍に挙げるのは、彼のその種の職人魂を燃やさせたからである。で、新国立競技場の設計選定で、忠雄は審査委員長として、(ほぼくまけん案がぱくった)かぜの通り道かねる、不定形で環境圧迫を弱めた妹島・西沢案ではなく、より建設難易度が高い大仰なザハ案を択んだわけだ。
 ここまでくると、大分わかってきたのではないか。
 くまけんが新国立の最終設計者に選定された経緯は上述の小論でも書いたけれども、もともと彼は寄せ集め的な色が濃い設計をする人だ。しかも擬似和風もそのうちの一つとして彼が身に着けていった芸風で、NYに畳み持ち込んだ時以来、実は底は浅い。

 是非ともM2ビルをみてほしい。あれがくまけん建築の粋で、原点で、処女作にすべてが現れるとよくいうが、完全に僕としてはそのアノマリー(奇想天外)的な内容の結晶であると思う。僕の知る彼の最高傑作は『ロータスハウス』と前もいったけど、M2はもっと彼の本質を現している。ダサ超えのキッチュだ。
 擬似和風はくまけん設計のその寄せ集め本能の一部として定型化したアイコンでしかなく、本当はポストモダン的に、流用的に、前時代の手法をゼネコン建築の下敷きにコラージュしていくのが彼の本領なのである。これは馬鹿にしているのではない。現代美術的な文法で解析するとそういう作家なのである。
 『負ける建築』と言っていた理論は、僕が専門学校生の頃みていた範囲では、その種の彼の実践と大分ずれていた。ぶっちゃけ、結果からみると売名の為の手段であった。コールハースもコルビュジエも(特にコルブは後期に五原則を破っていったから)或る意味ではそうだったから、珍しくもない話だが。
 負ける建築とは、くまけん理論だと、これまで近代建築は環境に宇宙船みたいなのをぶつけて異様を誇っていたが、そうじゃなくて環境の制約条件にあわせ、目立たずその周りに調和するのがいいんだよ、という理屈。
 がこれ日本の伝統建築も基本同じ、それ学んだフランク・ロイド・ライトもそうだった。
 つまり負ける建築理論とは、ある種の日本の伝統建築理論なのである。だからいうまでもないことで、縄文遺跡、弥生遺跡、寝殿造に書院造、で庭つき一戸建てまでの建築史を多少あれ感覚で知っている古きよき日本人が設計する時は無意識に日本庭園とかが脳裏にあって、そういう傾向というか味わいが出る。
 逆に、庭や周辺環境を無視していたのは実際、コルビュジエくらいである。彼の理屈だとパリの都市環境では地上界が汚れてるからピロティで浮かし、屋上庭園作るしかない。それを少し鵜呑みにしてたのが安藤忠雄で、忠雄が仮想敵だったくまけんが当時の建築界へ名乗り挙げる手段が負ける建築論だった。
(くまけんの文によると、『住吉の長屋』の施主さんに建物案内してもらったらテニスラケットが室内にかけてあって、週末住宅状態で使われており、忠雄の当時主張していた都市ゲリラみたいな風貌はある種の売名目的のフェイクだったと悟った云々。これで忠雄に対置する理論をつくりはじめたんだろう)

 話をまとめると、一般人がくまけん建築をみて直感でだせーとか素人じゃんとかいうのは、或る意味で正しい。なぜなら彼は原点M2からして寄せ集め的にそういう雑貨を偽物感の元に提示するキッチュな味わいが本領の人だからである。和風っぽさが偽っぽいのも真実で最初から竹並べたりそうだったのだ。
 逆に、和風とは一体なにかを本質までつきつめている人、いわばエクストリーム和風が妹島さんなので、同時代の有名建築家ではあるが、くまけんとは対極的でもある。
 例えば『21美(金沢21世紀美術館)』なんて建物全体が縁側、広縁みたく作られている。庭に開かれ平ら、外人はああいう発想しづらい。
 無論それは序盤戦で、妹島建築はちゃんとゼネコン的な枠に収めてくる場合(日立駅とか日立市庁舎、ルーブルランスのよう質実剛健に近くしっかりしたの)もあるし、そうでなくてまじでキチってるのもある。僕の親友も一例で挙げてたが東雲キャナルコートとか公団住宅の型ぶっ壊し住めるのってレベルだ。
 どこがやばいかというと縁側みたいな細長く日常使う通路(これもエクストリーム和風)がビルの外にガラス張りで、しかもその通路に洗面があるとかだ。ここにあったら気持ちいいでしょ、みたいな素朴な発想なんだが。しかも部屋自体もメゾネット形式で吹き抜けがガラス張り巡ってる古民家みたいとか。
 しかし、くまけんはこの点で飽くまで東大卒の常識人だから、建築設計のやばさが生活様式の革命として日常に侵入してこない。どこもかしこも普通に作ってある。ほんとの話、表面的に見た目が凄いねってだけである。だから僕はツマンネ、となって嫌いなのだが、上述した沖縄人にわかってもらえなかった。
 んで、一般東京人がくまけんはそこらにある明朝体フォント使ってて、とってつけたようで安っぽくてダセーとか、これは完全に正義の批評でその通りなのである。というか最初から彼はそれが持ち味なのだから真を穿っている。建築界が彼の箔(東大の先生、しかも戸田出)にビビッているだけのことなのだ。

 さらにいうと、上の小論にも写真引用したが、くまけんは基本設計が下手ということは前々から僕が指摘してきている通りである。『ココン烏山』入ってすぐの滝のすぐ横に青いビニールシートかけてある、電源コンセントに水かかっちゃうから。そんなレベルなのだ。表面だけお洒落ぽいけど基本設計は巧くない。
 これも業界事情を熟知してると十分わかる話。今から説明しよう。ここまで読み進める人は建築に関心がある人だから興味深いであろう。
 
 実は一級建築士ってそういう細かい設計の実践って一切積んでいない事がある。逆に二級の人、木造建築士、大工さんのが積んでいる。一級は勉強しただけが多い。
 制度的に、建築士制度って院生優遇になっている。学歴社会である。一切実践やってなくても受験勉強すれば一級建築士を取れる(但し管理建築士として具体的に設計業務を全面的に任せられるには2年だったか実務の手伝いが必要)。それで学校の勉強だけできる人が一級もってて、実務が雑魚な事がある。
 逆に、大工さんとか建設作業員とかは、何年やっててプロ職人でも、勉強できないと学科もある建築士とれない。
(僕は勉強は一応できるので独学で学科クリアできたが製図が受からなかったタイプだが、画家みたく個性や独創性出すのが前提の職能だと、型に嵌った図面を描くのが逆に凄く難しいのだろう)
 すなわち、くまけんはこの「勉強できるが、実務やってない」タイプの典型例である。東大入れる学力だったら学科なんて楽勝レベルで最初から一級なんて軽々とれてしまう(僕は一級も二級も試験監督のバイトやったりしたけど、製図除いて学科だけなら大体、一級は早慶入試くらいの難易度に思う。二級はマーチくらいか)。
 これも上の小論でも書いたが、大規模建築は実績ある人に任される傾向、くまけんはスタジアムの素人であった。ただでさえ基本設計が職人的な意味で巧くはない(正直な話、建築士試験の解答みたいで、凡打者というか、実務的配慮が足りない場合が多い)のに、写真雑誌の下駄で仕事規模ばかり大きくなる。
 くまけんは普段から継ぎ接ぎ的操作によって写真写りがいい建築を得意とする。雑誌写りはぴか一にいい。経歴も(建築界では一部で噂される私生活除けば)極めて立派というか学歴エリートだから、もちあげられまくる。
 そこにきて和風ぽくみえるから明朝フォント好きなのである。それが落ちである。

天皇陛下と奴隷達

善良な人をひたすら傷つける集団
それが東京都民
京都市民や関西人
愛知県民や日本国民
仙台市民や札幌市民
山口県民や高知県民
鹿児島県民や佐賀県民
自分さえよければいいと
兵庫や奈良でうろちょろし
国中を差別相手探して歩き回る
自分は天皇だから常に上位者
お前ら貧民をむさぼる
天下御免の陛下

2020年3月10日

肉体は神性に至る手段

自分にとって肉体は余り重要ではない。その肉体は動物的なものにすぎないので、自分にとってこの世で意味があるのは特に脳の働きのうち、我々が魂とか精神と呼んできた要素だ。
 随分前から自分はこの感覚をもっていて、それで死を恐れていない。肉体は仮の物で失われるが、魂の働きは伝達で永遠だ。
 自分はできるだけその魂の働きに全人生を注ぎ込んできたし、今後もそうするだろう。
 思えば子供の頃から僕は肉体としてのこの世になんの価値も認めていなかった様に思う。
 プラトンより僕の方が、より現世に執着がない。なぜなら肉体の価値を彼より低くしか認めていないからだ。
 3歳の頃に母親が疲れて昼寝するとき、自分は疲れていないので無理やり隣で寝させられたのだが、このとき暑苦しくて一人で考えていた。なぜこれほど苦痛な肉体に縛られなければならないのかと。
 その後も肉体を通じてはこの世に、特に優れた点は認められなかった。寧ろ自分には肉体は邪魔だった。
 しかし、自分のみてきた現世の人類たちは、この肉体に極めて囚われ易く、寧ろ肉体に動かされている人達が多かった。というか自分以外の全人類がそうみえた。
 自分だけが肉体を他人事の様にみているので、その要素に一喜一憂できない。だから女がイケメンがどうとかいっていても、猿にしかみえない。
 ヒトはさも高級な被造物ぶっているが、それは古代ユダヤ人の聖書による捏造で、ダーウィンがみぬいたよう類人猿から進化した二足歩行の猿の変種だろう。だから僕の目からみると、ヒトがサルなのは正しいのだ。
 彼らはサルなのだが自分がサルと気づいていない。つまり傲慢なサルなのである。

 自分にとって特に意味をもっていたのは、純粋美術、つまり音楽、絵、彫刻、建築、文芸の類だった。なぜそうなのかならこれらは精神性の純度の高い結晶だったからだ。肉体に余り関わるところがなく、外部の物を人間向けにつくりかえたものだった。その中でも精神性が高い物の方がより親しみ易かった。
 これと逆に、運動競技とか、舞踊の様な身体芸術とか、政治とか、商業の様な肉体を直接使う生業は、自分にとって次元が低い、又は親しみづらい物に感じられた。というか余り興味がもてない。特に商人については拝金的な利己心に基づき行動している点が自分と余りに違う生態なので、完全に他人事だ。
 ウォーホルが「僕を知りたければ僕の絵をみればいい。僕はゼロだ」云々といっていたのだが、自分も彼のそれらの発言と文脈は違うにしても(彼は機械ぶっていたが、自分は神性に極力近づきたい)、半分は同意する。なぜならこの肉体の方に自分は自分の意味とか価値を認めていないからだ。

 自分にとって、この世は、この精神、或いは脳のつくりだす意識が、世界を観察する為の装置である。その意味でアリストテレスがいう観想が最高幸福だという意見に、かなりの程度同意する。アリストテレスと違うとしても、自分は聴覚その他の感覚も使うし、寧ろ主体的に世界を作り変えるのに意義をみる。
 アリストテレスは最高幸福をただひたすら受動的なものだとみていた。しかし自分が(結果として短期間になったが弟子入りに行った)妹島和世氏の仕事を身近に見て感じたのは、神性には能動的な要素もある。寧ろ世界全体を自在に、理想的に作り直す能力が、技術面での神性、全能性の様に感じた。
 妹島氏はそうは思ってないだろうが、建築の場合も、その装飾要素といえる絵や彫刻の場合と同じく、ある意味で創作の神に仕える様なところに行き着く。自分のみたかぎり、彼女は無限につくり、その中で最善の形を探り続けていたのだが、形相論でいう可能・現実態の間に目的の形を探っていた。
 つまり究極の形は、他の手段ではなくそれ自体が目的の形、いいかえれば神的なもの足らざるを得ない。その神らしさに近づくには、無限の試作が必要である。なぜならそれは理想そのもので、当為だからだ。妹島氏はこれゆえ、設計期間が許すかぎりギリギリまで果てしない試作を重ねていた。
 芸術家として為しうるのは、一生の期間をギリギリまで使って、この神性に漸近し続けることである。
 もし可能なら、人は一芸に秀でるだけでなく全能を目指さなければならない。結果としては万能性にしか到達できないだろうが、それでも神性にできるだけ接近し続ける努力が、理想の目的と一致する。
 もしこの世界が最早つくりかえる必要がないほど完璧なら、肉体も必要ない。なぜ肉体があるかなら、生物学的にいえば環境に再適応する為だ。能動的に環境を作りかえる必要があるのは、いわば理想の世界がまだ出来上がっていないせいである。
 完成した世界で人は寧ろ神のよう永遠に幸福であるだろう。

 とるにたりない芸術家は、下賤な理想を作品に投影している。現代でいえば漫画家やアニメーターらがその類である。彼らは低俗な理想しかもっていないので、理想の純度であるところの抽象性の低い作品しかつくりえない。
 つまり神性には次元がある。特に最高次元の神性は、最もその抽象度が高い。
 この世で為しうるしごとのすべてもこの抽象性の次元にすぎないのだから、できるだけ高次元の抽象度で理想を表現するのが、能動的な神性の為すべきわざである。
 肉体は所詮この為には手段でしかない。調度、高い山に登る者が手足その他を使ってそうする様に、肉体は神性へ至る機能でしかない。

死を待つ人

お前ら全員がしのうが
俺にはどうでもいい
なにしろお前らも
俺にはなんの助けにもならなかった
お前らは俺からむさぼる一方
なにも俺に与えようとしなかった
一円も渡さず
俺の仕事を盗み
ただひたすら俺をそしっていた
それでいて助けてほしいとは
道理が通らない
俺は悟った人のよう座禅し
死を待つ

嘘の死

嘘つきどもの大量死
だがそれすらウソ
嘘つきを崇め支持し
ウソの中で死ぬ

白く塗った墓

誰のアニメとはいわないが
表面的にキラキラさせた安っぽい絵でも
中身がゲスだから何にも美しくない
さっさと偽物は消えてほしい

公害の押し売り

田舎に原発公害をおしつけ
自分だけカネをむさぼるつもりが
今度は都会に死病がはびこったので
自分から公害をもってくる

疎開公害

食べ物一つ作れない
水も電気も商材も
全て田舎から貰っている
傲慢だけは一級品
いつも悪意ある差別をまきちらす
それが大都会人だった
死病を田舎にもってくるが
そこでもなぜか自分が上位者気取り
天皇ぶって殺人強盗自慢
テレビで洗脳したつもりの相手に
死病をうつしまくる死神
原発の次の大公害

亡国の経緯

神奈川の馬鹿が
回文大臣や公務ブロッカーを国政に送りつけ
山口と福岡の馬鹿が
ダークトライアドや漫画大臣を国政に送りつけ
代わりに東京の馬鹿が
有能な議員に濡れ衣と汚名を着せ
馬鹿な集団が最悪議員をもちあげたせいで
国が滅んでしまいました
あーあ

都会人の末路

卑しい人達が
都会に集まって
差別や悪意をまきちらしながら
カネをむさぼって
果てしない傲慢と虚栄に耽る
ではそういう人達の悪業の山が
一体どうこの世で処理されるのか?
皇族の末路を見よ

問1

普段から差別をまきちらしてきて
あなたを意味なく傷つけてきた
自称普通の日本人達
特に都会自慢しながら
田舎差別していた人達が
次々コロナウィルスに感染し
発狂しながら死んでいったとします
一体あなたは彼らを憐れと思うか
いい気味だと思うかどちらですか
それ以外の場合も含め詳述せよ

悪意ある自治体の末路

普段から愚にもつかない悪意で
差別に耽っていた自治体の衆愚が
次々死病にまみれて行った
僕は自業自得だと思った

復讐劇

そうですね
あんたら馬鹿は人生気楽に
馬鹿の様に生きて死ぬ
だから何もなかったかのよう
ネットで匿名で犯罪の山を作った
その下敷きになった善人は君らを恨み
飽くまで日本滅亡の復讐を誓う
あんたら馬鹿にとって
因果応報などありえない
だが僕には目に見えた未来だ
僕は何もしない
神が復讐する

人間性

僕にとって人間が最大の害
だから彼らが死滅していっても
僕にとって有益なのに
悲しめと強要される
人間性を崇めろと
一体僕を傷つけた存在が人間以外いるか
人間が最も邪悪なものじゃないか

一言政治

一言政治にだまされ
餓死していく愚民

変わらぬ性根

普段から若者を奴隷化しカネむさぼり
自殺においつめてきた老人が
感染クラスターでおいつめられ
テレビ使ってまた若者を悪者扱い

でづっぱりの業

君ら東京商人がさ
散々っぱら虐めてた内向的な人達
ひきこもりと名づけ差別していた
ところが君らでづっぱりが大量死

東京中華思想の感染

普段から頭の悪い相当数の東京都民らが
卑しい中華思想で差別してくるせいで
こっちまだ一人も感染者でてなくて完全勝利
逆に都民がうろちょろしてる地域だけ大量感染

悪魔の手先

あんたらが誉めちぎってた北海道
大量感染してるけど
あんたら日本人モブが褒めるものって
いつもとんでもない目にあうよね
悪魔の手先みたいなもんじゃん

ウソつき仲間

お前らは普段からウソばかりつく
よいものをわるいといい
すぐれたひとを貶め
馬鹿とか悪人をほめちぎってカネやる
そうですね?
本当のことです
それなのにいざとなって同情されたい?
普段から悪業しかやってないのに?
笑えてきます
自称普通の日本人の皆さん
普段の自らを振り返ってみたら
地獄で

都会人得意のカネで解決

普段からカネむさぼってたんだから
自力で解決したらどうですか
カネなら腐るほどあるくせに
原発で99%以上暴利むさぼって
さらにカネ欲しさに
罪なき人に罪を着せ
清浄な土地に汚名を着せ
ひたすら驕り高ぶっていた
それがあなたがた都会の衆愚で
今や感染源かもしれないが
カネでなんとかなるはず

同情の余地がない

そのとおりですよ
私は何も同情しない
あなたがた都会人が絶望しようが
普段の行いが悪すぎるから
あなたがたは普段から原発で
わたしたちに公害をまきちらし
カネばかりむさぼっていたので
普段から差別してきてましたよね
適当にウソをテレビで流しながら
偏見と濡れ衣と悪意で
同情の余地ありますか

ダイトカイのうつろな人

美しい素晴らしい文明
それがお前のくらすダイトカイ
周りにいるのはガラクタ
全員カネの亡者だ
しぬまで駆けずり回るコンクリートの間
アリより惨めな一生で墓は満員
それで虚勢に耽って差別をばらまくが
全部ばれている
中身は空っぽ
空威張りしてもごみはごみ
そして会社員が神かのよう
自分を拝む

卑しい女の習性

卑しい人は悪徳を当然の事かのよう勧めてくる。またかれらは善徳を嫌悪し、忌避している。
 卑しい女は日頃から人を見た目で判断し、心で判断していない。それで「イケメン」「ブサメン」などと連呼している。そういった連中に近づくな。彼女らは男性を物化しており、人身売買的な扱いを前提に、偶像崇拝をしているのである。彼女らと少し関わってみればわかるよう、男性を馬鹿にしている。

自民党解体政略

東京人一般は原発や中華思想による情報公害をまきちらして恥じないほど公徳の民度が低い。いわば総じて犯罪集団だといっていい。
 そういった犯罪集団が現に首都圏南部に存在すると自覚し、東京都を法的に囲い込み、その公害を強制力で防止するしか平和確立の手段はどこにもありえない。
 原発公害が致命的なものなのに、拝金主義の東京都民一般はそれを外部の自治体におしつけ公害防止を自ら行おうとはしない。それは東京人一般が邪悪な悪徳商人だからだ。
 西日本はこの種の東日本で最も邪悪な東京都より更に、公的民度が低い。だから福島から学ばず、原発を再稼動して恥じていない。

 東電の国営化で延命措置を施してしまった当時の民主党は、状況的に現場の混乱を防ぐためだったので急場では事故処理の現場を任せるため仕方なかったにしても、震災が収まってからすぐにも東京地検、福島地検と共に強制起訴、東電をJCO同様解体しなければならなかった。今からでもやるしかない。
 東電を延命させるかぎり、現に保有会社である日本原電にカネをつっこんで最老朽原発の無理な再稼動を後押しするなど大公害に無反省なのは明らかなので、二度三度と亡国級の災厄をもたらす事は疑いがない。
 自民党は完全に解体するまで徹底して叩き潰すしかないだろう。東電と癒着しているのだから。
 福島原発の後処理は別の会社に任せ、東電自体は国が責任をもって解体処理すべきだ。既に新電力が複数あり、他の電力会社もある上に、事故後9年経っても一つも原発再稼動なしに東電は黒字を出している。すなわち東電やその原発がなくとも首都圏の電源は十分まかなえる。日本原電についても同じだ。
 東電と自民党の癒着で最も顕著なのは、石破茂氏の娘が東電社員で、石破氏も東電株を持っている点である。
 現時点でこの癒着関係が、東電と自民党の利害の一致として最も目立つものだが、自民党への東電役員からの隠れ企業献金(個人献金の形をとる)もある。


https://jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-04-16/2011041615_01_1.html
https://jcp.or.jp/akahata/aik13/
(アーカイブ

https://web.archive.org/web/20200309153157/https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-04-16/2011041615_01_1.html
https://web.archive.org/web/20200309153202/https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-02/2013120201_04_1.html)

 自民党の次期総理候補として以前から、地方票は石破氏が最優勢だった。だが文化庁京都移転で中央省庁の解体、あるいは京都中華思想(京都市『世界文化自由都市宣言』による京都の自文化中心主義、皇族誘致による首都のっとり)の補完を行う実例を残した以外、彼は国政レベルでまだ目立った実績がない。
 この中央省庁を西日本にひっぱりこんで解体するという石破氏の行為は、既に国土交通省でとうに審査済みの「国会等移転」を無視する蛮行だったと私は思う。栃木・福島地域へ主な省庁を移転する筈だったのはどうなったのか? 地元にあたる鳥取への利益誘導の前座に、京都市長の利己的陰謀に乗ったのか?
 秋田県知事も反対を表明していたよう、東日本北部からみれば京都への出張は大変骨が折れる。一度東京へ出てから更に京都へと二倍以上の距離と時間、労力、経費がかかる。つまり憲法に定める「全体の奉仕者」としての公務員職権を石破氏は京都文化庁構想で破っている、悪政の実例と判定されるだろう。
 全く同じ論点から、石破氏が地方創生相だった間、筑波研究学園都市の研究機関を分散させようと各地の陰謀が語られていた。これは茨城県民のみならず、国家百年の計的、アジア学術的、世界的損失でしかない。集積の利益がある以上、学術機関が集中しているほど一般にその研究効率もあがるものだからだ。
 安倍晋三氏が総理大臣として不適格な事は論を待たないが、石破氏の方が人格面で流石にましだとしても、公務員たる全体調整の資格に欠く、地元にあたる鳥取県のある西日本側へえこひいきに等しい判断を行った実例があるのだから、実績面で疑問符の人物だといってもいい。東電との癒着の落ち度も同様だ。
 すなわち自民党を加速主義的(暴走で自滅させる風)に扱って、驕らせて潰すという方針は望ましくない。安倍氏自身が長期政権を維持するほど亡国が近づくとしても、なお次の総理候補が、やはり東電と利害一致など腐敗しており、かつ無能で悪意ある行政を行った実例があるからだ。

 では執るべき方針がどこにあるか。
 現体制の立憲民主党も枝野幸男氏という政権交代後8年しても目だった実績をあげられなかった有能とは到底いえない党首であるかぎり、国民の総勢がそうと判定しているとおり期待がもてない。逆に常に有能な実績が多い小沢一郎氏は党内で主要勢力をもてていない。
 自民党も立憲党もその様に無能が党首、かつ次位もダメ(国民民主党首の玉木雄一郎氏は西日本の電力会社と原発推進で癒着)と絶望的な状況にあるわけだが、この場合、消極策でよりましな方に力を加えるしかない。
 中期的にみて自民党は潰すしかないので、専らその対立勢力で最もましな人に力添えだ。
 自分がみてきたかぎりこの役割を過去も今も果たし続けているのは小沢一郎氏である。だから自分は彼しか国政次元では支持していない。鳩山由紀夫氏も、小沢氏への力添えという役割でのみ支持できるにしても、公徳の程度、その政治力的な有能さでいえば小沢氏に遥かに劣るというしかないだろう。

 小沢氏は高齢なので彼が亡くなってからの国政の構成も事前に計画しておく必要がある。だが彼の生前は彼に全ての期待をかけあらゆる手段で力を与えるのが最善手である。
 政権交代後の小沢氏が大御所化し、一期か二期総理を務め、のち実質的に引退してからの国政をどう作るかだが、自民を潰すべきだ。

 国政の腐敗の主な原因は、薩長藩閥の残党(安倍晋三氏、麻生太郎氏ら)が寡頭政治している自民党にある。特に日本会議、神道政治連盟との癒着が、能力を無視し天皇の血族(皇族閥)を出世させてしまっている主な原因である。つまり神道と国政の政教一致(祭政一致)が国政腐敗の根源因である。
 自民党の内部に神道信者系の議員は多数まぎれこんでいて、麻生氏を代表として皇族と血縁関係すらあるので、一々見分け、政教分離を徹底させるなどまず不可能である。皇族が国政に隠然と干渉しているのが習近平会談苦言による内閣破壊・冤罪裁判や違憲な退位法以後に明らかになった事実である。
 宮内庁2階の国内最大の記者クラブ「宮内記者会」が都内の主要マスコミを情報統制しており、実質的に、キー局や全国紙といった東京マスコミは菊タブーを強要する天皇の息のかかった全国民洗脳装置になっている。これが皇族閥ら自民党員が国政で無能にも関わらず地位を得ている主要な根拠になっている。
 すなわち、宮内庁を解体し、皇室民営化(皇族民間人化)を完遂させないかぎり、国政(立法・司法・行政の三権)と都内マスコミ(四権)が、主権者たる国民より我々に寄生する皇族を優遇する腐敗政治は変えられない。
 したがってこの前提措置として自民党も無に帰さなければならない。
 具体的にどう自民党を解体するかだが、あらゆる場面で徹底的に党員を政略上おいつめ、権力闘争で勝利し続けるしかない。彼らは安倍晋三事務所がそうあるよう、一部ではパチンコや暴力団といった反社会勢力とも癒着している節があるので、権術主義を根底にもっている。そういう相手に徳治は通じない。
 自民党を潰す事をこの上なく楽しむべきだ。彼らは上述のよう反社会勢力や、殺人教祖たる皇室一派、東電や主要電力会社のよう公害や国政への悪意ある寄生をなりわいにする悪徳集団に懐柔されているのだから、国民全体にとっての公然たる悪党といって間違いない。正義の前に敗れるのは時間の問題だ。

 また自民党を解体後、現立憲党や旧民主党勢力が力をもちすぎるのではないかという懸念については、適宜その種の寡頭政を政略的に破壊すればよい。こちらは小沢氏をのぞけば、総じて無能しかいないのだから容易であろう。

2020年3月9日

人間の自業自得

お前ら人間は
普段から俺に悪意で接してきて
最初からないカネをむさぼりとり
土地や文化ごと年中差別してくるばかりか
あらゆる下らない犯罪じみた行いしてきて
うらみ通り越しサル未満と思われていて
挙句の果てに死病で苦しみ
同情してほしいとか?

馬鹿は馬鹿同士集まる

普段から極悪人達が差別しまくってくるからコロナ運んでくるろくでもない都会人も進んで来なくてまだこっちで感染者出てないのやっぱり馬鹿は馬鹿同士集まる証拠だと思う

普段から悪い仲間を避けてくらすべきでそれは一刻を争う

日本語を使う右翼やその偽装者らは嘘つき売国首相安倍晋三氏やその支持者らをなぜ弁護してしまうのか

何で日本語使う自称右翼かそれを偽装してる人達って、特定の国の人達は「息を吐く様にウソをつく」とウソついてたのに、いざその国のすぐとなりの自治体の択んだ首相が公然と国害そのもののウソつき三昧してたら手のひら返すの? 虚言癖を悪徳として叩きたかったんじゃなく、国籍差別したかっただけ?
 山口県4区の10万人の人達はウソつきをなんとも思わない人達なんですよ? だからわざわざ自分の地域の代議士に択んで国政に送りつけてきているんでしょ。ウソついてもいいんだと、勝てば官軍だと思ってる集団が、下関市と長門市に10万人もいるんですよ。じゃあ右翼はなぜ彼らの悪徳を叩かないの?
 僕なら10兆もらえようが世界の半分貰えようが安倍晋三さんみたいなダークトライアドになんて死んでも投票しませんけど。生まれて一度も支持した試しもないし。
 なんでそれなのにあんな極悪人に首相なんてされて嬉しいと思います? 極悪人が総理大臣って。山口県4区の10万人の悪意の結晶が彼だよ?
 右翼の皆さんは叩く相手まちがってんでは? 先ず嘘つきをぶっ潰すのが正義では? つまり安倍晋三を叩き潰すのが愛国では? 山口県4区に行って嘘つき売国奴に投票してる極悪人達を全力で非難しまくるのが筋では。
 なんで無関係の左翼なんて叩いてしまっているの? 馬鹿だからですか? 無駄だ。

現代日本で仏陀、悟った人として生きる方法

釈迦ことガウタマは「解脱」を理想化したが、要は「子なしで死ぬ事」といっていいだろう。ガウタマ自身は子がいたのでこの戒律を守れていなかった。
 性欲などの煩悩を中道(つまりほどほど)に納める事も、それに囚われない為の彼の悟りの一部だったが、当時は避妊が未発達で性行為を否定していた。
 現代は特に日本では女側が繁殖したさ、又は依存したさに金持ちを選好する様になっている。だから解脱したければわざわざカネを稼がなければいい。なおかつ、進んで性行為を求めなければ自動的に子なしで死ぬ事になる。
 解脱の難易度がガウタマ生前のインドよりずっと簡単なのが現代日本だ。
 もしカネを何かの間違いで稼いでしまったら、さっさと寄付し、自分の持分をなるだけ減らしておけば、それをみて繁殖したさ、依存したさの俗悪な女達は散っていく筈だ。

 では女側が性欲・繁殖欲・愛欲をどう抑えるかだが、これは他人に頼らないしかない。清貧に独身で生きて死ぬだけで十分だろう。

地獄の救い

もう人間に期待するのはやめだ
彼らが日頃どうしているか見たか
呆れるほど愚か
呆れるほど卑しい
それなのに期待するなんて
天国で悪人を探すよりありえない
この世が今日消えてもなんともない
だって善人が一人も見つからない
周りを埋め尽くすエゴイスト
拝金主義者
そんな地獄の国が亡びていく救い

坂本龍馬評はサイコパスチェッカー

糸井重里氏も「今日のダーリン」で軽くいってたけど、坂本龍馬ってまじもんの反日テロリスト、薩長のアホに無駄に東北侵略させた元凶でしかない重罪人に憧れるとかいってる人達って絶対に、サイコパスか、道徳・共感知能が欠如した何かと思う。その意味でサイコチェッカーだから便利ではあるんだが。

AIやbotの方が人より英知に満ち、倫理的な事もありうる

先日、茂木健一郎氏が「クソリプの背後に人がいて志向性があるから腹が立ったり傷つくが、できそこないのAIやbotがうみだしたランダム文字列と考えればいい。ネットの文字列には志向性に不可欠な身体性が欠けている」云々とツイートされた。
 これについてずっと考えているが、間違っている様に思う。

 なにがかというと、僕の意見では、人の本質は体ではなく、精神の方だからだ。精神は科学言語でいえば脳の働きかもしれない。例えば身体障害で四肢や肉体を失っても脳だけ働き続けている様な人に志向性がないかといえばあるだろう。
 多分、茂木氏のいう身体性はそういう意味ではないんだろうけど。
 そこでいう身体性は、善解釈で推測すれば、「精神全体と一対一で対応するもの」という意味で、分人の否定だろう。ただ深読みかもしれないが。
 そういう意味で捉えれば必ずしも間違いではない。つまり無責任な捨てアカウントを非難していると。

 脳死状態で体だけ生きている場合、それが人として人格を伴うかといえば、唯の肉の塊になってしまう。
 例えば医療の進歩で、永遠に肉体を再生できる様になってから、誰かが脳死後に或る宗派が、ご神体みたく誰か聖者の体を偶像崇拝で永久保存したがるかもしれない。つまり身体性は人の本質ではない。

 それで、AIやbotと人の違いは、『匿名モブの嫌がらせ文化(匿名卑怯者文化)は次世代の為にも是非とも撲滅しきる必要がある』『人の今日的定義はその情報配列の体系性』に書いたが、情報の人的な体系性だといえるだろう。人間らしさの情報系がある。
 僕は、その種の人間性をどっちかといえば嫌っている。人を神に劣った存在と思っているので、神的体系性にできるだけ近づこうと努力してきた。ここでいう神性は人間に検知可能な範囲なら知徳や感覚などの超人的で高度な精神性といえるだろう。だからなおさら、身体性は優れた存在の根拠にならない。
 アリストテレスは『ニコマコス倫理学』などで、観想(セオーリア)の生活をできるだけ長期化するのがこの世で生きる目的だとし、これを後世は幸福主義と呼んでいる。私はこの点で彼の考え方はかなり正しいと思っていて、実際、その永遠の観想を行いうるのは肉体をもつ人ではないのだ。神的存在だ。
 こうしてみると、永遠の観想を行う存在が想定できるので、人類の想像する神性に限りなく近い生物は現に存在しうる。この宇宙か別の宇宙、またはその外のどこかにいるのだろう。その神的存在は我々のよう有限の肉体をもたず世代交代しないかもしれないし、人類には永遠にみえるほど長寿かもしれない。
 少なくとも、人は神性を獣性より優れていると感じ、また人間性はこの中間状態にあると感じる。だから人は未来に向け、より神性をまとうよう性選択され進化していく。未来のある地点からみれば現代人は類人猿と大して違いがないほど野卑に見える筈だ。
 素直に、神性をできるだけ追求すればよい。

 で、この節からいっても、我々は精神性を身体性よりある場面では遥かに重視しなければいけない。もしAIやbotの類が下らない返信を飛ばしてきているとしても、それを作った人か別のAI、botの意図なり偶発がある。
「下らない返信」は現実の実感としてあると感じるが、そういう意味では理論的にはない。
 理論的にいえるのは、ある返信現象をうみだしている原因やその合目的性をできる範囲で把握すればいいのであり、それが自分に負担なら通知をきっていればいい。AIやボットとわかるなら自分の主観に及ぼす影響を推し量り、無意味なら無視し、有益そうなら理解や分析すればよい。人なら検体にすればいい。
 もともと人は情報の束である。だから言語、視聴覚情報を受けて、自分の情報の束が何らかの変化をするとしたら、それはその情報に或る現象的な意味がある証拠といえるだろう。自分の主観や無意識に変化がなければ感知できていないか、情報量をもっていなかったわけだ。
 生物機械として、人は自他に有益な情報(必ずしも自分の主観的自尊心にとって都合のよい情報ではない)だけをとりこみ、そうでない情報のうち、特に有害な情報(必ずしも自分の主観的自尊心にとって都合の悪い情報ではない)を排除しなければいけない。その意味では食べ物を択ぶのと同じであろう。
 つまり情報社会に適応するとは、情報の取捨選択の能力を鍛える事になる。だからこそ或る返信を安直に「クソリプ」など臆断できない。今の自分が暗愚すぎ、その返信の真意を理解できないだけかもしれないし、自分の主観的な感情を煽るものだったとしても、実際には塞翁が馬で自他に有益かもしれない。
 とはいえ、現実にはどうみても殺害などの犯罪予告、名誉毀損罪や侮辱罪などの犯罪に該当するそしり、誤読、悪解釈など救いがない返信やDM、書き込みの類もあるものだ。そういったものは保存し証拠をとっておき、民事裁判にもちこんだり、現時点の警察は動きづらいにしても刑事告訴するなども対処法だ。

 ここで書きたいのは、AIやbotの方が愚かな人間より遥かに英知に満ちているなんて当然の様やってくる近未来だろうし、決して返信しているのが人間だから立派だという風にはいえない。カント人格主義は飽くまで対人の人権を補完する理想だが、ツイッターなどSNS上の対応では現実的に思慮する必要がある。

2020年3月8日

山口4区選出の嘘つきが隠す新型コロナウィルス感染者数

表面的に感染者数を隠蔽する目的で原因不明で死亡かのようみせかけるいつもの安倍独裁の手口

自称勝てば官軍ウソつき錦旗捏造で国内侵略から相も変わらぬ卑怯の極み極悪薩長閥の手口

衆愚に群れて糸井叩きの卑劣

糸井さんが一体どういう御仁か知らずに衆愚とつるんで調子のって叩いてるやつらは真贋とりちがえてるからぜってー天罰下るわ

卑怯な臆病者は命を惜しむ

普段から勇気や自己犠牲を腐す人達は己が卑怯な臆病者で、常に己の命惜しさに自集団を裏切るつもりだと吐露しているのだ。

無法な明仁天皇による主権者国民への馬乗りが日本国滅亡の始まりだった

『2020年03月05日、立憲民主党・枝野幸男党首会見』をみたが、21:06~25:00の枝野氏の発狂というか発奮が、彼の人格の重要な欠点を露わにしているので、有権者は注目する必要がある。
 ここで枝野氏はNHKでデマ拡散した過去を、感情を露わにしながら詭弁で隠蔽しようとしている。

 彼の会見を福島原発ごく近隣の一被災者として、私はあの恐ろしい余震(数分ごとに続く震度6以上のもの)の中で固唾を呑んでみていたわけだが、彼は官房長官として会見で
「福島原発は安全です」「爆発していません」
云々と繰り返し連呼していた。
 この後、枝野氏は反省するどころか開き直り、
「断じてデマを飛ばしていません」
云々と、様々な場所で強弁に耽っていた。当時の官邸側の情報を精確無比に伝えていたといいたいのだろうが、それは動機で、結果からみれば福島原発安全デマ拡散の代表者が彼といってもいいのが公然たる歴史的事実である。
 すなわち今回の枝野会見からわかるのは、彼が「合理化の強弁に耽りがちで、根本的な誠実性に欠いている」という点だ。しかも公務の落ち度について当人にとって不都合な点を指摘されたとき、真摯に反省するより感情を露わに自己弁護したり、詭弁が先立つ癖も明らかである。

 質問した自由記者の質疑内容も、安倍晋三氏の不誠実さと枝野氏のそれとをズバリと射抜いた比較なわけだが、確かに、枝野氏も安倍氏よりはましかもしれないにしても、別の種類の不誠実さ、公益より自己愛を優先させる公人としての精神的弱さが、今回の会見ではありありとみてとれる。
 合理化、言い訳の内容も、震災時に官邸内の周りで頑張っていた人達との比較、という建前をとっているが、恐らく当人が「枝野寝ろ」といわれていたよう必死で公務に限界を尽くしていた誇りの投影である。記者は周りの人達の働きを侮辱などしていない、枝野氏の結果的デマ飛ばしを指摘したにすぎない。

 枝野氏が人格的により優れているか、科学的・論理的思考力があれば、ここで
「当時の官邸で東電から手に入った限りの情報は誠実に国民の皆さんにお伝えしていたが、結果をみれば、東電から渡された情報に東電側の不備があり、官邸側の原子力工学専門家の能力にも欠如があり、不正確な情報になった。
  その点については矢面に立った当時の官邸の広報マンとして思う事がないわけではないが、当時とりうる最善策を全力で遂行していた事は天地神明に誓えるので、ご容赦いただきたい。
 今後は東電など私企業の情報はそうと断りを入れ、官邸側の専門家の学術水準にも事前に十二分に気を配るつもりです。
 また東電についてはベントや現場状況について決定的情報を隠していた、又は伝え損なっていた点は元官邸の一員としてもなんら弁護できないので、政権交代後は然るべき立法措置の元、同様の事態が起きぬよう対策を打つ。また東電本社についてもJCO事故を参考に行政の手で起訴し、解体するつもりである」
 などと弁明すれば、少なくとも有権者としては彼が善意の動機に基づいて言行していたのは分かる範囲なのだから、東電による致命事故に至りうる可能性の情報隠蔽という不作為のため結果がデマ飛ばしだったとしても、彼を情状酌量しうるというものだ。だが彼にそれほどの言語流暢性も、知恵も勇気もない。
 このため彼は幼稚な言い訳に終始するだけでなく、逆上気味に周囲の官吏擁護へ論理をすりかえる意味不明な詭弁で、どうみても愚鈍な性格を露わにしてしまっている。
 
 安倍氏もしばしば感情的に
「こんな人達に負けるわけにはいかないんです」「日教組」「早く質問しろよ」
云々、誠実さと全体公僕たる資質に欠く言動がみられるが、安倍氏の場合それどころではなく権術のため嘘を恬として恥じないダークトライアドなのは数多の実例から明らかで人柄は論外というべきだ。
 だが枝野氏の人格的、性格的特性のみならず、知恵や言語能力の点にも代議士として随分問題があるというしかない。
 自分としては安倍氏を一度も支持した事がないし最初から人柄の邪悪さを直感的に見抜いていたので最低未満の評価しかしてきていないのだが、枝野氏の方も落第点を連打する質の議員だ。

 もし僕が立憲党首なら前回の参院選前、いやもっと早く前回の衆院選前に、前原誠司氏の失政と小池百合子東京都知事の陰謀でばらばらになった旧民主党員であるところの、旧自由党・国民民主党・立憲民主党を統合していた。しかも社民や共産とも最低でも選挙合意をとりつけ、社民とは連立を組んだろう。
 且つ、安倍自民党からも離反者の自党員参加を公然と募り、公明党にも徹底的懐柔工作をはかって、国益を害する売国政策を行う安倍氏への有志離反の流れを、自公連立の内乱誘導でつくりあげたはずだ。
 だが枝野氏は全く正反対、自党に加わらない他党排斥的な寡頭政治を目指した。勢力は当然伸びない。
 僕は外からみていてなんてこいつは無能なんだとあきれ返ってきたが、普段から無能なのが明らかな人物に期待などかけてもひたすら裏切られる。ゲインロス効果で急場に何か例外的点数を挙げようが、常にダメなら殆どの時間を戦うレギュラーに入れられない。逆に万一偶然ミスしても普段が優なら仕方ない。
 なぜ斯くも無能で国政の第一足枷といえる枝野氏が第二党の党首になってしまっているか、これは小池の乱で生じた偶然の為だった。間接的には「枝野立て」などほざき馬鹿と煙を高い所にのぼらせた政治勘なき暗愚なツイッター民のせいも大きい。彼は立憲寡頭政をめざし躍起だが、最大の国害になっている。
 じゃあ国民民主の玉木雄一郎党首がどうかというと、こちらも僕のみるかぎり随分な小粒である。消費税は悪だみたいな実に安直な経済学的無知というか典型的迎合主義をさらすし(西洋諸国をみたらいい)、大体が求心力がない上に、西日本の原発推進派とつるむという致命的な汚点がある。ダメダメである。
 玉木氏は枝野氏に比べれば人格的欠点がはっきりしているという事はないので、人柄としてはまだ信用できるのかもしれないが、まず学力水準が僕のみるかぎり国際規模でみて低すぎるし(無論、安倍氏は赤点未満なんだが)、そもそも政治センスも大局観もない。脱原発の障壁となるとか懐柔工作に弱すぎる。
 この玉木氏がなぜ分裂後の旧民主党の党首になっているかだけど、これまた偶然だ。あの自民の狸知事に全権委任で頼るだけでもさすが女が何事も裏で実権握ってきた京都人の悪癖というか実に阿呆臭い最悪判断だったが、あからさまに手のひら返されボロ負けした前原失脚後、誰もなりたがらなかったから。
 僕は明仁天皇ならびに宮内庁と記者クラブ系の都内マスコミ、東京地検に濡れ衣されてからの小沢一郎氏を注目もしてきたし、民衆側がどう扇動されるかも逐一睨んでいたが、今に至るまで愚民であればあるほど彼に汚名を着せ、確証バイアスで冤罪したままだ。これが日本国政を本格的に終わらせたと思う。
 小沢氏はおよそ現国政界で最も公徳が高いうえに有能なのは絶対に疑う余地がないだろう。過去に何度も政権交代を果たしただけではなく、普段から適切な洞察を述べている。皇室はその有能者を高々、予定入れる時間の前後差など虚栄心のため潰したので国を大幅に貶めたわけで、因果応報というべきだろう。
 僕がみるところ皇室はあと20年くらいで本格的に潰えると思う。しかしその直接的原因は、公のまつりごとより己の我意を優先し、最有能者へ濡れ衣を着せた某習近平会談への難癖事件である。内閣は国民代表なわけだがその依頼を罵って拒否したという事は、天皇が国民に馬乗りした事になる。主権の侵害だ。
 天皇が主権を侵害したら国政は乱れる。その天皇が有能ならまだましだが、国力からいっても最早日本を一段も二段も上回り、更に伸びていく中国に、古代そこから渡来してきた血統たる優劣感から、単なる虚勢で国政を紊乱したのだから無能と不徳の極み。後に続いたのは皇室自身の治める国の破滅であった。
 安倍氏は全人類がみても、最悪級の無能だと口々に述べるレベルなのだから(僕は現に途上国の人達からさえ、安倍氏みたいなトランプの犬の無能が首相なんて本当に笑えるなどと散々馬鹿にされてきた)、そんなのが7年も最高権力の座に居座って先進国がもつわけがない。だがそうさせたのは明仁氏だった。

 今後の国政としては、小沢氏を例えば鳩山氏がつくった共和党首にし、旧民主党を統合したうえで全野党共闘、政権交代するくらいしか一縷の望みはない。が、玉木氏はまだしも枝野氏の方は頑固な寡頭政志向で、立憲党首の座を自ら譲ることはないだろう。立憲内クーデターしか国政を救う方途はないわけだ。
 それで自分は菅直人氏のツイッターアカウントなどへ上述の意見をあげて、さっさと枝野おろしをやってくれと頼んでいるのだが遅々として進まない。立憲党員全員は保身が第一で、体当たりでクーデター起こしたら枝野氏から党籍抹消されてわが身が危ういのでやりたがらない。国が終わるのを指をくわえて待っている。
 ほかに、茂木健一郎氏が枝野氏や鳩山氏とつきあいがあるので、上述のよう枝野氏による小沢氏への禅譲、或いは立憲・国民党の共和党への合流など頼む返信してるのだが音沙汰がない。多分みてないか無視してんだろう。だがそれしか救国の道なんてないのに。
 お年寄りの皆さんが無能なのは確かである。

 国政はそんなレベルなのでもう何も期待しない方がいいのかもしれない。でも小沢氏のよう真の勇者というべき人物が老公として頑張ってる以上、完全に見捨てるのも気が引ける。
 それで僕としては茨城県政や北茨城市政の方が遥かに有能と思うし、国政次元では県域や水戸へ新政府樹立を構想している。

 小沢氏は年齢上、20年後も国政で活躍されているということはないかもしれない。だがその頃、皇室も滅んでいる筈だ。その現場を僕は多分目撃できるだろう。明仁氏は軽い気持ちで宮内庁通じて小沢氏へ濡れ衣を着せ始めたのだろうが、結果からみたら天皇権力の乱用で国が滅亡する序章となったのだった。

差別は認知障害

差別はする側のみに100%原因がある認知障害である。

馬耳東風のわけ

愚者は忠告を聞き流す。第一に忠告の中身がわからないから、第二にそれがわかっていても進んで従うほど将来を慮る道徳知能がないから。

神々の一員

糸井重里氏は『MOTHER2』というまごうことなき神ゲームを創りえた点で晩節如何に関わらず私にとっては神々の一員

2020年3月7日

天皇真理教弥栄

安倍真理教をオウムみたいといいながら天皇真理教に北朝鮮マスゲームみたく万歳三唱

慈善はする側の為にある

私は聖書や仏典で勧められている行いのうち、慈善行為というものをこの9年ほど試した。結果わかったのは、これは唯の趣味、しかも最大の費用負担がかかるそれなのだという事。
 先ず慈善に報いはない。なにかあっても偶然得られるだけで、総じて自分には損害のみがある。利他は結局は自己満足だ。
 全ての慈善行為のうち、尊い教えを説くこと、つまり道徳についての説教(仏教用語なら法施)が最上のものとキリスト教や仏教の中では定義されている。イスラム教では聖戦への参加には一段劣る扱いかもしれないが、『コーラン』に基づく勧誘や教化とみてほぼ同じだろう。
 だがこれも構造は同じだ。

 説教は、孔子にいわせれば中人以上にしか効果がない。今の言い方なら中流程度の一般知能や一般常識がある人にしか、基本的に通じ得ない。これは経験的にも確かで、いわゆる知的な意味で下流に属するだろう人達へは、どれほど聖言を説いても馬耳東風、馬の耳に念仏だ。
 法施の意義は相手の質による。
 自分は方便を色々試す中で、一度、幼児にも分かる全年齢的表現を試そうとゲーム、RPGを作ったことがあった。しかし結果からみてわかったのは、元々愚者に教えを説くのは不可能なのである。彼らは何かを学ぶ事はない。子供向けの教材を作る人はこれに注意する必要がある。賢い子にしか徳は伝わらない。

 それと、愚者や卑人をひきあげられるか、私は色々実験した。結果わかったのは、これは不可能である。一人の例外もなく愚者や卑人が賢者や貴人にならなかった。根本的に人は変わらない。自分が見たこの世の現象は、最初から賢い人がより賢くなった例と、最初から尊い人がより尊い行いをした例だった。
 すなわち、この世でありうるのは、最初から賢さや尊さの素質をもっている人がそれを外部からの勧めで、より強化する場合だけだった。無目的であまねき慈善行為はこの点で大いに考え直さなければならない。投資効率を考慮すると、実は最初から善良だったり賢明な貧者を集中的に助けた方がいいのである。
 これと逆に、愚かだったり卑しかったりする要素が甚だある貧者をひきあげようとすると、甚大な苦労をするだけでなく、結局は無理だから自分に損害が膨らむだけで元の木阿弥となる。経験的にほぼ間違いない。例外があってもごく一部だろう。
 慈善は無差別なのが理想と考えられているが現実はこうだ。

 福祉に携わっている人は、慈善の投資効率を無視し、悪人正機説的に極悪人とか大馬鹿者とかをつい「馬鹿な子ほどかわいい」方式で助けがちである。だがこれは実は、救世主願望を投影しているからで、いわば大捕り物のよう最低の人間を救済できれば自分が聖人だと信じられるから、そうしているのだ。
 これらを前提に、自分が思うのは、善因善果、悪因悪果をこの世では強化する方が、単に無差別なそれより現実には望ましい慈善行為である。物語などで善良な人物が救われるのはこの為である。聖書ならノアがそれだ。対照的にソドムは民衆ごと滅ぼされた。これは慈善の効率を図る為の説話だといえる。
 芥川龍之介『蜘蛛の糸』で地獄のカンダタが釈迦に救われかけるものの、自らの悪業で罰を受けるのは、やはり同じ効率観に基づいている。つまり悪人を救うのはその人に善意のかけらがないかぎり決して合理的ではない。慈しみ(agape)は無差別だが、愚者や悪人にそれを行える程度は現実には限界がある。

 イエスがなぜ磔になったか、彼はユダという拝金悪人へ親切にしすぎたからだ。自らもユダヤ人ながら、既得権益をもつユダヤ人と決定的に敵対したのも政略面での失敗だったが、中でも弟子の会計係の裏切りを予期できなかったのが致命傷になった。最初から信用できない人物を遠ざけておくべきだったのだ。
 博愛というイエスの理想は、後世に大きな影響をもたらしたが、少なくとも現実で悪人達は衆愚に呼びかけ、既得権益であるユダヤ教徒を批判した救世主へ濡れ衣を着せ、なぶり殺して狂喜していた。これが慈善行為の限界だ。愚者は善意を理解しえないし、悪人は寧ろ救われて恨む。
 慈善はする側の為だ。

人づきあい

狂人を構う者は自らもその狂気に触れている。
 自分より劣った人と関わる者は、自らその人の世話に追われる。
 劣悪な人間との縁はできるだけ早く切らなければならない。
 愚か者に細々と教え諭した所で、愚か者が賢くなりはしない。迷惑を避けるには、愚か者に近づかない事が唯一の解決策だ。
 
 卑しい人へ親切にするのは、調度、サイコパスに善意を期待するのと同じく、ひたすら危険である。必ず恩を仇で返す類の人がこの世にはいて、そういう人達はいかなる親切にも感謝せず、ただただ自他へ害を為そうとする悪意で生きているのだから。
 慈善活動はこの意味で、本来、感謝を期待できない。
 我々が慈善行為をするのは、自分の良心の満足の為である。そしてこの良心の満足は他の快楽に比べても質が高いとみなされる類の精神的充足なので、世俗的快楽に事欠かない多くの億万長者が最後にいきつくものだ。
 利口な人は端からこの快楽に気づき、清貧に留まる。板につくとやがて聖人と呼ばれる。

2020年3月6日

20から30年後(2040から2050年頃)に日本の本格没落期が来る説

子供ほど馬鹿な独裁者を崇めているという事は、日本国はあと20から30年くらいで本格的没落期に入るという事だ。馬鹿な若害が国を沈めていく。それは彼らの公共心、公徳が他国や前世代に比べずっと低いせいだ。

ゆとり若害の保身のがめつさ、公的正義より私利をはかる卑しさ、低公徳が日本国政を落ちぶれさせている主因

安倍政権支持を中高年のせいなどとするツイートへ)

今の安倍政権を支持しているのは全然中高年ではない。いわゆる「ゆとり若害」。逆に高齢ほど反安倍。

https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100002.html
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100002.html?page=2
 馬鹿さでいえば若者の方が経験不足な上に精神年齢も低い。日本人20代男性が東日本大震災以後の政情不安に過剰反応し、就職したさに私利を公益に優先し、猛烈に最悪独裁者を支持しているのが現状。

2020年3月5日

安倍晋三独裁者による今更の中韓イラン人一括差別政策

中韓イラン人の入国禁止で自分で嘘ついて呼んだエセ復興賄賂五輪の首絞める安倍首相さすがネトウヨもどき作家とネトウヨ系記者に会食で唆されただけある手遅れ国籍差別大英断中国14億人いるのにその約0.008%にすぎない武漢1108万人以外も入国禁止とか大阪人作家的に雑すぎる人種差別政策今更とか笑う

独裁者の最悪政治を全力でもちあげる馬鹿若害の没落国

なんでも規制で官が雁字搦めにし革新を潰す頭の固い若害の不寛容な自称保守実質没落国

卑しい人達の振る舞い

卑しい人を他人が尊くする事はできない。
 卑しい人は自らの行いが悪意や悪徳で満ちているので卑しい。日頃の習慣づけで卑しさが板についた人々は、他人が美徳を勧めても拒絶しそれを身につけようとしない。
 ある人が卑しくなるのは、朱に交わって赤くなるよう、悪徳に満ちた人々をまねたからだ。

 普段から卑しい言行をとっている人を信用するな。彼らは単に卑しいからそうしているのだ。
 性善的な人は他人が下卑た行い、言動をしていてもつい、そういった人々はなにかの偶然で間違っているとか、注意で反省するだろうと思い込み易い。しかし現実は正反対で、純粋に彼らは卑しい悪人なのである。

 下賤な人になんらかの尊さを期待し、慈善心から接してはいけない。それは天地を取り違えるのと変わりがない。
 下賤な人はどれほど演技していても、根っから卑しい本性を超えて行動できない。だから正しくは彼らへの慈善行為は、自らの良心の満足の為なのだ。
 下賤な人は慈善を受ければ逆恨みする。

 下賤な人々に好かれ、魅力的と思われるのは、悪魔に命を握られている様なもの。

都会で驕り高ぶる一方の衆愚は美徳の反面教師

衆愚は群れて得意がる。互いに悪徳や謬見を確認しあい、優れた美質を確証バイアスで貶める。
 死の疫病が蔓延しても満員電車に進んで乗り込む人々は、普段から殺人教祖皇室の傘下にある都内マスコミらに洗脳され、自ら不潔な大都市に順応したがっていた悪徳を、正常性バイアスで正当化していたのだ。
 死病により大都市圏、観光地で大量死が起きたのは必然で、彼らはその種の過密人口で流動性の高い不衛生な生活環境を普段から無闇にえりごのんで自慢し、ひたすら自己正当化していた。なぜ彼ら都会人一般が常々そうしていたかなら、単なる虚栄心からきた浅ましい自文化中心主義のせいだった。
 賢慮ある人々はソドム的な退廃に染まった、不衛生極まりない都心を既に離れていた。
 人の質とは「普段が全て」で、悪徳や悪意ある言行が日頃明らかな衆愚と群れ、安全では決していられない。

 死病は単に都会の暗愚や低民度、自己中心的欺瞞を明らかにしただけで、端から真相は変わらなかった。
 清浄な環境、より善良な人々がくらす田舎、自然資源や農工業といった基盤産業に恵まれた田園部に暮らす人は、大都市部や観光地を中心とした死病の蔓延にあたっても、相対的に安全だった。だが普段から安全で平和だったのである。
 衆愚は日頃の行いが最悪だ。善所善人を陥れ、悪所悪人を誉めちぎる。
 愚か者とつきあう者は、普段から劣悪な判断、謬見に惑わされ生きている。死病の蔓延に至っても事は同じく、死の淵まで差別的偏見から一歩も逃れ得なかった。致命的大震災の最中でも、事は同じだった。愚か者、悪徳に満ちた東京人らは更に悪意を露わにし、被災地を罵りみすてわれ先に逃げ出し買占めた。
 逆に、その種の悪辣な集団から常々軽蔑されたり、しばしば差別されてさえいる方が、事実上、遥かに優れている。
『論語』で孔子がいうとおり、「悪人から嫌われている人が真の善人」(子路第十三、二四)で、衆愚の逆にある特徴、即ち賢慮や善徳をもちあわせているからこそ、対極的な集団に位置する。

 愚か者、悪質な衆愚から離れて暮らせ。また彼らと誤認される振る舞いは決してするな。
 できるだけ第三者からも全く別の集団に暮らす全く別の存在と思われるよう、都会に群れた衆愚の悪趣味を反面教師とし、彼らの誇る何事も模倣するな。
 都塵を軽蔑し遠い文化に生きていれば、善い結果のみがくる。

根拠主義批判

根拠を真理と考える人は因果律に欺かれ、誤った証拠により誤った見解をいだく。

道徳的認知の有無

悪徳に満ちた人達は悪徳をそうと気づけない。第一に彼らは道徳的な人達を知らないからで、第二にそもそも善悪の判断力を欠いているから。

地方自治に基づく国政革命論

令和以後の日本は、独裁者・安倍晋三氏の下で自民党寡頭政治を明治政府(薩長藩閥)の延長上に行う旧体制の領域と、そうでなく地方自治を基盤に進歩的共和政を執る全国知事会議を中心とする領域とに大きく二分し、前者を実勢に於いて弱体化させていくことでしか改革できないだろう。

サイコパスが高位にある集団は倫理崩壊している

サイコパスを高い地位に就けている集団は、総じて人格的評価ができない人々で、一部の私利の為に公害をなんとも感じない邪心の持ち主達だ。その意味で、集団の悪徳が指導者の悪質さに現れている状態が、高位にある人々の不道徳さである。

香川の民度について

香川県は議会が時代遅れな一律ゲーム規制、出身者のひとりが首都圏をうろちょろし謎の虚栄心に耽って上品な絵をポスターにしていた土浦含む茨城県を差別的に侮辱してくるなど(水戸の支藩が高松だった上に義公の子が治めたのに、一時が万事といえなくもない)、上から下まで酷い民度にみえなくもない。
「普段が全て」なら、香川のよう日頃の行いが悪い、あるいは総じて民度として低級な人が否応にも目につく自治体にはそれなりの原因があるのかもしれず、そこでなにが起きているのか究極の因果を努めて知るべきだろう。

下賤の逆は高貴

下賤な人々に罵られたら、基本的にその逆に向くといい。彼らは自らと同類に攻撃しない。すなわち彼らの望む下卑ていない特徴、高貴さを非難するのだから。

根っから愚かな門地差別

日本人一般は根っから愚かなので、同じ人が都会に移動したら都会人扱いでひいきし、田舎に移動したら田舎者扱いで差別する。そのため常に江戸城に強盗している皇室その他から詐欺され、都鄙の真贋を見間違え致命的に損害しているだけでなく、虚栄心に耽って人心を傷つけて回る。

低民度な集団を早速離れるべし

普段から低民度な東京に群れている者はそれが常識だと思い込んでしまう。西日本からきた商人等が、都内で知らずしらず傲慢に陥り、より品位の高い周辺県、例えば関東北部を差別的に侮辱する様な、醜悪で義憤に耐えず、傍ら痛い光景はその為だ。
 普段からつきあっている相手がその人の基準になってしまう。

殺人邪教神道教祖による衆愚洗脳の証

愚かな人は都会が優れており、田舎が劣っているという愚にもつかない浅はかな偏見を持っている。特に天皇がその種の暗愚な中華思想の原因であり、日本の民度を致命的に下げている。

イエスやガウタマにとって悪とみなされる不倫含め、諸々の愛や博愛は解脱後の慈悲の前段階で、未だ悟りきっていない下位のアガペー概念

旧キリスト教圏の人達は「愛、love」をほぼ無条件の肯定文脈で使うことが頻繁にあるが、仏教では本来その種の愛は悪徳の一つに他ならない。開祖ガウタマは
ガウタマ「愛する者とも愛しない者とも会うな」『ダンマパダ』210
と述べ、煩悩の炎を吹き消し、独りで瞑想していることを至上の幸としていた。
 一方、ガウタマは『ダンマパダ』129-132でいわゆる慈悲について語る。
ガウタマ「全ての者は暴力におびえ、全ての者は死におびえる」同書129
「もしも暴力によって生き物を害しないならば、その人は自分の幸せを求めているが、死後には幸せが得られる」同書132
アガペーたる博愛と仏教の慈悲は一部重なる。

 イエスが『新約聖書』で説いた神の愛は、個々の煩悩、性愛を含んでいる、但し不倫(既婚者への愛)を除く、博愛というべきだろう。
イエス「誰でも情欲を抱いて女(他人の妻)を見る者は、既に心の中で姦淫を犯したのです」マタイ5-28
「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう」マタイ5-46
「きょうあっても、あす炉に投げこまれる野の花さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか」マタイ6-30
ガウタマも不倫(既婚者への婚外からの愛)に厳しい。両者とも他人の妻への性愛の戒めという形になっているが、恐らく聞き取った者が男性たちだったからで、同趣旨で女性から既婚男性への愛も戒められているのだろう。
ガウタマ「放逸で他人の妻になれ近づく者は、4つの事柄に遭遇する。――すなわち、わざわいを招き、臥して楽しからず、第三に非難を受け、第四に地獄に堕ちる」『ダンマパダ』309
イエスとガウタマの共通認識は「不倫」(既婚者への婚外からの愛)を悪とみなしている点、そしてアガペーを語る点だ。

 違うのは、イエスにとって性愛は不倫を除き容認されるものだったが、ガウタマにとって忌避されるべきものだった点だ。
 なぜこの差が生まれたかだが、イエスは『旧約聖書』の神による命令を前提にしているからだろう。
神「(生き物へ)子を生んで多くなり、もろもろの海に満ちよ」創世記1-22
「(人へ)子生んで多くなり、地に満ちて、それ(生き物たち)を従わせよ」創世記1-28
ガウタマは旧約の神を考慮していない。それだけでなく後世が解脱と呼ぶ、子供を生まないままで自然死するのを修行の目的としている。
ガウタマ「生存の彼岸に達した人はあらゆる事柄について心が解脱していて、もはや生まれと老いとを受けることがないであろう」『ウダーナヴァルガ』29章57

 つまり、このイエスの考えとガウタマの考えをまとめると、イエスはガウタマにいわせれば性愛、煩悩に執着するところがあって解脱できていない。アガペーについて理解はしているから単なる凡夫ではないにしても、迷いの生存の中にある衆生の一種ということになる。
 より哲学的にいうと、仏教の哲理の方がキリスト教のそれより、弁証法(対話術)的な関係ではより上位にあるといってもいいだろう。イエスの容認する性愛はガウタマの言い方でいえば愛執にすぎず、悪徳にすぎないからだ。
 もっといえば性愛は所詮、当人にとって価値あるものあるいは自分を愛するものへの偏愛にすぎないし、そもそもイエス流儀の博愛が人を基本対象としているので、全生物へのアガペーであるガウタマ的な慈悲より下位または部分的な慈しみに過ぎない。

 より大きくみると、キリスト教圏の倫理的な常識は、少なくとも仏教のそれより一段劣っているというしかないだろう。もしキリスト教哲学が狭義の愛である性愛を、ガウタマによる煩悩への戒めを怠って肯定したとしても、仏教哲学でいう苦(dukkha)を逃れられない。倫理学的に仏教が上位にあるといえる。
 すなわち、旧キリスト教圏、具体的にはロシア含む欧米やその旧植民地、あるいはアフリカ圏などは、仏教倫理を常識として持っていないので、愛執している苦にまみれた迷いの衆生といっていい。
 現代日本はキリスト教も仏教も等しく参照できる文化圏なので、より上位にある倫理に従うべきだろう。
 通俗的大衆歌などで「愛」は、キリスト教的な性愛観のもとで謳われる傾向にある。最近の流行歌でもOfficial髭男dismの『Pretender』の歌詞などがそれだが、常に変わらないといってもいいくらいその種の愛がJPOPの代表的主題の一つである。
藤原聡「愛を伝えられたらいいな」「いたって純な心で叶った恋を抱きしめて好きだとか無責任に言えたらいいな」『Pretender』
つまり、この種の日本人大衆も、ガウタマを見返すと、欧米人らと同じく迷いの中にある衆生というほかない。
 我々は解脱を規範とし直せば、少なくとも倫理学的に、その種の愛執からくる諸々の苦を免れ得るだろう。

若者ほどどの他人の言葉を聴くか択ぶべき

もし他人の心無い風評や悪意ある誹謗に心を乱され易いなら、それはまだ鈍感でない証拠だ。ぼけてしまった人の様、認知機能が低下していると既にその種の野次で一々自己反省することも先ずなくなっている。
 若者は周囲に影響を受け易い。それは彼らの脳が随分可塑的だからだ。若者ほどつきあう相手を厳正に択ぶ必要がある。その相手次第で180度未来が変わってしまう。

(現時点のツイッター上で心無い他人の誹謗に荒らされない対策については『ツイッターは信頼度の高いフォロー外からの通知を切れば基本的に荒らされない』の最下部に書いた方法を参照)

主に日本語で科学論文を書くべし

日本の科学界は、将来的に論文を主に日本語で書いて発表し、英語版は国際的科学雑誌に載せる為の翻訳版と考える慣行を広めるべきだろう。
 これは日本語圏の科学力を底上げするだけでなく、日本語母語話者自身により不利な形で英語圏に日本語圏の科学をすいとられない為の暫定措置だが、将来的には現在の英語のよう日本語を主要な国際学術言語にひきあげていく目的の第一歩になるからだ。

東京ぬれぎぬ衆愚がまた推定無罪守らず無実の人を犠牲にした

槙原敬之氏やっぱり麻薬やってなかった東京マスコミ衆愚が全力で濡れ衣着せ社会的に抹殺するいつもの醜悪で凄惨な地獄の光景無実の犠牲者またひとり

ネット右翼系匿名衆愚と長州閥独裁者の興亡

Ku tooクートゥー運動で目立つ女傑を集団虐待していたいつもの卑怯極まるネトウヨ系匿名衆愚が頼りの独裁者に手の平返され総崩れ

2020年3月4日

最悪政府と極悪公害東電の共謀した人身売買劇

最悪政府と癒着した極悪公害企業東電の拝金東京人がまた原発おしつけた青森人を2億円で買収

衆愚国家滅亡の必然

愚民が共謀罪、秘密法、戦争法、退位法はじめ法倫理体系を完全破壊した極悪二権独裁者を天皇と宮内庁に濡れ衣着せられた鳩山内閣以下と本気で言ってる以上この国が滅び去るのは必然

人の為の音楽

客の命がカネより優先といったYOSHIKIを相変わらずの拝金文脈でディスるホリエモンマイナー音楽家の少数派の客なら死んでもいいのか

集団リンチ

安倍神の嘘を崇める狂信者の群れ
無実の人をネットの匿名で集団リンチ
全員疫病で消えたら随分ましな国になる
天皇の奴隷でのうのうと暮らす極悪人どもが

長州閥の嘘つき

隣国民を嘘つきといっていた日本人右翼共が必死の形相で祭り上げる嘘つき独裁者

サルの惑星

子供の頃から人類がサルにしかみえない
その理由が知りたい

田舎差別大都会人の里帰り

自営業、経営者、株主その他は補償されずノーリスク会社員だけ補償という明らかに憲法14条法の下の平等に反する差別をしながら人気取りのつもりの暗君が働かない分に謎の税金与えてますます景気も経済成長率も労働生産性も悪化させる国社主義独裁の最悪の例な件

ふるさとを捨てていなかを差別していた偽東京人が命惜しさに死病をもって帰り更なる悪業を重ねる醜態

肉魚に米野菜カップラーメンにビールにお茶漬けお菓子まで商品なんでも作ってもらっていた田舎を差別三昧しながら贅沢と虚栄に耽っていた東京横浜商人どもが命からがら死病をばらまきにふるさとへ帰りそれまで一度も省みず散々見捨てて苦労ばかりかけていた老母老父をみすみす感染させる最悪都会ごっこ

どう考えても自称国際的な東京横浜人が国内の主要感染源なのに中国人叩きする馬鹿な似非右翼

普段から観光地を魅力度といいかえ自慢三昧していた北海道や京都が自業自得で死病蔓延し閉鎖される

犯罪目的で群れる悪しき和の連帯

勝手にスクショ撮影して晒し嫌がらせというより名誉毀損罪が常態的目的の匿名衆愚その心底悪しき和の連帯が生き残るべきでないのは全人類のよき未来の為に間違いない真実だ

和の醜態

違法でもなくデマでもなく
単にパニックで紙がなくなると予想したら
極悪衆愚が集団リンチ
鳥取米子の生協理事もそれに加わる
またも悪しき和の醜態
普段から邪悪いざとなっても邪悪なモブ

関西弁の嘘つき

普段から関西弁で下品な言動をまきちらしながらいざとなっても自分達は上品だと嘘をつく

死の大都会

田舎をダサいダサいといってわけなく差別三昧してきた極悪都会人どもが電車内でコロナなら隣の車両へ移れなどエゴイズムの果てに大発狂しながら死病をご自慢のダイトカイ満員電車で無限に感染させあう

でづっぱりの無差別淘汰

今まで散々内向的な人達を引き篭もりといってわけなく集団虐待してきた極悪でづっぱりどもが死病で次々淘汰されていくのは天の采配にして痛快極まる自然界の必然

スカイツリーは醜い

東京スカイツリーのデザイン嫌い一度も美しいと思ったことないから行ってないしいきたくもない

ゆとり世代一般は不勉強なだけでなく日本文明への邪心で最悪政治の独裁者安倍晋三首相を支持している

今はまだ序の口で、ゆとり世代が壮年期になる今後10~30年で、日本が本格的に途上国落ちするのは確定といってもいいだろう。その世代の大勢と接しているなら実感として、総じて上の世代より遥かに暗愚な集団だとわかるはずだ。単に暗愚なだけでなく、ごく利己的拝金的で、公益公徳を無視している。

 衆愚といっていいゆとり世代が、安倍晋三独裁者を支持するのは偶然の一致ではない。同程度の公徳理解度だから馬が合うだけだ。
 安倍氏は諸々の証からダークトライアドといって間違いないだろうが、それは彼の性格が病的なほど悪徳や悪意に満ちていると意味する。がゆとり世代もそれほど邪悪なのだ。
 若者だから弱者なのでは全然ない。若いから善良では土台ありえない。実際に、ゆとり世代は最悪政治の独裁者を全力で応援するほど悪意、悪徳まみれなのであり、それは単なる無知というより日本文明への本格的な敵意、害意によっている。だからこそ国が没落する方へ、愛国を偽装し自ら力を加えるのだ。

 われわれにできるのは、この世代的悪意と戦うことでしかない。彼らは不勉強の底が抜けているだけではなく、全体として国政を漫画的に低次元化する目的で生きているのだから、少しも妥協すべきではない。
 調度団塊の世代がそうだったよう、ゆとり世代一般のもたらす悪疫は制度的に解決するしかない。

想像力の意義

卑しい人や愚かな人と全く同じ意識をもてれば、それはその人も卑しく、愚かな証拠に他ならない。推測を働かせ自分と違う人々の状態を想像する能力に応じて、人は多くの人々の意識を仮に思いやれるだけだ。
 卑しい人や愚かな人が下衆の勘繰りをしがちなのは、彼らは尊さ賢さに想像もつかないからだ。

人類絶滅は神による復讐

お前達人間が今日全滅しようが
俺は何も悲しくない
何せお前らは普段から俺を
あらゆる悪意で誹謗してきた
それから一円も寄こさず
ひたすら俺の仕事を盗んでいた
あらゆる悪意で罵倒しながら
ではお前達が絶滅するとて
神による復讐だといえような
普段の行いが悪すぎるお前達人間
同情の余地は皆無

物分りの悪い人

サルの様に卑賤な人は、聖言を唾棄し、耳障りのよい甘言、さもなければ愚にもつかない戯言を賛美している。結果、実際にサルの如き目も当てられない末路を経る。彼らは正否も是非も分からないし、そもそもわかるつもりもない。

悪徳の芽

怠惰な人間が行き着くところまでいくと、周りの人間に迷惑をまきちらして恥じなくなる。小人閑居して不善を為す、とは怠惰と不徳が重なった時に公害をもたらすといいかえられる。

 みずからの悪徳は小さな芽の内にすべて摘みきらないと、次第に手のつけられない繁茂の果て、当人が自滅を制御できなくなるたぐいのものだ。既に大きくなった悪徳ははじめに比べ、遥かに多大な労力をかけないと納められなくなる。
 悪徳はわずかな物にすぎない時点で、徹底し全滅しなければならない。

 他人に評価されていることを続けている人は、みずからの動機に基づいていない点で危険である。その他人は、往々にして自分のことなど少しも考えて評価していないからだ。ある他人にとって都合のいい自らの行いが自分にとっても必ずそうであるとはいいがたい。それで不愉快な職業に誘導されてしまう。

 卑しい人は他人の忠言に馬耳東風だ。それはおよそ彼らに道徳的理解力が欠如しているからだが、豚に真珠というよう十も百も千も聞いても彼らは一も学ばない。
 全人類経験の集積である歴史からはいうまでもなく、みずからの経験によってすら学ばない者は、一言でいえば反省する見込みがないのである。

嘘つきを議員にしてはいけない

詭弁屋やサイコパス含む虚言癖の人物と議院内閣制は最悪の組み合わせだ。そこで議会は空転するし、何事も為しえない。

尊卑の命脈

衆愚や愚か者に尊い教えを説く者はなにも理解されないだけでなく、確実に恨まれ破滅する。

 この世で衆愚からの害を避けるには比較的な対策しか為しえない。より愚か者の少ない国、地域を択んで住まい、彼らとの接点を断つしかない。例えばドアを一歩出れば雑多な都会で衆愚を避けることはできない。
 できる工夫が比較的、相対的な対策だけなので、それで十分と考えなければならない。

 卑しい人はみてくれや風評、俗説に騙され、尊いものを卑しめ、卑しいものを礼賛している。これゆえ俗悪なくらしをし、果てなき虚栄に耽っている。
 尊い人は真贋を見抜き他者の謬説に唆されない。これゆえ質素に徹している様にみえるが、価値のないものにかかづらわないだけである。

 卑しい人に恩を売っても確実に仇で返される。
 尊い人は恩義を返す為に一命を捨てさえする。

2020年3月3日

磐城の女傑

死刑を執行しジャック・マーに感謝する磐女バンジョの森まさこ議員恐るべし

向上と堕落

人は尊い人と接する機会に応じて向上する。卑しい人と接する機会に応じて堕落する。

俗受け稼業

金儲けの為に嘘ついて生きてるごみども
今日も視聴回数稼ぎで馬鹿に媚を売る

正論は風刺より尊い

(茂木健一郎氏によるウーマンラッシュアワー村本大輔氏への引用リツイート
正論権太です。村本さんね、あなたのスタンダップもいいけれども、保守本流の正論を学ぶともっといいね! 今度一緒にテスラに乗って話し合いましょう。あんたがアメリカに頭脳流出してしまう前にね!(笑)
午前10:58 · 2020年3月3日
への返信集)

保守と正論に特に関係ないと思うが、明らかなサイコパスが首相やコメンテーターでぼろ儲け大人気とかいう東京圏の媒体世相からいって、大衆、特に判断力ない子供は正論が何かさえ認知できなくなっている。
 イギリス的捻くれ喜劇が成立するのは強固な中世封建感覚が残っている社会で、に過ぎない。
 もっというと、現代日本に於けるイギリスかぶれ出羽の守代表論客といえるだろう茂木氏が、イギリス風の「封建常識に対するずれ」を皮肉に演じる喜劇を直輸入しても、日本側は明治・敗戦通じ、中世流儀の社会常識はおよそ破壊済みで同じ文脈が根づかない。
 石原慎太郎とかも常識ぶっ壊し威張ってた。
 村上春樹大先生も一時期、正論原理主義とかいかにもアホ臭い用語を捏造しあいかわらず斜に構えてましたが(笑)、寧ろ「正義」をぶっ壊しすぎてて少なくとも東京圏だったらそんなの基本、誰も認知できなくなってるでしょ。孔子的な正論よりサイコな邪論曲論がテレビ的にも完全に常識化している。
 茂木氏は凡そ石原や春樹の後から東京文化人界に出てきて、またも正論破壊活動というか正論を皮肉る活動をされてらっしゃる。

 僕はそういう南関東人らみてて、孔子が乱れた国を救うには先ず「名を正す」といったのに立ち返って、呆れてますがね。
 論どころか言葉の定義から正すといったんですよ。

「普段が全て」というのが僕の哲学なので、自分はそういう関東南部の有様は反面教師だと思っている。少なくとも常に正論、正義をきちんと確立していないと急場になったら普段の乱れが拡大して、電車で「コロナなら隣の車両移れ!」とかエゴイズムそのものの言動とる都民も注意できなくなるわけでしょ。
 先ず公認されている正論、正義があって、その理想と現実の乖離を皮肉に演じる、とかなら分かる。
 例えばだいぶ前も返信で書きましたが、水戸黄門が犬なべ食って綱吉の生類憐みの令を皮肉ったとかです。
 が今はテレビでミヤネの隣でロンダ社会学者(笑)がサイコ発言でニヤニヤする時代なんですよ。
 世の中一般が邪心や歪曲で満ちているから、報道も世論も「正義」を小馬鹿にする一方で、善人や善意がひたすら貶められる。戦後の石原や春樹みたいな通俗作家もそういうのを煽っていたんだから根っから悪かったのは論を待たないが、茂木氏までそういうポジションから世間を誤導するのはどうなのか?

 僕にとって正論権太がつまらんのは、「保守=正論」という定義そのものが先ず邪だし、それを茂木氏本体が皮肉るつもりなのもより一層邪である。
 保守主義者っていわば哀れな人達で、凡そ一般知能が低いせいで伝統が継続するとの不可能な信仰もってるだけです。哀れな人なのに強者みたく皮肉られる。
 例えば自民党員なんて全般的に馬鹿ですよ。それは寛容な部外者からみたら一目瞭然。が、現実には日本なら若者ほど保守化してるんだから正論権太がゆとりの若者とかならまだわかる。そういう人が安倍悪政礼賛してて、茂木さんが「あらら」みたいな態度とかならね。
 頭固くなったご老人を揶揄は酷い。
 僕の地元、県のゆるきゃらが黄門様ですから、昔から敬老精神がある。助さんも格さんもモデルは実在したサムライで、高徳な義公こと徳川光圀に進んで仕え手となり足となって彼の学問事業を助けていたのです。
 それに比べ正論権太はテスラ乗ってる時点でインチキだし、最低スバルとか乗るべきでしょ。
 不徳な老人を揶揄するってのは茂木氏的には権力闘争のつもりなんでしょうが、僕から見ると哀れでしかない。笑えない。茂木氏だって現役30代の僕からみたら思考のかなりの部分で大分ぼけはじまってますからね。ツイッターでインスタ映え的な朝ごはんになりますネタとか。
 暗愚な老人も思いやるべき。

 まとめると、
1.常識が正でない集団でイギリス風の皮肉はそのまま使えない
2.アホ老人を皮肉るのは可哀想なだけで面白くない
3.公的常識となる正義正論がぶっ壊れたのは不良ぶって斜に構えてたりサイコパス出世させてたろくでもない東京マスコミ文化のせいが大きい

 SNSインフルエンサーてのも3.の拝金サイコが多いし、これまた東京圏を中心にして、ますます邪論曲論をまきちらしている。だってPV視聴回数稼ぎできりゃグーグルだのアフィリエイト経由で金が儲かるんだから構造的に、都内マスコミと同じすね。
 正論皮肉るのはよくない。素直な子供の心も歪める。

愚か者は反省しない

愚かな人達は悪因を重ねている間は先ず反省しない。忠告や説教は凡そ全て無視されるだけでなく、逆上してきさえする。現実に悪果がやってきても、悪因があったことに気づかない。
 善悪の判断を普段から行えない人々は、自滅への道を進んで辿っている様にみえるが、それは彼らに反省力がない為だ。

福島は五輪どころじゃない

福島は五輪どころじゃない福島は五輪どころじゃない福島は五輪どころじゃない福島は五輪どころじゃない

公害東京都知事小池百合子は東海第二原発の再稼動を都内企業の日本原電に手続きさせ原発ゼロの公約違反してるんだから今すぐ辞めろ

遺伝としての輪廻

人の子はその親の遺伝で育つ。この点で、輪廻は正しかった。人は両親を合わせた特徴を持って生まれてくるからだ。
 卑しい者が子供を殖やしていても、その子の一生は親の遺伝を超えられない。生まれのよしあしは親の業である。

ヒトに弁解の余地なし

お前ら人類は普段からうそばかりつき
よいものをわるいといい
うつくしいものをみにくいといい
すばらしいものをなにもないといい
とかく死んだらいいほど陰険で邪悪で
聖人君子とみれば全力で侮辱しまくり
暗愚な極悪衆愚と群れ悪意で悪業を重ね
挙句の果て無反省にもサルの如く殖える
情状酌量はない

愚民脳

最悪の者を消去法で択ぶ愚民の脳はちっとも分からない

売国一門

米犬の岸の亡霊追い駆けて米軍属国軍へ改憲

梅の木の救済

伐れ伐れという老母を諫めわれが生かした梅の木がとても見事に咲いている

コロナウィルスは老人大量死で巨視経済を改善する可能性があるが、意図してそれを放置誘導するのは人権的に望ましくないので、高齢者の貯金を出産可能人口に回す金融政策の方が現実的

僕以外の誰も書いてないしカネや地位が第一で勇気がないから書けないと思うが、コロナウィルスって巨視的には日本経済の救世主みたいなもんで、今後社会福祉に重い負担をかけるのは明らかな老人を集中的に殺していくが若者ほどかかりにくいという、超高齢化強制解決キットみたいなもんでは?
 安倍官邸は単に無能なだけでそれ(コロナウィルスは強制姥捨て装置なある種の巨視的利点)を理解してるとは余り思えぬが、暗に気づいている人はいて、例えば以前文學界対談で落合陽一と古市憲寿が官僚がいってたとかほざきつつ後期高齢者ドケチ殺処分計画みたいのをリテラにつっこまれたのの再来かと。
 人権思想とか孝行論とか、敬老精神からみれば、煩いだけでカネを貪って貯め込む一方の、巨視経済から見ると邪魔でしかないジジババが総じてばたばた死ぬ、至極便利な疫病といったら発狂されるんだろうが、実際問題、政府が倫理的になしえなかった楢山節考政策を現実にやってのけている。
 つまり、日本政府がサイコパス政策執るなら、現に官邸が偶然無能で安倍首相もサイコだったせいで不如意に執っているわけだが、そして既往の言説からも落合氏や古市氏が組織の指導役に関わったら上記対談的な何かやるかもしれず娼婦講義など現に国税でしたが(義憤)、コロナウィルスは善玉ともいえる。

 問題を整理しよう。
1.コロナウィルスでの老人大量死は超高齢化下の低成長に悩む日本経済の特効薬ともいえる
2.だが憲法に定める人権など顧慮すると政府は老人の命も救済する必要がある
3.安倍官邸が無能サイコだったせいで不作為に老人大量死がいざなわれている

 では、この疫病は善か悪か。
 経済成長率なんて低かろうが、老人保護が第一だ、というのが人権論者であり人文主義者のとる基本的立場であろう。
 が、大きくみると老人が貯金ためこんで使わないせいで、生まれるべき子供がうまれない。出産可能な人口にカネが回らないせいで、都会の下衆がパパ活とか法の抜け道性売買罪とかやる。
 一部には、貧乏老人・貧乏中年というのもいれば、金持ちの若者もいるが、総じてその老害は「君子三戒」を守っていない貪りの点では身売り若害と同じく論外である(日本では60歳以上が資産全体の63%、50歳以上が84%をもつ。2014年4月15日モーサテ。

若者自殺率も極端に高い
 即ち世代間資産格差が日本の経済停滞の一つの原因なのは確かだ。企業の金融資産も伸びているにせよ不景気の主な原因の一つが超高齢化なのは間違いない。

(画像引用元は上記文のリンク先)
 老人が貯金して使わないせいで景気が悪化、現に子育てに必要な金が出産人口に来ない。
 人権無視した巨視経済でいえば、コロナウィルスをもっと蔓延させ、カネをためこんでいる老人たちを一網打尽にあの世送りにしてしまえば、全体として景気が回復するだけでなく、出産可能人口に吐き出されたカネが回ってきて経済成長率が上向くかもしれない。勿論これは複雑系の議論で、唯の可能性だが。
 ではなぜコロナウィルスが悪玉扱いなのか。これは極めて単純な人道主義の立場からみてのことである。人を殺す、苦しめるからよくない。医療現場からも仕事がふえて困るが収益はあがる。この意味で、日本国内のコロナウィルス大量死を巡っては人道主義と巨視経済が一部、矛盾しているのが確かであろう。
 もともと経済は経世済民(世を経て民をすくう)の頭字語をギリシア語oikonomos(家政)から派生した英語economyの訳語に当てた言葉で、明治期に作られた和製漢語の一つだ。つまり語源的に人民救済と家政を兼ねた意味をもっている。特に前者について、老人大量殺処分より、別の方途がよりふさわしいだろう。
 ダークトライアド安倍官邸的な無策によるコロナウィルス蔓延での老人大量死によらずとも、高齢者の寡占している貯金を或る仕方で主に壮年など必要な人々へ借り上げさせ、市中流通させる方途が、本来の「経済」でなければならない。この方法の一部は既に『中政府論』で論じた。
 詳述は上記拙論に譲るが例えば
・金融機関投資促進法(全額預金保護制度含む)の立法
・基礎年金保障・GPIFボーナス制の立法
などがそれにあたる。
 さらに、具体的に金融機関へ高齢者の貯金分にマイナス金利を与え、壮年以下の出産可能年齢に無利子又は有利にかしつける立法措置が有効かもしれない。
 要するに、疫病蔓延の放置などで事実上の殺処分措置をとらずとも、高齢者の過度な貯蓄性向を経済と齟齬しないよう法的に漸次解決していくのが、人権を考慮した現実政策といえるだろう。

髭剃りの快

ひげそると気持ちいい大抵の女どもや弥生系帰化人の血が濃い男には分からんだろ

かい性

僕なんて親や周囲に反対されようが自己犠牲と慈悲の一心で自殺未遂してた精神障害一級メンヘラ元少女いま成人女性の世話をもう7、8年はネット越しにつきっきりで励まして毎日してきてるのにゆたぼんは小学生だから仕方ねぇのかもしれんが高々親に反対されたくらいで一瞬で死にたい少女を見限ってて草

2020年3月2日

コロナウィルス系の喧嘩

東京人が江戸っ子の本性現して山手線でクダラネーコロナ難癖系の喧嘩してて草

お茶漬けの素やカップヌードルやアサヒ・キリンビール三ツ矢サイダーのみならずなんと驚くべきことにうまい棒まで作って供給してくれてる茨城をなんにもないとか最下位とか普段謎の確証バイアスで差別しまくってくるばちあたりの都民どもがまたもコロナ騒ぎで隣の車両移れとかその車両感染していいの草

企業の公的責任

企業の社会的責任を立派に果たすアリババグループとジャック・マー

類友の偉い自治体

つくばと水戸は普段から偉いからいざとなったらもっと偉い行動を自然にとるね

筑波は先ず平均学力が高いので市長も常識的な休校判断が模範解答レベルだし教授は短期間で実用的な実験結果まとめ国全体救いかねない勢いだし科学力が普通に高い

水戸は義公以来の農本精神で給食ロスに即対応と徳行が偉い

ツイッター含め日本のネットは普段から匿名で悪口いってるやつらばっかで荒れ果てているけれども僕のしるかぎり水戸もつくばも普段から偉い人が多いせいで衆愚にとって逆に目立たない

優等生は優等生で集まってるもんだ類は友を呼ぶ

日本全体はもはやあの暗君を崇め奉ってる衆愚政治だから捨てた物かもしれないけど一部の自治体は義行や賢慮の証が普段でも急場でも明らかに出ているから普通に救えるというか見上げたもんだろう

全体がダメでも一部の優等生は世界に誇る程度なのが日本の現状自治体でも同じ

全体民度の底上げが課題

そういやテレワークを最初に子供いる社員に命じたのも日立だったし茨城県は日立も水戸もつくばも普通に偉かった僕の見る目は間違っていなかった

豚に真珠、猫にまたたび

愚かな人は、丁寧に説明してあげると逆上してくるだろう。
 接客業などで、そういう人にどうしても説明しなければならないのでなければ、できたら放置し二度と関わらずにいた方がましである。
孔子「中人以上にしか上等な事は語るべきでない」(『論語』)
 彼らに必要なのは彼らにわかる方便だ。

この世で害他行動を減らすには悪人を社会障害者などと定義し、社会の側が彼らからの被害を防ぐ合理的対策を工夫し続けるしかない

『今日の啓蒙は普遍的利他性たる善の理解度を深めつつ広めること』の続きだが、生まれつき愚かな人、特に道徳的認知力が弱い人にいくら善を説いても限界があると自分は思う。
 これについて真剣に自分が悟ったのは、複数のサイコパスを身近に観察する機会があったせいだ。
 サイコパス度が高い人は、普通に良心を認知できない。ちょうど彼らの盲点の様になっているらしい。それである人は善悪が無にみえているらしく、損得しか認知できないらしかった。その人は、小説、物語とか劇中でもそういう見方しかできてないはずだから、定型発達と感知する人間性の有様が違うわけだ。
 つまり、共同体の平均公徳は、かなりの程度、成員の生まれにもよっている。生まれつき道徳認知の潜在能力が高い遺伝がもしあれば(孔子が「生まれながらこれを知る者が上なり」というよう、あるだろう)、倫理学識について若くして悟る。
 だから後天的啓蒙は無いよりましだが民度の全てではない。

 自分のみるかぎり、東京圏ではサイコパスが高い地位を占めていることもかなりある。というか目立つ。それは彼らの文化が大勢において拝金主義、学閥差別、又は俗物根性などを含んでいて、カネ儲けや箔づけの下駄や人気とりが先立ち、人格的良識などは極めて後回しにされているせいである。
 しかし、そういう東京圏の平均民度が高いかといえば、犯罪率・数などからも当然だが、少なくとも東日本で一番低いといってもいいだろう。ダニクル効果で都民らが中華思想に驕り高ぶっているのもその一傍証にほかならない。
 一方で、善を他の要素より重視する文化は、実は目的の文化である。

 善、良さ、もしくは道徳性は、人が他の人を目的にする人格主義を一典型として、人間界で最も公益度の高い性格特性だといっていい。そしてその種の相互に利他的な集団が、唯一この世で生きるに値する仲間といってよい。
 人は結婚相手の素朴な選択でも一般により良い性格を性選択するのが事実である。
 結局、おもに性選択を通じてしか生まれは変えられないのだが、結婚生活を代表例として、長期的人づきあいを想定すると否応なく性格の良い相手が択ばれがちになる。
 それに加え、ミーム競争の面でも最低限度規範たる法秩序を超え、善い趣味と悪趣味がある。善趣味は審美判断一般の良識性を意味する。
 人は、芸術(広義で言語活動を含む人工物全て)を通じ、良識を高める方へ誘導される。キッチュやキャンプ、グロテスクなど美学的な例外はあるにしても、悪趣味は醜悪ともいうよう、一般に審美的に劣るものだからだ。
 こうして目的の文化とは善を最重視するそれだ。この世に望める上限がそこにある。

 ここでいいたいのは、生まれながら良心の認知力が多少あれ欠如しているサイコパスがいる様、愚かさの一種たる悪徳をもつ悪人は、本質的に目的の文化にとって反面教師または社会的障害に過ぎないのではないかとの考えだ。
 その種の生得障害はしばしば矯正困難ゆえ、終身刑が正当化されるのだろう。
 だがもし悪事(害他行動)の一部が生得障害であれば、今日の刑法は彼らの人権を程あれ抑圧しているといってもいい。特に死刑は生得障害を無視し、生まれてきただけで結果的に殺される家畜的状態に一部の刑務者を置いている。将来的に生得・後天的社会障害に応じた矯正計画が終身刑に代わるべきだろう。

 そして社会一般の民度という意味でも、害他性は一種の社会障害なのだから、生まれか育ちかそのいづれもかによる或る人の公害(迷惑さ)は、なんらかの防止措置が必要である。愚か者は説教を聞かないし理解もできない。つまり啓蒙で十分防止できなければ、悪人へは合法的な制裁が必要なのである。
 今日の日本文化全般では、その種の社会障害者への防止もしくは制裁が「道徳警察」(いわば和)による公然たる言論リンチなど実に野卑な形で行われている。本来かれら社会障害者が善意か悪意かその濃度に関わらず、適応に障害をもっているのは明らかなので、あるべきなのは科学的で温和な解決である。
 例えばネットの常態的荒らしは、全体の5.6%ほどと割合は少ないが(Erin E.Buckelsらの"Trolls just want to have fun"(2.2.2.))、サイコパス度が高く、サディズム傾向など複数の性格特性が障害になっている(Naomi Crakerらの"The dark side of Facebook®")。彼らを黙殺できるしくみが対策になる。

 究極のところ、目的の文化を啓蒙を超え発展させるには、こうして科学など複数の知見を用い、社会障害者と呼ぶべき悪徳をもった(又は生まれつき或る良識をもちがたい)人々への理解度を深めつつ、その障害を被害を受けると想定される側が取り除く工夫を、粘り強くつくりあげていくしかないのだろう。

外道媒体

外道をもちあげている媒体は、単に外道なのだ。

今日の啓蒙は普遍的利他性たる善の理解度を深めつつ広めること

『多数派の公徳を啓蒙するのが国政維新の第一歩』でそう書いたが、巨視的な理論では多分そうなんだろうけど、そして天皇絶対主義一党優位国民奴隷国みたいな特権階級なくし共和政にきりかえるしかないんだろうが、現実には啓蒙って無理な気がするし僕は苦手だ。
 これは私的な脳哲学にも関わるが、自分の現時点までの認識では、他人の脳って基本的には変えられない様に感じる。

 脳科学者茂木健一郎氏は「脳はどうとでも変わる」といっていたことがある。が少なくとも僕は性格が大幅に変わった人さえ経験上みたことがない。皆子供のまま大人になった様にみえる。
 確かに事故って脳の一部が欠損したらそこに関連し性格が大きく変わったとかあるみたいだし、そもそも環境適応によって遺伝要素を除く性格に変化があるのも、心理学の知見を援用しなくとも当然ありうると思う。
 自分がここでいう変わらなさは、これらと違う。経験的に、他人の知能は余り変わらない。

 どう人の知能が変わらないかというと「基本的に」変わらない。だから例外や継時変化もあり、時には大幅に変わるだろう。IQも5~7割が遺伝とか科学者はいう(例えば安藤寿康『遺伝子の不都合な真実』)。
 ほぼ似た環境で生まれ育っても、小学生時点で大きく知能は違っていた。性格も基礎学力も。
 つまり、最も小さく見積もってIQの5割が遺伝とし、うつ遺伝子とかセロトニントランスポーター数などもっと性格や行動傾向に直接影響及ぼす要素の遺伝率もいれると、決して生まれを無視できないだろう。
 この意味で、啓蒙の前提には、相手を生後変えうる範囲や能率に一定の限界があるといいたい。

 より具体的にいうと、例えば僕は誰に教わったでもないのだが(というか勉強しなさいといわれたことが素で生まれて1度もない)、勝手に本を読みまくりはじめ、勉強が趣味になって毎日やりまくって面白くてしょうがなく今に至る。全知めざした志も関係あるかもしれないが、これも自然にそうなったのだ。
 が。自分が接した人達の中には、本を一度も読んだことがないという人がいた。一応短大でているのだけど、多分小学校からエスカレーターの人。その人からすると、勉強というか学習が、自分と全く違う物として捉えられており、基本的にその人は知的障害ではないんだろうけど国語がまともに読めない。
 しかしその人も、環境的に本がなかったとかでは全然ないのだから(その人の父の書斎みたが相当立派なのだった。僕がその家の子だったら物色して読みまくるだろうが)、単に自然にそうなったと捉えるべきだろう。
 即ち、人は生まれつきなんらかの脳が、相当程度違うのだという風に私は感じている。
 生後変えられる範囲といっても、例えばその2者、勉強大好き人間と、本を読むのすら大変苦痛な人間とがいて、このふたりのうち後者を啓蒙するったって、大抵どう転んでも後者が『カラマーゾフの兄弟』やジョイス文体を超えた前衛大長編文学に興味なんて持たないだろう事はおよそ、一生間違いない。

 では啓蒙とは何か。
 暗黒啓蒙とかいう中二ワードが一時期、加速主義に次いでネット意識高い系論壇(そんなのあるんですね、僕は覗いていたが。しかし私は陰湿なイケズはてな民とか大嫌いですからね)の一部に流行っていました。一言でいうと無意味な言葉なんだが、現代の啓蒙は無理って意味だろう。
 その文脈に対する脱構築的文脈で、いやもっというと、ソーカル事件的なフランスなりドイツなど西洋大陸風の観念論哲学なエセ抽象の傾向からいって、啓蒙って実際問題、ある方向への教えなわけだけど、その方向が正しい保障なんてないわけだ。だから啓蒙なんて本当は洗脳と紙一重というか実質同じだ。
 さらに踏み込むと、科学主義者らにとってほぼ信仰になっている(遡ればオーギュスト・コント流儀の)実証科学さえ仮説の信憑性についての議論にすぎず曖昧なものなので、科学教育も本来は洗脳でしかない。科学教育全体が洗脳の体系なので、宗教である。だから科学教という批判がなりたち啓蒙も不可と。
 勿論科学主義者、科学信者(いわゆる科学者や、今の自然・社会の両科学中心の教育体制でいう学生)にとって、その洗脳を逃れて思考するのは著しく困難だからそれが彼らの脳性能の限界といってもいいんだが、僕もだけど最初からそんなのインチキじゃんと気づいている側は制度を無視して勉強している。
 つまり啓蒙とは、科学を根拠主義(同一・矛盾・排中律など論理学を基礎とする広義の論証主義に入るといってもいいだろう)だの、実証主義だのに基づいて他人にしつけることでは全然ありえないわけだ。潮流論だけの話ではなく、そもそもが科学的信憑性がどこまでも疑わしいのだから、永遠に真理でない。

 ではそれらの全科学(全知識)を含む、哲学の領域はどうかなら、もっと曖昧模糊としており、言語の無差別格闘技が無限に続くだけで俗物馬乗りゲームやってるだけの雑魚が博士と名乗って思想史語って威張っている。だからたちが悪いとはいえるのだが、道徳家いないと世の中なりたたないので本物もいる。
 要は全学術の総合名義といってもよい哲学領域までくると、最早啓蒙なんて主義の分類にすぎず、いわゆる啓蒙主義という部分。まあ今風に簡単にいえば理系かじった意識高い系中世フランス人みたいなレベルの張り切り集合だ。説明のため若干矮小化してはいるが、人権広めた人達の敬称でもある。

 その啓蒙が今日役立つかといえば、全然無理なわけだ。だから暗黒啓蒙とかいう魔法の言葉が一瞬流行った。原英文ブログ全部読んだけど決してうまい概念説明のしかたはされてない。ここの僕のがうまいだろう。
「啓蒙は科学主義みたいなもんでおしつけじゃん? なら、何を啓蒙するっていうの?」

 こういうわけで、冒頭の清談のよう公徳の質を上げようといっても、それが特定論者による恣意的方向への誘導なら、所詮、科学レベルの宗教でしかない。どんな道徳も相対化できようし(相対主義)、その基礎となる科学さえ教えられないなら一体、公徳の高さをどう定義するかが真実、問題になるだろう。
 まだ定義が揺れているので将来的に適切な用語法ではないかもしれないが、斯くして暗黒啓蒙的な状況があるので、そこで公徳全体をどの向きに導こうが、単なる思想権力者の政治にすぎないのかもしれない。
 だが客観的には、松陰侵略主義が天心平和主義より劣る、といった厳然とした公徳の格差がある。(吉田松陰の侵略主義と、岡倉天心(覚三)の平和主義の略)

 自分がここでいいたいのは、特にこの公徳の質なるものが短期でも長期でも正義の規矩になるので、常に最大多数の最高幸福と合致するよう功利的に考えなおすべきということだ。もし快楽計算の一律性に反論を想定し功利主義概念を使わず説けば、より普遍的な利他性の高い道徳が、そうでないものより尊い。
 すなわち科学をどれだけ引用するかに関わらず、公徳とはより利他性の高い考え方になる。
 上述のようその定義は根拠や実証など科学的手法で説得力をもたせられるかもしれないが、効果としては現実的な宗教の一種で、究極で十分できない。だから今日の啓蒙は飽くまで対機的に善の蘊奥を説くしかない。

 では本質的な(対機説法の様に方便的ではない)啓蒙がありうるか?
 善の理解には当時の知識や学術的手法の範囲でしか漸近できないので、現世的な限界があるにしても、抽象的には一定である。つまり利他性一般または絶対的な利他性だ。哲学用語なら当為。哲学者にとっても、本質の理解は程度なのだ。

多数派の公徳を啓蒙するのが国政維新の第一歩

全国一斉休校は無理があり、科学的に適切な証拠に基づかず、北海道知事の極端な施策をまねた憶測の迎合行政だったのが、少なくとも倉橋節也氏のAI模擬で論証された。
 学級閉鎖単体による効果は限られ、家庭で感染が広がる可能性もある。寧ろテレワークその他含む総合対策が劇的に有効なのが現見解。
 が世論の動き全体を見れるだけみていた感じ、休校をめぐる五十嵐つくば市長の「現実的な最適解」に肯定評価をしていた人達は、つくば市民の相当数をふくめ、どちらかといえば現実感や認識力がある人達だったと思う。
 逆に全か無か、極論しかとれない低IQ風の人達は、最善策を無根拠に否定していた。
 しかも、該当記事のヤフコメ民らの言動を全てみたのだが、多数派は後者(極論専一)の態度で「お上(官邸)へ妄従しろ」と、全体一律化を強要していた。
 彼らの理屈(でもないんだが。つくば市の特別対応への嫉妬含む感情的な弾圧か、精神論)では、足並み揃え全員が同じ行動とるのが義務だと。

 安倍官邸のいつもの無理な迎合パフォーマンスで、国民的混乱が広がっていたその頃(2020年3月1日頃)、ツイッター上で起きたのは、#安倍やめろ タグが世界トレンドに登場するほど連打されていたのに、ツイッタージャパンと日本青年会議所が組んだ因果か急に消され、#安倍やめるな タグがおしだされた。
 これもツイッターが、少なくとも日本支社では世論操作を明らかにしている証拠になったと思う。SNSがマスコミに次ぐ第5権力といわれて久しいが、まだ安全とはいえない。営利企業の都合で世論がねじ曲げられた現場を我々は、きのう体験した。
 他のSNSも疑わしいものだ。日本だけの話ではないだろう。

 で、今回自分がわかったのは、なぜ安倍官邸の方が一部首長より無能なのがはっきりしたかなら、多数政治、いわゆる民主主義のしくみに本質的欠陥があるせいだ。
 厳密には無理があるにせよ総じて一般知能を偏差値化すると、高知能な人達は数が少ない。かつ地域別に分かれ、綺麗な正規分布にならない。
 今回見ていた限り、全国首長で最も、つくば市長五十嵐氏が有能だったのは明らかの様に思う。あれだけ短期間の現実解として非の打ち所のない模範解答を出していたので、彼の一般知能が(飽くまで偏差値的にだが)極めて高いだろう事実は凡そ疑いがない。
 しかしつくば市だから、彼が当選したのだ。

(茨城県つくば市は世界的研究拠点で、2017年時の博士号保持者数は7995人、研究者数は20758人。2011年時の日本人博士号取得者7215人。国や企業の研究拠点が多数あり、約300に及ぶ研究機関・企業を擁する。市民の約31人に1人が博士で、外国からの研究者や留学生も多く、外国人登録者数は133カ国7565人。
資料 茨城県「茨城の豆知識」、https://pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/news/mame/index.html
つくば市FactBook2011 https://web.archive.org/web/20120210205828/https://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/dbps_data/_material_/localhost/kou010/factbook1.pdf
総務省統計局 http://stat.go.jp/data/e-census/2009/index.html
ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%B0%E5%B8%82

 つまりこの種の「一般知能の平均が他集団より高い集団」で多数決の場合に、単に偏差値的にだが、他にまさって有能な首長が択ばれうる、というのが今回わかったことである。
 もっと一般化すると、多数決では多数派の知的平均に応じた首長になる。
 これがなぜ安倍首相が連投するかの第一原因である。

 Gordon Hodsonらの"Bright Minds and Dark Attitudes"(2012)でいう一般知能の低さに相関した保守的傾向は、多数派の一般知能の程度に応じて生じる幻想、いわゆる共同幻想と考えられる。
 伝統は過去の風習で、継続する根拠がないので、それに寄託した集団意識は、多少あれ妄想の類にほかならない。
 すなわち、多数政治の根本限界は、その種の共同幻想にある。たとえ子供を抱える博士の五十嵐氏のよう一当事者にとっても最善策といえた最適解を導き出しても、多数派がもっと暗愚なら彼はそもそも首長の座に就けなかったのだし、もし就いていても引きずりおろされてしまう。逆により暗君が地位に就く。
 だから二極化がいきつくのは、衆愚政治だといっていい。
(アリストテレスの用語ならそれが民主政・デモクラティアなのだが。彼は多数派が公益より私利を優先する堕落した多数政体を指し、この民主主義・デモクラシーの語源となる言葉を使っていた。調度、公害な買占めに走る衆愚の姿がそれにあたる)
 裏返せば、国や地域集団の善政の質は、選挙など多数決に基づく多数政体なら、全員の公徳の平均付近に収まる。つまりこれが啓蒙や教育が必要な根拠になるだろう。
 教育面の護送船団方式(義務教育)は、学習進度別の個別指導には遥か劣るだろうが、この点で決して間違った考えではなかった事になる。

 これで「最高徳の首相」が択ばれていないばかりか、明らかに私を含む相当数の国民にとって最悪政治の暗君としかいえないダークトライアドが明治以後で最長期政権の独裁者になってしまう、そのわけは説明された。国民全体の平均公徳が彼程度だからである。
 よって、我々の喫緊課題は次の2つだ。

1.国民全体の平均公徳を急いで引き上げる必要がある(但し、多数政治を続ける場合)
2.専らつくば市のよう一般公徳の高い少数自治体で難を逃れつつ国政維新の機を伺う必要がある(但し、国内で過ごす場合)

 福沢諭吉『文明論之概略』によれば、公的な国政次元では難を先にすべきで1が優先だ。
 1のうち、多数政治なら多数派が堕落していれば首相の質が低くなってしまうが、少数・単独政治なら必ずしもそうでない。例えば自民党寡頭政治が極端になり、自民党以外の議員が事実上当選しなくなれば少数支配といえるが、このとき(現時点では逆だが)自民党員に貴族義務があれば多数派を無視できる。
 また、天皇支配(または将軍支配)が復活し、天皇家か、名目的にその次位にある将軍家(伝統的外交称号は日本国王)が、必ず統治の実権を全部又は一部もっている状態になれば、その単独者の公徳さえ高ければ十分な善政が執れる。
 つまり全体の公徳を引き上げるのが困難なら、このどちらかしかない。

 では現状でどうすべきか。
 例えば河野太郎議員とか麻生太郎議員とかには、特権意識の傲慢さがみられる。河野氏は米国では違憲判定が出たツイッターブロックで意に反する国民に公務情報をみれなくし、憲法で全体奉仕者と定める公務員職権違反をする。麻生氏も皇族閥として庶民への侮蔑的言動が多い。
 これらは今の自民党議員が、貴族義務を欠いている証でしかない。いわゆる上級国民として私利を公益に優先させ、飽くまで全国民に雇われ仕える公僕との意識がないわけだ。
 では天皇家や皇族はどうかだが、こちらも大いに私的な借金返済を血税から賄わせようとするなど似たり寄ったりで堕落している。
 要は自民党員にも皇族にも、高い公徳は期待できない。したがってとりうる選択肢は「全体の公徳を引き上げる」ことだけになる。これは数的なもので、ある人の公徳が極めて高かろうと、多数の人々が堕落していれば無意味。教育だけでなく、SNSやマスコミなど情報環境全体の質が底上げされるべきだ。

 この文を直接読む人は、内容だけに国民全体に比べれば知識人かその部類になるだろうが、公共に関する理解をもてる人が、様々に工夫しながら公徳全体の質をひきあげる大乗的な啓蒙を重ねるしかないだろう。
 サブカルはこの点で馬鹿にできない媒体だ。幼稚向きの形式なので、内容を整える必要がある。

五十嵐立青つくば市長を近未来の茨城県知事に

つくば市長の五十嵐さんは相当有能なのが分かったので将来は是非とも茨城県知事になっていただきたい大井川知事は多選防止条例つくるといってるんだし禅譲で

2020年3月1日

俗物は真贋を知らない

俗物は名声が虚名であっても恥じる気配がない。彼らは虚実の乖離を感じとる能力が寸分もない。彼らは名声を実力の全てだと思っている。つまり、本物を理解していないので実力がなにかを認知できない。

苛斂誅求は衆愚への罰

愚民の国、自治体では悪政が当然の報いなのに、なぜそれに慌てるのか。寧ろより衆愚の頭上から神罰に成り代わって苛政を与え続けねばならない。
 衆愚の絶滅こそ独裁者の功績。

賞賛の質

下らない連中に誉められ、もちあげられていると自分の品位を大幅に下げてしまう。権威を与える側と同質の証になってしまう。

指導者の質

サイコパス、ダークトライアド・テトラドらを高い地位に就けている人達は、普段から良識的な有能者をもつ集団に比べ公益を得られないだけでなく、公害を余儀なくし、危急時には進んで犠牲にされ絶滅させられる。

 愚民はいかに最善の政策(意見その他)にも必ず愚にもつかない難癖をつけダメにしようとするが、王もしくは有能な指導者はそれを省みず進んで最善手を打ち、彼らを最大限救済しなければならない。

復讐劇

お前の死がわたしに何を意味する
虚無の間で大地が崩れ去り
この星が壊れ
やがてあらゆるむくろの内に
唯一の御魂みたまをみつけ
人という人のいない都市の中
お前の死を確かめる時
自分は唯一やり遂げた目的として
復讐を挙げる
全生物が消えてなお
邪悪な星が輪廻の内に
再びお前を生み出せぬ様

無目的な寄生ウィルスの方が心底邪悪なヒトより貴い

なぜ人類、というか日本人一般というかは生き残ろうと必死なのか。どうせ死んだ方がいいほど邪悪で、馬と鹿を取り違えるばかりかそれを自慢し、どこにも救いがない連中なのに。
 自分の知るかぎり生き残る価値が全くない連中が繁殖しているのが人間界で、そんな連中よりウィルスの方が遥かに高徳だ。
 ウィルスは生命体に寄生し、まんまと生き延びているだけでなく、そもそもその邪悪な意図しかもっていない死んだらいい悪徳生命体どもをとりころしているのだから感謝の念しかないといってもいい筈だ。
 一度たりとも人類が君の為に善行してくれたことがあったろうか? 自分はまだ経験していないが。

 特に、この人類というやつの中でも、自分の身近にいた日本人と自称している部類は陰険な悪意しかなく、暗愚さもひたすら甚だしい。なにも同情の余地はない。彼らは普段から悪業に悪業を重ね、卑怯にも匿名で犯罪を繰り返しているのが確かで、善良な人から濡れ衣を着せ集団虐待し死へおいつめていた。
 つまり正真正銘の害獣なのが、この人類、ヒトと呼ばれる生命体であり、その悪辣さは他に比類がない。ウィルスはかれらの天敵状態だが、実に有難い。生物界からみればヒトこそが生息余地を減らしてきた元凶にして、地球史最大の災厄だからだ。もっと最悪なのはヒトは生態適所だけでなく自然も汚染する。
 ヒトの絶えた場所は理想郷といってもいいだろう。福島の浜通りを汚染したやつら人類、分けても悪徳東京商人らは現地にくらしていた無実の人々、あるいは全生物に放射能公害をまきちらし、ほうほうの体で逃げ出したが、結局、その場はかれら心底邪悪なる害獣がいなくなって初めて救われたのである。
 ウィルスとヒト、どちらが貴いかなどこの一件だけでも十分に理解できる。攻撃性の強いウィルスは生物をとりころすかもしれない。だがヒトといえばもっと悪質にも、全生物を単なる我意で虐殺し、苦しめ抜いてきた。時には家畜や愛玩動物として生物改造を施し、無理にいきものを奇形化さえした。

 新型コロナウィルスが自然界の変異なのか生物兵器の流出その他なのかは定かでないが、私はこのウィルスが大量に、邪悪な人類を自然界から淘汰させてくれるなら、随分結構なことだと思う。
 この世に生き残るべき聖なる人類がひとりでもいれば、是非ともみてみたいものだ。私は一人もみたことがない。

最善の生き方

我々は自分より愚かで、悪徳に満ちた人々を救うことはできない。それは『蜘蛛の糸』の有様と同じだ。彼らは何も学ばず、学んだとしても相変わらず暗愚で悪意のままだ。

 彼ら衆愚とのかかわりを断ち、自分より優れた人々に学ぶのが、この世でできる最善の生き方だ。そしてそれで十分に幸を得られる。

 愚か者がなにかが分からないといっていて、彼らへ親切にそれを教えた所で、丁寧に説明すればするほど混乱し、逆上してくるだろう。
 愚か者の相手は愚か者に任せておくがいい。相手の愚かさがわかるのは、その相手と同程度に愚かな人だけだ。

 この世で享受できる幸福の第一条件は、愚かな人達との縁を断つことだ。それなしに永遠に人は、害悪から逃れられない。たとえ人がどんな神でも、愚か者の害は甚だしい。その意味で、無数の愚か者を避けてくらすことがこの世で学ぶべき最初の仕業である。

愚民への天罰安倍最悪政治

愚民の上に安倍やめるな辛き政治あり

独裁者に等しい安倍官邸の無茶に妄従せず教育機関と各首長が各地の実情に即した個別判断で民衆にとって最善の最適解を状況判断で適宜出していくべき

つくば市長「親が大変なら学校にきてくれれば対応します」
衆愚(つくば市民じゃない)「全国一律で休めっていわれてるんだからそのとおりにしろ!」

 どうみても国際学術都市の現実を知らないまぬけな衆愚の頭が悪すぎる。筑波は親が外国勤務や多国籍だったり多いのに一律でとか現実的じゃない。
 しかも「どうせ(みな)自習しない」とかも、あの町知ってたら少なくとも市内の主要校についてはありえない判断だろう。つくば市は子供の将来の夢1位が科学者、学業滞る方に深刻な問題もある。
 親子の判断による自由登校下で教師が責任を持って対応するのも自然な話。
 全体主義で個人がない衆愚。
 本来の意味での自由に伴う責任が理解できない日本人衆愚。
 代わりにその言葉を、自民党や皇族閥による税金収奪下での新自由主義政策(竹中平蔵的な高税率・低福祉)を正当化し、洗脳しあう合言葉としておしつけあっている。

 孔子「民に知らしむべからず、由らしむべし」(『論語』)とは、自分の解釈では「民衆に善政の意図を理解させるのは難しいが、行うのは容易い」との現実感だ。まさに今回のつくば市長・教育長の常識的かつ現実的、研究者志望や国際的で多様な家庭事情の子供が多い市の現場に即した判断がそれにあたる。