2020年3月4日

悪徳の芽

怠惰な人間が行き着くところまでいくと、周りの人間に迷惑をまきちらして恥じなくなる。小人閑居して不善を為す、とは怠惰と不徳が重なった時に公害をもたらすといいかえられる。

 みずからの悪徳は小さな芽の内にすべて摘みきらないと、次第に手のつけられない繁茂の果て、当人が自滅を制御できなくなるたぐいのものだ。既に大きくなった悪徳ははじめに比べ、遥かに多大な労力をかけないと納められなくなる。
 悪徳はわずかな物にすぎない時点で、徹底し全滅しなければならない。

 他人に評価されていることを続けている人は、みずからの動機に基づいていない点で危険である。その他人は、往々にして自分のことなど少しも考えて評価していないからだ。ある他人にとって都合のいい自らの行いが自分にとっても必ずそうであるとはいいがたい。それで不愉快な職業に誘導されてしまう。

 卑しい人は他人の忠言に馬耳東風だ。それはおよそ彼らに道徳的理解力が欠如しているからだが、豚に真珠というよう十も百も千も聞いても彼らは一も学ばない。
 全人類経験の集積である歴史からはいうまでもなく、みずからの経験によってすら学ばない者は、一言でいえば反省する見込みがないのである。