2015年3月31日

ほほ笑み

白梅のわれをみつけてほほ笑みし

退屈

娯楽の不足が、人生において退屈や倦み、憂いの原因であり、鬱の症状はたのしみの不足である。

虐めの巨悪

虐めは、する側が100%悪く、される側は100%善い。なぜならそれは虐めた後で合理化されてしまうから。虐めをする者は完全に犯罪者であり、その規模が大きいほど犯罪性は甚大になる。日本国内閣の安倍晋三や国連、先進国集団が、シリアやISISを集団虐待しているのは、正に歴史的大犯罪である。

2015年3月30日

業は蓄積し、蓄積された悪業には最大の災厄が、蓄積された善業には最大の救済がやってくる。

悪の集団

悪の集団は、たとえどれほど多数派でも必ず自滅する。

2015年3月28日

説教

親しむべきではない者、つまり悪人もしくは下愚に対しては親身に説教しなくてもよい。その者を改善させる必要はないからである。

望み

望むことなどなかったかの様
宇宙が展開していくさなかにいる
まるで自分自身も夢幻
まるで我々自身なかったかの様に

2015年3月27日

平和

われらの平和が訪れる意味も分からないまま
春の梅を咲かせては散らせていく

2015年3月25日

梅の花

君を探してもう幾年にもなるが
何も得られず
梅の花が咲いている

2015年3月24日

商の限度

商売は現世的なものであり、その限度も同時代的な奉仕に限られる。従って商売が究極の善意ではありえない。永遠性のある奉仕ほどその質は高いから。金利という利己性に限って探求された商業は、常に現世的功利性にもどってしまう。分配的な商業に対して調整についての政治も同様である。
 普遍的な芸術やその文芸分野としての学問は、永遠性を伴う。講演や儀式を含む宗教は凡そ演劇の類型として副芸術とみなされる。

利他の限度

最良の利他性の限度は、利己性との中庸性を実践的に満たす場合である。

悟り

哲学は悟りを解説する事しかできず、学ぶというより悟る事である。悟りは直観的にえられ、考える事である。

趣味論

よきものを貶め、あしきものをほめ立てる人々は、その悪趣味の故に程度の高い幸を得る事がない。最上の趣味の人の幸は聖賢の境涯にあり、俗物には理解が及ばない。大衆趣味が立派である事はない。高貴な者は大衆に貶され、大衆はその不幸を合理化する。ところが貴族の幸は常に、大衆の感得する人生における感性的質を超えている。理知的な幸は、常に肉感的なそれを超えている。

醜悪

俗物を見聞きするなかれ。醜悪とは俗物の全て。俗物に幸なし。

2015年3月23日

模様

わが庭の池のみなもも梅の模様

高尚

高尚である事は常に、俗悪である事より幸福である。孤高が神に最も似ている特長である限り、究極の聖は俗に最も反し、いかなる世間、どの様な同時代の塵界からも離れているだろう。大都市を好んで住む者は高尚である為の条件を自ら失っており、従って俗物でしかありえない。市井の隠は程度あれ不可能だから。

善の知能

善悪に浅い者は、真偽を判定できない者、美醜を見分け得ない者、正邪を区別できない者と同様に特定の機能を持った知能が劣っている。衆愚は善悪を見分け得ず、俗物同然に悪業に驕っているがそれ故に自壊的である。動物はいかなる善悪も判定しないのだから、本質的に利己的な動機でしか動かない。互恵的利他行動ですら利己性に過ぎないが、人の理性に関しては利他性の範囲や強度が高い者が人の中に存在し、彼らの善は凡俗より高度な知能の達成である。
 普遍的正義や共通善について認識し得る者は、より優れた正義を認識し得るが衆愚にとってそれは永遠に不可能である。衆愚は善悪を判定し得ないばかりか、相対主義的世界観しか持たず、正義についての共通集合や時代を超えた絶対性を理解できないのである。それは、単なる卑俗な経験に基づいてしか物事を認識せず、歴史や国家、地域、文化の間にある必然的関係性について認識した事がないからである。即ち衆愚は業や、普遍的正義を理解しない。それらについて分かっている者とのみ親しめ。

智愚

俗物に触れる勿れ、俗物と親しむ勿れ。衆愚に関わる勿れ、衆愚の言葉を見聞きする勿れ。人生は、持ち得る限り聖の言動に親しむべし。

2015年3月22日

春風

窓を開け春風わが家に招きたり
春の窓埃転がり喜びし
梅の咲く畑ひたひた春過ごす
桜植え待ち至りたる船出かな
わが孤独すごしすごして幾百の春
梅誇る庭に水戸の儀伝えけり
チンゲン菜菜の花共に縁側を見る
うつくしき町を吹きけり春の海風

2015年3月21日

われらはただ静かに歌っていればいい
まるで世の煩いや干渉から逃れて
自由に
何の憂いもしらないかの様に

孤高

孤高は、衆愚に優れり。

2015年3月20日

善行の質

善行における質とは、相手の中により持続的かつ合倫理的な快をもたらす事であり、それは啓蒙や啓発、説教等の惹起的効果と一致する。
 こうして合倫理性とは善行自体によっては決まらない。倫理は理念自体によっている。

2015年3月19日

宇宙に向けられた全ての花が君を向いて
そのどれもが語っている地球の未来をみて
かなしみやいつくしみの底から町を見下ろし
あなたの心をやつしてきたさしさわりを消して
もし万物が気にしないうちに変わり
あなたの周りを何もかもおしながし
もう気のせいかと思うほど世界はうつろで
あなたの心を痛めつけたとして
もう少し信じてみてほしい
この世には邪悪なものばかりじゃないと
この世にはわれわれと同じ者がいるのだと
憂いやむなしさどんな不条理にさえ
耐えている人がいる
田園を吹いていく海よりの風に
あなたの心にあるわだかまりを消して

2015年3月18日

共通善

普遍的正義や共通善について無知な者は、文化的多元性についても、個人性についても却って無知なのである。

歩み

僕の心は春でみたされ
宇宙に咲き誇る白梅の合間に
池におちたその花びらにそよぐ
幾多の町の表情空の表情がみえる
夜は深まり君がいなくなり
僕らは再び孤独になった
あの町に吹き荒ぶ春一番も
真夜中におちてきた大雨の響きも
すぐに忘れてしまう一瞬の輝き
暗闇に咲いた天の川
夜は深まり都市に灯がともる
僕らはどこまでも孤独であり続けるだろう
まるで初めから予定されていたみたいに
この世の中で歩んでいくのだろう

君がいてくれたお蔭で地上に春が来る様だ

幸福

人は、良心の満足される事が最良の幸福である。

2015年3月16日

君子

あしきものに近づくなかれ。君子あやうきに近寄らずとは、悪者にはかりそめにも親切にしないべしとの意味である。

2015年3月15日

理性

さも低次元な欲求がないかのように生きることは、理性からみて最良の生き方である。

2015年3月14日

時の砂

時は足早にすぎさり私たちの足元の砂を洗い流す

白梅

白梅の庭に咲きたり磯の香に
白梅の庭に咲きちる町の香に

2015年3月13日

葵の花

君が見せるどんな表情も
まるで森の奥の涙の雫みたい
空が丸ごと削げ落とされ
森羅万象が魔法で融けたみたい
宇宙は果てなく僕らを包み
この足元の白砂に歌わせている
君の外にあった世界は
まるでなかったかの様な通り雨
星のどこかしこも満たす春一番
海の果てに見える新しい大陸
あなたが見つけ出した方程式みたく
僕らを包むこの星の空気
あなたにもし会えなかったら知りえなかった
ひたすら天に昇っていく葵の花

2015年3月11日

倫理

倫理的に生きることは人生の目的である。

2015年3月10日

春一番

春一番芝生にバケツ転がりし

2015年3月9日

亡び

戦争をさせたがりたる悪の長州首相の業で日本亡びし

祝い

僕が出会う筈だった人がいないのだから
もう僕の人生はどこまでいっても同じ
幕を閉じた様に何もなく
月明かりのもとでさみしく佇む
何をか探している猫
僕の世界が終わる時まで
探し続けている魔法の様
何かの奇跡が再びあの星を呼び返し
宇宙自体の因果を
我らの目的を探り当てて
僕が望んでいた未来をまざまざと見せ
扉を開けて起こる風に君の一言が甦ります様
磯原に吹く一陣の潮風が我らの幸を
どこからともなく響く潮騒に祝い賜う様

2015年3月6日

梅の花萌え出ずるかも春になりける

2015年3月3日

夜の深く
息を潜め
僕はかなしみを押し殺しながら
ひたすらあなたを待っていた

君のいない間星は動きを止めている

2015年3月1日

勇気さえ隠してわたる橋ひとり
夜の間に梅の咲きたりわが庭に
一人のみ歩みしさみしさ月天心