2015年3月24日

趣味論

よきものを貶め、あしきものをほめ立てる人々は、その悪趣味の故に程度の高い幸を得る事がない。最上の趣味の人の幸は聖賢の境涯にあり、俗物には理解が及ばない。大衆趣味が立派である事はない。高貴な者は大衆に貶され、大衆はその不幸を合理化する。ところが貴族の幸は常に、大衆の感得する人生における感性的質を超えている。理知的な幸は、常に肉感的なそれを超えている。