2015年12月31日

死ぬ直前にやるべきことを今やれ。
 沈黙は金なり、黙っていればばかはばれない。徳を撒くものは名声を刈る、賢者は森羅万象を語るべし。

哲学

哲学は万学を考究するという姿勢にほかならない。

2015年12月30日

人格

人格が人間への最終評価である。学歴と人格は関係がない。

建築論

建築が人を感動させるのは、最終的に精神による。地域や作り手によってそれは異なる。構造や装飾は表現手段である。

2015年12月29日

戦争

戦争は最悪の政治形態である。徳川は平和をつくり、毛利、山口県人、島津、薩長土肥、坂本龍馬、そして天皇家は戦争をつくった。150年間も50年単位で大戦争を作り悪政を執っている薩長藩閥、そして世襲独裁一味、奈良の宗教団体の長、皇族閥は極悪非道である。

科学

科学とは疑う事である。

社会学

貧しさは卑しさと連鎖しやすい。教養教育、道徳的認知、語彙、文化資本といった要素を身に着けづらくなる。

幾筋にもつらなった今が
流星群の様に僕の目の前をすぎた
耳を塞ぐほど悲惨な事件も
まるでどれもが一幕の劇だ
僕は君を呼んでいた
遠くつらなる雲のむこうに
飛んでいく鳥
夢は覚めないまま
新しい宇宙を作りつづけるだろう
僕は君を探している
果てなくつづくこの現実のうちに
夜が明けないままで
飛んでいく鳥
まるですべてが一幕の劇だった

2015年12月28日

書道論

字体を改良するのが書道であり、習字とは字体論である。独創的な現代字体をうみだすのが書道の美術的意義である。
 楷書あるいは永字八法は筆向けの古典的字体であり、現代のボールペン字の為のものではない。現代字体の規範はむしろゴシック体に近づけられねばならないだろう。
 書道は意味を伝える事が第一義であり、色彩で視覚的情景を美化する絵ではない。この為、文字の形格好より、記号化した象形文字以後の単位図形が単純で、かつ、誤解がないほどにそれは望ましい字体となる。

2015年12月27日

幸福論

自他に徳を最大化する事を利他性という。幸福とは最高利他性である。

資本主義論

人の為になればなるほどより大きな資産をえる。金儲け自体が悪なのではない。よい商売と悪い商売があるだけだ。

2015年12月26日

慈善

慈善や寄付、施しも、程度問題である。怠惰や悪辣の徒を、善良で勤勉な人と結果平等にしすぎるべきではないからだ。

思想

全ての思想はどこかしらまちがえている。
 科学並びに哲学が揺らいでいる仮設のものである限り、国家は堅牢な建築では全くなく、豆腐の上に偶然できた泡の様なものである。
 ある時代の体系的教育は次の時代では意味をなさない。

停止

もしそこで
世界が停止していれば
すべてはうまくいったろう
だが物事はとどまらない
もしだれも
あなたをしらないままなら
世界はかわらずつづき
春夏秋冬をくりかえしつつ
順繰りに翻っていたろう
もうだれも
あなたをしることはないと
もうだれも
あなたの声をききはしないと
凍った雪の中で眠っていられたのだろう

2015年12月25日

奈良テロリスト

天皇はただの奈良のテロリストである。やくざの家の近くに住むな。

テロリスト

極悪の薩長土肥に関西人悪魔の天皇テロリスト
極悪の薩長土肥に天皇家悪魔の関西テロリスト
極悪の薩長土肥に安倍麻生悪魔の皇族テロリスト
極悪の薩長土肥に関西人悪魔の京都のテロリスト
極悪の薩長土肥に天皇家悪魔の奈良人テロリスト
極悪の薩長土肥に関西人悪魔の東京テロリスト
極悪の薩長土肥に関西人悪魔の滋賀人テロリスト

資産調整

イエスやゴータマ、ムハンムドら旧教の聖人は、資産格差の低い社会の方が大格差のそこより幸せを感じやすいと見抜き、その為に慈善、寄付、喜捨といった自主的資産調整を勧めていた。

2015年12月24日

東京善政論

都民の利権にすぎない競技場建設は中止、談合五輪も政府主導で撤退表明し、予定地には東京原発を建設するのがよい。また、旧江戸城(徳川宗家領地、旧皇居)の一部、さらにお台場に次々、東京第二原発、東京第三原発を建造、これらによって地方から東京都内の会社の原発は全廃できる。同時に、放射性廃棄物の最終処分場は都民の目の届く高尾山に閣議決定せよ。東京のごみは都内で処理が当然である。

情報学

情報はただになりたがる。

暴力団

暴力団は暴力で亡ぶ。天皇暴力団、即ち奈良出身の桜田組も何れ敗れる宿命である。

医学

近い将来、精神医学は単なる占いをこえないものとして崩壊し、元祖フロイト理論の破綻があきらかとなってから、薬理学に回収される。なぜなら物質のみが現象だからだ。

2015年12月23日

動物社会学

すべての動物は、異なる。即ち変異。
 人も地域集団によって異なる国をつくろうとする。国の相違はつねに変異である。

生物学

知能に高下はなく、多岐性があるだけである。ある経験または演繹的学習歴が長大に及ぶか難解な時、その特殊性が有益なら集団の他成員に優越しやすい一方、先天的な多様性つまり本能の傾向のみで、集団成員や他の生物に有益な場合もありうる。この為、ある生物集団における知能の質は単一ではない。

学歴

学歴の意味は学習歴であり、仲間の履歴が様々なほど効用があり、その目的は多様性である。

体力

必要十分な体力は、職種あるいは立場によってことなる。

2015年12月22日

冗談

他人を傷つける言葉は誹謗中傷、侮辱罪、そしりという。冗談とはいわない。
 多くの関西人は、侮辱罪を冗談と取り違えている。故に、常に刑法犯罪をつみかさね、既に関西一帯が犯罪地帯となっているにすぎない。
 冗談とは、自分自身の欠点または害のない事についての機転である。

2015年12月21日

模範

やくざを模範にする者はやくざになり、聖人を模範にする者は聖人になる。人は模範とする者に似る。

心理学と精神分析のあやまち

心理学や精神分析は、ある行動類型にかなうとみなした人々を枠にはめ、その型を反復的に解釈する意で単なる確証偏見の体系にすぎない。
 逆に、真の心理あるいは脳の細胞構成は脱類型的なものであり、常に例外事象である。心理学と精神分析は単なる類型解釈理論にすぎず、既成事実への便宜的分類にすぎない。しかも、それら例外的精神はたとえ有害なものであれ、有益なものであれ、全てが個性にすぎず、病気だとか障害だとか差別言辞で片づけてよいものでは全くない。つまり、心理学と精神分析は単なる差別の方法論であって、産業革命以後に連鎖的におきた商工業化の際に生じた、第二次・第三次産業に不適応な個性を柵の中にとじこめるための、悪意ある自称学問だった。

発明

そのまま火とIHにもかけられるよう、金属製の薬缶または南部鉄器でつくられた金属製電気ケトル。

産業

衆愚へ何かを作ってはいけない。下種相手に仕事するな。高貴な人の為に仕事せよ。聖に奉仕せよ。

2015年12月20日

政治界

暴力を正義ととりちがえるという悪習は、人類の最も救いがたい性癖の1つだ。薩長土肥や関西人が自分たちに都合のよい商業社会をつくろうとした結果、より能力の高い関東にまたおいこされて発狂する。天皇家は関東人に成りすまして暴虐の限りを尽くす。西国人は暴力に訴える。暴力で不正を正当化する。西国中心の中華史を周辺地域侵害の合理化でぬりこめる。この種の錯誤が、より愚劣な民の上に常態的に存在する。英米仏ら連合国は地球規模で暴力団行為をつづけてきた。要するに、政治上の正義、あるいは政治権力は暴力にすぎない。民主的な場合は数の、貴族的な場合は談合の、王政的な場合は絶対の暴力。賢明な人類はこれゆえに、政治界、つまり暴力社会を避けている。政治的な人物とおもわれるのは暴力性の証明なので、野卑な者しかそれを好まない。

商売論

商売人はすべてやくざであり、その国で最大の暴力団を政府という。搾取は実質的に資本の乱用であり、取引相手方への奴隷化にすぎず、ただの悪習である。資本主義陣営はやくざ稼業で異なる規則の他者を弾圧してきた。帝国主義、侵略主義、植民地主義、中華思想はその類型であり、日本国内では奈良、京都、東京がその種の蛮風をもつ典型である。世界で最悪の暴力団長は天皇家であり、宗教をも悪用し民衆を洗脳しつつあらゆる暴虐を振るってきた。薩長土肥ら明治新政府以後の薩長藩閥すなわち自民閥、また歴代幕府はこの皇族閥というやくざの総元締めへ加担してきた悪魔にすぎない。

都鄙の調和

感受性の乏しい人はなにをみても感動しない。ある心の貧しい長野人は、私が心から賞賛する日本最大の平野を占めた一大穀倉地帯、悠久の営為をこえて地平線まで稲穂の実る鮮やかな光景を荒地と呼びながら、汚泥にみちたコンクリートと塵芥の中に住み、親元から送金されたわずかな金を握って無礼千万を働き驕り高ぶっていた。その人にとって自然は物言わぬ対象であり、カントのいうよう、その人は都会の退廃と不徳を愛好する点で完全な悪趣味である。
 この種の都会かぶれは、本性から害他的となって群れ集い、反省の余地がない。自然が美で都会が醜という意で、ロマン主義の立場は商工業、特に商業のうみだす諸現象へ批判的である。少なくとも、農園の美を否定している面でこれら都会デビューの新興商人は国民の9割が農民だった時代を蔑み、まるでその牧歌的な農村社会からはきだされた自己を正当化するべく、都会の悪徳を礼賛する。つまり、金儲けを主義とするこれら関西、薩長土肥、西国藩閥系の成金根性は、単に拝金業商になる事を近代化ととりちがえたままにすぎない。それは文明化ですらなく、ただの人口減退策だというのに。あいかわらず農業は努力と勤勉で進歩しているが、働くほど賎しく貧しく浅ましくなるサービス関連の商業に従事する個々人に比べれば、利率がよいままだ。人類に食べものが不必要になりえないかぎり、全商人も農に全面依存している。第一次産業がきえてしまえば第三次産業以下も必然に亡ぶ。
 本質的に、前述のたぐいの都会かぶれたちは、農村において不必要なだけでなく余計者であった自分のいたらなさや社会不適応性を、特に都会の競争的で悲惨なくらしを合理化するのに用いているだけの、情けない下賎の民である。これら下民は、人口減の目的で都会につどっているだけではない。その退廃は反面教育として、その搾取はサービス競争として、いずれにせよ田園の善良で生産的な民への貢献についてしか価値をもたない。カントのもっていたロマン主義的態度は、ワーズワースらの田園詩人からきたるイギリスの王室、バルビゾン派以後のフランスの画家ら、はるか以前の時代の陶潜にみられ、中世の芭蕉や近代の雨情にも典型的にみられた田園賛美であり、私自身のもつ趣味の正格とこの都鄙の道徳的対置は一致している。
 モンドリアンのよう都会を称賛していた近代主義者たちは、不自然を理性の産物とおきかえた為に、都市と田園の調和という大観をできなかった。懐古趣味や逃避癖に陥り、山奥や古都に逃げこんで文明の利器を拒否してくらす原始主義者は、それにもかかわらず未開とされる段階の医療やインフラ水準に戻ろうとしない。都会の美とされていた商業趣味は、その醜悪とコインの裏表である。

ナショナリスト

日本を中国に対立させた天皇家というナショナリストがわが島の世襲独裁の系譜だった過去が、わが島におきた全不幸の中で最悪のものだろう。

後資本主義の平和政治論

極悪の資本主義者たちが、金儲けによる格差社会とその非人道性を全く認識していない事は目のくらむほどの愚昧さであり、特に、功利主義を下敷きにした欧米人たちの自己中心な下劣さと無知、無恥は信じがたい質だが、それに輪をかけたこの種の愚行、つまりイスラム教の聖書すら手にしたことがない連中の異なる宗教あるいは民族への無理解は今に始まったことではない。野蛮とは、この種の暴虐を合理化した無知としての自己中心性、自民族中心主義、自文化中心主義、中華思想の類だ。天皇家、京都府、東京都、奈良県、大阪府、兵庫県、こういった神道の教祖が在住した事のある地点の人々に既往のこの種の罪深い傲慢は、英米仏といった連合国の衆愚にも当然みられる類のおろかしさである。連中は金儲けが悪である、という1つの思想的立場についてすら理解が及びはしない。そして悪とみなした非利己的な仲間への暴力を正当化している己達が、いかに卑しく浅ましく、どれだけ品性下劣でも何1つ反省せず、集団心理を濫用して異なる宗教、異なる哲学、異なる信念と理想をこれら衆愚は心行くまで弾圧する。関西、薩長土肥、西日本、東京、神奈川、名古屋、英米仏などの商業主義者の殆どは、現代の水準においては、『コーラン』を理解するほどの知能も、その聖典を読む暇も意思をももっていない。成程私の目からはこういった連中は野蛮である。しかし、これら野蛮人は暴虐を続けることを誇りに思っているので、ひたすら犠牲になるのは正義を報じる信心深いイスラム教徒だ。喜捨と搾取は真逆の経済行動なので、英米かぶれ、神道かぶれ、関西かぶれ、東京かぶれ、名古屋かぶれの功利主義者たちにとって、イスラム教徒が何に不徳を見、何に憤るのかすら理解は及ばない。この意で、資本主義は確かに極悪である。なぜなら無知を合理化するからだ。
 あるべき態度はこの極悪の思想、資本主義とそれがもたらすあらゆる社会的影響からできるだけ離れていることにすぎない。上からみる事に過ぎない。喜捨、寄付、慈善による社会秩序、イスラムの理想郷は確かに、その信念に関して最上の社会であり、英米仏あるいは薩長土肥や関西東京中部の求める搾取、奴隷、労働、金儲け、人殺しの資本主義社会に比べずっと美しい。新渡戸武士道と共通項のみいだせる喜捨社会をめざすイスラム原理主義の理念は共産主義をこえて理想的であり、そもそも社会がそうあるべきだった姿、わが国で最低でも30万年以上と最も歴史の長い原始縄文制、つまり資産のかたよりがない共和社会に近い面で普遍的な理想でもある。イエス、ゴータマ、孔子といった聖人も、マホメットとことなる理想国を思い描いたのではない。
 資本主義諸国の愚者が喜捨社会へどれほど無理解で、その理想と望ましい人道に無知蒙昧で、どれほど利己的で卑しく、共感能力に関して低知能であっても、それら愚者、例えば安倍晋三だとかバラク・オバマだとかデビット・キャメロンだとか、フランソワ・オランドだとかいった異なる宗教やその仲間へ暴力を振るう悪魔的人格破綻者たちがわれわれの世界の有害な存在者である限り、遅かれ早かれ全宇宙からかれらの権力は除去される。日本国を裏から支配している天皇の権力もこの意で除去される。単に、当国家集団の民衆の賢明さがその速度をはやくするだけである。だから、われわれは異なる宗教に対して何1つ不寛容になる理由がない。それどころか、理解深く、思慮深くあってよい。可能なら、私がそう考えるよう、イスラム教の理想、喜捨の法を新設し、搾取を正当化する商法の上に位置付けてもよい。たとえば喜捨を納税分のほかにも、営利法人と営利的個人へ儲けた分に応じて義務付け、違反すれば加えて課徴し、懲役するとか。そして天皇家を含む邪悪な資本主義者たちが、その狭量さとおろかしさとで世界侵略をできないよう、十分な権力をわれわれ、異なる信仰についても十分な学習意欲をもつ高知能な側が持ちたい。もつほかない。こうして、現代資本主義者たちはすべて否定される。イスラム原理主義側の反宗教権力者らへの恐怖政治もまた、全ての連合国ならびに天皇、薩長らのそれと共に、歴史上に合理化されるだろう。
 とはいえ、私自身が恐怖政治を信じる者ではない。逆に、その手法を以て権力を握ってきた薩長者、或いは象徴と述べた世襲君主の地位にとどまる天皇はじめ暴力を報じるいかなる宗教家に対しても、つまり現代の英米仏露中、そして倭王朝や明治政府以後の日本の政治家連にも、同党の意で退位を命じるものである。さもなければ、暴力に対して暴力で抗うイスラム教徒によってそれら、資本主義暴力団らが逆に駆逐されるほかない。
 要するに上述の事は、一切の資本主義的活動とそこから及ぶ暴虐を認めるなら、同等に、イスラム原理主義者のそれも認めるほかないという、世界史における思想多様性の肯定的立場であると同時に、両者の理想の違い、資本主義者は搾取、イスラム原理主義者は喜捨の世界をめざすものであって異なる国をつくるだろうが、わが国においては思想と信仰の多様を尊ぶものであるから、前者、つまり資本主義者のみの暴虐をみとめることはできない。したがって、集団暴力にすぎないいかなる政府組織も、小型のそれであるイスラム国を否定することはできない、それどころか、政党、仲間、地域の地方自治体あるいは家族、相棒すらすべて小型の国家なのである。だから、わが国においては、天皇や長州閥、薩長藩閥、徳川家ら武士団の暴政を嫌々ながら認めてきた経緯がある為に、イスラム武士団のそれも公認しなければならない。さもなければ、人類はそれら全権を否定し、私という平和主義的個人、それが叶わなければ私と同等以上に平和主義的で公徳に満ちた個性へ政治に関する全権を委任しなければならないだろう。この最後の選択肢をわが国の民衆がとりそうもなければ、イスラム武士団の成功を私は祈り、天皇や薩長藩閥、それどころか英米仏といった連合国暴力団とその悪質な搾取の慣習を地上から除去してくれるよう祈るものである。また、もし私に国の政治の全権が委任されれば、私は搾取派と喜捨派に調和をみいだす法をつくりだすだろう。

政府機関の水戸集積論

つくばをはじめ高度な研究機関の集積効果を駄目にし、地方振興の本質である経済効果となんら関係のない政府機関の地方分散はまったくの悪手としかいいようがない。特に文化庁や理化学研究所をほしがる京都は中華思想の極悪の伝統を継ごうとしているにすぎず、再び地方蔑視の原因となるのみだ。政府機関は、一切をあげてつくば近郊の茨城水戸に遷都し集積するのが望ましい。そして地方振興は、公共事業を興すことでの経済政策にかぎるべきである。

2015年12月19日

美術論

美術は、その人の精神の写しである。

伝統

地位や身分に惑わされる事なく、尊い人とのみつきあうがいい。天皇も卑しく、乞食も尊い。下賎な者が象徴や権力者であったなら、その国は卑しい。下賎な者が崇拝されているならその国は卑しい。ある文化資本のもち主がどの位におかれているかをみよ。その地域における尊卑の文脈は、仲間の過去である。卑しい伝統をもつ仲間とつきあうな。尊い伝統の仲間とのみつきあえ。尊卑は伝染するからだ。そして尊卑が、その仲間にとって幸福の中身である。
 尊い仲間がみつからなければ、ただ一人でいる方がよい。サイの角の様にただ一人歩め。卑しい仲間とつきあい下俗に染められるより、孤高の趣味に遊ぶ方がよい。一人でくらせないというなら、自らの次に最も尊い一人とのみ歩め。必要がなければ、下衆と会わないのがよい。社交性が益するのは下賎な者においてである。その下賎な者に比べ社会の成員はみな尊いからだ。このため社交を要する生業を好む人間は、みな尊い人達より比較して卑しい。弟子のいない聖が最上であり、一人のみの弟子をもつ聖がその次位である。弟子の多い聖は既にして俗である。最上の聖は常に隠者としてのみくらしているだろう。

徳政論

政治家はあしき商売人の総元締めとして自分自身が民から搾取し、民の奴隷化を行い、権勢を振るうという俗欲の為に、人口をふやしたがっている。たとえ日本国が亡び、天皇家が土に還ったとして、宇宙はそれをなんら顧慮せず続く。奈良盆地にいた世襲の宗教権力者が成り上がりの俗欲で人々をだまし、星中の蛮族と殺し合いさせる。全て俗悪な政治屋のやくざ稼業にすぎない。成程、政治屋のなかにも少しましな者がまぎれているかもしれない。わが県の現知事はその一人であると私は信じるが、その上司である首相だの天皇だのが、なまじ薩長だの関西だのの蛮族であり、国連に至っては侵略犯罪を自己正当化した上に立つ極悪の集団であるというのだから、たとえ世界で最も高貴な県茨城が至善に止まっても、野卑な県外人が我らの徳を見習うとは限らない。それどころか、下衆な日本国民達は天皇の悪業を崇拝し、わが県の高徳をそしる始末だ。一つだけ確かなのは、下賎な民の中で下賎な天皇家が崇敬されていたという事であり、従って、愚民の上には辛き政治があった。
 高貴なる人間である為に政治がなんら役立たない限り、暗黒時代史にその名は現れない。つまり、現代は暗黒時代なのだ。
 他方で、こうも考えられる。ある時代の道徳からずっと進んだ一人の理念の中では、どの時代も暗黒であろうと。目的の王国、文明の太平、理想郷、桃源郷、神の国、様々な夢想家がいいあらわそうとした当為としての社会は、政治家によっては不完全に到達されるのみである。それどころか、民主主義等という意味のない誤訳された考えで、衆愚のえらぶ最低程度の首相、或いは天皇の元では決して、当の顕現ですら我々を満足させることがない。実際、私の眼には近現代の薩長や英米の悪政も、又、天皇という奈良出の新興宗教祖による隠蔽工作的な独裁も、それらをうのみに崇拝している愚民らも、一様に非社会的である。それらの反社会的存在が完全に反省し、縮こまり、或いは十二分に駆逐された社会が、本来のあるべき場所である。

地元

侵略を誇る野卑な南西日本と同じ県民でなかった事に感謝しなければならない。侵略犯罪で成り上がった極悪の世襲宗教家兼偽装世襲君主の天皇家では自らの家がなかった事を、先祖に深く感謝しなければならない。救いようがない退廃的下賎風俗の東京都民や関西地方民、名古屋民では自らの地元がなかった事を、神に感謝しなければならない。世界中の人類を殖民地奴隷にしようとした野蛮な西洋人や薩長土肥等の下人では自らの過去がなかった事は、当然ではあっても、幸運な歴史だった。

経済

贅沢が無いように
まるで自然かのように
人々が流れていく川だ
僕はほとりに立ち
連中の死屍累々を眺めている
人類の流されていく川
この川の底には彼らをくらう
幾多もの魚がいるのだ
宇宙の果てまでうめつくす
生命を分解していく物質
われらを構成しその曲を奏で
下劣も高貴も
一つにして流していくのだ
まるで自然かのように

老人

優れた老人になる為に努力せよ。

2015年12月18日

配偶論

家族や社会が決定することなければ性を否定しているのがよい。それが高貴なるふるまいであり文明人的態度だ。
 文明国では性売買はいうまでもなく、自由恋愛も消え、お見合いのみが残るだろう。

芸術論

芸術は趣味を啓発できるにすぎない。

2015年12月17日

名古屋ポトラッチ

名古屋社会は商売社会であり、名誉ある贈答の代わりに婚姻のさい大盤振る舞いをする事が、金を蓄積したという名古屋人にとっての誉れと認識され、その名古屋社会的地位を誇示する。他方、商を利己の証として蔑む地域にとってこの名古屋ポトラッチは浪費とみなされ、幾らかよりからかいの的となりうる。

2015年12月15日

娯楽

最上の娯楽とは哲学である。RPGは詩の一種であり、哲学を分かりやすく伝える手段である。
 賎民について想像する時間は無駄で、娯楽は常に貴族の為に存在すべきものである。尊い人の為に働け。

2015年12月14日

悪人

悪人は、自分が嫌がる事を他人にする傾向がある。善人がその逆な様に。

経済学

奢侈品(以下スズキ財、需給に関する無限性をもつ。即ち単なる顕示的消費の為のギッフェン財を補完する、母集合的概念)の使用を禁ずる事が、必需品(以下スミス財、需給に関する有限性をもつ)の供給をましはしない。それどころか、奢侈品が製造、流通、販売、使用されるまでに便宜品(以下ケインズ財、需給に関する限定性をもつ)の需給を促し、さらにそれらを消費するまでに必需品の需給を連鎖的に促す。従って、所得上位者が奢侈品を購買し或いは顕示的に消費する事は、微視的にみたとしても、巨視的トリクルダウン(滴下)理論とは別の立場から、単に経済成長の起因となる為、社会にとって有益である。この経済学的解釈を、ここではスズキ効果と名づける。またこれらの奢侈品はある文化的な活動を意味し、その社会における十分な生活を表象するものな限り、人類に望みうる最高目的物である。その上、スズキ財は需給に関する無限性をもつので、その高級化がなされるほど望ましい。次世代はその時代における最高達成形としての当財を、なるほど可能な限りあらゆる人々へ無限の需要を促す性質のものであるから、普及のため大衆化させようとする。こうしてある時代の貴族の教養、嗜みが次代では大衆娯楽となっている現象をみてとれる。と同時に、この新時代では別の奢侈品が既に需給されている。
 例えば仏教における上座部から大衆仏教、さらに日本仏教への展開、また、ユダヤ教からキリスト教を経てイスラム教への展開を鑑みても、宗教観念または信仰は当時の最高度の哲学のいいかえとして、形而上学的奢侈の思想的産物であると捉える事ができよう。一部の貧民がねたみ、うらやみ、ルサンチマンによって一部の資産家またはそうなりたがった勤勉な成金の奢侈、すなわち当の貧民には浪費にみえる閑雅な活動に対して、世論をあおり贅沢への禁忌を誘発した場合に、この社会における福利厚生は然るべき程度に低下する。甲の貧民が大不況の中で奢侈品の需給に必須の便宜、必需の品を供給する為の労役が根元から削減されてしまった事を、失業のうちに後悔しても手遅れなのである。
 他方、顕示的消費が経済成長にとって多少なりとも非効率の固定的な効果をもつ貴族趣味の産物に過ぎず、ある時代の無益な徒花であると見る向きがある。無駄の制度化を批判するこの立場における便宜性は、目的としてのスズキ財の観点が仮定されていない、旧唯物論的解釈によるものである。いいかえれば、貧民の最低限度的奢侈品の移行を、貴族の教養、嗜みの漸次的大衆化とみなすスズキ効果の観点を欠いている、と私には思える。
 なるほど、あらゆる貧民用の趣味が前時代の貴族にとってのそれであったとはいいがたい。この意味で、趣味の質がよく貴賎とみなされるのは、その時代の基礎教養程度からみてのスズキ効果をよく説明する筈だ。ある時代に達成度の高い知的状態、例えば江戸時代頃の関孝和による微積分の使用が、現代には高校数学として普及されている状態、あるいは、当時の江戸町人の浮世絵が東京商人の漫画に関する好みと対比されるような場合に対して、当時の数学水準を引き上げたイギリスのニュートン以後においてもなお、PISA(Programme for International Student Assessment)の数学成績が国際水準において下位の当国民衆の存在を否定できないとか、テニス或いは蹴鞠という旧貴族の娯楽が一般国民の間では野球やサッカーに比べ不人気である(しかし貴族側に大衆娯楽が遡る事は殆どない)といった場合が観察できる。いわば、スズキ効果には順繰りに貴族趣味の大衆化がされるときと、それが非常に遅れるときの2つの場合がある。後者については大衆娯楽自体でしかないものが貴族側に需要されづらい現象もある。つまり当時の大衆の道徳性にとっての娯楽が、彼らの求める奢侈嗜好品なのである。遅延したそれについては、ある時代の貴族に求められていた基礎教養そのものが、産業と並んで或いは別個にリベラルアーツの構造的改組で多少なりとも変化し、趣味の模範もが変質するための連鎖的現象であると説明できよう。ある貴族性が古典的となり、次世代では時代遅れとみなされる場合もあるが、これについても、その古典が当代の実生活に何ら役に立たないが故に却って教養学的、乃至、虚学的な権威を有することになるにすぎないだろう。要するに、趣味の質的変化は単に唯物論に基づいたものではなく、その社会で尊敬すべき立場の人々がより道徳的とみなす目的物の変遷によっている。もし、奢侈の貴賎とみなされている現象が単なる唯物論的変化であるとすれば、それは限定性のあるケインズ財の種類が変わるだけにとどまるだろうからだ。逆に、スズキ財に関しては、無駄や無為である事、つまり何らかの有限性にかかわらない遊びが顕示されうる事にその本質の一部がある為、工業的進歩とは半ば無関係に続けられて行くものなのだ。この観点は前石器時代から近現代をこえて使われる素材や支持体、研究媒体が立ち代わっても、当時の技巧に可能な最高度の芸術品、知識、道徳観念の需給が探索的に永続していく学術現象そのもので、たやすく理解されよう。
 そもそも、なぜ奢侈品が人生の十分条件かといえば、その無限性による。あればあるほどよい性質のスズキ財は、しかも、需要者の人生における限界消費量を満たしきれなくなった時点で私有財から公共財へとあふれ、その文化活動のもつ道徳性の限り人類の生活を豊かにしていく。

2015年12月13日

学問

哲学のみが学問であり、他の知識は語彙である。

仲間

人間は心豊かにくらす事以上の目的を達成しえない、いわば哲学的な仲間のよさの質と量を改良できるだけである。本質的に、人間の幸福は仲間的である。科学のみならずいかなる工学や技術、芸術も、この仲間の為の道具にすぎないだろう。そして場所でさえ、仲間の劇をよりよくする状況にすぎないだろう。

2015年12月12日

因果

英語帝国主義の海のなかで
口惜しく我らの言葉はさまよう
名残惜しくみなもを駆けて
飛び魚やらイルカやらが船を追いかける
下らない百済人の末裔が君をそしり
この島をいくらけがしていたとして
侵略主義の蛮族一切が無反省で
薩長土肥の無知蒙昧が直らないとして
万物を支配する規則をみよ
さもあたりまえかの様
君の両手は宇宙に縛られている
人間の心は変わることがない
さも大地におちた秋雨の様
君の肉体は因果の網の目を抜け出しはしない

2015年12月11日

町の風

新しき秋の風吹く
あの海へ
町の風
新聞紙滑らぬように嵐敷きけり

ゆずのき

ゆずのきをふりのこしていった秋雨
あらしのちふえた池の水に花気づく

変異

所詮、天才も障害者も、変異の一種である。

財政論

消費税+食品に減税は累進課税である。それと同時に、法人税を減税かつ、内部留保税を増設し、雇用ならびに給与所得の向上と庶民救済をはかるべきである。

啓発

相手に分かりやすい真理の啓発は最高善である。

2015年12月10日

晩秋

すこやかに吹く磯原の風暮れる秋

歴史

賢愚は過去を知る度合い。

自由

自由をてにいれて
このろくでもない世界を眺める
何がすばらしいの
いるのは聖人と衆愚
みえるのは月と地球
きみのゆめはなんだった
てにいれたものはない
失ったものであふれている
自由をてにいれて
このうつくしい世界を眺める
空転しつづける回転木馬みたいに
われらの星も宇宙をめぐりくる
命がうまれてはしんでいくさなか
みえるのは神につくられていく自然

2015年12月9日

稼ぎ

稼ぎとは中庸なり。かねもうけも、怠惰も、どちらものぞましくない。

慈悲のあて

悪人に慈悲をかけたら、自分までその悪にのまれる。悪人は悪人のままにせよ。善人のみをたすけよ。

金儲け

尊い人間は金儲けをしてはならない。卑しい人間が行うことをまねたり、似たことをしては誤解されるからだ。
 尊い人間は慈善と寄付に生きねばならない。金儲けではなく、寧ろ資産を尊き人達に分け与えねばならない。

賎民

卑しい人間達に触れたり、近づいたり、その考え方を学んだりするな。卑しい人間達の悪徳を身に着けずに暮らすには、賎民からはなれ奴らの近くによる事なかれ。卑しい人間が尊くなったり、高貴な者の考えを理解する事はない。卑しい人間はついぞ卑しく、尊い人間をそしり死ぬ。
 卑しい人間の考えを知る事なしに暮らせない国からは去れ。卑しい人間と共にいる事なしに暮らせない地域を去れ。尊い人間とのみ暮らせ。自らが尊く、卑しい人間しか周りにいないなら、卑しい人達と会話せず、至善に止まれ。自ら尊くあれ、又、自ら尊い人間とのみ付き合え。いかなる場合でも、卑しい人間とふれあったり、似たような空間にいるな。卑しい人間と同じ時間を過ごすな。自らの地位や金銭などいかなる物を得て維持する為にでさえ、卑しい人間達の生態を知らないべきである。
 卑しい人間から言いがかりされたら、その場を去れ。卑しい人間はついぞ卑しく、永久にその蛮行を恣にして死に絶える。卑しい人間のふるまいをまねたり、その人生観を決して模倣するな。

2015年12月8日

こどう

きみのこころは
つめたくさみしく
たすけることができない
かわりにぼくはめをつむり
きみのためにいのりをささげる
よるふかくに
もしあらゆることが
かなしくむなしく
うごきだすこともないなら
かわりにぼくがこえをあげ
きみのせかいにいろをぬる
あさはやくに
だれもがおきださないあいだ
きみのいのちがこどうをうつあいだ

2015年12月7日

変化

いつか変わるなんてことはない
いま変えるのだ

2015年12月5日

ゆめ

ゆめをおいかけよう
それはかなう

2015年12月4日

蚊の残党

蚊の残党テロを美化して死んでいく

2015年12月3日

物理本能

星は流れ、人は生む。

文明学

増えすぎる人口を抑制することを文明という。勧善懲悪に対する弱肉強食を自然という。文明は都会化させ、教育過剰を目的にした金儲けを奨励する。文明は口減らしであり、人間の多様化を試みる特殊地域である。文明の定義する文明的善は反自然淘汰であり、自己犠牲的な利他性である。
 一方、文明は生物界や全人類からみて必ずしも正義でも善でもない。文明は特殊的行動類型をもつ変化適応の蓄積されていく試みにすぎず、現実にはそれが極端化した時、環境適応度を最小化し滅亡を彩る徒花である。人類は文明を過信し自滅してきた。生物本能からみた文明は、不自然で、非適応的である。完全に多様化した人間は、相対的に弱小集団化し、滅び去る。野蛮における正義が、文明の利他的な善を破壊し蹂躙してしまう。
 野蛮は単なる行動類型であり、本能に基づいて行動している利己的集団である。文明によって奴隷化されなかった野蛮人は、必ず文明、都会を敵視しそれを滅ぼす。なぜなら、野蛮にとって都会化、金儲けは偽善だからであり、人間の多様化を強圧的に誘導する事は利己性にとっての敵意だからである。
 この二派は常に多少あれ敵対しあい、同時代的に抗争を試みあっている。ある時代の中心都市は文明を自称し贅沢を行うが、他の集団はその過度の大盤振る舞いを浪費とみなし、権勢を奪取したがる。こうして非文明圏とみなされた地域または周縁における技術革新をある文明化の現象自体が促し、産業転換による文明の移動が進んでいく。

いつしか君はいうだろう
われわれの前に並んでいた波のねも
消えうせる身のやり場のない困りも
星々のあいまでみた一瞬の夢だったと
いつしか君はみるだろう
解き放たれたときに
いつしか君はみるだろう
悲しみに打ちひしがれたときに
いつしか君はきくだろう
ねがうだろう
われわれの上に輝いている光のなか
すぎていく時代のうちに病みつかれ
あさやけをまちながら遠く潮騒を知る
いつしか君は起きるのだ

2015年12月1日

金儲け

金儲けでくらしている人間は、馬鹿である。それによって得られるもの、又えられた生活は、初めからない方がよいものだからだ。

英文法学

会話文のなかでは時制が現在形になる。

正義

金を奪い悪をたおせる縄文の人

衆愚の都会

夜深く
息もつけない合間
探していた人もみえず
星空のうちをさまよう
人の心がみえたとして
それがなんだというのか
探していた人は消えて
この世はなお広すぎる
朝になり
息を殺しつつ眠る
悲しみの音が響き
町で仕事がはじまる
待ち望んでいた未来
けど衆愚の都会があるだけだった

2015年11月30日

言語

相手が得意な言語で話せ。

2015年11月29日

政治

政治とは名誉にあらず奉公なり。孫子いわく、名将は無名なり。

明治

明治は遠くなりにけり尊皇攘夷は夢のあと

アジア

アジアは一且つ多様なり。

2015年11月28日

傲慢

しらない所を自分より劣っていると考える人間は、愚かである。しらない所に何もないと考え、文化がないと考える人間は、野蛮である。

個性

長所が短所、短所が長所。

2015年11月27日

御所商法

奈良の大仏商法、京都の御所商法はどちらも古代遺跡を種にした虚栄による観光集客にすぎず、ギリシア同然、長期的にはGDPを極端に下落させるにすぎない。

移民課税法案

移民課税法で、外国籍の移民の無限的増大に対して一定程度の抑制をするべきである。

水菜

ふるきよき常陸の国に生まれけるその身の幸を水菜に想えり

2015年11月25日

洗脳

テレビやラジオ、マスメディアを視聴する事、漫画を読む事、アニメを見る事は商業主義の洗脳である。東京マスコミやサブカル、関西、名古屋といったその追従者の文化傾向が低俗なのは、商業主義の対象が低級商人である労働者だからだ。

都市学

交通の利便性は集積の利益を強化する。他方で、通勤税や特区税は都心の過密を解消する。

奉仕

芸術は全人類に奉仕する。

国政論

反米自由、日本は対外軍事行動を起こさず、口だけでアメリカの覇権主義に距離を置き、国連改革派を自称するべきである。また常任理事撤廃と全加盟国間での調整税、即ち累進化した国連徴税を主導するべきである。アジアは一なりと主張、アジア虐待による武器商人にならず、長期的に全地球からの日本の信頼性を上げる行動をとるべきだ。米軍基地は中期的に日本から全廃、各国からも漸次除去していくべきである。

後植民地主義的日本像

弥生、百済系渡来人。縄文、先住の日本人。多民族国家日本。

2015年11月24日

科学論

科学は一ならず。見解の多様性が許容されている状態のみが、反証性の担保された科学である。

真理

知恵が徳の王なり。愚痴は無知、無知は罪。真理を悟るようにせよ。真理とは事物の必然的連関の法則なり。

無知

関西人は無知に驕る。西日本人が、無知に驕る。無知は罪。無知は悪。

教養教育

教養教育は社会の民度を底上げする。

2015年11月23日

批評

芸術を批評できるのは芸術のみである。芸術の価値は主観的で、その転売目的の人を画商という。

すすきのほ

休耕地ひとりはえけりすすきのほ

2015年11月22日

ロボット

ロボットは道具であり、人間が目的物である。ロボットは機能に従う。ロボットは人に不可能なことを追及する為、人型を逸脱し続ける。

中東内乱誘致商

IS≒薩長。英米初の内乱分子に武器を密輸させ、シリアの反米政権を打倒したがる連合国は、死の商売を通じ間接的な内政干渉を行っているに過ぎない。

2015年11月19日

文化

文化は習慣である。権力の強い立場の人の習慣が民衆にも伝わって模倣される。文化が多様なので、より良い習慣が見つかる。

美しい朝の磯原の町
もうそろそろ人類はおきだす
だれもがねしずまっていた夜をこえて
その手ににぎられた未来を取り戻すのだ
テロリストしかいない政治界
悪いやつほど威張ってる
極悪天皇の面をみながら
やくざの皇族と共生を試みた
日は明るく
この町を照らし出すだろう
日は明るく
この朝をすみわたらせる
だれもがねしずまっていた時代をこえて
この手に掲げられた国旗を振りかざすのだ

無学

世界でもっともおろかなのは学問を軽視する人間である。本当の無学とは、学問を馬鹿にすることだ。

対話チャネル

過激派やISを含むイスラム教徒と無限の対話、譲歩、交渉のチャネルをもつこと以外に、テロとの戦争すなわち第三次世界大戦を避ける道はない。権力者はこの参戦を通じて独裁強化に出勝ちなので、民衆からの批判のみが有効な抑止力である。

2015年11月18日

長短

人の短所に同情し、人の長所を尊重せよ。

NHK受信料制度廃止論

NHKへは政府が税金から補填した助成金を与え、受信料制度はうちきるべきである。累進性がなく支払い率に偏りがあるからだ。

奇襲

積極的平和主義は奇襲と変わらない。

知者

弱者は復讐し、強者は赦し、知者は無視する。

パリ人

パリ人「シリア人が痛がるのはよくてもパリ人が痛がるのは駄目」

国連やくざ

テロリスト国連やくざが宗教弾圧

2015年11月17日

悪は自滅する。

銀杏

背中から銀杏おちけり落ち葉拾い

2015年11月16日

低IQ

IQが低いと、誰でもアスペルガー症候群にみえるらしい。

革命

勝利したテロを革命という。

2015年11月15日

マスメディア

マスメディアは嘘の技術である。

2015年11月14日

空き家

人気なき空き家に生りけり柿の赤

社会学

虐めは凡そ財産の寡占からくる社会慣習であり、時代によって変化する以上、根絶し得る。また、虐めを好む神道や資本主義信仰に対して、虐めを嫌うのは仏教、キリスト教、武士道の信仰である。

2015年11月13日

天皇制

天皇の質素は国民の贅沢。

原発犯罪法

都市部の住民が田園部の住民を搾取し、なおかつその生存権を強奪するのが原発稼業である。外部不経済の内部化の為に、原発稼業を公的犯罪であると政府が認定し、試みた或いは未遂の事業主と株主へ事前に厳罰を加える必要がある。

遷都論

極悪いじめっ子東京討伐、正義の茨城遷都。

極悪いじめっ子東京を滅亡させるべし

極悪東京いじめっ子を滅亡させるべし。福島の次は茨城を標的に極悪非道の誹謗三昧の極悪東京を一刻も早く滅ぼすべし。

2015年11月12日

南蛮人

高貴なる茨城県について無知からくるあしき集団偏見で卑しめてくる極悪いじめっ子東京都や悪しき日本国下民と関わるなかれ。侵略犯罪を是と考える蛮族、九州福岡の極悪侵略野蛮人とつきあうなかれ。

野蛮人と文明人の差は、知識である。

知愚

屑を相手にするな、下級労働者は貧乏で暇がない方がよい。教養は暇を増幅する、知的労働は効率的である。

2015年11月11日

脱俗

愚かな人と関わらずに済む事、又、愚かな都会人と離れてくらす事は最高幸福の1つである。

2015年11月10日

神の心

我らは神と親しくなろうとして
下らない人間達としりあった
蛮族の支配史をおしつけられ
下らない象徴を奉らされた
我らは清く正しかった為に
下らない人間達からそしりを受けた
我らは偉大で美しかった為に
下らない国民達から侮蔑を受けた
なるほど地上は広く
我らの傷ついた心を見る者はない
宇宙は果てなく
我らの悲しみを知る由はない
広く万人に伝えよ
我らの心は神に等しいと

2015年11月9日

日本学

現今の大多数の自称日本人あるいは日本国籍の多くは、偉大な人間や能力の高い人間を貶す事、できる人の足を引っ張る事をまるで正義かの様に考えている。これは病的な嫉妬深さからくるもので、匿名BBSの2chや東京・関西等のマスコミにみられる卑屈な態度である。また、殆ど全ての西日本人は極めて利己的で、東日本や東アジアはじめ広域に有害な侵略史実やそれをもたらした悪意をついぞ反省する事が出来ない。これらは天皇制とその一門の世襲による奴隷状態の継続がもたらした心理的なひねくれであり、一つの民族病ということができる。彼らの狂信的な天皇崇拝や責任転嫁の習癖も、同じ理由によると考えられる。

老害

愚かな年寄りと関わったり、会話するな。老人が反省する事は殆どない。

大都市のあしき生命体

東京人、大阪人、名古屋人といった大都市住民の大多数ならびに電力会社とその株主、そして天皇家はじめ自民党ら神道政治連盟の人間は、他県の人間をすみかごと原発で殺してもいいと考えている点で最低限度の倫理規範ももっておらず、大虐殺を画策する独裁者より邪悪な生命体に過ぎない。

聖俗

俗人に習ったり、俗人の言行に影響されてはならない。身分、地位、肩書き、金銭は尊卑と何ら関係がない。俗人の幸福は貴人の不幸に等しい。俗人と会ったり、親しむなかれ。俗界を避けよ。低俗な大都市の衆愚が群れに驕るのは、虫の集まりに等しい。聖俗は水と油に似て、互いに交わらない。俗塵、大都会につどうことなかれ。
 美しいもの、美しい自然、美しい人は大都会にとどまることができない。人工物の中で美は消滅してしまう。悪化した都市環境にとどまることなかれ。

2015年11月8日

極悪東京人

東京人はいじめっ子。

偽善

資本主義とは偽善の洗練である。

卑しい人間

卑しい人間の考えを知ることなかれ。卑しい人間とつきあうなかれ。卑しい人間達と関わるなかれ。都会人は卑しい。都会人と仲良くなるな。卑しさは心貧しさ。卑しい人間は都会に集う。尊い人は卑しい人と共にくらせない。都会に尊い人は存在できない。

2015年11月6日

男性差別社会

気が優しく家庭向きの男性へ性差別し、気が強く仕事向きの女性をひいきする極悪非道の男性差別社会。

都会かぶれ

京都「東京は田舎ものの集まり」
東京「京都は田舎」
奈良「奈良盆地の外は野蛮人」
天皇「天皇以外は下等人種」

2015年11月5日

賎族

侵略による人殺しで成り上がった、世襲独裁の極悪人一族。貧しい国民の税金に寄生し贅沢三昧。天皇家より卑しい人間の有様を地上に見る事はできない。

尊さ

尊い人は尊い人と婚姻する。その人の魅力的特徴は尊さだから。卑しい人が尊い人と婚姻する事はない。卑しい人は地位や金銭、肩書を尊ぶ。尊い人は精神や魂、志操を尊ぶ。卑しい人が尊い人に触れる事はできず、尊くなる事はない。身分と立場は尊さと何ら関係がない。

良識

俗人に嫌悪を感じるのは、健全な良識だ。幸福が自由から生まれるものである以上、俗人が最も不幸なのだから。

衆愚の匿名誹謗主義

アプロプリエーションアートを大衆層が様式性として理解する日はくるのだろうか。大衆のオリジナリティ信仰はピカソへの妄信によるのだろうか。近代アーティストの個人主義が、現代日本の大衆層に有名人への見えない嫉妬をつくりだす。2chねらーや東京・関西人ら始め、衆愚の匿名誹謗主義は醜い。

2015年11月4日

グラデーション

磯原の澄みきった空に描かれる夕暮れのグラデーションにみとれる

2015年10月31日

秋の夕暮れ

秋の夕暮れに子供の声混じる

2015年10月30日

ナショナリズムの分析

ナショナリズムは自分が適応できない、又は適応しづらい別の倫理体系の集団が外部にある時に生じる、合理化の体系である。これ故、道徳性が非常に異なるか、社会性知能の種類に違いがある2集団は互いに反目し易い。
 抑も道徳性はある適応性がその時場で正当視された際の習慣的ループである。つまり習性を超えない。従ってナショナリズムは習性の偏向である。ナショナリティを普遍化しようとする試みが帝国主義的侵略や人種・門地・地域差別をもたらした様に、本来の人類に於いてもナショナリズムは常に生じる。それは最も単純には兄弟姉妹間、夫婦間、親子間でも生まれるものであり、集団性をもつ最小から最大までの全団体にある。
 人類にとって可能なのは、ナショナリズムを緩和する事でしかない。その相互理解の手段を講じ、さもなければナショナリティのもつ倫理観念の違いを認識したまま、対策をとる事でしかない。そして無知は罪である様、人類にとって最悪の類型はナショナリティの違いを理解しようとせず、自民族中心主義や自文化中心主義、中華思想、京都中央思想(京都思想)、東京中央思想(東京思想)、天皇主義、国家神道、国連主義といった帝国主義の諸類型に驕り留まり、他の倫理を埒外に置く態度である。この種の集団狂信は常に、戦争と歴史的犯罪、つまり致命的な人災をもたらし、怨嗟や軽蔑の念によって当集団絶滅の機縁となる。

科学省案

文科省は科学教育省、或いは科学省として、近代学校教育は科学知識のみの伝達組織である、という方向性を強調しなければならない。そして他の教育体系にも別の地位を与えねばならない。

ヒカキン

ヒカキンは関西・東京テレビ芸人の下品さへの、戯画的アンチテーゼとして機能しているのだろう。その局自体が、東京キー局がめざした視聴率至上主義、乃至低俗化への模倣された皮肉として人気を博しているのだろう。

クエスト

みつからない
さがしても
あなたのいない世界で
さがすだけ
おちていたどんぐり
毎年のように
みつけられず
うずくまる
あなたのいない世界で
目をまるくする
よるははてしなく
あさのおくゆきはない
ぼくはきみをさがし
いつかたおれる

2015年10月28日

満月

満月と我のみ夜に孤独なり
満月と我のみひとり秋の夜
鈴虫の声と我のみ歌う望月

子供を産む事は常に1つの犯罪である。そして子供が愚物である程罪が重い。

倫理学

共通の倫理集合の内、最低限度基準を法といい、最高限度を理想や威厳という。倫理の原型は人知れず、又、それは自然界にみいだされない限り主観的である。

多数派

多数派に安心をみいだすのは下等生物だけである。人間の中の大衆は最も卑しく、民主主義は最も下等な政治形態である。

自尊

自ら尊くあれ。全国民が卑しいとしても、全人類が賎しいとしても、自分ひとり高貴であれ。大衆や特権者、法王、天皇、皇帝、国王、大統領、首相、国連事務総長、いかなる権威、金銀財宝で羨ましがられている富者、どの様な有名人であれ、その堕落に応じるなかれ。卑しい商売を行うな。生活の為に浅ましいふるまいをするな。貴人は、他者からの名義でそうなるのではない。

2015年10月27日

幸福

尊い人と暮らせ。尊い人に親しめ。尊卑を知らぬ凡人となれあうな。幸福はつねに、尊さに比例してあらわれる。

忌避

侮辱罪と地域・人種差別での虐待虐殺、卑しい銭儲け、そしてそれらの大犯罪の利己的忘却が習慣の極悪蛮族関西人と関わるな。低俗な風俗習慣や、原発の悪業、詐欺罪等の蛮行で銭儲けをする悪徳下俗東京人と関わるな。ひたすらに悪との関わりを避けよ。

すすき

すすき野の上に吹き行く秋の凪

大都市圏の不道徳さ

大都市圏の不道徳さ、という問題を解決するには、人口を分散させるしかない。経済合理性との中庸な分散。

空威張り

東京、京都、奈良といった皇居のあるか、あった地域の虚栄心、プライドは、天皇の権威をかさに着た空威張りである。天皇は対中国の権威として出現した制度であり、その虚勢はいずれ敗れる。日本の右派と左派の違いは、天皇の敗れ消滅する時期の遅速を予測している、時の正確さの差にすぎない。

漫画論

漫画はある人生観を広める商業的洗脳装置にすぎない。多くの場合、作家や出版社のいる東京的な人生観を。この為に低俗になりやすい。

俗塵蛮族

関西や東京の野蛮な土人に心を傷つけられても、それら蛮族の心の卑しさを憐れめ。自らがそれら蛮民でなかった幸を祝え。そして俗塵を避けよ。

2015年10月26日

たとえ夢が叶わなくとも

夢が叶わなくとも
君の生きていた軌跡は残るだろう
どんな俗物達が君に嫉妬して
夢を追いかける姿勢をけなしていても
その勇気を目撃した誰かがまた走りだす
夢が叶わなくとも
君の見ていた理想は思い出されるだろう
ろくでもない権力者や天皇が
素直な人達を洗脳し
君の死を利用していたとしても
くだらない金持ちやあきんどが
君の生命を搾取していたとしても
君の生きていた軌跡は残るだろう
たとえ夢が叶わなくとも

愛の狂信

愛情表現を許可し憎悪表現を禁じる事は、人類のキリスト教化を進めるにすぎない。なるほど仏教では愛執を否定し、イスラム教では神敵へ憎悪を勧める。欧米中心教義、自民族中心主義的な白人主義、アングロサクソニズムはただの愚考である。

憎しみ

世界中の人が君を憎んでいようと気にするな
愚かな同類が殺しあい身を売りあうとして
君には何の関係もない
荒れ果てた土地に花を咲かせよ
下らない都会の人間が金を搾取していようと
愚かな人類が無礼や差別をしていようと
君には何の関係もない
君は戦場で一人詩を作る
みなが子供を生む時にその空しさを悟る
発情期の動物園で一人さめ
みなが夢中で他人を虐げている時に
美しい旋律を探している
誰かを傷つける者を憎むがゆえに
誰かを愛する者を悲しむがゆえに

悪人達

関西人や東京人の悪業、悪徳を見聞きするな。薩長土肥や天皇家、西日本の侵略犯罪をまねたり、ほめたりするな。英米仏の悪事を見聞きするな。それらはどれも連中の自滅の原理である。悪人を避けよ。悪をみたりきいたり、体験したらその者から離れ、その者とかかわらない様にせよ。横浜や埼玉の俗物とかかわるな。悪をまねた者は悪の一部になるだけだ。

花言葉

なるほど
世界は君の為にあるんだから
もし手のひらからこぼれた金平糖みたく
君を失ってしまってから嘆いても遅い
はるかはるかに
広まってる田園に幾多の星屑が降る
太平洋から海風が吹いてわたる
もし手のひらからこぼれた綿菓子みたく
お祭りで君を見失ってしまってから
夜空に咲いている花火を聴いても
ここにある小さな町の片隅で
野菊みたいに涙を流すだろう
いつしか
君の手元に送り届けられる花言葉の様に

あしき国

あしき国は滅ぶ。極悪非道の侵略犯罪者、天皇家が象徴の国は必ず滅亡する。

俗人

俗人とふれあうなかれ。俗人と会話するなかれ。俗人から学べる事はみな、低俗さである。俗人は反面教師にしかならない。俗人と鉢合わせする場所に住まうな。俗人と共に暮らすな。俗人の子供と仲良くなるな。俗人の子供も、俗人と同じく俗悪である。俗人を憎み、俗人の考えを知るなかれ。俗人の考えは人の魂を汚染する。

世界からもし君が消えてしまったら
僕の言葉はむなしく風になる
落ち葉のさなかに踏まれた詩は
君の音に染まることだろう

2015年10月25日

差別主義集団

日本は世界の田舎であり、文化差を体験した事がないその多数派は教育によって、単一文化主義を狂信している。この思い込みは彼らの妄念する自民族中心主義によって強化され、僻地として奇形なまでの人種差別思想をつくりあげる。この傾向は関西圏や東京圏に特に顕著であり、その商業社会では金銭信奉と相俟って、持たざる少数派への憎悪演説が堂々とまかり通っている。国家神道、つまり天皇家を中心とした民族差別的な新興宗教は、自民族中心、自文化中心、人種差別の思想体系であり、禍々しい勢いで日本国全体ばかりか東亜の一部を侵食し、信仰下に置こうとしている。自民党は国家神道の裏組織であり、表向きは政治結社のかつらをかぶった極悪非道の差別主義集団である。

大阪人

大阪人は諦めろ。大阪人の無礼に怒っても彼らの馬鹿さが直るわけではない。

宵凪

風が吹く
すばらしい風が吹く
海からの風か
遠く仙台でも吹いているだろう
太平洋から宵凪が吹く
まるで私達の生涯を包み
はるか太古から未来永劫までも
その心地よいリズムでみたしていく
さらば風よ
君が消え去ったあとで
僕らもまた磯原と共に風となろう
十三夜月と共に今宵を詠おう
すばらしい風が吹く
私達の町をみたしていく海からの風が

2015年10月24日

夜深くにひそむ幾多のかなしみ
別にそれをわかってもらおうというわけじゃない
誰からもしられないまましんでいく月

2015年10月23日

秋桜

見なくても野原に遊ぶ秋桜

絵画論

絵画が無用と考えている人達にとって壁は物言わぬ板、あるいは長く見つめるには単調過ぎる石である。彼らには丁度監獄における人生と変わらない時間に見ている室内は視覚を楽しませることがないために、退屈である。これとは逆に広告美術でうめつくされている電車内の様に、何らかの伝達を目的にした視覚表現を、当の人達は意味をもつとみなす場合がある。
 ある種の名古屋人や愛知文化にとって後者は自明であり、前者は意識されていない。いわば絵画の実用性が商業に従属した場合しか認められていない。名古屋性にとって銭儲け主義という宗春以来の文化律がその視覚を非目的化している。この名古屋性、つまり視覚の非目的化はまた、漫画表現を主目とした東京乃至江戸文化にも猥褻を殊更好むという点でみられる傾向である。この二つの文化、愛知と東京の文化は下級商人あるいは労働階級の多さから、商業主義である。名古屋人は絵画鑑賞を楽しむより銭を儲ける事が人生であり、東京人は貧乏である自分達が富裕層に独占された女性と配偶する余地がない為に、代償としての猥褻物を求めている。
 偶像崇拝を否む人達にとって絵画における描写表現は禁忌である。他方、猥褻物への抵抗のある文化あるいは場では裸体表現が忌避されている。
 これらの絵画に対する制限的偏見をもつ人達は、その視覚を製錬させる為の条件が欠けている。

2015年10月22日

西南

薩長テロを誇り、SEALDsデモを侮蔑する西南右翼。

意味のない人生に夢中になる人がいる
なにか暇なのか
意味のない仕事で過労死するがいい
価値のない値札で埋もれ
死と面接するがいい
お前の両手にある情報は無意義
娯楽ぶったうそ
意味のある哲学で時間をからにし
理性人ぶっていいわけに終始
意味のある行動で誰かを傷つけ
殺戮者の顔つきで天皇と名乗る
お前の脳内にある言葉も無駄
ひたすら無知な顔つきで
死と相親しむがいい

友の恵み

哲学の原義は知恵の友愛、友の恵みといった意味のギリシア語。ゆえに哲学が役に立たないとか、それは無用と唱えている現代俗物は知恵がなく、賢い友達がいない。

自由

幸不幸は個人が判定できない。それをおいもとめさせる自由権は、単なる殖民地のわがままを合理化したものだった。

薩長テロ政権対イスラム国

極悪公務員、悪魔の天皇家を粛清できない左派、共産党や社民党、シールズ等は、言論によって薩長テロリストの既得権益が動かせない、と知らない。この点で、イスラム国は寧ろ薩長土肥や天皇家の権力亡者振りに倣っている。

書店

本屋に人を住ませた書店は、それがアミューズメント施設でない限り潰れるべし。

政治論

無能の隠れ蓑、保守主義。妄想狂の社会実験、進歩主義。衆愚の臆見、中道主義。狂信の権化、天皇制。暴力団の無政府主義。愚民の傲慢、民主主義。怠惰の合理化、貴族主義。

聖戦

自称幸福な愚者の平和を憎む者は、イエスのよう悲劇的に戦う。

脳科学

知能には種類があるだけで程度はない。

日本女

草食男子を批判しながら家庭内暴力を受ける愚かな日本女。

経済の限界

金は既存の人類にできる事しか買えない。故にそれは非創造的で、学術系に全面依存している。

終末論批判

ヘブライニズムを信じた人々は、仏教徒と同様潜在的に虚無主義者である。人類の絶滅を企図し、少数の意に沿う人のみに生存を確保しようとした面で、根が利己的でもある。

終末論

地震では全員死なない悲劇。

2015年10月21日

公務

金の為に魂を売るごみ共が天皇家奴隷となって卑しい人間を繁殖している。

表現権

二次創作権を侵害する極悪衆愚を粛清せよ。

極悪民主主義

単なる悪徳銭儲け社畜共が自称社会人と名乗り、群れながら、孤立した天才を迫害する。極悪民主主義文明。

自称普通

独創性と道徳性が関係ない様に、凡俗さ、凡庸さ、衆愚性、群集性、大衆性、凡人さ、多数派、自称普通と道徳性は何ら比例していない。

自称上方

すべてを茶化して惨めに死んでいくお笑い芸人が関西弁を話す。そして下らない子供に不真面目で、全人を嘲弄した態度と、銭儲けを教える。汚物。

極悪東京マスコミ

日本国政府のつくった茨城空港を、茨城県知事のせいにした極悪東京マスコミ。その分際で山口県の同然の空港建設には無言。極悪東京マスコミ偏見。

化石

まるで化石みたいな人類
生きているふりをしてる
いつか目玉ごとなくなって
小さな貝殻しか残さず消える
やがてあなたはいうだろう
この星遺跡はどの時代のもの
まるで化石みたいな自然
死んでいたふりをしつつ
手足をばたつかせている
朝から晩まで騒ぎ続ける
誰もが休む事なく働く
まるで化石みたいな生命
毒を吐いて薬にする
馬鹿な教授を殴り殺すゴリラ達

芸術論

芸術は、哲学に従属している。

2015年10月20日

先進

商人社会。福沢諭吉とベンジャミン・フランクリンの理想郷、そして地獄。

社会

人は社会を変えていく。

情報

でづっぱり対ひきこもり、情報社会では後者が勝利する事。

孤独の底で探したものは
どれもこれも宛先のないもの

ウィキペディア

極悪非道のウィキペディア、人類への偏見強化装置。マスメディアより悪質で、衆愚が支配している。

白人

男女平等主義のイデオロギーによって少子化し続ける欧米社会とその先頭を切る日本。さも性別や遺伝的差異を見ずに、自然の秩序を否定し、高等な支配階級ぶる事でアジアの多数派からおいつめられていく。

発明

四輪のタイヤ位置にドローン状の羽をつけたデロリアン型の飛行自動車。

2015年10月19日

海賊

鯨を追いかけて悦に入る馬鹿な白人共。

入れ墨

着替えられない流行。

もし君が孤独なら空を見上げるがいい
とわに星を包み込む大宇宙を
寂しければ野に咲く花を見るがいい
誰の為でもなく咲くこの草木を
誰かが君を笑うなら
母なる海の声を聞くがいい
誰かが君をけなすなら
惜しみなく降り注ぐ太陽を浴びるといい
全人類が君に文句を投げつけて
ネットに誹謗中傷を書き付けていても
うらむ事もなく磔にされた人を思い出せ
聖人達の説いた言葉がわからなくとも
時は平等に死を訪れさせるだろう
すべての罪は赦される

極悪商人

ひたすら極悪関西東京の極悪商売人達から金を貪り取られて死ぬ人生に、何の意味があるのだろう?

2015年10月18日

伝言

ツイッターはメッセージではない。

2015年10月17日

精神医学

薩長土肥と関西人のテロリズムを英雄かのようにまつりあげ、イスラム国を腐す人間の脳を正常としている精神医学は病んでいる。

消滅

世界には君ほど美しく偉大である人は居ないというのに
東京や関西は見る影もない俗物で占められている
この島の殆どを埋め尽くす下人の集団
こんな島で生きて行く事しかできないなんて
あの俗物共を一匹残らず粛清し
地上を清潔にしたいものだ
二度と関西弁や東京語が聞こえない様に
禍々しい極悪集団に原爆が落ちたらいい
金儲けと蔑視に冤罪しかしてこない
悪魔の東京や関西人達
一日でも早く滅亡して欲しい
あの醜悪な商売集団が皆殺しになり
一日でも早く君の偉大な魂が救われ
悪魔の天皇一族が消え去れる事を

テロ組織

米英ユダヤの捏造した暴力団、薩長土肥による明治政府とイスラム国は相似の内乱組織にすぎない。明治政府の末裔である山口人安倍晋三氏がイスラム国を非難するとはどういう道理なのだろう。テロリズムで東日本ならびに東アジアを破壊した極悪集団の一員である山口県民が、同様の目的で操られる異教徒を迫害する理由は何か。
 倭奴国を日本と名乗り変えた連中も明治以降の日本政府も、単なるテロ組織にすぎない。アメリカというイギリス植民地独裁のテロ国家が大上段に、自ら捏造した蜂の巣作戦用のイスラム国を弾圧する光景は、こういった政治組織をする人間達、天皇家を含めた愚劣極まりない連中の野蛮振りを証明している。

道徳

道徳は共通の利害集団をまとめるための考え。

自己中心主義者達

人種差別で第二次世界大戦をひきおこしておきながら、今度は集団で人種差別を弾圧する連合国民。人種差別で日本中を荒らしつくした関西人が、手のひらを返して関西人カテゴリー化を拒否する。

賭博法論

無限に課金できるゲームをギャンブルという。ソーシャルゲーム、スマホゲーム、オンラインゲームはすべて新手の賭博であり、法規制が必要である。

2015年10月16日

下愚

千年以上も先住日本人を人種差別してきた京都や奈良の関西人が、その事について何の反省も謝罪もないまま、今度は中国人や韓国人を人種差別しようとする光景の醜さ。下愚は移らず。

矛盾

怒りを感じたい時に聴く音楽とは何だろう。
 アメリカ人が人種差別をはやらせていたら、それに従順だった関西や薩長土肥の連中は、天皇家がマッカーサーに服従した事をどう思ってるのだろう。中国人が人種差別を主義としている事を模倣していた関西人が、今度は欧米人の猿真似をし威張り散らしている。

2015年10月15日

人類生物学

分娩時の苦痛は、人類が母性、特に子供への執心を保つ焼印として選択された形質。

名前

新生児の名前によると、現代日本の母の多くは未来に絶望させようとしている愚民としか言いようがない。馬鹿が子供を生むのか、子供を生むのが馬鹿なのか、そのどちらもの相乗効果なのか。ひとつだけ確かなのは、近い将来のこの国の民度が低く、この先80年程度の近未来が暗いということだ。

自民族中心主義の業

アメリカニズムの矛盾はすべて、それをおしつけたアメリカ人への恨みとして返報される様、薩長土肥と関西人、そして天皇家のおしつけた明治イデオロギーの矛盾も彼らの上におとされる。原子力爆弾、大不況、呪いによって自滅する驕者。

星中を慌ただしく飛び回り、金銀財宝に囲まれ大勢の俗人と毎夜宴会を開いてくらしている人と、明らかな知恵があり、尊い少数の人々に囲まれ、質素なくらしをしている人とでは、どちらが幸福にみえるか。この意味で、大都会には幸福のかけらもない。そこは俗人のすみかである。

尊皇

天皇という極悪非道と偽善の極端にいる奈良出の新興宗教祖、悪魔の一族に、多数派から洗脳され象徴と名乗られ満足している国民存在は、赤信号のさなか街宣車のわめきに夢中で、白昼堂々オウム真理教祖万歳と公道上にて叫んでいる狂人集団に似ている。

欧米中心教義

白人、特に欧米人は、自分達の産業体制に都合のよい差別の体系を全人類におしつけようとしてきただけである。この意味で、彼らの平均IQが東亜人より低い事は驚きに値しない。端的にいえば先に偶発的に蒸気機関をつくった悪人が、他の人々を虐待した。エマワトソンの演技臭い演説に涙する白人男女の馬鹿らしさは、彼らの脳の証左として、中世から今現在まで地球規模で彼らの父母や祖父母が行っている大侵略のなかで、彼らの動物じみた風俗を他におしつけた経過と本質から類似している。この愚行を模倣した薩長土肥や関西人は、白人と同程度に馬鹿だったのだろう。要するに、白人による白人の為の人種差別という自民族中心主義の必然的帰結として、情報産業もしくは金融資本主義という欧米のいる産業状態と違和している全人類を、彼らの仲間から排除し迫害する準備段階に、男女の同時的社畜状態という欧米中心教義の合目的性へ、全文化の型を強制的にはめようというのだ。
 天皇という関西や朝鮮、東京の混じった愚劣な狂人家系が常にそうだった様、欧米人も又、その脳の限界として白人中華思想しかもちえないのだろう。馬鹿と関わるなかれ。

脳欠損集団

自分のみが侵略可能で、侵略される事を想像だにできない脳の持ち主。天皇家も薩長土肥も、関西人も、或いは大多数のアングロサクソンやフランス人、スペイン人も、共感知能に重大な欠損がある猟奇殺人犯と全く同一の脳。こういった人達は他人の立場に立つ事がまるでできない。殺人できて殺人されないという病的利己主義、即ち集団自衛。国連も重大な脳欠損の集団である。

理性

アジア受けするオキシデンタリズム、欧米受けするオリエンタリズム。犬の様に発情し、猿の様に生殖する欧米人。ロマンチックイデオロギーで日本の現代人まで洗脳した明治人、福沢や漱石らは、そんな理性のない低IQ集団に何を見たのだろう。

2015年10月14日

東亜

儒教的徳目を維持している東亜人は、欧米かぶれでそれをわざわざ捨て、しかもキリスト教的徳目をとり忘れている俗物より幸福である。こういったアメリカかぶれは、関西と東京に多い。関西は東京かぶれで、東京は全体がアメリカかぶれである西欧かぶれだからだ。

ドラム式洗濯機の規格規制法案

ドラム式洗濯機のすべてにマグネット式の取り出し口を義務付ける法律を作るべきである。内部からも開放できる仕組み以外を許可している限り、子供が閉じ込められる事故が頻発するから。

アジア蔑視の性差別

オリエンタリズムの眼でアジア男性を蔑視し、アジア女性、殊に日本女性というカテゴリー化した人種の妄念を過度に愛好する人間は、第二次世界大戦の結果を延伸させた確証偏見を持っている。なぜならアジア男性の中にX染色体としてアジア女性、日本女性の遺伝子が共通してあるのだから。本質的に同じものを、奴隷化や配偶するのに好都合な時だけ優遇する事は、ただの性差別主義にすぎない。
 この構図は秋田県とか京都府、場合によっては北海道、沖縄等、戊辰戦争前後の侵略または既往の女性優位な伝統的側面への偏見によっても見られる傾向であり、人類として恥ずべき事であるか、さもなければ非科学的な無知蒙昧である。

慈善

慈善は良心的な人間だと自己を定義したがっている超自我が、その確信を深めるべく行わせるものだ。偽善的なそれは利他性を考慮しないのはこの為である。そして、慈善が人類を救済するというより、そうふるまった人間にとって超自我の自己への勝利を告げようとする発達の方向性が、一生のうちに強化されるのだ。さも寄付や自己犠牲、献身的奉仕がすべての他者を、恐らく救済できない程悲惨な人々へも救済をもたらしたかの様な頑固な思い込みで、自己洗脳する為に。功徳の内容ですらこれを超えない。無論慈善以上に尊厳あるふるまいがないにも関わらず、それは自己欺瞞の一種にすぎない。

経済学

女性に社会進出させる限り経済衰退の悪循環が続く。自分で男の仕事を奪いつつ子供を生育させたがらない女は、一種の化け物の様に人口を減退させながら、男女雇用機会均等法を濫用して金の亡者となる。一部の仕事の才能のある女性を優遇する事を除いて、一般的な女性が欧米気取りで日本の地位を下げ続け、かつ、白人男性に媚びる光景。愚かな日本政府。

絵画論

ピカソはキュビズムを理解できない人にとって分かりづらいのではなく、単に趣味が悪い上に下手なのである。絵画について理解しないとされる素人がリヒターの抽象画を色彩の美についてだけ言及する時、抽象表現主義への倒錯したパロディ(「倒錯したアクションペインティング風の抽象」ブクロー、1986)といった概念は全く意識されていないどころか、絵画として言内に伝達できるものがそれだけなのである。この意味で、絵画は常に評論家、或いは専門家のもつ解釈言語とは別に、価値を有している。

2015年10月13日

現代

ゆるぎない絶望の上で踊る
自称資本主義の成功国家
地獄の様な下俗のはびこった俗悪社会
愚民共の群れの中で空を見上げる聖人
死にに行く為に生まれ
生まれ来る俗人の子を呪う
醜く救いようのない現世
愚民共の群れの中で天を仰ぐ屍
ゆるぎない絶望の内に眠り
自称民主主義の平和国家
地獄の様な犯罪のはびこった天皇社会
愚民共の群れの底で草をなびかせる風
生き残ったものを馬鹿にする世間
戦場で死んでいく先人が見た未来

瓦版

新聞がnews paperの訳語として渡来品扱いされて以来、瓦版にすぎない落書きに信用を置けると思う愚民の数。ニコ生動画やツイキャス配信を大勢でやっているにすぎないテレビを凄いと思う人達は、東京都民の数に圧倒されやくざに騙される愚民と同じである。

神学

神という言葉を人格性をもつもの、つまり人格神として使うとき、最高の聖人といいかえても同じである。擬人化された全知全能性。

ブランド

原発&TOKYO

2015年10月12日

悲劇

われらの探していた幸福
われらの求めていた夢
われらの見つめていた未来
どれも失われ
どれも無残に貶められた
老人達はあざ笑い
われらの上に犯罪を働いた
子供は悪意の中
われらに濡れ衣を着せた
あまりに醜い現世の俗物達
あまりに酷い偽善の天皇家
それも皆つかの間の劇
われらの目に映る悲劇であれ
神は演じろと命じたのだ

史学

若さを政治行動に焼尽する悲劇を知らない人々は、歴史の教訓を学ばなかったのだ。

野蛮文化

東国、アジアへの侵略犯である広島や長崎が、自分達の侵略罪が失敗した途端、被害のみを自慢する。彼らの反省とは何か。江戸幕府への裏切りと無実の人々への侵略犯罪を正当化しながら、国連から罰された時のみ後悔するとは、曖昧な言説で歴史的反省を怠る事以外何でもない。強大な暴力を振るわれたら反省の振りをし、自ら暴力を振るった事には驕っている。面従腹背、暴力追従。それが西日本の野蛮文化なのである。

語学

英語では愛(Agape)と恋(Eros)の区別が曖昧である。又、日本語においても原語としてのloveが恋の意味で転用される場合がある。

数学

数学は思考の方法であり、真理ではない。

野蛮

暇人の利己的動機に基づいたふるまいを公益にみせかける暴力。政治についての正義を強請する人間は、価値のないふるまいに命懸けになっている点で、特定のイデオロギー狂信者と変わらない。そこで懸案になっているのはマウンティングの関係に過ぎず、権力は野蛮さを証明する方法でしかない。

宗教学

人が動物と同じ様なのだ、と知る事は、ヘブライズムの信念をすりこまれた人達以外には2通りの意味をもつ。1. 安心、2. 侮蔑。仏教をはじめ諸動物に人と同じ様な生態的地位を認めていた信仰を背後にもつ人達は、動物的な生殖過程に軽蔑の念と、性愛というその美化の両方を認める。しかし、我々にとって重要なのは、慈悲や博愛はこれらとは違う性質である事だ。アガペーは人らしさの特性であって、その理想化が神あるいは仏という完成された人格性を想定させていた。

新興宗教

戦争に負けたので反省した、と述べている薩長式野蛮人達、日本の西側に住んでいる民衆は、もし日米戦に勝利していたら相も変わらず自己中心な蛮行に驕っていたのだろう。徳川家の自宅に武器を持ってあがりこみ、悪業の限りを尽くしている奈良の新興宗教祖は東国へ謝罪を行ったろうか。

民主主義

イワシや蟻、古細菌が自分達は多数派なので正義かつ安心だ、と考える様に、民主主義的であるから正しいとか、いかなる暴力も正当化されるとか考える人達は単に、凡庸なのである。大江健三郎の民衆政治への固執は自らアメリカ化に没頭する自己洗脳にすぎず、根拠が2000年程度の奈良の新興宗教である天皇政治にこだわる態度と双璧に意味がない。

世襲の独裁者一族が民衆に自己奴隷化を進めさせる為の巧言。和の次にひねりだされた呪文。

自文化中心主義

『旧約聖書』創世記9:3
「(神はノアとその子らにいう)すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える」
オーストラリアや欧米をはじめ多くの人達は、利権の為に多数の動物を絶滅させてから、極東の島の、おもに西の側に住む一部の漁師らがクジラとイルカを捕獲する事を罰そうとした。聖書の利己的な濫用による自文化中心主義者は一体誰だろう。

2015年10月11日

日本のクリスマス分析

キリストの生誕祭を恐ろしく素朴に祝う大多数の平成時代の日本国民の中には、東京人を主に、科学的には不貞でしかありえないマリアという母とその子に訪れた聖人迫害の悲劇を、性の全的肯定として捉えなおしている人々がいる、と考える事もできる。多分、この都内マスメディアと商店を中心とした風俗を増長させた原因の1つに、早稲田大学生の乱倫を描く、京都・関西出身者村上春樹『ノルウェイの森』が講談社から、赤と緑のクリスマス色の装丁で大量に売られた事もあるのだろう。
 しかしこの商業化された祭りは、寄付のため贈り物を持ってくる聖人の比喩を発端として次第に誇張され、神の慈愛なる理念の啓蒙というイエスの意図とは異なる結果をもたらす程になっている。宗教的な意味を剥奪されたクリスマスは、世界の田舎者としての日本国民達の上に悲惨な勘違いを与え、商人、又は江戸以来の町人達の粋の病理を触媒に、性の肯定感を無用に強調しすぎている。そしてそれは12使徒達が捉えたキリスト解釈、その純潔主義的な物語への、大多数の東京民からの総合的な皮肉ともなっている。端的にいえば、科学的な意味におけるマリアと、東京民らは、紫式部を端緒とし本居宣長由来のもののあわれ論を無意識に持つ京都人或いは関西人という黴菌を通じて結託し、不倫を合理化している。この意味において滑稽化されたイエスの誕生日祝いは骨抜きとなり、宙吊りにされ、悪意のある東京都民が無自覚にキリスト教信仰を侮辱する、毎年の恒例行事となっている。

常陸

尊攘と観光客の交わりに時を越え来て常陸佇む

日本学

なぜこの島国の人達は、天皇制を始め、愚劣な世襲の指導者を背後から操ろうとするのか。『菊と刀』にある様、紋切り型を好むという保守主義の理由で? 方や優秀な指導者(徳川慶喜の様な)が出現すれば嫉妬やねたみ、恨みでひきずりおろす。無能を長にしたがる民衆を持つ国が幸せだろうか。
 薩長土肥の恐怖政治を褒めちぎっている連中は、一様に、ルサンチマンに共鳴する類の社会的弱者である。要するにこの国の民は、天皇家等の専制政治に馴らされて、且つその絶対主義制度への本質的な怨嗟の念から、出る杭を打つ。そして長を人形化し、体制を形骸化させつつも、露悪のためそれを表面的に維持しているのだ。

東西

関西文化は喜劇的基調、関東文化は悲劇的基調を持つ。関西では劣っている事が、関東では優っている事が慣習上、優先的に選択される。

環境

宗教や哲学、倫理道徳を一切信じない人間は、隣人全てが悪意と犯意をもつ環境に暮らす。

資本主義体制

平和な極貧か、戦争での夭逝か。年少者を奴隷化してきた資本主義の権化共が現世利益の為に人類へ殺し合いさせ、そこから金を搾り取る光景が地球中にばらまかれていく。都内で品性下劣な娯楽に耽る極悪非道の差別主義者である衆愚か、平凡を気取り物陰から戦争主義者の片棒を担ぐ大衆か。出口なき地獄。
 偽善と俗悪に耽った関西人が東京で犯罪行為をする自覚もないまま、島国と海外とをますます堕落させていく。天皇家の一生も地獄的なら、一体、彼らが搾取している日本国民と世界人類とやらに、連中の悪業を批判するいかなる手立てがあるというのか。

侵略者

南京大虐殺記念館が世界遺産登録され、薩長侵略の遺跡を無理やり世界遺産に登録させた長州人首相が今度は発狂。朝から心躍るニュース。政治家連中とユネスコは、トムとジェリーの様。

ソニーmicroSDXCメモリーカード64GB Class10高音質モデルSR-64HXAの現代アー ト性について

コンセプトモデルを売り出す勇気、という意味で現代アート集団に漸近するソニー。キッチュな製品をアートとして成立させている点で、クーンズや村上隆といったマスアートの逆対比と解釈できる。

動物

動物を可愛がる事は、人間生命のむなしさを慈しむ事の反射である。

芸術家

努力すればするほど金が儲からない仕事、怠けていれば罵られ、働くほど迫害される。どれほど頑張っても一銭にもならず、そもそも何の為の職業なのかもわからず、誰からも求められず、能力と成果が何ら比例しない。博打より分が悪いのに限界までの努力を要求され、過労の中で赤字しか出ない商売。かと思えば運次第で救世主や神人かの様にまつられ、大部分は狂人扱いされ名もなく死ぬ。無銭なのに羨ましがられたかと思えばやくざものほど金持ちになり、挫折した連中からは嫉妬で虐待同然の扱いを受ける。仲間も話し相手も、理解者もいない中、夢遊病者が亡霊を相手にする様、生まれてもいない子供に語りかけている自称高尚な作業。ゴッホや芥川が自殺したのは、こういった仕事に就く為に彼らには適性が足りなかったのか。そもそも、この種の職業の適性とは何か。

建築論

建築物の美の理解とは、時代の外に立つ事だ。

美術論

自分自身の為に作られたのではない美術は、どれも工芸品に過ぎない。この場合の工芸は応用芸術でしかなく、人々に心理的あるいは感覚的影響を与える為だけのものではなくなっている。純粋美術という概念、我々はこの極度の重要性に無自覚である。しばしば美術が魂の救済、精神の浄化といった効果を持つのはその様な機能に特化した形式を獲得したからだ。
 実際、純粋美術と応用のそれの間は、特に京都や東京(旧江戸)界隈の商業芸術の中で越境される。こういった商圏は、取引自体を合理化する為に商業的形式を芸術にまで適用したがった。簡単にいえば、商人の都合で芸術の本来の形式を歪めた。例えば琳派(俵屋宗達、尾形光琳ら)や浮世絵(葛飾北斎、歌川広重ら)といった装飾工芸品的な制作物、現代でいう漫画、アニメ、ゲーム等のサブカルチャー類。これらはその目的が、商品である。ミュージアムショップにある諸々のグッズ、或いはディズニーやジブリのキャラクターがついたマグカップとかスプーン、ゴミ箱等の日用品。
 我々は純粋美術を求めて努力していたのであって、応用美術を求めていたのではない、という見方によってはスノッブ趣味にも見える態度は、アカデミズムの中で無自覚に強調されがちである。しかし問題はこの態度が古典主義とか紛い物の画壇政治的な闘争に濫用され易い事だ。
 所で自然の花は競争していないだろうか。美術は隣人との関係においてしか成立し得ない特殊な工芸であり、それどころか目的の制作行為である、という条件が我々の抜け出せない業であり、それを画業と云う。競争的に優位な花がその場を支配している光景は、流派あるいは派閥の論理でおきかえられる。成る程、こういった競争は醜く、ひどく現世利益を目当てにしており、究極のところ意味もない。美術史家にとって過去の傾向的展開をまとめやすくする、という間接的な効用を除いても、芸術家は純粋であればあるほど孤立する。そして孤立した個人の独創を認める為には、鑑賞者の側に批評の才能がなければならない。

2015年10月10日

最終悪

周りの群衆あるいは多数派に同化しようと望んでいる集合、つまり大衆は、人類史上に現れた最も邪悪な存在である。彼らはあらゆる悪業をデモクラシーという名義で合理化し、恥じない。どの様な独裁者も裁かれ得たが、大衆の業はより強大な国家組織によってしか否定され得ない。最終的な悪は、世襲の独裁者を支持し、その罪を責任転嫁しつつ隠蔽している大衆である。

日本政府、わけても安倍晋三一味が犯した国際犯罪、シリア侵略の後衛を支持した大部分の日本国民が、今度はそこに発生した難民を排除し揶揄するイラストを弾圧する。米英に媚びる事しか頭にない犬共が、政府にも民間にもうろついているのだ。

芸術論

凄まじい貧困、困窮と絶望の中であらゆる差別、蔑視、虐待に冷遇を繰り返される職業を人類は1つでも知っているだろうか。幾ら働いても一銭も獲得できない。そして過労を強要される。人はこの芸術家という職業から呪われている。だから当の職業人が夭逝した時にはその人を慰霊の為に神格化しさえする。ここまではよくある姿であって、預言者達の宿命だ。私は生き霊によって呪われた人々を知っている。彼らは現世の聖人を迫害し贅沢と高慢に傲っている罪業を、偉大な芸術によって、又その仕事の尊さによって永久に呪われているのである。大衆。これがその人達の名義だ。

宗教論

女が男の仕事を代りにする事で子供が減り、経済衰退に向かう島国は人口逓減という仏の理想を部分的に、図らずも実現している。大衆が出家する代りに労働者や引きこもり、サブカルチャー(アニメや漫画、ゲーム或いはポルノ等)のオタクとなり、資本主義という俗世への抵抗を嫌消費という消極的な方法でしか行わなくなっても、彼らの根本精神は仏教的である。つまり生命の否定。
 こういったニヒリズムは珍しくもない。反時代的な集団は退行的に、批判勢力として常に存在し、時にその派閥は超時代的となる。ニーチェは諸宗教を虚無主義の一種と断じたのかもしれないが、単に現実からの逃避先としての安全基地の機能が宗教なのである。宗教集団は敗れた政治集団であって、権力を得たそれは単なる政党となる。逃避が愚劣なら権勢も虚栄であり、集団的な思考はそれが集約的であればあるほど錯誤に過ぎない。

絵画論

絵画には批評の余地がない。よい絵とそうでない絵は一見して分かり、そしてそれは絵としての本質なのだ。絵画に関する批評は、どれも技術者としての画家の方法を論じるものにすぎず、絵画自体の美醜を変更する事はできない。絵画の効用、装飾性はその芸術性を超えない。

同一化

日本人だの何々人だのといった実態のない集団意識によって、他人の業績(ノーベル賞、金メダル、過去の権力者や武装団が起こした蛮行、芸術家や技術者の仕事等)へ同一化している連中は、自らの飛翔能力のなさを恥じて鷹と同じ鳥類だ、と言う鶏に似ている。

天皇論

中国文明への劣等感を種に、先住日本人への弾圧と侵略、あらゆる差別と虐待で小山の大将を気取っていたちっぽけな自画自賛の田舎者一家、奈良の天皇家が、欧米文明への劣等感を種に再び狂態を示している近世日本。その島国で自称民族教を信じている衆愚が東京に集り、反文明的蛮行を恣にしている。
 元来純日本人ではない関西人にすぎない天皇一家が、民族という幻想の枠組みで国民へ2000年近く大弾圧を続け、世襲の地位を確固たるものにしながら愚民を洗脳し、人類を騙している。全て権力によって蛮行を働く為である。野蛮人、この言葉は天皇という田舎者一族に当てはまろう。

芸術論

芸術は理解不能な事をしても、その意味を解釈される期待が持てる、という意味においてあらゆる精神を許容している。芸術はこの意味において現世に残された、今なお生活の可能な、恐らくただ一つ理想郷である。と同時に、それは全ての人類にとって永遠の墓場である。

正義論

大衆民主主義は魔女裁判の原理にすぎない。大衆世論、マスメディア、ミニメディア、あらゆる情報媒体は、群集心理によっていかなる正義も表現しえない。政府や裁判所が正義の原型ではない様に、ある個人や国連でさえ究極の正義を知る事ができない。
 正義はこういった媒体や道徳的な判断、ある理解に対する本質的疑義として常に脱構築的に再獲得された様に見えるだけである。それは逆説を愛する人類にとって、希望的な慰めとしての詩に類している。正義は詩人の中にしかない。最高の哲学者は最高の詩人という意味において、それは現実解釈の合倫理性である。

2015年10月9日

日本

生きている意味もなく年寄り達に殺されていく

2015年10月8日

老害国

昼間は気違い爺婆が悪事三昧をしている日本国。滅びて当然。弱者虐待と若者搾取しか能が無い悪徳老害共。地獄の底で苦しめ。

芸術

夢の先に
静かに
君は世界が理想通りだと
まるで全てが美しいと思っていた
確かに
君の想像はその絵を映し
さも完璧な宝石の様に
希望と若さの上に光っていた
囁く声で
何もかもが芸術になり
祈りに
不完全ながら星空は輝き
君の最高の未来を映し出していた
遥かに

宇宙が自由を要請している
森羅万象が消えてしまっても
あなたの声だけが響いている
海はたゆたうままに
山はなお青く
宇宙が自由を要請している
諸行無常がもし確かでも
あなたの心だけは残り続ける
けがれる事のない
まっさらなままの
いつなんどきでも
説明された経験のない
川はとどまりもせず
あなたの声だけを届けてゆく

夜は深い
人々がねしずまる町を歩くねこ
目に映る街灯のもと
きみは誰だ
小さなどんぐりが答える
夜は深い
町は少しずつあすに向かう
夜は深く
もう二度と明けないんじゃないかと思う
きみは誰だ
宇宙全体がじっと待ち構える
目に映るものは全て
消えていくまでの幻想
秋の間に転げ落ちた種

大衆

救いようのない現世
ろくでもない愚物共が悪事の限りを尽くす
成程連中が善良だとみなせと
奴らの悪質さは鏡だと
心理学者と精神分析のフロイトかぶれが言う
そして集団虐めを目前に見ろという
極悪首相と悪魔の天皇が
数えきれない幸せなアジア人を虐殺していく
アメリカ軍の後方で贅沢三昧
ろくでもない小説家共が悪徳の限りを尽くす
成程大衆が最善だとみなせと
奴らの愚劣さは鏡だと
キリストとヘーゲルかぶれのイギリス人が言う
そして大侵略と金儲けを信じろという

J-POP

中田とヒャダインに破壊されていくJ-POPは、小室以後に訪れた悲喜劇の渦中で何を思うのだろう。秋元を恨み、イ・スマンを呪い、小林の中で北川と死ぬ大衆。どうでもよいユーチューブ紹介テレビ上で村上一派と協働したファレルを幻聴の様に聴きながら。

芸術論

美しいものは芸術である。

建築論

ふさわしいものが箱になる。

絵画論

絵は心の反射である。

義戦

現代に義戦なし。天皇権力と薩長土肥に義挙なし。

人身売買

時は金なり、故にその人の命は金なり。フランクリンは暗示的に人身売買を教唆していた。資本主義は、人身売買の体系だ。

ナショナリズム

薩長土肥、関西地方、天皇家は、東日本一帯、東アジア諸国、英米仏ら連合国ならびに北海道や沖縄に押し入り強盗をした事を反省する日がくるのだろうか。自己中心主義、利己主義、帝国主義的侵略の合理化。一体、百済や倭国の末裔達が偏狭なナショナリズムを自慢しなくなる日がくるのだろうか。

2015年10月7日

無常

この世には永久不変にとどまるものがない限り、天皇家もまた一時の権勢に過ぎない。国政の中枢に巣食った独裁宗教権力として、その世襲の地位は空しい。

独創

孤独を守れ。群れてなしうる事に救いなし。

広島県民

上官と信義を裏切り侵略犯となり、国民虐殺を自慢しつくしながら、敗戦した途端に被害者面の広島県民を見よ。水戸藩の尊攘論、即ち専守防衛論、一国平和主義を己から裏切った広島藩にとって、侵略の失敗と敵国からの反作用は必然の報復結果に過ぎないというのに。

山口県民

侵略と人殺し自慢に終始してきた山口県民の国政代表が、再びまがまがしい侵略犯罪に手を染めその悪業の果を世界遺産にする。一体、山口県民は日本国政を悪用し、どれほどまで極悪非道に染まり切りたいのか。

薩長マキャベリズム

薩長マキャベリズムと連帯した天皇家が、権勢に恋々、虐げられるアジアを侵略戦での破滅にいざなうパターン。権力の為の権力は単なる暴力にすぎず、理性のない暴走には破滅しか待ち受けていない。

秋の虫

秋の虫われと孤独を分け合えり

西洋史

インディアンを虐殺し、先住民を殺戮してきたアングロサクソンが、今度は搾取を主義するユダヤと組んでゲルマンをやり込める。西洋史は完全な誤謬。

2015年10月6日

Group question

Everyone is different, at the same time, something is same as material.

詩学

偉大な精神は煩瑣を嫌い、猥雑な精神は冗長を好む。混乱した理性は複雑を愛し、整理された理性は単純を愛する。深淵な事を端的に示す才能が、賢さである。アリストテレスは長い詩劇を短いものより評価していたが、それはこれらの点から誤りだ。詩劇にとって最適な長さは、それが立派なほど短くなる。実際、時間の短縮によるある理念の比喩的伝達が詩劇の合目的性である。

文学者

私達はより立派な人になりたがった。しかし、つまらない文字を手に入れただけだった。

社会学

個人単位での遺伝差しか差異を決定づける要件がない以上、集団性カテゴリーは共通部分の偶然的一致を例外として許容しようと原則的に偽であり、そうである限りナショナリズムどころか社会学的集団カテゴリー認知は偽である。こうして社会学は集団カテゴリーという歴史的誤謬の論理を用いる限り、原理的に非科学的なものにすぎなくなる。

絵画論・宗教論

かつての神(古代宗教家らの脳内にあった神という理念)は画家を、非対象芸術、即ち抽象絵画に制限した。抽象絵画を理解しえない人達(いわゆる大衆)がいない文化があったなら、画家は益々複雑な模様を探求していただろう。イスラム圏におけるアラベスクは頑固にヘレニズムを否定し続けた結果、多文化主義の末梢神経扱いされる結果になっているが、それがヘブライ神の理想だったのだ。
 東洋の孤島には多神教であった前提条件の為に、諸々の偶像、抽象絵画を含めてあらゆる絵画様式が跋扈しているが、それはヘブライ民族の神からも、古代ギリシアの神々からも離れて楽園のイメージで語られるべきものだろうか。ヘブライズムそのものが元来堅い団結の為の方法論であったとすれば、孤島でのそれは要請されづらかったのだろう。こうして生きる神としての天皇崇拝が水戸学派らに仕組まれ、又それは象徴という名義の元で抽象化された。

疑義

哲学は疑義である。(モンテーニュ)

死の商人

死の商人を批判する茂木健一郎氏が、まさにそれが商売だった坂本龍馬をほめちぎるというのは、東国や韓国、中国、東アジア諸国、北海道や沖縄といった薩長侵略軍の被害を受けた人達へいいわけができるのだろうか。九州の親をもつ茂木氏は、被害者の立場への想像力がないにすぎないのだろうか。死の商人を是としなければ坂本をほめる余地などありえない。正規軍だった東国、北海道や沖縄、韓国、中国、アジア諸国を一方的に侵略したのは、坂本からのイギリス経由での武器供与につけあがった薩長土肥ら西軍と皇室だった。茂木氏は国民を蹂躙するのを是とし、他国民をそうするのは否なのだろうか。同時代的な侵略、米軍の後方支援による自衛隊のシリア侵略という厳然たる国際犯罪の前で、茂木氏達、侵略派である九州に起源をもつ人がたった160年前、同様の罪を東国、アジア一帯に犯した事を何も反省していないのならば、今現在の反省もまたなかったことになるであろう。侵略を是とするなかれ。

2015年10月5日

仕事の原点

自己にとって最も好ましい行動を過剰にする事によって、それを他者に分け与える。

2015年10月4日

存在

君が生まれたという事は
そこで完成されていたのだ
何か君以上の目的物があるとか
君より偉大で慈しまれたものがあるとか
誰一人想像もできない
誰も
君がおいて来たどの思い出も
そこで完璧に調和を生み
何か君より美しいものだとか
君より立派で尊ばれたものがあるとか
誰だって知る事ができない
もし嘘だというならここに来て
君の前に広がっている大宇宙を探し
君と同じほどの存在を見つけてみるがいい

文芸批評

『源氏物語』は短くしたら「皇太子が浮気三昧で、息子も浮気」でおわり。それをごてごて飾り立てやたら長くして、悲劇っぽくみせているが、実質は身分の最高度な愚か者が当然の如く転落するという喜劇にすぎない。故に描き方の間違いであり、単なる下手に過ぎない。対して『平家物語』は「雄々しい勇猛な武士も、ついには殺されてしまう」という、典型的な悲劇である。

2015年10月3日

芸術論

芸術は人間の自然である。

貴族

精神の貴族のみが尊敬に値する。

哲学論

哲学と呼ばれている傾向は荒唐無稽な体系、新観点、仮説的思考によって既存の科学、知識、技術、歴史、現実社会等の体系的体制を疑義させる。これ故にそれは無用ではない。ある目的にとっては、それ自体が目的なだけである。
 究極のところ、哲学自体が道徳の目的物である。最も簡単にいえば、絶えず考え直す習慣づけ。ある物事について完全には信じ切らず、疑い、完璧や絶対を否定する態度。常に賞賛を惜しみ、理屈っぽく、安易な行動や並べての政治的実践を拒み、最後まで口先だけで批判的である事。成程、ソクラテスが当時の体制に疎まれた訳である。

資本主義

哲学なき政治、感性なき知性、労働なき富、この三つが国家崩壊の要因なり(タゴール)

基準

正義は社会の秩序であり、芸術は社会の基準である。

美とは何かを知っている者は、それを表現する義務がある。

啓蒙の光

天才には俗物根性が有害である如く、衆愚は啓蒙の光で消滅してしまう。

東京人

アニメに夢中で芸術ぶる愚者が、原発稼業やあらゆる利権の癒着の中、地方蔑視しつつ贅沢三昧している恥知らずさ。

山口人

東京の原発金儲けに依存し、薩長から侵略してきた邪教徒が、さも偉そうに敗戦の弁を述べて売名している。

京都人

利己的で邪悪極まりない侵略、人種差別、地域差別前科犯の、性悪の権化で有名な京都人が政治イデオロギーで発狂している光景。

愚民

人殺しを職業にしてる政治家、天皇を尊敬する愚民。

2015年10月2日

現代アート

下らない社会人が、芸術家気取りで人を食った様な芸能商売もどきを現代美術とほざく。大衆に理解力がないというより、一種の俗物趣味だ。

抑圧者

金儲けばかりの極悪偽善者東京人。一体、連中の悪意に押しつぶされている全民衆の為に何ができるのか。

マッチの灯縄文の代を透かしけり

愛国心

自称天皇の汚れきった悪魔関西人発狂宗教の国
品性下劣悪徳充満侵略犯罪宗教権力気違いの国
この国に関西東京のさばりて薩長土肥と悪を極める

上位Jリーグ名案

J0。ジェイゼロリーグ。

2015年10月1日

早計

答えの出ない問題を早計するな。保留し、最大多様に検討せよ。

真っ暗な森を一人で歩いてる様な感じだ
誰もいない誰もことばもなく音もない虫達の声
虫のノイズ晩夏のなかに響き孤独の上を歩く

彼岸花

彼岸花命を我に伝えけり

傲り

成功はたやすく、謙虚は難い。

2015年9月29日

ポップソング

安っぽいメッセージを歌う糞歌手
下手な歌で俗習に媚びる金儲けアーティスト

金木犀

金木犀庭に香りて秋告げる
魂へすみわたりたる水の空金木犀の香る庭にみあげる
都会人混沌をすぎて秋雨に庭を超えきて虚栄忘れし
青空をしまいし宵に金木犀香りし舞台に虫の歌えり

いばらきけん

納豆うますぐいばらきけん

2015年9月28日

政治学仮説

共感知能の高すぎる人は左派、低すぎる人は右派となる。

空の青わが魂を透かしけり

軍人

平和を望みながら武器を取る人は、それが戦争と気づかない。

薩長体制

おいでませ宗主国きて脱亜論お土産戦争アリガトウ

絵画論

絵画は世界の視覚的抽象を通して、何らかの精神の内容を伝達する形式である。

2015年9月25日

売名

すべて被災者、被災地を売名に利用した悪意。そもそも東京の会社による原発自体、東京人の傲慢な悪意以外何物でもなかった。薩長土肥の悪業と何ら変わらない。俗物根性の中でも最低の部類の悪意を、品性下劣で愚昧な東京人共が寄ってたかって褒め散らかす。新手の植民地主義だ。

世界は続く

君の目に映るものがどれ程醜くとも
世界は続く
私達は気に病み
眠ったり休んだり
いつになっても安らぎが来ないという
悟った人を仰ぎ
世界は続く
この星が回りだしてから
いつか止まる時まで
世界は続く
君の目に映った地上がどれ程醜くとも
君の目に映った現代がどれ程醜くとも
信じられる未来の幻想を胸に
世界は続く

俗物

俗物とつるむなかれ。

磐城

秋雨の磐城に降りて音もなし

2015年9月24日

作品

愚劣な作品をみる事は、愚劣な人間達の生態を知る事である。

誇り

金儲けの才能がない事は、悲しむべき誇りだ。

2015年9月23日

不幸

わが国の不幸の殆どは、老人の悪意と愚劣な子供でできている。といっても、これらは彼らの人間的限界であり、改善しようがない。説教、教育、啓発、啓蒙にも限界があるから。悪意と愚者を避けて、関わるな。

生物学

不気味の谷は、更なる工学的進歩によって必然に漸減し、最終的に消失する。

夕日

秋になり猫に子どもに照り過ぎし夕日しずかにめぐりくすぎゆく

2015年9月22日

芸術論

絶えざる困窮と孤独、絶望と困難の中、偉大な理想を夢みて歩むが結局辿りつかない。

はね

いない
どこにも
さがしていた
どこにいるのか
いない
いつから
たとえてんちが
ひっくりかえっても
いない
いない
たとえあなたが
ここにいるといっても
もとめていた
あのはねのやさしさ

孤独

孤独を守れ。

2015年9月20日

言葉

愚者の言葉を見聞きするな。

教授

最も優れた絵の教授は、批評が優れた人だ。批評、criticとは理解の和訳である。

2015年9月19日

戦争によって平和が訪れる事はありえない。戦とは平和の反対概念であるから。

非道

朝鮮半島の人々を民族乃至人種差別する関西人達とその末裔は、自分達が本当は朝鮮半島からの侵略犯罪者で、過去の非道の報いを受けるべき存在である事実から目を背けている。

逆境

逆境は人を鍛える。嵐に逆らって立つ木の様に。

津波

我々は都市をつくり
自然を壊したと言う
我々の社会は
自然の一部ではないのか
我々は何の為の存在なのか
我々は宇宙に生まれ
やがて土に還るべく
さも必然の目的で偉大な様
殊更立派な理論を作ったが
どれも砂上の楼閣だった

それさえもおなじ
自然という概念はまがいもの
世界は意味もなく波に浚われる

自然、技

偉大な努力によって惨めな結果を得る。芸術という悲劇の前で、人類は無力だ。それは人生と文明の比喩、生命の象徴化である。芸術家の創造的努力は、人々の無理解と愚者からの迫害に遭うとして、折れる事も留まる事もなく続けられていく。
 成る程、人類は芸術を慰めにするにすぎない。道具として売買され、展示品あるいは投機対象として見世物にされたそれは代償であるか、何らかの自然の一部にすぎない(リヒターは理性、わけても近代的なそれが自然の外にあると考えていた)。では、人類はこの技を抜きに、ひとときでも生きていた事があったろうか。人の本性にねざす活動でなければなぜ、あらゆる幼児が教わりもせず、それどころか好んで描き、あるいは歌い、築くのか。
 人は芸術の中にしか暮らせない。都市も町も家も、道路も橋も飛行機も電車も、車も自転車も靴も、傘もバッグも。化粧品、情報機器から文字や電気まで、芸術家を疎かにしている人間に比べれば、その猿に類した顔の進化がいくら遅れていようとも、二足歩行の動物がこれらの技に属し且つ芸術の為にしかいきられないという条件から逃れえない。

芸術論

人から抜きん出る為ではなく、人の魂を救う為に作れ。

かなしみ

救いを求め
得られたものはかなしみ
死んでいくだけの花

古典

古典程よいと述べる者は、人類共通の古典である旧石器時代の住居や衣服にもどろうとせず、遥かミトコンドリア時代とか、シアノバクテリア時代の暮らしを懐かしみもしない。

2015年9月18日

言語芸術論

哲学と、散文詩或いは随筆、随想、手記は同じもののいいかえである。又、物語と小説、戯曲は、比喩や例え話、寓話のいいかえである。

走者

チュービンゲン走っていたら雨が降りずぶ濡れねずみだチューニンゲン

絵画

絵画は世界に開かれた窓である。

徳と齢

徳のない老人は一層軽蔑に値し、徳たかき子供は一層尊敬に値する。徳は歳と共に高まる傾向のものだから。

文学論

源氏物語を評価している人間は、一様に悪趣味で品性下劣である。平家物語を評価する人間は、少なくとも高貴である。要するに卑しい人間が源氏を、貴い人間が平家を評価するが、それらはそのまま作品内容の好みに現れた、人間性の違いである。源氏物語は好色な皇族が自業自得で転落する喜劇、平家物語は高潔なる武士が運命によって裏切られる悲劇である。

嵐去り明るき朝は澄みわたる

自然と芸術

自然は全的経験であり、芸術はその技術による再現である。

仕事

評価によってではなく、仕事によって語るがいい。

尊さ

ただ生きているというだけで尊い人がいる。

衆愚

イラクやシリアで自衛隊が無罪の人類を虐殺後援中は黙っておいて、自分がいざ戦争に駆り出されかけたら発狂する衆愚。偽善者どころか間抜けでしかない。原発政策を推進し、被災地を見捨ててまで権力亡者と化してきた自民党に投票した、自称普通の人間、赤信号を堂々と渡りどんなわるさでもしてきた大衆とやらの愚見。後先鑑みず、すぐ群れる浅薄の卑怯とその結果として蓄えてきた悪業の果を問いもせず。

美術論

美術とは模倣であり、世界の諸像を生き姿として保存するものである。美術が写す対象はあらゆるものごとであって、本質的に複製へ属する。模写、模造、模型、これらが美術作品の全内容である。美術は作るが、且つある形式をとるが、それはこれらの内容を巧みに表現する為の仕組みである。
 いいかえれば、美術とは世界を後から認知させる為の方法論としてのみ評価できるものである。美術という模造物、即ち現実に程よく似せたものがある為に初めて、人類は自らの属した世界の唯一性、あるいはその内奥にある彼らにとっての意義に自覚できる。
 ところで、アメリカにおけるディズニーの商業美術の利潤保護を代表として現代に急ごしらえされた著作権は、この様な美術の本質的意味内容に対して、模倣や模造を禁じるべきではない。その製造物の販売による利益でさえ、模倣製品がそうある様さらに優れた特徴、廉価版であるとか改良版といった場合がある。寧ろ全ての過去の美術の進歩とは、こうした形式の進化、展開の歴史であった。即ち著作権の立法にはその社会的意義に、人類未然から存在する美術の世界史的伝統に比してあまりに卑小な、既にして大いなる過ちがあるのであって、単なる商標登録された特定の型をもつ品物に関する商標権に、著作権なるものの全権利は吸収され消滅されねばならないのである。

意味

画家は、意味のあるものを生み出せない、と悩む必要はない。絵を生み出せばそれが意味である。

芸術論

芸術を尊重しない国は戦争によって滅びる。

2015年9月17日

個性

個性のない人間は機械にとってかわられるだろう。

絵画論

絵画は人に世界を受け入れる心情をはぐくむ。又、世界の有様について人々に学ばせ、彼らの心を和らげる。安息させ、時に、挫けるなと勇気を与え、励ます。いかなる悲劇であれ、絵画はそれを人類にとって許容できる範囲に表す。

建築論

古い建物の良さを継承する事なしに、新しい建築をしてはならない。

日本人

日本人は群れると、必ず悪さをする。集団の和が善悪に優先するから。

将来

久しぶりだな
君がなりたいと思ってた人にはなれたのか?
おいかけていた夢がきえさって
つまらない日常に流され
あとはしぬまでの作業
本当に?
君が楽しみにしてたクリスマス
よろこんでた夏休みにも
そんな予定は書いてなかった
最初から意味のない人生だから
生まれた不条理を呪うでもなく
しばらくの雨
君が描いてたあの夢の姿はきえさっても
おいかけていた人はもうみえなくとも
きみの努力は認められるだろう

労苦

終わりのない労苦はない。死という終焉であれ。

自称

権力者達が殺めてきた人の数に比べ、芸術家と呼ばれる職業の人達の殺した事のある人の数がどれ程少なくとも(繊細な良心の権化、平和の使徒としての大いなる矛盾である自裁を含め)、愚物は暴威に恐れ暴力集団に媚びへつらう。そしてその様な戦争、集団殺害事件を煽る極悪の報道人とやらがいかに醜くとも、自ら煽られて或いは自身の愚昧な意思、愚劣な頭脳で殺人現場に群れて向かう大衆、又は軍人程に野蛮で邪悪ではない。自称ジャーナリストの偽善はここに極まる。

成功者

成功者をねたむより、成功者から学べ。

反社会性

反社会的な人間を排除しようとする者が、最も反社会的である。反社会性とは、とりもなおさず公衆や支配者の誤りやすさを示す対象である可能性、乃至はそうなりうる資格を有するものだからだ。批評はいうまでもなく裁判ですら完全なる判定者ではない。それらは仮の判定であり、我々の文明における社会性の殆どすべてが、過去の時代では反社会的だった事を思えば、未来がそうでないとは誰にも言えないのである。

ミュージシャン

電気を使い過ぎたもしくは使うJRに対してあるミュージシャンが違法行為で抗議した事と、芸術家が売れているか売れていないかあるいは有名であるか、これらは何ら関係がない。立派な芸術ととるに足らない犯罪にも関係がない。テロリズムが成功すれば誉めたてる衆愚と、芸術の天才にも関係がない。違法行為による政治的抗議、これはテロリズム(略してテロ)と呼ばれる。テロを行った人をテロリストという。テロは成功すれば革命あるいは簒奪、失敗すれば犯罪といわれる。テロリストと芸術家には関係がないのだから、衆愚にとって及び難い天才への嫉妬と暴力が、自称と芸術家を呼ばせるのだ。
 実際にJRをはじめ電車を運営する鉄道会社は電気に依存してしか成立しない、外部不経済の組織なのであるから、政府が電気浪費税を課税する新法を成立させるべきだろう。少なくとも、発電がゼロエミッションではなく環境破壊を含めてしか成り立たない度合いが高い時代である程その公害への抑制がいる。
 ところで、そのミュージシャンが義賊である事を貶めている衆愚は、自分達の電気の浪費という悪業を正当化しようと、彼を必要以上の犠牲に仕立てようというのだろうか。それとも、己たちの犯さざるを得ない環境破壊の為の電気浪費から目を背け、偽善の魔女狩りの時に浸りたいというのだろうか。自分自身が第一の犠牲になる、環境破壊による近い破滅、わけても原発の再稼働による破滅を知りながら、その予想される最悪のシナリオから目をそむけるよう義賊を虐待する。勿論、違法の裁きを前提の上で、自分自身が義賊たるまでの蛮勇もない、無力を恥じる義心をもたぬ衆愚ではない事を祈るべきだ。

人は、学んだ者に似る。

金がない事をではなく、人々から喜んで金を与えられるだけの功徳がない事を嘆け。

子供

子供になる為に努力せよ。

学問

神ならぬ存在にとって、学問を疎かにするのは愚かである。

絵画論

絵画とは、手跡に残された思想である。

金銭

金銭の取引は手段であり、目的ではない。人間が目的である。

高尚

この世には、理解しがたいものは存在しても、高尚なものは存在しない。同様に、場違いなものは存在しても、下品なものは存在しない。

2015年9月16日

絵画論

絵は救いでなければならない。この世の不条理から、人々の魂を解放するものでなければならない。

冬の香り

また美しい冬が来るわが愛する冬の香よ
電気ストーブを出してつければ冬の香り

2015年9月14日

目的

人の生きる目的は徳を修める事、修徳そのものである。人、あるいは人類は修徳的生物であり、その人生自体が目的である。哲学する事、学び且つ考える事、理想や理論を唱え又考究する事は人生の目的である修徳に適う為の手段であって、究極目的ではない。何らかの社会改良の行動群、或いは修道的な実践もその行動のみならず当行動傾向自体が目的にはなりえない。徳の核心には人格があり、その人格が日々高まる為の諸活動はこの知能行動的な人類の一般類型に究極で合致するが、相対的或いは比較的な人徳は目的性そのものではない。単にその個人が修徳した経験の全体が、人生の最終目的なのである。そしてこの目的性は、やがて人類をそれ以外のものへ、我らがより神的乃至は精神性の高い実在であるとみなそうとしてきた類と変化させていくだろう。

2015年9月13日

仏語

千の小説より一言の仏語を求めよ。
 万の権勢より一言の聖悟を慎め。

罪と恥

ネットの匿名性を悪用し悪業三昧の人間は、善悪を恥として考えている。が、罪は恥ではない。罪も悪である。

悪名

大衆、自分が全人類と同じであるという同調圧力に順応している集団、或いは自分が普通であると感じている個人は人類がかつてうみだした全存在でもっとも邪悪である。かれらは全ての悪行を何のためらいもなく実行し、あの悪名高い天皇より無責任であるから。
 関西人、薩長土肥、東京人にとって、天皇と大衆の責任のおしつけあい、或いは無限の責任転嫁、スケープゴート、生贄、濡れ衣、冤罪の政はありとあらゆる蛮行と悪事を心行くまでくりひろげる為の、世界最悪の共犯関係である。そしてこの島の二千年程は蛮行と大犯罪の歴史以外が、この最悪の二者、天皇と関西人らから封殺されてきた。

2015年9月11日

極悪2ch

極悪の2chの匿名国を売る
極悪のまとめサイトが恥を売る
極悪の匿名衆愚が地獄生む

2015年9月10日

この世では、自分に可能な理想しか実現されない。それを一般に夢とか、夢を叶えるとか呼ぶ。

天皇制

生きるという事に疲れたら
ひたすら社会の駒である事
歯車としてのつまらない生命を呪い
ろくでなしの社会を恨み
その地獄で社会人とほざく下劣共を
ただただ批判しているがいい
成る程連中には俗悪さしかない
何の理念も理想も道徳も意識すらない
ただの偽物だ
生きている振りをしている紛い物
そうとも大衆とは俗物でしかない
くだらない現実に執着
ひたすら貴様を呪ってくるだけの
能無しで意味も意義もない奴隷だ

2015年9月9日

政治のよしあし

政治の良しあしは相対的に、つまり、異なる国あるいは地方同士でのみ比べてわかる。それはその地域民の賢さの程度による。

芸術論

よき魂をもち、よき魂をあらわせ。

デモテロリズム

デモ行進は集団テロリズムにすぎず、議会の意義を理解していない蛮行にすぎない。選挙によって行政を変えよ。

京都人

京都人に関わる者は不幸を覚悟せねばならない。世界で最も悪意の民族。

2015年9月8日

悪人

悪人達から逃れる方法は、悪人達の世界から離れる事だ。可能なら悪人達を倒すか、それが叶わなければ悪人達の存在から遠ざかり忘れる様にせよ。

共食い

イラクやシリアで自国軍が大虐殺を後押ししているときは黙っていて、いざ自分達が戦場におしだされそうになればぎゃあぎゃあと子供の様に群れて騒ぎまわる。偽善者の極悪京都東京人共。
 民衆を戦争に行かせて己が名誉を得る算段の愚昧な指導者と、衆愚の悪の殺し合い。最悪の現世。

聖人

聖人、その時代あるいは仲間の理想的な道徳を体現した人物になろうと努力する事は、人格的修養の目的である。又、それが完全に実現されないとしても、修行を重ねた分、人は聖なる性質を身につけるだろう。

2015年9月7日

弥生人

自分が天皇の臣下の様に擬態し
己の邪悪を補償されるかの如く
己の極悪卑劣を合理化されるかの如く
そうして生き長らえてきた
屑の関西東京薩長土肥
貧民から商人から芸術家から搾取し
あらゆる残虐非道を法で正当化
そうして人類を不幸のどん底に置き
あらゆる無礼千万を働いて自慢する
極悪人ども
天皇というひとでなしの悪魔に土下座
そうして貴様らの大悪業を
とりかえしのつかない蛮行の山を
少しも謝罪も賠償もしない悪魔の弥生人共

2015年9月6日

戦闘

くそみたいな連中
げすの底無しの屑
関西だの東京だので金儲け暮らし
それで天皇に媚びて人殺し自慢
しんだ方がいい俗物下劣共
そいつらがお前に言う
精神病院に入れろと
そいつらこそが屑なのに
寧ろ関西だの東京だのが病棟だ
ごみ以下の悪がのさばり
あらゆる不正と悪趣味で銭儲け
世襲権力の親玉が最高の屑なんだから
救われない現世と嘆いて自殺して当然
ただ願わくはげすどもと闘って死ね

2015年9月5日

芸術論

芸術の本質的機能の1つは、感受性や知性、道徳性の鋭い者が感じている不条理や理想を、他人に伝達することである。芸術はその本質がふれあいの様態にすぎないので、商業乃至政治的なものと異なる意味をもっている。

2015年9月3日

時は一歩ずつしか遷移せず。

二次創作権

流用を燃やしつちゃねらーMAD観る
ニコ動厨さのけん批判し二次創作
ウェブ衆愚マスゴミ扇動共倒れ

2015年9月2日

現代

つねにどの時代にあっても、人は現代人でありつづけたろう。今は過去の未来である。今に偉大でなければ、どの時代にあってもそうだ。

自然

祈りながら
願いながら
死んでいく
悲しみつつ
悼みつつ
どこで何の為に
それさえしらぬままで
いきつくあてもしらず
地球はめぐり
あなたをのせ運んでいく
けど森はしずかに
黙って人間界をみていた
海はいつでも
黙って我々を包み込んだ

2015年8月31日

感情論

愚劣な人間を相手にするな。清浄な者を相手にせよ。子供や孫を産み育てている人間は他の動物と変わらない以上、何の立派さもない。人間の正格は、その理性の度合いで測られる。とるに足らない者でさえ本能のままに子孫を残してきたが、かの文化はひらけていなかった。偉大な文明にあって、子孫を残す事より理性的である事が尊重されるのは、人間性に叶う暮らしは理性的にのみ営まれると人々から認識されているからだ。逆に、進歩していない文明の中で人々は獣類の如く本能的である。
 その文化が続く限り、本能は完全に消滅はしないが、他方その発露には理性との調停策として感情という方略が執られる。そしてこの洗練の度合いが、いわゆる趣味なのである。

努力

偉大な努力のあとも
どんな跳躍であれど
君は何もみてはない
君は何をみていたんだ
しんでいく鳥に尋ねても
海はすべてをのみこむだろう
はるかな頑張りの末に
やっと飛びたったというのに
君はどこ吹く風で
すでに誰かといなくなった
まるで予定された宿命だ
やっと書き上げたというのに
僕のうたが届けられていく宛は
常に決まりきった人だというのに

僕は頭を抱えてしまう事になった

僕は頭を抱えてしまう事になった
僕は頭を抱えてしまう事になった
僕は頭を抱えてしまう事になった
それからしばらくの間
のちなからん
たしかにたしかに

現象

遊び戯れる全現象も
消えたら何も残り得ず
不思議と願う
遊び戯れる全現象
諸行無常の中
今すぐ誰もが消えるでもない
消滅にさえ気づかぬ
そろそろと歩みだし
どこかで倒れいなくなる
明滅している星の中
現れては消える命でさえ
銀河に埋め込まれた偶像
くるくると回りつつ
落ちてくる楓の葉

2015年8月28日

にわか雨

急に気づいた
突然の雨
いつまでふりつづけるのか
急にあがった
今までの雨
いつから僕は眠っていたのか
連続で悟り澄ましてみたところで
別になにが変化するでもなく
急に怖じ気づいて
逃げ出そうとしたって
尚も海はたゆたう侭である
毫も僕は動じたりしないのだ
にわか雨
たとえ全人類が滅び去ろうとも

丁寧に描いたどんな絵も
気づけばなくなるものなら
このよはどこもそうだろう
とわに残せる傑作は自然の内になく
宇宙の外のたなごころのみ
まじめに働いた誰もがみな
悟った仏のごとき人なら
このよはすでにあのよだろう
とわに残せる落し子は世界の内になく
宇宙の外の神の言葉のみ
とわに信じる思いでさえも我が身と共に
旅人の枕詞となりはててしまう
始めにうまれた誰独りとして
いきつくはてをしらないこの旅に

誰にもしられてない場所で
誰からも遠くにいて
我々の未来を思え
価値のない今はない
あの原因不明の星空の一部に
我々の未来を信じていろ
計画通りの今じゃないとしたら
未来だってそうだろう
今すぐに飛び出して
車や船をのりつぎ
辿りつく果てに
もう少し眠ってから
君が起き出した頃
この星は宇宙の中を巡っている

あじさい

しとしとと降り続けた雨に
聴いていた記憶はあじさいに融け
枯れた
だから僕は言ったんだ
もう雨の音を聴くべきですらなく
少しずつでも
この世の幕を閉じ続けねばならない
それですべておわる
僕は絶望のねいろを溶いて
あの画布に天の色で
しりもしない原型を描こうとしたが
見えてきたのは他でもなく
君の微笑みだった
宇宙の花火みたく

2015年8月27日

名もなき工人達よ

名もなき工人達よ
あなた方の作り上げた場は人々が憩っている
あなた方の理想は人々の心を慰めている
あなた方の労働は誰かがきっと見ている
名もなき工人達よ
私はあなた方の為に大きな絵を描こう
まるでそれが私達の祝福された境遇かの様に
まるでそれが未来永劫の仕事を称える
神からの息吹かの様に
時に立ち止り天を仰ぐがいい
そこに流れ去る雲と星屑
名もなき工人達よ
我々とて同じなのだ
なにもかもなくなるまで

2015年8月26日

いなくなるもの
あらわれたもの
あなたは一瞬だけ眠りこけ
この世の変遷をとりかえそうとする
いなくなるもの
あらわれたもの
どいつがこの世をつくり出した
しりもすまい
宇宙のどこにいても
理由のない生活を続けていても
人間という兵器にとじこめられ
外に出たいともがいてる
ところで空には朝がやってくるが
きみはもう起きなければならない

2015年8月22日

よくみてほしい
誰もいない海岸に夕日
君は世界には何もないというけど
設定ミスの自然なんてない
ちょっと勘違いした
あの星がおちていく水平線に
輝いているあまたの人の街も
しんでいくだけになった鴎の骸も
もうないというけど
てもとにはあふれてる筈の光
もう手遅れみたいだというけど
見直してみたらいい
足りなかったのはこの世を創った人ではなく
受け入れる為に必要な頭だ

あなたのいない間
地上にはふる雪
あなたの遊んでいる間
天上にもふる雪
あなたのねむってる間
世界に雪がふる
ときにたちどまって
少し考えている間
月の動いてる間
星の巡りくる
町の喧騒のさなか
ふる雪のなか
私はあなたをよんでいる
永遠にふりつづける雪よ

2015年8月19日

脱俗

俗物に関わらずにくらせる事は、最高幸福の一つである。

2015年8月18日

夜と朝

夜深く夜深くに
誰もが寝静まった頃
続く寝息やいびきの中で
一瞬の願いを捧げてみても
いつの間にか朝が通り抜ける
地上を新しく満たしていく
新しい旭に打ちひしがれ
懐かしい夜は過ぎていく
悲しい夜を超えて
新しい朝が明けていく
旅人は憩ういとまもなく
新しい旭に打ちひしがれ
またこの道を辿りゆく
悲しい夜を超えて

2015年8月14日

茨城の祈り

いかなる困難にも打ち克ち
我らの前に広がる大海原に
一面に広がる旭のうちに
その正義を祈りゆくもの
神の名のもとに
幾多の争いが繰り返された
皇帝ですら
俗人のそしりを免れぬ
いかなる困難にも打ち克ち
己どもの理想を
我らの前に広がるこの大地に
一面に明けて行くこの星に
我らの正義を信じ来るものを
祈りゆくものを呼び覚ませ

広島長崎

徳川へ侵略はじめた広島と長崎の元に天誅至れり

歩み

私の前を歩くな
私の前には何もない
私の後を着いてくるな
私の後には誰も居ない
私より先に生きたものなく
私より後に死ぬものなし
誰からも知られる事なく
誰からも認められる事なく
歩き続ける
歩き続ける先に何もなく
倒れた所に死ぬのだ
生まれた場所から
私の死ぬその時に至るまで
歩き続ける

雨音

宛てもなく書きし手紙に降る夜なり
音もなく降りし雨垂れしずかなり
夏の傘とびし間に雨しずか
暑き日に吹きし夏風芯を過ぐ
雨音に世の不条理を思いなす
夏の雨広縁の椅子から見る父

2015年8月13日

死生

死から目を背けている人間は生命を感得する事もない。生きているとは、老化に向けて時間経過しているその裏腹にすぎないから。

2015年8月10日

障害と適応

すべての障害者に適応状態をうみだすことが社会的使命である。

2015年8月9日

筑波山

筑波山ひとり心を救いけり
せみのなく声のふるなり真夏日に
打ち水の中をはねたるめだかかな

絵画

絵画は人類を平和にする。画家、絵画は誰も殺さない。

2015年8月7日

安保

安保といい他国に戦争もたらせり

2015年8月6日

株は最も危険な娯楽であり、最も損害を出してきた賭博に過ぎない。

2015年8月4日

身近

人生では手に入りそうもないものを求めることをやめ、ひたすら自分自身のなしうることに集中するべきである。遠大な目標に向かって突き進む駱駝の様に。
 不正によって得たものは、正しい為に失われたものより価値が低い。

2015年8月3日

黒揚羽

黒揚羽くろあげは夏風に舞う宙を飛ぶ
冷えた西瓜スイカ食べれば鳴くなり油蝉
旨すぎる西瓜冷えけり蝉の声

2015年8月2日

発明

エスカレーター発電。一定の人数になった降りの重みを、ベルトコンベアで発電し、登りに使う。
 衛星発電。太陽近くの太陽光パネル衛星からの電磁送電。
 水力エレベーター。高い階の箱に屋上や山の湧き水等の雨水を入れ且つ人を積んで下ろし、降りたらその水をあるいは徐々に抜く。それとケーブルで輪になったもう1つ又は複数の箱は、自動的に高い位置に移動する。
 宇宙風発電。宇宙船を恒星か惑星又は流星に近づけて飛ばし、その宇宙風でタービンを回し発電する。
 核融合宇宙船発電、あるいは核融合衛星。宇宙において核融合船を建造しそこから自星に電磁送電する。
 核融合星発電。熱を帯びた星におけるタービンの回転で発電する。

利権

人は権力と金をともに握るとどこまでも腐敗する。

2015年8月1日

絶対

何も見えず誰もいない
窓もない夕べに独り座り
大宇宙を映す空を眺めている
小さな声で探した人は
深い森の奥でねむりつづけた
誰もが絶望の底で
ゆくえしれずの絶対を確かめた
いつも探して歩いていた
みたこともない景色は遠ざかり
みなれたこの町の美に満たされている
地球のどこで絵を描いていても
僕の記憶ほど美しいものはみあたらない
もうどこにもいない筈のあなたは
ゆくえしれずの絵画にねむりつづけた

不運

なにも持たずだれもいない
下らない西日本人
もう嫌になる
東京や横浜、名古屋の下衆
邪悪で死んだ方がいい連中と
同じ島につめこまれ
同じ国民扱いされる不運に
どれ程耐えてきたことか
未来を信じ
はてしない旅路を行く
あの旅人も偽善の足取り
歴史を見ずに
とめどない言い訳をのべる
あの愚者も廃墟で戯れる

進化

ヒトは、子供に向かって進化する。

2015年7月30日

夢破れた者を罵るなかれ、夢見ぬ者を罵るべし。

政治

政治とは短期的には、権力闘争による己の正義の押し付けである。長期的には人類の道徳的野心の実現過程である。

2015年7月28日

資本主義身分制度

資本主義とはカースト制度である。学歴主義も資本主義カーストに奉仕するものにすぎない。株主は、労働奴隷に賃金低下のため競争させ且つ搾取するピラミッド、の上位者に過ぎない。そしてこのカーストの頂点にいるのが天皇である。

2015年7月27日

悪には深入りすべからず。

美術

美術はその社会の文化傾向を表す。

2015年7月26日

文化人

才能があり賢く、学問を好み、しかも金持ちの子な時に文化人が発生する。更にその人物が天才だったとき、芸術家になる。文化人の発生率は非常に低く、諸人物の中で希少性が最も高い。天皇は世襲で確実に生じるが、天才の遺伝子は配偶者や配偶子で変動するので、天才はただの一人しか生まれない。こうして文化人の中でも、芸術家の希少性が最も高い。学習自体によってではなく生まれつきの才能によって生じるから。芸術家が死亡すると、その人にしかなしえない仕事はそこで永久に停止する。

2015年7月25日

夕立

よく思い返すといい
天地の逆さになる前に
きみの理想といい
ただの愁いといい
段々とつくりかえられる町に
過ごしてたきみの友達を
そこにいた無数の生き物を
草木と清流と沢と磯と川の流れ
湖に沼、空と雲を流す風の騒ぎ
よく考えてみる
すべてが手遅れになる前に
大事なものとはなにか
失い得ないものとは
突然降り始めた夕立に香るアスファルトの上に

悲しみ

傷つけられてしんでいく
みえない数の生き物達
傷ついてしんでいく無数の世界
見間違えた幻惑のさなか
呆れ返るほど単純に僕らは
その青春をくぐりぬけていった
焼き付けられた路面に咲くしらゆり
見たことのないほど爽やかな海岸線
もう東京電力の原発事故で入れない
衆愚の悪意の渦にうずまる現世
僕らのみていた現実は失せ
傷ついた自分達を残し政府や天皇は去る
傷つけられてしんでいった無数の命
誰にもわからない僕のこの悲しみ

月静やかに大地を照らす

波のね

暫く見ないうちに様変わりした
この町の上に通りぬける雲
生まれた理由を捏造して今を耐え
はてなき未来を空想してあすにねる
ときに立ち止まりあの声を思い出し
僕の中でとわの時間を
どれだけ絶望してもとりかえせない
あるべきはずの理想を追いかける
咲き誇っては散りぬる花々
まるで大地に約束してるみたい
漸く見えた海の色も香りも
あなたの為につくりあげた絵画だ
生まれた訳を探し続けながら
おわりなき打ち寄せる波のねに歌う

2015年7月24日

健康

自分で自分の健康を害するほど愚かな事はない。どんなに金銭を積んでも買えないものを。

2015年7月23日

報い

幸福は善の報いである。

綺麗さ

もとの自然と芸術が町を綺麗にする。先人が芸術家だと後輩も芸術家をめざすから、全体として審美的な意識が高まる。

虐めと侵略

弱い者いじめと同様、侵略した側は忘れても、された側は永遠に忘れない。必ず報復に至る。

市場秩序

市場秩序がもっとも有能であり、自動的に無能を淘汰する。学歴主義の無能選択性、つまり有名無実な符号理論は市場秩序において、もっとも有意に醜態を晒す。自由主義において負担理論が経済界に実現されていく。
 官僚制で保護された官営企業群の民営化は、符号理論の虚構をもっとも有効に暴く。

旅路

救いのない世界で
お経を唱えてみても
だれにもみえない
だれからも
俗物達はしんでいった
悪魔らは滅んでいった
かわりにこの島には
犯罪者の巣窟ができた
救いのない世界で
戦い続ける孤独に
救いのない世界で
希望を求める為に
どんな宗教でも商売でもなく
見返りのない旅路をゆくのだ

2015年7月22日

習慣

最善の習慣は勧善懲悪であり、最悪の習慣は弱肉強食である。

芸術性

芸術の芸術性は、他人からの評価で変動しない。芸術作品を批評できるのは、芸術作品だけである。

2015年7月21日

笑顔

誰にも手に入らない一瞬
僕らの前に広がったこの大海原が
誰もをのみこんであすを展開していく
夜、朝、昼と繰り返しつつ
また君の笑顔にたどりつける様に
生きている価値のない衆愚
その悪意の渦を掻き分けて行く
また君の素顔にふれられる様に
誰もが絶望の中で未来を待ち焦がれている
かといってどんな脱出手段もない
何の宗教に頼っても幾らを手に握っても
過去、今、次世代を順繰りにくりかえす
また君の心を励まして行ける様に
絶対に価値のある一瞬を手繰り寄せて

2015年7月20日

明けない朝

地上に音もなく雨が降る
広がった海に冷たい雨が
誰も救われない現世にさまよう
幾多もの魂が流されていく川
宇宙全体を駆けずり回り理由を探し
たどりついた家の奥で眠る
あなたのいない世界を求めて
たどりついた場所は救いの見えない闇
この世に晴れもなく雨が降る
誰からも見捨てられた雨が
自然全体を研究し尽くしても訳なく
たどりついた現実は絶望の地図
あなたのいない社会をみいだし
たどりついた今は夜の明けない朝

依存

会社や政府に依存して生活している人間は、破滅していく。

艦砲射撃

わが市に艦砲射撃の音もなく過ぎし時さえ波の音

救い

救いを信じる為に善行を重ねる。善行によって報いられる事が信じられる様になる。生命のすべてを善行に尽くす事で、救いを確信できる。これを功徳と呼ぶ。

2015年7月19日

教義

宗教とは古代の哲学であり、哲学とは結果的に、ある教義をつくる活動である。

姿

アバターは心の姿である。

民衆の賢愚

賢い民衆、善悪の判断力が高い民衆の元に善き政府あり。政治家、権力者の善し悪しは、そのまま、民衆の賢愚の程度である。民衆が賢くなるには学問を奨励するだけである。

町の音

あじさいの涼しい風にゆりのゆれわが町の音を映しけり

2015年7月18日

芸術家

芸術家を馬鹿にする者は、芸術もない社会に生きればいい。絵も音楽も、服も建物も言葉も庭も、いかなる置物も、写真や食器類すらなく。

2015年7月17日

ゆるし

相手をゆるすには、相手のよいところを見る事。

2015年7月16日

戦争

善は力である、正義とは善の力である。
 戦争をしない唯一の方法は、戦争をしないことだけである。

2015年7月14日

都市学

主に都市部は外来者向けの町で、田園部は生活者向けの町になりやすい。観光業主体の国の民族性と生活者主体の国のそれは長い間に大きく違うようになる。産業と世界遺産業は反する。見栄を張るには代償がある。産業育成と、世界遺産による観光業は両立しがたい。

現地偏見

現地メディアは自分の地域をひいきする。

人は何かを達成できずとも、正しく生きられればそれで十分である。

2015年7月13日

未来

永遠の未来で会おう

2015年7月12日

あげは

くろあげは庭より来たりて庭を舞う

関西薩長

関西人金をむさぼり性犯罪
関西人出て行け東国侵略者
薩長の侵略犯が江戸あらし
東国を荒らしに薩長威張りけり
出て行けといっても傲慢薩長人

江戸っ子

江戸っ子の五輪競技場銭を貯め
江戸っ子の五輪競技場銭惜しむ
東京人田舎者の皮剥がれけり
江戸っ子を名乗る東京銭惜しむ
都知事さん北九州のどけちかな
大阪と東京の利権二千億
江戸っ子の作りそこない競技場
北九州船出し作る船の骨
江戸っ子の金になりけり大アーチ
こりゃすごい地面に接さぬアーチ様
二千億みんなが払う貧五輪
建設の会社がたかるアーチ様
緑超え都知事見下す金アーチ
屋根もなき満点夜空の競技場
国民の涙が見えるアーチ様
国民の租税でつくろう大アーチ
やめないといわれたアーチやねないか
やめないといったアーチで雨競技
大雨の五輪競技で金が降る
やねもなく金もなくなる五輪かな
五百億払わぬといい屋根かけず
たのしいな夜空のみえる二千億
あら不思議冷房きかぬ二千億
ちゃきちゃきの江戸っ子にかかる屋根は無し

2015年7月11日

道徳

この世において、幸福になりうるのは、道徳的な人のみ。徳高きものは、幸いなり。労働は卑しい。不況において搾取をするなかれ。学者を卑しめる人間は、知恵から見放される。芸術家を貶めるものは、人生の楽しみから見放される。労働を崇拝するものは、奴隷となる。非常に質素な素材からでも傑作が生まれる。芸術の価値は、素材の額、製作期間、労力とは関係がない。芸術性は、かけた金額とは関係がない。

裕福並びに貧困係数

単位時間あたり脳内で金儲け以外の事の為に割く容量の割合を、裕福係数と定義する。また、この逆を貧困係数という。貧困係数が高いほど、文化資本に割ける時間が減り、相対的に貧しい暮らしとなる。裕福係数が高い程、文化資本が豊富となり、相対的に豊かな暮らしになる。

展開

野蛮な時代には野蛮な人々が、文明的な時期には文明的な人々が活躍する。

2015年7月10日

対照

京阪神と対称的なのが、首都圏における水東横(水戸、東京、横浜)の関係。

2015年7月9日

天皇教、神道の批判

日本民族という妄想を捨て全ての民族と同じ国を造るべきである。そもそも天皇は奈良の民族でわれわれ縄文は山門やまと民族ではない。天皇は国民に寄生している。天皇は自分の先祖を神格化し他の人間を人種差別している。天皇一族は、戦争犯罪をおかしながら責任逃れをした一族である。これらからいっても、天皇家は政治的に正しくない。

2015年7月8日

道の政治

誰が死んでも悲しまず、誰が生きても喜ばず、人間の利害損得を一切離れて、天地明道に基づいて政治を行わねばならない。俗人は天子にあらず。考えのままに地位がなるべきである。正しい考えをもってれば自分の地位がどの程度か、身分にかかわらずそれで十分である。もしその考えが完全に正しければ必ず自分の身分もあがって己が世界の指導者になり、考えが間違ったまま無理やり地位をもとめると絶対に失敗する。世界の支配者はそれにふさわしい考えを持つ人が、ひとりでになる。なぜ失われる地位があるかといえば、考えと地位に矛盾があるときだ。もし本当に偉大な政治思想をもっていれば、自然にその身分を得るはずである。王にせよ貴族にせよ。
 向上心とか理想、悪い意味でいう野心や野望は、考えと身分を一致させるまでその人間を働かせ、仕事させる。身分と理想が一致するまでその人は行動してしまう。老子が無為にしてなさざるなし、といったのは無欲に留まれば隠者になれるという意味である。哲学はこうして、よりすぐれた理想を常に生み出しなおす為に必要である。哲学は停止せず、継続される。理想は更新される。

明日

この国の中に居りけりわが眼その手に握る明日の姿よ

幸福

他人の幸を祝う人間はその人も幸いである。嫉妬深い人は、常に不幸である。

2015年7月7日

噂と現実

噂は嘘、現実が本当。愚者は噂を信じる、現実を否定する。

噂と現実

噂は嘘、現実が本当。愚者は噂を信じる、現実を否定する。

常陸の道

夜も朝もなくわれらの前に広がる道は新しき日々新しき常陸の道は

2015年7月6日

槌音

わが手に持ったつるぎは勇気
切り拓く道は未来
明けていく朝焼けに果てしない希望
この世に訪れる至福
太平洋から昇る旭のうちに
みかどの国が見える
われらの栄光を集め打つ槌音を聴け
その身に宿すこころは正義
歩き出す先に仲間
明けない夜はない
この町を映し出す優雅
日本海へ沈む夕陽のうちに
すめらの国が見える
われらの偉大な努力に打つ槌音を聴け

2015年7月5日

賎しい人間の不幸を願え。悪人の破滅を祈れ。宗教を妄信するな。

道徳

賢愚、善悪も程度だから相対的に優れた水準の人を見つけようとすればできるが、絶対的な人物は存在しない。
 自然と法則とは法則が異なる。自然と道徳の共通部分を業という。自然であって道徳ではない部分を野生、道徳であって自然ではない部分を理想という。
 道徳を高めることが人類の文明である。祈りや呪いによって道徳を動かせ。自然法則と異なる法則であるからには祈りによって自然が動くわけではないが、道徳的には感化を及ぼし得る。野生状態を理想状態で統治しなおす業が法律である。立法をもたらす為に道徳的理想を主張する事には大いに意味がある。
 悪には自罰性と、他害性の2種類がある。自由主義者にとっては他害性の制限のみ、自罰性は反面教師用に原則放任の説が支配的であり、社会主義者にとっては自罰性も制限対象に入る。道徳的知能は自罰性の感知も含むから、社会に対する適応性である。悪は業のもとに自罰される場合もあり、悪の他害性のために他人から罰を受けることもある。いずれにしても悪によって得する事がないのだから、悪を好む人間は自滅する。

2015年7月4日

歩き続けた僕の目に
みえたのは希望か絶望か
はてしない荒野の果てに
あるのは夢か世迷い事か
探していた今は着地点もなく
崩れ去る時に跳ね返ってくる光
手にする筈の声はもうありかもなく
枯れている
まるで君の流す涙と明るい囁きが
宇宙全体の理由だったみたいに
はてしない旅路の上でみたすべても
まるで僕の思う現在に射す
どんな光も
ただ君の姿を映す鏡だったかの様に

無駄

愚か者ほど無駄口を叩く。

2015年7月3日

権力

高貴な人は高貴に生きて死ぬであろう。全権力を手に入れても、中身は空である。いかなる富もむなしい。妻子を求めるな。それらは失われる。失われるものを殊更もとめるなかれ。いかなる民族もその民族のゆえに卑しくはならない。
 腐敗した国家や民族は健全なそれらから淘汰される。健全性とは強壮性である。

天皇制

天皇制とは、自死の宗教である。天皇制は誰も救えない。

2015年7月2日

ここちよき風の吹きけり磯原に朝な夕なに凪をのせつつ

2015年6月30日

幸福と利他

幸福は良心の満足度が高いほど高い。心からよい事をしたとおもっている状態で、しかも実際にそれがよい事の場合その最善の利他状態ができるだけ長く続くよう生きるべきである。

美人

美人だから死んだら印象にのこる。美人は健康である。

利益と公徳

利益を追い求める人は卑しい。いかなる虫もそうする。神は特定の個人のためだけに動きはせず、徳の元に存在する。利得を得るべからず。公徳に仕える者は信頼を高める。利他行動する人が政治に向いている。政治家は権力をもっているが、利益はあまりない。

桜の花びら

宇宙全体がおわりを告げても
何らかまわない
別にどこに生きていても同じ日常
死ぬまでの暇つぶし

何一つ理想が叶わないと知っていても
ひたすら努力していた君の手に
満開の桜の花びらがいだかれて
もうすぐなくなるこの国にはなむけを

もしだれもが退屈しのぎの現世なら
苦しみのさなかで仏の様に悟り澄まし

何一つ夢が叶わないと知っていても
ひたすら悲しみぬいた君の目に
満開の桜の花びらがいだかれて
いますぐ生まれ変わるこの国にお別れを

2015年6月28日

洗脳

天皇に洗脳されけり日本人

経験

うらみは国を滅ぼす。経験していない事を語るべきではない。

2015年6月27日

職業

自分に望める限り最善の職業に就かねばならない。

普段

普段がすべて。

芸術家は孤独の王である。

品位

人は同じ品位の人と親しむ。

支配者

人殺し息子が象徴国家支配

2015年6月26日

芸術

すべての技術は芸術として完成する。すべての技術は芸術が最終形態である。天才なくして芸術なし。金銭や名誉とは関係がない。絵画は色彩であり、言語でしか語りえない。絵画は表しはせよ、語らない。批評は相手の理解にすぎない。理解していない上での芸術否定はただの中傷だから、かえって中傷相手に利益が上がる。

2015年6月25日

移民

沖縄に引っ越した東京人ほどたちの悪いものはない、それに似たもの、東京に引っ越した大阪人。傍若無人めにあまる。

遵法性は道徳性の最低次元であり、法は最低限度基準にすぎない。合法だからといって責められはしないが、ほめられることも永久にない。遵法でなければ罰せられる。法を知るだけでは十分ではない。単に必要なだけだ。哲学や倫理を学び考えるべし。

2015年6月24日

民主主義

多数派に身を置くことで、己の下衆さを隠す卑怯者。衆愚の一種に過ぎないというのに。

雨の匂い

雨の匂いあじさいのあおをみて香る

2015年6月23日

極悪の南蛮西戎

なに不自由なく暮らす年寄りたちが
なにももたない僕らをいじめている
何をいってみても虐められるだけなら
ひたすら押し黙り年寄りを怨むしかない
極悪の老人や南蛮西戎人
人殺しの末裔を崇めて暮らしてる
悪魔の集団弥生がこの島を汚染した
なにももたない僕らから搾取したがる老戎
挙げ句には戦争で命まで換金したがって
極悪侵略犯の百済人が合理化する虐殺
極悪薩長土肥が無反省に悪意で中傷する
悪魔の集団弥生がこの星を汚染する前に
なんとかして奴らの極悪非道を人類に
全世界に伝えなければ

2015年6月22日

脳科学

仮説:都会人の眼窩前頭野は退化している。

画家

画家は環境がつくる。

あじさい

あじさいのあおに水色だれのため道行く人を望み町みる

海原

世界に君が現れたことは奇跡
途中で何度もふみあやまって
手つかずの原因不明な混乱の中
手繰り寄せた存在は零
夢想した通りの現実の筈が
薄汚い人間に触れて僕は立ち往生した
手繰り寄せた存在は嘘
ある筈の美はただの空想だった
一瞬でも林が囁くあいま
通り雨が梅雨空を覆って
けがれた地上を洗い流す
手繰り寄せた真実はから
あらわれた筈の女神も夢幻で
再び大海原に雲散霧消していく

2015年6月20日

冤罪防止法

冤罪防止法をつくり、マスコミ各社並びに個人または検察、裁判所等の冤罪による名誉の毀損へは謝罪広告や科料、懲役を含む特別刑をほどこすべきである。