2015年12月20日

都鄙の調和

感受性の乏しい人はなにをみても感動しない。ある心の貧しい長野人は、私が心から賞賛する日本最大の平野を占めた一大穀倉地帯、悠久の営為をこえて地平線まで稲穂の実る鮮やかな光景を荒地と呼びながら、汚泥にみちたコンクリートと塵芥の中に住み、親元から送金されたわずかな金を握って無礼千万を働き驕り高ぶっていた。その人にとって自然は物言わぬ対象であり、カントのいうよう、その人は都会の退廃と不徳を愛好する点で完全な悪趣味である。
 この種の都会かぶれは、本性から害他的となって群れ集い、反省の余地がない。自然が美で都会が醜という意で、ロマン主義の立場は商工業、特に商業のうみだす諸現象へ批判的である。少なくとも、農園の美を否定している面でこれら都会デビューの新興商人は国民の9割が農民だった時代を蔑み、まるでその牧歌的な農村社会からはきだされた自己を正当化するべく、都会の悪徳を礼賛する。つまり、金儲けを主義とするこれら関西、薩長土肥、西国藩閥系の成金根性は、単に拝金業商になる事を近代化ととりちがえたままにすぎない。それは文明化ですらなく、ただの人口減退策だというのに。あいかわらず農業は努力と勤勉で進歩しているが、働くほど賎しく貧しく浅ましくなるサービス関連の商業に従事する個々人に比べれば、利率がよいままだ。人類に食べものが不必要になりえないかぎり、全商人も農に全面依存している。第一次産業がきえてしまえば第三次産業以下も必然に亡ぶ。
 本質的に、前述のたぐいの都会かぶれたちは、農村において不必要なだけでなく余計者であった自分のいたらなさや社会不適応性を、特に都会の競争的で悲惨なくらしを合理化するのに用いているだけの、情けない下賎の民である。これら下民は、人口減の目的で都会につどっているだけではない。その退廃は反面教育として、その搾取はサービス競争として、いずれにせよ田園の善良で生産的な民への貢献についてしか価値をもたない。カントのもっていたロマン主義的態度は、ワーズワースらの田園詩人からきたるイギリスの王室、バルビゾン派以後のフランスの画家ら、はるか以前の時代の陶潜にみられ、中世の芭蕉や近代の雨情にも典型的にみられた田園賛美であり、私自身のもつ趣味の正格とこの都鄙の道徳的対置は一致している。
 モンドリアンのよう都会を称賛していた近代主義者たちは、不自然を理性の産物とおきかえた為に、都市と田園の調和という大観をできなかった。懐古趣味や逃避癖に陥り、山奥や古都に逃げこんで文明の利器を拒否してくらす原始主義者は、それにもかかわらず未開とされる段階の医療やインフラ水準に戻ろうとしない。都会の美とされていた商業趣味は、その醜悪とコインの裏表である。