2017年6月26日

損得と善悪

一般論として、弥生人は損得で動き、縄文人は善悪で動く。西日本人は弥生系が多く、東日本は縄文系が多い。

2017年6月24日

イデオロギー

Ideologieを否定的な意味で使う人達は、単なる考え方という言葉を仰々しいドイツ語で勘違いしているだけだ。

自由について

金がないのは欲がない証であり、無欲が最適であるからには、資本主義者らは蓄財欲の為の奉仕に引きずられているといえる。他方で生活保護を至上とする生保主義者らの一部は国家に寄生し、徴税権を私的快楽の為に濫用しようとする面を常々、勤労道徳を主張する資本主義者から非難される。だが資本主義者(資本家)が、生保主義者(生保者)を含めた消費者と労働者を搾取する事で欲深い資本家の強欲が満たされるといえるので、この非難は公平さを欠く。生保者には怠惰のみでなく、何らかの搾取不適合者、或いは宗教や信念上の理由で慈善家が含まれる。
 又、全員労働、皆労働、皆勤を主張する人々は、自由を奉じず標準類型とした社会平均の仮想的個性や徴税に関する強迫観念から、何らかの社会主義者、そしてこの自由の否定の傾向を強く持つ人は共産主義者である。更に、天皇家や王侯貴族ら旧資本家に依存的な人々は宗教原理主義者か保守主義者である。
 自ら欲する所の物を得る、という意味で、これらに平衡を取るには、個人の自由を中心に考えざるを得ない。人は各々なさしむる位置を占めればよく、無欲も怠惰も勤労も、他人への害が見いだせない限り他者へ強制的であるべきでない。
 原理や保守、社会や共産が危険なのは不適材不適所を強要するからで、世の効率を損うばかりか、分業にすら反する。また始めに述べた通り、資本は労働者と消費者から搾取して成り立ち、しかも株主は経営者からさえ搾取しているのだから、少しも誇るべき点は見当たらないのに、その傲慢さで貧困層を更に搾取できない事を八つ当たりめかして働け、納税しろと生保者ら始め経済弱者を迫害している。この害毒は甚だしく、怠惰な者が生活保護に入ろうとして合福祉な生活を営む権利を妨害さえする。ここに人権侵害の証拠があるのであり、怠惰な生保者が福祉を受ける権利をその他の人々が侵害するべきではないのである。しかも、生保者の中には僧侶や非金銭的な生活を営む慈善家も含まれるだろうし、これらの人々の生存権を阻害しているのが資本家の悪業なのである。搾取の罪をいいあてるなら、資本家や商人、労働者は一切が常々罪を犯してい
るのだから、彼らが不経済な人々を迫害するのは単なる自由の侵害でしかない。勤労、納税、教育は天皇家が国民を奴隷化する為に捏造した教義たる思い込みであり、これらは各法を超えた普遍的な義務ではない。資本家の脱税は常態となっており、労働者や生保者は一方的に搾取収奪されているが無自覚だ。天皇家は納税どころか更に税を搾取し、最大の生保者ともいえる。
 望ましいのは、天皇家や資本家といった経済強者の有害な振る舞いと傲慢を制限し、労働者や生保者といった経済弱者の権利や自由を擁護する事である。また無知や無教養に基づく天皇家や資本家への崇拝や追従、従属を啓蒙によって解除し、労働者や生保者らが被搾取的な立場である同士にも関わらず足を引っ張り合う過ちを諌めるべきである。搾取は最大の罪といってもよく、天皇家や資本家は労働者や生保者らを搾取している。生保者が寄生しているという見方は天皇家もそうである事を見逃しており、しかも、労働者も資本家に寄生し、資本家は取引慣行の法的統制や私設軍隊を持つ費用を節減すべく、天皇家に寄生しているのだ。革命によって王侯が退陣した国々で、天皇家に該当する地位は一代貴族としての大統領や首相、さもなくば官僚が占めているが、彼らも収奪対象としての労働者に寄生しているのである。これら相互依存関係は経済の今日の姿であり、その部分にあって権利侵害の患部を摘出し、照射的に治癒する事が必要である。

金と道徳

金に魂を売った人は、不幸に苦しむ。金を奪って魂を殺せない人を恐れるな。金は人を殺し得ず、悪徳が人を殺す。金の為に働く者は生涯苦しめられ、人の為に働く者は誉められる。
 清貧は成金に優る。芸術は商売に優る。
 衆愚は破滅を択びたがる。衆愚と共に生きるのは苦しい。衆愚は悪徳に媚を売り、金にひざまづく。衆愚から離れる一生は幸いである
 賎民は共に群れ、悪徳を礼賛しあう。下民は偽物を崇め、本物を辱しめる。愚者は無知を知らず、知ろうともせず、偏見を誇る。衆愚はあしき偏見に安住しようと群れ、身を誤る。
 愚者に合わせるな。衆愚の為に商いするな。尊き者、人徳者、賢者、知識人の為に振る舞え。大衆はあしき者であり、貴族は善き者である。知者は様々な禍を避け、優雅にくらす。哲学は最上の仕事である。芸術は哲学に仕え、設えとその身を整える。理性は人のあらゆる活動の王座を占める。科学知識は道徳の婢であり、政経は倫理の実際的側面である。
 金は魂を売る者の為の道具なので、金の為に働く者は死に瀕する。人の為に働き、無償で奉仕し続けた者を神が見放す事はない。たとえその人が神を信じていないとしても、社会に於ける良識の原理がその人を救うだろう。

2017年6月23日

油と水

油の浮いた水の透き通った美しさ

夜、結果

明けない夜はない
この恐ろしい暗闇も
全てがすっかり明るくなり
悲惨な時代も終わりを告げる
あしき人から離れよう
信用ならない人々の群れから
悪意の集団から離れていよう
もう誰も見れないように
啓蒙する者は疲れ果て
やつれて死に絶えてしまう
衆愚のままでいようとした者も
次々犠牲になって滅び去る
だから小さく祈り続けよう
全てが然るべき結果をとるまで

籠池氏

籠池氏誠を貫き国を射る
安倍夫妻不正と力を天秤に
天皇家地位を投げ出し税は盗る

2017年6月19日

社会

今日から僕は変わるだろうここまで追い詰めやがってくそ社会

良心

善を信じること、善の勝利を信じる事、正義の勝利を信じる事が、悪や悪意の集団に対する必要な抵抗である。
イエス「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません」
良心を保つ人は恐れる事などない。例え全日本人、全人類が共謀罪等で冤罪をかけてきても、自ら正しければ無罪である。

2017年6月17日

労働者の自己実現

労働の自己実現、格差拡大という両面のうち、前者によって成功するという事は、格差拡大体制を強化する。

この世に、悪意ある衆愚の日本国に、子供を産み落とすとは一個の犯罪に他ならない。衆愚は天皇や金持ちの奴隷として自由を侵害し、生活を迫害する。過酷労働を強制し、群れとなって集団犯罪、冤罪による善人への虐待を扇動する。衆愚の中に産まれ来ない事は最上の処世術である。

2017年6月16日

地獄なる日本国

年寄りに虐げられて子供には妨害されて暮らす地獄
衆愚群れ悪政悪法悪業を重ねて驕り繁殖す
侵略犯天皇の奴隷作らんと資本家の下で銭儲け強要
悪意なる人で満ちけり日本人さも地獄なり触れれば被害す

宮内庁の天皇監視義務

宮内庁は天皇家の反国民、反政府的なふるまいの一切を監視し、それらを内部暴露する装置として機能しなければならない。

労働奴隷

資本主義は、支配者の都合である。勤労、納税、教育の義務とは、天皇へ貢ぐ労働奴隷を作る方便である。

2017年6月15日

貴賎と幸福

幸福は孤独から得られる。教養は孤独を促進する。
 低俗な人達は低俗さに自覚がない。貴賎は比べてそれと分かるものである。低俗な人達と暮らすのは、地獄に落ちた様なものである。人は、貴い人と共にある事で救われる。
 政治的地位や会社内の部署は貴賎の本位ではない。知識や技能も貴賎の本体ではない。真の貴賎は人格によっている。低俗な人々は集まって住む。大都市に貴い人は住み辛い。貴い人の考えは卑しい人にはわからない。卑しい人の考えも、貴い人には理解し難い。貴賎の相互理解はほぼできない。貴賎の相互理解が及べば、それは既に貴賎ではない。
 貴人の幸は卑人には想像も及ばないのと同様、卑人の幸は貴人には共感できない。
 貴賎は主に、脳の質の差である。
 商業は人を卑しくする。商売に関わらない事は人を貴くする。

2017年6月13日

神道の嘘

神道は京都の神道家吉田兼倶中心の嘘。贅沢は金儲けにならない事を好む。天皇は贅沢の為に神道を利用した。

2017年6月12日

時駆け

夢のうえ人は滑りて時駆けて未だ見ぬこと探し旅する
すきまなく並べられけるこの世にてこなす先なく季節とけゆく
だれひとり象徴などなきこの国で空を吹きゆく風とわれ舞う
世界史の奥にあるもの探りつつわれは見るなり世々の無常さ
この星のそらを駆けゆく満天の星屑のうちにわれは生まれし
生き死にを超えて生まれしわが魂われらがひたちの土に誇れり
天皇も国民もなくわが心宇宙の生命みなを諾う
ひとりおり誰それ構わず作りける遊びにすぎぬ庵の生き身ぞ
このよにて学ぶべきこと探しつつ天地のはて目指し駆け抜く

芸術論

書き手が一番の読み手、作り手が一番の遊び手。

2017年6月11日

わが国になべて人ども群れうちて己をなくし平和思わず
戦なら野蛮なこととおもえかしおのが心を壊す業なり
まつりごとなすは己の心にて人に合わせてなすにあらざり
法つくり暴政抑える民ならば果ては皇も法を守らん

池静か

赤つつじ落ちた庭の池静か
たんぽぽの綿毛部屋から連れ出せり
窓の梅われの背を超え伸びにけり

皇家論

8人10代の女性天皇含め、43代元明天皇(母)から44代元正天皇(娘)への皇位継承を見ても、水戸学における万代一系論、又、現代遺伝学の見識から見ても、万世一系は天皇の伝統ではない。明治神道の浅学、薩長藩閥の浅学による性差別、男尊女卑の陋弊に過ぎない。一切の女性天皇も、女系による後継も、容認されねばならない。それどころか、福沢諭吉『文明論之概略』でいう血統の存続は、天皇の先祖が非縄文文明人すなわち弥生人、つまり中国由来の渡来人もしくは中国人、中国の江南地方人並びに混血された百済人ら、さらに先祖を遡ればユーラシア大陸北部の種族、凡そ全人類の始祖とされるアフリカ人であった事実からも、そして日本の先住人が天皇家と対置的にあいぬや縄文人、琉球人その他の7万年ほど分岐時点が離れた別系統の種族であった事実からも、明らかに作為的な侵略者の独裁と世襲が目的にすぎない。過去のどの時点の行状をとっても文化含む環境が変動している限り遡及処罰も報償もできない上、全ての人類の男系は等しく長い。即ち天皇及び天皇制の意義は血統にはみいだしえないのである。例えとして、もし現天皇が日本国民統合の象徴であるというのなら、あいぬ、縄文人、琉球人その他の日本先住権を持つ種族自身であるか、その混血度の深い人物が象徴たるべきであろう。近い将来、天皇交代制が実現せねばならない道理がここにある。血統も純血と見れば日本国統合の象徴として不適格乃至不正である現皇家は、遠からず廃嫡されねばならないだろう。更に別血統に継がれた天皇家が存在しても、この家が世襲であれ、国政への干渉を避け政府の外に置かれねばならないだろう。皇帝としての天皇、祭祀長としての天皇の両面は、前者の権限が象徴性である限り非政府的か単に政治に対して無批判な追認形式的でなければならず、後者の権限が信教自由下にある限り非全体的かつ独立的でなければならないからだ。

祭政並立論

現日本のあるべき政体は祭政一致(政教一致)と政教分離を調和させた、祭政並立の体制である。ここでいう祭、教は宗教である。神道長が象徴である事は一宗教の象徴化、国教化に過ぎず望ましくない。祭政は分離されねばならないので天皇家は国政の外に独立させられ税からその皇室関連費が一切支出されてはならない一方で、信教の自由が憲法上に存在している限り、何れの宗教も政治家個人の信仰の範囲で、祭祀可能である。
 抑、政教分離は厳密には不可能であって、何らかの信義、何らかの主義、思想は何れも宗教、信仰に過ぎない。個人主義、資本主義、自由主義、民社主義、社民主義、共産主義、原理主義、無政府主義、これらも単なる新宗教の面々でしかない。従って政教分離はそれ自体にあって矛盾する。なおかつ、祭政一致は一宗教を国家国民全体に敷衍せざるを得ず、信教の自由と矛盾する。祭政一致と政教分離、両者の矛盾を止揚、揚棄したものが祭政並立の体制というべきだろう。

2017年6月10日

月明かり

月明かり今生の事と思えかし磯原の空に時を刻める

2017年6月9日

自由

真の自由とは自らを義務に一致させることをいう。
 世襲は腐敗する。
 善は急げ、悪は遅らせろ。
 善行は自分が他人に囚われないための訓練だ。

2017年6月8日

宗教

宗教を信じるものとして教えることは不可能である。教義の一切は何らかの思い込みか、主観的信念である。

2017年6月7日

生の価値

生は一瞬ずつに無限の価値があるのだ。音楽が無限に鳴り続けることはない。永遠に続く音楽は聴けない。

2017年6月5日

遊び

遊びとは学習効率にすぎない。学びの段階化が遊びである。

百年一瞬
千年一時
万年一睡
億年一旦
兆年一夕

2017年6月3日

ファシズムの特徴認定

力強い愛国主義をしつこく表現
人権の重要さを軽く見る
敵集団の認定、団結目的の犠牲
軍事の優越、貪欲な軍国主義
飽くなき性差別
操作されたマスメディア
国家の治安への強迫観念
宗教と支配層の癒着
保護された企業力
労働者の抑圧か排除
知識人や芸術への蔑視
犯罪と罰への強迫観念
飽くなき身びいきと汚職
不正選挙
(ローレンス・ブリット『誰がファシズムか』2003年)
'The identifying characteristics of fascism'
Powerful and continuing expressions of nationalism
Disdain for the importance of human rights
Identification of Enemies/Scapegoats as a Unifying Cause
The supremacy of the military/avid militarism
Rampant sexism
A controlled mass media
Obsession with national security
Religion and ruling elite tied together
Power of corporations protected
Power of labor suppressed or eliminated
Disdain and suppression of intellectuals and the arts
Obsession with crime and punishment
Rampant cronyism and corruption
Fraudulent election
--"Fascism Anyone?"(2003), Laurence W.Britt

2017年6月2日

悪の天皇明仁

退位法を天皇が政府に命じ、実質的に押し付けるとは、国民主権の侵害であり、戦後憲法の秩序壊乱、違憲行政に過ぎない。明仁はこの違憲行政の悪業の責任を取って二度と、天皇家を復活させないように天皇制廃止を敢行しなければならない。

形而上学の概念について

貴い人に賎しい人の気持ちは伺い知れない。賎しい人は貴い人の考えを理解できない。貴賎の両人は相互理解ができず、意思疎通も基本的にできない。一部の芸術作品が貴賎の誤解を解こうと試みたが、結果は惨澹たるものだった。大乗仏教が教義の変更を迫られた事は、尊卑が別系統と示す。
 卑しい人達の倫理は愚昧である。だから卑しい仲間とくらせば、彼らの信じる善さが明らかに質の異なるものだと分かるだろう。趣味の悪さが下卑た人達の快適なのである。
 道徳とは卑しい人の理解ではない。民主的だとか多数派的だとかは、天皇の意思だとか教皇の教えだとか同様、なんの合倫理性も持たないか、倫理の中身と関係がない。多数決は便宜的意思決定の北アメリカ先住人における実用的方法だっただけで、倫理道徳と少しの関係もない。
 貴族性、尊さ、道徳性、倫理性、これらの集合は、形而上学の理解が十分ある人達にとってのみ、比較検討や考察の対象になる概念であり、何らかの形而下学、数学ならびに自然社会両科学によっては把握するのも難しい。しかも、形而上学の議論は批判的弁証法を基礎とするものだから、その他の単純な実証性とは異なる秩序を持ち、いずれの結論も決定しえない。だから貴い人の考えはより複雑、複合的だとみなしうるのであって、そうであるからには、善意あるいは善解釈の前で何事も断定的に述べ得ないほど様々な立場がありうるとしっている限りにおいて、道徳性の基礎が確立しているとみなせるのである。

幸来る

一言でいえば誰一人必要ない
執着を断てばすぐにも幸来たる
美しきこの世の姿われ待てり
腐敗せし日本国にあり雨しずか

現世人について

現世人がどれ程愚かでも、彼らの愚かさを証左するには時間も手間も十分でないから、俗人らと関わるのを避ける事が今昔の賢者の処世術だったろう。この悲惨な現世というものの構図は、一体いつの世でも同然だったので、君子が貴族主義をもつのは理の当然である。やがて封権制が衰え民主化の趨勢になってなお、衆愚の悪疫は更に燃え広がるばかりだったから、我々の中に脱階級の考えが芽生えていても結果はもっと悪い。
 斯くも悲惨な社会だから、当然、俗物の権威が最高の伸長をする。天皇家だの安倍家、麻生家、小泉家等の皇族縁戚者らの薩長藩閥寡頭政治が始まる。成金が更に上がろうと皇族に接近する。天皇は彼らを利用、乱用して差別的な格差を拡大する装置となり内心たみをみくだしつつ、表向き、偽善者の顔をする。増大する浮浪者らが関西だの東横だのに集まる。実に醜い衆愚が我が物顔で群れ、善意の人へ集団冤罪や匿名で差別、名誉毀損、脅迫、殺人予告を始める。
 要するに平成は地獄に過ぎなかったが、昭和もそうだったのだし過去いずれの時代も質こそ違えど地獄だったろう。地獄にうまれおちて嘆かぬとしたら、余程の無知か何らかの勘違いだろう。次世代も当然、地獄でしかない時代の狭間で絶望し、醜すぎる衆愚に犯罪被害に遭いながら、最悪の経験をし、そして悟る事になる。救いのない国家、日本での生の経験は絶え間ない不条理、不快、苦痛の増大に過ぎないのだと。
 唯一残されている現世の脱却方法が、無欲だとは。拝金、衆愚政治、天皇崇拝の俗物達、国家主義、民族主義、自称普通主義、自称愛国者達の愚かさにとってすれば、快楽追求としての俗人の現世が否定される結果となるので、必死になって解脱を蔑視する。だから日本では低俗で俗悪な人が悪徳の結晶を自慢し、破滅の宴を謳歌している。京都や東京ではこの種の俗物ごっこが真っ盛りで、目も当てられないほど卑しい。だが、私が少なくとも彼らの醜態から身を引き、下らない悪疫集団から離れている事ができた限り、現世のやり過ごし方としてある適応性をもっているのではないか。
 私は幾人かの俗物らが学問的な方法論という体裁で、当時の学会的なやり方を大上段にふりかざし恥もしない場面を目撃し、実際彼らの侮辱的表現にあったのは一度や二度ではなかった。だが彼らの精神構造は、勿論、スコラ学者の如く貧困な批判性しかない、前近代的で退化的な学会俗物でしかないのである。この種の俗物がはびこる科学界も又、際限ない迷妄と権威づけの政治遊びを繰り返す小型の猿山にすぎないのだから、いうまでもないことだが、当代の賢者が学会に属する事も絶対にありえない事である。それは立派な人格者が政治界に属し得ないのと同様、素晴らしい慈善家が商会に存在しえないのと同じである。
 我々は遥か未来に至っても同然の現世に育まれるものだと知り、冷徹に現代を見据える心的態度を身につける他ないのだが、その為に必要な手段は知恵でも知識でもなく、良識でしかない。全知が望めないとしても博学は可能だし、全徳が不可能として人徳は持ちうるのだから、この種の有限な才能が俄然無意味な訳ではない。万能人と専門家の差異はただ一歩であって、我々が俗悪な意図や堕落した自慢、高慢の為の満足をやめる事が第一である。俗人にかかづらうな、とは至言であり、我々は自らの良心を涵養する事を通し、野蛮な列島であれ、いや世界のどこにあっても勇気や正義、寛容や善意、そして慈悲といった正の心情を保ちうるであろう。おちぶれた人々はいざしらず、己一人覚めている事の意味は図り知れない。丁度、物語の中で主人公だけが理性を保ち、その他の人物らが俗悪な振るまいを続けていたとしても、現世という書物を読む者には彼、彼女の役柄は明らかである様に。

悪の東西小中華

京都から全国差別す文化庁東京と共に悪の権化ぞ
自称京都全国民を差別せし悪の植民地山城
朝鮮から侵略移民が植民し自称京都と名乗る悪質
自民族自文化中心中華思想あしき京都と東京の幼稚
耐えがたき中国移民の天皇家全日本を侵略虐殺し驕る

不幸の源

衆愚は不幸の源であり、他者を不幸にする事を生きがいにしている。衆愚の居場所から遠く離れて暮らせ。
 衆愚は反省せず、理解しない。悪意で群れ、成功者をひきずりおろす。病的にねたみ深く、他人の不幸が最大の好物であり、他者を悪解釈のみし、世界を悪化させる事を卑しい快楽とし、生の目的と思っている。

理性

この世で唯一の結果が理性
人が理性を超えて尊く成り得たか
喜びや憂いは消え失せ
有り体の世界に唯一貴き物
人が情動を超えて理想の内に住み
悲しみや迷いは忘れ去られ
絶対の地上で誰もがけがれた後
苦しみや慈しみすらなくし
次世代に唯一残された希望が理性
あらゆる錯誤を正し
源より行く末までを貫いて伝わる
唯一の掟こそが理性
衆愚や独裁者を遥かに超えて
最高の輝きに留まり続ける

地位財

金銭が俗物に付随する地位財な限り、富裕層は堕落した中間層にすぎないだろう。そして貧困層の中にのみ、模範に足る清貧な人が存在する。

創造

創造的個人が協調する事は時間と才能の浪費にすぎない。

徳性

功徳は満ち易く、悪業は溜まり易い。善行のみ為す者は果報を寝て待つ。善人に憂いなし。
 悪事を為し、悪果が来ないと信じている者は、単に愚かである。
 禍福は必然。偶然に人業なし。人業は必然なり。善業を為しつつ悪果を恐れる事は、偶然が自然に待つ限り、杞憂である。
 低俗な者と関わるな。只管高潔な者に交わるが良い。徳性がうつる物と知り、高徳の者とのみ親しむがよい。

悪意について

悪意は自滅させ、虚栄は破産させる。悪徳は不幸をもたらし、悪行は人格を堕落させる。
 衆愚と関わるな。衆愚は悪例としてのみ使いうる。
 立派な人柄を謗る者には不運が増大する。高徳の逆を張れば悪徳が寄ってくる。善悪を見分け得ない者は愚かである。

2017年6月1日

慈悲

自己超越や利他主義とは救世主願望の充足に過ぎない。慈悲は単なる満足である。