2017年6月11日

皇家論

8人10代の女性天皇含め、43代元明天皇(母)から44代元正天皇(娘)への皇位継承を見ても、水戸学における万代一系論、又、現代遺伝学の見識から見ても、万世一系は天皇の伝統ではない。明治神道の浅学、薩長藩閥の浅学による性差別、男尊女卑の陋弊に過ぎない。一切の女性天皇も、女系による後継も、容認されねばならない。それどころか、福沢諭吉『文明論之概略』でいう血統の存続は、天皇の先祖が非縄文文明人すなわち弥生人、つまり中国由来の渡来人もしくは中国人、中国の江南地方人並びに混血された百済人ら、さらに先祖を遡ればユーラシア大陸北部の種族、凡そ全人類の始祖とされるアフリカ人であった事実からも、そして日本の先住人が天皇家と対置的にあいぬや縄文人、琉球人その他の7万年ほど分岐時点が離れた別系統の種族であった事実からも、明らかに作為的な侵略者の独裁と世襲が目的にすぎない。過去のどの時点の行状をとっても文化含む環境が変動している限り遡及処罰も報償もできない上、全ての人類の男系は等しく長い。即ち天皇及び天皇制の意義は血統にはみいだしえないのである。例えとして、もし現天皇が日本国民統合の象徴であるというのなら、あいぬ、縄文人、琉球人その他の日本先住権を持つ種族自身であるか、その混血度の深い人物が象徴たるべきであろう。近い将来、天皇交代制が実現せねばならない道理がここにある。血統も純血と見れば日本国統合の象徴として不適格乃至不正である現皇家は、遠からず廃嫡されねばならないだろう。更に別血統に継がれた天皇家が存在しても、この家が世襲であれ、国政への干渉を避け政府の外に置かれねばならないだろう。皇帝としての天皇、祭祀長としての天皇の両面は、前者の権限が象徴性である限り非政府的か単に政治に対して無批判な追認形式的でなければならず、後者の権限が信教自由下にある限り非全体的かつ独立的でなければならないからだ。