賢愚、善悪も程度だから相対的に優れた水準の人を見つけようとすればできるが、絶対的な人物は存在しない。
自然と法則とは法則が異なる。自然と道徳の共通部分を業という。自然であって道徳ではない部分を野生、道徳であって自然ではない部分を理想という。
道徳を高めることが人類の文明である。祈りや呪いによって道徳を動かせ。自然法則と異なる法則であるからには祈りによって自然が動くわけではないが、道徳的には感化を及ぼし得る。野生状態を理想状態で統治しなおす業が法律である。立法をもたらす為に道徳的理想を主張する事には大いに意味がある。
悪には自罰性と、他害性の2種類がある。自由主義者にとっては他害性の制限のみ、自罰性は反面教師用に原則放任の説が支配的であり、社会主義者にとっては自罰性も制限対象に入る。道徳的知能は自罰性の感知も含むから、社会に対する適応性である。悪は業のもとに自罰される場合もあり、悪の他害性のために他人から罰を受けることもある。いずれにしても悪によって得する事がないのだから、悪を好む人間は自滅する。