偉大な努力によって惨めな結果を得る。芸術という悲劇の前で、人類は無力だ。それは人生と文明の比喩、生命の象徴化である。芸術家の創造的努力は、人々の無理解と愚者からの迫害に遭うとして、折れる事も留まる事もなく続けられていく。
成る程、人類は芸術を慰めにするにすぎない。道具として売買され、展示品あるいは投機対象として見世物にされたそれは代償であるか、何らかの自然の一部にすぎない(リヒターは理性、わけても近代的なそれが自然の外にあると考えていた)。では、人類はこの技を抜きに、ひとときでも生きていた事があったろうか。人の本性にねざす活動でなければなぜ、あらゆる幼児が教わりもせず、それどころか好んで描き、あるいは歌い、築くのか。
人は芸術の中にしか暮らせない。都市も町も家も、道路も橋も飛行機も電車も、車も自転車も靴も、傘もバッグも。化粧品、情報機器から文字や電気まで、芸術家を疎かにしている人間に比べれば、その猿に類した顔の進化がいくら遅れていようとも、二足歩行の動物がこれらの技に属し且つ芸術の為にしかいきられないという条件から逃れえない。