2015年9月14日

目的

人の生きる目的は徳を修める事、修徳そのものである。人、あるいは人類は修徳的生物であり、その人生自体が目的である。哲学する事、学び且つ考える事、理想や理論を唱え又考究する事は人生の目的である修徳に適う為の手段であって、究極目的ではない。何らかの社会改良の行動群、或いは修道的な実践もその行動のみならず当行動傾向自体が目的にはなりえない。徳の核心には人格があり、その人格が日々高まる為の諸活動はこの知能行動的な人類の一般類型に究極で合致するが、相対的或いは比較的な人徳は目的性そのものではない。単にその個人が修徳した経験の全体が、人生の最終目的なのである。そしてこの目的性は、やがて人類をそれ以外のものへ、我らがより神的乃至は精神性の高い実在であるとみなそうとしてきた類と変化させていくだろう。