2015年9月17日

ミュージシャン

電気を使い過ぎたもしくは使うJRに対してあるミュージシャンが違法行為で抗議した事と、芸術家が売れているか売れていないかあるいは有名であるか、これらは何ら関係がない。立派な芸術ととるに足らない犯罪にも関係がない。テロリズムが成功すれば誉めたてる衆愚と、芸術の天才にも関係がない。違法行為による政治的抗議、これはテロリズム(略してテロ)と呼ばれる。テロを行った人をテロリストという。テロは成功すれば革命あるいは簒奪、失敗すれば犯罪といわれる。テロリストと芸術家には関係がないのだから、衆愚にとって及び難い天才への嫉妬と暴力が、自称と芸術家を呼ばせるのだ。
 実際にJRをはじめ電車を運営する鉄道会社は電気に依存してしか成立しない、外部不経済の組織なのであるから、政府が電気浪費税を課税する新法を成立させるべきだろう。少なくとも、発電がゼロエミッションではなく環境破壊を含めてしか成り立たない度合いが高い時代である程その公害への抑制がいる。
 ところで、そのミュージシャンが義賊である事を貶めている衆愚は、自分達の電気の浪費という悪業を正当化しようと、彼を必要以上の犠牲に仕立てようというのだろうか。それとも、己たちの犯さざるを得ない環境破壊の為の電気浪費から目を背け、偽善の魔女狩りの時に浸りたいというのだろうか。自分自身が第一の犠牲になる、環境破壊による近い破滅、わけても原発の再稼働による破滅を知りながら、その予想される最悪のシナリオから目をそむけるよう義賊を虐待する。勿論、違法の裁きを前提の上で、自分自身が義賊たるまでの蛮勇もない、無力を恥じる義心をもたぬ衆愚ではない事を祈るべきだ。