さっき起きて気づいたが、サブカルを褒めている人達、特におおよそ中年から高齢者に当たる年齢層の人達は、ひとことでいえば文化的ポピュリストなのではないか?
例えば代表的なので東浩紀氏の一派。元は村上隆氏が唱道者にあたるが、主に東京の文化人らである。
なぜ彼らが「立派な芸術 fine art」を半分以上無視し、もしくは軽視なり後回しし、代わりに斯くも下らないサブカル(漫画アニメゲーム等)を礼賛するか、自分も含め大抵の人達はわからないと思う。結局、彼らは立派な芸術が商業的大衆市場をもっていないので、カネにならない文化を軽んじだしたのだ。
本来、立派な芸術はカネになるから立派なのでは毛頭ないだろう。体系的に美術史なり、考古学やら民芸やら諸民俗などを知っていれば当然、これが本質に反するとわかる。美術(これもファインアートの初期の訳語だ)そのものに、商業とは別の秩序があるので、我々はそれを学ぶ。
いいかえれば、彼ら東京のサブカル芸人らには価値観の転倒がある。道理で立派なのではなく、金儲けになるから立派、と資本主義の論理に美術史の論理をくみかえてしまう(文脈主義の否定)。それだけでなく、より低俗、より下衆、より下品なほど俗受けするのは理の当然ゆえ、ますます悪趣味を礼賛する。
私が極めて不快に感じるのは、その種のサブカル芸人らが、文化人なり知識人なり美術造詣の王道きどりで、立派な芸術を相対的に貶めているだけでなく、そもそも彼らのほぼ全数は文脈主義の理解にすら到達しておらず、悪辣で下賎かつ幼稚な東京京都サブカルを主な日本文化と誤認させようとしている点だ。
もし私が途中で死んでいたら、彼らの覇道は行き着くところまで行き、日本国といえば一億総白痴の喜劇国家と思われていたはずだ。ちょうど吉本興業が唯一の大阪イメージになってしまったよう。だが当然これは誤解でしかないし、むしろ相当数の関西人にとって自県の誇りを傷つける偏見なのではないか?
京都市と漫画学部をもつ私立大(京都精華大)が漫画博物館を作った。一方、同様の構想をもっていた麻生政権の野望は崩された。
これらは重い対照性だ。
のち安倍政権はクールジャパン構想でサブカルに媚びた(ルール・ブリタニアとかかる駄洒落も知らずイギリスの類似政策から表面をまねたもの)。
上述東一派は隆氏と共に、猪瀬知事のとき都庁で鼎談するなどクールジャパン絡みで、2020年東京五輪の主な文化色をサブカル化しようと謀っていた。猪瀬氏が失脚すると彼らの野望も果てた様にみえた。が桝添時代を間に挟み(やたらダサいと貶された)、小池知事は『バンクシーらしき絵』展示事件をする。
小池氏はバンクシーが置かれている美術史上のヴァンダリズム(破壊主義)の文脈を理解していないとみえ、器物破損罪にあたる落書きを行政がご大層に展示し「立派な芸術」扱いで犯罪の一部を行政が正当化しつつ、より政治的メッセージある入国管理局前の落書き(FREE REFUGEESなど)を無視してしまう。
画像引用元(https://twitter.com/IMMI_TOKYO/status/1064810387797733376
http://buzz-plus.com/article/2019/01/17/banksy-koike-yuriko-art-tokyo/
https://twitter.com/ecoyuri/status/1085767968959561729
https://www.sankei.com/life/photos/190425/lif1904250018-p2.html)
正確にいうと、イギリスその他でもストリートアートの扱いは揺れており、ブリストル市議会のようネットで住民投票し落書きを残すことを決めた直後に再び汚されるなど(何せ特定の器物破損者だけ許されるなら他の不良は面白くない)、そもそも所有権が他人にあり保存基準に一定の合意が得られていない。
美術用語でいうアウラ(いわゆる本物のオーラ、主観で感じるもの)喪失後の、複製が容易になった現代美術は、本物・偽物の区別に意味がない、のが流用 appropriationの手法につながっていく通説である。実際には、茨城の海岸に描かれた『風船をもつ少女 Girl with Balloon』も、この点で『愛はごみ箱の中に Love is in the Bin』と本質的違いはない。
だから東京新聞がこの海岸の落書きについて取材し、バンクシーアカウントが"This is not by Bansky"「これはバンスキーによるものじゃないよ?」と(恐らく意図的な)冗談で茶化し返しているのは、いってみれば小池知事に継ぎ東京新聞も、現代美術に理解が追いついていない証拠でしかない。
これらの都民らによる言説と、国内外問わずみわたせる全文化・商業・政治の状況をかえりみていえるのは、結局、東京都民の既得権は、資本主義の論理を立派な芸術のそれに優先させているだけでなく、大衆商業に基づき価値づけの転倒をはかる、というか、無教養や低次元な判断で自然にそうなっている。
「みんなに受けてるから」「欧米で認められてるから」「外人が褒めるから」「子供が夢中になってるから」「カネになるから」と、どんどん判断基準が低落し、既に東京の既得権は、文化的主体性を完全に自己喪失しているといってもいい。他人本位を突き詰めてピエロになっている点で三島由紀夫的とでもいうか。
ある同人誌系の絵師(猥褻な漫画を描いているいわゆるセミプロらしき人)が、「褒められたくてエロ漫画を描く」云々とさえずっていた。悪徳に満ちた衆愚が魑魅魍魎として大量の下流じみたhentai界をつくっており、その数75万人にものぼる東京では、悪趣味や退廃主義が行動動機そのものなのである。
では彼らのありさまから、私、あるいはこの文を読むだれかが何を学べるか?
第一に、低俗で品性下劣なサブカルの数々は、当然だが反面教師にすぎない。いくら文化的ポピュリズムに耽ろうが、江戸の多くの文物がそうなったよう、本質的価値づけに変化はない。芸術は思想の表現だからだ。
第二に、岡倉天心が『日本美術史』の末尾で、自己を主体に進めといっているよう、諸様式の変遷の中で、あらゆる文化ミームでも最善最美の粋だけを抽出すべきであり、他人が褒めているからそれが正しいと思うべきではない。この点で現今の東京あるいは京都のサブカルは、俗に流されているだけと思う。
第三に、いわゆる欧米現代美術のたぐいも、彼らが自己本位につくりあげている一幕にすぎず、決して私のものではない。むしろこの点では(参加に必要な知性や背景知識の質で大差はあるが)サブカルと変わりなく、ひとごとだ。他人の仕事は飽くまで参考にしかならない。せじま和世氏が模範だろう。
私が現場をみたかぎり、SANAAは工房制に近いものづくりをしているが、その組織の仕方はどうみてもいわゆる欧米的ではない。むしろ日本の学校の学芸会に似ている。だが結果をみても同じで、明らかに欧米の組織がなしえない立派な作品を沢山残している。独創は斯くあるべきで、わが道を往く必要がある。
東京には多くのマスコミが集まっているので乱痴気かまびすしく衆愚をあおる。だからさも批評といえば、都内のマスコミとか、群集でもできるといった臆見がうまれる。しかしながらザハやSANAAの案に比べ、新たにザハ案を下敷きにした(まるで衣替えした盗作とザハ事務所が考えた)隈案は決して歴史的水準ではない。
もし安藤忠雄氏が、最終候補のうちSANAA案を選んでいれば、都内の建設業者や、2chねらーら衆愚都民が騒ぎ立てることはなかったかもしれない。盟主きどりでザハ案を、大きすぎると叩き潰した東京建築界の重鎮(槇氏など)の利権、江戸っ子の気概を失った新東京人のケチさは、より質の低い建物を残した。
フランクロイドライト的なというか、環境に埋没する規模に建物高さを抑えるべきとする槇氏らの意見は、建築学についての美学美意識として必ずしも普遍的なものではない。メタボリズムはどうなったのだろうか。ザハはもともと自然環境に配慮するタイプの設計者ではないのに選んだのは安藤氏の判断だ。
それに比べ最終候補だったSANAA案は空隙が多く、形も不定形で環境に開かれたもの、周囲にある緑への威圧感を軽減させたものだったのだから、安藤氏の判断が、彼が若い頃にみたメタボリズム全盛期の中での、丹下健三案による国立代々木競技場の建造現場を再現的に夢想したものだったのは明らかである。
安藤氏の諸著作や彼の思想を知っていれば、というか並み居る建築家でそれをしらないならゴロと誰でも分かっている話の筈が、なぜ敢えて槇氏らは自分案まで出したか? 簡単にいうと、安藤氏へ喧嘩売っているだけの話だ。安藤氏と当時の都知事石原氏は親しかった。槇氏らは正当建築論ぶり世論あおった。
ここにあるのは、結果からみたら東大建築家閥の私家闘争なんだが、僕的にはそういう業界ゲームは本当に下らないと思うので(しかし後世の人が研究したければしてください。色々興味深いことがわかるかもしれない)、ここでは事実と歴史だけを追う。要は安藤は苦闘する現場から皆に学んでほしかった。
そもそも安藤氏は自分案をもっていたし(いわゆる晴海だかにドーナツ天板を浮かせるやつね)、僕もそれを参考に自分案を作っていた(ステンレス鍋逆さまにした様なの)。安藤氏が審査委員長になり、最終的にザハ案を選んだのは、ませじま氏へライバル心もあったかもだが、飽くまで夢を見せたかった筈。
お前の案なんてどうでもいいよといわれるかもしれませんが、それは置いておいて。安藤氏は敢えて環境ガーの時代柄をわかっていながらに、また神宮の緑ガーとか都民のしょぼしょぼ自然保護運動モドキをわかっていながらに(だって彼は植樹してんですからずっと)、メタボリズムの再来案を選んだのだ。
つまりね、建築ファンなりマニアからすると「なるほどね!」となる。「俺はSANAA案のが新しくて面白いと思ったけども、ここでメタボかい。そりゃ安藤だもんね。若き彼が代々木競技場建造の凄まじい現場の苦闘と勇気を眺め夢を見た逸話を、新時代の若者にもきっとみせたいんだなあ」となる決定なのだ。
だから。大人しくザハ案が進むのを見守っていたのだ、建築ファンは。マニアは。大体、都庁だって磯崎案のが面白かったろうにメタボ全開(当時としても古い)の丹下案をまーたか、といって選んだ時もそうだったが、東京の建築物はでかけりゃいいってもんが多い。雑だし。で今回もそうなって当然だった。
まあ槇氏のいいたいこともわかるというか、おめー大阪人の癖に俺の大事な地元によお、デュシャン作品みてーなの不時着ぶちこもうとしやがって、なめてんのかこの野郎となるのは(槇氏は当然こんな江戸っ子べらんめえ口舌はしませんが)、理の当然でもある。が。無視すりゃよかったのである。大人は。
この説明で僕がなにをいいたいかというと、群集に媚びるとろくなものが残らない話だ。自己主体で実行しろなる美学原則には多数決的民主政とは正反対な面がある。勿論、公共建築なら大勢が使うから衆知や少数ニーズも集めねばならないが、最高の美術的造詣をもつ人が独断で決めたほうがいい事もある。
都民は一般に見栄っ張りで、他人からのみてくれを気にする。それで「ダサい」といって田舎を美学面で差別し、東京をクールだカッコいいんだと言い張る。彼らのいう田舎には同じ都内でも多摩が入り、下手すると23区内でも大半が互いにいいあうなど、ダニクル効果的中華思想の美意識差別心は半端ない。
が、都民一般が、自作自演でイギリスの設計事務所の足を無理やり不正な契約解除劇やりながら引っ張ってまでつくった国立競技場は、HELLO, OUR STADIUM (こんにちは、私たちの競技場)と小学生でも意味がよくわからんスローガンで、ダサダサのスタートを切ってしまった。いうまでもなく建築も酷いが。
ついでだから書いておくけども、いわゆる隈研吾氏(以下、しばしばクマケン)の作品は、僕はどれ一つとして好きではない。現実に京都烏山ココンみてもペンタくん多摩センター店みても酷いなと思うくらいで、何がひどいかというと看板建築みたいなゼネコン設計(かつミス多し)に、表面つぎはぎが多い。
ちなみに安藤建築も単純な設計ミス多いから(たとえば表参道ヒルズ入り口の小段差が危ないので黄色・黒の安全テープはられてしまうみたいな)、別にココンで入り口の滝の水がすぐ脇につけられた電源コンセントにかかるので青いビニールシートかけられても全体よけりゃいいんだろうが、基本が凡庸な設計だ。
元々くまけんはゼネコンにいたわけだから、基本設計が平凡でもただの癖なんだろうけど、いわゆるM2ビルからその本質は変わってない。逆に同世代の妹島氏は構造そのものから革新的なものが多いわけで、表面つぎはぎと正反対に位置するし、僕は両者は全然、格が違うと思っている。断言してもいいくらい。
(構造ごと革新的なのは『梅林の家』が典型例。ちなみに梅は、彼女が学んだ水戸で一種のキーコンセプトなのも茨城人的にはポイント高いのだけど、私たちにしかハイカルチャーイイネ! 通じないだろうし、建築学会的には関係ないが。健やかな学問の象徴たる梅が、弘道館や好文亭と同じ構成になっていて、お子さんのいらっしゃる教育的な家になっている)
隈建築で一番いいのは、僕が(個人住宅だし雑誌で)みたかぎりではロータスハウスだろう。でも、あれだって見方によっては大理石を表面に垂れ流してるだけだろうし、トラバーチンは雨に弱いから暫くしたら見るも無残な姿になるのは予想がつくわけで、こういってはなんだが「写真建築」の嫌いがある。
同世代だからSANAAのロレックス・ラーニングセンターの隣にくまけんのがあったり、なかなか仲良さげだが、両者の建築の質は天地くらい違うのが、一建築オタクたる僕の意見。未来からみたら余計そうみえるんじゃないだろうか? まあそれは一無名人の意見で建築界の大勢に影響ないだろうし、いいけど。
国立競技場の何が酷いかといえば、そのくまけん作品の負の面が全力で発揮されている点だ。大体、彼はゼネコンと組む事が昔から多かったけどそのとき妥協的な負の面はますます強烈になる傾向が当然あるでしょうが、負ける建築どころかゼネコンだろ、木いペタペタ貼り付け終わりかいな、となってしまう。
いわゆるGA(有名な建築雑誌)の論壇だと、まあ手厳しい論客はいなくて主として都内の著名建築家らの同業組合みたいなもんだから、全力で批判するより、プロレス批評で負けるのイイネしかいわれない。でも半分ゼネコンで表面だけ擬似和風ぽい手法とるくまけんの弱点が今回はいかんなく発揮されている。
一般大衆は(僕みたいな大変ガチの)建築オタではない。
(一応書くと僕は最初画家になろうとしたんだが絵は食えそうにないので18歳から最低12年は建築家かねようと主に建築ばかり勉強していた。その間は朝から晩まで猛烈に建築学渉猟し建築専門在学中インターンまでしたので、ただの素人では大分ない)
しかもそこまで建築に興味ない普通の人は、都内著名建築家らの同業組合の輪の中にもいない。正直におもったまま感じたままをいうし、別にクマケンに同情心もないだろうから冷厳に評する。近まさりとかなくてやっぱりダサいとか、席狭いとか、あぶねーこの手すり頭ぶつけてしぬわとか競技場みえんとか。
(画像は国立競技場を初見した感想についての参考ツイート集より
https://twitter.com/KojiGeorge/status/1212222792696942593
https://twitter.com/ILMiMi/status/1212231821305401345
https://twitter.com/ILMiMi/status/1212283539586076674
https://twitter.com/ILMiMi/status/1212219237726425089
https://twitter.com/shika98134620/status/1212230796364275713
https://twitter.com/narichan55/status/1212260435971280899)
自分が知る限り、隈案の特徴はザハの基本設計を下敷きに地下に忍ばせたフライングバットネス的発想の支えとかとっぱらって(これが構造家的には地下鉄とかぶるので解決困難と懸念されてた)、ものすごく単純なだれでもわかるゼネコン的経済構造にし、いわゆる木ペタペタはるいつもの擬似和風にした事。
かつ、最終候補になったSANAA案から、風の通り道のアイデアまでぱくってある。ただし不定形で環境への圧迫感をなくすアルプ的造形は省き、こちらも一律定型に合理化した。隈案は外部と隙間をあけるだけじゃなくテラス状にしょぼい緑植えるとしていたが、ミニ植栽で規模からもお仕着せだろう。
いわゆる伊東豊雄案は天面は全てソーラーパネルとしてあったが(ちなみにどうでもいいけど僕の案もそうで、しかも閉じてあるガラス天面までソーラーセルつきの案です)、隈案はそっちのリアル環境負荷はなおざりに、全国の木を使うんですよ~と、日本スゴイの文脈へ繋げたのに偽復興象徴の特徴がある。
当時は安倍アベいいはじめくらいだった感じで、日本スゴイ東京エライ(でも田舎はダメでダサいというダブスタ)の東京界隈は半端ないネトウヨ風紀でやばかった。この世論を読んでいるところがおりこうさんで通ったわけであるが、これを小利口というのである。昔の言い方なら小ざかしい。木造じゃない。
建築学生にはいうまでもないが紙管建築の板茂からみるとクマケンのエセ木造は耐えがたい苦痛とまではいかないにしても木造ではない。が、木のスタジアムですよ~と、大衆レベルにあわせて半分うそついて支持を勝ち取り、いざ実現してみたら話と違うねとなって当たり前なのである。勝てば官軍かこれが。
まあ上記の流れがあり、日本人の小さな体でもおちそうに観客席斜めってる狭隘設計で、ニポンジンの足すらはみだしてる通路の狭さなのにはちゃんとわけがある。素人だからだ。クマケンはスタジアム設計の経験なんてない、はず(なぜ未熟者が設計者になったかは後述する)。そういう時、まずやるのは設計図書を紐解いてサイズ感まねることである。
勿論、一級建築士試験では競技場の一人当たり客席サイズはどのくらいでなければいけませんかみたいな問題もでたりする。僕は試験官やったこともあるが普通に勉強していた。およそ最小値を問う。よって納まれば通る。したがってクマケンの設計もその数値クリアしている。現実には狭いだけだ。
むしろ、斜めの角度があるのは観客が一体感えられるよう、誰も競技場がみれるよううまくできているとも解釈できるのでそれはいい。通路幅が狭いのと、頭ぶつけそうな手すりみたいな細かいミスが問題なわけだ。敷地自体に収めようとしてかなり無理しているからそうなる。ザハ案から進化していないのだ。
最初のザハ案は限界まで建築本体を主張して周辺通路とも一体化させていたので、素人で「すげー」となっていた人(1名)もみられた。でもマニアからみるとそうでもないというか、流線型で未来かい? と安直にみえる。サーリネンのミニマリズムとか知っていると構造的必然性がないのが透けて見えるわけだ。
で、都民がなぜかドケチぶりを発揮しだし(皆さん、江戸っ子は宵越しの金をもたなかったのに、関西からわんさかやってきた新東京人は大坂・名古屋流儀のドケチです)、元のサイズを縮小させた。このときの後遺症が、現国立競技場に反映されている。恐らくだが下敷きにしたのが縮小後ザハ案だからか。
ザハ事務所がぱくってんじゃねーと切れたのは(実際そういう声明だしてましたよね)、もう時間ぎれ迫ってて縮小後ザハ案をそのままサイズ感の目安にしたと解釈できる今の結果からも、一理も二理もあったことになる。だって初期案の無駄な巨大感なら、こんなに狭くならなかったでしょといえるのだから。
はじめは僕みたいなアンビルドのワナビー状態から、最晩年は巨匠にまでのぼりつめた偉大な建築家ザハ。その全経歴の頂点に位置づけられる最後の技の結晶体が、新国立競技場でなく、北京大興国際空港だったのは歴史の必然か。北京人の巨大志向は東京人の縮み志向と真逆だった。経済状況の象徴でもある。
画像引用元(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Beijing_Daxing_International_Airport_13.jpg)
僕の好きな建築話が長くなってきたので元の文脈にもどると、クマケン設計は上述の様な妥協に継ぐ妥協が得意なところに特徴があって、まあそれは建築界だとむしろ彼の長所と捉えられてきているが(いってみれば、アトリエ系とゼネコン系を仲介者として繋いでるわけです)、この場合、大変負けまくった。
負ける建築なるコンセプトは勤勉な建築学生なら当然知ってるだろうけど一般の人は知らない。しかもそのコンセプトは「環境」への負け方を基本とする理念であった。ところがである。国立競技場ではゼネコンに負けまくっている。それだけではない。世論にも利権にも負けている。いや利権そのものに近い。
なぜこんなことになっちゃったのか。結論書きます。多分、根本にあるのはクマケンら東大建築閥による嫉妬ですよ。ぶっちゃけ。石原都知事は建築界にそこまで詳しくなくて最初のコンペ条件をプリツカー賞にしていた。つまりノーベル賞とってないとダメみたいなもんだ。これに嫉妬の火種がぷすぷすと。
(これで都民らがぐちゃぐちゃザハのあしひっぱって条件緩和されてから、競技場の設計経験なし、プリツカー等の国際著名賞なし、しかもゼネコンと組むのはもとゼネコン出身で毎度お手の元なクマケンが参加できる様になり、彼による案が選ばれた)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/new_stadium/list/CK2015091302100003.html
SANAAは東大建築閥ではありません。お師匠さんは東大閥ですが、日本勢では珍しく女子大とか地方大卒である。彼女らが優先だと、丹下以来あれだけいばりにいばりちらしてきている東大建築閥からすっと、面白くない。で東大建築閥が「(独学なのに東大教授に招聘してやって権威あたえてあげた)安藤の恩知らず」と仮になっても自然で、心の奥底にプライドがある。
この東大建築閥がわが、ただの邪悪なねたみぶかいジジイの集まりかといえばまさにそうなんだけど、まあ本当だからしょうがないと思うが、それだけではない面もあって、丹下健三は敗戦時に日帝神社建築もどき(『大東亜建設忠霊神域計画』)なんてやっていたくらいで、国粋主義の権威に伝統がある。
2chねらーが騒いでるぞ、よしよし、しめしめ、ここで一家言ある俺様が(東大閥の俺様が)、一つ日本魂をみせてやるから、黙っておけ愚民どもみたいな。そういう雰囲気があるのは間違いない。なぜかというと明治政府の直属機関という色が東大にはありまして、戦後もまるきり官僚養成装置なわけです。
その様な東大建築閥の空気を読むどころか先駆したのが槇氏だったといってもいいでしょう。緑を圧迫するからダメといい、自分は9.11の跡地を、地球スケールで古墳化する安藤案をなおざりに、またも超高層で再設計してそれはねーよ、となるのが建築オタからの見方であるが、誰も気づいていないのである。
細かくいえば、まあこれも建築オタ以外にとってどうでもいい話だが、WTC跡地の再設計で緑を気にする必要はないじゃん、セントラルパークあるから。経済合理性を素直に再現すると同時に、メモリアルパークつきならみんなハッピーとなるのはそれもまたお利口小利口な解。問題はザハ案もそうだった事だ。
色々なんでもいえるだろう。神宮の緑は神域だとか。きっというよ。でもねあれだって人口の森なんだから、最初から道理が通らない。ザハ案がダメなら東京都なんて全部ダメだよ。だって武蔵野ぶっつぶして作ってる人工都市なんだから。超高層ビルなんて全部潰せよって話。所詮ポジショントークなんだな。
最終結論を書いておこう。これは小項目だったはずが僕の建築愛好さが出てそれなりの長さになってしまった。ザハの墓場とか、呪われた東京五輪とか自分がいってるのはちゃんと理由がある。福島原発で儲けた金を東京都庁がまた我利我利亡者な金儲けに使うエセ復興の象徴なだけでなく、競技場事情も暗い。
僕個人が、現国立競技場の建築が嫌いなだけでなく、そもそも嫌いになるだけの理由がありまくってしょうがない。それらについては上述のよう背景事情をきちんと知っていれば多少あれ認識できる。今回はある程度まで説明したから他人にもわかるかもしれない。立派な芸術は立派な真意で作られるものだ。