2018年2月9日

職業と無業

愚か者の為に奉仕するな。愚者を相手に商うな。下賎な商売をする人を信用せず縁を遠ざけよ。これらに加え、商人の一切を信じるな。職業をもつ人々は利己の為にその仕事をしているのだ。職をもつ人を軽蔑せよ。もし利他の為に生きているならその人は奉仕に際し生活に資する代価をとらず、すなわち生涯アマチュア、一愛好家やボランティアに違いないからだ。ある仕事が立派で十分に役立つ事と、代価の有無には実の相関性がない。
 スマナサーラが世俗的職業による暮らしを正当化しているのは、道徳的に間違っている。悟った人は世俗のくらしを否定しなければならず、乞食が禁じられている国々にあっては社会保障を受けてくらすか、それらもできなければ死を喜んで迎えねばならない。自殺は世俗的に厭われているが、脱俗的観点からは単に無欲に早く辿りついただけだ。自殺の蛮勇は他害的だから、よりよい生の用い方が自己犠牲的な利他行動、特に徳にのっとる勧善懲悪ということになる。つまり、世俗の職業は多少あれ利己的な限り推奨されるものではなく、むしろ無業にとどまるよう後生へ教えるべきである。涅槃すなわち無欲は単に食事のみならずくらしに使う全ての道具への無執着を意味し、そこからいえば性悪な国において社会保障の欠如のゆえに餓死していくことも悟った人にとって決して悲惨な経験ではない。その様な性悪な人々の間に生き残るより、早く死んでしまった方がずっと楽だからだ。