貨幣以前の古代人は、その時代になんらかの商売をしていたかといえば全くしていなかった。江戸時代末期ですら国民の9割が農民だった。人類史はそのほとんどの期間、金儲けだけを仕事と定義した時期がなかった。戦後75年間は、この意味で超異常な期間であり、凡そ間違いなく近いうちに破綻する筈だ。
カネを他人からできるだけ多く奪うことが唯一の仕事という状態は、いわば同類全員を敵にする誘引しかない。ホッブズがいう万人の万人への闘争。全人類がそこでは天敵になる。当然、それは維持できる体制ではないし、どんな人も耐え切れない。もしそこで平気な顔をしているなら確実に極悪人だけである。
資本主義は、いわば悪魔思想で、労働者達は完全に洗脳されきった奴隷にほかならない。この経済思想の上に税収奪目的で居直っている皇室も同様に、ひとたるものの邪悪の極みにあるとしても、市場参加者すべても多かれ少なかれ同罪を免れない。彼らは完全に悪意で、他人を貪る目的で生きているのだ。
冷徹に資本主義をみれば、お為ごかしの合理的経済人、いわば利益追求ロボットを前提にした、人を飽くまで欲望充足しか目的がない卑しい者として扱う経済学を含め、道徳的に何も擁護できる点はないほどなのに、自ら痛めつけられつつなぜか好都合な物かの如く流布している無知の深さに驚かされる。
この悪魔思想は、大航海時代に高リスク投資のヘッジとして実験的にはじまり、産業革命後のイギリス国内状況をアダムスミスが『国富論』で理論的に正当化したものといえようが、やがて英米仏らその植民地侵略の勢いで同宗教に世界中を染めようとした狂信的海賊団が現われた。いわゆる旧連合国である。
日本国内でも同様の悪魔思想に染まった人々が現われ、具体的には坂本龍馬の様な死の商人、岩崎弥太郎の様な政商がそれにあたるが、民族全体を搾取対象にしだした。その結果、日帝は奴隷ほしさの侵略国家に転化し、破綻してからもなお頂点に君臨する上皇天皇の下、同類収奪に見苦しくも躍起である。
だが疑う余地なく、彼らは必ずや最も悲惨な末路に至るだろう。同類を貪ることしか目的がない権力者らは、いない方が全人類の為だといつまでも、奴隷達に隠し通せる筈もないからだ。
奴隷蜂起は先ず最大の資本家である皇族を国政から永久追放するに違いない。
のちに、社会的公平を創ろうとする。
この75年間は世界史、日本史全体でみれば、日本が戦後に醜い格差社会に至った失敗の歴史だった。だが失敗をそうと悟れば、民衆はいつまでも皇室や金持ち達から、すなわち上級国民から貪られ続けるのに耐えられなくなる。邪教祖による洗脳と差別でしかない生得的特権を完全に消滅させるしかなくなる。
資本主義が破綻し、代わりに金儲けが徹底的に卑しめられるであろう。そこから最も縁遠い仕事だけが、すなわち無償の仕事だけがひとのなすべき仕事だと定義されるだろう。その時代から見返せば、いかに現代日本人一般がまがまがしいことか! 彼らは天皇とその手先の政府に洗脳された拝金ロボットだ。