2006年11月10日

文芸論

知明の散種は文化的に経営されねばならない。知的所有権の主張は搾取の為にではなく、福祉の為に必要。究極の慈善は寄付よりもっと啓蒙であるのみ。あらゆる権威の市民化が文化の目的でなければならない。どの母語観念を用いて哲学を為すべきかは以上でよく説明される。乃ち、思想は文化間貿易において、初めて存在する。だから君は最も得意な語系で実用に為せ。哲学的思索により伝承速度差に従って語族を育む理由は共栄でしかない。だが恐らく又、文芸がこの文明格差を拡充するよう働くのがみられる。いいかえれば哲学に対して文芸は自律する。逆も然り。民情の慰撫養成は、敵へ塩を贈るような義功に対して保護的に役立つに過ぎない。
 語義案配は、まず哲学探求の同時代に常駐する世界言語への翻訳最適化文章にて為すべきで、つぎに文芸制作の文化の微妙差異細心へ向けた養いがいる。両方の文は知明散種の便利について互恵する。