2006年11月8日

環境倫理学

無駄の制度差を批判せぬかぎり、環境に対するいかなる寄付もない。ネオン街がidling stopより浪費でない証明を為せ。彼らは自然を搾取するが、同時にその為に恵与もする。試しにみよ森林伐採と菜園趣味を両手に持つ生物を。もし資本主義に疑念するなら、彼らの自然愛玩は偽善。制度化された環境破壊は我々の社会的必然から生じた以上、正義といわれる。
 寧ろ次のように考えよ。自然の回復は資本の福利からのみ制度化される、と。なぜなら我々生物自身が地球に適応しない行為はありえない。理性は昇華された本能に過ぎない。
 君が少しく理性的ならば、資本主義の論理を公共福祉の大義還流へ調整的に繋げねばならず、その為には文明化の他にどんな方途もない。配分をではなく、是政主義的調整を向け換えることに現代論議の核心はあるだろう。なぜなら資本の発展は経済的合理。たとえば夢中夜間に瞬くネオン宣伝術を自主抑制するより先に、広告環境税を徴収するがよい。交差点の待機を彼らへ停止させる努力より先ず、高速道路税から交通網を整形し治し人車分離し停止回数を失くすがいい。
 公衆世論間に、制度化された無駄の差分を調整する趣旨の議題を提案せよ。