2010年9月20日

政治学

アリストテレスの政治学での政治形態への分類、多数者支配では民主政と衆愚政、少数者支配では貴族政と寡頭政、単独支配では王政と僭主政のわけかたは完全でない。
 私の見方では、どの型の政治も実は、統治状態の健全さに於いてこの両極端のどちらにも属さない。つまりすべての多数者支配は民主政でも衆愚政でもなく、そのどちらの要素も伴うし、他の支配形態でも同じ。だから何らかの歴史的敗北を伴った支配域が、それを包含とか征服した側の謗りの為に堕落していたとされるのであって、常にどちらかの政治形態が完全な健全と堕落を示す訳でない。
 この為、分類の基本要素として次の三つで十分。乃ち民主政、貴族政、王政。これらが現に失敗していたにせよこの形態への呼び方が政権人数のほどを示す点で都合がいい。また訳語の問題で民主政を共和政とよぶことがあるが、democracyの用いられる割合が高いのでそちらを採用しておくのが語の通用では賢い。
 又、現代までの政治史で分析できるのは、今では古代に比べ詳しさも進んだので、多くの政治形態は複合型をとる。間接民主政と実質貴族的議院を兼ねて維持し、さらに象徴としての王を掲げる等。この点でも名目とは別に、殆どの現代政治は支配の人数でも複合している。これらの形は必ずしも上記の単純な基本分類に叶わず、別の単一な概念で説明するのが妥当だろう。