有用さへの注意深さか道具主義は量的快の為の法則。何らかの手段としての快苦は、その道具を択ぶ為にも生まれる。
人類が物事を手段にするときそれらの使い道は、快苦に原則づけられる基礎条件をつくる。幸福論にみた手段の連鎖、之が何を用いるかに決定的。つまり物事の上にある快苦か観想の快苦はそれらの手段法則次第。結局この観想の目あては道具主義が有用、快楽、幸福の順で展開した功利主義の部分集合でしかないと示す。有用さは幸福の為の道具としての有用。
理性原理か観想幸福論は、趣味観の一種。鳥のわななきは鳥の主観さに応じてそうな如く、理性人の種内確立はこの幸福観を多少あれうけいれる。趣味主義は観想での幸福論をこの理性的類型とうけとる。質的幸福の程度は、場所の品らしさか品性を決める。例えば動植物がその上位生態に適応するに準じた品性をもつのは趣味主義の本質が場所柄による一例。