2021年11月10日

同類のいない異星にて

自分は完全におかしな社会に置かれているのだろう。何しろどこにも同類というものが見つからないのだ。異星に放り込まれており、そこには自分とは違う生物「ヒト」があふれていて、その「ヒト」は極めて邪悪な性格の生物、具体的に言えば害獣にかなり近いので、うまれてから37年間いろいろ致命的で深刻な迷惑をかけられてきた、というのが実感なのである。

 もしかすれば自分と似た様な経験をどこかでしている人もいるのかもしれない。ヒトに害悪をなされた経験が。しかし、自分が彼らと違うのは、根本的に違う生物に囲まれている、という感じを受けている点である。

 まぁ自分も大げさに書いている部分がないわけではない。 しかし事実としてその様な面がある。なんというのか違う生物感、異生物感が凄いのである。ヒトへ。
 例えばIQが異常に高い・低いとか、今の医学・生物学・心理学などで定義される何らかの概念で自分の違和感が説明できれば楽だったわけだが、その様なものをアカデミックな分野でも今のところこれと言って見つけられていない。かなり似た分類はみつけた。ギフテッドというのと、ハイリーセンシティブパーソンというやつである。だがこのどちらも決定的に自分の違和感を説明するものではない。

 この数年、に感じるが、実際は五輪頃からだから半年くらいかもだが、人生全体でその種の違和感が決定的になった。具体的に言うとモギケンという人が発狂して五輪強行をあおっていて、それはコロナ禍の最中で、しかももともと賄賂五輪であるところからもくるっているのが確かだったので、そうと指摘したところ、ツイッター社がツイ民と組んで自分へ言論弾圧してきた。それで実際コロナ禍が拡大しまくって、人々が死んでいったが、モギケン一派はイギリス政府とかの偽装工作じみた科学の乱用をもちだして正当化していて、これだけでも恐怖の極みだったのだが、それにつづけていろいろひどい「ヒト」の悪行をみた。
 イギリス政府は大規模イベントとコロナ感染に厳密な因果関係をみいだせなかった、という資料をだした。しかし、それって大規模イベントがコロナ感染と因果関係がないことを意味していない。イギリス政府の発表自体がその様な注意書きつきでだされていた。自分もそれを読んだ。
 ところがモギケンら東京人五輪強行派一味は、日本人一般の科学的リテラシーの低さを悪用する様に、というか意図がどうあれ悪用してんだろうけど、五輪と感染拡大には関係がない、とか、論理的に別事象とか、科学的にあり得ない言動を科学的といってごりおししてすさまじい感染爆発をまねていたのである。

 日本軍が大失敗に向かっていくときその中枢部で好戦論を唱えていた人達をみたらすさまじい恐怖を感じたろうけども、自分が感じたのはそれとほぼ同じものだろうと思う。現代版の好戦主義者みたいなのがモギケンで、その一味で、一味ってのはまぁ彼の信者とかつるんでる仲間とかなんだけど、特に僕がみてて怖かったのは神奈川県の横浜市あたりに住んでるらしい主婦のツイッタラーで、あからさまにモギケンの一挙手一投足をことごとくといっていいほど妄信しているのである。麻原彰晃と信者。モギケンと信者。天皇と信者。構図的には何の違いもない。そしてその様な教祖・信者の一方的な教義崇拝の関係が、具体的に大量殺人を犯しているとき、しかもそれを止めようとしたらすさまじい一方的暴力で言論弾圧されたとき、どんな風に感じるか。私はそれをこの数か月ずっと感じ続けてきて恐怖が止まらないのである。

 これにつづけてまた別のことが起きた。
 ユーチューバーのじゅんちゃんとかいうやつ。こいつ、いきなりしりもしない水戸学だの水戸学派だのを非常に差別的・侮辱的な文脈に置いてきた。関西人にありがちな思い上がりみたいなのが背後にあって、まぁ具体的に言うと自文化中心主義の一種、近畿中華思想のもどきなんだろうが、欧米思想を上から目線でもってきて日本思想を侮辱にかかる、みたいな思考の癖をこのじゅんという人はもっているんだが、その一部として、水戸学を極めて片寄った見方で否定にかかろうとして、侮辱的言動をとっていた。なんか長野のなんちゃらという農学者が書いた地元アゲの駄本みたいなのをもってきて、「国体論」という代物があるわけですが、それを否定したいがために水戸学派を引っ張ってきて、でたらめに差別的文脈に置いていた。
 国体論って具体的に言うと会沢安が『新論』を中心に展開した理論で、幕藩体制の連邦・旧令制国を天皇のもとにまとめて植民地化から守らねばならないという説である。いまでいう都道府県には当時日本領じゃなかった北海道・沖縄も入ってるけど、それを除く令制国を反植民地主義の文脈に置く語彙なのが「国体」です。
 しかし、じゅんはそのことを理解していない。できていない。だから残念な人である。それはいいでしょう。悪い意味で子供なのである。しかし、知りもしない思想家へ非常に差別的・侮蔑的な言動をとっていて、あきれてしまった。具体的に言うとじゅんは烈公こと徳川斉昭公を標的にしてたんだけども、烈公って、別に会沢と同じ国体論者ではない。烈公ってもっと政治的な面、進取の面があった。会沢は『時務策』で富国強兵論を唱え慶喜公の開明的な面に影響を与えているけど、烈公の場合、もっと進取で自分の米国留学を江戸幕府に申し出ていたわけである。慶喜公は『昔夢会筆記』で「攘夷に幾通りもある」といっていたけど、要するに烈公も士気の鼓舞のためにタカ派をふるまっていたが実態的には富国強兵策を急ぎ行おうとしていた人物で、そこでいう「国体」も、会沢のいうものとは違う。烈公の場合は水戸の徳川家なわけで、普通に天皇の親族である。しかも和製正史をかきだした義公から代々そうなので、会沢のいうような反植民地主義の政治的手段としての「国体」ではない。完全に皇室崇拝というたぐいの、より純粋な国体論者である。だからもし幕府と戦っても決して皇室に弓を引くなという義公の言い伝えを慶喜公に直伝していたわけである。

 が。
 じゅんはそのような水戸学の文脈を一切しらない。しるつもりもなければ、仮に知ったとしても悪用することはおよそ間違いないだろう。
 そもそも、このじゅんという人は、冷笑主義的な愉快犯の炎上系チューバーなのである。自分は水戸学に一定より詳しかったので、それに気づいてしまった。
 じゅんは表向きその様な冷笑主義を、ある種の反政府主義、反自民主義、「愛国カルト」批判と称する反日主義として語っているので、単なる愉快犯なのだとは今のところ思われていない。僕も最初そう思っていなかったのである。安倍晋三が単なる馬鹿なのだ、とじゅんは語っていて、自分も薄々そうなのかな? と思っていただけに、余りに単純な結論を語れるという点で、じゅんという人は分析力があるのかな? と勘違いしてしまっていた。事実は違っていた。単に深い悪意がある人間なので、悪意に満ちた自民党員だの維新党員だのに意識が近い人物だった。知的程度も自民党員・維新党員らとよく似ていて、軽薄で邪悪な人間の心魂にほど近いものをもっているために理解しやすいだけ、ということらしい。逆に言うと、じゅんは清心な人間、誠実で高知能な人間などは理解しづらいのだと思われる。それにはっきり気づけたのが、じゅん一味が水戸学派を大幅に誤読していた点なのである。
 水戸学派って普通に誠実の極みで自己犠牲を顧みなかった人達である。そのために悲劇的な結末に至った。しかし明治維新の最初から最後まで指導的役割を果たしていたし、近代日本が独立国として続いているのも結局は水戸学派のおかげといっていいだろう。この点では反政府テロだの植民侵略だのをくりかえした薩長土肥京芸ら西軍とか、米軍の属国化をいまだにつづけている長州閥とかとはだいぶ違う。水戸学派がいっていたのは反植民地主義であり、「国体」の元にまとまっての欧米列強との対峙である。象徴天皇制の理論的基礎を、水戸学派が「国体論」として今も提供し続けているのが確かである。しかし、じゅんは余りに浅学なので、まったく質の違う国防理論であるところの水戸学と、単なる無政府・反天・侵略・寡頭政治主義であるところの吉田松陰の思想に端を発する長州閥寡頭政治とを混同している。

 勿論それ自体、僕は大いにあきれてしまった。ゆとり世代の平均学力水準の低さというのは今に始まった話ではなくて、自分は彼らと接してもっといろいろ驚くべき経験をした。一度も本読んだことない人、漫画アニメゲームの話題しかできない人しかいなかったようなものである。そのなかでじゅんはましな方なのかなぁと思ってみていたらこれだ。だからあきれて当然だと思う。しかし問題は、じゅん自体の根性と態度の悪さで、頭から水戸学という日本思想の体系を馬鹿にしていて、まぁ西日本人が一般的にもっているひねくれきった堕落した態度だが、欧米思想を崇拝していた。ほとんど無批判に。そして代わりに日本思想を馬鹿にしている。これにも二重三重にあきれかえってしまった。

 モギケン一味も中身といえばじゅんとさほど変わらない。モギケンって母方は佐賀人らしくて、そういう意味で西日本って、根本的に終わってんだなと思う。欧米崇拝・日本蔑視(正確に言えば東京以外の東日本蔑視)って、西日本人特有の中華思想、自文化中心主義からきている典型的差別で、当人たちがその間違いに気づくことのできない盲点みたいなものだ。
 自分はじゅん以外の奈良人と一定期間、かなり深く話をしていた時期があった。子の奈良人も本当にあきれるほど文化的質がくるっていた。とにかくアジア蔑視がひどくて、代わりにやたらめったら西洋崇拝していたのである。僕にはいつの時代だよと思われた。西日本って、どうも明治時代くらいで完全に精神的進歩がとまってしまっているらしい。だから西日本からわんさか東京まで遠出してきて、そこから日本蔑視、田舎差別をまきちらす。京都の場合はもっとひどくて、平安時代で精神的進歩がとまっている。天皇がくれば市民のプライドがみたされるとか、完全に平安京をつくったときと精神構造がかわらない。

 水戸学派は西日本が馬鹿の集まりだ、蛮族の集まりだという事について全く考慮していなかったのだ。それで蛮族を同じ国に編入してしまった。その被害は幕末にはじまって令和の今まで続いている。
 薩長土肥京芸の人たちって、いまだに植民地侵略主義が正義だと少なからず信じているのである。だから広島人が慶喜公へぬれぎぬきせて、その不正をみぬいていた会津人らを侵略虐殺した事について謝罪した場面とか一度もみたことないし、それが不正だとすら思っていないのだろうし、なのにもかかわらず、その様な卑劣な侵略暴力至上主義を原爆で制止されたら逆切れしてんである。その様な世界史的指摘にも、おそらく知性の低さから少しも耐えられない。原爆被害を受けた広島人大正義、という風に学校とかで洗脳され、天皇が侵略植民地主義の原因のくせに、広島へ同情的な意見をいったら広島人とくればコロっと騙される。孝明天皇はずっと慶喜公を信頼して公式政府(幕府)と一緒に国造りをしていた。会津松平家がもってる『孝明天皇宸翰』なんてそのいい証拠だ。明治天皇が15歳だったのをいいことに、岩倉具視らが政権簒奪を目的に慶喜公へぬれぎぬをきせた。母が吉子女王だわ、子供のころから尊王の哲学を叩き込まれているのに、天皇を討伐なんざ慶喜公がするわけないので、江戸城まで天皇家へ譲った。そしたら天皇家が侵略帝国主義による最悪の行動をはじめた。これも天皇家が全面的に悪い。
 天皇って自称で、もとは中国から来た人だ。当人たちがそういっている。天孫降臨とか。要するに弥生人の一種で弥生時代に列島へ入ってきたわけである。その人らが奈良に定着してそこから帝国主義政治をやりだした。だから古墳豪族の一種なわけだが、もともと天皇家って歴史修正主義者なのである。『魏志』倭人伝に日御子がいたと書いてある。ってことは、天皇家って偽の皇帝で、本来の皇帝って女帝なのである。時期的に。飛鳥期にもなってからでてきたのが天皇家で、自分で天皇と漢字を借りてなのりだしただけのことで、もともと日本にいた人達ですらないし、当然だが神とか実在しないものの末裔でもない。アフリカ人の遠い末裔である。もっと先祖を遡ったら類人猿の進化版である。さらにさかのぼったらシアノバクテリアだの炭素だからして、アマテラスとか嘘なのである。実在したと考えられる日御子の方がより古くからいたと考えられる豪族だし、そもそも古墳時代なんて各地にでかい古墳もあれば、もっと昔から縄文遺跡もあちこちにある。つまり天皇家って中国系移民なのである。そんな人達の神格とか存在しない。単なる暴力団長である。

 だから西日本の人たちが飛鳥期からずーっと主張し続けている中華思想って、すべて虚構であり虚栄にすぎない。
 じゅんにしたってモギケンにしたってそこは同じだ、自称天皇家にしたって同じだ。

 僕はですね、小室圭さんはとってもいい働きをしたと思っている。そんで眞子内親王も大分興味深い人物だと思っている。ヤフコメ民の一部とかにマコー・アントワネットといわれているけど、そもそも、マリー・アントワネット自体を、僕は割と好きなのである。正確にいうと小室眞子婚姻事件までの流れでマリーについて調べていったら、かなりの好人物である様に思われた。単なる世間知らずのオーストリアの王女って感じで、育ちが育ちだけにある面で高飛車だったのかもしれないけど、たまたま、時代の状況にまきこまれて処刑された。それと眞子内親王の置かれている状況って、さほど違いはないように思うのだ。
 竹田恒泰という人物もこの点では、対極的に似た様な感じというか、政府から叩き出されたからかなり無理のある男系論の論陣を張って皇籍復帰を狙っているように思われる、もしくはそれ関連の皇族商売をしているのは哀れだけれども、これも時代の必然があると思う。皇族が政府から叩き出されると自分で商売をはじめるしかない、ということなのだ。だから皇族利権を強烈に使って金を稼ぐのが最も手軽なので、その先例として、竹田氏がでてきている、ということなのだろう。そういう意味で、ハリー王子がマコー・アントワネットの先例というだけの話で、別に疑問はない。というか小室圭さんの全行動も、一般人からみたら疑問だらけなんだろうけど、冷徹なゆとりの行動としては何の疑問もないものだ。ゆとりって彼にかぎらずあんな感じだった。なににつけ自分の利己心が優越していた様な感じで、拝金主義があたりまえで、倫理とかはとっくに崩壊していた様な感じであった。眞子氏も内親王時代から大体似た様な価値観で生きていただけだろうし、僕的には別に疑問もない。単に世間の人々が疑義する様な特権利用のかずかずが、うまれつき当たり前と思ってて悪意がないだけだろう。そういう人種をみたことがない人は圧倒されてしまうだけのことで、茨城県・常陸国みたいに昔から割と皇族と関係していた様な感じの地誌だったら、天皇家の傍若無人ぶりなんて当たり前にあるというか、奈良時代から今まで何ら変わらないのではないか。だって世襲の絶対権力者なのだ、天皇家って。その人達がなにやっても完全に無罪、というのが原則で、竹田氏がいってるとおり。そんなの非人道じゃないか、人権侵害じゃないかといえば、いや、天皇家って最初から人道を無視してるから絶対権力者になったんですよ、としかいいようがないし、逆らった人たちを平気で殺戮しまくってきた一味です。人権とか出てくる前から関西で蛮行三昧してきた一味だし。「いまさらなにいってるの?」という感じで、むしろ竹田氏がここでもあわれというか、いちいち説明してあげてるのがかわいそう。もともと皇族のままだったらそんなのする必要もなくて見下して終わりだったでしょうね。いまではただの一国民だから、天皇家の無法行為を一々かばわないといけなくなっているわけだ。というか絶対権力者を権威めかしてごまかすという二重の覆いがかけられているのが象徴天皇制なり、幕府登場後の天皇家というものなので、そこの複雑な虚構、嘘をつきとおさないといけないわけだから、竹田氏っていくら元皇族ビジネスとはいえ本当にご苦労なことだなぁと思う。だって皇族なんてだーれもそんなことしてませんからね。疲れちゃうでしょ。一々いわなくても絶対権力がある側なんだから、皇族側はほっとけば勝手に政府が反乱者を退治してくれるわけだからね。不敬罪とかあったでしょ。

 じゅんとかモギケンって、この問題でもすげー微妙な態度というか、おのおのかなりへんてこな行動をとっていて、僕はそれもみててつらかった。だからもう見たくない。

 じゅんって人は単なる人権の論点から眞子をかばっていた。でもそれって、もともとじゅんみたいな奈良人があほな皇帝制度もどきをやりだしたのがすべての原因なんだから自業自得で人権侵害のしくみを政府づらでつづけてきた因果応報なのに、なにいってんだこいつ? と僕は思った。大和王朝がーとかいっていたせいで今みたいになっている。すべての悪因は奈良人なのである。最初からそんな傲慢な皇帝制だか王政だかをやりださなければよかったろうに。

 次にモギケンだけど、この人は自分の頭で考えるんじゃなくて、肩書とかで安直に信頼を置いて、具体的検証を怠る場面がよくある。それで竹田氏を思いっきり信用しており、男系派に入ってるんである。モギケンは。これもおかしな話で、佐賀人ってその程度の思慮で薩長土肥だーとかいっているんだから笑える。普通にさ、女帝も何人もいたし、女帝から女帝への相続もあったじゃん。だから天皇って女性でもなれるのである。血統主義じゃないのだ、もともと。それをルール違反して万世一系だーとかいいだしたのが岩倉具視で、『王政復古議』とかいう文章で、天皇家は男性じゃないと継げないとかいいだした。ありえない話だと周りの誰も指摘しなかったということは、岩倉ってよっぽど頭脳に恵まれなかったんだなと思う。狡猾さは別として、故実については無知に近かったわけでしょ。ある意味、不必要に大出世してしまい、国を間違えたんですね。岩倉のせいでいまだに混乱が続いている。孝明天皇って岩倉を遠ざける様なこともしていたし、あまり好きではなかったのかもしれないけど、それって、岩倉の性格が陰険という意味で悪いのに加えて(なにせ暗殺未遂で遠ざけられたんだから)、普通に故実に通じていないこともあったのかもしれない。竹田氏は頑張って勉強したのかもしんないけど、普通に女帝がいたし女帝同士でも継げたんだから男系じゃなきゃダメとか理屈が通っていない。結局男系にもどりましたといっているけど、もし男系にもどってなかったらそれは天皇じゃなかった、なんていえないしそんな法的・宗教的・政治的根拠もない。思うに神器を継げて女系で続いてたとしても、義公はその代を普通に天皇として記述していたと思うし、今も女系で続いてたとしても別に何の問題もなかったろう。男系論・女系論って、僕がしるかぎり、過去の全天皇史でがたがた言ってるのって竹田氏だけであって、じゃあなんでそんなこと気にしてるんですか? というと当人が皇籍復帰の可能性が残ってるからじゃないかなと思う。だって神器の方が重要だってのは皇室研究家からしたら常識でしょ。それも所詮は偶像崇拝で、神器が完全に喪失したときに何を正統性の根拠にするか、別の秩序になるんでしょうけどね。ただすでに男系だろうが女帝同士だろうが何度も交代してきて血統が天皇の正統性の根拠でないのは確かなのだから、普通にみて、竹田氏の説って間違ってるのである。
 ところがモギケンって自分の頭で考えるのを省略してるらしくて、あるいは思考力がないのかどっちかで、竹田氏の説をうのみにして、おもいっきり眞子内親王をぶったたいていた。眞子内親王をぶったたくというのは、小室圭さんとその母君をたたくことで間接的に眞子内親王を侮辱していた。それはやめた方がいいでしょ。だってね、昔の水戸藩だったらそんなのしたら怒られるよ。坂下門外の変だろうが桜田門外の変だろうが、あれってさ、当時の政治家が皇族を侮辱したから怒ったんだよ、水戸藩士って。安藤信正がいやじゃいやじゃーといっている和宮親子に家茂と結婚しろといったんでしょ。皇女に何をしくさるといって怒ったわけでしょ。あと孝明天皇が攘夷せいといってるのに、無視して条約勅許して、天皇ごときが政府に文句つけるとはおこがましいみたいな感じで、孝明天皇なんて廃帝しろ、みたいに井伊直弼って大老になったらいっていたわけじゃん。それをね、彦根市の人たちっていまだに理解してない。水戸藩士が攘夷論者だったと思い込んでいるのだ。違いますよ。水戸藩側って会沢安『時務策』みたいに外国事情を考慮して、富国強兵論だったんだよ。だから諸生党って、孝明天皇に忠実な即時攘夷論者の天狗党と対立関係になっていったのです。急進的な攘夷論じゃなかったの、多数派は。烈公もそうだよ。むしろ米国へ留学させてくれといっていた。だからね、桜田烈士・坂下烈士がおこったのって、当時の首相級の政治家が、天皇や皇女を侮辱したせいだよ。滋賀県彦根市の人たちって水戸市と姉妹都市だけどそこはちゃんと理解した方がいいと思いますよ。尊王論に触れてるから井伊大老は最終手段としてくびちょんぱされたんです。水戸藩士、要するに水戸徳川家臣団にとって大義は義公以来ずっと尊王なわけです。

 だからね、モギケンも竹田氏も大分おかしいことをしていた。
 はっきりいって眞子内親王をPTSDにさせた主犯って、竹田恒泰さんでしょ。そう思いますよ、全部みてた感じ。一番あおってましたよ。そんでそれにへつらって、というか同調して、一緒になって小室圭さんをいじめまくり、小室圭さんの母君をも名誉毀損しまくってたたいて、しかもその結果として愛する人を攻撃されて眞子内親王は傷つくだろうなーと僕は思っていた。竹田氏にそんなこといっても、彼はそこまで気が回らないのか、皇室のためには小室家をケガレ扱いする方が正義と信じ込んでいるらしいので、いや、それで眞子さんが自殺未遂とかする方がやばいんじゃないのか、というか内親王の私事に文句つけるっていくら元宮家とはいえ身分はき違えてるのではないかとは思ったが、直接は何も僕としてはいわなかった。モギケンの方には結構いってみた。だってモギケンってこの件で思考停止してんである。正確にいうと引用主義というのか、竹田説をそのまま正しいこととして暗箱にいれて再検討せず、竹田説のままで自分の説を上書きするみたいなことをしており、そのモギケンの説ってのは、男系論なのはいうまでもなく宮家復活論かつ小室圭悪玉論というやつだった。そんなの眞子内親王への侮辱だろうと私は思いました。実際そうだったと思う。だからいや、内親王に文句つけること自体がおかしいでしょ、とモギケンに何度もいってみたけど、いつものごとく全部無視して根本的にはモギケンは逆切れすらしていたと思う。ちなみにこの間、モギケンは佐賀新聞社長ともつるんで一緒になって小室家に悪口みたいなことを言っていたと思う。

 結果としては眞子内親王がPTSDになったわけだから、竹田氏もモギケンもろくでもなかったというしかないでしょ。いろんな意味で。

 別にね、皇室制度って関西の制度じゃん、もともと。東日本にとって関係ない制度といえば関係ないですよ。こっちにとって身近でかなり関係性があったのは将軍制度です。将軍制度が皇室制度の一部じゃん、という意見もあるが、必ずしもそうじゃないでしょうね。将軍は東国の豪族の長で、その人たちの政体が関西圏にも影響力を及ぼすために形の上で契約していたみたいな感じでしょ。天皇家との関係って。鎌倉幕府からそうだよ。江戸幕府の最後の時だけ例外って感じで。慶喜公が水戸徳川家出で、尊王派だったからね。
 だからね、今の政府をその東国伝統の枠組みに照らしたら、現実主義的に判断されるというか、政治的にダメなら天皇だけ生き残ってもダメですよ。天皇家が生き残ったから太平洋戦争は成功だったとかいってる東日本の人いますか。天皇家にしては生き残れてラッキーだったのかもしれないけど、あれってひどい政治だったとしかいいようがないじゃん。逆にね、天皇家がどうあれ、政治としてうまくいった場合は成功とみなされる。鎌倉幕府は失敗だった! とか言ってる人いますか? みたことないですよ。要するに天皇機関説じゃねーけど、皇室って政治制度なんだよね。関西の豪族の末裔じゃん、元来が。もっとさかのぼったら中国系移民じゃん。偉そうにしてた。その人達を封建意識で崇拝する人が関西圏には昔から多かったから、源頼朝ら歴代将軍は、天皇との関係を利用して政治をしてきたってことよ。まぁあれですね、関西人を帰順させる手段だよ。天皇の存在って、それはGHQのマッカーサーも同じじゃん。だから天皇家と政府の関係って、いつも政治的なものなんだよ。東日本的には外部からきた移民で、まだきてから150年くらいだし、歴代将軍と大してちがわないですよ。政治制度として。関西人の豪族の長が滅亡したところで、「で?」としか思えないしね。「関西人ってあとから入ってきた移民じゃん」で。アイヌの方が明らかに長いし、縄文人の方が遥かに長くて数万年以上の歴史があるわ、その縄文文明の延長上にできてんだもん、東日本のほとんどの都市って。東京とか横浜とかだけ新造の関西移民地区なだけで。

 だからモギケンとか竹田恒泰とか、いってることが間が抜けてるというか、天皇が絶対権力者だという意識で語ってるから、なんていうのか野蛮にしかみえない。どこかの民族ではそうなんでしょ。特定の絶対権力者の男系の血筋に神格が宿っているとか本気で信じているのでしょ。でもさ、遺伝学的にも現実政治的にも間違いじゃん。大量虐殺史だらけの天皇家に神格とかないよ。冷静に見ても最悪の血筋の一種だよ、豪族なんて大抵そうでしょ。戦争おこして威張り散らしてた蛮族の末裔って。それが封建制度のもとで蓄財して威張り散らしてただけだよ、中世って。