2024年2月14日

私が𝕏上で2名の人々へ返信した『源氏物語』浮舟や常陸国の紫式部による扱いの正統解釈論まとめ

私は同物語を読んであなたの意見のうち
(親王の血を引くのに零落した)
という要素を全く感じませんでした。実際に括弧を使われてる様、それはあなたの偏見では?
 親王任国のうち常陸国は大国の第一部で、『常陸国風土記』にも常世の国とある。浮舟は儒学的教養の下よく育てられた人と読めます。

 あの物語の全女らは京都の皇族界の性風紀の乱れに染められ全員辛酸を味わう。みな皇族男性による強姦罪で堕落させられ、貞操を失ってしまう。夫の浮気を許すしかなくなり京女らしさに落ちる。
 その最後に、浮舟だけが「良識的人物」として登場した時、彼女だけが本来の貴族に教育された人物なのです。

 あなたの読みは私の読みとはまるで違います。理由は不確かですが、京文化中心主義、京都中華思想の様な物をあなたが持って読んだのかもしれないのに比べ、私はその様な思想を「中国風」で愚かしいと感じ、全く信じていない事があるかと。実際、作者は浮舟を全体で唯一、最も同情を呼ぶ善女として書いた。

 京都皇族界の堕落に対して、東国のうち最も豊かな国の一つで育ったうぶで、儒教的な貞操観念をもつ「よい育ちの姫」が、姦淫罪を日常とする自堕落な皇族男性の間で最も人気になってしまう。
 いわば天皇専制に驕る、信じ難い性加害男らの間に、いきなり生まれ育ちのいいうぶな娘が放り込まれた悪趣味。
 そして案の定、浮舟も例によって匂宮に強姦される。 
 不貞や夫の浮気が当たり前、寧ろ皇族男性に強姦される事を出世の機縁で喜びと思えと、天皇専制になびく女権侵害の卑しい公卿公家の親達からいわれる、性の乱れきった狂った大都会にすぐになじめるわけもない彼女は、自殺にすら失敗し、出家する。
 出家さきにもしつこいストーカーをしてくる、匂宮の軟派のライバルで、元の姦淫狂いの主人公の息子でもあるろくでもない浮気性の薫からの手紙を、浮舟は顧みず物語は終わる。
 あなたはもしかしたら男心というものがわからないのかもだが、薫も匂宮も唯の人間の屑ですよ。浮舟は物語全体で唯一まとも。

 なぜその浮舟が
東国育ちの田舎者という烙印を押された
など、見下し文脈にあるなんて読み取れたのですか? 殆ど全く理解できない。紫式部は、浮舟を全体で最美のヒロインとして書き、いわば儒教道徳が元々ない京都皇室の悲惨な女権侵害社会をインサイダーとして暴露、常陸育ちの姫を賛美したのです。

 私は飽くまで偶然ですが、その常陸の人なので、大昔に『源氏物語』を読んであなたと全く違う感想をもちました。今だってこんな事あるよねって。
 我々は大昔からとても豊かでした。実際に風土記の通りの土地柄なのです。海山陸の食に満ち溢れていてどの家も不足がない。そこの姫はさぞ立派に育ちます。

 所が京都政界は乱れに乱れていた。飽くまで物語の中ですが、性風紀の乱れの形でえがかれているのは、皇族特権の乱用模様です。だからこそ平安京の受領政権(今風にいえば裏金政権でしょうか)は、平将門、藤原純友、平清盛らの乱などでひっくり返される事になる。その内部暴露、いわば虚構での抗議です。

 あなたは都会の方が当たり前に豊かだと思っているでしょう。決してそんな事はありません。生活難の目安、京都のエンゲル係数と常陸(茨城)のそれを試しに比べて見て下さい。勿論、皇族は楽でしょうが、浮舟も上級貴族です。
 要するに作者は上等な娘を書きたかったのです。

 また、例えば江戸時代中期『源氏物語玉の小櫛』で、本居宣長は作品解釈として、作者は不道徳さを無視したのだと考えました。いわば主情主義で悲哀の情感を語りたかったのだと。
 私は余りそう思えません。わざわざ浮舟が悲しみを最大化する役割なのは、儒学的性道徳を持たない皇族界の批判だからです。

 有名な物語論の「」帖で、作者は光源氏の口から、「虚実ないまぜの中に語らざるを得ない真相があるのだ」云々といわせている。要は性道徳がない皇族男性から女性が強姦され性被害者になる一方の、天皇政治批判を込めている事をメタ虚構論で作者が暗示していると私は考えます。
 傍証もあります。「乙女」帖で、作者は再び光源氏の口から学問論を語らせ、「大和心は儒学・仏教など教養の下でのみ生かされる」云々といわせている。つまり、物語全体で唯一、儒仏両方の性道徳を立派に帯び、最後に登場してくる浮舟の貴族的理想性への伏線になっているのです。
 以上から、作者の紫式部は、浮舟をあなたが言う
(親王の血を引くのに零落した)東国育ちの田舎者という烙印を押された

存在として貶める文脈には丸で置いておらず、寧ろ、教養がなく統治者失格で、女遊びばかりしている屑みたいな皇族男性らには勿体なさすぎる、育ちのいい娘として出してくるのです。

 あなたが理解できるかとは別に、本当に、私が色々な国々の人とお話してきた限り、「都会の方が人の育ちがよい」と考えている人は、日本以外で一度も見た事がありません。私の会話した人類の殆ど全員が「都会は犯罪率が高く危ないよ」という感じで、紫式部の書いた通りの都会・田舎観こそ世界的常識です。

 あなたがたは常陸宮殿下についてどう考えるのですか? 
 私はその常陸国ののちの地域にくらしていますが、あなたがたの様に感じた事は殆どありません。寧ろ、東京にくらしたり京都など旅行しても、我々の地域より遥かに犯罪率が高かったり、社会風紀が乱れたりしていて、こちらより暮らしづらかった。
 奈良時代に編纂された『常陸国風土記』の冒頭にはこうあります。

 常陸の国(すなわち茨城県)のあたりは広く、はるかな大地である。その土や小山はうるわしく、原野は肥え渡っている。人々が開墾をはじめれば海の幸にも山の幸にも利益があり、人々はそれを自ら得ているのだから常陸国の家々の食事はとてもゆたかで、満ち足りている。もし田畑を耕したり、蚕の糸を紡ぐ者がいたら立ちどころに富を取ることができ、すぐさま豊かになる。結果として彼らは自然に貧窮を免れるのだ。それどころか常陸国の人たちが塩気のある御数やら、魚やらの味わいを求めにかえってくれば、土地の左手は山でしかも右側は海、どこにいても食材が手に入ろうという世界である。彼らが桑の木を植え麻の種をまこうとしたら常陸国土の後ろは野原、前は草原であり、この国には水産業のみならず農林業にさえ、どこにでも適した土地があるといえよう。いわゆる水陸の府蔵といい、物産の資源があぶらのように滴っているのだ。昔の人がいった常世の国、すなわち天国とはここのことなのだろうかと疑うほどだ。但し、一ついえるのは水田に上々のものは少なくむしろ並程度のものが多いので、ある年に長雨が続くと、苗が育たないことがある。それが難点だと人々から不満の声が聞こえる。よく陽射しの照る年に逢えれば、ただただ穀物の実りは豊かで、いかに喜ばしい事か。

訓読の一例:それ常陸の国は堺これ広大にして地もまたはるかなり。土壌うるおい原野肥えわたる。墾發するところなり。山海の利、人々自得す。家々饒に足る。もし身を耕耘に労い力を紡蚕につくす者あらば、即ち豊かに富取るべくして立ち、自ら然りして貧窮を免れるに応ず。況や鹽魚の味を求め復すに左は山、右は海。桑を植え麻を種するに後は野、前は原。いわゆる水陸の府蔵、物産の膏腴。古人曰く常世の国、けだし疑わんこの地と。ただ以てあらゆる水田上すくなく中おおし。年霖雨に遇わば即ち苗子登らずの難を聞かん。歳亢陽に逢わばただ穀實豊稔の歓びを見んか。

原文:
夫常陸國者。堺是廣大、地亦緬邈、土壤沃墳、原野肥裄、墾發之處、山海之利、人人自得、家家足饒。設有。身勞耕耘、力竭紡蠺。者。立卽可取富豐、自然應免貧窮。況復。求鹽魚味、左山右海、植桑種麻、後野前原。所謂。水陸之府藏、物産之膏腴。古人曰。常世之國、葢疑此地。但以。所有水田、上小中多、年遇霖雨。卽聞。苗子不登之難、歳逢亢陽唯見、穀實豐稔之歡。歟。
――『常陸国風土記』常陸国司解、申古老相伝旧聞事
同物語の中で、私が読む限り、最も育ちがよく立派な教養を帯びた貴族として書かれているのが浮舟な事は絶対に間違いないと私は確信しますが、あなたがたの読みとは丸で違うとも感じます。
 なぜあなたがたが常陸をそんなに蔑むのか今の常陸に住む私には全然理解できない。作者の意見とも違うようです。

 都会(当時の京都)で暮らす皇族男らが次々一方的といえる強姦罪を繰り返してしまうので、物語を読み進めていくと、寧ろ光源氏に最初の手ほどきをした藤壺中宮除く(但し自分が読んだ限り心理の詳細は不明)全登場人物の女らが深く苦しみ、傷つけられ、全員が望まぬ一夫多妻の浮気で不幸になってしまう。
 だがそんな地獄じみた、性風紀の完全に乱れきったソドムじみた都会にひっこした、田舎育ちですれていない上、上級貴族の娘としてきちんと儒学・仏教式の教育を受けた浮舟は、全体で唯一人貞操観念をもたされている。
 なぜあなた方2人はそれ(浮舟側)が野蛮さだといっているのですか? 記述は全く逆ですよね?

 あなたがた2名が適当な嘘をついて、完全に悪意ある偏見で私の地元を「現実で」酷く腐している、その無礼な地域差別の非難はぬきに、単に物語をきちんと自ら読んできた人として、全くの嘘だ、とこうして完璧に把握しています。
 一体あなた方の読みは、原文や訳文のどの記述をさして解釈したのですか?

 ご存知かとは思いますが、常陸国は親王任国として平安時代から代々皇族が治めてきた土地柄ですが、延喜式では「大国」に分類される東国の筆頭で、風土記にあるよう昔から土地生産力が高いためのち御三家が置かれたりもしました。水戸黄門が有名ですね。
 常陸宮殿下の名称はその伝統を継いでいます。
 あなたがた2名は、一体、なにゆえにその殿下を貶める様な文脈に置きたがるのですか? 野蛮な土地だから? それでわざわざ皇族がと考えたのですか? 物語の中でも? 私はそんな読みをした人は人生で初めて見ました。一体どこの先生に習われたのですか? ぜひ後学のために教えて頂きたい所存です。

 私は私の祖母の遺品『源氏物語絵巻』もそうですが、自ら望んではいないのですが何かとこの物語に縁がある。何しろ、当の浮舟の地元ですし、私の父も祖父もその国の公務員です。知事ではありませんが、介という私の実名の名も、常陸「介」からとっている貴族みたいです。無論「守」は親王なので最上位の。私が日記も何度となく読んだ限りで、紫式部は常陸国をとてもよく書いているな、凄くひたすらほめているという印象でした。それは同時代人の清少納言が『枕草子』で、常陸と直接の関係はないですが、「常陸介といつ寝る」の歌をうたう乞食の女をそれなりにこっぴどく書いたのと対照的だと感じております。

 偶然ですが、私が習った先生はもうお年なのですが、調度わが家の前にお宅がありまして、『源氏物語』の研究をされていらっしゃる。地元の図書館などでよくその講義をされておられます。私は直接伺った事はございませんが。
 浮舟の人物解釈について、宜しければあなたがたの御講義を伺いたく存じます。