方言という概念自体が差別なんだから、どこの都道府県だろうがどこの国だろうが、現地の言葉がそこでの標準語です。言語帝国主義は悪質だ。
もしあなたが天皇による華夷秩序意識の洗脳下で、南関東や京都地方(京都府)で生まれ育ったり、そこの衆愚にへつらって自文化中心主義をしらずしらず身に着けた人なら、アメリカで「日本語風の表現」を訛りだといって大勢のまえで嘲笑されたらどう感じるか想像してみて下さい。それは異文化差別です。
やるべきことは異文化のなかにある特別な人間性の深い理解、文化多様性のゆたかさの尊重であり、いじりとか貶しとか否定とかによる、個々人のかけがえない個性の弾圧や辱めでは全く、ありえません。