日本人一般の物分かりが悪いのは、民衆に物を考えさせないまま納税奴隷化する天皇政治の影響が大きい。『礼記』や『論語』から流用し、和の意味をなごやかな礼儀作法から単なる全体主義の押しつけにおきかえてしまった『十七条の憲法』の頃からこの姿勢は一貫している。
そして超少数派の知識階級を除くと、前からそこでの平均的理解力は相当低かったのだろう。江戸・京阪沿いの東海道民がええじゃないかを踊る。慶喜公の天皇への禅譲が全面戦争で日本植民地化を防ぐ決死策だったのに、そうと知れたのは島崎藤村『夜明け前』に美化して書かれる、清談する読書人側だった。
茂木健一郎は「ええじゃないかは日本史でも最もほほえましい凄くよい光景だった」などと動画か何かで言っていた。東京通俗メディアを騒がすえせ文化人の色々な戯言中でも、最も下らない発言の第一分類に入るなと自分は感じた。西軍ら明治政府側はその様に、侵略国家を作る事に痛痒を感じなかったのだ。
僕はSANAAにいたショーンさんと米国人風に名乗っていた(多分韓国語だと鄭なのかもしれない)、カリフォルニア工科大学の韓国系留学生に、
「戦前の事は済まなかったと思っている」(徳川氏を説得か無視し、当時確実に薩長・天皇討伐を完了するしか正しい道はどこにもなかった)
「いつか韓国に行きたいと思っている」(新大久保で少しみたが興味深い文化的類似性がある)
と切り出したら、
「みながあなたみたいならいいんだけど」
と返され、握手を要求されて握手した。
「いつか韓国に行きたいと思っている」(新大久保で少しみたが興味深い文化的類似性がある)
と、括弧の中の思いを心の中で含意しながら切り出したら
「みながあなたみたいならいいんだけど」
と返され、握手を要求されて握手した。
それは見習い建築学徒間の短い時の内での両国の魂の交流だったが、一つの友情の証だった様に思う。
僕は茨城県立図書館で読んだ本で、昔、義公が朝鮮通信使と儒学上の意見交換や、贈り物をしあって君子外交をしていたのを知っていた。金玉均暗殺後の、福沢諭吉『脱亜論』のその後の趨勢も知っていた。
ええじゃないか式衆愚は、近隣国との平和外交を妨害したがる。長期戦略など何もないのに。同じ方針で、彼らは記録に残る限り主に奈良時代の関西地方から、我々の東国一切を差別してきていた。だからこういえるだろう。狭量な物を考えない衆愚が自民族中心主義目的に作ったのが天皇政治と神道だったのだ。
本当に民度が低いのは、紛れなくその天皇信仰による人種差別的自己愛を主張する衆愚集団で、彼らに差別されている側ではない。皇室はじめ、神道集団は国にとりつき偽善と露悪を使い分ける、邪心に満ちた暴徒である。彼らを完全に国事一切から永久除去しない限り、近隣国らとの友情など永久に図れない。
衆愚の説得など土台不可能だ。だから衆愚勢力は何かの形で国政上で利用するしかない。彼らは悪意や誤解で満ちているので注意して扱う必要があり生き残っても陸な事をしないが、一種の邪知をもつ悪徳レミングスみたいなものだ。
しかし誘導さえ巧くやれば馬鹿と鋏は使い様、で歩に使えるかもしれない。