2024年2月19日

江戸大衆喜劇の美学と対比した、ダウンタウンの雛壇芸の反知性主義について

江戸時代の江戸側の大衆喜劇は、全然詳しくはない自分も知ってるかぎりテレビドラマになった講談『水戸黄門漫遊記』の正統的な勧善懲悪劇だの、落語『芝浜』みたいな拾った銭でのんでしまうダメな夫を密かに貯金して支えた妻の深い気づかいと、それに気づいた夫の更生を描く人情噺みたいなのもあった筈。
 当時の大都市で並び立っていた大阪や京に比べ、武家の都市という面に配慮した、江戸町人独特の興味深い大衆喜劇が進化していた。言葉遊びの妙や、親しみ易い滑稽味を伴って時に知的に洗練された洒脱なユーモアをちりばめ、人らしさを深く穿つ面もあったのも事実。粋やいなせと呼ぶ独自の美意識もあった。

 それに比べるとダウンタウンがもってきて東京で作り上げた雛壇芸は、出演者らの個性を見分けつつやくざの親分子分関係みたく微妙な空気を読み合って、心理戦で巧く浜田大親分に殴って貰うと成功なる「マルチプレイヤー・ボケツッコミ」形式に終始していた。それは表層的な話題で機知のみ問うものだった。
 しかも松本・浜田両名はこの雛壇形式をあらゆるところで応用しながら歌番組やワイドショーに進出、空気を読める賑やかし子分を量産して、東京のテレビ芸能界を席巻してしまった。
 同時に子分が性接待の手配師を兼ねていたとばれたと今となっては、雛壇芸は反知性主義の開き直りだったとも考えられる。