やっと気づいた
なぜあれほど女権論者が吉原遊女を隠すのか
それは彼彼女らが娼婦の人権を認めていないからだ
悪意で巧妙に隠されていて表向き気づけない
本当に彼彼女らがやっているのは売春の職権侵害だ
表向きは可哀想だから被害者と明示しろと騒ぐ
実質は本意で売春する人々の尊厳も奪っている
売春は今は違法なので女権論者の説が常識顔をし
過去の遊女らの尊厳までまとめて侵害してくる
自分はとても優しい性格をしている
だから大吉原展弾圧に何か違和感を感じ
無意識にずっと遊女側を庇うしかなかった
それは彼女らの中には当時は合法だった職責を
接待術できちんと果たした人もいたからだ
昔 ニューヨークのインド系の女性と話した
彼女はこう言った
「娼婦はそのしごとを選んでやってるのよ」
だからニューヨークでは合法だと言いたげだった
実際はネバダ州以外では違法の様だが
イスラム圏では死刑に値するしごとがある
それは性の商品化に寛容な世界だ
東京圏も殊更そこに入るのだろう
性の商品化やその売り買いとは別に
単に不本意の性売買を強要されたり
或いは本当の性奴隷もいたりするだろう
だから本意の性売買権を認めるべきなのではないか
不本意の人と混在させているせいで議論が紛糾し
大人が売春する権利も侵害してくると事が厄介になる
それが人権ではないといえるだろうか?
性の解放という文脈では
単に北欧流の自由性交というだけでなく
単にフランス流の自由恋愛というだけでなく
江戸東京流の自由性売買もありえたのではないか
婚外にあった性の様相を抑圧・隠蔽し
性の解放を弾圧するのは女権論者の間に
清教徒やイスラム教徒らだけでなく
性嫌悪の人も紛れているせいだ
AbemaTVでさくらまななるAV女優が言っていた
「私は本意でAV女優になって天職だと思っている」
大まかにそんな意見だったが嘘ではないだろう
彼女は売春を職業選択権の行使だと信じている
本来は違法だが風営法が新業態に追いついていない
その間隙を縫い本意の娼婦の本音を言った人だったのではないか
浪漫小説系の少女漫画にかぶれた恋愛理想論者にとっては
『源氏物語』での連続強姦罪はどういう訳か責められていない
しかし本意の性売買の中にあった性愛の模様と比べ
皇族男から強制性交等致死傷罪された浮舟が自殺未遂や出家は性被害にすぎない
低読解力もあるだろうが二重基準の原因は西洋追従だ
米国移住後のセラピスト女がこう言った
「欧米では吉原遊郭の性奴隷を美化した展示はありえない」
所蔵元の大英博物館やワーズワスアテネウムは性奴隷酷使の現場とのみ
その絵に付与されるべき政治的正しさを確定し過去の異文化を語っていたのだろうか?
単に極東の娼館図として紹介したのではないか
欧米出羽守で帰朝者の選良面する脳博士は
女性主義評論で展覧会弾圧を煽った漫画家瀧波ユカリや
その他無学な偏見の持ち主らの𝕏投稿群をみて
現実には米英の持ち物を含む国際文化交流を
単なる性奴隷美化の間抜けな内国限定悪乗り仕草と勘違いしたのだろう
各国学芸員の知識量が彼ら以下とは思えない
現実の吉原遊女らは子供の頃に売られ
そこで年季奉公の形で働かされていた人々が多い様だ
『千と千尋の神隠し』で宮崎駿が描いた通りだ
湯女の世界風だが現実は抜け出せなかったろう
だが幻想喜劇風に児童向けに描かれていたら叩かない
何とおまぬけな人々だろう
宮﨑当人が性風俗を描いたと言ったのに
勝山は湯女をしていた
その理由は不明みたい
しかし私娼は違法業態なので吉原で営業許可された
処刑されなかっただけましという世界だった
現実に今でもイスラム法上なら死刑の筈だ
しかも欧米奴隷制と違い年季奉公で一定期間後に出れる
所がその当時として寛大といえる処置を叩く
一体何がしたいのか
禿制度と勝山式に吉原送致の私娼禁止令以外に
今だっている様に本意の娼婦もいたのではないか
なぜ女性に性欲がないと言うのか
どうみてもテストステロンが出ていて女にもある
割合は不明だが性奴隷だけではないだろう
自分から望んで売春したさに
吉原遊郭の妓楼に就職した成人女もきっといた筈だ
生まれつきなのか育ちなのか
淫乱な成人女が自分で各地の妓楼へ就業し
表向き禁じられている売春をしていた筈だ
その中でも唯一政府が公認していたのが吉原遊郭
だから格式を備えた公界というのは真実だろう
私娼禁止目的なので性売買合法化の時代だ
禿制度は一種の花魁選良教育社会の成立を意味した
そこで幼児から高い教養教育を施され
諸芸を備え見目麗しく性奉仕含む接待術に優れた花魁は
いわば高級娼婦中でも最高価な抱けるアイドルだったろう
思うにジャニーズの内情をみると今の韓国勢も
実質は似通っているのではあるまいか
舞妓や妓生の世界も本質は同じ娼婦育成組織で
今も昔も変わらない
欧米とは異なる娼妓文化が極東の一部にある
それは向こうにアイドル文化がない事でも明らかだ
性接待術の商品化とその洗練の意味では全くの別世界で
キリスト教やイスラム教が早くに浸透しなかったが故の
性売買の自由が局所的に解放された享楽の園でもある
恋愛理想論では本意の遊女の心は分からない
悲しむべきは人権思想が遅れてやってきたので
禿制度が長らく維持されていたらしい事だ
それは児童の人身売買を要素として含んでいる為
いくら貴族風の教養教育のしくみを備え
娼婦の中でも最もあてなる存在になりえたとしても
売った親達の育児外注責任はぬぐい得ないという事だ
間引きよりましでも
だがこうともいえるだろう
禿制度があったがゆえ吉原遊郭には
特別な遊女がいたのだと
児童から性接待術のため育てられたので
何かしらその洗練の度合いは最上だったのだろう
歴代の高尾太夫らは恐らくそんな地位にあって
世界のどこでも実現しえない艶美を称えていた筈だ
極東の果ての奇跡だったのだ
今の女性主義者らは一般に 子供の頃から
性接待術の芸能人になる道など非道だと考える
当時の親達や女衒が政府と子供の権利侵害していたのだと
その時代の公認性売買文化を文化となど呼べないと
欧米基準に準拠し 古式独特の職業観を見下す
太夫は公的芸能人の称号だったが
それも見なかった事にする
2024年の紅白歌合戦に
Twiceの日本人3人で作ったMISAMOが出た筈だ
彼女らがいわば現代の太夫みたいなもの
性接待術は多分していないだろうが
少なくとも歌舞の技によく練達している
では性観念が今とは違う過去で
吉原遊郭の高尾太夫らは彼女らと大幅に違ったろうか
似た様な印象があったのではないか
奴隷の性技サーカス団にすぎないと
まるで現実のジャニーズがそうだった様に
高尾太夫らを呼びすてた時
彼女らが現実に生きていたらどう言ったろう?
例え禿だちだったとして
彼女らは自分の職業に誇りを持っていたのではないか
その職能も到底一般女権論者には
生涯及びえないものだったのではないか
性接待術に専業化された生涯があった
それが悲惨だというが
自分がみるに人類全般も似た様なものだ
繁殖の為に交尾するなり
性欲の故に交尾するなり知らないが
要は哺乳類の変種として理性を持ちながら
それを台無しに汚い淫行に耽り
それで殖えているくせ職業娼婦は貶す
惨めな二重基準の差別主義者共
寧ろ禿制度の元で懸命に生きようとし
花魁や格子として女の或る種の媚態を芸術に昇華し
接待中に拒否もできた性行為まで時に含めていようとも
合法的職業だった吉原遊女らの名誉権を守るべきではないか
中には拒否しない散茶以下もいたろうが
彼女らの名誉の為にも唯の性奴隷だと罵るのは如何なものか