最上の美人の様に真の賢者も殆どいない。「賢を賢として色に易え」は『論語』で最も解釈が難しい箇所だと思うが、多分哲学者の出現率は古代中国では好色者のそれよりずっと少なかったのだろう。今も同じかもしれない。しかも日本でもそうだ。
この件について本居宣長の浅はかさは信じられないほどだ。上田秋成は当時もまともだった。それはわが時代でも似た様な事なのかもしれない。いってみれば茂木健一郎が本居の様な立場でただの通俗出羽守論者なら、吾輩はその批判者で随分な正論を述べている。事が外国崇蔑を巡ってあべこべなだけである。