確かにあなたのおっしゃる通りですね! 『鬼滅の刃』は漫画版原作で善逸が炭治郎に遊郭を知らない男は劣ってるみたいにいって遊び人ぶりを自慢しますし、一度も人身売買や性売買を「男目線」で否定する文脈で主人公らが郭の中での出来事を経験しない。よく考えられてるなと思いますよ、書き手は女ですし。それに、あなたの論考が著しく正しい点は他にもあります。実に精確無比だし、解釈もまともで正論かつ科学的だなと思ったのは、江戸幕府が1617年、江戸町人の庄司甚右衛門が既に京都や大阪にあった遊郭の営業許可を何度も断ったのにしつこく願いあげるので渋々出したのは、恐らく女を虐める為だけでした。
また、1661から1673年の寛文年間に、政府が禁止と言ってるのに江戸市中にまた溢れてしまった私娼を、禁令を出しやむなく吉原送りにする様にしなければならなかったのは、恐らく当時としても、処刑するより冷酷な対応だったでしょうね。禁じている事をやりたがるのだから江戸女の性道徳が一律に高かった。恐らく、人権思想が西洋から明治期に流入する前の事でしたし、斬り捨て御免もなかったですから、今の東京都民よりずっと江戸町人らの地位は高かったと思います。だからこそ私娼へ処刑より温厚な対応をしたのは酷いとの意見もありますが、『コーラン』では婚外交渉は死刑ですし、その場で斬るべきだった。
なお欧米諸国では1863年のリンカーン「奴隷解放宣言」前にはあたり中に現実の奴隷がたくさんいましたが、ちょうど日本ではイギリス艦が鹿児島に砲撃したころでした。英国奴隷貿易の植民地にならなかったのは、飽くまで吉原の外の一例ですが、亀遊の様に或る種の美学を持った遊女もいたせいでしょうか?
因みに年季奉公が建前だけだというのは我々にわか文化人類学の知識程度でも重々、常識ですのでね。ほかの国の奴隷は解放される事はまず終生ありえませんでしたでしょうが、江戸幕府は正に明治政府からの負の偏見づけ喧伝どおり、私娼あがりを許してやって刑罰がわり奉公後は無罪放免してしまっていた! ですので、子供の時点で親が売り飛ばすという最悪の風習が当時の日本人9割近く占めていた農民や町人の貧しさとか、日頃の飢饉から全国殆どで当然行われていた間引きよりましだとの親心だので、吉原や島原など遊郭の女衒にうりとばされたのは歴史的悲劇ですね。ただやったのは全国の困窮した親ですが。
明治政府こと幕末の西軍は暴虐で徳川家をおいたてて、本宅へ強盗にきて、西洋の猿まね政権を作ったが相変わらず、吉原遊郭の営業を続けさせていました。大体、山口県から出てきて初代総理づらの伊藤博文は、遊郭狂いで実に有名でしたのでして、当然やめさせる筈もないわけです。だから花魁の油画もある。
総じてあなたの意見の通りだと思います。だからして。
全て正しいんじゃないでしょうか。
もし大学の美学や文化人類学や、史学の試験だったら、まず100点満点でしょう。どこにも欠けた所のない答案を出すくらいですから、あなたはきっと恐るべきご立派なご先生がたの下で、ご学問にはげまれました。
丁稚奉公という形で今のパナソニック社の前身、いわゆる松下電器を興された松下幸之助さまは、幼少期に親元から離され随分さみしい思いをしたそうですね。町人や遊女に限らず、農民の間でもそうでした。当時はこれといって決定的な避妊方法がなく多産でしたし、そのため自然貧しいので奉公人がいました。
日本文化人類学会の第57回研究大会で龍谷大学の杜崢さまのご発表になられたことごとによりますれば、少なくとも江戸時代前期において「色道」なる概念が存在し、今の時代のセクシャリティとは随分おもむきが異なっておりますね。妻や妾、奉公人とは別に遊女には芸事があてがわれ、雅を追求していたと。
ご覧になったことはございますか? 勝山の考案したとされる外八文字を? 京の雅とはまた別の情趣がございます。嘗て江戸市中で禁じられた湯女として春を売り、結果、罪人として送られた吉原で小粋な彼女の一人作り上げたかもしれないそのよろめきは、或る種のコケティッシュネスの表現かもしれません。伝統と呼ぶにはおこがましい。初めの漫画家の方が仰るとおり、ご出身の北海道の釧路はアイヌのかたがたの頃はどうなっていたのか私めは甚だ寡聞で、お恥ずかしい限りまだ存じ上げませんが、日本最大の遊郭の一端で、花魁道中を見物できたのも公認たればこそ。彼女らは職業娼婦でしたが期間もある御奉公。
そうですね。西洋の娼婦ともまるで違います。何しろあちらの高級娼婦たちは自ら志願するなり、やはり貧しさの為に売られた。中には大変申し上げにくい事ですが生涯性奴隷も。けれども、江戸、明治、大正、昭和と続いていた吉原遊郭の様子はどうだったでしょう。今となっては遥かな霞の奥、浮世絵の中に。わたくしどもはもう浮世絵をみる事もかないません。今はポリティカルコレクトネス、ですか、そんな時代。そう、フェミニストのかたがたが。しかもラディカルな。女性の権利を声高に語る今となっては、決して見る事はできないので。そう。遊郭の中の様子は、です、永久に歴史の闇に沈んで。見る権利も。
大変残念に思われている事は、あなたのご発信の節々に痛々しいほど感じてございました。わたくしとしても如何ともしがたいのです。唯の通りすがりでございます、名もなき庶民で。何の意味もない返信をさせていただいたのは私には遊女の中に忘れがたい人が約2名ほどいるのですね。2代目高尾太夫と小紫。
あああの高尾太夫は立派だった。操を誓う鳥取のお侍に情を移しているがばかりに、伊達家のご当主の方に今にして5億円も身請け代をだされてもまだ身を許さぬ。逆さづりで斬られてしまった。見物人の一人が描いた浮世絵が。それは作り事でしょう。余りにむざん。
小紫の方はといえば……、花魁ともあろうものが権八になど気を許して。あの権八のものはやくざ者で130人も人斬りをし血気に任せて、また大金のかかる遊女の頂点の小紫と会おうとばかりに通い詰める。所詮強盗でとったカネ、悪銭身に付かず。結局、役人に捉えられ斬刑となりましたものの、その小紫が……ああ!可哀想に……涙が。身請け人がきているのに権八の墓前で自害などを。なんとむなしいことでしょう。花魁の身の上は。そのまま年季をおえれば既に若くない。だからその場で自害を。
ですから、あなたのおっしゃる事はよくよくわかります。あんな制度ろくなものじゃない。花のお江戸など誰も彼もが人でなしです。心がない。
6代目高尾こと榊原太夫だった女は、小大名にもらい受けられました。それもまた一つの道。けれども国元へついていっても誰もの年齢が儚かった時代、すぐに世を去ってしまった夫のもとも去ってどこへいったのやら。
花魁たちの絵。そんなものみるべきじゃありません。彼女たちは娼婦。西洋の婢同然。
そうですね。浮世絵師たちはだまっておけなかった。ある妖艶な美を称えている彼女らは、囚われの身。年季奉公を終えるまで若い肉体は金持ち達の玩具。江戸の町人道と称する凌辱の日々が、決して楽しかったとも思われません。中には性技だの恋の技だのを娼婦なりに身に着けもしたでしょうが、所詮籠の鳥。さながら、いまでいうならば。佳子内親王殿下のあのお言葉、あぁこれは口が滑りすぎた。
籠の中の鳥といったお人は諸国にございます。そうですね、西洋でいえば姫。囚われの身にある彼女らのお心がけを騎士が救いに入る戯劇がよくありますでしょう。ロミオとジュリエット、そうですね。権八と小紫も又。華道 茶道 歌の道 書道に恋文のしたためかたまで、よくもまぁあれほど懸命に教養教育をほどこそうとしたでしょう、高が娼婦とはいえお大名のかたがたのお相手をするにはそれなりの格式といったものが。けれどもその時代も、武家の儒学かぶれであっという間におわり。途中では無作法な格子女だらけに。
京とは違います。お公家さんがまずいらっしゃらない。それは稼ぎ方が違います。ですから、途中から恐らくもっと下品になってしまいましたよね。そのところだけみるかぎりは苦界と罵られてもなんの疑問もない。ただし快楽はついて回ったでしょうが、それも京の雅とは程遠い変体。しかも強制ときている。苦界と書かず公界と書く。こじゃれた趣向と思ってくれたのは教養人のみ。通人は絶えてとうに久しく、性奴隷を美化するなと大いにお叱りをうけあの大学も最高学府と称する格の手前大いに狼狽し、謝罪文などを。弁解とも弁明とも思われないべらんめぇに過ぎませんが、まぁ精々、空界と呼ぶのがふさわしい。花魁道中を残すのは今は全国でも遊里の跡が残る一部のみ。𝕏世論の厳格さが益々強まる今となっては夢の跡。どこも永久に消え去っていく魔法のようなものでしょう。我々単なる市井の無学な下民といたしましても、まぁ少々の無念は感じるもののやむをえない趨勢です。国連のお咎めを受ける前に区界撤退か。
さぁ桜鍋でもご賞味あれ。ご存知でしょう。吉原遊郭発祥の凝りにこったあの郷土料理を。それくらいしかないのです。あとはつまらぬ私娼どもが、ただそこらでうらぶれたくらしを。誰にとっても見るべき影はありません。今は昔。桜の花びらと散っていってしまったあの遊女の面影がほら鍋の中にちらりと。